おかげさまで、鳥でもなんでもなくて、たんなる喉風邪でありました。
しかしながらなぜ僕が実家に返されてしまったのかといえば、兄貴の陶芸大学の入学試験直前だったからで、兄貴に風邪がうつってはならんという訳だったのである。

それにしても、今回の風邪は腹痛がものすごくて、便秘で、おなかがパンパンに膨らんで、苦しかった〜。ということで、風邪が落ちつくまで何をしてたかというと、ジャパニメーション見とった。

そのことは明日から書いてこう〜

とにかくやっとマンションに帰ってこれた〜\(~o~)/ バンザ〜イ
まだ本調子じゃないけど、風邪薬と胃薬と下剤飲んでどうにか山場は越えたようなのだすます。

鳥か!?

2004年1月30日
あいたたた、背中が痛いと思っていたら、間接まで痛くなって、腰痛かと思っていたら、膨満感で、胃が悪いのか?トイレにいっても治らない飯をくっても治らない、おまけにこの前治療した銀歯が取れてやぶだやぶやぶやぶへびにょろろ。

歯医者にいって帰ってきたら、背筋がぞわわ〜っとしてきたので、もの熱くした風呂に入って出てもぞわぞわするんで、これは風邪だ風邪だ、ひょっとしたらインフルエンザ?鳥か?鳥か?最近鳥食ったっけか?布団三枚ふっかけてドリスタン飲んで寝てたけど熱まで出てきて本格的なんで実家に帰らされることになって、いってきます。
ISBN:4140880937 新書 有田 秀穂 日本放送出版協会 ¥680
キレる子どもや鬱の大人の脳では、セロトニン神経が衰弱し、脳内物質が欠乏している。不安や恐怖、興奮を適度に抑え、覚醒時のクールな意識(とらわれない心)を演出するセロトニン神経の不思議な働きを明らかにする。リズム運動できたえ、昼夜逆転した生活習慣を見直すことなどで、弱った脳と心に静かなパワーをとり戻す方法を、脳科学研究の最前線から提案する。
僕は、ルボックスという薬を飲んでいるのだけど、その薬は、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という種類らしい。ということで、強迫にセロトニンがどう作用しているのかに興味があって、以前から、ちょこちょこ調べていた。
そんな折に本屋で、こんな題名の本を見つけたならば、そりゃあ買っちゃうってさ。
結構前に読んでしまったのだけど、なかなか書く機会がなくて今日まで延ばしちゃったけど、この本は、ぜひ強迫の人に読んでもらいたい。強迫には直接触れられてはいないものの、強迫に役立つ、関連した情報、そして、行動療法(といえると思う)が載っているから。

さて、この本は、なぜ最近、切れやすい人たちが増えていってるのか?ということから、セロトニンの仕組みを解き明かしていってる。
その1つの原因として考えられているのが、ゲーム脳とよばれる脳の状態らしい。これは、ゲームをよくする子供に現れることから呼ばれているんだけど、当然大人にも現れるし,ゲームだけではなく、パソコンのやりすぎ、テレビの見過ぎなどによっても起こる前頭前野の機能低下のことを言う。そしてこの前頭前野は、感情を司る部分らしい、そしてその機能低下をもたらしている一因として、セロトニン神経の弱体化が関連しているというのである。
では、セロトニンとはいったいなんなのか?
まず、人の心の状態を作り出すのに作用している神経はド−パミン神経とノルアドレナリン神経のふたつに大別できる。前者は、快楽や欲望などに、後者は不安やストレスなどに作用する。そして、その2つの神経に対して抑制をかけているのが、セロトニン神経なのである。
つまり、このセロトニン神経が弱っていると、ふたつの神経の抑制が効かなくなり様様な弊害をもたらすという訳である。例えばセロトニンの弱体によって現れる障害の例として、過度のストレスにノルアドレナリンが過剰反応を示してしまうパニック障害や、感情の抑制が効かずに起こる躁や鬱などの症状である。そして、当然、行動の抑制が効かなくなる強迫性障害も含まれるだろう。
すなわち、セロトニン神経とは、何事にも同じることのないクールな心的状態、平常心を作り出す神経といってよい。
では、この神経を弱体化させないためにはどうすればよいのだろうか?
セロトニン神経を活性化させるには、太陽の光に当たること、そして、歩行・呼吸・咀嚼などのリズム運動が、必要なのである。
なんだ、日常やってることじゃん。って、そう、日常の生活を営んでいれば、通常のレベルにセロトニン神経を維持できるのである。では、なぜ、今現在、切れる若者やうつ病で自殺をする人たちの増加が問題となっているのか?それは、その普通の日常が遅れなくなっているからである。たとえば、僕にも当てはまるのだけど、家に引きこもっていると、どうしても運動不足で、リズム運動がおろそかになり,パソコンやテレビ、もしくはゲームに向かう時間が増えてくる。外に出ないものだから日光にも浴びず、あまつさえ、昼夜逆転の生活を送っていることもある。この昼夜逆転、不規則な生活こそがセロトニン神経には大敵なのである。冬場にうつ病が重くなる冬季鬱病(季節性感情障害)も日照時間の少なさによるセロトニンの弱体化で説明がつく。
つまりは、家にいても、ゲームやパソコン、テレビなどの娯楽が増え、外に出る必要もなければ、便利になった弊害としての運動不足など、まさに、鬱や、切れやすさなどは、現代病といえるのである。
ならば、その現代では,意識的にセロトニン神経を鍛えていく必要が出てくる。

さて、ここからはこの本の仮説になってくるのだが、座禅が取り上げられている。つまり、僧侶がやっていることは,徹底的にセロトニンを鍛える行為だというのである。確かに、僧侶は無の境地を悟りとする。無とは、何物にも動じない心、平常心だろう。とすれば、感情を抑制するセロトニンを活性化するという行為がすなわち座禅であると言う事も理にかなっている。なぜなら座禅は呼吸法だからである。このことを持って、この本では,セロトニンを鍛える方法として、呼吸法を紹介し、科学的に検証していっている。過去の人の知恵をこうも科学的に検証されてしまうと、もう神秘などという言葉では済ませられない、充分に信憑性をもった説である。
セロトニンは,無意識的な動作では、活性化されない。
普通の呼吸では、横隔膜は意識がなくても働く呼吸中枢によってコントロールされているが、呼吸法による複式呼吸は、意識がなければ働かない大脳皮質からの指令で動いているからである。
呼吸法を30分、これを、100日続ければ、セロトニン神経の構造自体を修正し、常に活性化された神経へと変革できるというのである。もちろんそれ以後も継続していかなければならないが、細胞に変化が完了するのは100日後だということである。
僕も試してみるつもりだ、先は長いけど、呼吸法を週間づけていけば、いつか強迫も治ってくれるかもしれない。

これ以上の詳述は避けておくが、この本には、これらのことがわかりやすく、そして説得力を持って語られている。自分の障害を知っておくことは、解決への第一歩だと思っている。よければ、一読をお勧めする。 
http://diary.note.ne.jp/d/37292

今度から新バージョンの日記に書きますのでここに移動してください〜^^

新記録達成!!

2004年1月27日
昨日の午後2時に限界にたっし、夢の中に埋没していったのねん。
いろんな夢見たと思うけんども、覚えてる夢は、兄貴とセンター試験を受けにおやじに連れてってもらうというやつ。しかも、大分のセンター試験なのに何故か愛媛に、しかも車で。訳わからんね〜。
そんで、つく途中に、センター試験の始まる時間に間に合わんことがわかり、そりゃー、当日に大分を出発して、午前中に愛媛につくわけなかろうが。しかも、日程みてみたら,センター試験は、前日から始まっており,僕たちはすでにして、試験日を勘違いしておったというはちゃめちゃぶり。おやじに文句をぶつぶつ言われながらもご帰還。
うーむ、なんでセンター試験やねんな。
といった夢にうなされ、起きてみると今日の午前6時やった(゜□゜;) ギョェ
ということは、ひいふうみい・・・なんと我輩16時間も寝ておったのかギャフン。
すごい、16時間はおそらく僕の睡眠最長記録更新なり。いやあ、なんて無為な毎日を過ごしておることかいやあはっは。でも、これで昼型に戻せたことだし結果オーライ。どうせすぐに崩れるんだろうけど。
久しぶりの日光、まぶしいなあ。。。

つぶやキタム

2004年1月25日
ああ〜、徹夜しちまっただよ。
てか、強制的に寝なかったんだけどね。昼型に戻したいから。ただそろそろ、目がしばついてきちゃって、佳境を迎えつつあるよ午前11時半。きっと飯なんか食ったら、血糖値があがって鬼の睡魔がやってくるんだろうなあ。だから食わないでおこう。
さてこれからをどう過ごすかが問題となってくるわけだが、手っ取り早くこの睡魔から脱するなら、外出して街をぶらつくってことになるんやけど、寒さに滅法弱く、そして人一倍不精たれな僕チンには、服を着替えて外でてランランする体力は残っていないのさ。ということで、読書でもってのがいつものパターンであって、そのうちに横になって読み出して、そのうちに文字が2重に見えてきて、そのうちに夢の中ってのもいつものことなので、十中八九そうなることは予想し得るのでやめとこうっと。
ならばならば、やっぱり対人的なことで凌ぐのがいいのかも。とはいえ今日はマンション僕ひとりで、おまけに僕は引きこもっておるので、対人手段としては、携帯か、パソコンとなるわけだ。でも、携帯は最近パケ代が洒落にならんばってん、ここはパソコンが最善なのだろうなあ。パソコンで対人といえば、チャットでっか。ああ、せっかくボイチャのマイクとカメラを買ったのに、うちのパソのOSが古いもんで使えやしない。ふう、新しいパソが欲しいなりよ。
まあ、ネットうろうろしとこっと。

実働1日10時間?

2004年1月23日
やあ、おはようといって起きたるはすでに日もかげる午後の四時。腹へりし我が胃腸は煽動し、脳髄は食い物を与えよと指令を出す。
目の前にあるは、今朝がた出された形跡の朝餉。
今朝とは現在の僕にはすなわち深夜を意味するわけで、その時間は当然夢の中にいざなわれておったわけであり、つまりはその朝餉を今食うとなるとそれは何餉と呼べばいいのか?ってなことを考えたのは日記を書きし今時分であってそん時はただ漫然と食すのみ食った食ったゲップ月賦は無職なおいらにはない。
食ってパソつけて画面に目をやったら欠伸が出て、なんでえ、まだ睡眠が足りねえのかよって、思い起こせば就寝せりは午前6時、(゜□゜;) ギョェ、10時間も寝てやんのに、何でそんなに眠てえんだぎゃ。しかるにこれが眠りすぎ疲れという奴なのか、もうたまらん、お休みなさい午後6時。あふう、起きたしは午後10時、正味14時間睡眠となり申し候。で、起きてた時間は何をしてたのかといえば、この痴れ者、ネット中毒に罹患しておって飯、風呂以外はパソの前たる惨状に親もみかねてるのを通り越し見捨てにかかってあきゃきゃきゃきゃ。
となれば日記の中身もすかんすかんの骨粗しょう症状態と相成りまして、まさに食う寝る遊ぶ。糸井重里の名言を実践している今日この頃はさすがに危機感が芽生えてきたのでこの日記が新バージョンに移り変わると目される2月5日あたりまでにはどうにか、もちっとしゃんとしとかんと今年の公務員試験も玉砕なんて可能性は多いにあるってか今のままだと確実なんでやっぱり、ネット断ち、はさすがにできんけんせめて勉強を再会するために睡眠を8時間くらいにおさえんといかんけどやっぱりチャットは楽しいなあえへへ、やばいなあはまりすぎ。うれしかなし。楽だけど大変だ〜、行きはよいよい帰りは恐い。それが嫌なら宿題は後に回すな、ああ就職の星は厳しいのだキタムよ。どっかに勉強養成ギブスなんて売ってないかな、なんじゃそりゃ?なんじゃこりゃー松田龍平は息子でした。ぱっぱっぱパールライス。
やったね!ヽ(^−^)ノ 万歳!
昨日であんなに続けるつもりじゃなかったシリーズをおわらすことができた〜ヽ(  ´  ∇  `  )ノ わ〜い♪

これで、親に隠れてこそこそ日記かかんでもいいぞなホイ(^。-)v ブイブイッだって、親にあんな内容見せられまへん(/−\) いやーん。

さあ、今日からしばらくまた気楽に適当なこと書こ〜っとさて、何を書こう?・・・・

( ̄。 ̄;) ̄ ほえ?

頭からなんもうかんでこんばってん( ̄□ ̄;;)

( ̄  ̄;) うーん、(・へ・;;)うーむ・・・・

ああ!そうだ、DVDデッキが欲しいなあ(*`▽´*) ケケケッ

ヘ(´∀`ヘ)ヘ(´∀`ヘ) へろ〜へろ〜(ノ´∀`)ノ(ノ´∀`)ノヨイヨイ♪

ダイエット敢行ちゅ〜、ウエイトとエアロバイクと食事制限で約三日目、体重計に乗ってみる。Σ(∂。∂;) OH!体脂肪、体重ともに増えておる(゜□゜;) ギョェ! (。。;) \(゜o゜#;アホカッ!

(`皿´*) ムキー!絶対50キロ台に戻してやる〜!

とかいいつつ。。

-{}@{}@{}- 焼き鳥 ( ̄¬ ̄) ジュル・・・

|_・) ジィー… ( °o°)ハッ

(;`O´)o コラー!ε≡Ξ≡Ξ≡Ξ≡Ξ≡ヽ(; ゜〇゜)ノ アウアウ

強制連行:ヽ(゜▽゜ )-C<(/;◇;)/

||Φ|(・|・|)|Φ|| ガシャン!

ちーん Ω\(-。-)...ナンマイダ
過去を切り離して考えなくとも、もう会うことがない人物なら、傷は消えなくも、薄まっていく。僕は、過去を背負ったまま、人間をある程度まで信じられるようになった、がしかし、その過去を形作った人物たちと、会うことができるようになったというほどの自信は僕にはなかった。理屈では、すでに彼らに対する恨みはない。僕は、彼らが人の気持を理解できる(あるいはそうであろうと努力する)人間へと成長をはたし、僕のような経験をする人が出る前に気づくことができるようになっているのであれば、それでよいと思っている。そう、理屈では。
問題は理屈という理性に感情がしたがってくれるかどうかである。自分が再び彼らに会った時、どのような行動をとれるのか、さっぱり予測がつかなかったのだ。
大学を卒業し、大分に戻り公務員学校に通い出した僕は、まだ、どこか偶然にも彼らに会ってしまうことへの不安に恐々としてしまっていた。そして、やはり、自分から会う気は毛頭起きなかった。
ただ、自分の中の変化として、起こった確信によるある決断、過去への清算ができているかどうか。そのことは、彼らに会ってみないと判断し得ない。そのことだけはわかっていた。過去の憎悪、理屈ではない、潜在的な憎悪を上回る理解、それができてこそ、初めて僕はほんとの意味で彼らとの過去を清算できたといえるのである。
今年、1月2日に、テニス部の新年会があった。僕にも電話がかかってきた。もちろんそこには、僕の障害を真似していた奴もくる。僕はそれまで電話がきても出なかったし、関係も絶っていた。しかし、今回は参加することにした。自分の過去にどこまで立ちむかえるか、彼らに会っても、自然に笑みが出せるかもしれないじゃないか。そういった仄かな期待と、自分の感情との葛藤が当然起こるであろうことへの、不安を抱きながら。
待ち合わせ場所につく、久しぶりに見る顔があった。まだ、真似をしていた奴はやってきていない。しかし、僕はその時に、僕の潜在的な憎悪をがいかに強固であるかを思い知った。笑うこと、いや、表情を作ることすらできない自分がそこにいた。笑おうと思っても笑えない。彼らは、傍らで再会を祝し談笑していた。僕は1人ぽつんと座り、心の奥から湧き上がる、顕在化してくる憎悪の言葉と戦う。そのとき僕の心は、完全に憎悪に負けていた。他になんの感情を挟む余地も、また、他の何事も考えられなかった。ただ、彼らに対する恨み節が、心のうちで繰り返されるのみであった。彼らは最初、僕にも話しかけてきたが、話しを返さない僕にやがて彼らは話さなくなった。そのことも、さらに憎悪を増加せしめた。「やはり、やつらは僕の気持ちなど、わかっちゃいない。いや、人の気持などわかるようになっちゃいなかったんだ。誰も僕に気遣うこともなく、原因もきかず、意に返さず談笑してやがる」。今思えば、子供じみた、そんな憎悪の言葉も、平静を失っていた僕には、もっともらしく思えたのだった。
そして僕は頭を抱える、こんな状況になる場合も予測はついていた、それでも最後まで、会が終わるまで我慢できると思っていた。だが、それができるはずもないことに、その時はもう気づいていた。
葛藤は、一方を粉砕した、理性をである。憎悪を抱きつつも、僕はまだ彼らとであった頃のように戻れる可能性に期待し執着していたのあのであるが、もう、どうでもよかった。今後会うこともないだろうと腹を決め、僕は爆発した。ただ出ていくのではなく、置き土産として僕は大演説をぶったのだ。
激情が言葉となってほとばしる。まだ現れていない、その仲間に障害の真似をされたこと、誰に相談しても耳を貸してもくれなかったこと。人間不信に陥ったこと、大学で幻聴を聞いたこと。そんなことをすべて話した。
「高校の終わりごろ、お前等は俺の変化に気づいてたのに、誰ひとり、気にかける奴もいなかった、俺が相談しても、最後まで聞く奴もいなかった。それが友達か?俺がこうなった一端に、お前等のなかで自分にも責任があるかもと、誰か1人でも考えたのかよ!!自分の楽しいことだけにしか目をやらずに、そんな奴らが、こんな時だけ友達面して、俺がどうして、お前等の前で笑えるものか!こんな人間しかいないと思うと、もう絶望だ、反吐が出る。俺はお前等のような人間にだけはなるものか!」・・・それは、憎悪の叫びというよりは、人間への歯痒さへの、悲痛な哀訴であった。

はたしてその大演説は、どのような結果を出来させたのか。僕は、その場を去らなかったのである。彼らは、僕の叫びにより、始めて、僕の現状、そして苦悩を知りえたのだという。それが予定されていたものかどうかは知る由もないが、僕の関係を絶っても良いと覚悟した破れかぶれの爆発が、彼らとの関係を繋ぎ止めたのだ。彼らは芯から過去をわびてくれた。そして飲み会での当初の態度にも。それから、僕は強引に引き止められ、語り合ったのだ。
「お前には、過去のことを忘れてくれとは言わん。だが、お前との関係は、これからだと思ってる。今からが、もう一度お前との友情を築いていくスタートラインだ。これからの俺らを見てほしい」
彼らの言である。
然るに、僕は1つの過ちを犯していた。それは、僕が成長したように、彼らもまた、成長しているということである。僕は依然として彼らを高校の頃と同じ目で見ていた。だが、彼らはすでに、僕の相談を最後まで聞くことのできる、現在の彼らなのだ。ならば、現在の彼らに思いをぶつけることもなく過去同様話しを聞けない存在として彼らを見ていた僕の態度こそ恥ずべきものなのだろう。最後の爆発、やけっぱちでやったその行為は、実はやけっぱちではなく、まさに関係を清算するに必要な、正当な行為であったわけだ。過去の憎悪は過去の彼らに対する憎悪なのなら、完全な払拭も不可能ではないかもしれない。その可能性の目を摘むことにならなくて、良かった。

さて、現在の僕はというと、やはり、あの飲み会の後、まだ彼らとの関係が、過去が、清算できたのという確信は、持てないでいる。再び飲み会があれば出席するつもりだが、はたして、また笑えないかもしれない。しかしながら、次回は、みんなと話し合うことができる。そしてみんなも聞いてくれる。彼らとの関係は、今、新たにスタートを切ったわけだ。僕たちがやるべきこと。まずは、彼らは過去を忘れず、教訓とする。僕は過去の事実は消せなくとも、過去の彼らに対する憎悪は、忘れるように務めていく。
なお、僕の障害を真似していたその友人(と、もう呼ぼう)は、送れて飲み会にきたのだが。彼は、過去の行為を罪に感じ、今生き苦しんでいるという。僕は彼から、その言葉を聞き、彼もまた弱い人間であったのだと、憎しみの氷解していく音を聞いた。彼は、現在、医者を目指している。願わくば、僕に行った行為を戒めに、今度は誰よりも、患者の気持を思いやる医者になって欲しい。彼ならなってくれるはずだ。

あの過去を、彼らは忘れず、僕は忘れるように。いつか、本当に清算できる、その日がくることを信じて。


♪そんな運動しなくても〜燃焼系、ほっほっほ、アーミノっしっき♪

嘘つけ(`皿´*) !!

過去の清算(9)

2004年1月19日 連載
さて、こういった試みを続けていくうちに、内的変化が生じてきた。
僕は再び人のことを信じられるようになっていく。当然、さまざまな副因もあろう、僕が成長したとも言えるのかもしれない。とにかくも、大学4年になんなんとする頃には僕の支柱となっていた1つの想念。「人間は裏切るものである」という思いは、人間の希望へと転換した。
それはやはり、そこにしか自分を救う道はないという思い。希望を持たざるところに未来はない。ならば、希望は何から生ずるのか?少なくとも、自分が行動をしない限りは希望は生じないということに気づいたからだ。
僕は苦しんでいたが、苦しんでいたから希望がもてず、人間を信じられなかったのではない。希望を持たなかったから、人間を信じられず、苦しんでいたのだ。
希望を持たないところに、たとえどんな未来を拵えようとも、救いはない。なぜなら自分の心に絶望というビジョンしか置いていないから。自分の心に希望を描いていないのに、どうして救いの戸口を判別できるものか。人間を信じられないと思いこんでいる心には、たとえ信じられる人間が現れたとしても、不信の姿しか映し出さない。希望とは、未来の願望である。その形を心に描いてこそ、その到来を、そして、救いへと向かいつつある自分を自覚することができるのだ。設計図のない工事は、竣工へは決して至らないのだ。
そう、人間が実際のところ、信頼できるのか、できないのか。そんなことは僕には関係ない。ただ、僕はどんなことがあっても「人間は信頼にたる」という希望を捨てないことが大切なのだ。そこに、自分の生を紡ぐ糸(意図)が生まれる。さすれば、努力が生まれる。かくてその結果、自己への救いが生まれる。では、それを生じさせるのは何なのか、すなはち、それは周りの状況ではなく、自分、自己の心持如何なのである。
そして、それこそが第一の行動であり、最も重要な行動なのである。実はその後の行為(努力)は、この第一の希望を持つ、という行動を経るかどうかによって、意味合いを変貌させるだけであって、実態は変わらない。つまり、希望を持たなければ、その後の行為はただの「もがき」である。なぜなら、本人には確固とした目標(希望)を持たざるがゆえ、自己が何に向かっているかも、努力しているかどうかすらもわからずにその行動を見逃してしまっているからである。
さて、これを窮乏においてわかりやすくたとえてみると、希望をビジョンとして描いているもの、例えば、今の生活を維持して慎ましくも食っていくことができればいいと願う者がいれば、日常の些細なことに楽しみを見出そうとするだろうし、見出そうと努力するものである。そしてそれを幸福だと思えば、窮乏においてもそこには救いがある。また、窮乏を脱することに希望を見出すものは、そこに向かって、努力という行為を生ずる。救いに到達するかどうかはわからないが、救いへと方向は向いているわけである。だが、絶望のうちに悶々とするものにとっては、現状をただ疎み、抜け出す策を講ぜず、些細なことにも喜びを見出すことなく、それら、救いへの努力の種をみすみす見逃しているのである。これすべて、第一の心の作用。希望を持つか持たざるかにかかっているのだ。
僕は人を信じると希望を持つことにより、今まで見えなかった、救いへと通ずる人の良心を些細なことでも感じることができるようになった。そしてそれは、今までの自分が努力を怠りつつも現状に不満を持っていただけだという思いを再度強くせしめた。つまりは、これによりあらためて、自分の気持を言葉で表すことの大切さを再確認させたのである。僕は、人に自分の気持をすべて語ることをする前に、人が自分の気持をわかってくれないなどと決め付け、もがいていたのだ。自分の気持をわからせる努力を講ずることをせぬままに。
この確信は強固であったが、だがしかし、自分の過去への執着もまた、強固であった。あの高校時代の経験、そしてテニス部の仲間たちへのしこりがこの確信を持ってしてもまだ拭い去れないでいることを僕は白状する。

続く

ここだけの話し

2004年1月18日
今日の、公務員模試、見事に寝過ごした|||||||||||||(◎ ̄ロ ̄◎;)||||||||||||| ガーン!

雑感

2004年1月17日
今日は、友達とカラオケに行った。久しぶりに友達に会った。楽しかった。気持があったかくなった。なんか、涙が出そうになった。あっ、それは、昔の歌を歌って懐かしかったからかも。とにかく、友達に感謝。
僕がまずやらなければならないこと、自分を受け入れるということ。つまりは、病気である現在の自分の存在を肯定すること。障害を克服しなくていいと言うのではない。克服を目指し努力しつつも今の自分の状態を悲観しないということ。
これがいかに難しい作業であるか。なぜなら、今現在でも、僕は完全には劣等感を払拭できずにいるのだから。
僕はまず、障害を人前で臆することなく話していけるようになろうと思った。人に話せないということは、自らその障害を否定することになる。確かに話していくことには、デメリットもある。人に自分の障害を告白することは、概して好まれない。それは、聞き手側が、自分に関係のない負の部分の共有を強いられることによる拒否反応を示すということも1つにはある。そして、これも、ある程度は仕方のない(本当は仕方ないで済ましてはいけない)ことなのだが、自分がその障害の辛さを知らない場合には、相手の言うことが誇大表現に感じてしまう場合があること。なぜなら話すほうは今までの障害の苦労から、理解を熱望する感情が口調へと伝達し、過去のさまざまな辛酸を例に熱弁を振るってしまうことにより、相手にはあたかも悲劇のヒロインのような印象をうえ付けてしまいかねないからである。そして、聞き手の中で、そのような感じを抱いた者は、「そんくらいの苦労ほかにもいっぱいしてきた奴はいる」もしくは、「病気だということを悲劇に考えすぎている」というようなことを思ったり、ましてや言ってしまうことすら少なくはない。
だがしかし、そのような考えは間違っている。なぜなら、苦しさや、悲しさというものは、相対化できるものではないと、僕は思っているから。どんなことであれ、その人が悲しいと、そして苦しいと思えば、感じれば、それは真実なのである。そういう絶対的な感情を、聞き手は自分と、あるいは自分が通常このくらいだと思う悲しみや苦しみの度合いを鑑みて、それは、努力が足りないとか、そんくらいの辛さで、とか思うのである。しかしながら、その苦渋をなめている話し手当人にとっては、それは精一杯の苦しさであり、悲しさだ。そして、人はそういった状態から抜け出そうとするものであるから、言われるまでもなく、自分にできる限りの、そして考えられる限りの、努力はしているものである。そのことを忘れようとして考えないことや、避けようとすることもまた、自己保存のための潜在的な防御本能であり、苦脳から脱するための努力といえるのだ。
だから、僕が聞く側に求めること、それは聞く耳である。なるほど、多少事実よりも大げさに話すこともあるかもしれない、しかしながら、そういう風に大げさに話すことを強いているのは、過去の苦悩や、理解を欲する心からである。ならば、聞く側がするべきことは、自分の感情の尺度を一旦度外視して、その話している者の、話を事実として受け入れることなのである。まさに、話す側はそのことを受け手に求めている。さて、事実として聞いてから、そこから自分の、あるいは社会の尺度と鑑みることは、無駄ではない。もしそこで、その話し手にまだ努力ができる余地があると感ずる(これは、普通にいえば、努力不足に該当する感覚)のであれば、それは、話し手が努力をしていないのではなく、自分を解放する新たな対策を、自分の考えうる限りにおいてまだ発見できていない、もしくは、努力するべき対策のベクトルがその聞き手とは違う方向にあると解するべきあり、ならば、安易に「努力不足だ」といいきって捨ててしまうのでは、お互いの理解も深まらず、両者の意図も誤解のままに終わっている可能性が高い。この場合、聞き手が言うべきは、自分がその苦悩や悲しみに対して有効だと思う対処法をアドバイスする、もしくは、例えば、その話し手が苦悩からの逃避というベクトルに努力のむきを向けている場合であれば、他の方法(ベクトル)もまた存在することを示唆してあげればいいのである。
当然僕も聞き手にまわる場合はこういった姿勢で話しを聞こうと思っている。
さて、一方、話し手(この場合、主に障害や病名を告白しようとする場合)において、とるべき姿勢としては、ある程度の妥協、そして、相手の表情に惑わされずに説明していこうとする勇気と行動力ではないだろうか。というのは、障害を話したとして、完全な理解というのはそうそう得られるものではないし、時には上に記したような批判的な態度をとられることもままあるという現実を前提においておかなければならないから。しかしながら中には必ず耳を傾けてくれ、ともすれば打ち明けたことを感謝する人もいるのも事実なのであるから、1人に打ち明けてそれが失敗らしく思えたとしても、それで止めてしまうことはない。また、そのときに聞き手が理解の態度を示さなかったとしても、その人物の中には少なくともその障害の何らかの知識は植え付けられ、いつかその人物がこの病気を理解する種子となってくれるかもしれないということ。そして、少しでも話したことにより聞き手がその後会うかもしれない同じ障害をわずらっている人たちを無知による中傷から救うことになるかもしれないこと。だから、相手の不理解に対する妥協、そして、話していくことにより、周りに全員ではないが、理解者が増えれば、自分の障害に対する劣等感の垣根も低くなり、その他の工夫により払拭も不可能ではなくなるかもしれないこと。行動力とは、つまり、最後まで根気強く説明する忍耐とも言える。話し出して、相手の態度に気おされて途中で説明を放棄しては、自分の障害を理解されないことだけなくして、自分という人間を誤解されてしまうことにもなりかねない。話し手の意図が明かになってもまだ、その切実な思いにたいして拒否的な反応を返すものが、はたしてそんなに多勢に及ぶとは考えられない。ならば、拒否の反応は話し手が話を途中で放棄することによる、聞き手がするであろう話し手の意図の推量によって起こる誤解に拠っている部分も少なくないはずであるからして。まさに、このことが相手には腹蔵なく、そして徹底的に語ることが、何よりの理解につながると信ずる僕の理由である。

こうして、自分の障害にたいする憎悪(おそらく無知による無意識の被害によって起こる)を減らすことにより、自己の存在への肯定を可能せしむることを信じ、まわりにこの障害を広める、少なくとも僕の周りにいる人々に障害を広めるという行動を、実行するに至る。

続く

ぷっぷくぷー

2004年1月15日
日記書こうとしてパソコンに向かったまま、とんねるずとかの番組をみている内に一文字も書かずにもう11時になっちった。今日はなんだかめんどくさくなってきたので、適当に適当な事書こうっと。

そうそう、ここ最近公務員の勉強をなんもしてない。気がつけばもう1月じゃん。小説ばっかり読んで、危機感もあったもんじゃない。
日曜、模試があるなあ。久しくいってなかった学校に行くことになるんか。やだやだ。この前ばあちゃんの一周忌で田舎にいったら、しっかり親族のおじちゃんに無職をネタにした嫌味をぶつけられて、ちょっと応えた。元来、周りのことを気にしすぎる性質なので、気にしまいと心がけていてもいざこういったこといわれると、とホホホホ。情けなさが骨身にしみるぞよ。ああ、やっぱり、勉強しとこう。近いうちに。。。
1人の友人がいる。今はもう連絡をとっていない。爾後もとることはないだろう。しかしながら、今もって友人であるにかわりない。
僕を転換なさしめたは、その人物、M君であった。
といって、彼にはその意識はなかっただろうし、現在も気づいてないだろう。相手が自覚しなくとも、ある人に決定的な影響を与えることがある。つまり、僕は、僕が忌み嫌っている無意識によって、皮肉にも1つの現状からの抜け道を与えられたわけだ。その道がどこに続いているのかは今もってわかっていないが、そこに逗留してもがくのではなく、変化しながらもがくようになったことを、僕は前進と受けとめる。
その友人M君のことは別の機会に詳述していきたい。今回は、ちょうどあの混沌と機を同じくした彼とのその出会いが、僕にとって彼を生涯忘れえないであろうほど重要な存在になさしめたということを述べるに留めておく。
さて、僕は彼のある一言と、そして熱心な勧説によって、本を読むようになる、そして、そこから派生して精力的に映画を見ることになるわけである。この期間こそ、何よりも劇的な変化の胎動となった。というのも、映画を、そして本を紐解くということは、すなわち、人を知っていくということである。膨大な数の人々の価値観を吸収していくとは、自己の考えを相対化する材料を蓄えることであった。その作業を続けていくうちに、僕は自分の視野がいかに狭量であったかを知っていく。そしていかに無知であったかを。僕がより内省的に自己を検証していったならば、いずれは根本の矛盾を看過しえなくなる。
人を信じない限りは変化は表層をなでるだけで深部には達しないということ。僕はまだ人を信じられないといえるほどに人を知ってはいないということ。僕は、まず人間を信じる、たとえ裏切られることがあっても人間を信じていかなければならないと思うようになっていく。そしてその為には、まずは自分が信じられる人間になっていかなければならないと。1つの転換。取り組むべきことを、つまりは問題解決への方法を僕は、自分なりに定義付けすることができたのである。
「自分が矛盾のない人間となり、人間は信じられる存在であることを自ら立証するために努力することこそが、人間不信を解消する」

続く

過去の清算(6)

2004年1月13日 連載
享楽への耽溺はすなわち苦悩からの逃避でしかない。問題がまだ存在しているのなら、同じ事態が出来した時には再び人生という道の障壁となるのである。
僕はようやく障壁に対峙することを決意する。しかしながら最初のそれは無謀なる邁進であった。現状を検証することのなく、未知なる場所に飛びこむことは、成功をなせば称揚される。が、しかし、方法を持たざるしてなされる解決は偶然の産物でしかない。ひとたび失敗を招けば、克己という美名の仮面を剥ぎ取り、自分の力量を顧みないがゆえに招いた愚行という姿がそこに現れる。
つまり僕は人間を信じることのないままに、人間関係の修復を試みる。その舞台には、スポーツ店の接客のバイトという場を設えた。
人間不信。その根本を修正せずして行ったこの試みは、そこここで綻びを大きくする。人間を信じることのできない僕が、どんなに愛想を拵えようとも、その不自然さは拭いさられず、人間関係に水を差す。そしてまた、善悪道徳強迫が、言葉巧みに客を購買へと導く行為に水を差した。程なく僕は、1つの大きな失策を契機に強迫を悪化させ、逃げるようにバイトを去る。そしてこの経験は、自分の弱さを自覚させると共に、責任放棄に対する、罪悪感が自己への情けなさ、歯痒さと共に身を、心を蝕んだ。
問題を解決しようにも、僕は方法を知らなかった。方法を知る方法すらも知らなかったのだ。僕は再び苦悩する。今度は問題から逃避したいがためにではなく、問題にどう立ちむかえばいいのかで苦悩した。
ストレスからであろうか、バイトを去るのと期を同じくして、僕の顔一面にアトピーが現出し、眉毛は抜け落ち、僕の心身をさらに衰弱せしめたのである。その苦しさは、久しく感じていなかった「死」を意識せしめた。

しかしながら僕はその危機を脱する。ある人の一言によって。
人生の決定的な転機といえる瞬間があるならば、僕にとってこの人物との出会いにしくはない。

続く

デブの出不精

2004年1月12日
半引きこもりで、食っちゃ寝食っちゃ寝してたら、3ヵ月で体重が6キロも増えてなんと62キロに(゜□゜;) ギョェ
どんなにウエイトトレーニングに励んでも到達し得なかった60キロ台をこうもやすやすと超えてしまうとは、怠惰な生活恐るべし。
今日の昼飯はカッパエビせん。夜は鳥のから揚げ。
なるほどこんな食事で引きこもって何の運動もせずに1日平均10時間惰眠を貪っていれば太るのも道理。ちなみに僕の身長のベスト体重は52キロ。約10キロオーバー。
ということでダイエット決意。家に唯一ある7キロのダンベルを使ってうんこらうんこら似非ウエイトに興じる。
そうこうしてる間に睡魔が。
明日こそしっかり日記、書けたらいいな。。。
小休止。幕間に読書感想をどうぞ。

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読書

●『レ・ミゼラブル(2)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
軍艦から海中に身を投じて巧みに官憲の目をくらましたジャン・ヴァルジャンは、コゼットの前に姿を現わし、彼女を悪辣なテナルディエ夫婦のもとから救い出す。2人はパリの一画に身をひそめるが、執拗なジャヴェル警視の追及の手はついにここにものびてきた。
ふう、後半分だよ。。。長かったなあ。ということで、今回も心に残った言葉を、僕が共感したかしなかったかは別として載せておく。

「内心の分裂は生活の不統一をきたす」

「瞞着者で落ち着いた男であって、まあ穏やかな方の悪党であった。けれどもそれは最も性質のよくないやつである、なぜなら偽善が交じってくるからである」

「善き考えも悪き考えと同じく、その深い淵を持っているものである」

「およそいかなる善人といえども、まったく私心を有しない者はいない」

「刺ある棒をつかむ者はまず手袋をはめる」

「もはや存在しない事物をも研究しようではないか。それを知ることは必要である、それを避けんがためにでも。過去の偽者は偽名を取って好んで未来と自称する。この幽霊は、過去は、しばしばその通行権を偽造する。われわれはその詭計を見破ろうではないか。疑念をはさもうではないか。過去は迷信という顔を持ち、虚偽という仮面をかぶる。その顔を摘発し、その仮面を引きはごうではないか」

「未知なるものは1つの大洋である。人の本心とはなにか?それは未知なるものに対する羅針盤である。思想、夢想、祈祷、そこにこそ大なる神秘的光輝がある。(略)人の魂のおごそかなるそれらの発光はどこへ向かって進むか。それは影へ向かってである。換言すれば光明へ向かってである」

「倫理は多くの真理の開花である。静観することはやがて行動することになる。絶対的なるものは実際的なるものでなければならない。理想なるものは、人の精神にとっては呼吸し飲み食し得るものでなければならない」

「すべての美点は欠点のうちに投げ込まれるものだ。倹約は吝嗇に近く、寛大は浪費に接し、勇気はからいばりに隣する」

「貧困は、うまくゆくと特殊な美点を有して、人の意思をすべての努力の方へ転ぜしめ、人の心をすべて希望の方へ向かわしむる。貧困は直ちに物質的生活を赤裸々にして、それを嫌悪すべきものたらしめ、従って人を精神的生活の方へ飛躍せしむる」

「悶々たる人間の利己心を脱して、瞑思する人間の同情心に達する」

「無形の仕事にでき得る限り多く働かんがために有形の仕事にでき得る限り少なく働くこと。言葉を換えて言えば、現実の生活に幾時間かを与え、残余の時間を無窮のうちに投げ込むこと」

「他人の内心をのぞくことが肉眼に許されるならば、人はその思想するところのものによってよりも、その夢想するところのものによっていっそう確実に判断さるるであろう。思想のうちには意思がある。しかし夢想のうちにはそれがない」

「こしらえ上げ推理し組み合わした理想の中よりも、それら憧憬の中にこそ、各人の真の性格は見いだされる。幻想こそ最もよくその人に似る。各人はその性格に従って不可知のものと不可能のものとを夢想する」


以上。 
僕は、高校時代に強迫の真似をされたのだが、僕自身が自分の障害のことを詳しく知ったのは。実は高校を卒業してからだ。
つまり、小、中、高と、僕にまとわりつく奇妙な仕種は、すべてが単なる自分の癖であり、その責任は自己に帰する。これが、自他の認識であった。自分の責任であるからして、そこに負い目が生じ、真似されても、反駁に窮するであろうし、反駁したところで、彼等がソラとぼけることも予想がついた。迫害は常に巧妙であり、秘密裏にかつ大胆に行われる。また、違うクラスには、僕のそのような状況をしらぬ友人もまだ少なからずいた。僕は反駁することによりその友人らにまで自分の置かれている状況が知れるのを恐れ、そして、自分の矜持も、またそれを許さなかった。
しかるに、高校を卒業する頃にはさすがの僕も、これは単なる癖ではなかろうことはおぼろげにも察知せられ、しかしながら、まだその実態は混沌のままであった。
最初に訝るはその呪うべき「喉ならし」であった。常に喉をくんくん鳴らさねば(彼等はこの音をプシュプシュと表現していた。何たる狡知であることか!)息苦しく酸欠状態に陥ってしまいそうな恐怖に刈られることから、僕はこれが、喉、もしくは肺を病んでいることからくると考えた。
かかる経緯により、咽喉科で診察をうけることになる。しかしながらどこにも異状は見られず、その医師から、自律神経失調症の疑いと共に、九大病院の心療内科へ招待状を書いてもらうこととなった。
そして僕はこの九大病院ではじめて、自分が「強迫性障害」なる障害であることを知るに至る。
その障害の確定は僕にある種の開放と、慰安を与えた。自己を責められ、また責めてきたこの奇妙なる癖は、その責任を障害という名の上に転嫁した。
自分の所為ではなかった。一つの荷が背中から除かれるのを感じた。それはまさしくカタルシスであり、救済である。しかしながら、この救済は、また一方で新たな苦悩の、または悔恨の種をまいた。
すなわち悲哀のもとに運命であると甘受してきたその自分の過去が、更なる憎悪の肥大により、覆い被されることとなったのである。つまりは、自己の無知による怠惰、そして、人間の浅はかな無意識による罪、その救いがたさに対する憎悪である。
自分がもっと早くに、この障害を気づくか、もしくは知っていたなら、きっと変えられたであろう人生への悔恨。そして、そのことに気づかずに己を責め続けてきた自分への反発。そして、癖ではなく障害であるこの仕種に迫害を与える人間が、おそらくはその罪に自分では気づかないであろうことへの恐怖と絶望。
彼等は、この癖が障害であったことを知っていたなら真似をしたであろうか?僕は否だと考える。なぜなら、彼等は不遇の人生が避け得ない者に対しては涙するから。はたしてそこに偽善が生ずる。僕が障害でありやなしやが、彼等のやった行為に罪の増減をなさしめるのか?否である。彼等の罪の重さは変わらない。しかし、そのことに彼等は気づかない。そして、それは、無意識による大罪である。ときとして、多勢の無意識は1人の人間を死の淵に追い詰める。もしその者が命を落としたとして、その多勢は無意識をゆえにその罪を免じられるのか?否である。それが無意識であるが為に、多勢であるが為に感覚が麻痺し、罪の意識を持たざるは、それこそ人間が最も過てる大罪なのである。直接的であれ、間接的であれ、人の人生を変貌せしめ、もしくは死に追いやった罪は、何らかの形で罰せられなければならない。一生背負うべき罪を人は皆どこかで侵している。それを背負い人生を歩まなければならない。
人は、人がその無意識の罪に意識的となり、その罪を自覚するにいたり、その心のうちにはじめて贖罪の観念が生まれる。そしてそれこそが過去自分が傷つけてきた人々の救いとなり、償いとなりうる行動へと通ずるのである。
そのような苦悩にさいなまれるにしても、僕は一つの混沌を脱した。
広島から、福岡へ、月に2回の通院を僕は始めた。
しかしながら、僕はまだ障害に、人生に逃げていた。前に言ったとおり、それから2年間は享楽に傾斜し、そのうちに、僕の障害は肥大していったのである。

続く

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