気になる人は(いないか^^;)調べてみましょう。

巨人対ヤンキースの親善試合なり〜ヽ(´ー`)ノ
ついに、大リーグ開幕近づいてきたな〜o(@^- ^@ )o ワクワク
松井は、今年調子いいよね☆ミ”
でも、アナウンサーは去年の大活躍で、凱旋帰国なんて言ってるけど、正直、僕は去年の松井の活躍はちょっと期待はずれだったんだよね^^;
去年の松井は、大リーグを意識しすぎて、大リーグを体験する前に自分のスタイルを色々と変えたよね。それが、裏目に出たんだと思う。
まずバットを1cm長くした。そして、右手の小指をバットのエッジに今までかけてたのを、はずしたりした。
逆に、イチローは、1年目から、成功したわけだけど、彼は、日本から大リーグへ変わるにあたって、何も変えなかった。確かに、バッティングフォームから振り子を削除したけど、それは、充分日本のリーグで試して確信してたわけだし。大リーグで始めて試したってわけじゃない。そういう意味で、松井は、去年大リーグということをあまりにも意識しすぎたんだと思う。結局去年の松井の成績は、普通の打者としてなら満足の数値でも、やはり、日本のスラッガーとして、渡米した打者としては、16本というのは、活躍、とはいいがたい。初年度の松井とイチローとの結果の差は自分の築き上げた技術に対する信頼の差だと思う。小手先の改良は、得てして逆効果を生むものだよね。
今年松井は、バットを日本時代の長さ、型に戻し、小指もまたエッジにかけた。するとどうだろう。オープン戦のあの大活躍だ。
今年は、大いに期待できる。本当に意味での松井の勝利の年になると僕は信じている。
松井は、ホームラン打者だ。日本のスラッガーから、世界のスラッガーへ。今年はなってくれるはずである。

貝割れ大根は辛い

2004年3月27日
今日は、なんだか、悲しくて、1日なにも出来なかった。
生活のリズムは、きっちり戻ってるのに、なぜか、疲れてるのかな。
最近気分の浮き沈みが激しい。
理由がわからない。
でも、なんだか虚しい。さびしい。
NHKスペシャルで、イスラエルとパレスチナの遺族の対話をやってた。
なんかそれ見てて、自分はなにやってんだって、情けなくなった。
自分は、このままでいいんだろうか。
もっと苦しんでる人がいるのに、彼らが苦しみの中必死に生きてるのに、自分は、何をやってるんだ。
時間を無駄にするな。
僕も何か役に立てることがあるはずだ。
頑張れ自分。
頑張れ自分。
悲しさに負けるな。
虚しさに負けるな。
ひとりに負けるな。
歩みを止めるな。
その先にあるものを見据えて、進め。
人類の未来は過去にある。
同様に個人の未来も、過去にある。
人間は、過去を蔑ろにする。
もう過ぎ去ってしまったことだから?
人間は、自信過剰だ。
自分の未来が、常に過去よりも秀でたものだと思ってる。
自分は、過去よりも常に成長してると思ってる。
自分が、過去よりも退化した部分のことなど考えない。
たとえ、成長しなくとも、過去よりも悪くなることはない。
その過信が、未来において人間を、過去と同じ過ちへいざなう。
人間は進化した。
物質的に。。。?
精神的に。。。?
肉体的に。。。?
ではなぜ吾人は、そして歴史は、同じことを繰り返すのだ。

吾人は、古典を読む。
それが、新たな知見をもたらしてくれるからである。
古典とは、過去の知恵。
吾人が古典を紐解く時、それは過去を振り帰る行為である。
人類の過去を。
そしてそこに、吾人が、気付かなかった、はるかな進化の知恵を見る。
いや、それは、吾人の退化を意味するのか?

人類の未来は過去にある。
それは、過去が、進化の種の宝庫だから。
僕の過去も、同様に。
僕は過去を振り返る。
僕は、僕の古典を紐解く。
過去には、失敗という子宮がある。
そのなかには、新たな知恵が胚胎している。
僕は過去を振り返る。
すると、新たな知恵が産声をあげる。
その子は、僕が未来において、過去と同じ過ちを繰り返す前に、新たな道を示してくれるだろう。

新たな道。
それこそが、過去より一歩成長を遂げた未来。
僕は歴史の回廊から、抜け出す。
未来と称する過去から抜け出す。

僕は過去を振り返る。
本当の未来を歩むために。

過去を振り返らないものは、未来の仮相をした、過去の回廊を、回りつづけ、歴史を繰り返す。

そして訪れる失敗が、過去と同じものであることに、気付かない。
朝日よりも、夕日が好きな子供だった。
小学校のころ、うすぐれないの色に染まった空の下、下校の音楽と、そして、野球クラブの時折起こる喚声、からすの鳴き声。
その中を、とぼとぼと家路をたどる。

何かがはかなくも消えていきそうな、そんな悲しさがあった。
だけど、僕は、その悲しさを、さびしさを、子供心に美しいと思った。
心の奥がほんのり暖かくなるのを感じた。
その日起こったどんなことも、どんな喜びも、悲しみも、すべてを包み込み、溶かしてしまう、やさしさを感じた。
それは、朝の溌剌さにはないやさしさを持っていた。
すべての傷ついたものをつつむ包容力。
夕空は、僕にとって、たまらなく魅力的な風景を作り出してくれた。
空もまた、傷ついているんだ。
傷ついた僕の心には、溌剌とした朝の顔よりも、疲れを帯びた夕顔のほうが、親しみやすかった。

この年になって過去をよく振り返る。
そんな時、決まって、あらわれる風景は薄紅だ。
そうか、あの時、僕は、過去を眺めていたんだ。
過去への惜別は、同時に思い出を作り出す。
思い出は、記憶の残像でのみ邂逅できる。
だから過去は、儚く、寂しい。

過去は暖かく、やさしい。
まるで、あの夕焼けのようだ。
傷ついた心も、喜びも、悲しみも、過去は、あの夕焼けのように、溶かして、包み込んでくれる。
おぼろげな記憶にかえて、悲しみも、親しみやすいものにしてくれる。
悲しみも、薄紅の夕焼けに混じっていく。

過去を振り返ると僕は、夕暮れに佇むあの時の僕になる。
ISBN:4883045374 単行本 東京アカデミー ティーエーネットワーク 11/2003 ¥900

最近、ちまちまやりだしました。勉強。今日やっと行政学の1回目終わりました。
政治学に比べるとほんのり難しかった(;´ρ`)
ああ〜、2回目やりたくないなあ。
さて、次は、最大の難関、経済原論にとりかかりますか。。。
だらだらと遊んでたら、、あと3ヵ月くらいしか猶予がなくなってて、計算ではどう頑張っても、試験までに間に合わないんです。
ああ〜、てことはやっぱりまた来年なのかな〜(;´瓜`)人間・失格。

まずは生活をぴしっとしなくちゃってことで、ダイエットも決行。エアロバイク50分扱いだ。ウエイトとエアロバイクと1日おきに交互にしよう。
ネットも、少しばかり抑制しよう。朝少し、夕方少し。寝る前少し。
休憩にやろう。
そして、深夜一時までにはしっかり寝よう。

できそうにないな・・・、人間失格。
痛覚のない動物はかわいそうだ。痛みを味わえないから。
幸せなだけの人はかわいそうだ。悲しみを知らないから。
挫折したことのない人はかわいそうだ。失敗を知らないから。
この前、ある人がテレビで言ってたなあ。人間の死亡率100%。
生きとし生きるものみんな死んじゃうんだよ。
死んだらどうなるって、楽になるの?
そんなのわかんないじゃん。
死んだら、他の世界が待ってるかもしれない。
そこは、僕たちが生きてる現実よりも苦しいかもしれない。はたまた、無かもしれない。
無って楽なのかね?そんなのわかんないじゃん。
苦しいのかもしれない。
でも、ただ一ついえることがあるよね。
死後は、今とまったく違う状況に陥るわけだよ。
それが無であれ、楽であれ、苦であれ。
そして、おそらく、僕たちが今、持っている感情や感覚ってのは、この僕たちが生きている世界でだけ成り立つものかもしれないよね。
死んでからどうなるなんて、わかんない。
だけど、僕は生きているからこそ、この感覚を味わえるのなら。
それが、生の醍醐味なんじゃないかな。
だから、僕は、生きてやる。
出来るだけ、長い間、生きてやるんだ。
そして、寿命が尽きるまで、この世で味わえる感情を思いっきり味わい、楽しんでやるんだ。
例え辛くても、死んだら、もう味わえないかもしれない一つの感情なんだ。
例え痛くても、死んだら、もう味わえないかもしれない一つの感覚なんだ。
みんな、死んでく場所が同じで、そこには時間という概念すらも存在しないのかもしれないなら、出来るだけ長い間、出来るだけ人より多くの種類の感情や感覚を味わってからその場所に行きたい。
僕は今、幸せや、喜びだけじゃなく、苦しみや、悲しみを味わえている。
生きてなけりゃ味わえない楽しみかもしれないんだ。
死んだらもう2度と味わえなくなる感覚かもしれないんだ。
僕は幸せだ、人生を満喫している。
痛み苦しみ、喜び悲しみ。
そのすべてが、人生を構成する要素なんだよね。
人生で経験できるより多くの感情を、そして、感覚を味わえているのだとしたら。

そう、僕は、幸福しか知らない人よりも、幸福なんだ。
ここ最近、ダイエットも兼ねて、昼食をシリアルにしてるんだけど、非常にお通じの調子がよい。
やっぱり、日ごろ食物繊維を取ってなかったから、便秘になんかなったんだろう。
今は、ご飯も麦入れてるし、昼もシリアル。こんだけとれば充分でしょう。
体重も、ようやく1.5キロ痩せて、体脂肪30%きることが出来た。っていってもまだ29.5%なんだけどね(;´瓜`)
腹がベルトに乗ることのないようになるのはいつのことやら〜・・・。
昨日の日記にも書いたとおり、今日はG君とのカラオケ。朝早く起きて、待ち合わせの昼ぎりぎりまで歌を聴きつづける。ついでにチャットなんかもやりながらね。
腹が減っては戦ができんって、G君と合流してから、まずはカレー屋で腹ごしらえして、いざ出陣。
最近みつけた穴場なカラオケ屋。結構設備がいいのに、ビルの三階にあって、入り口が閑散としてるせいで、土日でも、充分部屋が余ってる。しかも安くて、ジュース飲み放題、午後8時までのフリータイム、おつまみ一つ頼んでも、ひとり500円にもならないという破格さ。
ただ、曲は少し少ないんだけどね^^;
僕も歌には少しく自信があったりするのだけど、このG君も大変歌がうまいので、いつも、ひそかに対抗心を燃やしていたりなんかして、今日も当然、採点機能あり。
ここのカラオケ屋の採点機能は、とても厳しくて、90点台がほとんど出ない。てか、僕はまだ1回も出せてなくて、、その友達も出せてない^^;80点台がでれば大変よくできましたって感じで、今回の目標は90点台を出すこと、でも、昨日おぼえたにわか仕込みの曲たちじゃ、うまく歌えるはずもなく惨敗つづき。歌いに歌って2人で5時間。結局2人とも、90点台を一度も出すこともなく最後の曲へ。G君は最後に十八番、平井堅の「大きな古時計」を熱唱。100点行くよなんて、冗談でいってたら、本日始めての90点台、しかも99点(゜□゜;) ギョェ
僕は最後にジョンレノンの「スターティングオーバー」歌って66点(。_゜)〃ドテッ!
ということで、G君に敗北。
しかしなによりも今日一番ショックだったのは、間違えることもなく真面目に歌った氷室の「KISS ME」。2人でこれは行っただろうなんて、期待してたら、最低の55点を叩き出してしまったということなのであった(;´瓜`)
ちなみに僕の今回の最高点は、平井堅の「Love or Lust」、87点だった。
次はしっかり覚えてリベンジだ〜o(^o^)O おー!
毎日メールのやり取りをしている友人のGくんと、明日久し振りにカラオケに行くことになった。
彼と遊ぶ時はほとんどがカラオケなのだが、さすがに、お互いいつも同じ歌を聞かせ会うのも、新鮮味にかけるということで、マンネリ化を打破すべく新しい歌を覚えることにした。ってことでCDを調達して、一通り聞いて、新旧おりまぜた、かつ声質が合いそうな歌手の歌を40曲くらい明日までにおぼえるという無謀とも思える挑戦を企てた。
どうするのかと言えば、ただひたすら、イヤホンつけて聞くだけ。歌詞よりも、メロディー中心でね。
ちなみに、覚える曲のリストは

・人として(海援隊)
・あんたが大将(海援隊)
・ひとりじゃいられない(チェッカーズ)
・I Love you SAYONARA(チェッカーズ)
・Jim & Janeの伝説(チェッカーズ)
・素直にI’m sorry(チェッカーズ)
・Friends & Dream(チェッカーズ)
・帰ろうかな(THE BOOM)
・時がたてば(THE BOOM)
・神様の宝石で出来た島(THE BOOM)
・星のラブレター(THE BOOM)
・もっと強く抱きしめたなら(WANDS)
・愛を語るより口付けをかわそう(WANDS)
・世界が終わるまでは(WANDS)
・未完成(山崎まさよし)
・ツバメ(山崎まさよし)
・One more time,One more chance(山崎まさよし)
・明日の風(山崎まさよし)
・北風〜君に届きますように(槙原敬之)
・KISS ME(氷室京介)
・魂を抱いてくれ(氷室京介)
・DAIAMOND DUST(氷室京介)
・お嫁サンバ(郷ひろみ)
・2億4千万の瞳(郷ひろみ)
・言えないよ(郷ひろみ)
・僕が君をどんなに好きか君は知らない(郷ひろみ)
・逢いたくてしかたがない(郷ひろみ)
・時の過ぎ行くままに(沢田研二)
・Gaining Though Losing(平井堅)
・Kiss of Life(平井堅)
・Miracles(平井堅)
・Love or Lust(平井堅)
・トンボ(長渕剛)
・シャボン玉(長渕剛)
・ソラ(長渕剛)
・月影(斎藤和義)
・ひまわり(福山雅治)
・PRID(チャゲアス)

とまあ、ずいぶん、引かれそうな曲も入ってはいるのだけど、カラオケでまで他人の顔色窺ってたらストレス発散にならんしね。好きな曲歌うよ。って、僕もその友達もそういうスタンスなので、非常に歌いやすい。それにしても我ながら古いやヾ(;´▽`A``アセアセ

まあ、これだけを1日でおぼえるなんてどだい無理な話なのやけどね( ・∀・)アヒャ

でろりんぱ

2004年3月19日
そろそろ、公務員の願書配布しだすんじゃないかな?
なんて、思って友達に聞いたらば、そんなん結構前から、配布されてるよっていう話。
うひ〜(゜Д゜;)気付いてよかった(;´瓜`)
ということで、今日は病院デーで久し振りに外出するので、ついでにまた久し振りに、公務員学校にいって、願書をもらうことにした。
ああ〜、知ってる人にあったらなんんかいやだな〜って思ってたら、しっかり、法律の先生と鉢合わせ。嫌味の一つも言われるかと思ったけど、「おお!ひさしぶりやなあ、元気か?」なんて、拍子抜けなこといわれて、そっか、ここは、学校じゃないもんな、行くもいかんも自己責任、講師の知ったこっちゃないってか。というより、もう僕はあきらめられてるんだろうなあ^^;
無事願書をもらって、次は病院。
今日はカウンセリングの最終日。結局なんの進展もなく終わっちゃったなあ。なんて、少しく徒労のねんに駆られていたところ、そこの病院の院長先生に、「君、まだカウンセリング受けたいなら、カウンセラーの先生の移動する病院の方にうつるか?」ってことをいわれて、「え?そこの病院ってどこなんですか?」ってきくと、かなり遠くにある様子なんで、はたしてカウンセリングを継続するかどうかで逡巡中〜⊂´⌒∠;゜Д゜)ゝつあんまり遠いとそれだけの対効果を求めてしまうわけで。カウンセリング、僕には、あわないのかも。。やるんなら他の先生がいいかも^^:まあ、あと2週間猶予はあるわけだし、ゆっくり考えるか〜。
友人の日記をみてたら、こんなサイトが紹介されてたのでやってみた。
以下。

恋愛観分析結果キタムさん 24歳 男性

総合判断・・・最適

恋愛観レベル・・・達人(14段階中3番目)

ジャンル別判断
人生における恋愛・・・適

社会における恋愛・・・可

自己犠牲の精神・・・可

ルックス・・・適

財力・・・可

安定と刺激・・・最適

駆け引き・・・最適

許容と束縛・・・最適

将来への意識・・・適

★18歳以上30歳未満の男性から見たキタムさんの…
【恋愛観支持率】 94.2%
【恋愛スタイル】 中期低テンション恋愛型
【印象】 とくにありません

総合コメント
キタムさんの恋愛観は、非常に好感の持てるものです。キタムさんに恋愛相談をすれば、なかなかの満足を得られることでしょう。キタムさんが特定の誰かと恋愛観で衝突するとすれば、それはおおよそ相手の恋愛観が歪んでいると思われます。ただその人がキタムさんにとって唯一無二の人ならば、その歪んだ恋愛観をキタムさんは受け入れざるを得ません。くれぐれもこの恋愛観こそすべてだと思わぬように注意。

ジャンル別コメント
人生における恋愛・・・非常にバランスが良いでしょう。恋愛に固執せず、重くもなく軽くもなく、人生を広い視野から捉えています。得てしてキタムさんのような感覚のほうが、恋愛最重視の人よりも上手に付き合っていけるものです 

社会における恋愛・・・誰かを好きになると、カラオケでマイクを離さない人のように空気が読めなくなり、社会性を失っていきます。仕事や勉強、友達付き合いなどの優先順位がいつのまにか低くなり、好きな人ができるたびにキタムさんの株は下がっていくようです。もう少し落ち着きましょう

自己犠牲の精神・・・充分に及第点となるバランス感覚です。少し自己犠牲の精神が強いものの、ぎすぎすした世の中でキタムさんのような人の存在はほっとさせられます。キタムさんには、裏表のない透明感のある人がお似合いです。あまり計算高そうな人には惚れぬよう注意

ルックス・・・キタムさんは、やや内面重視の傾向があります。決して好みのルックスでなくても、いつのまにか優しさや頼りがいにほだされていることが多いのではないでしょうか?付き合う前には、これでいいのかと多少悩むのかもしれません。しかし長期的には悪くない結果が残るタイプと言えるでしょう

財力・・・かなり財力軽視に偏っています。これは「お金がなくとも好きな気持ちは変わらない」という美しい価値観である一方で、世の中を渡っていくにはやや夢想的な感があります。一般平均よりもかなり無頓着なので、彼氏彼女とここ(金銭面)をポイントにもめないことを祈ります

安定と刺激・・・安定と刺激をちょうどよいバランスで望んでいるようです。浮気など派手に冒険することよりも、大切にひとりの人と愛を育みつつ何か刺激を見出すことを理想としているのでしょう。しかしいくらキタムさんの理想が皆の支持を受けるものでも、彼氏彼女の価値観によってはそのギャップが頭痛の種となりつづけることでしょう

駆け引き・・・とてもバランスの良い価値観をしています。ここでバランスをとれない人は、恋愛で疲れ果てたり逆にハマれなかったりする人が多いのですが、キタムさんは絶妙です。長く付き合うとよく口論などになるならば、キタムさんよりも相手の責任が大きいのではないでしょうか

許容と束縛・・・とてもバランスの良い価値観を保っています。放任と束縛、どちらに寄るわけでもなく、一般的な感覚にマッチする線引きができていると言えます。キタムさんは、鈍感や無関心ではなく包容力があり、また束縛ではなく相手を惹きつけることで距離感を上手に保てるタイプでしょう

将来への意識・・・今が楽しくなければ意味がない、と少し暴走気味に偏っていますが、なかなか一般的には支持される感覚のようです。キタムさんと同様に、今を楽しむ人と付き合えば良い思い出が積み重なっていきそうです。ただし「人生これでいいんだろか」などと決して振り返ってはいけません…

・判断基準 18歳以上30歳未満の男性
・判断基準となるデータ人数 100845人

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(感想)
こういうのをやると今までことごとく悪かったので、今回の結果は予想外でやったね!ヽ(^−^)ノ 万歳!
でも、ほんとかな〜^^;信憑性はかなり(;¬_¬) あやしい
なんせ僕が達人なんだもん(^▽^ けけけ

ちなみに、このサイトです。↓
        http://hanihoh.com/love/
大学時代の不摂生がたたって、僕が3回生の時に顔中にアトピーができて、眉毛が抜け落ち、友人にバイオハザード化しているといわれるほどに顔が変形して、地獄の苦しみを味わった。
眉毛は、唯一の僕の自慢だったのに^^;抜け落ちて麻呂みたくなってしまって(;´瓜`)
ほんと、痛さはどうにか我慢できるけど、痒さは我慢できないよ〜(゜□゜;) ギョェ
しかも顔に出ちゃってさ(゜Д゜;)おまけにそのころ強迫もひどくて、ダブルアタックって、ほんと脳裏に死がよぎったよ。
ということでそれ以来僕は健康オタクと化してしまったのだ。
もうあの時のような苦しみは味わいたくないからね^^;
こうして僕のアトピーとの格闘が始まったわけだけど。その中でいろいろとわかったことがある。
まず、洗濯の洗剤が悪かったことがわかった。合成石鹸にかえたら、皮膚がチクチクしなくなった。
あと、コンビニの弁当。添加物の過剰摂取も悪いことがわかった。
僕にとっては、ホコリやダニは二次的な害で、強迫のストレスと、上記に述べたことが主な原因だったようなのなり。
そして、僕は、薬をつかってても治らないアトピーに自然治癒を試みることにしたのだけど、そのときにいろいろ試した中で、一番しっくりきたのがこのノブシリーズ。今、シャンプーからボディソープなど、すべてがこのノブ。
とくに顔の部分は、このウォッシングクリームをシャカシャカ泡立てれるだけあわ立てて洗ってる。おかげで、今はもうほぼ顔のアトピーはなくなり、ってか、生まれてこの方いちばん綺麗な肌質になってるかも(爆)ってくらいで、眉毛もようやく生えてきてくれた。

結構、コストが高いけど、もうこの洗顔剤は手放せないよ。感謝感謝☆ミ”
DVD パイオニアLDC 2001/04/25 ¥5,800
アニメ界を代表する鬼才・押井守が放つSFハード・メルヘンOVA。水没した伝説の都市を舞台に、たまごを抱き続ける少女と巨大な銃を抱えて旅をする少年の交流を描く。
押井守の最高傑作とも称されるこの作品。感想はというと・・・難解すぎる^^;

80年代に、こういった作品を作ったこと、それ自体一つの冒険であり、事件だったんだろうなあ。ほんと、よく企画が通ったよな^^;
押井はこの作品の跡、しばらく干されることになるが(当然といえば当然)、それでもなぜこれが押井の最高傑作と呼ばれるのか?
彼はいう。
「私の作品を人間の体に例えると、一番自分が興味を持つ部分は骸骨の部分だ。しかし、骸骨をそのまま観客に見せようとすると、観客は骸骨なんて見せられたくないものだから、まったく作品にはついてこない。でも、その骸骨に筋肉や皮をつけてやると、全体的に人様にも見せられる代物になってくる。そうすることによって私が表現したいことを受け入れるという態勢を観客が作ってくれるのだ。私の作品を見て、骸骨の部分だけを見る観客もいれば、皮だけみる人もいる。更に、皮と骸骨両方見てくれる人だっている。これが映画の醍醐味で、解釈のレベルがいくつもあるということなのだ」
この作品は、押井が唯一、筋肉や皮をつけることなく、骸骨をそのまま見せた作品なのである。
押井の本質を探りたいなら、この作品を見るにしくはない。
ゆえに、最高傑作といわれるのだろう。
そして、その骸骨もまた、様様な解釈がありうるのだということも、附言しておく。 
単なる語呂合せです。

何してたかって?
寝てました。チャットしました。

引きこもってました(;´瓜`)

ゴロゴロとミノムシごっこしてました。

友達にスミヤバザルという新しいあだ名を賜りました。
どうやら朝昇龍の兄貴らしいのです。

だって今日は14日の日曜日Ψ(`∀´)Ψ ケケケ
ジャイアンは息をしていた。

♪赤い〜バラを〜いちり〜ん♪

朝日新聞の四コマまんが「ののちゃん」おすすめです!!

昼夜逆転ですヽ(´ー`)ノ

心の友よ。

(´Д⊂グスン
ISBN:4820398873 単行本 日本テレビ 日本テレビ放送網 ¥2,286

押井守の作品を読み解く上で、彼自身の言葉を知っておくことは役に立つ。これを読んだことによって、彼の映画に対する認識を、一段と深めることができた。
彼の映画には、以前から、一つの主題、というか、彼はどの映画にも、根底で問題として問いかけているのは、現実と虚構についての問題である。彼は、その問題意識を核として、肉付けし、作品としてきた。つまり、どの作品もその核の部分は変わらない。
押井自身も、映画で問い掛けているのは、常に同じことだといっている。同じ問題を、手を変え品を変え観衆に示しているだけだと。
今回のイノセンスも、もちろんその核は変わらない。
しかし、今回は、その問題意識をより深め、人間の意識と身体のあり方にまで突き詰めている。
押井の疑問。
人間の身体とは、自分のものなのか?それとも、自分というものを含む入れ物に過ぎないのか。
人間は、自分の体を認識する。その時点で、人は自分の体を客観化し、自分とは違うものとしてみている。ゆえに身体は自分のものではなく、ただの人形なのではないか。
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という、真理を導き出したが、それは、自我を持つということである。それでは、精神は自分のものとなり得ても、自分の存在は意識し得ても、自分の身体を意識し得るまでには至らない。
押井はいう。意識する身体以前に、意識できない身体。そういうものこそ本当の体、なのではないかと。
人間は、自我を持つ。そして、その時点で、人間は己の身体を失っている。なら、本当の身体とは?自己を客観化し得ない意識にしか存在しない。つまり、人間以外の動物。自己の体を自分のものだと意識せずに動かしている犬や、鳥。それらにしかありえないのではないか。
つまり、人間はもう戻れない。戻ることは自我をなくすことを意味するからだ。
今回の「イノセンス」は、そういた象徴としての、サイボーグ、アンドロイド達の物語である。しかし、彼らは人間なのである。なぜなら、ゴースト(魂)をもっているから。人間を存在たらしめるのが「記憶」でしかないのなら、記憶を持つに至った機械と人間を分かつ障壁はなんなのか?そんなものありはしないのである。
だが、押井は、人間に悲観しているわけはない。身体を持たない我々は、自らを存在足らしめる寄る辺を、そのほかのあらゆる物に求めてよいのだ。と。
今回の「イノセンス」は、押井なりの回答なのである。
と、この本を読んで僕は思った。
今日もいつもの通りに小学校に登校だ。
おや?何やら騒がしいぞ?
みんなが教室の窓に集まって騒いでる。
きゃあ、ゴジラだ、ゴジラがうちの小学校にあらわれた!!
校舎の横のプールで雄たけびをあげるゴジラ。
きゃあ、キングコングもいるやんか!!
うわあ、にらみ合ってるよ、恐い恐い、でも興味あるゥ。
ついに始まっちゃったよ戦いが。
みんなはしゃいでる。
おっと、ゴジラとキングコングが組み合った。がっぷりよつ。のこったのこった。
こらゴジラ、とっとと放射能吐けよ。
期待に添わず、もどかしいやつ。
そうか、夢では吐けないのかも。
そうこうしてるうちに、でました、ゴジラの右フック。
ぶっ飛ばされるキングコング。あっ、2つある校舎の一つ(僕がいないほう)にぶつかって校舎がこなごなにブッ潰れた((;゜Д゜)ガクガクブルブル
キングコングを倒したゴジラは、僕達に照準を合わし、雄たけびを上げる。
にわかにシリアスな様相を帯びてくる。
先生が生徒達に呼びかける。逃げるんだ。一列に整列。前に習え!先生の後についてきなさい。
先生、急げといってるわりには悠長なんだね。
付き合ってられないよ。小学生の癖に、何故か現在の体のデカさを有する僕は一人、校舎を先に出る。
運動場まで出て後ろを振り返ると、まだゴジラはプールのあたりにいる。急げ急げ。
あっ、野球部が部活してる。僕も混ぜて。ピッチャーになった僕は、懇親の一休を投げる。見事にうたれ、ボールをとりにいった方向にゴジラが見える。そうだ、僕は逃げてたんだ!
すでに隊列をくんだ、小学生たちは校門を出ていってるぞ。まるで、うさぎと亀みたいだ。僕は急いで、校門を出る。
校門を抜けると、そこはジャングルだった。
うはあ、登下校の通学路ぐらいちゃんと道路整備して欲しいよな。
針葉樹林の中を家路に向かうサバイバル。そういえばよく他の小学生は通れたな。
てか、時間かけすぎだろう、ゴジラ、追っかけてこないのかよ。どうやらまだ無事のよう。何日間かかけて、ジャングルを抜け出した僕。
やったあ、家までもう少し。って、電信柱に目をやったら、ゴジラに注意の張り紙が。やっぱり先を越されて、もう住宅地にゴジラは行ってるようだ。
でも、ひとまず僕は家に帰らんとひとりは恐いよ。って走ろうと目論むが夢特有の浮遊感、脚をじたばたするのに一向に前に進まずもどかしい。まるでスローモーションのようなスピードでようやく我が家の車庫に到着。およよ?青色のスポーツカーが止まってる。あ、なんかリフォーム始まっちゃってるよ。すげー、工事中とはいえどんな風になってるのか楽しみだあ。
ただいま〜。おかはんリフォームしたんだね〜。
「ええそうよ、あんたの部屋は6つもあるのよ」
マジでやったあ、わーいわーい。
ところで、下駄箱が小さすぎるよ〜。。。・・・

・・・・大量の汗と友に目覚める。恐かった〜。。かな?w
DVD
人々が電脳化された近未来。少女型の愛玩用ロボットが暴走し、人間を殺傷するという事件が頻発する。それを捜査する公安9課の刑事バトーは、自らの脳にハッキングを受けるという妨害を受けながらも、真実に近づいて行く…。1995年に公開された『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の直接的な続編であり、押井守監督のアニメ作品としても9年ぶりとなる、全世界待望の1作だ。前作の主人公、草薙素子ももちろん“登場”する。
美麗なCGで彩られる画面の情報量も、サスペンス調の本筋を時に逸脱して語られる“禅問答”の量も、前作を遥かに凌駕。躊躇なく難解な一方で、バトーという寡黙なサイボーグに感情移入しやすい味付けがなされているのが今作のミソだ。そうして描かれる“未来”は、機械とネットに支配されながらもこの上なくウェット。それこそが、前作が提示した“人間とは、魂とは何か”という問いへの渾身の回答なのだろう。
高校時代に、WOWOWで、『パトレイバー 劇場番』の1と2をみて以来、僕は押井守という監督に魅了されている。
なぜこんなにも、彼の作品が好きなのだろう。
大学に入り、映画を卓さん見るようになると、僕の好む映画群のなかに、多くの押井的な雰囲気、いや、押井の作品が、それらの作品の系譜に連なっているということを発見した。
彼の作品の本質は、古典たりうるものである。彼の作品は、そこに過去の巨匠といわれた2人の監督の作品を連想させる。
その政治的な意味合いにおいて、アンジェイ・ワイダ。
その詩的な、哲学的な意味合いにおいて、アンドレイ・タルコフスキー。
そもそも、彼がアニメという分野に現れたこと自体が、運命の悪戯であり、アニメ界にとっては僥倖である。
彼の作品は、一つの限定された人々に提供されるだけの娯楽作品を、アカデミックな研究対象、そして一つの芸術という分野にまで、広げることに成功した。彼の作品のおかげで、人々はアニメの表現方法が、実写的な要素もありうることに気付かされた。そしてまた、世界的な日本製アニメの地位向上にも多大な貢献をはたした。
彼はもともと映画青年であり、アニメに特化した嗜好を持っているわけではなく、むしろアニメに興味すら持っていなかった。そんな彼がひょんなとこから、アニメに携わることになり、監督をするに至った。
彼は、アニメ嫌いのアニメ監督なのである。だから、僕は監督が実写の世界でも、充分に巨匠になり得たと考えている。
彼は実写でやりたかったことを、そのままアニメに投影したのだ。ゆえに彼の作品は実写とアニメの融合がなされた、稀な作品となる。それを作家性と呼んでもよいのかもしれない。
そしてその姿勢には、否定的な見かたをするものも少なくないが、僕は、全肯定する。アニメだから、アニメでなければならないいわれはない。アニメが、実写であってもいいのである。彼の言葉を借りれば、「すべての映画は、アニメになる」
表現する媒体が、アニメであろうが、実写であろうが、そんな事はどうでもよいと彼は考えているのだろう、それが「映画」であればよいのである。だから、アニメと、実写は融合しうるし、その間に境界線を設けることは無意味なのである。と。

さて、今回の作品、僕はとても楽しみにしていたが、期待にたがわず、それは押井の映画だった。押井の作品にも、もちろんスジはあり、それを理解する楽しみももちろんあるのだが、僕は、むしろ、押井の映画に関しては、筋よりも、その映画そのものが意味するもの、を感じることが重要なのではと思っている。
その意味するもの。を説明するのは難しい、そして、人それぞれ違うものだと思っている。つまり、感性なんだと思う。
つまり、僕にとっての、押井のしめす「意味」は、「感性」は、たまらなく魅惑的なのである。
今回の作品は、押井の今までの作品の、集大成といっても過言でないと、僕は思っている。 
03月10日付 日経新聞の報道「神戸連続児童殺傷事件・加害男性が医療少年院仮退院」へのコメント:

少年が、退院した。
あれからもう6年も経つのか。月日の早さに愕然とした。
しかし、少年にとって、この時間は、長かったのか、短かったのか。おそらくはその両方であったろう。彼のうちで起きた心的変化を、僕が知る術はない。だが、僕はあの犯行が単なる性的サディズムに帰するものだとは考えていない。すべてのものが持ちうる生理の一つ、それも、ごく原始的、動物的なものだと考えている。
その原始的な衝動が露見した結果であるとしよう。ではなぜ露見するにいたったか。その根はさらに深く、煩雑なはずである、少年にもおそらくはわからないほどに。
彼が社会に出るということは、即ち、更正したという判断が下された訳である。少年院で試みられた擬似家族。擬似社会のなかで、彼が学び取ったものが、今度は実社会のなかで試される。
しかしながら、それはわれわれが考える社会のことではない。彼の場合に意味される実社会。そこは、罪という枷をはめられ、身動きするたびに苦痛を伴う地獄となろう。彼は、社会という牢獄で、生涯苦しみもがき生きることで、被害者への贖罪を遂行するのだ。
「夢を持ってもいけない。一生苦しみながら生きていく」
この言葉は、彼が、自ら死することは、贖罪への逃亡とみなしているとは考えられないか。彼は、死と苦しみ、2つの選択肢のうち、後者を選択したのだとは取れないか。だとしたら、彼は生き続けねばならない。
苦しみながら。罪を背負いながら。死すらも許されない贖罪のみの生涯。それは牢獄で生を負える終身囚となんの違いがあろうか。
だがしかし、それが彼の侵した罪の重さなのだ。彼は、生きなければならないのだ。
社会への適応。判断の成否は、彼がその状況下で、自己の精神を保ちえるかどうかにかかっている。

彼は、自分の犯した罪の重さによって、エゴの放棄を余儀なくされたということである。そして、人の命を殺めるということは、彼は、人生を自己のものとするという人間としての当然のエゴをもすべて放棄することでしか贖えないと判断したということである。

以前も述べたが、自己の罪を自覚しえない限り、贖罪の観念は生まれない。
人を殺めたものは自覚しないわけにはいかない。人間である限りは。つまりは、彼が少年院の過程でそのことを自覚した時、始めて彼は普通の人間へと戻った。現在の彼の意味する更正とは、即ち我々の住む現実ではなく、彼個人の現実、社会なのであり。彼に求められる適用。そして精神力とは、常人のそれをはるかに凌いだ、無私に近い精神なのだ。

僕は、犯罪を犯していないと考えられる自分たちに思いをめぐらせてみる。我々は、直接的に、物理的に人を殺めたわけではない。だか、はたして、間接的に、精神的に人を殺めていないと断言できようか?もしかしたら、自分は、自覚せずして、そのような状況の一加害者となっていたことがあるのかもしれない。しかし我々はそのことを自覚していない。
さて、あの少年は、周りが感知しうるやり方で、罪を犯した。ニュースにもなり、彼は今、贖罪を行っている。
もしかしたら、僕はまわりの感知しえないやり方で罪を犯しているかもしれないのに、そのことを自覚せず、ニュースにもならず。ゆえに贖罪も行わない。そしてそんな僕が、ニュースに出てくる犯罪に対しては、傍観者を気取り悲嘆に暮れていたりする。
悪と善の境がただの人間の判断によって成り立つのであれば、その無意識下に淘汰される弱者に対しての罪はいったい誰が背負うのか?
本来なら、それは、加害者である我々の誰かが背負うべきものであるはずではないのか?我々は気づかずして行われる罪に対して、無関心でいられようか?善と悪の区別ほど、あいまいなものはない、なぜなら人間はみな善であり、悪である。しかるに、それが表面にでるか否かで、人間の価値は下されているのだ。
偽善なる言葉はすべてのものに当てはまる。善なる言葉も、悪なる言葉も同様である。
我々は欺瞞の中で、罪をわすれ、弱者を死に至らしめている。
そうであるならば、自分が弱者となったときには、おそらく、それまで自分が葬ってきた弱者と同様に、抹殺されてしまうであろう。
それが、人間の良心の限界であるといってしまうのはたやすい。だが、僕は自分が弱者となった場合に、もがくであろう。そのもがきの先に。一条の光を見出せるとしたら、それはきっと、ひとりひとりの罪に対する自覚と贖罪の行為なのである。
僕はもがきに意味を持たせるためにも、そして、善なる人間の実現の可能性をあきらめたくないからこそ、問いかけたい。

あなたは、誰かを傷つけていませんか?

罪を、背負うことは辛い、だが、背負うからこそ、そのものへの贖罪が完遂された時にそのものと再び笑い合えることができるのだ。人を死に至らしめるまで無自覚では、贖罪は、あの少年のように取り返しのつかないほどの重みとなる。我々は、みな罪を犯している。ならば、罪を背負わなければならないはずだ。人を死なせてからではおそい。我々は、もっとはやくに、自分の行動に留意し、自覚し、贖罪を果たしていかなければならない。

自分のためにも。
そして、過去人間の無意識のうちに葬られていった者たちのためにも。
やあ。僕は某芸大の1回生なんだ。

今日は、人物デッサンだ。モデルはルパン三世。

やあ、ルパンの到着だ。残念ながら、次元と五右衛門はいないんだね。

だけど、かわりに、銭方のとっつぁ〜んが同行してるよ。

おっと、どんな姿勢をとるのかと思いきや、ルパンがとっつぁ〜んを肩車しちゃったよ。

これを書けってか。でもルパンあの姿勢のままで苦しくないのかね。

あっ、デッサン開始だ。みんな真剣だなあ。

モデルの2人が会話してる。何を話してるんだろう?

「とっつぁ〜ん」

「まあて〜るぱ〜ん」

やれやれ、夢の中とはいえ、なんてボキャブラリーが貧困なんだ。

第一、肩車されてるのに、待ても何もないでしょうが。てか、会話になってないじゃん。

おお。そうこうしてるうちに僕の絵も完成に向かいつつあるよ。

ほほう、結構すごい、写実的ななかにもシュールレアリスムのかほり漂うイコンみたいな絵にしあがってる。

ルパンが天使で、銭方を悪魔にしちゃってるよ。我ながら意味不明。

暗闇の中からぬぼっとあらわれてるとっつぁ〜んの顔ほど不気味なもんはないねえ。

また、つまらぬ物を描いてしまった。。。

寒かったり、する

2004年3月8日
最近、寒かったりする。

寒かったりすると、炬燵に入りたかったりする。

炬燵に入りたかったりすると、眠くなったりする。

眠くなったりすると、布団に入ったりする。

布団に入ったりすると、眠ったりする。

眠ったりすると、勉強できなかったりする。

勉強できなかったりすると、公務員落ちたりする。

公務員落ちたりすると、路頭に迷ったりする。

路頭に迷ったりすると困ったりする。

困ったりすると、困ったりしたくなかったりする。

困ったりしたくなかったりすると、勉強したりする。

勉強したりすると、眠くなったりする。

眠くなったりすると眠ったりする。

眠ったりすると、公務員落ちたりする。

(;´瓜`)

これ全部、寒かったりしたりするせい。

早くこい、夏( ´_ゝ`)∂゛コイヤ。

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