ぎゃっぎゃっぎゃっっ!!

『イノセンス』みたいよ〜みたいよ〜(´Д⊂グスン

映画館いくか?いくか!?

いや、待て、まだだ、まだ待て!来週の木曜メンズデーまで待つのじゃ!!

さすればそなたは1000円で、映画が見れる。うぐぅあうぐぅあ。

と、映画に見に行きたい欲求と、経済的問題との間で葛藤する。

こんなに早くみてみたいと思う映画久しぶりだな〜。うぐぅあうぐぅあ。

うぐぅあ。うぐぅあ。
悲しい知らせを聞いた。

その悲しさは、どんなにがんばっても、どうにもならないことがあるという、現実への悲しさ。そして、悔しさ。

どうして、こんなにもがんばっている人が。どうして、もっとも救われなければならない人が、どうして、もっとも苦しむのか。

これが現実だというのか。

それが現実だというのなら、僕は現実に対して、反旗を掲げ、抵抗しよう。

苦悩が、人間を不幸に貶めるだけなら、なぜ、人は悩むのか。

僕達は、その先に光りがあることを知っているから、苦悩するのではないのか?

僕は、先に、光があることを、信じる。

希望という光りがあることを。

たとえ、その光りが肉眼には見えずとも、心に描いた光は、何があっても消さないでおこう。

そして、人生という険しい道程で、力尽き倒れそうになれば、後ろからくる誰かに助けてもらおう。

もし、前に力尽きようとする者いれば、できる限り、その手を取って、一緒に歩んであげよう。

その過程で、僕は苦悩という迷路に挑戦する。

何度挫折するだろうか?何度、現実という障害物に突き当たるだろうか?

だが、僕はたとえ、何度、障害物に突き当たろうとも、自分を必要以上に責めないでおこう。

だって、自分の選んだ道が、間違ってるかどうかなんて、障害物に突き当たってからでないとわからないことだから。

それは、僕の責任ではないから。

僕はただ、次も、その次も、希望を探しに、苦悩の迷路に入る。そのことを、続けるだけ。

だがそれが、現実への理想の反逆なのだ。

理想が現実となるべき、わずかな可能性は、出口にある希望という光りなのである。

だから、僕は現在の現実に、宣戦布告する。

救われるべき者が、ほんとに救われる現実を理想に描いて。
今日はカウンセリングなので、街にでた。

いつも通りにカウンセリングを始めようとすると、先生が言う。

「ええ、最初に話しておくことがあるのです」

ハイなんでしょう?もしかして、何か進展が!なんて、♪((O(〃⌒▼⌒〃)O))♪ わくわくしてたらば、

「実は、私、ここを離れることになりまして、あと2回ほどしかできないのです。急な話で申し訳ないのですが。。。」

(;・∀・)ハッ?←僕。

じゃあ、今まで僕が語ってきたことはどうなるの?

先生曰く、「次の先生への引継ぎと言うことに・・・」

ガ━━ΣΣ(゜Д゜;)━━ン!!←僕。

ということはまた一からはなさなあかんのんかい(;´ρ`) グッタリ 

(ーー;).。oO(┐(´д`)┌やってられないよ)

という思いは胸にしまって、ヽ( ´ ▽ ` )ノ ハーイ

っていっといたよ。ヽ(`Д´)ノウワァァァン

ああっ、あと1回なんか意味ない感じがして、カウンセリングに懐疑的になってしまいそう(´Д⊂グスン

空虚

2004年3月4日
久しぶりに、唐突に、虚しさに襲われた。勉強をしているときに起こった。

普通の生活というものの執着が顕現してくる。
そういえば、1年前は僕は学校通ってたんだよなあ。
現在は、引きこもり。体重も、6キロも増えた。体脂肪なんて、10%も増えた。

しかも、名目上は学生だけど、僕は、学校に行ってない。親に寄生してる。ああ、空虚だ。虚しい。って、頭んなか渦巻いて、勉強どころじゃなくなった。世間との乖離、そのなかで平然としていられる強さを、僕はまだ持ち合わせていないのだろうか。

自分の早さで歩みを進めること、僕の場合そうすれば、常識が攻撃性を持つことになる。常識を少しでも逸脱すれば、常識という視線の、攻撃を免れない。

今の社会と僕の接点ってネットとメールの中だけだもんな。早く就職しなきゃな。←社会の常識に縛られてる。日本を捨てる勇気もない僕には、日本の社会に甘んじるしかない。なんてね。弱い心。ほんとにチベットの僧になろうかな。なんてね。以前真面目に考えてたよ。じつは、今も考えてるんだけどね。

まあ、気分は夜には治ったけどね。
ISBN:4883045366 単行本 東京アカデミー ティーエーネットワーク ¥900

ヽ(  ´  ∇  `  )ノ わ〜い♪1回目の政治学終了〜♪

あと2回はする予定なんだけどね〜、でも政治学は面白いね☆ミ”
次にやる予定の行政学は気が重い。。。(-_-;)
それにしてもアマゾン恐るべし(⌒-⌒;) ・・・・こんな問題集まで検索できるなんて!!
つるべの中曽根密着見ててケラケラいってたら、世界バリバリバリューなんてもんが始めり出して、クイズ番組なんてみねーよって新聞みてみたら、今日は潜在能力についてだってさケラケラ。

潜在マニアの僕がこれを逃しちゃ名がすたるってんで、見た。スゲースゲー暗記すげー右脳すげー、子供すげー。

あっ、速聴さ!2倍3倍、おおマジで!?( ̄□ ̄;;)9倍速まで聞き取れる人間の能力たるや凄まじい!もし速聴を極めれば、物語の朗読なんて1日何枚も聞けちゃうってことは、新潮から出てる文学CD聞いた方が読むより早く1冊分読めちゃったりなんかして、速聴してみよっかなって、あっ!今度は速読だ〜ってだけど、僕速読は高い金払ってやったことあるんだよね。その概念はわかったけれど、もうちょっと安くしてくれてもよかったんじゃない?って不満たらたら途中で挫折。確かに速く読めるに越したこと無いかもしれんが情報の摂取ならともかく文学の情緒、感情の機微を味わうのにはたして適してるかっていうと甚だ疑問であったりして、ひとりぐらい速読をする文学者がいてもいいと思うんだけど、いないってことは、感受性という部分は速読に関しては欠如してるのかもねって思ったり、名だたる知識人がのなかにこの速読法を実践している人が見当たらないところからも、やはり、速く読めればいいということにはならないのでは?とおもうけれども、情報の摂取ということに関してだけでいえば、速読の利点は充分に認められるし、僕は速読肯定派だよ念のため。
おおぉぉ! w(*・o・*)w、最後は出ましたいかがわしきも催眠術。でも僕信じてまんがな。だって人間火事場のバカ力ってあれ、一種の催眠効果と同じくに、自分のリミッターをはずしちゃうことだからさ。意識のありようのことなんだよね。催眠ってつまり、精神統一集中みたいなものを他人の発言の中から引き出すというか、筋トレの時にトレーナーがいると掛け声で思わぬ重さがあがっちゃったりするのも一種の催眠的な効果だと思っちゃったりさ。

あー、興味深かったけど、クイズ番組だからそんなに深い床まで突っ込まなかったけど面白かった。

ヤマタノオロ痔

2004年3月1日
タイトル、希望通りにかいたどー(;>ω<)/(友人のG君へ)

さて、寝まくってたら何時の間にか、朝型に戻っていたので、これ幸いと一念発起の公務員勉強。せっせとせっせと、政治学を学ばんとて炬燵に座することしばし、にわかに便意を催し、厠にいくと真っ赤な鮮血が鮮やかにほとばしり、水戸の御老公に激痛が!!!
さてはまた切れたか!今回は痛みもともない洒落にならんければ、以前病院でもらった座薬をば挿入せしめんとズブズブズブ。
友達にことの経緯をメールにてしらすれば、今夜の題名はヤマタノオロ痔にとの下賜を下された我はそんなんヾ(≧∇≦)〃ヤダヤダといいつつもネタの欲しさに自虐行為に走る。

これも、日ごろ食物繊維を取っておらぬ賜物よ。(^▽^ けけけ
痛くて座ること能わぬ我は横になるしかなく夢の世界へ逃避行。

ところで、母にも事の次第を報告せん、母のたまうに、それはすでにして「切れ」から「いぼ」に発展しておる可能性がありなんとな。(゜□゜;) ギョェ

食前にての閲覧は危険のこと、ご配慮をなる言辞を末尾に綴らんとて、その真意はいかにや(≡ ̄ー ̄≡) ニタ〜

惰性を綴る駄文

2004年2月29日
今日はなんと午前5時に起きてから、午後7時まで14時間もパソの前にいた(゜□゜;) ギョェ

飯はスティックチーズ3本とご飯とサバ缶のみ(゜□゜;) ギョェ

アクセす解析見たら、「キタム・ロリコン」で検索されてる(゜□゜;) ギョェ。かっ、確信犯か( ̄□ ̄;;)!?

一歩

2004年2月28日 僕の思ったこと
「あなたと話すと、私の心の中がえぐられる」
母に言われたことがある。

僕は、めったなことがないかぎり、人の内面には、踏み込みたくない。
なぜなら、多くの人は、事実に、内面に踏み込まれることは傷つくから。うろたえ、傷つくから。僕は、相手が傷つくと、それがなんであれ、心が疲れる。心が痛む。

僕がそれをするとすれば、それを冷静に受けとめ、感情のしがらみにとらわれず、己の人間性の向上へと、昇華したいと欲している人に対してか、もしくはそこに踏み込まなければお互いに救いの道が見出せない、不可避の場合に限られる。

前者の場合には、話すことになんの弊害もない。それは議論として成立しうるし、相手も傷つかないから。相手は、僕に自分の矛盾を突いて欲しいとむしろ欲しているのだから。そして、当然僕も矛盾をついてもらう。それは有意義な時間となりえる。

しかるに、後者の場合には、相手が傷つくことが予想される。だが、そこを踏み越えたところにしか、お互いの抑圧された心を救い出してやる場所が見つからない時、そして、それをあえて行わなければならない必要性があるとき、僕は苦渋の選択を強いられる。それは、大変な勇気と、エネルギーを費やさないといけない。そして、なぜ、それほどの勇気を伴い、僕も話すことを欲しないかと言えば、多くの場合、議論に発展する前、相手はうろたえ、傷つき、話し合うことを回避するからである。そしてなお、その内面に踏み込まれることへの恐怖、不安、そして、矜持の抵触。それらのことが原因となり、議論ではなくただの罵詈雑言へと変質する可能性も多いにあるからである。

そも、議論というものを成り立たせるためには、勝敗への執着や、相手への憎悪などというものは極力排除しなければいけない。つまり、感情というものへの理性の対抗である。感情が無意味だというのではなく、必要以上の感情を話し合いの場にさしはさむと、平静を失い、問題の解決への視野を狭める結果となるからである。たとえば、相手への憎悪、自分の信じる論を否定されることによってプライドを犯されたと感じる恥辱の念。
などにより、その問題の本質、自分の主張に対する矛盾の追及や、相手の主張に対する観察などを怠り、単なるその感情の解消へと目的がすりかえられ、いかに相手を論破し、打ち負かすかに議論が変貌してしまう危険がある。そうなると、そこにあるのは勝敗のみである、問題の解決はたなざらしされ、残るのは誤解と悔恨の念のみとなろう。議論に相手を打ち負かす優越感などはいらない。肝要なのは自分の論と相手の論、双方を鑑みて、より適切な、矛盾のない道を模索していこうとする姿勢である。そして、自分の論に過てる個所を見つければ、それを認める寛容を備えることである。そこには、「馬鹿」「間抜け」などの本題とはまったく関係のない中傷、そして、開き直りともとれる言動はあってはならない。
このように書くと、冷厳にうつるかもしれないが、その先に見えるのは融和である。そして、本当に沸き起こる感情というものはどんなに抑えつけても抑えきれないものである筈だ。そういった感情こそが、議論に介入を許されるべき、人の心を顫動させる魂の感情となるはずだ。もちろん、その感情を中傷という無価値なものに託して発言すれば、その本質は一転、劣悪なるのもへと堕するのであるが。

ゆえに、僕は議論においては傷つかない。それが中傷や理不尽な偏見にさらされない限りは。僕の意見の否定は大歓迎なのである。

しかるに、母は後者であった。だから、僕はお互いの為に踏み込むことを決意した。恐いことだった。母は泣き。それを見て僕も泣いた。母の内面に踏み込むこと、そして、僕の内面をさらけ出すこと、それは、母にとっては、恐ろしいこと。でも、なぜ知られたくないのか?なぜ恐いのか?それは、以前のお互いの関係がまったく別物になるかもしれない恐怖、お互いの信頼の崩壊の恐怖。未知なるこれからへの恐怖。しかし、僕はすべてを受け入れる。それを知ったことで母への愛は変わらない。それを知ってもらうことが、どうして、お互いの信頼を崩壊せしめるのか?恐れるものなど何もないのだ。僕は、母の心を確かにえぐったのかもしれない。しかし、僕がえぐろうとしたのは、母の心に巣くう癌なのである。痛みに耐えてきた癌なのである。
母は、今まで1人で抱えてきたものをすべて吐き出した。そして、いった言葉が冒頭の言である。
はたして、どうなったのか?僕とは母、以前とはまったく違う形だが、以前よりより深くお互いのことを信頼するに至った。僕の一歩は功を奏した。今では、母はもう恐れない、心の影の部分を僕に話す。僕も話す。僕も、母も、家族に一つの理解者を得た。

しかし、僕は今でもやはり、人の心に踏み込むことをあまり欲しない。それは、母のようにうまくいくとも限らないからであるし、その行動を起こす勇気とエネルギーは、回数をこなしたとて減ずることなく、僕の心を疲労せしむるからである。人を傷つけるたびに、僕の心はチクチク疼く。たとえそれが、その人に必要な場合であっても。

今回これを書いたのは、母にしたと同じ、この行為を、兄にも行ってしまったが為である。僕は兄の性格をよく知る。必然にしろ、そして、また、好転へと向かってくれたにしろ、その一歩は、僕の心を、疲労させる。
昨日あんなことを書いときながら、あいも変わらず睡眠時間は10時間を有に越すこの有様。でも、2日寝て2日起きてた、かまとばあさんはあんなに長寿だったしなあ。。

麻原ショウコウが死刑判決。って、死刑以外だったら収拾がつかなかっただろうなあ。控訴、上告。結局最終判決まであとどれだけかかるんだろうかあ。

押井守の映画『イノセンス』が、スピルバーグの会社ドリームワークスによって世界配給決定\(◎o◎)/ !!
イノセンスとは、前作、かのマトリックスの元ネタ『攻殻機動隊〜ゴースト・イン・ザ・シェル』の続編。前作の世界的な影響力と、評価を鑑みての決定だろうが、作品のラッシュをドリームワークスの関係者が見ていないはずはないので、内容にもかなりの期待(((o(^。^")o))) ワクワク

世界の長者番付、相変わらず、マイクロソフトのビルゲイツが1位。んなこたあ、どうでもいいけど、その総資産額をみて、こし抜けた〜ミ(ノ;_ _)ノ =3 バタン 
なんと5兆円(゜□゜;) ギョェ
3億くらい恵んでくださいよ〜o(´○`)o
この度、調査で、わが国においても、睡眠時間が7時間の人が一番死亡率が低いとの結果がでたそうな。
この調査、外国でも以前行われていて、同様の結果が出ていたのを、僕は知っていた。
ちなみに、これよりも短くても長くても、死亡率は高くなる。
ただ、僕が驚いたのは、短い睡眠時間の人よりも、長く睡眠をとる人の方が死亡率が高いという結果だったことだ。
4時間いない睡眠をとらない人よりも、1日10時間眠る人のほうが死亡率が高いのだ。ちなみに、4時間の人は、7時間に比べて60%くらい死亡率が高く、10時間の人は、なんと、90%とな(゜□゜;) ギョェ
この何%ってのは、よくわかんないんだけど、恐らく、10時間の人は7時間の人よりも倍近く死亡率が高いってことなのだろうか( ̄□ ̄;;)

ちなみに、僕の平均睡眠時間は10時間。。。7時間は無理でも、せめて8時間くらいにはしたいなあ、いや、しなくては・・・ヾ(;´▽`A``アセアセ
( ̄□ ̄;;)ハウ!!
気がつけばもう2月も終わろうとしているではないか。。。
こんな風に呆けて漫然と日を費やしているうちに、いつのまにか公務員の受験シーズン到来なんだろうなあ^^:
最近はチャット狂いに、昼夜逆転と、受験生らしからぬ生活振りだし。
寝たら寝た出悪夢は見るし(゜□゜;) ギョェ
そうそう、最近見た悪夢と言えば、エイリアン。
友達とエイリアンは2が一番だとか、1は糞だとか、3を見たとか、寝る前に話したもんだから、夢の中まで、エイリアンに追い掛け回される羽目に(´ヘ`;) ハァ

何故かぼろぼろのアパートにすんでいる僕。夢の中で目を覚ました僕は屋根の上に得たいの知れぬ物体をみる。
エイリアンだ!
いや、厳密に言えばエイリアンとエヴァンゲリオンとバルタン星人を足してルート2でかけて、πR2乗した感じの生物だ、ひいい\(◎o◎)/!
僕は眠っていたから気づかれずに、その生物は壁をつきやぶって出ていく。
そうだ僕は地球防衛軍の隊員ダン・キタムだった!
何時の間にか隊員服になった僕は使命を果たすべくチャリンコに乗り墓地へ向かう。さっき見たのよりも巨大なエイリアンが民家を破壊している。まるでゴジラだ。僕は気づかれないことを祈りながら、通りすぎる。
墓地へ向かう途中、僕が以前住んでいたアパートを見かける。なんと墓地の隣にあったんだと始めて知る。アパートはさびれて、前には長閑なうり畑が広がり、隣の公園では滑り台を麦藁帽子を被り赤いブラウスを着た女のこが滑り降りている。
燦燦と降り注ぐ太陽とそよ風、そして、そんな風景を見ながら、僕は平和に感謝する。
墓地で墓参りを住ませ、帰途で友達と会い、立ち話をしている間にアパートのリフォームが進み、気に入ったのでそこに住むことにする。しかし、近くの商店街の人通りで殺人事件が起きる。ある外人が機関銃で、八百屋を撃ったのだ。その場所には多くの目撃者がいたが、誰も犯人の顔を見たものはいない。実は僕が犯人なのかも知れない。
帰り道、僕はリアカーを引いてかえる。脚がつかれたと、相棒のボブに愚痴を言う。今日も野菜は売れなかったのだ。。。

メールで起床。なんなんだこの夢は?
でも、面白いのでネタがないときは見た夢のこともちょくちょく書いていこうっと。
最近、日記のアクセす元をみられるようになったので、よくのぞいている。いったいどんな人たちが僕の日記に訪れているんだろうか?(なお、本人は特定できないのでご安心を)。
さて、みてみると、僕のチャットの参加者登録プロフから訪れてきている人のほかに、多くみられたのが、ウエイトトレーニング関連。以前筋トレについての連載をしたので、ポロポロ単語が引っかかってるみたいだ。あとは、まあ、大リーグ、だとか、強迫だとか、そんなところだけど、ちょっと面白かったのが、「チャップリン、ロリコン」で検索してる人や、「ウガンダ虎」を検索してる人。
その人はウガンダ虎、の何を知りたかったんだろう。(^ー^;A アセアセ
そして、「キタム、大分」で検索してるのはひょっとしてリアル友!?
いやあ、面白い機能だ。 (^○^)
プロフィールの100の質問に答えました☆ミ”
誠心誠意、自分の真実にしたがって書いた部分もなきにしもあらず、です♪

良かったらみてね(⌒^⌒)b うふっ
ISBN:4003253132 文庫 ユーゴー 岩波書店 ¥700
コゼットとジャン・ヴァルジャンは青年マリユスの前から消えた。落胆にしずむマリエス。だがある日、隣部屋にすむ怪しげな一家の様子をそっとうかがう彼の目の前に思いがけずも2人が姿を現わした。そして2人を陥れようと悪事をたくらむこの一家の正体とは…
あ、あと一冊。。。
ということで、またまた、僕が共感したか否かに関わらず印象に残った言葉を、抽出。

「不運なる者と汚れたる者という二つが混合し融合して、一つの宿命的な言葉、惨めなる者という一語を成すがような一点が、世にはある。そしてそれも誰の過ちであるか?そしてまた、その堕落が底深ければ深いほどいっそう大なる慈悲を与うべきではないか」

「哀憐の情にも、好奇心があり、またあるべきはずである」

「勇気は罪悪を恐れず、正直は官憲を恐れず」

「正義は即ち正であり真である。正義の特質は、永久に美しく純なことである。事実は、たとい表面上きわめて必然的なものであろうとも、たといその時代の人々から最もよく承認されたものであろうとも、もし単に事実としてのみ存在するならば、もし正義をあまりに少ししか含有しないかあるいはまったく含有しないかするならば、ついには時を経るとともに、必ず畸形となり魔物となりまたおそらくは怪物となる運命を有している」

「正義と事実との争いは、社会の始めより続いている。その闘争を絶滅せしめ、純なる観念と人間の現実とを混合せしめ、穏かに正義を事実のうちに浸透せしめ事実を正義のうちに浸透せしむること、それこそまさしく賢者の仕事である」

「巧妙のみしか存しないところには必然に卑小が存する」

「文明の下層は、ごく深く暗いがゆえに、上層ほどに重要でないといえるだろうか。洞穴を知らない時、人はよく山岳を知ることができるであろうか」

「知ることは一つの糧であり、考えることは第一の要件であり、真理は小麦のごとき栄養物である。理性は学問と知恵と断食する時やせていく。(略)パンがなくて死の苦しみをする身体よりも一層悲痛なものが何かあるとすれば、それはおそらく光明に飢えて死ぬる魂であろう」

「身体の死はなるべく遅からんこと、魂の死は、永久にきたらざんこと」

「獰猛なる者は凄惨なるものを恐れる」

「専制君主らも思想家にとっては何かの役に立つ。鎖につながれたる言葉こそは恐るべき言葉である。君主が民衆に沈黙をしいる時、筆を執る者はその文体を二重にも三重にも変える。かかる沈黙からはある神秘な充実さが生まれてき、やがては思想のうちによどみ凝集して青銅の鐘となる」

「偉大なる心の正直さは、正義と真理とに凝り固まる時、物を撃破する」

以上。
 

日々これ休日。

2004年2月22日
今日の僕の1日はといえば、

チャットをする。

午前2時就寝。

午前10時起床。

チャットをする。

昼食。

ネット徘徊。

午後1時就寝。

午後7時半起床。

ネット徘徊。チャットをする。

夕飯。風呂。

チャット。。。                  w(☆o◎)wガーン

ね、生活感があるでしょ?
数日前の日記で、髪を切ってさっぱりしようっていってたけど、友達から、一生に一度くらい耳が髪に隠れるくらい伸ばしてみなよ〜っていわれたので、ためしに伸ばしてみようと決意。
以前ならアトピーがひどくて到底無理な話だったのだけど、今はもうアトピーは95.276%治っているので、問題もないことだしね☆ミ”

最近思うこと、こうやって日記かくっていいよね。自分の考えが整理できるって言うか、自分の今まで考えてきたことを体系化できるわけだから、それに書いてくうちに、ああ、僕はこんなこと考えていたんだってな驚きもあるしね。アウトプットって,知識の定着にはかかせないよね。本よむばっかじゃだめだね〜やっぱりこうやって書いてくことにあらためて意義を感じる今日この頃なのであった。
僕は高校時代に、周りのみんなより,精神年齢が3歳くらい幼いと思ってた。それは、ADHDで、授業についていけていなかったせいもあるが、なにより物事をしらなすぎた。唯一,テニスの知識だけは自信があったが,ほんとにその他のことにはなんの興味も示していなかったのだ。服のことにも、タレントのことにも,歌のことにも、テニス以外のすべてのことに疎かった。
成績ももちろんいつもどべっけつの方を走っていた。これは中学の頃からだけど。だから、いろんな恥を掻いた。三味線を「みみせん」と読み気狂いを「きぐるい」と読み、個所を「こしょ」と読んでいたし、帰国子女のことを旅行から帰った女の子のことだと思って、友達の嘲笑をかった事もあった。とくに数学はひどいもんで、まったく理解できず、僕はテストの解答欄に,いつも、すべて2と書く。途中の式なんて、もちろん書けない。いつも答えに2だけ書いた。すると不思議なもんで、答えに1問くらいは大抵2があり、0点を免れる。といっても1点なのだけど。授業中は、いつも、寝るか、考え事に耽っていた。僕が寝るのは、結構有名だったかもしれない。あるとき、日本史の授業で,目を覚ますと目の前に先生が座っていて、こっぴどく説教を食らったこともあった。そしてついには,僕が寝ても先生はなにも言わなくなっていった。そんな自分のバカさ、幼さに、気づいてはいたし,それなりに劣等感も持っていた。でも、僕にはテニスがあったので、そこにすべてを投入することで、そのことから逃避していた。

だから、テニスを止めたときの喪失感は大きかった。そしてテニスを止めたことで、僕のその幼さに対する劣等感は白日の元にさらされたわけだ。
僕が本を、読み出したのは、その精神年齢のコンプレックスからである。もちろんそれだけではないが、その劣等感が、僕を動かした1つの要素であるのは動かしようのない事実なのである。
テニスはいつかまた始めるつもりだ。だが今では、あの時、症状やその他のことでテニスを断念せざるを得なかったことは,他の面に僕の目をむかせたという意味で、よかったのではないかと思って感謝している。
劣等感という陰の感情から、行動・努力という陽が引き出された。

さて今、僕は精神的に人並みくらいには、成長できているだろうか。

和解

2004年2月19日
昨日、日記に書いた人から午前四時にでんわがかかり、和解が成立。
彼も,激昂してしまったあと、夕食も喉に入らないくらい心配していたらしい。電話では,そこんところでメールする前にもう一度冷静に自分を振り返ること、昨日のメールは,なにも怒るようなないようのことはなにも書いていなかったこと、などを確認しあい、話し合った。少しづつだけど,前進していってるのかなあ。。
一見落着、といいたいところだけれど、昼に眠ってしまったせいと、夜にいろいろ考えてしまったせいですっかり脳が覚醒して、ねむれなくなってしまった。
なんでかしらんけど、夜のほうが脳の働きが活発になるような気がしてならない。あくまで、気がしてるだけなんだけど。
なので,久しぶりにたくさん本を読んだ♪
明日は、カウンセリング。ついでにこの伸び放題の髪の毛も春らしくばっさり切っちまいましょうかね〜。
ISBN:4003363221 文庫 ショウペンハウエル 岩波書店 ¥460
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」―一流の文章家であり箴言警句の大家であったショウペンハウエル(1788‐1860)が放つ読書をめぐる鋭利な寸言、痛烈なアフォリズムの数々は、出版物の洪水にあえぐ現代の我われにとって驚くほど新鮮である。
デッカンショデッカンショ、ショッショッショーペンハウエル。
アマゾンで見てみると、やや!?評価高いなあ。でも、僕はあんまり同意しかねる部分も多々あったんよ。
たとえば読書は考える力を奪うとか言っときながら、それをよくよく吟味し自分の知識として昇華できるものは読書をする必要があるといってるし。何だろう、つまりは,天才や、選ばれたもの以外は何をやっても限界があるみたいな物の書きようが不遜、尊大に感じられて、ショーペンハウエルってものすごい自信家だったのやなあと。まあ、それだけの実績も残してるのだし、自負するってのは決して悪いことではないと思うのやけど、何か、こう無知なる者どもみたいな言い回しに大衆に対する蔑視を感じて,っていうか、実際に蔑視してるようだけども、自分の著書が悪書ではないと言いきれるその絶対的な自信は見習うべきなのかどうなのか。でも、示唆にとむ警句がちりばめられていて,新たな視点から読書の意味について考えることができたのも事実であるからして、読まないよりは読んだほうがよかったと思えるので、やっぱり良書なんかね。うん、人生の時間は限られているから、読む本はよくよく吟味しようっと、そして、やっぱり、再読も必要だよねって改めて思いなおしたって話やねんな。 

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