DVD キングレコード 2002/02/06 ¥4,700
自分を見失い都会で生きる娘、その階下で犬と暮らす身寄りなき老人。彼らのもとにローサが現れたとき奇跡が起こる。『蝶の舌』のヒットで俄然注目を浴びだしたスペイン映画界が放つ、娘と母の愛を中心に描いた珠玉の感動ドラマ。
穏やかな老人って心が和む。穏やかな老人同士の交流が描かれてればそれはもうかわいらしくてとけてしまいますがな。ふにゃふにゃぶひん。 
ISBN:4569610862 単行本(ソフトカバー) 和田 秀樹 PHP研究所 ¥660
一生懸命受験勉強し、一流大学を出て、大企業で定年を迎える――。
こういうライフサイクル・モデルはもはや通用しない。生涯学習が求められる時代である。外資系企業はもちろんのこと、日本の企業でも即戦力を求めるところが多くなり、資格の有無で待遇を決める企業も出てきた。
こうした社会的背景に加えて、老化を防ぎ、精神・肉体両面の健康を保つ上でも、勉強は重要だと和田秀樹は言う。「いまさら勉強なんかしても」と考えている人にとって、本書は社会人になってから学ぶことの重要性を理解させ、学習意欲を高める効果があるだろう。

本書は「IT時代に求められる能力」「頭をよくするトレーニング」「能率を上げる勉強術」「ライセンス取得のテクニック」などの章に分けられ、各テーマごとに解説が加えられている。「IT時代に求められる能力」の章では、「知識のある知り合いを増やすことができる対人関係能力」「メタ認知能力」など、IT時代に求められる能力と、その習得方法を教示する。「睡眠時間を削るのはマイナス」「集中できるとうまく記銘できる」など、いまでは通説となっているような理論も一部取り上げられてはいるが、精神科医の著者らしく、脳の学習メカニズムと絡めて解説しているので、説得力がある。(
僕は今はこういったハウツー本を買うことはほとんどなくなったんだけど、僕が本を読み始めた当初は結構買ってて、今でもそれが積読状態になってるのやね。で、読まないのもったいないんで少しずつ読んでってる。この和田秀樹さん、朝生とかで結構見かけるし嫌いじゃないのよね。精神科医なんで、心理学の本という感じで読めば結構為になったりする。心理学という基礎の元にかかれているんで書いてることも論理的で恣意的じゃないし、いいんじゃないかなあ。
  
DVD ビデオメーカー 2000/11/24 ¥3,800
少年ペレと年老いた父との厳しい生活を通して、19世紀の北欧の現実を描いた一大叙事詩。『レ・ミゼラブル』の名匠、ビレ・アウグスト監督の代表作。
観ているだけで、場面に関係なく涙があふれてくる映画というものがある。観ているだけで、何か得体の知れない感覚が体中に満ち溢れる映画がある。そう、この『ペレ』や、『木靴の樹』のような作品は、僕にとってとても大切な作品だ。本当の人間が描かれていると実感できる映画は、なかなか出会えるものではないから、老いても頼れる存在であろうとする父、父の弱さを感じながらもやさしく見守るペレの姿を見ることができただけでも、僕はこの作品に感謝する。 
ISBN:4794208340 単行本 吉田 利子 草思社 ¥1,900 
手を洗わずにいられない、鍵や火元を確認せずにいられない、何でもとっておかずにいられない。強迫性障害からアル中や過食症に悩む人まで、自分でできる画期的な療法を初公開!強迫性障害を自分で治す。
これは僕の抱えている障害、OCD(強迫性障害)について書かれたものだ。
この本は、アメリカの伝説的大富豪だったハワード・ヒューズが実は重度の潔癖障害だったというエピソードから始まる。最近、テレビ番組で、ヒューズが晩年ホテルの一室にこもって一歩も出なくなったのは、富を追い求めた自分の人生にむなしさを感じたためだなんていってたけど、そういう誤解がすんなりテレビで流されてしまうこと自体、この障害がまだ広く認知されていない証左である。
彼は奇人として有名だったが、実際は単なる強迫性障害だったのだ。不潔恐怖が重度になり、菌の感染を恐れるあまり人と接触することが出来なくなった。これが晩年の彼の真実である。
強迫性障害という病名が冠されたのは彼の死後10年たってからだった。生涯、奇人と見られながら過ごさなければならなかったヒューズに比べれば、現在の僕たちはまだ幸福なのかもしれない。
しかし僕が、自分をOCDだと知ったのは大学に入ってからだった。まだまだこの病気の認知は充分とは程遠い状態だ。
しかし、この本を読んでいると、この10年でOCDの解明が急速に進んでいることがわかる。
今から約13年前に、「手を洗うのがやめられない」と言う本が出版された。僕が読んだOCDに関する始めての本だったが、その時点ではまだ、これは脳の障害の可能性があるとなっていたのだが、今回読んだこの「不安でたまらない人たちへ」では脳の障害である、と図説とともに明らかにしている。
この本によると、僕たちOCD患者は、脳の思考のオートマティック・トランスミッションである尾状核、行動のオートマティック・トランスミッションである被殻が故障しているらしい。そしてこの部分は適切な行動と不適切な行動をえり分けるフィルターの役目を果たしているので、うまく作動しないと不適切な行動も通してしまう。これが意味がないとわかっていてもしてせずにいられなくなるというOCDの原因なのだそうだ。
そしてOCD患者は、普通の人なら無意識に作動しているこのフィルターの役目を他の脳の部位を使って意識的に行わなければならない。
この役目を果たすのが大脳皮質である。
しかし、この大脳皮質は大変働きにくい、さびたレバーなのである。だから、僕たちはこの大脳皮質を行動療法によってスムーズに動かせるようにしなければならない。しかしこれには長い期間と精神力を要する。
僕は、大学時代、暴露反応妨害法という行動療法をやっていたが、この本ではさらに発展させた四段階方式という療法が提唱されている。これは生物学的行動療法と呼ばれる。
四段階とは
第1段階ーラベルを張りかえる
第2段階ー原因を見直す
第3段階ー関心の焦点を移す
第四段階ー価値を見出す
というものである。
この処理を強迫観念が出てきたたびに行う。いつしか自動で行われるようになるらしい。
色々書いたが、ようは僕のようなOCDの脳は、パソコンの本体がウイルスにおかされている状態が正常になっているため、常に誤作動が起こる。それを正しく作動させるウイルスを注入することにより本当の正常に戻さなければならない、しかしウイルスをパソコンに進入させるためにはさまざまな撃退ソフトや関門を通りぬけなければならないので困難を耐えられるだけの忍耐力、精神力、体力が要求される。そして正常というウイルスを注入させる補助ソフトとして四段階方式があるというわけだ。
これが果たして出来るかどうかは別として、理論はいたって明快である。僕にとって、何度も読み返すであろうバイブルとなるに違いない。 
DVD パイオニアLDC 2003/02/21 ¥2,980
時は1941年、25年の重刑でアルカトラズ刑務所に入獄中だったヘンリー(ケヴィン・ベーコン)は脱獄に失敗し、計画を密告した仲間を所内で殺害。死刑は確実と思われた裁判だが、若手エリート弁護士ジェームズ(クリスチャン・スレイター)は、ヘンリーが脱獄以前に彼が3年も地下牢に入れられ虐待されていた事実を知って無罪を主張し、逆に刑務所側を告発する…。
アルカトラズ刑務所が閉鎖されるひとつのきっかけともなった実際の事件を、マーク・ロッコ監督が映画化。時の若手実力派スターの共演プラス、刑務所長役のゲイリー・オールドマンがいつもながらの怪演を見せてくれるのが見ものの、静かながらも息詰まるシーンが連発する法廷サスペンス劇である。
僕は刑務所に入ったこともなければ、当然真っ暗闇の部屋の中で3年間も糞尿にまみれながらすごした事もない。だからそういう状況で人間がどういう精神状態に陥るのかなどわかるはずもない。だがおそらく、この映画に描かれたことは誇大表現ではないだろう。少なくとも僕はそう感じている。
寂しさは生を希求する。それは結局は人間を求めるということなんだろうなあ。寂しさはときに死の恐怖にも打ち勝つ。絶望とは、まさにそのときをいうんじゃなかろうか。たとえひとりでも人とのつながりを実感できればそこに生きる術を見出せる。しかしそれは強固なものでなければならない。
強固な人とのつながり、陳腐な言葉で言い表せば、真の友情、ということになるのかなあ。
どんな仕事でも他人の人生の一部分に関与する。思えば弁護士ってのは他人の人生の一場面に刹那的に深く関与する仕事だ。たとえそれがその人の人生にとても重大な意味を持つのだとしても、弁護士が関係するのはやはりその部分だけなのであり、刹那的にしか関われないのだ。
そこに弁護士という仕事の矛盾を感じる。深く関与するためには、深い関係を築かなければ難しいのではないか?しかし短期間でそのような深い関係を築けるのか?
なるほど、仕事に私感情は不用だとする向きもあるだろうし、それもある意味でプロフェッショナルといえる。しかしそれではこの映画は成立しなかっただろう。この作品は、ひとりの弁護士がひとりの他人の人生に刹那ではなく生涯立ち会うんだという決意なればこそ成立しえたんだと思う。そしてそれもまた、ある意味でプロフェッショナルと言えるのではないだろうか。  
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2004/01/23 ¥1,990
『ミザリー』というシリーズ小説で人気作家となったポール(ジェームズ・カーン)は、山荘からの帰りに崖から転落したところを、近所に住む看護婦アニー(キャシー・ベイツ)に助けられる。しかし『ミザリー』の熱狂的ファンである彼女は、小説のラストを自分の好むように書き直してもらうよう、両足が骨折して動けないポールを監禁し、ついには恐るべき拷問を始めていく…。
俊英ロブ・ライナー監督が『スタンド・バイ・ミー』に続いてスティーヴン・キング原作を映画化。偏執的ファン心理の恐怖がじわじわと伝わるサイコ・スリラーの傑作である。せっかく足が治りかけてきても、すぐにアニーに叩き折られてしまうという、主人公最悪の受難。キャシー・ベイツは本作でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
ヒー、恐い恐い。人の執着ほど恐いことはないねえ。強迫性障害の僕が言うのもなんだけど彼女は病気なんだと思うのよ。彼女にパラノイア的な気質があったにしてもだね、やっぱりなんらかの社会的要因を抜きにしては語れないわさ。孤独は割り切れなきゃ人を狂気に走らせる可能性だってあるもんね。他人事じゃないよなあ、僕たちにだって起こりうる恐怖だってことがこの映画をリアルたらしめている一因ではないでしょうかねえ。  
DVD パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2003/12/05 ¥2,500
大富豪の息子で弁護士志望のオリヴァー(ライアン・オニール)と、お菓子屋の娘ジェニー(アリ・マックグロウ)。ふたりは偶然図書館で出会い、周囲の反対をおしきって結婚する。しかし、その時すでにジェニーの身体は白血病に蝕まれており…。
ラストの名台詞「愛とは決して後悔しないこと」も有名な、悲恋ラブ・ストーリーの代名詞ともいうべき大ヒット作で、アーサー・ヒラー監督の職人的手腕が冴え渡った代表作。古今東西に通用する普遍的ストーリーが、奇をてらう事なくオーソドックスにつづられていくのがいい。フランシス・レイによる甘美なメロディも、アカデミー賞作曲賞を受賞し、今や映画音楽のスタンダードである。なお、オリヴァーのその後の人生を描いた『続ある愛の詩』も製作されている。
愛とは決して後悔しないこと・・・っか、ちとくさかったからまあまあですね。  
DVD パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2003/12/05 ¥2,500
私生児として生まれ、タンゴ歌手から次第にのし上がり、アルゼンチンの大統領夫人となり、政界を支配したエバ・ペロン。わずか33歳の若さでガンで逝った彼女の、激動の生涯を完全ミュージカル映画化した作品。
主演はマドンナ、物語の狂言回しチェをアントニオ・バンデラスが演じる。この作品は映画化まで15年の歳月がかかっており、それまでエバ役に数多くの候補が上ったが、まさにマドンナにうってつけの役どころである。
当然、歌も踊りもすばらしいのだが、エバ・ペロンという女性の力強い生き方がマドンナのキャラクターと重なり、観る者を引きつけて離さない。これまで何本かの映画に主演し今ひとつ決定打がなかった彼女だが、満塁ホームランといっていいほど、生命力あふれるエバを演じきっている。
えーと、これ見ながらバンデラスって顔こゆいなあって思いました。はい。典型的なアルゼンチン顔(アルゼンチンの人か知らんけれども)だなあって。はい。
えっ?感想になってないって?
そうですね、これ観ながらアントニオ・バンデラス、アントニオ・バンデラス、略したらアデランス、チョット違うか、ならバンテリンは?ぜんぜん違うしつまらない。なんてなことを考えてました。え?これもだめ?
うーんだって僕アルゼンチンの歴史よく知らないからこういう系統の映画って批評できないよ。単なる感情の発露でいいってんなら出来はいたって普通でしたね。はい。  
昨日、世界丸見えって番組見てたら、特集がボディビルの裏側を見せるドキュメントだった。

隣で,母が見ながら「気持悪い」だの、「これがスポーツかえ?」だのといっていて,とても居心地の悪い気持になった。
僕は、個人の好き嫌いはあってしかるべきだと思う。だけど、なぜ釈然としなかったのかといえば、その理由が、「気持悪い」という感情から来ているからである。
そもそも、ボディビルも、立派なスポーツである。それも、シンクロや、フィギアスケートなどのように、「見せる」部類の。そしてその均一性、総合力的な美を競う競技なのである。
では、それを毛嫌いする、「気持の悪い」という感情は何故に起こるのか?それは、その普段みることのない筋肉に対する違和感からではないだろうか?はたして、他に理由があろうか?つまり、周りの世界の人間だけに見なれていると、そのような種類の人間しかいないかのような感覚に陥っていくものであるし、そういった精神状態に、突如として,違う種類の人間が表れれば、われわれは瞬時に、その人間がわれれわと同じ種類の人間であるとは判別し得ないものだと僕は思うのである。
つまり、アメリカで、ここまで広くボディビルが受け入れられている背景として、そのような体型の人々が巷にあふれていて、それに対して、そのものの本質を正しく評価を下せる段階にあるからであろう。おそらく、筋肉質な人々が日本にも増えれば、ボディビルもそれほど、奇異な目で見られることもなくなるだろう。

さて、しかしながら、僕はそのような感情を看過してしまう事にものすごく問題を、恐怖を感じるのである。
なぜなら、それは偏見以外の何物でもないからである。では、彼らが,障害者というマイノリティー、もしくは普段みない外国人が自分の生活に介入してくるときにも、同じように「気持悪い」などという感情を持つだろうか?もし、「ボディビルダー」を気持悪いと感じる人で、障害者や外国人にはそのような感情をもたないと明言できる人は、では、ボディビルダーに対する、「気持悪い」といった感情は、いったいなんによるものなのか説明できるのだろうか?それがその姿形によるものならば、見なれない姿形によるものならば、他の見なれない種種の人間たちと、ボディビルダーの姿に対する,「気持悪い」という感情が介入する境界線はどこにあるというのか?そして、その感情を隔てられる理由はなんなのか、説明してもらいたい。

自分の感情によってだけで,あたかも「気持悪い」といった言葉を安易に使うのは、偏見以外の何物でもないし、そのような人が、いくら深刻な境遇のものに涙を流しても,それは偽善を含んでいる。そのような人たちは、知らず知らずに差別をする側に回る危険を常にはらんでいる。なぜなら、すでに、ボディビルを感情で嫌っていることが、その危険が事実として顕現していることを示しているからである。
今回はボディビルを例に取ったわけだが、同じような危険はなんにでもいうことができる。例えば,他人の趣味を軽蔑するもの、他国の食文化に眉をひそめるものもしかりである。

繰り返し言うが,僕は好き嫌いはあってしかるべきだと考えている。しかし、その存在自体を否定してはならない。自分には合わない。だが彼らのやっていることは立派だ。という言葉は,矛盾なく併用できるのである。その物事を知らないうちに、安易な感情をさしはさんだ言葉を使うのは危険だ。使うなというのではない。使うのなら、十分に留意が必要だといっているのだ。そのものをしっかり吟味した上で評価を下すべきである。自分の価値観の基準に当てはまらないからといって、決してそれは、気持の悪いものでも、怖いものでも,奇妙なものでもないのである。

人間は、見なれないものを警戒する。ただ、その時に冷静に自分の感情に問いかけてみよう。偏見に境界線はない。それは個々人の価値観が違うので当然なのだ。ならば、ほんとに偏見をなくしたければ、生き物の本脳に、理性を持って対処する努力も必要となってくるのである。たとえきつくとも。

さて、ボディビルに関して,母親はボディビルは嫌いだが、しかしボディビル自体は人間が作り出す限界の肉体美を競う、列記とした、立派なスポーツなのである。
DVD パイオニアLDC 2000/08/25 ¥4,700
演習中だった自衛隊の一小隊が、戦車やヘリなどの兵器ともども、戦国時代にタイムスリップしてしまった! 奇抜な発想で迫る半村良の同名小説が原作の、SFアクション超大作である。長尾景虎(のちの上杉謙信)とともに天下をとろうとする、伊庭義明隊長率いる自衛隊員たちの姿がダイナミックに、時にセンチメンタルに描かれている。
主演の千葉真一は、アクション監督も兼ねるという熱の入れようだった。映画史上初、自衛隊VS戦国武者という異色の川中島の合戦を、壮大なスペクタクルとして魅力的に見せてくれる。『アメリカン・グラフィティ』さながら、時のニューミュージックの数々を要所に配した音楽演出も、青春群像劇としての効果を巧みに映しだすことに成功している。
♪ロンリー、おおー、ロンリー♪
あああー、ぐじゅ、ぐじゅ、うへへへ、ぐわーん、なんて泣いてしまいますよ。この歌を口ずさむと。
みなさん知ってます?知ってるかなあ?

『戦国自衛隊』。

熱いね!熱いよ!マンダム(意味不明)。
もう何回観たか知らんね。
「影虎ー!、わしは天下を取る」なんてのたまって結局取れなかった自衛隊の隊長はん、無念やねってこら影虎っ!なに裏切っとんねん(怒)。なんて憤りながらもそれまでの二人の友情に痛く感動してラストでのあのいいようのない無常観。ここでほらっ、この歌ですよ「ロンリー、おおー、ロンリー」ってマンダム。
もうあんたね、涙ちょちょぎれもんですわ。
えっ?そうでもないって?
だってそれはほら、僕が観たのは小学生の確か4年くらいのときだもの。トラウマですよ。ト・ラ・ウ・マ!!
その頃我が家ではちょうどビデオが普及しておりまして、家族総出であるテレビあるテレヴィーを録画しまくっていたのやけれどもね、そんなかでも、なぜか強烈に僕の心に消しがたい焼印をいれてくれたのがこの「戦国自衛隊」なんだってわけ。
思えばこれが映画っていうものを意識してみた初めての作品のような気がするのやね。
まあ他にもトラウマ映画といえるのはあるのやけども、たとえば「僕らの七日間戦争」や、「新桃太郎」なんてのもしかり。
この3本が僕の感受性を育てたといっても過言ではない。っていうのは過言なんだけれどもさ。
とくに「僕らの〜」は「戦国〜」の続きで録画しとったもんだから観た回数、かわんないかもね。

コホン、閑話休題、「戦国自衛隊」がなぜここまでに僕を支配するにいたったか?なんてことを考えるとやっぱシチュエーションもさることながら、ラストの妙、なんですよね。
物資もつきてぼろぼろ状態の自衛隊員たちのいるぼろ寺に兵を伴って現れた隊長のお友達の影虎はん、「おお!影虎」なんて無邪気に笑顔の隊長ことサニー千葉(千葉真一)。うくくって天下のために友を殺そうと弓矢を兵に構えさせる影虎の断腸の思いがにじむ苦痛顔。ハッとしてキリリと覚悟する隊長。ここで名言。「影虎、わしは天下を取る!」
その瞬間、影虎放てーってそんな殺生なー!
見るも無残、語るも無残、自衛隊のかたがたはみなさん蜂の巣、およよってウルウルきてるこのあちきに追い討ちをかけるようにでたっ!
♪ロンリー(フレンドリーだったかも)、おおー、ロンリー♪
ってこの歌ですよ。ぐひゃひゃ、うひーん。
もう号泣。このラストに子供ながらにいいようのないダンディズムを感じてしまったのでした。マンダム。
最後に皆さんご一緒に
♪ロンリー、おおおう、ろんりー、このままでいればいいー、ロンリー、おおおう、ロンリー、それ以上はー望まないサー、生きることはー愛するーこととー、知っておいてほしいのサー、らららーらららららららららーおまえのーためにー生きようううう♪
ちなみに歌詞は限りなくうろ覚えやけんども許してね。   
 
サッカーのニュース見て、うおお、中田すげー!
サッカーの試合見て、うおお、平山すげー!
どさくさに紛れて、うおお、キタムすげー!!

テニスの杉山愛が世界ランキング自己最高の8位になったのだそうな。
僕は彼女がここまで上り詰めるとは思っていなかったので、正直驚いた。伊達公子がトップ10内にいたときは、杉山のプレースタイルからいっても、伊達のような個性を見出せなかったから、なにか武器がないとあれ以上いくのは難しいと感じていた。
伊達は、ボールの上がりっぱなをたたくライジングショットといった、誰にも真似できない武器があった。だては、まあ、天才だったわけだが。美人薄命をチョットもじって天才夭折なんちって。才能があるものの活躍できる期間はえてして短いものである、のかどうかは良くわからないが、伊達はの選手生命は、短かった。体力的にというより、精神的に折れてしまった。これにはマスコミの責任も一部あると思う。伊達はその才能を開花させると共に怒涛の連勝街道をひた走り、一気にトップ10に入る。そのセンセーショナルな登場は、彼女を一気にスターダムに押し上げた。天才の宿命かな、マスコミの沸騰振りは、彼女のテニスへの集中を妨げた。伊達はトップ10に入って以来、テニスが楽しくなくなったといっている。結局伊達はスターという地位に押しつぶされ、トップ10に残ったまま引退をするに至った。

杉山が、運が良かったと、僕が思うのは、天才ではなかったということなのかもしれない。杉山がトップ10に入ったのは最近のことだと記憶している。つまり、伊達よりもはるかにに長い期間を要してはいあがってきたのである。彼女はシングルスの前に、ダブルスで世界ランキングナンバーワンの座を射止めている。それも彼女にとっては好都合だっただろう。日本では、ダブルスはマスコミに殆ど注目されない。たとえ世界ランキングでナンバー1をとってもである。つまり、その期間に、杉山は、マスコミのプレッシャーのないところで、ランキング上位のプッレッシャーになれていくことができた。そして、彼女は武器を持たないぶん、ダブルスにまず力を入れ、そこで、戦略的な技術を磨いていった。まさしく亀のようではあるが、肉体的にも、精神的にも、時宜に適した早さで上っていけたのである。武器がなかったぶんだけ、回り道をしなければいけなかったのだが、その分、彼女の選手生命は延びたといえるのかもしれない。
現在トップ10内に入っているが日本のマスコミの対応は伊達の時に比べれば、比較にならないくらい扱いが小さい。でも、これでいいと思う。今の位置を保っていれば、いずれ嫌でも注目は上がってくる。その頃には、杉山はマスコミにも押しつぶされることはないだろう。
トップ10にはいれたのは、もちろん杉山の努力の賜物だ。しかし、そこには個人に適した、成長のスピードがある。杉山はまず、ダブルスに集中した。
トップになるためには、肉体的、実力的な強さだけではなく、精神的な強さも必要である。伊達はそこを鍛える時間を作る暇なくのぼってしまった。
杉山は精神力も含め、すべての部分の成長を果たした上で、トップになった。

その選手を活かす道は、なにも早ければいいというものではないのである。
昨日、活字の世界に戻るなんていっときながら、今日もまた1日PCの前に張り付くという有様。

こうやってひねもす家の中にいると、日記に書くことも、自分のあたまん中のことをネタにするくらいしかなくなってくる。でも、僕が常日頃考えてることだって、毎日書いてりゃ、だんだん、尽きてくるのは当然であって、つまり、今、そういった状態なのである。

ということは、自ら、行動してネタを発生させればいいんやけど、そろそろ、活字の世界に戻ろうとしている僕は、ますます行動しない生活に入ることを意味するわけだから、ネタも発生させようがないわなあ。。。

といったわけで、この日記に一抹の不安を感じながらも、日記をやめるつもりは毛頭ないのであって、なんとならばこれは僕の日記、駄文であっても、それは僕の1日の記録であって、将来、振り返った時に、なんと無為な毎日を送っていたことかと後悔に涙しながらそのバカさかげんにほくそえんだりすることができるという代物に変貌するやも知れない貴重な資料となるかもしれないなんてな、くどい。

んでもって、ほんと今日は、久しぶりに長時間のチャットをしてしまったのであって、いやあ、楽しかっただのじがっだだほい。

そうだ、これからは、勉強記録なんて書くのもいいかも、いっひっひ。
{{{{(+_+)}}}} 寒ううぅ〜くなってきたね。

今の時期が一番寒いんじゃないかなあ。そんな寒さの所為なのかしらん?昼間に胸のあたりが苦しくなって心臓がちくちくし出して、おおこれは心臓発作の前触れか?とかはたまた心臓の周りの筋肉がつったのかなんてけらけら今じゃあ笑って話せるけどもそんときはマジに洒落にならんくてグエグエキエーと奇声を張り上げたりなんかしててやばかった。もともと僕は背骨がうまれつき曲がってて爆弾を抱えてるだけに上半身は何かしらの不安があるんだよね。
ということで、最近の寒さの所為で、自室にこもる気にもならずに居間でテレビ見たりパソコンを弄くったりの最近の僕の体たらくに母上もさすがに切れ気味でやんわりながら濃くのある軽口をジャブのごとく放ってくるので、さすがにその圧力に抗しきれなくなってきて、居間の隣の座敷にコタツを設えて日本史の教科書なんかをカツカツ読んだりなんかしてみたんだけど、いやあ、歴史って難しい桑原桑原君はバラバラってきゅうけーいなんてすぐにパソコンをつけたところ、ネットにつながらなくて、おろろ?最近これよくあるねってうちはケーブルなんでめったにネットが詰まるなんてことはないから、どうやらこれは、接続に問題があるようだってなんどかケーブルをぬいたりさしたりしてみたらつながったんでひとまずまあいっか。でもさすがにこのパソコンも限界かもしれんなあ、新しいのが欲しいばい。よっしゃ、とっとと就職してかおうっと!
そんならあんたしっかり勉強しんさいな。はいはい、じゃあ、そろそろ活字の毎日に戻ろうかしらね〜。

ああ、寒さが過ぎれば今度は花粉症が待っている。。。
DVD SME・ビジュアルワークス 2001/12/19 ¥5,600
『御伽草紙』に題材を得て、陰陽師・安倍晴明も登場する魑魅魍魎の妖しい平安時代を背景に、男のなりをして戦う少女をダイナミックに描く完全オリジナルストーリー。キャラクターデザインは『魍魎戦記 摩蛇羅』の田島昭宇が担当。
スタジオIGが全篇デジタルで作ったという不思議な映像のアニメであって、なんかいまいちストーリーがよく飲みこめんかって、まあまあ。
そして短い。そしてアンハッピーエンド。

そしてこれにて風邪の間に観たジャパニメは終了。 
DVD バンダイビジュアル 2002/09/25 ¥7,800
ゆうきまさみ、出渕裕、伊藤和典、高田明美、押井守によるクリエイター集団ヘッドギアの原作・企画により誕生したシリーズの劇場版第3作。2002年に番外編「ミニパト」と同時上映された。
今回はゆうきまさみによるマンガ版のエピソード「廃棄物13号」を原案に、メカデザインの出渕裕がスーパーバイザー、「ガンダム0080」の実力派・高山文彦が総監督にあたり、ゆうきの師匠にあたる鬼才マンガ家とり・みきが脚本を執筆。第2作から時間をさかのぼり、レギュラーの特車二課が活躍していた時代(近未来であると同時にすでに近過去)をあくまでも背景にし、近年の「ゴジラ」や「ガメラ」シリーズとも異質な、人の情念によって左右する独自の“怪獣映画”に仕上がっている。
前2作の押井のを基準にすると、やや味気ない感は否めない。
その世界観は前作を世襲してはいるものの、存分に生かしきれてはいない。そかはやはり、押井守という監督の力量をみとめざるを得ないわけであって、その後を引き継いだ監督は気の毒というほかない。だって、普通にみたら結構立派な作品だと思うよこれも。
ただ、押井なら、ここに、ストーリーとは関係ないけどストーリーをより深くする、思想性みたいなもんをつめ込んでくるだろう、そして、おそらく恋愛感情というものは極力排除し、モンスターなんてもんも出さないだろうなあ。ってそれじゃ、このストーリーそのものが全然違ってきちゃうね、あはは。
やっぱり、パトレイバーは、?が一番好きですねえ、詩的で。 
DVD バンダイビジュアル 2003/02/25 ¥4,800
30年前に、表舞台から姿を消した伝説の大女優・藤原千代子。インタビューに答えて、自らの生い立ち、そして秘められた恋を話しはじめた彼女だが、その実体験と、出演した映画のシーンがいつしか混ざり合う…。
『PERFECT BLUE』で気を吐いた今敏監督の、劇場用長編第2作。『PERFECT〜』は現実と妄想が交錯するサイコスリラーだったが、同様の枠組みをよりポジティブ、かつ、切ない方向に昇華させたのが本作だと言える。
戦前、戦後を通じて活躍した女優の一代記に、時代劇や怪獣映画、SF映画などのシーンが目まぐるしく絡み、時空を越えた恋物語に、観客もいやおうなしに巻き込まれる。そのここちよい酩酊感! 90分という上映時間が終わっても、もう少しその中にいたかったと思えるほどだ。
何よりノスタルジアをかきたてられる時代考証が見事。平沢進(元P-MODEL)による音楽も印象的にシーンを盛り上げる。スピルバーグ率いるアメリカのメジャー配給会社「ドリームワークス」が世界配給を決定したのも納得の傑作だ。
前作とは打って変わって、笑いとノスタルジーの交差するドラマ。映画好きであればあるほどこの作品に好感を持つんじゃないだろうか。いろんな作品のオマージュと思しきシーンがアニメならではの表現によってにやりとさせつつも、監督自身の個性もまた強烈にかもし出すことに成功している。少々わかりにくいところや、急展開と思われるところもなきにしもあらずだが、総合的にはやはりかなりな良作とみてよいと思う。最後のせりふが賛否わかれるところじゃけど、僕はさして違和感なかったよ。だって彼女は女優だもん。自分の人生もドラマにしちゃうのさ。
DVD パイオニアLDC 2003/12/21 ¥3,800
アイドルグループの一員だった霧越未麻は、グループを脱退して女優への道を選ぶが、未麻にアイドルのままでいて欲しいと願うマニアックなファンの影が彼女を脅かす。ある日未麻は、「アイドルの未麻」が日記を書いているホームページを発見。そこには、彼女しか知らないはずの事実が書かれていた。それを見たときから、彼女は「アイドルの未麻」が実体化して自分をあざ笑う幻覚に悩まされるようになる…。
扇情的なシーンを多層的にコラージュし、一筋縄では終わらないサイコスリラーに仕上げたのは、『老人Z』『MEMORIES』などに参加後、本作で監督デビューを果たした今敏(こん・さとし)。何気ない場面すら当たり前の方法では見せないその「語り口」に、物語が始まって間もなく観客は幻惑されはじめる。爆弾事件、レイプ、連続殺人、度重なる悪夢からの目覚め…これは現実なのか、主人公が演じているドラマの中の話なのか、それとも主人公の妄想なのか。その境がどんどん曖昧になっていき、それ自体が、次々展開する陰惨なシーン以上に「不安定な恐怖感」をもたらす。
決して「夢オチ」などにはせず、サスペンスとしてきっちり落とし前をつけるラストも見事。狂信的ファンの行動や執拗な陵辱シーンなど、描写が「リアルすぎてエグい」あたりに抵抗を感じる向きもあるかもしれないが、食わず嫌いは絶対にもったいない傑作である。
昨日の続きで、風邪の間に観たジャパニメ。
ここのところ、注目されてきてる今敏監督の第1作。実は、サイコものってあんまり好むところではないので、その存在は知っていたものの、なかなか観る気にならなかった本作。まあ、風邪でも引かなかったならもっと観るのが遅くなっていただろなあ。
しかし、観らずに評価なんてするもんじゃないなあって改めて思ったね。見事にだまされてしまった〜って、僕が単純なだけなのかもしれないけど、結構よかった。しかも、主人公が大分弁を話してたってのがポイントアップ。途中から、なにが現実でなにが夢なのかがわからず混乱してくる。ってのは、まさに監督の術中にはまってるんだろうね。中盤からは、僕も物語りに入りこんでしまったような感覚で、じっと画面を凝視しておった。今監督は、宮崎、大友、押井につづく、世界的な監督になるかもしれないなあ、って期待しときましょ。 
DVD バンダイビジュアル 2002/01/25 ¥3,800
宮沢賢治の自叙伝的ストーリーをデジタル技術を駆使した美しい映像で描いたファンタジーロマンアニメ。『超時空要塞マクロス』や『地球少女アルジュナ』を手掛けた河森正治が、監督および脚本を担当している。宮沢賢治生誕100周年を記念した作品。
僕は、宮沢賢治がだいすきなのであって、でも、作品は読んでないって虚けものなんやけどね。それはやっぱり小さい頃から、見てる『銀河鉄道の夜』のアニメを何度となく見てるからとか、知ってるつもりをみたからとか、そういったことなんだけどね。
僕は賢治という人の人間性がだいすきなのやよ。だから、たとえこの作品が作品的にはいまいちだったとか、ネコにする必要はなかったかもとか、まあ銀河鉄道の夜を世襲したんだろうけども。。そんな不満があっても、賢治だからいいの(笑)
「お前は、理想の雲の上を歩いてるようだ」
そう言われても、そのことがわかっていても、その雲から降りることをしなかった。
なぜなら賢治はひとりの、歯軋り行き来する修羅なのだから。
DVD SME・ビジュアルワークス 2001/04/25 ¥4,800
『老人Z』の北久保弘之が監督を務めたホラー・アニメ。日本刀を武器に吸血鬼と闘う少女‘小夜’の姿を描く。主人公の声を国際的に活躍する女優・工藤夕貴が初挑戦。
んで、風邪のあいだに見た映画。まずはこれね〜。
以前、キネマ旬報を購読しとったときに、結構、アニメにしては高評価されておった、この作品。ちょうど、押井守つながりの『人狼』と同時期くらいに公開されたやつじゃなかったっけ?
でまあ、押井守の門下生が作った作品だけに、やっぱり、なんか、世紀末的な、沈うつな、かつしっとりとした作品に仕上がっていた。
題材がホラーだから、そういった雰囲気には打ってつけだよね。大変短い作品だけど、僕は押井守好きだから、面白かった〜。バンパイア(鬼?)が、ちゃちくならずに、違和感なくりあるだったのはやっぱりデジタルのおかげなんかな?
話によると、タランティーノの『キルビル』に影響を与えているらしいね〜これ。
こんなタッチで、次は長篇を観てみたいのう。 

鬼と共に去りぬ

2004年2月4日
風邪引いてるあいだに、実家で撮り溜めてみていなかった映画の中から、ジャパニメーションをチョイスしてひたすら鑑賞に当てた。
なぜなら、本を読もうにも、頭が痛いわ、腹はパンパンだわで、辛うじて出きることといったら、なにかを( ̄。 ̄)ボーォォっと見とく以外になかったもんで、おお、それならば、前から観よう観ようと思っておった映画でも、と実家を物色しておったところ、ジャパ二メが何本かぽろぽろと発見されたので、よし、この風邪の期間はアニメ週間にしよう!と思い立ち、観た。

ちなみに、風邪は節分で鬼と共に去ったようなり。ヽ(^−^)ノ 万歳!

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