君がどのような中傷を受けようと、それは君という人間の価値をいかばかりも下げるものではない。
君は、中傷される以前の君となにも変わっていないではないか。
君が誰かに裏切られたとしても、誰かにだまされたとしても、それは君自身の価値をいかほども減じない。
悲しむのは自分である、怒るのも自分である。君がそれゆえ苦しむのであれば、それは自分が自分の価値を貶めているからだ。
外物に惑わされるな、他人に勝とうが、負けようが、君は君のままだ。そのことで、君の価値は上がりも下がりもしない。
君は、すべての人間と同様に尊くそして、その尊さは絶対的なもので誰とも比べられはしない。
人の本性を太陽だとするならば、社会の種種の外物は雲である。
たとえ雲が空を覆ったとしても、雲は陽光を隠すことはできても、その光りを消すこともできなければ、減ずることもできぬ。雲の上には常にその変わらぬ明るさを放つ太陽が存在している。
社会のどのような外物が、君のことを、ある一定の枠に規定しようとも、君の本性、君の人間としての尊厳を、誰も奪うことはできない。
唯一、君の心の光りを消し去れるのは、君しかいない。君の怒りが、悲しみが、執着が、君の本性を蝕む。
外物に縛られるな。外の諸事にばかりを気にかけ、最も大切な自身の本性を、その尊厳を蔑ろにするな。
外の諸事の為に、自らの命を絶つな。
自分も1人の、自分に相対する友である。それも、君のことを最も知っている友である。
君が君自身を見捨てれば、他の誰が君を賞賛しても、君自身の虚しさは消え去らないだろう。
逆に君が最後まで君を見放さなければ、外で何が起きようとも、君は自尊心を失うことはない。その尊厳は失われない。
自分を見捨てるな。自分を蔑むな。
君の価値は、君という個性は、君がこの世に存在する限り、変わらず尊い。
無駄な怒りで、悲しみで、その本性を傷つけるな。君を傷つけられるのは君しかいない。君がつまらぬ外事に、怒り、悲しまなければ、君自身の本性はなにも失わないのだから。君の価値は変わらないのだから。
ならば、いったいどうして自己の存在を恥じることがあろうか。
君は1人の、立派な人間である。
君は、中傷される以前の君となにも変わっていないではないか。
君が誰かに裏切られたとしても、誰かにだまされたとしても、それは君自身の価値をいかほども減じない。
悲しむのは自分である、怒るのも自分である。君がそれゆえ苦しむのであれば、それは自分が自分の価値を貶めているからだ。
外物に惑わされるな、他人に勝とうが、負けようが、君は君のままだ。そのことで、君の価値は上がりも下がりもしない。
君は、すべての人間と同様に尊くそして、その尊さは絶対的なもので誰とも比べられはしない。
人の本性を太陽だとするならば、社会の種種の外物は雲である。
たとえ雲が空を覆ったとしても、雲は陽光を隠すことはできても、その光りを消すこともできなければ、減ずることもできぬ。雲の上には常にその変わらぬ明るさを放つ太陽が存在している。
社会のどのような外物が、君のことを、ある一定の枠に規定しようとも、君の本性、君の人間としての尊厳を、誰も奪うことはできない。
唯一、君の心の光りを消し去れるのは、君しかいない。君の怒りが、悲しみが、執着が、君の本性を蝕む。
外物に縛られるな。外の諸事にばかりを気にかけ、最も大切な自身の本性を、その尊厳を蔑ろにするな。
外の諸事の為に、自らの命を絶つな。
自分も1人の、自分に相対する友である。それも、君のことを最も知っている友である。
君が君自身を見捨てれば、他の誰が君を賞賛しても、君自身の虚しさは消え去らないだろう。
逆に君が最後まで君を見放さなければ、外で何が起きようとも、君は自尊心を失うことはない。その尊厳は失われない。
自分を見捨てるな。自分を蔑むな。
君の価値は、君という個性は、君がこの世に存在する限り、変わらず尊い。
無駄な怒りで、悲しみで、その本性を傷つけるな。君を傷つけられるのは君しかいない。君がつまらぬ外事に、怒り、悲しまなければ、君自身の本性はなにも失わないのだから。君の価値は変わらないのだから。
ならば、いったいどうして自己の存在を恥じることがあろうか。
君は1人の、立派な人間である。
北海道は一面の雪化粧か〜
2003年12月8日大分でも、ついに冬らしい寒さになってきたなあ。
肩に積もるフケは、一面のフケ化粧って言わないのかな?ブラピは極度のフケ性らしいねえ。
それにしても、ピタゴラスイッチって不思議な魅力を持った番組だよねえ。なかでも、いつもここから、が、やってる、アレゴリズム体操って、僕はまさに21世紀のラジオ体操になり得る素晴らしいもんだと思ってるよ。グールグルッグールグルッグールグル♪
明日あたりからまた図書館に通いたいなあ。そろそろ、マジで気合入れて公務員の勉強再開しないとなあ。ああ、また数的推理やの経済原論やのやるんかいなあ。うんざり。。。
いやあ、今、英語でしゃべらナイトを見てたんだけど、迂闊にも感動しちゃったよう。サムライかあ、僕、新渡戸稲造の『武士道』持ってるんだよね。これに『葉隠れ』と『五輪の書』あわせて読めば武士道の真髄がわかるかしらん?でも、なんでバックミュージックがジョン・レノンだったのであろうか。。。
そろそろ、京都の予定を立てとくかなあ。
肩に積もるフケは、一面のフケ化粧って言わないのかな?ブラピは極度のフケ性らしいねえ。
それにしても、ピタゴラスイッチって不思議な魅力を持った番組だよねえ。なかでも、いつもここから、が、やってる、アレゴリズム体操って、僕はまさに21世紀のラジオ体操になり得る素晴らしいもんだと思ってるよ。グールグルッグールグルッグールグル♪
明日あたりからまた図書館に通いたいなあ。そろそろ、マジで気合入れて公務員の勉強再開しないとなあ。ああ、また数的推理やの経済原論やのやるんかいなあ。うんざり。。。
いやあ、今、英語でしゃべらナイトを見てたんだけど、迂闊にも感動しちゃったよう。サムライかあ、僕、新渡戸稲造の『武士道』持ってるんだよね。これに『葉隠れ』と『五輪の書』あわせて読めば武士道の真髄がわかるかしらん?でも、なんでバックミュージックがジョン・レノンだったのであろうか。。。
そろそろ、京都の予定を立てとくかなあ。
苦痛は、快楽である。
2003年12月7日 僕の思ったことドストエフスキー現象ってよくいうけど、具体的にどういう現象のことをいうんだろうね。
僕は大学に入るまでほとんど本なんて読まない人間だったんだけど、大学3年の頃に、村上春樹を全部読んでみようって思い立ったんだ。朝から晩まで読みつづけ、約1ヵ月半でだいたい読み終えてしまった。
でも、これで調子にのっちゃったんだね。僕が、次に選んだのはなんと、ドストエフスキー。もちろん村上春樹と一緒だとは思わなかったけれど。その頃の僕は、へんに文学に対する熱を帯びてて、また、ドストという壁を超えれば、今後どんな書物に相対しても、動じることはないだろうなんて思ってた。今となっては若気の至り。完全になめてたよね。
たいした量も読んでなかったのに、村上春樹を制覇したってだけで、あたかも文学をわかったような顔をしてた。
多くの人が歩むであろうさまざまな読書を経てドストエフスキーに至るという行程を経ずして、僕は手を出してしまったわけなのだ。しかも、愚かなことに、僕は経済学部なのに、文学への憧れに突き動かされ、卒論にドストを選んでしまったのである。ああ、なんたるちゃ。
卒論の資料に使った金額8万円。東京まで出向いて神保町で購入した。なんたるちゃ、もう後には引けなかったわけなのじゃ。
さてさて、読み始めて1週間、僕は、大変な勘違いをしていたことを大悟する。まず、行間が狭い。読めない漢字が多すぎる。ロシアの人名が複雑過ぎる。そして、なによりも、そのドストエフスキーの独特の文体、その、統一感のなさ。はい、僕はバカでした。
脳裏に、留年、の2文字がよぎる。今や、目の前に立ちはだかる卒論の研究課題は、富士山ではなく、エベレストへとその高みを増しているのである。それに比すれば、僕など、一介の登山愛好家にすぎぬのだ。
その頃の僕はまだ、電子辞書なる最強の助っ人を擁してなく、その、単語を調べなければ先へ勧めないという強迫に、パソコンの辞書で立ち向かっていくしかなかった。というのも、一語一語、調べたら、その内容をコピー、ペーストし、印刷していたから。
当然これは、読み勧めるのに村上春樹の5倍といわぬ時間を要するであろうことは想像に難くなかった。
僕は併読していた、北杜夫『楡家の人々』を放棄して、ドストにかかりっきりにならざるを得なかったのである。
しかししかし、しかーし、行く手をさえぎる悪魔は至るところから数々の困難をこしらえてくる。ただでさえ、強迫で忙しい僕に、アトピーという災厄が降りかかってきたのだ。しかも顔に!!
正直、これは辛かった、死ぬかと思ったよ。まあ、日ごろの不摂生の賜物なのだけど。痒いのって、痛いのより辛い。ということを、この経験で僕ははっきり確信した。
唯一自慢だった眉毛は抜け落ちて麻呂みたいになり、今も完全にはもどってないし、しくしく。まぶたも腫れて、本を読むどころではなくなり1日中寝て、起きたらシャワーを浴びるという生活。よく耐えられたと思う。以後、僕は健康マニアへと転向するのじゃけどね。
夏は、これで終わった。アトピーは治らなかったが、夏が過ぎ、痒みがすこうし軽減したところで、また少しずつ、僕はドストを読み進めていった。
全部は読めなかった。しかし、岩波、新潮で出ている彼の小説は読破できた。卒論提出の2週間前である。
僕には、もう、検証も、自分なりの論点を考える気力もなければ、時間も残っていなかった。卒論は、ほとんどすべてが他の本の抜粋、受け売りになってしまった。埴谷雄高さん、小林秀雄さんその他の方々、本当に申し訳ございません。
僕にとってのドストエフスキー現象。それは、まさに、この七転八倒した卒論の体験を言うのかもしれないなあ。
なんて思いながらも、ドストエフスキーに、内面的な影響は受けなかったのかっていうと、きっとものすごく受けてるんだと思う。僕は、少なくとも、その後の僕の思考をより内省的な方向へと向かわしむる決定的な要因となったのは、ドストエフスキーを読んだ経験なのだと、今は思っている。あの時はよくわからなかったが、彼の小説には、心にいつまでも刻みついてとれない、独特、かつ強烈なパワーがある。これは、まだ僕がそれほど本を読んでいないから感じるのかもしれない。あるいは、この先彼を凌ぐほどの印象をもたらす小説に出会うかもしれないが、今の時点では、僕の心に言い知れぬ衝撃を与えたという意味では、彼を超える作家を僕は知らない。
思うにそれは、生々しさなんだと思う。彼の小説は、非常に切実である。彼の苦悩がその文体に投影されているように思う。読むものをたじろがせるほどの苦悩が。彼の文体の統一感のなさ、そのなかに彼の生活の生生しさを僕は感じた。生きるために書いた作家。生に対する混沌とした感情が、彼の文体そのものなのではないか。
僕は、この作家が好きなのだろうか?きっと好きなんだろう。ではどこがそんなに好きなのか?わからない。ずっと心の中で問いかけていた。そんな時、僕は黒澤明の言葉に出会う。
「僕らがやさしいといっても、例えば大変な悲惨なものを見たとき目をそむけるようなそうゆうやさしさですね。あの人はその場合目をそむけないで見ちゃう。一緒に苦しんじゃう。そういう点、人間じゃなくて神様みたいな素質を持ってると思うと僕は思うのです」
彼は、誠実である。自分に対しても、人間に対しても。癲癇を恐れ、ギャンブルに身を宿し、困窮し、愛されることを求める。そしてそれ以上に他人を愛そうとした。人間の明と暗、ドストエフスキーはそこに身を浸し苦悩しまた、楽しんだ。苦痛もまた、快楽なのだと。
人間、限界を予測し、無理をせぬのもまた真理。しかし、自分の限界をこしらえず、無鉄砲をすることで得られることがあるのもまた真理なのだ。卒論での僕の無鉄砲は、愚昧な1人の学生にドストエフスキーを投げ出さずに読ませるためには必要な所作であったのである。
残された未読の『作家の日記』。僕は恐れを抱きつつ、それを読む日を楽しみに、書架を眺める。
以下、僕のお勧めドスト本。
●『悪霊』・・・キーワードは、「ペトラシェフスキー事件」と「ネチャーエフ事件」。最も、衝撃を受けた作品。
●『白痴』・・・ストーリーとして、とても面白かった。ドストのヒューマニズムの結晶としてのムイシュキン。僕は肯定したい。
●『賭博者』・・・興奮しました。ドストの内面を覗いているよう。その葛藤はすさまじい。
●『虐げられた人々』・・・少女の、抑圧された心が解きほぐされていく過程が秀逸。
なお、僕の日記の題名は、『地下室の手記』が基になっているのであった。
僕は大学に入るまでほとんど本なんて読まない人間だったんだけど、大学3年の頃に、村上春樹を全部読んでみようって思い立ったんだ。朝から晩まで読みつづけ、約1ヵ月半でだいたい読み終えてしまった。
でも、これで調子にのっちゃったんだね。僕が、次に選んだのはなんと、ドストエフスキー。もちろん村上春樹と一緒だとは思わなかったけれど。その頃の僕は、へんに文学に対する熱を帯びてて、また、ドストという壁を超えれば、今後どんな書物に相対しても、動じることはないだろうなんて思ってた。今となっては若気の至り。完全になめてたよね。
たいした量も読んでなかったのに、村上春樹を制覇したってだけで、あたかも文学をわかったような顔をしてた。
多くの人が歩むであろうさまざまな読書を経てドストエフスキーに至るという行程を経ずして、僕は手を出してしまったわけなのだ。しかも、愚かなことに、僕は経済学部なのに、文学への憧れに突き動かされ、卒論にドストを選んでしまったのである。ああ、なんたるちゃ。
卒論の資料に使った金額8万円。東京まで出向いて神保町で購入した。なんたるちゃ、もう後には引けなかったわけなのじゃ。
さてさて、読み始めて1週間、僕は、大変な勘違いをしていたことを大悟する。まず、行間が狭い。読めない漢字が多すぎる。ロシアの人名が複雑過ぎる。そして、なによりも、そのドストエフスキーの独特の文体、その、統一感のなさ。はい、僕はバカでした。
脳裏に、留年、の2文字がよぎる。今や、目の前に立ちはだかる卒論の研究課題は、富士山ではなく、エベレストへとその高みを増しているのである。それに比すれば、僕など、一介の登山愛好家にすぎぬのだ。
その頃の僕はまだ、電子辞書なる最強の助っ人を擁してなく、その、単語を調べなければ先へ勧めないという強迫に、パソコンの辞書で立ち向かっていくしかなかった。というのも、一語一語、調べたら、その内容をコピー、ペーストし、印刷していたから。
当然これは、読み勧めるのに村上春樹の5倍といわぬ時間を要するであろうことは想像に難くなかった。
僕は併読していた、北杜夫『楡家の人々』を放棄して、ドストにかかりっきりにならざるを得なかったのである。
しかししかし、しかーし、行く手をさえぎる悪魔は至るところから数々の困難をこしらえてくる。ただでさえ、強迫で忙しい僕に、アトピーという災厄が降りかかってきたのだ。しかも顔に!!
正直、これは辛かった、死ぬかと思ったよ。まあ、日ごろの不摂生の賜物なのだけど。痒いのって、痛いのより辛い。ということを、この経験で僕ははっきり確信した。
唯一自慢だった眉毛は抜け落ちて麻呂みたいになり、今も完全にはもどってないし、しくしく。まぶたも腫れて、本を読むどころではなくなり1日中寝て、起きたらシャワーを浴びるという生活。よく耐えられたと思う。以後、僕は健康マニアへと転向するのじゃけどね。
夏は、これで終わった。アトピーは治らなかったが、夏が過ぎ、痒みがすこうし軽減したところで、また少しずつ、僕はドストを読み進めていった。
全部は読めなかった。しかし、岩波、新潮で出ている彼の小説は読破できた。卒論提出の2週間前である。
僕には、もう、検証も、自分なりの論点を考える気力もなければ、時間も残っていなかった。卒論は、ほとんどすべてが他の本の抜粋、受け売りになってしまった。埴谷雄高さん、小林秀雄さんその他の方々、本当に申し訳ございません。
僕にとってのドストエフスキー現象。それは、まさに、この七転八倒した卒論の体験を言うのかもしれないなあ。
なんて思いながらも、ドストエフスキーに、内面的な影響は受けなかったのかっていうと、きっとものすごく受けてるんだと思う。僕は、少なくとも、その後の僕の思考をより内省的な方向へと向かわしむる決定的な要因となったのは、ドストエフスキーを読んだ経験なのだと、今は思っている。あの時はよくわからなかったが、彼の小説には、心にいつまでも刻みついてとれない、独特、かつ強烈なパワーがある。これは、まだ僕がそれほど本を読んでいないから感じるのかもしれない。あるいは、この先彼を凌ぐほどの印象をもたらす小説に出会うかもしれないが、今の時点では、僕の心に言い知れぬ衝撃を与えたという意味では、彼を超える作家を僕は知らない。
思うにそれは、生々しさなんだと思う。彼の小説は、非常に切実である。彼の苦悩がその文体に投影されているように思う。読むものをたじろがせるほどの苦悩が。彼の文体の統一感のなさ、そのなかに彼の生活の生生しさを僕は感じた。生きるために書いた作家。生に対する混沌とした感情が、彼の文体そのものなのではないか。
僕は、この作家が好きなのだろうか?きっと好きなんだろう。ではどこがそんなに好きなのか?わからない。ずっと心の中で問いかけていた。そんな時、僕は黒澤明の言葉に出会う。
「僕らがやさしいといっても、例えば大変な悲惨なものを見たとき目をそむけるようなそうゆうやさしさですね。あの人はその場合目をそむけないで見ちゃう。一緒に苦しんじゃう。そういう点、人間じゃなくて神様みたいな素質を持ってると思うと僕は思うのです」
彼は、誠実である。自分に対しても、人間に対しても。癲癇を恐れ、ギャンブルに身を宿し、困窮し、愛されることを求める。そしてそれ以上に他人を愛そうとした。人間の明と暗、ドストエフスキーはそこに身を浸し苦悩しまた、楽しんだ。苦痛もまた、快楽なのだと。
人間、限界を予測し、無理をせぬのもまた真理。しかし、自分の限界をこしらえず、無鉄砲をすることで得られることがあるのもまた真理なのだ。卒論での僕の無鉄砲は、愚昧な1人の学生にドストエフスキーを投げ出さずに読ませるためには必要な所作であったのである。
残された未読の『作家の日記』。僕は恐れを抱きつつ、それを読む日を楽しみに、書架を眺める。
以下、僕のお勧めドスト本。
●『悪霊』・・・キーワードは、「ペトラシェフスキー事件」と「ネチャーエフ事件」。最も、衝撃を受けた作品。
●『白痴』・・・ストーリーとして、とても面白かった。ドストのヒューマニズムの結晶としてのムイシュキン。僕は肯定したい。
●『賭博者』・・・興奮しました。ドストの内面を覗いているよう。その葛藤はすさまじい。
●『虐げられた人々』・・・少女の、抑圧された心が解きほぐされていく過程が秀逸。
なお、僕の日記の題名は、『地下室の手記』が基になっているのであった。
過ぎ去りし、安かろう悪かろう。 その他諸々。
2003年12月6日僕はよくいえば、物持ちが良い。悪く言えば、流行に疎いってことになるのかしら?
全部に当てはまるって訳じゃないけど、殊、服に関してはその傾向が強い。
しかし、さすがの我でも、そこここに綻びが目立つようになれば、服の購入を、考えざるを得なくなる。
大学1年からサイクルで着てきた、3,4着の冬服も、さすがに、そろそろ買い換えなければと思いたって、服買う金があるなら本を買うといった私も、今度のオフ会にあわせて、以後何年かぶんの冬服を仕入れようことを決意した所存な次第でござい。くどい。
さて、用意した金額は2万。これ以上は、びた1000円位しかオーバーは許されない。日本語の使い方がおかしい。まあ、いつものこと、意図的と言っておけばほんとに間違えた時のカモフラージュになるへそ。
幼馴染に頼む、過去3回くらいしか行ったことのないユニクロなる場所へ朕を接待せよ。
朋友、うんざりしつつも快く快諾。快く、は不用。もしくは、快く諾。これも変?そもそも、うんざりと快くは、結びつき得るのか?などなど謎が謎を呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃんバラや。
しかしこれには裏があった!いや、裏と見せかけて今日の表、来週、盟友の彼女の誕生日。プレゼント買うんだとな。ぶふー。我輩の方が裏でやんした。
ほんで、まず向かったのが、蹴道のワールドカップ大分会場、大瞳ならぬビックアイ。の周辺にあるパークプレイスやらなんとやら。
パークプレイスってなんじゃラほい?そうねえ、福岡のキャナルシチーをプチ、否、プチプチにしたのを右脳で映像化してくれた感じだと思うなあ。
でも、大分のなかでは、結構なでかさなんやねえ。にゃはは。
と、ここで、同輩が、「お前、ここでできれば買ってすませてくれ」とか何とか言うもんで、しょうがねえなあって一番安そうな店探して、ジャンバー(って今も言うの?)の値札を拝見。はい1万4000円。2着でわっちの買い物終わって過去何年間分の冬服補完計画も絵に描いた餅と帰すのは困るのでそく却下。
やっぱわりいけど、オラの活路はユニクロしかないようだべよ、オラオラ。なんてマイフレンドに高飛車に懇願。お礼はいずれ、精神的に。
ということで、ここでは、ダチのダーリンのプレゼント選びを見学。
僕は、服以上に宝石のことなんてわかんない。眼前で宇宙語が飛び交う。今はクロスが流行りなのか?シルバーゴールド?ホワイトゴールド?ゴールデンレトリバー?
結局、ここでは友人も決着がつかず、次なるは、来ましたユニクロ。
何年ぶりだろう、いやはや、おそらく高校3年以来いってないと推測され候。ゲハッハ。ゲロッパ。安い!ヤスヤスーうまうまー。服の知識がないあっしは、友達にコディーネートを頼んでもいないのに、彼奴はキタム改造計画などとぬかしながら嬉々としていやがる。
あれやこれやと選んで、きっかり、こっきり、に限りなく近い約2万1000円なり。
沢山かっちゃったー。きゃきゃきゃ♪安かろう悪かろうは今は昔。やっと出せた今日の日記の題。今は、安かろう良かろう、なんて語呂悪し。な時代になったなあってみんなよりかなり遅れ馳せながら実感。
わしゃあ、満腹じゃあ。
あとは我が友の買い物を完遂せんければ。大分で、お街、と呼ばれておる開けた場所へ向かう。
パルコなるデパートにいき、幼友達、案内がかりに聞いている
「4℃って店、何階ですか?」
案内嬢平然と応える
「はい、3℃は2階です」
ゲラゲラゲラ、幼馴染(戻る)よ、お主なかなかやるじゃないか。久しぶりにぼっくんのお腹笑わしよんで。
朋友が1℃上に見ていたジュエリー店は、奴の懐より一段高価な品物しか置いてなく、1階の手ごろな宝石店でネックレス購入。2万2000円なり。
そういえば、飲み会どうするよ?以前から飲もう飲もうと言いながらもう年が変わろうとしている。
ここで僕(戻る)は以前、盟友が言っていた飲み会に連れてくるスペシャルゲストの事を聞いてみる。
ほほう、その人は、中学、そして我は高校も一緒だったといっても中学の頃一度しか一緒のクラスなってないけど、懐かしきSさん(女性)であった。
彼女は朕等二人のことを覚えているようじゃって、同輩と偶然あって、こういった運びになったそうな。
でも君、来週、彼女さんの誕生日でその後クリスマスでって、忘年会はもう無理っぽくないかい?
なんて二人して同意。よっしゃ、新年会に順延〜♪
ついに年を越してしまっただよ。ぎゃっぎゃっぎゃっ。
あひいあひい、もう脚が棒になっちゃった、もうご帰還。
マイフレンドよ今日はありがとう。何度もいうけど、このお礼は、いずれ、精神的に。
完
全部に当てはまるって訳じゃないけど、殊、服に関してはその傾向が強い。
しかし、さすがの我でも、そこここに綻びが目立つようになれば、服の購入を、考えざるを得なくなる。
大学1年からサイクルで着てきた、3,4着の冬服も、さすがに、そろそろ買い換えなければと思いたって、服買う金があるなら本を買うといった私も、今度のオフ会にあわせて、以後何年かぶんの冬服を仕入れようことを決意した所存な次第でござい。くどい。
さて、用意した金額は2万。これ以上は、びた1000円位しかオーバーは許されない。日本語の使い方がおかしい。まあ、いつものこと、意図的と言っておけばほんとに間違えた時のカモフラージュになるへそ。
幼馴染に頼む、過去3回くらいしか行ったことのないユニクロなる場所へ朕を接待せよ。
朋友、うんざりしつつも快く快諾。快く、は不用。もしくは、快く諾。これも変?そもそも、うんざりと快くは、結びつき得るのか?などなど謎が謎を呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃんバラや。
しかしこれには裏があった!いや、裏と見せかけて今日の表、来週、盟友の彼女の誕生日。プレゼント買うんだとな。ぶふー。我輩の方が裏でやんした。
ほんで、まず向かったのが、蹴道のワールドカップ大分会場、大瞳ならぬビックアイ。の周辺にあるパークプレイスやらなんとやら。
パークプレイスってなんじゃラほい?そうねえ、福岡のキャナルシチーをプチ、否、プチプチにしたのを右脳で映像化してくれた感じだと思うなあ。
でも、大分のなかでは、結構なでかさなんやねえ。にゃはは。
と、ここで、同輩が、「お前、ここでできれば買ってすませてくれ」とか何とか言うもんで、しょうがねえなあって一番安そうな店探して、ジャンバー(って今も言うの?)の値札を拝見。はい1万4000円。2着でわっちの買い物終わって過去何年間分の冬服補完計画も絵に描いた餅と帰すのは困るのでそく却下。
やっぱわりいけど、オラの活路はユニクロしかないようだべよ、オラオラ。なんてマイフレンドに高飛車に懇願。お礼はいずれ、精神的に。
ということで、ここでは、ダチのダーリンのプレゼント選びを見学。
僕は、服以上に宝石のことなんてわかんない。眼前で宇宙語が飛び交う。今はクロスが流行りなのか?シルバーゴールド?ホワイトゴールド?ゴールデンレトリバー?
結局、ここでは友人も決着がつかず、次なるは、来ましたユニクロ。
何年ぶりだろう、いやはや、おそらく高校3年以来いってないと推測され候。ゲハッハ。ゲロッパ。安い!ヤスヤスーうまうまー。服の知識がないあっしは、友達にコディーネートを頼んでもいないのに、彼奴はキタム改造計画などとぬかしながら嬉々としていやがる。
あれやこれやと選んで、きっかり、こっきり、に限りなく近い約2万1000円なり。
沢山かっちゃったー。きゃきゃきゃ♪安かろう悪かろうは今は昔。やっと出せた今日の日記の題。今は、安かろう良かろう、なんて語呂悪し。な時代になったなあってみんなよりかなり遅れ馳せながら実感。
わしゃあ、満腹じゃあ。
あとは我が友の買い物を完遂せんければ。大分で、お街、と呼ばれておる開けた場所へ向かう。
パルコなるデパートにいき、幼友達、案内がかりに聞いている
「4℃って店、何階ですか?」
案内嬢平然と応える
「はい、3℃は2階です」
ゲラゲラゲラ、幼馴染(戻る)よ、お主なかなかやるじゃないか。久しぶりにぼっくんのお腹笑わしよんで。
朋友が1℃上に見ていたジュエリー店は、奴の懐より一段高価な品物しか置いてなく、1階の手ごろな宝石店でネックレス購入。2万2000円なり。
そういえば、飲み会どうするよ?以前から飲もう飲もうと言いながらもう年が変わろうとしている。
ここで僕(戻る)は以前、盟友が言っていた飲み会に連れてくるスペシャルゲストの事を聞いてみる。
ほほう、その人は、中学、そして我は高校も一緒だったといっても中学の頃一度しか一緒のクラスなってないけど、懐かしきSさん(女性)であった。
彼女は朕等二人のことを覚えているようじゃって、同輩と偶然あって、こういった運びになったそうな。
でも君、来週、彼女さんの誕生日でその後クリスマスでって、忘年会はもう無理っぽくないかい?
なんて二人して同意。よっしゃ、新年会に順延〜♪
ついに年を越してしまっただよ。ぎゃっぎゃっぎゃっ。
あひいあひい、もう脚が棒になっちゃった、もうご帰還。
マイフレンドよ今日はありがとう。何度もいうけど、このお礼は、いずれ、精神的に。
完
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いやいやいえん
2003年12月5日って絵本があるだに。
今日は1日寝てましたぷー。
書こうとおもっとったネタはあるけど、チャットとして、久しぶりにメッセでおしゃべり楽しんでたら、あっというまに次の日の午前5時40分となりもうした。
つまりすでに日がかわっておるのじゃ。だから、今日は2日分かかんばんば。
ちなみにご飯も朝飯しか食べてなくって、でも、メッセしてたらお腹へってたのも忘れて、食事代浮いたなあ、うきゃきゃ。
明日(今日)はユニクロいくにだ〜。幼馴染がつれてってくれるんろ〜。さんキュ♪
せめて、5時間は寝たいにゃー。
そうそう、実は一冊本読み終わったけど、そのことは明日(今日)書くね。
ややこしいなあもう。
プー。
今日は1日寝てましたぷー。
書こうとおもっとったネタはあるけど、チャットとして、久しぶりにメッセでおしゃべり楽しんでたら、あっというまに次の日の午前5時40分となりもうした。
つまりすでに日がかわっておるのじゃ。だから、今日は2日分かかんばんば。
ちなみにご飯も朝飯しか食べてなくって、でも、メッセしてたらお腹へってたのも忘れて、食事代浮いたなあ、うきゃきゃ。
明日(今日)はユニクロいくにだ〜。幼馴染がつれてってくれるんろ〜。さんキュ♪
せめて、5時間は寝たいにゃー。
そうそう、実は一冊本読み終わったけど、そのことは明日(今日)書くね。
ややこしいなあもう。
プー。
病み上がりには旅をさせろ
2003年12月4日んな無茶な!
でも、フラフラが落ち着いたので久しぶりにちゃりんこに乗って街に繰り出してきた。
いやあ、約2週間ぶりのちゃりんこは、発見があったねえ〜。
まず、こいだだけで足がつかれた、前代未聞、空前絶後、未曾有の筋肉の弱体ぶり!こいでるだけで、太ももに乳酸がたまるなんて。。。
なんだか新鮮やったい。
でも、街に出たって、何するの?やることないシー。本屋いこ、本屋。
おっと、ジョン・レノンの新しい本発見!でも中身をぱらぱら捲ってみるとこの著者、やたらとヨーコを悪く書いてるようなので、興ざめ。
公務員関係で、ってか、政治学関係で、マキャヴェリ『君主論』、ロックの『市民政府論』。
そして、まったく関係ないけど、デカンショのショ。そうです。ショーペンハウエル『読書について』以上3冊購入。
さあ、これから何しようかなあ、そうだ、電気屋に行こう。わあ、すごいなあ。うふふ、うふふ。
ホームシアター欲しいなあ。電気商品って見てるだけで楽しいよね。うふふ、うふふ。
さて帰ろう、あはははは。
ということで、万事順調に病も回復しておるようでし。
ほんとにあったことを述べてるだけの最近のこの日記。シンプルイズベスト。ではないだろうなあ。
もうネタがないんで、とりあえず発狂しよう。いひ、いひ、いひひひひひ。あきゃきゃきゃきゃ。・・・
でも、フラフラが落ち着いたので久しぶりにちゃりんこに乗って街に繰り出してきた。
いやあ、約2週間ぶりのちゃりんこは、発見があったねえ〜。
まず、こいだだけで足がつかれた、前代未聞、空前絶後、未曾有の筋肉の弱体ぶり!こいでるだけで、太ももに乳酸がたまるなんて。。。
なんだか新鮮やったい。
でも、街に出たって、何するの?やることないシー。本屋いこ、本屋。
おっと、ジョン・レノンの新しい本発見!でも中身をぱらぱら捲ってみるとこの著者、やたらとヨーコを悪く書いてるようなので、興ざめ。
公務員関係で、ってか、政治学関係で、マキャヴェリ『君主論』、ロックの『市民政府論』。
そして、まったく関係ないけど、デカンショのショ。そうです。ショーペンハウエル『読書について』以上3冊購入。
さあ、これから何しようかなあ、そうだ、電気屋に行こう。わあ、すごいなあ。うふふ、うふふ。
ホームシアター欲しいなあ。電気商品って見てるだけで楽しいよね。うふふ、うふふ。
さて帰ろう、あはははは。
ということで、万事順調に病も回復しておるようでし。
ほんとにあったことを述べてるだけの最近のこの日記。シンプルイズベスト。ではないだろうなあ。
もうネタがないんで、とりあえず発狂しよう。いひ、いひ、いひひひひひ。あきゃきゃきゃきゃ。・・・
ねえ、そろそろ扇風機なおそうよう。
2003年12月3日なんでまだ居間にでてるんだよ。
パソコンの横にある僕の18の頃の写真。なんでまだ飾ってあるんだよ?若若しいなあ。
デジタルテレビの双方向機能っていいよね最高だね。だって、例えばテニスの試合とかでも、自分の好きな角度でみれるんで〜!すごいってなあ。
ところで、今日の活動記録はねえ、
午前6時起床。1時間、読書。朝食。ネット。ラストサムライ渡辺謙助演男優賞なるか。
午前10時就寝。午後3時30分起床。
?食を食べる。
英語をしてみる。くらくらする。憲法してみる。さっぱり頭入らず。
やっぱりベッドにごろん。そんなこんなのうちに、兄、ペンキ塗りから帰宅。
風呂洗う。入る。
晩飯を作る。鍋の残りの出汁で、雑炊。のみ。
ちゃっと。
うれしいことがあった。よかったよかった。
という、なんとも淡白なものであった、でも、1日の最後にいいことがあったからいいやあ。
うむむ、ちょっと味気ないかな、今日の日記。
でも正直、毎日こんなもんなの。。。
パソコンの横にある僕の18の頃の写真。なんでまだ飾ってあるんだよ?若若しいなあ。
デジタルテレビの双方向機能っていいよね最高だね。だって、例えばテニスの試合とかでも、自分の好きな角度でみれるんで〜!すごいってなあ。
ところで、今日の活動記録はねえ、
午前6時起床。1時間、読書。朝食。ネット。ラストサムライ渡辺謙助演男優賞なるか。
午前10時就寝。午後3時30分起床。
?食を食べる。
英語をしてみる。くらくらする。憲法してみる。さっぱり頭入らず。
やっぱりベッドにごろん。そんなこんなのうちに、兄、ペンキ塗りから帰宅。
風呂洗う。入る。
晩飯を作る。鍋の残りの出汁で、雑炊。のみ。
ちゃっと。
うれしいことがあった。よかったよかった。
という、なんとも淡白なものであった、でも、1日の最後にいいことがあったからいいやあ。
うむむ、ちょっと味気ないかな、今日の日記。
でも正直、毎日こんなもんなの。。。
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言い忘れていたんだけれど・・・
2003年12月2日三島由紀夫って、巨人の清原に似てるよね。
そんなこんなで、ようやく耳鳴りもほんとに収まったようでし。
今日はためしに椅子に座って公務員の勉強を再開してみる。長いこと座ってると、また耳鳴りが再発するかもといった恐怖があるが、再発はしなかった。でも、ずっと寝ている生活が続いたせいか、眠くて仕方がない。ベッドに横になりたい誘惑が強烈だああああ。まず、この体の習性から修正していかんと。ぷぷぷ。
明日は外を歩いてみようかなあ。本格的に歩くなんて行為を、この2,3週間出来てないから、普段意識していない、この歩くという営みでさえ、なにか新鮮に感じてしまうかもなあ。って、たかだか2,3週間で大げさか。。。
これで、無事に歩けるようであれば、ようやっとカウンセリングも再開できるのだ。
そうなれば、6日に友達にユニクロヘ連れてってもらう計画も決行へと移すことが出来るし、他の友達と約束してるカラオケにも行けるようになるし、公務員学校にも行けるようになるけど行くつもりないし。けらけら。
そしてなによりも〜、東京のオフ会は無理やったけど、京都でのオフ会には出れるんだなあ。きっと。ユニクロで服買うのも、その為だしねえ。
だって僕、服ないんだよねえ。特に冬服。もう大学1年の時に買ったのをずうっと着続けてるんだもの。まあ、それでも、引きこもってる分には全然問題ないのだけど、こういった、アンユージュアルなことがあるときには、多少は身なりに気をつけないとねえ。ダマダマのトレーナーを京都まで着てくのは、さすがの僕でもちょっと抵抗あるかも。
ああ、でも、フラフラが治ったお陰で、また勉強漬けの日々に戻る(戻れる?)のは、喜ばしくもげんなりするのであるよ。なんだかんだで寝てるのって楽だからねえ。ケッケッケ。
そんなこんなで、ようやく耳鳴りもほんとに収まったようでし。
今日はためしに椅子に座って公務員の勉強を再開してみる。長いこと座ってると、また耳鳴りが再発するかもといった恐怖があるが、再発はしなかった。でも、ずっと寝ている生活が続いたせいか、眠くて仕方がない。ベッドに横になりたい誘惑が強烈だああああ。まず、この体の習性から修正していかんと。ぷぷぷ。
明日は外を歩いてみようかなあ。本格的に歩くなんて行為を、この2,3週間出来てないから、普段意識していない、この歩くという営みでさえ、なにか新鮮に感じてしまうかもなあ。って、たかだか2,3週間で大げさか。。。
これで、無事に歩けるようであれば、ようやっとカウンセリングも再開できるのだ。
そうなれば、6日に友達にユニクロヘ連れてってもらう計画も決行へと移すことが出来るし、他の友達と約束してるカラオケにも行けるようになるし、公務員学校にも行けるようになるけど行くつもりないし。けらけら。
そしてなによりも〜、東京のオフ会は無理やったけど、京都でのオフ会には出れるんだなあ。きっと。ユニクロで服買うのも、その為だしねえ。
だって僕、服ないんだよねえ。特に冬服。もう大学1年の時に買ったのをずうっと着続けてるんだもの。まあ、それでも、引きこもってる分には全然問題ないのだけど、こういった、アンユージュアルなことがあるときには、多少は身なりに気をつけないとねえ。ダマダマのトレーナーを京都まで着てくのは、さすがの僕でもちょっと抵抗あるかも。
ああ、でも、フラフラが治ったお陰で、また勉強漬けの日々に戻る(戻れる?)のは、喜ばしくもげんなりするのであるよ。なんだかんだで寝てるのって楽だからねえ。ケッケッケ。
子供の名前にバカボンとつけるのはいかがなものか。
2003年12月1日 TVガキ大将がブタゴリラってのも威厳にかかわるでしょ。
昨日のNHKアーカイヴスをビデオに録画していたのを適当に鑑賞。
最後の無頼派、壇一雄。
坂口安吾の「親があっても子が育つ」
まったく、無頼派の理屈は、単に自分が好き勝手にしたいための屁理屈ちゃうんかえ!そりゃあ、気づけば孤独な状況にもなってしまうってどうりでしょうが。
っという反発を覚えつつもその生き様に惹かれている自分を発見。
破天荒な退廃の中に見出される、ある種の悲しみにまみれた美学。人の心を捉えて離さぬ、ねっとりとした、粘着質の魅力があるのは確かかも。
あくまで審美的にみるなら、デカダンスほどその中に、美を包含しているものはない。なんて言ったりなんかしちゃたりして。てへ。
まあ、否定しつつも、やっぱり憧れもあるのかな。
だって、僕はもらった給料その日のうちに散財しちゃうなんて出来ないから。
やっぱりそれは、一つの生き様として、無頼というものを徹底的に突き詰め美学にまで昇華しているといえるのかもしれないなあ。
川端康成のノーベル文学賞受賞記念インタビュー。
弟子の三島由紀夫が、僕の目当て。
ああ、動いとる動いとる。感涙。それにしても、井伏鱒二にしても川端康成にしても、なんでこうも口下手なんやろ?口下手な僕が言うのもなんやけど、あのインタビューの合間合間で訪れる無言の空白が、なあんとも耐えがたくむずがゆい。
三島のノーベル賞逃した悔しさがなんとなく垣間見れてる気がせんでもない。三島はそれにしても饒舌。現代型の文士ですなあ。もうこの頃からあの決行を決意してたんかなあ?いや、ノーベル賞逃した時点でなのかも。とか勝手に想像。
それにしても三島の自決2週間前(だっけ?)のインタビューテープ持ってるけど、今、聞くとそれはそれで興奮するよう。三島の言葉一つ一つに、ふかーい裏を感じてしまうよねえ。
んで、川端康成は妙にきょろきょろしてて、それはそれでまた興味ぶかかった。文士とはかくあるべき。なのか?
ということで、デジタル放送開始おめでとう☆
昨日のNHKアーカイヴスをビデオに録画していたのを適当に鑑賞。
最後の無頼派、壇一雄。
坂口安吾の「親があっても子が育つ」
まったく、無頼派の理屈は、単に自分が好き勝手にしたいための屁理屈ちゃうんかえ!そりゃあ、気づけば孤独な状況にもなってしまうってどうりでしょうが。
っという反発を覚えつつもその生き様に惹かれている自分を発見。
破天荒な退廃の中に見出される、ある種の悲しみにまみれた美学。人の心を捉えて離さぬ、ねっとりとした、粘着質の魅力があるのは確かかも。
あくまで審美的にみるなら、デカダンスほどその中に、美を包含しているものはない。なんて言ったりなんかしちゃたりして。てへ。
まあ、否定しつつも、やっぱり憧れもあるのかな。
だって、僕はもらった給料その日のうちに散財しちゃうなんて出来ないから。
やっぱりそれは、一つの生き様として、無頼というものを徹底的に突き詰め美学にまで昇華しているといえるのかもしれないなあ。
川端康成のノーベル文学賞受賞記念インタビュー。
弟子の三島由紀夫が、僕の目当て。
ああ、動いとる動いとる。感涙。それにしても、井伏鱒二にしても川端康成にしても、なんでこうも口下手なんやろ?口下手な僕が言うのもなんやけど、あのインタビューの合間合間で訪れる無言の空白が、なあんとも耐えがたくむずがゆい。
三島のノーベル賞逃した悔しさがなんとなく垣間見れてる気がせんでもない。三島はそれにしても饒舌。現代型の文士ですなあ。もうこの頃からあの決行を決意してたんかなあ?いや、ノーベル賞逃した時点でなのかも。とか勝手に想像。
それにしても三島の自決2週間前(だっけ?)のインタビューテープ持ってるけど、今、聞くとそれはそれで興奮するよう。三島の言葉一つ一つに、ふかーい裏を感じてしまうよねえ。
んで、川端康成は妙にきょろきょろしてて、それはそれでまた興味ぶかかった。文士とはかくあるべき。なのか?
ということで、デジタル放送開始おめでとう☆
大脳基底核の損傷であらわれる野生の証明
2003年11月30日 僕の思ったことお猿さんは、自分たちに危機が訪れると、毛繕いを延々とやるんだってなそうな。
さてな、人間にも同じ行動をつかさどっとる部分がある。その名も大脳基底核。
ということは?そう、脳みその中でも最も古い部分の脳ってなわけ。古いから、脳のとっても深い部分にあるんだね。その上になんやらかんやら、人間は脳みそがふえてって、頭よくなって理性なんかつけちゃって。あらま、野生の行動が抑えられてしまいましたよん。
いわば潜在意識とも言えるかもしれないねえ。
さてなれば、強迫性障害って、この大脳基底核に何らかの損傷をきたしてる可能性があるそうだとな。
だから、いわば、潜在意識となっていた太古の生物の習性がその損傷によって顕在化してしまったのが、強迫性障害ではないかとな?
お猿さんの、毛繕い、危機が迫ったストレスが原因だそう。そのストレスを解消するため、もしくはストレスから意識の対象を移すという、その対象としての毛繕いと考えられているんだってな。
同じような行動は、他の動物にも見られとりゅ。
爪を噛んだり、研いだり、儀式的な意味不明のことしたり。
さて、強迫性障害たる僕。毛抜きも爪かじりも経験してきとる。
うーん、カミングアウトなのだ。。。
一番ひどかったのは、中学の頃かなあ。鏡の前で何時間も、気に食わない、ちょっとでも曲がった形の髪の毛を探しては、ぬいとった。ハゲにはならんかったが、薄くなったねえ。爪は、常に噛んでいて、爪きりを使う必要はなかったわけなんだなあ。
まだまだ、ありまっせ。なんせ、物心ついた頃から強迫だから、一つが軽くなったり、治ったりしたら、新たな強迫が生まれてきちゃう。
まあ、症状は、おいおい、すこうしずつ公開していくつもりだにゃ。
ただ、これらの僕の症状って、非常に野性的。ってか、ほとんどの動物の習性的な行為だと思わない?
そして、僕は、ストレスの強いときほど強迫が悪化するんだよ。何らかのストレスを強迫をやることで代替、相殺してるんだろうか?
不思議なのは、僕が感じていない、ほのかなストレスでも、強迫は敏感に察知してその症状を強力にしてくるんだよ。だから、なまずの地震予知みたいに、僕は自分がストレスを感じてる状態を、自分で感じてなくても、判断することが出来る。強迫が悪化すれば、それはすなわち僕が今ストレスを受けてるってこと。まあ、人間は常にストレスを受けてるんだから、その強迫の悪化にも、ある一定のストレスのボーダーラインがあるんだろうけど、それは、僕が感じるストレスの苦痛のラインよりはも、かなり低い位置にあるんだろうね。
でも、これ厄介なんだよ。自分の気持としては全然平気で、まだまだやれるって思っているのに、強迫がどんどん悪化しちゃって、にっちもさっちもどうにもブルドックな状態になっちゃうから。憎たらしいよね。
まあ、だから、おそらくやっぱり、強迫性障害と、大脳基底核。関係は大有りだと僕は思うわけで。。。ほ、ほたる〜。
んで、まあ、他にもいろんな部分が関係してると思うんだけどねえ。
んで、今僕が苦しんでる一つの症状に、これも中学の頃から続いてるんだけど、なんでんかんでん噛みとうなってしまうんや。薬飲んで、だいぶ収まったけど、中学の頃の僕の本には全部、歯型がついてる。今もたまに本を噛むけど、歯型がつくまで強くかむことはめったになくなった。まあ、噛みながら歯軋りとかもしてまうじゃけどね。紙だけじゃなく、タオルも。そしてガラスのコップ。シャーペン、携帯。僕の三つ前の携帯は、歯型でぼろぼろ。今度新しくしたのも、ああ〜噛みたい噛みたい。
でも、カメラつきだから壊れちゃう我慢我慢。ああくるしい。でも、ここまで我慢できるのも薬のお陰、ありがとん。ルボックス。
とまあ、今日のカミングアウトはここまで。
そして、最後に出したこの噛むという強迫こそ、生きとし生ける生物に、まさに根源的な習性なんじゃないかねえ。ああ、ダーウィンの進化論の一員であることをかみ締めつつも、私は生物としての野生を、その森厳なる習性を、大脳基底核の損傷によって、たっぷりと味わうことが出来ているのじゃ。
みんなは僕をなんと思うかしらん?僕が、障害と言わなかったらみんなはなんと思うかしらん?障害といわなかったら。
ただ一言。こんな僕が、僕は好きだ。
好きだと思えるようになったよ。
さてな、人間にも同じ行動をつかさどっとる部分がある。その名も大脳基底核。
ということは?そう、脳みその中でも最も古い部分の脳ってなわけ。古いから、脳のとっても深い部分にあるんだね。その上になんやらかんやら、人間は脳みそがふえてって、頭よくなって理性なんかつけちゃって。あらま、野生の行動が抑えられてしまいましたよん。
いわば潜在意識とも言えるかもしれないねえ。
さてなれば、強迫性障害って、この大脳基底核に何らかの損傷をきたしてる可能性があるそうだとな。
だから、いわば、潜在意識となっていた太古の生物の習性がその損傷によって顕在化してしまったのが、強迫性障害ではないかとな?
お猿さんの、毛繕い、危機が迫ったストレスが原因だそう。そのストレスを解消するため、もしくはストレスから意識の対象を移すという、その対象としての毛繕いと考えられているんだってな。
同じような行動は、他の動物にも見られとりゅ。
爪を噛んだり、研いだり、儀式的な意味不明のことしたり。
さて、強迫性障害たる僕。毛抜きも爪かじりも経験してきとる。
うーん、カミングアウトなのだ。。。
一番ひどかったのは、中学の頃かなあ。鏡の前で何時間も、気に食わない、ちょっとでも曲がった形の髪の毛を探しては、ぬいとった。ハゲにはならんかったが、薄くなったねえ。爪は、常に噛んでいて、爪きりを使う必要はなかったわけなんだなあ。
まだまだ、ありまっせ。なんせ、物心ついた頃から強迫だから、一つが軽くなったり、治ったりしたら、新たな強迫が生まれてきちゃう。
まあ、症状は、おいおい、すこうしずつ公開していくつもりだにゃ。
ただ、これらの僕の症状って、非常に野性的。ってか、ほとんどの動物の習性的な行為だと思わない?
そして、僕は、ストレスの強いときほど強迫が悪化するんだよ。何らかのストレスを強迫をやることで代替、相殺してるんだろうか?
不思議なのは、僕が感じていない、ほのかなストレスでも、強迫は敏感に察知してその症状を強力にしてくるんだよ。だから、なまずの地震予知みたいに、僕は自分がストレスを感じてる状態を、自分で感じてなくても、判断することが出来る。強迫が悪化すれば、それはすなわち僕が今ストレスを受けてるってこと。まあ、人間は常にストレスを受けてるんだから、その強迫の悪化にも、ある一定のストレスのボーダーラインがあるんだろうけど、それは、僕が感じるストレスの苦痛のラインよりはも、かなり低い位置にあるんだろうね。
でも、これ厄介なんだよ。自分の気持としては全然平気で、まだまだやれるって思っているのに、強迫がどんどん悪化しちゃって、にっちもさっちもどうにもブルドックな状態になっちゃうから。憎たらしいよね。
まあ、だから、おそらくやっぱり、強迫性障害と、大脳基底核。関係は大有りだと僕は思うわけで。。。ほ、ほたる〜。
んで、まあ、他にもいろんな部分が関係してると思うんだけどねえ。
んで、今僕が苦しんでる一つの症状に、これも中学の頃から続いてるんだけど、なんでんかんでん噛みとうなってしまうんや。薬飲んで、だいぶ収まったけど、中学の頃の僕の本には全部、歯型がついてる。今もたまに本を噛むけど、歯型がつくまで強くかむことはめったになくなった。まあ、噛みながら歯軋りとかもしてまうじゃけどね。紙だけじゃなく、タオルも。そしてガラスのコップ。シャーペン、携帯。僕の三つ前の携帯は、歯型でぼろぼろ。今度新しくしたのも、ああ〜噛みたい噛みたい。
でも、カメラつきだから壊れちゃう我慢我慢。ああくるしい。でも、ここまで我慢できるのも薬のお陰、ありがとん。ルボックス。
とまあ、今日のカミングアウトはここまで。
そして、最後に出したこの噛むという強迫こそ、生きとし生ける生物に、まさに根源的な習性なんじゃないかねえ。ああ、ダーウィンの進化論の一員であることをかみ締めつつも、私は生物としての野生を、その森厳なる習性を、大脳基底核の損傷によって、たっぷりと味わうことが出来ているのじゃ。
みんなは僕をなんと思うかしらん?僕が、障害と言わなかったらみんなはなんと思うかしらん?障害といわなかったら。
ただ一言。こんな僕が、僕は好きだ。
好きだと思えるようになったよ。
やーいやーい プンプンっニコ♪
2003年11月28日カンパネルラに飢えてきて、どこかに録画しておいた、銀河鉄道のネコネコアニメを探してるんだけど見つからないなあ。。
あの詩的な暗さがなんとも好きなんだけど。
うちのおかんがまた仏像買ってきたよ。しかも今度は妙にリアル過ぎてなんだかなあ。
ところで、教育熱心で慕われていたどっかの校長先生が自殺したね。本も出していて、結構有名な教育者だったみたい。こういうニュースを見るとやりきれなくなる。真面目な人だったんだろうなあ。頑張ってる人がつぶれて自ら命を絶つまでに追い詰められる。詳細は知らないし、僕の想像が正しいのかはわからないけど、この世の現実って理不尽だよね。
不条理が条理となってるよね。
えっと、最近夢が妙に鮮明なんだよね。
昨日なんて、何故か僕がビート武なんだよ。そして、夢の中でも相変わらずふらふらしてて耳鳴りしてて、ガダルカナルたかに、病院はどこにあんだよ!コラ、バカやろう!!このやろー!!って首をまげまげしてる夢見てさ。なんで夢の中まで、病気でいなきゃいけないんだよ。しかもなんでビート武なんだよ!軍団勢ぞろいしてたんだよ!
今日もベッドの上でコロコロ助。暇じゃ暇じゃ。ああ、無情。読書すると眠くなるしだなあ。でも、なんとか読んで結構レ・ミゼラを進ませて。
ほんで、ホカ弁でチキンタツタで大団円。
そんなこんなで、体調治らず、気合入れてた月末の公務員模試受けれません。東京のオフ会にもいけません。ぐすん。。。
あの詩的な暗さがなんとも好きなんだけど。
うちのおかんがまた仏像買ってきたよ。しかも今度は妙にリアル過ぎてなんだかなあ。
ところで、教育熱心で慕われていたどっかの校長先生が自殺したね。本も出していて、結構有名な教育者だったみたい。こういうニュースを見るとやりきれなくなる。真面目な人だったんだろうなあ。頑張ってる人がつぶれて自ら命を絶つまでに追い詰められる。詳細は知らないし、僕の想像が正しいのかはわからないけど、この世の現実って理不尽だよね。
不条理が条理となってるよね。
えっと、最近夢が妙に鮮明なんだよね。
昨日なんて、何故か僕がビート武なんだよ。そして、夢の中でも相変わらずふらふらしてて耳鳴りしてて、ガダルカナルたかに、病院はどこにあんだよ!コラ、バカやろう!!このやろー!!って首をまげまげしてる夢見てさ。なんで夢の中まで、病気でいなきゃいけないんだよ。しかもなんでビート武なんだよ!軍団勢ぞろいしてたんだよ!
今日もベッドの上でコロコロ助。暇じゃ暇じゃ。ああ、無情。読書すると眠くなるしだなあ。でも、なんとか読んで結構レ・ミゼラを進ませて。
ほんで、ホカ弁でチキンタツタで大団円。
そんなこんなで、体調治らず、気合入れてた月末の公務員模試受けれません。東京のオフ会にもいけません。ぐすん。。。
映画界にもジャポニズムの波が押し寄せてるのか?
2003年11月27日ラストサムライ観たいね〜。
公開したら絶対観にいこ。ひとりで。。。
なんとなく前評判がよいこの映画。今までのハリウッドの日本描写と比較すれば相当見れるものになっているであろうことは、公式サイトを覗いてみて窺い知れる。もう観てる人もいるんだろうけどね。
これが成功したら、本格的に日本ものの映画がハリウッドやその他映画産業でも敬遠されることはなくなるかもしれない。
七人の侍のリメイクも、この映画のでき次第で期待できるものになるのかも、ってか、七人の侍とかいいながら、どうせまた西部劇なんだろうけど。
僕が楽しみなのはかなり前に、スピルバーグが監督をすると話題になっていた、「メモリー・オブ・ア・ゲイシャ」が実現してくれないかってことね。
正直、「ラストサムライ」って題名聞いたときは、その安易さに、またか、と辟易したものだが、よく考えたら、「ラスト・エンペラー」とむこうかたの人々は同じ感覚なのかな?ってことで、ラストエンペラーぐらいのディテールであれば、出来不出来はともかく画面を見ながら恥ずかしくなることはあるまい。うむ。
でも、スピルバーグの芸者ものかあ。。想像できんだけに余計観てみたいのう。
そのうちフランス映画、フランソワ・オゾン監督なんかが日本を舞台にした映画なんか取ってくれてもいいかも。小津監督の作品を外国の方がリメイクってのもいいなあ。オマージュはホウシャオシェン監督がやったんだっけ。
黒澤の「天国と地獄」のスコッセシ監督でのリメークはどうなったんだろう。
ルパン三世のハリウッド?映画化は五右衛門は誰がするのか?とか、ドラゴンボールの映画化は?とか、だんだんアニメばっかになってきたな。そういえば「アキラ」の実写もやるとかやらんとか。
まあ、わが国日本が注目を集めるってことはうれしいことなり。こういうことで注目を集める限りにおいては、はい。
そうそう、話は変わるけど約2週間くらいほとんどベッドで過ごしたよ。こんな経験始めてね。んで、ようやく軽くなったと思ったら今日の朝、またいきなり耳鳴りしてるしああああ。いつ治るんやあ。友達に言ったらでっかい総合病院行けって言われた。
今度行ってみるか。ついでに脳みその断面図も取ってもらって、うひゃうひゃ。興味あるう。
公開したら絶対観にいこ。ひとりで。。。
なんとなく前評判がよいこの映画。今までのハリウッドの日本描写と比較すれば相当見れるものになっているであろうことは、公式サイトを覗いてみて窺い知れる。もう観てる人もいるんだろうけどね。
これが成功したら、本格的に日本ものの映画がハリウッドやその他映画産業でも敬遠されることはなくなるかもしれない。
七人の侍のリメイクも、この映画のでき次第で期待できるものになるのかも、ってか、七人の侍とかいいながら、どうせまた西部劇なんだろうけど。
僕が楽しみなのはかなり前に、スピルバーグが監督をすると話題になっていた、「メモリー・オブ・ア・ゲイシャ」が実現してくれないかってことね。
正直、「ラストサムライ」って題名聞いたときは、その安易さに、またか、と辟易したものだが、よく考えたら、「ラスト・エンペラー」とむこうかたの人々は同じ感覚なのかな?ってことで、ラストエンペラーぐらいのディテールであれば、出来不出来はともかく画面を見ながら恥ずかしくなることはあるまい。うむ。
でも、スピルバーグの芸者ものかあ。。想像できんだけに余計観てみたいのう。
そのうちフランス映画、フランソワ・オゾン監督なんかが日本を舞台にした映画なんか取ってくれてもいいかも。小津監督の作品を外国の方がリメイクってのもいいなあ。オマージュはホウシャオシェン監督がやったんだっけ。
黒澤の「天国と地獄」のスコッセシ監督でのリメークはどうなったんだろう。
ルパン三世のハリウッド?映画化は五右衛門は誰がするのか?とか、ドラゴンボールの映画化は?とか、だんだんアニメばっかになってきたな。そういえば「アキラ」の実写もやるとかやらんとか。
まあ、わが国日本が注目を集めるってことはうれしいことなり。こういうことで注目を集める限りにおいては、はい。
そうそう、話は変わるけど約2週間くらいほとんどベッドで過ごしたよ。こんな経験始めてね。んで、ようやく軽くなったと思ったら今日の朝、またいきなり耳鳴りしてるしああああ。いつ治るんやあ。友達に言ったらでっかい総合病院行けって言われた。
今度行ってみるか。ついでに脳みその断面図も取ってもらって、うひゃうひゃ。興味あるう。
昨日の午後9時。猛烈な眠気に襲われて、気づけば今日の午前6時。ちうことで、今更昨日の日記を書かんければ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読書
●『レ・ミゼラブル(1)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
「過ちが経てきた道を見てみよう」
「人は同時におのれの重荷たりおのれの誘惑たる肉体を身に有す。人はそれを担い歩きしかしてそれに身を委ぬるなり」
「人はこの肉体を監視し制御し抑制して、いかんともなす能わざるに至りて始めてそれに屈服すべきなり。かくのごとき屈服においても、なお過ちのあることあれど、かくてなされたる過ちは許さるべきものなり。そは一の堕落なり、しかれども膝を屈するの堕落にして、祈祷に終わり得べきものなればなり」
「聖者たるは異例なり、正しき人たるは常則なり。道に迷い、務めを欠き、罪を犯すことはあれども、しかも常に正しき人たれ」
「能う限り罪の少なからんことこそ、人の法なれ。まったく罪の無きは天使の夢想なり。地上に在りと在らゆるものは皆罪を伴う。罪は一の引力なり」
「われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある」
「良心とは、われわれが自己のうちに有している天稟の学問の量をさす」
「もしも無限にその自我がないとするならば、この我なる自我がその範囲となるだろう。無限は無限でなくなるだろう。言い換えれば無限は存在しなくなるだろう。しかるに無限は存在する。ゆえにそれは一つの自我を持つ。この無限の自我、それが神である」
「成功の排斥者のみが失敗の正当なる裁断者である」
「岩石におけるごとく人の性格においても、水の点滴によって穴をあけらるることがある」
「たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければならない」
「生涯のある瞬間において、人の精神を戒めもしくは悩ますところのあの神秘なるざわめき」
「不幸は人の知力を育てる」
「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです」
「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である」
「魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって現実でないという理由にはならない」
「運命と人間との誤謬をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣なる偽善の最後の段階ではないか。それは卑しい卑怯な陰険な唾棄すべきまた嫌悪すべき罪悪ではないか!」
「外に徳を持って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない」
「思索の糸が脳裏にたち切れるのは特に、人生の痛ましい現実に思索を加える必要を最も多く感ずる時においてである」
以上でござい。。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読書
●『レ・ミゼラブル(1)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
貧しさにたえかねて一片のパンを盗み、19年を牢獄ですごさねばならなかったジャン・ヴァルジャン。出獄した彼は、ミリエル司教の館から銀の食器を盗み出すが、神のように慈悲ぶかい司教の温情は翻然として彼を目ざめさせる。原書挿絵2百枚を収載。まだ3冊もあるよ。ぱぷう。。。感想は全部読んでからね。いつになることやら。今回は、なんとなく気になった言葉たちをば。それが過度に宗教的臭くても、理想主義的に過ぎても、幼稚に感じても、僕は好きなんだもん。ちなみに、個々の文章に何の脈絡もないからね。共感したのも共感しなかったのも含めて、ただ僕の心に何らかの印象を残したってだけだから。
「過ちが経てきた道を見てみよう」
「人は同時におのれの重荷たりおのれの誘惑たる肉体を身に有す。人はそれを担い歩きしかしてそれに身を委ぬるなり」
「人はこの肉体を監視し制御し抑制して、いかんともなす能わざるに至りて始めてそれに屈服すべきなり。かくのごとき屈服においても、なお過ちのあることあれど、かくてなされたる過ちは許さるべきものなり。そは一の堕落なり、しかれども膝を屈するの堕落にして、祈祷に終わり得べきものなればなり」
「聖者たるは異例なり、正しき人たるは常則なり。道に迷い、務めを欠き、罪を犯すことはあれども、しかも常に正しき人たれ」
「能う限り罪の少なからんことこそ、人の法なれ。まったく罪の無きは天使の夢想なり。地上に在りと在らゆるものは皆罪を伴う。罪は一の引力なり」
「われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある」
「良心とは、われわれが自己のうちに有している天稟の学問の量をさす」
「もしも無限にその自我がないとするならば、この我なる自我がその範囲となるだろう。無限は無限でなくなるだろう。言い換えれば無限は存在しなくなるだろう。しかるに無限は存在する。ゆえにそれは一つの自我を持つ。この無限の自我、それが神である」
「成功の排斥者のみが失敗の正当なる裁断者である」
「岩石におけるごとく人の性格においても、水の点滴によって穴をあけらるることがある」
「たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければならない」
「生涯のある瞬間において、人の精神を戒めもしくは悩ますところのあの神秘なるざわめき」
「不幸は人の知力を育てる」
「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです」
「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である」
「魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって現実でないという理由にはならない」
「運命と人間との誤謬をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣なる偽善の最後の段階ではないか。それは卑しい卑怯な陰険な唾棄すべきまた嫌悪すべき罪悪ではないか!」
「外に徳を持って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない」
「思索の糸が脳裏にたち切れるのは特に、人生の痛ましい現実に思索を加える必要を最も多く感ずる時においてである」
以上でござい。。。
アスピリンリンピリン系といえば我が家ではセデス。
2003年11月25日そーです。そーなんです。
ふらふらが、ようやくひと段落。
今朝早く耳鼻科に行って診察。
先生、「いいよいいよー。いい傾向だ」って僕以上に喜んでくれてる。んで、今の薬を継続して飲みつづけること最低でも2,3ヶ月なんだそうな。
病にかかるのはあっという間なのに、ほんと治すとなると薄皮をはがすようにしか治ってくれないのねえ。
まあ、なにはともあれ久しぶりの外出。いつのまにかマンション近くのゴルフ店が取り壊されててビックりんこ。地球は生きているなって実感。ちょっと違うか。。。
さあ、だいぶ治ったとはいえ、調子に乗って本屋で立ち読みなどするものではない。帰宅後猛烈な目の鈍痛。それに連なる頭痛、吐き気に悩まされ、致し方なくセデスを飲む。
ルボックスに、耳の薬3種に、セデス。飲みすぎだって、げろげろ。
目が痛いとなんもできんので、光りがはいらんように目にタオルを押し当て就寝、気づけばもう日にちが変わらんとしているではないか。だからもちろんこの日記を書いてるのは、日付が変わってからなんですわはは。
でも、頭痛が消えたから良しとしましょ。でも、まだ眠いや。あわわわわ。
ふらふらが、ようやくひと段落。
今朝早く耳鼻科に行って診察。
先生、「いいよいいよー。いい傾向だ」って僕以上に喜んでくれてる。んで、今の薬を継続して飲みつづけること最低でも2,3ヶ月なんだそうな。
病にかかるのはあっという間なのに、ほんと治すとなると薄皮をはがすようにしか治ってくれないのねえ。
まあ、なにはともあれ久しぶりの外出。いつのまにかマンション近くのゴルフ店が取り壊されててビックりんこ。地球は生きているなって実感。ちょっと違うか。。。
さあ、だいぶ治ったとはいえ、調子に乗って本屋で立ち読みなどするものではない。帰宅後猛烈な目の鈍痛。それに連なる頭痛、吐き気に悩まされ、致し方なくセデスを飲む。
ルボックスに、耳の薬3種に、セデス。飲みすぎだって、げろげろ。
目が痛いとなんもできんので、光りがはいらんように目にタオルを押し当て就寝、気づけばもう日にちが変わらんとしているではないか。だからもちろんこの日記を書いてるのは、日付が変わってからなんですわはは。
でも、頭痛が消えたから良しとしましょ。でも、まだ眠いや。あわわわわ。
エンゲルスのエンゲル係数を謁見す。ああ、はずかしい。
2003年11月24日 テニスいやね、政治学を勉強してたらば、ふと頭に浮かんできたんですよ。ハズイ。ずいずいずっ転ばしごま味噌風味。
今日はね、非常にマニアックな話。
テニスの全日本選手権。
深夜のNHKであるのを辛うじて発見して、録画しておいたんですよ。
男子決勝。本村剛一vs寺地貴弘。
たぶんこの日記を読む人は誰一人として知らないと思うんだけど、もうよだれもんなんですよ。
とくに、僕には大変思い入れのあるこの2人。
まず本村ね。僕の現在のフォアハンド、彼を手本としているんです。彼の強打、そしてトップスピンに憧れてたんですね。
しかも、彼の高校時代のころの練習ビデオ(正確には柳川高校のビデオ)を持ってるんですね。マニアックでしょ(笑)。
んでんで、なんと彼の弟さんと私同い年なんダス。
んで、高校時代の九州大会、僕たちの高校は審判として派遣されたのです。僕は当然審判に立候補してつれてってもらいました。
だって柳川高校ってあの松岡修三を輩出した、現在においても、堀越高校なんかとトップを争うテニスの名門中の名門。将来のプロの卵を見ておく絶好の機会を逃すものかとミーハーな僕は飛びついたわけなのです。
柳川高校の練習風景をみて、ぶっ飛びました。全然他の高校とレベルが違うものですから。
そんな中で1人やたらとものすごいボールを打っていた人物がいます。その人物こそ、本村剛一の弟、本村浩二さんだったのです。
そして、幸か不幸か、僕は柳川の試合の審判をすることになってしまいました。うれしかなし。だって、近くで試合が見れるかわりに、あの洒落ならんスピードのサーブやらなんやらをジャッジしなくちゃならんわけなのです。もう、ガクガクブルブルですよ。
と、そこらへんの詳しい話は瑣末なことなので排除。重要なのは、僕がその本村浩二とトイレで隣どうしになったということなのです。
隣に憧れの本村剛一の弟の、本村浩二がいる。おしっこが止まりました。先にトイレから出ていった浩二くんを追うために、手を洗うのもそこそこに(汚な!)トイレを飛び出ました。そして、恭しく帽子を差し出し、「サインしてください」。
浩二君は、高校卒業と共にプロになってくれました。
でも、最近聞かないなあ。。。
そして僕は本村剛一本人の試合も見にいきました。わざわざ大阪まで。世界ランキングNO1になったこともあるカフェルニコフと試合してました。鳥肌立ちました。でも、鳥肌立ったのは、傘を忘れて雨の中ずぶぬれになったからかもしれません。試合中ずっと震えていて、とった写真が全部ぶれていたのが悔やんでも悔やみきれません。
ちなみに、目の前にきたんですが、あんまり緊張して声かけきれなくてサインもらえませんでした。
そこに松岡修三と伊達公子もいました。2人ともサインもらいそびれました。特に伊達公子は目の前にいたのに僕は気づかずに、公子はどこだー?ってどんどん離れていって、後で気づいて、まじ涙出そうでした。とほほ。。。
さてさて、もう1人の寺地貴弘。
なんと彼も僕の同い年。僕はその頃から彼にただならぬ才能を感じていて、将来日本をになう選手になると踏んでいたのです。
でも、それはテニス雑誌の文字で僕が判断していたっだけだったので、どうにかして実際の試合を見たかったんです。
と、そこへ、僕の先輩が1人全国大会に出場することになったんですね。やったやった。でもさすがに僕は応援にいけません。
マニアな僕は同行する先生に直訴しました。団体戦決勝のビデオを撮ってきてくれと。
先生は不肖不肖ながら了承してくれました。
そして、全国大会が終わって、先輩と先生が帰ってきました。
ビデオを渡してもらって鑑賞会を部員みんなで開きました。僕は愕然としました。寺地がうつっていないのです。なんとならば、寺地は高校2年だったので3年の先輩の顔を立てて2番手に甘んじていたのです。ビデオの試合は一番手の試合でした。
がはあ、そんなばかな。こういう場合は実力順でいきましょうや。しくしく。これまた悔やまれます。
まあ、一番手の人もプロになってそこそこ活躍してるんですけどね。
と、僕にとってはこういう思い入れのある、特別な2人なのです。そして、本村は努力型、寺地は天才型。正反対だけれど2人とも僕の大好きな魅力のあるプレーをしてくれるのです。
正直いうと、世界的な選手になる可能性は寺地の方に感じるけど、今回の試合は本村が勝ちました。
めでたしめでたし。きっと僕以外面白くないだろうな、今日の日記。
今日はね、非常にマニアックな話。
テニスの全日本選手権。
深夜のNHKであるのを辛うじて発見して、録画しておいたんですよ。
男子決勝。本村剛一vs寺地貴弘。
たぶんこの日記を読む人は誰一人として知らないと思うんだけど、もうよだれもんなんですよ。
とくに、僕には大変思い入れのあるこの2人。
まず本村ね。僕の現在のフォアハンド、彼を手本としているんです。彼の強打、そしてトップスピンに憧れてたんですね。
しかも、彼の高校時代のころの練習ビデオ(正確には柳川高校のビデオ)を持ってるんですね。マニアックでしょ(笑)。
んでんで、なんと彼の弟さんと私同い年なんダス。
んで、高校時代の九州大会、僕たちの高校は審判として派遣されたのです。僕は当然審判に立候補してつれてってもらいました。
だって柳川高校ってあの松岡修三を輩出した、現在においても、堀越高校なんかとトップを争うテニスの名門中の名門。将来のプロの卵を見ておく絶好の機会を逃すものかとミーハーな僕は飛びついたわけなのです。
柳川高校の練習風景をみて、ぶっ飛びました。全然他の高校とレベルが違うものですから。
そんな中で1人やたらとものすごいボールを打っていた人物がいます。その人物こそ、本村剛一の弟、本村浩二さんだったのです。
そして、幸か不幸か、僕は柳川の試合の審判をすることになってしまいました。うれしかなし。だって、近くで試合が見れるかわりに、あの洒落ならんスピードのサーブやらなんやらをジャッジしなくちゃならんわけなのです。もう、ガクガクブルブルですよ。
と、そこらへんの詳しい話は瑣末なことなので排除。重要なのは、僕がその本村浩二とトイレで隣どうしになったということなのです。
隣に憧れの本村剛一の弟の、本村浩二がいる。おしっこが止まりました。先にトイレから出ていった浩二くんを追うために、手を洗うのもそこそこに(汚な!)トイレを飛び出ました。そして、恭しく帽子を差し出し、「サインしてください」。
浩二君は、高校卒業と共にプロになってくれました。
でも、最近聞かないなあ。。。
そして僕は本村剛一本人の試合も見にいきました。わざわざ大阪まで。世界ランキングNO1になったこともあるカフェルニコフと試合してました。鳥肌立ちました。でも、鳥肌立ったのは、傘を忘れて雨の中ずぶぬれになったからかもしれません。試合中ずっと震えていて、とった写真が全部ぶれていたのが悔やんでも悔やみきれません。
ちなみに、目の前にきたんですが、あんまり緊張して声かけきれなくてサインもらえませんでした。
そこに松岡修三と伊達公子もいました。2人ともサインもらいそびれました。特に伊達公子は目の前にいたのに僕は気づかずに、公子はどこだー?ってどんどん離れていって、後で気づいて、まじ涙出そうでした。とほほ。。。
さてさて、もう1人の寺地貴弘。
なんと彼も僕の同い年。僕はその頃から彼にただならぬ才能を感じていて、将来日本をになう選手になると踏んでいたのです。
でも、それはテニス雑誌の文字で僕が判断していたっだけだったので、どうにかして実際の試合を見たかったんです。
と、そこへ、僕の先輩が1人全国大会に出場することになったんですね。やったやった。でもさすがに僕は応援にいけません。
マニアな僕は同行する先生に直訴しました。団体戦決勝のビデオを撮ってきてくれと。
先生は不肖不肖ながら了承してくれました。
そして、全国大会が終わって、先輩と先生が帰ってきました。
ビデオを渡してもらって鑑賞会を部員みんなで開きました。僕は愕然としました。寺地がうつっていないのです。なんとならば、寺地は高校2年だったので3年の先輩の顔を立てて2番手に甘んじていたのです。ビデオの試合は一番手の試合でした。
がはあ、そんなばかな。こういう場合は実力順でいきましょうや。しくしく。これまた悔やまれます。
まあ、一番手の人もプロになってそこそこ活躍してるんですけどね。
と、僕にとってはこういう思い入れのある、特別な2人なのです。そして、本村は努力型、寺地は天才型。正反対だけれど2人とも僕の大好きな魅力のあるプレーをしてくれるのです。
正直いうと、世界的な選手になる可能性は寺地の方に感じるけど、今回の試合は本村が勝ちました。
めでたしめでたし。きっと僕以外面白くないだろうな、今日の日記。
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のびやかに すこやかに
2003年11月23日あでやかに いさぎよく
なんじゃそりゃ?
知りません。
いま、ふと
頭に浮かんだもので。ウガンダ虎。
よおく考えようお金は大事マンブラザーズなつかしいなあ。あはは。
体は資本だよう。
ということで、フラフラ完治せず、マンションにひとりにしとくわけにもいかんて、実家に強制的に帰されとりゅ。
んで、寒い。実家はバスの最終停留所。すなわち田舎。マンションの3杯はいける。じゃない3倍は寒い。
んで、熱い。炬燵に入ってると熱い。まだ時期尚早。
下痢になった。
リンゴ食った。
雨の降る日は、僕、ごりらです。
今、兄貴のパソコンで打ってる。
コマネチって太ったよね。
ねっころがって本読むと、手が疲れる。
座って本読むと、三半規管が疲れる。
目がさめてると、脳が疲れる。
だからというわけじゃないが、
月曜にマンション帰りマップ。
薬も切れるしね。
けけけけけけけけけけけけけ。
なんじゃそりゃ?
知りません。
いま、ふと
頭に浮かんだもので。ウガンダ虎。
よおく考えようお金は大事マンブラザーズなつかしいなあ。あはは。
体は資本だよう。
ということで、フラフラ完治せず、マンションにひとりにしとくわけにもいかんて、実家に強制的に帰されとりゅ。
んで、寒い。実家はバスの最終停留所。すなわち田舎。マンションの3杯はいける。じゃない3倍は寒い。
んで、熱い。炬燵に入ってると熱い。まだ時期尚早。
下痢になった。
リンゴ食った。
雨の降る日は、僕、ごりらです。
今、兄貴のパソコンで打ってる。
コマネチって太ったよね。
ねっころがって本読むと、手が疲れる。
座って本読むと、三半規管が疲れる。
目がさめてると、脳が疲れる。
だからというわけじゃないが、
月曜にマンション帰りマップ。
薬も切れるしね。
けけけけけけけけけけけけけ。
乾いた心にひと匙の友情を。
2003年11月22日 僕の思ったこと不全感は爆発だ!!
不全感のルネサンスが到来。かなり辛い。
こういうとき、友達にメールを送りまくりたい気持と格闘する。
なんとならばこういったネガチブな気持のときのメールって相手の気持まで沈ませちゃうんじゃないかとか、それ以前に僕なんかのメール喜ぶ人なんかいるんかいな。自分のさびしさを受け入れて欲しいが為に人に迷惑をかけるなんて、なんて僕はだめだめなやつなんだ、あああう。いやいや、それ以前に僕は誰からも必要とされていないんじゃないか、僕の友情なんていくらでも代用できて、僕である必要はないんじゃないか。みんなお愛想で付き合ってくれてるんじゃないだろうか。すぐに切り捨てられてしまうんじゃないか?否否、それ以前に僕はこの世に生きていていいのだろうか、あぐあぐあぐ。
てな具合にどんどん度つぼにはまってしまう。心が脱水症状ならぬ、脱友情症状に陥ってしまって友情補給、いや、友情確認をしないと不安で不安で。
で、その僕の心を潤してくれるのって友達の暖かい態度や心や言葉に接するしかないんだけど、こういう精神状態では友達に連絡をとる事自体が僕なんかがやっちゃっていいのか、迷惑だろうなあ、そっけなくされたらどうしよう?とか相手の都合も考えずに自分本意な解釈をしがちな脳みそを、ふふん、と鼻であしらう余裕もなくなって、メールを送ろうか送るまいかでものすごい葛藤を生じ、ひとりベッドの上でのた打ちまわりなにも手につかなくなったりなんかしてしまう自分の弱さにあきれ果て。とほほ、我輩はほんとに情けない人間のくずだ。ってどこをどう転んで解釈しても自分はくずだという結論にいきついてしまうようになっちゃって、やっぱり友達にメールを打つしかないのだった。
そんな僕に友達はあたかかく接してくれて、ああ、やっぱり僕の心配は杞憂だった。よかったよかった。メール打つ前からわかってたはずの事なのに、やっぱり友達から直に言葉を聞くと聞かないとじゃ大違い。そういう面で、僕は日本の言わずに通じあう気持ってのに懐疑的で、やっぱり気持は言葉に表すべきで、僕も言葉に表していきたいと思うっていう欧米型に一票。まあ、理想は、ツーカーの仲なんだけどね。やっぱりそこまでの仲に行くまでには何度もの言葉による確信を経てきてるはずなんだと思うわけなんだよね。だって、ずっと一緒に過ごしてきた家族でさえ、僕はまだ完全に分かり合えてはいないと思うし、ともすれば愛情に疑問を持った時期だってあったんだから、友達間ばら、なおさら言葉って大事だと思う。
大学のときの友達がいった、
「言葉は言霊(ことだま)だから、一語一語の言葉の人に与える影響は計り知れない」
って言葉、それ自体が、僕に言葉というものへの接し方を決定付けたという計り知れない影響力を体現しているわけなんだよね。
といったわけで、僕に暖かい友情を注いでくれたその友達のおかげで、不全感のルネサンスはその短い歴史を閉じたのであった。そして僕は、ひとまず今日1日はすべてのことが手につくわけなのでありんす。
ありがとう。君という友達は君以外にはいない。1人1人が、1人1人で特別な友達なんだ。だから、僕は、君が必要だ。君の代りはいないんだ。
乾いた心にひと匙の友情を注いでくれた。そのお陰で、僕は今日(正確には昨日)を乗り越えられた。
この感謝は、僕の友情をもって返したい。
不全感のルネサンスが到来。かなり辛い。
こういうとき、友達にメールを送りまくりたい気持と格闘する。
なんとならばこういったネガチブな気持のときのメールって相手の気持まで沈ませちゃうんじゃないかとか、それ以前に僕なんかのメール喜ぶ人なんかいるんかいな。自分のさびしさを受け入れて欲しいが為に人に迷惑をかけるなんて、なんて僕はだめだめなやつなんだ、あああう。いやいや、それ以前に僕は誰からも必要とされていないんじゃないか、僕の友情なんていくらでも代用できて、僕である必要はないんじゃないか。みんなお愛想で付き合ってくれてるんじゃないだろうか。すぐに切り捨てられてしまうんじゃないか?否否、それ以前に僕はこの世に生きていていいのだろうか、あぐあぐあぐ。
てな具合にどんどん度つぼにはまってしまう。心が脱水症状ならぬ、脱友情症状に陥ってしまって友情補給、いや、友情確認をしないと不安で不安で。
で、その僕の心を潤してくれるのって友達の暖かい態度や心や言葉に接するしかないんだけど、こういう精神状態では友達に連絡をとる事自体が僕なんかがやっちゃっていいのか、迷惑だろうなあ、そっけなくされたらどうしよう?とか相手の都合も考えずに自分本意な解釈をしがちな脳みそを、ふふん、と鼻であしらう余裕もなくなって、メールを送ろうか送るまいかでものすごい葛藤を生じ、ひとりベッドの上でのた打ちまわりなにも手につかなくなったりなんかしてしまう自分の弱さにあきれ果て。とほほ、我輩はほんとに情けない人間のくずだ。ってどこをどう転んで解釈しても自分はくずだという結論にいきついてしまうようになっちゃって、やっぱり友達にメールを打つしかないのだった。
そんな僕に友達はあたかかく接してくれて、ああ、やっぱり僕の心配は杞憂だった。よかったよかった。メール打つ前からわかってたはずの事なのに、やっぱり友達から直に言葉を聞くと聞かないとじゃ大違い。そういう面で、僕は日本の言わずに通じあう気持ってのに懐疑的で、やっぱり気持は言葉に表すべきで、僕も言葉に表していきたいと思うっていう欧米型に一票。まあ、理想は、ツーカーの仲なんだけどね。やっぱりそこまでの仲に行くまでには何度もの言葉による確信を経てきてるはずなんだと思うわけなんだよね。だって、ずっと一緒に過ごしてきた家族でさえ、僕はまだ完全に分かり合えてはいないと思うし、ともすれば愛情に疑問を持った時期だってあったんだから、友達間ばら、なおさら言葉って大事だと思う。
大学のときの友達がいった、
「言葉は言霊(ことだま)だから、一語一語の言葉の人に与える影響は計り知れない」
って言葉、それ自体が、僕に言葉というものへの接し方を決定付けたという計り知れない影響力を体現しているわけなんだよね。
といったわけで、僕に暖かい友情を注いでくれたその友達のおかげで、不全感のルネサンスはその短い歴史を閉じたのであった。そして僕は、ひとまず今日1日はすべてのことが手につくわけなのでありんす。
ありがとう。君という友達は君以外にはいない。1人1人が、1人1人で特別な友達なんだ。だから、僕は、君が必要だ。君の代りはいないんだ。
乾いた心にひと匙の友情を注いでくれた。そのお陰で、僕は今日(正確には昨日)を乗り越えられた。
この感謝は、僕の友情をもって返したい。
けったいなケータイの倦怠期。あっ、なんか書いてて恥ずかしいや。
2003年11月21日余りのくだらなさに。
以前の携帯、すでに1日で2回も充電せんともたんようになってしもたんよ。
変えましょう変えましょう。ついでに兄貴とおかんのもあわせて家族割引。
やったーついに写メ。しゃめしゃめ。しめしめ。
ベッドに1日寝てるから、自分の顔しか撮れないや。ぱしゃんぱしゃん。
うーむ、我ながら不細工。でもまだまだ不細工度をあげなければ。何度かうつしなかなか満足なブサ顔が撮れた。なになに、落書きができるとな?
いろいろいじくって、この世のものとは思えない生物に自分を仕立て上げ、ハイ送信。友達に。
友達の反撃。むむむ、やつのもなかなかの珍獣ぶり。なんて、不細工メール合戦に花を裂かせられるようにようやく私もなりました。ばんざい。
そういえば、デジカメもこの前購入したんだっけ。
最近、カメラにまみれておる。
今日はカウンセリングの日。歩けないからもちろん行けるわけない。キャンセル。キャンセリング。
キャウンセリング。カウンセ・・・、なにやってんだ我は。
せいぇいぇいいぇい、せいぇいぇいいぇい♪
以前の携帯、すでに1日で2回も充電せんともたんようになってしもたんよ。
変えましょう変えましょう。ついでに兄貴とおかんのもあわせて家族割引。
やったーついに写メ。しゃめしゃめ。しめしめ。
ベッドに1日寝てるから、自分の顔しか撮れないや。ぱしゃんぱしゃん。
うーむ、我ながら不細工。でもまだまだ不細工度をあげなければ。何度かうつしなかなか満足なブサ顔が撮れた。なになに、落書きができるとな?
いろいろいじくって、この世のものとは思えない生物に自分を仕立て上げ、ハイ送信。友達に。
友達の反撃。むむむ、やつのもなかなかの珍獣ぶり。なんて、不細工メール合戦に花を裂かせられるようにようやく私もなりました。ばんざい。
そういえば、デジカメもこの前購入したんだっけ。
最近、カメラにまみれておる。
今日はカウンセリングの日。歩けないからもちろん行けるわけない。キャンセル。キャンセリング。
キャウンセリング。カウンセ・・・、なにやってんだ我は。
せいぇいぇいいぇい、せいぇいぇいいぇい♪
薬の飲みすぎで胃を痛め胃薬を飲む。薬地獄。
2003年11月19日 音楽私には何もない 与えうる何もない
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ
(略)
地球に悲しみが尽きる日は無くても
地球に憎しみが尽きる日は無くても
それに勝る笑顔が
ひとつ多くあればいい
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
ほほえんで ほほえんで ほほえんで。。。。
『泣かないでアマテラス』〜中島みゆき(都合のいい部分だけを抜粋)w
問題は、君をただ笑わせることができるかどうかなんだよね。実はこれが大変難しいことだと思われ。。。
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ
(略)
地球に悲しみが尽きる日は無くても
地球に憎しみが尽きる日は無くても
それに勝る笑顔が
ひとつ多くあればいい
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
ほほえんで ほほえんで ほほえんで。。。。
『泣かないでアマテラス』〜中島みゆき(都合のいい部分だけを抜粋)w
問題は、君をただ笑わせることができるかどうかなんだよね。実はこれが大変難しいことだと思われ。。。
私の敵は私です。
2003年11月18日私の味方も私です。
何日か前、また病院行った。
先生「どーですか?」
私「はい、さらに悪くなり、まともに歩けません。座って飯食えません」
しばし検査。
先生「これはまだ薬のんどくしかないなあ、歩くと悪いから寝ておいてね」
私「治るまでですか?」
先生、平然と「はい」
私「はっ、はい!?」
正直、そんだけかいな。。。
それ以来、寝てばっか、夜は耳鳴りがひどくてノイローゼになりそう。
何故か腹が減りまくり、飢餓地獄に陥る。寝ながらなんでも貪り食っている。これは栄養を体が欲しているからなのか。かなり太ってきとる、確実に。
寝てばっかだと、腰が痛い。でも起きるともっと辛い。
ほんとはパソ禁止されてるんだけどね。
早く治れ〜。明日天気になあれ。
何日か前、また病院行った。
先生「どーですか?」
私「はい、さらに悪くなり、まともに歩けません。座って飯食えません」
しばし検査。
先生「これはまだ薬のんどくしかないなあ、歩くと悪いから寝ておいてね」
私「治るまでですか?」
先生、平然と「はい」
私「はっ、はい!?」
正直、そんだけかいな。。。
それ以来、寝てばっか、夜は耳鳴りがひどくてノイローゼになりそう。
何故か腹が減りまくり、飢餓地獄に陥る。寝ながらなんでも貪り食っている。これは栄養を体が欲しているからなのか。かなり太ってきとる、確実に。
寝てばっかだと、腰が痛い。でも起きるともっと辛い。
ほんとはパソ禁止されてるんだけどね。
早く治れ〜。明日天気になあれ。
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