最近、強迫が若干強くなってる気がする、どうしてだろう?といっても,以前に最も苦痛を伴った喉鳴らし&胸へこましはもう殆どでなくなった。薬を飲んでる限りは。。
最近主にでる症状としては、喉つき、これが最もひどい。ひたすら指や箸やシャーペンを喉に突っ込む。吐きそうになる。
そして、首振り、これは主に映画鑑賞してる時や,勉強してる時に起こる。そして、壁を背にして座ってると、後頭部を壁にうちつける。思いっきりぶつけたくなるが、そこはこらえて、軽くゴンゴンと、でも、音は響いてるなあ。それでも、喉ならしや胸へ込みがあった頃に比べると、随分とマシなんだと思う。でも、これも薬で抑えてるから、やめたらまた元に戻っちゃうのかな。

話は変わるけど、今,僕はある人とメールのやり取りをしてる。その人は僕とは違った種類の障害を持っていて、人を罵倒する。僕達はお互いに約束事を決めている。つまり、その人の矛盾や疑問を僕は尋ねていく、そしてその人はその質問に答えることにより,自分の行為を振り返り、自分の中の矛盾と格闘し、修正する。それにより、障害を克服していこう。これがお互いがメールする上で決めたことだ。
今日、僕は、その人の核心と思える疑問をメールした。
返信がきた、「死ね」。
僕は彼の中傷が障害によるものだと知っている。しかし、この言葉は少しならずショックを受けた。おそらく,僕の送ったメールは普通の人から見ればなんのことのない普通のメールにしか見えないはずだ。だが、その彼にとってはやはり,それこそが核心を突くメールだったようである。僕は確信を深めた。
しかし、同時に、その理不尽な返信に憤慨もしていた。僕も、感情を持ってるからして、平然としていられるわけではない。毒を体に流し込まれたら、何らかの形で中和を計らなければ精神的にやっていけない。では、なんによって中和するのか?それは、本人の口からその真意を聞くのが一番効果的である。いわば血清である。普段なら,僕は,そこでなぜ中傷をするのかを彼に問い掛ける。そして、そう問いかけることで、彼は自分を見返し、その言葉は不適切だったと訂正する。それは、彼からすれば障害への戦いであり,僕はその行為で毒を中和させる。しかし、今回は、彼は受診も着信も拒否をした。さて、大変だ、僕の心に、不合理な圧迫が加えられたままだ。血清がない場合、自分で抗体を作るか、自然に回復するまで待つかだ。僕は何度も頭の中で反芻する。彼の言葉は本意でない。障害がなさしむるのだ。この理屈付けを何度も繰り返す行為こそ,、即ち抗体を作るということである。しかし、その抗体は血清ほどに即効性はない。しばらくは何もできなくなる。
さて、もう1つ、心を回復せしむるに当たって、毒を吐き出すという方法がある。この日記に書き込むことが、僕にとってはそれに当たる。
こうして、僕はおそらくまた彼を受け入れることができる。しかし、今日は、まだ無理だろう。
なお、今日僕が突いた彼への核心。それは、おそらく彼の矜持なのである。しかし、それは虚飾なのだ。彼は、それが虚飾であることがばれる恐怖から逆上したのだろう。しかし、彼には気づいて欲しい。そのことが嘘だとばれたところで、何も恐れるに足りないことを。その恐怖は幻想であることを。僕はあえてそこに踏み込まなければ、障害の回復はないと思っている。彼がほんとの彼の姿のままで安心できることを知るためには、すべての虚飾を剥ぎ取らねばならない。彼は,その見栄という鎧を脱がなければならない。そこには、数多の艱難が待ちうけているが、それを超えたところに、本当の自己の獲得があるのだと、僕は信じている。

お知らせ

2004年2月17日
ええ〜、日記を大幅に編集しなおしました。
日記書き出してから見た映画、読んだ本の中で画像がつけられるものは全部つけました。見やすくなったと思うので、よかったら見てね(*^-^*) ニッコリ☆°
DVD アミューズソフト販売 2003/01/24 ¥3,800
『サラーム・ボンベイ!』(1988年)のミラ・ナイール監督が帰ってきた。ありふれた日常生活を彼女の視点で描く『モンスーン・ウェディング』は、結婚式を控えた家庭を舞台に、家族や親戚が織り成す人間模様を描いた作品だ。登場人物への愛をたっぷり感じられる感動作。花嫁の父に国民的大スターのナジルラディン・シャー、おとぼけ伯父さんにクルプーシャン・カルバンダ、孤独な従姉にシェファリ・シェティ。俳優陣の素晴らしい演技は、役柄に与えられたイメージ以上の効果を引き出している。ナイール監督は、見落としがちな出来事を、あたたかい視線で描き出す天才だ。メイドとウェディング・プランナーのデュベイ(ヴィジャイ・ラーズ)の恋は、そのよい例としてあげられるエピソード。今まであまり描かれてこなかった労働階級を、感情豊かに、ユーモアを持って描いている。手持ちカメラで撮影されている映像もあり、ドキュメンタリーを見ているかのようでもある。パンジャーブ地方に住んでいる上流階級の家族、そんな一家の面々を身近にさえ感じてしまう。音楽などの背景に現代のインド文化も取り入れた「ボリウッド」映画だ。
この作品と『ベッカムに恋して』を観れば現在のインド富裕層の生活がどんなものかがわかってくる。
インド映画もまた変わってきましたな。
 
ISBN:4569630839 新書 養老 孟司 PHP研究所 ¥680
視野の上下が逆転する特殊なメガネがある。「逆さメガネ」だ。人間の知覚や認知を調べる実験道具で、このメガネをかけてしばらく慣らせば、普通に行動できるようになるという。それほど、人間の脳の適応力は大きいわけだが、この「逆さメガネ」をかけて世の中を、特に教育の世界をのぞいてみたのが本書だ。逆さメガネをかけるのは、『唯脳論』、『バカの壁』などで独自の知の地平を切り開く解剖学の第一人者、養老孟司である。
著者はいう。人間は刻々と変わっている。ところが、いまの社会は「変わらない私」を前提にしている。「変わらない私」と思い込むのは、いまの世の中の見方をそのまま受け入れているからだ。だから、世の中の大勢の見方と反対を見ることができる「逆さメガネ」をかけなければ、本当の姿は見えてこない、と。そして、人が変わらなくなった社会で、最も苦労しているのが子どもたちだと指摘する。なぜなら、子どもは一番速やかに変化する人たちだからである。そのことに気付かなければ、教育の本質を見失うことになる。

ではなぜ、私たちは「変わらない私」と思い込むようになったのか。原因は都市化社会にあった。都市的合理性、多数決による社会常識が、いつの間にか「逆さメガネ」になっていたのだ。著者は本書で、「あまり一つの見方でこり固まってしまうと危険だということです。ときどき、私のように『逆さメガネ』で見る視点を持ってくださいよ」とメッセージを送っている。
バカの壁の考え方を応用した教育論みたいなものかなこっちのほうが若干濃いね。
  
DVD ビデオメーカー 2002/05/24 ¥4,980
簡潔ながら、行間を読ませるような描写に、そこはかとなく独自のユーモアが漂い、日本でも大人気のフィンランドのカウリスマキ監督が、サスペンス喜劇の本場イギリスで製作した、おもろうてやがて哀しき式の、愛すべき佳篇。長年勤めた職場を追われ、家族も恋人もなく、人生に絶望した主人公(トリュフォーとの名コンビで知られるJ=P・レオ)が、自分を殺す契約を闇の組織と結んだ途端、ドン詰まりの日常がにわかに好転してきて……。生きたいと思い始めたときに殺し屋の手が伸びる悲喜劇は、確かにイギリス映画にも、また邦画も山田洋次監督、坂本九主演の「九ちゃんのでっかい夢」(原作を小林信彦が変名で書いている)があるが、本作ほど死にたい動機が切実に身に迫る作品はあるまい。カウリスマキ=フィンランド人のメンタリティは、非常に日本人と似通ってるようだ。
死にたくても死ねない男。業を煮やして殺し請負人に自分の殺しを依頼するところから人生は好転していく。結構笑いました。しかし、カウリスマキは安易なヒューマニズムに終わらせていないからよい。安易なヒューマニズムも好きなんだけどね(笑)。 
DVD ビデオメーカー 2002/05/24 ¥4,980
フィンランドの片田舎。自分たちの作ったキャベツを町外れの市場に売りに行き、生計を立てている夫婦ユハとマルヤ。キャベツは飛ぶように売れ、幸せな日々を送っていた。そんなユハとマルヤのもとに光り輝くオープンカーに乗って、カサノバ風な男シュメイッカが現れ、マルヤを誘惑する……。フィンランドの鬼才アキ・カウリスマキ監督が同国の国民的作家ユハニ・アホの名作をサイレント・フィルムとして映画化した異色の悲喜劇。
サイレント・フィルムにあまりにも不釣合いなビートのきいた音楽がカウリスマキらしいなあってみてたらこれ悲劇だったのね。しくしく。 
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2002/10/04 ¥2,500
一見理想の夫婦として知られているジョン(ピーター・ギャラガー)とアン(アンディ・マクダウェル)。しかしジョンは、アンの妹シンシアと不倫の関係にあった。そんな折り、ジョンの旧友グレアム(ジェームズ・スペイダー)がやってきたことで、彼らのさまざまな愛憎の姿がやがて赤裸々に暴露されていく…。
当時26歳だったスティーブン・ソダーバーグが初監督し、89年度のカンヌ国際映画祭でパルムドール(グランプリ)およびジェームズ・スペイダーが主演男優賞を受賞した問題作。タイトルに表れている3つの要素をアイテムとしながら、現代人の深層心理が繊細に、そして大胆に描かれていく。特にビデオ撮影を用いた実験的描写の数々がおもしろい効果を醸しだしている。
正常と異常の境界っていったいどこにあるんだろう?そんな事を考えさせられた作品だった。僕たちは多かれ少なかれ、社会と接点を持つ際に本当の自分を隠し、ペルソナをかぶる。そして現代のエートスと勘案し、正常を認識する。それは、社会に出れば、正常とみなされるが、自分の本心には嘘をついていることになる。それは言いかえれば、営みを円滑にするために異常を正当化し、正常な自分(本当の自分)という感情を異常として切り捨てることである。それもまた、人間が社会で生き延びるために編み出した知恵であるといえるかもしれない。
ではそのことに疑問をもった者はどうなるのか?社会においては異常な変態として切り捨てられることになるか、犯罪を犯して刑務所いきである。この作品に出てくるグラハムという男は、自分を隠さない。本当の自分であろうとする。それは、エートスの壁を打ち破ることを意味する。男の性癖が、社会から見て異常であっても、男にとっては正常で、まわりが異常に見えるだろう。男は病気なのかもしれないが、もしかしたら男以外の社会のほうが病気なのかもしれない。たまたま男の本心が純粋であったために、異常とみなされる性癖を持っていても、どこか彼には静謐さが漂っている。正常と異常の境界線。それは理性と野生の葛藤でもあるのである。
もっとえっちい内容かと思っていたけど、やっぱりソダーバーグはソダーバーグだった。うん、これはお勧めだね。
  
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2003/06/03 ¥2,500
プラハの春とうたわれた1968年のチェコスロバキア、無類の女好きでもある脳外科医のトマシュ(ダニエル・デイ・ルイス)は、きまじめな娘テレーザ(ジュリエット・ビノシュ)と結婚するが、彼の女漁りは収まらない。やがてソ連軍が軍事介入してプラハに進駐し、ふたりはスイスへと移り住むが…。
フランスに亡命したチェコの作家クンデラのベストセラー小説を『ライトスタッフ』などのフィリップ・カウフマン監督が映画化した3時間弱の大作。洒脱な語り口と濃厚なラブシーン、ダイナミックな動乱場面などバラエティ豊かに描きつつも、主人公にとって女とは所詮軽い存在に過ぎない。しかし、彼もまたチェコの動乱の中では軽い存在でしかないという辛口のメッセージを一貫させた、大人のための見ごたえある優れた人間ドラマである。
愛情と性欲を別物として捉える男の態度は、自分の行為を正当化するご都合主義にしか僕にはうつらなかった。愛するものを傷つけない為には何かの犠牲を強いられるのも当然として覚悟すべきだ。
「人生はわたしにはとても重いものなのに、あなたにはごく軽いものなのね。その軽さにわたしは耐えられない」
しかしそれでも女が男を愛さずに居られなかったのは、その軽さを憎みつつも、憧れの気持ちもどこかにもっていたからなんじゃなかろうか。対極にある者同士が引かれあうってのは、自分にはない部分に魅力を感じたりするからってのもひとつにはあるだろうね。なんとなーくわかる、ような気がする。  
DVD ポニーキャニオン 2001/01/17 ¥4,700
巨匠パトリス・ルコント監督が、老芸人とその運転手の友情をユーモアと悲哀をこめて描いた作品。
人間愛に満ち溢れたロードムービー。哀愁の中に仄かな笑い。ほほえましいというべきか。人生って素敵だ。 
DVD パイオニアLDC 2000/10/27 ¥4,700
99年度カンヌ国際映画祭で、エミリー・デュケンヌが主演女優賞を受賞し、パルムドールにも輝いた人間ドラマ。職探しのために奮闘する貧しい少女ロゼッタの姿を描く。
天才だね。こんな作品を見せられると、昨今の映画演出がいかに過剰かを痛感させられるよ。冷たいね。むごいね。だからこそ現実なんだよね。この殺伐さがたまらん。最高。 
ISBN:4106100037 新書 養老 孟司 新潮社 ¥680
「いくら話してもわかってもらえない」「想いがどうしても伝わらない」
誰もが味わう苛立ち、不快感。それを解くキーワードは「バカの壁」だった!
「"話せばわかる"なんて大嘘だ」と思ったことは誰にでもあるはず。「バカの壁」こそが、コミュニケーションの断絶を解くキーワードだ。この壁についてわかると、身の回りの話が通じない人の思考がわかる。大人と子供、上司と部下、さらにアメリカとイラクとでなぜ話が通じないのかもわかってくる。誰もがぶつかる人生の問題について、「こんなふうに考えてみては」と様々な視点を提示したエッセイ。
個性なんてもともと違ってるのが当たり前なんだから個性を伸ばす教育なんて必要ないってか。そんなことより他人の個性を考えさせる教育をしましょうってもっともなことだね。われわれは日々変化していて、自分は自分で変わらないってのは誤解だ、変わらないのは言葉であり情報だ。なるほどなるほどそういやそうだ。人間はわからないことに自ら限界を作る。バカの壁ですか。つまり何でも興味持って考えてればその壁を壊せるかもってことね。ところで、これ読んでて唐突に『バカのアヘ』って題と共にバカボンの顔が浮かんできて僕を悩ませたよ。 
DVD パイオニアLDC 2000/09/22 ¥4,700
東京で殺害された黒人青年ジョニー・ヘイワード。彼が最期に残した言葉「ストウハ」を頼りに、日米をまたにかけて捜査を続ける刑事(松田優作)たち。やがて、戦後の混乱による母と子の悲劇があらわになっていく。
角川映画第2弾の、ヒューマンサスペンスの超大作である。日本映画初の本格的ニューヨークロケ、ジョージ・ケネディやブロドリック・クロフォードといったハリウッドスターの起用も話題になった。原作は森村誠一。国内のゲスト出演も三船敏郎、鶴田浩二など、実ににぎやかである。
劇場公開時は「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね…」のキャッチコピーがおおいに評判になるとともに、それを英訳して歌うジョー山中の主題歌も大ヒットした。
ジョー山中のファンになったからには観とこうかなって印象に残ったのはジョーの危機迫る演技と♪ママー ドゥユーリメンバー♪というジョーの主題化のみ。俳優たちが、ジョーに食われてた。松田優作はよかったけどね。こんなに偶然重なるかよ!!ちょっとこれは強引過ぎるだろ!!って突っ込みどころ満載でした(笑)。   
DVD 紀伊國屋書店 2002/12/21 ¥4,800
アキ・カウリスマキの長編第2作。独特のユーモア、素朴な残酷さと毒が前面に出たロッキンな爽快作だ。
「ここではないどこかへの脱出」とは、幾多もの映画で描かれてきた永遠のテーマ。この壮大かつ普遍的なテーマを、隣町への脱出というバカバカしいような設定に託したロードムービーである。カラマリ・ユニオン(イカ墨同盟)のメンバーである15人の“フランク”が、街の反対側にある理想の街エイラへと脱出を試みる。15人すべての男の名が“フランク”であったり、地下鉄を強奪して深夜の街を移動したりと、登場人物たちの行動は謎だらけ。観客を置き去りにしたまま物語が進んでいく。
町内を駆け回るだけのロードムービーというのがいかにもカウリスマキ的だが、街角でこっけいなまでに必死に生きる彼らの姿はそのまま生きることの象徴になっており、生きることの厳しさと毒気と希望が詰め込まれている。15人の“フランク”には、カウリスマキの第1作『罪と罰』のマルック・トイッカやレニングラード・カウボーイズのメンバーらも出演している。カウリスマキ・ファンには見逃せない1作だ。
なんかナウいね(笑)。懐かしい新しさって感じ(?)。
この作品もよくわからんけどカウリスマキがジャームッシュとなんで仲がいいかはなんとなくわかる(笑)。
  
DVD アイ・ヴィー・シー 2002/08/25 ¥3,500
スペインのある小さな村、12人の修道僧は聖マルセリーノの日に僧院の門前で捨て子を拾い、マルセリーノと名付けて育てることに。5年後、愛らしい悪戯っ子に育ったマルセリーノ(パブリート・ガルボ)は、空想の友達マヌエルと遊んでいるうちに納屋でキリスト像を発見し…。
汚れのない子どものピュアな思いと、その周囲の大人たちの思いを、ユーモアとファンタジックな要素を巧みに織り混ぜながら描いた珠玉の感動作。とにもかくにも子役が可愛らしく、カンヌ国際映画祭では特別子役賞を受賞。またベルリン国際映画祭では銀熊賞を受賞するなど、スペイン映画界の名声を一気に飛躍させた名作。アメリカ映画では決して醸し出せない純朴な味わいは、観る者の心を浄化させるかのようだ。監督はラディスラオ・ヴァホダ。後にカラー・リメイク『マルセリーノ・パーネ・ビーノ』も製作された。
だから子供ものに弱いんだって!ああ、無邪気だなあ。良いなあ。でもこれってどうなんだろう?つまりマルセリーノは天使だったってことなのかな。
  
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2003/10/17 ¥2,980
前作から4年ぶりとなるこの続編では、マトリックス(仮想世界)を創造した人工知能のマシン軍団が、人類の最後の砦である都市・ザイオンを発見し、攻撃を開始する。人類の救世主と目されたネオも、自らのパワーに気づいて精神的に成長。マトリックスの刺客との対決はもちろん、時速300kmでスーパーマンのように飛行し、仲間のピンチを救う。
「ヴァーチャル・シネマトグラフィー」という新技法によって、ひとりのエージェント・スミスが100人に増殖してのバトル・シーンが映像化されるが、圧巻はやはり後半のカーチェイスだろう。走行中のトラックの真下をハイスピードで通り抜ける映像。さらに、トラック上でのカンフー・バトルは、まるで空中ブランコの妙技のよう。全編にわたって、ネオとトリニティーの愛の物語も進行し、ふたりの濃厚なラブシーンが登場する点も第2作の見どころ。新キャラなど第3作への伏線も含め、状況説明よりも、シリーズ全体の世界観を重視した展開なので、第1作を観ていないと理解に苦しむ部分があることは事実だ。
あらゆる物をつめこんで、つめこみすぎて消化できてない感じ。ほんで、こういうアクションなら、僕はジャッキー・チェン観ればいいかなって、いささか食傷気味。ストーリーについては、その概念はわかる。だけれども、攻殻機動隊を観た今となっては、何ら目新しいこともないってな風に、厳しいことばっかり言ってるね。ごめん。もともとアニメの専売特許だった動作を、実写で再現したってのは評価できるところではあるけども。そんでまあ、概念はわかるけど、詳細はさっぱりわかりませんねん。 
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2000/02/11 ¥2,000
5年間の服役を終えたパーシーが、新しい生活の地に森の奥の田舎町ギリアドに降り立った。気難しい年寄りハナが経営する村の食堂で働くパーシーの、魔法のようなアイディアが小さな村に変化をもたらす…。
天使に癒されたような感動に心を満たされるヒューマンドラマ。舞台ギリアドを囲む森林や谷間の急流など、大自然の映像美は必見。また彼女はなぜ罪を犯したか、ハナのとる奇異な行動など、数々の謎がサスペンスタッチで描かれ、ラストシーンまでついひきこまれてしまうストーリー展開も絶妙だ。
尖った雰囲気を少しずつほどいていくパーシー扮するアリソンエリオットの演技が見事。本作が初監督作品のリー・デヴィッド・ズロトフが監督・脚本を担当した。
ふむ、嫌いじゃない。良作です。傑作ではないけど、佳作です。なんてね。えらそうだね、僕。 
DVD ビデオメーカー 2003/06/27 ¥5,600
巨匠イングマール・ベルイマンが、映画監督から引退後も一貫して脚本を書き続けている一族史の愛の物語である。貧しい神学生のヘンリクは、親友の妹アンナと恋におちる。アンナの両親の反対やさまざまな障害を乗り越えて、ようやく結ばれる2人だったが、寒村の僻地に牧師として赴任したヘンリクとアンナには、さらなる過酷な試練が待ち受けていた。交錯する裏腹な思い。繰り返される離別。それでもお互いを必要としてしまう2人は…。
ベルイマンの両親を主人公とした物語の脚本を託されたビレ・アウグストの演出は、ベルイマンのイマジネーションとは少々異質だが、手堅い語り口によって主人公たちにピッタリと寄り添い、深遠なる愛のドラマを見事に描ききっている。感情の高ぶりを抑えきれないアンナと、ときおり驚くべきほどの冷淡さを示すヘンリクが互いをののしりあう、ヒリヒリとするようなダイアローグは、愛の意味について厳しく問いかけ続けてきたベルイマンならではの味わい。ベンチの両端に腰をかけたヘンリクとアンナの、互いの愛の相克を許容しあうラストシーンの余韻が、いつまでも心を打つ。
この監督の作品って『ペレ』もそうだったけど、僕の感性にぴったんこかんかんなんだなあ。題名は気に食わないけど。ほんま完璧ですね。僕の中では。人間を描くのが抜群にうまいよ。ちょっと高尚な感じも嫌味がなくていいと思うよ。脚本がベルイマンだしね。古典の香り。
 
ISBN:4166601121 新書 秦 郁彦 文芸春秋 ¥660
日露戦争から湾岸戦争まで、日本の運命を決した五つの戦争を俎上にのせ、縦横無尽に語りあう戦争論の決定版。この百年の間、日本は多くの戦争にかかわった。日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変に端を発する日中戦争、そして、太平洋戦争。世界で最も平和を謳歌しているように見える戦後でさえ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などは日本の国家、社会に大きな影響をおよぼした。平和を美しく語るのもいい。しかし、破壊と大量殺人をともなう戦争という人間の営みを正面から見つめることなくしては、新しい時代の平和は決して語れない。文芸春秋読者賞受賞。
僕は歴史が苦手なんでこういうの読んだほうが頭に入って面白かったね。 
DVD ビデオメーカー 2001/10/26 ¥4,800
同名タイトルのU2の曲を、『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダース監督が映画に翻案した一作。ロサンゼルスのダウンタウンに建つ「ミリオンダラー・ホテル」には、社会から隔絶した人々が住みついていた。住人のひとりトムトムは、やや頭が弱い青年でほかの住民の雑用をこなしていたが、彼の親友がホテルの屋上から落下死。警察の捜査が始まるなか、トムトムの心は住人の美女・エロイーズに傾いていく…。
撮影には実際にロスのホテルが使われた本作。ノスタルジックな家具と薄汚れた雰囲気が人々の生活感を伝え、各部屋のインテリアにはアーティスティックなこだわりも感じられる。謎めいたヒロインのミラ・ジョヴォヴィッチ、親友を亡くし、彼女一途になるトムトム役のジェレミー・デイヴィスら、俳優たちが心に傷を抱えた住民にを繊細かつ共感たっぷりに名演。屋上から臨むロスの夕景などには、ヴェンダースの映像派としての面目躍如が感じられる。
最初のうちはなんだこりゃ?でもだんだんこの世界観が心地よくなってくる。トムトムが良いね。純粋で。でもなんであんな髪型なんだろう?

 
DVD ビデオメーカー 2002/05/24 ¥4,980
宣伝には“準・巨匠”の称号が使われていたA・カウリスマキ。そうかも知れない。何だか小津映画みたいな完成度なのだ。もはや、誰にも真似できない域に彼はいる(マネしたければの話だが)と確信させる62分だった。一人はコーヒー中毒、片やウォッカ瓶をいつも持ち歩く(しかも飲む時は一気飲み)フィンランド男二人組が唐突に旅に出る。前者のマザコン洋裁屋ヴァルトが、後者の自動車修理工レイノの所に預けた車を取りに来たかと思うと、そのまま何の説明もなく出発してしまう。レイノは自称ロックン・ローラー。車内のカーステのカセットの所にはレコードプレイヤーがくっついていて、チープなフィンランド・ロックをがなり立てる。途中、エストニアとロシア人の二人組の女性を拾うが、何が起きるでもない。お互いほとんど無口でテーブルを囲み、しかし、それなりに心を通わせているのだ。彼女たちを港まで送り届け、このまま本当に何もないのかと思ったら……。サウナだけじゃない、フィンランドは内気天国。世界の全てがアメリカ化してもここだけは違う、という希望が持てた。
カウリスマキの作品の異質感は俳優たちの意図された不器用さにも現れてるよね。小津安二郎の映画のパロディー的要素も感じるね。カルトな小品なれど、やっぱりカウリスマキ臭プンプン。好きです。 

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