大学に入るまでの間は比較的穏やかな期間だった。僕はそれが自由だと信じていた。もう、彼らのことは考えていなかった。否、そう思いこんでいた。
心とはもともと脆弱なものであるのか、あるいは、たんに僕が脆弱であるのか、大学に入学とともに、僕の希望は根底から、崩れることとなる。
僕は、自由になってなどなかった。彼等から、解放などされていなかったのである。講義が始まり、誰も知るものなどいないはずのその教室に、僕は彼等の影を見る。周りの話し声が、あの「プシュ、プシュ」という真似声に聞こえるのである。僕はもともと、幻聴などを信じるような人間ではなかった。そうであった自分が、幻聴というものをみとめざるを得なかった。現に体験してしまっているのだから。それは、まさに戦慄という言葉以外に形容のしようがなかった。いかに、自分自信の神経が衰弱していたかを、ここにきてはじめて知りえたのである。
しかしながら、人間は現状を悟り得たとしても、すぐにしてその期待を捨て去れるものではない。僕は、その後二年間、時が心を回復せしむることを信じて、無為な享楽のうちに大学生活を過ごした、否、そういった生活に埋没することにより過去の自分を消し去れるという思いを今だにあきらめきれなかったのである。
しかるに、それにより得たものは何であったか?それは、新たな自分の構築ではなく、消し去れない過去の上に新たな過去となって山積していく決定的な人間不信の痕跡のみであった。
僕は、テニス部をやめ、サークルをやめ、クラブをやめた。
当然である、僕は人間を信じることができなかったのだから。人に心を閉ざし、どうして人間関係など築けようか。
過去は消し去れない、いかにして過去を乗り越えるか。時にまかせ、人に、状況に任せるだけでは、過去から解放もされなければ自分の構築などなされるべくもない。いや、過去を消し去れないのであれば、構築という言葉には語弊がある。この場合新たな自分になるのではなく、よりよい自分になるための修正である。
思うに、それまで自分が救われるための努力だと思っていたものはすべて、他者や状況への依存であった。他力本願たる自分に気づく。ただそのことに気づくのに、僕は2年を要した。
それは、本当の意味での自己の模索へと自分を行動せしむる、まだほんの序曲に過ぎない。そして、新たな苦悩と思考錯誤の扉でもあるのであるのだが、少なくとも、僕は自分で問題に向き合うことなく解決される問題のないことを、その時ようやく大悟したのである。
続く
心とはもともと脆弱なものであるのか、あるいは、たんに僕が脆弱であるのか、大学に入学とともに、僕の希望は根底から、崩れることとなる。
僕は、自由になってなどなかった。彼等から、解放などされていなかったのである。講義が始まり、誰も知るものなどいないはずのその教室に、僕は彼等の影を見る。周りの話し声が、あの「プシュ、プシュ」という真似声に聞こえるのである。僕はもともと、幻聴などを信じるような人間ではなかった。そうであった自分が、幻聴というものをみとめざるを得なかった。現に体験してしまっているのだから。それは、まさに戦慄という言葉以外に形容のしようがなかった。いかに、自分自信の神経が衰弱していたかを、ここにきてはじめて知りえたのである。
しかしながら、人間は現状を悟り得たとしても、すぐにしてその期待を捨て去れるものではない。僕は、その後二年間、時が心を回復せしむることを信じて、無為な享楽のうちに大学生活を過ごした、否、そういった生活に埋没することにより過去の自分を消し去れるという思いを今だにあきらめきれなかったのである。
しかるに、それにより得たものは何であったか?それは、新たな自分の構築ではなく、消し去れない過去の上に新たな過去となって山積していく決定的な人間不信の痕跡のみであった。
僕は、テニス部をやめ、サークルをやめ、クラブをやめた。
当然である、僕は人間を信じることができなかったのだから。人に心を閉ざし、どうして人間関係など築けようか。
過去は消し去れない、いかにして過去を乗り越えるか。時にまかせ、人に、状況に任せるだけでは、過去から解放もされなければ自分の構築などなされるべくもない。いや、過去を消し去れないのであれば、構築という言葉には語弊がある。この場合新たな自分になるのではなく、よりよい自分になるための修正である。
思うに、それまで自分が救われるための努力だと思っていたものはすべて、他者や状況への依存であった。他力本願たる自分に気づく。ただそのことに気づくのに、僕は2年を要した。
それは、本当の意味での自己の模索へと自分を行動せしむる、まだほんの序曲に過ぎない。そして、新たな苦悩と思考錯誤の扉でもあるのであるのだが、少なくとも、僕は自分で問題に向き合うことなく解決される問題のないことを、その時ようやく大悟したのである。
続く
このようにして、僕の中には2つの相反する想念。人は、裏切るものであるという思いと、人を傷つけてはならない、という思いとが共存することになる。心が、いかに複雑なるものであるか、この相反すると思われる想念が、矛盾を含みつつも存在し得る場所なのである。だからこそ、人はジレンマに陥る。葛藤し、逡巡するのだ。
しかし、僕がその時持ったこの2つの想念は、一見矛盾しているようで、その実、二律背反性を帯びていた。人間を信用しないのも、傷つけることに細心を払うことも、いずれは、僕に人間との接触から遠ざける点に於いては、むしろ同じベクトルを向いて僕を前進せしめた。僕は、心を閉ざした。
僕は、高校生活を捨てた。あと半年である、大学において、自分は生まれ変わる。今振り返れば、それは絶望ではない。なぜなら、僕は生まれ変われるという理想を夢見ることができたから。卒業すれば、そして大分を出て、彼等との関係を絶てば、過去を忘れることが出きると思えていたから。絶望とは、前に光輝が見えなくなる時をいうのなら、僕はまだ、自分にも、人間にも理想を失ってはいなかったといえるのかもしれない。
しかしながら、その頃の僕は、絶望であった。絶望と、思いこんでいた。大学を早く決めてしまい、彼等の顔を見ないことだけを考え、彼らという頚木から開放されること、それが自由だと信じて。大学は、そのような理由で決めた。センター模試の結果による推薦で、最も早く合否が決定された大学。僕はそこに決めただけだ。ただ、その大学がたまたまテニスが強かったのは、選択理由の口実となった。大学が決まり、僕は高校にいかなくなった。
しかし、僕がその時持ったこの2つの想念は、一見矛盾しているようで、その実、二律背反性を帯びていた。人間を信用しないのも、傷つけることに細心を払うことも、いずれは、僕に人間との接触から遠ざける点に於いては、むしろ同じベクトルを向いて僕を前進せしめた。僕は、心を閉ざした。
僕は、高校生活を捨てた。あと半年である、大学において、自分は生まれ変わる。今振り返れば、それは絶望ではない。なぜなら、僕は生まれ変われるという理想を夢見ることができたから。卒業すれば、そして大分を出て、彼等との関係を絶てば、過去を忘れることが出きると思えていたから。絶望とは、前に光輝が見えなくなる時をいうのなら、僕はまだ、自分にも、人間にも理想を失ってはいなかったといえるのかもしれない。
しかしながら、その頃の僕は、絶望であった。絶望と、思いこんでいた。大学を早く決めてしまい、彼等の顔を見ないことだけを考え、彼らという頚木から開放されること、それが自由だと信じて。大学は、そのような理由で決めた。センター模試の結果による推薦で、最も早く合否が決定された大学。僕はそこに決めただけだ。ただ、その大学がたまたまテニスが強かったのは、選択理由の口実となった。大学が決まり、僕は高校にいかなくなった。
本など高校時代にほとんど読むことのなかった僕が、なぜ「沈黙」を手にしたのかとえば、それが授業の教材であったからなのだが。僕はそのストーリーに引きつけられた。境遇が余りに似ていたからだ、そして、それ以上に主人公の内的心理が、僕の共感を誘った。あまっさえ、その作品の中で新たな視点を教示されたといってよい。その視点とは、憎悪ではなく、哀れみという感情である。
僕が、残りの半年間、学校に通いつづけることができたのは、ひとえにこの哀れみ、という感情をもつことができたゆえである。
「沈黙」を読んで以来、僕は、障害の真似をして楽しむ輩を見て、憎悪ではなく彼らを心底かわいそうだと哀れんだ。高校3年にもなって、そんなことに楽しみを見出している彼等に。その彼等の心の貧しさに。それとともに、その時僕の中に一つの侵してはならない理性の境界が創出されたのも、いわば、自然のことであった。理性の境界とは、自分が人間らしくいられるであろう境界のことである。後に肥大し、善悪・道徳強迫として僕を苦しめるに至るその境界は、実は、僕が小学生であった頃からその萌芽は見られたのであるが、このとき初めて、自分の中で考えうる限りの完全な理をもって、眼前へと形を現出させたのである。
当然僕にも、自尊心というものはある。それは、優越感や虚栄心などではない。1人の人間としての、存在意義としての自尊心である。それは、まったく自分1人に適用できる定義である。しかし、それがゆえにいっそ強固な、つまりは自分の自己同一性ととなり得たのであった。
僕は、僕の障害を真似する彼等を哀れんだ。それは、自分がそういう人間へと堕することへの飽くなき対抗を宣誓するということでもある。自分がかれらと同じことを無意識がゆえにも侵してしまい、またそれを悔い改めることも、また、贖罪の機会も持とうとしないのであらば、その行為をもってして、僕は彼等に敗北する。そして、それだけにと止まらず、自己の存在をも否定することになるのである。僕が彼等と同じことを他の誰かに行えば、僕が彼等にもった憎悪、そして哀れみという感情は一度にしてその根拠を失う。その感情は空無となってしまう。それは、彼らという存在の認容、彼等の存在がなす行為への認容。しからば、其の下に組み敷かれるであろう僕と同じ境遇の人々はどうなるのか?そう、僕が彼等の行為を認容することは、必然的に其の下で、犠牲となる人々の状況をも認め、甘受を良しとすることになるのである。
つまりは自己の否定である。
このゆえを持って、僕は、誰かを傷つける行動に対して小心翼翼とするようになっていく。
なお、その頃の読んだ書が、村上春樹氏の「沈黙」であったことは、大学に入ってから知った。つまり、僕が高校時代に覚えていたのは、その内容だけであったのだが、大学に入り、本格的に本を読もうと思い立った時、最初に手をつけたのが村上春樹氏であったことは、因縁めいたものを感じずにはいられないエピソードである。
続く。
僕が、残りの半年間、学校に通いつづけることができたのは、ひとえにこの哀れみ、という感情をもつことができたゆえである。
「沈黙」を読んで以来、僕は、障害の真似をして楽しむ輩を見て、憎悪ではなく彼らを心底かわいそうだと哀れんだ。高校3年にもなって、そんなことに楽しみを見出している彼等に。その彼等の心の貧しさに。それとともに、その時僕の中に一つの侵してはならない理性の境界が創出されたのも、いわば、自然のことであった。理性の境界とは、自分が人間らしくいられるであろう境界のことである。後に肥大し、善悪・道徳強迫として僕を苦しめるに至るその境界は、実は、僕が小学生であった頃からその萌芽は見られたのであるが、このとき初めて、自分の中で考えうる限りの完全な理をもって、眼前へと形を現出させたのである。
当然僕にも、自尊心というものはある。それは、優越感や虚栄心などではない。1人の人間としての、存在意義としての自尊心である。それは、まったく自分1人に適用できる定義である。しかし、それがゆえにいっそ強固な、つまりは自分の自己同一性ととなり得たのであった。
僕は、僕の障害を真似する彼等を哀れんだ。それは、自分がそういう人間へと堕することへの飽くなき対抗を宣誓するということでもある。自分がかれらと同じことを無意識がゆえにも侵してしまい、またそれを悔い改めることも、また、贖罪の機会も持とうとしないのであらば、その行為をもってして、僕は彼等に敗北する。そして、それだけにと止まらず、自己の存在をも否定することになるのである。僕が彼等と同じことを他の誰かに行えば、僕が彼等にもった憎悪、そして哀れみという感情は一度にしてその根拠を失う。その感情は空無となってしまう。それは、彼らという存在の認容、彼等の存在がなす行為への認容。しからば、其の下に組み敷かれるであろう僕と同じ境遇の人々はどうなるのか?そう、僕が彼等の行為を認容することは、必然的に其の下で、犠牲となる人々の状況をも認め、甘受を良しとすることになるのである。
つまりは自己の否定である。
このゆえを持って、僕は、誰かを傷つける行動に対して小心翼翼とするようになっていく。
なお、その頃の読んだ書が、村上春樹氏の「沈黙」であったことは、大学に入ってから知った。つまり、僕が高校時代に覚えていたのは、その内容だけであったのだが、大学に入り、本格的に本を読もうと思い立った時、最初に手をつけたのが村上春樹氏であったことは、因縁めいたものを感じずにはいられないエピソードである。
続く。
僕が、大学に入るとき、何故広島を選んだか?
それは、テニスの強い大学に行きたかったとか、県外に出て、より広い視野を身につけたかったとか、見聞を広めたかったとか。
確かに、そういった部分がなかったとはいわない。しかし、ホントのところは、そんなこと僕にとっては建前でしかなかった。
大分を離れることによって、一度自分をリセットし、新しい自分を構築していく。僕が広島に行った理由。否、広島じゃなくてもどこでも良かった、僕が大分を離れたのは、この、新しい出発、ということに尽きる。
何故大分を離れなければならなかったのか?
大分には、僕が育ってきた過去があるからだ。僕は、大分を離れることにより、過去から、決別しようと思った。厳密に言えば、過去に僕を苦しめたさまざまな思い出や、人間関係から。
確かにそれは逃避であろう。しかし、その当時、僕にはそうするしか、方法はないように思われた。今思えば、そのくらい追い詰められていたんだろうと思う。
僕は、人を疑るのは嫌いだ。だから、その人の言った事を心のそこから信じたいと思っているし、実際そうしてきたつもりだ。信頼が深ければ深いほど、壊れたときの修復は難しい。
僕は高校3年の後半、半年間、障害の真似をされた。クラスの半分の男子から。
それは巧妙に行われた。授業中に響く声、「プシュ、プシュ」いたる所から聞こえてくる。
少しして、それが、僕の強迫行為である、「喉鳴らし」、の真似であることをしる。それは、毎日続いた。最初は気にもとめていなかったが、ボディーブローの如くに、その鳴声は、僕の心を蝕んでいった。
そして、その真似をしていた男子の中に、僕と共に部活で研鑽を積んできた盟友もいた。
学校は、一つの社会の縮図であるからして、往々、こういったことが起こりうるのは当然であるが、その友達は、その僕がまだ仲間だと思っていた彼は、自分が学校という社会のアウトサイダーとなることへの恐怖から、僕と共にあることより、自分の保身を選択した。
そのころの僕を、人間不信へ導かせるには、その彼の「選択」を持ってするだけで充分だった。
友とは、一体どういったものだろう。僕が人間不信へ傾斜していったとしても、そこにまだ支柱となるべき存在があれば、まだ立て直すことが出来ただろう。その支柱となるべき存在こそが、友ではないのか?僕は、他の部活のメンバーに救いを求めた。しかし、返ってきたものは、寄る辺なき無関心だったのである。誰一人として、僕の感情の変化に気を止めるものはいなく、誰一人として、僕の相談を最後まで聞こうとするものはいなかった。彼等は、僕の感情の変化を、一顧だにせずに、考えることもなく、「訳のわからないもの」として放棄した。そして、僕の中から、友という定義が瓦解していった。
信頼は、そのまま、猜疑へと変貌した。そしてある種の人間への定款が、僕の心の内に芽生えた。「信頼に足る人間など、この世には存在せず」、それは、いわば、そのころの僕の自己防衛本能が下した結論であったのだろう。その諦観こそが、僕の支柱となっていったわけである。そして、その結論に至る一つの契機となったのが、村上春樹氏の短編「沈黙」との出会いである。
続く。
それは、テニスの強い大学に行きたかったとか、県外に出て、より広い視野を身につけたかったとか、見聞を広めたかったとか。
確かに、そういった部分がなかったとはいわない。しかし、ホントのところは、そんなこと僕にとっては建前でしかなかった。
大分を離れることによって、一度自分をリセットし、新しい自分を構築していく。僕が広島に行った理由。否、広島じゃなくてもどこでも良かった、僕が大分を離れたのは、この、新しい出発、ということに尽きる。
何故大分を離れなければならなかったのか?
大分には、僕が育ってきた過去があるからだ。僕は、大分を離れることにより、過去から、決別しようと思った。厳密に言えば、過去に僕を苦しめたさまざまな思い出や、人間関係から。
確かにそれは逃避であろう。しかし、その当時、僕にはそうするしか、方法はないように思われた。今思えば、そのくらい追い詰められていたんだろうと思う。
僕は、人を疑るのは嫌いだ。だから、その人の言った事を心のそこから信じたいと思っているし、実際そうしてきたつもりだ。信頼が深ければ深いほど、壊れたときの修復は難しい。
僕は高校3年の後半、半年間、障害の真似をされた。クラスの半分の男子から。
それは巧妙に行われた。授業中に響く声、「プシュ、プシュ」いたる所から聞こえてくる。
少しして、それが、僕の強迫行為である、「喉鳴らし」、の真似であることをしる。それは、毎日続いた。最初は気にもとめていなかったが、ボディーブローの如くに、その鳴声は、僕の心を蝕んでいった。
そして、その真似をしていた男子の中に、僕と共に部活で研鑽を積んできた盟友もいた。
学校は、一つの社会の縮図であるからして、往々、こういったことが起こりうるのは当然であるが、その友達は、その僕がまだ仲間だと思っていた彼は、自分が学校という社会のアウトサイダーとなることへの恐怖から、僕と共にあることより、自分の保身を選択した。
そのころの僕を、人間不信へ導かせるには、その彼の「選択」を持ってするだけで充分だった。
友とは、一体どういったものだろう。僕が人間不信へ傾斜していったとしても、そこにまだ支柱となるべき存在があれば、まだ立て直すことが出来ただろう。その支柱となるべき存在こそが、友ではないのか?僕は、他の部活のメンバーに救いを求めた。しかし、返ってきたものは、寄る辺なき無関心だったのである。誰一人として、僕の感情の変化に気を止めるものはいなく、誰一人として、僕の相談を最後まで聞こうとするものはいなかった。彼等は、僕の感情の変化を、一顧だにせずに、考えることもなく、「訳のわからないもの」として放棄した。そして、僕の中から、友という定義が瓦解していった。
信頼は、そのまま、猜疑へと変貌した。そしてある種の人間への定款が、僕の心の内に芽生えた。「信頼に足る人間など、この世には存在せず」、それは、いわば、そのころの僕の自己防衛本能が下した結論であったのだろう。その諦観こそが、僕の支柱となっていったわけである。そして、その結論に至る一つの契機となったのが、村上春樹氏の短編「沈黙」との出会いである。
続く。
厄年きたる
2004年1月1日喪中につき、ある言葉は省略させてもらって、みなさん明けました。今年もヨロシク。
そう、今年僕は本厄。だから、約9年ぶりくらいに、初詣にいってきた。厄払いしとかんとね。年が明けてすぐに母親といったのだけれど、なんとも人が多く、小1時間並ぶ羽目に。その神社、小さいころは良く遊んでおった場所なのだが、なんせ9年ぶりであるからして、かなり様変わりしておった。なんか、三億円くらいかけて修復工事したらしい。知ってる人にあっても気づかれないようにニットを目深にかぶり、って、別にあってもいいんだけどね。
でも結局知ってる人には会わず、帰りにわずかに出ていた香具師で、イカと焼きもろこしを買う。いくら、香具師は高いといっても、焼き鳥一本400円はたかすぎでないかい?帰り道に食うのが風情があっていいんだろうけど、手が汚れそうでめんどかったので、帰宅して食ったら、ひやひやに冷えていて、出店で買った意味なし。
朝まで生テレビを見ていると、母親が風呂に入れとうるさいので、元旦くらい大らかになるべきだと反駁すると、議論(あえてケンカとはいわず)に発展。朝まで生テレビを地でやってしまう。まったくホントに厄年だとほほ。。。
議論に興奮して眠れようはずもない僕はハーモニーのチャットに参加。みんなと楽しく会話で気分も晴れやかになってきたので、寝る。新年早々、夜型宣言。午後3時に起床。おおっ!今日はお雑煮だ。雑煮は好きだ。餅二つ。そしてまた寝る。これぞ寝正月。おぼろ月夜。ホイスグレイシーは卑怯だった。
そう、今年僕は本厄。だから、約9年ぶりくらいに、初詣にいってきた。厄払いしとかんとね。年が明けてすぐに母親といったのだけれど、なんとも人が多く、小1時間並ぶ羽目に。その神社、小さいころは良く遊んでおった場所なのだが、なんせ9年ぶりであるからして、かなり様変わりしておった。なんか、三億円くらいかけて修復工事したらしい。知ってる人にあっても気づかれないようにニットを目深にかぶり、って、別にあってもいいんだけどね。
でも結局知ってる人には会わず、帰りにわずかに出ていた香具師で、イカと焼きもろこしを買う。いくら、香具師は高いといっても、焼き鳥一本400円はたかすぎでないかい?帰り道に食うのが風情があっていいんだろうけど、手が汚れそうでめんどかったので、帰宅して食ったら、ひやひやに冷えていて、出店で買った意味なし。
朝まで生テレビを見ていると、母親が風呂に入れとうるさいので、元旦くらい大らかになるべきだと反駁すると、議論(あえてケンカとはいわず)に発展。朝まで生テレビを地でやってしまう。まったくホントに厄年だとほほ。。。
議論に興奮して眠れようはずもない僕はハーモニーのチャットに参加。みんなと楽しく会話で気分も晴れやかになってきたので、寝る。新年早々、夜型宣言。午後3時に起床。おおっ!今日はお雑煮だ。雑煮は好きだ。餅二つ。そしてまた寝る。これぞ寝正月。おぼろ月夜。ホイスグレイシーは卑怯だった。
大晦か?
2003年12月31日他の方々の日記を拝見していると、結構今年の総括をやっているようなので、僕もしよう。
今年は、何より、ハーモニーという強迫性障害者の自助サークルに加入したことが自分にとって大きかった。それまでの僕は、周りにひとりも同じ障害を抱えている人がいなかったので、常にどこか、普通ではない自分に劣等感や、孤独を感じてしまっていた。毎日公務員学校に通うようになって、次第にそういった気持ちに押しつぶされそうになっていったときに勇気を持ってメンバーになったのだけど、そのことで、僕はネットの中に新たな居場所を見出すことが出来た。そこには、僕と同じように強迫に苦しむ人がいて、僕は孤独じゃないと、心強く思えた。そして、そのサークルを通して、かけがえの無い多くの友達を得ることができ、ホントに感謝をしてもしきれないほどの恩恵をこのサークルからこうむったわけで、そのおかげか、僕は、今、比較的症状が軽くなった。来年は、この恩返しをサークルの何らかの力になることでして行けたらいいなって思う。
だから、まずは、その意気込みを行動にあらわそうと、年明け前に年越しそばを食い、御節を食い、格闘技をみて、紅白はストレッチマンが出たところだけをみて、ウトウトした。
つまり、今年は太宰治だった僕も、来年は若干坂口安吾風味な気質も備えていこうと思い、簡単に言えば、今まで、単なるエクレアだったのが、実は中のくクリームがわさびだったといったような年にしていきたいなということで、総括のつもりがいつのまにか来年の抱負へと変貌しているあたり、やはり、すでにして暗雲が立ち込めている気がしなくも無いが、気にせず、もちを食う。
今年は、何より、ハーモニーという強迫性障害者の自助サークルに加入したことが自分にとって大きかった。それまでの僕は、周りにひとりも同じ障害を抱えている人がいなかったので、常にどこか、普通ではない自分に劣等感や、孤独を感じてしまっていた。毎日公務員学校に通うようになって、次第にそういった気持ちに押しつぶされそうになっていったときに勇気を持ってメンバーになったのだけど、そのことで、僕はネットの中に新たな居場所を見出すことが出来た。そこには、僕と同じように強迫に苦しむ人がいて、僕は孤独じゃないと、心強く思えた。そして、そのサークルを通して、かけがえの無い多くの友達を得ることができ、ホントに感謝をしてもしきれないほどの恩恵をこのサークルからこうむったわけで、そのおかげか、僕は、今、比較的症状が軽くなった。来年は、この恩返しをサークルの何らかの力になることでして行けたらいいなって思う。
だから、まずは、その意気込みを行動にあらわそうと、年明け前に年越しそばを食い、御節を食い、格闘技をみて、紅白はストレッチマンが出たところだけをみて、ウトウトした。
つまり、今年は太宰治だった僕も、来年は若干坂口安吾風味な気質も備えていこうと思い、簡単に言えば、今まで、単なるエクレアだったのが、実は中のくクリームがわさびだったといったような年にしていきたいなということで、総括のつもりがいつのまにか来年の抱負へと変貌しているあたり、やはり、すでにして暗雲が立ち込めている気がしなくも無いが、気にせず、もちを食う。
家のついでに、自分の悩みも、病気もきれいにしたいもんだな
2003年12月30日実家に帰って、大掃除。
僕は不精ったれなのだけど、実は、掃除ってやりだすと嫌いではなくて、とことんまでやってしまう。どうせやるんなら、徹底的にって思ってしまう。
そういえば、昔バイトでトイレ掃除を頼まれて、徹底的に磨いて時間かけてたら、、正社員の人から「ジョン(僕のバイトでのあだ名だった)ってA型でしょう」ってぴったしかんかんなんだけど、そんなこと言われたことがあるくらいやりこんでしまうのは、多分に完璧主義のきらいがあり、これがうやむやに出来るようなら、強迫も治ってくれるんじゃないかって思ったりなんかもしていたりする。
実家に帰ってるわけだから、今使ってるパソは兄貴ので、使いなれてないもんだから、非常にやり辛いなあ。メールも送れないし。
4日まで、マンションには帰らないから、あんまり、チャットも参加できないなあ。まあ、正月は休めって事なのね。
いやー、実家は寒い。寒い寒い炬燵にはいろ。
僕は不精ったれなのだけど、実は、掃除ってやりだすと嫌いではなくて、とことんまでやってしまう。どうせやるんなら、徹底的にって思ってしまう。
そういえば、昔バイトでトイレ掃除を頼まれて、徹底的に磨いて時間かけてたら、、正社員の人から「ジョン(僕のバイトでのあだ名だった)ってA型でしょう」ってぴったしかんかんなんだけど、そんなこと言われたことがあるくらいやりこんでしまうのは、多分に完璧主義のきらいがあり、これがうやむやに出来るようなら、強迫も治ってくれるんじゃないかって思ったりなんかもしていたりする。
実家に帰ってるわけだから、今使ってるパソは兄貴ので、使いなれてないもんだから、非常にやり辛いなあ。メールも送れないし。
4日まで、マンションには帰らないから、あんまり、チャットも参加できないなあ。まあ、正月は休めって事なのね。
いやー、実家は寒い。寒い寒い炬燵にはいろ。
京都は僕の心の都(2)
2003年12月27日 旅行☆22日☆
京都〜大原三千院、歩きつかれた男が〜ひとり〜♪ということで、後はひたすら観光するだけの僕は、ちょっと遠出して、大原へ。いやはや、大原はさらに山の中だはんで、雪は降ってなかったけど、高い樹に雪が積もってて、美しいの何の。そして、雪が間欠的に、かさかさ落ちてて、そのリズムがとっても心地よい。でも、右足の足首がもう、統制がきかんくなってて、ひーこらひーこらブヒンブヒン。なのに、途中道を間違えて、住宅街へ向かってたもんだから、リターンの分のスタミナと時間をかなりロスしてあなくやし。それに、昼食を食べようと期待していた店が、休み?もしくは潰れていて、結局昼飯は焼いて、みそつけた餅食っただけ。まあ、うまかったけどね。ホテルに戻って、さすがに、しばらく歩けなかったので、しばらく休憩。
夕食は、今回のオフ会のメンバーの人が、付き合ってくれた。京っぽい料理ということで湯葉料理。湯葉がこんなにもおいしいものだたとは。。。日本酒も、2人で二合飲んでほろほろよい。お腹いっぱい(*^0^) =3 ゲップ。ご馳走さまでした♪
☆23日☆
京都最終日。昨日夕食を一緒に食べたメンバーの人が、京都を案内してくれた。せっかくなので、地元の人ならではのところに連れていってもらった。まずは、僕のリクエストで西陣をまわったあと、京都大学の近くの、歴史的な喫茶店。いろんな哲学者や、文学者の方が来ていたそうで、誰がきたかはよく知らないけど、例えば、西田幾太郎さんとかかなあ?なんて、過去の偉人の面影に思いをはせながら、その場所にたたずむのも、また一興。そして、その人お勧めの詩仙堂へ。ここは、こじんまりとしたところだけど、とてもよかった。こんなところで、休日1日、読書でもしながらしながらボーっとできたら最高だろうなあって、まじで、京都にすみたくてたまらんくなった。そのあと曼殊院にいって、宮本武蔵の決戦の場を見て、サークルのメンバーの人は仕事があるので、お別れ。この旅行の間、この人には本当にお世話になりました。おかげで、充実した、楽しい旅行になったよ〜♪(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う、ございました☆ъ( ゜ー^)> バチッ
その後もう一度祗園へ行ってみたけど、少し遅れて、6時についたので、もう芸妓さんは見れなかった。ま、いっか^^
京都を後にして、僕は神戸へ、ルミナリエを見ようと思ったけど、時間と、疲労度を考えてやめた。帰りのフェリーターミナルの場所を忘れて、散々迷って、もう限界だってんで、タクシーに乗る。フェリー乗り場まで。って、いってる間、タクシーのうんちゃんとぺらぺらお喋り。でも、なかなかフェリー乗り場につかない。タクシー賃はどんどん上がっていく。だんだんあせってきた僕は、こんなに遠かったかなといぶかしく思ってきて話もそこそこに、財布を何度も確認。金たりんくなって帰れんかったら洒落ならんもんねえ(⌒-⌒;) ・・・・
結局、フェリーターミナルまでで、4000円もかかってしまった。ぼられたのかな。。。
でも、お金はどうにか足りたので、良しとしよう。僕は、フェリーに乗りこむと、すぐに深い眠りに落ちた。
というような感じだった。そして、僕は、ますます京都が好きになった。さらに京都の魅力にとりつかれてしまった。次に行く時までに、「週刊京都を歩く」などなどで、もっと勉強して京都のことをもっと知っておこうと思った次第。そして、いつか、京都に住めたらいいなあ。
ところで、日記が長すぎて、2回にわけんとだめやった^^;
京都〜大原三千院、歩きつかれた男が〜ひとり〜♪ということで、後はひたすら観光するだけの僕は、ちょっと遠出して、大原へ。いやはや、大原はさらに山の中だはんで、雪は降ってなかったけど、高い樹に雪が積もってて、美しいの何の。そして、雪が間欠的に、かさかさ落ちてて、そのリズムがとっても心地よい。でも、右足の足首がもう、統制がきかんくなってて、ひーこらひーこらブヒンブヒン。なのに、途中道を間違えて、住宅街へ向かってたもんだから、リターンの分のスタミナと時間をかなりロスしてあなくやし。それに、昼食を食べようと期待していた店が、休み?もしくは潰れていて、結局昼飯は焼いて、みそつけた餅食っただけ。まあ、うまかったけどね。ホテルに戻って、さすがに、しばらく歩けなかったので、しばらく休憩。
夕食は、今回のオフ会のメンバーの人が、付き合ってくれた。京っぽい料理ということで湯葉料理。湯葉がこんなにもおいしいものだたとは。。。日本酒も、2人で二合飲んでほろほろよい。お腹いっぱい(*^0^) =3 ゲップ。ご馳走さまでした♪
☆23日☆
京都最終日。昨日夕食を一緒に食べたメンバーの人が、京都を案内してくれた。せっかくなので、地元の人ならではのところに連れていってもらった。まずは、僕のリクエストで西陣をまわったあと、京都大学の近くの、歴史的な喫茶店。いろんな哲学者や、文学者の方が来ていたそうで、誰がきたかはよく知らないけど、例えば、西田幾太郎さんとかかなあ?なんて、過去の偉人の面影に思いをはせながら、その場所にたたずむのも、また一興。そして、その人お勧めの詩仙堂へ。ここは、こじんまりとしたところだけど、とてもよかった。こんなところで、休日1日、読書でもしながらしながらボーっとできたら最高だろうなあって、まじで、京都にすみたくてたまらんくなった。そのあと曼殊院にいって、宮本武蔵の決戦の場を見て、サークルのメンバーの人は仕事があるので、お別れ。この旅行の間、この人には本当にお世話になりました。おかげで、充実した、楽しい旅行になったよ〜♪(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う、ございました☆ъ( ゜ー^)> バチッ
その後もう一度祗園へ行ってみたけど、少し遅れて、6時についたので、もう芸妓さんは見れなかった。ま、いっか^^
京都を後にして、僕は神戸へ、ルミナリエを見ようと思ったけど、時間と、疲労度を考えてやめた。帰りのフェリーターミナルの場所を忘れて、散々迷って、もう限界だってんで、タクシーに乗る。フェリー乗り場まで。って、いってる間、タクシーのうんちゃんとぺらぺらお喋り。でも、なかなかフェリー乗り場につかない。タクシー賃はどんどん上がっていく。だんだんあせってきた僕は、こんなに遠かったかなといぶかしく思ってきて話もそこそこに、財布を何度も確認。金たりんくなって帰れんかったら洒落ならんもんねえ(⌒-⌒;) ・・・・
結局、フェリーターミナルまでで、4000円もかかってしまった。ぼられたのかな。。。
でも、お金はどうにか足りたので、良しとしよう。僕は、フェリーに乗りこむと、すぐに深い眠りに落ちた。
というような感じだった。そして、僕は、ますます京都が好きになった。さらに京都の魅力にとりつかれてしまった。次に行く時までに、「週刊京都を歩く」などなどで、もっと勉強して京都のことをもっと知っておこうと思った次第。そして、いつか、京都に住めたらいいなあ。
ところで、日記が長すぎて、2回にわけんとだめやった^^;
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京都は僕の心の都(1)
2003年12月26日 旅行おまたせ〜。
京都の旅行&オフ会事書くねえ(#^.^#)
といっても全部書くのは大変なので、印象に残ったことをちらほらと。
☆19日☆
フェリーにて京都に向けて出発。風呂に入ろうと、バスタオルを買うが、500円もして、なんてこった。。。僕が風呂から出た後くらいからゆれがひどくなって、風呂に入れなくなった。帰ってきてから知ったのだけど、僕の乗った後のフェリーから天候不良で運行中止になったんだってさ。あぶなあぶな。(^ー^;A アセアセ。寝台とってたのだけど、なんだか狭くて秘密基地みたいで面白かった。
☆20日☆
午前7時神戸港に到着。
すぐに京都へ向かう。午前9時くらいに到着。んで、早速観光じゃ〜!と向かったのは東福寺。京都は今日が初雪だったらしく、不覚にも傘を持っていなかった僕は顔にぶちぶち雪を浴びながらも、根性で前進。途中、外人さんが、ベアウティフリ、フアンタスティッケなんていってるところを振りかえってみると、雪景色の中、まだ散りきっていない紅葉が混ざり合い、ほんとにベアウティフリであったので、持ってきたデジカメを初めて使用。いやあ、よいときにきたなあ。なんて、東福寺につくが、寒さでいたい、雪が激しすぎる。さすがにたまらなくなって、参拝の受けつけ場所で傘売ってないですかってきくと、そこにおいておった傘を下さって、あなたも困った人にあったらその傘を渡してくださいなって、こうやって、人情と友にこの傘は人の手から手に渡ってきたのだろうかなんて想像の物語を作り出したりなんかして、ありがたく拝借したところ、なんと雪の奴晴れやがって、傘が単なるお荷物にな手しまったので、次の三十三間堂にさりげなく残していった。そしてあの傘はきっとまた困った人の手に渡っているのだろう。なんって調子のよい解釈。
三十三間堂は、ものすごかった、なにがって、お釈迦さまの数もそうだけど、板廊下の冷たさが半端でなくて出た頃にはみんな脚をストーブに突き出して、それを見た入場者が、あはは、大げさねって笑っている構図。あんたたちも出る頃にゃこうなるんだよ。ぐぬぬ。その次、京都博物館。ああっ、教科書に載ってる縄文土器だ、うきゃ♪キャッ☆(O ̄▽ ̄)O(O ̄▽ ̄O)O( ̄▽ ̄O)☆キャッ♪
おっとそろそろ、歩きすぎで、はきなれた靴にもかかわらず、靴擦れが( ̄□ ̄;) ぎょっ!!
あいたたた(´。`) ふぅ、おおぉぉ! w(*・o・*)wもう、こんな時間だ!って今日の観光はここまで、ひとまずホテルへ〜、3900円の。でも、明かにアパートをホテルにしたらしきそこは、部屋自体は広くて、案外によかった。夜は靴ずれにリバテープを貼って補強して、京都駅へ。
そう。僕が京都にきた本来の目的は、この日の午後6時からの、オフ会なのだった。ああ、すこうし緊張してきた〜((o(☆。☆)o)) ドキドキ。でも、観光での疲れで、気が紛れて、予想していたほど、ドキドキもしていないし、パニックにはならないかも。
待ち合わせは、中央改札口の横にある、ミドリの窓口。僕は、時間きっかしに到着〜、って、確か今日のメンバーは僕を入れて、4名。
ミドリの窓口にいってみると、もう2名来てる〜。
どうもはじめまして(*⌒ー⌒) にこっ♪ってお互いに挨拶。でも、チャットではよくあってるよね。どこ観光したの〜?ってきかれたから、応えようとしたら、出てこない。あっ、やっぱり緊張してるようだね、僕ちん。なぜなら、今日集まったのは、僕以外3人とも女性。ワーイ \(▽^\)(/^▽)/ ワーイ、チュウチュウ(  ̄з(〃´▽`〃)ε ̄ )ハーレムだぁ〜♪てな余裕は僕にはなくて、いっぱいいっぱい。もひとりの、幹事さんも、到着して、駅のイタリアレストランでオフ会の始まり始まり〜♪
と、ほんで、どうだったかっていうと、とても楽しかったのだ(*^^*ゞ。みんな和やかに、アットホームな感じで、成功って言っていいんじゃないかな。料理も美味しくて、ワインもちょっぴり飲んでいい気持。みんなやさしかったので、緊張も自然にほぐれて、よかったでし^^。ああ、もっと近ければ、頻繁にオフ会に参加できるのになあ。
みんな、ありがとう〜ヾ(@⌒▽⌒@)/ わ-い!
しかし、酔っていたせいか、帰り道、バスで予定のとこをいきすぎて金閣寺前まで行ってしまい、タクシーにてホテルまで送ってもらったら1000円もかかってしまった。。。
☆21日☆
今日は、清水寺からスタート。写真取り巻くりーの、歩きまくりーの。地主神社で、カップルたちの中、1人で縁結びの祈願をして、いそいそとその場を後に、産寧坂をのんびり歩いて、八坂の塔を写真にとって、二年坂をまたまたちょこちょこ歩いて、高台寺。ねねの道を歩いて、いいねえ風情があって。ああ腹減った、って石彫り小路を歩いていると、およよ?長い行列が!?いそいそ観光マップを見てみると、親子丼で有名なひさごっていう店。よっしゃここまできたら食べてやるって、行列に参加。むむむ、よく見たらまたしてもカップルばっか、ああ、1人で並ぶこの物悲しさは、わびさびの極意であるのか、嗚呼。とくに僕ちんの後ろに並んだカップルが、極いちゃいちゃしやがっておりまして、古都京都を偲ばせるその風情と相俟って、僕の憂愁の念を惹起させ、ものがさしさにぴりりときいたジェラシーが加味されて、なんともたまらない気持になってきたので途中で行列を抜け出し逃げるように八坂神社へ。ああ腹へった脚が痛い、なんとならば歩きどおしで、僕の脚はもうその間接の軟骨が磨り減ってぎこぎこがくがくいっているのであって、丸山公園の定職屋で親子丼をかき込んだ。でも、ほんとは行列の店で食べたかったなあ。。。足が痛かろうがなんだろうが、今見とかんけりゃ次いつこれるかわからんから、とにかく観光がなにより優先。悲鳴を上げる足をひきづって知恩院、そして、平安神宮まであるいてった。それにしても〜、京都の観光地の拝観料って高過ぎないか?
夜は、いったんホテル(昨日と違うホテル)へチェックインして祗園へ繰り出す。目的は芸妓さんをみるため、しかし、素人の僕は、むやみに花見小路にいってまっていても、一向に芸妓さんを見れるはずはなく、なんとならば、芸妓さんは午後4時30分頃から5時位までの間に行かなきゃなかなか見れるもんではないんだそうな。ただ着ただけでは悔しいんで、花見小路で唯一僕でも入れそうないちげんさんお断りでない、料亭?(定食屋)に入って、特大エビ天丼、だしまき卵つきを食してやった。ほんで、ぶらぶら、体力が限界になるまで祗園から、先斗町をそぞろ歩く。先斗町は素晴らしかった。ほんで、限界がきたところでご帰還。
京都の旅行&オフ会事書くねえ(#^.^#)
といっても全部書くのは大変なので、印象に残ったことをちらほらと。
☆19日☆
フェリーにて京都に向けて出発。風呂に入ろうと、バスタオルを買うが、500円もして、なんてこった。。。僕が風呂から出た後くらいからゆれがひどくなって、風呂に入れなくなった。帰ってきてから知ったのだけど、僕の乗った後のフェリーから天候不良で運行中止になったんだってさ。あぶなあぶな。(^ー^;A アセアセ。寝台とってたのだけど、なんだか狭くて秘密基地みたいで面白かった。
☆20日☆
午前7時神戸港に到着。
すぐに京都へ向かう。午前9時くらいに到着。んで、早速観光じゃ〜!と向かったのは東福寺。京都は今日が初雪だったらしく、不覚にも傘を持っていなかった僕は顔にぶちぶち雪を浴びながらも、根性で前進。途中、外人さんが、ベアウティフリ、フアンタスティッケなんていってるところを振りかえってみると、雪景色の中、まだ散りきっていない紅葉が混ざり合い、ほんとにベアウティフリであったので、持ってきたデジカメを初めて使用。いやあ、よいときにきたなあ。なんて、東福寺につくが、寒さでいたい、雪が激しすぎる。さすがにたまらなくなって、参拝の受けつけ場所で傘売ってないですかってきくと、そこにおいておった傘を下さって、あなたも困った人にあったらその傘を渡してくださいなって、こうやって、人情と友にこの傘は人の手から手に渡ってきたのだろうかなんて想像の物語を作り出したりなんかして、ありがたく拝借したところ、なんと雪の奴晴れやがって、傘が単なるお荷物にな手しまったので、次の三十三間堂にさりげなく残していった。そしてあの傘はきっとまた困った人の手に渡っているのだろう。なんって調子のよい解釈。
三十三間堂は、ものすごかった、なにがって、お釈迦さまの数もそうだけど、板廊下の冷たさが半端でなくて出た頃にはみんな脚をストーブに突き出して、それを見た入場者が、あはは、大げさねって笑っている構図。あんたたちも出る頃にゃこうなるんだよ。ぐぬぬ。その次、京都博物館。ああっ、教科書に載ってる縄文土器だ、うきゃ♪キャッ☆(O ̄▽ ̄)O(O ̄▽ ̄O)O( ̄▽ ̄O)☆キャッ♪
おっとそろそろ、歩きすぎで、はきなれた靴にもかかわらず、靴擦れが( ̄□ ̄;) ぎょっ!!
あいたたた(´。`) ふぅ、おおぉぉ! w(*・o・*)wもう、こんな時間だ!って今日の観光はここまで、ひとまずホテルへ〜、3900円の。でも、明かにアパートをホテルにしたらしきそこは、部屋自体は広くて、案外によかった。夜は靴ずれにリバテープを貼って補強して、京都駅へ。
そう。僕が京都にきた本来の目的は、この日の午後6時からの、オフ会なのだった。ああ、すこうし緊張してきた〜((o(☆。☆)o)) ドキドキ。でも、観光での疲れで、気が紛れて、予想していたほど、ドキドキもしていないし、パニックにはならないかも。
待ち合わせは、中央改札口の横にある、ミドリの窓口。僕は、時間きっかしに到着〜、って、確か今日のメンバーは僕を入れて、4名。
ミドリの窓口にいってみると、もう2名来てる〜。
どうもはじめまして(*⌒ー⌒) にこっ♪ってお互いに挨拶。でも、チャットではよくあってるよね。どこ観光したの〜?ってきかれたから、応えようとしたら、出てこない。あっ、やっぱり緊張してるようだね、僕ちん。なぜなら、今日集まったのは、僕以外3人とも女性。ワーイ \(▽^\)(/^▽)/ ワーイ、チュウチュウ(  ̄з(〃´▽`〃)ε ̄ )ハーレムだぁ〜♪てな余裕は僕にはなくて、いっぱいいっぱい。もひとりの、幹事さんも、到着して、駅のイタリアレストランでオフ会の始まり始まり〜♪
と、ほんで、どうだったかっていうと、とても楽しかったのだ(*^^*ゞ。みんな和やかに、アットホームな感じで、成功って言っていいんじゃないかな。料理も美味しくて、ワインもちょっぴり飲んでいい気持。みんなやさしかったので、緊張も自然にほぐれて、よかったでし^^。ああ、もっと近ければ、頻繁にオフ会に参加できるのになあ。
みんな、ありがとう〜ヾ(@⌒▽⌒@)/ わ-い!
しかし、酔っていたせいか、帰り道、バスで予定のとこをいきすぎて金閣寺前まで行ってしまい、タクシーにてホテルまで送ってもらったら1000円もかかってしまった。。。
☆21日☆
今日は、清水寺からスタート。写真取り巻くりーの、歩きまくりーの。地主神社で、カップルたちの中、1人で縁結びの祈願をして、いそいそとその場を後に、産寧坂をのんびり歩いて、八坂の塔を写真にとって、二年坂をまたまたちょこちょこ歩いて、高台寺。ねねの道を歩いて、いいねえ風情があって。ああ腹減った、って石彫り小路を歩いていると、およよ?長い行列が!?いそいそ観光マップを見てみると、親子丼で有名なひさごっていう店。よっしゃここまできたら食べてやるって、行列に参加。むむむ、よく見たらまたしてもカップルばっか、ああ、1人で並ぶこの物悲しさは、わびさびの極意であるのか、嗚呼。とくに僕ちんの後ろに並んだカップルが、極いちゃいちゃしやがっておりまして、古都京都を偲ばせるその風情と相俟って、僕の憂愁の念を惹起させ、ものがさしさにぴりりときいたジェラシーが加味されて、なんともたまらない気持になってきたので途中で行列を抜け出し逃げるように八坂神社へ。ああ腹へった脚が痛い、なんとならば歩きどおしで、僕の脚はもうその間接の軟骨が磨り減ってぎこぎこがくがくいっているのであって、丸山公園の定職屋で親子丼をかき込んだ。でも、ほんとは行列の店で食べたかったなあ。。。足が痛かろうがなんだろうが、今見とかんけりゃ次いつこれるかわからんから、とにかく観光がなにより優先。悲鳴を上げる足をひきづって知恩院、そして、平安神宮まであるいてった。それにしても〜、京都の観光地の拝観料って高過ぎないか?
夜は、いったんホテル(昨日と違うホテル)へチェックインして祗園へ繰り出す。目的は芸妓さんをみるため、しかし、素人の僕は、むやみに花見小路にいってまっていても、一向に芸妓さんを見れるはずはなく、なんとならば、芸妓さんは午後4時30分頃から5時位までの間に行かなきゃなかなか見れるもんではないんだそうな。ただ着ただけでは悔しいんで、花見小路で唯一僕でも入れそうないちげんさんお断りでない、料亭?(定食屋)に入って、特大エビ天丼、だしまき卵つきを食してやった。ほんで、ぶらぶら、体力が限界になるまで祗園から、先斗町をそぞろ歩く。先斗町は素晴らしかった。ほんで、限界がきたところでご帰還。
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(_ _).。o○ グゥーグゥー
2003年12月25日Zzz ( ̄〜 ̄) ムニャムニャ
ジュルルル ( ̄q ̄)zzz
ヽ(^○^)ノふぁ〜〜
\(o ̄∇ ̄o)/ ふあー 起きたよ〜♪
( ̄。 ̄)ボーォォ
( ̄□ ̄;) ぎょっ!!もうこんな時間だ!!
q(・・;q) ))) ((( (p;・・)p あせあせ
f(´−`;) えっとぉ
明日こそちゃんと日記を書こう( ̄ー ̄)ゞ スマンスマン
とりあえず今日は〜
★:*☆※>o(’-’*)Merry*Christmas(*’-’)o<※☆:*★
でも僕はロンリー(´ヘ`;) ハァ
ヾ(*T▽T*) またねぇぇ
ジュルルル ( ̄q ̄)zzz
ヽ(^○^)ノふぁ〜〜
\(o ̄∇ ̄o)/ ふあー 起きたよ〜♪
( ̄。 ̄)ボーォォ
( ̄□ ̄;) ぎょっ!!もうこんな時間だ!!
q(・・;q) ))) ((( (p;・・)p あせあせ
f(´−`;) えっとぉ
明日こそちゃんと日記を書こう( ̄ー ̄)ゞ スマンスマン
とりあえず今日は〜
★:*☆※>o(’-’*)Merry*Christmas(*’-’)o<※☆:*★
でも僕はロンリー(´ヘ`;) ハァ
ヾ(*T▽T*) またねぇぇ
真っ赤なお目めの小堺さん
2003年12月24日タイトルには何の意味もないので深く考えないように。
あっ、今日ってクリスマス・イブなん?ニューズウィークの表紙に載ってるフセインの伸ばし放題の髭がサンタに似てたんで思い出したよ。でもフセインはどっちかというとサタン。(* ̄m ̄) ププッ
サンタさん、お願いです僕にロトシックスの1等というプレゼントをくださいな。しかも、僕だけに。しかも満額四億くらいがいいな。(≧m≦) ぷっ!
今日は京都からご帰還。~~へ(@。@)へ~~ ヘロヘロォ〜ってな具合につかれちった。
オフ会、楽しかったでー(⌒□⌒*) ニャハッ♪
京都も満喫♪
でも、今日はつかれてるんで、報告はのちのち、ボチボチ、ヨタヨタやっていこうかな。
じゃあ、ヾ(´○` )お♪( ´▽`)や♪(´ε` )す♪( ´θ`)ノみぃ♪
あっ、今日ってクリスマス・イブなん?ニューズウィークの表紙に載ってるフセインの伸ばし放題の髭がサンタに似てたんで思い出したよ。でもフセインはどっちかというとサタン。(* ̄m ̄) ププッ
サンタさん、お願いです僕にロトシックスの1等というプレゼントをくださいな。しかも、僕だけに。しかも満額四億くらいがいいな。(≧m≦) ぷっ!
今日は京都からご帰還。~~へ(@。@)へ~~ ヘロヘロォ〜ってな具合につかれちった。
オフ会、楽しかったでー(⌒□⌒*) ニャハッ♪
京都も満喫♪
でも、今日はつかれてるんで、報告はのちのち、ボチボチ、ヨタヨタやっていこうかな。
じゃあ、ヾ(´○` )お♪( ´▽`)や♪(´ε` )す♪( ´θ`)ノみぃ♪
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あくびしたら横隔膜が痛くなった。
2003年12月19日今日は京都に向けて出発の日。
心配&楽しみ。計画はそこそこしっかり立てたもんね。うまくいくといいなあ。京都は寒いっていうけど、ドノくらい厚着していけばいいんだろう?
荷物は極力減らそう。とかいいながら文庫本3冊持っていくんだけど。
服は当然帰るまで同じ。下着はかえるけどね。
まあ、こんなもんかなあ。
ということで、24日まで、この日記は更新できませんたい。
心配&楽しみ。計画はそこそこしっかり立てたもんね。うまくいくといいなあ。京都は寒いっていうけど、ドノくらい厚着していけばいいんだろう?
荷物は極力減らそう。とかいいながら文庫本3冊持っていくんだけど。
服は当然帰るまで同じ。下着はかえるけどね。
まあ、こんなもんかなあ。
ということで、24日まで、この日記は更新できませんたい。
図書館は平日にかぎる
2003年12月16日だって、人が少ないんだもん。
ありゃりゃ、朝の6時に起きちゃった。さんざ眠ってたら、いつのまにか生活習慣戻ってやんの。家にいると、ベッドに寝転がる癖(?)があるので、図書館に行く。できれば、もう生活を崩したくない。まあ、遅かれ早かれ崩れるんだけども、根性ないから。。。
この前は暑すぎたんで、インナーを1枚減らしていったら丁度よくて、快適に勉強できた。といっても、やっぱり、苦手教科は後回しにしちゃって、英語ばっかりやってしまう。あんまり根を詰めすぎると、また、耳鳴りが始まるかもしれないので、もう無理はしない、だらだら、ボケーっとちびちびやる。それでも、午前九時から午後7時までやれば、あら、久しぶりに勉強したーって感じは、その内容には関係なくしてしまう。でも、内実、英語しかしてない。数的推理なんて1問しかといてないし、経済原論なんて手すらつけてない。この2教科こそが僕に最も必要なんだけどね、ほんとは。
まあ、ひさしぶりに1日図書館にいることができたんでよしとするか。
ありゃりゃ、朝の6時に起きちゃった。さんざ眠ってたら、いつのまにか生活習慣戻ってやんの。家にいると、ベッドに寝転がる癖(?)があるので、図書館に行く。できれば、もう生活を崩したくない。まあ、遅かれ早かれ崩れるんだけども、根性ないから。。。
この前は暑すぎたんで、インナーを1枚減らしていったら丁度よくて、快適に勉強できた。といっても、やっぱり、苦手教科は後回しにしちゃって、英語ばっかりやってしまう。あんまり根を詰めすぎると、また、耳鳴りが始まるかもしれないので、もう無理はしない、だらだら、ボケーっとちびちびやる。それでも、午前九時から午後7時までやれば、あら、久しぶりに勉強したーって感じは、その内容には関係なくしてしまう。でも、内実、英語しかしてない。数的推理なんて1問しかといてないし、経済原論なんて手すらつけてない。この2教科こそが僕に最も必要なんだけどね、ほんとは。
まあ、ひさしぶりに1日図書館にいることができたんでよしとするか。
アナログ人間は損をする。
2003年12月15日 僕の思ったこと僕は今まで、県外に一人旅をしたことなどほとんどないもので、仮に用事で泊りがけでどっかに行くことがあっても、直でビジネスホテルに飛び込んでた。
今回本格的に京都へ旅行をしてみようということになって、さすがに、金額を見積もって、出きるだけ節約をしないと厳しい段階になった。
だけれども、僕は、予約をするも、直で飛びこむもホテルの値段なぞ変わることはないて。などと時代錯誤もいいとこな勘違いをしておった。
今回、オフ会で会うメンバーに色々アドバイスしてもらったところ、セットや、予約で、ずいぶん金額が違ってくることを知ったぞな。
ほんで、今まで同様に、ネットで予約するも直で予約するもかわりゃせんなんて思ってたアナログ人間であった私。ネットでホテル予約サイトを開き、そのインターネット割引とやらを見たときのおどろきったらまあ、人はいかにかみけん。
安すぎる、今はこれが普通なのか?やはり、ある程度時世に流されていないとこういった損害をこうむることになる。僕もいつのまにかその柔軟性を失って、ノスタルジーに固執する、保守的おやじへと変貌を遂げつつあるのだろうか?
まあ、僕はもともとノスタルジー人間だから、たぶんにそのけはあるのかも。気をつけておかないと。
アナログ人間は損をする。昔のよきところを保存しつつも、時代の変化も否定せず好奇心を失わない、そう言う人間が一番バランスとれてて僕の理想。なんとならば、現在の時代を先取りしてる人間にとって昔の知恵は、過去のものではなく、未知の知恵、それを、古い、なんていって顧みないのは、現在のものをけなすアナログ保守派と何ら変わることはないと思うだよ。つまり、少年は中年化し、中年は中年で変わらない。
だから僕はデジタル世代はアナログ分文科に興味を示し、そして学び。アナログ世代はデジタル化を積極的に受容するという態度が必要なんだと思うわけ。
9000円のはずのホテルがネットでは5000円で泊まれる時代。そして、3900円で泊まれるホテルを見つけた時に、僕は積極的にネットを利用する大切さを痛感しながら、予約をしたのでありんす。
つまり、好奇心は、子供のままでいたいなあ。
今回本格的に京都へ旅行をしてみようということになって、さすがに、金額を見積もって、出きるだけ節約をしないと厳しい段階になった。
だけれども、僕は、予約をするも、直で飛びこむもホテルの値段なぞ変わることはないて。などと時代錯誤もいいとこな勘違いをしておった。
今回、オフ会で会うメンバーに色々アドバイスしてもらったところ、セットや、予約で、ずいぶん金額が違ってくることを知ったぞな。
ほんで、今まで同様に、ネットで予約するも直で予約するもかわりゃせんなんて思ってたアナログ人間であった私。ネットでホテル予約サイトを開き、そのインターネット割引とやらを見たときのおどろきったらまあ、人はいかにかみけん。
安すぎる、今はこれが普通なのか?やはり、ある程度時世に流されていないとこういった損害をこうむることになる。僕もいつのまにかその柔軟性を失って、ノスタルジーに固執する、保守的おやじへと変貌を遂げつつあるのだろうか?
まあ、僕はもともとノスタルジー人間だから、たぶんにそのけはあるのかも。気をつけておかないと。
アナログ人間は損をする。昔のよきところを保存しつつも、時代の変化も否定せず好奇心を失わない、そう言う人間が一番バランスとれてて僕の理想。なんとならば、現在の時代を先取りしてる人間にとって昔の知恵は、過去のものではなく、未知の知恵、それを、古い、なんていって顧みないのは、現在のものをけなすアナログ保守派と何ら変わることはないと思うだよ。つまり、少年は中年化し、中年は中年で変わらない。
だから僕はデジタル世代はアナログ分文科に興味を示し、そして学び。アナログ世代はデジタル化を積極的に受容するという態度が必要なんだと思うわけ。
9000円のはずのホテルがネットでは5000円で泊まれる時代。そして、3900円で泊まれるホテルを見つけた時に、僕は積極的にネットを利用する大切さを痛感しながら、予約をしたのでありんす。
つまり、好奇心は、子供のままでいたいなあ。
福岡国際女子柔道選手権
2003年12月14日 スポーツ今日も、ほとんど寝たけど、起きてる時はネットとテレビ観賞しとった。
昨日から始まっていた福岡国際女子柔道が何処かの局で放送されるはずだと目論んでいたら案の定放送があったので安心。
今回はご結婚おめでとう柔ちゅわんは出てないので、僕のお目当ては、キューバのアマリリス・サボン。
彼女はずっと48kg級で、柔ちゃんの影に隠れて二番手だった。12回対戦して、一度も勝てなかったんだ。柔ちゃんさえいなければ、間違いなく48kg級で、一時代の女王となっていたであろう不遇なる女傑。
そんな彼女が結婚し出産を期に52kg級へと階級を上げて、この前の世界選手権で優勝した。正直、彼女は柔ちゃんを倒したかっただろう。でも、柔ちゃんには勝てなくても、彼女の実力は間違いなく女子柔道の中でも、トップクラスのものだ。彼女は、負ければ引退の覚悟でのぞんだ世界選手権で52kg級で優勝した。欲しかった金メダル。柔ちゃんがいたゆえにとれなかったたった一つの色。階級は違えど、彼女は手にした。彼女ほどの実力があれば本来なら何個も手にできたであろうその色のメダル。彼女はようやく一つ手にいれた。優勝の涙が、美しかった。
今回の福岡国際、彼女は負けて、メダルを逃した。彼女ももう1児の母である。年をとった。全盛時のパワーはもうない。しかし、もう一度だけでいいから、彼女に金メダルをとらせてあげたい。彼女には、金メダルは2個でも、本来なら足りないくらいなのだから。
今度のオリンピックは、日本の選手には悪いが、彼女を、サボンを応援するつもりだ。
彼女の娘は、さくらちゃんという。彼女は柔道を愛し、日本を愛してくれている。僕は、母国であるのに、彼女ほど日本を愛しているだろうか?今一度、日本のよさを振り返って見よう。そんな風に思った。
昨日から始まっていた福岡国際女子柔道が何処かの局で放送されるはずだと目論んでいたら案の定放送があったので安心。
今回はご結婚おめでとう柔ちゅわんは出てないので、僕のお目当ては、キューバのアマリリス・サボン。
彼女はずっと48kg級で、柔ちゃんの影に隠れて二番手だった。12回対戦して、一度も勝てなかったんだ。柔ちゃんさえいなければ、間違いなく48kg級で、一時代の女王となっていたであろう不遇なる女傑。
そんな彼女が結婚し出産を期に52kg級へと階級を上げて、この前の世界選手権で優勝した。正直、彼女は柔ちゃんを倒したかっただろう。でも、柔ちゃんには勝てなくても、彼女の実力は間違いなく女子柔道の中でも、トップクラスのものだ。彼女は、負ければ引退の覚悟でのぞんだ世界選手権で52kg級で優勝した。欲しかった金メダル。柔ちゃんがいたゆえにとれなかったたった一つの色。階級は違えど、彼女は手にした。彼女ほどの実力があれば本来なら何個も手にできたであろうその色のメダル。彼女はようやく一つ手にいれた。優勝の涙が、美しかった。
今回の福岡国際、彼女は負けて、メダルを逃した。彼女ももう1児の母である。年をとった。全盛時のパワーはもうない。しかし、もう一度だけでいいから、彼女に金メダルをとらせてあげたい。彼女には、金メダルは2個でも、本来なら足りないくらいなのだから。
今度のオリンピックは、日本の選手には悪いが、彼女を、サボンを応援するつもりだ。
彼女の娘は、さくらちゃんという。彼女は柔道を愛し、日本を愛してくれている。僕は、母国であるのに、彼女ほど日本を愛しているだろうか?今一度、日本のよさを振り返って見よう。そんな風に思った。
あっ、日記開けた。
2003年12月13日今日は念願かなって朝早起き。
でも、午前4時だから、超早起きしてしまった。
まあ、これで図書館にいけるからいいや。
それにしても、さすがに朝は寒い。午前9時から図書館は開くんで、僕は結構厚着していった。
これが大誤算。図書館の中の熱いのなんの。
土日は人も多いんで、勉強ルームは二酸化炭素が充満して、息苦しいったらない。人が多いと、さすがに強迫も厳しい。それになんだか眠くなってきた。
熱い、苦しい、強迫、眠いの四重苦に陥った僕は昼飯食って、図書館を後にした。知ってる人もいなかったしね。実は僕、白状すると、図書館にいってる理由の七割くらいは、知ってる人に合えるかもといった期待がゆえなのである。
まあ、実際にあったらあったで、どぎまぎしちゃうんだけどさ。人間好きの、対人恐怖ほど厄介なもんはないねえ(汗)。ただ、僕の場合は至るところで対人恐怖って訳でもなくて、その状況や体調によって、パニックになったかと思えば、社交的にマシンガントークやってる時もあって、自分でも、ほんとに対人だとは思えない時もあるんだけどね。事前に予定なんかたててあうと、緊張しちゃってだめかなあ。唐突に会ったりしたら、案外自然に話せちゃう時が多い。まあ、どっちにしろ、1人で、引きこもって勉強してると、さすがに気がめいってきちゃうんで、不全感が出そうなときには、図書館に行きましょ。
ということで、午後2時にはもうマンションに帰ってた。途中で、京都の地図を購入。20日から、オフ会もかねて3泊4日の京都観光。
以前行ったときは計画立ててなかったもんで、色々迷ったり歩いたりして、かなり体力と時間をロスしたから、今回はみっちり計画立てて、ゆっくり、そしてたっぷり京都を満喫したい。予算の都合でホテルと、食事は質素なものにしなくちゃいけないだろうけど、せっかく3泊もするんだから、見るべき場所はみとかないとね。ホテルも、安くていいから、京都らしい旅館に泊まったほうがいいかしら?
後1週間考える時間があるので、ゆっくり推考していきましょ。
でも、午前4時だから、超早起きしてしまった。
まあ、これで図書館にいけるからいいや。
それにしても、さすがに朝は寒い。午前9時から図書館は開くんで、僕は結構厚着していった。
これが大誤算。図書館の中の熱いのなんの。
土日は人も多いんで、勉強ルームは二酸化炭素が充満して、息苦しいったらない。人が多いと、さすがに強迫も厳しい。それになんだか眠くなってきた。
熱い、苦しい、強迫、眠いの四重苦に陥った僕は昼飯食って、図書館を後にした。知ってる人もいなかったしね。実は僕、白状すると、図書館にいってる理由の七割くらいは、知ってる人に合えるかもといった期待がゆえなのである。
まあ、実際にあったらあったで、どぎまぎしちゃうんだけどさ。人間好きの、対人恐怖ほど厄介なもんはないねえ(汗)。ただ、僕の場合は至るところで対人恐怖って訳でもなくて、その状況や体調によって、パニックになったかと思えば、社交的にマシンガントークやってる時もあって、自分でも、ほんとに対人だとは思えない時もあるんだけどね。事前に予定なんかたててあうと、緊張しちゃってだめかなあ。唐突に会ったりしたら、案外自然に話せちゃう時が多い。まあ、どっちにしろ、1人で、引きこもって勉強してると、さすがに気がめいってきちゃうんで、不全感が出そうなときには、図書館に行きましょ。
ということで、午後2時にはもうマンションに帰ってた。途中で、京都の地図を購入。20日から、オフ会もかねて3泊4日の京都観光。
以前行ったときは計画立ててなかったもんで、色々迷ったり歩いたりして、かなり体力と時間をロスしたから、今回はみっちり計画立てて、ゆっくり、そしてたっぷり京都を満喫したい。予算の都合でホテルと、食事は質素なものにしなくちゃいけないだろうけど、せっかく3泊もするんだから、見るべき場所はみとかないとね。ホテルも、安くていいから、京都らしい旅館に泊まったほうがいいかしら?
後1週間考える時間があるので、ゆっくり推考していきましょ。
唇の砂漠化
2003年12月12日ぬってもぬってもか〜さかさ。
最近の唇は潤いが欠如しとる。けしからん。そもそも頻繁にリップをぬっておるのに、ニッコリ笑うたびに唇ぶちって縦に切れやがって。切れるのは痔だけで充分じゃ!(失礼)
いやあ、ユニクロで冬服買っといてえがっだ。寒さに動じることなく街に出れるぜいって自転車で颯爽と疾駆しとると、一部分がヒーリヒリ。
おお!これは何たるまがごとか!耳なし芳一のその耳のごとくにあらわになっってる僕のお手ては、寒風にさらされて軋るような悲鳴を上げている。ていうか、僕が悲鳴を上げている。きえー!
手袋の購入を度忘れしておった。
ということで、手袋も買うんだけれど、今日街に出た目的ってのは、約3週間ぶりのカウンセリング。
ほんとは午後4時からだったのだけど、当然のごとくに寝過ごし、(なんとならば僕はまだ生活習慣をもどせないでいる)午後5時に病院到着。まあ、たいした問題じゃないけども。
カウンセリングは今回で4回目。
でも、内容はっていうと、甚だ疑問。に思えてきた。なぜなら、カウンセラーは前回同様、僕の考えやら最近の状況やらを聞いてくるだけで、自分の考えをまったく述べてこない。ただ、会話してるって感じ。
最初の2回くらいは、僕のことを知るために探ってるんだろうとか、なにか意図があるんだろうって思ってたけど、今回も対応に進展が見えてこないもんだから、果たして、こんなことに、意味があるのか?とか、カウンセラーは、果たして意図的にやってるのか?とか訝ってしまいだしちゃうよ。
とにかく、カウンセラーの声が小さく、たまにボソッと質問してくるだけで、僕が返答すると、それでまたしばらく無言の時間が続く。話が広がらないし、深い話にも持っていけない。僕は、結構こういう無言の気まずい空気が苦手なので、このこと自体がストレスになっちゃいそうで、本末転倒。
とくに今日は、眠たかったもんで、いつもは無言が続かないように、ひたすら僕が話すんだけど、今日は無言の間、まぶたが何回も閉じちゃいそうになってつらかった。てか、閉じてたけどね(笑)それに、もう、自分のこと全部話しちゃったから、先生が話しを掘り下げてくれなきゃ、もう話すことないって。今までも、結構同じ話しを何回もしてるし〜^^;
そんな僕の気持を知ってか知らずか、カウンセラーの先生は、沈思黙考。たまに、むーんむーんとかうなってて。ラストの5分間くらいお互いなんも話さずその気まずい空気のまま、時間到来。
カウンセラーおもむろに「今日は時間がきたようなので次は26日に」ってなんじゃりゃ。
ほんとに僕はこんなことで救われるのかいな?
ほんで、カウンセリングの後に普通の診療(違う先生)を受けたんだけど、そこで、耳鳴り&フラフラの件を話す。ルボックスの副作用の可能性を問うてみるが、確かな確証は得られなかった。先生がいううに、僕が耳鳴りのおこりだす直前にやっていた、怒涛の10時間勉強(休憩なし)がの方が原因の可能性があるといわれた。ほんと、そのせいで以後2週間何の勉強もできなくなったのだから、まさに過ぎ足れば及ばざるが如し。のーみそがバーンアウトだとかいってる場合じゃなかったのね。必ず休憩は入れるようにっていわれちゃった。てか、もう6時間しかしないよ。やっぱり僕の体は6時間しか勉強できない体なんだわ。なんちゃって。
帰りは薬局によって、新たなリップを購入。前のメンソレータムむ奴は充分な仕事をしてくれなかった更迭。リップの世界は結果責任を伴う厳しい世界なのじゃ。がははは。
ほんで、サティによって手ごろな手袋と、おっと、探していた、グンゼのTシャーツをみっけ!!で購入。
今日の日はさようなら。
最近の唇は潤いが欠如しとる。けしからん。そもそも頻繁にリップをぬっておるのに、ニッコリ笑うたびに唇ぶちって縦に切れやがって。切れるのは痔だけで充分じゃ!(失礼)
いやあ、ユニクロで冬服買っといてえがっだ。寒さに動じることなく街に出れるぜいって自転車で颯爽と疾駆しとると、一部分がヒーリヒリ。
おお!これは何たるまがごとか!耳なし芳一のその耳のごとくにあらわになっってる僕のお手ては、寒風にさらされて軋るような悲鳴を上げている。ていうか、僕が悲鳴を上げている。きえー!
手袋の購入を度忘れしておった。
ということで、手袋も買うんだけれど、今日街に出た目的ってのは、約3週間ぶりのカウンセリング。
ほんとは午後4時からだったのだけど、当然のごとくに寝過ごし、(なんとならば僕はまだ生活習慣をもどせないでいる)午後5時に病院到着。まあ、たいした問題じゃないけども。
カウンセリングは今回で4回目。
でも、内容はっていうと、甚だ疑問。に思えてきた。なぜなら、カウンセラーは前回同様、僕の考えやら最近の状況やらを聞いてくるだけで、自分の考えをまったく述べてこない。ただ、会話してるって感じ。
最初の2回くらいは、僕のことを知るために探ってるんだろうとか、なにか意図があるんだろうって思ってたけど、今回も対応に進展が見えてこないもんだから、果たして、こんなことに、意味があるのか?とか、カウンセラーは、果たして意図的にやってるのか?とか訝ってしまいだしちゃうよ。
とにかく、カウンセラーの声が小さく、たまにボソッと質問してくるだけで、僕が返答すると、それでまたしばらく無言の時間が続く。話が広がらないし、深い話にも持っていけない。僕は、結構こういう無言の気まずい空気が苦手なので、このこと自体がストレスになっちゃいそうで、本末転倒。
とくに今日は、眠たかったもんで、いつもは無言が続かないように、ひたすら僕が話すんだけど、今日は無言の間、まぶたが何回も閉じちゃいそうになってつらかった。てか、閉じてたけどね(笑)それに、もう、自分のこと全部話しちゃったから、先生が話しを掘り下げてくれなきゃ、もう話すことないって。今までも、結構同じ話しを何回もしてるし〜^^;
そんな僕の気持を知ってか知らずか、カウンセラーの先生は、沈思黙考。たまに、むーんむーんとかうなってて。ラストの5分間くらいお互いなんも話さずその気まずい空気のまま、時間到来。
カウンセラーおもむろに「今日は時間がきたようなので次は26日に」ってなんじゃりゃ。
ほんとに僕はこんなことで救われるのかいな?
ほんで、カウンセリングの後に普通の診療(違う先生)を受けたんだけど、そこで、耳鳴り&フラフラの件を話す。ルボックスの副作用の可能性を問うてみるが、確かな確証は得られなかった。先生がいううに、僕が耳鳴りのおこりだす直前にやっていた、怒涛の10時間勉強(休憩なし)がの方が原因の可能性があるといわれた。ほんと、そのせいで以後2週間何の勉強もできなくなったのだから、まさに過ぎ足れば及ばざるが如し。のーみそがバーンアウトだとかいってる場合じゃなかったのね。必ず休憩は入れるようにっていわれちゃった。てか、もう6時間しかしないよ。やっぱり僕の体は6時間しか勉強できない体なんだわ。なんちゃって。
帰りは薬局によって、新たなリップを購入。前のメンソレータムむ奴は充分な仕事をしてくれなかった更迭。リップの世界は結果責任を伴う厳しい世界なのじゃ。がははは。
ほんで、サティによって手ごろな手袋と、おっと、探していた、グンゼのTシャーツをみっけ!!で購入。
今日の日はさようなら。
武士道とは死ぬこととみつけたり
2003年12月11日 映画〔洋画〕今日は図書館へ行く決意も、外を見て、雨が降っていることを確認して気持が萎え。ベットにもぐりこみ、図書館に行った夢を見た。のかもしれないけど覚えてないや、へけけ。
起きたれば、そこは雪国だったわけではなく自分の部屋なんだけども午後3時。
あっ!おやつだ。なんていわないよ。3時半に友達と待ち合わせ。貸してたお金を返してもらうのさ〜。
雨の中チャリはめんどいの〜。ああみえてきた待ち合わせの公園が。
おお、友よ久方ぶりじゃのう。あらら?髪がちじれているよ。パーマンになってるよ。お金返してもらってしばし話しているうちに、その友達G君も、「俺もみよっかな〜」って一緒にラストサムライを見に行くことに相成った。
なんとならば今日はメンズデー。男は千円。鶴は万年。
急げ急げ4時開始じゃ。
始まりました「ラストサムライ」は、典型的なハリウット映画の娯楽作となっていて、案外におもしろかった。これって、実はかなり評価しとるわけ。なぜなら、今まで、日本物でここまで、まっとうなハリウッドの作品を見たことがなかったから。
つまり、典型的という言葉はこの場合誉めことばな訳なのだ。自分勝手な解釈だけど。展開としては、まあ、単純明快、善と悪。だけど、日本のシーンに僕は違和感を感じなかったから、うん、やっぱり、普通のハリウッド映画の娯楽ものとして、楽しめた。
誉めるべくは、渡辺謙の演技。トムが哀れに見えるくらいの存在感でうれしかったな。むふふん。
オファーきまっせ、ハリウッドから渡辺さん。英語勉強しときんさいな。
満腹満腹、だけど腹減ったなあ〜。帰宅して刺身食ってチャットしてたらあいたたた。右目が痛い、これはきっと疲労神経痛。最近パソコンの画面見過ぎなのかも、ああセデス飲み〜。
んで、おだぶつ。
起きたれば、そこは雪国だったわけではなく自分の部屋なんだけども午後3時。
あっ!おやつだ。なんていわないよ。3時半に友達と待ち合わせ。貸してたお金を返してもらうのさ〜。
雨の中チャリはめんどいの〜。ああみえてきた待ち合わせの公園が。
おお、友よ久方ぶりじゃのう。あらら?髪がちじれているよ。パーマンになってるよ。お金返してもらってしばし話しているうちに、その友達G君も、「俺もみよっかな〜」って一緒にラストサムライを見に行くことに相成った。
なんとならば今日はメンズデー。男は千円。鶴は万年。
急げ急げ4時開始じゃ。
始まりました「ラストサムライ」は、典型的なハリウット映画の娯楽作となっていて、案外におもしろかった。これって、実はかなり評価しとるわけ。なぜなら、今まで、日本物でここまで、まっとうなハリウッドの作品を見たことがなかったから。
つまり、典型的という言葉はこの場合誉めことばな訳なのだ。自分勝手な解釈だけど。展開としては、まあ、単純明快、善と悪。だけど、日本のシーンに僕は違和感を感じなかったから、うん、やっぱり、普通のハリウッド映画の娯楽ものとして、楽しめた。
誉めるべくは、渡辺謙の演技。トムが哀れに見えるくらいの存在感でうれしかったな。むふふん。
オファーきまっせ、ハリウッドから渡辺さん。英語勉強しときんさいな。
満腹満腹、だけど腹減ったなあ〜。帰宅して刺身食ってチャットしてたらあいたたた。右目が痛い、これはきっと疲労神経痛。最近パソコンの画面見過ぎなのかも、ああセデス飲み〜。
んで、おだぶつ。
むにゃむにゃ
2003年12月10日おはよーう。
ってもう午後の10時やんか!!
起き立ちに、油ぎっとぎとのピザを食べる。
胃袋がびっくりしないように、炭酸を事前に流し込んでおく、ショック療法。
いやはや、生活習慣をすぐに戻せる人ってすごいよね〜。僕は、一度崩れると、なかなか元に戻すことができない。僕は極度に眠気に弱く、そしてまた、朝に弱い。だから、ついつい寝過ごしてしまうと、もう、おしまい。夜はきっかり寝過ごしたぶんだけ遅くなってしまう。そして不思議なことに、夜と昼がきっかり逆転したところで、安定してしまう。もともと僕は、夜行性なのかもしれないなあ。夜になるとうきうきしてくるんだよね^^;
んで、一回逆転してしまうと、もう、無理やりに徹夜して直すしか方法がなくなってしまう。でも、眠気に弱い僕は、一度では成功したためしがない。やっぱり、これは気ままな無職(正確には受験生)だからなんだろうなあ。いくら僕でも、強制的にしなきゃいけないことができれば起きるだろうから。現在の僕の平均睡眠時間は、約10時間。眠りすぎなのはわかってるけど、これより短いと、どうも脳の働きが鈍ってるような気がしてくる。眠気も取れないし。まあ、なれてないだけなのかもしれないけど。アインシュタインも、たっぷり10時間寝てたって言うしね〜。沢山寝ることは脳の回復にはいいことだと思うけど、その分起きてる時間が短くなっちゃうんで、時間配分を厳密にして。濃い充実した生活を送らんといかんよね。
1日5時間の睡眠の生活を3日間続けた人の脳は、徹夜した人の集中力と変わらないくらいに脳の働きが落ちちゃうってほんとか嘘か知らないけど、研究結果も出てるしねえ。そうそう、ちなみに、一番長生きなのは、10時間寝てる人でも、6時間寝てる人でもなくて、7時間寝てる人なんだって。
まあ、とにかくも、図書館で勉強したいから、僕はやっぱり昼型に生活を戻さないとなあ。
だから、いつもは午前6時に寝て、午後4時ごろ起きてるところを、今日は、徹夜に挑戦したわけ。
んで、僕が午後10時に起きたってことは、そう、昼に睡魔に負けてしまったのやね〜。。
明日は、どうなるのやら。
ってもう午後の10時やんか!!
起き立ちに、油ぎっとぎとのピザを食べる。
胃袋がびっくりしないように、炭酸を事前に流し込んでおく、ショック療法。
いやはや、生活習慣をすぐに戻せる人ってすごいよね〜。僕は、一度崩れると、なかなか元に戻すことができない。僕は極度に眠気に弱く、そしてまた、朝に弱い。だから、ついつい寝過ごしてしまうと、もう、おしまい。夜はきっかり寝過ごしたぶんだけ遅くなってしまう。そして不思議なことに、夜と昼がきっかり逆転したところで、安定してしまう。もともと僕は、夜行性なのかもしれないなあ。夜になるとうきうきしてくるんだよね^^;
んで、一回逆転してしまうと、もう、無理やりに徹夜して直すしか方法がなくなってしまう。でも、眠気に弱い僕は、一度では成功したためしがない。やっぱり、これは気ままな無職(正確には受験生)だからなんだろうなあ。いくら僕でも、強制的にしなきゃいけないことができれば起きるだろうから。現在の僕の平均睡眠時間は、約10時間。眠りすぎなのはわかってるけど、これより短いと、どうも脳の働きが鈍ってるような気がしてくる。眠気も取れないし。まあ、なれてないだけなのかもしれないけど。アインシュタインも、たっぷり10時間寝てたって言うしね〜。沢山寝ることは脳の回復にはいいことだと思うけど、その分起きてる時間が短くなっちゃうんで、時間配分を厳密にして。濃い充実した生活を送らんといかんよね。
1日5時間の睡眠の生活を3日間続けた人の脳は、徹夜した人の集中力と変わらないくらいに脳の働きが落ちちゃうってほんとか嘘か知らないけど、研究結果も出てるしねえ。そうそう、ちなみに、一番長生きなのは、10時間寝てる人でも、6時間寝てる人でもなくて、7時間寝てる人なんだって。
まあ、とにかくも、図書館で勉強したいから、僕はやっぱり昼型に生活を戻さないとなあ。
だから、いつもは午前6時に寝て、午後4時ごろ起きてるところを、今日は、徹夜に挑戦したわけ。
んで、僕が午後10時に起きたってことは、そう、昼に睡魔に負けてしまったのやね〜。。
明日は、どうなるのやら。