DVD ソニー・ピクチャーズ 2002/02/22 ¥3,990
デンマークの資産家カレンは、深く考えずブリクセン男爵と結婚した。しかし、アフリカでのコーヒー栽培がうまくいかず、夫の女遊びに悩まされるカレン。13年、現在の生活に不満なカレンは、東アフリカのケニアへと渡る。そこで運命の人デニスと出会う。そんなカレンを救ったのが、ハンターで冒険家のデニスだった…。
アカデミー作品賞ほか全7部門を受賞した名作。監督は製作者や俳優としても知られるシドニー・ポラック。カレンにメリル・ストリープ、デニスにロバート・レッドフォードを得て、アフリカの大自然を背景にスケールの大きな愛のドラマを作りあげた。この作品でアカデミー賞を獲得したジョン・バリーの音楽もすばらしい。
正直、それほど良いとは思いませんでした。。。
これ見たときもろに寝不足だったからかなあ。にょほほ。
最近明らかに食がおかしい。。。
こんなにお菓子を食べる人間じゃなかったのに(;´瓜`)
最近は、食べても食べてもまだ食べ足りないような気が。。。
やばいのか?やばいかも。。
これは、薬か?はたまた食の嗜好の変化なのか?
確かに僕は、酒をあまり飲まない。
飲まないけれど昔はこんなに甘いものを食べることはなかった。
ここ何ヵ月かで、8キロの増量。

何でだ?何でだ?このまま太っていくのかしらん(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル

今度病院にいったら、薬との関連を確かめてみよう(((( ;゜д゜)))アワワワワ
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2001/09/14 ¥4,179
「ロレンス」の出現は20世紀の事件であった。第一次世界大戦下、ドイツと手を組んだトルコ帝国の圧政下にあったアラブの独立に燃えたT.E.ロレンスは、独自のゲリラ隊を指揮し、アラブの救世主と称えられるようになる。しかし、やがて英国軍上層部に利用されていたことを知る。そして、味方と思っていたアラブ人たちもまた青い目、白い肌のロレンスを裏切っていくのだった…。
本作は、名匠デビット・リーンが息をのむ映像美と雄大な音楽で、実在のイギリス人冒険家ロレンスの波乱に富んだ半生を描き、20世紀映画の金字塔といわれている。62年のアカデミー賞では主要7部門を独占した。ロレンスにピーター・オトゥールが扮し、一世一代の当たり役となったのをはじめ、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、アレック・ギネスら出演陣も豪華。70ミリの画面に現れる砂漠の美しさと、真っ白いアラブの衣装をはためかせながら砂漠に立つロレンスの雄姿に圧倒される。金髪、碧眼、アングロサクソン特有の細身で長身のピーター・オトゥールは、紛れもなくロレンスそのものであった。
「この映画を観た翌日、僕は映画監督になる決心をした」というスピルバーグは、89年、M.スコセッジ監督と共に、222分のオリジナル版に最も近い216分の「完全版」を復元。それがベースとなった本作では、4半世紀ぶりにオリジナル・キャストを再結集し、失われていた音声を再録。コンピュータで撮影当時の音域にまで修正し、リーン監督自らが再編集を行っている。
うーん・・・ デビット・リーンの映画って、まさに、映画のための映画なんだよね。まあ、映画なのだから当然なのだけど。テレビで観るべき作品ではないというか、もちろんテレビで観て全然いいんだけど、やっぱり、リーンの作品は大画面で観てこそ、本当の良さがわかるんだと思う。彼の映画って、スケールが大きすぎて、壮大すぎて、テレビ向きじゃないというか、テレビにおさまりきれないほどの雄大さなんだよね。だから、テレビで観てしまった僕には、こう。。。いまいちな感じだった^^;
ただ、リーンは名だたる巨匠のなかで、結構冷遇されてる監督なんじゃないかなとも思う。もっと評価されてもいいのにね。
ISBN:4003253140 文庫 豊島 与志雄 岩波書店 1964/01 ¥840
1832年6月5日、パリの共和主義者は蜂起した。激しい市街戦が展開する。バリケードにたてこもった人々の中にはマリユスとジャン・ヴァルジャン、そして今やスパイとして捕われたジャヴェルの姿があった。物語はいよいよ大詰にむかって進展する。
ようやく読み終わった。
まずは、今まで通り、共感したのもしなかったのも含めて、僕が何かしらの感慨を受けた言葉たちをあげておく。感想はその後に。

「一個の人間は一団の民衆よりもさらに大なる深さを有している」

「人の魂は、あらゆる幻を汲みつくした後でなければ、容易に絶望に屈しないものである」

「内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足を踏みしめ得る者は、世にあまりない。苦悶の限度を超える時には、もっとも確固たる徳操も乱されるものである」

「人の落ち着きも立像のような冷酷さに達する時には、恐怖すべきありさまを呈する」

「公徳のための殺害の場合でも、もしありとすれば救済のための殺害の場合でも、ひとりの者を仆したという悔恨の念は、人類に奉仕したという喜びの情より深いものだ」

「私的な動機からして一般的責務を犠牲にし、しかもその私的な動機のうちにも、同じく一般的なまたおそらく更に優れた何かを感ずること、自分一個の本心に忠実なるため社会に裏切ること」

「人の宿命には不可能の上の垂直にそびえてる絶壁があるもので、それから向こうは人生はもはや深淵にすぎなくなる」

「私がほとんど迫害するまでに追求したあの囚徒は、あの絶望の男は、私を足の下に踏まえ、復讐することができ、しかも怨恨のためと身の安全のために復讐するのが至当でありながら、私の生命を助け、私を赦したが、それはいったいなぜであったか。私的な義務というか。否。義務以上の何かである。・・・・それでは果たして、義務以上の何かがあるのであろうか?」

「物質の服従には、摩損するがために一定の限度がある。しかるに、精神の服従には限度がないのであろうか。永久の運動が不可能であるとするのに、それでも永久の献身が求め得らるるのであろうか」

「彼女のためである間は嘘もつきました。しかし今は私のためである以上、嘘をついてはいけないのです」

「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」

「幸福であるのは恐るべきことである。いかに人はそれに満足し、いかにそれを持って足れりとしていることか!人生の誤れる目的たる幸福を所有して、真の目的たる義務を、いかに人は忘れていることか!」

「死ぬのは何でもないことだ。生きられないのは恐ろしいことだ」


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【感想】
涙が止まらなかった。一つの小説でこれほど心揺さぶられたのはいつ以来だろう。
6ヵ月間。約半年をかけて、少しづつ読み進めたこの作品は、じわじわと僕の体を侵食し、やがて血肉となった。感想などは、今までにあげた小説中の言葉がすべて物語ってくれている。歴史上、稀なる至宝という言葉を冠したとて、異論を唱える者がいるだろうが?
人間の一生を変えるかもしれない可能性を有する作品が世にあるとすれば、筆頭に上げられるべき作品である。
この小説を読んで、果たして、自己の人生観において何らの影響を与えられぬ者がいるだろうか。僕はそんな人間はそう多くいるものではないと確信している。
ジャン・ヴァルジャンの生き様から、我々は否応無しに、己のありよう、この世の価値への問いをつきつけられ、自己の良心は猛烈に揺さぶられる事となろう。
そして僕は、僕を捕らえて話さぬ一つの言葉に出会った。それは今なお僕を苦しめている善悪、モラルに対する固執に、明快な解答を示してくれた。すでにあげたが、今一度、ここに記す。

「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」

それにより苦しむとしても、やはり僕はこれを覆す言葉に出会わない限り、いつまでも、固執し続けるのだろう。それが善いことなのか悪いことなのかはわからないが。。。

生涯一度は読んでおくべき名著である。おそらく多くの読者は読後、人生に対する姿勢を変ずることになるだろう。
DVD ハピネット・ピクチャーズ 2001/07/25 ¥6,090
ナチスによるロシア人の大量虐殺を描いた壮絶な戦争ドラマ。第二次世界大戦中のソ連、少年はドイツ軍に反撃するためパルチサンの一員になったが、アジトの森が襲撃され家路につく。少年は、村人が閉じ込められた家にドイツ兵が火を放つ光景を目撃する。
鑑賞後は、大半の映画が屑に思えてくる。しばらく虚脱感が襲った。これは、戦争を戦争として描いた作品だ。
最初の少年の顔とラストでの顔を見比べてほしい。とても同じ顔、そして少年の顔とは思えないくらいに変貌している。人間が一夜にして白髪となるほどの地獄。少年の苦痛、恐怖が、僕の心と一体となる。身悶えずには、泣き叫ばずにはいられない現実がそこにはあった。これは映画の衣をまとった現実だ。ゆえに重く、身も引き千切られるほどに残酷である。しかし我々は目を背けてはいけない。観なければ、直視しなければいけない作品なのだ。そこに現出した人間の劣悪さ、醜悪さ、救いがたさを。そしてどのような人間も母から生まれてくるという現実を甘受しなければならない。それを知ることで、はじめて、人間を愛することができるのだから。
AERA 4月26日号を読んで。

近頃、メディアで元不良の成功譚が取り上げられている。
当事者のひとり、義家弘介さんはいう。

「ブームのように華々しく取り上げられていますが、犯してきた過ちが許されるのかといったら、決してそうじゃない。私は自分を罪人だと思っています。自慢できる過去ではないし、一生背負っていかなければならない過去です」

罪を犯した人間で、自覚のあるものは、自らの罪の重さを知っている。
そして、被害を与えた者が身近にいない限り、人生を過ぎ去っていた人間達に罪滅ぼしをすることはほぼ不可能だ。であれば、彼のいう通り、彼は罪人であり、犯してきた罪は許されず、一生背負っていくものである。
彼らにできるのは、これ以上自分の罪の荷を増やさないこと。それは、せめてもの自己への慰安であり、義務となり、そして、人間への少しばかりの贖罪となってくれることへの祈祷である。
不良であったものが、劇的な転換を遂げる背後に、過去という強固な呵責の壁を抜きにしてはかたれない。であるから、彼らは、時に真逆な人間へと変貌できるのであろう。
これは、加害者の罪意識である。

だが、与えられた被害が甚大なものであった場合、その罪の意識は被害者にまで敷衍していく。
それは、個人の場合であれば自己に対する呵責のみであろうし、自己のうちで、消化せしむることも可能かもしれない。しかし、それが複数人に及んだ場合、それが間接的な被害であった場合において、その呵責は罪人と同様に、生涯担うべき荷ともなりうることがある。

1999年に山口県で起こった母子殺害事件。記憶に残っている人も多いのではないか。
母子を殺害された本村洋さん。
彼が背負っているのは、妻と娘、2つの悲しみの十字架だけではない。彼女たちへの罪の意識もまた、彼の背にはのしかかる。
それは、国や加害者に対しては、憎悪となり、自己に対しては、無力への打擲となり、そして、愛する彼女達に対しては、救えなかった罪の意識となるものである。
そして、彼女たちはもうこの世にいない。彼は、一生その罪の贖罪を彼女等になしえぬままに、生きていかなければならないのだ。

無辜なる被害者であるはずのものが抱えなければならない罪。それは、自責の念である。そして、その自責の念とは、ひとりの人間の良心、そして愛情の深さに比例するものであるとすれば、家族を失いし彼の罪は、どうして消し去ることができようか。それは、加害者への憎悪の消失をも意味するではないか!
哀れなるかな、彼もまたひとりの自覚せる罪人にならざるをえないのだ。この世に、もっとも忌むべきことがあるとすれば、このことを置いて他になにがあろうか!

本村さんは、再び笑顔を戻せるかどうかで苦しむ。笑顔が戻るかどうかで苦しむのではない。笑顔を戻していいのかどうかで苦しむのだ。愛するものを亡くした悲しみを忘れる。悲しみを忘れなければ人は心から笑えない。心から笑う日がきていいのか?その日がきて、笑っている自分を想像したとき、襲ってくる嫌悪感。彼は、彼女等への罪の意識を忘れぬために、事故の現場に赴き、自分の心を縄で結わえなおす。義務という縄で。

罪人がなすと同様に、贖罪のなし得ない彼女等へのせめてもの罪滅ぼしに、そして自己への慰安にすべてを注ぎ、彼は生きている。
それは、これ以上自己の罪を増やさぬこと。そして、それは、同じような被害者の問題を看過せぬこと。彼女等に恥じぬ生き方をすること。

看過せぬとは、戦うことである。なにと?世の中の不条理と。欺瞞と。悪と。そして我々の意識と。

我々の意識。そう、我々の意識の集合もまた、被害者を苦しめる。
偏見という名のもとに。そう、本村さんが気付かずに笑うときがくれば、そんな時があれば、我々は、そっとしといてあげよう。喜んであげよう。そのわ笑いを悪罵するのは、彼の良心だけで充分ではないか。
彼が笑うのを、不謹慎だと顔を潜める大衆の偏見により、彼が戦うべきものに荷担するのはやめよう。
我々の意識の集合もまた、罪人だ。自覚せざる罪人だ。

イラクに人質になった3人の家族へ送られた中傷の数々は、我々の意識の集合だ。自己責任などという罪を攻め立てるのは、本人達と、国家で充分ではないか。
我々の心のうちに、彼らに対して、自業自得という意識が芽生えていたなら、我々は、ひとりの人間に対して、そこで罪を負う。

我々の意識の集合が罪人なら、我々もまた罪人だ。
そのことを自覚しよう。

そのときに、我々罪人が行動すべき義務とは何か?
それは、これ以上罪を犯さないこと。

我々自身の意識と戦うことである。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2000/04/21 ¥2,100
トム・ウルフの世界的ベストセラー小説をもとに『存在の耐えられない軽さ』『クイルズ』などのフィリップ・カウフマン監督が壮大なスケールで描いた宇宙開発秘話。1950年代より始まった米ソの冷戦構造のさなか、アメリカは宇宙開発に一歩先でていたソ連に対抗すべく、マーキュリー計画を推進。7人のパイロット(スコット・グレン、エド・ハリス、デニス・クエイドなど)が宇宙飛行士として選ばれるが、それに背を向けるかのように、初めて音速の壁を破った男チャック・イエーガー(サム・シェパード)は独り自らの記録を超えるべくチャレンジを繰り返していく。
国家に殉じて英雄となるべく訓練を続ける男たちと、あくまでも一匹狼として生きようとする男、ヒーローの姿を対比的に描いた快作。アカデミー賞編集・作曲・音響・音響効果の4部門を受賞。
映画をみた時、ああっ!この音楽だよ〜この音楽!
捜し求めてたものにあった喜び。カタルシスタルや!!
頭の片隅に残る心地よい旋律、題名も知らず、ましてやそれが映画音楽だと言うことも知らず、探し求めてはや幾年。
このような邂逅が用意されていようとは!
この音楽を聞けるだけでも、価値がありまっせ。ちょー有名な曲。
って内容も少しはほじくらんとな。
長い!熱い!かっこいい!でも構成はいまいちかなあ(笑)
人物像にもう少し深みを持たせても〜。。。
いやあ、でもこの音楽は実に素晴らしい♪

ふと気がつけば

2004年4月23日
今日は病院デーだ。
本当は先週だったのだけど、すっかり度忘れしてて^^;急遽今週にしてもらった。

なんか、飲み忘れとかで、薬が大量にたまってて。薬が切れたら、「あっ!病院にいかなきゃ!」なんて、思うことができるんだけど、薬が全然切れないもんだから、平日も休日もなく引きこもってる僕には、日にちの感覚が麻痺しちゃって隔週の通院期間、つまり、2週間たってたのに、1週間だと思ってしまっていた!いやはや、怠慢は時間感覚までも麻痺させるのである。おそろしやおそろしや〜〜⊂´⌒∠;゜Д゜)ゝつ

ちなみに、もうカウンセリングはすんでるので、診察は5分で終了。待ち時間は約30分( ・∀・)アヒャ
正直、ほとんど薬もらい行くだけだもんな〜、めんどくさい。
なんて、病院からチャリで15分の場所に住んでて、2週間に1回しか行かないのに、めんどくさいとか言うようになってしまった自分に開いた口がふさがらない。ならちゃんとせーよ、自分(自爆)

ちなみに、次回はゴールデンウィークを挟んで3週間後ってことで、ヽ(^−^)ノ 万歳!
さらに自堕落ができ。。ミギストレート ☆(゜o(○=(-_-○
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2003/12/06 ¥1,575
巨匠スタンリー・キューブリック監督の遺作である。彼が最後に選んだテーマは、ごく普通の夫婦の性の問題だった。
ニューヨークに暮らす開業医のビルは、美しい妻アリスとなに不自由なく幸せな生活を送っていた。ある夜、知人のパーティから帰宅した彼は、妻からセックスにまつわる衝撃の告白を受け、ショックのあまり家を飛び出す。妻への嫉妬と自らの性衝動の狭間で苦悩する彼は、やがて禁断の倒錯した愛の世界へと足を踏み入れていく。
トム・クルーズ、ニコール・キッドマンというスター夫妻を主役に迎え、撮影に18か月、編集に約1年を費やし、完全秘密主義のうちに完成された異色の愛のドラマ。主演2人の濃厚なセックスシーンも大きな話題を集めた。
むうう、キューブリックの遺作にしては、ちと、残念かのう。一つの作品としては、別に駄作というわけでもないのだけど、面白く観れたし。
ただ、キューブリックの作品群の中では、あんまりキューブリックらしくないというか、なんかこう、他の彼の作品を見たときにくるあのどーんというかずーんというか、とにかくキューブリック独特の衝撃がこの作品には欠けてる感じがするんだよね。
トムクルーズ、背低いよなあ、やっぱり。。。
これから、毎日、一本づつ、過去に見た映画を紹介していこうと思う。
まあ、ずっと前に観た映画とか、。ほとんど内容も忘れてるのもあるし、印象に残ってないのもあるので、感想どころか、紹介にすらならないものもあるかもしれないけど。

毎日じゃなくなったらごめんね(笑)
昨日、街でG君と会い、当てもなく商店街を何回りか、ぶらぶらほっつき歩き遊びをした。ケラケラ。
なんか元気がここ数日ないようで、非常に心配してたのだけど、どうやら立ち直ったようで、一安心。
ゲーセンによって、太鼓叩きやって、腕がパンパンに張ったところでお開き。
そんなG君から、MDをもらった。
尾崎豊のトリビュートアルバムから、G君お勧めの曲まで色々入ってたけど、尾崎以外の曲は曲名が書いてなかったのでわからず。ミスチルの歌う「僕が僕であるために」が、とてもよかった。イヤホンつけて心地よく大声で熱唱したあと窓が全開になっていることに気付き絶句。
最後の三曲はしっかりネタを仕込まれていて、猿岩石、大事マンブラザーズ、英会話で終了。
MDの題名はG君と僕の合言葉 さざなみ口臭。

ちなみに、僕は背が低く、G君は高いので、二人並ぶと、阪神巨人(漫才師)みたいになる。

りはびり

2004年4月21日 僕について
最近、リハビリを決意した。
というのが、僕は対人が少しあって、人と話すのに苦手意識がある。
友達は、そんな感じはないとか、むしろ話すほうに思われたりすることもあるんだけど、それは、僕は初対面に強いからなのであって、そして、間接的な会話や、事務的な会話には滅法強くて、つまり、何か題目を与えられて、そのことについて議論討論するとなると、饒舌なマシンガンになったりする。
でも、ひとたび、友達関係を築くべき間柄になると、僕は一気に口下手になってしまう。つまり、まあ、日常会話に対するボキャブラリーが極端に少ないというか、たんに慣れていないというか。。。
いや、決して話嫌いな方ではないと思うんだけど、いや、僕は話し好きといっていいくらいだ。
じゃあ、そうか、僕は今、幾度の人間不信によって、友達関係というものを築いたあとに訪れるかもしれない別れを極度に恐れるがあまり、相手に自分を失望させてはならないという過剰なプレッシャーから、口下手へと変容してしまうんだろうという結論を得た。
だから、自分を何があっても受け入れてくれるとわかっていれば、きっと最初から本来の自分のまま話すことができるんじゃないかと思う。しかし、これは理論上不可能だ。人は始めてあう時どんな性格か知っているわけがないし、話すことによって相手を探っていく。
だから当然そのなかには別れもあり傷つくこともある。
それを恐れちゃいつまでたっても口下手だもんなあ。
僕はリハビリを決意する。
よし、まずは会話だ!
僕は、強迫のサークルハーモニーの友達とは今までずっとチャットやメールでしか話さずに、電話を避けてきたのだけど、行動療法ということで、勇気出して、徐々に電話でコミュニケーションをとっていこうと決意した。
ハーモニーのみんなは僕の障害の事を知っているし、僕の口下手なのも知っている。この場でひるんでいたら、実際の世界でどうして立ち直れようか。。
と、自分にむち打って、何人かに、リハビリのことを話してみた。
そして、今現在二人の友人と話した。二人とも、僕がうまく話せなくても嫌うことはないといってくれたし、失望もしないといってくれた。
そして、そのおかげで、緊張はしたけど、思ったよりもしっかり話すことができた。そして、二人がどうだったかはわかんないけど、僕はとっても楽しかった。こうやって、少しづつなれていければいいと思う。
まだ、苦手意識があるうちは、人に対して心から信頼することができていない証拠なんだと思う。でもいつか、人間不信に陥る前の自分(いつの頃だ?^^;)に戻りたい。
最後にはみんなと電話で平気に話せるようになりたい。
僕のリハビリに付き合ってくれた人、ありがとう。そしてこれからもよろしく☆ミ”
今日の夕飯は、デパートでフランス展があってたそうで、母親がめずらしいもんを購入。

蝸牛←カタツムリ............_@ノ’

エスカルゴね^^;
これ、小学校の時に食って( ゜Д゜)マズーって言った憶えがあるけど、あんときゃ子供、今大人。味覚が変わっていること期待(((o(^。^")o))) ワクワク

一口o(´○`)o あぁ〜ん

むしゃむしゃ( ´)Д(`)

(゜Д゜ )ウモォー

フランスパンに、数ヵ月前に栓を抜いた気の抜けまくりの白ワインを飲みつつ、う〜ん、たまにはこういう料理もよいもんだってなもんだ。

あっ、でもアルコール飲んだから、しばらく薬のめないや((”ヘ(* ̄0 ̄*)ノ”)) ひっく。。
DVD アイ・ヴィー・シー 2003/06/20 ¥3,675
モンタージュという映像文法の基礎を確立させ、映像表現を飛躍的に向上させることになったセルゲイ・エイゼンシュタイン監督の映画史上に残るサイレント映画の大傑作。1905年の夏、黒海沖の巡洋艦ポチョムキン号で、ウジの沸いたスープに怒った水兵たちが反乱を起こし、オデッサの港へ寄港するが、やがて軍隊が押し寄せてきて大虐殺が繰り広げられていく。乳母車が階段を転げ落ちていく、いわゆる「オデッサの大虐殺」とも称されるシーンをはじめとして、現在も多くの映画人に影響を与えており、『アンタッチャブル』のように見事なオマージュを捧げた作品もある。なお、1925年製作作品にもかかわらず、その反体制的内容故か日本での公開は遅れに遅れ、ようやく日の目をみて初公開されたのは67年であった。
((((;゜Д゜)))うぎゃあぁぁぁぁ、肉に、肉に。。蛆が沸いてる〜。。。!!!!
うひいぃぃぃぃぃ!ΣΣ(゜д゜lll)、乳母車が!乳母車が。。。階段を落ちていくぅ!赤ちゃんがぁぁあ。゜(゜´Д`゜)゜。
母親があ。。。民衆がぁぁぁ。。。兵隊がぁぁぁ。。。
戦争やだあヽ(`Д´)ノウワァァァン
僕は小学生の頃、図書館で、ポチョムキンという本を見つけて、けったいな名前つけてるなあ、いくら子供向けとはいえ、って、内容もみんと、名前だけで、爆笑したりなんかしてたんだけど、大学に入って、このポチョムキンが実は映画の根幹を成す、しごく真面目な大傑作であることをしって、驚愕したのなんの。
そして、監督エイゼンシュタインの顔を見たとき、その強烈さにこの映画を見たとき以上の衝撃を受けたのであった。
なんていうのはちと大げさか。。。
DVD アイ・ヴィー・シー 2002/08/25 ¥3,675  
フランク・キャプラ監督とジェームス・スチュワートの名コンビによる、心温まる人生賛歌。人生っていいものだ、人間ってすばらしい! と前向きになれる。また、ラストの感動とすがすがしさは、観る者の胸に暖かい明かりを灯してくれるだろう。
心やさしいジョージは故郷の小さな町を飛び出し、世界を舞台に活躍する夢をもっていた。しかし、相次ぐトラブルで町にとどまり、父の会社を継ぎ、そして家庭をもった。町の人々からも慕われ幸せに暮らしていたが、クリスマスの日、人生最大のピンチに見舞われる。絶望感から自殺を図ろうとするが、そのジョージのもとに、なんと彼の守護天使が現れる。キャプラはこの作品でも、コメディタッチのオブラートに包みながら、ヒューマニズムにあふれる演出で普遍的な感動を与えてくれる。
第2次大戦後、人間に対して一度は絶望しかけたキャプラが、それでも人間を信じようと、希望を注ぎ込んだ映画。
人生の素晴らしさを歌い上げるこの人間賛歌は、変化球を使わず、人の心に、まっすぐ突き刺さってくる。キャプラは盲目的に理想を歌っていたわけではない。現実というものを知っていたからこそ、あえて、理想を描いたのだ。それが楽天的すぎると揶揄されたところで、多くの人々を感動させたという事実は覆らない。
古いからという理由で、敬遠する人は人生で出会う貴重な宝を一つ逃すことになるかもしれない。
人生に疲れ、人間に疑心を抱く人にこそ見て欲しい。このような作品を作る人がいるということは、この世界にはまだこの映画に出てくるような人々がいるということだ。僕はこの作品を見たことで、人生まだまだ捨てたものではないという希望が持てた。そして、これからも、何かで行き詰まった時、この映画が僕を救ってくれることだろう。
僕はこの一つの宝に出会えた幸福を、みんなと分かちあえたらと思う。
キャプラスクは永遠なり!!

ある人生

2004年4月18日 TV
NHKアーカイヴスを見る。
僕の、お気に入りの番組の一つだ。
「杖と六法全書」。
清貧の老弁護士の生き様を描いている。
法のもとでは、人間は平等であるべきだ、との信念を持つ彼は、弁護料をもらわない。ゆえに、彼の容貌、服装は、ぼろぼろである。しかし彼は一向気にする様子もない。
彼は、勉学に励んだが、それは立身出世を望んだからではない。純粋な興味と、人間に対する愛情から。
清貧を歩む彼の心は誰よりも富んでいる。命尽きるまで、人を救うがために東奔西走する彼の姿は、老いという衣服の下に壮年にも劣らぬ若い情熱を感じさせる。
飄々としたその後姿を見たラスト、ふと、言い知れぬ感動が僕を襲った。
彼にはたくさんの書生がいたが、誰一人として、弁護士になったものはいない。それは、師であるその老人の志に、弁護士としての自覚を自己に問わせたからだとしても、僕は残念でならない。
誰かひとりでも、彼の志を継ぐ勇気を持つものはいなかったものか。
彼の到達した場所が、彼のなしていたことがいかに困難を伴うことかの証左である。
弁護士としての正義を貫くことは、耐乏を強いる。
しかし清貧を貫くことで、彼は心の自由を得た。
であるからこそ彼は、ある種の人間の理想を具現しているといえるのではないか。
ピエロの仕事を知っていますか。

それは、人と人の縁を結ぶこと。

ピエロは人に話し掛けるのは大の得意なのです。

ピエロは人を和ませ、笑わせ、心を開かせます。

ある日ピエロは、二人のひとりぼっちを見つけました。

やあ、あそこに、さびしんぼうがいるよ。

おやおや、あそこにもさびしんぼうがいる。

よしよし、二人を友達にさせよう。

ピエロは二人に話しかけ、二人の心を開きます。

二人のさびしんぼうは、もう、さびしんぼうではなくなりました。

どんなもんだい。

二人のさびしんぼうを、友達にしてあげたもの。

ピエロは鼻高々です。

しかし、ある日、ピエロは気付きました。

自分がひとりぼっちなことに。

二人のさびしんぼうは互いにピエロを通じて、心を開きました。

ですが、ピエロに心を開いたわけではありません。

そうです、ピエロは、自分に心を開かせる術は知らなかったのです。

ピエロの仕事はなんでしょう。

人と人の縁を結ぶこと。

だけど、ピエロもひとりのさびしんぼうだったのです。
04月16日付 朝日新聞の報道「漫画家の横山光輝さんが死亡 ぼやで全身にやけど」へのコメント:

横山さんまでが亡くなった。
彼の漫画は必ず学校の図書館にあった。
「項羽と劉邦」「三国志」

母親も「三国志」を全巻持っていたそうだ。
僕にとっては、鉄人28号かな。
小さい頃よく歌を歌ってた。
トキワ壮に集ってきた漫画家も今やみんな大御所。
手塚治虫のあとを追うように、ひとり、またひとり。

僕は横山さんの漫画を読んだことないから、読んでみようかな。

天国でも、手塚さんや、不二子さんとともに、漫画を、素晴らしい漫画を書きつづけてくださいね。

ご冥福をお祈り致します。

混乱

2004年4月15日 僕の思ったこと
鷺沢萠さん、自殺だったようです。

彼女の公式ホームページの日記を読みました。

9日のところで止まっていました。

内容から、悩んでいるような様子は見られませんでした。

彼女は、死の直前に、風邪を引いていたようです。

そして、風邪を治そうとしていました。

死ぬことを決意したとして、風邪を治そうなどとするものでしょうか?

彼女は死ぬ直前まで生に執着していたはずです。

彼女は何を思っていたのか、何を思い死を選んだのか。。

それは、彼女にしかわかりません。

人間は不可思議ですね。

僕はこういうニュースを見ると、妙な厭世感にかられます。

現実というものがあいまいになったように感じるのです。

人間ってなんなのか。。この世界ってなんなのか。。

混乱です。言葉には表せない混乱です。

だから、僕はそんな混乱を、厭世感という言葉で仮定しているにすぎません。

なんという言葉で表すのが正しいのか本当はわかりません。

今、イラクで拘束されていた日本人が開放されました。

一方で、人が自ら命を絶ちました。

それが人間だといってしまえばそれまででしょうが。。

やはり、僕は、混乱します。

その混乱がなんなのかはわかりません。

ただ、ぼんやりとするのです。

何もできなくなるのです。

今日は、一日、寝ていました。

ただ、寝ていました。
04月15日付 朝日新聞の報道「作家の鷺沢萠さんが死去」へのコメント:

彼女の作品は「葉桜の日」しか読んだことありませんが、清清しく好感の持てる作品だったように記憶しています。

まだ35歳、将来が嘱望されていただけに、悔やまれます。
謹んで、ご冥福をお祈り致します。。。

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