時代ではなく、感性で。
2004年5月7日 僕の思ったこと僕は小さい頃、ビックリマンシールを集めてた。
沢山沢山集めてた。
小遣いを全部つぎ込んで、そして、机にぺたぺた張った。
でも、それは、本当に好きなものではなかった。
僕は友達の話しに合わせ、そして、友達に対向し、自慢するために集めてたのだ。
ブームは去った。
僕に残ったのはもはや、無用の大量のシールと、もはや自分の感性では恥ずかしく感じる机に張りまくったシール。
僕はそのシールを一枚一枚はがしていった。
僕の机は、無残な姿だった。
その時、僕は、本当に自分の好きなことを探していこうと思った。人に自慢したり、対向したりするためではなく、本当に好きなものを追い求めていこうと。
周りの流行りにばかり目をむけ、そのことに費やした時間は、買ったものは、流行りがすぎるとただの虚無になる。
だけど、本当に自分が好きなことに費やした時間、そして集めたものは、いつまでたっても自分の中で色あせない宝物となる。
だから僕は、人に天邪鬼と呼ばれようと、自分の本当に好きなものを追求していった。
だから、僕は、時代に境をつけない。
だって、自分の好きなことが、最近の事物にあるとは限らないから。
もし、僕が昔のものというだけで、目を向けなかったとしたら、自分の偏見によって、自分の本当に熱中できるものがあることを見逃しているかもしれない。自分が生涯の生きがいを探す選択の幅を自ら狭めているかもしれない。
だから、僕は、自分の知らないことをどんどん知っていきたい。古いもの。例えば僕の祖母が聞いていた歌を僕は聞いてみたい。昔の無声映画を見てみたい。僕の感性に、消しがたい感動が、宝がそこに隠されているかもしれないから。
実際に、僕は白黒映画に、人生観を変えてくれる沢山の作品を見出した。古典の書物の中に、僕の考えを変えてくれる沢山の箴言があった。
大昔の歌から、僕の感情を揺さぶる沢山の旋律と歌詞に出会った。
もちろん最近のものにも沢山そういったものに出会えた。
良いものは、昔も今も関係ないのだ。
その時代の流行の中だけでなく、視野を広げて、他の時代にも他の文化にも、他のジャンルにも目を向けてみる。
時代性ではなく、自分の感性でものごとを見ていく。
そうすることで、人生はさらに豊かになっていくと僕は信じている。
沢山沢山集めてた。
小遣いを全部つぎ込んで、そして、机にぺたぺた張った。
でも、それは、本当に好きなものではなかった。
僕は友達の話しに合わせ、そして、友達に対向し、自慢するために集めてたのだ。
ブームは去った。
僕に残ったのはもはや、無用の大量のシールと、もはや自分の感性では恥ずかしく感じる机に張りまくったシール。
僕はそのシールを一枚一枚はがしていった。
僕の机は、無残な姿だった。
その時、僕は、本当に自分の好きなことを探していこうと思った。人に自慢したり、対向したりするためではなく、本当に好きなものを追い求めていこうと。
周りの流行りにばかり目をむけ、そのことに費やした時間は、買ったものは、流行りがすぎるとただの虚無になる。
だけど、本当に自分が好きなことに費やした時間、そして集めたものは、いつまでたっても自分の中で色あせない宝物となる。
だから僕は、人に天邪鬼と呼ばれようと、自分の本当に好きなものを追求していった。
だから、僕は、時代に境をつけない。
だって、自分の好きなことが、最近の事物にあるとは限らないから。
もし、僕が昔のものというだけで、目を向けなかったとしたら、自分の偏見によって、自分の本当に熱中できるものがあることを見逃しているかもしれない。自分が生涯の生きがいを探す選択の幅を自ら狭めているかもしれない。
だから、僕は、自分の知らないことをどんどん知っていきたい。古いもの。例えば僕の祖母が聞いていた歌を僕は聞いてみたい。昔の無声映画を見てみたい。僕の感性に、消しがたい感動が、宝がそこに隠されているかもしれないから。
実際に、僕は白黒映画に、人生観を変えてくれる沢山の作品を見出した。古典の書物の中に、僕の考えを変えてくれる沢山の箴言があった。
大昔の歌から、僕の感情を揺さぶる沢山の旋律と歌詞に出会った。
もちろん最近のものにも沢山そういったものに出会えた。
良いものは、昔も今も関係ないのだ。
その時代の流行の中だけでなく、視野を広げて、他の時代にも他の文化にも、他のジャンルにも目を向けてみる。
時代性ではなく、自分の感性でものごとを見ていく。
そうすることで、人生はさらに豊かになっていくと僕は信じている。
映画 『アパートの鍵貸します』
2004年5月7日 映画〔洋画〕
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2001/12/21 ¥4,179
この映画は、そんなジャックレモンの魅力を存分に発揮している。ビリーワイルダーとジャックレモンの黄金コンビは、珠玉の作品を生み出してくれる。
はい、僕、ビリーワイルダー大好きなの。
彼の作品はいつかDVDで全部集めるつもり。
この映画は、そんな僕が始めてみたワイルダー作品。テニスのラケットで、ゆでたパスタの水切りなんて、したくはないけど、見てるぶんには、なんだかお洒落に感じてしまう。
そう、この映画全体、お洒落という形容がよく似合う。
ワイルダーは、映像でみせる監督というより、脚本でみせる監督だ。映画全体はコメディータッチだがその中には様様な感情のドラマがあり、あの憎いラストには、にやりと口をゆがめ、面映さと安堵とが、妙なコントラストを織り成して、えもいえぬ余韻を与えてくれる。
独身で保険会社の平社員バドは、出世の糸口として上司の逢い引きに、自分のアパートの部屋を提供することを思いつく。ところがある日、課長が自分の部屋に連れ込んできた会社のエレベーターガールは、バドが密かに思いを寄せる女性だった…。ジャックレモンは、現在でいえば、ジムキャリー的な存在だろうか。だけど、僕はジャックレモンの方が仕種がナチュラルで、みてて気持がいい。てか、ジャックレモンって数多の俳優の中でもその演技力はトップクラスだと僕は思ってる。
サラリーマンの悲哀をペーソス豊かにつづったソフィスティケーションコメディ。名匠ビリー・ワイルダー監督の代表作のなかでも、特に語られることの多い名作である。主演のジャック・レモン、シャーリー・マクレーンの息の合ったコンビネーションも魅力的だ。60年度のアカデミー賞では作品、監督、オリジナル脚本、編集、美術監督賞を、ヴェネツィア国際映画祭ではマクレーンが主演女優賞を、それぞれ受賞している。
この映画は、そんなジャックレモンの魅力を存分に発揮している。ビリーワイルダーとジャックレモンの黄金コンビは、珠玉の作品を生み出してくれる。
はい、僕、ビリーワイルダー大好きなの。
彼の作品はいつかDVDで全部集めるつもり。
この映画は、そんな僕が始めてみたワイルダー作品。テニスのラケットで、ゆでたパスタの水切りなんて、したくはないけど、見てるぶんには、なんだかお洒落に感じてしまう。
そう、この映画全体、お洒落という形容がよく似合う。
ワイルダーは、映像でみせる監督というより、脚本でみせる監督だ。映画全体はコメディータッチだがその中には様様な感情のドラマがあり、あの憎いラストには、にやりと口をゆがめ、面映さと安堵とが、妙なコントラストを織り成して、えもいえぬ余韻を与えてくれる。
あらびんどびんはげちゃびん
2004年5月6日最近、ハクション大魔王がマイブーム。
昔のあにめはスピード感があり、テンポがいい。
ギャグのくだらなさ加減も壷だし。
バカボンなんかもいいねえ。
実はものすごーい書きたいことがあったのだけど、書こうと思ったら眠くなってきて、このままかいたら、適当なのができそうで、なんとなくネタがもったいないので、気力体力が充実してかつ眠くない時に書くとしよう。
きっと今はまだ書く時じゃないという天からのお告げなんだろう。
明日書くかもしれないけど。。とにかく今は、もうちょっと頭ン中で寝かしておいて、醸成させておけってことなんだと勝手に判断。
♪ピュアピュアリップス♪
昔のあにめはスピード感があり、テンポがいい。
ギャグのくだらなさ加減も壷だし。
バカボンなんかもいいねえ。
実はものすごーい書きたいことがあったのだけど、書こうと思ったら眠くなってきて、このままかいたら、適当なのができそうで、なんとなくネタがもったいないので、気力体力が充実してかつ眠くない時に書くとしよう。
きっと今はまだ書く時じゃないという天からのお告げなんだろう。
明日書くかもしれないけど。。とにかく今は、もうちょっと頭ン中で寝かしておいて、醸成させておけってことなんだと勝手に判断。
♪ピュアピュアリップス♪
映画 『アニー・ホール』
2004年5月6日 映画〔洋画〕
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2004/02/20 ¥2,079
自らのコンプレックスを武器にし映画を彼独自の雰囲気に仕立て上げる。つまり、アレンは自分のことをよく知ってる。そして、自分の欠点をも、ジョークにしてしまうくらいの余裕を見せているから、みているこっちも気がねない。
アレンは、自虐的なネタによって人を笑わせ、自分でもそれを笑い飛ばすことにより、そのままの自分でいいと、最大の自己肯定をしている。
ニューヨークのTVやナイトクラブで活躍する漫談家のアルビー(ウディ・アレン)は、テニスクラブでアニー(ダイアン・キートン)と意気投合し、同棲生活を始めるようになるが、すぐさまお互いの嫌な部分が目立ってみえるようになっていき、そして…。ウディ・アレンの作品は個性がある。じわじわときいてくる味のある作品。
NY派のエンタティナー、ウディ・アレンが監督・脚本・主演し、同年度のアカデミー賞で作品・監督・脚本・主演女優賞を受賞した、シンプルでスタイリッシュ、しかし「僕を会員にするようなテニスクラブには入会したくない」など、神経症的ともいえるアレン独特のセリフも矢継ぎ早に繰り出されていくラブストーリー。
今振り返ると、シェリー・デュヴァルやシガニー・ウィーヴァー、クリストファー・ウォーケン、ジェフ・ゴールドブラムなどなど、後の異色スター総出演であったことにも驚く。
自らのコンプレックスを武器にし映画を彼独自の雰囲気に仕立て上げる。つまり、アレンは自分のことをよく知ってる。そして、自分の欠点をも、ジョークにしてしまうくらいの余裕を見せているから、みているこっちも気がねない。
アレンは、自虐的なネタによって人を笑わせ、自分でもそれを笑い飛ばすことにより、そのままの自分でいいと、最大の自己肯定をしている。
こんな夢を見た。「恐怖!休み時間の誤算」
2004年5月5日 夢やっぷー、やっぷやっぷ。
時代は世紀末、僕は京都に住むいち高校生。いや、小学生かも。
とにかく今日の授業は調子がいい。僕の席のうしろには幼馴染がいる。
席順は早い者勝ちだ。
隣は公務員学校で一緒だった人。公務員学校?ここはなんの学校だ?
知ってる人がみんな同級生として登場してるのか^^;
とにかく調子よく授業は進み、僕もハイテンションで、雑談に興じている。
そのうち休み時間になった。あっ!税金納めに行かないと!
友達が、「そんなん放課後にしろよ」という。
しかし、ハイテンションの僕は、今しかない!と確固とした決意のもと、制止する友をを振りきり、納税へ。行かねばならぬのだ。とくに理由はない。
僕は走りながら、実家のビジネスホテルへ向かう。まずはお金を取らなければ。学校から走って約20分だ。休み時間の1時間のうちに学校に帰って来れるはずだ。そんなことをすれ違った幼稚園児2人が話し合っているのを聞き、僕は余裕で次の授業に間に合うと確信する。
計算通り20分で、ホテルに到達する。たしか僕の部屋は最上階の4階にあるはずだ。
エレベーターに乗り、4階を押す。結構他の人も乗っている。
1階、2階、3回、なんということだ!そのエレベーターはどこにも止まりやしない。一気に20階までのぼり、そしておりだした。20階?
乗っている人が俄かに騒然としだした。このエレベーターは、どこにもとまんないんじゃ意味ないじゃないか!
僕も同様にイライラしていた。なぜならこんなところで時間をくったせいで授業に間に合うか解らなくなったからだ。もうこんなエレベーター当てになるか!
僕たちは不平たらたら、1階につくとすぐに隣の階段で上りだした。
二階まで上がって驚いた、三階に続く階段の照明がついてなくて不気味だ。恐かったが我慢して上ると、更に驚いた!4階に続く階段がないのだ!
このあたりから、徐々に、ホラーの様相を呈してきて、なんだかイヤだなあ。
僕はひとまず3階を歩き回り、どこかに4階に続く階段がないか探すことにした。でも、3階に人影はなく、明かりもついていない。例えるなら「かまいたちの夜」のワンシーンのよう。
待てよ、ひょっとしたら、僕が住んでいたのは3階だったのかも?自分の感覚も怪しくなってきた。
ふと、前に明かりが見えた。なんと、ホテルの3階が、でかい薬品の研究工場になってた。そこになにやら見知った人物がいる。
それは幼馴染で、今は疎遠のN君だった。目のしたにクマを作ってマスクして、梅津かづおのマンガに出てくるみたいな顔してるよ。いやだなあ。
僕はこのホテルには4階があったはずだと聞く。
N君は、ぎょろっと目だけ僕のほうに向け、「君は、4階があることを知っているのか?」と意味ありげにいう。
あれ?僕このホテルに住んでたはずなんだけど。夢ならではなむちゃくちゃな設定が僕を惑わせる。
N君、上司らしき人を呼び、なにやらひそひそと話している。上司がこちらにきて、にこっと笑顔で「いやあ、実は、4階ではなく、厳密に言えば3.5階なんですけどねえ。良くご存知で。それで、あなたは行きたいとおっしゃるのですね?」
僕はこくりとうなずいた。
「よろしい。保証はしませんぞ、ひひひ」
・・・あんた何者だよ。
僕は工場内に連れていかれた。そして厳重に鍵をかけられた扉が開かれ、その前にはしごが。どうやら、4階とは屋根裏のことのようだった。僕は腕時計を見た。なんてこった!もう授業が始まって1時間もたってるじゃねえか!
なんだか、屋根裏に入るの恐かったし、やっぱいいですといって急いでホテルを出る。どうやらここは僕の家ではなかったようだ。
外はもう日が暮れかかっていた。
そういえば、僕どうやって学校いってたんだっけ?
僕は学校の場所を知らなかったんだ。
適当に走っていくと、なんだかどうでも良くなった。いつのまにかいつか来た覚えのある風景に出ていた。前には山が連なって、桜が咲いていた。
来年もきたいなあ。僕はそんなことを思いながら、散歩中の犬を眺めながら、走るのをやめ、坂道をとぼとぼと歩いていった。
その先になにがあるのかは、知らない。
だって夢だもん。
時代は世紀末、僕は京都に住むいち高校生。いや、小学生かも。
とにかく今日の授業は調子がいい。僕の席のうしろには幼馴染がいる。
席順は早い者勝ちだ。
隣は公務員学校で一緒だった人。公務員学校?ここはなんの学校だ?
知ってる人がみんな同級生として登場してるのか^^;
とにかく調子よく授業は進み、僕もハイテンションで、雑談に興じている。
そのうち休み時間になった。あっ!税金納めに行かないと!
友達が、「そんなん放課後にしろよ」という。
しかし、ハイテンションの僕は、今しかない!と確固とした決意のもと、制止する友をを振りきり、納税へ。行かねばならぬのだ。とくに理由はない。
僕は走りながら、実家のビジネスホテルへ向かう。まずはお金を取らなければ。学校から走って約20分だ。休み時間の1時間のうちに学校に帰って来れるはずだ。そんなことをすれ違った幼稚園児2人が話し合っているのを聞き、僕は余裕で次の授業に間に合うと確信する。
計算通り20分で、ホテルに到達する。たしか僕の部屋は最上階の4階にあるはずだ。
エレベーターに乗り、4階を押す。結構他の人も乗っている。
1階、2階、3回、なんということだ!そのエレベーターはどこにも止まりやしない。一気に20階までのぼり、そしておりだした。20階?
乗っている人が俄かに騒然としだした。このエレベーターは、どこにもとまんないんじゃ意味ないじゃないか!
僕も同様にイライラしていた。なぜならこんなところで時間をくったせいで授業に間に合うか解らなくなったからだ。もうこんなエレベーター当てになるか!
僕たちは不平たらたら、1階につくとすぐに隣の階段で上りだした。
二階まで上がって驚いた、三階に続く階段の照明がついてなくて不気味だ。恐かったが我慢して上ると、更に驚いた!4階に続く階段がないのだ!
このあたりから、徐々に、ホラーの様相を呈してきて、なんだかイヤだなあ。
僕はひとまず3階を歩き回り、どこかに4階に続く階段がないか探すことにした。でも、3階に人影はなく、明かりもついていない。例えるなら「かまいたちの夜」のワンシーンのよう。
待てよ、ひょっとしたら、僕が住んでいたのは3階だったのかも?自分の感覚も怪しくなってきた。
ふと、前に明かりが見えた。なんと、ホテルの3階が、でかい薬品の研究工場になってた。そこになにやら見知った人物がいる。
それは幼馴染で、今は疎遠のN君だった。目のしたにクマを作ってマスクして、梅津かづおのマンガに出てくるみたいな顔してるよ。いやだなあ。
僕はこのホテルには4階があったはずだと聞く。
N君は、ぎょろっと目だけ僕のほうに向け、「君は、4階があることを知っているのか?」と意味ありげにいう。
あれ?僕このホテルに住んでたはずなんだけど。夢ならではなむちゃくちゃな設定が僕を惑わせる。
N君、上司らしき人を呼び、なにやらひそひそと話している。上司がこちらにきて、にこっと笑顔で「いやあ、実は、4階ではなく、厳密に言えば3.5階なんですけどねえ。良くご存知で。それで、あなたは行きたいとおっしゃるのですね?」
僕はこくりとうなずいた。
「よろしい。保証はしませんぞ、ひひひ」
・・・あんた何者だよ。
僕は工場内に連れていかれた。そして厳重に鍵をかけられた扉が開かれ、その前にはしごが。どうやら、4階とは屋根裏のことのようだった。僕は腕時計を見た。なんてこった!もう授業が始まって1時間もたってるじゃねえか!
なんだか、屋根裏に入るの恐かったし、やっぱいいですといって急いでホテルを出る。どうやらここは僕の家ではなかったようだ。
外はもう日が暮れかかっていた。
そういえば、僕どうやって学校いってたんだっけ?
僕は学校の場所を知らなかったんだ。
適当に走っていくと、なんだかどうでも良くなった。いつのまにかいつか来た覚えのある風景に出ていた。前には山が連なって、桜が咲いていた。
来年もきたいなあ。僕はそんなことを思いながら、散歩中の犬を眺めながら、走るのをやめ、坂道をとぼとぼと歩いていった。
その先になにがあるのかは、知らない。
だって夢だもん。
映画 『あなたが寝てる間に・・・』
2004年5月5日 映画〔洋画〕
DVD ブエナビスタ・ホームエンターテイメント 2002/08/21 ¥2,625
良い作品なのかもだけど、こういう人の心理は、理屈ではわかっても、僕には理解できない。というか、したくない、というか、させてくれない大きな壁がある。
地下鉄の改札で働くルーシー(サンドラ・ブロック)は、クリスマス・イヴの朝にホームへ転落して昏睡状態に陥った弁護士ピーター(ピーター・ギャラガー)の家族から、彼の婚約者と勘違いされてしまい、さらには弟ジャック(ビル・プルマン)が彼女にほのかな恋心を寄せていく……。最後にルーシーとジャックが駆けてよっていって抱き合うというシーンだけ覚えてるっていうか。
サンドラ・ブロックが『スピード』で注目された直後に主演したロマンティックなラブストーリー。都会に生きる孤独な女性の奇妙な恋の泣き笑い、そのてん末が『クール・ランニング』のジョン・タートルトーブ監督ならではのコミカルなタッチでスピーディに描かれており、サンドラの陰陽ともどもの魅力もうまく引き出されているのがいい。この手のジャンルに長けたランディ・エデルマンの音楽も快調である。
良い作品なのかもだけど、こういう人の心理は、理屈ではわかっても、僕には理解できない。というか、したくない、というか、させてくれない大きな壁がある。
読書 『新編 風の又三郎』
2004年5月4日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4101092044 文庫 宮沢 賢治 新潮社 1989/02 ¥460
今日もどこかでクラムボンはかぷかぷ笑い、梟はお経をぶつぶつ唱え、又三郎はどっどどどどうと歌っているのかしらん?
なんて考えてみると素敵ですねえヾ(*’-’*)
個人的には「やまなし」「貝の火」「雁の童子」あたりが好き^^
「やっぱりあいづ又三郎だぞ」谷川の岸の小学校に風のように現われ去っていった転校生に対する、子供たちの親しみと恐れのいりまじった気持を生き生きと描く表題作や、「やまなし」「二十六夜」「祭の晩」「グスコーブドリの伝記」など16編を収録。多くの人々を魅了しつづける賢治童話の世界から、自然の息づきの中で生きる小動物や子供たちの微妙な心の動きを活写する作品を中心に紹介。風の又三郎と北風小僧の寒太郎ってなんとなくニュアンスが似てるよなあなんて思うのは僕だけかね。
今日もどこかでクラムボンはかぷかぷ笑い、梟はお経をぶつぶつ唱え、又三郎はどっどどどどうと歌っているのかしらん?
なんて考えてみると素敵ですねえヾ(*’-’*)
個人的には「やまなし」「貝の火」「雁の童子」あたりが好き^^
映画 『アナコンダ』
2004年5月4日 映画〔洋画〕
DVD ポニーキャニオン 2003/12/17 ¥3,990
アナコンダが動くと子なんて、見たことないからさ、こんなにすばしこく動くのかどうか解らないってところがリアルさを助けていてくれたりする。といって、典型的なパニック物の範疇を越えてるわけでもないけれど。
文化人類学者のケイル(ジェニファー・ロペス)は、伝説のインディオを発見すべく、TVクルーを引き連れてアマゾンへ赴いた。途中、一行は川の支流でサローン(ジョン・ヴォイト)という謎の男と出会い、同行させることにするが、彼は幻の巨大蛇アナコンダの生け捕りを画策する危険な男だった…。人間を飲みこんでくアナコンダの膨らみようがなんとも。。。グロイ(゜□゜;) ギョェ
『山猫は眠らない』のルイス・ロッサ監督が描くモンスター・パニック映画。CGを駆使したアナコンダと人間たちとのスリリングな攻防や、J・ロペスのセクシーな魅力など、娯楽作としての見所は多数あるが、一番すごいのはやはり、かつての繊細なイメージをかなぐり捨てたかのようなJ・ヴォイトの怪演であろう。その存在感は、アナコンダ以上に恐ろしい!?
アナコンダが動くと子なんて、見たことないからさ、こんなにすばしこく動くのかどうか解らないってところがリアルさを助けていてくれたりする。といって、典型的なパニック物の範疇を越えてるわけでもないけれど。
サンチョパンサ
2004年5月3日グースカ寝てると、電話がかかってきて、出ると、父親が、「実家に帰って来い」なんてことをいう。
はっきりと頭が冴えてたなら、「公務員の勉強があるから帰れない」っていったと思うけど、そん時は、不覚にも再び眠りたいがゆえに、「あーはいはい」、なんて生返事して、記憶が途絶えて、気がついたら、家族そうでで、マンションに迎えにきてたんで、もう断れなくなって、しぶしぶ実家に帰省。
の前に、大分に始めて進出したドンキホーテに行ってみる。ゴールデンウィークで人多し。ばあちゃん、傍らで、「もう二度とこん!」と連呼している。僕も人ごみは苦手よって同意見。
東京はでかいんかしらんが、大分のドンキホーテは小さかった。。
実家に帰ったところで、やることは変わらない。勉強して本読む。
ただ、PCができない(;´瓜`)
PCがないってだけで、なんだか落ち着かない。自分の生活にいかにPCが侵食してきてるかってことを実感。
んで、寝る。
はっきりと頭が冴えてたなら、「公務員の勉強があるから帰れない」っていったと思うけど、そん時は、不覚にも再び眠りたいがゆえに、「あーはいはい」、なんて生返事して、記憶が途絶えて、気がついたら、家族そうでで、マンションに迎えにきてたんで、もう断れなくなって、しぶしぶ実家に帰省。
の前に、大分に始めて進出したドンキホーテに行ってみる。ゴールデンウィークで人多し。ばあちゃん、傍らで、「もう二度とこん!」と連呼している。僕も人ごみは苦手よって同意見。
東京はでかいんかしらんが、大分のドンキホーテは小さかった。。
実家に帰ったところで、やることは変わらない。勉強して本読む。
ただ、PCができない(;´瓜`)
PCがないってだけで、なんだか落ち着かない。自分の生活にいかにPCが侵食してきてるかってことを実感。
んで、寝る。
映画 『アタラント号』
2004年5月3日 映画〔洋画〕
VHS アイ・ヴィー・シー 1995/06/21 ¥3,873
うむむむ。。どんな内容だったけなあヾ(;´▽`A``アセアセ
保存状態がもうちょっとよければね。。。
90年にほぼ原型に近い形に修復された版(従って本篇の前に、そのいきさつの解説が若干つく)の公開によって、日本でもようやく一般に見られるようになったJ・ヴィゴの傑作である。アタラント号とは、ル・アヴールとその上流の田舎町を往復している艀。その若き船長の新妻が都会の誘惑にかられ、パリに近づいた折りにこっそり抜け出すが、怒った夫は彼女を置いて出航する。しかし、愛妻なしの彼はまるで腑抜けで、急に川に飛び込み、彼女の幻影を見たりしている。一方、妻はひったくりにあい、帰るに帰れず、同船している老水夫ジュール親爺(M・シモン)により、ようやく探し出される。話は俗なものだが、詩的で自由奔放な表現、キャラクターが際立つ肉体性の把握、溢れるユーモア……映画の官能が蒸気となって観客を包み込んでしまう、これは聖なる映画と言えるかも知れない。何度観てもはぐらかされ、不安なときめきを覚える。幼い子供と遊ぶのに似た、つき詰めようのない快楽を帯びた映画。M・シモンの醜い外見に惑わされてはいけない。彼こそが天使だ。映画史に残る傑作。。。なのだそうだけど、印象には残らなかった。非常に画像が見にくかったような記憶がある。まあ、古い映画だから仕方ないっちゃ仕方ないけど。
うむむむ。。どんな内容だったけなあヾ(;´▽`A``アセアセ
保存状態がもうちょっとよければね。。。
僕は痛覚に対して、なにか、特別な意識を持っているのだろうか。
ふと思ったのが、押井守がいっていた言葉、「現代人はどんどん身体を失ってきている」。
この言葉に妙に納得してしまったというか、心に引っかかるものがあった。それはたぶん、僕もそう感じていたからなんだろうと思う。
僕は自分の身体が、なにか自分のものではないように感じる時がよくある。僕の強迫が自傷、というか自虐的なものが多いのは、痛覚を感じることで、自分の身体の存在を実感したいからなのかもしれない。僕はリストカットはしないけれど、リスカをする人は、自分が生きているという実感を得たくてすると聞いたことがある。それが事実だとすると僕の自虐行為と通じることになる。ということはいつか僕がリスカを強迫的にしだしてもおかしくないってことになる。
髪の毛を抜いている時に、僕はこんなことを考えた。
僕には、小さい頃から髪の毛をぬくという強迫行為がある。一番ひどかったのは、中学時代。鏡の前で、一日何時間も、抜きつづけるのである。見境なしに抜くというのではなく、僕の中で抜くべき髪の毛の一定の基準がある。
まず第一条件は曲がっている、縮れている髪の毛。なにか異物感がして、排斥したい衝動に刈られる。
根本から髪の毛を触っていき、そういう髪の毛を探していくのだ。
そして、第ニ条件は、抜いたときに痛みを感じない髪の毛。
じつは、この第一条件と第ニ条件は密接に関係していて、縮れている髪の毛っていうのは、毛根が弱ってるわけだから、それだけ抜けやすくなってるってわけ。だから、僕の中で、より縮れている髪の毛ほど、痛覚を感じないっていう公式が成り立った。しかもこれはほぼ当たってる。
そして、それがどうして強迫にまでなるのか。僕はなんの感覚もなく抜ける髪の毛が許せないのだ。なにか、自分の体ものものじゃないような感じがするから。自分の体が単なる物に思えてくるから、なんだか気持悪くなってくる。だから、僕の体の一部なら、痛覚がないと納得できないって事なんだろう。そういうわけで僕は痛覚もなんの感覚もなく抜ける縮れ毛を排斥しようと延々と髪の毛の中を捜索し縮れ毛を抹殺する作業を延々と続けるわけだ。中学時代はそのせいで、髪の毛が薄くなった。考えてみれば、曲がってない髪の毛って自体少なくて、痛覚を感じるかどうかで引っ張って確かめているうちにどんどん毛根が弱っていって、その髪の毛は最終的に縮れ毛になっちゃうって悪循環なんだけどね。
今はあんまり抜かなくなったんだけど(他の強迫行為にうつっていったからかも)、今日はなぜかこの強迫がでて、一日髪の毛を抜いていた。
そんななかで、ふと、そんなことを考えてみた。
ふと思ったのが、押井守がいっていた言葉、「現代人はどんどん身体を失ってきている」。
この言葉に妙に納得してしまったというか、心に引っかかるものがあった。それはたぶん、僕もそう感じていたからなんだろうと思う。
僕は自分の身体が、なにか自分のものではないように感じる時がよくある。僕の強迫が自傷、というか自虐的なものが多いのは、痛覚を感じることで、自分の身体の存在を実感したいからなのかもしれない。僕はリストカットはしないけれど、リスカをする人は、自分が生きているという実感を得たくてすると聞いたことがある。それが事実だとすると僕の自虐行為と通じることになる。ということはいつか僕がリスカを強迫的にしだしてもおかしくないってことになる。
髪の毛を抜いている時に、僕はこんなことを考えた。
僕には、小さい頃から髪の毛をぬくという強迫行為がある。一番ひどかったのは、中学時代。鏡の前で、一日何時間も、抜きつづけるのである。見境なしに抜くというのではなく、僕の中で抜くべき髪の毛の一定の基準がある。
まず第一条件は曲がっている、縮れている髪の毛。なにか異物感がして、排斥したい衝動に刈られる。
根本から髪の毛を触っていき、そういう髪の毛を探していくのだ。
そして、第ニ条件は、抜いたときに痛みを感じない髪の毛。
じつは、この第一条件と第ニ条件は密接に関係していて、縮れている髪の毛っていうのは、毛根が弱ってるわけだから、それだけ抜けやすくなってるってわけ。だから、僕の中で、より縮れている髪の毛ほど、痛覚を感じないっていう公式が成り立った。しかもこれはほぼ当たってる。
そして、それがどうして強迫にまでなるのか。僕はなんの感覚もなく抜ける髪の毛が許せないのだ。なにか、自分の体ものものじゃないような感じがするから。自分の体が単なる物に思えてくるから、なんだか気持悪くなってくる。だから、僕の体の一部なら、痛覚がないと納得できないって事なんだろう。そういうわけで僕は痛覚もなんの感覚もなく抜ける縮れ毛を排斥しようと延々と髪の毛の中を捜索し縮れ毛を抹殺する作業を延々と続けるわけだ。中学時代はそのせいで、髪の毛が薄くなった。考えてみれば、曲がってない髪の毛って自体少なくて、痛覚を感じるかどうかで引っ張って確かめているうちにどんどん毛根が弱っていって、その髪の毛は最終的に縮れ毛になっちゃうって悪循環なんだけどね。
今はあんまり抜かなくなったんだけど(他の強迫行為にうつっていったからかも)、今日はなぜかこの強迫がでて、一日髪の毛を抜いていた。
そんななかで、ふと、そんなことを考えてみた。
映画 『アダムス・ファミリー2』
2004年5月2日 映画〔洋画〕
DVD パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2003/12/05 ¥2,625
「アダムスファミリー」第2作は、そうね、僕の年齢が上がったからか、どうなのか知らないけど、前作よりはよかったです^^;。
といっても、相変わらずこの手のギャグは苦手。。。
悪いことしたお仕置きが、ディズニーの映画を延々と見させるっての派逆効果じゃないかい?さらに善行に憎しみをいだくようになったりして^^;
いやあ、ブラックですねえ。。。
お化け一家の騒動をコミカルに描いたチャールズ・アダムスのコミックを原作にTVドラマ化された『アダムスのオバケ一家』を現代的に映画リメイク化した大ヒット・シリーズ第2弾。気付いてる人もいると思うけれど、「あ」行から責めていってます。一日一本ずつなら、数年間は持つ予定。この日記数年間も続くのか?(笑)
ゴメズ(ラウル・ジュリア)とモーティシア(アンジェリカ・ヒューストン)夫妻の間に新たな子どもが生まれ、長女ウェンズデー(クリスティーナ・リッチ)と長男パグズリー(ジミー・ワックマン)のイジメが始まるが、その子ピューバードはまったくめげない。そんなある日、デビー(ジョーン・キューザック)という若い乳母がアダムス家に現れ、ゴメズの兄フェスター(クリストファー・ロイド)に接近していくが…。ブラックなおとぼけギャグの数々は前回に引き続き快調。また今回はウェンズデーの初恋エピソードもありと、盛りだくさんな内容なのが嬉しい。
「アダムスファミリー」第2作は、そうね、僕の年齢が上がったからか、どうなのか知らないけど、前作よりはよかったです^^;。
といっても、相変わらずこの手のギャグは苦手。。。
悪いことしたお仕置きが、ディズニーの映画を延々と見させるっての派逆効果じゃないかい?さらに善行に憎しみをいだくようになったりして^^;
いやあ、ブラックですねえ。。。
映画 『アダムス・ファミリー』
2004年5月1日 映画〔洋画〕
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 1999/02/26 ¥3,990
ドラマのアダムスファミリーは面白かったけど、映画はどうも。。。
小学生の僕にはあの下ネタ満載のブラックユーモアは理解できなかった。
てか、母親も兄も同意見だったらしい。。。
好きな人ごめんね^^;
城のような館に住むお化けたち、アダムス・ファミリー。そこへ長い間行方不明だった当主ゴメズの兄、フェスターが帰ってきた。大喜びする一家。だがそれは、アダムス一家のばく大な財産を狙う、悪玉たちのワナだった…。確か小学生の頃、僕が「めぐり逢えたら」を観ようといったのに、兄と母親の猛烈な反対にあい、この「アダムスファミリー」と「フリントストーン」の同時上映に強行採決された。そして、鑑賞後、僕の選択が正しかったことが証明されるほどに批難ごうごうだったことをおぼえてる。僕が怒りながら、「やっぱり僕の方にしたほうがよかったやん!」って散々、2人に言い散らしてたなあ。
原作は、30年代の雑誌『ニューヨーカー』で人気を呼んだ、チャールズ・アダムスの同名漫画である。60年代には『アダムスのお化け一家』のタイトルでテレビシリーズとなり、大ヒットした。
監督は、コーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』などで名カメラマンと名高い、バリー・ソネンフェルド。自在に動き回るハンド君など目を奪うSFXと、不気味さを競う個性のオンパレードが痛快だ。のちに『メン・イン・ブラック』という大ヒット作をものにした、ゾンネンフェルド監督の原点というべき秀作だ。
ドラマのアダムスファミリーは面白かったけど、映画はどうも。。。
小学生の僕にはあの下ネタ満載のブラックユーモアは理解できなかった。
てか、母親も兄も同意見だったらしい。。。
好きな人ごめんね^^;
(ノ・_・)ノ凹 ┣凹━凹━凹┫オセンタク♪キタムバージョン☆ミ”
2004年5月1日 趣味
【ミヨシ 液体せっけん 1.2L】
都たん、なるちょに続け〜・・・(笑)
僕はこれを使っています。
アトピーの僕は普通の化学洗剤つかえません(((爆爆)))
これだと、洗い残しもないし、チクチクもしないので、肌が弱い人にはお勧めです^^
都たん、なるちょに続け〜・・・(笑)
僕はこれを使っています。
アトピーの僕は普通の化学洗剤つかえません(((爆爆)))
これだと、洗い残しもないし、チクチクもしないので、肌が弱い人にはお勧めです^^
好奇心と強迫の狭間で
2004年4月30日 僕について コメント (2)極端に視力が悪くなてきてるのがわかる。パソコンをやり出したということもあるが、僕が抱いてる危惧は、パソコンというよりも強迫的な症状によるもので、僕は、眼球を突いたり押したりしてしまうのである。
両目共にやってしまうのだけれども、右目がとくにひどい。強迫が始まる前触れは、僕の場合好奇心からが多いようだ。
僕は。自分が想像しえない未知なる感覚というものに滅法弱く。自分で試してみたくなる。
僕が目を突き出したきっかけは、「黒目に痛覚はあるのか?」といった素朴な疑問からである。
例えばシャーペンを持つと、その先端で、眼球、それも、白めじゃ駄目。黒目を突くのである。それは、先端が迫ってくる恐怖を克服して、瞬きせずに眼球までシャーペンの芯が振れるまで終わらない。瞬きしたら、やりなおし。
振れて、痛みを少しく感じると、頭が、「よし、目に痛覚はある」と安心して、しばらく落ち着く。
でもまたしばらくしたら、その衝動が襲ってくる。だから、シャーペンや鉛筆はあんまり持ちたくない。って避けてたら、今度は、爪や、紙のかどっこで突き出した。
これはもう理屈じゃない。理屈でどんなにくだらないと解っていてもやめられないのだ。
でも不思議なことに、その衝動が現れる物は決まっていて、フォークではやろうとは思わない。その代わりフォークの場合は咽を突きたくなるのだけれど。
さて、目の症状に戻ると、ほんとは、痛覚を感じるだけじゃなくて、ぶすりと突き刺してしまいたい。でも、それをしてしまうと洒落にならんので、我慢してるって感じだ。強迫ってのはほっとくとどんどんエスカレートしていく。
でも、その症状が悪化して、僕の目は明らかに視力が落ちた。
とくに右目。
右目のなにがやばいって、視力が下がるだけならいいのだけど、少し、視界がゆがんで見えるのだ。これは何でかっていうと、眼球の黒目に痛覚があるのは解った。では「水晶体に痛覚はあるのか?」って疑問にまで発展してしまったわけ。そして、新たに生まれた強迫が、水晶体をつぶしてしまいたいといった衝動。でもそれをしてしまうと洒落にならんから、ぐにぐに指で押したり、水晶体をつまんで(信じられんかもしれんがこれできるんだよ)つぶしたい衝動と戦いながら、少し力を入れてつまむくらいで我慢してた。だけど、そんなコトしてるうちに、水晶体がゆがんじゃったみたいなんだ。僕の出した結論は、水晶体には痛覚はない。痛くないもんだから、見境なしにやってたらそりゃゆがむって。
白内障でもわかるとおり、水晶体は一度傷つくと元には戻らない。だから、ゆがんでもゆがんだまま。だから、今、とっても右目に違和感あるんだけど、どうしようもないんだよね。僕にできることはといえば、これ以上エスカレートしないように、耐え続けるってこと。
幸いなことに、今飲んでる薬のおかげで、目にかんする衝動はごく小さい。
もっともひどかった時期は、失明してもいいから強迫から開放されることだけを望んでいた。
さて、軽いとはいえ、今もって強迫の症状があることにはかわりない。少しづつ、僕の強迫は両目を蝕んでいるわけだ。
ああ、右目がやばい(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
両目共にやってしまうのだけれども、右目がとくにひどい。強迫が始まる前触れは、僕の場合好奇心からが多いようだ。
僕は。自分が想像しえない未知なる感覚というものに滅法弱く。自分で試してみたくなる。
僕が目を突き出したきっかけは、「黒目に痛覚はあるのか?」といった素朴な疑問からである。
例えばシャーペンを持つと、その先端で、眼球、それも、白めじゃ駄目。黒目を突くのである。それは、先端が迫ってくる恐怖を克服して、瞬きせずに眼球までシャーペンの芯が振れるまで終わらない。瞬きしたら、やりなおし。
振れて、痛みを少しく感じると、頭が、「よし、目に痛覚はある」と安心して、しばらく落ち着く。
でもまたしばらくしたら、その衝動が襲ってくる。だから、シャーペンや鉛筆はあんまり持ちたくない。って避けてたら、今度は、爪や、紙のかどっこで突き出した。
これはもう理屈じゃない。理屈でどんなにくだらないと解っていてもやめられないのだ。
でも不思議なことに、その衝動が現れる物は決まっていて、フォークではやろうとは思わない。その代わりフォークの場合は咽を突きたくなるのだけれど。
さて、目の症状に戻ると、ほんとは、痛覚を感じるだけじゃなくて、ぶすりと突き刺してしまいたい。でも、それをしてしまうと洒落にならんので、我慢してるって感じだ。強迫ってのはほっとくとどんどんエスカレートしていく。
でも、その症状が悪化して、僕の目は明らかに視力が落ちた。
とくに右目。
右目のなにがやばいって、視力が下がるだけならいいのだけど、少し、視界がゆがんで見えるのだ。これは何でかっていうと、眼球の黒目に痛覚があるのは解った。では「水晶体に痛覚はあるのか?」って疑問にまで発展してしまったわけ。そして、新たに生まれた強迫が、水晶体をつぶしてしまいたいといった衝動。でもそれをしてしまうと洒落にならんから、ぐにぐに指で押したり、水晶体をつまんで(信じられんかもしれんがこれできるんだよ)つぶしたい衝動と戦いながら、少し力を入れてつまむくらいで我慢してた。だけど、そんなコトしてるうちに、水晶体がゆがんじゃったみたいなんだ。僕の出した結論は、水晶体には痛覚はない。痛くないもんだから、見境なしにやってたらそりゃゆがむって。
白内障でもわかるとおり、水晶体は一度傷つくと元には戻らない。だから、ゆがんでもゆがんだまま。だから、今、とっても右目に違和感あるんだけど、どうしようもないんだよね。僕にできることはといえば、これ以上エスカレートしないように、耐え続けるってこと。
幸いなことに、今飲んでる薬のおかげで、目にかんする衝動はごく小さい。
もっともひどかった時期は、失明してもいいから強迫から開放されることだけを望んでいた。
さて、軽いとはいえ、今もって強迫の症状があることにはかわりない。少しづつ、僕の強迫は両目を蝕んでいるわけだ。
ああ、右目がやばい(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
VHS ビクターエンタテインメント 1989/09/22 ¥14,595
万人向けではないが、傑作にしあがっている。僕が今まで観てきたワイダの作品群では、この「悪霊」を躊躇なく推す(多くの人達は、「灰とダイアモンド」を挙げると思うけど)。
僕が心酔したのはなんといっても全体的に灰色がかったその世界観。そして人物達の玄妙な美しさ。硬質なストーリーを更にそれらが不気味な怪しさで包んでいる。その沈うつさはまさに、ドストエフスキー的である。
ただ、ストーリーは、原作同様、理解し辛く(それでも精一杯映画として成立させているとは思うのだが)、映画という形式をとっているので、小説よりも更に全体像がつかみにくいものとなっている。
原作を一読してから観ることをお勧めする。
ドストエフスキーの「悪霊」の映画化。1870年頃のロシア過激派の青年たちの群像劇。スタヴローギンにウィルソン、ピョートルにエコフィが扮している。ワイダは72年に舞台版「悪霊」を演出したが、この映画ではオープンシーンはスペクタクル(火事シーンなど)、メインとなる室内シーンは演劇的手法を駆使、テーマも原作のベースとなったネチャーエフ事件に絞り込んで脚色、それに伴う政治理念の必然的な荒廃をリアルに描いている。僕がもっとも好きなドストエフスキーの小説だが、これを映画化するのは難しいと思っていたので、まさか、映画があるとは思っていなかったので、見つけた時は狂喜した。
万人向けではないが、傑作にしあがっている。僕が今まで観てきたワイダの作品群では、この「悪霊」を躊躇なく推す(多くの人達は、「灰とダイアモンド」を挙げると思うけど)。
僕が心酔したのはなんといっても全体的に灰色がかったその世界観。そして人物達の玄妙な美しさ。硬質なストーリーを更にそれらが不気味な怪しさで包んでいる。その沈うつさはまさに、ドストエフスキー的である。
ただ、ストーリーは、原作同様、理解し辛く(それでも精一杯映画として成立させているとは思うのだが)、映画という形式をとっているので、小説よりも更に全体像がつかみにくいものとなっている。
原作を一読してから観ることをお勧めする。
剥き海老パイナポー
2004年4月29日分冊百科の「僕ドラえもん」が欲しいけど、恥ずかしくて買えないやヾ(;´▽`A``アセアセ
僕はこの日記のほかに、手書きの日記も書いているのだけど、そっちの方はいつの間にか、心象とかまったくなくて、ただあった事実だけの記録って感じになってしまっている。最近は、こっちの日記だけで満足して、手書きの方は何日かためてしまうこともしばしば。
そもそも、毎日家にいると書くことがない。だって何もしてないもん。
手書きの日記を見るとそのことがよくわかる。
ここ最近の一日が、起床。ネット。勉強。読書。就寝。のオンパレード。
友達にネタ考えてっていったら、峰りゅうたの娘について書いてくれって、僕まったく知らんしヤナあ。。。
ネタの収集にメモでも持ち歩くかな。
僕はこの日記のほかに、手書きの日記も書いているのだけど、そっちの方はいつの間にか、心象とかまったくなくて、ただあった事実だけの記録って感じになってしまっている。最近は、こっちの日記だけで満足して、手書きの方は何日かためてしまうこともしばしば。
そもそも、毎日家にいると書くことがない。だって何もしてないもん。
手書きの日記を見るとそのことがよくわかる。
ここ最近の一日が、起床。ネット。勉強。読書。就寝。のオンパレード。
友達にネタ考えてっていったら、峰りゅうたの娘について書いてくれって、僕まったく知らんしヤナあ。。。
ネタの収集にメモでも持ち歩くかな。
映画 『アウトブレイク』
2004年4月29日 映画〔洋画〕
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2000/04/21 ¥2,100
展開的にはハリウッドのご都合主義がかいまみえたり。名優そろえてるんだしさ〜。ってモーガンフリーマンいいねいいね。でも正直、ヘリコプターが爆破したとこ以外あんまり憶えていなかったり(((爆爆)))
やっぱり、過去に観た映画を記憶を頼りにレビューするって苦しいね。。。やめるつもりもないけれど。この作品に対しては断片的な記憶しか残ってないってことは、性に合わなかったんだろうかねえ^^;
アフリカから持ち込まれた1匹の猿を感染源として、新種のウイルスがアメリカの小さな町を襲った。医師サムと彼のチームは、治療法発見のために奔走し、軍の極秘血清にたどりつく。だが、なぜ新種のウイルスに血清が存在するのだろう?一方、軍上層部はウイルスの広がりと、ある軍事機密の漏洩を防ぐため、町ごと爆破しようと企んでいた。ひいい、エボラ出血熱恐いよう\(@;◇;@)/ ぴぃぃぃぃぃぃ
悪役将軍にドナルド・サザーランド、その部下にモーガン・フリーマン、主人公ダスティン・ホフマン、その元妻にルネ・ロッソ。正直、キャストを見ただけでストーリーの展開が読めてしまう。にもかかわらずスリリングでおもしろいのは、『ネバー・エンディング・ストーリー』のペータゼン監督や、豪華役者陣によるところが大きいのだろう。ウイルスが伝染していく緊迫感のある描写には、思わず目が釘づけになってしまう
展開的にはハリウッドのご都合主義がかいまみえたり。名優そろえてるんだしさ〜。ってモーガンフリーマンいいねいいね。でも正直、ヘリコプターが爆破したとこ以外あんまり憶えていなかったり(((爆爆)))
やっぱり、過去に観た映画を記憶を頼りにレビューするって苦しいね。。。やめるつもりもないけれど。この作品に対しては断片的な記憶しか残ってないってことは、性に合わなかったんだろうかねえ^^;
DVD 紀伊國屋書店 2004/04/24 ¥5,040
自分の理解の範疇を超越した人物に対して、人って、圧倒的な嫌悪感か、何かわからない魅力かどっちかの感情に二極化されちゃうんじゃないかなあって思う。んで、僕は後者なの。自分がわかんないってことは、まだわかっていないってことであって、それを解ろうとしていけばいつかはわかるかもしれないのであって、その未知なる世界をウンウンうなって、探求していく過程って、詰まるとこと、思考の拡大なのであって、感性の自分の壁を破ろうとすることであって、きっとその先にはものすごい感動が待ってるのかもしれないなあといった楽しみやら恐怖感やらが混在して、あたかもぐるぐる回る洗濯機に手を突っ込んだらどんな感じなんだろうなんていった感覚にも似たようなもんであって、だからいわゆるその僕にとってゴダールを観るってことは、人間がもつ未知なるものへの好奇心と同じなんだよね。僕はゴダールの作品という海を航海しながらいつかはゴダールの思想という島への到着を夢見ているひとりのコロンブス。だから今は、彼の作品さっぱりわかりまへん(笑)
ヌーヴェル・バーグの旗手、ジャン=リュック・ゴダールが、男女の愛の本質を描いたラブロマンス。若き芸術家・エドガーは愛における4つの瞬間(=出会い、肉体的パッション、別れ、和解)をテーマにした作品を製作するため、“彼女”に出演依頼するが…。僕はゴダールの映画は嫌いなんだけど、ゴダール自身にはものすごく興味がある。だから、ゴダールを知る上で、ゴダールの作品を見ないといけないわけであり、これがまた、僕の感性にかすりもしないわけであって、そんな作品を作るゴダールがますます好きになっていくっていう気持わかるかなあ?(笑)
自分の理解の範疇を超越した人物に対して、人って、圧倒的な嫌悪感か、何かわからない魅力かどっちかの感情に二極化されちゃうんじゃないかなあって思う。んで、僕は後者なの。自分がわかんないってことは、まだわかっていないってことであって、それを解ろうとしていけばいつかはわかるかもしれないのであって、その未知なる世界をウンウンうなって、探求していく過程って、詰まるとこと、思考の拡大なのであって、感性の自分の壁を破ろうとすることであって、きっとその先にはものすごい感動が待ってるのかもしれないなあといった楽しみやら恐怖感やらが混在して、あたかもぐるぐる回る洗濯機に手を突っ込んだらどんな感じなんだろうなんていった感覚にも似たようなもんであって、だからいわゆるその僕にとってゴダールを観るってことは、人間がもつ未知なるものへの好奇心と同じなんだよね。僕はゴダールの作品という海を航海しながらいつかはゴダールの思想という島への到着を夢見ているひとりのコロンブス。だから今は、彼の作品さっぱりわかりまへん(笑)
映画 『愛と青春の旅立ち』
2004年4月28日 映画〔洋画〕
DVD CICビクター・ビデオ 2002/06/07 ¥2,625
ええ歌なんだよ!もうええ歌すぎて、内容がかすんじゃうよう、なんつって。
死んだ親友かわいそすぎる、悲惨すぎるうえーん。゜(゜´Д`゜)゜。
ゴセット演じる鬼教官、あんたはほんとのプロだよ。プロフェッショナルだよ!でも、でもなんか話すことマニュアル化されてない?(笑)
まあ、いいんだけどね。いちいち新入生が入ってくるたんびに違うこと言ってたんじゃあ疲れるだろうから(^▽^ けけけ
って観た人でないとわかんない感想をたれてみる。ブー
暗い過去を振り捨てるようにアメリカ海軍士官学校に入学した青年が、町工場に務める女性との愛を育みながら、厳しい訓練や親友の自殺といった数々の試練をくぐり抜けて、人間として成長していく姿を描いた青春映画である。ええ歌じゃあ(´Д⊂グスン
テイラー・ハックフォード監督の出世作となるとともに、リチャード・ギアの代表作として、今も広く愛され続けている佳作である。82年度のアカデミー賞ではルイス・ゴセットJr.が助演男優賞を、そして主題歌賞を受賞した。それまで生徒たちにとことん厳しく接していた鬼教官役のゴセットが、卒業の日に一転して主人公に最敬礼するシーンは実に感動的だ。
ええ歌なんだよ!もうええ歌すぎて、内容がかすんじゃうよう、なんつって。
死んだ親友かわいそすぎる、悲惨すぎるうえーん。゜(゜´Д`゜)゜。
ゴセット演じる鬼教官、あんたはほんとのプロだよ。プロフェッショナルだよ!でも、でもなんか話すことマニュアル化されてない?(笑)
まあ、いいんだけどね。いちいち新入生が入ってくるたんびに違うこと言ってたんじゃあ疲れるだろうから(^▽^ けけけ
って観た人でないとわかんない感想をたれてみる。ブー