引きこもりの代償

2004年5月18日
ベッドにゴロリンコしたのはいいが、眠れない。体はもうクタクタなのに眠れない。
午前5時くらいになり、業を煮やした僕は睡眠薬を二日分呑む。睡眠薬って次の日だるいからあんまり飲みたくないんだよなあ(;´瓜`)

とか何とかいってるうちに睡眠薬が驚異の威力を発揮して今まで眠れなかったのが嘘のよう、いっという間に夢の中に埋没していったのであった。

目が醒めたのは驚くなかれ、14時間後。午後の6時。
アイタタタタタ!!!
体の節々が痛いw(☆o◎)w!
全身筋肉痛だ!なんてこった。僕は筋肉痛の痛みよりも、京都に試験受けにいって全身筋肉痛になってしまった自分の体の衰弱ぶりにショックを受けてしまったミ(ノ;_ _)ノ =3 バタン
おまけに、疲れが全然とれてない。散々寝たけど、睡眠薬のせいで頭は重いし、とか思ったらお腹がぐるぐる鳴り出して下痢ときてる。
友達に、風邪ではないが胃の調子が悪いって言ったら、「君、それ脱腸の前兆だよ」って、肛門から腸が出るのなんて(´・д・`) ヤダ
正露丸飲んだら下痢は治ったけどね(笑)
それにしても、ストレスなのかしらんがオイラの体弱すぎるぞ!わしは情けない。・゜・(ノД`)・゜・。 うえええん
毎日引きこもりが引き起こす体の変調にようやく身をもって実感した僕は、やはり、テニスクラブに行こうと硬く決意したのであった。

母親に、こんなに疲れてるのに昨日眠れなかった旨伝えると、「それは精神疲れやろ」って、精神疲れすぎると眠れなくなるなんてはじめて知りました。精神が張り詰めたまま弛緩しなくなるからなのかしら?

ということで、何はともあれ、そんな情けない僕は一日何もすることができなくて、ゴロゴロまったりグースカピースカしていたんだとさ。
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2003/03/21 ¥3,990
恋人に会うため逃げ出した、大金持ちの1人娘エリー。乗りこんだニューヨーク行きのバスで、失業中の新聞記者ピーターと出会う。ピーターはエリーに手を焼きながらも、特ダネをモノにしようと共に旅を続けたが…。
1934年度アカデミー賞で主要5部門(作品・監督・主演男優・主演女優・脚色賞)を独占した、古典的恋愛コメディーの傑作である。それまでパッとしなかったクラーク・ゲーブルの名を一躍有名にした作品だ。名匠フランク・キャプラの面目躍如たる名作でもある。二転三転するストーリーの面白さ、全編にちりばめられたユーモアとロマンティックな雰囲気が抜群だ。エリーに扮するクローデット・コルベールが、ヒッチハイクをするため靴下を直す名シーンなど、年月を経ても今なお楽しめる名作である。
楽しく、可笑しく、そして幸せな気分になる。キャプラの理想と僕の理想って、ほぼ同じだから共感できるんだよね。品があって慎ましくて、とても好感の持てる作品。
ヒッチハイクのシーンにはクスクスっと微笑んでしまった。
ジェリコの城壁。。かあ。アメリカにもこういう時代はあったのだね。
今のハリウッド作品も、このくらい謙虚ならいいのに。。あっ、でもそれだと現代の感覚からいえば違和感ありありなのかな^^;
たっぷり寝た。寝に寝まくった。これでもかというくらい寝殺してやった。奥歯ががくがくいうくらい痛恨の睡眠を食らわしてやった。
といった、極度の満足感の元、もう朝か?と目を覚ますと、これは何たるまが事か!?まだ午前0時をすぎてちらほら程度しかたっておらず、結局3時間程度しか寝ていないという事実に違う意味で奥歯をがたがたいわす。
思い起こすかぎり、これほど疲れていたにもかかわらず、これほど短時間で体力を全開せしめた経験は過去になく、未曾有の睡眠体験。春眠暁に至らず。おそらくこれは、徹夜と試験による極度のストレスが潜在的に僕の精神にボディーブローを食らわし、それが相乗的に睡眠圧を高める結果と相成って、50年に一度(くらい)くらいしか体験できない熟睡の臨界点を出来させたのだと解釈し、このような行幸が毎日続いたならば、一日の行動時間が大幅に増え、便利なのになあとか思いながら、今日も朝まで、毛を抜きながら、大リーグ中継を見る。
でも何で毛を抜くんだ?

外は相変わらず、どんよりと暗く陰鬱であいまいな雨を滴らせ、「ふるならふれ!」ともどかしい気持をバイキングの朝食にぶつけて、パンを全種類制覇する。隣に座った中東の方々目をむき僕のくいっぷりに感嘆もしくは呆然のまなざし。気にしないでね。
この某ホテル自由に使えるパソコンを一つ置いていたので、ハーモニーに潜伏して、戯言なひとり言(日本語が変)を書きこむ。

今日は、京都で友達のK君と会う約束。
京都市から離れること、電車で約40分くらい。京都も観光地を離れると、ものすごい長閑な畑が広がる田舎であることを発見。まあ、当然っちゃ当然か。。。
彼ったら、僕とは少しく異なった障害を抱えながらも健気に頑張るお人。でも、実際に合うのははじめてなので、チョットばかし心配していたわけであったのだが、車で駅まで迎えにきた彼は、清清しくも満面の笑みをたたえ、緊張の面持ちもなく、そしてまたカッコ良く、その外貌からだけでは、障害を煩い苦しんでいるとはとてもとても思えないのであって、それは、意外ではあったが非常に喜ばしい意外事であり、車の中で会話を取り交わす限りにおいても、彼は、とても礼儀正しく、僕は今まで彼に多少なりとも抱いていた懐疑の念を恥じ、彼の純粋さに心いったのである。そう、彼は純粋すぎるくらいに純粋であった。思えば、純粋であるがゆえに、障害を煩ったともいえるのである。

K君との遊び、というか、交流は、お互いに趣味が合うというわけでもないのでK君の行きたいところに連れていってもらった。ボクシングジム、ゲーセン、彼の通う大学。ちょうど、K君の住んでいるところが奈良と京都の境目あたりにあるらしく、今京都、今は奈良、といった具合に何回かいったり来たりした。

久しぶりにしこたま歩いた。僕は非常に息切れし、確かに自分が半年前よりも太っていることを実感せずにいられなかった。あらためて、運動をしなければと心に誓う。

こうして、K君との交流は無事にすんだ。K君なら、いつか障害を克服できる。そういった核心が僕の心の内に芽生えた有意義な時間だった。もし僕が京都に住むことになれば、彼と再び再会し、今度は継続的な交流が開始されることだろう。彼の障害の回復は、もう既に僕の目標にもなってしまっているのだ。少なくとも現時点では、共に歩む覚悟はできているつもりだ。僕の現在の比較的余裕のある心理状態での覚悟にすぎないが、僕はそれを信じたい。彼が僕を必要としてくれている限りは、彼は僕の人生の間接的な人物ではありえない。直接的に、僕の人生を構成する有機体の一部なのである。そして、僕も彼の人生において、同様であるはずだ。それが、友と呼びうる関係なのだと僕は考えている。

さて、帰途に着く前に、友達のG君に、この前くれたMDのお返しに、お土産を購入。
大分に到着したのは、午後の10時半だった。
マンションに帰ると、晩飯は用意されておらず、寂しくぽつねんとラーメンをちゅるちゅるしてベットにゴロンした。
DVD ビクターエンタテインメント 2002/09/27 ¥2,625
知的障害をもつ心優しい青年・チャーリィは、夜学の女教師・アリスの暖かい励ましで特別な脳手術を受ける。その結果、一般人をはるかに上回る知能を得て、一躍天才となるが、嫉妬心、愛憎に直面し、悩んでいく。マスター・ピース・コレクション。
人間は知識によってのみ成り立つものではない。どんなに速く知識を得られる才能を身につけても、「経験」を速くすることは不可能だ。人間は、過去の自分の経験から、心を形成していく。もちろん、知識もそこに介在し、影響を与える一つの要素だ。だがしかし、知識は所詮知識であり、体験を補完するものでしかない。
自分の記憶が消滅するということは、一つの自我の死を意味する。
その先にあるのは自分の知らない新しい自分である。それは、自分であるが、もはや自分ではない。記憶は、自己の存在を定義する唯一のものだと押井は言っている。記憶を失う恐怖。
チャーリーの苦悩は、死(自己の喪失)への恐怖なのである。
本来なら元の自分に戻るだけだが、その元の自分という存在が、過去や哀しみを理解し得ない自分であるということを理解できるのが今の自分であるがゆえに、彼が元の自分を自己の喪失と同一視したとしても無理もないことである。

いざ試験へ

2004年5月16日
どんよりどよどよ、ざぶんざぶん。
僕の試験の結果を暗示でもしているかのように、天気が悪い。
コンビニでヤスヤスのぺらぺら傘を買って地下鉄に乗って、試験場の某大学へ。
徹夜明けだが、試験から来る無意識の緊張からか、全然眠くない。

今日僕は、言語学者の権威で、政治評論家でもあるのーム・チョムスキーの「誰だってテロをやめさせたいと思っている。簡単なことです。参加するのを止めればいい」といった内容が英語で綴られたティーシャツを着ていったのだけど、これを着ていると、すれ違う外国人のリアクションが面白い。英語のできる外国人は必ずといっていいほど、僕のティーシャツに目をやって読む。
だから、すんごく目立ってるんだと思う。
今日も、地下鉄で試験場へ向かっている時に、向かい合わせた男女のインテリっぽい外国人の方が、こっちをじっと見て読んでる。
そして、僕のほう見て、( ̄ー ̄)ニヤリ、としてきたから、僕もティーシャツを指差して、コクリとうなづき( ̄ー ̄)ニヤリ。
でも、なにか話しかけられても、僕は英語が話せなくて、焦るので、その後は、何事もなかったかのように読書した。いつかきっと英語はなせるようになるぞ〜!!

大学についた頃には、結構ザアザアぶりで、他の受験者と共に、受付に並んでる間に靴の中に水が浸透してきて靴下びっちょびちょ。
並んでる時間がかなり長かったので、ハーモニーのチャットにひとり言カキコしたりしてた。見た人いるかなあ?^^
試験会場に入ると、シーンとしてて、僕は静かなところって好きなんだけど、強迫的には辛い。のどを鳴らしたい衝動が強くなって、久しぶりに、強迫を我慢してるって実感した。

試験は、午前教養、午後、専門と論文。
論文があるために終わるのが午後の5時半と、大変長く拘束されて非常に疲れる。
僕の場合、専門は結構やってるから、問題はどっちかっていうと、教養の方なんだなあ。
僕は根っからの文系人間で、数学はまったくできない。数学ができないというよりも、計算系、理系はほんと中学以下のレベルだと思う。大学でバイトしてた頃、消費税をどうやって出すのかわからなくて、1.05をかける所を0.05をかけたりなんかして、もう既にギャグとしても笑えないくらいの大失態を経験したこともある僕。他のバイトの人に、消費税の出し方を聞いたときは、ほんと穴の中に入りたいぐらい恥ずかしかった(;´瓜`)
森博嗣って作家さんが、「理系は文系を兼ねる」みたいなこと言ってたけど、結構、的を得てると思う。概して数学ができない人が文系と呼ばれるんだろうね。
てなことで文系な僕は当然計算しない。というかできないから、数学や物理、数的推理、判断推理は当然、考えるのではなくて、鉛筆転がしたり、インスピレーションで解答を選択したりなんかしてる(((爆爆)))
だから、そのぶんみんなより早く終わってしまうのも道理なわけであって、教養なんて、1時間くらい余って一番に終わっちゃって、手を上げたら、試験官の人が、トイレですか?って、いや、試験終わりました。
こんなんでいいんでしょうか?いいわけないよね。僕の課題は理系教科。もしも今年受からなければ、来年は死に物狂いで理系を物にしなければ。せめて、数的推理や判断推理は最低限押さえとかないと、問題数も多くて、得点源にもなり得る訳だから、これができないとなると、みんなにかなり水をあけられてることになる。つまり今年はかなりやばい。
んだけど僕も武器がないわけじゃなくて、文章理解は強い。って、これ3、4問しかでないんだよね。とほほ。。。
午後の専門は、教養よりは手応えがあり。っても絶対的な確信はないからなあ。
論文は2題。憲法と教養。
教養の方は、食品管理について書けって。食物アレルギーのことやら書いた。
憲法は表現の自由について。しかしこの時既に残り30分くらい。論文2題を2時間ってかなりきついって〜⊂´⌒∠;゜Д゜)ゝつ
結局、何書こうか迷って、匿名性と個人の表現の自由についての責任の所在やらをくっつけようとして、2ちゃんねるの事書いてたら、時間がきて途中で終了してしまった(´ヘ`;) ハァ 
その問題点とかを挙げるところまでいかなかったから、なんか2ちゃんねるの宣伝みたいになってしまった(笑)

とまあ、こんな感じだったけど、くよくよ悩んでも仕方ないし、あとは神のみぞ知るってことで。僕の予想は十中八九無理だけど^^;

ホテルに帰った僕はさすがに徹夜がきいてきて、午後九時にはすでに、力尽きていた。
ディズニー長編アニメーション映画の第31作。おなじみ『アラジンと魔法のランプ』の世界を、ミュージカル仕立てで構成している。貧しい青年アラジンは、魔法の洞窟で不思議なランプを手に入れて、その中から現れた魔神ジーニー(声はロビン・ウィリアムス/怪演!)から3つのお願いをかなえてもらうことに。
さっそく、恋い焦がれるお城のお姫様に会うため、王子に変身させたもらったアラジンは王宮に乗り込んでいくが、そこで悪大臣の陰謀を阻止すべく立ち上がる。どちらかというとドタバタ・タッチのアクティヴでスピーディーな演出が全編を支配しており、空飛ぶジュータンの描写はそれがもっともいい形で表れている。アカデミー賞主題歌賞およびオリジナル作曲賞を受賞。
僕がディズニーのアニメで唯一通しで観てる作品だと思う。
昨今パクリ疑惑とかで騒がしいディズニーも、この頃はまだ非常に良質のアニメを作ってるよねえ。とっても面白かった。やっぱり、ディズニーの最近の状況は解任されたCEO(最高経営責任者)が、問題だったの?

いざ京都へ

2004年5月15日
明日の裁判書事務官の試験を受けるべく、京都へ。
今日は観光するつもりで、朝起きてから、ご飯食べて、ネットちっと開いてから、すぐに出発。

京都につくまで、友達のG君からもらったMD(ミスチルのシフクノオト)を聞きながら、読書したり、白目むいて遊んだりする。

午後の何時か忘れたけれど、京都に到着。
長袖のティーシャツを着てきたのだけど、予想以上に暑い。じっとり汗掻いて、鼻がふがふがしてきた。
おやや?天気曇ってる。荷物も重いし、観光する気も起きなくなってホテルへ直行。
よく考えると京都って広いよね。ってホテルまで歩いていった僕はどっとつかれて速攻ベットにバタンキュウ(。_゜)〃ドテッ!
夕飯はせっかく京都にきてるのに、雨ふってるし、疲れてたのでホテルの隣のコンビニでお握りとパンを購入して、お茶で流しこむ。
やることがないので、毛を抜き出す。
最近毛を抜くなあ^^;毛を抜いてるうちに、眠くなってきたので、みんなにお休みのメールを送ったりして、床についたところ、なぜか眠れない。
ゴロゴロしてるうちに午前2時になって、睡眠薬飲もうかとも考えたけど、明日寝過ごしたりしたら大変だと思いとどまり、眠くなるまで、テレビでも観ようと、電源つけたら、なんと、大リーグ、ヤンキース対マリナーズのイチロー松井直接対決の生中継があってるではないかって、眠くなるどころか興奮して目がバッチし醒めてしまって、結局、大事な試験にもかかわらず、徹夜で臨むことに相成ったのでありんす(核爆)。
E・ブロンテの原作の神秘性が具現化され、かの大作は86分に集約、密度の濃いラテン的な情熱の物語の、その暴力性には全くめまいがする。主人公のヒースクリフをアレハンドロ、ヒロインのキャサリンをカタリナ、とスペイン名に改め、舞台をヒースの丘からメキシコの砂漠へと置き換えている。養子として育てられたアレハンドロと、彼と幼少の頃より愛しあっていたカタリナ。しかし、兄によって二人の仲は引き裂かれてしまう。故郷を離れ、実業家として成功し、復讐の念に燃え帰郷したアレハンドロを待ち受けていたものはカタリナの訃報。亡骸に接吻する時の愛と呼ぶより狂気、そして、怒涛のラスト。呆気に取られること必至のブニュエル演出が炸裂する。音楽もワーグナー(“トリスタンとイゾルデ”)ですからねぇ……。どこまで西欧的なるものをコケにすれば気がすむんでしょう。
ブニュエルの演出は、おぞましいなあ。『嵐が丘』をこの短さで仕上げられるあたりは今ならすごいと思うかもしれないけれど、あの頃の僕には拍子抜けだった。ブニュエルのすごさもよく理解してなかった頃だもんね。。といって、ブニュエル作品はマイナーすぎて、なかなかビデオ屋においてなくて、あまり観てまへん。

寝る前の楽しみ

2004年5月14日
明日から試験を受けに京都にいくのじゃ。

友達のK君がどうしてもあいたいって言い出したので、16日に帰るところを、一日滞在を延長することにした。

ということで、明日から3日間ほど日記更新できん。夜露死苦。

帰ってからまとめて更新するね。

昨日睡眠薬を二日ぶん飲んで無理やり眠って生活時間を戻した。

睡眠といえば最近、寝る前に小説の朗読テープを聞いている。
これが楽しみで、聞いているうちに心地よく眠れたりする。
今聞いているのは、坂口安吾の「白痴」。

僕なりのリラックス方法だ。
DVD アイ・ヴィー・シー 2002/10/25 ¥3,990
三度のアカデミー作品賞、監督賞に輝いたアメリカを代表する映画の巨匠、ウィリアム・ワイラー。彼が描くブロンテの名作『嵐が丘』の初の映画化。その後、たくさんのリメイク作品が出たが、そのなかでも「映画の古典」と呼ぶにふさわしい傑作である。愛の偉大さ、深さを美しい映像で表現している。
舞台は「嵐が丘」と呼ばれる古い館。そこに養子として引き取られたジプシーの血を引く野生児ヒースクリフは、館の娘キャシーと恋に落ちる。愛は身分の差を越えるはずだったが、年を重ねていくうちにキャシーは金や名誉といった欲にむしばまれ、ついに地元の名家リントンの息子エドガーと結婚してしまう・・・。失ったものの大きさに気づき、自分の愚かさを嘆く人間の姿が強烈なまでに描かれている。
この「嵐が丘」、僕がはじめて挑戦した長篇小説であって、そういう意味で、非常に思い入れのある作品。
数ある映画の中では、本作とブニュエルのやつしかみたことないけど、僕はこちらの方を評価する。というのは、こっちはほんとに小説のエッセンスを過不足なくとり入れられていると思うから。子供心にあの小説を読んだ時の興奮が、この映画をみることによって思い出された。構成力のうまさだろうけど、文芸映画の場合、僕は原作を読んでから映画を観る派なのだけど、それは多くの映画が小説の一部に重きを置いて作ってるわけで、別にそれはそれで良いのだけれど、穿った見方をしてみると、小説の話をはしょってるって感じにも映るわけなんだよね。
とにかく、小説の「嵐が丘」は、僕がはじめて挑戦した長篇であり、僕から長篇への抵抗感を拭い去ってくれた重要な作品なのだね。この作品を読み終わったあと、僕でも古典を読みとおせることができたという達成感が、自分が再び長篇にチャレンジする時の自信となってくれている

もちろん、そのストーリーの豊穣さ、世代にまたがる壮大なスケール、人物達の様様な感情。どれほど小説を読むことが自己形成に有用なものであるかも。
僕はこの「嵐が丘」で読書の魅力にとりつかれた。
っていつの間にか映画から読書の話になってしまった(^ー^;A アセアセ
あああ、ヒースクリフ!
ISBN:4003420977 文庫 脇 圭平 岩波書店 1984/01 ¥420
あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を、中途で挫折してしまった僕が、再度ウェーバーに挑戦すべく選んだこの本を読みながら思ったことは、僕にはまだこれを理解できるほどの咀嚼力を備えていないという無力の確固とした実感なのであって、その意味においてこの書に目を通したことの意味はあるといえばあるのだろうけど、僕もはどうやら自分の身の丈に合わないことをしてしまう癖があるのか知らないけど、普通そこまで行くのにある段階を経るべきところを経ないで一気に高みを味わってみたいという無謀な克己心というべき野心があって、最近自分にあえて、そういった本ばかりを課してみているわけなのだけど、この心理の一部に本を読み出したのが周りよりも遅かったという焦りが包含されていることは確かなのであって、でも、やっぱり、〜がわかる本、みたいなのを読むよりは、その人物の書いた原書を何回も読んでいったほうが得るものはあるんじゃないかといった おぼろげながら一番自分の中で信を置いている仮説を実行しているとも言えるわけなのであって、その答えがわかるのはきっと何年もあとになってからなんだろうなあということで、つまるところ、この本ももっかい読めってことなんだろうね。
でも、細部まではともかくも、その本の核心的な部分はなんとなくつかめてるような実感もないわけではなく、例えば、この本にしても政治学を勉強する上では、テキストで、そのエッセンスだけをなんの脈絡もなく暗記するのよりは、ウェーバーの主張を記憶に定着させるということにおいて、よっぽど効率がいいと思うし、正道だと思うわけ。
だから、今度は、J.S.ミルなんかに挑戦するということになる。
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2004/07/07 ¥2,090
若い娘に入れあげる夫、浮気に夢中の妻、隣のオタク青年に恋する娘。自分の幸せを追求するあまり、家族という幸せの形を放りだしてしまった愚かな人々をコメディタッチで演出したのは、イギリス出身のサム・メンディス監督。
シニカルなユーモアが得意なイギリス人らしく、アメリカンファミリーのダークサイドをブラックユーモアたっぷりに描いている。おかしいけど悲しい、その微妙なサジ加減が絶妙だ。第72回アカデミー賞で、作品、監督、脚本、主演男優、撮影の主要5部門を受賞した。
名作に含まれる要素のカクテルジュース。それゆえか、個々のエピソードに対する印象がやや希薄になっているように思われ、秀作ではあるが手放しには賞賛できない物足りなさを感じさせる。
構成の妙の中に個性が埋没してしまっているというか、巧すぎるがゆえにまとまりすぎてるというか。
例えば、ストーリーにどうしようもない破綻があったとしても、単純ではあるが強烈な作家性を放つメッセージが内包されていることが一目瞭然な作品の方が長く記憶に残ったりするんだろうなあと僕なんかは思うわけで、黒澤作品なんかその典型例であって。
そして、長く強烈な作家のメッセージと共に作品の題名が記憶として脳裏にこびりつく作品がいわいる名作だと仮定するなら、この作品は僕にとってはあと一つ足りない至極残念な作品。んしゅん(´・ω・`)

予約はお早めに

2004年5月12日
今週末に、京都で、裁判所事務官の試験を受ける。
この試験は、まあ、おためしっていうか、法学部じゃないと一次が受かっても二次の面接がきついとかで、万が一の希望を胸にって感じなのだけど。
今年初めての公務員試験なわけで、ああ、ついに試験も始まったなあって、勉強全然間に合ってません。。。
これから、どしどし試験が目白押し、なのに、もう来年に半分目を見据えていたり。うーん、やばい。

ということで、京都にいくためにホテルを予約しとかんければならんのやけど、去年の大阪で受けたときには、予約せんで、直で行ってホテルとれたもんやから、今年も大丈夫やろうっ感じで侮って、ようやく昨日になって予約するためネットで探してみたら、どこも満室てそんなバカな(゜□゜;) ギョェ
そうか京都は観光地。しかも土日の休日となれば大阪のようにいくはずもない。そんなことにも気付かんかったとは迂闊。
探しに探して、ようやく一件だけ開いてるホテルを発見し、即予約。
あー良かった。駅の地下にダンボール強いて寝ることにならなくて〜⊂´⌒∠;゜Д゜)ゝつ

みなさん、観光地のホテルの予約はお早めに。
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2003/10/24 ¥2,625
舞台は1962年カリフォルニア北部の小さな街、カスタムカーを飛ばしてガールハントしながら気晴らしにほうける若者たちの一夜の出来事を快活につづった青春映画の秀作。
まだヴェトナム戦争もドラッグも青春とは無縁だった時代のノスタルジーを、後に『スター・ウォーズ』で大ブレイクすることになるジョージ・ルーカスが製作・監督。共同製作にフランシス・フォード・コッポラが名を連ねている。出演もリチャード・ドレイファスにハリソン・フォードなど、スターの若き日の姿をとくと拝めるのがいい。また後に監督に転じるロン・ハワードの、俳優時代の代表作とも言えるだろう。『ロック・アラウンド・ザ・クロック』など、当時の流行サウンドが全編に流れる手法を用いた先駆的作品でもある。
友達2人と夜まで飲み騒いで、勢いで映画を観ようということになり、ビデオ屋にいって、僕の独断でこれを借り、あとで友達2人から散々な評価を下された思い出の作品。
あの時代のアメリカを生きた者には堪らないノスタルジックな青春も、国も世代も違う僕たちにとってはいまいちぐっと来ず。
アメリカンには堪らない名曲も、おいらにゃ初耳だったりするからしょうがない。でも正直、映画なんて酔った人間が群れて観るもんじゃないね。観たっていうより眺めてだべってたってのが正直なところ。
ちゃんとした評価をするなら素面で1人でもっかい観てみないことにはねえ。。。
ISBN:4003362330 文庫 前川 貞次郎 岩波書店 1954/01 ¥630
これはもっとも徹底的な人民主権論を説いた書物である。国家は個々人が互いに結合して、自由と平等を最大限に確保するために契約することによって成立する。ルソー(1712‐78)はこの立場から既成の国家観をくつがえし、革命的な民主主義の思想を提示した。フランス革命の導火線となった近代デモクラシーの先駆的宣言の書。

第1編 ここでは、いかにして人間が自然状態から社会状態に移るか、また社会契約の本質的諸条件はいかなるものであるか、が探求される(第一編の主題 最初の社会について ほか)
第2編 ここでは、立法がとりあつかわれる(主権は譲りわたすことができないこと 主権は分割できないこと ほか)
第3編 ここでは、政治の法、すなわち政府の形態がとりあつかわれる(政府一般について政府のさまざまの形態をつくる原理について ほか)
第4編 ここでは、引きつづき政治の法をとりあつかいつつ、国家の体制をかためる方法がのべられる(一般意志は破壊できないこと投票について ほか)
原書を読む能力のないものにとって、外国の書籍の良し悪しは、その訳によって左右されるといっても過言ではないかもしれない。
僕の頭が悪いからということも否定するつもりは毛頭ないが、この訳も名訳とは、認めがたい。ルソーの解釈の難しさと訳者は書くが、エミールを本屋で少し読んでみた限り、かなり読みやすい訳のように思えた。
訳されたのが四半世紀以上前ともなれば、そろそろ改訳を考えてみてはどうか。
とはいえ、名著には違いなく、名著は続けて2度読めというショーペンハウエルの言に従い、もう一度最初から読みかえしている今日この頃。
ところで、一度読んだだけでは、一般意志なんて到底信じられませんやね。
DVD ビデオメーカー 2002/08/02 ¥4,935
『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』で知られるジャン=ピエール・ジュネ監督が、モンマルトルの街で夢見がちに生きる若い女性の軽やかな日常を描いた、ポップなヒロイン・ムービー。
22歳のアメリ(オドレイ・トトゥ)は、ある日“他人を幸福にする喜び”に目覚めて密かな悪戯にひたっていくが、やがてひとりの青年に恋したことで、メルヘンの世界から現実へ踏み出す必要へと迫られていく…。
どこかお人好しでお節介、そのくせ自分からはなかなか翔び立てない小悪魔アメリのキュートな可愛らしさは、特に若い女性客に好感と共感を持って受け入れられた。遊び心たっぷりの映像と音の演出も小粋で楽しい。フランス本国、そして日本でも驚異的大ヒットを記録し、「観た人を幸せにする映画」という監督自身の弁を見事に裏付けることにもなった快作である。
ジュネ監督の色合いが好きなんですね。配色が。例えば僕の大好きな「デリカテッセン」、あの不思議な、メルヘンチックな色がなければ単なるホラーですよ。
淡い色使いが、ストーリーに花を添えます。
そして、登場する人物も一癖も二癖もあるような人達ばかり。
このアメリも、ジュネ臭プンプンしてますね。映画館で見ました。ひとりで。周りはカップル多かったです。ぎゃふん。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2003/10/03 ¥1,575
映画がトーキーに移り始めたころのハリウッド。人気スターのドンは、相手役の女優リーナの悪声に愛想を尽かせていた。そんなとき、かわいいコーラスガールのキャシーを知る。キャシーはリーナの吹替えとなり、リーナはキャシーを永遠に自分の声優にしようとする。そんなスターのわがままを許す映画界だが…。
50年代に花開いたMGMミュージカルの代表作の1つである。ハリウッドの楽屋裏をおもしろく見せながら、ジーン・ケリーが歌い、踊りまくる。ケリーとスタンリー・ドーネンの共同監督によるこの作品は、ミュージカル映画の1つの革命ともいえるほど斬新で、感動的だ。共演のドナルド・オコーナーによるコミカルなナンバーや、ハリウッド随一のダンサー、シド・シャリースの踊りなど、見どころが満載だ。
観て来たミュージカルの中ではベスト。ストーリー的にはやや理不尽な部分を感じなくもないけど、そんなことを忘れさせるくらいの楽しさ。
元気になりたいときに観るといいねえ。これ観ると雨が憂鬱なものじゃなく思えてくる。雨の中で思わず歌っちゃったりして。
と同時にトーキーに移っていく映画史のお勉強もしましょうね。なんつって。
おおっ!なんと今日は母の日であったか!!

ニュースを見ていてはじめて気付いた僕は、母親に、「母の日おめでとう」といったら、おめでとうとかいうものじゃない、御苦労様とねぎらうものじゃろうがo(●゜ー゜●)=○)゜O゜).。・
と、喝を入れられたので、肩をもみもみ(つ´∀`)つっと2回ほどしてあげたら、そんなんせんほうがマシじゃ(o ̄∇ ̄)=◯)`ν゜)・;’
っといわれたので、日をあらためてなにかしてあげよう。
去年は郵便局でただでもらったカーネーションをあげたらとても喜んでたなあ。

でも、物じゃないのだよ。気持だよ。母よ、お袋サンよありがとう。
僕は世の中の傘になるよ。

昨日友達に写メで、競馬の馬の名前を送ってこられて、この中でなにが勝つとおもう?って唐突な質問。
一番強烈な名前っぽい、キングカメハメハに決まってるじゃんって適当に言っといて、今日のヤフーニュース見たら、本当に勝ってやがんの!(゜□゜;) ギョェ!!
僕も馬券買っとけばよかった(´ヘ`;)とほほ

母が言うには、僕はぶくぶく太って、引きこもって大変だらけてて心配らしい。ということで、生活に張りを持たせるためにテニスクラブに入れっていってきた。まさか母親からそんな言葉が出ると思ってもいなかったので少しびっくり。でも確かに少しは運動しないとこのままじゃほんとにやばいよねヾ(;´▽`A``アセアセ
テニスがまたできるかもって思ったらなんか嬉しくてニヤニヤしてしまった。
チャリで行ける距離だし、週一くらいだし、やるかどうかただいま検討中。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2004/02/28 ¥1,575
1825年、オーストリアのウィーンで、1人の老人が自殺を図った。彼の名はアントニオ・サリエリ。かつて宮廷にその名をはせた音楽家である。そのサリエリが、天才モーツァルトとの出会いと、恐るべき陰謀を告白する。「モーツァルトは殺されたのでは…」。19世紀のヨーロッパに流れたこのミステリアスな噂をもとにしたピーター・シェーファーの戯曲を、完ぺきに映画化。75年のアカデミー作品賞ほか、全8部門で受賞した。
ふんだんに流れる名曲群、舞台にはないミュージカル部分の追加、チェコのプラハでオールロケした美しい映像など、そのすばらしさは枚挙にいとまがない。監督は、チェコ出身の才人ミロス・フォアマン。2人の音楽家の精神的死闘は、見る者を極度に興奮させる。
哀れなるかなモーツァルト、だがそれにも増して哀れなるかなサリエリよ。地位や名誉は努力や策謀により手に入れられても、才能だけはままならぬ、よって、サリエリのモーツァルトへの嫉妬は、解消されぬまま。
モーツァルトがいる限り、サリエリは、自らの凡庸さをつきつけられ、いくら周りが気付かずとも、自己が自己に下しうる恥辱、軽蔑から免れられない。
そして、その恥辱は今は自己の内心だけのものであっても、いつ、外界へ顕現しうるかわからぬ危機感に恐々とする。それは、サリエリの矜持だけでなくすべての地位も名誉も失うことを意味するからである。

サリエリのモーツァルト暗殺説は、今ではほぼ否定されているらしいけど、作品の目の付け所としては、うまいと思う。
DVD ビデオメーカー 2001/06/28 ¥3,990
作家を夢見てローマに出てきたものの、今ではしがないゴシップ記者に甘んじているマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)の遍歴。彼が大富豪の娘(アヌーク・エイメ)と一夜を共にし、帰宅すると同棲相手が自殺未遂。取材で知り合ったハリウッド・スター(アニタ・エクバーグ)にはさんざん振り回され、唯一のより所でもあった知的な友人は、子どもと一緒に自殺してしまう。ショックを受けたマルチェロは乱痴気パーティへと興じていき…。
空輸される巨大なキリスト像や、腐乱した魚など、シンボリックな映像を巧みに用いながら、現代ローマの狂気と紙一重の絶望的退廃が徹底的に描かれる、イタリア映画界の名匠フェデリコ・フェリーニ監督の秀作である。カンヌ国際映画祭グランプリ、そしてアカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。
マストロヤーンニ!! この色男!
んなことはどうでもいいや。
僕はフェリーニ好きなのだけど、全部が好きというわけではなく、ストーリーラインがかっちりきっちり通った「道」や「カビリアの夜」のような作品が好きなんであって、名作といわれる「82/1」とか、この「甘い生活」みたいなのはどうも苦手。妄想と現実の混合がフェリーニの持ち味なのかもしれないけど、訳わかんなくなる。この甘い生活は、別に妄想って訳じゃないけど、とにかく長かった。んで、やっぱり、訳わかんなかったかなあ。。
よくよく考えてみると、僕が好きになるフェリーニの映画って、全部ジュリエッタマシーナが、主役級張ってるやつばっかだ。
やっぱり、マシーナに対するフェリーニのあふれんばかりの愛が、僕の感情に知らず知らず響いているのかしらん?なんちって。

断っておくけど、マストロヤンニも大変大変魅力的な俳優だと僕は思うのであります。

< 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索