WOWOWに問いたい。アナログだかららといってこの仕打ちはあんまりだア。テニスに視聴者を振り向かせたい気持ちはわかる。だからといって日本の鈴木貴男がフェデラーと対戦する試合を放送せずに、シャラポアの試合なんて流さないでくれよ〜(T∇T) ウウウ!
デジタルじゃ放送してるんだろうけど、きっとアナログ視聴者のテニスファンから怒涛の苦情がきてるんじゃないか?
さて二回戦、このあたりからシード勢も負けたりする選手がちらほら出てきたりする。鈴木貴男はフェデラーに負けちゃったらしいね。そりゃそうか。でも結構いい試合したらしい。WOWOWはとにかくシャラポアの試合を放送しすぎだっつうの。

A・アガシ vs R・シュトラー(男子シングルス2回戦)
この組み合わせ、僕がテニスを見てなかった02年の全豪の決勝の対戦だったらしい。つまりこの3年でシュトラーがランキングを下げちゃったから、こんな早い段階でこの2人が対戦することになっちゃった。
でも。僕はこの試合がシュトラー初見なのだ。アガシは今回非常にシェイプアップして望んでいて、その意気込みが伺える。以前の決勝での戦いはアガシがシュトラーをストレートセットで一蹴しちゃったみたいで、まあ、順当にアガシが勝つと見ていいだろうなあ。
シュトラーはちょっと変わったサービスの打ち勝たしてる。これが序盤結構エースを取ってアガシを苦しめてた。でも何だかんだで、アガシが第1セットとって、2セット目で競った場面をシュトラーが落としたとたん、シュトラーの集中力が切れて、プレイが雑になった。それからはもうぼろぼろ。アガシが何もしてなくてもシュトラー自身が崩れていっちゃった。あきらかにいらいらして。第3セットは6−0で結局ストレートでアガシの勝利。テニスってほんと、メンタルが重要なスポーツだよね。
WOWOWのテニス中継を見てきて思うこと、毎年グレードアップしてきていってる。これはつまり、テニス中継がある一定の成功を収めているといえるのかもしれない。僕は02年から2年間テニス観戦にブランクがあったのだけど、去年テニスを始めだしてから、また見始めた。この2年間のうちに、WOWOWのテニス放送の内容が偉いグレードアップしているというか、まず、アナウンサーの人数が増えた。呼ばれている解説の人の数が増えた。そして何より、リポーターとして、進藤さんとフローランダバディが去年から参加しているらしく、ぐっとエンターテインメント性が増したというか、テニスに興味のない人にもどうにか目を向けさせようという姿勢が見える。思えばWOWOWのテニス放送は長く、そしてテニスのグランドスラム、四大大会のウィンブルドン以外の3大会を放送してくれるというテニス好きにしては大変ありがたいチャンネルなのだ。大げさに言うと、映画とテニス好きな僕はBSとWOWOWだけあればあとはテレビのチャンネル要らない。
テニスは素人にも、見て充分面白いスポーツだと思うけど、いかんせん地上波では日本はテニスの放送に消極的だよね。WOWOW、貴重なり。
さて、鈴木貴男がJ・M・ギャンビルを倒して一回戦を突破した。次は王者フェデラーとの対戦だ。当然放送があるだろうな。

G・コリア vs T・ベルディヒ(男子シングルス1回戦)
僕が試合を見てみたかった一人、ギレルモ・コリアである。彼はナルバンディアン、ガウディオと共に、アルゼンチンの三銃士の一人。三人とも僕はまだプレイを見たことないのだけど、一番興味を引いていたのがこのコリア。彼はなぜなら、僕が大好きだったマイケル・チャンと同じように、背が低く、オーバーサイズのラケットを使い走り回りボールを取り捲るスタイル。僕も背が低いから、大変参考になるし、まあ、僕はつい先ごろオーバーサイズのラケットと別れを告げたんだどね^^;背が高い選手が有利とされる今のテニス界でその身長でトップ10内に入っているコリアはそれだけで尊敬に値するのだ。
相手のベルディヒは全然知らなかったけどR・ナダルと共に嘱望されている若手だそうな。でも背も高くてプレイもなんだか好きな感じじゃなかった。
ということでコリアだけれど、クレーコーターらしいねばりっけのあるトップスピンで、走る走る。僕だったら10分で足が痙攣しそうなくらいに走って体全体使って球打ってた。ゆえにコリアの試合は間違いなく僕の好きな部類なのだけど、体を酷使するから選手生命短いだろうなあ、とか大会の後半まで体もつんかいな?とか心配になってくる。
でも、まあ余裕で勝ったからひとまずいいけどさ。

A・ロディック vs I・ラバーゼ(男子シングルス1回戦)
現在男子のトップ4の一人ロディックだけど、嫌いってわけじゃないけど特に好きというわけじゃない。あの230キロのサーブは見ものだけど。総合力というところでは、サーブを除いて他の三人よりも劣って映る。というか、まだ粗がありすぎる。サフィンの要に技術は抜群に高いのだけど精神力に粗があるっていうのじゃなくて、技術そのものに粗がある。まあ、まだ未完成な感じというか、サーブが入らなければ、格下の選手にも結構負けちゃいそうな不安定さがある。だから、あんまりまだそこまで魅力を感じないというか。シャラポアと同じくプレイが大味な感じなのね。
てか、正直に言うと、絶大な人気を誇るバボラのピュアドライブってラケット使ってる選手があんまり好きじゃないの。理由はピュアドラで打ってみたところ僕にあんまり合わなかったから。ちょっと圧ラけっぽいし。僕の好みのラケットは薄くて硬い、だからね。だからピュアドラ使ってるモヤにしてもロディックにしてもあんまし好きになれないのだ。でもなぜかアレックス・コレチャは好きなんだけどね(笑)
試合は、ロディックが弾丸サーブをぼこぼこ打ち込んで圧勝。彼はトップ選手と当たった場合に問題がある。これからの試合を見てみないとね。
昨日から開催されているテニスだから本来昨日が初日なわけだけど、僕んちはデジタルWOWOWじゃなくてアナログのほうだから、録画放送で日付が変わった深夜に放送があるからこの日が僕にとっての初日ということになるわけであるよ。
杉山が一回戦で負けちゃった。なんか今年は出だしから調子悪いなあ。WOWOWはシャラポア人気に押され、本来なら男女一回戦は?1の試合を放送するものだと僕は思うのだが、早速シャラポアの試合を放送してる。彼女のプレーは、一言で言うと大味で、テニスをしてる人にとっては、あまり面白くない試合なんじゃないかと思う。実際僕は好きじゃない。というのは、彼女は精神力ととにかく強打で勝ち進んでて、ある意味けれんのないテニスだけど、プレー自体にはうまさを感じない。まだ彼女は17歳だし、発展途上だから仕方ないのだけど、このままのテニスでは必ず、壁がやってくる。ボールに緩急をつけたり、様々な球種を身に付けてほしい。彼女がヒンギスのようなうまさを身に付けることができれば、その外貌だけでなく、プレー自体も本当の評価を得られてくることだとおもうから、今後の彼女の成長には注意を向けておきたいかな。

R・フェデラー vs F・サントーロ(男子シングルス1回戦)
男子のほうはしっかり初日は?1プレーヤーのフェデラーを放送した。相手はサントーロっていう、まあもうベテランなのだけど、かなり特異なテニスをする。背が低くて、左右両手打ち。強打はしないけど非常にいやらしいテニスをして強烈な個性がある。こういったテニスは相手を惑わすから、時たま上ランクの選手を負かせたりもする。一言でいえば、クレバー。だけど、こういったテニスは、中堅の域を出ない。フェデラーの出来を図るには絶好の相手だと思う。
って思ってみたら、フェデラー最初から、12ポイントぐらい連取してる。結局あっちゅうまにサントーロを一蹴。サントーロは特異な相手を惑わす自分の良さを生かすことの出来ないまま吹き飛ばされてしまった。小細工にはパワーを、っていうんじゃないけど、フェデラーにはうまさに加えパワーもある。フェデラーは意図的に責めの展開を早くし、サントーロに展開させる暇を与えてなかった。
結局、圧倒的なフェデラーの強さを見せ付けられた試合だった。
今大会もフェデラーに死角なしか!?
今日から全豪オープンが始まるということで、WOWOWの写る実家に帰らんければならんのだけれど、普段は婆ちゃんは自分と父親だけの料理を作ればいいからかなり手を抜いているらしく、僕が帰ると、張り切ってちゃんとしたやつを作ろうとすることになって、お婆ちゃんが苦労することになるかもしれんらしくそれも心苦しい。
僕は食べられればなんでもいいというスタンスなのだけれど、婆ちゃんのほうはそうもいかまいて。ということで、僕が実家に帰るなら母親も帰らんければならんこととこれ相成るわけである。
だからマンションがしばらく空くわけで空けるとなれば冷蔵庫にある食材を平らげてしまわんければもったいない。僕は箱ごとカステラを食べ、みかんを食べ、この二日間まともな食事をとていない。ゲプ。
そして、二週間向こうにおるわけだから荷物。おととい父親にいくらか運んでもらったのだけど、それでもまだまだ大量に持って帰るものはあるわけで・・・。
僕はアトピー体質で、シャンプーやボディーソープなんかも家族と一緒のは使えないから、まずシャンプー、リンス、トリートメント、ボディソープ、洗顔クリームは必須。次に僕はアレルギー体質であって、強迫性障害だから、薬、サプリメント、漢方薬なんかも持って帰らんければならんわけであって、これだけでもうかなりの量。勉強道具は父親にほとんど持って帰ってもらったけど、着替えというものがある。実家にはほとんど帰っていなかったから、僕の下着なんかも全然ないし。あっ、そうだ、ダイエットで素振りやヨガするためにラケットとヨガマットも持って帰らないと。そうだ、実家は極度に埃っぽいから目を洗うアイボンと鼻を洗うアルガードも持っていかなきゃ。なんてこった、実家は田舎で近くにスーパーがない!テニスを録画する用のビデオ10本セットを買って帰らないと!ということで両手に花ならぬ両手に大量の荷物を抱えて、ひいひいとうめきながら帰省。しかもまともな食事をここ二日とっておらず、昨日あんまり睡眠をとってなかったもので、ただでさえ車に酔いやすい僕はバスで極度に酔っ払い、実家に帰り着いて家に帰り着いてバタンとぶったおれ。
夕食は鍋で久し振りのまともな食事。人心地ついて、テニスが始まるまで速攻仮眠をとったのであるよ。
DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2004/11/17 ¥1,313
オリンピック出場を目指しながらも予選で敗退してしまったジャマイカの陸上選手デニス(リオン)は、夢を捨て切れないままにボブスレー・チームを結成し、元金メダリストのアーブ(ジョン・キャンディ)を無理やりコーチに迎え、冬季オリンピックの開催地カルガリーを目指して猛特訓を開始する。
南国ジャマイカの若者たちが北国のスポーツに挑むという、実話をベースにしたスポーツ・ヒューマン・コメディ映画。ベタな笑いと夢に賭ける感動のバランスがほどよい心地よさを醸し出し、日本でもその面白さが口コミで広まって評判を呼び、大ヒットを記録した。レゲエをベースとした劇中の楽曲の数々も、作品のリズムやテンポ感を大いに促進させてくれている。
そういえば一斉を風靡したよね。冬季オリンピックとかぶったんだっけ?
明るくてほのぼのしたコメディ。ロシアだったかドイツだったか忘れたけど、いわいる適役の設定がほんとに意地が悪くて、その国の人が見たら腹立てるんじゃないかと思っちゃう。でも最期にはお約束のパターンなんだけれどもね。でも、僕はレゲエにいまいち乗れないから、この映画もいまいち乗れなかった。
さて、明日から、テニスの全豪が始まる。

ということで優勝者の僕の予想を挙げてみよう。

男子は圧倒的にフェデラーが強い。去年の勝率9割ぐらいだった。
今年もまだまだ負けしらずで、しかもトップ選手には一度も負けていない。ヒューイットにいたっては、ことごとくフェデラーに負けている。ロディックもそう。

だから、フェデラーが優勝候補なのはかたいところだろう。
個人的なに優勝してほしい選手は、ジュニアの頃から注目してたセバスチャン・グローシャン。
あと、プレイを見てみたい選手は強烈なフォアハンドを持つといわれるフェルナンド・ゴンザレス。背の低い、ギレルモ・コリア。彼のプレイ同じく背の低い僕には参考になる部分が多いと思うからね。あと、アジア唯一の巨星、パラドン・スリチャパン。彼の打ち方は一種独特で、一度拝見してみたいのだ。
僕は最近またテニス熱が再燃してきたので、名前は知っていてもプレイを見たことない選手が多いんだよね。
そんな中、一番フェデラーを倒す可能性があるかなと思われるのは、大ベテランのアンドレ・アガシ。断言してもいいけど、アガシは、若い頃よりも今のほうが強い。天才が努力をするとこうなるって感じだ。体力の衰えも感じないし、ベテランの老練さも加わってる。
そして今回は、予選を勝ちぬいて本戦入りを果たした鈴木孝男がいる。フェデラーに勝つことはできなくとも、勝負は見てみたい。だから一回戦をどうにか勝ち抜いてほしいなあ。一回戦の相手はジャン・マイケル・ギャンビル。何年か前は将来を嘱望されていたけど、なかなか目が出ずに中途半端なところでくすぶっている選手だ。左右両手打ちという珍しいスタイルで、そのぶんリーチが狭いと思うので、鈴木孝男のサーブアンドボレーというプレースタイルには苦しむと思う。ジャパンオープンで鈴木勝ってるしね。

さて、女子はというと、男子ほど圧倒的に一人突出した選手(以前のグラフやヒンギスのような)がいないので、混沌として難しい。
全豪のコートはスピードの遅いハードコートなので、フランスやスペイン勢に有利かもしれない。
僕の優勝者予想はアメリー・モーレスモ。彼女のヘビートップスピンは、あのコートに合ってるのではないだろうか。人気のシャラポワはいまいちプレイが好きじゃないので挙げない。ロシア勢もかなり強豪ぞろいだし、アメリカ勢も侮れない。でもセレナウイリアムズも以前のような圧倒的なパワーが褪せて見えるほどに、今の女子もパワー化が進んでいるので、う〜ん、難しそう。
まあ、女子は混沌としてはいるけど、男子のようにシード選手がポコポコ負けるといった波乱は少なく、上位選手と下位選手の実力はきっちり線引きされているので、ベスト8あたりでシード選手が当たりだしてからが混沌としてくるだろうね。
杉山愛はなんだか調子悪そうだし。ベスト16に行けばよしというところかなあ。

優勝者
男子:フェデラー
女子;モーレスモ
といった僕の予想ははたして当たるかな?
DVD ポニーキャニオン 2004/01/21 ¥3,990
大恐慌の35年。ジョージア州の刑務所で看守を務めていたポール・エッジコムは、大男ながら暗がりを怖がる黒人死刑囚のコフィーに興味をもつ。あるときコフィーがポールに触れただけで、重度の尿路感染症を治してしまったからだ。コフィーの不思議な力に触れた看守たちは、なんとかコフィーを死刑から救おうとする。
トム・ハンクスが看守ポールを、大男コフィーをマイケル・クラーク・ダンカンが演じた感動作である。スティーブン・キングのベストセラーを、「ショーシャンクの空に」でもキングの小説に挑んだフランク・ダラボンが監督した。ポールの仲間に、好漢デヴィッド・モースとバリー・ペッパーが扮している。注目の若手俳優、サム・ロックウェルの悪役ぶりも強烈だ。3時間8分という長い作品となっている。
気はやさしくて力持ち〜。聖人君子な大男コフィー。人々の苦しみを吸い込んで治す。
現実離れしすぎてる感はあるけど、ファンタジーとしてみれば、ねえ。
監督の訴えたいことはよくわかる。人間て度し難いものだから、これ以上、人間の汚い部分をみて、苦しむくらいなら、死んだほうがましだっていう風に思うのもよくわかる。でも、生きていようよ。だから理想は捨てないんでいようと思う。
VHS キャニオンレコード 1992/12/16 ¥17,640
60年代の台湾。中学生のガールフレンド殺害事件(実録)を基に台湾ニューウェーブの旗手ヤン監督が映画化。不良少年たちの抗争、アメリカへの憧れ、親世代の大陸への思いなど、当時の社会的背景の中に鮮やかに青春群像を描く。
知る人ぞしる名作らしく、しばしばウェストサイド物語と対比されたりする。でもミュージカルなわけじゃなく、非常に重くて、やりきれない作品。そして長い。そして音楽がない。確かほとんど。玄人受けしそうな作品。僕は・・・もう一度見ようという気にはならないなあ^^;

一口500円

2005年1月14日 グルメ
今日の晩飯、母親が大トロを買ってきた。

5きれで2500円。何でんなもん買ってきたのだ?
あるデパートでおそらく今日の目玉商品として置いていたであろう大トロ。魚屋さんの目論みは見事に外れ、庶民にとって5切れ2500円はあまりにも高すぎた。全然売れない大トロ。魚ゆえ今日までに裁いてしまわねばならぬ。焦る魚屋。そこにひょいと通りかかる母。
ちょいとそこのお姉さん、といったかどうかは定かでないが、魚屋さん、千円でいいから買っておくんなましと懇願。いきなり5切れ1000円なら絶対買わなかったかもしれないが、2500円から1000円に値下げと聞くと、お徳感がぐっと感じられることにより、安いという錯覚にまんまとはまり込んだ母は購入を決意したというわけだと思う。つまり、このトロは1000円で購入したわけだけど、実質2500円。
一口500円。母親は一切れ食べただけで、脂っこいといってあとは僕に回してきた。

一切れ500円の大トロは口の中で五秒と持たず消えてしまいましたよ。

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体重 62.4?
体脂肪 25.5%
我が家に現れた友達はテロリストだった。

機関銃もって進入してくる。僕たち家族は居間に陣を張り、友達が潜入してこないように策を練る。

父親がこうすれば大丈夫だと、こっそり外に出て、ドアノブをガスバーナーで焼く。こうすれば友達はノブが熱くて、回せないから、入ってこれないぞ。って、そん何時間置いたら冷めちゃうし、僕たちがトイレもトイレにいけなくなっちゃうじゃん。

僕の家はリフォーム中で、青いビニールが壁一面に張られている。
テロリストこと友達が庭にいる。いきなり太って無精ひげ生やしてバンダナして迷彩服を着ている。バトルロワイアル?穴を掘って何かを埋めている。
ふふ、奴め、庭が居間から丸見えな事に気づいてない(普通気づくだろ)。きっと大事なものを埋めてるに違いない。飼い猫のタマ(実際は飼ってない)に掘ってこいといって、しばし待つ。
袋を抱えたタマが帰ってくる。袋の中には色とりどりの缶ジュースが入っている。一つ飲んだが生ぬるくてあんまりうまくなかった。

なんでえ、てやんでえ。
DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2004/05/21 ¥1,890
舞台はニューヨーク。園芸家のブロンディ(アンディ・マクダウェル)は温室つきアパートの居住者になるために、フランス人ジョージ(ジェラール・ドパルデュー)はアメリカでの労働許可証「グリーンカード」を手に入れるために偽装結婚をするが、やがて入国管理局が本当にふたりが結婚しているか調べるために、ふたりのもとへ訪れた。
紙切れだけの関係だったはずのふたりが、いつしか本当に愛し合うようになる過程を繊細に追ったラブストーリー。『刑事ジョン・ブック 目撃者』などで知られるオーストラリア出身のピーター・ウェアー監督ならではの、異邦人の視点でアメリカを捉えた意欲作にもなりえている。フランスの名優ドパルデューは、これが初のアメリカ映画出演でもあった。
ドパルデューって典型的ないい人顔だよね。
こういう演技を売り物にしてる俳優さんはとっても好感がもてまする。というか、レ・ミゼラブルにも出てたよね。あれは良かったな〜。
この作品は、なぜかよく覚えてるけど、話し自体は特に珍しいわけじゃなくて、普通の恋愛映画かなあ。

沈んで浮いて。

2005年1月13日
今日はテニスクラブ、こないだ購入したニューラケットを試してみたらいい感じいい感じ。まだボレーとサービスの感覚は面が小さいからちょっとくろうするけど、ストロークは面が小さいほうがいいみたい^^
なんたって世界ランキング?1のフェデラーモデルだから、コーチもうらやましがってくれた。

ということはさておいて、僕は打たれ弱い。精神的に。
テニスクラブは社交場への復帰のためのリハビリも兼ねてるわけで、主婦層の中に僕一人中途半端な年齢の男が混ざってると、浮いちゃう。
別に浮いてもいいんだけれど、なんだか、一人の主婦の方から嫌われてるように感じるのだ。

僕は、人間不信が治ってないゆえ、会話の中に入っていくのが苦手で、話しかけられないとあんまり話さない(テニスクラブでは)。
でも、テニスは楽しいし、ヘタでも上手でも、みんなでわきあいあいとやれればいいと思う。でも、この主婦の方は、なんだか、僕に対してやたらと厳しい。僕は楽しくやれればいいと思っているのに、あんな風に露骨に態度を変えられると、やっぱり落ち込んでしまう。
まあ僕が人見知りなのも原因があるのかもしれないけど、別にみんなに迷惑かけてるわけでもないし、確かに、あんまり、目は合わさないけど(人間不信で)、なるたけ頑張って目を合わせて話すようにしてるし、それに何よりも、あまり話さないっていうのも個性じゃないか。合わないのはしょうがないけど、だからといって、態度を変えたり排他する必要はないじゃないか。
その主婦の方に嫌われてるかもって疑心暗鬼がおこると、その人のやるすべての行為が僕へのあてつけに見えてきて、落ち込みに輪をかける。
まあ、僕の思い込みかもしれんし、思い込みじゃなくても社会には色んな人間もいるから、悲しくも受け入れるしかないのかな。どうも強迫的に僕はみんなに嫌われたくないと思ってしまって、一人の人に嫌われただけでも非情に落ち込んでしまう傾向にある。いかんいかん。

午後は病院だったので、先生に、そのことを話す。頑張ってれば、以外になんとかなるものだから、あきらめずにっていわれた。慰めてくれてるんだろうけど、なんだか紋切り型で。。。
今日は、採血された。
そのときに、看護婦さんに話し掛けられた。
「いつもテニスバック持ってるんですね、実は私もテニスしてるんですよ」
僕たちは、テニスの話でちょっとした。なんだか、話し掛けてくれたことがうれしかった。この看護婦さんは、やさしさが、あふれていて、心が和んだ。採血が終った頃には、気分は、ずいぶん楽になっていた。

僕って単純だなあ^^;
DVD アイ・ヴィー・シー 2002/12/16 ¥3,675
孤独なバレリーナ(ガルボ)、彼女の情夫の男爵=宝石泥棒(J・バリモア)、病魔に冒された男(L・バリモア)、野心的な女性速記者(クロフォード)、破産寸前の実業家(ビアリー)。ベルリンのグランドホテルを舞台に、5人の男女の1日半の人間模様を描いた古典的名作。ヴィッキ・バウムの小説を舞台化した戯曲の映画化。“グランド・ホテル形式”の語源となった作品。監督は『愛の勝利』のエドマンド・グールディング。
過去に見た映画の記憶を掘り起こすのは、厄介だね。確かビデオ屋で、裏の説明がき見てたら、豪華スターの一同に出演させることを「グランド・ホテル形式」というのは、この映画から名づけられたってなみたいなことしか書いてなくて、内容が想像できなかったからあんまり期待してなかったら、予想に反して、大変面白くて、これは面白い!て思ったという感情面での記憶が一番鮮明に、記憶せられてて、細かい映画の内容事態は、断片的なシークエンスがチョコチョコ残ってるくらいで、普通、面白かった映画って記憶にかなり定着するはずなのになぜあんまり思い出せないんだろうと思ったら、要は、この映画が5人の話を飛び飛びに見せるので、話がめまぐるしくて、一本筋を通してまとめることができずに記憶に定着しにくかったということなんじゃないかと想像できたりもする。
僕は今、週に一度料理当番をしているのだが、大体、母親に事前に残業の日を聞いて、前日から心の準備と何を作ろうかと候補を考えるということをしているわけで、つまりは料理初心者。いきなり言われてもアドリブ利かないってことなのだが、今日はそのないアドリブを頭のどこかから捻りださんければならん事態になってしまった。

つまり、シコシコ勉強しているときに、母親から突如電話。頭が痛い、風邪引いたかも。ということで夕飯よろしく。

がーんがーん、てっきり明日作ろうと思ってたのに今日ですかい。母親は簡単なものでいいというが、簡単なものだとどうにも自分の気が納まらない。ファンシーな料理を作りたいという初心者特有の見栄っ張りの病理が僕はまだ抜けていないわけで、やっぱり、勉強を中途で止め、料理本を何冊か開いて、せっせと、今日の料理で風邪によさそうなもんを探す。よし、ひとまず一時間かけて(長!)作る料理を決めた僕はスーパーへ、風邪を引いてるんだから、魚がいいだろなあと根拠のない確信で、サンマを買う予定だったのだけど、肝心のサンマがどこにもない。イワシもない。この前はイワシはなくともサンマはあったから、今日もあるだろうと高をくくっていたら今日はサンマもありやがらぬ。この時点で、またも前回同様、僕のメインディッシュとなるはずのオカズが喪失してしまったので、一旦帰って、料理本を見てまたスーパーに行くか・・・いや、それはあまりにもめんどくさい!今日は寒い!だから買い物は一回で済ませんと遺憾でいかん!
て、魚コーナーにある牡蠣加工用の袋が目に入る。おお、そういえば、牡蠣とチーズとパン粉を使ってできる料理を本めくる中でチラと垣間見たような。
わずかの記憶を頼りに僕は賭けに出る。多分オリーブオイルもいるだろうから、パン粉と牡蠣に加えて買って帰る。

料理本を見ると、ビンゴ!何も買い損じた材料はなかった。唯一、干し杏じゃなくて、シロップ漬けの杏しかなかったのは痛いけど。

以下、メニュー
・牡蠣とほうれん草のパン粉焼き
・サツマイモとアンズのあったかスープ
・トマトサラダパセリドレッシング


レシピには1把とかいてあったので、1把って何だ?って思って、一株だけほうれん草使ったら、どうやら一束だったらしく圧倒的にほうれん草のボリュームがなくなってしまった^^;
サツマイモとアンズのスープはうまかったけど甘かった。干しアンズだったらそんなに甘くならなかったかも。スープの汁は、なんとポカリスエットなのよん。風邪にいいらしいね。

まあ、何にしても、アドリブ利かないなりに何とかできた☆ばんざい!
ってか、多少アドリブ出来だし点のかな?
ちなみに、ここでのアドリブって料理を作る上じゃなくて料理を決める上でのアドリブってことね^^;

今日の料理
http://www.shashinka.net/is.php?i=183226&;
DVD メディアファクトリー 2002/11/01 ¥4,935
世界的なシャンソンのヒット曲「暗い日曜日」に隠された男女の愛憎劇を描く。第二次大戦下のハンガリー、三角関係にあった男女の1人、ピアニストのアンドラーシュが恋人のために作った曲は世界中で大ヒット、だが彼らにも次第にナチスの手が迫り…。エリカ・マロジャーン、ステファノ・ディオジニほか出演。
♪くら〜い日曜日〜♪って、以前何かの日本ドラマの主題曲にも使われてたらしく、僕がこの音楽を鼻歌っていたら父親が食いついてきた。父親も知ってたくらいだから相当に有名な曲なんだねって、僕も聞いたことあったわけだけれど。
三角関係から思わぬ展開へ、そしてラストが。。良いけど、B級っぽい。まあ、いいけど。
こういう逸話がある。
ある病院に行ってうつ病と診断された患者に、医者が、「○○というお笑い芸人のテレビを見なさい、元気が出ますから」。
すると患者が、「先生、その○○が私なんです」・・・。

さて、お笑いブーム真っ盛りだが、お笑いはプロが人を笑わせるために作られた職人芸なわけで、当然そこには役割分担があってしかるべきだし、いわばお笑い官僚制とでもいうか、笑わせることにきわめて合理的な役割配分がなされているわけだけれど、これはいわば職業として作りこまれた人格。だから、当然、その日の気分で、キャラを変えることは許されない。それは、職場放棄を意味するからである。だから、ストレスもかかり、最初に述べたようなエピソードも生まれてきたりするわけだ。

だが、当然職業ではない筈の私的人間関係の場においても、キャラというものが存在する。いじられ役、いじり役、盛り上げ役、突っ込み役。そしてこのキャラというものが、人間関係というものを窮屈にしているのだと思う。キャラが一旦固定されると、相手は対象人物をそのキャラと認識をした対応をしてくる。もし、対象とされた人物がそのキャラ設定が不本意なものでも、まわりの期待に添わずして、違うキャラになったりすると、まわりは、「何だこいつ?」と興ざめしてしまったり腹を立てたりする。でも腹を立てることのほうがお門違いなのであるが。
そもそも人間は一つの人格のみ持ちうるわけではないのに、一つの人格を貫くことを強いられる中で、私的人間関係までもが職業的になり官僚化していっているのである。飲み会でいつも盛り上げる人がおとなしいと、みんな「どうした?」といい、いつもいじられている相手が、反発していじり返したら、場をわきまえない奴、みたいになってみんな憤慨する。
人間関係の中でもキャラの役を期待され、役を演じつづけないと人間関係を保てないのであれば、この世で自分でいられる場所はどこにもなくなってしまう。

僕は、高校三年のときに半年間強迫の真似を半分の男子にされ、その中には、僕が友達だと思っていた人間もいたわけだが、後年あって、そのときの僕の心境を述べたところ、友達はさも意外な顔をしながら、「あれはお前のキャラだろう?」という。
僕がいつそんなキャラを望んだ?あれは迫害以外の何ものでもないじゃないか!
高校を卒業をしようとしている年の人間の集団が、何の疑いもなく、恣意的なキャラ付けをおこない、その行為に疑いの念ももたない。キャラ付けは、人間関係を窮屈にするだけならまだしも、時として、人間の心をもズタズタにするのだ。
お互いにあって語らい、自分のままでいられ、安らげる。それが理想の人間関係ではないか?

人間は多面的な生き物である。
お笑い芸人は、客にわかりやすく見せるために、人間の一面ずつを切りとって役割分担し、誇張して見せているのである。お笑い芸人のキャラは現実の人間のほんの一面を写し取った鏡に過ぎない。
だから、画面の中で、汚れを演じているお笑いタレントは、それはいわば職業上の顔であり、私的生活において、その人物が汚れであるとか、気持ち悪いなどということはないのである。

だから、私的人間関係にキャラ付けはいらない。あの人は、ある時は場を盛り上げ、ある時は落ち着いている。あの人は人をいじるときもあればいじられるときもある。その時々によって人は様々な面をもつ。相手をキャラ付けして見なければ、どんな面をその人が出しても、その人として受け入れることができるはずだ。
VHS 松竹 1987/07/21 ¥16,265
アルゼンチンの作家マヌエル・プイグの同名小説を、バベンコ監督がホモセクシュアル・メロドラマとして映像化した秀作。舞台は南米某国の刑務所。風紀紊乱罪で入獄しているホモの囚人モリーナ(ハート)と同房になった政治犯バレンティン(ジュリア)の交流を描く。社会的な弱者であるホモの男が権力側のスパイを強要されるが、政治犯を愛してしまったことから、仮出所後レジスタンス側のルポ役を引き受ける。だが、誤解からレジスタンスに射殺されてしまう。モリーナが辿る悲劇的な運命を、彼自身が刑務所内で政治犯に繰り返して語るB級映画の物語(フランスのレジスタンスの女スパイがナチ将校に恋したため殺される=白黒映像)とダブルイメージで描いている。
公務員学校に通っていた頃に、地理の先生に勧められてみた作品。最初はその作品の中で出てくるB級映画に、侮ってしまったら、大変衝撃的な映画だった。なぜまだDVDがでず、アマゾンに画像もないのか理解できないほどの傑作だと思う。
最初のうちは少々じれったいけれど、後半に進むにつれて、話が理解できて、つながっていき、ラストは、あああああ。
と泣いちまいました。
最近テニスのことばかり書いてるから、今日は違うことを書こう。
そうそう、僕は今日一日中寝てました。

夢でもやっぱりテニスしていたよ。
でも、買ったラケットが夢の中では、違う種類のだった。
って、やっぱりまたテニスのこと書いてるやん!

だって、今日はほんとに一日中寝ていたからさ。
朝飯はキノコの森?みたいなお菓子で、晩飯はインスタントラーメンに冷凍餃子。

さんざん寝たのにまだこりもせずベッドにもぐりこんだら躊躇なく眠りにつけた。こういう日もあるのね。普段は寝付けないのにさ。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2004/09/23 ¥1,575
宝の地図を見つけた「グーニーズ」の7人の仲間たちが、お宝探しの旅に出るキッズアドベンチャー。危機また危機の連続をクリアしていくストーリーは、まるでRPGのようだ。しかし、この映画のチャームポイントはそれだけではない。グーニーズのメンバーは面倒見のいい兄、心優しい弟に加え、好奇心旺盛な少年、発明好きの少年、大食いの少年など、それぞれ個性が際立っており、じつにユニークで、セリフも軽妙だ。それもそのはず、脚本を書いたのは『ホーム・アローン』の演出で、ヒットメイカーになったクリス・コロンバス。『ホーム・アローン』以前の作品だが、このころから、子どもの描き方には突出の才能があったのだと感心させられる。製作はS・スピルバーグ、監督はR・ドナー。
映画もゲームも主題歌も大大大好き。シンディ・ローバーの主題歌を聞くとこの頃の自分に無条件に戻される。そして、この子守唄♪おやすみベイビー 木の枝ゆれる 木の枝おれて ゆりかご落ちる♪ってこんな子守唄あるかよ!
続編が作られなくてほんとによかったとぞ思う名作。ファミコンゲームは2が作られたっけ?

三回忌

2005年1月9日
今日は婆ちゃんが自殺してから三回忌。
友達には二回忌っていっちゃったけど、ニ回忌なんてないんだね。一回忌が終ったら、次は三回忌なんだね。相変わらず常識のない僕。

月日がたつのは早い。僕はなんも成長してない。
婆ちゃん、でもね、少し、前向きに生きられるようになったよ。
もう死にたいなんて、今は頻繁に思わなくなったよ。
これからも、がんばって、生きていくからね。見ていてね。

田舎のお坊さんていい。ただ、御経読むだけじゃなくて、説法してくれる。しっかり地元に根付いてるから、都会のお坊さんと違って、親戚みんなと、小さい頃から顔見知りだし。

今日は、震災と絡めて、自分たちが生かされているという話をしてくれた。僕たちは震災などで、死なずに生き残った奇跡を喜んだりするが、まさに、僕たちが生きていること事態が軌跡なのかもしれない。
人間というのはあたりまえのことに慣れてしまう。初めて、年金をもらったとき、おじいさんは拝みながらもらったという。その拝んでいたおじいさんが、同じ人間が、年金をもらいつづけてそれがあたりまえになると、はやくくれと催促しだすという。あたりまえであるありがたさ。生きていることが僕たちはあたりまえだとおもい、ありがたさを忘れている。生きていること自体、奇跡でありがたいことなのだということを忘れず、与えられた命を無為に捨てずに、大切に扱っていかなければならない。
僕は苦しみも喜びもひっくるめて、生かされているんだ。与えられた命を精一杯生きよう、生きられるありがたさを忘れずにいたい。そう思った。

そして、与えられた命を大切に育てるために、大量に出された昼のお膳を一つ残らず平らげた。
もう食えない苦しい。また太る。
ん?僕、何か間違えてるかしら?

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