映画 『過去のない男』
2004年11月24日 映画〔洋画〕
DVD アミューズソフトエンタテインメント 2003/09/26 ¥3,990
シュールなユーモアは、味がある。シュールなユーモアを含んだ作品は、記憶に残る。記憶に残る作品は、自分の人生で感じ、心に思うことを刺激するから記憶に残るんだと思う。
過去がなくとも、未来は必ず存在する。
フィンランドの異才アキ・カウリスマキ監督が、記憶をなくした男の戸惑いと淡い恋をしみじみと語る、カンヌ映画祭グランプリ&主演女優賞受賞作。ヘルシンキにやって来た男が暴漢に襲われ、記憶喪失に陥ってしまう。彼は港湾のコンテナで生活を始め、食事や服の面倒をみてくれる救世軍の女性に恋をするが、銀行強盗に巻き込まれたことから身元が発覚し…。カウリスマキ監督の作品にはペーソスがある。しかし、その中にほのかなユーモアを取り込む。それは作品の愛らしさになる。そして、カウリスマキ監督の人生や人々に対する愛情でもある。悲しい、惨めな人生にも必ず、ユーモア、笑いが含まれる。そして幸せも。悲しいだけの人生なんてありえない。たとえ過去を失っても、受け入れてくれる場所はある。カウリスマキ監督の作品は役者が無表情に近い。なのに、その人物の心理は痛いくらいに実感できる。小津安二郎の作品に通じるところがある。
カウリスマキ監督ならではの、無表情な登場人物、少ない台詞。しかし、そこに人生の悲喜こもごもが見え隠れし、深い感動を誘う。犬に至るまで脇役の存在感も強烈だ。劇中に、クレイジーケンバンドによる日本語の曲「ハワイの夜」が流れ、「にぎり鮨」も登場するなど、唐突な日本ネタに思わず頬が緩む。
シュールなユーモアは、味がある。シュールなユーモアを含んだ作品は、記憶に残る。記憶に残る作品は、自分の人生で感じ、心に思うことを刺激するから記憶に残るんだと思う。
過去がなくとも、未来は必ず存在する。
紅葉の京都〜4日目〜★★★★(2)
2004年11月23日 旅行腹八分目、いや、七分目くらい。
客が多くて相席になった若い2人組みの女性が頼んだ特大えび天丼に目が移る。又食いたいな。
外にはすごい人の列。君たち、すんごい待つことになるよ。にやにや。
僕たちに残された使命はお土産を買って帰るだけ。いやいや、それとおやつも食べなきゃね。まずは、花見小路を抜けて、色んな店が連なる祇園の通りに出る。ちょうど花見小路の真向いに、精進料理の店でも出て好評を博した黒山椒を売ってる店があったので、母親が買うために立ち寄ると、そこに和服姿のものすごく似合う清楚なおかみ風の女性が現れる。僕はあまりの美しい和風姿に、見てはいけない気がしながらも目をそらすことが出来ず、やっぱり京都はいいなあって、単なる変態とかしてんじゃん。
僕は友達用に、そんなにお金も使えないので、こんぺい糖を10袋くらい買う。こんくらい買っておけば、一通り会った人に渡せるでっしょ。友人が京都に来たなら葛きりを食べなきゃっていうんで、タクシーの運ちゃんがいいよっていってた鍵善良房っていう京菓子店に入る。葛きりって、祖母と母はどんなのか知ってるみたいだけど、僕は葛が何かも知らない。葛って昔の人が片栗の変わりに用いてたのらしく、病人とかにお湯に溶かして飲ましてたらしい。
葛きり、ところてんみたい。黒砂糖のおつゆにつけて食べる。うまい、けどでもひんやり冷たい。氷の中に入ってる。夏に食べたらさらにおいしそうだね。結構ボリュームがあって、腹がちょうど八分目くらいになった。食ってしまったら、店員がいそいそ、「もう食べ終わりましたか?」なんていって片付けはじめて、おそらくこれははよ出てけという無言の圧力なんだろうなあ。待ってる人がたくさんいるもんね。
僕たちは期待にこたえるかのようにこの店をあとにする。まだ母や祖母はお土産いろいろ買いたいみたいだけれど、もう時間が迫ってきてるので、あとは京都駅内の店でかうことにして、タクシーを拾う。少し早めに京都駅に向かって正解だったらしく、今日、勤労感謝の日に京都に来ている観光客が、四時をこえるくらいにはいっせいに京都駅に向かって渋滞で一向に進まなくなるらしい。そんなことで飛行機に乗り遅れちゃったら嫌だもんね。
京都駅では、京都の友人がお勧めのお土産をとにかく探していく。ほとんどがお土産と、婆ちゃんが食べるようで、僕は食べることないんだけどね^^;
後、夕食用に弁当を買っておこうと、最期の贅沢、一流店の弁当を買ておく。僕が買ったのは、3000円の和久傳の弁当。
6千円のもあったけど、それはさすがに買えない。
さあ、これで京都ともさよなら。僕たちは大阪空港にバスでいって、それから飛行機で大分の帰った。
僕は飛行機が嫌なので、大分の空港に着陸して初めて今回のたびが無事に終わったと安堵した。
正直、このバスと飛行機に乗って帰る間が一番疲れた。きっと張っていた気が一気に解けたからだと思う。
それにしても、僕でもこれだけ疲れた旅行、婆ちゃんとってもがんばった。ものすごい元気だと思う。普段から運動しているわけでもないのに、好奇心だけで乗り切っっちゃった。でもばあちゃんも帰ってから一気に疲れが出てくると思うので、それがちょっと心配でもある。何事もないといいなあ。
大分に帰宅してから、僕たちはすぐに風呂に行って、弁当を食う。
弁当は、見た目量が少なく感じたのに、食べてみると、相当多くて、腹いっぱいになった。さすがに高い値段で、そして、老舗の料亭の弁当だけあって大変おいしかった。京都の味つけは、僕は一番好きかもしれない。
和久傳の弁当
http://www.shashinka.net/is.php?i=153195&
今回の旅で思ったことは、京都はやっぱり、住んで少しずつ見て回るに限るってことかな。あっちもこっちもあわただしく見て回るっていうのじゃなくて、一度、長い期間京都という地にどっかり腰を下ろして、様々な景色を見て回る。その土地に住んでいれば、わざわざ観光シーズンに行くこともなく、時期をずらしても充分に堪能できるはずだし、休みの日に、どこかのお寺で一日時間を潰すなんて事もしてみたい。やっぱり、いつの日か、是が非でも京都に住みたいと心に誓うことになった旅行だった。京都に住むことは僕にとってひとつの夢なのだ。
今回の京都旅行はこれで終わるが、僕の人生はまだ終わらない。とかいうのは、気障過ぎて逆に雰囲気ぶち壊し。
客が多くて相席になった若い2人組みの女性が頼んだ特大えび天丼に目が移る。又食いたいな。
外にはすごい人の列。君たち、すんごい待つことになるよ。にやにや。
僕たちに残された使命はお土産を買って帰るだけ。いやいや、それとおやつも食べなきゃね。まずは、花見小路を抜けて、色んな店が連なる祇園の通りに出る。ちょうど花見小路の真向いに、精進料理の店でも出て好評を博した黒山椒を売ってる店があったので、母親が買うために立ち寄ると、そこに和服姿のものすごく似合う清楚なおかみ風の女性が現れる。僕はあまりの美しい和風姿に、見てはいけない気がしながらも目をそらすことが出来ず、やっぱり京都はいいなあって、単なる変態とかしてんじゃん。
僕は友達用に、そんなにお金も使えないので、こんぺい糖を10袋くらい買う。こんくらい買っておけば、一通り会った人に渡せるでっしょ。友人が京都に来たなら葛きりを食べなきゃっていうんで、タクシーの運ちゃんがいいよっていってた鍵善良房っていう京菓子店に入る。葛きりって、祖母と母はどんなのか知ってるみたいだけど、僕は葛が何かも知らない。葛って昔の人が片栗の変わりに用いてたのらしく、病人とかにお湯に溶かして飲ましてたらしい。
葛きり、ところてんみたい。黒砂糖のおつゆにつけて食べる。うまい、けどでもひんやり冷たい。氷の中に入ってる。夏に食べたらさらにおいしそうだね。結構ボリュームがあって、腹がちょうど八分目くらいになった。食ってしまったら、店員がいそいそ、「もう食べ終わりましたか?」なんていって片付けはじめて、おそらくこれははよ出てけという無言の圧力なんだろうなあ。待ってる人がたくさんいるもんね。
僕たちは期待にこたえるかのようにこの店をあとにする。まだ母や祖母はお土産いろいろ買いたいみたいだけれど、もう時間が迫ってきてるので、あとは京都駅内の店でかうことにして、タクシーを拾う。少し早めに京都駅に向かって正解だったらしく、今日、勤労感謝の日に京都に来ている観光客が、四時をこえるくらいにはいっせいに京都駅に向かって渋滞で一向に進まなくなるらしい。そんなことで飛行機に乗り遅れちゃったら嫌だもんね。
京都駅では、京都の友人がお勧めのお土産をとにかく探していく。ほとんどがお土産と、婆ちゃんが食べるようで、僕は食べることないんだけどね^^;
後、夕食用に弁当を買っておこうと、最期の贅沢、一流店の弁当を買ておく。僕が買ったのは、3000円の和久傳の弁当。
6千円のもあったけど、それはさすがに買えない。
さあ、これで京都ともさよなら。僕たちは大阪空港にバスでいって、それから飛行機で大分の帰った。
僕は飛行機が嫌なので、大分の空港に着陸して初めて今回のたびが無事に終わったと安堵した。
正直、このバスと飛行機に乗って帰る間が一番疲れた。きっと張っていた気が一気に解けたからだと思う。
それにしても、僕でもこれだけ疲れた旅行、婆ちゃんとってもがんばった。ものすごい元気だと思う。普段から運動しているわけでもないのに、好奇心だけで乗り切っっちゃった。でもばあちゃんも帰ってから一気に疲れが出てくると思うので、それがちょっと心配でもある。何事もないといいなあ。
大分に帰宅してから、僕たちはすぐに風呂に行って、弁当を食う。
弁当は、見た目量が少なく感じたのに、食べてみると、相当多くて、腹いっぱいになった。さすがに高い値段で、そして、老舗の料亭の弁当だけあって大変おいしかった。京都の味つけは、僕は一番好きかもしれない。
和久傳の弁当
http://www.shashinka.net/is.php?i=153195&
今回の旅で思ったことは、京都はやっぱり、住んで少しずつ見て回るに限るってことかな。あっちもこっちもあわただしく見て回るっていうのじゃなくて、一度、長い期間京都という地にどっかり腰を下ろして、様々な景色を見て回る。その土地に住んでいれば、わざわざ観光シーズンに行くこともなく、時期をずらしても充分に堪能できるはずだし、休みの日に、どこかのお寺で一日時間を潰すなんて事もしてみたい。やっぱり、いつの日か、是が非でも京都に住みたいと心に誓うことになった旅行だった。京都に住むことは僕にとってひとつの夢なのだ。
今回の京都旅行はこれで終わるが、僕の人生はまだ終わらない。とかいうのは、気障過ぎて逆に雰囲気ぶち壊し。
紅葉の京都〜4日目〜★★★★(1)
2004年11月23日 旅行今日はついに最終日。
宿坊の朝は早い。でも昨日夜の10時に寝てたので、いくら早くても充分すぎるほどの睡眠が取れてる。これが毎日続いたらものすごい健康的な日常になるなあ。
お寺にしばらく修行に行こうかしら?なんてね。
朝飯も、多すぎず少なすぎず、昨日の精進料理と一緒で、非常に胃にやさしそうなメニュー、否、宿坊ゆえ献立といったほうが和っぽくていいかも。
相変わらずお寺なんで肉なし料理で、味噌汁がうまい。それでもご飯2杯は食べないと足りない。2杯目の最期はお茶漬けにして食べる。これがなんともいえんのじゃ。
今日は別にどこに行くといた予定もなく、婆ちゃんがもうかなり脚が疲れていることもあり、妙心寺をいくらか拝観して回ったら、後はお土産を買って帰るだけだ。
妙心寺は僕んちの本尊だから、母親と祖母が写経した般若心経をまずは収めてもらって、それから、案内付の拝観ツアーみたいなので妙心寺の本尊を回る。なんか、龍の天井図があって、目玉が見る角度によって変わるとか、龍が昇ってるように見えたり下っているように見えたりするとかいってたけど、僕はあんまり話し聞いていなかったので、見てみてもよくわからなかった。そういえば、なんとなく目玉が動いてるような気もしなくもなかったかもしれない可能性が無きにしも非ずという見解も否定は出来ないという発言を述べるにとどめておく。
案内ツアーは本尊を離れて、一旦靴を履き、明智風呂って所に行く。明智って言うぐらだから明智光弘が使った風呂場なのかと思いきや、明智が殺されたのを供養するために建てられた風呂場らしい。昔の風呂って湯船につかるっていうのじゃなくて、いわばサウナ、蒸し風呂だったらしく、お湯の蒸気で体を洗う構造だった見たい。なんか入ってみたい作りだった。
明智風呂を出たところで、案内ツアーはお開き。みんな三々五々で好きな場所に散らばっていく。僕たちは、ひとまず昼間ではまだ時間があるので、妙心寺の他の寺を見てみることにする。といっても拝観オーケーの寺は少なくて、一番近くにあって目に付いた「退蔵院」というところに入ってみる。僕的には、ここも高桐院の次くらいに当たりな場所で、庭が紅葉というわけではないけれどとてもとても風情があって、ついでに最終日を祝福するかのように雲ひとつない天気で、東屋があったので、そこに座って日がな一日読書に耽るのもいいなあなんて思ったりした。
退蔵院
(庭園)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153189&;
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153190&;
さて、ほど隣にあった大法院ってところにも拝観する。
ここは、抹茶がついていたので、庭を見ながらしばし昼飯前の腹ならし。
ここの庭もよかったけど、とりたてて何というほどのこともないか。今までの旅行記でほとんど使うべき形容は使い尽くしたので、今更どの言葉を述べても使いまわしに過ぎないし。
大法院
(庭)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153192&;
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153193&;
ということでこれにて妙心寺も終わり、妙心寺の隣の花園会館てホテルのロビー近辺にあるお土産やで、御香とかを購入した。アロマテラピー代わりにしようかと思ってね。僕って白檀のかほり好きなんだよね。落ち着くじゃん、お寺な感じがして。
さて、もうお昼だ、昼飯どうするって、京都ってお茶漬けも有名だよね、お茶漬けが食いたい!って僕のリクエストで、旅行ガイドを紐解いてみたれば祇園の花見小路に十二段屋ってお店がお茶漬けで有名みたい。御土産屋も祇園には多いし、旅行の最期は祇園で締めくくることに。
京都の友人にお土産や、祇園のお勧めのお店をメールで教えてもらってタクシーにて直行、えらい込んでる。タクシー内で、おいしいお茶漬けを食べられるのはどこかを聞いたら、タクシーの運ちゃんも十二段屋って言ってたのでそこに行けばまず間違いないでっしょ。それにしても、このタクシーの運ちゃん、下ネタ爆裂で、気まずかった。頼むから家族に下ネタは止めてね。いい人だったけれどさ。
花見小路につくと、ちょうどお昼時。十二段屋って、前回僕が京都に一人旅したときに特大のえび天丼食べたところだった。祇園の花見小路で一番安くて手ごろに入れそうなお店だもんね。
もうびっしり人の行列が出来てる。婆ちゃん立ってるの辛かったろうに、よくがんばってくれて、30分くらい待ってようやく店の中に入れた。
母と祖母は名物茶漬けを頼んで、僕は、うなぎの山椒茶漬けにした。
お茶漬けっていうけどお茶で食うわけじゃないんだね。出汁がほんのりついてるかついてないかのお湯みたいなのかけて、京漬物とかでさらさら流し込むみたい。僕の頼んだうなぎは、山椒の香りが強くて、なんか煮干みたいに味を凝縮させてるのが4切れくらい。そのまま食べたらきっと塩辛いだろうけど、これをお茶漬けにすると、いい具合に味が薄まってうまい。いっぱいにふた切れぐらいで充分味が染み込むので、お代り自由だし、2杯茶漬けを食った。結構お腹は満足。まだ食えたっていわれれば全然食えたけど、その後、友人お勧めの、京都に来たからには葛(くず)きりっていうのを食べてみたかったからあえて2杯で止めておいたのだ。
宿坊の朝は早い。でも昨日夜の10時に寝てたので、いくら早くても充分すぎるほどの睡眠が取れてる。これが毎日続いたらものすごい健康的な日常になるなあ。
お寺にしばらく修行に行こうかしら?なんてね。
朝飯も、多すぎず少なすぎず、昨日の精進料理と一緒で、非常に胃にやさしそうなメニュー、否、宿坊ゆえ献立といったほうが和っぽくていいかも。
相変わらずお寺なんで肉なし料理で、味噌汁がうまい。それでもご飯2杯は食べないと足りない。2杯目の最期はお茶漬けにして食べる。これがなんともいえんのじゃ。
今日は別にどこに行くといた予定もなく、婆ちゃんがもうかなり脚が疲れていることもあり、妙心寺をいくらか拝観して回ったら、後はお土産を買って帰るだけだ。
妙心寺は僕んちの本尊だから、母親と祖母が写経した般若心経をまずは収めてもらって、それから、案内付の拝観ツアーみたいなので妙心寺の本尊を回る。なんか、龍の天井図があって、目玉が見る角度によって変わるとか、龍が昇ってるように見えたり下っているように見えたりするとかいってたけど、僕はあんまり話し聞いていなかったので、見てみてもよくわからなかった。そういえば、なんとなく目玉が動いてるような気もしなくもなかったかもしれない可能性が無きにしも非ずという見解も否定は出来ないという発言を述べるにとどめておく。
案内ツアーは本尊を離れて、一旦靴を履き、明智風呂って所に行く。明智って言うぐらだから明智光弘が使った風呂場なのかと思いきや、明智が殺されたのを供養するために建てられた風呂場らしい。昔の風呂って湯船につかるっていうのじゃなくて、いわばサウナ、蒸し風呂だったらしく、お湯の蒸気で体を洗う構造だった見たい。なんか入ってみたい作りだった。
明智風呂を出たところで、案内ツアーはお開き。みんな三々五々で好きな場所に散らばっていく。僕たちは、ひとまず昼間ではまだ時間があるので、妙心寺の他の寺を見てみることにする。といっても拝観オーケーの寺は少なくて、一番近くにあって目に付いた「退蔵院」というところに入ってみる。僕的には、ここも高桐院の次くらいに当たりな場所で、庭が紅葉というわけではないけれどとてもとても風情があって、ついでに最終日を祝福するかのように雲ひとつない天気で、東屋があったので、そこに座って日がな一日読書に耽るのもいいなあなんて思ったりした。
退蔵院
(庭園)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153189&;
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153190&;
さて、ほど隣にあった大法院ってところにも拝観する。
ここは、抹茶がついていたので、庭を見ながらしばし昼飯前の腹ならし。
ここの庭もよかったけど、とりたてて何というほどのこともないか。今までの旅行記でほとんど使うべき形容は使い尽くしたので、今更どの言葉を述べても使いまわしに過ぎないし。
大法院
(庭)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153192&;
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153193&;
ということでこれにて妙心寺も終わり、妙心寺の隣の花園会館てホテルのロビー近辺にあるお土産やで、御香とかを購入した。アロマテラピー代わりにしようかと思ってね。僕って白檀のかほり好きなんだよね。落ち着くじゃん、お寺な感じがして。
さて、もうお昼だ、昼飯どうするって、京都ってお茶漬けも有名だよね、お茶漬けが食いたい!って僕のリクエストで、旅行ガイドを紐解いてみたれば祇園の花見小路に十二段屋ってお店がお茶漬けで有名みたい。御土産屋も祇園には多いし、旅行の最期は祇園で締めくくることに。
京都の友人にお土産や、祇園のお勧めのお店をメールで教えてもらってタクシーにて直行、えらい込んでる。タクシー内で、おいしいお茶漬けを食べられるのはどこかを聞いたら、タクシーの運ちゃんも十二段屋って言ってたのでそこに行けばまず間違いないでっしょ。それにしても、このタクシーの運ちゃん、下ネタ爆裂で、気まずかった。頼むから家族に下ネタは止めてね。いい人だったけれどさ。
花見小路につくと、ちょうどお昼時。十二段屋って、前回僕が京都に一人旅したときに特大のえび天丼食べたところだった。祇園の花見小路で一番安くて手ごろに入れそうなお店だもんね。
もうびっしり人の行列が出来てる。婆ちゃん立ってるの辛かったろうに、よくがんばってくれて、30分くらい待ってようやく店の中に入れた。
母と祖母は名物茶漬けを頼んで、僕は、うなぎの山椒茶漬けにした。
お茶漬けっていうけどお茶で食うわけじゃないんだね。出汁がほんのりついてるかついてないかのお湯みたいなのかけて、京漬物とかでさらさら流し込むみたい。僕の頼んだうなぎは、山椒の香りが強くて、なんか煮干みたいに味を凝縮させてるのが4切れくらい。そのまま食べたらきっと塩辛いだろうけど、これをお茶漬けにすると、いい具合に味が薄まってうまい。いっぱいにふた切れぐらいで充分味が染み込むので、お代り自由だし、2杯茶漬けを食った。結構お腹は満足。まだ食えたっていわれれば全然食えたけど、その後、友人お勧めの、京都に来たからには葛(くず)きりっていうのを食べてみたかったからあえて2杯で止めておいたのだ。
映画 『オーシャンズ11』
2004年11月23日 映画〔洋画〕
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2004/12/03 ¥1,575
これ、リメイクだったんだね。ソダーバグ監督は映画界の将来をになう巨匠。結構楽しく見れた。終わりは意外にしんみり。ムーディーな感じ。犯罪おかして、こんなにも傍観者面してられるもんかねえ。ってそこはほら、映画ならでは。
上質のエンタテイメント。かな。
金庫破りのオーシャンが、ラスベガスの巨大金庫を襲うため、凄腕の犯罪者11人とともに計画を遂行する、ジョージ・クルーニー、ブラット・ピット、ジュリア・ロバーツなどスター共演の犯罪ムービー。出演してる俳優たちが超豪華ですなあ。しかも派手な爆発。金かけてまんがな。
計画は完璧でもコトがなかなかスムーズに進まない、ドジを踏むなど、アクシデントの連続が楽しい。バイオレンスが少なくユーモア満載の展開は、同じスティーブン・ソダーバーグ監督作『アウト・オブ・サイト』をほうふつとさせる出来ばえ。高級ホテルのベラージオを借り切ったラスベガスロケも華やかで楽しいし、クルーニーとピットの2大ハンサムも魅力的! 『オーシャンと11人の仲間』のリメイクゆえ、見比べてみるのも楽しいかも。
これ、リメイクだったんだね。ソダーバグ監督は映画界の将来をになう巨匠。結構楽しく見れた。終わりは意外にしんみり。ムーディーな感じ。犯罪おかして、こんなにも傍観者面してられるもんかねえ。ってそこはほら、映画ならでは。
上質のエンタテイメント。かな。
紅葉の京都〜3日目〜★★★(2)
2004年11月22日 旅行大徳寺の寺院は全部石庭が似た感じなんで、一回の拝観料が400円とかを払うのかさばったら大変な額になるのでもうほかのとこ見なくていいやとか思いながら、そういえば腹が減ったそろそろ昼飯の時間だって、定食屋があるそうな出口を探していたら、高桐院、特別公開と書かれている。特別公開という言葉に人間はどうしても弱い。
昼飯前に最期に見ておこうと、拝観する。
ここは拝観して正解だった。紅葉が今までで一番すばらしくて、この旅行で一番のあたりだった。
ほんとに赤々とした葉っぱが通路の一面に敷き詰められていて、風情でまくくりだっただった。例の如くこういう景観が抜群なところは抹茶が出る。お茶をのみのみしばらく景色を楽しんだり写真をとったりした。ここは回る予定になかったし、迷わなければ見つけなかったところだから、思わぬめっけもんがこの旅行の一番のハイライトになってしまった。
高桐院
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153183&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153184&
3.http://www.shashinka.net/is.php?i=153185&
4.http://www.shashinka.net/is.php?i=153187&
大徳寺はでっかいくせに周りに食えるところがあんまり内容で、時間も、もう3時くらいだし、今たんまり食ったら夜の精進料理が楽しめないから、喫茶店を探して、そこで、軽くサンドイッチを頬張った。
今日は旅館が取れずに、僕たちの家の本山である「妙心寺」の宿坊「東林院」に泊まる。喫茶店で休憩をしてほどなくして出てタクシーを拾う。タクシーの運転手に妙心寺まで連れて行ってもらうが、妙心寺も大徳寺と同様、でっかくて迷いそうなので、タクシーに中に入って東林院の前まで送ってもらうことにする。が、タクシーの運転手も迷って、妙心寺内をうろうろ、迷ってる分は自分の責任だからと、料金加算機を止めてくれた。いい人だ。でも迷った挙句についた東林院は地図で見ると、迷いようのない簡単なところにあった。じゃあ、最初っから地図見とけよってことなんだよね^^;
宿坊はもともと修行のお坊さんが泊まるところらしく、部屋には、テレビはなくほんとに、襖で仕切った部屋に小さな机と、布団がついてるだけ。トイレや洗面所や風呂も共同。テレビ室ってのも一様あるけど、ちっこい古いテレビがあるだけだし、この寒い中わざわざテレビを見ようとする人もいないでしょう。僕はテレビ見ない人間だから、全然かまわないけどね。逆に旅にテレビがあるとなんだか旅って感じがしない。観光の後は寝るまでゆっくり読書。これぞ至福のときなのだ。一泊朝食つきで5000円程度だから安いし、込んでる観光シーズンでもここなら部屋取れるんじゃないかな。安く上げたいときとか、一人旅なんかにお勧めかも。ただ、宿坊で不便なところが、夜の九時が門限で10時が消灯という、修学旅行並みの早さ。そんなに早く眠れるわけないけど仕方ない。
今日の夕食は妙心寺のまん前にある精進料理の「あじろ」という店。
少し早く来すぎたので、妙心寺内を歩く。もう拝観時間は過ぎてるので、夕食までの暇つぶし。婆ちゃんと手をつないで歩く。婆ちゃん、「おってて〜つないで〜♪」なんて歌って、「こうやって手をつないであんたと歩けたし」って、すごくうれしそう。婆ちゃんの手、朝は冷たく、夜はあったかい。不思議だ。
あじろっていう店は、京都の料亭だけれども、もともとはお寺専用に精進料理を作ってたので、料亭として始めだしたのは10数年前くらいかららしい。だから妙心寺のすぐまん前にあるわけだけれど、僕は今まで似非精進料理は食べたことあっても、本格的な精進料理は今回が初めてななので、どんなのか楽しみ。祖母と母が10数年前あじろが料亭を始めた当初に軽い気持ちでお昼を食べに、予約を取らずに店に入って、あまりの豪華さと、一品一品時間かけて出てくるから、帰りの飛行機に間に合わないかとハラハラしたという思い出があるそうだ。精進料理って肉を使わずに野菜だけの料理なんだよね。
やっぱり、高級ぽい雰囲気のあるつくり、非常に小さくて、今日の予約も僕たちをいれて四組だけ。四組だけのために料理を作るのかあ。
僕たちは二階の6畳くらいの部屋に案内される。6畳の部屋に赤いじゅうたんが敷かれて、三つの机がぽつんぽつんと置かれている。
う〜ん、なんか、自然にあぐらをかいてはいけないような雰囲気。
横にかけられた写真に目をやると、なんと秋篠宮ご一家が写ってあらせられる。なんとこの料亭に2回も来ている模様。一回目は独身時代。二回目は家族連れで。すごいや。
料理は一品一品、小さく運ばれてくる。味はものすんごく上品。僕は薄味が好みだから、京料理は大好きなわけだけど。ほんとに、素材の味を極限まで生かしてるって感じで、しかも見栄えも色々趣向を凝らしてて、まさに見て味わうって感じ。肉を使ってないのに、品数が多くて、かなり満足感がある。柿の器に入った白和えとか、京野菜のお寿司とか、えび芋のてんぷらとか、そりゃあもうとにかく絶品で、やっぱり、本物の精進料理は、懐石とかよりもひとつ頭飛び出してるなあと。料理の真髄を見せられた気がした。
料理に関してはこの精進料理が今回のたびの目玉で、婆ちゃんも一番楽しみにしてた。婆ちゃんは好き嫌いが多くて、懐石とかだとあまり食べるものがないのだけど、この精進料理に関してはほとんど平らげた。とてもヘルシーなので、たくさん食べても胃が重くならず、この何日かの食い倒れのよい胃休めになったみたい。
東林院に帰ってからはずっと読書した。それにしても僕はアレルギーなので、旅の耽美に環境が変わって、鼻が詰まって困る。東林院にはティッシュがなく、婆ちゃんが大量にもってきてくれていたから助かったけど、ほんとアレルギーだけは勘弁だな。
風呂は、順番で、どうやら男は僕一人だったらしく一番風呂だった。
次の人が待ってるので、ゆっくり入ってる暇はなくて、からすの行水。ほんとに修学旅行みたい。しかも髪洗ったら駄目なんだって。修行僧は坊主だからそれでいいかもだけど。
ほんとに10時に就寝。途中トイレに何度か起きたけど、はだしで非常に寒かったよ。
昼飯前に最期に見ておこうと、拝観する。
ここは拝観して正解だった。紅葉が今までで一番すばらしくて、この旅行で一番のあたりだった。
ほんとに赤々とした葉っぱが通路の一面に敷き詰められていて、風情でまくくりだっただった。例の如くこういう景観が抜群なところは抹茶が出る。お茶をのみのみしばらく景色を楽しんだり写真をとったりした。ここは回る予定になかったし、迷わなければ見つけなかったところだから、思わぬめっけもんがこの旅行の一番のハイライトになってしまった。
高桐院
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153183&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153184&
3.http://www.shashinka.net/is.php?i=153185&
4.http://www.shashinka.net/is.php?i=153187&
大徳寺はでっかいくせに周りに食えるところがあんまり内容で、時間も、もう3時くらいだし、今たんまり食ったら夜の精進料理が楽しめないから、喫茶店を探して、そこで、軽くサンドイッチを頬張った。
今日は旅館が取れずに、僕たちの家の本山である「妙心寺」の宿坊「東林院」に泊まる。喫茶店で休憩をしてほどなくして出てタクシーを拾う。タクシーの運転手に妙心寺まで連れて行ってもらうが、妙心寺も大徳寺と同様、でっかくて迷いそうなので、タクシーに中に入って東林院の前まで送ってもらうことにする。が、タクシーの運転手も迷って、妙心寺内をうろうろ、迷ってる分は自分の責任だからと、料金加算機を止めてくれた。いい人だ。でも迷った挙句についた東林院は地図で見ると、迷いようのない簡単なところにあった。じゃあ、最初っから地図見とけよってことなんだよね^^;
宿坊はもともと修行のお坊さんが泊まるところらしく、部屋には、テレビはなくほんとに、襖で仕切った部屋に小さな机と、布団がついてるだけ。トイレや洗面所や風呂も共同。テレビ室ってのも一様あるけど、ちっこい古いテレビがあるだけだし、この寒い中わざわざテレビを見ようとする人もいないでしょう。僕はテレビ見ない人間だから、全然かまわないけどね。逆に旅にテレビがあるとなんだか旅って感じがしない。観光の後は寝るまでゆっくり読書。これぞ至福のときなのだ。一泊朝食つきで5000円程度だから安いし、込んでる観光シーズンでもここなら部屋取れるんじゃないかな。安く上げたいときとか、一人旅なんかにお勧めかも。ただ、宿坊で不便なところが、夜の九時が門限で10時が消灯という、修学旅行並みの早さ。そんなに早く眠れるわけないけど仕方ない。
今日の夕食は妙心寺のまん前にある精進料理の「あじろ」という店。
少し早く来すぎたので、妙心寺内を歩く。もう拝観時間は過ぎてるので、夕食までの暇つぶし。婆ちゃんと手をつないで歩く。婆ちゃん、「おってて〜つないで〜♪」なんて歌って、「こうやって手をつないであんたと歩けたし」って、すごくうれしそう。婆ちゃんの手、朝は冷たく、夜はあったかい。不思議だ。
あじろっていう店は、京都の料亭だけれども、もともとはお寺専用に精進料理を作ってたので、料亭として始めだしたのは10数年前くらいかららしい。だから妙心寺のすぐまん前にあるわけだけれど、僕は今まで似非精進料理は食べたことあっても、本格的な精進料理は今回が初めてななので、どんなのか楽しみ。祖母と母が10数年前あじろが料亭を始めた当初に軽い気持ちでお昼を食べに、予約を取らずに店に入って、あまりの豪華さと、一品一品時間かけて出てくるから、帰りの飛行機に間に合わないかとハラハラしたという思い出があるそうだ。精進料理って肉を使わずに野菜だけの料理なんだよね。
やっぱり、高級ぽい雰囲気のあるつくり、非常に小さくて、今日の予約も僕たちをいれて四組だけ。四組だけのために料理を作るのかあ。
僕たちは二階の6畳くらいの部屋に案内される。6畳の部屋に赤いじゅうたんが敷かれて、三つの机がぽつんぽつんと置かれている。
う〜ん、なんか、自然にあぐらをかいてはいけないような雰囲気。
横にかけられた写真に目をやると、なんと秋篠宮ご一家が写ってあらせられる。なんとこの料亭に2回も来ている模様。一回目は独身時代。二回目は家族連れで。すごいや。
料理は一品一品、小さく運ばれてくる。味はものすんごく上品。僕は薄味が好みだから、京料理は大好きなわけだけど。ほんとに、素材の味を極限まで生かしてるって感じで、しかも見栄えも色々趣向を凝らしてて、まさに見て味わうって感じ。肉を使ってないのに、品数が多くて、かなり満足感がある。柿の器に入った白和えとか、京野菜のお寿司とか、えび芋のてんぷらとか、そりゃあもうとにかく絶品で、やっぱり、本物の精進料理は、懐石とかよりもひとつ頭飛び出してるなあと。料理の真髄を見せられた気がした。
料理に関してはこの精進料理が今回のたびの目玉で、婆ちゃんも一番楽しみにしてた。婆ちゃんは好き嫌いが多くて、懐石とかだとあまり食べるものがないのだけど、この精進料理に関してはほとんど平らげた。とてもヘルシーなので、たくさん食べても胃が重くならず、この何日かの食い倒れのよい胃休めになったみたい。
東林院に帰ってからはずっと読書した。それにしても僕はアレルギーなので、旅の耽美に環境が変わって、鼻が詰まって困る。東林院にはティッシュがなく、婆ちゃんが大量にもってきてくれていたから助かったけど、ほんとアレルギーだけは勘弁だな。
風呂は、順番で、どうやら男は僕一人だったらしく一番風呂だった。
次の人が待ってるので、ゆっくり入ってる暇はなくて、からすの行水。ほんとに修学旅行みたい。しかも髪洗ったら駄目なんだって。修行僧は坊主だからそれでいいかもだけど。
ほんとに10時に就寝。途中トイレに何度か起きたけど、はだしで非常に寒かったよ。
紅葉の京都〜3日目〜★★★(1)
2004年11月22日 旅行朝早く起きて行こうと思ったけど、三人とも結構疲れが疲れが溜まっていたせいか、ゆっくり眠ってマイペースで仕度した。朝食は、今朝は抑え気味に二杯たべる。
三千院は山の中だから、やっぱ寒くて、どうしても動きが鈍くなるのねん。僕ちなみに僕たちが泊まった旅館は結構芸能人がきていみたいだけど、サイン色紙が読めなくて、かろうじて峰竜太が来てたのがわかったくらいだった。
僕たちが旅館を出ると、もうすでにかなりの観光客がタクシーで押し寄せていて、すごい渋滞模様だった。僕たちは徒歩だったのでその中を掻い潜って三千院まで行った。
僕が前に行ったときは冬で、三千院は一面雪化粧で、樹から積もった雪が間歇的にボトッボトッと落ちててとても神秘的で美しかった。
今回は雪景色じゃない三千院。これもまたなかなか風情があっていい。
人が多いとはいうが、おそらく午後にはこんな比じゃなく人でごった返すはずだから、この時間に来て正解だったと思う。それでももう一時間早起きしてたらもっとゆっくり見れただろうけどね。
僕は前に見ているので、シャカシャカ歩いてたら、ばあちゃんたちをはぐれてしまって、僕はもう外に出たと思って、三千院をでたら、祖母と母はトイレに行ってたらしく中でまだ景色を見てた。僕は外で、三千院名物のしょっぱいお茶を飲みながら待つことになっちゃった。婆ちゃんも母ちゃんも、トイレが多いのだ。
三千院
(景色)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153170&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153171&
3.http://www.shashinka.net/is.php?i=153175&
4.http://www.shashinka.net/is.php?i=153177&
(童地蔵)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153174&
三千院は案外早く廻ってしまった。外に出ると、もうものすごい人だかりになってた。出た所にたくさん土産物屋があったので、母がなんか漬物みたいなお土産買ってた。
それから、近くの寺を廻ろうと、「実光院」に行く。実はよく覚えてないんだけど、^^;小さくて落ち着いた小さい庭園だったかな。茶菓子が配られて、お抹茶飲んだかもしれない。
正直、この三千院近辺の寺は抹茶を出すところが多くて、いささか抹茶飽きしてしまう。
まっすぐに来た道と逆方向に進んでいくと、突き当たりに、「勝林院」がある。ここ、以前雪が降っているときに行ったら地面がぐちょぐちょで脚の踏み場がなくって、苦労して本尊までたどり着いたけど、お祈り以外特に見る所がなかったという思い出の寺なので、今回は拝観料を払ってまで中に入ることは無いということで、概観を見ただけで素通りする。
勝林院を左に曲がって少し進むと又突き当たりに「法泉院」がある。ここは拝観した。そして又抹茶をいただく。げぷ。
ここで驚いたのは、伏見城の遺構を弔った血天井。天井に人の顔や手、兜とかのシミがある。単なる木の染みを見立ててるわけじゃなくて、本当に戦乱で、人が流した血が痕となって残っているのだ。ここのほか三ヶ所に分けて、この床は天井に配して残されているんだとか。人が多すぎて、じっくり見る機会がなかったけど、今度又来たときにゆっくり見てみたい。
ここをまわり終えてもまだ午前中。来た道を引き返して、タクシーを拾って、そのまま「大徳寺」に向かう。
今度は、大徳寺まで3000円ちょっと。行きの約半分で済んだ。込んでると込んでないとで三千院から、こんなに値段が違うのだ。
大徳治はものすごくでかくて、到底全部見れる規模じゃない。ぐるっと回りながら、どこを見るかを決めていかなきゃならない。
手ごろに入れるところがあったので、龍源院に入る。ここは石庭だね。今日は雲ひとつない快晴なので、庭が映える。ところで、ちょっといた雑学。ここの庭だったか忘れたけど、多羅葉という葉っぱが生えていて、昔の人はその葉っぱに文字を刻んで手紙代わりにしてた。この葉っぱは裏側が肉厚で傷つけると汁が出て、固まって、文字が残るようになってるんだって。それが、葉書の語源になったんだって。
龍源院
(石庭)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153180&
龍源院をでて歩いていると、ふと、大友宗麟という名前が横切る。
大友宗麟といえばわが地元大分の大名ではないか!こんなところで見かけるとは〜!ご本尊ここだったのかって、母が飛びついて、ここは是非とも拝観しようということに。
表の庭自体はさっき見た龍源院と何ら変わることはなかったんだけど、裏の庭がキリシタンだった大友宗麟らしくて、仏教に帰依したくせに、キリスト風味で、ばれないように、斜めにして、石を十字にこっそり配置してた。そういえば、大友宗麟、最近マツケンがドラマで主演はってなかったっけ?
三千院は山の中だから、やっぱ寒くて、どうしても動きが鈍くなるのねん。僕ちなみに僕たちが泊まった旅館は結構芸能人がきていみたいだけど、サイン色紙が読めなくて、かろうじて峰竜太が来てたのがわかったくらいだった。
僕たちが旅館を出ると、もうすでにかなりの観光客がタクシーで押し寄せていて、すごい渋滞模様だった。僕たちは徒歩だったのでその中を掻い潜って三千院まで行った。
僕が前に行ったときは冬で、三千院は一面雪化粧で、樹から積もった雪が間歇的にボトッボトッと落ちててとても神秘的で美しかった。
今回は雪景色じゃない三千院。これもまたなかなか風情があっていい。
人が多いとはいうが、おそらく午後にはこんな比じゃなく人でごった返すはずだから、この時間に来て正解だったと思う。それでももう一時間早起きしてたらもっとゆっくり見れただろうけどね。
僕は前に見ているので、シャカシャカ歩いてたら、ばあちゃんたちをはぐれてしまって、僕はもう外に出たと思って、三千院をでたら、祖母と母はトイレに行ってたらしく中でまだ景色を見てた。僕は外で、三千院名物のしょっぱいお茶を飲みながら待つことになっちゃった。婆ちゃんも母ちゃんも、トイレが多いのだ。
三千院
(景色)
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3.http://www.shashinka.net/is.php?i=153175&
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(童地蔵)
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三千院は案外早く廻ってしまった。外に出ると、もうものすごい人だかりになってた。出た所にたくさん土産物屋があったので、母がなんか漬物みたいなお土産買ってた。
それから、近くの寺を廻ろうと、「実光院」に行く。実はよく覚えてないんだけど、^^;小さくて落ち着いた小さい庭園だったかな。茶菓子が配られて、お抹茶飲んだかもしれない。
正直、この三千院近辺の寺は抹茶を出すところが多くて、いささか抹茶飽きしてしまう。
まっすぐに来た道と逆方向に進んでいくと、突き当たりに、「勝林院」がある。ここ、以前雪が降っているときに行ったら地面がぐちょぐちょで脚の踏み場がなくって、苦労して本尊までたどり着いたけど、お祈り以外特に見る所がなかったという思い出の寺なので、今回は拝観料を払ってまで中に入ることは無いということで、概観を見ただけで素通りする。
勝林院を左に曲がって少し進むと又突き当たりに「法泉院」がある。ここは拝観した。そして又抹茶をいただく。げぷ。
ここで驚いたのは、伏見城の遺構を弔った血天井。天井に人の顔や手、兜とかのシミがある。単なる木の染みを見立ててるわけじゃなくて、本当に戦乱で、人が流した血が痕となって残っているのだ。ここのほか三ヶ所に分けて、この床は天井に配して残されているんだとか。人が多すぎて、じっくり見る機会がなかったけど、今度又来たときにゆっくり見てみたい。
ここをまわり終えてもまだ午前中。来た道を引き返して、タクシーを拾って、そのまま「大徳寺」に向かう。
今度は、大徳寺まで3000円ちょっと。行きの約半分で済んだ。込んでると込んでないとで三千院から、こんなに値段が違うのだ。
大徳治はものすごくでかくて、到底全部見れる規模じゃない。ぐるっと回りながら、どこを見るかを決めていかなきゃならない。
手ごろに入れるところがあったので、龍源院に入る。ここは石庭だね。今日は雲ひとつない快晴なので、庭が映える。ところで、ちょっといた雑学。ここの庭だったか忘れたけど、多羅葉という葉っぱが生えていて、昔の人はその葉っぱに文字を刻んで手紙代わりにしてた。この葉っぱは裏側が肉厚で傷つけると汁が出て、固まって、文字が残るようになってるんだって。それが、葉書の語源になったんだって。
龍源院
(石庭)
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龍源院をでて歩いていると、ふと、大友宗麟という名前が横切る。
大友宗麟といえばわが地元大分の大名ではないか!こんなところで見かけるとは〜!ご本尊ここだったのかって、母が飛びついて、ここは是非とも拝観しようということに。
表の庭自体はさっき見た龍源院と何ら変わることはなかったんだけど、裏の庭がキリシタンだった大友宗麟らしくて、仏教に帰依したくせに、キリスト風味で、ばれないように、斜めにして、石を十字にこっそり配置してた。そういえば、大友宗麟、最近マツケンがドラマで主演はってなかったっけ?
映画 『アリゾナ・ドリーム』
2004年11月22日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2004/06/25 ¥2,500
未亡人は境界性人格障害で、その娘は鬱。そんなふたりに恋するジョニーデップ。でも、なんだかいまいちわかりませんでしたわ。
アクセルは、叔父の結婚式に出席するためにアリゾナへ。そこで知り合ったのは、夫を射殺したというお金持ちの未亡人。アクセルは彼女の家に居候し、未亡人と関係を持ちながら、その娘と恋に落ちるが、心の病んだ彼女はことあるごとに自殺をほのめかし、家族を巻き込んで騒動を起こす…。クストリッツァ監督は大好きなんだけれどね、この作品はいまいちピンとこなかったかな。
アクセルの目を通して語られる、風変わりなアリゾナの人々の人生のスケッチを幻想的に描いた、大人の寓話。自己中心的な人々がひとつの家に住んで、騒動を起こしながらもなんとなく生活していく不思議な日常は、タイトル通り、まるで夢の風景のようだ。ヴィンセント・ギャロが映画マニアの役で、奇妙な個性を爆発させている。監督はエミール・クストリッツア、アメリカを舞台にしたフランス映画。
未亡人は境界性人格障害で、その娘は鬱。そんなふたりに恋するジョニーデップ。でも、なんだかいまいちわかりませんでしたわ。
紅葉の京都〜2日目〜★★(2)
2004年11月21日 旅行随心院は、小野小町ゆかりの寺らしい。でも僕小野小町ってどんな人なのか知らなかったりする。
話によると数々の天皇の愛人だとかなんだとか。
本当か嘘かは知らんけど小野小町は100歳まで生きたんだって。卒塔婆小町坐像ってのがあって、ふっくりした尼さん。なのだけど、これが100歳のときの小野小町の像なのだそうで、一瞬見た目男に見えた。でもよく見ると女ってわかる。それにして当時の寿命って50くらいでしょう。女性に至っては40くらいが平均寿命だったそうで、そうなると100歳って、今で考えると200歳くらいまで生きたってことになるじゃねえ??びっくり。
小野小町が化粧をした井戸っていうのがあって、見てみたけど、今では水溜りみたいで、とてもここで顔を洗う気にはならない。昔は清水湧き出る綺麗な井戸だったんだろうけど。
結構、歩いたので、婆ちゃんが歩くのめんどくさがって来たから、「醍醐寺」まで歩いていけないこともないけど、タクシーをつかまえて、乗っていく。
醍醐寺はかなりの人でにぎわってた。かなりでかい。まずはどこを見ようかときょろきょろしていると、母が目ざとく特別展示、という立掛けを見つけ、まずは国宝を特別公開している霊宝館に行くことになった。母親は国宝に目がないのだ。
建物の中は近代的で、建築物を見せるわけではなく、展示場みたいになってた。色々な古文書が並んでる。字がうまいことで有名な空海の書跡を見るが、どこがどうほかの人よりうまいのか僕には判別不能。
国宝は薬師如来像で、たいそうでかくて、国宝って感じだった。でも重要文化財と国宝ってあるけど、国宝のほうが貴重みたいだけど、その区別は何を基準にされてるんだろう?
霊宝館を出て、次は三宝院を拝観する。秀吉が作ったんだて。
庭を見ていると、ひょうたんの形をした植え込みがあった。ひょうたんに、杯、おつまみを見立てた植え込みがあって面白い。庭も、でかかった。
醍醐寺の締めくくりは五重塔。母親は五重塔に目がないのだ。でも、どこの五重塔もあんまりかわり映えしない。
婆ちゃんよく歩いたから、ここらで休憩と、醍醐寺の入り口付近にある雨月茶屋でお茶菓子を食べる。
婆ちゃんよろけてコップを床に落としてしまい割ってしまうが店員がいい人で弁償せずにすんだ。ってこれ当然かな?
時間はまだ午後4時ごろだけど、早めに観光を切り上げて、タクシーで旅館のある三千院方面に行く。明日は三千院観光なのだ。今の季節三千院は人が多いので、朝早くいけるように三千院のところに宿を取った。
タクシーで大体6千円かかった。観光シーズンだから、車込んでて仕方ないやね。
宿は三千院道という旅館。ついてしばらくゆっくりしてから、夕食。夕食は地鶏のすき焼き。丸ごと一匹の地鶏が使われていて、内臓から中途半端な卵のなりかけとかもある。婆ちゃんはほとんど地鶏を食わないから、三人分だけど、実質2人分みたいなもの。残すのはもったいないから一生懸命食べたけど、胃が重い。昨日懐石食って、朝も三杯食って、夜もこんなに食ったら、さすがに胃が疲れてきた。明日は精進料理なので、いい胃休めになってくれるといいな。
三千院の夜のライトアップを見に行くはずだったけど、あんまり外が寒いのと、疲れていたのとで、取りやめにして、ゆっくり露天風呂に使って疲れを癒した。
話によると数々の天皇の愛人だとかなんだとか。
本当か嘘かは知らんけど小野小町は100歳まで生きたんだって。卒塔婆小町坐像ってのがあって、ふっくりした尼さん。なのだけど、これが100歳のときの小野小町の像なのだそうで、一瞬見た目男に見えた。でもよく見ると女ってわかる。それにして当時の寿命って50くらいでしょう。女性に至っては40くらいが平均寿命だったそうで、そうなると100歳って、今で考えると200歳くらいまで生きたってことになるじゃねえ??びっくり。
小野小町が化粧をした井戸っていうのがあって、見てみたけど、今では水溜りみたいで、とてもここで顔を洗う気にはならない。昔は清水湧き出る綺麗な井戸だったんだろうけど。
結構、歩いたので、婆ちゃんが歩くのめんどくさがって来たから、「醍醐寺」まで歩いていけないこともないけど、タクシーをつかまえて、乗っていく。
醍醐寺はかなりの人でにぎわってた。かなりでかい。まずはどこを見ようかときょろきょろしていると、母が目ざとく特別展示、という立掛けを見つけ、まずは国宝を特別公開している霊宝館に行くことになった。母親は国宝に目がないのだ。
建物の中は近代的で、建築物を見せるわけではなく、展示場みたいになってた。色々な古文書が並んでる。字がうまいことで有名な空海の書跡を見るが、どこがどうほかの人よりうまいのか僕には判別不能。
国宝は薬師如来像で、たいそうでかくて、国宝って感じだった。でも重要文化財と国宝ってあるけど、国宝のほうが貴重みたいだけど、その区別は何を基準にされてるんだろう?
霊宝館を出て、次は三宝院を拝観する。秀吉が作ったんだて。
庭を見ていると、ひょうたんの形をした植え込みがあった。ひょうたんに、杯、おつまみを見立てた植え込みがあって面白い。庭も、でかかった。
醍醐寺の締めくくりは五重塔。母親は五重塔に目がないのだ。でも、どこの五重塔もあんまりかわり映えしない。
婆ちゃんよく歩いたから、ここらで休憩と、醍醐寺の入り口付近にある雨月茶屋でお茶菓子を食べる。
婆ちゃんよろけてコップを床に落としてしまい割ってしまうが店員がいい人で弁償せずにすんだ。ってこれ当然かな?
時間はまだ午後4時ごろだけど、早めに観光を切り上げて、タクシーで旅館のある三千院方面に行く。明日は三千院観光なのだ。今の季節三千院は人が多いので、朝早くいけるように三千院のところに宿を取った。
タクシーで大体6千円かかった。観光シーズンだから、車込んでて仕方ないやね。
宿は三千院道という旅館。ついてしばらくゆっくりしてから、夕食。夕食は地鶏のすき焼き。丸ごと一匹の地鶏が使われていて、内臓から中途半端な卵のなりかけとかもある。婆ちゃんはほとんど地鶏を食わないから、三人分だけど、実質2人分みたいなもの。残すのはもったいないから一生懸命食べたけど、胃が重い。昨日懐石食って、朝も三杯食って、夜もこんなに食ったら、さすがに胃が疲れてきた。明日は精進料理なので、いい胃休めになってくれるといいな。
三千院の夜のライトアップを見に行くはずだったけど、あんまり外が寒いのと、疲れていたのとで、取りやめにして、ゆっくり露天風呂に使って疲れを癒した。
紅葉の京都〜2日目〜★★(1)
2004年11月21日 旅行疲れてすぐに寝入ったと思ったら、途中で起きた。眠れない眠れない。って隣からすごい音。
母がいびきかいてる。うひーうるさくて眠れたもんじゃない。すごい音だあ。って、実は母、今はやりの無呼吸症候群の兆候があって、こんまえ病院に行ったばかり。昔は全然いびきなんて掻かなかったのに、やっぱり年をとると共に喉の筋肉が衰え、仰向けに眠ると、喉の筋肉の圧迫でいびきがでてしまうのだ。しかも母は更年期障害で五十肩なもんだか、肩が痛くて横には眠れない。だから仰向けに眠るしかないのだ。いびきを掻くときは母は睡眠薬を飲んでいるときが多くて、飲んでないときはこんなにいびきは掻かない。
母は気持ちよく眠っているので、起こすのも忍びないと思って耐えていたら、今度は、祖母がうう〜んとうなりだした。と思ったら起きだして胃が痛いとか何とかで胃薬を飲む。一度起きてしまった僕たちは母のいびきがある限り眠ることは不可能と判断し、母をやむなく起こす。
母、自分がそんなにいびきをかいていたことに驚く。なるたけ睡眠薬は飲まないようにしましょうね。
ちなみに僕はいまんとこ死んだように眠ることで有名で、いびきなんて、生まれてこのかた掻いたことないんじゃないかな。
母がふたたび寝入る前にどうにか寝付いて、無事に朝起きる。でもねもい。。。
朝食は、やたらと漬物系が多くて味が濃いもんだから、ご飯が進みまくって三杯も食べちゃった。ゲップ。僕は朝一番食べる人なの。
今日はどこ行くって、予定聞いたら、まず「東福寺」。タクシー呼んでもらって、レッツラゴー。
朝早く出たのに、東福寺は鬼の人ごみ。これは昨日の比ではない。
何組ものツアーの人が重なって、これじゃあ朝早く出た意味ないじゃんよ〜^^;
東福寺は、前回京都にきたときも来たのであって、あの時は人なんてとんといなくて景色見放題だったのに、シーズンだとこんなにも多いのね。一歩進むのにも一苦労だよ。景色は、人さえいなければさぞや綺麗なんだろうなあというのはわかるが、人ごみが嫌いな僕はあんまり楽しめなかった。まあ、前回思いっきり景色堪能したからいいんだけどね。
婆ちゃんも、人ごみが嫌いだから、あんまり詳しく見るのめんどくさがってそそくさと退散。門の外に、テンガロンハットをかぶった犬がいてとても可愛く、衆目を集めていた。
東福寺
(紅葉)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153158&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153159&
(苔の繁茂する地面)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153162&
(門の外にいたテンガロン犬)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153163&
東福寺をでて、すぐその周辺にある「霊雲院」。
一気に人が少なくなって、人心地ついた。石庭がすばらしくてしばらくボーっと休憩した。こういう小さいところは、みんな見ないんだね。僕だったら天気のいい日だったら一日でもいたいけどな。
いささか人間疲れした僕たちは、次は、京都の友人が教えてくれたちょっとマイナーな地元の人お勧めの穴場「観修寺」。
ほんとは6月に蓮の花が咲いて見頃らしいけど、とにかくここは、よほどの京都好きしかこないから、人が少なくて、ゆっくりと見て回れた。京都はやっぱりこのくらいゆっくりした時間の流れで見るのが一番いいよね。ところで、ここの名前、かんしゅうじ、と思ってたら、かじゅうじ、とも読むらしいね。面白いなあ。
お坊さんの像が立ってて、西行さんか空海さんのどっちかだと思うけど、その周りに石が88個置いてある。そこに番号が振ってあって、順番に踏んで歩くと四国の遍路を廻って歩いたのと同じことなんだって。そんな簡単なことで遍路を果たさせたら本当に四国を歩き遍路してる人に失礼だろ〜なんて思いながら、僕もちゃっかり踏んで歩いたんだけどね。でも、いつかほんとに四国遍路を行脚したいなあ。
観修寺
(紅葉)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153164&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153166&
(池)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153167&
(木漏れ日の風景)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153165&
観修寺の周りは田舎でタクシーが拾えそうもないので、「随心院」まで歩いていくことにする。僕と母だけなら全然オッケーなのだけど、婆ちゃんをそんなに歩かせることはちと心配ではあるんだよね。年齢に比すればすんごい元気なほうだとは思うけれどもさ。
婆ちゃんの歩調に合わせつつ、段差を注意しつつ歩くと、意外に距離以上に体力を使う。その内に腹が減ってきた。婆ちゃんも同じくらしく、なんだかフラフラしてる。母親だけ先にとことこ歩いて、道があってるか確認。
腹減りも限界なので、とぼとぼどうにか随心院の前まで歩いて、そこにある萬寿亭という蕎麦屋で昼食を取る。
まずは溜まりに溜まった膀胱を空にして、京都名物にしん蕎麦を注文。にしん蕎麦は、なんとなく予想してたとおりの味だった。思ったより量が多くて、腹減ってたくせに食い終ったら腹いっぱいになった。何だかんだで、朝飯の三杯もこたえてたのかもしれない。
母がいびきかいてる。うひーうるさくて眠れたもんじゃない。すごい音だあ。って、実は母、今はやりの無呼吸症候群の兆候があって、こんまえ病院に行ったばかり。昔は全然いびきなんて掻かなかったのに、やっぱり年をとると共に喉の筋肉が衰え、仰向けに眠ると、喉の筋肉の圧迫でいびきがでてしまうのだ。しかも母は更年期障害で五十肩なもんだか、肩が痛くて横には眠れない。だから仰向けに眠るしかないのだ。いびきを掻くときは母は睡眠薬を飲んでいるときが多くて、飲んでないときはこんなにいびきは掻かない。
母は気持ちよく眠っているので、起こすのも忍びないと思って耐えていたら、今度は、祖母がうう〜んとうなりだした。と思ったら起きだして胃が痛いとか何とかで胃薬を飲む。一度起きてしまった僕たちは母のいびきがある限り眠ることは不可能と判断し、母をやむなく起こす。
母、自分がそんなにいびきをかいていたことに驚く。なるたけ睡眠薬は飲まないようにしましょうね。
ちなみに僕はいまんとこ死んだように眠ることで有名で、いびきなんて、生まれてこのかた掻いたことないんじゃないかな。
母がふたたび寝入る前にどうにか寝付いて、無事に朝起きる。でもねもい。。。
朝食は、やたらと漬物系が多くて味が濃いもんだから、ご飯が進みまくって三杯も食べちゃった。ゲップ。僕は朝一番食べる人なの。
今日はどこ行くって、予定聞いたら、まず「東福寺」。タクシー呼んでもらって、レッツラゴー。
朝早く出たのに、東福寺は鬼の人ごみ。これは昨日の比ではない。
何組ものツアーの人が重なって、これじゃあ朝早く出た意味ないじゃんよ〜^^;
東福寺は、前回京都にきたときも来たのであって、あの時は人なんてとんといなくて景色見放題だったのに、シーズンだとこんなにも多いのね。一歩進むのにも一苦労だよ。景色は、人さえいなければさぞや綺麗なんだろうなあというのはわかるが、人ごみが嫌いな僕はあんまり楽しめなかった。まあ、前回思いっきり景色堪能したからいいんだけどね。
婆ちゃんも、人ごみが嫌いだから、あんまり詳しく見るのめんどくさがってそそくさと退散。門の外に、テンガロンハットをかぶった犬がいてとても可愛く、衆目を集めていた。
東福寺
(紅葉)
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(苔の繁茂する地面)
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(門の外にいたテンガロン犬)
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東福寺をでて、すぐその周辺にある「霊雲院」。
一気に人が少なくなって、人心地ついた。石庭がすばらしくてしばらくボーっと休憩した。こういう小さいところは、みんな見ないんだね。僕だったら天気のいい日だったら一日でもいたいけどな。
いささか人間疲れした僕たちは、次は、京都の友人が教えてくれたちょっとマイナーな地元の人お勧めの穴場「観修寺」。
ほんとは6月に蓮の花が咲いて見頃らしいけど、とにかくここは、よほどの京都好きしかこないから、人が少なくて、ゆっくりと見て回れた。京都はやっぱりこのくらいゆっくりした時間の流れで見るのが一番いいよね。ところで、ここの名前、かんしゅうじ、と思ってたら、かじゅうじ、とも読むらしいね。面白いなあ。
お坊さんの像が立ってて、西行さんか空海さんのどっちかだと思うけど、その周りに石が88個置いてある。そこに番号が振ってあって、順番に踏んで歩くと四国の遍路を廻って歩いたのと同じことなんだって。そんな簡単なことで遍路を果たさせたら本当に四国を歩き遍路してる人に失礼だろ〜なんて思いながら、僕もちゃっかり踏んで歩いたんだけどね。でも、いつかほんとに四国遍路を行脚したいなあ。
観修寺
(紅葉)
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(池)
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(木漏れ日の風景)
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観修寺の周りは田舎でタクシーが拾えそうもないので、「随心院」まで歩いていくことにする。僕と母だけなら全然オッケーなのだけど、婆ちゃんをそんなに歩かせることはちと心配ではあるんだよね。年齢に比すればすんごい元気なほうだとは思うけれどもさ。
婆ちゃんの歩調に合わせつつ、段差を注意しつつ歩くと、意外に距離以上に体力を使う。その内に腹が減ってきた。婆ちゃんも同じくらしく、なんだかフラフラしてる。母親だけ先にとことこ歩いて、道があってるか確認。
腹減りも限界なので、とぼとぼどうにか随心院の前まで歩いて、そこにある萬寿亭という蕎麦屋で昼食を取る。
まずは溜まりに溜まった膀胱を空にして、京都名物にしん蕎麦を注文。にしん蕎麦は、なんとなく予想してたとおりの味だった。思ったより量が多くて、腹減ってたくせに食い終ったら腹いっぱいになった。何だかんだで、朝飯の三杯もこたえてたのかもしれない。
映画 『アメリカン・スウィートハート』
2004年11月21日 映画〔洋画〕
DVD ポニーキャニオン 2002/09/04 ¥3,990
キャサリンゼタジョーンズが悪役に徹してますなあ。ジュリアロバーツと、ゼタジョーンズが姉妹って、ちと無理があるような。ハッピーエンドの御伽噺ですなあ。
人気女優の姉グウェン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)の付き人を務めるキキ(ジュリア・ロバーツ)は、グウェンと別居中の夫エディ(ジョン・キューザック)をひそかに想っていた。しかしエディはキキを妹以上の存在としてしかみてくれない…。ジュリアロバーツ演じるキキの昔の太ってるときって、あれ特殊メイクってやつかな?それともジュリアロバーツ似の女優さんがやってるのかな?顔のぷっくり感はどうやって出したんだろう??
ハリウッドの内幕を次々と暴露しながら繰り広げられる、ジョー・ロス監督の業界内ラブ・コメディで、出演も兼ねるビリー・クリスタルが製作と脚本を担当している。正直、大スターのJ・ロバーツは付き人という地味な存在にはとても思えず、その点ではミスキャストのような気もするが、そこを割り切ってしまえば、いつもながらの彼女ならではのシンデレラ・ストーリーとして、ロマンティックに楽しめるだろう。
キャサリンゼタジョーンズが悪役に徹してますなあ。ジュリアロバーツと、ゼタジョーンズが姉妹って、ちと無理があるような。ハッピーエンドの御伽噺ですなあ。
紅葉の京都〜1日目〜★(2)
2004年11月20日 旅行時間も5時になんなんとして、そろそろ祇園の花見小路で舞妓、芸妓の通るとこらで写真をかまえとかんと。
今日は土曜なんで、やたらと人が多いし、競馬の馬券売り場がこんな狭い道にあるもんだから尋常ならぬ人ごみ。
舞妓、芸妓さん目当ての観光客もタクシーで大挙して押し寄せるから、花見小路の景観ももはや風情なんてものも希薄で、できれば花見小路に車の乗り入れだけは勘弁して欲しいなあというのが一観光客としての僕の希望なんです、市役所の皆さん。
僕たちはホテルに6時チェックインなので、せいぜい見れて5時半まで。ほんとのほんとは、それ以降から多く見れだすらしいけど、しょうがない。立って待つこと20分くらいそれでも4人の舞妓さんが通った。
でも最初の2人は、ツンとして早足ですぐに角を曲がり、観光客に写真をとらせる暇を与えない。笑顔ひとつ振り撒かないその姿がなんだか気品が合って神秘的。僕は結局シャッターチャンスを逃し、背中から写せただけだった。
もうそろそろホテルに行こうかと思った矢先、二人連れの白粉の舞妓さん発見。これはチャンスとシャッター構えたら、今度は自分がよい写真を意識しすぎてシャッターチャンスを逃してしまい、またまた後姿からになっちゃった^^;この二人連れの舞妓さん、2人で見詰め合って、笑ったり、走ったりしてて、ちょっと舞妓さんっぽくなかった。
これは後日談だけど、花見小路には、観光客は舞妓さんに扮装した偽者がよおけ出没するらしく、タクシーの運ちゃんに言わせると、最期の二人連れの舞妓さんはまず間違いなく観光客がお店で扮装させてもらった偽者なのだそうだ。舞妓さんって、プライドが高くて、まず人前で笑わない。ツンとして、京都の人が見たらすぐにわかるみたい。そういえば、最初の2人の舞妓さんはすごく雰囲気が合った。
最期の二人連れは、向き合ってニコニコ笑ったり、あまつさえ話したりしながら道を歩いてた。しかも走ってたし。。。
うまく撮れなくてチキショー!って悔しがってたけど、なあんだ偽者かあ、って拍子抜け。次からはだまされまいぞ!
(舞妓さんの後姿)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153154&
(偽者の舞妓さんの2人連れ後姿)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153156&
うまい具合にタクシーが捉まって、旅館こうろへ。結構渋滞で、細い道くるくる廻ったので、タクシー代いてるかと思ったら、1000円以内で収まった。京都のタクシーって安いねえ。
実は一ヶ月前にホテル探しという無謀なことしてたんだけど、ここは偶然キャンセルが出て、一部屋空いて滑り込めたのだ。
次からは、観光シーズンはせめて3ヶ月前に予約しないと京都の場合は苦しいね。
旅館は少々高めだったけど、そこしかあいてなかったので、仕方ないや。夜は、豪華な懐石料理。料理は高いだけあっておいしかった。でも旅館は少々寂れてた。聞くと、もともとは修学旅行生用の宿だったのが、あんまりにもマナーが悪くて荒らされたもんだから、一般客用になった旅館なんだそうな。
夕食食べて、その後、僕は京都の友人と会う約束をしていたので、ひとっ風呂浴びてからすぐに山科のほうへ地下鉄で向かう。
その友人は、同じ強迫の自助サークルで知り合った人だ。わざわざ仕事が忙しいのに、会ってくれた。その人には、今回の旅行で色々とアドバイスをもらって助けてもらったのでとても感謝してる。
できるだけ話す時間を確保したかったので、駅の隣のスタバでチャイを飲みながら、久し振りの再会を楽しんだ。でも話してる途中で、おじさんたちの集団が隣に陣取って、大声で盛り上がりだしたので、話し声が聞き取りづらくなって、なかなか会話をするのも大変になってきたから、席を移動したら、おじさんたち移動したすぐ後に店を出て行って、なんじゃい、せっかく移動したのに。
とにかく、おじさんたちの話し声のおかげでずいぶん時間が削られてしまった><。
でも、久し振りにその友人と話せてよかった。
深夜11時半位の最終に近い地下鉄に乗って旅館に帰ると、母親と祖母はもう寝てた。僕もすぐに就寝。昨日あんまり寝てないし、今日も結構疲れたもんね。
今日は土曜なんで、やたらと人が多いし、競馬の馬券売り場がこんな狭い道にあるもんだから尋常ならぬ人ごみ。
舞妓、芸妓さん目当ての観光客もタクシーで大挙して押し寄せるから、花見小路の景観ももはや風情なんてものも希薄で、できれば花見小路に車の乗り入れだけは勘弁して欲しいなあというのが一観光客としての僕の希望なんです、市役所の皆さん。
僕たちはホテルに6時チェックインなので、せいぜい見れて5時半まで。ほんとのほんとは、それ以降から多く見れだすらしいけど、しょうがない。立って待つこと20分くらいそれでも4人の舞妓さんが通った。
でも最初の2人は、ツンとして早足ですぐに角を曲がり、観光客に写真をとらせる暇を与えない。笑顔ひとつ振り撒かないその姿がなんだか気品が合って神秘的。僕は結局シャッターチャンスを逃し、背中から写せただけだった。
もうそろそろホテルに行こうかと思った矢先、二人連れの白粉の舞妓さん発見。これはチャンスとシャッター構えたら、今度は自分がよい写真を意識しすぎてシャッターチャンスを逃してしまい、またまた後姿からになっちゃった^^;この二人連れの舞妓さん、2人で見詰め合って、笑ったり、走ったりしてて、ちょっと舞妓さんっぽくなかった。
これは後日談だけど、花見小路には、観光客は舞妓さんに扮装した偽者がよおけ出没するらしく、タクシーの運ちゃんに言わせると、最期の二人連れの舞妓さんはまず間違いなく観光客がお店で扮装させてもらった偽者なのだそうだ。舞妓さんって、プライドが高くて、まず人前で笑わない。ツンとして、京都の人が見たらすぐにわかるみたい。そういえば、最初の2人の舞妓さんはすごく雰囲気が合った。
最期の二人連れは、向き合ってニコニコ笑ったり、あまつさえ話したりしながら道を歩いてた。しかも走ってたし。。。
うまく撮れなくてチキショー!って悔しがってたけど、なあんだ偽者かあ、って拍子抜け。次からはだまされまいぞ!
(舞妓さんの後姿)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153154&
(偽者の舞妓さんの2人連れ後姿)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153156&
うまい具合にタクシーが捉まって、旅館こうろへ。結構渋滞で、細い道くるくる廻ったので、タクシー代いてるかと思ったら、1000円以内で収まった。京都のタクシーって安いねえ。
実は一ヶ月前にホテル探しという無謀なことしてたんだけど、ここは偶然キャンセルが出て、一部屋空いて滑り込めたのだ。
次からは、観光シーズンはせめて3ヶ月前に予約しないと京都の場合は苦しいね。
旅館は少々高めだったけど、そこしかあいてなかったので、仕方ないや。夜は、豪華な懐石料理。料理は高いだけあっておいしかった。でも旅館は少々寂れてた。聞くと、もともとは修学旅行生用の宿だったのが、あんまりにもマナーが悪くて荒らされたもんだから、一般客用になった旅館なんだそうな。
夕食食べて、その後、僕は京都の友人と会う約束をしていたので、ひとっ風呂浴びてからすぐに山科のほうへ地下鉄で向かう。
その友人は、同じ強迫の自助サークルで知り合った人だ。わざわざ仕事が忙しいのに、会ってくれた。その人には、今回の旅行で色々とアドバイスをもらって助けてもらったのでとても感謝してる。
できるだけ話す時間を確保したかったので、駅の隣のスタバでチャイを飲みながら、久し振りの再会を楽しんだ。でも話してる途中で、おじさんたちの集団が隣に陣取って、大声で盛り上がりだしたので、話し声が聞き取りづらくなって、なかなか会話をするのも大変になってきたから、席を移動したら、おじさんたち移動したすぐ後に店を出て行って、なんじゃい、せっかく移動したのに。
とにかく、おじさんたちの話し声のおかげでずいぶん時間が削られてしまった><。
でも、久し振りにその友人と話せてよかった。
深夜11時半位の最終に近い地下鉄に乗って旅館に帰ると、母親と祖母はもう寝てた。僕もすぐに就寝。昨日あんまり寝てないし、今日も結構疲れたもんね。
紅葉の京都〜1日目〜★(1)
2004年11月20日 旅行今日から祖母と母親と僕で京都旅行。
婆ちゃんが、元気に歩けるうちに色んなところに旅行しておきたいと、毎月、年金を使って旅行に行きだした。僕と母がその御供。
今まで年金は父親のパチンコ代の小遣いとして消えてたけど、ついに婆ちゃんも愛想が尽きて、パチンコ代を渡すのを止め、自分の楽しみに使い出した。僕としては只で旅行に預かれるのでうれしいし、婆ちゃん孝行でもある。
ただ、小遣いを渡されなくなったはずの父は未だに毎日パチンコにいってるから、確実に借金をしていることになる。そして、尻拭いは、母と祖母にやらせる気なのだろうと考えると情けない極みなので、そんなこと考えずに、旅行を楽しむことにしようっと。
僕は飛行機ってのが苦手で、というか、全般的に一発で死ぬ危険のあることは総じて嫌いで、いかに友達から飛行機のほうが自動車よりも安全だといわれても、できるだけ飛行機は利用しなかった。だから今まで、極力移動手段は、ちゃりんこか、はたまた電車。東京まで大分から電車で行ったくらいだから。
でも今回の旅行は僕一人ではないので、そんなわがままも許されず、婆ちゃんが平気で飛行機に乗るのに現代っ子の僕が飛行機イヤンイヤンなどというのも甚だ面目が立たず、至って気にしてないよって顔して搭乗した。
アハハと笑いながらしきりに「ここで落ちたりして」なんて言葉をギャグよろしく繰り返すのは、僕のヘタレな深層心理の裏返し。
でも飛行機って飛んでみるとほんとに落ちる気がしないくらいに静かだね。
ほんの45分で、大分から大阪までついちゃったよ〜ん。って飛行機に酔った。耳がきーんってする。これは飛行機特有のデメリット。
今日は早起きしなきゃならなかったから京都につくまでのバスは爆睡。
駅についたら、まずはキャリーサービスで、荷物をホテルに送り、僕たちは早速観光にレッツラゴー。
の前に腹が減ったので、昼飯を食おうと駅ビルの食堂街へ行くと鬼のようなひとひと人の洪水がどこもかしこもの食いもの屋に大挙して押し寄せ、まさに飢餓道に落ち込んだ餓鬼たちが蛆のわく水溜りを貪るかのごとく。これどっかからの受け売りね。
結局10回までエスカレーターで登ったのに四階まで降りて、かろうじてあいてた喫茶店でビーフカレーを流し込む。量ほどほどだけど、960円、たけえ。
婆ちゃんはもう齢80超えてるし、そんなにチョコチョコ色んなところを回れるわけもなく、初日は、京都駅近くの観光地を廻ることにして、徒歩にして駅から10分くらいのとこにある「渉成園」に向かう。途中に和定食屋があって、余裕では入れるらしき様相を呈していたので、わざわざ混雑きわまる駅内で飯屋を探さずに外で探したほうが歩き回らずに食物にありつけたことを今更ながら気づいてももう飯食った後で後悔してもしょうがないけど後悔した。
程なく歩いて渉成園につく。ここは池のある庭園で、紅葉も拝めるけど、あんまり色栄えがよくない。今年は紅葉が少し遅れているみたい。
天気もよくて、庭自体はなかなかいい感じ。記念写真をとりつつのんびりと歩く。この旅行の目標はせいぜい一日2、3寺を廻るくらい。道すがら石に座って読書に耽る文学青年。ああ、一人なら僕もするのにな。
渉成園
(庭園)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153145&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153146&
3.http://www.shashinka.net/is.php?i=153147&
4.http://www.shashinka.net/is.php?i=153149&
すぐに廻るかと思われた庭ものんびり廻ればそれなりに時間を食うもので、もう2時30分くらい。
すぐ隣の「東本願寺」に行く。正直ここは僕は何回も見てるんだけどね。なんかすごい工事してて、外観がすっかり覆われてて風情もなんもない。本堂で御参りしたいしたいということで、拝観料払ってとことこ中を見て歩く。それにしても一つ一つがでかい。瓦や、柱。特に柱、尋常なでかさじゃない。これを新潟らへんから運んできたらしい。昔の人ってすごい。本堂は、なんか垂れ幕がかかってて中見えなかった。充分ご縁って15円の小銭投げ入れて、姿が見えないご本尊にお祈り。僕御香の匂いって好きなんだよね。落ち着く〜。大の字になって寝そべりたい衝動を必死に抑えながら、外に出る。
冬は大体のところが4時ごろ拝観を終了するので、ホテルのチャックインまでどうしようってことになって、そんなら、祇園の花見小路にいって芸妓さんを見ようじゃないかとタクシーで祇園へ。って人多すぎ。細い路地に人と車がわんさか。息が詰まるう。芸妓さんが現れるのは5時をこえてから。
ということで、近くの「建仁寺」を見て時間を潰すことに。もう拝観時間は超えてたけど、入れた。日本最古の禅宗の本山寺院らしい。よくわからんけど。
廊下に、窓があって、その窓が額縁みたいになってて、外の庭園がそこから見えてる。景色が一枚の絵画に見立てられてる。なんか、面白いよね。建仁寺で有名なのが、法堂にある双龍図。天井一面に描かれたその絵は壮観だった。確か学校の教科書とかにものってなかったっけ?
建仁寺
(庭園)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153150&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153151&
(窓越しの庭園)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153152&
(双龍図)。。写り悪いけど^^;
http://www.shashinka.net/is.php?i=153153&
婆ちゃんが、元気に歩けるうちに色んなところに旅行しておきたいと、毎月、年金を使って旅行に行きだした。僕と母がその御供。
今まで年金は父親のパチンコ代の小遣いとして消えてたけど、ついに婆ちゃんも愛想が尽きて、パチンコ代を渡すのを止め、自分の楽しみに使い出した。僕としては只で旅行に預かれるのでうれしいし、婆ちゃん孝行でもある。
ただ、小遣いを渡されなくなったはずの父は未だに毎日パチンコにいってるから、確実に借金をしていることになる。そして、尻拭いは、母と祖母にやらせる気なのだろうと考えると情けない極みなので、そんなこと考えずに、旅行を楽しむことにしようっと。
僕は飛行機ってのが苦手で、というか、全般的に一発で死ぬ危険のあることは総じて嫌いで、いかに友達から飛行機のほうが自動車よりも安全だといわれても、できるだけ飛行機は利用しなかった。だから今まで、極力移動手段は、ちゃりんこか、はたまた電車。東京まで大分から電車で行ったくらいだから。
でも今回の旅行は僕一人ではないので、そんなわがままも許されず、婆ちゃんが平気で飛行機に乗るのに現代っ子の僕が飛行機イヤンイヤンなどというのも甚だ面目が立たず、至って気にしてないよって顔して搭乗した。
アハハと笑いながらしきりに「ここで落ちたりして」なんて言葉をギャグよろしく繰り返すのは、僕のヘタレな深層心理の裏返し。
でも飛行機って飛んでみるとほんとに落ちる気がしないくらいに静かだね。
ほんの45分で、大分から大阪までついちゃったよ〜ん。って飛行機に酔った。耳がきーんってする。これは飛行機特有のデメリット。
今日は早起きしなきゃならなかったから京都につくまでのバスは爆睡。
駅についたら、まずはキャリーサービスで、荷物をホテルに送り、僕たちは早速観光にレッツラゴー。
の前に腹が減ったので、昼飯を食おうと駅ビルの食堂街へ行くと鬼のようなひとひと人の洪水がどこもかしこもの食いもの屋に大挙して押し寄せ、まさに飢餓道に落ち込んだ餓鬼たちが蛆のわく水溜りを貪るかのごとく。これどっかからの受け売りね。
結局10回までエスカレーターで登ったのに四階まで降りて、かろうじてあいてた喫茶店でビーフカレーを流し込む。量ほどほどだけど、960円、たけえ。
婆ちゃんはもう齢80超えてるし、そんなにチョコチョコ色んなところを回れるわけもなく、初日は、京都駅近くの観光地を廻ることにして、徒歩にして駅から10分くらいのとこにある「渉成園」に向かう。途中に和定食屋があって、余裕では入れるらしき様相を呈していたので、わざわざ混雑きわまる駅内で飯屋を探さずに外で探したほうが歩き回らずに食物にありつけたことを今更ながら気づいてももう飯食った後で後悔してもしょうがないけど後悔した。
程なく歩いて渉成園につく。ここは池のある庭園で、紅葉も拝めるけど、あんまり色栄えがよくない。今年は紅葉が少し遅れているみたい。
天気もよくて、庭自体はなかなかいい感じ。記念写真をとりつつのんびりと歩く。この旅行の目標はせいぜい一日2、3寺を廻るくらい。道すがら石に座って読書に耽る文学青年。ああ、一人なら僕もするのにな。
渉成園
(庭園)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153145&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153146&
3.http://www.shashinka.net/is.php?i=153147&
4.http://www.shashinka.net/is.php?i=153149&
すぐに廻るかと思われた庭ものんびり廻ればそれなりに時間を食うもので、もう2時30分くらい。
すぐ隣の「東本願寺」に行く。正直ここは僕は何回も見てるんだけどね。なんかすごい工事してて、外観がすっかり覆われてて風情もなんもない。本堂で御参りしたいしたいということで、拝観料払ってとことこ中を見て歩く。それにしても一つ一つがでかい。瓦や、柱。特に柱、尋常なでかさじゃない。これを新潟らへんから運んできたらしい。昔の人ってすごい。本堂は、なんか垂れ幕がかかってて中見えなかった。充分ご縁って15円の小銭投げ入れて、姿が見えないご本尊にお祈り。僕御香の匂いって好きなんだよね。落ち着く〜。大の字になって寝そべりたい衝動を必死に抑えながら、外に出る。
冬は大体のところが4時ごろ拝観を終了するので、ホテルのチャックインまでどうしようってことになって、そんなら、祇園の花見小路にいって芸妓さんを見ようじゃないかとタクシーで祇園へ。って人多すぎ。細い路地に人と車がわんさか。息が詰まるう。芸妓さんが現れるのは5時をこえてから。
ということで、近くの「建仁寺」を見て時間を潰すことに。もう拝観時間は超えてたけど、入れた。日本最古の禅宗の本山寺院らしい。よくわからんけど。
廊下に、窓があって、その窓が額縁みたいになってて、外の庭園がそこから見えてる。景色が一枚の絵画に見立てられてる。なんか、面白いよね。建仁寺で有名なのが、法堂にある双龍図。天井一面に描かれたその絵は壮観だった。確か学校の教科書とかにものってなかったっけ?
建仁寺
(庭園)
1.http://www.shashinka.net/is.php?i=153150&
2.http://www.shashinka.net/is.php?i=153151&
(窓越しの庭園)
http://www.shashinka.net/is.php?i=153152&
(双龍図)。。写り悪いけど^^;
http://www.shashinka.net/is.php?i=153153&
映画 『姉のいた夏、いない夏』
2004年11月20日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2001/12/21 ¥4,935
『チャーリーズ・エンジェル』のキャメロン・ディアス主演の、姉妹の絆を美しく力強く描いた感動のロードムービー。7年前、ヨーロッパに旅立ったまま消息を絶った姉を追って、妹は姉の足跡をたどる旅に出た。妹が掴んだ、姉に関する衝撃的事実とは…。ヒッピーでいるだけじゃ物足りなかった姉は革命家になりたかったのか。そういうわけじゃないだろうけど、何か実感が欲しかったんだろうね。社会に反抗しているようで依然として社会の仕組みの中で生かされてる自分が、いくら反抗したところで自分はたんなるちっぽけな存在だということを思い知らされるだけ。だから、自分の存在が世の中のために何かの変化を成し遂げられるという形で反抗しているという手触りを欲してたんだろうね。暴力を反対するがために暴力に陥った自分が結局望んでいたことは平和より、自己満足だったのかという嫌悪感とか呵責が、贖罪という形で彼女の命をたたせたんだね。姉は父を尊敬し、父の意志を受け継いだ。妹はそんな姉を崇拝し、姉の生きた道をたどった。そこに見たのは、結局弱い自己のあり方に苦悩する普通の人間としての姉だったわけなのか。
人間としての平等。
僕は区別と差別を分けている。
厳密な意味は違うのかもしれないけど、僕はこう捉えている。
区別は、肉体的な部分や、変えられない部分を考慮して、必然的な要請として分けられること。
差別は分ける必然性がないのに、何らかの権力や、慣習によって、外部の専断的な意志によって分けられているもの。
区別は、極力減らしたほうがいいが、あってはならないものではなく、社会の営みを円滑にするためには、また、一人一人人間は違うのだから、あるのは当然で仕方のないものだ。
だが、差別はあってはならない。
たとえば、彼は〜君で、彼女は〜さん。これは変えようがない。区別である。彼は男性で、彼女は女性、というのもそう。男性のほうが総体的に見て、肉体労働に向いている。というのも区別。
白人はここに住んでもいいが、黒人は駄目、というのは、白人の権力による明らかな差別。女性はこうでなければならない、男性はこうでなければならない、というのも差別。
ただ、差別と区別は流動的で、その時代によって移り変わる。
たとえば、大昔、労働が仕事としての大部分を占めていたころは、狩りや肉体労働が男性のほうが効率的であったことから、今でいう仕事は男性、女性は家事と育児、というのは、区別であった。
しかしそのような生物の本能的な慣習のまま人間が進化して、社会が形成されたことにより、差別が生まれてきた。当然法律は仕事の中から生まれ、男性の価値観が社会を形成する一般的常識として敷衍していく。そこに、男性の権力的による多くの差別が胚胎する。
だが、経済が発展していく中で、仕事の内容は、肉体労働だけではなくなる。サービス産業、第三次産業において、男女の能力格差は、基礎的学力を培った後においてはなくなる。その学力も、義務教育や福祉が充実することによって、今や、格差など皆無に等しい。こうした過程によって、女性は今や、守られる消極的な存在ではなく、自ら経済主体として社会に進出できる積極的な存在となりえるようになった。もはや、仕事においては男性の肉体的優位を誇示できる余地はないほどに職種の選択肢は増えている。
こうした現実の変化に対応することが出来ずに、制度と、価値観が未だに旧態依然としたまま差別として残っているのである。なぜ女性の総理大臣が出ないのか?なぜ、会社における女性の重役比率が圧倒的に低いのか?なぜ女性がお茶をくまなければならないのか?なぜ、世界の様々な競技において、その賞金に男女格差があるのか?
そして、なぜ、共働きの夫婦なのに、家事は女性が受け持たなければならないのか?
これらは、すべて差別である。現代においては、あってはならない差別なのである。
こう並べると、確かに僕は女性を擁護してるように映ってしまうかもしれない。だけど、僕はあくまで人間としての平等を求めているので、女性の優遇についても疑問に思うことはいくらでもある。
なぜ、レストランは、女性だけにサービスするのか?とか、レディーファーストは何ゆえか?とか、経済的な地位が確立された社会人としての男女同士のデートにおいて、男性がおごるべきという価値観が未だに根強くあることに対して、やはり同じように差別的な部分を感じるのだ。
ただ、文化と差別は相互に関連している場合が多く、そこが大変厄介なのだ。トラディショナルなものは、保守的であり、それがたとえ、偏見や差別から生まれたとしても、現在において、は文化として定着してしまっていれば、差別とは見なされない傾向にあるのだ。ただ、そういう価値観を無条件に受け入れることは、そこからはみ出た価値観に対する新たな差別を生み出す危険があるということを忘れてはならない。伝統的な価値観を自分が尊重するのは結構だが、そうではない人の価値観をむやみに差別化しないように心がけるべきである。
仮に、レディーファーストを実践しない男性がいたとしても、欧米のマナーにとっては差別的だと映るかもしれないが、それは、欧米の文化が生み出した差別が文化として根付いたがゆえのマナーであって、そこに合理性が見出されない限りは、一人間としてみた場合は、そのマナーのほうが差別であるという事実は揺るがず、その男性の価値観にはレディーファーストをしない人間が失礼だという観念はなく、女性が相手の態度に憤慨する場合は、相手の価値観を差別しているということになるわけである。
だから、我々は、価値観をよくよく吟味していくことが要請される。それを怠っている限り、この世から、偏見や差別はなくならないだろう。特に女性は男性が作り出した差別を文化として無条件に受け入れていることが多いので、それが果たして現代に即した価値観であるのかを見抜いていって欲しいと願っている。じゃないと、男性の決めた枠の中で、それと気づかずに、僕の母親のように虐げられ、出口の見えぬまま、もがき苦しむことになってしまう。
女性が家事をする時代ではない。これが僕の出した結論であり、世界の動向も今やその方向になりつつある。女性だけが育児をする時代でもない。日本だけが、結婚出産を機に女性の離職率が一気に高くなっている。男性が仕事をし、女性が家事をする場合においても、女性の家事は仕事として割り振るべきだ。聞くところによると、一ヶ月の家事を月収として換算してみると、38万円くらいになるそうだ。男性が食わしているという価値観は差別だ。女性の家事も無収入ではあるが、列記とした仕事であり、男性のもらう給料の半分は専業主婦の給料として割り当てられてしかるべきだ。
当然、仕事を怠けるものもいるから、家事を怠けるものもいるだろうが、半分が自分の給料として割り当てられるという観念が一般的な価値観として定着するなら、家事にもプロ意識がでるだろうし、男性も家事という職種に進出しよう選択するものがでてくるはずだ。といったことは僕の楽観論に過ぎないが、それが現実となることを説に願わずにいられない。
すべては、人間的平等のために。区別はあっても差別は根絶させるべき。
僕は区別と差別を分けている。
厳密な意味は違うのかもしれないけど、僕はこう捉えている。
区別は、肉体的な部分や、変えられない部分を考慮して、必然的な要請として分けられること。
差別は分ける必然性がないのに、何らかの権力や、慣習によって、外部の専断的な意志によって分けられているもの。
区別は、極力減らしたほうがいいが、あってはならないものではなく、社会の営みを円滑にするためには、また、一人一人人間は違うのだから、あるのは当然で仕方のないものだ。
だが、差別はあってはならない。
たとえば、彼は〜君で、彼女は〜さん。これは変えようがない。区別である。彼は男性で、彼女は女性、というのもそう。男性のほうが総体的に見て、肉体労働に向いている。というのも区別。
白人はここに住んでもいいが、黒人は駄目、というのは、白人の権力による明らかな差別。女性はこうでなければならない、男性はこうでなければならない、というのも差別。
ただ、差別と区別は流動的で、その時代によって移り変わる。
たとえば、大昔、労働が仕事としての大部分を占めていたころは、狩りや肉体労働が男性のほうが効率的であったことから、今でいう仕事は男性、女性は家事と育児、というのは、区別であった。
しかしそのような生物の本能的な慣習のまま人間が進化して、社会が形成されたことにより、差別が生まれてきた。当然法律は仕事の中から生まれ、男性の価値観が社会を形成する一般的常識として敷衍していく。そこに、男性の権力的による多くの差別が胚胎する。
だが、経済が発展していく中で、仕事の内容は、肉体労働だけではなくなる。サービス産業、第三次産業において、男女の能力格差は、基礎的学力を培った後においてはなくなる。その学力も、義務教育や福祉が充実することによって、今や、格差など皆無に等しい。こうした過程によって、女性は今や、守られる消極的な存在ではなく、自ら経済主体として社会に進出できる積極的な存在となりえるようになった。もはや、仕事においては男性の肉体的優位を誇示できる余地はないほどに職種の選択肢は増えている。
こうした現実の変化に対応することが出来ずに、制度と、価値観が未だに旧態依然としたまま差別として残っているのである。なぜ女性の総理大臣が出ないのか?なぜ、会社における女性の重役比率が圧倒的に低いのか?なぜ女性がお茶をくまなければならないのか?なぜ、世界の様々な競技において、その賞金に男女格差があるのか?
そして、なぜ、共働きの夫婦なのに、家事は女性が受け持たなければならないのか?
これらは、すべて差別である。現代においては、あってはならない差別なのである。
こう並べると、確かに僕は女性を擁護してるように映ってしまうかもしれない。だけど、僕はあくまで人間としての平等を求めているので、女性の優遇についても疑問に思うことはいくらでもある。
なぜ、レストランは、女性だけにサービスするのか?とか、レディーファーストは何ゆえか?とか、経済的な地位が確立された社会人としての男女同士のデートにおいて、男性がおごるべきという価値観が未だに根強くあることに対して、やはり同じように差別的な部分を感じるのだ。
ただ、文化と差別は相互に関連している場合が多く、そこが大変厄介なのだ。トラディショナルなものは、保守的であり、それがたとえ、偏見や差別から生まれたとしても、現在において、は文化として定着してしまっていれば、差別とは見なされない傾向にあるのだ。ただ、そういう価値観を無条件に受け入れることは、そこからはみ出た価値観に対する新たな差別を生み出す危険があるということを忘れてはならない。伝統的な価値観を自分が尊重するのは結構だが、そうではない人の価値観をむやみに差別化しないように心がけるべきである。
仮に、レディーファーストを実践しない男性がいたとしても、欧米のマナーにとっては差別的だと映るかもしれないが、それは、欧米の文化が生み出した差別が文化として根付いたがゆえのマナーであって、そこに合理性が見出されない限りは、一人間としてみた場合は、そのマナーのほうが差別であるという事実は揺るがず、その男性の価値観にはレディーファーストをしない人間が失礼だという観念はなく、女性が相手の態度に憤慨する場合は、相手の価値観を差別しているということになるわけである。
だから、我々は、価値観をよくよく吟味していくことが要請される。それを怠っている限り、この世から、偏見や差別はなくならないだろう。特に女性は男性が作り出した差別を文化として無条件に受け入れていることが多いので、それが果たして現代に即した価値観であるのかを見抜いていって欲しいと願っている。じゃないと、男性の決めた枠の中で、それと気づかずに、僕の母親のように虐げられ、出口の見えぬまま、もがき苦しむことになってしまう。
女性が家事をする時代ではない。これが僕の出した結論であり、世界の動向も今やその方向になりつつある。女性だけが育児をする時代でもない。日本だけが、結婚出産を機に女性の離職率が一気に高くなっている。男性が仕事をし、女性が家事をする場合においても、女性の家事は仕事として割り振るべきだ。聞くところによると、一ヶ月の家事を月収として換算してみると、38万円くらいになるそうだ。男性が食わしているという価値観は差別だ。女性の家事も無収入ではあるが、列記とした仕事であり、男性のもらう給料の半分は専業主婦の給料として割り当てられてしかるべきだ。
当然、仕事を怠けるものもいるから、家事を怠けるものもいるだろうが、半分が自分の給料として割り当てられるという観念が一般的な価値観として定着するなら、家事にもプロ意識がでるだろうし、男性も家事という職種に進出しよう選択するものがでてくるはずだ。といったことは僕の楽観論に過ぎないが、それが現実となることを説に願わずにいられない。
すべては、人間的平等のために。区別はあっても差別は根絶させるべき。
映画 『アウトサイダー』
2004年11月19日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2000/07/26 ¥4,935
だから、彼らにとってはグループが社会の全部であり、家族であり、その愛する仲間を失ったという喪失感は、自分が愛されていない家族を失った時よりも、より家族的な喪失感を彼らに与えるんだろう。
彼らも好きでささくれたわけじゃない。自分を駄目だと思っている人たちは、自分が「黄金」であることに気づいてない人たちなんだ。
オクラホマ州タルサの少年グループ“グリース”と“ソッシュ”の対立を軸に、少年少女たちの行き場のない日常をつづっていく。1970年代のある種過激な映画製作から一転し、ノスタルジックな方向へ転換したフランシス・コッポラ監督が、スーザン・E・ヒントンの小説を題材に、『理由なき反抗』『ウエスト・サイド物語り』のように往年のハリウッド・ゴージャスな総天然色青春映画的ノスタルジーを狙ったとおぼしき作品。少年、少女の世の中に対する、生きることに対する心の加藤は、現象として表れる形式は違っても、今も昔も、ささくれているという面においては変わりないんだなあ。なぜ少年たちがグループを作ってたんだろう。それは擬似家族を仲間という形で作っていたんじゃないかな。特に、親の愛情を欲している者は、愛情を素直に求めずに反抗という形で希求する。愛情を得られないなら、自分たちで、愛情を与え合える場を作っちゃえ!って感じかな。
スティービー・ワンダーの熱唱する主題歌『ステイ・ゴールド』が、そうした作品のテイストを見事に代弁している。C・トーマス・ハウエル、マット・ディロン、ダイアン・レインなど時の若手スターが総動員されているGA、当時彼らはY.A.(ヤング・アダルト)スターと称され、また“ブラッドパック”とも総称されてもいた。
だから、彼らにとってはグループが社会の全部であり、家族であり、その愛する仲間を失ったという喪失感は、自分が愛されていない家族を失った時よりも、より家族的な喪失感を彼らに与えるんだろう。
彼らも好きでささくれたわけじゃない。自分を駄目だと思っている人たちは、自分が「黄金」であることに気づいてない人たちなんだ。
抑圧されたフェミニズム
2004年11月18日 僕の思ったこと母は自分では認めないが、ガチガチのフェミニストだ。
だから、ことごとくどんな物事も男性社会と結び付けてしまう。
しかし、そうなるのもわかる気がする。母と父は共働きなのに、父はパチンコに出かけ、家事育児は母親が一手に引き受けていた。
祖母とは何かと折り合いが悪く、それは祖母がやはり実子の父のほうをかばってしまうことにある。
母の性格は、長年そういう中で耐えてきたせいか、卑屈になって、どうせ自分なぞ、という感じになってる。その鬱憤が、最近爆発している感じだ。
積年の不満が、フェミニズム的な思考と結びついてしまったのだ。
つまり、母は、女性差別がはなはだしい時代から公務員として働いてきた中で女性の待遇に対して、不満を抱え、落ち着けるはずの家でも、自分を守ってくれるはずの家族もおらず、何よりも家庭を顧みない父を、男性の一般的典型と見なすようになってしまった。
そして、自分がこうであるのは、父のような一般男性の価値観が占める世の中のせいである、という結論に至った。
それが、反骨精神に向けばいいのだが、母の場合それが自己卑下という方向に向かってしまった。父や祖母と対決するのではなく、自分の不満を溜め込み、自分の殻にとじこもってしまった。
たとえ、自分を守るすべであったとしても、はたから見ると、その姿は非常に痛々しい。
人が何気なくいった言葉にも過剰に反応して、言葉の裏を探り、自分で、自分に悪い解釈をして、ますます、どうせ私が悪いのだ、とか、私がガマンすればいいんでしょ。みたいな考えになってしまう。
父とは対決しないが、それは小言となってあらわれる。
自分を少しづつ傷つけながらも、そん状態を保っているのは、対決することで、さらに事態が悪化することからの恐怖心である。
母もそれを自覚している。
僕の考えはというと母は父に対して、律儀に家事をするのではなくて、家事を一度放棄してみればいい、と思う。
しかし、母は自分にはそれをする勇気がないという。一歩踏み出すのはそれだけエネルギーを使う。その先に自己の解放が待っているとわかっていても、すでに母の考えは保守的になってしまって、どうにも変えられないところまで来ている。
僕はそんな母に楽になって欲しくて、どうにか、もっと大雑把になるように仕向けようと思っている。他人が何を言おうが、どうでもいい。という風に考えられれば、家事にしても、自分で決めたルールをきっちりしてしまうのではなくて、この程度でいいや、と思えるようになれば、どんなに母は救われることだろう。
そもそも、父と母が共働きなのに、母だけが家事をするというのがおかしいことぐらい、子供心に僕にもわかった。だから、僕も幼いころからフェミニズム的な思考が芽生えていたはずだし、まして母の育児で育った僕は他人から見れば、かなりのフェミニスト、に見えるのかもしれない。ただ、僕は女性の擁護を唱えるわけではない、あくまで、肉体的な差異を別とすれば、現代は男女間の確固とした能力的な差異なんてないという考えのもとから、男女ではなくいち人間として考えていくべきだと思っているだけだ。
だから、たまに人に「なぜ女性の肩ばかりを持つ?」と聞かれるが、けして女性の肩をもっているわけではなく、その部分が男性に対して女性のほうがどう見ても不平等だと思われるからだ。
逆に、男性の方が不平等だと感じれば僕は男性を擁護する。
全体的に女性の肩を持っているように見えるならば、それはまだ現実として、女性の不平等の方が多いからなのだろう。
閑話休題
とにかく母は、そんな不平等により自虐思考へ陥ってしまった。
だから、僕のほうから一歩を踏み出した。勇気を出して、母が避けたがっている問題の話をして母をその問題と対峙させた。
それよって母が傷つくことは僕も辛かったが、母を救うにはそれを乗り越えるしかなかった。何度か、泣きあって話し合った。
それは考えた通り、よい方向へと向かった。
僕は母の鬱憤を発散できる相手になりたかった。
僕が母と喧嘩をするときは、母が自分を溜め込んで、自虐思考に陥ってしまうときだ。僕はそうやって母が自分を傷つけるのが絶えられない。悲しくなるし、腹が立つ。
今、母は徐々に自分を解放させていると感じる。好きなことを積極的にしだしたし、まだまだ道は長いが、以前より、人生を楽しみだした。
母が僕に鬱憤を貯めず、正直な気持ちを話してくれるときが、何よりうれしい。
母にはこれからは、自分のために生きて欲しい。
だから、ことごとくどんな物事も男性社会と結び付けてしまう。
しかし、そうなるのもわかる気がする。母と父は共働きなのに、父はパチンコに出かけ、家事育児は母親が一手に引き受けていた。
祖母とは何かと折り合いが悪く、それは祖母がやはり実子の父のほうをかばってしまうことにある。
母の性格は、長年そういう中で耐えてきたせいか、卑屈になって、どうせ自分なぞ、という感じになってる。その鬱憤が、最近爆発している感じだ。
積年の不満が、フェミニズム的な思考と結びついてしまったのだ。
つまり、母は、女性差別がはなはだしい時代から公務員として働いてきた中で女性の待遇に対して、不満を抱え、落ち着けるはずの家でも、自分を守ってくれるはずの家族もおらず、何よりも家庭を顧みない父を、男性の一般的典型と見なすようになってしまった。
そして、自分がこうであるのは、父のような一般男性の価値観が占める世の中のせいである、という結論に至った。
それが、反骨精神に向けばいいのだが、母の場合それが自己卑下という方向に向かってしまった。父や祖母と対決するのではなく、自分の不満を溜め込み、自分の殻にとじこもってしまった。
たとえ、自分を守るすべであったとしても、はたから見ると、その姿は非常に痛々しい。
人が何気なくいった言葉にも過剰に反応して、言葉の裏を探り、自分で、自分に悪い解釈をして、ますます、どうせ私が悪いのだ、とか、私がガマンすればいいんでしょ。みたいな考えになってしまう。
父とは対決しないが、それは小言となってあらわれる。
自分を少しづつ傷つけながらも、そん状態を保っているのは、対決することで、さらに事態が悪化することからの恐怖心である。
母もそれを自覚している。
僕の考えはというと母は父に対して、律儀に家事をするのではなくて、家事を一度放棄してみればいい、と思う。
しかし、母は自分にはそれをする勇気がないという。一歩踏み出すのはそれだけエネルギーを使う。その先に自己の解放が待っているとわかっていても、すでに母の考えは保守的になってしまって、どうにも変えられないところまで来ている。
僕はそんな母に楽になって欲しくて、どうにか、もっと大雑把になるように仕向けようと思っている。他人が何を言おうが、どうでもいい。という風に考えられれば、家事にしても、自分で決めたルールをきっちりしてしまうのではなくて、この程度でいいや、と思えるようになれば、どんなに母は救われることだろう。
そもそも、父と母が共働きなのに、母だけが家事をするというのがおかしいことぐらい、子供心に僕にもわかった。だから、僕も幼いころからフェミニズム的な思考が芽生えていたはずだし、まして母の育児で育った僕は他人から見れば、かなりのフェミニスト、に見えるのかもしれない。ただ、僕は女性の擁護を唱えるわけではない、あくまで、肉体的な差異を別とすれば、現代は男女間の確固とした能力的な差異なんてないという考えのもとから、男女ではなくいち人間として考えていくべきだと思っているだけだ。
だから、たまに人に「なぜ女性の肩ばかりを持つ?」と聞かれるが、けして女性の肩をもっているわけではなく、その部分が男性に対して女性のほうがどう見ても不平等だと思われるからだ。
逆に、男性の方が不平等だと感じれば僕は男性を擁護する。
全体的に女性の肩を持っているように見えるならば、それはまだ現実として、女性の不平等の方が多いからなのだろう。
閑話休題
とにかく母は、そんな不平等により自虐思考へ陥ってしまった。
だから、僕のほうから一歩を踏み出した。勇気を出して、母が避けたがっている問題の話をして母をその問題と対峙させた。
それよって母が傷つくことは僕も辛かったが、母を救うにはそれを乗り越えるしかなかった。何度か、泣きあって話し合った。
それは考えた通り、よい方向へと向かった。
僕は母の鬱憤を発散できる相手になりたかった。
僕が母と喧嘩をするときは、母が自分を溜め込んで、自虐思考に陥ってしまうときだ。僕はそうやって母が自分を傷つけるのが絶えられない。悲しくなるし、腹が立つ。
今、母は徐々に自分を解放させていると感じる。好きなことを積極的にしだしたし、まだまだ道は長いが、以前より、人生を楽しみだした。
母が僕に鬱憤を貯めず、正直な気持ちを話してくれるときが、何よりうれしい。
母にはこれからは、自分のために生きて欲しい。
映画 『或る小説家の妻』
2004年11月18日 映画〔洋画〕
DVD ケイエスエス販売 2004/10/22 ¥3,990
小説家だからといって、自分のカオスを解決できない限り、常に精神の闇と戦わざるを得ない。そこには、当然、支えがいる場合もある。
作家になるために特別な体験をしなければなれないのではない。日常を特別な体験と感じることができるものが作家になれる資質があるのだ。
『フロム・ヘル』のスーザン・リンチと『ビッグ・フィッシュ』のユアン・マクレガー主演によるドラマ。古い因習の束縛を嫌っていた、実在したアイルランドの文豪ジェイムズ・ジョイスと、彼を献身的に支えたその妻・ノーラの情愛と波乱に満ちた日々を描く。小説家とは自分の感情、思考を文にする。だけど文にできるからといって、自分の混沌をとき解くことができるわけではない。小説家ができることは、ただ、自分の混沌を混沌として書く能力に長けているだけなのだ。だから、僕はそもそも作家が先生などといわれるのは間違っていると思う。作家は別に誰を教授しているわけでもないのだから。
小説家だからといって、自分のカオスを解決できない限り、常に精神の闇と戦わざるを得ない。そこには、当然、支えがいる場合もある。
作家になるために特別な体験をしなければなれないのではない。日常を特別な体験と感じることができるものが作家になれる資質があるのだ。
僕には列記とした父親がいる。
ただ、僕は母親に育てられた。
僕の成長に、父親が関与している割合は皆無に等しい。
父親は、仕事以外の人生をパチンコに捧げている。
家に帰るのはパチンコ屋が閉まってから。11時から12時。
食費やその他生活費を除くほとんどの小遣い、そして、ボーナスはパチンコに消える。
僕は父親に遊んでもらったという記憶がほとんどない。
父親はいつも家にいなかった。
パチンコに勝てば機嫌がよく、負ければ当り散らす。
思春期のころ、僕の反抗期は父親に向かった。
僕は父と一年話をしなかった。
父は自分の過ちでも僕が反抗すれば容赦なくびんたが飛んできた。
父は過去何度となく借金を作ってきた。
小学生のころ、僕のもらったお年玉をせびりにきたこともあった。
今もきっとどこかで借金を作ってる。
その金額がどのくらいなのか僕は知らない。
僕はこんな父親にはなるまいと誓った。
だから僕は、父親が吸うからタバコは吸わない。
パチンコやギャンブルはしない。
父親になったら、家事を率先してしようと思う。
子育ても当然だ。僕のような思いを僕の子供にはさせたくない。
決して、家族をないがしろにはしない。
父親から僕が学んだことがあるとすれば、すべて反面教師としてだった。
僕と父は、僕が反抗期のときに決定的な溝が出来た。
もう、生涯埋まることは無いと思う。
僕は祖父を知らない。しかし、話によると、酒飲みで、酒のせいで金を食いつぶし、家を三軒も潰したという。女を買い、酒を飲み、仕事にあぶれた。祖母や父は親戚の家に置かせてもらった。
祖母は働き、父や父の弟を養った。祖父は結局酒が元で若く死んだ。
祖母は言う、父もかわいそうな人なのだと。父もまた、父から愛情を受けることなく育ったのだ。
父にも、祖父の血が流れている。放蕩の血が。
祖父は酒で、父はパチンコ。
ふと、思う、父は、祖父を見て、自分はああなるまいと思わなかったのか?と。祖父の暴力から祖母を守る父の話を聞いたことがある。父は、きっと、思ったはずなんだ。ああなるまいと。
なのに、今、祖父と何ら変わりない父親となっている。
僕もなるのだろうか?
そんな放蕩の血が僕にも流れているのかと思うと恐くてたまらない。
僕は、この放蕩の血を終わらせたい。決して父のようにはなりたくない。
だけど、僕も大人になっていくにつれて、だんだんと父親の事がわかってきた。僕自身、子供にどう接していいかわからないとき、自分が父と重なる。僕も父同様に不器用なのだ。
父は酔うと、自分が好きかとしつこく聞いてくる。父親らしいことを何一つしてこなかった父。だがやはり子供から愛されたいのだ。
そして父も、僕ら子供を愛していないわけではないのだ。
愛し方がわからないだけなのだ。
僕は今、父をかわいそうな人なのだと思う。それは、軽蔑の意味ではない。不器用で、愛情をうまく表すことの出来ない人、パチンコにしか自分の居場所を見出せない人。父も脆く弱い一人の人間なのだと、僕は理解できるようになったんだ。
それは絶対的な権威であった親が、絶対的でなくなったということなんだろう。親の弱さを認めることは辛い。しかし、認めざるを得ない。それは僕が大人になったということなんだと思う。僕は、もう、親に守られる存在ではなく、親を守る存在へと成長してしまったんだ。
父は一方的ではあるが、僕を愛している。それを確信できる。
だからといって、僕と向かい合うことを避けた過去の罪が免れるわけではない。僕との溝は、やはり一生埋まらないだろう。
だけど、僕はそんな父を、過去の憎しみも含めて受け入れることができるようになった。父という存在を、一人の苦しむ不器用な人間として受け止めることができるようになった。
僕は、父を愛している。愛せるようになった。それは確かだ。たとえ溝は埋まらなくても、確かなことなんだ。
どんな存在でも父は父だ。父である限り、僕は父を愛する。
たとえどんなに憎んでも、見捨てない。
それが家族というものだ。
ただ、僕は母親に育てられた。
僕の成長に、父親が関与している割合は皆無に等しい。
父親は、仕事以外の人生をパチンコに捧げている。
家に帰るのはパチンコ屋が閉まってから。11時から12時。
食費やその他生活費を除くほとんどの小遣い、そして、ボーナスはパチンコに消える。
僕は父親に遊んでもらったという記憶がほとんどない。
父親はいつも家にいなかった。
パチンコに勝てば機嫌がよく、負ければ当り散らす。
思春期のころ、僕の反抗期は父親に向かった。
僕は父と一年話をしなかった。
父は自分の過ちでも僕が反抗すれば容赦なくびんたが飛んできた。
父は過去何度となく借金を作ってきた。
小学生のころ、僕のもらったお年玉をせびりにきたこともあった。
今もきっとどこかで借金を作ってる。
その金額がどのくらいなのか僕は知らない。
僕はこんな父親にはなるまいと誓った。
だから僕は、父親が吸うからタバコは吸わない。
パチンコやギャンブルはしない。
父親になったら、家事を率先してしようと思う。
子育ても当然だ。僕のような思いを僕の子供にはさせたくない。
決して、家族をないがしろにはしない。
父親から僕が学んだことがあるとすれば、すべて反面教師としてだった。
僕と父は、僕が反抗期のときに決定的な溝が出来た。
もう、生涯埋まることは無いと思う。
僕は祖父を知らない。しかし、話によると、酒飲みで、酒のせいで金を食いつぶし、家を三軒も潰したという。女を買い、酒を飲み、仕事にあぶれた。祖母や父は親戚の家に置かせてもらった。
祖母は働き、父や父の弟を養った。祖父は結局酒が元で若く死んだ。
祖母は言う、父もかわいそうな人なのだと。父もまた、父から愛情を受けることなく育ったのだ。
父にも、祖父の血が流れている。放蕩の血が。
祖父は酒で、父はパチンコ。
ふと、思う、父は、祖父を見て、自分はああなるまいと思わなかったのか?と。祖父の暴力から祖母を守る父の話を聞いたことがある。父は、きっと、思ったはずなんだ。ああなるまいと。
なのに、今、祖父と何ら変わりない父親となっている。
僕もなるのだろうか?
そんな放蕩の血が僕にも流れているのかと思うと恐くてたまらない。
僕は、この放蕩の血を終わらせたい。決して父のようにはなりたくない。
だけど、僕も大人になっていくにつれて、だんだんと父親の事がわかってきた。僕自身、子供にどう接していいかわからないとき、自分が父と重なる。僕も父同様に不器用なのだ。
父は酔うと、自分が好きかとしつこく聞いてくる。父親らしいことを何一つしてこなかった父。だがやはり子供から愛されたいのだ。
そして父も、僕ら子供を愛していないわけではないのだ。
愛し方がわからないだけなのだ。
僕は今、父をかわいそうな人なのだと思う。それは、軽蔑の意味ではない。不器用で、愛情をうまく表すことの出来ない人、パチンコにしか自分の居場所を見出せない人。父も脆く弱い一人の人間なのだと、僕は理解できるようになったんだ。
それは絶対的な権威であった親が、絶対的でなくなったということなんだろう。親の弱さを認めることは辛い。しかし、認めざるを得ない。それは僕が大人になったということなんだと思う。僕は、もう、親に守られる存在ではなく、親を守る存在へと成長してしまったんだ。
父は一方的ではあるが、僕を愛している。それを確信できる。
だからといって、僕と向かい合うことを避けた過去の罪が免れるわけではない。僕との溝は、やはり一生埋まらないだろう。
だけど、僕はそんな父を、過去の憎しみも含めて受け入れることができるようになった。父という存在を、一人の苦しむ不器用な人間として受け止めることができるようになった。
僕は、父を愛している。愛せるようになった。それは確かだ。たとえ溝は埋まらなくても、確かなことなんだ。
どんな存在でも父は父だ。父である限り、僕は父を愛する。
たとえどんなに憎んでも、見捨てない。
それが家族というものだ。
映画 『青い珊瑚礁』(80年)
2004年11月17日 映画〔洋画〕
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2003/10/22 ¥3,990
それにしても、映画をどうとるかってことなんだけど、純粋に作品の質を考えるなら、モザイクはどうかと。DVDだとモザイクないのかな。
うっとおしいんだよね、モザイク。
狭い世界でも、それが当人たちにとって幸せであればそれで十分ということか。文明なんてものをもった時点で、人間の欲望は見境なく膨張の一途をたどり、その先にあるのは虚無以外の何ものでもない。なんちゃって。もう僕たちは戻ることはできないのだ。無知でいる幸せ。なまじっか知識をもったために人間はほかの動物が悩まないことで苦しんでいるんだもんなあ。
ところでブルックシールズ、アガシと結婚したけど、アガシがはげてきて坊主にしてすぐに別れちゃったね。
20世紀初頭の南太平洋で、船の火災のため無人島へ漂着したいとこ同士のエミリー(ブルック・シールズ)とリチャード(クリストファー・アトキンス)。やがて時が過ぎ、ふたりは愛し合うようになるが…。テニスのアンドレ・アガシのもと恋人って事しか知らないブルック・シールズ、この作品で鮮烈な印象を残してその後、鳴かず飛ばずっぽいね。
時のアイドルBシールズを主演に、アダムとイヴのごときふたりだけの楽園で愛を育んでいくファンタジック・ラブ・ストーリー。成長したふたりが、お互いを異性として意識しはじめていくさりげない描写などに実はリアリティがあり、美しい南洋の風景も話題を集め、公開当時は中高生男女を中心に微笑ましいクリーン・ヒットを飛ばした。1948年に製作された作品のリメイクであり、後に彼女らの子どもが、親と同じような体験をする続編『ブルー・ラグーン』も製作されている。
それにしても、映画をどうとるかってことなんだけど、純粋に作品の質を考えるなら、モザイクはどうかと。DVDだとモザイクないのかな。
うっとおしいんだよね、モザイク。
狭い世界でも、それが当人たちにとって幸せであればそれで十分ということか。文明なんてものをもった時点で、人間の欲望は見境なく膨張の一途をたどり、その先にあるのは虚無以外の何ものでもない。なんちゃって。もう僕たちは戻ることはできないのだ。無知でいる幸せ。なまじっか知識をもったために人間はほかの動物が悩まないことで苦しんでいるんだもんなあ。
ところでブルックシールズ、アガシと結婚したけど、アガシがはげてきて坊主にしてすぐに別れちゃったね。
三枚おろしとかつら剥き
2004年11月16日 グルメ週に一度の僕の料理当番。
いまんとこ和と洋を交互に作っていってるけど、週に一度の気楽さから、どうも目新しい普段母親が作らないものを作ろうなんて思ってしまう。
それにしても自分で買出しをしてみると、自分が食材の名前をなんも知らないんだなあと。
この前はクレソンってなんだ?なんて迷ってたけど、今回はあさつきって何だ??ってかなりの時間をかけて、それが野菜なのか調味料なのかもわからず、探し回ってた。料理本には2杯って書いてあるから調味料かなんかなのかな?って思ってたら、どうやら葱の小さい奴みたいな奴らしい。店の人に聞いたらそんなこといってた。野菜だったのね。でもその店には置いてなくて、僕は葱があんまし好きくないから、別にいいやってそれは材料から除外した。
さて、今日は初めてする事が多い。
まずは大根をかつら剥き。かつら剥きってなんだ??
親の部屋から料理本を引っ張り出し、野菜の切り方を調べる。ふむふむ、コリャ難しそうだ。
かつら向きをし終えるのに、小一時間かかってしまう。
さて、もうひとつは三枚おろし。
今まで魚は食う専門でおろした事なんて当然始めて、そして、よりによって、小骨が多いいわしだなんて。
四匹を三枚おろし、本見ながらだからやたらと時間がかかるし、あんまりうまく出来ない。最期には細かい骨は包丁放り出して、手で具に具にとってた。いいのか?これで??
でもなんとなく三枚におろす手順はわかった。こういうのは経験だよね。
でも結局料理を作るのに、2時間以上かかってしまった。週一じゃなかったらこんなに手をかけることもないだろうなあ。慣れたら一時間でできるかな?
以下、メニュー
・ご飯
・梅干しとオクラのお吸い物
・豆腐そぼろ
・イワシのたたきサラダ仕立て
味は失敗してなかったと思う。イワシは4匹じゃなくて2匹でよかったね。量が多かった。
今日の料理
→http://www.shashinka.net/is.php?i=147629&
いまんとこ和と洋を交互に作っていってるけど、週に一度の気楽さから、どうも目新しい普段母親が作らないものを作ろうなんて思ってしまう。
それにしても自分で買出しをしてみると、自分が食材の名前をなんも知らないんだなあと。
この前はクレソンってなんだ?なんて迷ってたけど、今回はあさつきって何だ??ってかなりの時間をかけて、それが野菜なのか調味料なのかもわからず、探し回ってた。料理本には2杯って書いてあるから調味料かなんかなのかな?って思ってたら、どうやら葱の小さい奴みたいな奴らしい。店の人に聞いたらそんなこといってた。野菜だったのね。でもその店には置いてなくて、僕は葱があんまし好きくないから、別にいいやってそれは材料から除外した。
さて、今日は初めてする事が多い。
まずは大根をかつら剥き。かつら剥きってなんだ??
親の部屋から料理本を引っ張り出し、野菜の切り方を調べる。ふむふむ、コリャ難しそうだ。
かつら向きをし終えるのに、小一時間かかってしまう。
さて、もうひとつは三枚おろし。
今まで魚は食う専門でおろした事なんて当然始めて、そして、よりによって、小骨が多いいわしだなんて。
四匹を三枚おろし、本見ながらだからやたらと時間がかかるし、あんまりうまく出来ない。最期には細かい骨は包丁放り出して、手で具に具にとってた。いいのか?これで??
でもなんとなく三枚におろす手順はわかった。こういうのは経験だよね。
でも結局料理を作るのに、2時間以上かかってしまった。週一じゃなかったらこんなに手をかけることもないだろうなあ。慣れたら一時間でできるかな?
以下、メニュー
・ご飯
・梅干しとオクラのお吸い物
・豆腐そぼろ
・イワシのたたきサラダ仕立て
味は失敗してなかったと思う。イワシは4匹じゃなくて2匹でよかったね。量が多かった。
今日の料理
→http://www.shashinka.net/is.php?i=147629&