映画 『アメリカン・プレジデント』
2004年11月16日 映画〔洋画〕
DVD ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2002/09/27 ¥2,625
ダグラスさん、すごいクリーンな大統領演じているけど私生活ではセックス中毒。関係ないけどね。
テンポのよい作品。
うーん、こう見ると、国のトップはほんとに分刻みのスケジュールなのかなあ。大統領という地位の孤独さよ。公私の使い分けが難しいっていうより、ほとんど私の部分がないもんね。この映画を見る限りはってことだけどさ。
世界のリーダー、アメリカ合衆国大統領シェファード。激務をこなす彼が、ひとりの女性に恋してしまった。彼女は環境問題のロビイスト、シドニー。大統領選挙を間近に控え、ホワイトハウスのスタッフは頭をかかえることに…。あああ、マイケル・J・フォックスが元気に演じているのをみて少しく感動してみたり。
大統領の恋はプライベートなことでは済まされず、政治的危機を招くことにもなりかねない。この「人生最大の難問」をいかにして解決するか? 苦悩する大統領を演じるのはマイケル・ダグラス。そのソフトでスマートな大統領ぶりにはため息が出るほど。世紀のロマンスの相手であるシドニーには、知性と美貌を兼ね備えたアネット・ベニングが扮している。ほかに、大統領補佐官にマーチン・シーン、主席内政顧問にマイケル・J・フォックス、政敵の上院議員にはリチャード・ドレイファスらが扮し、しゃれたラブ・ストーリーを脇から支えている。
ダグラスさん、すごいクリーンな大統領演じているけど私生活ではセックス中毒。関係ないけどね。
テンポのよい作品。
うーん、こう見ると、国のトップはほんとに分刻みのスケジュールなのかなあ。大統領という地位の孤独さよ。公私の使い分けが難しいっていうより、ほとんど私の部分がないもんね。この映画を見る限りはってことだけどさ。
喉がヒューヒューいってけつかる
2004年11月15日今日はほんとはテニスの屋外一日レッスンに申し込んでいたのだけど、どうも外の天気が怪しい。
夜中にザアザア雨が降ってて、朝方止んでいたけれど、申し込んでいたコーチから電話がかかり、今日はテニスコートが水溜りで、使える状態ではないので、中止と。また後日日にちを連絡しますってことになたのだけど、もし来週の月曜日とかいうことになったら、そんとき僕は京都に旅行中だぞい。
午前中どんよりしていたくせに、天気は昼には回復して、ぴっかぴかのお日さんがお顔を覗けていますやん。
お勉強もそこそこに、ビデオを返しにいって、また7本借りてくる。
テニスも出来なかったことだし、今日から足腰を鍛え、アンド、ダイエットのための走りこみやのランニングやのを実行しますかってんだ。
おニューのウィンドブレーカ―を着込み、おニューのランニングシューズを履いて、颯爽とマンションを飛び出した僕。目標は、近くのラグビー場まで。走り出した当初、いい感じで、「お!楽勝ジャン」なんて軽快かましてたのも束の間、200メートルも走れば肺から何か熱いものがこみ上げてきて、脚は鉛のよう。やばい血を履くかも、なんて危機感にあおられて、近くのラグビー場に行くまでに3回も休憩をとってしまった。ここに来て初めて自分の体力の衰えアンド心肺機能の弱さに打ちのめされたのよ。
ラグビー場についたころにはもうヘロヘロリンで、最初の意気込みもなんのその。ラグビー場にはランニング常連者と思われる方々がトラックを廻っておられて、その中に一人、見知った顔がって、友人のK君。いつもここで400メートルのトラックを10周も走ってるとのこと。ぎょへえ、信じらんねえ。しかも走るペースが早くて一定してて、はああ、僕も毎日走ってればああなるんかなあ。でも僕持久走って嫌い。
テニスは持久力より瞬発力だ!と根拠のない理屈で納得し、僕はダッシュを中心に10本くらい。終わったころはかなり脚にきてて、久し振りにM的快感。筋トレの心地よい疲労感。
少しだけK君と色々話し、どうせまたあることだし、またねってさよならして、走ってまたマンションに帰る。ぐはあ、脚が動かねえ。
帰宅してしばらく咳が止まらない。咳が止まらないのは肺にきてる証拠。
後は飯食って寝るだけさ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 61.4?
体脂肪 26.5%
夜中にザアザア雨が降ってて、朝方止んでいたけれど、申し込んでいたコーチから電話がかかり、今日はテニスコートが水溜りで、使える状態ではないので、中止と。また後日日にちを連絡しますってことになたのだけど、もし来週の月曜日とかいうことになったら、そんとき僕は京都に旅行中だぞい。
午前中どんよりしていたくせに、天気は昼には回復して、ぴっかぴかのお日さんがお顔を覗けていますやん。
お勉強もそこそこに、ビデオを返しにいって、また7本借りてくる。
テニスも出来なかったことだし、今日から足腰を鍛え、アンド、ダイエットのための走りこみやのランニングやのを実行しますかってんだ。
おニューのウィンドブレーカ―を着込み、おニューのランニングシューズを履いて、颯爽とマンションを飛び出した僕。目標は、近くのラグビー場まで。走り出した当初、いい感じで、「お!楽勝ジャン」なんて軽快かましてたのも束の間、200メートルも走れば肺から何か熱いものがこみ上げてきて、脚は鉛のよう。やばい血を履くかも、なんて危機感にあおられて、近くのラグビー場に行くまでに3回も休憩をとってしまった。ここに来て初めて自分の体力の衰えアンド心肺機能の弱さに打ちのめされたのよ。
ラグビー場についたころにはもうヘロヘロリンで、最初の意気込みもなんのその。ラグビー場にはランニング常連者と思われる方々がトラックを廻っておられて、その中に一人、見知った顔がって、友人のK君。いつもここで400メートルのトラックを10周も走ってるとのこと。ぎょへえ、信じらんねえ。しかも走るペースが早くて一定してて、はああ、僕も毎日走ってればああなるんかなあ。でも僕持久走って嫌い。
テニスは持久力より瞬発力だ!と根拠のない理屈で納得し、僕はダッシュを中心に10本くらい。終わったころはかなり脚にきてて、久し振りにM的快感。筋トレの心地よい疲労感。
少しだけK君と色々話し、どうせまたあることだし、またねってさよならして、走ってまたマンションに帰る。ぐはあ、脚が動かねえ。
帰宅してしばらく咳が止まらない。咳が止まらないのは肺にきてる証拠。
後は飯食って寝るだけさ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 61.4?
体脂肪 26.5%
映画 『ある日どこかで』
2004年11月15日 映画〔洋画〕
DVD ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2003/11/28 ¥3,990
この作品は非常に上品で、音楽もすばらしく、文句なく名作でしょ。
一途な想いって、今まで自分が育ってきた時代までも捨てさせてしまうものなのかなあ。ラストは、現実での過酷な最期と、その先にある、再会の幸せ。そうなる運命であって、死後の世界というものを肯定するならば、彼にとってはこれでよかったのかもね。
1972年、新人劇作家のリチャード(クリストファー・リーヴ)は謎の老婦人から古い金時計を渡された。そして8年後、彼は古い肖像画の貴夫人に魅せられ、それが老婦人の若き日の姿(ジェーン・シーモア)であることを知る。やがてリチャードの想いは募り、いつしか過去へと心をさかのぼらせていき……。追悼の意味もこめて、というのではないけど、クリストファー・リーブ。スーパーマンでしか知らない彼だったけど(実際にはスーパーマンをまともに見たことない)、ものすご美青年やよね。背は高く、たくましい体に、小さい頭。端整な顔立ち。すばらしいね。
メロドラマにタイムトラベルの要素を組み合わせて描いたラブ・ファンタジー映画の秀作。とにもかくにも美しく哀しい究極の愛の映画として徹底しているのが潔くも素晴らしい。ジョン・バリーの甘い旋律が、観客の涙をさらに一層絞らせ、もはや理屈では割り切れない摩訶不思議な世界にさらなる説得力を持たせてくれている。原作はリチャード・マシスンで、彼自身が脚色。『燃える昆虫軍団』『JAWS2』などモンスター・パニック映画で名を馳せていたヤノット・シュワルツ監督は、この1作で見事イメージチェンジに成功した。
この作品は非常に上品で、音楽もすばらしく、文句なく名作でしょ。
一途な想いって、今まで自分が育ってきた時代までも捨てさせてしまうものなのかなあ。ラストは、現実での過酷な最期と、その先にある、再会の幸せ。そうなる運命であって、死後の世界というものを肯定するならば、彼にとってはこれでよかったのかもね。
脳みそのぬか漬け
2004年11月14日ということで、引き続き寝まくっているのだが、賞味期限が去年のビタミン剤を飲んでから、とんと眠れなくなってしまった。
なるほど、僕の脳はビタミン不足だったわけなのかもしれない。
というわけで、勉強なんかもしてみるが、どうにも2、3時間したら頭が重くなってきちゃって、いつもならここで仮眠を取ってすっきりってとこなのだが、眠れないから、音楽を聴くことにする。
聴く曲によるけれども、頭のにつまり感が若干取れていっているような感じもしなくもない。
脳に栄養を与えるために、家にあるサプリメントを一通り飲んでみようと、亜鉛やら黒酢やらチョコラBBプラスの錠剤を放り込む。
大豆イソフラボンは・・・母親の更年期障害用だから飲まなくていいか。
でも結局、その後、理系の勉強は出来そうもなかったから、行政法やって、後は読書したけどね。僕は、以前10時間休憩なしで勉強して三半規管がいかれちゃったことがあったから、連続して勉強することに対して、恐怖感があるのだ。だって、いくら一日10時間勉強してもその後、3週間も寝たきりでなんも出来ないんじゃ、一日一時間ずつ勉強したほうがましだし。
そんなこんなで、夜の8時に就寝で次の日の午前3時に起床。超早寝早起きになっちゃった。
・・そうです、この日記は、翌日に書いているのだ。
なるほど、僕の脳はビタミン不足だったわけなのかもしれない。
というわけで、勉強なんかもしてみるが、どうにも2、3時間したら頭が重くなってきちゃって、いつもならここで仮眠を取ってすっきりってとこなのだが、眠れないから、音楽を聴くことにする。
聴く曲によるけれども、頭のにつまり感が若干取れていっているような感じもしなくもない。
脳に栄養を与えるために、家にあるサプリメントを一通り飲んでみようと、亜鉛やら黒酢やらチョコラBBプラスの錠剤を放り込む。
大豆イソフラボンは・・・母親の更年期障害用だから飲まなくていいか。
でも結局、その後、理系の勉強は出来そうもなかったから、行政法やって、後は読書したけどね。僕は、以前10時間休憩なしで勉強して三半規管がいかれちゃったことがあったから、連続して勉強することに対して、恐怖感があるのだ。だって、いくら一日10時間勉強してもその後、3週間も寝たきりでなんも出来ないんじゃ、一日一時間ずつ勉強したほうがましだし。
そんなこんなで、夜の8時に就寝で次の日の午前3時に起床。超早寝早起きになっちゃった。
・・そうです、この日記は、翌日に書いているのだ。
映画 『あなたに逢いたくて』
2004年11月14日 映画〔洋画〕
VHS 角川エンタテインメント 1997/08/08 ¥15,540
話がよく出来てはいるけど、よく出来すぎていて、現実的じゃないというか、ありえない。まずもって映画だからできるお話しだけれども、そこは映画だし、コメディだから、アハハと笑ってみるのがいいのかな。でも僕こういった騙していつばれるかっていうハラハラものは気が休まらないから苦手で、あんまり笑う余裕がなかった^^;
詐欺まがいの商売をしている画商(バンデラス)が富豪の美女(グリフィス)と婚約するが、妹(ハンナ)に恋をしてしまい、双子の弟を作り出して2役を演じることに。ラブ・コメディ。『ベルエポック』のフェルナンド・トルエバ監督作。グリフィスと、バンデラスは、この共演がきっかけで結婚することになったのかしらん??
話がよく出来てはいるけど、よく出来すぎていて、現実的じゃないというか、ありえない。まずもって映画だからできるお話しだけれども、そこは映画だし、コメディだから、アハハと笑ってみるのがいいのかな。でも僕こういった騙していつばれるかっていうハラハラものは気が休まらないから苦手で、あんまり笑う余裕がなかった^^;
体内時計
2004年11月13日ふと思ったことがある。長く寝て、長く起きる人は長生きなのかもしれない。
前にテレビでよく出てた、日本でもっとも長生きしてた老人の女性、かまとばあさんは、二日寝て、二日起きるというサイクルだった。つまり、二日を一日として、体のサイクルが完成されていたので、その分老化のスピードも二分の一とまでは行かないまでも、遅くなってたのかも。
でもかまと婆ちゃん、寝ているときでもしっかり食事とってた。寝ながらうどんもごもご食べてたし、いったいいつからあのサイクルだったんだろう?
ということは、僕はとても長く寝るから、睡眠時間はかまと婆ちゃんほどではないけど、一般にいって相当長いはずだ。今日も、14時間寝たし。
ということは、その分長く起きとけば長生きできるのかな。
でも実際僕は毎日長く寝て、起きてる時間が短いから、この場合はどうなるんだろう。長生きはしないのかな。単にムダに活動時間を削ってるだけなのかもしれない。
どうにかして、脳に組み込まれた細胞の生涯時間を狂わせて、老化を遅らせることはできないか。
世には早老病なんてのもあるわけだし、その仕組みが解明されれば、老化を防げることになるのかも。
でも老化を防いで何するのって言われても、別に長生きしてやりたいことなんてないかも。ただ、未来をほんの少しだけ長く見てみたいとは思うけど。
よく考えたら、そんなに僕は長生きしなくてもいいかも。そもそも人間50年だったのが今や二倍。長い分だけ人生の意味を考え出しちゃって、悩んだりする時間が出来ちゃったんだから、50年くらいなら、そんなに早く自殺しようなんて思う人も多くは出ないだろうし。
結論、人間は充分長く生きすぎてる。もっと短くてもいいくらいだ。
体内時計を狂わす必要なし。
なんのこっちゃ。生産性のない日記だなあ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 61。9?
体脂肪 28.5%
前にテレビでよく出てた、日本でもっとも長生きしてた老人の女性、かまとばあさんは、二日寝て、二日起きるというサイクルだった。つまり、二日を一日として、体のサイクルが完成されていたので、その分老化のスピードも二分の一とまでは行かないまでも、遅くなってたのかも。
でもかまと婆ちゃん、寝ているときでもしっかり食事とってた。寝ながらうどんもごもご食べてたし、いったいいつからあのサイクルだったんだろう?
ということは、僕はとても長く寝るから、睡眠時間はかまと婆ちゃんほどではないけど、一般にいって相当長いはずだ。今日も、14時間寝たし。
ということは、その分長く起きとけば長生きできるのかな。
でも実際僕は毎日長く寝て、起きてる時間が短いから、この場合はどうなるんだろう。長生きはしないのかな。単にムダに活動時間を削ってるだけなのかもしれない。
どうにかして、脳に組み込まれた細胞の生涯時間を狂わせて、老化を遅らせることはできないか。
世には早老病なんてのもあるわけだし、その仕組みが解明されれば、老化を防げることになるのかも。
でも老化を防いで何するのって言われても、別に長生きしてやりたいことなんてないかも。ただ、未来をほんの少しだけ長く見てみたいとは思うけど。
よく考えたら、そんなに僕は長生きしなくてもいいかも。そもそも人間50年だったのが今や二倍。長い分だけ人生の意味を考え出しちゃって、悩んだりする時間が出来ちゃったんだから、50年くらいなら、そんなに早く自殺しようなんて思う人も多くは出ないだろうし。
結論、人間は充分長く生きすぎてる。もっと短くてもいいくらいだ。
体内時計を狂わす必要なし。
なんのこっちゃ。生産性のない日記だなあ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 61。9?
体脂肪 28.5%
映画 『あなたが見えなくても』
2004年11月13日 映画〔洋画〕
VHS ワーナー・ホーム・ビデオ 1999/12/10 ¥15,750
どうだろう、一度視界が見えてからまた見えなくなるのって、最初から、視界が見えないままだったほうが、まだ未練がなくて、辛くないんじゃなかろうか。でも、世界を見てみたいって思いもあるだろうし。これは、本人の人間性というか、価値観によるんだろうなあ。
この女優さん、僕好きだなあ。
盲目の男性と恋に落ちた女性が視力回復の見込みを信じて医師を探すうちに、彼が自立して生活をしており、盲目なるがゆえの感性を持っているのに気づいて悩む・・・。実話を映画化したシリアスドラマ。『セイント』のヴァル・キルマーと『ミミック』のミラ・ソルビーノ共演。これは、「アルジャーノンに花束を」に話が似てるけれども、こっちはほんとの実話らしい。
どうだろう、一度視界が見えてからまた見えなくなるのって、最初から、視界が見えないままだったほうが、まだ未練がなくて、辛くないんじゃなかろうか。でも、世界を見てみたいって思いもあるだろうし。これは、本人の人間性というか、価値観によるんだろうなあ。
この女優さん、僕好きだなあ。
僕は誰かに必要とされたい。必要とされることで、自分の存在が確かめられる。安心する。
しかし、自分が必要とされていると実感するためには、何らかの他の人との扱いに差異化がみられないとわかりえない。
差異化が図られるとは、卑俗な言い方をすれば、特別扱いをされるということである。いかに心に強い信念を抱いていたとしても、相対的に判断しえる確信がなければ、人間は脆い。
君が必要なんだ。君が誰よりも大切なんだといわれたい欲求は、僕の中に厳然と巣食い、そして時に不全感という姿に変わって、心を蝕む。
一方で、僕は必要とされない立場も知っている。必要とされない辛さ。自分の存在価値が揺らぐ。そしてそれもまた、相対的に差異化という形で、視覚化されたときには、よりその傷を深くする。
だから、僕は平等に固執してしまう。
皆に平等に接することが出来れば、誰も傷つかないのじゃないかといった思いを捨てられずにいる。
自分の中に、特別扱いされたい自分と、そんな自分に嫌悪し、平等を求める自分がいる。
平等である限り、見捨てられることはない。だが、必要とされているという確信をもつための他者との差異化がないため、不全感も埋まらない。
特別扱いをされれば、必要とされている確信を差異化によって確認でき、不全感は収まる。しかし、それは自分が不平等を是認しているということになり、自分が必要とされている一方で、僕よりも必要とされていない人があらわれることを認め、その人が傷つく代償として、自分の幸福を得るということになる。
そもそも、アイデンティティを他者の対応に求めてしまうということが原因なのだが、人間は多かれ少なかれ他者に寄りかかって生きている。
全き孤独の中でも平然としていられる人間など、そんなに多いものではない。当然、僕も耐えられない。つまり、人は、どこかで、他者の反応により、自己の存在を確かめているといっていいと思う。
人間は結局利己主義に堕する。そういいきってしまうことは僕にできない。しかし、自分が納得しなくとも、特別扱いを求めれば、客観的に、そう判断せざるを得なくなる。
だから、僕は、平等と、不全感の狭間で身動きが取れなくなる。
片方を充足させれば、片方が僕を苦しめる。
自分の幸せを求めることは、すなわち自分を包含した人間の善の限界を露呈させることになってしまうからだ。
しかし、自分が必要とされていると実感するためには、何らかの他の人との扱いに差異化がみられないとわかりえない。
差異化が図られるとは、卑俗な言い方をすれば、特別扱いをされるということである。いかに心に強い信念を抱いていたとしても、相対的に判断しえる確信がなければ、人間は脆い。
君が必要なんだ。君が誰よりも大切なんだといわれたい欲求は、僕の中に厳然と巣食い、そして時に不全感という姿に変わって、心を蝕む。
一方で、僕は必要とされない立場も知っている。必要とされない辛さ。自分の存在価値が揺らぐ。そしてそれもまた、相対的に差異化という形で、視覚化されたときには、よりその傷を深くする。
だから、僕は平等に固執してしまう。
皆に平等に接することが出来れば、誰も傷つかないのじゃないかといった思いを捨てられずにいる。
自分の中に、特別扱いされたい自分と、そんな自分に嫌悪し、平等を求める自分がいる。
平等である限り、見捨てられることはない。だが、必要とされているという確信をもつための他者との差異化がないため、不全感も埋まらない。
特別扱いをされれば、必要とされている確信を差異化によって確認でき、不全感は収まる。しかし、それは自分が不平等を是認しているということになり、自分が必要とされている一方で、僕よりも必要とされていない人があらわれることを認め、その人が傷つく代償として、自分の幸福を得るということになる。
そもそも、アイデンティティを他者の対応に求めてしまうということが原因なのだが、人間は多かれ少なかれ他者に寄りかかって生きている。
全き孤独の中でも平然としていられる人間など、そんなに多いものではない。当然、僕も耐えられない。つまり、人は、どこかで、他者の反応により、自己の存在を確かめているといっていいと思う。
人間は結局利己主義に堕する。そういいきってしまうことは僕にできない。しかし、自分が納得しなくとも、特別扱いを求めれば、客観的に、そう判断せざるを得なくなる。
だから、僕は、平等と、不全感の狭間で身動きが取れなくなる。
片方を充足させれば、片方が僕を苦しめる。
自分の幸せを求めることは、すなわち自分を包含した人間の善の限界を露呈させることになってしまうからだ。
映画 『あなたに降る夢』
2004年11月12日 映画〔洋画〕
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 1998/12/24 ¥3,990
アメリカの宝くじってあたったらテレビで記者会見が義務付けられているんだよね、確か。プライバシーもなんもないわけで、宝くじがあたったことで不幸になった人もきっといるだろうなあ。
これは実話をヒントにしているらしいしね。ちょっと、善悪がはっきりしすぎてるけれど、「すばらしき哉、人生!」風のハッピーな気分になれる映画だった。
ニューヨークの警官チャーリーは、底抜けに善良な正義の味方だ。ある日ウエイトレスへやるチップの小銭がなく、宝くじを出して「もし当たったら半額やる」と約束した。ところが、その宝くじがなんと400万ドルの大当たり! チャーリーは約束を守ろうとするのだが、そのチャーリーの善意は野心家の妻によって阻まれる。思わぬ「幸運」に戸惑うウエイトレス、そして…。誠実な心は、カメラマンが、いや、神様が見ているってか。こうやって見てみると、ニコラス・ケイジって、ほんとにいい人そうな顔してるなあ。
ニューヨーク中の100を超えるスポットで撮影した、正真正銘の「ニューヨーク映画」である。摩天楼から下町、そしてヤンキースタジアムなど、数々の名所を背景に流れる、多くのスタンダードナンバーが聴きものだ。ニコラス・ケイジが正直な警官チャーリーを、ブリジット・フォンダがウエイトレスを好演している。
アメリカの宝くじってあたったらテレビで記者会見が義務付けられているんだよね、確か。プライバシーもなんもないわけで、宝くじがあたったことで不幸になった人もきっといるだろうなあ。
これは実話をヒントにしているらしいしね。ちょっと、善悪がはっきりしすぎてるけれど、「すばらしき哉、人生!」風のハッピーな気分になれる映画だった。
人間に対してロマンチズムを抱く場合、どうしても社会主義というものは理想的に映る部分があり、多かれ少なかれ左翼的になってしまう部分を否定は出来ないだろう。だから僕も心情的には左翼ということになるのかもしれない。
僕は、どんな人も傷つくべきではないし、平等であるべきだと思っている。
だから、人の価値観を否定はしたくない。
しかし、人の価値観を受け入れるとなると、人を傷付けてもかまわないとする人の価値観をも受け入れなければならなくなり、それを否定すると、そこに差別が生じ、平等ではなくなる。かといって否定しなければ、その人によって他の人が傷つくことになり、そこに差別が生まれ、やはり平等ではなくなる。
このジレンマを打破するために、多くの独裁者は、自分の価値観と近づけるために、はたまた、人間間の差異を極力なくすように勤めることになって、そして、弾圧、虐殺、言論封鎖なんてことになり、独裁者は専制者に変わってしまう。そして、理想はいつしか、正反対の、もっともその独裁者が嫌悪していた差別を自ら胚胎させることになる。
ああ、パラドックス。
人間が全員、聖人君子であれば、神であれば、過ちを犯さない哲人であれば、みんなの価値を受け入れ、且つ差別も生み出さず、誰も傷つかないという世の中も可能だろう。でも実際にはそんなこと不可能だ。
ああ、人間は度し難いなあ。
僕は、どんな人も傷つくべきではないし、平等であるべきだと思っている。
だから、人の価値観を否定はしたくない。
しかし、人の価値観を受け入れるとなると、人を傷付けてもかまわないとする人の価値観をも受け入れなければならなくなり、それを否定すると、そこに差別が生じ、平等ではなくなる。かといって否定しなければ、その人によって他の人が傷つくことになり、そこに差別が生まれ、やはり平等ではなくなる。
このジレンマを打破するために、多くの独裁者は、自分の価値観と近づけるために、はたまた、人間間の差異を極力なくすように勤めることになって、そして、弾圧、虐殺、言論封鎖なんてことになり、独裁者は専制者に変わってしまう。そして、理想はいつしか、正反対の、もっともその独裁者が嫌悪していた差別を自ら胚胎させることになる。
ああ、パラドックス。
人間が全員、聖人君子であれば、神であれば、過ちを犯さない哲人であれば、みんなの価値を受け入れ、且つ差別も生み出さず、誰も傷つかないという世の中も可能だろう。でも実際にはそんなこと不可能だ。
ああ、人間は度し難いなあ。
映画 『アフターグロウ』
2004年11月11日 映画〔洋画〕
DVD ポニーキャニオン 2000/04/19 ¥4,935
かなりシリアスだったような気が〜^^;
熟年妻の犯した罪は確かに大変なことだけれども、だからといって、償いが、目には目をってんじゃ、なんかなあ。それでも夫婦関係は続いているという不思議。
若輩夫婦は、お互いにお互いを愛しているけどそのスタンスが違いすぎることからくる齟齬なわけであって、夫のほうが子供を望まないのも、自分の人生観からくる子供に対する愛情なのだろうし、子供を望む妻の方も純粋に家庭としての幸せの追求としては当然なんだよねえ。2人とも双方とも頷ける点はあるわけで、真実どっちが正しいかなんて決められないや。
塾年夫婦と若輩夫婦、世代の違う2組のカップルが繰り広げる、‘W不倫’の行方を描いたラブコメディ。製作は『ザ・プレイヤー』のロバート・アルトマン。ニック・ノルティ、ジュリー・クリスティ、ジョニー・リー・ミラーほか出演。え〜!?これってコメディーなの?
かなりシリアスだったような気が〜^^;
熟年妻の犯した罪は確かに大変なことだけれども、だからといって、償いが、目には目をってんじゃ、なんかなあ。それでも夫婦関係は続いているという不思議。
若輩夫婦は、お互いにお互いを愛しているけどそのスタンスが違いすぎることからくる齟齬なわけであって、夫のほうが子供を望まないのも、自分の人生観からくる子供に対する愛情なのだろうし、子供を望む妻の方も純粋に家庭としての幸せの追求としては当然なんだよねえ。2人とも双方とも頷ける点はあるわけで、真実どっちが正しいかなんて決められないや。
社交辞令ほど傷つくことはない。
社交辞令ほど卑劣なことはない。
まだ双方が社交辞令だと認識しているならまだしも、片方はほんとの約束だと思ったときのショックは、何よりも大きいと思う。
「今度バッティングセンターにいこう」
「今度一緒にテニスをしよう」
そんなことを自分のほうから言っといて、僕が何度誘ってもいくことはない。なぜ?と聞くと「たまたま誘ったときが都合悪かった」と言う。
かといって都合の悪くないときに自分のほうから行こうとも言ってこない。
結局その約束は二度と履行されることはない。
僕は何よりも正直を尊ぶ。
たとえ、僕の考えと正反対のものであっても、嘘をつくよりは正直にそれを言ってくれる人のほうがよっぽど信頼が置ける。
友達という社交辞令。
あたかも君は友達、という顔をしておきながら、中で選り好みをする。
皆で集まるときに、友達であるはずの僕は呼ばれることはない。誰も僕の名前を出さない。
それは僕を呼びたくないから。呼びたくないのに友達?
いや、それは友達じゃない。友達という表現の社交辞令に過ぎない。
そして、そのことがばれた時にはきまって取り繕う。
あくまで、最後まで自分はそんな事をする人間ではないという善人の仮面をかぶる。
そんな人に比べれば、善人であろうと努力している悪人のほうが、遥かに善人である。
テニスをしたくないなら最初から言わなければいい。
バッティングセンターに行く気がないのに、なぜ自分のほうからそんなことをいったんだ?
友達だといわれながら、差別されるくらいなら、嫌いだといわれたほうが全然マシだ。
もう一度言う、僕は何よりも正直を尊ぶ。
飲み会に誘わなかったときは、正直に「お前は〜君とはあわないと思ったから誘わなかった」とか、「この飲み会はお前にあわないと思った」と正直に言えばいい。
色んな理由で取り繕うのではなくて、正直に、「テニスをするのはめんどくさい」といえばいい。
正直であるということは、それだけ、自分の言葉や態度に責任を伴う。
だから、人は、正直な心を巧みに隠し、責任を回避する社交辞令を使うんだろう。責任をとらないでいい場所にいれば、外見上は悪人には見えないからだ。
しかし、責任をとらない以上、その人はどんなによい人に見えようと、絶対に善人であることはない。そして、善人になることもない。
「確かにあの時、僕は君を誘いたくなくて、誘わなかった。それは君の〜の部分が受け入れられなかったからなんだ。許してくれ」
「バッティングセンターに行こうという気力がわかなかった。そのうちにその約束がどうでもよくなってしまったんだ。確かに君に対して怠惰な態度だった」
上のように、自分の言動に責任をもち、しっかり正直な気持ちを述べ、責任を果たすものは、結果悪人に見えたとしても、本心において、善人であり、又、そもそも社交辞令に陥ることもないだろう。
正直であるには、自分の心の弱い部分とも対峙し、その部分を認めていかなければならない。認めるということは自分の問題を把握できるということである。把握できるということは、その問題に対処し、克服も出来るということである。自分の怠惰な心を超克する、約束を果たしていく。つまり、自分の悪を受け止め、責任をもつことで、善人にもなりえるの可能性があるのである。
社交辞令ほど卑劣なことはない。
まだ双方が社交辞令だと認識しているならまだしも、片方はほんとの約束だと思ったときのショックは、何よりも大きいと思う。
「今度バッティングセンターにいこう」
「今度一緒にテニスをしよう」
そんなことを自分のほうから言っといて、僕が何度誘ってもいくことはない。なぜ?と聞くと「たまたま誘ったときが都合悪かった」と言う。
かといって都合の悪くないときに自分のほうから行こうとも言ってこない。
結局その約束は二度と履行されることはない。
僕は何よりも正直を尊ぶ。
たとえ、僕の考えと正反対のものであっても、嘘をつくよりは正直にそれを言ってくれる人のほうがよっぽど信頼が置ける。
友達という社交辞令。
あたかも君は友達、という顔をしておきながら、中で選り好みをする。
皆で集まるときに、友達であるはずの僕は呼ばれることはない。誰も僕の名前を出さない。
それは僕を呼びたくないから。呼びたくないのに友達?
いや、それは友達じゃない。友達という表現の社交辞令に過ぎない。
そして、そのことがばれた時にはきまって取り繕う。
あくまで、最後まで自分はそんな事をする人間ではないという善人の仮面をかぶる。
そんな人に比べれば、善人であろうと努力している悪人のほうが、遥かに善人である。
テニスをしたくないなら最初から言わなければいい。
バッティングセンターに行く気がないのに、なぜ自分のほうからそんなことをいったんだ?
友達だといわれながら、差別されるくらいなら、嫌いだといわれたほうが全然マシだ。
もう一度言う、僕は何よりも正直を尊ぶ。
飲み会に誘わなかったときは、正直に「お前は〜君とはあわないと思ったから誘わなかった」とか、「この飲み会はお前にあわないと思った」と正直に言えばいい。
色んな理由で取り繕うのではなくて、正直に、「テニスをするのはめんどくさい」といえばいい。
正直であるということは、それだけ、自分の言葉や態度に責任を伴う。
だから、人は、正直な心を巧みに隠し、責任を回避する社交辞令を使うんだろう。責任をとらないでいい場所にいれば、外見上は悪人には見えないからだ。
しかし、責任をとらない以上、その人はどんなによい人に見えようと、絶対に善人であることはない。そして、善人になることもない。
「確かにあの時、僕は君を誘いたくなくて、誘わなかった。それは君の〜の部分が受け入れられなかったからなんだ。許してくれ」
「バッティングセンターに行こうという気力がわかなかった。そのうちにその約束がどうでもよくなってしまったんだ。確かに君に対して怠惰な態度だった」
上のように、自分の言動に責任をもち、しっかり正直な気持ちを述べ、責任を果たすものは、結果悪人に見えたとしても、本心において、善人であり、又、そもそも社交辞令に陥ることもないだろう。
正直であるには、自分の心の弱い部分とも対峙し、その部分を認めていかなければならない。認めるということは自分の問題を把握できるということである。把握できるということは、その問題に対処し、克服も出来るということである。自分の怠惰な心を超克する、約束を果たしていく。つまり、自分の悪を受け止め、責任をもつことで、善人にもなりえるの可能性があるのである。
映画 『続 ある愛の詩』
2004年11月10日 映画〔洋画〕
DVD パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2004/12/17 ¥4,179
前作『ある愛の詩』から1年半後のオリバーの姿を描いた、エリック・シーガル原作による続編。最愛の妻を白血病で亡くし、仕事に打ち明ける日々を送るオリバー。そんな彼は、偶然同じ様な境遇にある女性・マーシーと出会い、互いに惹かれ合っていく。一年半じゃあまだ辛いいよねえ。でもこのまーシーとの出会いと別れが、ひとつジェニーの思い出を吹っ切るきっかけになっていくんだろうな。そういった出会いと別れが、人生を形作っていくんだろうな。「愛とは決して後悔しないこと」前作でそうのたまっていたオリバーは本作では後悔しまくってるなあ。そういう意味では、本当の愛には至っていなかったということか。
友達の公務員試験の面接対策に付き合うために、この前怒られた喫茶店にふたたび行く。
今回はもう眠らんからいいだろ。
友達と午前10時から午後2時まで、面接と集団討論で出てきそうな論題や質問内容を検討。社会や、政治の問題を、雑談を交えながら、話し合う。なかなか中身の濃い話が出来て、面白かった。
友達も、今日が一番役に立ったかもしれないと、満足してしてくれたのでよかった。
帰宅して、ご飯食って、5時まで仮眠を取るつもりが、6時半まで寝てしまい、急いで晩飯の買出しに行く。
今日は週に一度、僕が晩飯を作る日なのだ。
今日のメニューは、先週は和食だったので、イタリアンにした。家には、あんまりイタリアンの調味料がないので、何だかんだで結構いりようっだった。
家に帰ると、すぐに作り始める。
なんせ寝すぎちゃって、大幅に予定の時間が遅れてる。下ごしらえをしてるときに、母親が帰宅。
それからこ一時間待たせる羽目になってしまた。大体、今の僕の腕だと、作るのに、一時間くらいかかってしまうのだ。
夜の9時に完成。
メニューは以下。
・麦のリゾット
・チキンのトマトソース煮
今日は、見た目はなかなかうまく出来た。
味のほうは、チキンのトマトソースには、うまく出来てたけど、麦のリゾットが、水分が少し足りなかったのか、ちょっと硬くて、しょっぱかった。でも、おいしかったけどね。
なんか、料理作るのって楽しいかも。
はまりそ〜っな予感☆
今日の料理
→http://www.shashinka.net/is.php?i=143205&
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 62.9?
体脂肪 29.5%
今回はもう眠らんからいいだろ。
友達と午前10時から午後2時まで、面接と集団討論で出てきそうな論題や質問内容を検討。社会や、政治の問題を、雑談を交えながら、話し合う。なかなか中身の濃い話が出来て、面白かった。
友達も、今日が一番役に立ったかもしれないと、満足してしてくれたのでよかった。
帰宅して、ご飯食って、5時まで仮眠を取るつもりが、6時半まで寝てしまい、急いで晩飯の買出しに行く。
今日は週に一度、僕が晩飯を作る日なのだ。
今日のメニューは、先週は和食だったので、イタリアンにした。家には、あんまりイタリアンの調味料がないので、何だかんだで結構いりようっだった。
家に帰ると、すぐに作り始める。
なんせ寝すぎちゃって、大幅に予定の時間が遅れてる。下ごしらえをしてるときに、母親が帰宅。
それからこ一時間待たせる羽目になってしまた。大体、今の僕の腕だと、作るのに、一時間くらいかかってしまうのだ。
夜の9時に完成。
メニューは以下。
・麦のリゾット
・チキンのトマトソース煮
今日は、見た目はなかなかうまく出来た。
味のほうは、チキンのトマトソースには、うまく出来てたけど、麦のリゾットが、水分が少し足りなかったのか、ちょっと硬くて、しょっぱかった。でも、おいしかったけどね。
なんか、料理作るのって楽しいかも。
はまりそ〜っな予感☆
今日の料理
→http://www.shashinka.net/is.php?i=143205&
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 62.9?
体脂肪 29.5%
コメントをみる |

映画 『愛と精霊の家』
2004年11月9日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2001/02/23 ¥4,935
人生の酸いも甘いも、過不足なく、そして、どちらかに偏るということもなく、しかも一人の人生というのではなく、様々な人たちの人生を交錯させて、ひとつの時代という風景を構築している。そこにはやはり得もいえぬ重みを感じてしまう。クララの超能力も、それが違和感をもたせることなく、その作品の質を損なわせることもなく、描き出されている。限りない愛情とやさしさ、そして、数限りない人間像、そして、時代の大きな流れの中での人間のちっぽけさ。この作品を見ることで、そういったものに思いをはせることが出来る。
俯瞰の視点で人生が描かれているから、一人の人生でもそこには、幾度の変節があるのだということがひとつの流れとして実感できる。
原作はイザベル・アジェンデの小説で、大富豪一家を舞台にした、オールスターキャストによるロマンの物語である。アウグストの作品は、総じて雄大な感じがして、そこがたまらなく好き。つまり、大河小説的というか、こういう作品を作れる監督は非常に限られていると思うし、それ自体ひとつの偉大な才能だと思う。
貧しい金鉱掘りから大農場主となり、上院議員にまで登りつめたエステバンと妻クララ。彼らの愛娘ブランカの愛した男性は、エステバンには許しがたい、身分違いの小作人の息子、ペドロだった。
成功の道を歩みながらも、その独断的な性格ゆえに孤独な男性の生き様を、ジェレミー・アイアンズが見事に演じきる。妻クララには、同じく演技派メリル・ストリープ。不思議な超能力をもつ天使のようなクララの存在が、この物語にファンタジー味を加えている。娘ブランカにウィノナ・ライダー、その恋人ペトロにアントニオ・バンデラス。この若手2人も、逆境でも深い愛情を貫き通すカップルを熱く演じている。
人生の酸いも甘いも、過不足なく、そして、どちらかに偏るということもなく、しかも一人の人生というのではなく、様々な人たちの人生を交錯させて、ひとつの時代という風景を構築している。そこにはやはり得もいえぬ重みを感じてしまう。クララの超能力も、それが違和感をもたせることなく、その作品の質を損なわせることもなく、描き出されている。限りない愛情とやさしさ、そして、数限りない人間像、そして、時代の大きな流れの中での人間のちっぽけさ。この作品を見ることで、そういったものに思いをはせることが出来る。
俯瞰の視点で人生が描かれているから、一人の人生でもそこには、幾度の変節があるのだということがひとつの流れとして実感できる。
暇がくればオケ屋が儲かる
2004年11月8日 友達さて、ついに今日はカラオケデー♪
徹夜で直前まで曲を聞いてた僕はフラフラの体で街に向かう。昼の一時に待ち合わせなので、昼飯にロッテリアのハンバーガーを頬張る。
干からびた体にペプシが浸透し、眠気を吹き飛ばしてくれる。
メンバーはいつものごとく、ラリーゴ君とゴリさん。
カラオケの前にちょっと新しいスニーカーを購入したくて、靴屋に行く。僕は何がいいとか悪いとか、よくわからないから、二人に選んでもらおうと思ってね。ところが、目論んでいた6千円以内で買えるスニーカーなんて、あるもんじゃないことが判明。全部1万円以上するじゃないか〜って財布の中身と相談していたところ、店員が進めてくれた新作が、なんとちょうど6千円。新作なのに一番安いなんて!と、即購入を決める。
その後非常にわかりにくい場所にある穴場なカラオケ屋にいく。ここは、フリータイムジュースのみ放題で、一人たったの400円。ね、お徳でしょ?
しかも、前にきた時より比べもんにならんくらい曲数が増えていて、唯一の不満も解消されてた。10万曲もあれば、大概の曲は見つかるってもんよ。
ちなみに、僕の歌った曲を簡単な経過と共に以下に紹介。
☆遥かなる日々・・・ジャパハリネット
(しょっぱなから歌って失敗。声域が高すぎて喉がつぶれかける。採点で98点が出たが、その後の2人も98点を出したので、採点機能をけす)
☆君こそスターだ・・・サザンオールスターズ
(サザンは覚えやすいので、間違わず歌える)
☆哀愁交差点・・・ジャパハリネット
(鬼のようにキーが高くて、途中で止める)
☆さよならゲーム・・・浜田省吾
(適当にごまかしながら歌う)
☆YELL・・・コブクロ
(カラオケにいく直前まで聞いてて、覚えたと思ってたのに、徹夜空けの頭は記憶力も低下してたのか、間違えまくって、失望を買う)
☆思いがかさなるその前に・・・平井堅
(高音で入ったが、このままだとさびまで歌えないと思い、地声に戻す。いきなり低音になったので、変な感じ)
☆恋の予感・・・安全地帯
(これはリストになかったけど、友達のリクエストで歌う。僕の声質にあっていて歌いやすい)
☆轍・・・コブクロ
(これも微妙に覚えてなかったので、悔しい出来)
☆彩〜Aja〜・・・サザンオールスターズ
(サザンの歌は歌いやすい。これにかぎる)
☆Even if・・・平井堅
(歌い始めて一分くらいでラリーゴ君が間違えてけしてしまうw)
☆マツケンサンバ・・・松平健
(PVが見れるのにして、歌そっちのけで、松健の振り付けに爆笑する。彼はいったいどうなりたいのだろう?)
☆だいすき・・・岡村靖幸
(いい曲なのだけど、2人とも曲どころか歌手のことも知らなくて、反応薄し)
☆星屑の街・・・ゴスペラーズ
(声が出るか心配だったけど、うまく歌えた)
☆ルーキー・・・玉置浩二
(簡単だった。短かった)
☆J・BOY・・・浜田省吾
(これは、僕の名前関係で、友達が突っ込んでくれるのを期待して入れた。突っ込んでくれたので、満足して消す)
☆愛に消えたジュリア・・・サザンオールスターズ
(サザンは中学のころから僕のお得意様です)
☆sign・・・ミスチル
(最後に歌ったのに、曲を覚えてなくて、音程が微妙に違う。友達にがんばれと応援されて歌い上げる。しくしく)
ということで、やっぱり、もっと時間かけて曲をしっかり覚えとかないとね〜っと身につまされながらもストレス発散できて楽しかった♪
帰って、すぐに爆睡。
徹夜で直前まで曲を聞いてた僕はフラフラの体で街に向かう。昼の一時に待ち合わせなので、昼飯にロッテリアのハンバーガーを頬張る。
干からびた体にペプシが浸透し、眠気を吹き飛ばしてくれる。
メンバーはいつものごとく、ラリーゴ君とゴリさん。
カラオケの前にちょっと新しいスニーカーを購入したくて、靴屋に行く。僕は何がいいとか悪いとか、よくわからないから、二人に選んでもらおうと思ってね。ところが、目論んでいた6千円以内で買えるスニーカーなんて、あるもんじゃないことが判明。全部1万円以上するじゃないか〜って財布の中身と相談していたところ、店員が進めてくれた新作が、なんとちょうど6千円。新作なのに一番安いなんて!と、即購入を決める。
その後非常にわかりにくい場所にある穴場なカラオケ屋にいく。ここは、フリータイムジュースのみ放題で、一人たったの400円。ね、お徳でしょ?
しかも、前にきた時より比べもんにならんくらい曲数が増えていて、唯一の不満も解消されてた。10万曲もあれば、大概の曲は見つかるってもんよ。
ちなみに、僕の歌った曲を簡単な経過と共に以下に紹介。
☆遥かなる日々・・・ジャパハリネット
(しょっぱなから歌って失敗。声域が高すぎて喉がつぶれかける。採点で98点が出たが、その後の2人も98点を出したので、採点機能をけす)
☆君こそスターだ・・・サザンオールスターズ
(サザンは覚えやすいので、間違わず歌える)
☆哀愁交差点・・・ジャパハリネット
(鬼のようにキーが高くて、途中で止める)
☆さよならゲーム・・・浜田省吾
(適当にごまかしながら歌う)
☆YELL・・・コブクロ
(カラオケにいく直前まで聞いてて、覚えたと思ってたのに、徹夜空けの頭は記憶力も低下してたのか、間違えまくって、失望を買う)
☆思いがかさなるその前に・・・平井堅
(高音で入ったが、このままだとさびまで歌えないと思い、地声に戻す。いきなり低音になったので、変な感じ)
☆恋の予感・・・安全地帯
(これはリストになかったけど、友達のリクエストで歌う。僕の声質にあっていて歌いやすい)
☆轍・・・コブクロ
(これも微妙に覚えてなかったので、悔しい出来)
☆彩〜Aja〜・・・サザンオールスターズ
(サザンの歌は歌いやすい。これにかぎる)
☆Even if・・・平井堅
(歌い始めて一分くらいでラリーゴ君が間違えてけしてしまうw)
☆マツケンサンバ・・・松平健
(PVが見れるのにして、歌そっちのけで、松健の振り付けに爆笑する。彼はいったいどうなりたいのだろう?)
☆だいすき・・・岡村靖幸
(いい曲なのだけど、2人とも曲どころか歌手のことも知らなくて、反応薄し)
☆星屑の街・・・ゴスペラーズ
(声が出るか心配だったけど、うまく歌えた)
☆ルーキー・・・玉置浩二
(簡単だった。短かった)
☆J・BOY・・・浜田省吾
(これは、僕の名前関係で、友達が突っ込んでくれるのを期待して入れた。突っ込んでくれたので、満足して消す)
☆愛に消えたジュリア・・・サザンオールスターズ
(サザンは中学のころから僕のお得意様です)
☆sign・・・ミスチル
(最後に歌ったのに、曲を覚えてなくて、音程が微妙に違う。友達にがんばれと応援されて歌い上げる。しくしく)
ということで、やっぱり、もっと時間かけて曲をしっかり覚えとかないとね〜っと身につまされながらもストレス発散できて楽しかった♪
帰って、すぐに爆睡。
コメントをみる |

映画 『アイ・ラブ・トラブル』
2004年11月8日 映画〔洋画〕
DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2002/11/22 ¥2,625
あ行に出まくるジュリア・ロバーツは今んとここの作品が一番綺麗に見える。
ひょっとして僕もキャリアウーマンというレッテルに弱い男性族なのかしら!?
おそらく日本で、違う新聞社同士のカップルができたら、即、首が飛んじゃうでしょうなあ。
シカゴの人気コラムニスト、ピーター(ニック・ノルティ)は、臨時記者として列車転覆事故の取材に赴いたところ、そこで新米記者サブリナ(ジュリア・ロバーツ)と出会い、互いにライバル意識を燃やしながら事件の調査を続けていくうちに、ふたり揃ってとんでもない陰謀と殺人のトラブルに巻き込まれていく。ありえね〜!いくら文屋の仕事が激しかろうが、アクションにはならんだろうに。
二大スター共演によるロマンティック・サスペンス・コメディ。監督は『花嫁のパパ』などで知られるチャールズ・シャイアーだからして、どことなくほのぼのしたテイストに全体が包まれているから、こちらもスリルに手に汗握るというよりはのんびりした気持ちで接することができる。ジュリア・ロバーツはやはりこうしたコメディ・タッチの方が魅力を発揮しやすいようだ。
あ行に出まくるジュリア・ロバーツは今んとここの作品が一番綺麗に見える。
ひょっとして僕もキャリアウーマンというレッテルに弱い男性族なのかしら!?
おそらく日本で、違う新聞社同士のカップルができたら、即、首が飛んじゃうでしょうなあ。
俄か覚え
2004年11月7日今日はずっと歌を聞いている。
全部今まで歌ったことのない曲。なかなか覚えられないなあ。
そのうち、こっくりこっくりと眠くなってBGMになっちゃったり。
試験問題みたいに覚えた曲を一曲一曲聞かなくして、最後まで残った曲はゴスペラーズの「街角」。結局これはにわか仕込みでは無理だと判断して覚えるのをやめた。
とにかく、明日は久し振りのカラオケ。最近どうも疲れ気味だったので、ストレス発散にはもってこいだ。
でも昼夜逆転してるから、徹夜で歌うことになるなあ。。。
全部今まで歌ったことのない曲。なかなか覚えられないなあ。
そのうち、こっくりこっくりと眠くなってBGMになっちゃったり。
試験問題みたいに覚えた曲を一曲一曲聞かなくして、最後まで残った曲はゴスペラーズの「街角」。結局これはにわか仕込みでは無理だと判断して覚えるのをやめた。
とにかく、明日は久し振りのカラオケ。最近どうも疲れ気味だったので、ストレス発散にはもってこいだ。
でも昼夜逆転してるから、徹夜で歌うことになるなあ。。。
DVD ジェネオン エンタテインメント 2004/03/21 ¥3,990
見ている間、失笑混じりな賛嘆が何度ももれた。
イギリス人夫婦(グラント、スコット=トーマス)が豪華客船上で知り合った奇怪な夫婦=車椅子の作家(コヨーテ)と美貌の若者(セイナー=監督婦人)。作家が語る異常な夫婦関係の物語。作家夫妻にイギリス人夫婦は翻弄されていく。恋愛に始まった男女の関係が性関係の破綻を通じて精神的なSM関係に至る、凄まじい夫婦の葛藤劇が綴られるが、ポランスキーの語り口は実にスリリングで最後まで飽きさせない。傑作。出てくる老作家は監督自身の投影だろうか?老作家の妻に自分の妻を用いていることからもそんな感じがするのだけれど。何より、現実生活でもいわくつきのポランスキー。彼の内面にあるものを映画化したのがこの作品なら、少女買春(レイプだったかな?)したのも、愛ゆえなのだろうか。なんとなく、自己弁護的な作品とも取れるけど、こういう愛の形もあるんだよと作家自身渾身の作品であることは間違いないだろう。アメリカに入ると逮捕されちゃうから、アカデミー賞も受け取れなかったポランスキーは、犯罪者でもあり、芸術家である。そもそも芸術とは、犯罪的である、といわんばかりの私小説的映画。憎しみと、愛情は本来同じものであるというとうことがこの作品を見ると完全に理解できる。
見ている間、失笑混じりな賛嘆が何度ももれた。
読書 『境界性人格障害(BPD)のすべて』
2004年11月6日 読書
ISBN:4899760701 単行本 星野 仁彦 ヴォイス 2004/06 ¥1,995
僕は幼いころBPDであり、現在、BPDの人とメールのやり取りをしている。
少しでも、その人のことを理解するためにこの本を読んだ。そして、この本に書いていることはすべて、以前の自分と、そして、今やり取りをしている人の特徴に当てはまる。
BPDの人とのコミュニケーションを困難たらしめている最大の要因は、その情緒の一貫性のなさ、爆発的な感情の発露である。
そしてそれは、主として依存している相手にたいして顕著に表れる。もっとも大切に思っている人たちに対して抑制のない怒りをぶつけてしまうのだ。
BPDの人々の心の中には、見捨てられることへの恐怖と、親密になりすぎることへの不安、この二つの相反する感情が混在している。親密さを切望しつつ、同時にそれにおびえ、最もつながりを持ちたいと思っている相手を撥ね付けることになってしまうのだ。
BPDの人々は、安定した核としたアイデンティティをもっていない。つまり、常に他者を過剰に意識しその他者の対応によってぐらぐらと自己像(自分に対する価値)が揺らぐことになる。当然、それは相手との信頼関係においても、同様であり、通常の人が持つべき、対象恒常性に欠けている。対象恒常性とは、相手が離れていても、自分とその人との関係が継続しているという状態に対する認識のことである。境界の人は、自分から、少しでも相手が離れようものなら、自分が見捨てられたと解釈するか、もしくはその恐怖に駆られてしまうのだ。
これはいまだに僕も改善できずにいる問題だが、BPDの人は、矛盾を見過ごすことができない。常に、白か黒、二者択一的な考えをしてしまうのである。対人間に対しても自分に対して、敵か味方か。自分を嫌っているか好いているか。その中間は存在しない。僕は今はそれらの関係はある程度克服したが、善悪のモラルに対して、未だに矛盾を看過できずに、大きな障壁となっている。
BPDを克服するには、まず、変わるべきは自分であって他の人たちではないことを理解しなければならない。自分自身を変えていくためには自分の心と向き合っていくしかない。長年の間に身に付けた意識は、その意識を意識することによって、意図的に努力しなければ変わらないのだ。
二者択一的な感情の改善。幾重にも積み重ねられた感情の層を打ち破り、自己の本当の気持ちを掘り起こし、それが自分の一部であることを受け入れなければならない。「不快な感情」を否定したり拒絶したり非難したりせずに、受け止めることの心地よさを学ぶ必要がある。
BPDの人は、現実に立ち向かうのではなく、運命を呪うことで、自分を正当化しているにすぎないこと、怒りというもっともらしいベールに隠れて、恐ろしい自己分析や、自分を変えざるを得なくなる問題を直視するのを避けているからこそ、無力な自分を脱することができずにいるのだということを理解しなければならない。
そうして立ち向かうには、様々な助けや、努力が必要だ。論理的な思考を身に付けること、自分の感情や、混沌とした思考を掘り下げ、真実を判断するための沢山の材料をもつことも努力のひとつといえよう。僕がそもそも映画や本を読み出したのも、そういった理由からであった。
自分にかかわる最終的な責任はBPDである本人にしかとれない、そしてそれは、どれほど力になろうとする気持ちはあっても、他の誰にも肩代わりすることはできないのだ。
では、BPDの人に対して、我々が力になれることはというと、その材料の提供と、彼らをそういった姿勢へ導いていくこと、そして、決して、自分からはBPDの人への門戸を閉ざさないという覚悟を持つことである。
我々が現在直面している大きな社会問題-児童虐待、家族の崩壊、離婚等-に深く関与する、一貫性がないこの症候群について、詳しく知りたいと切実に願う一般の人々を対象とし、頭だけでなく心情面からも理解できるよう解説。「I HATE YOU -don’t leave me」これが境界性人格障害(以後BPD)の偽らざる真実の状態である。
目次
第1章 BPDの人たちが生きる世界
第2章 カオスと空虚感
第3章 BPDの原因
第4章 BPDを生みだす社会
第5章 理解と治癒
第6章 BPDの人々とのコミュニケーションを築く
第7章 よりよい治療を求めて
第8章 BPDの人たちに対応する
インタヴュー 「境界性人格障害の日本での状況とこれからの課題―その背景を見つめ、希望の光をもとめて」
補遺 ボーダーラインパーソナリティ症候群の発展・進化
僕は幼いころBPDであり、現在、BPDの人とメールのやり取りをしている。
少しでも、その人のことを理解するためにこの本を読んだ。そして、この本に書いていることはすべて、以前の自分と、そして、今やり取りをしている人の特徴に当てはまる。
BPDの人とのコミュニケーションを困難たらしめている最大の要因は、その情緒の一貫性のなさ、爆発的な感情の発露である。
そしてそれは、主として依存している相手にたいして顕著に表れる。もっとも大切に思っている人たちに対して抑制のない怒りをぶつけてしまうのだ。
BPDの人々の心の中には、見捨てられることへの恐怖と、親密になりすぎることへの不安、この二つの相反する感情が混在している。親密さを切望しつつ、同時にそれにおびえ、最もつながりを持ちたいと思っている相手を撥ね付けることになってしまうのだ。
BPDの人々は、安定した核としたアイデンティティをもっていない。つまり、常に他者を過剰に意識しその他者の対応によってぐらぐらと自己像(自分に対する価値)が揺らぐことになる。当然、それは相手との信頼関係においても、同様であり、通常の人が持つべき、対象恒常性に欠けている。対象恒常性とは、相手が離れていても、自分とその人との関係が継続しているという状態に対する認識のことである。境界の人は、自分から、少しでも相手が離れようものなら、自分が見捨てられたと解釈するか、もしくはその恐怖に駆られてしまうのだ。
これはいまだに僕も改善できずにいる問題だが、BPDの人は、矛盾を見過ごすことができない。常に、白か黒、二者択一的な考えをしてしまうのである。対人間に対しても自分に対して、敵か味方か。自分を嫌っているか好いているか。その中間は存在しない。僕は今はそれらの関係はある程度克服したが、善悪のモラルに対して、未だに矛盾を看過できずに、大きな障壁となっている。
BPDを克服するには、まず、変わるべきは自分であって他の人たちではないことを理解しなければならない。自分自身を変えていくためには自分の心と向き合っていくしかない。長年の間に身に付けた意識は、その意識を意識することによって、意図的に努力しなければ変わらないのだ。
二者択一的な感情の改善。幾重にも積み重ねられた感情の層を打ち破り、自己の本当の気持ちを掘り起こし、それが自分の一部であることを受け入れなければならない。「不快な感情」を否定したり拒絶したり非難したりせずに、受け止めることの心地よさを学ぶ必要がある。
BPDの人は、現実に立ち向かうのではなく、運命を呪うことで、自分を正当化しているにすぎないこと、怒りというもっともらしいベールに隠れて、恐ろしい自己分析や、自分を変えざるを得なくなる問題を直視するのを避けているからこそ、無力な自分を脱することができずにいるのだということを理解しなければならない。
そうして立ち向かうには、様々な助けや、努力が必要だ。論理的な思考を身に付けること、自分の感情や、混沌とした思考を掘り下げ、真実を判断するための沢山の材料をもつことも努力のひとつといえよう。僕がそもそも映画や本を読み出したのも、そういった理由からであった。
自分にかかわる最終的な責任はBPDである本人にしかとれない、そしてそれは、どれほど力になろうとする気持ちはあっても、他の誰にも肩代わりすることはできないのだ。
では、BPDの人に対して、我々が力になれることはというと、その材料の提供と、彼らをそういった姿勢へ導いていくこと、そして、決して、自分からはBPDの人への門戸を閉ざさないという覚悟を持つことである。