NHK人間ドキュメント
「ふたりの時を心に刻む」
4年前にアルツハイマー病と診断された越智俊二さん(58)。直前のことも記憶できないもの忘れに苦しむ中で、妻の須美子さんとともに想い出の地をたどる旅をしている。越智さんが覚えておきたい記憶とは何なのか?病と向き合う夫婦を見つめた。
海馬の萎縮によって起きるアルツハイマー。俊二さんは過去の記憶を頼りに生きる。
それを支える妻、須美子さん。
俊二さんは仕事人間で、家庭を顧みる暇がなかった。須美子さんはずっと我慢してきたという思いがある。俊二さんがアルツハイマーになった今、その辛さを打ち明けることはできない。アルツハイマーは、ストレスで悪化する。須美子さんは、勤めて明るく振舞い、その辛さを日記に記し、影で泣く。
しかし、2人は、そんな中で現時点での幸せを模索する。須美子さんは今まで夫と2人の時間が少なかった分、今の時間を大切にしたいと思う。共に旅行し、共に笑う。夫には、旅行の記憶も残らない。でも忘れたっていい。写真を見て、ここに自分がいる、ここにいったんだなあと思うだけで、自分の存在を確認できるから。そこに2人でいた事実は変わらないのだから。
どんな辛い思いがあっても、2人慈しみ、支えあっていることは変わらないのだ。二人が夫婦になったとき、二人は共に人生を歩むと決めたのだから。自分の決めた道だから、途中で、どちらかが倒れても、最期までつれそって歩く。それが夫婦、それが家族。
2人は苦労の中にも幸せを見つけ、愛を育む。

元来家族に限らず、人との関係とはこうであるべきだろう。人と人との絆はそう簡単に切れるものではない。
越智さん夫婦には、何にも揺らがない心の結びつきがある。苦労の中の幸せではないのかもしれない。それは幸せという名の苦労なのだ。
だから、2人は歩んでいける。

泣きながら、笑いながら、我慢しあいながら幸せを模索する2人、そんな夫婦の姿が、幸せそのものであるように思えた。
DVD ジェネオン エンタテインメント 2001/10/10 ¥4,935
毎年、夏になると蓼科の別荘を訪れる新劇のベテラン女優・森本蓉子(杉村春子)と、もう30年以上も別荘を管理している農婦のとよ子(乙羽信子)。今年の夏もその別荘でさまざまな出来事が起きていく。そしてとよ子は、蓉子に向かってある重大な秘密を打ち明けた…。
名匠・新藤兼人監督が、老いと死というすべての人間が避けられない問題に真っ向きって取り組んだヒューマン映画。とはいえ、そこには肩肘張った姿勢など微塵もなく、老いを嘆くでもなく、また特権として振りかざすでもない、あくまでも静かにユーモラスなゆとりも忘れない平常心をもってつづられていく。キネマ旬報ベスト・テン第1位および主演女優(杉村)、助演女優賞(乙羽)受賞など、その年の映画賞を独占した名作。監督の愛妻でもある乙羽信子は、自分がガンであると知った上で本作に出演し、これを自身の遺作とした…と思いきや、その後新藤兼人監督の2000年公開作品『三文役者』にも本人として登場。この夫婦、いや、この監督と女優という生涯のパートナーは、やがて撮るであろう新作のためのドキュメント映像まで、そのとき既に撮っていたのだ!
洋画の「八月の鯨」とかぶるなあ。みんな良い演技してるけど、やっぱり「八月の鯨」とかぶるなあ。
ほへーって感じで見れる映画。ほのぼのと危機感があって、笑いもあって、芯の強さもある。でも、「八月の鯨」なんだよなあ。
ひな祭りっていつだっけ?
行事に疎い僕はとんとそういうことを知らないのだ。
少しはそういうことも覚えなきゃいけないなあ。
でも、僕はなかなか必要に迫られないと憶えないたちでねえ。
そういえば、ひな祭りって、大人の女性も祝うのかな?子供のお祭りなのかなあ?
ここらへんのこと、聞く人によって解釈がまちまちみたいで、う〜ん、どうなんだろう?

最近寝まくって寝まくって。寝まくっているのです。
VHS 松竹 1997/11/25 ¥16,800
妻に先立たれた中年サラリーマン森原は、娘の勧めで結婚情報サービスに入会。そこで出会った、娘ほども歳の離れたOL史華に好意を抱くが、恋に臆病な森原は…。
世の中こんな風には行かないんだろうなあ。それにしてもなんだろうこの題は。
なんかの番組で、某アナウンサーが、無頼派のことを、何にも頼らない人だって言ってて、疑問に思って、無頼を調べてみたところ、
(1)正業につかず、無法な行いをする者。
(2)頼るべきところのないこと。
という風に二通りの意味があった。
アナウンサーは、坂口安吾のことをそういってたわけだけど、文士に対して無頼派という場合、その意味は、後者ではなくあきらかに前者であるはずだ。
だって、坂口安吾は、書くためにアルコールに頼り、眠るために睡眠薬に頼っていた。人間に頼ることのないという意味だとしても、彼もしくはその他の文士達は所帯を持ち、子を宿したりしていたわけで、家族を持ちつつ家庭を放棄することが無頼ですか、そんならそもそも家庭なんて持たなきゃいいのに。
何より、作家という職業自体が、この経済や社会に寄りかかって成り立っているんだから、後者の意味で捕らえるには甚だ無理がある。それはいわば、暴走族やチンピラとその意味合いにおいて変わることがない、中途半端なファッションでしかないんだと思う。無頼という言葉は跡付け的であるから、本人達が意識していたかどうかはわからないが、そんな無頼のやからが一端の道徳論を振りかざすところにそもそもの自己矛盾があるわけで、小説に人間の希望を描くのであるなら、無頼を気取るべきではないし、自らが、その希望に向かって努力しなきゃいけないと思う。
坂口安吾の子供はあんな父親をもう二度と持ちたくないって言ってるし、太宰治は小説のネタを作るために何度も自殺未遂して、挙句の果てに人を道連れにしてるし、檀一雄も家族を蔑ろにしてたし、言い方にもよるけれど、結局は責任放棄、自分勝手な生き様を良しとしちゃってるだけであって、単なる不良。無頼に憧れた長渕剛は、励ましの歌歌いながらも矛盾のある言動行動繰り返し、それを良しとしてる。
無頼に憧れる気持ちはわかる、それは悪ぶる人間がかっこよく見えるのと同じだから、でも、みんな既成の社会に寄りかかってるなかで悪ぶってて中途半端。
そんな中途半端な無頼を認めちゃ、良いも悪いも道徳もなくなってニヒリズムに陥っちゃうよ。
開き直りの罪深さ。俺は、もしくは人間は弱い生き物だから、なんてってそれに甘んじることは、結局は誰かを切り捨てちゃうことで、いくら公益を語っても、自分は私益を優先してることになるわけだからさ。だから無頼は何だかんだで、中途半端な逃避をかっこよく形容してるだけなんだと思うわけ。
じゃあ、人間は弱いけど、そこで止まらずに強くなるために努力しましょうよ。公益と私益の両立を図りましょうよ。開き直らずにさ。かっこつけずにさ。
知行合一ですよ。ソクラテスは偉い。

うひゃあ、支離滅裂。
VHS ビデオメーカー 1994/02/25 ¥16,590
売れない漫画家の日常に、つげ義春の原作マンガの映画化4編(「李さん一家」「紅い花」「ゲンセンカン主人」「池袋百点会」)を挿入したオムニバス。ラストにつげ義春一家が特別出演。石井監督14年ぶりの劇場映画。
ガロ系作家が好きだったりする今日この頃。つげ義春のマンガを友達に貸したら、ただのエロ漫画やん、といってたが、微妙に違う。と思う。初期の頃のつげ作品を知っていると、その変遷はなんとなくピカソを連想させる。
ということで映画はかなりマンガに忠実で、シュール。
気付いたらもう三月になってやんの。まだ28日だあなんて思ってたのに、こういうのってなんての?閏年?閏月?え?全然違う?まあいいや。

やばいなあやばいやばい、書くことねーや。
DVD 日活 2002/11/22 ¥3,990
昭和初期、岡山中学の南部麒六(高橋英樹)は「喧嘩キロク」とあだ名されるほどの喧嘩好きがたたり、放校処分となって会津に転校。下宿屋の娘・道子(浅野順子)に想いを寄せつつ、その地でも腕っぷしひとつでのし上がっていく麒六の、豪快で破天荒な青春像を描いた鈴木清順監督の傑作。
時にナンセンスなユーモアに包まれながらもダイナミズムあふれるアクション描写と、思春期のさわやかなリリシズムとの共存。その一方で、一瞬だけ登場する北一輝を象徴とする暗黒の時代への示唆も忘れてはおらず、それでも喧嘩一筋の道を突き進んでいく麒六の姿に観る者はカタルシスを覚える。若き日の高橋英樹の代表作の1本。可憐というたとえがぴったりなヒロイン浅野順子は、後に大橋巨泉夫人となり芸能界を引退した。
あはは、すごいなあ。この時代の映画にしてはものすごく弾けてるなあ。信じられん。マンガチックだなあ。青臭いなあ。といいながら爆笑しながら、傑作だ傑作だと感極まることでしょう。まあ一度ご覧じあれ。清順すごいなあ。

そば茶

2005年2月28日 趣味
最近、そば茶を飲んでいる。

僕はアレルギー体質だけど、そばに対するアレルギーはないみたいで、アレルギーがない人にとっては、そばは他のアレルギーを抑えたりしてくれる作用があるらしいとのことで、飲んでいるわけだけれど、なかなか香ばしくてうまい。しかも飲むとなんだか、気持ちが落ち着く。カフェインも入っていないから神経質な僕も寝る前に躊躇なく飲めるので良い。

花粉症に効いてくれるといいなあ。
VHS バンダイビジュアル 1991/09/25 ¥16,590
押井監督の近未来バイオレンス・アクション。「赤い眼鏡」(86年)の姉妹編。ケルベロス隊の反乱から3年後、乾は台湾で都々目を探し出すが残党狩りの一段が追ってくる。
押井はアニメ畑の中で演出技術を培ってきたわけで、実写の映画的実践を踏んでいない。その押井が実写を撮ったところでアニメ的演出が露骨に見えたとしても、仕方のないことだと思う。押井の感性自体はアニメでも実写でも通用するものだと思っているし、実写の中で生きてきたなら、実写映画の中での巨匠にもなりえたくらいの才能があると僕は思っている。だけど、押井はやっぱりアニメ界で育ってきたアニメの巨匠なのであって、実写で同じようなクオリティーを要する映画が期待できるようになるには、まだまだ時間が必要だと思う。
僕は、幼い頃から、変わってる、とか、変だって言われつづけてきた。それは強迫での仕草でもあり、僕の考えが自閉的だったからでもあったわけだけど。

でも僕はまわりと変わっているつもりはなかったから、何がみんなと違うのかわからずに苦しかった。そして、みんなの思う普通の子になりたかった。
変に見えない、変わってない、普通の子になりたかった。変わってるということが、幼い頃の僕のコンプレックスだった。

大学に入って、僕は強迫性障害であることを知った。それは、みんなと違うことが僕のせいではなく、脳の障害のせいなのだという意味で、救われた部分があった。しかし、それは僕がどんなに頑張っても強迫が治らない限り、変わってるとみられることから逃れられないという宣告でもあった。

荒俣宏さんがこんなことを言ってた。
「僕はずっと変人だといわれてきた。だから僕は誰にも負けない変人になることを目指した」

僕はこの言葉に救われた。
そうか、僕は頑張っても普通にはなれない。どうせ変わってるなら、思いっきり変わった人間になってやれ。
僕は、多くの人がしないと思うことをしようと決めた。だから、映画を一日に7本見たり、ただがむしゃらに本を読んだり、その本は、あえて古典を選んだりした。

そしてそれは僕の普通にはなれないという絶望感が、コンプレックスが、普通になれないならせめて中途半端に変でありたくないというひねくれた反骨精神に結びついて起こした行動だったと思う。

政治学者のラズウェルは、周囲から低い評価を受けるなどして価値剥奪にあったものが、その心理的補償を求めて権力を追求するようになるといったけど、僕にも、心理的作用が働いていたんだと思う。
僕の場合は、権力ではなくて、自分の価値観を強烈な個性に求めたんだけど。強烈な個性が剥奪された価値を補完してくれると思ったんだろう。

いま考えれば、凄い幼稚な理由だと思う。
だけどそれは結果的に、僕に様々な考えを提供してくれて、僕は読書の楽しみに目覚め、自分の中の偏見に気付かせてくれて、世の中に普通だとか変だとかはなくて、自分は自分であればいいんだという風に思えるように仕向けてくれるきっかけになった。

今でも、まわりのみんなとの違いに悲しくなったりする弱い心が僕にはある。だけど、悲しくなったときは、なぜか勉強がよく出来る。それは勉強することで、自分の価値を補完しようとしてなのかもしれないが、それが行動力に結びついてるのだとすれば、コンプレックスを持つこともあながち無駄ではないなあと思えてくる。

現実逃避でもコンプレックスでも何でもいいと思う。それが結果的に良い方向の行動力のエネルギーに結びつくのであれば、世の中に無駄なことはない。
コンプレックスがなければ、僕はみんなが一人一人違っていて、この世に普通、や、変、なんてものはないってことに気が付かなかっただろうから、僕は、人生における貴重なことをコンプレックスから学べたんだとおもう。
VHS 日活 1998/09/04 ¥3,990
磐梯山の麓の田舎町を舞台に、署長(三島)以下の人情家の警官たち(森繁、三國、宍戸ら)と貧しい農民たちとの交流を、さまざまな事件(捨て子、村娘の身売り、大臣の帰郷・・・)を通して綴った、ユーモアとペーソスに満ちた人情風俗劇の名作。捨て子の幼い姉に扮した二木の名演が話題になった。久松監督の日活入社第一回作。続編が作られた。
今は亡き映画館が、つぶれる直前にやっていた昭和の映画上映で、見てきた。客はいつも大体僕一人。でも、昔の映画を大きなスクリーンで見れる機会ってめったにないのにもったいないなあなんて思いつつ。
徹夜で見に行ったので、非常に辛かった。なぜなら、数々のエピソードが並列的に並べられて、こう、気分の高揚するところがないというか、こう、テンションの起伏に乏しいというか、しかも非常に長かったし。徹夜じゃなくて、万全の状態でみたのならまた違った感慨も生まれたのかもしれないけど、う〜ん、なんだか、オムニバスみたいで、映画としての芯にかけるというか。でも、こういった小さなエピソードを淡々と描くことこそが、庶民の風俗であって、それがこの映画の芯だったのだと考えれば、そういう映画のあり方もまた一つの重要なジャンルだよなあと納得。
ディカプリオ主演の「アビエイター」はハワードヒューズの映画だけど、ハワードヒューズは、強迫性障害だったわけで、潔癖症だったわけで、その部分はやはり外せないだろうと。

この映画を見たわけではないけれど、何かの雑誌を読んだところによると、ヒューズの潔癖症をスコセッシは母親とのトラウマに結び付けてるみたい。

その頃強迫性障害がまだ病名も明らかにされていなかったころだから、それはそれでしょうがないのかもしれないけど、同じ障害を持つ身をとしては、トラウマとかじゃなく、純粋に障害をして描いてほしかったなあとちょっぴり残念に思ったりしてる。
DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2002/03/29 ¥4,935
1920年代のイタリア、アドリア海には空賊相手の賞金稼ぎをしている豚がいた。「飛ばねぇ豚はただの豚だ」とのたまう彼の名はポルコ・ロッソ。紅の翼の飛行艇を乗りこなすこの豚の活躍を小気味よく描いた航空活劇である。
『となりのトトロ』などを手がけた宮崎駿監督作品だが、一連の宮崎作品に比べるとカジュアルで軽快な出来に仕上がっているのが特徴。中年男(いや、豚)が主人公というのもめずらしい。歌手の加藤登紀子が主題歌のみならず声優として参加したことでも話題になった。
荒々しくもいとおしい飛行艇乗りたちの姿や、クライマックスの空上の対決シーンなど世代を越えて楽しめることは間違いないが、豚なのに、いや豚だからこそ自由に生きるポルコを見れば、「飛ぶこと」を忘れてしまった大人ほど感じるところは多いかもしれない。
フランス版のポルコの声をしたジャン・レノは音楽が痛く気に入ったらしく、カセットに録音して車の中で聞いているらしい。
確かに音楽がいい。宮崎作品の中でも1、2を争うくらいに音楽がいい。
それにこの長閑さがいい。かなり何度もみたような気がする。魔女宅よりも好き。でもこの豚は監督だよなあ。
ラストの歌を聞くとなぜだか涙が出てきてしまうの。ノスタルジー人間だからかなあ。

七起き八転び

2005年2月25日
最近読書というものをしていない。この場合の読書とはすなわち趣味の読書であって、公務員のテキストは嫌になるくらい読んでるから、もう嫌。
今ままでは勉強の休憩中に趣味の本を読んでたりなんかしたけど、最近は、その時間なにをしてるのかというと、テニスのビデオを見てる。
僕は中学から取りためた200本以上のビデオがあって、それを一本ずつ見ていってる。2000年の頃の大会なんかを見ていると、ああ、もう5年も経ったんだなあと感慨深い、というか、月日がたつの速すぎ。特に高校卒業してから、なんてこった。

さて、ここは人生計画をきっちり立て直さなくては。
まず、また読書を始める。睡眠時間を減らす。テニスのビデオは1日一時間まで。ネットは夜寝る前。ロトシックスで、4億当てる。それを軍資金に大物になる。トレーニングルームと書斎とテニスコートとホームシアターとカラオケルームのついた一軒家を街から程近い田舎に建て、有閑文学青年風な映画マニアのテニスプライヤーとして、残り80年の余生を全うする。

という風に妄想を膨らまして遊んでなんかいるから未だに公務員にもなれない引きこもりなんだろうな。
DVD 東宝 2002/11/21 ¥6,300
時は戦国時代、武将・鷲津武時(三船敏郎)は、妻・浅茅(山田五十鈴)にそそのかされて主君を殺害し、その城主となるが、朝茅は次は親友の三木義明(千秋実)を殺害するよう強要する…。
黒澤明監督が敬愛するシェークスピアの『マクベス』を戦国時代に翻案して描いた、幻想と恐怖に彩られた人間の業を露にする戦国絵巻。武時に謎の予言を伝える老婆(浪花千栄子)の不気味な幽玄性や、「森が動く」という台詞どおりに本当に森が動いたとばかりに驚嘆させる映像技術の素晴らしさ、そしてクライマックスでは、主人公に本当に無数の矢を射かけていくという、ダイナミズムを通り超えた恐怖の演出をも堪能できる。能を効果的に用いた佐藤勝の音楽も秀逸で、彼は本作から黒澤娯楽映画絶頂期の音楽をことごとく担当し続けることになった。
マクベス原作だから、読んでからみたほうがおもろいかも。黒澤は、悲劇というより、ホラー仕立てにしててそれが功を奏しているように感じる。「乱」と比べると、より原作に忠実だと思う。イギリスでは、「マクベス」の映画化作品の中で最高の出来と評価されているらしいね。ラストの三船の顔は迫真だなあ。ほんとに三船に向かって矢が放たれたって逸話があるけどほんとんあのかなあ?
ちなみに僕もこの作品かなり完成度が高いと思う。
テニス倶楽部で、主婦の方々から、僕が何かに似ていると。
え?何に何に?

犬のような目をしてる。犬ですか?
もう一人の主婦の方、そうそう、私の家で飼ってるダックスフンドに似てるって、ダ、ダックスフンドですか^^;

でもどうやら誉められてるらしい、優しい目をしてるのに、テニスになると、どこからそんなパワーが出てくるの?って、これは、つまりウエイトトレーニングです、なんていわなかったけどね。

それにしても、なぜ僕はミニラとかグレムリンとか、しまいにはダックスフンドとか、人間じゃなくて、動物、もしくは怪獣ORモンスター系ばかり上げられるのだろうか?

ちなみに、公務員学校だったとき、ある女の子が、私の先輩に似てるって、やっと人間だけど、先輩じゃわかりません。
ある日、模試の日に友達と飯を食ってたら、目の前を綿みたいな埃みたいなのが飛んでて、その友達、「あっ、キタム君がとんでる」って、いくらなんでも埃には似てないだろうに。
極めつけはよく遊ぶ友達、僕が誰に似てる?なんて聞いてもいないのに、志村ケンとか、加藤チャとか、左トンペイとか車だん吉とか、に似てるという。まあ、ネタだけど。

悔しいから、なんてのは嘘だけど、髪を切ってサッパリしてナチュラルなヘアーにして、写メで友達に送ったら、堂本光一に似てるって言ってくれた。お世辞だとしてもありがとう(T∇T) ウウウ
DVD PIASM 2002/03/22 ¥4,935
宮澤賢治の代表作である同名作品と、同作をもとにキャラクターを猫に置き換えて描かれたますむらひろしの漫画作品をそれぞれ原作と原案に、「タッチ」の杉井ギサブロー監督、劇作家の別役実脚本、そして細野晴臣音楽の豪華スタッフによって1985年に制作された劇場用長編アニメーション。
病気の母と暮らし、帰らない父を待つ少年ジョバンニ。星祭りの夜、丘の上で一人空を見上げていたジョバンニのもとへ、鉄道が到着する。乗り込むとそこには親友カムパネルラがいた。2人は永遠の友情を確認するかのように旅立つが、やがて別れのときが訪れる。
キャラクターが猫であることや、原作に対する解釈をめぐって賛否両論別れるものの、独りぼっちのさみしさや切なさ、さらに夏の夜の微妙に涼しい空気感まで感じさせてくれる。
宮沢賢治は詩集「春と修羅」において、自己の位相を修羅(人間よりも卑しい身分の神)に見出した。修羅は、憂悶と悲傷、しかし深い洞察力を持つ。この作品のカンパネルラというキャラクターの中に、修羅、否、賢治を見出せないだろうか。その姿勢を貫こうと思えば、ストイシズムを自分に強いることも避けられぬ必然であろう、が、僕は、それを生涯において実行しようとした賢治のような人間に、畏怖と共に憧憬の眼差しを向けずにはいられないのである。
なんちゃって、作品自体とても幻想的な仕上がりで、素晴らしいです。
この二日7時間睡眠+日曜上半身筋トレ、月火走り込みで、さすがに疲れたのか、勉強してても全然集中できない。
7時間、睡眠って充分じゃんとはこれ普通の反応、しかし僕には少ない。という情けない体質。意識朦朧、炭酸で脳みそに喝方式もここまで眠いとあまり意味をなさない。
ここで眠るとまた生活狂ってまうよ〜っと必死に我慢してたけど、もう限界、午後七時に、ええい、8時半まで仮眠取るのだと横になったが運の尽き。僕は仮眠を取れない人なのだ。一時間半で起きるなど到底できることではなく、そのまま12時間睡眠、途中母親が仕事から帰ってきてぷりぷり怒っていたようだが、僕はというと、夕食も風呂も忘れてひたすら眠りを貪ってしまったので、ダイエットになるわ節約だわ、あきゃきゃ。
DVD ポニーキャニオン 2004/03/03 ¥2,625
フリーの翻訳家の笑子(薬師丸ひろ子)は、親の勧めで医者の睦月(豊川悦司)とお見合いすることに。笑子は自分がアルコール依存症であることを、睦月は自分が同性愛者であることをそれぞれ告白し、お互い納得の上で結婚。しかし、睦月の恋人・紺(筒井道隆)の存在や、次第に自分が睦月を愛し始めていることに気づいた笑子は戸惑い、混乱していくのだが……。
江国香織の同名小説を『バタアシ金魚』『さよならクロ』などの松岡錠司監督が繊細なタッチで映画化したラブストーリーの秀作。女ひとりと男ふたりの三角関係がタイトルさながらの透明感にみちた不思議なきらきら感で包まれ、観る者をいつしか切なくも温かい気持ちにさせてくれる。主演3人がみな新境地ともいうべき役どころだが、それぞれ健気に取り組んでいるのも好感の持てるところである。
やっぱり薬師丸ひろ子なんですよ。僕は彼女の演技がなんとなく好きでね〜。
小説を読んでからみたけれど、小説の世界観、透明感がちゃんと描かれていて、とっても良い仕事してますね。小説とはまた違ってるけど、ラストのあのたどたどしい幸福感とでもいうか、なんともいえない余韻がいいね。とっても大好きな作品になりました。

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