感情は相対的か絶対的か?
2005年3月27日 僕の思ったこと感情というものに対する疑問。
人はよくこのくらいのことで悲しむな、傷つくなみたいなことを言うわけだけど、そういった場合、自分の哀しみの尺度を基準として相手の悲しみを相対的に判断しているわけで、それって僕は間違ってるんじゃないかって思うわけ。
喜びや哀しみの感情って、ある一定の区別は判断できるよね。だから、映画にしても娯楽物や悲哀物とジャンル分けされてるわけで。だけどそれはあくまでもある一定の、大まかな区切り(総人間的)においてであって、そういう場合の感情は、まあ、相対的に判断することができるよね。こういう場面では多くの人は笑うだろうなあ、幸せに感じるだろうなあ。傷つくだろうなあ。悲しむだろうなあ。というようないわば「感情の種類」。
感情の種類は人はある程度特定できるんだと思う。
そして、僕はこの感情の種類を、マクロ的な感情、って定義したい。そして、このマクロ的に見た感情は相対的といっていいと思う。
マクロがあればミクロもあるわけで、ミクロ的に見た感情っていうのは、個人的な経験に根ざした「感情の深さ」のことだと思う。
冒頭に記したように、人が、他人の悲しみに対して、この程度のことで悲しむなっていう場合には、明らかにこの感情の深さ、に言及しているわけなんだけど、悲しんでいる人の悲しみが、どのくらい深い悲しみなのかってことは、その人の人生を送ってみないと、その人自身になってみないと完全には理解しようがないわけでしょう。過去の経験により、他の人にはささいなことでも、その人には立ち直れないくらい傷ついちゃうこともあるわけなんだから。
僕達は、その場の状況だけでは、どういった種類の感情かはある程度判断できても、それがそれぞれの人にどのくらいの深さの感情を喚起させるのかってことは、みんなの育ってきた人生だけ様々な種類の深さがあるんだから、判断の仕様がないし、基準もないよね。
それなのに、冒頭のように自分の感情の深さを基準として、相手の感情の深さの高低を決めるのは明らかに間違ってるでしょ。
感情の深さは、ミクロ的な感情は、その人自分自身だけが判断できる絶対的なものだと僕は思う。つまり、その人がとても悲しいと感じるなら、どんな状況であっても、どんなささいなことであっても、その人にとってはとても悲しいということは紛うことない真実なんだよね。
だから、僕達が相手の感情に何か言及するとしても、何か力になるとしても、例えば悲しんだり苦しんだりしている人に、僕達がやるべきことは、自分の感情で相手の感情を判断することではなくて、一旦自分の感情を度外視して、相手自身の絶対的な感情、哀しみや苦しみの深さを可能な限り理解しようと努力することなんじゃないだろうか。
もちろん絶対的な感情ゆえ、その人にならない限り、完全な理解は出来ないが、せめて相手の気持ちに少しでも近づけることができれば、それだけ、理解ある発言ができ、結果、相手の共感を得られたり、力になれたりする可能性も高まるのではないだろうか。
人はよくこのくらいのことで悲しむな、傷つくなみたいなことを言うわけだけど、そういった場合、自分の哀しみの尺度を基準として相手の悲しみを相対的に判断しているわけで、それって僕は間違ってるんじゃないかって思うわけ。
喜びや哀しみの感情って、ある一定の区別は判断できるよね。だから、映画にしても娯楽物や悲哀物とジャンル分けされてるわけで。だけどそれはあくまでもある一定の、大まかな区切り(総人間的)においてであって、そういう場合の感情は、まあ、相対的に判断することができるよね。こういう場面では多くの人は笑うだろうなあ、幸せに感じるだろうなあ。傷つくだろうなあ。悲しむだろうなあ。というようないわば「感情の種類」。
感情の種類は人はある程度特定できるんだと思う。
そして、僕はこの感情の種類を、マクロ的な感情、って定義したい。そして、このマクロ的に見た感情は相対的といっていいと思う。
マクロがあればミクロもあるわけで、ミクロ的に見た感情っていうのは、個人的な経験に根ざした「感情の深さ」のことだと思う。
冒頭に記したように、人が、他人の悲しみに対して、この程度のことで悲しむなっていう場合には、明らかにこの感情の深さ、に言及しているわけなんだけど、悲しんでいる人の悲しみが、どのくらい深い悲しみなのかってことは、その人の人生を送ってみないと、その人自身になってみないと完全には理解しようがないわけでしょう。過去の経験により、他の人にはささいなことでも、その人には立ち直れないくらい傷ついちゃうこともあるわけなんだから。
僕達は、その場の状況だけでは、どういった種類の感情かはある程度判断できても、それがそれぞれの人にどのくらいの深さの感情を喚起させるのかってことは、みんなの育ってきた人生だけ様々な種類の深さがあるんだから、判断の仕様がないし、基準もないよね。
それなのに、冒頭のように自分の感情の深さを基準として、相手の感情の深さの高低を決めるのは明らかに間違ってるでしょ。
感情の深さは、ミクロ的な感情は、その人自分自身だけが判断できる絶対的なものだと僕は思う。つまり、その人がとても悲しいと感じるなら、どんな状況であっても、どんなささいなことであっても、その人にとってはとても悲しいということは紛うことない真実なんだよね。
だから、僕達が相手の感情に何か言及するとしても、何か力になるとしても、例えば悲しんだり苦しんだりしている人に、僕達がやるべきことは、自分の感情で相手の感情を判断することではなくて、一旦自分の感情を度外視して、相手自身の絶対的な感情、哀しみや苦しみの深さを可能な限り理解しようと努力することなんじゃないだろうか。
もちろん絶対的な感情ゆえ、その人にならない限り、完全な理解は出来ないが、せめて相手の気持ちに少しでも近づけることができれば、それだけ、理解ある発言ができ、結果、相手の共感を得られたり、力になれたりする可能性も高まるのではないだろうか。
DVD ジェネオン エンタテインメント 2004/11/25 ¥2,500
サンフランシスコで、引退したロックスターが殺害された。殺人課の刑事ニックは、被害者の恋人キャサリンを調査する。殺人事件の様子が、キャサリンが書いた小説に酷似していたからだ。だが、事件は意外な展開を見せる。結局あの女が犯人なん?とか友達に聞いたら、「当り前やろ〜、お前何見とん」っていわれた経験あり。あんっまりまじまじ見なかったからなあ。でもそんなに当り前だったんだろうか。シャロンストーンって確かIQめちゃたかじゃなかったっけ?どうでもいいことだけど。
当時映画史上最高の300万ドルという脚本料が支払われ、さらに全米では公開まで試写をいっさい行わなかった本作。にもかかわらず、公開するや大ヒットしたセクシャルバイオレンス映画である。
この映画で一躍セックスシンボルとなったシャロン・ストーンの、体当たりな演技が見ものだ。刑事ニックに扮するのは、マイケル・ダグラス。その恋人の心理学者に、これが映画デビューとなるジーン・トリプルホーンが扮している。監督は、バイオレンスものが得意なポール・バーホーベン。彼の代表作といえるだろう。
こんな夢を見た。「僕は救世主!?」
2005年3月26日 夢あるでかいスーパーのスタッフルームで、僕達は有志を募って製作した映画を編集している。
僕はフィルムを切ってつなぎ合わせる係りだ。
そんなことをしているうちに外の天気が悪くなって世紀末的様相を呈してきた。
たくさんの民間人がこのスーパーに避難してくる。子供を抱き、不安げにうずくまる老婆。
僕達の脳内に轟く声、「もうすぐ恐怖の大王があらわれる」
僕はたった今超人的な力を持っていることに気がついた。
僕は映画「アキラ」に出てくる鉄男のような姿をしていることに気がついた。
皆が僕を救世主だと言い出した。
そうだ、僕がこの世に生まれてきた使命は今日この日に人々を恐怖の大魔王から守るためだったことに気が付いた。
僕はスーパーの外に広がる荒野、吹きすさぶ風の中に立って大王の来るのをまつ。意外に生暖かい風で気持ちよい。みんなから羨望の眼差しで見られて手気持ちよい。しかしなかなか大王がこない。腹が減ってきた。どうやら待ち合わせの時間より速すぎたみたい。立ってるのも疲れたので、ひとまず、スーパーの中に戻る。
腹が減っては戦が出来ん、といって何か食べるものはない?と同じ映画サークルの友人に聞いたところ、差し出されるアイスクリーム。違う違う、もっと脂っこいがつんとしたものないかなあ、と目の前にあった揚げパン。これこれこれだよう!とむしゃぶりつく。とても上手いので、友人にも食べさせると、口コミで広がって、スーパーで一大揚げパンブームが到来する。学校帰りのコギャル難民が揚げパンの買って帰りだした。
腹もいっぱいになったことだし、後輩に、大王が来たら知らせてといって、僕はスタッフルームの自分のベットで食後の仮眠を取る。
僕はフィルムを切ってつなぎ合わせる係りだ。
そんなことをしているうちに外の天気が悪くなって世紀末的様相を呈してきた。
たくさんの民間人がこのスーパーに避難してくる。子供を抱き、不安げにうずくまる老婆。
僕達の脳内に轟く声、「もうすぐ恐怖の大王があらわれる」
僕はたった今超人的な力を持っていることに気がついた。
僕は映画「アキラ」に出てくる鉄男のような姿をしていることに気がついた。
皆が僕を救世主だと言い出した。
そうだ、僕がこの世に生まれてきた使命は今日この日に人々を恐怖の大魔王から守るためだったことに気が付いた。
僕はスーパーの外に広がる荒野、吹きすさぶ風の中に立って大王の来るのをまつ。意外に生暖かい風で気持ちよい。みんなから羨望の眼差しで見られて手気持ちよい。しかしなかなか大王がこない。腹が減ってきた。どうやら待ち合わせの時間より速すぎたみたい。立ってるのも疲れたので、ひとまず、スーパーの中に戻る。
腹が減っては戦が出来ん、といって何か食べるものはない?と同じ映画サークルの友人に聞いたところ、差し出されるアイスクリーム。違う違う、もっと脂っこいがつんとしたものないかなあ、と目の前にあった揚げパン。これこれこれだよう!とむしゃぶりつく。とても上手いので、友人にも食べさせると、口コミで広がって、スーパーで一大揚げパンブームが到来する。学校帰りのコギャル難民が揚げパンの買って帰りだした。
腹もいっぱいになったことだし、後輩に、大王が来たら知らせてといって、僕はスタッフルームの自分のベットで食後の仮眠を取る。
映画 『荒野の用心棒』
2005年3月26日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2002/08/23 ¥3,990
ニューメキシコ国境の町サン・ミゲル。ふたつの無法者勢力が争い続けるこの町に、ふらりと現れた風来坊ガンマンは、互いの勢力をうまくだましながら、それぞれを破滅へと追いやっていく…。もうね、これは「荒野の七人」以上にまんま、黒澤なんだよなあ。イーストウッドのあのひげ面も、明らかに三船だし、映画の細部もまったく用心棒しちゃってるし。でもこれはこれで面白かったけどね。
黒澤明監督の傑作時代劇『用心棒』を翻案し、1960年代イタリア製西部劇=マカロニ・ウェスタンの一大ブームを築き上げたセルジオ・レオーネ監督の出世作。それまでになかった流血と荒唐無稽なアクション描写は、やがては本場アメリカ製西部劇にも大きな影響を与えることにもなった。それと同時に、主演クリント・イーストウッドをスターダムにのしあげた記念碑的作品としてもたたえられる。くわえ葉巻でポンチョをまとう髭面イーストウッドのニヒルなかっこよさ。エンニオ・モリコーネ作曲によるハイエナのようなメロディの数々が、そんな彼を一段と魅力的に映えさせている。
黒澤明は、
「僕らがやさしいといっても、例えば大変な悲惨なものを見たとき目をそむけるようなそういうやさしさだが、あの人は目をそむけないで見てしまう、一緒に苦しんでしまう。そういう点、人間じゃなくて神様みたいな素質を持っている」
とドストエフスキーのことを言っていたし、黒澤自身もそういう人間の理想に根ざした映画を撮りつづけてきた。
中島みゆきは、こういっている。
「私は元来もたもたしているので、時代の先端を走ることはできない。変わりに、そういった流れから置いていかれたもの、零れ落ちたもの達を拾って歩いていきたい」
ドストエフスキーと中島みゆきの姿勢。これは表現は違えど、一緒だと思う。皆が捨ててしまうものとは、世の中で皆が見たがらないもの。語りたがらないこと。大多数の人々が否定すること。そういったものに目を向けていきたい。
今の時代、先端を行く、流行を先どる物はあふれている。いくらでもチョイスできる。普通に感動したり、笑ったり、喜んだりできるものは世の中にあふれている。
でも、世の中には、そういったものでは救われない人もまたいる。
明日の命さえもわからない人たち。人間のあさましさに妥協できずにもがきつづける人たち、人生のトラウマにより、日常の出来事では、感情を動かすことが出来なくなってしまった人たち。人間を信じることが出来なくなってしまった人たち。
世間から置いてけぼりになってしまった人たちのために、ドストエフスキーも中島みゆきも、流れから零れ落ちたものを拾って作品を作る。そういった作品は、多くの人からは目を向けられず、日の目を見ることはない。
だが、零れ落ちた、取り残されたものに目を向け、そしてそれによって救われる人々も、必ずいるのだ。
誰もが要らないと、考えたくないと捨ててしまった物によって命をつなぎとめる人たちがいる。しかし、零れ落ちたものを拾い、その人たちに渡してあげる人がいなければ、その人たちはどうなるだろう?
僕達は、前ばかりを見て走っているけど、遅れた人たちを見殺しにしていいのだろうか?
捨てていったものは本当にいらないものだったんだろうか?つまり、考える必要のないもの。見なくていいもの。否定すべきもの。だったのだろうか?
前を向いて走る僕達には必要ないかもしれないことでも、もし、僕達が足をくじいたら?捨てたものが必要になるかもしれない。皆においてかれそうになったとき、皆が振り向いて手を取ってくれることを望まない人がいるだろうか?
だから、世の中に考えなくてよいことなんてない。いや、考えたくないっていって誰もが目を向けないような部分を積極的に表現していく人は凄いと思う。
人の死を歌にし、あさましさを小説にし、世に考えてくれと問い掛ける。先端を走り、後ろを振り向かない人は、きっとそういうことを暗い、とかつらい、とか言って捨てちゃうのだろう。だけど、それが必要な人にとっては、光であり、それを持つ事が、幸福へ繋がるのだ。
実は、零れ落ちたものを必要としている人って、今の時代、案外多いんじゃないかと思う。
いずれにしろ、僕は零れ落ちたものを拾い、そして置いてけぼりになった人々のために振り向き手をとる人たちが好きだ。
そして僕も、そんなに速く走らなくていいから、なるたけこぼすを物を少なく、後ろを振り返りながら歩んでいきたいなあって思う。
「僕らがやさしいといっても、例えば大変な悲惨なものを見たとき目をそむけるようなそういうやさしさだが、あの人は目をそむけないで見てしまう、一緒に苦しんでしまう。そういう点、人間じゃなくて神様みたいな素質を持っている」
とドストエフスキーのことを言っていたし、黒澤自身もそういう人間の理想に根ざした映画を撮りつづけてきた。
中島みゆきは、こういっている。
「私は元来もたもたしているので、時代の先端を走ることはできない。変わりに、そういった流れから置いていかれたもの、零れ落ちたもの達を拾って歩いていきたい」
ドストエフスキーと中島みゆきの姿勢。これは表現は違えど、一緒だと思う。皆が捨ててしまうものとは、世の中で皆が見たがらないもの。語りたがらないこと。大多数の人々が否定すること。そういったものに目を向けていきたい。
今の時代、先端を行く、流行を先どる物はあふれている。いくらでもチョイスできる。普通に感動したり、笑ったり、喜んだりできるものは世の中にあふれている。
でも、世の中には、そういったものでは救われない人もまたいる。
明日の命さえもわからない人たち。人間のあさましさに妥協できずにもがきつづける人たち、人生のトラウマにより、日常の出来事では、感情を動かすことが出来なくなってしまった人たち。人間を信じることが出来なくなってしまった人たち。
世間から置いてけぼりになってしまった人たちのために、ドストエフスキーも中島みゆきも、流れから零れ落ちたものを拾って作品を作る。そういった作品は、多くの人からは目を向けられず、日の目を見ることはない。
だが、零れ落ちた、取り残されたものに目を向け、そしてそれによって救われる人々も、必ずいるのだ。
誰もが要らないと、考えたくないと捨ててしまった物によって命をつなぎとめる人たちがいる。しかし、零れ落ちたものを拾い、その人たちに渡してあげる人がいなければ、その人たちはどうなるだろう?
僕達は、前ばかりを見て走っているけど、遅れた人たちを見殺しにしていいのだろうか?
捨てていったものは本当にいらないものだったんだろうか?つまり、考える必要のないもの。見なくていいもの。否定すべきもの。だったのだろうか?
前を向いて走る僕達には必要ないかもしれないことでも、もし、僕達が足をくじいたら?捨てたものが必要になるかもしれない。皆においてかれそうになったとき、皆が振り向いて手を取ってくれることを望まない人がいるだろうか?
だから、世の中に考えなくてよいことなんてない。いや、考えたくないっていって誰もが目を向けないような部分を積極的に表現していく人は凄いと思う。
人の死を歌にし、あさましさを小説にし、世に考えてくれと問い掛ける。先端を走り、後ろを振り向かない人は、きっとそういうことを暗い、とかつらい、とか言って捨てちゃうのだろう。だけど、それが必要な人にとっては、光であり、それを持つ事が、幸福へ繋がるのだ。
実は、零れ落ちたものを必要としている人って、今の時代、案外多いんじゃないかと思う。
いずれにしろ、僕は零れ落ちたものを拾い、そして置いてけぼりになった人々のために振り向き手をとる人たちが好きだ。
そして僕も、そんなに速く走らなくていいから、なるたけこぼすを物を少なく、後ろを振り返りながら歩んでいきたいなあって思う。
映画 『荒野の七人』
2005年3月25日 映画〔洋画〕
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2002/04/12 ¥2,625
西部劇版七人の侍。三船を演じた役(なんて名前だっけ?)と若造の役(なんて名前だっけ?)が混じったキャラクターが出てきてる。
ちょっぴり違うけど、ほぼ日本の七人の侍と筋は一緒なので、日本版を見てから、色んなところを突っ込みながら見るのもまたいいかも。
黒澤明監督の名作『七人の侍』を、『OK牧場の決闘』など西部劇の巨匠ジョン・スタージェス監督が、舞台をメキシコに置き換えてリメイクしたウェスタン大作の傑作。
度重なる野盗の襲撃から身を守るため、村人たちが7人のガンマンを雇う。そのメンバーは、ユル・ブリンナー(そもそも『七人の侍』にほれこんだ彼がリメイク権を獲得して製作)、スティーヴ・マックィーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ボーンなどなど。目にも止まらぬ早業ガンプレイの数々やダイナミックな戦闘シーン、シネスコ画面を見事に活かした構図の美しさ、そしてエルマー・バーンスタインの血沸き肉躍る音楽の素晴らしさ。
本家が時代劇の頂点なら、こちらもまた西部劇のトップクラスに位置するおもしろさを誇る名作中の名作となった。後に3本の続編も製作されている。
西部劇版七人の侍。三船を演じた役(なんて名前だっけ?)と若造の役(なんて名前だっけ?)が混じったキャラクターが出てきてる。
ちょっぴり違うけど、ほぼ日本の七人の侍と筋は一緒なので、日本版を見てから、色んなところを突っ込みながら見るのもまたいいかも。
スパゲッティーはミート君
2005年3月24日僕はいつもテニス倶楽部にいったあと、オーガニックのレストランに行って昼食を食べるわけだけど、そこで食べるのはいつもサンドイッチかスパゲッティ。それに色んなフルーツをミックスしたジュースを頼む。
スパゲッティは、いつもミートソース。小さい頃からスパゲッティといえばミートスパ。だから今も店で食べるのもどうしてもミートになってしまう。味的にはナポリタンでもいいんだけど、僕は玉ねぎが嫌いなので、無難な線でミート。でも、ミートスパってスパゲティの中で一番うまいと思うんだけど。いつもこのオーガニックのレストランに来たときは他のスパゲティに挑戦しようと思うんだけど、どう考えてもミートスパが一番うまいと思われて、結局ミート頼んでしまう。
ボンゴレだとかめんたいだとか、嫌いじゃないけど、やっぱりミートかなあ。どうせ一食食うならミートだよなあ。と、まったくもってこれは貧乏性なのかなあ。
ちなみに、ラーメン通には悪いけど、僕が一番うまいと思うラーメンはインスタントの札幌一番味噌ラーメンか塩ラーメン。どんなラーメン屋で食べたラーメンよりもインスタントのほうがすきなのは、おそらく幼い頃から食べつけて、もうこれがラーメンなんだと脳みそが判断しちゃってるからなんだろうなあ。だからはじめてラーメン屋でラーメン食べたときは、インスタントの麺よりも、太くて、縮れてなかったもんだから、ラーメンって感じしなかったもんな。まあ、たんにラーメン屋で食いなれてないだけなんだろうな。貧乏性だなあ。
スパゲッティは、いつもミートソース。小さい頃からスパゲッティといえばミートスパ。だから今も店で食べるのもどうしてもミートになってしまう。味的にはナポリタンでもいいんだけど、僕は玉ねぎが嫌いなので、無難な線でミート。でも、ミートスパってスパゲティの中で一番うまいと思うんだけど。いつもこのオーガニックのレストランに来たときは他のスパゲティに挑戦しようと思うんだけど、どう考えてもミートスパが一番うまいと思われて、結局ミート頼んでしまう。
ボンゴレだとかめんたいだとか、嫌いじゃないけど、やっぱりミートかなあ。どうせ一食食うならミートだよなあ。と、まったくもってこれは貧乏性なのかなあ。
ちなみに、ラーメン通には悪いけど、僕が一番うまいと思うラーメンはインスタントの札幌一番味噌ラーメンか塩ラーメン。どんなラーメン屋で食べたラーメンよりもインスタントのほうがすきなのは、おそらく幼い頃から食べつけて、もうこれがラーメンなんだと脳みそが判断しちゃってるからなんだろうなあ。だからはじめてラーメン屋でラーメン食べたときは、インスタントの麺よりも、太くて、縮れてなかったもんだから、ラーメンって感じしなかったもんな。まあ、たんにラーメン屋で食いなれてないだけなんだろうな。貧乏性だなあ。
映画 『荒野の決闘』
2005年3月24日 映画〔洋画〕
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2004/05/21 ¥4,179
原題はいとしのクレメンタインかなんかだったような。邦題うまくいってるよね。ということで西部劇だからか、内容はいまいち覚えてない。
82年、ワイアット・アープはアリゾナ州トゥームストン近くで、末弟を殺された。犯人はクラントン父子と目をつけたワイアットは、トゥームストンの保安官となって逮捕の機会を待った…。ガッツ石松のOK牧場ってこのことだったのかあ。
西部劇の神様ジョン・フオードが、実在のアープとドク・ホリデイらを描いた、西部劇史上に残る名作。主題歌『いとしのクレメンタイン』に表れているように、詩情豊かに登場人物を描き、クラントンにはフォード一家のウォルター・ブレナン、ドク・ホリデイにはヴィクター・マチュアが扮している。ラストのOKコラルにおける馬をはさんだ対決や、馬車のあげた砂煙の向こうに敵を見つけて撃つなど、フォードならではの名調子がすばらしい。
原題はいとしのクレメンタインかなんかだったような。邦題うまくいってるよね。ということで西部劇だからか、内容はいまいち覚えてない。
やっかいやよね
2005年3月23日バタン♪Ю―(^O^ )ゞ ただいま戻りました、マンションに。
早速パソコンを開いてネットしようとしたら、ネットが開かない。テレビとパソコンにケーブルから二つに枝分かれしてるんだけども、それを外して、直接、ケーブルをネットに繋げたら、ネットが繋がった。どうやら、ネットとテレビを繋げてる部分が悪いみたい。ネットはできるようになったけど、ネットしてる間はテレビ見れないし、テレビ見てる間はネットが出来ない。
これはやっぱりケーブル会社で直してもらわんとな。
早速パソコンを開いてネットしようとしたら、ネットが開かない。テレビとパソコンにケーブルから二つに枝分かれしてるんだけども、それを外して、直接、ケーブルをネットに繋げたら、ネットが繋がった。どうやら、ネットとテレビを繋げてる部分が悪いみたい。ネットはできるようになったけど、ネットしてる間はテレビ見れないし、テレビ見てる間はネットが出来ない。
これはやっぱりケーブル会社で直してもらわんとな。
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DVD欲しい
2005年3月22日体が心地の良い筋肉痛だあ。
またフェデラー優勝しやがった。しかも無茶苦茶凄い、多分今期一番とすでに思われるものすごいラリーをしたヒューイットとフェデラー。
でもフェデラー強すぎ。またテニスのビデオが増えていく。ちなみに今年に入って7本目。今年20本は軽く越えるな。。。
早くDVDがほしいよ〜!じゃないとどんどんビデオがあふれて、部屋が狭くなる。
でも今あるビデオを全部DVDに映すのもまたものすごい時間がかかるんだろうなあ。
またフェデラー優勝しやがった。しかも無茶苦茶凄い、多分今期一番とすでに思われるものすごいラリーをしたヒューイットとフェデラー。
でもフェデラー強すぎ。またテニスのビデオが増えていく。ちなみに今年に入って7本目。今年20本は軽く越えるな。。。
早くDVDがほしいよ〜!じゃないとどんどんビデオがあふれて、部屋が狭くなる。
でも今あるビデオを全部DVDに映すのもまたものすごい時間がかかるんだろうなあ。
テニス三昧
2005年3月21日さて、ダブルブッキング当日。
今日はテニスの大会。それが終ってからガオラでテニスの試合を見に実家に帰らなければならないので、大会の終る時間いかんではテレビの開始時間までに間に合わない可能性があるため、母親に後れたときはビデオに撮っておいてくれと頼んではいるのだが、完ぺき主義の僕のこと、母親だと、いらぬCMまでとられてしまうため、なんとしても、自分が帰って撮らなければと他人が聞けば他愛の無いことに戦々恐々。
そもそも今日はコーチの頼みで、出ることになった苦手なダブルス。しかも初めて会う人と組む急造ペアで、きっと迷惑かけるだろうなあと思うと、気分はあまり晴れ晴れしくない。
しかも水曜日に友達とカラオケの約束が入っていたので、それまでに歌を覚えなけらないため、歌を流しっぱなしにしたまま眠りについたら、目がさめたときには、もう待ち合わせの時間。
ぎゃあ〜初めて会うのに、しかも会場まで車で連れて行ってもらうっていうのに、俺の馬鹿馬鹿馬鹿。
顔も洗わず、飯も食わず、でも寝癖だけは直して(ぇ、急いで待ち合わせの場所へ。ペアの人は、とても良い方で、全然怒ってなくてよかった。色んなことを話しながら以外に気まずい空気にもならず、40分くらいで会場へ。行きがけに聞いた話によると、この大会は、中級はエントリーが僕達をいれて4組で総当たり戦でやっても3試合だけなので、昼少し過ぎには終るだろうとのことで、どうやら余裕でテニスのテレビには間に合いそう。
大会は、初戦、僕がガチガチに固くてミス連発で、やっちゃいました。団子、6−0で敗退。これで僕は吹っ切れる。ペアの人に迷惑をかけまいとやってこの体たらくなのだから、どうせなら思いっきりやってやれ。と、和んだところ、一気に体が動き出して、残りに試合は、やっぱり負けちゃったけど、4−6、6−7と納得のいく試合ができた。特に、サービスの打ち方が何かつかめた気がしたし、バックはまだまだ練習が必要だということがわかった。
それにしても、朝飯抜いて、コーラだけで、3試合もしてしまったのでさすがに疲れたかも。ペアの方は歯医者の先生で、別れ際に名刺もらった。
少し休んで、実家に帰宅の準備。バス停で待っていても一向にバスがこない。訝って実家に電話したら、今日は祝日だって。何たるちゃ。祝日のバスは少ない。街まで自転車で出てから、バスで帰る。街なら祝日でもたくさんバスはある。バスによると僕は酔うのが常で、今日も実家に帰る頃には頭がんがんしてたので、すぐにバファリンを服用。よく聞いて頭がぽわーんとしていい気持ち。テニスのテレビが始まる10分前に帰宅。間に合ったあ。
しばらくして友達から電話。風邪引いちゃったので、来週の月曜か火曜にカラオケを延期してくれとのこと。これで歌を覚える暇が出来た。なんだか終ってみればすべてがうまく収まってくれた。友達には申し訳ないけどね^^;
もしダブルスの大会を断っていたら後悔しただろうし、出て何だかんだで楽しかったし実践でしか学べないこともいろいろ体験できて得るものもあったし、不安があっても実行するという森田療法の実践が早速、功をそうしたようだ。
それにしても今日はテニスを満喫した。もう食べれない。げっぷっぷ。
今日はテニスの大会。それが終ってからガオラでテニスの試合を見に実家に帰らなければならないので、大会の終る時間いかんではテレビの開始時間までに間に合わない可能性があるため、母親に後れたときはビデオに撮っておいてくれと頼んではいるのだが、完ぺき主義の僕のこと、母親だと、いらぬCMまでとられてしまうため、なんとしても、自分が帰って撮らなければと他人が聞けば他愛の無いことに戦々恐々。
そもそも今日はコーチの頼みで、出ることになった苦手なダブルス。しかも初めて会う人と組む急造ペアで、きっと迷惑かけるだろうなあと思うと、気分はあまり晴れ晴れしくない。
しかも水曜日に友達とカラオケの約束が入っていたので、それまでに歌を覚えなけらないため、歌を流しっぱなしにしたまま眠りについたら、目がさめたときには、もう待ち合わせの時間。
ぎゃあ〜初めて会うのに、しかも会場まで車で連れて行ってもらうっていうのに、俺の馬鹿馬鹿馬鹿。
顔も洗わず、飯も食わず、でも寝癖だけは直して(ぇ、急いで待ち合わせの場所へ。ペアの人は、とても良い方で、全然怒ってなくてよかった。色んなことを話しながら以外に気まずい空気にもならず、40分くらいで会場へ。行きがけに聞いた話によると、この大会は、中級はエントリーが僕達をいれて4組で総当たり戦でやっても3試合だけなので、昼少し過ぎには終るだろうとのことで、どうやら余裕でテニスのテレビには間に合いそう。
大会は、初戦、僕がガチガチに固くてミス連発で、やっちゃいました。団子、6−0で敗退。これで僕は吹っ切れる。ペアの人に迷惑をかけまいとやってこの体たらくなのだから、どうせなら思いっきりやってやれ。と、和んだところ、一気に体が動き出して、残りに試合は、やっぱり負けちゃったけど、4−6、6−7と納得のいく試合ができた。特に、サービスの打ち方が何かつかめた気がしたし、バックはまだまだ練習が必要だということがわかった。
それにしても、朝飯抜いて、コーラだけで、3試合もしてしまったのでさすがに疲れたかも。ペアの方は歯医者の先生で、別れ際に名刺もらった。
少し休んで、実家に帰宅の準備。バス停で待っていても一向にバスがこない。訝って実家に電話したら、今日は祝日だって。何たるちゃ。祝日のバスは少ない。街まで自転車で出てから、バスで帰る。街なら祝日でもたくさんバスはある。バスによると僕は酔うのが常で、今日も実家に帰る頃には頭がんがんしてたので、すぐにバファリンを服用。よく聞いて頭がぽわーんとしていい気持ち。テニスのテレビが始まる10分前に帰宅。間に合ったあ。
しばらくして友達から電話。風邪引いちゃったので、来週の月曜か火曜にカラオケを延期してくれとのこと。これで歌を覚える暇が出来た。なんだか終ってみればすべてがうまく収まってくれた。友達には申し訳ないけどね^^;
もしダブルスの大会を断っていたら後悔しただろうし、出て何だかんだで楽しかったし実践でしか学べないこともいろいろ体験できて得るものもあったし、不安があっても実行するという森田療法の実践が早速、功をそうしたようだ。
それにしても今日はテニスを満喫した。もう食べれない。げっぷっぷ。
パソコンオーディオ化計画
2005年3月20日最近、パソコンをもっと有効活用しようと、色々改良しようと試行錯誤。
といっても僕のパソコンはウィンドウス98なので、やれることといってもたかが知れているけれど、DVDも無いわけで、極力いらないファイルは削除して、パソコンをオーディオとして活用しようとしている。
僕のパソコンは居間にあるので、BGMとして日がな流して、しかもCDを変える手間を省き、自分で好きなように選曲が手軽にできるパソコンは音楽を聴くには重宝だろうと。ということで、せっせと持ってるCDや借りてきたCDをパソコンに取り込んでいるわけだけど、取り込んだだけでは、非常に一つのファイルの容量が莫大であって、僕のポンコツパソコンだとすぐに容量がいっぱいになってしまうので、MP3に圧縮変換しなけりゃならないんだけど、これが結構時間がかかる。変換した後には、どの曲をパソコンに残すかをよく吟味して、選ばないといけない。なんとならば、MP3にしても、いかんせん僕のパソの容量では限界があるため、本当に聞きたい曲以外は断腸の思いで、削除せんければならんわけでこれまた大変な時間がかかる。一応MP3にまで変換した曲はぜんぶCDロムに保存するんだけどね。
こうして時間をかけ吟味に吟味を重ねて選んだ曲が溜まっていき、着実にパソコンオーディオ化計画は進んでおる。
そして、ポータブルMP3プレイヤーを買った暁には、その効用は倍増すること請け合い。
うひひ。
といっても僕のパソコンはウィンドウス98なので、やれることといってもたかが知れているけれど、DVDも無いわけで、極力いらないファイルは削除して、パソコンをオーディオとして活用しようとしている。
僕のパソコンは居間にあるので、BGMとして日がな流して、しかもCDを変える手間を省き、自分で好きなように選曲が手軽にできるパソコンは音楽を聴くには重宝だろうと。ということで、せっせと持ってるCDや借りてきたCDをパソコンに取り込んでいるわけだけど、取り込んだだけでは、非常に一つのファイルの容量が莫大であって、僕のポンコツパソコンだとすぐに容量がいっぱいになってしまうので、MP3に圧縮変換しなけりゃならないんだけど、これが結構時間がかかる。変換した後には、どの曲をパソコンに残すかをよく吟味して、選ばないといけない。なんとならば、MP3にしても、いかんせん僕のパソの容量では限界があるため、本当に聞きたい曲以外は断腸の思いで、削除せんければならんわけでこれまた大変な時間がかかる。一応MP3にまで変換した曲はぜんぶCDロムに保存するんだけどね。
こうして時間をかけ吟味に吟味を重ねて選んだ曲が溜まっていき、着実にパソコンオーディオ化計画は進んでおる。
そして、ポータブルMP3プレイヤーを買った暁には、その効用は倍増すること請け合い。
うひひ。
映画 『恋人までの距離(ディスタンス)』
2005年3月20日 映画〔洋画〕
VHS 角川エンタテインメント 1996/05/24 ¥15,540
いい映画だと思う。話しながらお互いの事を知っていくうちに、好きになっていくっていうので、恋愛物にありがちな、一目ぼれとか、過程が曖昧なのではなくて、まさに、邦題よろしく、それまでの過程を描いていて、ああ、2人はこんなことはなしてんのかあ、的に参考になる(?)
でも、ちょいと距離が短すぎやしませんか?w
列車の中で偶然知り合った男女・・・明日はアメリカに帰国する新聞記者とパリへ帰るフランス人女子学生。14時間、ウィーンの街を夜通し“おしゃべり”しながら歩き回る2人はいつしか恋に落ちる。『リアリティ・バイツ』のイーサン・ホークと『トリコロール 白の愛』のジュリー・デルピーが共演したラブストーリー。監督は若き俊英リチャード・リンクレイター。
いい映画だと思う。話しながらお互いの事を知っていくうちに、好きになっていくっていうので、恋愛物にありがちな、一目ぼれとか、過程が曖昧なのではなくて、まさに、邦題よろしく、それまでの過程を描いていて、ああ、2人はこんなことはなしてんのかあ、的に参考になる(?)
でも、ちょいと距離が短すぎやしませんか?w
突然「お前今日の夜あいてる?」との幼馴染の誘い。
唐突だったのだけど、特に予定も無し、いいよ〜、食おう飲もうということになった。幼馴染とは頻繁に連絡をとるわけでもしょっちゅう会うわけでもないけど、たまに、こうやって定期的に飲む。
何せ、小学校一年の頃からの付き合いだから、お互いに気心が知れてるというか、どんなに久し振りでも、昨日のように語り合える。
で、飲もう飲もうといって延び延びになってて、ほんとに何ヶ月ぶりの飲みになってしまった。酒を僕は友達と飲むとき以外一滴も飲むことが無いので、かなり胃にこたえるだろうと覚悟。
だけど、友達の方が待ち合わせの時間よりちょっと遅くなりそうだというので、「無理に今日じゃなくてもいいんだぞ」っていったけど、「今日がいい」っていうから、何か話したいことでもあるのかな?って思ったけど、あって聞いたところによると、もうすぐ就職の研修が始まるので、今日しか空いてないということなのだった。
こいつとは、ほんとに、長い、そしてずっと仲が良かった。互いに、密接に連絡を取り合った時期、少し疎遠になった時期もあったが、それでもたま〜にあったりしてた。彼は知らないだろうが、僕が自分の殻を破ることが出来たのも、彼の力も大きいわけで、凄く感謝している。彼は僕の強迫のこと、僕の苦悩を詳しく知ってはいないが、今の関係に満足しているし、彼に関しては、このままでいいと思っている。
幼馴染とは、中学2年で、再び一緒のクラスになった。いつも一緒に帰り、一緒に笑い合った。1年の頃とはまったく違い、2年の頃は楽しくなった。彼の性格は明るく、分け隔てなかった。僕も彼の前では素直でいられた。だから、僕は、自分の殻を破ることが出来た。
彼は友達も多かったのに、どうして僕なんかと親友になったのかわからない。でも僕達は馬が合った。彼の性格は、僕の性格を陰から陽に転換してくれた。
彼と飲むときは、ほとんど2人だ。2人で飲む。昔のこと、今のこと、これからのこと、話しながら、過ぎ去った日々が、思い出される。「お前あの頃太ってたなあ」なんて。
そんな幼馴染も、あと2,3年で、結婚しようとしている。こいつの子供かあ、って思うと、僕達ももうそんな年なんだなあって、なんだか切なく、でも暖かい気持ちになった。どんな風に育てる?だとか、結婚してからのこととか、どっちが親ばかになるかとか。
ほんの何時間かの、軽い飲み。程よく酔って、また、何ヶ月後かに飲もうといって別れる。たったこれだけのことだけど、僕には、とても貴重な、大切な時間。
唐突だったのだけど、特に予定も無し、いいよ〜、食おう飲もうということになった。幼馴染とは頻繁に連絡をとるわけでもしょっちゅう会うわけでもないけど、たまに、こうやって定期的に飲む。
何せ、小学校一年の頃からの付き合いだから、お互いに気心が知れてるというか、どんなに久し振りでも、昨日のように語り合える。
で、飲もう飲もうといって延び延びになってて、ほんとに何ヶ月ぶりの飲みになってしまった。酒を僕は友達と飲むとき以外一滴も飲むことが無いので、かなり胃にこたえるだろうと覚悟。
だけど、友達の方が待ち合わせの時間よりちょっと遅くなりそうだというので、「無理に今日じゃなくてもいいんだぞ」っていったけど、「今日がいい」っていうから、何か話したいことでもあるのかな?って思ったけど、あって聞いたところによると、もうすぐ就職の研修が始まるので、今日しか空いてないということなのだった。
こいつとは、ほんとに、長い、そしてずっと仲が良かった。互いに、密接に連絡を取り合った時期、少し疎遠になった時期もあったが、それでもたま〜にあったりしてた。彼は知らないだろうが、僕が自分の殻を破ることが出来たのも、彼の力も大きいわけで、凄く感謝している。彼は僕の強迫のこと、僕の苦悩を詳しく知ってはいないが、今の関係に満足しているし、彼に関しては、このままでいいと思っている。
幼馴染とは、中学2年で、再び一緒のクラスになった。いつも一緒に帰り、一緒に笑い合った。1年の頃とはまったく違い、2年の頃は楽しくなった。彼の性格は明るく、分け隔てなかった。僕も彼の前では素直でいられた。だから、僕は、自分の殻を破ることが出来た。
彼は友達も多かったのに、どうして僕なんかと親友になったのかわからない。でも僕達は馬が合った。彼の性格は、僕の性格を陰から陽に転換してくれた。
彼と飲むときは、ほとんど2人だ。2人で飲む。昔のこと、今のこと、これからのこと、話しながら、過ぎ去った日々が、思い出される。「お前あの頃太ってたなあ」なんて。
そんな幼馴染も、あと2,3年で、結婚しようとしている。こいつの子供かあ、って思うと、僕達ももうそんな年なんだなあって、なんだか切なく、でも暖かい気持ちになった。どんな風に育てる?だとか、結婚してからのこととか、どっちが親ばかになるかとか。
ほんの何時間かの、軽い飲み。程よく酔って、また、何ヶ月後かに飲もうといって別れる。たったこれだけのことだけど、僕には、とても貴重な、大切な時間。
映画 『恋人たちのポートレート』
2005年3月19日 映画〔洋画〕
VHS コロムビアミュージックエンタテインメント 1998/07/18 ¥16,590
なんか、色んな人の色んな話がそれぞれ、こぎみよく面白くて、三回くらい見たかもしれない。なんとなく、日常って感じでほっとする。
パリの一流オートクチュールのスタイリスト(べナム=カーター)と脚本家(エコフェ)、スタイリストの同僚(ボーランジェ)の三角関係を軸に、9人の男女の恋模様をユーモアたっぷりに描くラブ・ストーリー。『フランケンシュタイン』のヘレナ・ボナム=カーター、『ミナ』のロマーヌ・ボーランジェ共演。ジョデームジョデームって連呼するシチュエーションをこの映画で始めて目撃したよ〜。
なんか、色んな人の色んな話がそれぞれ、こぎみよく面白くて、三回くらい見たかもしれない。なんとなく、日常って感じでほっとする。
あせった^^;
2005年3月18日昼に起きて飯を食っていると、唐突に友達のラリーゴ君がマンションにやってきた。4時くらいまで話し込んで、さよならして、さあてってパソコン開いたら、ネットが開けない。
およよ?パソコンには異常は無い。ウイルスではないみたい。
ルータって言うんだっけ?ケーブルとパソコンをつなぐ物、をみてみると、ケーブルのランプが点滅してる。どうやら、ケーブルの電波が届いてないらしい。パソコンがどうにかなってるなら手の施しようがあるんだけど、ケーブル自体がどうにかなってるというと、僕はお手上げになっちゃうわけで、何でだ?何でだ?しばらくネットできなくなるのか?ってあせってあれやこれや接続しなおしたり、ルータを解体してまた組み立てたりしてたんだけど一向に埒があかずに、もう明日ケーブル会社に電話するかってあきらめかけた瞬間にネットが繋がった。
いったい何が原因でネットが開けなかったのかもわからぬまま、またネットが閉じることに恐々としながらようやく日記が書けているのであった。
およよ?パソコンには異常は無い。ウイルスではないみたい。
ルータって言うんだっけ?ケーブルとパソコンをつなぐ物、をみてみると、ケーブルのランプが点滅してる。どうやら、ケーブルの電波が届いてないらしい。パソコンがどうにかなってるなら手の施しようがあるんだけど、ケーブル自体がどうにかなってるというと、僕はお手上げになっちゃうわけで、何でだ?何でだ?しばらくネットできなくなるのか?ってあせってあれやこれや接続しなおしたり、ルータを解体してまた組み立てたりしてたんだけど一向に埒があかずに、もう明日ケーブル会社に電話するかってあきらめかけた瞬間にネットが繋がった。
いったい何が原因でネットが開けなかったのかもわからぬまま、またネットが閉じることに恐々としながらようやく日記が書けているのであった。
映画 『恋はハッケヨイ!』
2005年3月18日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2002/09/26 ¥4,935
どうしてこの監督は、相撲を題材に選んだのかはわかんないけど、色んな誤解はあれど、昔の映画に出てきたようなステレオタイプの露骨な日本人のような嫌悪感は沸いてこなくて、まあ、これもある意味ステレオタイプな日本観なんだけど、なんとなく微笑ましく映る。それは相撲というものを通して物事が好転していくという風に良い作用を及ぼすものとして日本の文化が取り上げられているからなんだろうと思う。
日本の国技・相撲をモチーフにした英独合作のハートフルコメディ。夫が失業し、デイジーは工場で働き始める。そこで、彼女は女性スモウチームにスカウトされた。太っていることにコンプレックスを感じていたデイジーだったが、次第に自信を持ち始め…。相撲って太ってるからするもんじゃなくて、相撲をするために太るんじゃないのかなあ、と素朴な疑問は置いといて。
どうしてこの監督は、相撲を題材に選んだのかはわかんないけど、色んな誤解はあれど、昔の映画に出てきたようなステレオタイプの露骨な日本人のような嫌悪感は沸いてこなくて、まあ、これもある意味ステレオタイプな日本観なんだけど、なんとなく微笑ましく映る。それは相撲というものを通して物事が好転していくという風に良い作用を及ぼすものとして日本の文化が取り上げられているからなんだろうと思う。
ダブルブッキング!?
2005年3月17日というほど大げさなほどのことでもないか。
今日もテニス倶楽部で絶好調。ということで、テニスの大会、コーチから、ひとりダブルスのペアが余ってるから出てくれと頼まれる。しかもペアの人は僕とまったく面識の無い人。僕はダブルスの大会は出る気がまったく無くて、なんとならば、ダブルスの場合ミスったら、僕は悪いなあなんて思いが強烈に出てしまうから。対人恐怖がある僕にとってはこれは甚だゆゆしき問題であって、直前まで拒んでいたのだけれど、熱心に頼まれてどうにも断れなくなって承諾した。只でさえ大会は緊張して10分の1も実力が出ないのに、ダブルスとなると、あああってな感じですよ。
大会は来週の月曜日。本来ならテニスの試合がテレビであるから実家に帰るはずなんだけど、それを言ったら、倶楽部のメンバー皆からビデオに撮ればいいって突っ込まれた^^;いや、でもね強迫の僕としては、保存版で撮るビデオは、CMを撮りたくないんですよ。ってなことまで当然言えるわけなくて、帰宅はできなくなりました。
まあ、また再放送もあることだし、いっか^^;テニスのテレビを見るためにテニスの大会に出ないってのも本末転倒なのかもしれないしね〜。
まあ、僕の腕を見込まれてのことなのだろうか??^^;少し自慢なのですが、僕、練習だとうまいんです。同じメンバーの方にこの前、あと2.3年やれば、コーチになれるっていわれてうれしかったよ〜♪
でも、僕は、無茶苦茶メンタルが弱いので、大会になると鬼のように弱くなるのです。練習では強いキタム。これは高校時代から僕の代名詞であって。。。
ああ、心配だなあ大会。でも、これも対人関係の鍛錬だと思ってがんばるしかないか^^;
こんなときこそ森田療法なのかもねえ。
今日もテニス倶楽部で絶好調。ということで、テニスの大会、コーチから、ひとりダブルスのペアが余ってるから出てくれと頼まれる。しかもペアの人は僕とまったく面識の無い人。僕はダブルスの大会は出る気がまったく無くて、なんとならば、ダブルスの場合ミスったら、僕は悪いなあなんて思いが強烈に出てしまうから。対人恐怖がある僕にとってはこれは甚だゆゆしき問題であって、直前まで拒んでいたのだけれど、熱心に頼まれてどうにも断れなくなって承諾した。只でさえ大会は緊張して10分の1も実力が出ないのに、ダブルスとなると、あああってな感じですよ。
大会は来週の月曜日。本来ならテニスの試合がテレビであるから実家に帰るはずなんだけど、それを言ったら、倶楽部のメンバー皆からビデオに撮ればいいって突っ込まれた^^;いや、でもね強迫の僕としては、保存版で撮るビデオは、CMを撮りたくないんですよ。ってなことまで当然言えるわけなくて、帰宅はできなくなりました。
まあ、また再放送もあることだし、いっか^^;テニスのテレビを見るためにテニスの大会に出ないってのも本末転倒なのかもしれないしね〜。
まあ、僕の腕を見込まれてのことなのだろうか??^^;少し自慢なのですが、僕、練習だとうまいんです。同じメンバーの方にこの前、あと2.3年やれば、コーチになれるっていわれてうれしかったよ〜♪
でも、僕は、無茶苦茶メンタルが弱いので、大会になると鬼のように弱くなるのです。練習では強いキタム。これは高校時代から僕の代名詞であって。。。
ああ、心配だなあ大会。でも、これも対人関係の鍛錬だと思ってがんばるしかないか^^;
こんなときこそ森田療法なのかもねえ。
映画 『恋の手ほどき』
2005年3月17日 映画〔洋画〕
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2004/02/28 ¥1,575
アラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウが、舞台ミュージカルを映画化した1958年の作品。このコンビは後に『マイ・フェア・レディ』でも、舞台の映画化で成功を収めることになる。退廃的な空気が支配した19世紀末のパリを舞台にした、コレットの小説「ジジ」が原作。下層階級の少女・ジジ(レスリー・キャロン)が、みるみる変身を遂げるシンデレラ・ストーリーだ。彼女の教師を演じるハーミオン・ジンゴールドとモーリス・シュバリエ、そして“王子様”役ルイ・ジュールダンが変身を助けることになる。ミュージカルってのは登場する歌に好きなものが多いかどうかでも良し悪しは決まってくるもので、これは良い。ミュージカルは楽しかったり、切なかったりするのが好きで、悲しすぎるのは苦手やね。「ウエストサイドストーリー」よりは、こっちのが好き。
脚本家で作詞も手がけるラーナーは、自分が書いた曲のなかで本作の主題歌「Gigi(ジジ)」をもっとも気に入っていると明言。その理由は明白で、「Gigi」は、思いもよらぬきっかけから愛によって変化するヒロインの姿を歌い上げ、とても印象的だ。その他の曲「Say a Prayer」「I Remember It Well」「The Night They Invented Champagne」「Thank for heaven Little Girls」も作品全体を生き生きとさせることに貢献。映画を観ずにサントラだけを聴いても、心を奪われるだろう。アカデミー賞では作品賞を含めて9部門で受賞したうえに、同じ年にシュバリエに名誉賞も与えられた『恋の手ほどき』。MGMミュージカルの最後の傑作であり、他の傑作のなかでも燦然と輝いている。
バスでほろ酔い
2005年3月16日お昼にマンションに帰宅。
僕はバスに乗ると決まって酔ってしまうんだけど、酔うとそこから風邪に発展する可能性があるので、仮眠を取ることにした。といっても相当寝ちゃったけど^^;
どうやら来週の火曜にカラオケに行く予定らしいので、起きてから歌を聞いたりして覚える。
今日、外に出て思ったけど、ずいぶん温くなったね。日の当たるところでは暑いくらいだった。しかし、左の鼻毛を抜きすぎて、血が出てきた。痛い。
僕はバスに乗ると決まって酔ってしまうんだけど、酔うとそこから風邪に発展する可能性があるので、仮眠を取ることにした。といっても相当寝ちゃったけど^^;
どうやら来週の火曜にカラオケに行く予定らしいので、起きてから歌を聞いたりして覚える。
今日、外に出て思ったけど、ずいぶん温くなったね。日の当たるところでは暑いくらいだった。しかし、左の鼻毛を抜きすぎて、血が出てきた。痛い。