DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2003/11/21 ¥2,625
第71回アカデミー賞の作品賞、脚本賞、主演女優賞ほか7部門を獲得したロマンティックラブストーリーの傑作。
1593年のロンドン。まだ芝居小屋の座付作家だった若き日のシェイクスピアは、ある日夜会で、裕福な商家の娘ヴァイオラと出会い、一目で恋に落ちる。しかし、実はヴァイオラは芝居好きが高じて、男装してシェイクスピアのお芝居のオーディションに受かっていた女性だった。
現実の恋物語と劇中劇の『ロミオとジュリエット』が、テンポよく交錯していく筋立てがすばらしい。そして自分の主張をもち、行動力があり、慈愛に満ちたヒロインを演じるグウィネス・パルトロウが実に魅力的だ。まるで彼女の全身から恋の高揚感があふれだし、映画のなかで舞っているようである。美術や衣装もすばらしく、映画的醍醐味が堪能できる作品となっている。

この作品、評価高いみたいだね〜。。。僕は、これだ!っていう感覚無かったんだけれど。う〜ん、なんだか薄っぺらい感じ。物足りない感じ。カタルシスを求めてるわけではないけど、カタルシスを狙っているのだとしたら、あきらかに失敗かなとか。ストーリーに破綻は無いと思うけど、密度も無い、とあくまで僕は感じちゃった。てへ。
もうフェデラーに首っ丈。彼のプレーの素晴らしさは、テニスやってる人なら嫌でもわかるはず。才能がずば抜けてるよ。負ける気がしないよ。ものすごい技術に、その上ものすごいメンタルの強さ。フィジカルも申し分ないし。大きな故障さえしなければ、ツアー通算百勝もできるさ。サンプラスを越えることだってできるさ。ついこの間サンプラス史上最強なんていっててなんだけど、フェデラー、現時点では史上最強、今後も多分あらわれないであろう不世出のプレイヤー、テニスの神様になる可能性高し。

この大会も、もちろん優勝。すでに今期三勝目。サフィンに全豪で負けた一敗以外まだ負けなし。ライバルになるかと思われたサフィンはやっぱりメンタル弱くてそのごはグダグダ負けてるし。

今大会ドバイの決勝の相手はリュビチッチ。このリュビチッチ今年4回めの決勝進出と絶好調。なのに、なぜか優勝できない。なぜならば、フェデラーがいるから。彼は今年に入って二回決勝戦でフェデラーに破れてる。そして今回も、第2セットはとったけど、やっぱり、フェデラーとの実力差は明白で、今期3回目の敗退。リュビチッチも、フェデラーと違う大会を選んでいたら優勝も出来たろうに。

うんざりしたリュビチッチ、次からは出る大会を慎重に選ばないといけないなんて、ギャグだけど、本音交じりだよね、絶対。

今週の土曜は、マスターズシリーズの生放送があるから、また実家に帰ってこなければ。またフェデラーが優勝しそうだなあ。
やばいなあ、やばい、本来ならこの逆の順序じゃないといけないのに、頭の中がテニスに占領されてきている今日この頃。

何しろ僕はテニスを一日中みていても飽きないという珍しい人間なので、現状として非常によろしくない。
とかいいながら今日は楽しみにしてたドバイの大会。まあ、先週あった大会だから、結果はしってるんだけどね。結果なんてどうでもいいんだよ。重要は内容だよ内容。いかに僕のテニスに参考になるプレーを見出せるかってことだよ。バックを片手に変えてから俄然片手バックの選手のプレーが面白くなってきた。

解説は鈴木貴男がしてら。なかなかいいこといってるな。やっぱり選手からの視点で分析してるから、なかなか面白いな。

それにしてもフェデラーやっぱり強すぎだな〜。凄まじい圧倒的なテニスしてんなあ。やっぱりひとり実力が飛びぬけてまんがな。
確か今年から、プロの参加が無制限になった、企業団体戦の日本リーグ。もちろん、日本のトッププロを要している会社が圧倒的に強いのだけど、こういった試合は、アマチュアとプロが戦ったりするので、その差がリアルに感じられて、プロ同士の試合よりも、プロの凄さを実感しやすいかも知れない。

テニスに限らず、スポーツのマニアやってる人ならわかると思うけど、ある程度はまってくると、トッププロの試合もいいけど、より自分達の身近な存在、選手に興味が出てきて、ジュニアの試合や、アマチュアの試合なんかの試合、学生の選手にファンが出来たりしだす。

僕なんかも高校生の頃、全国大会に行く先生に、決勝を八ミリで、とってくれるように頼んだりしてた。そのビデオは今や何にも増して僕の宝物だ。

ジャニーズのジュニアを追っかけたり、高校野球にはまる人と同じやよね。ジュニアの頃から注目していた選手が有名になったりなんかすると、すごーくうれしいもんね。

この日本リーグは、普段見ることがなかなか出来ない日本のプロや、アマチュアをみることができる貴重な大会。

ほんの二時間くらいの放送だけど、とても興味深いことしきり。
なんと、鈴木貴男が負けた。相手は二十歳の添田豪、プレイが完成されてる。ひょっとしたら、今後日本を背負って立つ存在になるかも、いやなるだろうな。もしかしたら鈴木貴夫よりも上行くかもランキング100位以内に入ってほしいな。

添田には日本人の課題だったリターン力の強さがあるから、サーブも200キロ以上出るし、こりゃ期待できるな。

という収穫と共に、やっぱりプロは凄いと感じた放送でもちろん録画爪折保存版。
マンションにはケーブルをとっていない。ケーブルは引かれてるんだから、契約するだけなんだけど、僕の勉強の邪魔になるからっていってとっていない。でもよく考えたら僕はテレビをほとんど見ないし、見るとすればテニスだし、テニスがあるたんびに、実家に帰ってるんじゃあ、ケーブルをとらない意味がまったく無いなあ。なんて思いながら、テニスを見るため、&ビデオに撮るために僕は実家へと帰る。

ちなみに、デジタルで今日やる中島みゆきの特集、多分一ヵ月後くらいにアナログのBSのほうでもやってくれることを、切に望む。
DVD 日活 2001/10/26 ¥4,935
伝説の巨匠・鈴木清順が手がけた異色作にしてカルト・ムービー。2001年に本作の設定を生かした続編的作品「ピストルオペラ」が、同じ鈴木監督の手で作られた。
プロの殺し屋NO.3にランクされている花田五郎(宍戸錠)は、500万円の報酬のため組織の幹部を護送する途中、NO.2とNO.4たちの一味に襲撃される。相棒の春日が倒れ、危うく危機を脱した花田は、緊張感から解放されて妻の真美(小川万里子)と野獣のように抱き合うのだった。ある日、花田は薮原(玉川伊佐男)から殺しの依頼を受ける。しかも、4人を殺して欲しいというのだ。花田は次々と指名の人間を消していったが、最後のひとりの殺しに失敗してしまう。殺し屋に失敗は許されない。組織は美沙子(真理アンヌ)という女を差し向けてきた。
モノクロながら、いわゆる“清順美学”と呼ばれる、スタイリッシュなビジュアルがふんだんに楽しめる作品。殺し屋ランキングの変動に脅えながら殺しを繰り返す男に接近する男女が、組織の手による者かというサスペンス、女性を野獣のように抱くエロティックな描写の中に、ユーモラスなシーンが挿入される。電気釜で米が炊ける匂いに恍惚とする、殺し屋NO.3の設定が、すこぶるユニーク。なお脚本の具流八郎とは、当時の日活助監督6人と、木村威夫美術監督、鈴木清順を含めた集団ペンネームとか。
カルトといいながら、世界的な監督、たとえば、ジャームッシュとかタランティーノとかに多大な影響を与えているこの作品。特にジャームッシュの殺し屋を描いた作品(なんだったか?何とかドックっていうの)はモロにオマージュ捧げられてるよね。でもあんまり僕はこの作品好きじゃないけどね。
鈴木清純は凄い現代的な感性、を備えた監督のように思う。古さが無いというか、あの時代の映画の中では明らかに異彩を放ってるんじゃないでしょか。
僕は、幼い頃に、自分は生き物じゃないただの「物」だと思っていた。それは辛いことをやり過ごすための自分の欲や感情の忘却であり、自分の存在をどこかで、傍観視していた。今思えば、あれは離人症だったのかもしれない。
僕は遠くで、僕を「あっ、また僕という物がひどい目にあってる」っていう感じで、眺めてた。でも、感情を忘却した抜け殻になっているかぎり、僕は穏やかでいられた。

これは幼い頃の僕である。
現在の僕はそれからまたさまざまな変遷を経て自分は価値のある感情のある存在だと思えるようになった。。と思ってはいる。
でも、幼い頃の記憶というものはものすごい強固で、どこかで、未だに僕を物扱いしている。

その一つに、僕は物だから、人が必要なときに利用される存在に過ぎないというものがある。僕は今はそう思ってないつもりだが、ふとした時に、僕は自分が過去の自分に縛られていることに気がつく。
たとえば、僕は自分から、メールを送ったり、電話をしたりすることがほとんどない。
ほんとはメールを送ったり、電話をしたりしたいのに、「物」である僕がそんな感情を発露することに潜在的な部分で抵抗してしまっているのかもしれない。そのくせ、メールを送ってくれたり、電話をしてくれたりすると、とてもうれしく、こんな僕にもったいないなんて思ってる。人には気兼ねなくメールしてくれといいながら、自分では出来ない、正反対の事をしている自分がたまに歯がゆい。もっと、自分の欲を発露したいとも思うのだが、僕はずっとこういった「物」の姿勢をしてきたわけで、その習性が身についていて、なかなか抜けない。気をつけて、積極的になろうと意識していても、気が付いたら、相手からの連絡を待つ、という受動的な姿勢を取ってしまっている。

結果どうなるかというと、相手は、僕から連絡が無い、自分が送ったときしか僕が反応しないので、僕の友情に不安を感じ出して、いつのまにか僕は連絡をとられなくなり、友達と見られなくなったりすることが何度もあった。僕は学習能力が無いんだなあと、自分のふがいなさに嘆く。

でも、僕は友達になった人はずっと友達だと思ってるし、そうありたいと思っている。僕の友情は変わらないんだよ。でも、だから友達として、扱われなくなると、とても辛い。
こんなとき、幼い頃のように、自分は価値の無い「物」だと思えば楽なんだろうけど、僕はもう過去には戻らない。自分は価値のある存在だと思いたいし、人をずっと好きでいたいから。人を信じつづけられるようになりたいから。
だから、僕は学習しないとね。僕は幼い頃の自分の「物」の姿勢を完全に脱却して、もっと自分の価値を欲と結合させて、発露できるように、積極的なコミュニケーションをとることを無意識でできるようにならなきゃならない。
これは、今後の僕の越えなきゃいけない課題だ。
DVD ジェネオン エンタテインメント 2001/12/21 ¥4,935
「恐縮です」を口ぐせに、有名人のスキャンダルをハイエナのように追いかけては暴露していく嫌われ者の芸能レポーターのキナメリ。そのあくどく無神経で、かつエネルギッシュな行動をとおして、現代社会におけるマスコミとそれに振り回される一般大衆の心の闇を痛切にえぐった問題作。
『水のないプール』 『十階のモスキート』と反社会的映画を企画し、主演してきた内田裕也の面目躍如ともいえる傑作で、自身も同年度のキネマ旬報主演男優賞を受賞。監督は『陰陽師』などで知られる滝田洋二郎で、これが一般映画初演出となった。
梨本勝など実際のレポーターも多数出演。また、製作当時、ロス疑惑事件で話題となっていた三浦和義が本人役で登場したり、さらにはマスコミの面前で行われた豊田商事社長殺害事件を、ビートたけしを犯人にすえて再現するなど、映画の中身も相当にスキャンダラスである。
えっと、当時の社会的問題を浮き彫りにし、また将来へ向けての警鐘を鳴らしているという意味において、この作品は大変優れていると思います。傑作といっていいと思います。特に武の豊田商事社長殺害事件の演技が圧巻で、、、この後武は確か本当にフライデーに襲撃かけちゃうんだよね。見てみて損は無いと思います。
僕は人と初めて話すときに、口が痙攣する。
小さい頃そのことを指摘されてから、僕は人とはなすことが恐くなった。笑みを作るとその顔で筋肉が固まり、戻らなくなる。戻そうとすると、引く引くと顔が痙攣する。だから僕は人前で笑わなくなったすると、今度は無愛想だと思われる。
だから僕は自然に人と話さなくなった。話すときは、頭が真っ白になる。その口のことだけが気になって、話に集中できないからだ。
でも、みんなはそんなに気にならないといってくれる、でも、たとえば友達になりたいとか、嫌われたくないと思っていると、その笑みの劣悪さが自分の中で増幅され、耐えられないくらい苦痛になり、結果的に、話したい、友達になりたいのに、自分で、嫌われる、痙攣を指摘される、という予想を立て、人を避ける、という「はからい」をしてしまう。

しかし、そもそも、そんなに痙攣が変に見えるかはわからないのに、思い込むことはない、それに変に見えても、それだけで人は僕を嫌いになるとは限らない。それに僕はいつも、人を避けて、結果的に、嫌われちゃったりしてる。これじゃ嫌われることを恐れるがために嫌われているという悪循環だ。いつも人を避けた後に後悔に苦しむ。避けるという行為は、本当の僕の望んだ行動ではないからだ。僕は、痙攣など気にせずに、みんなと話したい。友達になりたい。これが僕のよりよく生きるための、偽らざる生の欲求だ。だったら、僕は、痙攣してしまう苦痛を、嫌われるかもしれない不安を「あるがまま」にして人と話をすることを実践するべきだ。そうしないとその人と友達になることはおろか話すことさえも出来ずに、あわよくば嫌われてしまうことにもなりかねない。
しかし、苦痛を「あるがまま」にして話すことで、その人が気にしないこと、もしくは痙攣に気が付いても嫌わないことがわかれば、僕は安心し、話すことが出来だすし、その人とも友達になれるし、いつしか痙攣もしなくなるだろう。そうなれば、僕の欲求、目的はすべて達成され、まさによりよく生きることができるようになるのだ。そしてそのことで自信がつき、いつしか誰と話しても口元が痙攣することが無くなる。
目的本位の行動をとることのメリットは計り知れない。

ではもう一つ。
僕は勉強しなきゃならない。だけど、眠りたい。しかし眠るときっと後悔する。眠らずに勉強すればきっとどんなに辛くても、終ったときに充足感がある。だから、僕は眠気を「ありのまま」にして勉強をしよう。
って、これは生理現象だから、精神作用とは違ってさすがに無理っぽい(笑)眠いときは眠ろうwww
DVD バンダイビジュアル 2004/02/25 ¥3,990
ネットが世界を覆い、人間の可能性は大きく広がった近未来。 草薙素子は公安9課に所属するサイボーグ。ある時、公安9課に1人のサイボーグが拘束された。しかし外事6課が強引にも彼を連れ去ってしまう。激しい攻防の末、彼を取り返した素子は、彼から思いもかけない申し出を受け…。
士郎正宗原作の人気マンガを、『うる星やつら2』や『パトレイバー(theMovie)』などを手がけた押井守監督が映画化。美しい背景、空間の質感まで丁寧に描写し、奥行きを出してアニメの弱点をかなりの点で克服したCGは、押井監督のアニメーション技術の集大成ともいえる。世界各国で上映され、ビデオリリース時にはアメリカのビルボードでビデオ・セールス第1位を記録した。今日のアニメを語るうえで欠かすことのできない作品である。

娯楽性は・・・無い。でも、何度となく見て、ある日突然この映画のことが理解できるようになった、と共に、なんて凄い映画だ。と、この映画の偉大さもわかったわけで。つまり、これは娯楽映画では絶対無くて、非常に芸術思考の哲学映画、若干詩的。若干タルコフスキーなわけであって。そういうのが好きな人にとってはきっとよだれものなんだろうって、つまり僕のことなんだけどね。デカルトの「方法序説」を読んでから、この映画のいわんとすることが理解できるようになったようなきがするのだけど、理解して以降、僕もこの問題、つまり人間の存在規定は、肉体によるものか、精神によるものかということは、幾度となく考える命題になってしまった。
ISBN:4061488244 新書 岩井 寛 講談社 1986/08 ¥714
他人の視線に怯える対人恐怖症。強迫観念や不安発作、不眠など、心身の不快や適応困難に悩む人は多い。こころに潜む不安や葛藤を"異物"として排除するのではなく、「あるがまま」に受け入れ、「目的本位」の行動をとることによって、すこやかな自己実現をめざす森田療法は、神経症からの解放のみならず、日常人のメンタル・ヘルスの実践法として、有益なヒントを提供する。

強迫には森田がいいと以前から知っていたけど、森田がどんなものかはいまいちわからなかった。知っていることといえば、あるがまま、ということくらいだった。でもこの本を読んで、この「あるがまま」の概念を僕は勘違いしていたことに気付くと共に、まさに目からうろこって感じだった。
僕は、「あるがまま」を自分の存在があるがままでいいんだという風にとらえていたのだけど、森田療法のいう「あるがまま」とは自分の不安をあるがままにする、ということだったのだ。

たとえば、緊張するときによく陥るのが、僕達は、緊張を打ち消そうと試行錯誤する。つまり、心の不安をなくそうと努力するのだ。結果どうなるかといえば、ますます緊張していることを意識して、緊張してガチガチになって震えや動機に襲われるまでになってしまう。これを精神交互作用というらしい。
でも、僕達は、初めてのことに対して、程度の差はあってもみんな緊張はするし、飛行機に始めて乗ったり、初めて車を運転するときは不安になるのが当たり前だ。つまり、そういった不安や緊張は人間が本来持っている正常な症状なのであって、異常なことではない。
しかしその観念に囚われてしまうとそれが障害になったりする。精神交互作用の悪循環から、抜け出せなくなるのだ。
じゃあ、なぜ抜け出せなくなるかといえば、神経質症の人は「かくあるべし」という観念に支配されているからである。しかし現実はそもそも不条理な世界であり、「かくあるべし」という姿勢との間で必ず齟齬が生じてくる。その齟齬により、神経質症者は苦しむ。
しかし、なぜ苦しむのか?それは神経症者は自分にとってより良い状態、環境で過ごしたいという欲求が人一倍強いからに他ならない。
つまり、よりよく生きたい、生に対する欲求が強いのである。
よりよく生きたいがために苦しむ、という悪循環を打破するためにはどうするべきか、森田療法は「目的本位」という概念を提唱している。

人間が不安になったとき、逃避と実行という二つの欲求が現れる。ゆえにその二つで葛藤するのだが、本来の生の欲求(よりよく生きたいという欲求)は「実行」であるはずだ。
つまり、本来の生の欲求が何であるのかを見極めた上で、不安をあるがままにして、その生の欲求を実行していくのである。

例であらわせば、ある会合でスピーチをしなければならない。しかし、失敗したくないがために緊張する。会合を休みたい衝動に駆られる。しかし、会合を休むと、必ず後悔の念に苛まれるだろう。後悔するということはより良く生きたいという本当の欲求ではなく、不安から逃れるための妥協案に過ぎない、然るに、会合にでて、緊張していながらでもスピーチし、成功すれば、自分の緊張を克服し、やり遂げられた充足感と喜びを得られる。ならば、本来の生の欲求とはあきらかにスピーチを行うほうであり、その選択をすることでよりよくいきることができる。

失敗は誰にでもあり、それにより劣等感に襲われても、劣等感に襲われるのは誰にもあることなのだから、その劣等感をあるがままにして、再び挑戦する。そうすれば、いつのまにかうまくできるようになり、その劣等感も消失する。

我々は、不安に「とらわれ」たときに、自ら悪い結果を予想して、逃避というもう一つの仮の欲求を作るという「はからい」をする。ゆえに苦しみはいつまでたってもなくならない。

森田療法は、不安を人間が持つ当たり前のものとしてとらえ、敵として排除することをしない。不安を「あるがまま」にして、不安に必要以上に意識しない。スピーチで緊張するのは当たり前だ。緊張をなくそうと考える時間があったら、どういう風に話そうかスピーチの内容を考えよう。こう思うことが結果的にうまく話せ、成功につながり、いつしか緊張も意識したくても出来ないくらいになくなってしまう。

これは僕にとってもまさに慧眼であった。というのも、今まで、僕は緊張や不安がでたら、すべて原因を考え、その問題を証明していくことで、不安を解消してきた。つまり、不安を排除すべき敵と考えてきたわけだが、しかし、不安との融和という森田の考えは、まさに日本的な考えだ。
今までやってきた僕の方法もその効果を実感し、信頼しているが、この森田方式も大変素晴らしい理論だと思うし、実践してみる価値は充分にある。どちらが正しいとか、良いとかはわからない。人によって向き不向きもあるだろうし、どちらか一方を常に実践するというよりも、うまく双方を使い分けることができるのが一番良いと思うし、僕もそうやって行きたいと思う。
DVD 東宝 2002/02/21 ¥6,300
ゴジラ・シリーズの第18作目。日本に未来人の乗るUFOが飛来し、ゴジラによって日本が死滅されることを予告する。それを阻止するには、かつてゴジラがまだ放射能におかされていなかった恐竜として密かに生存していた1944年の太平洋戦争下にタイムワープし、ゴジラを消滅させるしかない。しかし、そこには未来人の陰謀が隠されていた…。
前作『ゴジラVSビオランテ』に続き、大森一樹監督がメガホンをとり、タイムパラドックスを巧みに活かしたSFや戦争もの、ヒロイン・アクションなどさまざまな映画ジャンルの要素、そして当時できあがったばかりの東京都庁をぶち壊しながらのクライマックス怪獣バトルなどなど、観る者をとことん楽しませてくれるゴージャスなエンタテインメントの傑作。音楽を巨匠・伊福部昭が久々に担当したことも、ファンには大きな喜びであった。
当時小学生だった僕が前々作、前作と、なかなか楽しんでいただけに今回の作品も劇場に足を運んで見たその当時の正直な感想は、アチャー、だった。まず、前作と比べてあきらかな戦闘シーンのチャチサがショックで。だって、あきらかに飛行機が模型なんだもん。前作までは、本物の戦車とか出てなかったっけ?
これがゴジラで初めて見たってんなら、すんなり受けいられたことでも、ぜんぜん咲くから見ていたため、どうしても比較してしまう。ゆえのショックで、これ以後僕はゴジラから離れていった。
先々週はめんどくさくて怠けた筋トレ、先週は日曜に法事が入っていけなかった。
今週は、テニスのテレビを見るために実家に帰るので、これまた筋トレにいけない。
体を絞るのは難しくて、体を太らせるのはいと容易いとこれ常識。二週間筋トレにいかないだけでなく、有酸素運動も怠けていたせいで、お腹のあたりがでっぷりこ。
そういえば、この前、テニス倶楽部の日に、半年振りぐらいにあった公務員学校の友達にも、会ってすぐに、「太った?」って聞かれたし、僕は太りやすい体質なんだろうなあ。着やせする性質かと思ってたのに、とんだ誤算だったぜい。
母親が実家のほうにようけ帰りだしてからというもの、僕はまともな夕食が食えるのは、木曜と金曜だけになっちゃった。自炊すればいいんだけど、やっぱり食べさせる相手(この場合母親)がいないと、ひとりのために料理を作る気力が沸いてこない。もともと超不精者だから、大学時代はそのせいでアトピーになったのに、自分は潜在意識のほうでも表層意識のほうでも懲りてないらしく、アトピーが治ったと共に、こんな生活に戻ってしまっている。

ということで、夕食はもちろん、カップヌードル。だけじゃ足りないけど、食べるのが億劫という不精者の本領を発揮して、床に付き睡眠でごまかしたりする。1日家の中で引きこもっているのだから、そもそもカロリーなんてそんなに必要ないし、ダイエットにも好都合、なんて都合よく解釈してみる。けどあきらかに間違い。は重々承知。この場合この解釈はポジなのかネガなのか?ポジティブな姿勢でネガティブな道を歩んでるという定義がなかなか的を得ていると言えなくもないが、そんなことを考える暇があったら少しはまともな飯が作れたであろうに。と嘆いても後の祭だなあと考えながら、我はやはり寝ているのであった。
DVD 東宝 2002/05/21 ¥6,300
1984年に復活した『ゴジラ』に続く、新ゴジラ・シリーズ第2弾。本作よりスタッフが若返り、田中友幸プロデューサーの抜擢により大森一樹が監督・脚本を、『大空のサムライ』(1976)で特技監督として映画デヴューした川北紘一が初めてゴジラ映画を手がけた。また一般公募に入選したストーリーをベースにする等、意欲的な試みが数多く実施された東宝特撮映画。ゴジラによって廃墟となった新宿副都心で、ゴジラ細胞をめぐって熾烈な戦いが繰り広げられる。
ゴジラ細胞から誕生した超怪獣ビオランテは、その巨大な体躯、ムチ状の触手等、これまでの東宝特撮映画の怪獣とは大きく異なるルックスとなったが、残念ながらゴジラとの戦いでそうした特徴が映像に活かされなかった。この反省から東宝サイドは、次回作に往年の名怪獣キングギドラを復活させ、ゴジラの対戦相手に決定する。
これも劇場で見たなあ。
思うに、怪獣の中で最強なのはキングギドラかこのビオランテではないかと。
正直、出来としては、なかなか対怪獣の中では良いのではないかと思うけど(というほどゴジラシリーズみてないけど^^;)、最期がなあ。。。肝心のラストが、なんだか、ガンダムみたいに、精神ものになってるような気が。
と、大変惜しい。
いやあ、やっぱり実家よりマンションの部屋のほうが落ち着くなあ。

なんていっても自分の部屋があるし、パソコンがあるし。
ということで、マンションは水曜まで僕一人、一人ってうきうきするよね。一人の時間を堪能したくて、昨日も三時間しか眠ってなかったくせに、横になって本読んでたら目がさめてきて、これはいかんと思って炭酸飲んだらますます目がさめちゃったのでこれはますますいかんと思って、テニスのビデオ見たりして遊んでたsら結局また徹夜しちゃって、朝の10時に飯食って風呂はいっておやすみなさい。

いや、二日分の睡眠を堪能いたしました。
DVD 東宝 2002/04/25 ¥6,300
『メカゴジラの逆襲』以来、9年ぶりの復活となったゴジラ映画。その設定を原点である核の申し子、凶悪な人類の敵に戻し各分野から特別スタッフを招集。さらに特撮にも1億円を費やしてサイボット・ゴジラを投入するという渾身の製作体制で作られた。
橋本幸司監督らスタッフの意気込みは、怪獣映画におけるリアリティを追求し、なおかつドラマとしてのカタルシスを随所に配置するという構成に現れている。ゴジラ襲来の余波で、ソ連の軍事衛星が誤って新宿に核ミサイルを発射。それを米国に依頼して成層圏で迎撃してもらうくだりなど、一歩間違えば笑いを誘うところだが、データやシミュレーションの結果を描写する演出スタイルに、首相役の小林桂樹の誠実な演技が相まって場を盛り上げている。ただしゴジラに対する人間側のリアクションが今ひとつで、恐怖の象徴として復活したはずのゴジラの怖さが充分に伝わらなかったのは残念だ。
ゴジラ対〜、っていうんじゃなく、人間とゴジラの戦いが僕は一番好きだなあ。
この作品は、とてもよく出来てると思う。リアルだし、本当の自衛隊、使ってるのかな?
スーパーXがよかったね。音楽も良かったね。武田鉄也のホームレスも良かったね。
人類の驚異としてゴジラが描かれている点を僕は他のゴジラより評価してる。初代の形を純粋な意味で継承しているゴジラだと思う。と共に、僕が見た始めてのゴジラ映画で、これが初めてで良かったなあとつくづく思う。
今日は法事で、3時間くらいしか寝られなくて、非常にきつい。

無茶苦茶久し振りなスーツ姿。寒い。
お膳が届いて、用意をしといて、午前11時にお坊さんが到着。
お経を唱えて、その後、豪華なお膳。家族とお坊さんで、昼食。

このお坊さん、とにかく喋る喋る。話を聞いてるのに忙しくて、食べる暇がない。

僕が公務員を目指しているというと、食いついてきて、色々裏事情を話してくれる。というのが、お坊さんも塾を開いてたりして、そういう情報が入ってくるらしい。
お坊さんの世界のことも色々と話してくれて、とても興味深い。ていうか、このお坊さんお金の話ばっかりする。
僕が、公務員になれなかったら、坊ずになればいいと勧められる。一年間修行すれば、お坊さんの資格が取れるから、日本には、余ってる寺がたくさんあるから、そこをもらえばいいという。そうすれば、衣食住に困ることは無いと。お坊さんになってから、公務員を目指せばいいとか、公務員が駄目なら、一緒に司法書士になろうとか、事務所はもうあるから、来てくれとか、お坊さんも今司法書士の資格とろうとしてるらしい。

とにかく、修行に出たら、人間形成、毎日4時おきを365日続けたら、何でも耐えられるようになるで〜っていわれて、とても興味がでてきた。そういう道もあるんだなあと。

僕は昔チベットに行って僧になろうかとかちょっと本気で考えたことがあったけど、そうだなあ、雲水にでもなってみるのもいいかもなあ。
世の中の流れを一旦離れてみる、いろいろな欲望を断ち切ってみるっていうのも、いいかもしれないなあ。

普通に就職して、経済社会に組み込まれた世界で物事を考えるから不安になるのかもね。もうちょっと視野を広く取って、色んな世界を覗いてみたら、色んな道が見つかるのかもしれないなあ。一度の人生だものね。
DVD 東宝 2001/04/21 ¥6,300
日本のテレビ局の思惑で、南海の孤島ファロから連れてこられるキングコング。そして、北極の氷が解けて蘇ったゴジラ。やがて両者は日本の地で衝突し、壮大な闘いがくり広げられる。
ゴジラシリーズの第3作で、初のカラーシネマスコープ作品だ。本作では、特撮監督の円谷英二が多大な影響を受けた、アメリカ映画を代表するモンスター、キングコングが登場。日米怪獣対決を実現させているのがポイントだ。
監督の本多猪四郎は、全編でコミカルな人物描写をほどこし、ダイナミックな怪獣バトルとのメリハリをつけながら、超一流のエンタテイメントを実現させている。伊福部昭作曲による、エキゾチックな南洋秘境音楽の数々もすばらしい。東宝創立30周年記念作品。
どう考えても飛び道具(放射能)を持ってるゴジラのほうが強いだろうと思うけど、なぜかゴジラとキングコングが取っ組み合いをしている。
ドラゴンボールの世界にアラレちゃんが出てきたみたいな感じなのかなあ。ラストはお互いの国民感情を配慮してか、やっぱりなって終り方だったので、勝敗を気にしてる人には、フラストレーションがたまるかも。

久々、牛肉

2005年3月5日
明日、実家で法事があるので、帰省。

法事ということはご馳走が出るので、太りそうだなあ。
実家に帰って、押入れの中を捜して、テニスのビデオを発掘して見たりなんかして時間つぶしたりしてたけど、そりゃいかんと自分を戒め持ってきた勉強道具でせっせとコタツに向かう。

母親に夕食何がいい?っと聞かれたので、ジョークでステーキって言ったら、ほんとにステーキになった。しかも僕だけ、みんなよりかなりでかい。僕はロースでみんなはヒレ。でもヒレも食べたくて、ちゃっかり婆ちゃんからもらったりして、明日を待たずして、確実に太ったな。。。

昼夜逆転のため、夜ねむれずに、コタツで勉強。
DVD 東宝 2001/02/21 ¥6,300
老若男女を問わず、もはや知らない人はいないであろう全世界的キャラクター、ゴジラ。怪獣王ゴジラの、現在に至るまで断続的に製作され続けるシリーズの記念碑的第1作。最近のハリウッド映画を観るとSFX技術の発展は物凄いものがあるが、彼らSFX技術者の多くが幼少のころにゴジラを観てその道を志したというだけあって、本作は54年製作であるにも関わらず今観ても古さを感じさせない。
夜の闇の中、ようやく敗戦の傷も癒え復興に向かいつつあった東京を破壊するゴジラ。モノクロの映像がその恐怖を引き立てる。原水爆実験によって生まれた、あらゆる武器をものともしない巨大生物ゴジラを撃退する手だてはあるのか。映像の迫力、物語の密度、演出の緊迫感、それら全てがぶち込まれた、特撮怪獣映画の原点にして最高傑作である。
やっぱり、一度に全身を見せたりしないほうが迫力があるのかもしれない。このときのゴジラは技術上の問題で、全身を頻繁に見せれなかったのかもしれないけど、それが逆に迫力を増幅してくれてる気もするかな。
東京タワーで倒されるまで実況中継を続けていたレポーターの根性はアッパレだけど、ありえねーだろって思う節もある。ギャグとスリルは紙一重。

< 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索