フレンチオープン五日目
2005年5月28日 テニス以前は、フレンチオープンが一番好きな大会だった。
でも今はそうとは限らない。これは、僕が両手から片手バックに変わり、ネットプレーもするようになったというようなプレースタイルの変化とも無関係ではあるまい。
男子シングルス三回戦
R・ナダル 対 R・ガスケ
7年前くらいのテニス雑誌を見ていると、将来有望な二人の選手として、この二人が写真突きで出ていた。そのころは、ガスケが大天才。ナダルはガスケほど天才ではないが、努力型と書いてあった。この評価は今読んでも妥当なものだと思う。だけど、必ずしも、天才のほうが先に成功するとは限らないわけだ。今は、ナダルのほうが、ガスケよりも、数段上にいるのは疑いないところ。確かにガスケのタッチは、天才的だし、それが花開く日は近いだろうけど、一方のナダルはといえば、そのメンタルと、フィジカルにおいて、他の選手のついづいを許さないほどに強い。技術の天才ガスケに対して、フィジカルと精神力の天才とナダルはいえるのかもしれない。そんな二人の対戦だから、第一週目の試合の中では最も注目されるのもむべなるかな。でも、その内容は、ナダルの強さばかりが目立った一方的な展開となって、ちょっと残念。だけど、将来的には、必ずライバル関係になるだろうことは間違いないわけだから、その第一歩として、まずは、ナダルが一歩リード。
でも今はそうとは限らない。これは、僕が両手から片手バックに変わり、ネットプレーもするようになったというようなプレースタイルの変化とも無関係ではあるまい。
男子シングルス三回戦
R・ナダル 対 R・ガスケ
7年前くらいのテニス雑誌を見ていると、将来有望な二人の選手として、この二人が写真突きで出ていた。そのころは、ガスケが大天才。ナダルはガスケほど天才ではないが、努力型と書いてあった。この評価は今読んでも妥当なものだと思う。だけど、必ずしも、天才のほうが先に成功するとは限らないわけだ。今は、ナダルのほうが、ガスケよりも、数段上にいるのは疑いないところ。確かにガスケのタッチは、天才的だし、それが花開く日は近いだろうけど、一方のナダルはといえば、そのメンタルと、フィジカルにおいて、他の選手のついづいを許さないほどに強い。技術の天才ガスケに対して、フィジカルと精神力の天才とナダルはいえるのかもしれない。そんな二人の対戦だから、第一週目の試合の中では最も注目されるのもむべなるかな。でも、その内容は、ナダルの強さばかりが目立った一方的な展開となって、ちょっと残念。だけど、将来的には、必ずライバル関係になるだろうことは間違いないわけだから、その第一歩として、まずは、ナダルが一歩リード。
フレンチオープン四日目
2005年5月27日 テニス男女に通じることだけど、最近の選手は、以前に比べて、テニススタイルの個性だけではなく、その性格や顔立ちにアイドル性のある選手がやたらと多い。サフィン、ロディック、ヒューイット、フェレロ、ガスケ、まあ、ナダルとフェデラーはおいといて、以前のクーリエ、チャン、サンプラス、とかの時代と比べたら明らかにアイドル顔。まあ、それが相乗効果で、テニス人気が上がるのならかまわないけれどもね。
男子シングルス二回戦
M・サフィン 対 L・ドローヒー
まだあどけないドローヒーは、若さゆえの思い切りのよさが功を奏してサフィンを苦しめていた。全豪制覇以後どうにも不調、ってか気持ちの乗り切れてないサフィンは、切れながらもラケット折ながらも、どうにかこうにか最後には自分のペースに持っていった。ドローヒーは、最後らへん勢いが空回りしていたね。
J・アカスソ 対 A・ロディック
あらら、やっぱりロディック負けちゃった。相手はクレーコーターだけど、ちと残念。今回は意気込みもひとしおっぽかったのにね。
やっぱりロディックは、まだ粗があるということ。サーブを覗けば、他のトップ選手と比べて、ボレーやストローク力が、それほど脅威ではない。逆にいえば、まだまだ改善してよくなっていくこともできるということだし、がんばれ。更なる安定感と、バックハンドが課題になるな。
男子シングルス二回戦
M・サフィン 対 L・ドローヒー
まだあどけないドローヒーは、若さゆえの思い切りのよさが功を奏してサフィンを苦しめていた。全豪制覇以後どうにも不調、ってか気持ちの乗り切れてないサフィンは、切れながらもラケット折ながらも、どうにかこうにか最後には自分のペースに持っていった。ドローヒーは、最後らへん勢いが空回りしていたね。
J・アカスソ 対 A・ロディック
あらら、やっぱりロディック負けちゃった。相手はクレーコーターだけど、ちと残念。今回は意気込みもひとしおっぽかったのにね。
やっぱりロディックは、まだ粗があるということ。サーブを覗けば、他のトップ選手と比べて、ボレーやストローク力が、それほど脅威ではない。逆にいえば、まだまだ改善してよくなっていくこともできるということだし、がんばれ。更なる安定感と、バックハンドが課題になるな。
フレンチオープン三日目
2005年5月26日 テニス日本人選手が残っていれば、その試合が優先されるのはわかるが、シャラポアの試合が優先されるのは解せない。
そういうことは民法チャンネルがやっていればよい。WOWOWは有料チャンネルなのだから、そんなことはしてもらいたくない。しかし、そういった苦情が多かったのだろうか、オーストラリアンオープンの時に比べて、だいぶ抑制してくれている。
男子シングルス二回戦
R・ナダル 対 X・マリーセ
気性の荒いマリーセ。ちょっと前の大会で、線審に悪態をついたりなんやかんやしたりで、罰金やら出場停止やらを受けて今大会が復帰戦。切れたら一発退場なので、我慢してるのがわかるが、さぞストレスもたまったろう。
ナダルは相変わらず、クレーコートでは鬼のようなスピンで拾い捲って、まったくマリーセを寄せ付けない強さ。
彼のフォアを真似したいが、彼並みの筋肉をつけないと無理っぽい。
R・フェデラー 対 N・アルマグロ
このアルマグロって選手、フォアが思いっきり手打ちのような気もしなくもない。でもとてもユーモアのある選手で見ていて面白い。アグレッシブだし、まだ若いし、この先もっと伸びるでしょ。
フェデラーもナダルに劣らず強烈な強さ。フェデラーのテニスはまさに芸術。見ていてあきん。
そういうことは民法チャンネルがやっていればよい。WOWOWは有料チャンネルなのだから、そんなことはしてもらいたくない。しかし、そういった苦情が多かったのだろうか、オーストラリアンオープンの時に比べて、だいぶ抑制してくれている。
男子シングルス二回戦
R・ナダル 対 X・マリーセ
気性の荒いマリーセ。ちょっと前の大会で、線審に悪態をついたりなんやかんやしたりで、罰金やら出場停止やらを受けて今大会が復帰戦。切れたら一発退場なので、我慢してるのがわかるが、さぞストレスもたまったろう。
ナダルは相変わらず、クレーコートでは鬼のようなスピンで拾い捲って、まったくマリーセを寄せ付けない強さ。
彼のフォアを真似したいが、彼並みの筋肉をつけないと無理っぽい。
R・フェデラー 対 N・アルマグロ
このアルマグロって選手、フォアが思いっきり手打ちのような気もしなくもない。でもとてもユーモアのある選手で見ていて面白い。アグレッシブだし、まだ若いし、この先もっと伸びるでしょ。
フェデラーもナダルに劣らず強烈な強さ。フェデラーのテニスはまさに芸術。見ていてあきん。
フレンチオープン二日目
2005年5月25日 テニス前日に比べれば、放送がスムーズに進行してだいぶ改善された模様。
そう言えば、アガシが負けた。彼ももう36歳。できれば、40歳までやってコナーズを抜いてほしいけれど、試合後のあの沈痛な記者会見と、注射を打ちながらテニスを続けていることを鑑みると、到底無理な話だろう。今年来年あたりが潮時なのか。さびしいことだけど、仕方ない。
男子一回戦
D・サンチェス 対 G・クエルテン
過去このコートの王者クエルテンも、故障上がりで、痛々しいテニスをしている。時たま全盛期のプレーを思わせるショットもあるのだが、いかんせん凡ミスが多すぎる。ブランクのせいなのか、はたまた現在のテニスが、それだけ、スピード化してクエルテンのテニスが古くなったのか、恐らくその両方だろう。しかしながらあの強さを知っている身にとって、こうもあっさり一回戦で姿を消すクエルテンを見るのはいささか辛かった。彼も、アガシのようにまた復活してくることを期待する。
A・ロディック 対 J・ツォンガ
最近、テニス界のニューエイジ達が、続々と現れてきている。まさにテニスの停滞期を過ぎて、ナダルを筆頭に個性が噴出している感じ。このツォンガもその一人。ごつい体とアフリカ系の面立ち。フランス人だけれども。将来有望。ロディックがすでにして若手とは言われなくなているあたり、テニス界の流れのはやい。
遅いサーフェスに弱いロディック。あの爆弾サーブのスピードが殺されてしまうから、クレーコートでは、もろにストローク力のさがその勝敗を左右する。ロディックのストロークが悪いわけではないが、彼の今の位置がそのぬきんでたサービスによって支えられていることもまた事実。彼のサービス以外の技術が、いったいどれほど通じるのか、この大会でどこまで勝ち抜くことができるかで、その真価が問われると言うことだろう。
この試合は、ロディックの勝利。
そう言えば、アガシが負けた。彼ももう36歳。できれば、40歳までやってコナーズを抜いてほしいけれど、試合後のあの沈痛な記者会見と、注射を打ちながらテニスを続けていることを鑑みると、到底無理な話だろう。今年来年あたりが潮時なのか。さびしいことだけど、仕方ない。
男子一回戦
D・サンチェス 対 G・クエルテン
過去このコートの王者クエルテンも、故障上がりで、痛々しいテニスをしている。時たま全盛期のプレーを思わせるショットもあるのだが、いかんせん凡ミスが多すぎる。ブランクのせいなのか、はたまた現在のテニスが、それだけ、スピード化してクエルテンのテニスが古くなったのか、恐らくその両方だろう。しかしながらあの強さを知っている身にとって、こうもあっさり一回戦で姿を消すクエルテンを見るのはいささか辛かった。彼も、アガシのようにまた復活してくることを期待する。
A・ロディック 対 J・ツォンガ
最近、テニス界のニューエイジ達が、続々と現れてきている。まさにテニスの停滞期を過ぎて、ナダルを筆頭に個性が噴出している感じ。このツォンガもその一人。ごつい体とアフリカ系の面立ち。フランス人だけれども。将来有望。ロディックがすでにして若手とは言われなくなているあたり、テニス界の流れのはやい。
遅いサーフェスに弱いロディック。あの爆弾サーブのスピードが殺されてしまうから、クレーコートでは、もろにストローク力のさがその勝敗を左右する。ロディックのストロークが悪いわけではないが、彼の今の位置がそのぬきんでたサービスによって支えられていることもまた事実。彼のサービス以外の技術が、いったいどれほど通じるのか、この大会でどこまで勝ち抜くことができるかで、その真価が問われると言うことだろう。
この試合は、ロディックの勝利。
ISBN:4102100040 文庫 福田 恒存 新潮社 1966/06 ¥420
ある意味で、老人の根性・意地。またある意味で、虚栄心や矜持。そしてもしかして、老人は自分の肉体に対する変化を受け入れたくないと保守的に意固地になっているのかもしれない。そんな老人に、自然は変化を受け入れろと激しく、そしてやさしく諭しているかのようだ。しかし、その老人の矜持・情熱、それらは、変化に抗えない肉体とは違い若かりし日の姿のままでいられる。本人が望むなら。
カジキマグロの肉体は、食べられ、変化してしまった。そうなることに老人は抗えなかった。しかし、骨は残った。それは、老人が戦い勝ち取ったものといえないか。あたかも老人の精神の芯のように、マグロは肉体が朽ちても骨(芯)は残ったのだ。そしてそれは、肉体はなくとも、カジキマグロの存在を他のものに示した。同時にその骨は、老人の心の強さも、若かりし日のままであると、他のものに示していたのかもしれない。
やせこけた老人。その名はサンチャゴ。しかし、海の男である彼には、不屈の闘志があった。ひとり、小舟で沖に出て1週間、つにに遭遇した巨大な、かじきまぐろ。綱を操り続け、大魚と格闘する日が続く。殺すか殺されるか―。だが、いつしか彼の心には、大魚への熱い友情が生まれていた…。アメリカの文豪、ヘミングウェイが、大自然の中で生き抜く男の、勇敢さとロマンを描き上げた不朽の名作。
ある意味で、老人の根性・意地。またある意味で、虚栄心や矜持。そしてもしかして、老人は自分の肉体に対する変化を受け入れたくないと保守的に意固地になっているのかもしれない。そんな老人に、自然は変化を受け入れろと激しく、そしてやさしく諭しているかのようだ。しかし、その老人の矜持・情熱、それらは、変化に抗えない肉体とは違い若かりし日の姿のままでいられる。本人が望むなら。
カジキマグロの肉体は、食べられ、変化してしまった。そうなることに老人は抗えなかった。しかし、骨は残った。それは、老人が戦い勝ち取ったものといえないか。あたかも老人の精神の芯のように、マグロは肉体が朽ちても骨(芯)は残ったのだ。そしてそれは、肉体はなくとも、カジキマグロの存在を他のものに示した。同時にその骨は、老人の心の強さも、若かりし日のままであると、他のものに示していたのかもしれない。
いったんマンションに帰ってくる
2005年5月25日いったんマンションに帰ってきましたよ〜。
そして、テニスクラブに行ってテニスで汗かいた。
フォアハンドがコツをつかめてきて、フォアに関してはもう問題ないでしょう。これは、単に今まで基礎の基礎(腰を低くして全体で打つ)ってのを忘れてたからなんだけど、こういう基本中の基本こそ、基本だから見落としやすい。これからは気をつけて忘れないようにしないと。
ということで、帰ってから日記かいてます。
そして、テニスクラブに行ってテニスで汗かいた。
フォアハンドがコツをつかめてきて、フォアに関してはもう問題ないでしょう。これは、単に今まで基礎の基礎(腰を低くして全体で打つ)ってのを忘れてたからなんだけど、こういう基本中の基本こそ、基本だから見落としやすい。これからは気をつけて忘れないようにしないと。
ということで、帰ってから日記かいてます。
フレンチオープン初日
2005年5月24日 テニスなんだかちぐはぐな生放送。
今後の修正に期待。
男子一回戦
G・ガウディオ 対 J・ベネトー
前年の全仏の覇者ガウディオだけど、僕はそのプレーを始めて見た。
最近片手バックの強い選手が多くなってきてくれてうれしい。けど、いまいち安定感でコリアとかに比べると不安定な感じ。
最近はフルウエスタンの選手がだんだん少なくなってきたように思う。ガウディオも、薄くはないけどクレーコーターとしてはけして厚くはないグリップの握り方だと打ち方を見て分かる。
でも回転はよくかかってる。
ガウディオ、余裕の勝利。
今後の修正に期待。
男子一回戦
G・ガウディオ 対 J・ベネトー
前年の全仏の覇者ガウディオだけど、僕はそのプレーを始めて見た。
最近片手バックの強い選手が多くなってきてくれてうれしい。けど、いまいち安定感でコリアとかに比べると不安定な感じ。
最近はフルウエスタンの選手がだんだん少なくなってきたように思う。ガウディオも、薄くはないけどクレーコーターとしてはけして厚くはないグリップの握り方だと打ち方を見て分かる。
でも回転はよくかかってる。
ガウディオ、余裕の勝利。
ワウワウに問う
2005年5月24日WOWOWの中継が僕が見てるアナログでは珍しく、生中継でフレンチオープンを放送しているのだけど、この放送を見るにつけ、果たして、生放送っていいものなのかと疑問を抱かざるを得ないお粗末ぶり。これだったら、以前のような録画放送のほうがいいよ。
午前四時まであるはずが、午前3時には終了してるし、試合の合間合間の話がやたら長いし、生放送なだけに編集がきかないから、放送陣のあせりも手に取るように分かってしまった。ちょっと残念だなあ。なんて思ったのは、僕だけじゃないはず。まあ、生放送の臨場感も、結局は、えいぞうの流し手で、よさを引き出せるかどうかも決まってくるってことなのだろう。
ただ、WOWOWも去年は、開局唯一の黒字だったらしく、がんばってくれてるんだろうし、今は、試行錯誤の段階なんだろうなあ。
午前四時まであるはずが、午前3時には終了してるし、試合の合間合間の話がやたら長いし、生放送なだけに編集がきかないから、放送陣のあせりも手に取るように分かってしまった。ちょっと残念だなあ。なんて思ったのは、僕だけじゃないはず。まあ、生放送の臨場感も、結局は、えいぞうの流し手で、よさを引き出せるかどうかも決まってくるってことなのだろう。
ただ、WOWOWも去年は、開局唯一の黒字だったらしく、がんばってくれてるんだろうし、今は、試行錯誤の段階なんだろうなあ。
実家に帰省
2005年5月23日二週間、テニスのフレンチオープンを見に実家に帰省します。
基本的に二週間日記は書けないけど、水曜は、テニスクラブでマンションにいったん帰るので、そのときに、ちょっと日記書くかもしれないです。
といって、この日記読んでる人ってそんなにいないだろうけど(笑)
ではでは〜
基本的に二週間日記は書けないけど、水曜は、テニスクラブでマンションにいったん帰るので、そのときに、ちょっと日記書くかもしれないです。
といって、この日記読んでる人ってそんなにいないだろうけど(笑)
ではでは〜
読書 『夏の庭―The Friends』
2005年5月23日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4101315116 文庫 湯本 香樹実 新潮社 1994/03 ¥420
子供の好奇心ほど残酷なものはなく、そしてまた純粋で暖かいものもない。好奇心とはさみは使いよう、なんてね。
多くの人は、自分の子供時代を少年たちに重ねて読んだことだと思うし、僕もそうだけど、それがいつの日が老人に重ねて読む日も訪れるんだろうな。
僕も子供のころ、二件隣の家のおじいさんに会いに行ってた。何の会話をしたのかは覚えてないけど、僕が行くといつもおじいさんは、お菓子のポーロをくれた。大人が食べるものじゃないだろうし、僕のために買っておいてくれたのかも。僕は、おじいさんを友達と思ってた。
成長して、僕はおじいさんにいつのまにか会いに行かなくなって、ある日おじいさんの死んだことを知った。僕にとっての身近な死は、今思えばあのおじいさんだったなんだな。
子供は、残酷だけど、純粋だ。その残酷さを知ることで、子供は純粋じゃなくなっていくけど、それを成長っていうんだよ。
ひとり暮らしの老人と子どもたちとの奇妙な交流を描いた中編小説。世界各国でも翻訳出版され、映画や舞台にもなった児童文学の名作である。アパートの大家のおばあさんと少女のふれあいをつづった『ポプラの秋』や、「てこじい」という異形の老人が印象的な『西日の町』など、死に直面した老人と子どもというモチーフは、著者が一貫して描きつづけているテーマである。子どもだけではなく、幅広い年齢層に支持されている本書は、その原点となる作品だ。
小学6年の夏、ぼくと山下、河辺の3人は、人が死ぬ瞬間を見てみたいという好奇心から、町外れに住むおじいさんを見張ることにする。一方、観察されていると気づいたおじいさんは、憤慨しつつもやがて少年たちの来訪を楽しみに待つようになる。ぎこちなく触れあいながら、少年達の悩みとおじいさんの寂しさは解けあい、忘れられないひと夏の友情が生まれる。
少年たちがおじいさんから学ぶのは、家の手入れの仕方や包丁の使い方、草花の名前、そして戦争の悲惨さである。物語の終盤、父親に将来の夢を聞かれ、小説家になりたいと答えるぼくは「忘れられないことを書きとめて、ほかの人にもわけてあげたらいい」と語る。少しだけ大人になった少年たちを、目を細めて見つめるおじいさんの姿が目に浮かんでくるようで、思わず目頭が熱くなる場面だ。本書は、他人への思いやりと、世代の異なる者同士が語り合い、記憶を語り継ぐことの大切さを説いているのである。
子供の好奇心ほど残酷なものはなく、そしてまた純粋で暖かいものもない。好奇心とはさみは使いよう、なんてね。
多くの人は、自分の子供時代を少年たちに重ねて読んだことだと思うし、僕もそうだけど、それがいつの日が老人に重ねて読む日も訪れるんだろうな。
僕も子供のころ、二件隣の家のおじいさんに会いに行ってた。何の会話をしたのかは覚えてないけど、僕が行くといつもおじいさんは、お菓子のポーロをくれた。大人が食べるものじゃないだろうし、僕のために買っておいてくれたのかも。僕は、おじいさんを友達と思ってた。
成長して、僕はおじいさんにいつのまにか会いに行かなくなって、ある日おじいさんの死んだことを知った。僕にとっての身近な死は、今思えばあのおじいさんだったなんだな。
子供は、残酷だけど、純粋だ。その残酷さを知ることで、子供は純粋じゃなくなっていくけど、それを成長っていうんだよ。
フレンチオープン前夜。
2005年5月22日いつもは、狂っている生活を元にもどすことに四苦八苦しているんだけど、今回は、わざと元に戻っていた生活を昼夜逆転にする。
明日から、WOWOWで、テニスのフレンチオープン、ロランギャロスの開幕だ。
これから二週間、深夜の0時から、朝型にかけての放送を見ていくことになるから、その時間を中心にした生活サイクルにしていかなければならない。
とうことで、寝に寝まくって、口の中がネチョネチョする。歯を磨いて塩で歯茎をこする。これ、お勧め。
口内炎がまだ治らない。ちょこらBB飲んでるけど、寝ているだけで、食ってない栄養不足が原因かも。今日の食事はカツにしよう。丸ごとバナナと味噌汁と、とんかつというありえない組み合わせ。
実は、今日は、警察試験だった。僕は受けないけど、ほかの友達は受けていて。ラリーゴ君は、東京にまで行っていた。
マンションを掃除して、県職員の願書を書く。
明日から、二週間実家に帰ります。WOWOWは実家でしか映らないので…。
日記は、二週間後になるか、もしかしたら、水曜にテニスクラブで、いったんマンションに寄るので、そんときにちょこっと書くかも。
実家でもネットができたらなあ。
明日から、WOWOWで、テニスのフレンチオープン、ロランギャロスの開幕だ。
これから二週間、深夜の0時から、朝型にかけての放送を見ていくことになるから、その時間を中心にした生活サイクルにしていかなければならない。
とうことで、寝に寝まくって、口の中がネチョネチョする。歯を磨いて塩で歯茎をこする。これ、お勧め。
口内炎がまだ治らない。ちょこらBB飲んでるけど、寝ているだけで、食ってない栄養不足が原因かも。今日の食事はカツにしよう。丸ごとバナナと味噌汁と、とんかつというありえない組み合わせ。
実は、今日は、警察試験だった。僕は受けないけど、ほかの友達は受けていて。ラリーゴ君は、東京にまで行っていた。
マンションを掃除して、県職員の願書を書く。
明日から、二週間実家に帰ります。WOWOWは実家でしか映らないので…。
日記は、二週間後になるか、もしかしたら、水曜にテニスクラブで、いったんマンションに寄るので、そんときにちょこっと書くかも。
実家でもネットができたらなあ。
読書 『異人たちとの夏』
2005年5月22日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4101018162 文庫 山田 太一 新潮社 1991/11 ¥420
映画を見てから、ふと以前友達にもらった同名の小説があったことを思い出して、引っ張り出して読んだ(といってもかなり前だけど)。山田太一の文章は、読んだのはこの一冊だけだけど、脚本家だからか、簡潔で、読んでて、「動」より「静」な感じがして、好きだ。映画もよかったけど、ラストの部分の幽霊との対峙の部分が映像的に違和感あって、小説で読んだほうが無理なくリアリティと結びついた。想像は、ときとして、映像よりリアルなのだ。だから、小説のほうが印象が強い。
妻子と別れ、孤独な日々を送るシナリオ・ライターは、幼い頃死別した父母とそっくりな夫婦に出逢った。こみあげてくる懐かしさ。心安らぐ不思議な団欒。しかし、年若い恋人は「もう決して彼らと逢わないで」と懇願した…。静かすぎる都会の一夏、異界の人々との交渉を、ファンタスティックに、鬼気迫る筆で描き出す、名手山田太一の新しい小説世界。第一回山本周五郎賞受賞作品。
映画を見てから、ふと以前友達にもらった同名の小説があったことを思い出して、引っ張り出して読んだ(といってもかなり前だけど)。山田太一の文章は、読んだのはこの一冊だけだけど、脚本家だからか、簡潔で、読んでて、「動」より「静」な感じがして、好きだ。映画もよかったけど、ラストの部分の幽霊との対峙の部分が映像的に違和感あって、小説で読んだほうが無理なくリアリティと結びついた。想像は、ときとして、映像よりリアルなのだ。だから、小説のほうが印象が強い。
我慢我慢
2005年5月21日一心不乱に読書がしたい。
特に、大長編の古典を読みたくて仕方がない。
でも今は、公務員試験のために、休憩に、軽い、現代小説や、エッセイを読む程度で我慢我慢。
そんな僕を傍目に、母親は、僕の部屋から持ち出した「戦争と平和」を読み終わり、二回目を読み出している。ぐぬう、読みたい読みたいよ〜!
うう、テキストも読書だ、本だと思い込むことができるまでには、まだ結構な時間が。
特に、大長編の古典を読みたくて仕方がない。
でも今は、公務員試験のために、休憩に、軽い、現代小説や、エッセイを読む程度で我慢我慢。
そんな僕を傍目に、母親は、僕の部屋から持ち出した「戦争と平和」を読み終わり、二回目を読み出している。ぐぬう、読みたい読みたいよ〜!
うう、テキストも読書だ、本だと思い込むことができるまでには、まだ結構な時間が。
読書 『イラク高校生からのメッセージ―日本の若い世代へ』
2005年5月21日 読書
ISBN:4062737841 文庫 赤尾 邦和 講談社 2003/06 ¥470
19歳の若者が、当時のイラクの現状、若者たちの声、イラクという国の実際とかを若者らしい文章でつづったルポ。
戦争開始直前。今いったら、大変なことだろうね。
当時は、まだイラクに行くことができた。
でも、危険なことに変わりはないけど。でも、著者の行動力は、19歳にしてすごいと思う。
本に出てきたイラクの若者たちは、僕たち日本の同世代よりも、ずっとずっと、大人な感じだった。
「僕の人生どうなるの?生きるの?死ぬの?戦争は嫌!平和に暮らしたい!日本のみなさんは広島や長崎を忘れないから、この気持ち分かりますよね」―イラク戦争下で高校生が綴った切実な訴え。バグダッドに滞在していた大学生の著者が、体験ルポを加え、現地で託されたメッセージを緊急出版。
目次
旅の終わりの始まり
イラクでPEACE MESSAGEを受け取った理由
国境、チューリップ
非同盟学生青年機構の国際会議って…
ハイドーリー
デモる
イラクは遠い?
うれしさびしい結婚式
女の人のパーティ
女の人とのコミュニケーション〔ほか〕
19歳の若者が、当時のイラクの現状、若者たちの声、イラクという国の実際とかを若者らしい文章でつづったルポ。
戦争開始直前。今いったら、大変なことだろうね。
当時は、まだイラクに行くことができた。
でも、危険なことに変わりはないけど。でも、著者の行動力は、19歳にしてすごいと思う。
本に出てきたイラクの若者たちは、僕たち日本の同世代よりも、ずっとずっと、大人な感じだった。
いつかはできるといいね。
2005年5月20日最近、バナナを食べてもズボンをはいてもハニャホニョしてしまっている僕。
買ってきた家電や生活品雑誌を見ながら、いつかは、自分で部屋を思い通りにコーディネートしてみたいなあとあれやこれや妄想にふけって見たりする。僕は、本を読むのが好きだけど、蔵書を増やしていくことについて、最近考えが変わってきている。というのが、前は本を読んで、本棚に本が増えていく過程が、そのまま自分の頭の中の知識の蓄積を示しているような感覚があって、うれしくて仕方なかったのだけど、実際は、積読で、読んでいない本のほうが多くなってきたし、買った本は捨てる気なんかさらさらないけど、このまま増えてったら、明らかに生活スペースは狭くなっていくだろうし、やっぱりこれからは、文書電子化の時代なのかなあ、と、自分の本棚をパソコンの中にしてしまおうかとか考えてる。雑誌でそうしてる人がいるのを見たからなんだけど。でもどうやったらそんなことができるのかもよく分からないし、寝転がって読めなきゃ嫌だし、色々課題もあるだろうし、それを実践していくのはパソコンの周りの器具を充実さえる経済力がなきゃいけないし、ずっと先のことなんだろうけど、まあ、いずれはそういう風にしてみたいなって思ってる。
買ってきた家電や生活品雑誌を見ながら、いつかは、自分で部屋を思い通りにコーディネートしてみたいなあとあれやこれや妄想にふけって見たりする。僕は、本を読むのが好きだけど、蔵書を増やしていくことについて、最近考えが変わってきている。というのが、前は本を読んで、本棚に本が増えていく過程が、そのまま自分の頭の中の知識の蓄積を示しているような感覚があって、うれしくて仕方なかったのだけど、実際は、積読で、読んでいない本のほうが多くなってきたし、買った本は捨てる気なんかさらさらないけど、このまま増えてったら、明らかに生活スペースは狭くなっていくだろうし、やっぱりこれからは、文書電子化の時代なのかなあ、と、自分の本棚をパソコンの中にしてしまおうかとか考えてる。雑誌でそうしてる人がいるのを見たからなんだけど。でもどうやったらそんなことができるのかもよく分からないし、寝転がって読めなきゃ嫌だし、色々課題もあるだろうし、それを実践していくのはパソコンの周りの器具を充実さえる経済力がなきゃいけないし、ずっと先のことなんだろうけど、まあ、いずれはそういう風にしてみたいなって思ってる。
読書 『グレープフルーツ・ジュース』
2005年5月20日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4062637642 文庫 南風 椎 講談社 1998/04 ¥680
想像しなさい すべての意味は 想像から生まれるということを
この本を燃やしなさい。読みおえたら。──あまりにも衝撃的なオノ・ヨーコの「グレープフルーツ」。東京で、のち英語版として世界で発売されたこの1冊に刺激されて、ジョン・レノンは名曲「イマジン」を生み出しました。その中から言葉をえらんで訳しなおした、33人の写真家との素敵なコラボレーション!!
想像しなさい すべての意味は 想像から生まれるということを
笑顔と笑顔がごっつんこ
2005年5月19日病院に行って、薬もらって、いまだに舌の出来物が治らないから、チョコラBBを買って、飲んで、ロト6を買って、そのまま図書館に行ったけど、鬼のように蒸し暑くて、勉強しようにも、集中できなくて結局マンションに帰って、勉強したのかといえば、あんまりせずに、ボーっとテニスのビデオ見たりなんかして、がんばってない僕は、いやあ、ほんと最近はすっかりぬくくなってきましたねえと思ったりしているわけで、ゲラゲラ。
自分の体がなまりまくり、走りに行くといってからいまだに走りにいっていない僕は、ゲラゲラ。
体脂肪は機械によって30%であったり、24%であったり、僕は24の方を信じていて、ウケラウケラ。
自分の体がなまりまくり、走りに行くといってからいまだに走りにいっていない僕は、ゲラゲラ。
体脂肪は機械によって30%であったり、24%であったり、僕は24の方を信じていて、ウケラウケラ。
読書 『ただの私(あたし)』
2005年5月19日 読書
ISBN:4061847503 文庫 飯村 隆彦 講談社 1990/09 ¥520
幼いころの孤独によって、孤独が好きになる人と孤独が嫌になる人の二通りあったとして、ヨーコは孤独ではいられない人だと思う。だから人とコミュニケーションを積極的に取ろうとする。しかし、ありのままの自分自身で人と接していたい。世の中の常識の範疇にいては、自分自身でいられない。だから自分自身であろうとすれば、ヨーコの存在自体がアバンギャルドたらざるを得ない。だからヨーコは理解されずらいし、世の中というものと融和したいがために戦わざるを得なくなる。数少ない理解者を得たとしても、そのもがきの中で、彼女は、やはり自分自身でいるためには、強くならなければいけなかった。
ヨーコは今なおもがき続けてる。非常に冷静に、そしていつも毅然と舌態度で静かに、しかし大胆にもがいている。もがくとは戦うこと。文章の中のフェミニズムも、「ただの私」でいるために常識に抗わざるをえないもがきの一部分であるから。ありのままの自分でいるためには、その自分の体である、女性の立ち位置が人間として、男性と対等でなければ、無理だということなのだろう。
ありのままでいようとしたヨーコと、ありのままの姿になりたかったジョンが強い絆で結ばれたのは、至極当然のことだったのかもしれない。
私はただ私でありたい、と思って生きてきただけ――。世界で1番多忙で有名な未亡人オノ・ヨーコが日本語で書き、語った正真正銘の1冊。亡き夫ジョンの思い出、愛息ショーン、そして世界中の子供たちへの熱いメッセージでもある。かつて、これほどまでも卒直に自分自身を語った人があるだろうか!!
目次
わが愛、わが闘争
日本男性沈没
母性社会の必然性
『女性上位万歳』
「家も政治も女と交代したら」
「未来…は未知数」
「先ず母親、次にアーティスト」
"女"
明日また行くんだ
幼いころの孤独によって、孤独が好きになる人と孤独が嫌になる人の二通りあったとして、ヨーコは孤独ではいられない人だと思う。だから人とコミュニケーションを積極的に取ろうとする。しかし、ありのままの自分自身で人と接していたい。世の中の常識の範疇にいては、自分自身でいられない。だから自分自身であろうとすれば、ヨーコの存在自体がアバンギャルドたらざるを得ない。だからヨーコは理解されずらいし、世の中というものと融和したいがために戦わざるを得なくなる。数少ない理解者を得たとしても、そのもがきの中で、彼女は、やはり自分自身でいるためには、強くならなければいけなかった。
ヨーコは今なおもがき続けてる。非常に冷静に、そしていつも毅然と舌態度で静かに、しかし大胆にもがいている。もがくとは戦うこと。文章の中のフェミニズムも、「ただの私」でいるために常識に抗わざるをえないもがきの一部分であるから。ありのままの自分でいるためには、その自分の体である、女性の立ち位置が人間として、男性と対等でなければ、無理だということなのだろう。
ありのままでいようとしたヨーコと、ありのままの姿になりたかったジョンが強い絆で結ばれたのは、至極当然のことだったのかもしれない。
うつ病の診断書、「表現弱める」医師9割 復職に配慮
2005年5月18日 時事ニュース
05月18日付 朝日新聞の報道:
せめて自分の周りからでも、漸進的に。
・働いている人を診断する際、本当は「うつ病」なのに、診断書に「抑うつ状態」「心身疲弊」などと軽い症状に書き換えている医師が約9割に上ることが、労災病院の医師らによる医師の意識調査で明らかになった。うつ病と診断されると職場復帰が難しくなるのではないか、と考える患者の立場を考慮しているという。「心の病」の実態の把握がぶれ、本人の治療や企業・周囲の理解を妨げる危険もある。・・・「あいまいな表現が広がれば、病気に対する職場の理解が進まず、適した仕事量を話し合うことも難しくなる。
74%の医師は、会社側から、「完全治癒」を求められていた。ただ、うつ病は再発しないと断言することが難しく、「完治」の判断がしにくい。・・・・「復職を望んでも会社側が拒み、休職状態を長引かせて解雇に追い込むケースがここ2,3年目立っている」。
・医者が、「うつ病」を「うつ状態」などと表現するのは、そうせざるを得ない患者に対する根強い偏見があるからだ。・・・・状況を変えるには、会社のトップ上司がメンタルヘルス教育を受け、病気の理解と働き方の改善策を考えること。・・・
せめて自分の周りからでも、漸進的に。