映画 『ジョニーは戦場へ行った』
2005年8月28日 映画〔洋画〕
DVD ジェネオン エンタテインメント 2005/08/24 ¥3,990
ガールフレンドとの甘い思い出を胸に、戦地へと赴いた青年ジョニー(ティモシー・ボトムズ)だが、敵の攻撃により目と耳、両手両足を失ってしまう。移送された病院で自らの境遇を理解したジョニーは、絶望のどん底から、少しずつ生きる希望を見いだしていく。静かでありながら壮絶的な作品。視覚、聴覚、そして手足を失った人間が、絶望の淵に見出す希望とはなんなのか。青年の夢と現実の世界とが往還する。カラーとモノクロ。天国と地獄。人間はどのような状態であっても幸せを見出していけるのだろうか。どの時代にも消えることのない、人間の根源的な問題に、この作品は踏みこんでいる。
監督は、ハリウッドに吹き荒れた“赤狩り”の犠牲となり1949年に投獄された経験を持つダルトン・トランボ。出所後、「ローマの休日」(原作ともども偽名で執筆したが、製作50周年記念バージョンには、トランボの名前が正式にクレジットされた)「スパルタカス」「いそしぎ」などの脚本を書きつつ、齢65歳にして監督デヴューを果たした作品が「ジョニーは戦場へ行った」だ。そのアウトラインを耳にすると、グロテスクな印象を持たれがちな作品だが、モノクロームの画面を飾るのは、さながら詩のような生命への賛歌である。人間として生き、人間として死ぬ。そのことを許されない境遇に陥ったジョニーという名の平凡な青年が回想する美しい記憶と、衝撃的な現実が静かに、されど力強く描かれ、見る者の心にナイフを突きつける。
善悪道徳に対する強迫とは、つまるところ心の潔癖症なのだと思う。
僕の心は、汚れきっているのに、潔癖なんて実際笑ってしまうけど、その心がこれ以上汚れてしまわないように必死に抗っている。
この場合の汚れるっていうのは、普遍的な善悪ではなく、自分が基準とする悪に自分が陥ってしまわざるをえないこと(といっても、普遍的な善悪の概念にかなりの部分、自分の基準が重なっているのだけれど)。
まあ、僕の基準は、おそらく、普遍的一般的な悪の概念よりも、より詳細、というか、より理屈っぽく、窮屈だと、長年その概念に縛られてきた僕自身、身をもって体験してきて思う。
だから、困るのは、世間でいわば普遍的な概念として、悪の範疇に入らないことが、僕にとっては悪の範疇に入るときに、その齟齬が、非常に僕を窮屈にしてしまうわけで、どうにかしなきゃ、僕は社会でやっていけんだろうと思うけど、じゃあ、どうにかするって、自分の悪の概念とすることが悪ではないとすることに僕が納得するだけの根拠を備えた理屈でもって僕の今の価値観を論破しないことには成されない。
なぜなら、今の僕にとって、僕の持っている価値観は、不変ではないが、現在の僕の知識の範疇にあっては絶対的であって、それはつまり、独善的にいうなら、「正しいこと」なわけである。
その「正しいこと」を論破しないままに妥協するとなると、僕は、「正しくないこと」、をすることになり、じゃあ、「正しくないこと」をすることが、「正しいこと」をすることよりも正しいという選択を僕がしてしまっていることになって、これは辻褄が合わないのである。辻褄が合わないことをやって良しとすると、じゃあ、何やってもいいんだって話になって、ニヒリズム。僕の価値観はそこから瓦解していっちゃって、僕はなんでもする人間になってしまう。つまり、極悪非道の人間になるかもしれないのである。
だから、僕が僕にとって現在、「悪」であると思われていることをするためには、妥協ではなく、どこかから、その「悪」を「善」に転換する明快な論理を導き出さなければならない。
これはとんでもなく大変なことであって、なんとならば、今の僕の「善」「悪」の概念は、幼い頃から僕が積み重ねてきた経験から、構築してきたものであって、その壁はものすごく高くそして強固であるため、多少の修正なら可能かもしれないが、僕が「悪」と感じているものを正反対の「善」へとひっくり返すなんてことは、まず持って不可能ではないかと。
なぜなら、それは、僕、というパラダイムの転換。過去営々と築き上げてきた僕の喪失。過去の自分の否定。僕をまたもや再構築していかなければならず、となると、僕の中の保守派が、必死に抵抗するのである。
ダーウィンの進化論くらい強烈な理論が現れてくれないことには。。。
現在の僕は、この善悪に対する強迫をはたして克服することが良いことなのか、正しいことなのかもわからない状態にある。
こう考えてみると、小泉さんにに反対する人たちの気持ちをなんとなく解ったりする。僕も自分の既得権益にしがみついてるようなもんだしw。でも実際には、僕の場合得でも益でもなく、ただ苦しいだけなんだけどね。
ようは、確固たる論理と、明確な後々なビジョンが見えてこないことには、危険はおかせないという、人間の壁。
僕の心は、汚れきっているのに、潔癖なんて実際笑ってしまうけど、その心がこれ以上汚れてしまわないように必死に抗っている。
この場合の汚れるっていうのは、普遍的な善悪ではなく、自分が基準とする悪に自分が陥ってしまわざるをえないこと(といっても、普遍的な善悪の概念にかなりの部分、自分の基準が重なっているのだけれど)。
まあ、僕の基準は、おそらく、普遍的一般的な悪の概念よりも、より詳細、というか、より理屈っぽく、窮屈だと、長年その概念に縛られてきた僕自身、身をもって体験してきて思う。
だから、困るのは、世間でいわば普遍的な概念として、悪の範疇に入らないことが、僕にとっては悪の範疇に入るときに、その齟齬が、非常に僕を窮屈にしてしまうわけで、どうにかしなきゃ、僕は社会でやっていけんだろうと思うけど、じゃあ、どうにかするって、自分の悪の概念とすることが悪ではないとすることに僕が納得するだけの根拠を備えた理屈でもって僕の今の価値観を論破しないことには成されない。
なぜなら、今の僕にとって、僕の持っている価値観は、不変ではないが、現在の僕の知識の範疇にあっては絶対的であって、それはつまり、独善的にいうなら、「正しいこと」なわけである。
その「正しいこと」を論破しないままに妥協するとなると、僕は、「正しくないこと」、をすることになり、じゃあ、「正しくないこと」をすることが、「正しいこと」をすることよりも正しいという選択を僕がしてしまっていることになって、これは辻褄が合わないのである。辻褄が合わないことをやって良しとすると、じゃあ、何やってもいいんだって話になって、ニヒリズム。僕の価値観はそこから瓦解していっちゃって、僕はなんでもする人間になってしまう。つまり、極悪非道の人間になるかもしれないのである。
だから、僕が僕にとって現在、「悪」であると思われていることをするためには、妥協ではなく、どこかから、その「悪」を「善」に転換する明快な論理を導き出さなければならない。
これはとんでもなく大変なことであって、なんとならば、今の僕の「善」「悪」の概念は、幼い頃から僕が積み重ねてきた経験から、構築してきたものであって、その壁はものすごく高くそして強固であるため、多少の修正なら可能かもしれないが、僕が「悪」と感じているものを正反対の「善」へとひっくり返すなんてことは、まず持って不可能ではないかと。
なぜなら、それは、僕、というパラダイムの転換。過去営々と築き上げてきた僕の喪失。過去の自分の否定。僕をまたもや再構築していかなければならず、となると、僕の中の保守派が、必死に抵抗するのである。
ダーウィンの進化論くらい強烈な理論が現れてくれないことには。。。
現在の僕は、この善悪に対する強迫をはたして克服することが良いことなのか、正しいことなのかもわからない状態にある。
こう考えてみると、小泉さんにに反対する人たちの気持ちをなんとなく解ったりする。僕も自分の既得権益にしがみついてるようなもんだしw。でも実際には、僕の場合得でも益でもなく、ただ苦しいだけなんだけどね。
ようは、確固たる論理と、明確な後々なビジョンが見えてこないことには、危険はおかせないという、人間の壁。
読書 『日出る国の工場』
2005年8月27日 読書
ISBN:4101001375 文庫 安西 水丸 新潮社 1990/03 ¥700
ある時は牛に蹴飛ばされそうになりながら「牧場」を歩き、またある時は新郎新婦になりきって「結婚式場」を取材する。その他、「人体標本工場」「消しゴム工場」「コム・デ・ギャルソン工場」「コンパクト・ディスク工場」に「アデランス工場」と、好奇心で選んだ7つの〈工場〉を、自称ノン・フィクション作家、春樹&水丸コンビが訪ねます。イラストとエッセイでつづる、楽しい〈工場〉訪問記。村上春樹は、ほんとに安西水丸と仲いいんだなあ。村上春樹版プロジェクトX?あんなドラマチックな演出は全くなしだけど、だからこそ村上的。その後の小説の取材もかねてなんだろうけど、ここに書かれている、かつら工場だったと思うけど、取材内容が、「ねじまき鳥クロニクル」にそのまんま出てきてたよね。
後悔、先に立ってくれ。
2005年8月26日1日考えて、今回は、見送ることにした。
まだ、1社しか受けていないし、もう少し見てみてもよいかな。
ワークプラザの人が紹介してくれた、テレビ局のアシスタントの契約社員と、もう一つ、コピーライターの仕事、仕事場の下見に行ってみたりしてみようかな。これから、9月、10月になれば、一気に職業も増えてくるだろうし、自分のできそうな仕事、もしくは希望にかなうものが見つかるかもしれない。甘いかな。。。
とりあえず、今日は、この前面接を受けた会社に電話して、もう一度面接官の方と会う約束をして、あとは、就職関係のことはせずに、掃除に明け暮れた。
僕の所有しているテニスのビデオ、気に入ったやつを友達に貸してしまって、そのまま紛失してしまったのがかなりある。あと、2001年から2004年までのテニスのビデオを撮ってない。今更ながら、後悔してもしきれない。フェデラーの強くなる過程が見れなかったなんて(泣)テニスビデオは、今後、誰にも貸さずにおこうと固く誓ったのであった。そして、テニスの熱が冷めても、またいつ復活するかわからないので、とりあえず、中継は撮りつづけておこうと。。。
明日は、履歴書を買って、できたら、テレビ局の下見して、できたら、添え状と紹介状の草稿を練るとするか。
まだ、1社しか受けていないし、もう少し見てみてもよいかな。
ワークプラザの人が紹介してくれた、テレビ局のアシスタントの契約社員と、もう一つ、コピーライターの仕事、仕事場の下見に行ってみたりしてみようかな。これから、9月、10月になれば、一気に職業も増えてくるだろうし、自分のできそうな仕事、もしくは希望にかなうものが見つかるかもしれない。甘いかな。。。
とりあえず、今日は、この前面接を受けた会社に電話して、もう一度面接官の方と会う約束をして、あとは、就職関係のことはせずに、掃除に明け暮れた。
僕の所有しているテニスのビデオ、気に入ったやつを友達に貸してしまって、そのまま紛失してしまったのがかなりある。あと、2001年から2004年までのテニスのビデオを撮ってない。今更ながら、後悔してもしきれない。フェデラーの強くなる過程が見れなかったなんて(泣)テニスビデオは、今後、誰にも貸さずにおこうと固く誓ったのであった。そして、テニスの熱が冷めても、またいつ復活するかわからないので、とりあえず、中継は撮りつづけておこうと。。。
明日は、履歴書を買って、できたら、テレビ局の下見して、できたら、添え状と紹介状の草稿を練るとするか。
映画 『ショート・サーキット2~がんばれ!ジョニー5~』
2005年8月26日 映画〔洋画〕
DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2004/11/26 ¥2,625
コメディであっても、何気に、深いメッセージをこめていて、ほろりとくるんだよなあ。
コメディアドベンチャー『ショート・サーキット』の続編。すっかり人間に馴染み“ジョニー5”という愛称で呼ばれるようになった人気者のハイテクロボット。都会の暮らしに疲ていたところに、銀行強盗の片棒をかつがされたジョニー5は、大立ち回りする。もう見たのはずっと昔の話になるけど、思わず頑張れとほんとに叫んでしまいそうな、純粋なジョニー。
コメディであっても、何気に、深いメッセージをこめていて、ほろりとくるんだよなあ。
人生は道。だから道草が必要だ。
2005年8月25日ずっと向こうに見えるゴールの旗だけをみてがむしゃらに走っていると、その過程にある、色んな壁や、崖のような障害に気づかず、結果的には、自分の身が傷ついたり、ゴールにたどり着けなかったりする。
一度立ち止まって、まわりを見てみよう。旗にたどり着くまでにどんな障害があり、現在の自分の能力で、その障害を一足飛びに切りぬけていけるかどうかを考えてみよう。
旗にたどり着くには、まず、目の前の壁を乗り越えなきゃいけない。まずは、ゴールのことを考えるよりも、目の前の壁をどう乗り越えるか。乗り越えるために自分ができることはなにか。その、自分のできることからしていこう。その積み重ねが、実はゴールへの最も早くて、近い道なのかもしれない。
今日、病院に行ってきた。
そして、一昨日の面接のことを話した。
先生は、こう言った。
「君は、もともと、ハンデがある。眼が見えない人に、字を読めといっても無理だろう。君が今の状態で何かできるかが大切なんじゃないかな。自分が何がしたいかを考えるのも大切かもしれない。しかし、したいことをするには、できなきゃならない。君が確実にできると思うこと。まずそれをしながら、次ぎのステップへの努力をしていくのではどうだろう。」
以前、友人にも、教えてもらった。
「自分がやりたいことではなく、自分に何ができるかを考えて就職活動をしてみると、視野が広がるよ」
今、僕は何ができるだろう。
僕に今あるのは、意気込みだけだ。経験もなければ、実績もなければ、やり遂げる確信や勇気も僕の想像内の強さでしかないのだ。
今僕がやることは、自分の、今ある、想像の勇気や、確信を、現実のものにすることなのではないだろうか。
まずは、自分がやれると思うことを試してみて、果たして現実としてやれるのかを確かめる。そうして現実的な自信をつけたところで、自分がやれるかわからないことに挑戦する。そのときには確実に、自信が想像上のものであったときよりも敷居が低くなっているはずだ。
病院の後は、またワークプラザに行った。
僕は、契約社員や派遣のことも考えている旨を伝えた。
職員の方は、「君には夢がある。派遣や、契約、またはバイトをするにしても、全く希望からそれた職に就いて、そこで安定してしまうと、逆にその道から踏み出せなくなてしまう可能性もあるんだ。どうせするなら、私は、君の夢に近いところで、経験をつんでほしい」といって、番組製作の契約社員を紹介してくれた。
色んな意見がある。僕は今、色んな人たちの、人生の先輩たちの言葉を聞いて、それを材料に、自分の判断を導き出していかなきゃならない。
一度立ち止まって、まわりを見てみよう。旗にたどり着くまでにどんな障害があり、現在の自分の能力で、その障害を一足飛びに切りぬけていけるかどうかを考えてみよう。
旗にたどり着くには、まず、目の前の壁を乗り越えなきゃいけない。まずは、ゴールのことを考えるよりも、目の前の壁をどう乗り越えるか。乗り越えるために自分ができることはなにか。その、自分のできることからしていこう。その積み重ねが、実はゴールへの最も早くて、近い道なのかもしれない。
今日、病院に行ってきた。
そして、一昨日の面接のことを話した。
先生は、こう言った。
「君は、もともと、ハンデがある。眼が見えない人に、字を読めといっても無理だろう。君が今の状態で何かできるかが大切なんじゃないかな。自分が何がしたいかを考えるのも大切かもしれない。しかし、したいことをするには、できなきゃならない。君が確実にできると思うこと。まずそれをしながら、次ぎのステップへの努力をしていくのではどうだろう。」
以前、友人にも、教えてもらった。
「自分がやりたいことではなく、自分に何ができるかを考えて就職活動をしてみると、視野が広がるよ」
今、僕は何ができるだろう。
僕に今あるのは、意気込みだけだ。経験もなければ、実績もなければ、やり遂げる確信や勇気も僕の想像内の強さでしかないのだ。
今僕がやることは、自分の、今ある、想像の勇気や、確信を、現実のものにすることなのではないだろうか。
まずは、自分がやれると思うことを試してみて、果たして現実としてやれるのかを確かめる。そうして現実的な自信をつけたところで、自分がやれるかわからないことに挑戦する。そのときには確実に、自信が想像上のものであったときよりも敷居が低くなっているはずだ。
病院の後は、またワークプラザに行った。
僕は、契約社員や派遣のことも考えている旨を伝えた。
職員の方は、「君には夢がある。派遣や、契約、またはバイトをするにしても、全く希望からそれた職に就いて、そこで安定してしまうと、逆にその道から踏み出せなくなてしまう可能性もあるんだ。どうせするなら、私は、君の夢に近いところで、経験をつんでほしい」といって、番組製作の契約社員を紹介してくれた。
色んな意見がある。僕は今、色んな人たちの、人生の先輩たちの言葉を聞いて、それを材料に、自分の判断を導き出していかなきゃならない。
読書 『村上朝日堂の逆襲』
2005年8月25日 読書
ISBN:4101001367 文庫 安西 水丸 新潮社 1989/10 ¥460
安西水丸さんの絵は、シンプルだけど、とても良い雰囲気がある。
村上さんのエッセイの姿勢としっくり合っていて、この絵があるからさらに味わいぶかくなってるのは間違いないところ。村上春樹の顔って、安西氏が描くと、ものすごく単純だけど、なんでこんなに特徴を掴んでいるんだろう。
交通ストと床屋と教訓的な話とハワイで食べる冷麦が好き。高いところと猫のいない生活とスーツが苦手。時には「セーラー服を着た鉛筆」について考察するかと思うと、小津安二郎の映画の細部にこだわったりもする。「自由業の問題点について」に始まって、「長距離ランナーの麦酒」に終わる、御存じ、文・村上春樹とイラスト・安西水丸のコンビが読者に贈る素敵なワンダーランド。エッセイに慣れてきた村上さん。字数も多くなり、内容も濃くなって、って、相変わらず、日常的なエッセーだけど。さらに村上春樹の人となりを知れる。
安西水丸さんの絵は、シンプルだけど、とても良い雰囲気がある。
村上さんのエッセイの姿勢としっくり合っていて、この絵があるからさらに味わいぶかくなってるのは間違いないところ。村上春樹の顔って、安西氏が描くと、ものすごく単純だけど、なんでこんなに特徴を掴んでいるんだろう。
人は一人ではありえない。
2005年8月24日デパスのせいで、昼まで眠ってしまった^^;
頭がふらふらする〜。
昼から、ワークプラザに行って、昨日のことを職員の方に色々と話す。
そうしたら、君に合うかもしれないと、法律事務書を紹介していただいた。
でも、事務所に確認を取ってみると、どうやら女性しか取らないとのこと。
だけど、こうやって、職員の人と懇意になっていくと、色々ととても世話を焼いてくれて、本当に感謝感謝で一杯。
色んな人の色んな話や考えを聞くことで、僕はとっても助かってる。そして、心が軽くなる。僕は、思いつめるところがあるので、できるだけケセラセラの精神を意識してやっていかなきゃと思う。
人の暖かさを、感じる今日この頃です。
頭がふらふらする〜。
昼から、ワークプラザに行って、昨日のことを職員の方に色々と話す。
そうしたら、君に合うかもしれないと、法律事務書を紹介していただいた。
でも、事務所に確認を取ってみると、どうやら女性しか取らないとのこと。
だけど、こうやって、職員の人と懇意になっていくと、色々ととても世話を焼いてくれて、本当に感謝感謝で一杯。
色んな人の色んな話や考えを聞くことで、僕はとっても助かってる。そして、心が軽くなる。僕は、思いつめるところがあるので、できるだけケセラセラの精神を意識してやっていかなきゃと思う。
人の暖かさを、感じる今日この頃です。
映画 『ショート・サーキット』
2005年8月24日 映画〔洋画〕
DVD ビデオメーカー 2003/11/07 ¥3,990
と、そんなことはさておき、この作品は、かなり見た。楽しく、且つ悲しかったりもする。でも最終的にはエヘヘってなる作品で、小さいころに見た僕は良い思いでの作品でありました。
ニック・オブ・タイム』のJ・バダム監督が手掛けたSF映画。核戦争に備えて開発されたロボット兵器、ナンバー・ファイブは、落雷事故により感情に目覚める。やがて、ナンバー・ファイブは偶然知り合った女性・ステファニーと心を通わせるようになる。感情を持った機械。これはヒューマノイドではないので、見分けがつくけど感情というものが一体なんなのか、それがわからない限りは、人間と感情のある機械がともに生き物であるかないかの問題は、解決しないだろうな。感情は記憶の蓄積だととるなら、機械と人間の境界は崩れちゃう訳だから。じゃあ、感情ってなんなのさ?ということなんである。
と、そんなことはさておき、この作品は、かなり見た。楽しく、且つ悲しかったりもする。でも最終的にはエヘヘってなる作品で、小さいころに見た僕は良い思いでの作品でありました。
泣いちゃった。
2005年8月23日今日は面接の日。
とても良く眠れた。
実に生まれて始めての本面接。やっぱり緊張からか、朝食もあまり食べれず。胃が弱いので、食べれないのが、逆に腹を下さなくて良いのかもしれない。
午後1時からなので、少し早めに駅に向かう。駅で、友達の助言通り、飲み薬の胃腸薬をコンビニで買って飲んでおく。苦い。
それにしても暑い。この背広は明らかに生地が厚い。
しかもそれは雨。目的地に着いたはいいが、なんと場所がわからず迷ってしまい、最後はコンビニで場所を聞いて会社に到着。てか、早く着といて良かった。。。
昭和20年代からある会社なので、かなり年季が入った建物だった。入って、「こんにちわ、このたび面接に参りましまらりゃれ」って、早速噛んじゃったけど、相手はあんまり気にしていないようで良かった。
面接は、僕のほかにもう一人女性が来ていた。
最初は僕。
違う部屋に案内され、しばらくまってると、面接官の方が現れる。
僕が送った履歴書や添え状、自己紹介書をみて、かなり好印象ですといってくれる。
ここは面接重視なので、細かいことは気にせずに、リラックスして、自分の思ったことを話してほしいとのこと。
色んなことを話したよ。でも話しすぎてしまったのかもしれない。
詳しいことは書かないが、最後には、僕は、目に涙をためて、面接官の方と硬い握手をしていたのだけど。。。
ちょっと、不思議なことになった。
ひとまず、木曜に病院の診察があるので、その先生の意見を聞いて、考えて、も一回面接官と会うことになった。
帰りの電車で、色々考えた。
帰っても考えた。
考えすぎて、眠れなくなったので、久しぶりにデパスを飲んだ。
どうなるかは、僕次第なのだもの。。。
とても良く眠れた。
実に生まれて始めての本面接。やっぱり緊張からか、朝食もあまり食べれず。胃が弱いので、食べれないのが、逆に腹を下さなくて良いのかもしれない。
午後1時からなので、少し早めに駅に向かう。駅で、友達の助言通り、飲み薬の胃腸薬をコンビニで買って飲んでおく。苦い。
それにしても暑い。この背広は明らかに生地が厚い。
しかもそれは雨。目的地に着いたはいいが、なんと場所がわからず迷ってしまい、最後はコンビニで場所を聞いて会社に到着。てか、早く着といて良かった。。。
昭和20年代からある会社なので、かなり年季が入った建物だった。入って、「こんにちわ、このたび面接に参りましまらりゃれ」って、早速噛んじゃったけど、相手はあんまり気にしていないようで良かった。
面接は、僕のほかにもう一人女性が来ていた。
最初は僕。
違う部屋に案内され、しばらくまってると、面接官の方が現れる。
僕が送った履歴書や添え状、自己紹介書をみて、かなり好印象ですといってくれる。
ここは面接重視なので、細かいことは気にせずに、リラックスして、自分の思ったことを話してほしいとのこと。
色んなことを話したよ。でも話しすぎてしまったのかもしれない。
詳しいことは書かないが、最後には、僕は、目に涙をためて、面接官の方と硬い握手をしていたのだけど。。。
ちょっと、不思議なことになった。
ひとまず、木曜に病院の診察があるので、その先生の意見を聞いて、考えて、も一回面接官と会うことになった。
帰りの電車で、色々考えた。
帰っても考えた。
考えすぎて、眠れなくなったので、久しぶりにデパスを飲んだ。
どうなるかは、僕次第なのだもの。。。
読書 『Ai ジョン・レノンが見た日本』
2005年8月23日 読書
ISBN:4480036970 文庫 オノ ヨーコ 筑摩書房 2001/12 ¥672
ジョン・レノンが、絵とローマ字を使って日本語を学んだスケッチブック。「おかげさまで!」「おだいじに!」「毎日生まれ変わります」などジョンの感性が捉えた日本語とイラストの新鮮さ。「ページをめくるたびに、ジョンの頭にうかんだ陽気なイメージを見ることができるでしょう」(オノ・ヨーコ序文)。ジョンからの不朽の贈り物。ジョンレノンの日本語練習スケッチ。こういう絵を見ていると、ジョンは右脳人間だったんだなあって思う。ジョンの絵は、ラフスケッチっぽい描写で、ヘタウマっていうか、味があるね。
模擬面接
2005年8月22日模擬面接なので、スーツでも着ていこうかしらん。
昨日紳士服の某ぼぼぼで購入したスーツを持ってバスでマンションに帰る。
スーツに身を固めると、不思議と背筋が伸びる。それにしても、暑い。
ワークプラザで、2時からなので、昼頃にいって、マックでバーガーを食す。
いつも担当してくださる、職員の人が、面接官。
やっぱりいつも話しているのとは感じが違う。
細かいところ。入るところから、色々とやっておいたほうがいいことがあるみたい。
面接が始まると、もともと自分の意見を話すのは好きだったりするので、とてもスムーズに進んだ。趣味の話では、フランクキャプラや、小津安二郎、黒澤明に話が及んだりした。
職員の方が青春のころの映画だったんだと思う。僕がそういう話をするのは、好印象なのかもしれない。
記事を書くに当たって、どの監督のスタイルが適しているか。僕は、はっきりと明暗を示す黒澤の手法は読者に主張が明確に伝わりやすいということで、黒澤だろうといったけど、職員の方は、市民の日常を描いた小津が新聞的なのではないかという意見だったので、結論として、小津的な題材を、黒澤的なスタイルで表現することが、一番、読者の心をつかむのではないかという結論に至った。
僕は、声のトーンが良くて聞き易いとお褒めの言葉を賜った。
面接に問題はないとオッケーサインをいただいた。
あとは自信を持てばいいと。
模擬面接が終ると、胃が軽くなって、ソフトクリームを食って帰った。
昨日紳士服の某ぼぼぼで購入したスーツを持ってバスでマンションに帰る。
スーツに身を固めると、不思議と背筋が伸びる。それにしても、暑い。
ワークプラザで、2時からなので、昼頃にいって、マックでバーガーを食す。
いつも担当してくださる、職員の人が、面接官。
やっぱりいつも話しているのとは感じが違う。
細かいところ。入るところから、色々とやっておいたほうがいいことがあるみたい。
面接が始まると、もともと自分の意見を話すのは好きだったりするので、とてもスムーズに進んだ。趣味の話では、フランクキャプラや、小津安二郎、黒澤明に話が及んだりした。
職員の方が青春のころの映画だったんだと思う。僕がそういう話をするのは、好印象なのかもしれない。
記事を書くに当たって、どの監督のスタイルが適しているか。僕は、はっきりと明暗を示す黒澤の手法は読者に主張が明確に伝わりやすいということで、黒澤だろうといったけど、職員の方は、市民の日常を描いた小津が新聞的なのではないかという意見だったので、結論として、小津的な題材を、黒澤的なスタイルで表現することが、一番、読者の心をつかむのではないかという結論に至った。
僕は、声のトーンが良くて聞き易いとお褒めの言葉を賜った。
面接に問題はないとオッケーサインをいただいた。
あとは自信を持てばいいと。
模擬面接が終ると、胃が軽くなって、ソフトクリームを食って帰った。
DVD ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2004/04/02 ¥2,090
ジョーズは確かにでかいけど、退治に行ったクルーたちの慢心も惨事の一つの原因だと思いますよ。
でもまあ、パニック映画だからさ。ゴジラ対ジョーズ、見てみたいけど、すぐに勝負つくな。音楽はどっとを使うべきか。
アミティビルで、サメに襲われた女性の死体があがった。保安官ブロディや海洋学者は海水浴場の閉鎖を進言するが、そこが市の収入源であるため、市長は耳を貸さない。悲劇はさらに起こり、ブロディたちはサメ退治に向かった。坊主が屏風に上手なジョーズの絵を書いた。っていう早口言葉は、え?間違ってる?
1975年に公開され、それまでの興行成績を大幅に塗り替えたメガヒット作である。スティーヴン・スピルバーグが、弱冠27歳にして作りあげたサスペンス大作だ。保安官ブロディをロイ・シャイダーが、海洋学者をリチャード・ドレイファスが、そして漁師クイントをロバート・ショウが演じている。
ジョーズは確かにでかいけど、退治に行ったクルーたちの慢心も惨事の一つの原因だと思いますよ。
でもまあ、パニック映画だからさ。ゴジラ対ジョーズ、見てみたいけど、すぐに勝負つくな。音楽はどっとを使うべきか。
ウォームビズできて背広が淘汰されてったりして。
2005年8月21日テニスを見て、一旦寝て、悪夢で起きる。
なん悪夢見るかなあと憤ってみたりしたわけだが、少々体の変調に気づく。昨日雨にぬれたのが悪かったのか、寒気がして風邪を引きかかってたっぽかったので、飯食ってビタミン剤飲んで、毛布に包まって、テニスまた見てたら少し良くなったので、追い討ちをかけるよにまた眠る・・・。
僕は大学入学当時よりも随分と太ってしまっているので、果たして背広が入るのか?という懸念が母親に沸いてきたらしく、大丈夫だという僕の言葉は荼毘にふされ、昼頃起こされ、父親の車を僕が運転して、マンションまで一旦戻って、背広を試着してみると、どうにか上手く収まっている腹に安堵したはいいが、この際だから、今後いりようになるやもしれぬ背広、カバン、ネクタイ、靴下、などを購入しとこうということになり、紳士服の某ぼぼぼへと出かける。右折で店に入るのはまだ慣れぬ、怖い怖い。と僕はいわなかったが、父が起こっているところを見るとそういうことらしい。
背広なんて大学の入学式と、公務員の証明写真のときしか着てないからさ、さっぱりわかんないさ〜。これは今更フレッシュマンになる僕としては勉強しとかないといけない分野なのかなあ。
とかいいつつ、ほとんど店員任せにとんとん拍子にきまっていくわけだが、営業という職業を改めて観察してみると、いやあ、なんて巧妙なんだと感心してしまうって、その手法にまんまと乗せられているかに見える僕ら家族は、たぶんまんまと購買欲をそそられて乗せられてしまっていたのだろうなあ。
帰って写真の整理をすると、長男の兄の写真と比べて次男の僕の写真が極端に少ないことを発見し、2度目の出産の慣れ、倦怠。次男の憂いを感じつつ、でも実は全然愁いてもいない僕は母とそのことでケタケタと談笑してたらもう夕方で夕飯食って、スイカ食って風呂はいって、深夜午前一時から、テニス中継を見る。
なん悪夢見るかなあと憤ってみたりしたわけだが、少々体の変調に気づく。昨日雨にぬれたのが悪かったのか、寒気がして風邪を引きかかってたっぽかったので、飯食ってビタミン剤飲んで、毛布に包まって、テニスまた見てたら少し良くなったので、追い討ちをかけるよにまた眠る・・・。
僕は大学入学当時よりも随分と太ってしまっているので、果たして背広が入るのか?という懸念が母親に沸いてきたらしく、大丈夫だという僕の言葉は荼毘にふされ、昼頃起こされ、父親の車を僕が運転して、マンションまで一旦戻って、背広を試着してみると、どうにか上手く収まっている腹に安堵したはいいが、この際だから、今後いりようになるやもしれぬ背広、カバン、ネクタイ、靴下、などを購入しとこうということになり、紳士服の某ぼぼぼへと出かける。右折で店に入るのはまだ慣れぬ、怖い怖い。と僕はいわなかったが、父が起こっているところを見るとそういうことらしい。
背広なんて大学の入学式と、公務員の証明写真のときしか着てないからさ、さっぱりわかんないさ〜。これは今更フレッシュマンになる僕としては勉強しとかないといけない分野なのかなあ。
とかいいつつ、ほとんど店員任せにとんとん拍子にきまっていくわけだが、営業という職業を改めて観察してみると、いやあ、なんて巧妙なんだと感心してしまうって、その手法にまんまと乗せられているかに見える僕ら家族は、たぶんまんまと購買欲をそそられて乗せられてしまっていたのだろうなあ。
帰って写真の整理をすると、長男の兄の写真と比べて次男の僕の写真が極端に少ないことを発見し、2度目の出産の慣れ、倦怠。次男の憂いを感じつつ、でも実は全然愁いてもいない僕は母とそのことでケタケタと談笑してたらもう夕方で夕飯食って、スイカ食って風呂はいって、深夜午前一時から、テニス中継を見る。
読書 『村上朝日堂』
2005年8月21日 読書
ISBN:4101001324 文庫 安西 水丸 新潮社 1987/02 ¥500
でも個人的には、作家は先生でもなんでもないので、昔の村上春樹のようなデタッチメントな姿勢の作家は貴重であり、今後増えることで、作家の裾野も広がるんじゃないかと思う。
そういう意味で、これは村上春樹個人のことがよくわかる、いたって個人的なエッセー。
ビールと豆腐と引越しとヤクルト・スワローズが好きで、蟻ととかげと毛虫とフリオ・イグレシアスが嫌いで、あるときはムーミン・パパに、またあるときはロンメル将軍に思いを馳せる。そんな「村上春樹ワールド」を、ご存じ安西水丸画伯のイラストが彩ります。巻末には文・安西、画・村上と立場を替えた「逆転コラム」付き。これ一冊であなたも春樹&水丸ファミリーの仲間入り!?村上春樹が、エッセーを書き始めるのを渋っていたのは、なんとなくわかる。小説家が、そのエッセンスをエッセーに振り分けるというのは、もったいなく、且つ不安なことだと思う。小説家だって、ネタが無尽蔵なわけではないから、できるだけ本業の小説に材料は次ぎこみたいもんね。また、これは甚だ誤解だと思うのだが、作家というものは何故か、先生と呼ばれたりすることがある。だから、当人の作家のほうも、小説とは違った、エッセーの路線みたいなもの、なにか社会的な大層な哲学や論を展開しなければみたいに肩肘張っちゃうんだろうて。僕は、作家というものは、先生でも何でもない、単なる一職人の形態だという風に思っているわけだが、村上春樹もそう考えているらしく、いわばエッセーといってもこっちの路線。まあ、なんら人々を啓蒙するでもない、いち小市民的小説家の日常なるものを展開するに至っているわけで、それは、現在の村上春樹とは少々ことなる。つまり、社会との距離、自分の主張というものをあくまで自分のまわりの日常の出来事に限定することで、社会的責任、というものから回避しようという、いわば(先生と呼ばれる)作家としての望まれる責務に対する躊躇であるようにも思えるのだけど。それは村上春樹自身が、違う本で、徐々に社会に対してデタッチメントからコミットメントに移行していったと言うふうに述べていることからもわかることだけど。その背後に、ノーベル賞の影響があるとかないとか。。。
でも個人的には、作家は先生でもなんでもないので、昔の村上春樹のようなデタッチメントな姿勢の作家は貴重であり、今後増えることで、作家の裾野も広がるんじゃないかと思う。
そういう意味で、これは村上春樹個人のことがよくわかる、いたって個人的なエッセー。
しゃぶしゃぶ茶漬けってあるのかしらん
2005年8月20日バスで実家に帰ろうと思ってたら、父親から電話があって、僕を迎えにきてくれた。
外はいつのまにやらものすごい豪雨で、傘をさしていたのにもかかわらず、駐車場にまで行くだけで、びっちょりぬれてしまった。
まあ、往々にしてこういった豪雨は、すぐに止んでしまうのだけど、という予想に違わず実家に帰るまでにすっからかんにやまってやんの。
夕食何が言いと聞かれて、即座にしゃぶしゃぶと答えたのだが、予想に違って冷しゃぶだったので、そうか、鍋はまだ早いのかと意気阻喪したが、冷しゃぶがとても上手かったので意気軒昂する。
日本一の梅干とやらが台所においてあったので一つ拝借して、うめ茶漬けで食してみたところ、従来の梅と何が違うのかわからず、庶民の僕はただ梅はうめえと連呼しようとしたのだが、すっぱくて口をすぼめてしまったため、志半ばで挫折。
今日のテニスは明日(?)の午前3時からだとかで、早く寝らんといけんので、寝た。
外はいつのまにやらものすごい豪雨で、傘をさしていたのにもかかわらず、駐車場にまで行くだけで、びっちょりぬれてしまった。
まあ、往々にしてこういった豪雨は、すぐに止んでしまうのだけど、という予想に違わず実家に帰るまでにすっからかんにやまってやんの。
夕食何が言いと聞かれて、即座にしゃぶしゃぶと答えたのだが、予想に違って冷しゃぶだったので、そうか、鍋はまだ早いのかと意気阻喪したが、冷しゃぶがとても上手かったので意気軒昂する。
日本一の梅干とやらが台所においてあったので一つ拝借して、うめ茶漬けで食してみたところ、従来の梅と何が違うのかわからず、庶民の僕はただ梅はうめえと連呼しようとしたのだが、すっぱくて口をすぼめてしまったため、志半ばで挫折。
今日のテニスは明日(?)の午前3時からだとかで、早く寝らんといけんので、寝た。
映画 『ショーシャンクの空に』
2005年8月20日 映画〔洋画〕
DVD 松竹 2004/03/25 ¥2,500
スティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』を映画化したのが本作である。始めてみたときの爽快感は、かなりのもので、上手くできてるなあと思った。その感覚を求めて、2回目を見たときは、それほどでもなかった。何でだろうと思いつつ「グリーンマイル」を見て、うーん、この監督の人物の描き方は、やや浅薄なのかもしれないなあ、と感じた。もう少し、人物の内面を深く掘り下げることができたら、さらに素晴らしい作品になったような気がする。
妻とその愛人殺しの容疑で終身刑の判決を受ける、銀行マンのアンディ。無実の罪ながら投獄されるが、決して希望を捨てず、自由を得られる明日を信じ続ける。一方、古株の囚人レッドはそんなアンディに、「刑務所で希望をもつのは禁物」だと忠告する。アンディとレッドの友情を中心に、ショーシャンク刑務所で生きる男たちのさまざまな人間模様を描いていく。人生の不条理や悲しみを問いかけながらも、たどり着くラストシーンは見る者の胸をさわやかに、だが強く打つ。
いつも静かで穏やかだが、内面に強い意志をもち続けるアンディを演じるのは、ティム・ロビンス。その友人レッドに、モーガン・フリーマン。長い囚人生活に疲れはてていたが、忘れていた希望をとり戻していく姿がいい。監督は『ザ・フライ2』を手がけたフランク・ダラボン。
そろそろ蛙も大海をしらんといけんでしょう。
2005年8月19日適度な体の疲労が、心地よく深い眠りに誘ってくれたようで、久しぶりに充実感のある目覚め。
と思って朝食食べたら血糖値があがって、また眠くなる。寝なかったけどね。
どうせ明日も実家にいなきゃならないんだけど、今日は用事(この日記w)があるので、マンションへいったん帰る。
昼のバスに乗って、街についたので、昼餉を街のスタバでとっていたら、面接の日時指定の電話がかかる。どうやら書類選考はよかったみたい。予想よりも連絡が早くて焦ってしまった。
すぐに、ワークプラザに行き、ことの次第を報告し、マンションに帰ってから、図書館に行って、色々調べものして、帰りがけ本屋によって、大分関連の郷土本を2冊購入する。
と思って朝食食べたら血糖値があがって、また眠くなる。寝なかったけどね。
どうせ明日も実家にいなきゃならないんだけど、今日は用事(この日記w)があるので、マンションへいったん帰る。
昼のバスに乗って、街についたので、昼餉を街のスタバでとっていたら、面接の日時指定の電話がかかる。どうやら書類選考はよかったみたい。予想よりも連絡が早くて焦ってしまった。
すぐに、ワークプラザに行き、ことの次第を報告し、マンションに帰ってから、図書館に行って、色々調べものして、帰りがけ本屋によって、大分関連の郷土本を2冊購入する。
読書 『フランダースの犬』
2005年8月19日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4102054014 文庫 村岡 花子 新潮社 1954/04 ¥380
ちょっと前にアニメ映画でリメイクされたけど、それをなぞってるような感じがしてしまった。あっ、なぞってるのはアニメのほうなんだけどね^^;
フランダースの犬、僕はみんなが言うほどぐっとこなかったりするんだよなあ。それにしても、テレビアニメになったフランダースの犬って、全部見たことないけど、よくこの短編をシリーズ化したなあ。
「ニュールンベルグのストーブ」は、とても幻想的で、よかった。
フランダースの貧しい少年ネロは、村人たちから迫害を受けながらもルーベンスの絵に憧れ、老人パトラッシュを友として一心に絵を描きつづける。しかし、クリスマスの朝アントワープの大伽藍に見いだされたものは、この不幸な天才少年と愛犬との相抱いた亡骸だった。虐げられた者への同情を率直素朴な表現でつづった少年文学の傑作。他に「ニュールンベルグのストーブ」を併録。ピーターパンと違って、これは僕たちが知ってるストーリーのまんまの原作だあ。
ちょっと前にアニメ映画でリメイクされたけど、それをなぞってるような感じがしてしまった。あっ、なぞってるのはアニメのほうなんだけどね^^;
フランダースの犬、僕はみんなが言うほどぐっとこなかったりするんだよなあ。それにしても、テレビアニメになったフランダースの犬って、全部見たことないけど、よくこの短編をシリーズ化したなあ。
「ニュールンベルグのストーブ」は、とても幻想的で、よかった。
本当に今年最後の海
2005年8月18日資料選考が終るまで、少しだけ時間がある。
今日は、ラリーゴ君とゴリさんと、海に行く。
こないだ中止になって、もう今夏は海は無理だろうと思っていたけど、ごりさんの仕事が夏休みになったので、お盆あけだけど、海に行くことになった。
今日行ったところは、いつも行っていた人口海岸ではなくて、天然の海岸。
ちょっと遠いけど、このあいだの海があんまり汚くて懲りたので、別の海にしたのだ。
お盆明けなので、あまり人はいなかったのかもしれないが、天気は海日和で、早速、泳いだわけだが、人口海岸の海とはさすがに違い、まず、波がある。そういえば、人工海岸は波が一切なかった。そんな些細なことに感動したりしてたわけだが、お盆明けにもかかわらず、ぜんぜんクラゲも出ておらず、なによりも、海水が、ものすごく綺麗だった。
これぞ、海だ!
嬉々として僕らは、荒れ狂った。おかげで疲れた。
夕方から天気が悪くなってきて、夕立が来そうな感じになってきたので、雷がなりだして引き上げることにしたが、着替えている途中で、カギを落としてしまい、しばらくあちこち探した。
見つかったからよかったけど、二人に迷惑かけたなあ〜ごめんね。
適当な店で、カツを食して、ゲーセンで、カーレースを楽しんでから、ボーリング。
この前惨敗したもんだから、今回は、本を読んで、少し勉強しておいた。第一ゲームは、上手く行かなかったけど、2ゲーム3ゲームは、勉強の成果が出て、なかなか良いできだった。
最後にまたカーレースのゲームをして、実家に送ってもらった。
就職したら、なかなかこうやって遊べるときも少なくなると思うので、こういった時間を大切にしていきたい。
今日は、ラリーゴ君とゴリさんと、海に行く。
こないだ中止になって、もう今夏は海は無理だろうと思っていたけど、ごりさんの仕事が夏休みになったので、お盆あけだけど、海に行くことになった。
今日行ったところは、いつも行っていた人口海岸ではなくて、天然の海岸。
ちょっと遠いけど、このあいだの海があんまり汚くて懲りたので、別の海にしたのだ。
お盆明けなので、あまり人はいなかったのかもしれないが、天気は海日和で、早速、泳いだわけだが、人口海岸の海とはさすがに違い、まず、波がある。そういえば、人工海岸は波が一切なかった。そんな些細なことに感動したりしてたわけだが、お盆明けにもかかわらず、ぜんぜんクラゲも出ておらず、なによりも、海水が、ものすごく綺麗だった。
これぞ、海だ!
嬉々として僕らは、荒れ狂った。おかげで疲れた。
夕方から天気が悪くなってきて、夕立が来そうな感じになってきたので、雷がなりだして引き上げることにしたが、着替えている途中で、カギを落としてしまい、しばらくあちこち探した。
見つかったからよかったけど、二人に迷惑かけたなあ〜ごめんね。
適当な店で、カツを食して、ゲーセンで、カーレースを楽しんでから、ボーリング。
この前惨敗したもんだから、今回は、本を読んで、少し勉強しておいた。第一ゲームは、上手く行かなかったけど、2ゲーム3ゲームは、勉強の成果が出て、なかなか良いできだった。
最後にまたカーレースのゲームをして、実家に送ってもらった。
就職したら、なかなかこうやって遊べるときも少なくなると思うので、こういった時間を大切にしていきたい。