食い倒れ

2004年9月26日
朝、腹へって、起きて、旅館の朝食、ご飯を二杯半食って満腹落ち着く。

ちょっと部屋でのんびりしてから、大分に帰る。
途中で、回転焼きを買って食う。

腹いっぱいで苦しいので、実家に帰ってから、胃薬のむと、午後五時ごろ腹が減ってくる。

ばあちゃんが、高級寿司屋に予約を入れてるとのことで、そこに行く。
マジで最近高給料理ずいてる。ばあちゃん、お金だいじょぶなん??^^;

寿司屋では、ミニコース取ったけど、ミニコースの癖に大量に出てきて、自分の分だけでも大変だってのに、またもや、ばあちゃんや父から料理が回ってくるので、元来残すのが、嫌いな僕は全部平らげる。

もう腹が風船のようになって、しまいには胃が痛くなった。当然、ベルトなんてはずしているよ。

マジで胃が痛くなったので、横になって、しばらく消化を待つ。
それにしても本場の寿司屋なんてはじめてきた。やっぱりネタが全然違う。ものすごくうまかった。ばあちゃんもまたこようって行ってた。

この三日間で、かなり太ったような気がするなあ^^;
VHS ビクターエンタテインメント 2000/04/21 ¥3,129
ジーン・ウェブスターの少女小説のミュージカル化。フランスの孤児院の少女(キャロン)が、アメリカの富豪のプレイボーイ(アステア)の目に止まり、アメリカに留学。見も知らぬ「足ながおじさん」に寄せる少女の淡い恋慕と、少女に対するおじさんの愛が、スレ違いながらも最後には結ばれるという恋物語。「パリ・香港・リオ」「ドリーム」「サムシング・ガッタ・ギブ」など豪華でロマンチックなナンバー、ダンスが詰め込まれた大作。
さわやか一辺倒かと思いきや、ちょっとなまめかしい場面もあったのは、大人用に脚色が加えられているんだろな。全編ミュージカルじゃなくて、半ミュージカルって作り。足ながおじさんって、角度によっては計算高いよなあ。

湯布院で温泉

2004年9月25日 旅行
ばあちゃんのお誘いで、父親と、ばあちゃんと、湯布院の旅館へ一泊旅行。

ばあちゃんお勧めの離れ屋。個室に温泉もついてる。
あいにくながら、湯布院は曇りで、観光は、もうめんどくさいということで、旅館に着いたら早速温泉。

一時間くらい入ってたら、疲れた。温泉って入りすぎると疲れるんだよね。

ほんで、夕食まで、僕は旅館のロビーで優雅に読書、勉強。やってることは家にいるときと変わんないけど、気分はちょっとだけのんびりしてるかな。

夕食は、ばあちゃんはも父も好き嫌いが多く、僕のほうに色んなものが回ってくる。結局僕はばあちゃんと父の分も含めて二人分くらい食う羽目に。最近高級料理づいている僕。カロリーが気になっていたが、もうあきらめた。おいしいものはひたすら食おう。後のことは考えまい。

夜は、父がテレビ見てて眠れない。耳栓しても光が気になって眠れない。父にテレビを消してくれっていったら、「贅沢じゃ」なんていってんの。
もう父と一緒の部屋には泊まりたくないよ〜。

しょうがないから久し振りにデパスを服用し、強制就寝。
DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2004/09/15 ¥1,890
『フランスの思い出』を基にしたリメイク作品。子供を失い悲しみに暮れる夫婦が、夏の間預かることになった友人の子供との触れ合いの中で、お互いの絆を取り戻していく。
遊び人だったっていう夫だけれど、妻のあの状態をずっとガマンしてたんだから、ギクシャクしてることを考慮に入れるとしても、真面目な夫だと思うよう!子供を失った原因が自分にあると思って自分を責めつづける妻を好演しているグリフィスは、現実ではかなーり積極的らしいけど。
今日、唐突に腕を噛み切りたくなった。軽く噛んで抑えるけど、これは僕の強迫行為なのだ。

僕の強迫には、凶暴な奴が多くて、野生的な攻撃的な部分の抑えがききにくいのだと思う。
僕の小さい頃は、切れやすくて、怒りっぽかった。
そんな自分が嫌で嫌で、自分を必要以上に理屈で押さえ込む癖がついたのだけど、今度はそのせいで苦しんでるなんて、皮肉だよねえ。

でも、抑えこまなきゃ僕の人格障害とも、強迫とも、ここまで立ち回れなかっただろうから、こうなるしかなかったんだろうね。必要悪ってか。

ところで、いかに薬を飲んでいても、強迫は出るときは出る。薬飲んでいなかったら、きっといつか本気で腕噛んだり目をついたりして取り返しのつかないことになるんだろう。

さて、僕は強迫の衝動が強くなったとき、ガマンすると、大概痙攣しちゃうんだけど、ってか、痙攣するくらい筋肉に力を入れて、欲求と戦わせてるんだけど、他の強迫の人たちも、衝動をガマンするとき、痙攣したりするのかな?
ISBN:4344800222 コミック 冬目 景 幻冬舎コミックス 2002/01 ¥567
吸血という病に呪われた一族の、高城一砂と姉・千砂の運命は…。大人気異色コミック!
この作者の漫画なんだか好きかも。
絵もうまいし、構成もしっかりしてて、読み応えがある。何よりも、背後に暗さをたたえた世界観が、ストーリーに重みを加えてる。でも、どんより重たいっていう感じじゃなくて、しんみりとした寂寞感って感じ。吸血鬼をもとにしたお話だけど、血縁の病気にしたことで、ホラーというのじゃなくて、ぐっとリアリティーのある話になってる。

冬目景ね、めもめも。
DVD ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2004/09/29 ¥2,090
ハーパー・リーのピューリッツァ賞受賞小説『ものまね鳥を殺すには』を原作に、名匠ロバート・マリガン監督が詩情豊かに描く社会派ヒューマン映画の秀作。1930年代、黒人差別がはびこるアメリカ南部で、白人少女を暴行した罪で起訴された黒人を弁護することになったフィンチ弁護士(グレゴリー・ペック)は、町の人々から白い眼で見られながらも正義を通そうとする。その一方フィンチのふたりの子どもによって、近所の幽霊屋敷に住むブーという謎の男にまつわるエピソードが並行してつづられていく。
今の眼では理想的過ぎると批判されるかもしれないが、人種差別問題にヒューマニズムをもって切り込んでいく描写は、当時としては画期的だったともいえよう。その意味ではまさに勇気ある名作であり、また、その理想主義を体現するにふさわしい名優グレゴリー・ペックは、本作でアカデミー賞主演男優賞を受賞(脚色賞&黒白美術賞も)。名優ロバート・デュヴァルの映画デビュー作。どこで登場するかは各自の眼で確かめられたし。思わず感嘆の声を発すること間違いなしの素晴らしい印象を残してくれる。
グレゴリー・ペック最近亡くなって。日本でもニュースになったよね。そのとき「アラバマ物語などで・・・」って紹介されてた。
この作品ができてから、長い年月。現在でも、黒人の差別は根強くある。そして、アメリカのニュースで犯罪者が取り上げられるとき、ほとんどが黒人なのだそう。そのほうが視聴率が取れるし、国民感情にのっとっているんだそう。その国民感情ってつまりは白人感情。マジョリティー感情なわけであって。黒人はいまだにブルーカラー的なイメージに固められてる。表面的に改善されたようでもまだまだメッキに過ぎないという事なのね。
朝起きてみたら、パジャマ姿の母親がいる。
「あれ?有休とったの?」
と聞くと母、あきれた顔で、
「今日はお彼岸じゃろうがえ!」
あっ、そうなんだあ、毎日休みの僕はそんなこと初めて知った。
って、そんな問題じゃないって?知ってるのが常識だって?
「あんたも少しはそういうこと覚えときなさい」
そうね、知る必要ができたら覚えるだろうさ。
え?必要がなくても覚えなさいって?
しょうがないなあって、カレンダー見て、
「あっ、お彼岸って、秋分の日のことだったの?」
と振り返って母の顔を見ると、開いた口がふさがっていなかった。。。
ISBN:4091847366 コミック 松本 大洋 小学館 1996/06 ¥918

こういったスポーツ漫画は、進んでいくうちに必ず、「〜ショット」みたいな必殺技が出てきて、興ざめしてしまうのだが、このピンポンはまっとうに卓球を描いてて、且つストーリーも、卓球の味を損なわずに、しっかりと、自分の哲学を通している。
つまり、なんだな。松本大洋の非凡性。この作家のマンガ界にしめる位置みたいなもんが、なんとなくわかってきたよ。
この作者の絵は、一般的にとっつきにくいと思うけど、彼の作り出す世界観にはこの絵柄が最もマッチすると思うし、絵と、ストーリーが共鳴して、いつしか、とっつきにくさは、やみつき、へと変化してしまう。
僕は、なんとなくスマイルの気持ちがわかるんだよね。無表情な奴にも感情はあるし、人から好かれたいとも思ってる。ただ、それがうまくできないだけで、自分から、積極的に無愛想になってるわけじゃない。だから、人から嫌われる人ほど、実は人を求めているんじゃないかな。だけど回りは、自分から無愛想をつくり人を避けてると思うわけだよね。人を避ける人には、何らかの影がそうさせていると思うのは、あながち間違っていないと思う。扉をこじ開けて、引き上げてくれる人が現われれば、誰だって笑いたいと願っているもんだよ。

僕は映画を見ていないけど、窪塚がマンションから飛び降りたの、なんとなくこのマンガが影響してるんじゃないかと思うのね。
窪塚も、飛びたかったんじゃないかなあ。
DVD レントラックジャパン 2004/01/23 ¥3,980
秦王のもとに、王を狙った刺客を3人殺したという無名という男が現れた。その功績を讃え、特別に謁見を許された彼は、刺客を殺した経緯を王に語りはじめる。しかし、それは多くの謎を含み、話は二転三転していく…。
『あの子を探して』『初恋が来た道』などのチャン・イーモウ監督が、中国の大スター、ジェット・リー、マギー・チャン、トニー・レオン、チャン・ツィイーを起用して作り上げた歴史ロマン。ワイヤーを多用したアクションシーンは華麗で、まるでバレエを見るようだ。また交錯するいくつかのエピソードの果てに存在する真実、そして衝撃のラストには胸を震わせる感動がある。崇高な精神を持ち、その目的を達成した主人公に敬意さえ抱かせる仕上がりは、さすがチャン・イーモウと言えるだろう。撮影は『ブエノスアイレス』などのクリストファー・ドイル。衣装は『乱』のワダエミが担当。エピソードごとに赤、青、緑と色調を変えたヴィジュアルも一見の価値あり。
ドラゴンボールしてる。剣がありえないしなりかたして、矢がおもちゃのようになぎ払われてる。てか、人間が人間離れしすぎてる。空飛んでるんだもん。二人で三千人倒せる刺客って、壮大だなあ。
大学は経済学部を出たくせに、経済原論さっぱり理解できない僕。

公務員目指すって、知ってたら、学生時代に真面目にやっとくんだった。

と、経済原論を勉強しながら思う。基礎の基礎をやってるはずなのに、僕の頭はすでにパンク寸前。300ページ以上あるのに、数日かけて、まだ30ページくらいしか進んでないし。
しかも、今やってるのはマクロ経済学で、同じくらいの量のミクロ経済学もまってる。できるのか?

うわーん、たすけて〜。
でも、経済原論やった後は、頭使いすぎて眠気が覚める。よし、これからは、原論を他の教科の前にすることにしよう!
頭に血が通っている状態って、ある意味エクスタシー。そこまで行くまでは、苦労するけどね。普段は始終眠たい僕の脳みそには、計算という運動が不足しているみたいだから。
ISBN:4091847315 単行本 松本 大洋 小学館 1994/03 ¥866

クロには沢山心のねじがかけている。でもシロはクロの持っていないねじを全部持っている。シロはクロにとっての存在意義。クロはシロを守っているが、実はシロに守られる。二人で一人。
親のない二人には、街で生きるには強くなるしかなかった。
街で生きるには孤独になるしかなかった。
シロがいなくなったときクロの心は崩れる。シロによって薄まっていたクロの心は真っ黒になっていく。
クロにはシロが必要だ。いや、心のねじがかけている全ての人にシロは必要だ。
シロにとってクロは影となる。クロにとってシロは光となる。
光があって、影があるから人間なのだ。

読み進めるうちに、涙が出そうになった。すばらしい作品だ。松本大洋の才能を今になってようやく知った。ありがとう。
DVD アイ・ヴィー・シー 2003/01/25 ¥3,990
第1次世界大戦中、ドイツ領東アフリカの川を往来する小さな蒸気船「アフリカの女王」の船長チャーリー(ハンフリー・ボガート)は、ドイツ軍の砲撃で殺された宣教師の兄の復しゅうのため、船に乗り込んで来た勝ち気な女性ローズ(キャサリン・ヘプバーン)に説き伏せられ、川を下り、砲艦撃沈の手助けをするはめに…。
C・S・フォレスターの原作を基に、巨匠ジョン・ヒューストン監督が描く冒険活劇の傑作。主演ふたりの見事な凸凹コンビぶりがユーモアを誘い、スリリングなストーリー展開やチェイス・シーンが手に汗握らせるなど、徹頭徹尾観る者を楽しませてくれる。ハンフリー・ボガートはアカデミー賞主演男優賞受賞。なお、後にクリント・イーストウッドは本作撮影中の奇抜なエピソードの数々を土台にした傑作『ホワイトハンター ブラックハート』を監督・主演している。
自然の驚異には人間は無力でやんす。
うひい、ボガードことチャーリーってば、河の水にジン混ぜて飲んでる。まあ、ジャングルだからしょうがないけど、この潔癖の時代に僕だったら、耐えられるかしらん。チャーリー、あんた服何ヶ月変えてないんですか!
激流の中河を下るのはいいけど、その理由が、敵の戦艦に自分たちのボートを魚雷にして突っ込むなんて、たったふたりで戦艦を沈めようと考えるなんて、なんて向こう見ずな、もとい、なんて愛国心が強いんだ。強すぎだ。ある意味神風特攻隊。

しみじみしじみ

2004年9月21日
生きるために逃げることは、逃げてるんじゃないんだよ。

逃げてでも生きようとしないことが、逃げてることなんだよ。

・・・かあ。。。
ISBN:4003360176 文庫 藤沢 令夫 岩波書店 1979/01 ¥840
ソクラテスは国家の名において処刑された。それを契機としてプラトン(前427‐前347)は、師が説きつづけた正義の徳の実現には人間の魂の在り方だけではなく国家そのものを原理的に問わねばならぬと考えるに至る。この課題の追求の末に提示されるのが、本書の中心テーゼをなす哲人統治の思想に他ならなかった。プラトン対話篇中の最高峰。
ふひい、ようやく上巻読み終えた。
第五巻(五章?)あたりに述べられていることは、おそらくルソーの思想に多大な影響を与えているんだろうなあ。読みながら、社会契約論に通じる個所をかなりみつけた。さて、下巻だ。うひい。
DVD パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2004/02/20 ¥4,179
1920年代、ニューヨーク郊外ロング・アイランドに豪邸を構える、謎の富豪ジェイ・ギャツビー(ロバート・レッドフォード)。かつて貧しい青年だった彼は、恋人のデイジー(ミア・ファロー)に裏切られたことをバネに、財界でのし上がっていったのだった。そして、彼は、今は人妻となっているデイジーの心を再び取り戻したかに思えたが……。
F・スコット・フィッツジェラルドの名作小説を、フランシス・F・コッポラが脚色、ジャック・クレイトンが監督したノスタルジックなロマン大作。淡い色彩がムードをあおりつつ、その中で繰り広げられる赤裸々な人間関係を巧みに中和。またブルジョワではない一般階層の青年(サム・ウォーターストン)を語り部に持ってきたことで、冷めた視点を一貫させている。そのほか、美男美女の主演ふたりを囲むキャストがブルース・ダーン、カレン・ブラック、スコット・ウィルソンなど、みな濃い個性派ばかりというのも不思議で面白い。アカデミー賞衣装デザイン、編曲賞を受賞。
レッドフォードがかっこいいなあ。原作読んで、映画見るのはいつもの僕の順番。僕にイメージとそれほど違わずによかった。
人間の欲と、卑劣さと、ギャツビーの純粋さ。父親が読み上げるギャツビーの日記の場面でぐっと来る。
中傷からは何も生まれないし、何の解決ももたらしてはくれない。

自分の一時の感情の発散はできても、代償として、相手との溝はますます深まるばかり。

人間関係を営む限り、価値観や思考の違いから、さまざまな摩擦が生まれるのは当然の話だが、その摩擦に対して、問題の本質を指摘するのではなく、中傷しても、なんにもならない。

矛盾や、疑問を提起することと、中傷とを混同してはいけない。
そこには明確な違いがある。矛盾や疑問は、ある人がその人のある一部分に対して、価値観のずれによる齟齬の解決を目指して、何らかの説明を求める行為であるのに対して、中傷は、ある人が、その人のある部分に対しての疑問をそのままその人の人間性へと転化し、建設的な解決をないがしろにして、その人の全体を非難するという行為である。

たとえば、この違いが明確に区別できるならば、ある問題について激しい議論を展開したあとにおいても、その相手とまた何の分け隔てもなく接することができる。
しかし、この区別ができない場合、議論で言い合ったことに対して、その意見の齟齬をあたかも自分が中傷されたかのように誤解して、議論が終わったその後においても、相手に対して、怒りや怨念や敵対心を抱くことになる。

では、中傷とはいったいなんなのか?
僕は、たとえば、「バカ」、「まぬけ」、「キモイ」、「死ね」などの言葉を中傷と解している。

これらの言葉は総じて具体がなく、抽象的に相手を否定する。
たとえば、「こうこうこういった部分において、こうこうこういった理由から、あなたのこの部分は間が抜けているように思われる」と言うならわかるが、「こうだから、お前は間抜けだ」と言ってしまっては、真意はともかく、字義上は、ある部分だけの問題で、その人全体が間抜けであるような印象を免れない。

誰が何の格好をしていようと、どんな趣味があろうと、その人について公言するのであれば、中傷は、偏見や差別になる。
その人の趣味や思考が、自分とあわなくても、それはその人が「キモイ」わけではないのだ。

確かに公共の場に不適切な格好やしぐさになる場合もある。そのときも、中傷するのではなく、この場には不適切だと思う旨を伝えてあげればいいだけの話だ。
「バカ」や、「キモイ」などと言っても、何の改善も生まれない。その人に、不適切だと自分が思う部分を伝え、改善への手助けをしてあげればいいだけの話だ。

ムカツクと言って、無視したり、迫害を加えたりするのはなぜか?そこに快感を見出している人は、すでにして犯罪者と何ら変わることのない罪を犯している。
その人に不満があるなら、その人に対して、どういうところを治したらいいと自分は思うかを率直に述べてあげればいい。そして、そのことについて、議論すればいい。
その人に、不満な部分があるからと言って、その人の人間性を全て否定し、排他してよい根拠にはならない。

言葉は繊細でそれ自体に重要な意味をもっている。安易に使ってはならない。十分に留意が必要だ。その努力は、言葉を使うわれわれの義務であるはずだ。

中傷は、人間と人間との関係を崩すネガティブな作用しかもたない。
差別を憎み、偏見を嫌い、平和を願う人間ならば、使う必要のない言葉なはずだ。
ISBN:4063140261 − 岩明 均 講談社 1990/07 ¥509

以前、ジェームス・キャメロンはこの作品の映画化を目論んでいましたとさ。ターミネーターのTー2000は、この寄生獣がモデルなんだとさ。

日常が突然として、非日常的なものに支配されてしまったとき、人はその現実にどう反応するのだろう。自分が回りと違う人間になったとき、その違いを受け入れられるのだろうか。

生きていくには、受け入れるしかないんだよね。孤独も悲しみも引き受けていくしかないんだよね。

人間だって地球に寄生して生きているんだし。
DVD PI,ASM/角川書店 2000/12/22 ¥4,935
『野性の証明』でデビューした薬師丸ひろ子。本作は、彼女の人気を決定づけた大ヒット青春映画である。
ひょんなことから組員4名の弱小やくざ、目高組の組長に据えられてしまった、女子高校生の星泉。どす黒い大人たちの思惑や陰謀をくぐりぬけながら、大人の階段を登っていく姿を描く。原作は赤川次郎。『翔んだカップル』に続いて薬師丸を演出した相米慎二監督は、持ち前の長回し撮影を駆使しながら、思春期特有の揺れや戸惑いを余すことなくとらえている。カリメロカットも愛らしい彼女が、機関銃を撃ち終えた際につぶやくセリフ「カ・イ・カ・ン…」は、当時流行語にもなった。また、そのとき彼女のほほを伝う赤いものは、撮影のハプニングによる傷がもたらした本物の血である。
さよならは別れの言葉じゃなくて〜♪
ん〜、快感(\\∇\\) 
僕、薬師丸ぴろこ大好きなんだよね〜。角川映画と薬師丸。今は亡き相米慎二監督。ん〜、快感(\\∇\\)
薬師丸ぴろこの歌う歌。まず声がアイドル声じゃない。そのギャップがいい。世代的には、僕より前なんだけどね^^;
それにしても、この頃の映画って、並べて台詞が、小説的だよね。
だけど、僕はそこがまた好きなんだな。
演技はへたくそだけど、その演技が逆に若さの象徴のような気がして。屈託のない笑い声なんかも、やくざの世界とのギャップが、これまたいい!
言ってはならないこと、陰口。

これは中傷よりもなおたちが悪い。なぜなら、中傷は、された当人と言った者の間だけで完結する。

しかし、陰口は、憎悪の連鎖を招く。
陰口を聞いた人が陰口を言われた人を知らない場合はまだ救いがある。しかし、陰口を言われた人を、その陰口を聞く人も知っていた場合、憎悪は形をもって連鎖する。これは一種の情報操作。情報の一方通行から来るマインドコントロールである。

たとえばある問題が起こり、双方が喧嘩する。もしくは一方が片方に不満を持つ。
そこにある種の憎悪が生まれる。しかし、その憎悪はまだ当人間の問題でしかない。
もし一方が、まったく、そういった状況を知らない知人に陰口を言うとする。すると聞かされたほうは、憎悪をもっている人物が言った情報だけがインプットされ、それ以降、陰口の対象人物を無意識的にもそういった目で見ることになる。
そうすると、その人の何気ない行動やしぐさにも、その陰口のイメージがついて回り、穿った見方をしてしまうようになる。
今までは、なんとも思わなかったその人の行動が、なんだか、ほんとに腹の立つことに思え、その人に対する、憎悪が生まれる。
これが、憎悪の連鎖である。

こうやって憎悪の連鎖が広まっていった結果、陰口を言われた人物は、「嫌われ者」という烙印を押されてしまう。
差別、いじめ、全てに、この憎悪の連鎖が関係していると思う。

僕は、人を心配して相談したことも、第三者を介すると、その人を結果的に傷つけてしまうこともあるということを学んだ。

ならば、陰口などはもってのほかである。その人の不満を語ることも、してはならないのだと思う。
自分の感情の捌け口に第三者を巻き込み、憎悪を連鎖させることは卑劣であり、あってはならない。
第三者とその憎悪の対象人物が親密になるかもしれない根を摘んでしまう権利は誰にもないのだ。

喧嘩も不満も、その当人同士だけの問題にとどめるべきだ。
だから、どんなに辛くても、問題や不満は直接当人同士が話し合い解決しなければならないと思う。

もし話し合うのが辛いときは、僕は、人物を特定できるような形を取らず、人間への疑問を問い掛けるという形で示唆することにしている。そして、その疑問を気づいてくれることを願うのだ。
これなら、憎悪は連鎖していかない。
しかし、もっとも確実なのは、やはり、勇気を出して当人同士が話し合うことなのである。

やむなく第三者を介するのであれば、第三者は、片方から話を聞いただけで行動するのではなく、双方の言い分を聞き吟味しなければならない。何かの解決の力になろうとする場合も、片方の言い分だけで、状況を断定してしまってはならない。

「羅生門」という映画がある、この映画では、死人までもが自分に都合の良い見解を述べるという人間の業のあさましさが描かれている。

どんな人間も、そこに憎悪が混じっているのであれば、第三者に伝えるとき、無意識にも、自分に有利な解釈をしてしまうものだ。
つまり第三者は、いわば裁判官なのである。双方の言い分から、問題を照らし合わせていく努力が必要だし、その中の双方の憎悪を見抜き極力排除し、真実のみを追究していかなければならない。それをしないのであれば、他人の問題に耳を傾けるべきではない。

さて、中傷は、何の解決ももたらさない。
つまり、一番最悪なのは、中傷でもって陰口をすることである。

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