●Tさんとは、前の会社の同期入社というだけで、とくに遊んだりとか友人づきあいがあったわけではない。
でも、初対面から、この人は誠実だという印象があった。
どこか相通じる部分を向こうも感じてくれたからか、昼勤と夜勤で働く時間帯は違っていたけど、会社で辛いときなど、お互いにたまに電話して励ましあったりしていた。
Tさんはイケメンでボディビルダーである。
パッと見ではとても40代には見えない。
気は優しくて力持ち、なのだ。
ただ、少し吃音がある。
それで辛い思いもしてきたのかもしれない、それが強い肉体への憧れへと変わったのだろうかと勝手な想像をしたりもする。僕もウエイトトレーニングにハマって、ボディビルダー並に鍛えていたときがあった。それは、外見を変えることで内面も強くなれるかと思ったからだ。僕の場合は、生まれつき背骨が曲がっているために筋肉をつけすぎると歪な体になってしまうため、断念したのだけど。
そういう意味でも、どこか似通った部分を感じる。
誠実さ、真面目さというのは当人の話す内容や話し方、行動、そういった節々に表れるものだと思っている。
前の会社の昼勤で、僕も残業でそこにヘルプに回されるのが嫌で病んだ位のところにずっと入って、週一休みで耐え抜いた人。
精神力の強さは僕より全然あると思う。
今も、難しい場所を任されて、人より1時間半もサービス早出をして一日トータル15分くらいしか休憩を取らずに働いているんだとか。
そうしたもろもろの客観的な判断で僕はTさんを誘うことに決めたのだ。
もちろん、Tさんの人生なので、会社との面談で、雇用条件、給与面、仕事内容、仕事環境、などでTさんが納得した上での話でまだわからないけど、今のTさんの会社の境遇よりは給与面も精神面でもよくなるのではと僕自身は思っているし、Tさん自身も、月曜の仕事終りにファミレスであった折詳しく話したら行きたいという意志を示してくれた。
Tさんの言うことによれば、給与面で高望みはしない、今より少し良くなればいい、とのこと。
もし一緒に働くことになったら、Tさんはスクーターしか持っていないので、僕が送迎することになる。Tさんの家は僕のマンションから3分とかからない。交通費は折半で問題ないだろう。
Tさんがすぐに入れるとしたら、僕の契約社員の話はなくなり、またしばらくの間パート勤務になると思う。
ファミレスで後半は共通の趣味である、ウェイトトレーニングやボディビルの話をした。
好きなボディービルダーは誰ですか?
昔の人なんですけど須藤孝三という人がいましてね。。
なんということだろう、僕の好きなボディビルダーも須藤孝三なのである。
彼の肉体はまさにナチュラルビルダーの理想だ。
●ネットが重く感じて、こりゃあ、パソコンもそろそろ寿命かなと思っていたけど、ブラウザをGoogle Chromeに変えたら超サクサクになった。
でも、初対面から、この人は誠実だという印象があった。
どこか相通じる部分を向こうも感じてくれたからか、昼勤と夜勤で働く時間帯は違っていたけど、会社で辛いときなど、お互いにたまに電話して励ましあったりしていた。
Tさんはイケメンでボディビルダーである。
パッと見ではとても40代には見えない。
気は優しくて力持ち、なのだ。
ただ、少し吃音がある。
それで辛い思いもしてきたのかもしれない、それが強い肉体への憧れへと変わったのだろうかと勝手な想像をしたりもする。僕もウエイトトレーニングにハマって、ボディビルダー並に鍛えていたときがあった。それは、外見を変えることで内面も強くなれるかと思ったからだ。僕の場合は、生まれつき背骨が曲がっているために筋肉をつけすぎると歪な体になってしまうため、断念したのだけど。
そういう意味でも、どこか似通った部分を感じる。
誠実さ、真面目さというのは当人の話す内容や話し方、行動、そういった節々に表れるものだと思っている。
前の会社の昼勤で、僕も残業でそこにヘルプに回されるのが嫌で病んだ位のところにずっと入って、週一休みで耐え抜いた人。
精神力の強さは僕より全然あると思う。
今も、難しい場所を任されて、人より1時間半もサービス早出をして一日トータル15分くらいしか休憩を取らずに働いているんだとか。
そうしたもろもろの客観的な判断で僕はTさんを誘うことに決めたのだ。
もちろん、Tさんの人生なので、会社との面談で、雇用条件、給与面、仕事内容、仕事環境、などでTさんが納得した上での話でまだわからないけど、今のTさんの会社の境遇よりは給与面も精神面でもよくなるのではと僕自身は思っているし、Tさん自身も、月曜の仕事終りにファミレスであった折詳しく話したら行きたいという意志を示してくれた。
Tさんの言うことによれば、給与面で高望みはしない、今より少し良くなればいい、とのこと。
もし一緒に働くことになったら、Tさんはスクーターしか持っていないので、僕が送迎することになる。Tさんの家は僕のマンションから3分とかからない。交通費は折半で問題ないだろう。
Tさんがすぐに入れるとしたら、僕の契約社員の話はなくなり、またしばらくの間パート勤務になると思う。
ファミレスで後半は共通の趣味である、ウェイトトレーニングやボディビルの話をした。
好きなボディービルダーは誰ですか?
昔の人なんですけど須藤孝三という人がいましてね。。
なんということだろう、僕の好きなボディビルダーも須藤孝三なのである。
彼の肉体はまさにナチュラルビルダーの理想だ。
●ネットが重く感じて、こりゃあ、パソコンもそろそろ寿命かなと思っていたけど、ブラウザをGoogle Chromeに変えたら超サクサクになった。
●僕は人とコミュニケーションを取るのが苦手だから、体を動かすほうが性に合っているのだと思う。
だから、対人的な不安を消すためにせっせと体を動かす。
すると、こいつはよく働くというような変な誤解を廻りに与えるようで、結果としてパートのおばさんや、外注の人たちが構ってくれる、それは本来うれしいことなのだけど、構ってくれだすと、本来そんな人間でない僕がただ誤解を受けているだけであることがバレていつか酷い評価や酷い扱いを受けだすのではないかという予期不安が起こり、コミュニケーションに対して益々のプレッシャーを感じ、対人恐怖が増幅され、さらにそれを打ち消すためにせっせと体を動かし疲弊していくというスパイラルに陥ってしまう。
外注のおばさんが、そんな経緯で僕を勘違いし、常務に僕を正社員にしてあげなよ、みたいな事を話してくれたらしい。
金曜日に面談があって、その折におばさんが、「あんたもしっかり常務に正社員にしてくださいって言うんよ」っていってきたので思わず「ハイ」って言ってしまった手前、あとでちゃんと言ったかどうか聞いてこられてうやむやに流すスキルを持っていない僕は面談で常務に幾分表現をオブラートに包んで、「頑張れば正社員という可能性もあるのでしょうか?」と聞いてみたところ、過去なった人もいるので、可能性が無いわけではないが、正社員を前提とした契約社員という制度ではない、という話であった。
契約社員はパートよりは給料はいいが、それでも安い。外注よりは断然安い。
面談から、やはり会社が外注を欲していて、僕を契約社員にするのは、本意ではない様子が仄見えた。
「頑張っているようだから、こちらも悪いようにはしたくない、それを考えるとやはり、契約社員をしながら、相方を探してくれるのが会社としてもあなたとしても一番よい選択であろう」ということである。
●土曜も仕事があると思っていたら、うれしい誤算で休みだったので帰ってじっくり考えた。
だれか一緒にペアを組めるて適任者はいないかと。
不器用だとか、そんなことは、長くやっていれば誰でもできるようになるので問題ない。
大事なのは、真面目で、誠実で、仕事に不満を持たず、人と争わず、一生懸命な人。そんな人が長く一緒にやっていけそうな人である。
考えてみて、ひとり心当たりがあった。
その人は、前の食品会社で同期で入ったTさんで、家族持ちの41歳。
人柄は温和で誠実、その食品会社でもっとも辞める人が多かったきつい部署で週一で頑張っていた人。それでも常昼勤務だったので驚くほど給料が安かったので、自分の保険には入ってなかった、そんな状況でも頑張って働いていた。
Tさんは、今、コー○ツに年齢制限ギリギリで入って契約社員で働いている。
事前にやはり食品会社で準社員をしていたO君に相談したところ、人間的にはやはり全く問題なく誠実でいいのではないか、といわれたので、Tさんに電話をかけて話を持ちかけてみた。
Tさんも今の状態に不安を感じていたし、外注の条件より給料の高いところに勤めていたら僕も誘わないが、外注で軌道に乗れば確実にTさんの今の状態よりは収入も良くなるので誘ってみることにしたわけだ。
Tさんもとても興味を示してくれて、月曜日の仕事終りか火曜日の祝日に会って詳しい話をすることにした。
Tさんの選択次第だけど、Tさんとなら頑張ってやれそうな気がするし、今回は僕が誘われたのではなく僕が選んで誘うわけだから、自分の眼識に賭けたい。
●よく一緒に遊んでいる国木田君が9月に結婚する。
結婚式には、僕とゆっけさん、モーヴィが呼ばれる。
みんなで彼のために何かしてあげたいけど、何ができるか、まだ時間があるので、考えなきゃ。
だから、対人的な不安を消すためにせっせと体を動かす。
すると、こいつはよく働くというような変な誤解を廻りに与えるようで、結果としてパートのおばさんや、外注の人たちが構ってくれる、それは本来うれしいことなのだけど、構ってくれだすと、本来そんな人間でない僕がただ誤解を受けているだけであることがバレていつか酷い評価や酷い扱いを受けだすのではないかという予期不安が起こり、コミュニケーションに対して益々のプレッシャーを感じ、対人恐怖が増幅され、さらにそれを打ち消すためにせっせと体を動かし疲弊していくというスパイラルに陥ってしまう。
外注のおばさんが、そんな経緯で僕を勘違いし、常務に僕を正社員にしてあげなよ、みたいな事を話してくれたらしい。
金曜日に面談があって、その折におばさんが、「あんたもしっかり常務に正社員にしてくださいって言うんよ」っていってきたので思わず「ハイ」って言ってしまった手前、あとでちゃんと言ったかどうか聞いてこられてうやむやに流すスキルを持っていない僕は面談で常務に幾分表現をオブラートに包んで、「頑張れば正社員という可能性もあるのでしょうか?」と聞いてみたところ、過去なった人もいるので、可能性が無いわけではないが、正社員を前提とした契約社員という制度ではない、という話であった。
契約社員はパートよりは給料はいいが、それでも安い。外注よりは断然安い。
面談から、やはり会社が外注を欲していて、僕を契約社員にするのは、本意ではない様子が仄見えた。
「頑張っているようだから、こちらも悪いようにはしたくない、それを考えるとやはり、契約社員をしながら、相方を探してくれるのが会社としてもあなたとしても一番よい選択であろう」ということである。
●土曜も仕事があると思っていたら、うれしい誤算で休みだったので帰ってじっくり考えた。
だれか一緒にペアを組めるて適任者はいないかと。
不器用だとか、そんなことは、長くやっていれば誰でもできるようになるので問題ない。
大事なのは、真面目で、誠実で、仕事に不満を持たず、人と争わず、一生懸命な人。そんな人が長く一緒にやっていけそうな人である。
考えてみて、ひとり心当たりがあった。
その人は、前の食品会社で同期で入ったTさんで、家族持ちの41歳。
人柄は温和で誠実、その食品会社でもっとも辞める人が多かったきつい部署で週一で頑張っていた人。それでも常昼勤務だったので驚くほど給料が安かったので、自分の保険には入ってなかった、そんな状況でも頑張って働いていた。
Tさんは、今、コー○ツに年齢制限ギリギリで入って契約社員で働いている。
事前にやはり食品会社で準社員をしていたO君に相談したところ、人間的にはやはり全く問題なく誠実でいいのではないか、といわれたので、Tさんに電話をかけて話を持ちかけてみた。
Tさんも今の状態に不安を感じていたし、外注の条件より給料の高いところに勤めていたら僕も誘わないが、外注で軌道に乗れば確実にTさんの今の状態よりは収入も良くなるので誘ってみることにしたわけだ。
Tさんもとても興味を示してくれて、月曜日の仕事終りか火曜日の祝日に会って詳しい話をすることにした。
Tさんの選択次第だけど、Tさんとなら頑張ってやれそうな気がするし、今回は僕が誘われたのではなく僕が選んで誘うわけだから、自分の眼識に賭けたい。
●よく一緒に遊んでいる国木田君が9月に結婚する。
結婚式には、僕とゆっけさん、モーヴィが呼ばれる。
みんなで彼のために何かしてあげたいけど、何ができるか、まだ時間があるので、考えなきゃ。
●体調不良であっても、診断書を提出したりとか、会社に治ったら出る旨を自分から伝えることが無い、というのは、会社に残りたい意思がないのは明白。
相方のさっさんは仕事はしたいのだと思っていたけど、鎌をかけたことで見えてきたさっさんの気持ちで、自分のモヤモヤも晴れて踏ん切りがついた。
さっさんは仕事を辞めたいのだ。
それがわかったので、昨日、メールのやりとりをしたら、案の定、さっさんは会社を辞めることになった。
来週会社に行って話すらしい。
こんな形になったので、すぐに金は返してくれるようにいった。
残念ながら、今後さっさんと今までのような友人関係を続けていくことはできない。
人間的には嫌いではなかったので、本当に残念だけど。。。
さっさんは、親のコネで運送会社に入ることになる。
その後の経過を僕がもう知ることは無いだろう。
●薬とサプリメントをかなり飲んでいる。
精神を安定させる漢方とルボックス。
疲労回復にQPコーワゴールドとクエン酸のタブレット。
アトピーと花粉症予防にタウロミン。
胃薬も飲んでいたがさっさんとの一件が決着して飲むのをやめた。
週末には安定剤のデパスを飲む。これが楽しみ。
心が落ち着いて熟睡できる。
でも、デパスって次の日に残るので、仕事の日はあまり飲みたくない。
だから、週末だけにしている。
それに耐性が付いて効きづらくなるのも嫌だからね。
クエン酸を飲みだしてから、かなり筋肉疲労が減ったような気がする。
相方のさっさんは仕事はしたいのだと思っていたけど、鎌をかけたことで見えてきたさっさんの気持ちで、自分のモヤモヤも晴れて踏ん切りがついた。
さっさんは仕事を辞めたいのだ。
それがわかったので、昨日、メールのやりとりをしたら、案の定、さっさんは会社を辞めることになった。
来週会社に行って話すらしい。
こんな形になったので、すぐに金は返してくれるようにいった。
残念ながら、今後さっさんと今までのような友人関係を続けていくことはできない。
人間的には嫌いではなかったので、本当に残念だけど。。。
さっさんは、親のコネで運送会社に入ることになる。
その後の経過を僕がもう知ることは無いだろう。
●薬とサプリメントをかなり飲んでいる。
精神を安定させる漢方とルボックス。
疲労回復にQPコーワゴールドとクエン酸のタブレット。
アトピーと花粉症予防にタウロミン。
胃薬も飲んでいたがさっさんとの一件が決着して飲むのをやめた。
週末には安定剤のデパスを飲む。これが楽しみ。
心が落ち着いて熟睡できる。
でも、デパスって次の日に残るので、仕事の日はあまり飲みたくない。
だから、週末だけにしている。
それに耐性が付いて効きづらくなるのも嫌だからね。
クエン酸を飲みだしてから、かなり筋肉疲労が減ったような気がする。
これはもうダメかもわからんね
2012年3月4日 お仕事●先週もさっさんは来なかった。
会社の常務と面談があって、万が一相方が辞めても契約社員で雇用するから心配するなとの話だった。
給料は下がるし、対人恐怖の不安もあるけど、僕としてはどんな形でもしがみつくしかない。
体調どうですかと聞いても詳しいことを言ってくれない。
なので、今日、来週には来てほしい旨を伝えた。
もし無理な様なら、会社に診断書を持っていくか、さっさんが直接会社の常務に、治ったら必ず出るので猶予をもらえるように頼んで貰えないかと言った。
今までは、嘔吐で喉が荒れて声がでないとかで、僕が会社に休む時伝えてたけど。
本来なら、長期で休む時はそうするのがマナーだと思うから。
それに、疑いたくないけど、詳しい事を話してくれないので、カマをかける意味もある。
胃腸炎が本当なら、診断書をもらえるはずだし、仕事が原因でないなら、僕が要求した事はなんら問題がないはずだからだ。
返ってきたメールは、来週出たいけど、今のままの体調では無理そう、このままでは会社のことも考えないと。今週でハッキリさせる、という内容だった。
診断書のことも会社に連絡のことも触れられていない。
だから、もう一度メールを送った。
正直に聞いた。
僕も精神的に辛いので、さっさんの意思が知りたいと。
仕事が嫌だとか、会社にいきたくないとかだストレスの原因ではないんですよね?と。
メールの返事はまだ来ていない。
嘔吐なら僕も毎朝している。
人間不信、対人恐怖の僕だって薬を三種類飲んで会社行ってる。
人間不信だからこそ、信じた人は最後まで信じたいと思う。
でも、ちゃんと事情を説明してくれるとか、自分の意思を伝えてくれるとか、そういう誠意を見せてくれないと、どうしても揺らいでしまう。
僕はさっさんを信頼していたから、この仕事を一緒にと誘われて決断したわけだし、金だって貸している。
人を信じるって難しい。
会社の常務と面談があって、万が一相方が辞めても契約社員で雇用するから心配するなとの話だった。
給料は下がるし、対人恐怖の不安もあるけど、僕としてはどんな形でもしがみつくしかない。
体調どうですかと聞いても詳しいことを言ってくれない。
なので、今日、来週には来てほしい旨を伝えた。
もし無理な様なら、会社に診断書を持っていくか、さっさんが直接会社の常務に、治ったら必ず出るので猶予をもらえるように頼んで貰えないかと言った。
今までは、嘔吐で喉が荒れて声がでないとかで、僕が会社に休む時伝えてたけど。
本来なら、長期で休む時はそうするのがマナーだと思うから。
それに、疑いたくないけど、詳しい事を話してくれないので、カマをかける意味もある。
胃腸炎が本当なら、診断書をもらえるはずだし、仕事が原因でないなら、僕が要求した事はなんら問題がないはずだからだ。
返ってきたメールは、来週出たいけど、今のままの体調では無理そう、このままでは会社のことも考えないと。今週でハッキリさせる、という内容だった。
診断書のことも会社に連絡のことも触れられていない。
だから、もう一度メールを送った。
正直に聞いた。
僕も精神的に辛いので、さっさんの意思が知りたいと。
仕事が嫌だとか、会社にいきたくないとかだストレスの原因ではないんですよね?と。
メールの返事はまだ来ていない。
嘔吐なら僕も毎朝している。
人間不信、対人恐怖の僕だって薬を三種類飲んで会社行ってる。
人間不信だからこそ、信じた人は最後まで信じたいと思う。
でも、ちゃんと事情を説明してくれるとか、自分の意思を伝えてくれるとか、そういう誠意を見せてくれないと、どうしても揺らいでしまう。
僕はさっさんを信頼していたから、この仕事を一緒にと誘われて決断したわけだし、金だって貸している。
人を信じるって難しい。
●僕の教育はほぼ終了。
あとは相方のさっさんが教育を終えられれば独立。
本当は今月で教育は終了のはずだけど、さっさんが休んでいるので無理。
来月も多分パート扱いで教育だと思う。
すごく不安で、会社は、万が一さっさんが辞める事があっても雇用形態を見直してくれるから心配せんでもいいって言ってくれてるけど、やっぱりさ、せっかく一緒に入ったんだし、さっさんと仕事したいじゃない。
そのほうが心強いし。
僕一人になったら、準社員扱いになるんかな。。
●筋肉痛と筋肉疲労は違う。
作業に慣れてきて、もう筋肉痛は治まったけど、肩に乳酸が溜まって筋肉疲労で怠い。
このダルさ、筋肉疲労にはクエン酸がいいと言う事で、クエン酸の錠剤を買って飲みだしたらだいぶいい。
プラス黒酢もん飲んで、あとQPコーワも飲んでる。
それにストレッチやツボ押し、これで疲労感が相当軽減されたけど、それでも休みの日にはたっぷり寝てしまう。
しばらくはこんな感じだろう。
早く仕事に慣れて、他の事する余力が生まれるくらいになりたいぜ。
あとは相方のさっさんが教育を終えられれば独立。
本当は今月で教育は終了のはずだけど、さっさんが休んでいるので無理。
来月も多分パート扱いで教育だと思う。
すごく不安で、会社は、万が一さっさんが辞める事があっても雇用形態を見直してくれるから心配せんでもいいって言ってくれてるけど、やっぱりさ、せっかく一緒に入ったんだし、さっさんと仕事したいじゃない。
そのほうが心強いし。
僕一人になったら、準社員扱いになるんかな。。
●筋肉痛と筋肉疲労は違う。
作業に慣れてきて、もう筋肉痛は治まったけど、肩に乳酸が溜まって筋肉疲労で怠い。
このダルさ、筋肉疲労にはクエン酸がいいと言う事で、クエン酸の錠剤を買って飲みだしたらだいぶいい。
プラス黒酢もん飲んで、あとQPコーワも飲んでる。
それにストレッチやツボ押し、これで疲労感が相当軽減されたけど、それでも休みの日にはたっぷり寝てしまう。
しばらくはこんな感じだろう。
早く仕事に慣れて、他の事する余力が生まれるくらいになりたいぜ。
●作業には慣れてきたが、右手の人差し指、中指、薬指が1.5倍位に腫れ上がって痛い。
指が筋肉痛になったのは初めてではないか。
他の部分は筋肉痛は治ったが、肩が乳酸が溜まって怠い。
バブをいれた風呂に入り、出てから30分入念にストレッチ、そして寝るまでボールで背をグリグリと押す。
これで腰痛はなくなった。しかし、座り作業なので毎日これをしないと、背骨が曲がっている僕はすぐに腰の右の筋肉が痛くなる。
考えてみると、最初のすぐに挫折した営業以外、常昼の仕事ははじめてで、すこぶる肌の調子が良い。
●僕自身は問題ないのだが、コンビを組んでいるさっさんが二週間前はインフルエンザ、今週はストレス性の胃腸炎で休んでいる。。毎朝吐血してるとか。心配だ。
仕事を覚えなきゃというプレッシャーもあるだろうが、それに加えてちと家庭でも問題が。父親に今の仕事形態の事で猛反発を食らっているらしく、毎晩喧嘩しているとの事。おもにそちらで精神的に参ってるみたい。
2人とも作業を覚えないと独立できないので、教育期間が伸びそう。
まさかさっさん親に屈して辞めてしまわないかと、僕もそんなこんなで凄い不安。
仕事以外で胃が痛い。。
ストレス性の胃腸炎となると、しばらくかかりそうだな。。
指が筋肉痛になったのは初めてではないか。
他の部分は筋肉痛は治ったが、肩が乳酸が溜まって怠い。
バブをいれた風呂に入り、出てから30分入念にストレッチ、そして寝るまでボールで背をグリグリと押す。
これで腰痛はなくなった。しかし、座り作業なので毎日これをしないと、背骨が曲がっている僕はすぐに腰の右の筋肉が痛くなる。
考えてみると、最初のすぐに挫折した営業以外、常昼の仕事ははじめてで、すこぶる肌の調子が良い。
●僕自身は問題ないのだが、コンビを組んでいるさっさんが二週間前はインフルエンザ、今週はストレス性の胃腸炎で休んでいる。。毎朝吐血してるとか。心配だ。
仕事を覚えなきゃというプレッシャーもあるだろうが、それに加えてちと家庭でも問題が。父親に今の仕事形態の事で猛反発を食らっているらしく、毎晩喧嘩しているとの事。おもにそちらで精神的に参ってるみたい。
2人とも作業を覚えないと独立できないので、教育期間が伸びそう。
まさかさっさん親に屈して辞めてしまわないかと、僕もそんなこんなで凄い不安。
仕事以外で胃が痛い。。
ストレス性の胃腸炎となると、しばらくかかりそうだな。。
●テニスのデビスカップは、日本はクロアチアに3ー2で負けた。
世界最速のサーバー2メートル8センチのカルロビッチに錦織が負けたのが痛かった。
てか、ビックサーバー相手に屋内高速ハードコートって場所のチョイスが全然ホームの利点を生かしてない。
クレイコートなら勝機はあったんじゃね?とか思う。
●芥川賞の田中慎弥の小説を文庫で探そていたけど、ついに見つけた。
高校卒業からずっとニートで小説家目指してた人らしい。
アウトサイダーに憧れる僕だが、西村賢太のようには生きられそうも無い、どちらかというとこの田中慎弥のほうが人間性的に近いような気がして、是非彼の作品を読んでみたかったのだ。
読むのが楽しみ。
●来月から、仕事で独立したら、朝は8時から夜の20時に仕事を終える生活になるのかな。
夏はもうちょい暇になるらしいが。
今月は教育で5時上がりなのでまだ余裕あるけど。
世界最速のサーバー2メートル8センチのカルロビッチに錦織が負けたのが痛かった。
てか、ビックサーバー相手に屋内高速ハードコートって場所のチョイスが全然ホームの利点を生かしてない。
クレイコートなら勝機はあったんじゃね?とか思う。
●芥川賞の田中慎弥の小説を文庫で探そていたけど、ついに見つけた。
高校卒業からずっとニートで小説家目指してた人らしい。
アウトサイダーに憧れる僕だが、西村賢太のようには生きられそうも無い、どちらかというとこの田中慎弥のほうが人間性的に近いような気がして、是非彼の作品を読んでみたかったのだ。
読むのが楽しみ。
●来月から、仕事で独立したら、朝は8時から夜の20時に仕事を終える生活になるのかな。
夏はもうちょい暇になるらしいが。
今月は教育で5時上がりなのでまだ余裕あるけど。
●仕事は今んとこ順調に覚えていっている。
だけど、相棒がインフルエンザで今週はじめから休んでいて、教育が遅れるため、一ヶ月後に果たして独立できるか少し不安。
●この間以前の日記を読み返してみたら、今の自分とは真逆の考え方をしていたりして面白かった。
人は時を経て思考も変わっていく。
これは日記なのだから、数年前の考えが今と違っていてもいいのだ。
でも真逆の考え方でも今読むと、自分はこんな風に考えていたのかとか感心してしまったりする、過去の自分から教えられることも多々ある。
●僕は遅読で、本を読みはじめたのも遅く、買ったり積んだりしただけで読んだ気になったり、沢山読まなければとの思いから一度読んだだけで、今では何も覚えていないような本が沢山ある。それは、一種の焦燥感みたいなものがそうさせていたんだけど、俺はこれだけ読んだぜ、これこれを読んだぜ、と言ったところで、内容を忘れてしまっていたのでは読んだ意味がない。
潜在意識にはその沢山のエッセンスが蓄積されているはずだ、と考えていた時期があったが、今でもそれは否定しないが、そうしたものが蓄積されて、自分の才のコップからオリジナリティーとして溢れ出すまでの数を読み倒すには、僕は本を読みはじめるのが遅すぎた。
だから、自分は健在意識として認識できるまで、確実な知識なり技術なりを一つずつ記憶や体、脳に刷り込んで行く方向性でいくことにした。
つまりは再読、精読するということである。
とりあえず、自分に足りないのは描写力。
物理描写、風景描写、状況描写、あど、そうした文章技術が全くもってない。
拙い、のではない。無い、のだ。
小説を読む。長編は読むのに時間がかかるので再読しづらい。中編、短編で選ぶ。
一度読んだことのある中から選んだのは特に何も考えずに、坂口安吾の「白痴」、三島由紀夫「午後の曳航」、そして、遠藤周作「海と毒薬」。
あと、現代性と現代的な文章能力も身につけたいので、今まで接してこなかった現代小説も一冊だけ読んでいく。これもとりあえずで重松清の「ナイフ」。
つまり、今までのように初めて接する本で五冊併読とかはしない。
新しく読む本は一冊。で、あとの数冊はすべて再読にする。
再読は初見より時間は全然かからない。
「海と毒薬」は三巡目に突入。
だけど、相棒がインフルエンザで今週はじめから休んでいて、教育が遅れるため、一ヶ月後に果たして独立できるか少し不安。
●この間以前の日記を読み返してみたら、今の自分とは真逆の考え方をしていたりして面白かった。
人は時を経て思考も変わっていく。
これは日記なのだから、数年前の考えが今と違っていてもいいのだ。
でも真逆の考え方でも今読むと、自分はこんな風に考えていたのかとか感心してしまったりする、過去の自分から教えられることも多々ある。
●僕は遅読で、本を読みはじめたのも遅く、買ったり積んだりしただけで読んだ気になったり、沢山読まなければとの思いから一度読んだだけで、今では何も覚えていないような本が沢山ある。それは、一種の焦燥感みたいなものがそうさせていたんだけど、俺はこれだけ読んだぜ、これこれを読んだぜ、と言ったところで、内容を忘れてしまっていたのでは読んだ意味がない。
潜在意識にはその沢山のエッセンスが蓄積されているはずだ、と考えていた時期があったが、今でもそれは否定しないが、そうしたものが蓄積されて、自分の才のコップからオリジナリティーとして溢れ出すまでの数を読み倒すには、僕は本を読みはじめるのが遅すぎた。
だから、自分は健在意識として認識できるまで、確実な知識なり技術なりを一つずつ記憶や体、脳に刷り込んで行く方向性でいくことにした。
つまりは再読、精読するということである。
とりあえず、自分に足りないのは描写力。
物理描写、風景描写、状況描写、あど、そうした文章技術が全くもってない。
拙い、のではない。無い、のだ。
小説を読む。長編は読むのに時間がかかるので再読しづらい。中編、短編で選ぶ。
一度読んだことのある中から選んだのは特に何も考えずに、坂口安吾の「白痴」、三島由紀夫「午後の曳航」、そして、遠藤周作「海と毒薬」。
あと、現代性と現代的な文章能力も身につけたいので、今まで接してこなかった現代小説も一冊だけ読んでいく。これもとりあえずで重松清の「ナイフ」。
つまり、今までのように初めて接する本で五冊併読とかはしない。
新しく読む本は一冊。で、あとの数冊はすべて再読にする。
再読は初見より時間は全然かからない。
「海と毒薬」は三巡目に突入。
●今月の一日から働いている。
場所は別府。
二つ前の会社の同僚、さっさんと一緒に受け、一緒に受かった。
2人での作業。
というか、研修期間を経て独立。
会社の社員というのではなく、さっさんと僕の2人で請負会社を立ち上げるようなもん。場所と機械だけ会社から借りる。外注さん。
だから当然年金保険料も自分持ち。確定申告も自分達。
自分達の頑張り次第で給料は変わる。
今月一ヶ月は教育機関で会社のパート扱い。
おそらく来月から独立。
慣れたらおそらく今までで一番給料は良くなる。
最初のうちは稼げないから金銭的に苦しくなりそう。
外注だから、会社の最低限のオーダーさえこなせばあとは自分達次第。
2人作業なので、精神的ストレスは会社の注文をこなせるようになれば殆どなくなると思う。
会社には同じ外注さんが他に三組いる。
今はまだ四日間しかでてないので、自分ができるようになるか不安。
こんな形式も初めてなのでどうなるかね。
残業とかも自分達で決められる。
でも2人作業なので、どちらかが休めば休みという形になる。
通勤はさっさんの車で一緒に行く。
生きるも死ぬも二人で共にの自営業。
でも、僕には合ってるかもしれない。
まだわかんないけど、今度は長く続けられるといいなぁ。
場所は別府。
二つ前の会社の同僚、さっさんと一緒に受け、一緒に受かった。
2人での作業。
というか、研修期間を経て独立。
会社の社員というのではなく、さっさんと僕の2人で請負会社を立ち上げるようなもん。場所と機械だけ会社から借りる。外注さん。
だから当然年金保険料も自分持ち。確定申告も自分達。
自分達の頑張り次第で給料は変わる。
今月一ヶ月は教育機関で会社のパート扱い。
おそらく来月から独立。
慣れたらおそらく今までで一番給料は良くなる。
最初のうちは稼げないから金銭的に苦しくなりそう。
外注だから、会社の最低限のオーダーさえこなせばあとは自分達次第。
2人作業なので、精神的ストレスは会社の注文をこなせるようになれば殆どなくなると思う。
会社には同じ外注さんが他に三組いる。
今はまだ四日間しかでてないので、自分ができるようになるか不安。
こんな形式も初めてなのでどうなるかね。
残業とかも自分達で決められる。
でも2人作業なので、どちらかが休めば休みという形になる。
通勤はさっさんの車で一緒に行く。
生きるも死ぬも二人で共にの自営業。
でも、僕には合ってるかもしれない。
まだわかんないけど、今度は長く続けられるといいなぁ。
何んのそのどうで死ぬ身の一踊り
2012年1月31日 僕について●抑鬱症状が最悪のときは、私の場合人間恐怖や当の問題のことで頭が支配されて。他の事を考える余裕が無い。
希死念慮が現れるのは大概、思考の余地が生まれてくる治りがけのときだ。
薬で気分や体調は確実に改善に向かっている。
とくに予期不安も感じていないし、動悸が乱れてもいない。
不安定になっているとは思いがたい状態であるときに、突然、死にたいという思念が頭をよぎり、いつかほんとに自分は命を捨ててしまうのではないかと思い出す。
これは危険だと思って病院で相談したらSSRIが増えて100mgになった。今は薬のおかげかあまり希死念慮はあらわれてこない。
実は死への欲求というものをだいぶ昔から自覚している。
しかし不思議なもので、死を思うと心が楽になるのである。
辛いときに何よりの慰めは、「いつでも死ねるので、何も今日死ぬことは無い」というものだった。
もちろん、それは褒められるべき生への動機付けではない。
しかしながら、その当時の辛いと思われた状況の中で自分を生に繋ぎとめる、もしくは自己の崩壊を防ぎえるのに、足りない頭を捻って作り上げたもっとも強力な理屈がそれであったのは紛れも無いのだ。
それ以来、その理屈に勝る強力な理屈が思いつかなかったので、どんな講釈をたれようと、結局のところ根底で私はこの考えを寄る辺としてきたのだと思う。
世の中や、生に対する諦観めいた思念が、自己の生への執着へと結びつくのは面白い皮肉である。
私はこのことから、逆説的に自分の中にある生への強い欲求をも意識せざるをえなかった。
生と死の欲求に対して、私は死の欲求の方をこれまで公にすることをしなかったし、自分でも認めたくなかったのであろうから、私に通低する生への寄る辺が、死に対する希求であることを否定する文章をこの日記にも幾たびか書いてきたものである。
http://37292.diarynote.jp/200403231738270000/
http://37292.diarynote.jp/200410262241050000/
しかしこの度のことがあってから、再び死を思うことで楽になる自分を再認してしまった以上、楽になる限り、私の生への寄る辺が死への希求(生に対する諦観)にあることは、もはや(自分自身に対しても)隠しようが無いわけであるし、そういうところから、今思えば、上記の日記にある、苦痛も悲しみも生の醍醐味である、というマゾヒズム的解釈で生をある種アトラクションと捉えている発想も生み出されたとわかるのである。
芥川賞作家の西村賢太の作品を最近熱心に読んでいるが、作中に出てくるまた表題でもある藤澤清造の言葉、
「何んのそのどうで死ぬ身の一踊り」
はまさに私の根底の生に対する眼差しそのものであると言えよう。
しかしながら、ここまで胸襟を開いてからいうのもなんであるが、これはあくまでも私の観察によるところの現在の私の心情的土壌をできる限り客観的に表明したものであって、私自身が心地よいと感ずる、または是とするべき思念ではないと思っている。
なぜなら、そこには、常に、自分はいつかほんとに命を投げ出してしまわないか、という不安が付きまとうからである。
自覚的な死への欲求は、先天的なものというよりも後天的に苦しみへの防御本能の中で生み出された産物であると解釈しているので、生の執着の変質といえる。そうであるならば、私は生きたいという思いが本質でなければならん。
今は本質を支えるべきもの(寄る辺)が本質を失わせる危険性を孕んでいる撞着したものである。
もっとポジティブなところから発生した同じくらいに強力な寄る辺の論理が存在しうるとしたら、私はそちらにパラダイムシフトできるのではないかと考えるが、現在のところ、そのようなものはまだ見つかっていない。
希死念慮が現れるのは大概、思考の余地が生まれてくる治りがけのときだ。
薬で気分や体調は確実に改善に向かっている。
とくに予期不安も感じていないし、動悸が乱れてもいない。
不安定になっているとは思いがたい状態であるときに、突然、死にたいという思念が頭をよぎり、いつかほんとに自分は命を捨ててしまうのではないかと思い出す。
これは危険だと思って病院で相談したらSSRIが増えて100mgになった。今は薬のおかげかあまり希死念慮はあらわれてこない。
実は死への欲求というものをだいぶ昔から自覚している。
しかし不思議なもので、死を思うと心が楽になるのである。
辛いときに何よりの慰めは、「いつでも死ねるので、何も今日死ぬことは無い」というものだった。
もちろん、それは褒められるべき生への動機付けではない。
しかしながら、その当時の辛いと思われた状況の中で自分を生に繋ぎとめる、もしくは自己の崩壊を防ぎえるのに、足りない頭を捻って作り上げたもっとも強力な理屈がそれであったのは紛れも無いのだ。
それ以来、その理屈に勝る強力な理屈が思いつかなかったので、どんな講釈をたれようと、結局のところ根底で私はこの考えを寄る辺としてきたのだと思う。
世の中や、生に対する諦観めいた思念が、自己の生への執着へと結びつくのは面白い皮肉である。
私はこのことから、逆説的に自分の中にある生への強い欲求をも意識せざるをえなかった。
生と死の欲求に対して、私は死の欲求の方をこれまで公にすることをしなかったし、自分でも認めたくなかったのであろうから、私に通低する生への寄る辺が、死に対する希求であることを否定する文章をこの日記にも幾たびか書いてきたものである。
http://37292.diarynote.jp/200403231738270000/
http://37292.diarynote.jp/200410262241050000/
しかしこの度のことがあってから、再び死を思うことで楽になる自分を再認してしまった以上、楽になる限り、私の生への寄る辺が死への希求(生に対する諦観)にあることは、もはや(自分自身に対しても)隠しようが無いわけであるし、そういうところから、今思えば、上記の日記にある、苦痛も悲しみも生の醍醐味である、というマゾヒズム的解釈で生をある種アトラクションと捉えている発想も生み出されたとわかるのである。
芥川賞作家の西村賢太の作品を最近熱心に読んでいるが、作中に出てくるまた表題でもある藤澤清造の言葉、
「何んのそのどうで死ぬ身の一踊り」
はまさに私の根底の生に対する眼差しそのものであると言えよう。
しかしながら、ここまで胸襟を開いてからいうのもなんであるが、これはあくまでも私の観察によるところの現在の私の心情的土壌をできる限り客観的に表明したものであって、私自身が心地よいと感ずる、または是とするべき思念ではないと思っている。
なぜなら、そこには、常に、自分はいつかほんとに命を投げ出してしまわないか、という不安が付きまとうからである。
自覚的な死への欲求は、先天的なものというよりも後天的に苦しみへの防御本能の中で生み出された産物であると解釈しているので、生の執着の変質といえる。そうであるならば、私は生きたいという思いが本質でなければならん。
今は本質を支えるべきもの(寄る辺)が本質を失わせる危険性を孕んでいる撞着したものである。
もっとポジティブなところから発生した同じくらいに強力な寄る辺の論理が存在しうるとしたら、私はそちらにパラダイムシフトできるのではないかと考えるが、現在のところ、そのようなものはまだ見つかっていない。
◉僕は自分が強迫性障害だと知ったのは高校を卒業してから。
それまではずっと、自分の奇妙な行動を癖だと言われたし自分もそう思っていた。
どうして周りと同じようにできないのか、奇妙な行動を繰り返してしまうのか。
わからかなったし自分でも止められなかった。
そのせいで酷い迫害を受け続けた。
高校三年の時に強迫の真似を受け続けた時、僕自身も自分を狂人だと思い込まなければやり過ごせなかった。
高校卒業して九大病院で強迫神経症だと言われた時、強迫の真似をしてきた彼らは、果たして僕が障害だと知っていたら、真似をし、迫害したのだろうかと考えて恐ろしくなった。
それは、障害と知って真似をし続けたとしたら恐ろしいことだし、障害と知って真似をすることを止めたとしても、それもまた恐ろしいことだと思った。
障害と知って迫害を止めるとすれば、それはなぜなのか?
人間は特異な個性は自分に無害であっても攻撃し、障害になると攻撃しないとするならそれはなぜか。
障害という社会的体裁が冠された対象を攻撃すると自分の中の道徳心、良心にようやく抵触するからか、それとも、同様に障害を認知した周囲から、障がい者を攻撃することへの非難を受けるかもしれない危険性を回避したい為、つまり自己保身の為か?
いずれにせよ、そこに人間としての善意の欺瞞性を垣間見てしまった気がして恐ろしくなった。
障害という定義自体が差別だという人もいる。
それは、人間が特異な個性であっても迫害しない状況であって初めて実利を伴うものではないか。
人間が、特異な個性は迫害し、障害と冠された人には迫害しないという峻別を行う人が多数だとするならば、つまり、人間の善性が、その程度が限界であるならば、僕は、幼い頃から強迫性障害というレッテルを貼られることを喜んで受け入れただろう。
障がい者という定義の垣根をなくせる。
実際そういう良心を持った人も存在する。
でもそれはマイノリティだ。
障がい者であるという定義をおこうなうことは、僕は実際的には差別ではなく、むしろ障害を持つ人々の差別を防ぐ、尊厳を守る為に存在する、そういう効用の方が大きいのだと思っている。
人間は、対象が変わらなくても対象の定義が変わっただけでその対象に対する扱いを変えるのではないか、その疑問が芽生えてから、そのことを考えると僕は人間が恐ろしくて仕方がなくなる。
それまではずっと、自分の奇妙な行動を癖だと言われたし自分もそう思っていた。
どうして周りと同じようにできないのか、奇妙な行動を繰り返してしまうのか。
わからかなったし自分でも止められなかった。
そのせいで酷い迫害を受け続けた。
高校三年の時に強迫の真似を受け続けた時、僕自身も自分を狂人だと思い込まなければやり過ごせなかった。
高校卒業して九大病院で強迫神経症だと言われた時、強迫の真似をしてきた彼らは、果たして僕が障害だと知っていたら、真似をし、迫害したのだろうかと考えて恐ろしくなった。
それは、障害と知って真似をし続けたとしたら恐ろしいことだし、障害と知って真似をすることを止めたとしても、それもまた恐ろしいことだと思った。
障害と知って迫害を止めるとすれば、それはなぜなのか?
人間は特異な個性は自分に無害であっても攻撃し、障害になると攻撃しないとするならそれはなぜか。
障害という社会的体裁が冠された対象を攻撃すると自分の中の道徳心、良心にようやく抵触するからか、それとも、同様に障害を認知した周囲から、障がい者を攻撃することへの非難を受けるかもしれない危険性を回避したい為、つまり自己保身の為か?
いずれにせよ、そこに人間としての善意の欺瞞性を垣間見てしまった気がして恐ろしくなった。
障害という定義自体が差別だという人もいる。
それは、人間が特異な個性であっても迫害しない状況であって初めて実利を伴うものではないか。
人間が、特異な個性は迫害し、障害と冠された人には迫害しないという峻別を行う人が多数だとするならば、つまり、人間の善性が、その程度が限界であるならば、僕は、幼い頃から強迫性障害というレッテルを貼られることを喜んで受け入れただろう。
障がい者という定義の垣根をなくせる。
実際そういう良心を持った人も存在する。
でもそれはマイノリティだ。
障がい者であるという定義をおこうなうことは、僕は実際的には差別ではなく、むしろ障害を持つ人々の差別を防ぐ、尊厳を守る為に存在する、そういう効用の方が大きいのだと思っている。
人間は、対象が変わらなくても対象の定義が変わっただけでその対象に対する扱いを変えるのではないか、その疑問が芽生えてから、そのことを考えると僕は人間が恐ろしくて仕方がなくなる。
俺は高校三年の頃、障害の真似をされ続けた。
半数の男子から、真似をされ続けた。
その中には高校一年の頃一緒の部活で仲の良かった奴もいた。
奴らの手口は巧妙で、俺の真似だと指摘されても違うと言い訳ができる仕組みを設け、授業中でもはばかりなく真似をし続けた。
俺は信じられなかった。
高校三年にもなろう奴らが、中には学年でも上位にはいる成績の奴もいた、そいつらが、障害の真似をするという行為をなんの疑問も思わずに実行できることが。
これが人間か。
俺は人間が心底恐ろしくなった。
良心も、常識も持っているであろうはずのいい年をした人間が、一人の障がい者の行動を真似し続けて笑っているのだ。
俺は偶然、村上春樹の短編「沈黙」を読んだ。
その主人公の境遇と自分の境遇が重なった。
主人公はある時、憎しみが哀れみに変わる。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
俺はこの主人公のように、俺の障害を真似する奴らを憐れんだ。蔑んだ。
そのときに俺は一つの誓いを立てた。
「俺は決して奴らのようにはならない」
奴らとは。
俺の障害を真似をする奴らの中にはもちろん先導者がいた。しかしそれ以上に憐れんだのは、それに追随する「奴ら」だ。
『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしちゃうんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢を見るのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙のなかで何もかもがドロドロに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです』(沈黙から抜粋)
俺の中で奴らのようにならない、という誓いは、無自覚に人を傷つけてしまう行為を可能な限り減らす、という強迫観念へとつながっていった。
それはただ一心に、彼らを憐れみ、蔑む根拠を失わない為に、奴らと一緒の位置に立ってはいけない、という憎しみ、復讐心の上に立っている。
結局、俺は、お前らとは違う、お前らより俺は人間として劣等でない、という自尊心を保つ為に優しくなりたいと欲している。
それはつまり、彼らと自分がなんら変わらない劣悪な人間であったというだけの話である。
本当の善意を持つ人間なら彼らをすでに許しているだろう。
俺は憎い、俺の障害を真似した奴らが憎い。奴らを許せない。
俺の目指す人間的成熟の土壌は憎しみであり、蔑みと哀れみを養分としている劣悪なものである。
半数の男子から、真似をされ続けた。
その中には高校一年の頃一緒の部活で仲の良かった奴もいた。
奴らの手口は巧妙で、俺の真似だと指摘されても違うと言い訳ができる仕組みを設け、授業中でもはばかりなく真似をし続けた。
俺は信じられなかった。
高校三年にもなろう奴らが、中には学年でも上位にはいる成績の奴もいた、そいつらが、障害の真似をするという行為をなんの疑問も思わずに実行できることが。
これが人間か。
俺は人間が心底恐ろしくなった。
良心も、常識も持っているであろうはずのいい年をした人間が、一人の障がい者の行動を真似し続けて笑っているのだ。
俺は偶然、村上春樹の短編「沈黙」を読んだ。
その主人公の境遇と自分の境遇が重なった。
主人公はある時、憎しみが哀れみに変わる。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
俺はこの主人公のように、俺の障害を真似する奴らを憐れんだ。蔑んだ。
そのときに俺は一つの誓いを立てた。
「俺は決して奴らのようにはならない」
奴らとは。
俺の障害を真似をする奴らの中にはもちろん先導者がいた。しかしそれ以上に憐れんだのは、それに追随する「奴ら」だ。
『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしちゃうんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢を見るのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙のなかで何もかもがドロドロに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです』(沈黙から抜粋)
俺の中で奴らのようにならない、という誓いは、無自覚に人を傷つけてしまう行為を可能な限り減らす、という強迫観念へとつながっていった。
それはただ一心に、彼らを憐れみ、蔑む根拠を失わない為に、奴らと一緒の位置に立ってはいけない、という憎しみ、復讐心の上に立っている。
結局、俺は、お前らとは違う、お前らより俺は人間として劣等でない、という自尊心を保つ為に優しくなりたいと欲している。
それはつまり、彼らと自分がなんら変わらない劣悪な人間であったというだけの話である。
本当の善意を持つ人間なら彼らをすでに許しているだろう。
俺は憎い、俺の障害を真似した奴らが憎い。奴らを許せない。
俺の目指す人間的成熟の土壌は憎しみであり、蔑みと哀れみを養分としている劣悪なものである。
気付けば年が明けていた。
辛い年越しになってしまった。
メッキの自分。社会不適合者の自分。
それを受け入れることすらできない自分。
自尊心の塊の自分。
嫉妬、妬み、復讐心に支配されている自分。
全てのことから逃げ回っている自分。
誰かを蔑むことで安心しようとする自分。
常に誰かと、周りと比較している自分。
劣等感の塊の自分。
何とも向かい合ってない自分。
大嫌いな自分。
日記に書いてきたことは、僕の理想、僕の憧れ。
現実とは真逆の自分像。
だから、勘違いしちゃ駄目だよ。
僕は優しい人間でも立派な人間でもないんだよ。
ただ、そんな自分が大嫌いだから、理屈っぽく理想論をぶちまかして、みにくい自分を隠そうと必死で、そうすることでますますみにくい根性を露呈しているような取るに足りない人間なんだから。
望みは、自分を好きになりたい。
今年から日記は僕の汚ない部分、醜い部分、さらけ出してきたいんだよ。
楽しい日記でも、人や自分を鼓舞させるような内容でもない、ただただ嫌悪感のみ募るようなことも書くことになるかもしれない。
でもそれを隠したいってことは自分が嫌いだからでしょう?
でも現状の自分がそんな醜い自分なら、変われるまで嫌いで居続けなきゃいけない。
でも自分が嫌いな人間が人信じられる?
人信じられなきゃ自分は変われない。
変わる為にはまず自分を好きにならなきゃ変われない。
だったら、醜い、劣悪な自分の感情全てひっくるめた現状の僕をさらけ出して平気になるくらい自分を受け入れるしかないじゃない。
そうした自分をまず好きにならなきゃ進まんだろ。
だから、ずっと僕はこの日記の透明化を目指していたんだけど、みにくい自分のプライドでできなかった。でも今年は書いていきたい。
自分の透明化をしていきたい。
辛い年越しになってしまった。
メッキの自分。社会不適合者の自分。
それを受け入れることすらできない自分。
自尊心の塊の自分。
嫉妬、妬み、復讐心に支配されている自分。
全てのことから逃げ回っている自分。
誰かを蔑むことで安心しようとする自分。
常に誰かと、周りと比較している自分。
劣等感の塊の自分。
何とも向かい合ってない自分。
大嫌いな自分。
日記に書いてきたことは、僕の理想、僕の憧れ。
現実とは真逆の自分像。
だから、勘違いしちゃ駄目だよ。
僕は優しい人間でも立派な人間でもないんだよ。
ただ、そんな自分が大嫌いだから、理屈っぽく理想論をぶちまかして、みにくい自分を隠そうと必死で、そうすることでますますみにくい根性を露呈しているような取るに足りない人間なんだから。
望みは、自分を好きになりたい。
今年から日記は僕の汚ない部分、醜い部分、さらけ出してきたいんだよ。
楽しい日記でも、人や自分を鼓舞させるような内容でもない、ただただ嫌悪感のみ募るようなことも書くことになるかもしれない。
でもそれを隠したいってことは自分が嫌いだからでしょう?
でも現状の自分がそんな醜い自分なら、変われるまで嫌いで居続けなきゃいけない。
でも自分が嫌いな人間が人信じられる?
人信じられなきゃ自分は変われない。
変わる為にはまず自分を好きにならなきゃ変われない。
だったら、醜い、劣悪な自分の感情全てひっくるめた現状の僕をさらけ出して平気になるくらい自分を受け入れるしかないじゃない。
そうした自分をまず好きにならなきゃ進まんだろ。
だから、ずっと僕はこの日記の透明化を目指していたんだけど、みにくい自分のプライドでできなかった。でも今年は書いていきたい。
自分の透明化をしていきたい。
幼い頃から強迫性障害(OCD)に苦しみ、その所為で色んな経験をし、人間不信に、対人恐怖に。テニスに集中しているときだけすべてのことを忘れられたので、没頭
僕のことを誰も知らない大学に入り、人生の再構築を計ったけど、人間不信からテニス部もすぐに辞め、しばらく自虐的に遊びほうけるが、空しさ埋まらず、ある人物との出会いで、テニスに変わる拠り所となる読書にハマる。
大学三年から、強迫の悪化、アトピーが全身に出て、死の苦しみを味わう。
それから2年間、卒業まで週に一度の授業以外ほぼ外に出られず、友人関係も疎遠に。
強迫とアトピーの苦しみの狭間で、映画と読書だけは何とか続ける。
家族との話し合いで、強迫でも働ける余地があるかも、と公務員を目指すが、公務員学校で、強迫と鬱によりドロップアウト。
以後また2年間、強迫と鬱との戦い。アトピーは3年かけて完治。
苦しみから抜け出せず、希死念慮に苛まれていた頃に、祖母が自殺。
母の悲しみを見て、自分は生きなきゃいけないと思い直し、もう一度病院に行く。
そこで、その頃認可された薬(SSRI)と出合う。
カウンセリングを受けながら、薬を服用。
薬が嘘のように効き、生まれてから経験したことのない強迫からの開放感を味わう。抑鬱傾向も減退。初めて人間らしい生活を実感できる。
社会復帰計画。営業の仕事をすぐに挫折。もう一度派遣のバイトから始め、カメラ工場(リーマンショックで撤退)、食品工場(潰れた。。)
その間、強迫も軽く、感情的な落ち込みも酷くなく、また忙しかったことから薬を独断で辞めてしまう。
無職になって、なぜか再び重度のアトピーが顔に出て寝たきりの生活。
今回は五ヶ月で治す。
それから職探し、ようやく見つけた職で、対人恐怖再発。極度の抑鬱状態に陥り、辞めてしまう。
通院しつつ再び服薬。回復中。
人間不信を完全に脱却して、みんなに心を開けるようになりたい。
将来に不安を感じつつ、自分の人生なのだから、と言い聞かせる毎日。
僕のことを誰も知らない大学に入り、人生の再構築を計ったけど、人間不信からテニス部もすぐに辞め、しばらく自虐的に遊びほうけるが、空しさ埋まらず、ある人物との出会いで、テニスに変わる拠り所となる読書にハマる。
大学三年から、強迫の悪化、アトピーが全身に出て、死の苦しみを味わう。
それから2年間、卒業まで週に一度の授業以外ほぼ外に出られず、友人関係も疎遠に。
強迫とアトピーの苦しみの狭間で、映画と読書だけは何とか続ける。
家族との話し合いで、強迫でも働ける余地があるかも、と公務員を目指すが、公務員学校で、強迫と鬱によりドロップアウト。
以後また2年間、強迫と鬱との戦い。アトピーは3年かけて完治。
苦しみから抜け出せず、希死念慮に苛まれていた頃に、祖母が自殺。
母の悲しみを見て、自分は生きなきゃいけないと思い直し、もう一度病院に行く。
そこで、その頃認可された薬(SSRI)と出合う。
カウンセリングを受けながら、薬を服用。
薬が嘘のように効き、生まれてから経験したことのない強迫からの開放感を味わう。抑鬱傾向も減退。初めて人間らしい生活を実感できる。
社会復帰計画。営業の仕事をすぐに挫折。もう一度派遣のバイトから始め、カメラ工場(リーマンショックで撤退)、食品工場(潰れた。。)
その間、強迫も軽く、感情的な落ち込みも酷くなく、また忙しかったことから薬を独断で辞めてしまう。
無職になって、なぜか再び重度のアトピーが顔に出て寝たきりの生活。
今回は五ヶ月で治す。
それから職探し、ようやく見つけた職で、対人恐怖再発。極度の抑鬱状態に陥り、辞めてしまう。
通院しつつ再び服薬。回復中。
人間不信を完全に脱却して、みんなに心を開けるようになりたい。
将来に不安を感じつつ、自分の人生なのだから、と言い聞かせる毎日。
クールになんてなれないから~
2011年11月15日 日常◉イメージはクールでダンディズムが醸し出される、布施明の様な中年像を目指しているのだが、周りから受ける僕の評価は全然違う。
公務員学校に通っていたときに、公園で昼飯を食っていたら学友が目の前を漂っていた綿ぼこりを指して、キタム君に似てるなぁとのたまった。
高校時代の友人は、バカボンに似てるといった。
クッキングパパに出てくる少年いにているというので、クッキングパパ家の可愛い息子のことを言っているのかと喜んでいたら、その友人のダミ声のタラコ唇のボサボサ髪の少年のことだったことがわかり自分のイメージに額然としたものだ。
自分は時たまワイルドとの言葉を頂戴したりもするが、ワイルドの意味合いはハードボイルド的なものではなく、ストリーファイターというゲームに出てくるブランカのそれである。
野性味といってもつまり人間的なものではなく野獣の雰囲気に満ち満ちているらしい。
これは僕の意図していないところで獣的な地が出てしまっているのだと思う。
クールでダンディの道は僕にはとても無理な様だ。
最近人に、僕は酒が弱いんですよ、といったら、二人して「意外!」と声を揃えられた。
家に帰るなり、酒を煽っている豪放磊落なイメージなのだそうな。
繊細を気取る僕の内情は微塵も滲み出ていないようだ。
そういえば、カールおじさんとか言われたときもあった。
僕の目指す方向性はそっちにすれば成功間違いなしのようだ。けど嫌だ。
公務員学校に通っていたときに、公園で昼飯を食っていたら学友が目の前を漂っていた綿ぼこりを指して、キタム君に似てるなぁとのたまった。
高校時代の友人は、バカボンに似てるといった。
クッキングパパに出てくる少年いにているというので、クッキングパパ家の可愛い息子のことを言っているのかと喜んでいたら、その友人のダミ声のタラコ唇のボサボサ髪の少年のことだったことがわかり自分のイメージに額然としたものだ。
自分は時たまワイルドとの言葉を頂戴したりもするが、ワイルドの意味合いはハードボイルド的なものではなく、ストリーファイターというゲームに出てくるブランカのそれである。
野性味といってもつまり人間的なものではなく野獣の雰囲気に満ち満ちているらしい。
これは僕の意図していないところで獣的な地が出てしまっているのだと思う。
クールでダンディの道は僕にはとても無理な様だ。
最近人に、僕は酒が弱いんですよ、といったら、二人して「意外!」と声を揃えられた。
家に帰るなり、酒を煽っている豪放磊落なイメージなのだそうな。
繊細を気取る僕の内情は微塵も滲み出ていないようだ。
そういえば、カールおじさんとか言われたときもあった。
僕の目指す方向性はそっちにすれば成功間違いなしのようだ。けど嫌だ。
◉マジで生活習慣の徹底的見直しに成功。
自分は自堕落な性格だから、何か日中強制的に起きとく事由がないとうまくいかないのだと実感。
11時に寝て朝6時半に起き、毎日テニスの素振り、風呂上がりにストレッチ、青汁と黒酢を飲むのも再開したら、肩こりと偏頭痛があっさり収まった。
アトピー肌も完全に治った。
人間は昼に起きとくものなのね。
脳活発になって、読書も短い時間でも集中して効率的にできる様になったし、腹もちゃんと減りだした。
こうなるといろいろ気力も出てくる。
本当近いうちにテニスクラブに入ろうと思っている。
来月あたりには是非。
英語の勉強も無理のない程度にしているけど、もっと本格的にやってもいいな。
英会話学校。。。考えてみるか。
そして、今の生活を起動に載せることができたら学生時代の様に脂肪のない筋肉質の身体を復活させ、疲れにくい身体にするぞ。
あ、心理学の勉強しているよ。
そんな自分を暖かく見守っていこうと思う。
自分は自堕落な性格だから、何か日中強制的に起きとく事由がないとうまくいかないのだと実感。
11時に寝て朝6時半に起き、毎日テニスの素振り、風呂上がりにストレッチ、青汁と黒酢を飲むのも再開したら、肩こりと偏頭痛があっさり収まった。
アトピー肌も完全に治った。
人間は昼に起きとくものなのね。
脳活発になって、読書も短い時間でも集中して効率的にできる様になったし、腹もちゃんと減りだした。
こうなるといろいろ気力も出てくる。
本当近いうちにテニスクラブに入ろうと思っている。
来月あたりには是非。
英語の勉強も無理のない程度にしているけど、もっと本格的にやってもいいな。
英会話学校。。。考えてみるか。
そして、今の生活を起動に載せることができたら学生時代の様に脂肪のない筋肉質の身体を復活させ、疲れにくい身体にするぞ。
あ、心理学の勉強しているよ。
そんな自分を暖かく見守っていこうと思う。
◉錦織圭がこの二週間驚異的な活躍をしてくれているおかげで、僕の乾いた心にも幾分の湿り気がうまれた。
先々週の上海でランキング8位のリアルジャイアン、ツォンガを破りベスト4、今週はランキング7位のベルディヒ、ランキング1位のジョコビッチを破り決勝進出。
ランキングは松岡修造の46位の壁を乗り越えて、一気に突き抜けた感がある。
今回の活躍で、24位まで浮上した。
刮目すべきはやはり1位のジョコビッチを破ったことだろう。
なぜなら、今年のジョコビッチは絶対王者。
今年だけで言うなら、世界2位のナダルに5勝0敗。
世界4位のフェデラーに4勝1敗。全豪、ウインブルドン、全米制覇、全仏はベスト4。
そして今年全体での通算戦績は錦織と当たるまで、67勝3敗。
しかも、負けた3回のうち2回は怪我による棄権のため実質負けたのはフェデラーに負けた1敗のみ。
どれだけすごいことかわかるよね。
たしかにジョコビッチは第2セットの途中で肩を痛めたけど、錦織も前の大会で足首を痛めてまだ治ってなかったわけだし、最後まで続けたのは、ジョコビッチが試合を続けられると踏んだからだろう。
錦織は出だしかなりナーバスになってて、錦織は緊張していると動きが全然違うのですぐにわかるけど、第2セットあたりから体がほぐれてきて、ジョコビッチと対等に打ち合い、打ち勝てるまでになってた時点でこれはひょっとして?って、僕の心臓も高鳴った。
だい2セットを接戦の末にもぎ取り、錦織のプレーはさらに良くなっていった。
ジョコビッチは第3セット0-4とされてから、集中力が切れて勝利は確定的なものとなった。
ジョコビッチは怪我でやる気なかったとかいう人もいるけど、試合をみていた人はジョコビッチが0-4になるまでは必死にやっていたことは明白に読み取れるはずだ。
ジョコビッチをキレさせたのは、錦織の力以外の何物でもない。
決勝のフェデラーは衰えたとはいえ、テニス史上最高と言われる選手。
ジョコビッチが現在最強選手なら、フェデラーは歴代最強選手だ。
ただ、フェデラーのプレーは繊細だから、崩れる要素はジョコビッチよりもあると思っていたからもしかしたら?という期待を抱いていたけど、この大会はフェデラーの地元。
過去6年で5回優勝1回準優勝。
最初から半端無く気合が入り集中していて、ベストと言えるプレーをしたと思う。
全く付け入る隙がなかった。
完敗だったけど、それは錦織の力を否定するものではない。
なにせ、錦織はすでに世界がトップ10の半数以上を倒しているのだから、そのポテンシャルは充分すぎるほど証明してる。
表彰式は感動的だった。フェデラーはこの大会への思い入れゆえに涙を流し、そして錦織を賞賛した。
「5年前に練習で打ったときから才能を感じいていた。この場所まで登ってきて戦えたことを嬉しく思う。」
錦織はこの2週間で覚醒したと言っていいと思う。
そして、これはまだスタートだとも思う。
まだ21歳。これからピークを迎える錦織、TOP10、TOP5も絵空事ではない。
今週のパリでの大会で錦織の一年が終わる。
年のはじめ、98位だったランキングは24位まで駆け上った。
パリの大会が終わったとき、一体何位になっているだろう。
あと一週間、頑張れ、錦織圭!!
先々週の上海でランキング8位のリアルジャイアン、ツォンガを破りベスト4、今週はランキング7位のベルディヒ、ランキング1位のジョコビッチを破り決勝進出。
ランキングは松岡修造の46位の壁を乗り越えて、一気に突き抜けた感がある。
今回の活躍で、24位まで浮上した。
刮目すべきはやはり1位のジョコビッチを破ったことだろう。
なぜなら、今年のジョコビッチは絶対王者。
今年だけで言うなら、世界2位のナダルに5勝0敗。
世界4位のフェデラーに4勝1敗。全豪、ウインブルドン、全米制覇、全仏はベスト4。
そして今年全体での通算戦績は錦織と当たるまで、67勝3敗。
しかも、負けた3回のうち2回は怪我による棄権のため実質負けたのはフェデラーに負けた1敗のみ。
どれだけすごいことかわかるよね。
たしかにジョコビッチは第2セットの途中で肩を痛めたけど、錦織も前の大会で足首を痛めてまだ治ってなかったわけだし、最後まで続けたのは、ジョコビッチが試合を続けられると踏んだからだろう。
錦織は出だしかなりナーバスになってて、錦織は緊張していると動きが全然違うのですぐにわかるけど、第2セットあたりから体がほぐれてきて、ジョコビッチと対等に打ち合い、打ち勝てるまでになってた時点でこれはひょっとして?って、僕の心臓も高鳴った。
だい2セットを接戦の末にもぎ取り、錦織のプレーはさらに良くなっていった。
ジョコビッチは第3セット0-4とされてから、集中力が切れて勝利は確定的なものとなった。
ジョコビッチは怪我でやる気なかったとかいう人もいるけど、試合をみていた人はジョコビッチが0-4になるまでは必死にやっていたことは明白に読み取れるはずだ。
ジョコビッチをキレさせたのは、錦織の力以外の何物でもない。
決勝のフェデラーは衰えたとはいえ、テニス史上最高と言われる選手。
ジョコビッチが現在最強選手なら、フェデラーは歴代最強選手だ。
ただ、フェデラーのプレーは繊細だから、崩れる要素はジョコビッチよりもあると思っていたからもしかしたら?という期待を抱いていたけど、この大会はフェデラーの地元。
過去6年で5回優勝1回準優勝。
最初から半端無く気合が入り集中していて、ベストと言えるプレーをしたと思う。
全く付け入る隙がなかった。
完敗だったけど、それは錦織の力を否定するものではない。
なにせ、錦織はすでに世界がトップ10の半数以上を倒しているのだから、そのポテンシャルは充分すぎるほど証明してる。
表彰式は感動的だった。フェデラーはこの大会への思い入れゆえに涙を流し、そして錦織を賞賛した。
「5年前に練習で打ったときから才能を感じいていた。この場所まで登ってきて戦えたことを嬉しく思う。」
錦織はこの2週間で覚醒したと言っていいと思う。
そして、これはまだスタートだとも思う。
まだ21歳。これからピークを迎える錦織、TOP10、TOP5も絵空事ではない。
今週のパリでの大会で錦織の一年が終わる。
年のはじめ、98位だったランキングは24位まで駆け上った。
パリの大会が終わったとき、一体何位になっているだろう。
あと一週間、頑張れ、錦織圭!!
◉成人病、というか糖尿病の症状ってどんなのかわからないのだが。
すぐ偏頭痛が起こったりするのって違うよね?
ここの所、錦織の圭が活躍していてなかなか嬉しいのである。
松岡修造のランキングを超えて、勢いづいた感がある。
前回の大会で、グランドスラムに次ぐ規模の大会でベスト4。
一気にランキング30位で、今回の大会一回戦で世界7位のベルディヒをある意味、圧倒した内容の勝利。
このままブクブクと巨大化していく自分の体に歯止めをかけたいが長続きしない自分は、やはりテニスしかないのだとの感を強くする。
近々再びテニスクラブに入会しようかと思っているのだ。でないと、自分は成人病を伴ってアキラの様に最後は爆発してしまう。
本来なら金のかからないテニスサークルに入るべきなのだろうが、サークルというのは対人コミュニケートが円滑にできる真っ当なスポーツマンが入るべき場所であり、自分の様なテニスと筋トレが好きなだけの対人不信のコミュニティ不全の半ニート実は文科系中年はモムモクとコーチの指示に従って運動を遂行する方が適当であろう。
テニスとはネットを挟んだボクシングと言われ、それはむしろ己との戦いであり、求道者のごとく自分を見つめる作業なのだ、と強がってみる。
こおように僕がテニスを再びしたいと思い至ったのは、錦織の活躍に発奮しただけで無く、
今日、何をしたわけでもないのに猛烈に広背筋がツって激烈な痛みにのたうち回ったからである。
これはいよいよヤバイのではないか。
血流やら柔軟性やら諸々のことである。
一年以上ぶりに押入れからフェデラー限定モデルのラケットを取り出し和室で素振りをしたら、肩こりと偏頭痛が和らいだ。
僕に足りないのは、運動だ。テニスだ。それと職だ。と気付いた。
すぐ偏頭痛が起こったりするのって違うよね?
ここの所、錦織の圭が活躍していてなかなか嬉しいのである。
松岡修造のランキングを超えて、勢いづいた感がある。
前回の大会で、グランドスラムに次ぐ規模の大会でベスト4。
一気にランキング30位で、今回の大会一回戦で世界7位のベルディヒをある意味、圧倒した内容の勝利。
このままブクブクと巨大化していく自分の体に歯止めをかけたいが長続きしない自分は、やはりテニスしかないのだとの感を強くする。
近々再びテニスクラブに入会しようかと思っているのだ。でないと、自分は成人病を伴ってアキラの様に最後は爆発してしまう。
本来なら金のかからないテニスサークルに入るべきなのだろうが、サークルというのは対人コミュニケートが円滑にできる真っ当なスポーツマンが入るべき場所であり、自分の様なテニスと筋トレが好きなだけの対人不信のコミュニティ不全の半ニート実は文科系中年はモムモクとコーチの指示に従って運動を遂行する方が適当であろう。
テニスとはネットを挟んだボクシングと言われ、それはむしろ己との戦いであり、求道者のごとく自分を見つめる作業なのだ、と強がってみる。
こおように僕がテニスを再びしたいと思い至ったのは、錦織の活躍に発奮しただけで無く、
今日、何をしたわけでもないのに猛烈に広背筋がツって激烈な痛みにのたうち回ったからである。
これはいよいよヤバイのではないか。
血流やら柔軟性やら諸々のことである。
一年以上ぶりに押入れからフェデラー限定モデルのラケットを取り出し和室で素振りをしたら、肩こりと偏頭痛が和らいだ。
僕に足りないのは、運動だ。テニスだ。それと職だ。と気付いた。
彼にも然しもっと卑小な問題があった。それは驚くほど卑小な問題で、しかも眼の先に差迫り、常にちらついて放れなかった。それは彼が会社から貰う二百円ほどの給料で、その給料をいつまで貰うことができるか、明日にもクビになり路頭に迷いはしないかとう不安であった。彼は月給を貰う時、同時にクビの宣告を受けはしないかとビクビクし、月給袋を受取ると一月延びた命のために呆れるくらい幸福感を味わうのだが、その卑小さを顧みていつも泣きたくなるのであった。彼は芸術を夢見ていた。その芸術の前ではただ一粒の塵埃でしかないような二百円の給料がどうして骨身にからみつき生存の根底をゆさぶるような大きな苦悶になるのであろうか。生活の外形のみのことではなくその精神も魂も二百円に限定され、その卑小さを凝視して気も違わずに平然としていることが尚更情けなくなるばかりであった。
・・・眼のさきの全てをふさぎ、生きる希望を根こそぎさらい去るたった二百円の決定的な力、夢の中にまで首をしめられ、うなされ、まだ二十七の青春のあらゆる情熱が漂白されて、現実にすでに暗黒の曠野の上を茫々と歩くだけではないか。
・・・胸の灯も芸術も希望の光もみんな消えて、生活自体が道ばたの馬糞のようにグチャグチャに踏みしだかれて、乾きあがって風に吹かれ、飛びちり跡形もなくなって行く。爪の跡すらなくなって行く。・・・やりきれない卑小な生活だった。彼自身にはこの現実の卑小さを裁く力すらもない。
・・・俺は何を怖れているのだろうか。・・・怖れているのはただ世間の見栄だけだ。その世間とはアパートの淫売婦だの妾だの妊娠した挺身隊だの家鴨のような鼻にかかった声をだして喚いているオカミサン達の行列会議だけのことだ。そのほかに世間などはどこにもありはしないのに、そのくせこの分かりきった事実を俺は全然信じていない。不思議な掟に怯えているのだ。
坂口安吾「白痴」より抜粋。
◉突然知らぬ番号から電話。
男の声。
「こんちわ。。」
「こんにちわ」
「えっと、あの」
「はい?」
「あ、こんちわ」
「はい」
「あ。。え。。今どこ?キタム?」
ぶつっ。。ツーツー。。。
「はい?もしもし、もしもし~?」
電話切れた。。間違い電話?
でもキタムって言ったぞ?
ハンドルネームのキタムって言ったぞ?
なんやねん、むっちゃ気になるわ~。
かけ直さんけど。。
◉http://www.youtube.com/watch?v=QVUJq969juU&feature
希望のない生活、赤貧の哀愁にたまらない魅力を感じるのは、実際に経験したことないからだろうか。
哀歌になったり映画や漫画でもそういった作品が作られて、親しまれるんだから多くの人が鬱屈したみすぼらしさに惹きつけられてるんやろな。
絶望の中に投げやりな希望があり、苦痛の中に突き抜けた快楽があり、狂気の中に至上の願望が存在している、と某文豪の弁。
男の声。
「こんちわ。。」
「こんにちわ」
「えっと、あの」
「はい?」
「あ、こんちわ」
「はい」
「あ。。え。。今どこ?キタム?」
ぶつっ。。ツーツー。。。
「はい?もしもし、もしもし~?」
電話切れた。。間違い電話?
でもキタムって言ったぞ?
ハンドルネームのキタムって言ったぞ?
なんやねん、むっちゃ気になるわ~。
かけ直さんけど。。
◉http://www.youtube.com/watch?v=QVUJq969juU&feature
希望のない生活、赤貧の哀愁にたまらない魅力を感じるのは、実際に経験したことないからだろうか。
哀歌になったり映画や漫画でもそういった作品が作られて、親しまれるんだから多くの人が鬱屈したみすぼらしさに惹きつけられてるんやろな。
絶望の中に投げやりな希望があり、苦痛の中に突き抜けた快楽があり、狂気の中に至上の願望が存在している、と某文豪の弁。