●社員になって最初の仕事。新人社員の教育。
ほぼ一緒の時期に社員になったけど、僕はその前に一年バイト&パート&契約社員期間があるので。
新人社員は新卒なので、若い、華奢。でも武道系の体育会出身なので、声が野太くハキハキしていて礼儀正しい。
なんかここんとこうちの会社バコバコ社員増えてないか?

●健康熱は続いている。
僕にはもともと自己内発展に対する並々ならぬ好奇心がある。
健康というが、つまりは細胞の進化や変化に興味があるのだ。
だから、色んな本を読んで新たな知見を得るのも、また筋トレをして今まで意識できなかった部分にまで意識を持てるようになることなども、すべてこの健康熱と地続き、というか包含されている。

さて、ストレッチと共に脳内セロトニンの調整などを行い、対人不安を治す対策として呼吸法を始めたのだが、呼吸法を漫然と日常生活の活動の中でやるのはなかなか難しいことに気付いたので、きっちりと呼吸法の時間を設けることにした。

つまり、座禅といってもいいし、瞑想、といってもいい。
これを寝る前に20分から30分続けているが、これがものすごくいい。
ものすごくいいというのは、宗教的だとか、スピリチュアルだとか、そういうことではなしに、科学的にいい。
瞑想をすると、アルファー波というものがでるらしいが。このアルファー派が出ている状態というのは、なんとも気持ちがすっきりとして気持ちいいものだ、ということがこの数日での実感である。
だから、きっとこのひたすら気持ちいい状態が、なにか精神哲学的な境地と結びついて宗教やスピリチュアル的なものに取り込まれるのも良くわかる。
例えばアートマンとブラフマンの境地も、ひたすら瞑想をやって手足の感覚が薄れ世界や空気、果ては宇宙と一体となるように感じられると捉えた人が作り出したのかもしれない。
でもその気持ちよくわかる。まさにこれをやり続けたらなにかが変りそう、悟りといったものに辿りつけそう、そんな感じである。

といってもまだ数日だけど、数日でこういった気持ちよさを実感できたことがすごい驚きだった。
これはほんとに対人不安に対して、効果を発揮してくれるかもしれん、そんな期待が芽生えたし、今後これを続けていったら自分がどうなっていけるのかにも興味がある。

これは、やってみないと説明が難しい。でも瞑想は絶対にお勧めである。
思考の整理、感情のコントロール、自律神経の改善、ストレスの緩和、期待に胸が膨らむ。

瞑想後のなんともいえない精神の静寂。
手足がポカポカとする感覚を一度味わったら病み付きになる人は多そう。

あ、そういえば思い出した。僕が強迫で大学時代に通院していた九大病院の先生が、僕に「手を洗うのが止められない」と共に勧めてくれた本が、テイク・ナット・ハンの「ウォーキング・メディテーション」だった。これは歩く瞑想だ。
強迫にも、きっと瞑想は効果があるということだろうな。

キタムミクス

2013年3月17日 日常
●しかしである、正社員の給料などが明らかになった。増えた。当たり前だが。
労災もある。退職金もある。ボーナスもある。有給もある。
責任もある。
さもなくば、残業が飽足りない。
この残業が終われば、定時終りで自由時間がなんと長くあるのだろうかと感動することだろうが、人間は一週間もあれば程なく慣れる。

睡眠時間は取った方が良い。
体のインフラを充実させる。
体内という世界で血管という交通網があるが、ところどころで渋滞を起こしている。
この渋滞を解決させるには、道を広くしたり、新たな道路(毛細血管)を拵える必要がある。
また、使われていない荒廃した土地や道路も復活させたいところだ。
その為に土をならさないといけない(ストレッチ)し、工事は主に夜(睡眠)行われる。

交通網が整うと、様々な物資(栄養、血液)が隅々まで輸送され、体内経済が潤い、発展していく。
当然通信網も広がる、電線や電波等(神経)が立ち、今まで連絡の行き届かなかった鄙びた僻地(末端の部位)にも細かい連絡を行うことが可能になる。鄙びた僻地にも、住民(細胞)はいる。そうした住民が飢えることなく、福祉を享受できる。

経済が円滑に発展することで、住民の生活は豊かになり幸福度指数もあがり、不満も減ってくる。
すると政府(脳)は他の問題に傾注できるようになってくる。
政府自体も経済が潤うことで健全なものになっていく。
ネガティブな意見は鳴りを潜め、希望のある意見が隆盛してくる。

より効率的で合理性のある政策が打ち出される。
新たな法律が作られる。
経済の発展によって住民の福祉のさらなる充実が実現していく。
労働条件は改善し、ワークシェアリングが実現し、住民一人一人の肉体的精神的疲労が軽減。
生活が豊かになるので犯罪率も低下、平和な国(穏やかな平常心)が築かれる。
教育の質も上がり、有事にも落ち着いて対処できる有能な人材、政府(強い心)の誕生である。
しかし、そうなるためには住民に当分の間、痛みに耐えてもらわないといけない(ストレッチの痛みや呼吸法などの努力)。

交通網の充実、渋滞の軽減が何より肝要である。
●今月はわりかし休みがある。先週も今週も土日休みだ、でも来月はぜんぶ6勤だ。うひぃ。
毎日残業だけど、定時終りの6勤と残業の5勤どちらがいいか、悩むところだ。残業アリの6勤は最低だけど。

先週の土曜は国木田氏とロイヤルホストでちょい豪華な定職を食べて、別府を久しぶりにうろちょろし、大阪のおばちゃんみたいなマダムが経営する味のある喫茶店でココアを飲んでいたら、小説のタイトルが浮かんだ。二つ。

「喫茶巡りの唐変木」「都のザリガニ」

しかし、タイトルだけ浮かんで、ストーリーは浮かばない。
誰か考えて。

2人で駄菓子を1400円分買った。
本屋で、「夜と霧」を購入。

●インフルエンザになってから、脱煩悩は続いているが、スキャンが出来ていない。
またはじめなければ。

目の錯覚

2013年3月4日 日常
●ええ、目は口ほどにものを言いません。
正社員は今月中旬になりまする。
今は毎日残業だが、正社員はたまに社長室で勉強会のようなものがあるです。
僕もデビュー。僕のほかにも一緒に2人が正社員になったのでその人らもデビュー。
まぁ、その会は滞りなく終わったのだが、後日、上司から、社長がいい目をしてると褒めていたと言われたが、いい目、とはどんな目なのか、リーダーには、入社当時やる気の無い目、といわれたし、ほんと、目は体を表わしません。
だから、僕の目を見て人間性がどんどんあらぬ方向に一人歩きすることにすごい危惧を覚えます。
僕はやる気が無いわけでもないし、だからといって仕事に貪欲な人間でもないのです。
仕草で判断されるならまだしも、目で判断は大いなる誤解を生みますです。
だって僕は、意識が覚めているときはお目目パッチリですが、疲れたり眠くなったり酒に酔うとトロンとした目になって半場白目のラリッたような目になるのです。
まさに別人です。
しかしあまり本人は自覚がありません。
そういうものです。
所詮目なんてそういうものです。
そういう「目」から人間性などわかりようがありません。

真面目系クズを自認する僕が言うんですから間違いありません。
僕の目から何かを読み取った風に感じて僕にプレッシャーをかけるの止めてください。
僕潰れてしまいます。

●流れ流れて僕どこ行くの。
どんぶらこどんぶらこ。行くとこまで行ってみて、起こったことを受け入れましょう。
今の流れは僕が意図したものじゃないけど、客観的にみたらいい方に向かってるんだろうか。
これこそほんと運命って感じがするよね。
自分が望んだわけでも目指したわけでもない方向に人生が転がっていく。まさに運命。
インフルエンザ治って咳だけ残って、やばい肺炎か?今週まだ治らんかったら肺検査してもらおうと思っていたけど、昨日、小児用ジキニンの残りを一気飲みしてユンケル飲んだら、今日の朝は嘘のように咳が収まった。まだ少しあるけど、もう少しで完治。

今日もユンケル飲んだ。毎日ユンケル飲んでるイチローうらやましい。スポンサーになってくれないかな。ユンケル。
●残業続きの毎日。
家に帰っても限られた時間を有効活用していたが、どこかで無理がたたったのか、体の抵抗力が落ちたのか、先週末になる直前、「ふう~最近mixi書いてないからこの土日の休みの間に久しぶりに書こうかぁ」などと思う予定だった矢先に、ケホケホと木曜辺り咳が出だして、僕は強迫の行為の影響で唾を気管支に入れやすく、仕事の相方のトメ老女に「あ、また唾が気管に、テヘペロ」などと笑って見せていた顔も気色蒼然となっていき、これは風邪の咳じゃ、と占いおばばトメさんの言葉に僕も同意せざるを得なくなった。
そんな僕の体たらくを通りすがったパートのケメ子さんが、あ、風邪の初期症状ならユンケル皇帝液と小児用ジキニンを一緒に飲んでコテンと寝れば一晩で一発よ。「イ・ン・フ・ル・エ・ン・ザじゃなければね」ニヤリ。
などというものだから、ちょうど母親がどこか東北に旅行していってジャンクフード宣言真っ最中の僕はラーメン二杯とともにそれらを掻き込んだわけだが、なんとこの2つの飲料カフェインがガンガンに入っていて、僕はギンギンに眠れず、安定剤と睡眠薬を時間差でゴンゴン投入してようやく眠れて次の日の朝、さあ気分は最悪、体調も怪調、咳は快調。
しかし入社以来皆勤賞の僕はこの忙しい時期に休むなどとなったらどれだけの迷惑を会社に与えるかを考えると、この程度の体調など取るに足りんと言った殊勝な考えの昨今珍しい青年な僕であるがゆえか、残業までする覚悟で赴いたものの志半ばで「あ、やばい死ぬかも」などというこれまた珍しくも不吉な思念が仕事中に頭を渦巻き、その体調を偶然通りかかったパートのメケ美さんが実家が近くだから昼に薬を持ってきてあげるという言葉をありがたくたまわり昼を廻ってメケ実さん、お薬~というジェスチャーがゾンビのようだったと自分で回想するわけだが、そのジェスチャーを見てメケ美さん、パン!っと手を叩き「忘れてた」とのたまう。
ああ、万事休すか。とも思われたが心優しきメケ美さんはその後の小休憩に薬を取ってきてくれて、さらに栄養剤まで特典つきで、よっしゃ、これで残業まで乗り切れるありがと~。といいながら、それから一時間後には目が半分白目を向きかけていたので皆に制止され残業を断念。
というか、早退。15分ほど。
マンションの前に病院がある。たぶん六時くらいまで開いてるで、という有力情報が手に入ったので車かっ飛ばして帰って病院までアンチャーテッド。
『金曜午後休診』
僕の気力体力精神力はすでにレッドゾーンを突破していたので、さらなる病院を探すということは不可能に近かった。
枯渇した体から掘り起こしわずかに湧き出た力で何とか歩行してマンションまでたどり着き、布団に包まると鳴り止まない咳に腹の筋肉は捩れ臓腑は捻転し、痛覚は鋭敏に清清しい音色を奏で、水分も食事も取ることままならず睡眠薬も安定剤もこの得体の知れない強烈なインパクトの前ではほとんど無力に等しく、僕はそんな中、次の日の朝まで耐え忍ぶしかなかった。

翌日、たまらずコップ一杯の水を嚥下し這っていった病院の受付で、体温計を渡され、脇に挟んでそのまま10分以上たって放心していると看護婦から呼ばれ、「あの~体温計を」あれ、まだ鳴ってませんよ?
「たぶん、鳴った音が小さかったんでしょうふふ」と抜き取った体温38度強。
尿の採取の後、「ささ、こちらへ」と一人隔離された部屋へ案内され、鼻になにやら変てこな棒をグリグリと差し込まれ痛い涙目。
しばらくして「ああ~A型かかっちゃってますね~長友」
あの、今繁忙期なんですけど「体調より仕事が大事ってかケケケ」と看護師から冷笑をブツケラれ、後にあらわれたジ・院長といっても過言ではない好々爺然とした白衣を着た老人が「あのね、君ね、長友なのね。ついでに尿から血とタンパクが出てるのね、腎臓今まで悪いっていわれたことなぁい?念のため」と眉をハの字にして上目遣いで僕を見透かしてくるあああ。
そそんな滅相も無い腎臓なんて無尽蔵ですよ。
でも思い当たる節もある、あの死海の湯に入ったときの尿道の痛みは「石」のせいなのか?
「あのね、君ね、これからこれ飲んで、5日は仕事できないよ。治ったら、また尿の検査しにおいで。もしそのときまだ尿から血が出てたら。(しかるべき)処置を取らなきゃいけないからね」

やれやれ。
僕は野球場で飲みさしのビールをアリの巣に流し込んだ。それから数日後、ねずみ男は死んだ。

僕はというと一週間たっても未だに咳が収まらず、抜いた鼻毛の白髪の割合が増えだしたことを危惧している。そして辞令が出た。僕は正社員になる。
●安定剤を飲んで寝た後、今日の心境はというと、昨日の不安はそれほど気にならなくなった。
やはりというか、僕の心の状態が、ある特定の状況下で物事を誇大な、または歪ませた解釈に至らせている傾向が見受けられる。
感情が状況を支配しているのである。
抑鬱症状の患者への治療法のひとつに認知療法があるが、認知療法の解釈は状況が感情を生み出すのではなく、感情が状況を生み出す、というところからきている。
二元論では決められないと思うが、昨日の状況は、まさしくこの認知の歪みに寄る部分が大きい。
感情というのはいわいる脳の作用であるから、昨日の脳の体調がそういう思考や感情を生み出しやすい状態にあったということなのかもしれない。
神経衰弱だのノイローゼだのパラノイアだの色々あるが、僕の場合はそれほどに重篤なものではなく、只の神経症の類だろう。
しかし、これは薬の恩恵をなくしては語れない。
というのは、一年前の状況を見てみればいい。
僕は薬を飲んでおらず、ある対人関係の問題が発端となり、逆流性食道延を発症し、激烈な対人恐怖陥り、前後不覚。この状態を見たものは家族のほかはいないのだが、まさに常軌を逸していたらしい。

しかしながら、この一年前の事件を境に、僕の対人恐怖的なものは、少し深刻の度が増したようにも感じられる。

昨日の日記に、何を恐れているのが、何が起こることを恐れているのかわからないと書いたが、理屈で論じるなら大筋は理解できている。
僕は人に対する対象恒常性が欠如している。
安定した対人関係を築ける人間は、幼少期から誰かしら、強い愛情関係の信頼でつながれた関係がある。それは、大筋において両親になるのだろうが、それ以外でもそういう存在がいれば、揺るがぬ愛情に信を置けるような経験が自我の年輪の深遠な部分に構築される。
しかしながら、僕は幼少期にこうした愛情関係の構築がうまくいかなかった。
それは、学生期に、母の兄と自分との対応の差に潜在的な嫉妬を感じており、それが、近年の僕が抑欝状態に陥った際の献身的な家族の犠牲を目の当たりするまで続いていた兄との不和からも象徴される。
通常なら克服されるべきエディプスコンプレックスを克服できぬままでいたことが、この対象恒常性の欠如をもたらしているわけである。

と理解したところで、その先、がなければ空疎である。
その先とは、では、今現在エディプスコンプレックスをどう克服し、対象恒常性を身につけることが出来るのか、ということである。
それを導き出すことが出来なければ、その過程までを証明したところで、わからない、と同義である。

また僕が目指す精神的な境地は、エピキュリズムであり、このことは以前の日記(http://37292.diarynote.jp/200901181519329936/)にも書いた。
エピキュリアンたらんとするなら、精神はどうあるべきか。
そのことも、自分の中ではある程度の整理はついているのだ。
しかしながら、どうやったらそうなっていけるのか、そこまでの証明はまだ終わっていない。
つまり、わからない。

方法の一つとして、僕は積極的に功利主義を利用している。
功利主義といっても最大多数の最大幸福的なものではなく、いわばプラグマティズムである。
ただ、それだけでもまだ不十分だ。
理屈は心にはなかなか適応しがたいのである。
●僕の認識は歪んでいるときがある。
状況把握が正しく出来ていない。
おそらくそういうことだ。
パートさんとの一件が終ったと思ったら、今度は正社員の人となんかギクシャクしだしたような感覚に陥って不安が募ってしまう。
それまで普通に話せてて、全く何も気にすることが無かった相手に、あるときふと、何らかの違和感を感じると、そこからズブズブと疑心の目があらわれて口を開けなくなってくる。
お互い何をしたわけじゃない。
でもあれ?なんかいつもと違わない?
いやいや、違わない。いや、違う?違わない?違う?違わない?
目が泳ぐ。

だって何もしてない。何もされたわけじゃない。
ただ、何か空気が違うと僕が勝手に認識しているだけかもしれない。
でも、だから、なんで。

なんだこれ。

これは、それだ。不安症というやつだ。強迫観念だ。
でも、ほんとにそうなのか?
これが正しい状況認識なのか、歪んだ認識なのか、そこからして僕は時として判断できない。

特に対人関係。
そんな些細な「空気」的な雰囲気に心が顫動しだして恐怖感に囚われる。
恐怖。何の恐怖。嫌われる恐怖。
人との関係が悪くなる恐怖。

八方美人?別に皆と仲良くしたいわけじゃない。
でも皆に嫌われたくは無い。
何を思い起こして、そんなに恐がるのか。
何が起こるのを恐がっているのか。
それすらもわからない。

鈍感になりたい。そんな空気的なものを気にせず打ち破ってしまえるような強固な鈍感力が欲しい。

三連休
三連休
三連休
●残業で毎日9時帰りだが、休み自体は、11月12月よりも増え、今週末は三連休だった。
ゆっけさんを除いて、国木田君、モーヴィ、みかづき氏と休みが合った為、軽い新年会的なノリの催しを催した。
場所は皆が歩いていける距離の都町にある赤だるま。

●僕とモーヴィは飲み会の前に映画をみることにした。
この日は、久々の連休ということもあり、僕は夕方映画が始まる30分前まで寝ていたのだが、実は僕はこの三連休中に「レ・ミゼラブル」を見ようと思ったのだが、モーヴィ氏が提案したのは「マリー・アントワネットに別れを告げて」というものであったが、「レ・ミゼラブル」はまだ当分あるようなので、こちらをみることにした。
まぁ、時は同じくフランス革命期。
予告編で、「レ・ミゼラブル」を見たが、なかなか面白そうではないか。

「マリー・アントワネットに別れを告げて」は、なんかこう、レズっけ、というか耽美的な同性愛的なものが精神的に描かれていた。
マリー・アントワネットに心酔する侍女の話だが、当時の市民の生活の貧しさがこんな感じだったのかなぁと。ベルサイユ宮殿が一つの会社のような感じで、侍女がボロいアパートから寝坊して服を汚しながら宮殿に入り、他のお付の人に10分遅刻よ、といわれながら皇女に謁見。
以外に宮殿内も自由に歩きまわれる風であり、侍女や侍従と貴族のやからが普通に話していたりとほんとに当時はこんなにリベラルな感じだったのか??
日本の皇室ならまず絶対に考えられないわけで、それが本当だったのかどうかはわからないが、わからないから興味が湧いた。
モーヴィ氏ははっきりしない終りがいまいちだった様だが、まぁ、一人の侍女の人生を描いた作品としてはこういう終わり方のほうが自然ではないかと。

●赤だるまでは日本酒の熱燗だけを飲んだ。
色々と頼んだが、途中から鯨のベーコンや雲子、チャンジャなどのチンミを頼んでみる。
雲子ははっきりいって味がしない。昨今もてはやされている理由が僕にはわからない。
一番驚いたのが、亀の手。
雲子のように亀の手という何かしらの模したやつかと思いきや、本当に亀の手が、丼一杯に大量に盛られて出てきた。

どうやって食べるのかわからず、そのままかぶりつくが皮はどうやら食べられない。
皮をむくと汁がぴゅーっと飛び散って、みんなうへぇと気味悪がるが、一口食べてみると、臭みは皆無。貝のような食感と味でなかなか美味であった。

デザートにいちごの丸ごとアイスを頼んだら、カチコチに凍らせた噛んでも割れないほど硬い丸ごとのいちごが出てきた。
天辺をくりぬいて中に練乳を入れていた。

●赤だるまをあとにして、国木田氏邸宅へ赴き、そこでトランプなどに興じているうちに頭が痛くなり、痛い頭の中おぼろげにテレビではコクリコ坂が映っており、しかし僕は頭痛が耐え切れなくなったのでお暇し、寝た。

●日曜は、祖母と行くはずだった外食が祖母の体調不良により潰れ、変わりに実家に帰って顔を見せた。
実家ではコタツに入って寝ているだけだった。
帰ってから、スキャンを20冊してさすがに疲れた。

どんどこどん

2013年2月5日 日常
●煩悩の断舎利を行ったここ数日、限られた時間を有効に使っている成果、今までよりも自由な時間は減少しているのに、グッと濃密な活動を行っているような気がして少し充実感が増している。
無駄な時間、ボーっとした時間をなくし、家に帰ったら過ぎに飯を食い、風呂に入り、風呂に入りながら手足の指のストレッチ。頭皮と顔のマッサージ。出たら過ぐにスキャンを開始し、昨日はシャークスピアの新潮の文庫を全部電子書籍化した。
しかし、勢いあまってスキャンをしまくったので、読書する時間が無くなり反省。
スキャンは一日3冊まで欲を書いても5冊まで、これなら一時間もかからない。文庫の厚さにもよるが。


●残業は、楽だったりする。
しかし、違う部署の人間と一緒にするときもあり、そのときは生粋の人見知りの僕はやはり不安が広がる。
幸いまだその機会はあまり訪れてはいないが、明日はガッツリ違う部署の人間と仕事する予定。ああ。。


●さて、人見知りといえば、人見知りゆえに嫌われたとか書いた件のパートさんは、後日お互いほどよく会話するようになり事なきを得た。
もしかしたら、僕が最初人見知りなんですよ~といいまくってたので、僕が人見知りなのを知ってる人がそのパートさんに、あのキタムは人見知りなだけなんだよ、といってくれたのかもしれない。
なんにせよ良かったのである。


●健康熱が高まって、最近は、ストレッチだけじゃなく、頭皮と顔のマッサージも始めた。
すこぶる調子が良い。
あとは呼吸法なりなんなりで、僕の精神が健全になってくれればいうこと無いのだが、こちらは効果を実感できるのにかなりの長い期間を要しそうである。

明日から

2013年2月1日 日常
明日から
明日から
明日から
●伊達公子の自分のための生き方、という文庫。中学か高校の頃に買ったのだけど。
電子書籍化にすべくスキャンしようとカバー取ったら中のタイトル「知って得する税金の本」
税金?
でも中はしっかり伊達公子の本である。

●明日から本格的な残業が始まる。
一ヵ月半くらい。何時までやるのかよくわからないけど、外注さんが8時までとか行ってたから、僕達も同じくらいじゃないか。
ということはマンションには21時ごろ帰りつくことになるだろうか。
残業代はしっかり出るそうなのでまぁいいが。
それよりも家に帰ってからの時間が大幅に減少する。仕事に縛られたくない自分は、これを機会に、プライベートの時間を充実させるべく、やることの優先度をもっと厳格に守って遂行しなければならんと思う。
だから、今まで煩悩の思うままにやっていたあれやこれやを絶って、もっとやるべきことだけに傾注したいのである。
とはいえ煩悩に脆弱な僕のことなので、はなはだ不安だ。だからあえてこの場にこういうことを書き込んだというのもある。
さて、では優先させるべきこととは何かというと、書籍の電子化、ストレッチ、読書、になる。
他の瑣末な煩悩は切り捨てなければ、この残業の日々を無為に過ごしてしまうことになる。
というか、今までかなり無為だった。
禁煙のように禁煩悩しないと、目先の簡単で安易なストレス発散や楽しみのせいで、もっと後に残る生の充実を得られない。
僕は結構重篤なネット依存者で、帰っての日課が2ちゃんの芸スポ板、テニス版の閲覧。2ちゃんまとめサイトの閲覧。海外の反応まとめサイトの閲覧。無職.comに日記を書かれている人たちのブログ閲覧。そして錦織圭関連のサイト閲覧。といったありさまがかなりの期間続いていて、それはそれなりに楽しいのだが、得られる情報がかなり刹那的な感情に支配されたあまり自分の人生に使い道の無いようなものばかりだったので、当然日記の内容も日々の思考回路もそれに沿ったような無味乾燥なものとなり、危機感募っちゃったりしていたのだ。
こういったサイトは、人々の反応がすべてであり書かれている事はほとんどが似ていて、つまり違う人によって同じ感想を述べられているのを読んでいるのであって、それはなぞっている訳だから、心地よいのが当たり前だし、掘り下げる労力も気力も必要ないので安易で手軽にできる悦楽なのだ。
ユーチューブで昔の歌を聞いてノスタルジーに浸るのも、昔聞いて心地よかった感情を手軽になぞっているので新しい発見は少なく、つまりはそういうことなのだ。
それが悪いことではないが、それがほぼすべての時間で占められているのが今の僕の現状なのだ。
昔はどうだったか、ひたすら読書や映画に打ち込んでいたときは、僕の知らない考えや感情に出会うことが多かった。しかしそういうものは気力がいる。地図も何もない道をただ歩き、分け入っていくその好奇心と恐怖と不安と期待。
もちろんそういうものだけではないが、僕は自分があまり理解できそうも無いであろう学術書やとても読み終えれそうに無い大長編を中心に接していたので、未開の地に到達したとき、そしてその光景が途方も無く素晴らしいものであったとき、その新たな知見の広がり、自分の世界が拡大していくことの充足感、そうした感情の揺さぶりは実に深く凄まじいものだったのである。
それは、疑いようも無く、たとえるなら、深い、ということ。
深い生の喜び。深い悦楽だったといえる。
こういった喜びは確かに成長を実感できたし、自分がこの世界を広げていくことでどうなっていけるだろうという期待があった。
今の状態はそのときに比すれば、停滞、といってしまっていいと思う。

つまり、僕はこれからスキャンを三冊し、ストレッチをし、残りの時間を読書に費やして寝る。

80℃-2℃

2013年1月27日 日常
80℃-2℃
●国木田氏はインフルエンザ、+用事ということだったので、モーヴィとゆっけさんと三人で集まった。明野のトキハインダの隣にあるアサヒ温泉の後ろにある80℃とかいう喫茶店でパスタを食べた。

おいしかったが2000円もしてしまった。
パークプレイスに移って電気屋とナフコをみて廻る。
それぞれ、一人暮らしや部屋のインテリア改装などの夢があるので、ロマン広がる。

モスによってアップルパイとココア。
最近ココアがうまい。
体が温まる。

●この外出以外、家でひたすらストレッチと寝るを繰り返しただけだった。
指と手のひらと足の指のストレッチを入念にする。クソ痛い。
すると眠くなってくる。
体全身に血液が行き渡っているので、汗をかく。
でも日曜夕方に起きて危機感を持ったので、散髪に無理やり行く。
大分市内で夜の最低気温-2℃とか、寒すぎるのにチャリで行く。
散髪するのも一大決心が要る。出不精だから。

結局まだ映画は行ってない。調べてみると2月も一杯あるらしいので、そう焦ることもあるまい。
今日は寒くて眠すぎた。
寒くなくて眠くないときに行けば良い。

●レ・ミゼラブルは、僕が人生で読んできた数少ない小説の中でももっとも好きなものであり、僕の人生の価値観に多大な影響を与えた作品であり、当然映画もまた今までのはたぶんすべて網羅しているのだが、何しろ大長編なので、映画という尺に入れるとどこか無理が生じて、途中まで良くてもどうしても最後尻すぼみになったり、納得のいく出来というものに出会えていない。
なので今度みるやつも過剰な期待を控えた方が良い。ミュージカルだし。
今までの中で一番よかったのは、ジョン・マルコヴィっチがジャべル警部をやったやつだったかな。あれは映画じゃなくてドラマだったかな。
とにかく、レ・ミゼラブルに関しては小説をこえる映画はあり得ないと思ってる。

●メンタル改善のための呼吸法、片手間で適当にやっているが、それでもなかなかいい感じかもしれない。
明日からまた仕事かぁ。
●週に一度の社員朝礼で、常務のお話のとき、突然名指しで帽子の被り方を褒められた。
正直何か怒られるのかとびびった。
その後、数人の別部署の社員から、すれ違う時に帽子で褒められたなぁ、と声をかけられた。
しかし、そのとき僕は実は帽子を適当に被っていて髪が出放題だったので、怒られると思ったのだし、何故褒められたのか皆目見当がつかない。
という話を同じ部署の社員にしたら、遠くてよく見えんかったんやろ、とのこと。

●僕という人間を理解してもらうには、僕という人間性、僕の障害、僕の性質、これらをしっかり自分で話さない以外にはかなりの確率で誤解を招く、ということは以前からわかりきったことである。
しかし、そういう話をするのは案外に難しい。
別に話すことに抵抗は無い。隠すつもりもないし、もったいぶっているわけでも後生大事にセンチメンタリズムに浸るつもりも無い。
でも、言ったら、少なからずそういう様相を呈してしまう、というかそう受け取ってしまう人もいるかもしれないことが嫌で話しづらいというのもある。
人に歴史あり。誰でも人生は色々あるし、僕の場合もいろいろあったことを話すだけのことなのだが、稀に、痛く哀しい顔で共感を呈してくれる人がいる。その気持ちはすごくありがたいし、実際僕自身も大変だったのだと思っているのだけど、それは相対的に誰々の人生と比較して大変だったというわけではなくて、絶対的な僕の感性で、ああ大変だったな、と思っているだけなのだ。
だからあなたの人生も僕と同様に大変だったのだし僕の知らない大変さも味わってきたのだし、僕の人生があなたの人生よりことさら大変なわけではないんですよ。ということを伝えたいのだが、僕が人生を語ることでその後僕を見る視線の中にある種の憂いを含んだ慈愛が投げかけられるとなると、それは理解とはまた何か違ったもののように感じて嫌なのだ。
つまり、そういう感情が含まれることで、なにかしらの遠慮がうまれ、打ち解けるのに必要な垣根が逆に高くなり、その遠慮や配慮がじゃまをして人間関係に最終的に到来すべきある種の気の置けなさが、センチメンタリズムによって絶望的なまでに遠のいてしまうかも知れないことが恐いのである。

こと職場に関してはそういう思いが強い。
僕が話したところで、特別な感慨も無く、へえ、そんな人生やったんやとカラカラ笑い、あんたも結構大変やったなぁ程度のことで、だけど、あんたがなんで人見知りなんかはよくわかったけん、私も気にせん了解した。あんたもあんま気にせんとリハビリするつもり少しずつでも頑張ってやってき〜って感じで進んでくれるなら、もっと抵抗無く話せるんだろうけどなぁ。
てか、そんな対応されたら一発で心開きそう。

試してみよう

2013年1月21日 日常
●件の人はインフルエンザで一週間休み。
この一週間は比較的心中穏やかに仕事に専念できた。
というか、僕は基本仕事中は仕事に逃避している。
それが一番過ごしやすい状態だから。

●テニスのオーストラリアンオープンが始まって、錦織と伊達の試合が毎日交互にあってたから、仕事が終わってテニスを見て、の繰り返しで一日が終わる感じ。
他には何もしてない。
そんな生活も昨日今日で伊達も錦織も負けたので終り。

●ネットで鬱や緊張しやすい人が克服できる方法を書いてる掲示板があった。
そういう人はみぞおちの辺りを押すと痛い人が多いらしい。
これは横隔膜が凝り固まっているためで。
鼻から息を吐ききって思い切り吸う。
この呼吸を続けていくことで、横隔膜がほぐれて内臓が横隔膜で下に押し付けられ、腸を刺激することによってセロトニンの作用に影響を与え、これを応用した座禅やヨガを取り入れることで、大きな成果を得られるという。
http://sonicch.com/archives/22179099.html
まぁ、前から言われていたことだし、それ関連の本も持っているけど、最近、本格的にやらないとやばいと感じ出して、自分の将来のためにも頑張ってみようと思う。
ストレッチをこれだけ続けて来られているのも自信になっている。
そしてストレッチの成果もやはり絶大だったので。
長い時間がかかるだろうけど。

●さて、ストレッチの件なのだが、最近はさらにマニアックになり、色々と試行錯誤しだしている。
自己流なのだが、皆がストレッチをするとき、まず真っ先に思い浮かべるのは股関節であったり足であったりといった大きな筋肉や関節のことだろうと思う。
しかし、本当の意味で絶大な効果を発揮するのは、普段意識しない部分のストレッチだと思う。
僕が現在重点的にやっているのは、普通に稼動している部位のさらなるストレッチである。
つまり、手のひらであったり、指の関節であったり、足の裏であったり、腹直筋や斜腹筋であったり。人体力学を齧ってみると、コリというのは人の先端が凝って、それを庇うために徐々に上に遡って最後に肩が凝ったり偏頭痛につながったりするらしい。
つまり、手のひらが気付きづらいけど、凝っていたりすると、それを前腕が補い前腕が凝り、前腕を補うことにより上腕が凝り、上腕を補うことにより、僧帽筋が凝り、バランスを崩し、肩凝りや偏頭痛が起こり、疲労感にもつながる、ということらしい。
つまり、解すのは末端も非常に重要なのだ。
で今やっているが、何より痛感するのが、冷え性が治る、ということ。
血流が良くなって、飯食ったあとなど体中がジンジンしだす。
だまされたと思ってやってみるといいよ。
●対人不安も一つの強迫性障害だろうと思う。
構造の成り立ちから言ってもそうだろ。
強迫的性質が強い僕は強迫的に人に不安を持つのだ。

●会社で一時期教育に入ったパートさん。教育期間はパートナーとして仕事をするので、必然的に話をする環境になる。僕は対人不安が強いので、何故かそういうときだけ話してしまい、打ち解けたような雰囲気になる。
しかし、生粋の対人不安である僕は教育機関が終り、必然的に話をする環境が終わると、話しかける事が出来なくなる。
さぁ、相手はどう思うか。
教育前までは僕とそれほど交流も無く、話をせずともお互い平気でいられたが、一度打ち解けたという認識を相手が持つと、当然僕の人見知りは不快に映る。
結果、僕は僕という人間を「酷い人間」という形で誤解され、嫌われるに至る。

これまで僕が何度も何度も繰り返してきたことであり、僕は仕事に集中することで人見知りしているのではなく仕事に没頭しているのだというていで誤魔化してきたが、、そういうのでごまかされないパートさんだった今回。

あからさまに嫌われ「またか」と思うと共に黒い影が心を被う。
まさに「身から出た錆び」
相手の方が先に、僕の人見知りにより、「あからさまに嫌われている」と感じたんだろうから、僕は嫌われて当然だが、やっぱ消えたくなる。

こんなことなら、このパートさんにも僕は極度の人見知りで、こうやって話していても、明日にはまた距離を取ってしまうだろうけど、悪気は無いので気にしないで欲しい、という旨のことを話しておくべきだった。

僕はこういうことを何度も繰り返してきているので、あまり人と深入りすることを恐れ、端から人と距離を取るようになっていった。打ち解けなければ、お互い嫌な思いをすることも無い。

なんというネガティブな姿勢。

●帰って安定剤を二錠のみ、晩飯もあまり食わず、風呂にも入らずに眠ることを二日続け、どうにかなんぼか立ち直った。が、明日からまた仕事で不安はある。
土曜日の夜、僕のことを心配してくれた国木田君から電話があったが、安定剤を二錠飲んで意識が朦朧としていたので、何を話したかいまいち判然としない。
次の日に国木田夫妻とあって、春日神社へ遅い初詣。
おみくじは3人とも大吉。
いいことあんのか?

帰りにうまいと評判のケーキ屋でケーキを買って帰る。
そこの抹茶のロールケーキがうまいそうなのだが、ロールケーキという気分じゃなかったので違うケーキを兄と母の分も合わせて三種類買う。
帰って冷蔵庫を開けると抹茶のロールケーキがある。
兄がもらってきたそうで、店名を見ると、僕が行ったケーキ屋だった。
抹茶ーのロールを買わんで良かった。

●テニスのオーストラリアンオープン。
錦織圭が一回戦突破。
当面これを心の支えとして仕事に向かうしかない。

●金、土は安定剤を飲み、日、月は酒を飲んだ。
普段飲まない酒をたまに飲んだら、胃が軽くなったりすることあるから、それに賭けて。
●6日連休明けの仕事での胃の具合は最悪で、朝に異様な吐き気。
昼飯もあまり食えず、仕事中は貧血みたいにフラフラし苦しかった。
帰りがけに胃液が喉元まで来た。
モチを食いすぎて胃が悪いのか、仕事(というか人と接すること)に対してのストレスなのか、わからないが、胃液が逆流しかけたというのは胃酸過多なのだろう。

何故こんなにも、僕は人を恐れるのだろう。
ほんとに心置きなく接することができる人とは、不安は皆無だが、そういう友人は限られてる。
僕は人と接することに常に何かしらの恐怖を抱えている。
だから、極力人との接触を回避したがる傾向にある。
というか、体が勝手にそう動いてしまう。
会社では、そうならないように頑張っているけど、この頑張っているというのがそもそも、苦手意識があるから出てくる言葉なんだろうけどさ。

その日、うまく話しても、次の人にはその人に対して距離を取る。
昨日の友人、今日の他人、を地で行く男、キタム(笑)

だから、会社では最初人見知りアピールをしこたました。

マスクをしても休憩中は極力周りと距離を取ってしまっている。
話しかけられれば、普通に話すんだけどね。マスクをしてる限りは。
しかし、これプライベートの会話に限定される。
仕事の話とかをすることにおいて、そういう恐怖心はほぼ皆無で、普通にできる。
心に踏み込む会話かどうか、が僕の不安心の境目なんだっぺな。

まあ、そんなこんなで、胃薬と安定剤を飲んで、胃もだいぶよくなった。今日はしっかり朝飯食えたし、吐き気も無く、仕事ができた。
●あけましておめでとうございます。
今年もよろしく。
6日も休みがあると、無職のころを思い出して胃が悪くなってくる。
傷はいまだ癒えずかぁ。

●今年はよっぽどのことがない限り去年や一昨年よりはマシな年になるだろう。
まずはいつなるか知らんが、正社員になる。ボーナスが入る。
アベノミクスで株価が上がる。
アトピーでもない、逆流性食道炎でもない。
などなど。

では、何を成し遂げよう。
スキャンをしてしまって、自分の部屋のインテリアを変える。
読書する。運動する。ストレッチにさらに精進し、ダルシムに近づく。
とりあえずこんなところか。

●大晦日から、テニスが始まった。錦織圭も始動。
勝ち進んでいる。強し。

●国木田君から借りた軽小説。
小説なのだが、ラノベは早く読める。
これは何故か考えていたが、やはり、人物がラノベ特有のルールのようなものがあってその中で登場人物が明確にテンプレ化されている、からなのかもしれない。
小説とラノベの境界があいまいになってきているように感じるが、読んでみると、やはり、小説とラノベは明確に違う。まず、ラノベは僕でもはやく読める。ジャケがたとえラノベ風でも小説にジャンル分けされる読み物は、やはり、僕は読むのが格段に遅くなる。
ここには決定的な構造の違いがある。
しかしながら、書かれている内容は、夏目漱石も昨今のラノベもそうそう変わらない。そう思う。
ラノベのほうがテンプレ化されて明確て文も平易でわかりやすいから、現在の大衆には漱石よりも共感を得られやすいのかもしれない。
漱石は職にも就かず、親のスネを齧って働きたくないとブラブラしているものを高等遊民とか自称して働かない御託を云々述べていたが、これ実にラノベの主人公によくあるやつである。
漱石の目指した絶対=客観も哲学で言えば、アートマン=ブラフマンであり、それはエヴァの人類補完計画に通じるものでもある。
ちなみに、僕も中学か高校の頃、同じような思考を持っていて、みんなが自我を捨てて、互いの我を断片ずつ補完すれば各々の自我は補完され、より他者を思いやれる完成度の高い自我が完成するとか考えていた。これすなわち中2病というやつではないか?
だからエヴァを見たときに人類補完計画だけ妙に理解できたし、漱石が絶対=客観を熱弁したことにも、みんな考えることは一緒だと非常に感動した覚えがある。

ちなみに今読んでいる軽小説は設定は完全なるラノベの定型を脱してはおらず、キャラもパクリ、とまでも言わないまでもテンプレを踏襲しているが、今まで読んだ軽小説の中では一番文体がまともである。
そして作者が真性のボッチだったことがうかがわれる。
人生を通して大半がボッチだった僕も辿った思考の過程がこのラノベには描かれており、ラノベという媒体ゆえに自虐的なギャグに仮装して軽妙なタッチで綴られてはいるが、確実に作者が描きたいことは、ボッチに対する世間の共通認識への真性ボッチが発するアンチテーゼであり、また真性ボッチを救いたいという強烈な意志が感じられる。
かつて70年代のロマンポルノがそうであったように、メジャーデビューへの裾野が広がったラノベにもまた、ラノベの定型に乗るという条件を飲むことを犠牲として自己の作家性を注ぎ込む動きが出てきているのかもしれない。

さて、そのラノベに出てくる主人公が考えることは僕が今まで考えてきたことと多くが符合する。
ボッチの考えは広いようで実は突き詰めれば収束していくのではなかろうか。

それは、作者も本作で述べているように
「本来、対人関係に割かれるべきリソースをただ自分一人に向け、内省と反省と後悔と妄想と想像と空想とを繰り返し、やがて思想と哲学とに行きつくほどに、無駄な思考力。そのすべてを費やす、あらゆる可能性を模索し、考えうる結論を反証し、否定する。
その中で否定しきれなかったものを、まるで自己弁護するかの如く全力で立証していく」
ということなのだ。
僕がこれまでやってきたこともそうであるし、今もってやっていることもこれが原型だ。
ちなみに、これは強迫の思考改善にも大変重要なことである。参考までに。

そしてまた
「昔、最低だった自分を、今どん底の自分を認められないで、いったいいつ誰を認めることができるんだ。今の自分を今までの自分を否定してきてこれからの自分を肯定することなんかできるのか」
これも、僕も考えてきたことだ。

つまり、ボッチは今も昔も行きつく考えは似通っており、夏目漱石もソクラテスもブッダも、インド哲学もエヴァもテイストは違えど、ボッチから導き出せる思考の過程にある。

夏目漱石はラノベである。
なんだこの結論。

苦しかった一年

2012年12月31日 日常
●去年の今頃はものすごく病んでいた。
人生で初めて逆流性食道炎になり、毎朝嘔吐。
最悪の年末から年明けとなった去年から今年にかけて。
それから一年、まさか自分がここまで回復して正社員になんなんとしているとは予想がつくわけなかろう。

この一年で体重も63キロから52キロ、それから現在は58キロといわけのわからないジェットコースターである。

親は、僕が2、3年ニートになることも覚悟していたというが、僕の心の疲弊の原因が、薬を飲まなかったこと、また前職を酷い形で辞めてしまったことへの呵責や慙愧の念からきていると、僕自身わかっていたので、すぐに働く選択をしたのが良かったのだと思う。

といっても、対人恐怖は乗り越えたとはいいがたく、今もって体調によっては朝に吐くこともあり、仕事でも常にマスクをつけた状態でないと不安でしょうがないのである。
マスクは所謂僕の心の鎧であり、マスクをつけておくと、自分の顔を見られない→顔面神経痙攣を見られない→安心でき饒舌になれる、となる。
マスクと帽子で完全防備した僕は結構うまくいっている。
でもこれは所詮その場のごまかしに過ぎず、今後そのあおりを食うことになるだろう。
マスクをつけないと、顔を見られない状態にないと自分のATフィルターを破ることが出来ないというのは、じつは大変な問題なんじゃないだろうか。

●そんなわけで、白髪も随分増えたが、来年は僕は正社員になるだろう。
この歳にしてほんとの意味での正社員は初めてだ。
どうなるのかわからないが、今年に続いて来年も僕にっては大きな歳になるだろうよ。

●皆さん、今年一年お世話になりました。
来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
●先週の日曜日は選挙で投票に行ってきたが、僕は極端なので、大学時代は毎日、新聞を隅から隅まで読むのを日課とし、政治にもそれなりに興味を持ち普通くらいには知ってもいたが、今現在は新聞を一切読んでおらず、選挙のことも政治についてもとんと疎くなってしまった。
仕舞いにはテレビも見ないもんで、その知識はすでに皆無に等しいのかもしれない。
そんな僕が選挙に行ったところで、確固とした意思を持ってどこどこがいい!というほどに政策もなにも知らないので、無難なところにしておいた。
ちなみに、僕は政治に興味がないわけではない。
時間があれば、すごく知りたいし興味もある。ただ、仕事しだして、そこまでの気力がないから新聞も読まなくなったし政治の知識も地の底に沈んでしまったのである。
つまりはずぼらなだけなんだが。

●飯を食うときとストレッチをするときだけ居間にいるのだが、兄がよくサッカーを見ている。
サッカーとスーパーナチュラルしかみていないといっていい。
そんなわけで、僕もサッカーの知識が何とはなしについてきちゃったりもしてるんだが、昨日メッシのプレーに注目してみてみた。
メッシはのろのろと歩いていた。
なんか反応が鈍い。みんな懸命に走ってるのに、とぼとぼ歩いてるし、周りが走り出して一テンポ置いて動き出す感じ。
パスがきたら、アッ来た!って感じでとっさに動き出す感じ。
自分にボールが廻ってこない間はとぼとぼ歩いているので異常に目立つし浮いている。
守備にはほとんど参加してない。そういうポジションだからだろうか。
サッカーは詳しく知らないけど、日本のチームでこんなことやってたら、日本人気質の人は怒り狂うんじゃないかって。
でも実績あってそうできる結果を残してるからそうできるんだろうな。
際立った才能のなせる業なんだろうな。
無いものを一から作り上げるか、あるものを研ぎ澄まし、無いものを補填できるくらいまで持っていくか。
●今週は疲れて、日記を書く気にもなれなかったわけだが、もう先週の話になるが、土曜の夜にゆっけさんの声かけで久しぶりに集まった。
ほんとは忘年会的な飲みでも出来ればよかったが、国木田君が日曜に仕事があったために、軽くジョイフルで集まることになった。

ゆっけさん、モーヴィ、国木田君、僕の四人で集まるのは結構久しぶりで、国木田君の結婚式のお祝いで飲んで以来、二ヶ月ぶりくらいになる。

ゆっけさんは僕達の希望の星から抜け駆けして今は違うベクトルでの希望の星になってしまったが、そんなっゆっけさんも仕事上でかなり大変なようで、かなり憔悴しているようには全然見えず、全く変わっていなかった。

僕達はその四人がそれぞれある一部分で幸せを享受しており、それぞれの幸せな部分を合成すると最強幸せ生命体が完成するのだが、それが四人に分散されているので、いい具合にしみったれた厭世家的な雰囲気となり、リア充爆発しろなどとほざいては自虐的に慰めあうというこういう集いも端か見るとどう映るかはわからんが、国木田君いわく、俺らリア充ですよ、ということなので、僕は大変幸せである。

●僕は小説を読むのが遅い。
これは小説に限ったことで、それ以外は普通、もしくははやいのだと思っている。
では何故小説だけ読むのが遅いのかというと、僕には小説的な思考や感性が欠落しているからとしかいいようがない。
で、どうしたら小説がはやく読めるのかをずっと考えてきたわけだが、僕は小説を自分にない小説的な感性で読もうとしているために遅いのではないかと思い至った。
小説的に読もうとするから微にいり細にいり、ほんの一つのニュアンスもストーリーを構成する要素として見逃してはならんと思ってしまい、学術書やエッセイのようにマクロ的な視点から文章を俯瞰することが出来なくなり、結果読むのが遅くなるのだろう。
つまり、僕には小説的な感性が欠落しているのだから、それを認めて、端から小説的な気構えを排除して小説を読めば、早く読めるのではないかとただいま実践中である。
かなりはやくなったと思う。

また小説を小説じゃないという視点に立ち、小説的でない感性から小説的な文体を構築する方が、僕に欠如している小説的な感性を養うことにより小説的な文体を構築していくのより、ずっと平易なはずだと考えたので、今後はそういう形で小説を捉えていこうと思う。
こういうのいいね。
こういうのいいね。
こういうのいいね。
●月、火は母が屋久島に行って夕飯がなかったので、国木田夫妻と共に外食してきた。
月曜は近くにあるインドカレー屋「タンドリアン」に歩いていき、僕はタンドーリアンセットを食べた。

タンドリーチキンと野菜カレーとチキンカレーとナンとインド式ソーセージ。
飲み物はチャイ。
インドカレーはスパイスの匂いが独特だね。
たまに食べるのはいいね。

食後は国木田氏宅でWiiをする。
Wiiフィットが結構いい運動になる。
楽しんで運動にもなるのがいい。
それに皆で遊べるし。Wiiリゾートもやったけど、面白い。
Wiiが欲しくなった。
ちょいちょい国木田君のアパートに遊びにくるかもしれないので、Wiiで自分のアバターを作った。

火曜は菊の屋にラーメンを食べに行った。
平日の夜にこうやってぶらぶらするのも乙なモンですな。

●月曜日、リーダーに正社員になる旨を伝えた。
リーダーは不気味に優しくにっこり「そうか」と微笑んだ。
いつなるかは知らんが、これで確実に正社員になることになった。
まぁ、来年だろうな。

●どうしてもテンション上がらないときってあるじゃない。
僕の場合セロトニンの影響なのだろうか。
全く理由もなく仕事中心が重かった。
寝る前に安定剤を飲んだら、火曜から普通になった。

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