ストレス発散

2008年4月5日
4日の仕事は、半日生産で楽やった。
遅番なので、日付が変わって1週間の仕事終わり。

仕事終わって、同僚5人でカラオケに。
最初行ったカラオケ屋は、午前5時までしかなくて、どこかやってるとこないかな〜って探して、24時間営業のコロッケクラブになった。

一人歌う気満々なやついて、午前9時までになったw
皆各々好きな歌うたってたけど、世代のギャップがあるので、僕は比較的新しい(といっても僕が高校時代くらいw)の歌を選んで歌った。
腹も減ってたので、皆で飯食いながらわいわい、途中で一番やる気だった同僚が彼女から早く帰れとメールが来て、9時までといった張本人が一番最初に退場(笑)
その後4人で歌ってたけど、たっぷり食べて眠たくなった同僚が、途中退場。
そしてもう一人、最後までいたけど途中からやっぱり眠気に負けて爆睡状態。
僕と年配の同僚の2人舞台に。
おじさん2人になったので、一気に歌の世代が昔にw
演歌歌ったりww
最後は僕が「愛燦燦」歌って締め。
同僚も用事があったので、8時半くらいに終わったけど、2人ともぜんぜんまだ元気だったので、歌おうと思ったら延々歌えた。
なかなか楽しい時間をすごせた。
帰って、中々眠れなかったけど、頑張って寝て、夕方起床。
また変な夢見た。
眠りが浅かったのか、まだ疲れが抜けず、軽く冷凍ピザ食ってまた眠る。夜の7時半くらいに起きて、同僚と映画を見に行く。
「ペルセポリス」っていうイランのアニメ。
政治的背景が、ややこしくて混乱しかかった、イランのことよく知らないといけないな
その後、同僚とジョイフルに行って、飯を食いながら、映画の影響か政治的なこととか、結構まじめな会話をする。
今度ある連合赤軍の浅間山荘にいたるまでの映画のために、同僚は予習しているみたい。
僕も、今度本を貸してもらうことにした。
連合赤軍は、以前映画「光の雨」でそこそこ知ってるけど、もっと知っておきたいしね。
右翼と左翼のことについて、忘れてる部分が多い。
大学卒業してからそういうことに接してないからな。
でも興味あはあるので、また色々調べてみてもよいな。
海外の映画は、政治的な背景を抜きにして語れない作品が結構ある。
正しくその作品を吟味するためにはそういう知識も持っていなくちゃいけないね。
今回のペルセポリスにしたって、理解は出来たけど、結構考えながら見てた。
こういう映画を観ると、僕の人生って生ぬるいなあって思う。
レビューは後日。

明日は、午前中に映画見に行く予定。
起きられるのか心配だぁ。
映画 『エンジェル』
1900年代初頭の英国。16歳のエンジェルは田舎町で小さな食料品店を営む母親と2人暮らしのつましい暮らしから目を背け、大時代なロマンス小説の執筆に情熱を傾けていた。やがて自らの出自さえ書き換えてしまうほどの類い稀な想像力と文才で一気に人気作家への道を駆け上がる。幼い頃から憧れていた豪邸パラダイスを買い取り、ノラという有能な秘書も得たエンジェルは、ノラの弟で孤高の画家エスメと恋に落ちる。

近年の映画監督の中で、注目している一人、フランソワ・オゾンの作品。
『まぼろし』を観たとき、巨匠となりうる可能性を感じたわけだが、今回の作品は、ぐっと大衆的な作風になっていて、その分、精神性の緻密さは薄れている。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、僕の期待からすれば、若干違ったものであった。
パンフを見ると、「人生の主役でいたい全女性に送る」と銘打たれているが、僕は作品からオゾン監督の冷徹な現実主義をみたような気がした。
エンジェルは、確かに望んだものをすべて手に入れたが、それを持続させることは出来なかった。
エンジェルは、信じれば適うという信念の元、一見すべての願望が叶ったように見えたが、すべてを手に入れた後の彼女の人生は、そこを頂点として転がり落ちていく。
それはつまり、「継続」という願望をエンジェルは手に入れることが出来なかったということだ。
無邪気で奔放で、傲慢で、一途な彼女の思いは、確かに好もしい美点にも映る。人々は彼女の姿に嫉妬し、羨望し、そして愛する。彼女は誰もが持つそういった人間性への憧れを具現している。監督自身も、エンジェルという女性像をけして悪意の元に映し出しているわけではないことは映像を通してよくわかる。
しかし、だからこそ、彼女の人生は、現実とは相容れない悲壮なものとならざるを得ない。
それはどうしてなのか。
つまりそれが現実というものなのだと。
人間が人間である証左なのだと。
無邪気で一途な願望は好もしく美しいが、各々の願望が交差するこの現実においては、そのような一方通行の願望は、破綻する運命にあるのだと。
映画 『ジェシー・ジェームズの暗殺』
南北戦争にゲリラとして参加し、その後は犯罪集団となったジェシーとその兄フランクが率いるジェームズ一味。彼らが新たに企てた列車強盗計画に、ひとりの若者ロバートが加わった。彼は新聞や本でジェシー一味の活躍を知り、ジェシーに心酔していたのだ。列車強盗を行なった後、一味は分散して身を潜めることに。ロバートはジェシーに側に残るように言われ有頂天になるが……。


犯罪者も、その手腕が卓越しその道のカリスマとなればそこにヒロイズムが生まれる。アンチヒロイズムへの羨望は、いわいる大衆の、体制に対するルサンチマンのはけ口なんじゃないかと思ったりもする。
実際のジェシーがどのような人物だったのかは知らないが、この作品では、アンチヒーローであることを請け負った男の猜疑心と恐怖心をなかなか絶妙に描き出せていると思う、
ジェシーに憧れていたロバートが、結果的にジェシーの命を出汁に名声を得ようとするわけだが、ロバートが実際にこのような卑怯者であったのかどうかは、調べてないので皆目わからない。
が、この作品において、ジェシーへのヒロイズムを高めるために、ロバートの卑劣漢ぶりを強調することが必要だったのだろう。
ジェシーの悪を背負って苦悩しながらも生きる姿に、ある種の人間の強さを見出し、それゆえ人はジェシーに畏怖を覚えるのだと思う。
事件の被害者でない限り、犯罪に対する悪の重さは、人を出汁に使う道義心の欠如と同列、もしくはより軽く感じられるという心理作用は、戦争で爆撃の場面より、一人の人間をジワジワいたぶる場面の方がより残酷性を有していると見えてしまう感覚と通じるものがある。

仲間内で、互いの心理を伺いながらの食卓のシーンは、緊迫感に満ちていて、作品の中でも最もスリルのある場面だ。
静寂の中に、心の激しいやり取りがある。
この映画を退屈だと評する人は、そういう部分に目を向けていないからなんだろうな。
ダイエットをする場合、朝は王様のように、昼は平民のように、夜は乞食のように食べましょう。
なぜなら朝はこれから活動するので体にエネルギーが必要です。だから、脂質や炭水化物を中心に取りましょう。そして、最もたっぷり食べましょう。
昼は、朝よりも若干少なめにしましょう。
そして、夜は、後はもう寝るだけなので、余分なカロリーを取るのは控えましょう。つまり、すぐにエネルギーに変わってしまう脂質や炭水化物を取るのは控えましょう。エネルギーに代わるのが緩やかな蛋白質と野菜類を中心に取りましょう。
水は一日を通して魚のようにたくさんとりましょう。一日2リットル以上は取ると、良いです。水を取ると、体の代謝が早まります。それだけ脂肪が燃焼されるスピードも速まります。
人間の浸透率は10リットル以上取らないと薄まらないそうなので、いくらとっても取りすぎということはありません。
いつ食事をとるかということも大事ですが、当然どれだけ食事をとったかということも大事です。摂取カロリーが消費カロリーよりも少なくない限り、体についた脂肪を燃焼させることはできません。
間食は止めましょうね。
さて、これも大事なのですが、こういった食事をしていればあきてくるのですが、細胞も同様にあきてきます。あきるというか、慣れてくるのです。細胞は、学習能力があります。運動をしていると最初筋肉痛になったのに、その後筋肉痛にならなくなるでしょう。同様に、少ないカロリーの食事を毎日していたら、細胞はその摂取カロリーでエネルギーを効率的に使うように体を変えていきます。つまり、カロリーを抑えた食事に体が慣れていってだんだん痩せにくくなってくるのです。ですから、週に一度は、好きなものをダイエット前と同じくらい食べましょう。これは細胞に、正しくは脳に以前と同じ摂取カロリーの量を思い出させる作用があります。すると再び脳は細胞にダイエット前の摂取カロリーでエネルギーを消費させるように指令を送るので、再びダイエット食に戻したときに効果が戻ります。
多くの人が、リバウンドを経験するのは、脂肪と共に筋肉をも減少させてしまうからです。筋肉はあればあるほど、何も運動しなくてもカロリーが消費される量は多くなります。逆に筋肉の量が少なければ体の消費カロリー自体少ないので、普通に食事をしていても太りやすくなります。食事制限だけでダイエットを行う危険は、筋量までも減ってしまい、リバウンドを起こし、すると、筋肉は以前よりも少ないのに脂肪はたくさんついて、再びダイエットすると更に筋肉は細り、消費カロリーがどんどん少なくなっていくという無間地獄、行き着く先は恐ろしいのです。
だから、脂肪を減らしながら筋肉を保つように、運動はぜひとも必要です。また太った人がダイエットをした場合、食事ダイエットだけだと皮あまり。。といった事態が生まれます。これは皮膚の再生、代謝がなされないままに中の脂肪だけが減っていくことで起こりますから、その意味でも汗をたっぷりかいて、皮膚の代謝促進をさせ皮も体に合わせ再生させていくためにも運動はダイエットに必須なのです。有酸素運動は代謝の促進にはいいですが、筋肉を保つのには、軽い負荷を使ったウエイトトレーニングを併用していくのが効果的です。
有酸素運動は週に三回30分のウォーキングだけでも十分に効果があります。

これだけ気をつければ嫌でも痩せてきます。これは僕がウェイトやってたときのダイエットです。僕はもっと厳密に、ボディービルダーみたいな食事してましたが。。(一日少ない食事を五食とか)。

現在僕は、以上の項目なんも守ってません(笑)過去の経験からいつでも痩せられるって自信が、逆に気持ちを本気にさせないみたいですね
ということで、やっぱり痩せようという意志が一番大事です(笑)。

まったり。

2008年4月1日
遅番は、時間がたつのが遅く感じてしまいます。
遅番は、終わったら皆で恒例のスキ屋で晩飯。
毎日牛丼(玉ねぎ抜きw)
今までは、帰っていろいろしてから寝て、出社直前に起きるという風にしてたんですけど、どうやら帰って風呂入ってすぐに寝て、昼ごろおきてまったりするほうが良いようです。
そうすれば、寝過ごして遅刻することもないですしね。
最近は、ラインが安定していい感じです。
映画 『喜劇とんかつ一代』
とんかつ屋の主人森繁久彌はもともとレストラン「青龍軒」でコック長加東大介のもとでフランス料理の修行をしていたが、娘の淡島千景と駆け落ちし、下町に店を開いている。  主人の親友は"とある職業"で世界的に活躍している男山茶花究、その娘はクールでセクシーな団令子、その恋人はコック長の息子で家出中のフランキー堺、  主人が贔屓にする芸者水谷良重の住む隣には、ウソ発見器も開発した怪しい科学者三木のり平がクロレラの研究にいそしんでいる。  他にも謎のフランス人岡田真澄など楽しいキャラがいっぱい。

ギャグのセンスでいえば、鈴木則文監督の方に分があるが、作品全体としては、やはり佳作といってよく、完成度は高いと思う。
森重久弥が、若くて元気w
フランキー堺も相変わらずいい演技してる。
出てくるフランス人は、ホントに外人だと思ってたら、岡田真澄だったんだ。ぜんぜん気付かんかった。
この頃からクロレラって注目されていたんだね。
今では立派に錠剤として商品化されて、市場で成功してますよ。
とんかつと銘打ってるけど、あんまりとんかつの描写が出てこないので、料理映画っていう範疇に入るかは疑問。
まあ、喜劇だね。
最後のミュージカルのようなラストは清清しい。
あの歌、耳に残るね。

なんか健康的な一日

2008年3月30日
なんか健康的な一日
生活を遅番型にしようと、朝早く健康的に起きたけど、また無理やり寝て、何とか11時くらいまで眠るw

起きてから、DSで漢字検定。
即読みの4級終わり、3級に突入。
まだぜんぜん読める。早く2級辺りに行きたい

昨日買った本を読む。
なんか最近音楽関係の映画をよく観るので、それ関係の本を買ってしまった。
NHKのテレビ教材だけど、たぶん僕はテレビ見ないからこれを読むだけだけど。
クラシック音楽の大衆化に多大な貢献をした天才指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン。
孤高の天才ピアニスト、グレングールド。
2人に共通しているのは、テクノロジーに対する解釈。
コンサートのみが芸術ではない。むしろ、音楽の完璧製を求めるなら、録音による方が、完成度において、芸術の極みに到達できる、と2人とも思っていた。
そしてその考えと行動は、結果的に一部の特権階級の嗜好音楽でしかなかったクラシックを、垣根を低くし、大衆が気軽に聞ける音楽へと押し広げることに貢献した。
さて、カラヤンは、そんなに知らなかったけど、グレン・グールドは前々から好きだった。
理由は、彼が極度の潔癖症(おそらく強迫)、そしてアスペルガー、そして、孤独、そして奇人と見られていたからであり、天才であったという部分を除いて、僕と似た部分を感じていたからだ。
彼は夏目漱石の『草枕』を座右の書とし、映画『砂の女』を何百回と観(ちなみに砂の女は、僕の好きな邦画の中でも5本の指に入る)、一日一食しか食べず、夏でも冬の服装をし、昼間は太陽を嫌い、夜活動した。
51年のその生涯は、孤独と共にあった。
天才というものは、どこかに欠落した部分を持っている、そこが魅力的でもあるんだけど。
彼の極端に低いいすから鼻歌交じりに奏でられる旋律は、素人の僕でも、他とは違う何かしらの感銘を受けるのだ。
CDは一枚しか持ってないけど、彼の演奏をもっと聞いてみたいと思う今日この頃。

カラヤンの指揮する『新世界』
http://www.youtube.com/watch?v=Vlci-kCEaKE&;

グールドの演奏するバッハ
http://www.youtube.com/watch?v=qB76jxBq_gQ&;

夜、ポカポカ温泉にいったら、同僚と遭遇。
風邪治ったようでよかったね。

その後、一旦帰って、友人と遊びに行く。
ジョリパで2人でたらふく食う。二人で3800円。
ジョリパのメニュー制覇したいな
おもちゃ倉庫に行って、他の同僚2人も呼んで、色々観て、同僚2人は靴買ってた。
2人とはおもちゃ倉庫で別れて、僕と友人はドンキ行って、ちょっとうろついて、僕は蝋燭買って、本日は解散。 

また一週間が始まる。
映画 『花影』
(99分・35mm・カラー)土曜日の夜,、銀座のバー「トンボ」は賑わっていた。店が引け若いホステスたちを見送ったあとベテランホステス・葉子(池内淳子)はアパートの部屋で死の床に向かう。過去の回想が始まる。葉子を囲っていた大学教授・松崎(池部良)。弁護士で子持ちの畑(有島一郎)。TV局の若手敏腕プロデューサー清水(高島忠夫)。学生時代からの葉子のファンで今はワイン会社の若き社長・野方(三橋達也)。さまざまな男が現れ通り過ぎる。
しかし葉子の気が一番休まるのは、古美術商の高島先生(佐野周二)と会っているときだった・・・


貧しい家を出、手に職もなく、女は、誰かの庇護になるか夜の世界の蝶となるしか術がない。
そこでであったさまざまな男との出会いと別れ。
肉体の交差する感情ばかりの中、古美術商の高島だけは、肉体を交えない。そこに葉子は、愛の純粋を求めた。
高島は、肉体を交えないことで葉子の愛を一手に掌握したのだ。
人間の酸いも甘いも知った上で、それでも人に対する理想を抱き続けたいというのは、よくわかる。例え、相手がどうしようもなく落ちぶれてしまっても、葉子は、高島に純粋を求めるのだ。
真実は、どうでもよい。そう思える相手がいることが、葉子にとって何よりの救いだったのだろう。
池内涼子演じる葉子のけなげな美しさは、その影ゆえにいっそう際立つのである。

映画時々DS

2008年3月29日
嫌な夢を見たけど、朝7時には健康的に起床。

ちょっとDSで漢字やって、午前9時に映画を観に行った。
絶対観ようと思ってた『僕のピアノコンチェルト』、すばらしい映画だった。
天才の孤独、家族のすばらしさ。
レヴューは後日。

続いてある、『奈緒子』パスしようかとも思ったけど、結局観た。
外国の作品を見た後は、日本の映画は、どうも演技の過剰さが鼻につく。そうならない作品も沢山あるけど、この作品は、俳優が、若いせいなのかなんなのか、その傾向をつよく感じた。
良心的な作品だとは思うけどね。

その後、喫茶店で昼飯食って、そこでしばらくDSで漢字検定
即読みの5級終わり。
4級、ちょっとづつやりがいのある難易度になってきた
早く2級あたりをやりたいな。

午後3時ごろから、本屋によったら、僕の好きな人物、孤高の天才ピアニスト、グレン・グールドと演劇的映画俳優、仲代達矢の本があったので、購入。あと、ミスチルの本も。

いい天気だと思って、公園で読書してたけど、思いのほか風が冷たくてすぐに切上げて帰宅。

mixiで映画のレビューとか書いて、夜の8時45分から、再びシネマ5で『ある愛の風景』を鑑賞。
掛け値なしの傑作。極限の状態に置かれた人間と、その後の精神的な崩壊の様をリアルに描写。僕の心に沈殿する、深い影。
自分だったら?の問いかけに答えは見つかりそうもない。
レビューは後日。

帰宅後、昨日の残りの豚シャブを食べる。

あれ、こんなとこにキセルが。
タバコじゃないよ、キセルだよw
前に買った葉巻と刻みタバコは、捨てるのもったいないから、消化してしまおう(笑)
無くなったらホントにおしまい。
昨日の途中から、今日の夜までニコチン摂取しなかったけど、ぜんぜん平気だった。

同僚が、シネマ5の管理人のインタビューが乗ってるサイトを教えてくれた。なかなか興味深かった。
地方でこういったアート系のシアターを運営する難しさ。
彼のプロフェッショナルな姿勢が成功を成し遂げた理由なのは疑いない。
これからも意外性のある企画で、シネマ5を発展させていって欲しい。
しかしながら、大失敗、今日コンパルホールで朝10時からあった知的障害者たちのサッカーを扱った映画、『プライドinブルー』をすっかり忘れてて見逃した。
同じ障害者として、これは絶対見とくべき作品だったのに
『僕のピアノコンチェルト』は明日もあるし、一回しかないこっちを観とくべきだった。

これからはスケジュール管理をしっかりしなきゃいけないな。

結局、今日も映画3本見てしまったな。
映画 『東京マダムと大阪婦人』
1953年日本映画/1時間36分
配給:松竹大船
[製作]山口松三郎[監督]川島雄三[原作]藤沢桓夫[脚本]富田義朗[撮影]高村倉太郎

東京の紡績会社の社宅で西川隆吉と伊東光雄はお隣り同士。西川の妻・房江は大坂の船場育ち、伊東の妻・美枝子は東京の下町育ち、二人は夫が同じ課の同輩ということで、何かにつけて張り合っていた。彼女たちの思いをよそに、房江の弟と恋に落ちる美枝子の妹・康子を演じているのはSKD出身で、本作品が映画初出演の芦川いづみ。当時としてはテンポのいいシティー・コメディである。


社宅というのは便利だけど厄介だ。
同じ課の旦那方の出世争いは、本人たちよりむしろ妻たちの間で熾烈である。大阪派と東京派に別れ、表で笑って陰で張り合う。
本音と建前、実に日本的なコメディーだ。
主婦連の世間話をアヒルに例え、ガーがーガーと井戸端会議。
うわさはやがて真実のように扱われ、そこに誤解が生じ、派閥はさらに溝が出来。
てな感じだけど、話の落としどころもまた日本的。
争っていた旦那どちらも結果的に出世できなくて、お互いうやむやにハイ仲直り。
そんな日本人の特徴を、小気味よくシニカルに描いた良作。
自由闊達なパイロットが会社員や主婦らと対照的な奔放さで、その皮肉をさらに強調してる。
今週の仕事終わり。
早番はなんだか時間の経過が早く感じるね。

来週遅番だから、実質2.5連休。
今日仕事終わったら何しよっかぁ、ひさびさに一人カラオケでも敢行しようかなぁ、なんて言ってると、同僚が、「一緒に行きましょうよ〜、誘ってくださいよ」っていうので誘ってw2人でカラオケに行った。
同僚は寡黙だけど、いつもニコニコしてて、癒される。
そして意外にカラオケ好き。
僕が何歌ってもニコニコ聞いてくれるので、僕も気兼ねなく、普段歌わない、僕が大好きな励まし系のマイナーな曲や古い曲を歌える。
2人で3時間歌った。
また行こうね。

帰って豚シャブ。
疲れが取れる。
これからは母親が、退職して、ずっと家にいることになる。
でも63歳になるまで、年金は全額の60%しかもらえないので、来月から僕がマンション管理費や光熱費を負担することになる。
食費も合わせて大体8万くらいになるそうなので、節約生活していかなきゃな。
まずなに削る??
タバコを削ろう。
ということで、僕は禁煙します。
吸い出して、まだ半年少し超えたくらい。
でも、もう存分に体験したからいいや。
今、最後の一本を吸い終えました。
僕は禁断症状がどんなのかまだわからないけど、もともとそんなに吸うほうじゃないし(休日だと2本とか)、飲み会とかで誰かにもらって1本2本吸うことはあるとしても、もう自分で買うことは止めるつもり。
ちょうど自販機も年齢認証制に移行することだしね。
ということで、頑張るので皆見守っててね。
映画 『once ダブリンの街角で』
アイルランド、ダブリン。多くの人が行き交うグラフトン・ストリートでオンボロのギターをかき鳴らし自作の歌を唄う男がいる。そこに一人の女がやってきた。10セントのチップを出し、あれやこれやと男に質問する。挙句、掃除機の修理の約束をさせられてしまう。翌日、壊れた掃除機を持って女が現れた。途中、ピアノを弾かせてもらえるという楽器店に立ち寄った。彼女の腕前に感心した彼は、一緒に演奏することを提案するのだった。


人と人との出会いは、当然別れのあるものもある。
だからといって、すべての別れがバッドエンドであるわけじゃない。
少し切ないけど暖かい、そんな別れもあるのだ。
別れには、彼、彼女等の気持以外の部分、状況、環境、運命、目標、すべての要素が関係してくる。
しかし、そんな別れのある出会いであっても、悲しくないのは、お互いがお互いの道を切り開き、人生の進展の切っ掛けを作った、それゆえの結果だからだ。
中島みゆきの歌にもあるように、「たとえサヨナラでも愛してる意味」なのだ。

愛とは、一つの形としてのみあるのではない。
愛とは、様ざまな形がある。
友情、異性愛、家族愛、隣人愛、それらすべては、愛の中の一つの形式に過ぎないのだ。
彼らの愛はなんだったのか。それは友情ともいえるし、恋愛に近い感情もあったかもしれない。唯一つ確かにいえることは、彼らは音楽を通して心を通じ合わせた。
彼らの間には、確かに「愛」が存在したということである。

音楽がすばらしくて、ぜひサントラを買おうと思ったけど、シネマ5には売ってなかった。
手段という木に実る、夢という果実
僕の夢は、辛い思いをしている人の生きる養分の一部として機能したい、というものです。
当然一人の人間ですから、気力体力に限界があります。
また、近年の僕は、自分自身が、他者とコミュニケートして得る幸福も追求してよいのだ、という風に考え方が変化してきています。
これは良い兆候だと思いますが、そうなると、やはり沢山の苦しむ人と深く向き合う時間はさらに削られていきます。
どうやったら、自分の生活も等閑にせず、他者への力となっていけるのか、それも出来るだけ沢山の人に。
そう考えたとき、やはり何かの部分に妥協をしなければならないでしょう。
広さをとるか、深さをとるか。
人それぞれでしょうが、僕は、経験から、広さ、を取りました。
一人一人と向き合っていくことは、その人の人生を根本的に救う可能性もありますが、自分の気力や体力の限界を見極めるのも難しいし、人間は、いくら客観的に見たとしても、最終的には主観から離れられることは出来ません。
ですから、その人の力になろうとして、結果的に自分の主張を相手に押し付けてしまい、状態をさらに悪化させる原因ともなりえます。

僕は以前、欲張って広さと深さを両方追求しました。
より沢山の人の辛さと、深く向き合っていきたい。
僕がまだ働いていない頃でしたが、それでも僕は幾人かの人をさらに傷つけてしまうという失敗を犯してしまいました。
僕はマザーテレサのように無私の心を貫き、広く深く向き合うことは出来そうにありません。
ですから、自分のさまざまな部分を鑑みた上と、今までの経験から、広さの方を自分の夢の目標に据えたのです。

僕は人の幸せな姿を見るのが好きです。
人の幸せをみると、自分も幸せになります。
そこに多少なりとも自分が関与していれば、なおさらです。
これは、幼い頃、まだ僕が自分を「物」の観点で見ていたときに、「自分に人並みな幸せというものはない。だったら、他人に幸せを分けてもらおう。人の力に、何らかの役に立つことで、自分もその人の幸せを共有させてもらおう」、という考えから生まれたものです。
価値観が変質した今でも、発端はどうあれ、人の幸せを共有したい、という気持ちは間違ってはいない、と思っています。
昔の僕と今の僕で違うのは、自分の幸せも自分自身で作ってよいのだ、という考えが付加されたことでしょうか。
僕は、何も他者の人生の真ん中に位置を据える必要はないんです。
その人の人生の、ほんの一断片、ねじの一本にでもなれればと思っています。
僕の言ったこと、考えたことが、何かの辛いとき、ふと浮かんでちょっと心強くなる、その程度のことでいいと思っています。
自分が主観から抜け出せないなら、相手の主観に自分の言葉や考えを委ねる、僕は力となりうる可能性という種を残すだけ、これが、相手を傷つけず迷惑をかけず広く多くの人の力となれる最善の方法ではないかと考え付きました。
なんにせよ、僕は、夢の実現のためにもっと勉強をしないといけないし、そのための時間も必要になって来るでしょう。
さて、夢の実現についてですが、どうすれば、沢山の人の辛さの力となりうる可能性を持つことが出来るか。
この場合、夢の到達点としてよくあげられる「〜になりたい」という表現が、実現への「手段」となってきます。〜になることが夢ではありません、それは手段であり、目標を達成するためのスタートラインに過ぎないんです。
まだ僕はその段階にもいってないわけですが。。。
僕の掲げる手段である「〜」は、幸いにも時間制限が自分の寿命と重なります。かといってそんなに悠長にもしてられないんですけどね(笑)
僕の夢の手段である「〜」はここでは伏せておきます。特に意味はありませんが。
なれたらいいな、まあ、なれなくても同じような作用をもった行動をすることは出来るわけです。ここにこうやって書いてることだって、作用としてはものすごく小規模ですが、同じ原理なわけですし。
まあ、生涯をかけて努力し追い続ける「手段」であることには変わりません。
僕は以前は無私の姿勢にあこがれていましたが、今は無私というものに幾分懐疑的でもあります。
マザーテレサを僕は無私だと表現しましたが、彼女の場合は、無私でいることで自己実現を成し遂げられる思考と環境を持っていたからです。
それは、多大な決意の元に修道僧のように一般の社会から乖離された世界に身をおいてこそ、成し遂げられるものだと思うし、そこにもやはり、家族や、自分の他のやりたいことなどを犠牲にしなければいけないという矛盾を胚胎するわけです、その矛盾は、神への奉仕という論理で埋められるわけですが、僕が生活する場所は、そのような乖離した世界ではありません、ですから、一人の人間として、自分自身もないがしろにせず、神とは違う形で、自分も救済していくのが真っ当だと考えています。
一般の中で、資本主義にのっとった方法で、他者の力となり、自分のしたいことも実現する。
幸運にも、僕の夢と、自分自身の「色んなことをもっと知っていきたい」という願望、つまり自分のしてみたいことは、地続きになっています。自分のやりたいことを続けていけば、「手段」へと収束されていく、そして、その手段は、やがて目標に据えている、「夢」へと結実するわけです。
しかし、夢という果実を立派に実らせるには、手段というたくましい木が必要ですし、たくましい木が生るためには、しっかりとした、豊穣で肥沃な土壌が必要です。
僕は現在を雌伏期と捉えています。
つまり、今は、まだ土壌を作っている段階です。
肥沃な土壌を作り上げた上で、そこに決意の一歩という種を投げ込んだなら、適宜、新たな知見という水を与えていけば、木は自ずから成長し、沢山の実を宿らせることと信じています。
そしてその果実を食べたいと思った人が、その実を食べ、乾いた体(心)を少しでも満たしてくれたならと思います。
食べずに捨てられた実も、その実が朽ち果てたのち(つまり僕の寿命が潰えたのち)、誰かの土壌の養分となってくれることを信じています。

僕の夢、その夢の実現のために、僕は僕と同じように夢を持ち、そして成し遂げた沢山の人の夢の結実である実を食べ、僕という乾いた土地を少しずつ潤していっているのです。
僕はずっと奇人に見られていたこともあり、自分は人から好もしく思われない人間だ、という思いが、心の根っこの深い部分にあります。
表層意識が変わってもなかなか、根っこの部分まで変わってはくれないようで、それが対人恐怖のようなものの源泉になっているのだと思います。

そんな僕でも、人間として存在する価値は最低限有している、とは思えるようになりました。
ですが、幼い頃に作られた、自分は「物」である、という観念から抜けだせずに、僕は人に迷惑をかけることを極端に恐れてしまいます。
迷惑をかけずに存在するだけでも、自分の幸せは追求していける。
過去の自分が、こういう思いから、一人でも楽しめる読書や映画に傾斜していったことも自然だといえるのかもしれません。

社会に出て、そんな僕もずいぶん変わってきたように思います。
ですが、まだまだ道は長いです。
僕には、対象恒常性というものが欠如しています。
対象恒常性とは、相手との関係(友情でも愛情でも信頼でも)が継続しているという感覚のことです。
僕はこの対象恒常性がすぐに揺らぎます。
これは境界性人格障害の人が不安定になる原因にあげられるのですが、些細な言動や、行動によって、すぐに対象恒常性が揺らぎ、精神的に均衡が崩れてしまうんです。
僕は内省による論理という武器を手に、そういった感情を論破することで、かなりの部分克服したんですけど、この対象恒常性というやつはなかなかドスンと根を張ってはくれません。
欝のように長くはなく、一日の中で短いスパンで現れます。
内面の変調は、自分でも自覚できますから、まさにそのとき僕の中で不安定な感情とさまざまな論理の武器が戦いを繰り広げてられるわけです。
しゃべれなくなったり、目を合わせられなくなったり突然なってしまうのは、相手にとってはなんともない仕草や言動に、僕の境界的な内面が敏感に反応してしまうが故なのです。
僕の対象恒常性はすぐに揺らぎますが、多くのボーダーの人に見られるように、再び安定するのに多くの時間を要しません。
これは、僕が長いことかけて築き上げた論理のおかげだという自負があります。
ボーダーの人は、核となるアイデンティティが一貫していない傾向にありますが、僕は自分でアイデンティティとなりうる考えを導き出すことが出来たので、何かのきっかけがあれば、比較的早く、精神的な不安定を解消することが出来るようになりました。
ですが、僕が不安定になっている間に接した人々は不快を覚えることもあろうかと思います。
それを思うと申し訳ない気持ちで一杯です。

僕の情緒の変調は、どこの誰のせいでもなく、100%、僕自身の弱さからきており、僕自身の責任以外の何ものでもありません。
ですから、僕がこれから乗り越えていかなければならない大きな壁なのです。

僕のこの精神的な不安定さに付き合ってくのは大変だろうと思います。自分自身しんどいですから。
そんな中、こんな僕に対して友人でい続けてくれる人たち皆に、僕は感謝の念を禁じえません。
友人でいてくれて、ありがとう。
昨日の夜10時に起きてから眠れんかった。
今日から早番。
ちょっと早く着きすぎてしまった。
工具が変わったので心配してたけど、結構流せそうで安心。
早番は時間がたつのが早い。
気付けばもう昼?って感じ。
一時間残業で仕事後は、同僚2人と鳴門うどんで飯。
同僚の一人が、が3玉とどんぶりのセット完食の伝説を作る。
ついでに、今日それまで起きてから飯はおろか水も一滴も飲んでなかったという伝説も作る。
僕は飯を食ったとたん極度の眠気が。
午後6時ごろ店を出て、同僚にこの間おもちゃ倉庫で売れなかった服を全部あげる 。
マンションに帰るまで眠気でやばかった。
帰って風呂に入らなきゃと掃除して、風呂入れてる間に爆睡。
何でこんなに眠たかったんだろう?
日付変わって起床。
あ、起きてからちゃんと風呂入ったよ(笑)

友人がやってた足りないもの占い僕もやってみた。

キタム(本名)に足りないものを100人に聞いてみました。

☆腐敗臭 (35人)
腐敗臭って加齢臭のことかな?だとしたらまだまだ僕は若いってことw

☆証拠 (18人)
いったい何の証拠??

☆たしなみ (17人)
確かにたしなみは足りないかも〜
人前で鼻毛抜くの止めて、これからはちゃんと切ろうw

☆汁 (10人)
汗かかんけんなぁ
乾燥肌なんです。

☆鼻の穴 (9人)
鼻毛はよく出てるっていわれる
鼻毛で穴がふさがってるw

☆帽子 (8人)
帽子は似合うってよく言われるけど、確かにあんまりかぶらないなぁ。

☆給料 (2人)
圧倒的に足りないw

☆ふくらはぎ (1人)
これから下半身筋トレして上半身につりあった足の太さにしていく予定。


興味のある人はどうぞ
http://0l0l.net/_/tari/

部屋ちょい変えた

2008年3月23日
午前3時に寝て、午前9時ごろ起床。
午前中は、部屋の模様替えをちょっとだけした。
といっても机の位置を縦から横に移しただけだけど。
僕の部屋はこれ以上動かしようがない気が。
パソコンを出窓に置けるようになったのでその分机のスペースが広がった。
うん、なかなかいい感じ。

さあて、この部屋をどうインテリアしていけばいいんだろうか??
まずは、まずは本と雑誌をどうにかしないとな。。

朝から何も食べてなかったので、腹へってジョイフルへ。
土日はランチセットがないんだね。
食べ終わったら、そこでしばらくDSと読書。
読書、遅々として進まず。
DSは漢字検定、即読みの7級終了。
次は6級。

帰ったら、極度の眠気に襲われ、ちょっとだけ〜って横になったらそのまま午後10時過ぎまで爆睡。

せっかく戻した生活リズムを早番の仕事前日にぶっ壊す(笑)
これからどうする?
起きとくか?無理やり寝るか?
無理やり寝れるのか?

まずは風呂入らなきゃ。
映画サンドイッチ的一日
昨日、スノボーの疲れから珍しく深夜0時前に寝て、今日は朝早く起床。
腹減ったけど、母親もまだ起きてなかったし、朝マック。
朝メニューにも、メガマフィンとか言うのが出るって聞いてたので、もうあるかな?って思っていったんだけど、まだなかった。
4月に入って、朝昼夜にそれぞれメガになるとかいう内容が書いてたから、それだろうな。
腹すごい減ってて、ベーコンエッグマフィンのセットじゃ満たされなくて、フィレオフィッシュを追加。
メタボ〜。
帰ってから、TBSの錦織圭の特集を新聞で探したら、無い。
どこも無い。ケーブルでもない。
ひょっとして関東だけしかやらんの〜。
ガックリ。

ってなってても仕方ないので、病院の予約をして、朝10時から映画を観に歩いて街へ。
『カフカ・田舎医者』鑑賞。
世界的に有名な手作りアニメーション作家、山村浩二さんの作品で、田舎医者を含む5本のオムニバス上映。前から見てみたかった。
一本一本は大変短くて、5本合わせても55分くらいしかないのだけど、一つ一つが繊細で、一本作るのにどれくらいの手間がかかったんだろう?って、手作りアニメの難しさや大変さが窺い知れた。
短い中に、いったい何を詰め込むのかってことだよね。
レビューは後日。

テニスマガジンが出ているはずだと本屋に行ったけどまだ無い。
錦織圭の特集早く詠みたいよう。
大分は確か一日遅れるんだっけ。明日また行ってみよう。

映画の後、病院へ。待ってる間、DSで漢字検定。
やっと即読みの8級終わり(笑)
つぎ7級。
診察は1分くらいですんで(アホらし)、薬局で処方の薬もらって一旦帰宅。
母親が退職で会社から荷物を出すので、その送り迎えと実家に連れて行くはずなんだけど、まだ連絡無し。
DSやりながらいつの間にか寝てた。
母親の電話で夕方起きて、母親を会社まで迎えに。
僕が夜また映画観るっていうと、母親は買い物して時間かかるし、あんたもせかせかするやろうけんバスで帰るってことになって、僕は実家にいかんでよくなった。
なので、一旦マンションに帰ってちょっと休んでから、夜、今度は車でシネマ5で映画を観に行く。
『厨房で逢いましょう』鑑賞。
思ったよりもダークな感じだったけど、後半はすばらしかった。
レビューは後日。

今月の残り3千円。
早く来い来い給料日。
昼寝たからまた生活リズム崩れそうな予感。

画像はアニメーション監督の山村浩二さん
今シーズン、ラスト・スノボー
今回のスノボー参加は、6名。


寮の駐車場に付いたら、早すぎたのか、まだリーダーと同僚一人しかいなかった。
ので、リーダーの黒のクラウンに乗って3人でちょっとドライブ。
海の見えるところまで行って、リーダーが、ここが有名な大○ディズニーですよ、って、工場の建物や光が、ミッキーが横に寝てるように見えるって話だけど、どこからどう見ても見えない。
3人でどこがどうミッキーなんや?
と思いながらも海から見る工場の光は綺麗やった。
リーダーすげぇ眠たそう。
聞いてみると、昨日の昼に起きてから一睡もしてないそう。
僕よりも寝てないやん。

戻ったら、もうみんな車に乗って僕たちを待ってた。
僕は助手席。
前だともう日差しが暑い。
春だねぇ。

午前8時ごろ着いたけど、まだ開いてないぞ。
入り口見てみたら、平日は午前9時から。
僕たちは一時間車の中で待つことに。
それにしても、オフシーズン間際の平日は人が少ない 。
朝のうちは、ほぼ貸しきり状態。
これで雪質が最高なら文句なしだけどなぁ。

今回は、僕は赤のウェアに犯罪者のニット。
これは目立つ。

最初は、まだ雪が固くて、転ぶとしゃれにならんって思ってたけど、日が昇るにつれ、段々軟くなってきて程よい感じに。
午前中は、ひたすら初心者コースで斜滑降。
前回よりも上達を実感。
フロントターンが不器用ながら何とかできるようになった。
みんなは僕より全然覚えが早い。
特にリーダーは、飲み込みが早く、今日の終わりごろには、僕はもう追い越されてしまったw

午前中、最後に何人か中級に行ってたけど、僕は、まだそこまで行ってないと思って、初心者コースで練習してた。
ていうか、ようやく膝を曲げて滑れるようになったんだけど、空気いす状態なので、右足に乳酸が溜まってかなりやばい状態に。

昼飯食ってから、みんなで中級コースへ。
僕も初挑戦。
確かに斜面は急だったけど、雪が初級コースよりも質がいいので、あまり怖くない。
もっとやりたかったけど、すでに僕の右足が限界。
うまく力が入らなくなって痛くて、もう今日はダメだと断念。
ほんとは右足じゃダメなんだよね。体重かける左足が痛くならないと。
だけど、痛くなったってことは、膝を曲げれてる証拠だからこれは進歩。次(来シーズン)は左足が痛くなることを目標にしよう。

同僚の一人も、膝が痛いって休憩に来て、2人で語ってたら、だんだん深い?熱い?話になってって結局、僕と同僚は午後1時半から4時まで話して、一回もすべることなく終わった(笑)
まあ、僕は右足がダメだったので、どっちみち滑れなかったけど
午後になると初級コースの雪が解けすぎてでこぼこになり、逆に足をとられて中級の方が滑りやすくなってたみたい。
僕が滑れない間に、みんなどんどん上達して、結局、僕が一番へたくそに。
まぁ、いいや、マイペースで。

4時過ぎに終了。
帰りは、みんな車の中で爆睡。
僕も眠ってしまったぁ。

来年もしあるとしたら、事前に筋トレ、体力づくりだ。

眠りませぬよ

2008年3月20日 友達
眠りませぬよ
午前8時に寝て、午後の6時に友人の電話で起床。
友人が今、友人の彼女と部屋の片づけをしていて、いらん服やるというので行くことに。
でも友人のマンションがわからずにちょっと迷う。
地理が苦手。

友人の部屋はあんまし片付いてなかったwけど、クローゼットの中は要らん服と要る服をわけてすっきりなってた。
僕は友人のガリガリだった頃の服の試着会。
意外に僕の大きさに合う服があって、かなりの数の服をもらった。
ありがと〜。

僕に合わなかった服は、売るか捨てるかにわけて、後、同僚に渡すメジャーリーグセットも。
んで、掃除機かけて2回ほどブレーカー落ちて(笑)、簡単な部屋片付け終了。
売る服をおもちゃ倉庫に売ろうということになって、その前にまずは、腹ごしらえだと3人でジョリパへ。
いつものように3人でピザ、マリゲリータと各々のパスタ。
その後、チーズフォンディも頼んで食べて、僕だけ食後のデザート。
ちぃ姫のパスタに入ってた乾し唐辛子を、僕と友人の彼女が怖いもの見たさでちょっとずつ食べたら、舌が焼ける用に痛くなって(当たり前)デザートや、水の氷で冷やしながらもがき苦しんだ。

その後、セガに行って友人がやってる全国対戦のネットクイズに僕もデビュー。
このゲームかなり熱い。
カード作って、継続的にやっていって、ランクを上げていこう。
みんなで、プリクラ。
衣装があったので3人でコスプレ。
僕はベルサイユのバラに婦人警官の帽子に桃太郎の襷w、かなりキモイ(笑)
同僚はピカチューで、同僚の彼女は、学ラン姿。
傑作が撮れた。
その後、普通のも撮ったけどねw

いったん各自、家に帰り、僕も売る用の服を車に乗せて、おもちゃ倉庫で再び合流。
友人は5000円。僕は散々持ってったのに、2着しか売れず1800円まあ、まったく売れないよりはましか。
残った服は同僚にあげよう。
その後ドンキ。
うろうろして、近くのジョイフルへ。
午前3時ごろから僕がスノボー行く直前の5時20分まで3人で、飯食ってから話してた。

解散後、僕はそのままスノボー待ち合わせの会社の寮に向かいましたとさ。
この時点で12時間起きてる。スノボー行って帰ってきた頃には24時間を突破してるな。

連休突入

2008年3月19日
今日で今週の仕事終わり。
これから怒涛の4連休。
だけど来週、早番なので、実質3.5連休??
まあ、長いのでうれしい。
連休は何しよう?
21日は、今シーズンホントに最後のスノボー。
雪がまだ融けてしまってなかったらねw
昨日雨が降ってたので微妙みたい。
あと、病院に診察行って薬もらおう。
映画も見に行こう。
部屋の模様替えもしたいな。
後は読書とDS。

でもまずは睡眠だ。

今日の仕事は、なんだかきつかった。
飯のとき選んだ食堂のメニューが玉ねぎの入ったのしかなくて、味噌汁とご飯しか食べなかったからか、腹減りすぎて、変頭痛になるし。
脳溢血で倒れそうな感じだった。

今日、隣の子がローテンションで、なんか話しかけづらい雰囲気だったので、話しかけれなかったらタイミング失って一日ほとんど話さんかった。
最後ちょろちょろ話しただけ。
なんか、しばらく話さんと、僕なんかしたんかな?とか変なマイナス思考が進入してきて、対人恐怖が僕を支配して、話せないわ目も合わせられないわって感じになってきてしまう。
人見知りしないはずの同僚とも、ここの所、話さんかったらうまく話せなくなって、昨日今日と話すどころか目も合わせてないかも。
仕事に集中するのは良いけど、同時に対人恐怖が僕の心に沸き起こらないように工夫しないとな。
まだまだ対人的な課題は山積だ。
困ったもんだ。。

仕事後は、同僚三人とジョイフル。
昨日と一昨日はスキ屋。
血糖値あげて偏頭痛を解消するために僕も今日はしこたま食ってやった。
ポークステーキ洋食セットにご飯大盛り。
デザートにケーキとぜんざい。
おかげで唯今偏頭痛ナッシング。
みんなに体型が変だといわれる。
太ってきてるのかな。
メタボやぁ。
午前5時過ぎに解散。

どうしよう?朝更かしようか、それとも寝ようか?
流れに身を任せるか。

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