疑心暗鬼

2004年9月1日 僕について
心が弱ると、些細なことでも気になってしまう。

僕の場合、根本が人間不信であって、その根が深いので、疑心暗鬼という形であらわれる。

些細なことで、あれ?僕なんかしちゃったかな?とか、ひょっとして、僕って嫌われてる?とか気にしてしまうようになる。

そして、そのことで暗澹たる気持ちになって、エスカレートすると鬱になったりする。

そもそも、僕が人間像に対して過度のロマンチズムを抱くのも、人間不信の反作用からくるものなのだと思う。

人間を信じきれないでいる自分への嫌悪感が人間を信じようとさせているという、いわばコンプレックスなんだろう。

僕はもともと強い人間ではない。それを自分自身認めているから、自分を強固な論理で武装する癖がついたんだけど、不全感が強まったときは、まさにその論理(理性)と疑心暗鬼との戦いが繰り広げられる。

自分がそう感じるのは、何の根拠もなく、単なる思い込みに過ぎないと、もっと巨視的に物事を見るべきだとか、いろいろと自分に言い聞かせる。

最近、心が弱っているのを感じる。孤独感に襲われると厄介だ。
もうひとつの対処として、感情を忘却させて、何かに打ち込むことである。いわば逃避だが、風邪薬と同じで、逃避しているうちに心が体力を回復してくれれば、感情が戻ったときに不全感に襲われずにすむのだ。
ただ、この感情を忘却するという行為も、そこに論理的な正当性を付与してやらなければ、なかなか難しいのである。

だから、臨機応変に武器を使いながら、この疑心暗鬼という敵に対応していくほかない。

辛くとも、それをやらなければもっと辛いから。
VHS ビデオメーカー 1999/11/26 ¥3,990
20年代のスペイン、老貴族に引き取られた娘トリスターナが肉体を犠牲にするが、若い画家と駆け落ちする。2年後病で片足を切断して帰ってきたトリスターナは老貴族と結婚、発作を起こした夫を冷酷に見殺しにする。下男に片足のない裸身を晒すシーンなどブニュエル趣味は冴え、ドヌーブの美しさが放つ残酷さが際立つ。
ブニュエルの名前をまったく知らないときに、「嵐が丘」をみて、いまいちだったんでそれからすっかり忘れてたんだけど、これみて思い出して、他の作品も探してるんだけど、いかんせんブニュエルのビデオどこのレンタル屋も置いてなくて、まだ本作と「嵐が丘」しか見てないんだよね。
この作品に出てくる悪趣味ともいえる耽美的演出は、ブニュエルの特徴らしく、ああ、彼は残酷な人だなあなんて思っちゃうけど、まったくもって、そういった演出を度外視しても不気味なストーリー。じわじわとなされる復讐かあ。執念だよね。

葛藤

2004年8月31日 僕の思ったこと
この日記に、僕の思ったことをそのまま書くか書かないかで葛藤している。お気に入りに登録してくれている人も増えたし、その他にみてくれている人もいると思う。

ここには、普段僕が考えているけれども、普段僕があまり会話とかでは言わないことを書いていこうと思ってる。

だけど、おそらく、僕が考えていることを書いていくと、僕とネットを通じて仲良くなってくれた人の中にも、また現実の友人の中にとっても、快く思わない内容になることもあると思う。

一人一人、価値観が違うから、それはあって当然だと思う。だけれども、やっぱり恐れてしまう。僕がこの日記に書いた内容ゆえに嫌われてしまうことを。

僕はよく、僕にとっての人間の理想を日記に書く。それは、まわりの皆に向けてってのもあるけど、自分自身がそれらのことを守れていないから自分への問いかけの意味も含まれている。

そりゃあ、いろんな人とのやり取りがそのことを考えるきっかけになることはある。だからといって、僕はその人に向けてだけ問い掛けているわけでも、ましてや非難したり、そのことだけでその人の人間性を全否定してしまったりは決してしない。

つまり、僕のスタンスは、日記にかかれる意見が人それぞれ違ったとしても、それだけでその人を嫌ったり怒ったりする理由にはならないってことなんだけど、まさに僕が恐れているのは、価値観が人それぞれであるなら、僕が書いたことを自分のことと受け取ってしまったり、意見の違いにより、僕を嫌ってしまったりする人も必ずいるだろうってことなのだ。

確かに僕にとっての人間の理想像を書いてるわけだから、そこには普遍的な善への追求と符合する部分も出てくると思う。当然人間は完全じゃないわけだから、理想を歌い上げること自体が、人間の不完全性や矛盾への糾弾という形にもなるわけである。

概して、人間は欠点を指摘されると怒る。ここらへんのなぜ怒るのかってことは、また後日書きたいのだけども、とにかく、怒る人もいる。

つまり、僕の日記に書いていることを自分に向けてかかれているというように思われて、そこから、生産的な思考をたどることなく、怒りへと直結されてしまったら、誤解の始まりだ。きっと僕は嫌われてしまうんだろう。

でも、好き好んで嫌われたいと思う人間なんているだろうか?
僕はできることなら誰からも嫌われたくない(理想論に過ぎるが)。
だから、僕は、皆がこういった人間になったら皆今より仲良くやっていけるんじゃないかっていう僕が考えた人間像を書いて、考えてもらいたいわけなのであって、そこには、今の社会に見られる不条理や矛盾を糾弾する部分が出てくるのは当然であって、しからば読んでくれる人たちにとっても結果的に矛盾を突いたり、糾弾してるという形を取ることになる部分も出てくるのはしょうがないわけであって、当然その中には、僕に対する糾弾も含まれているわけなのである。

そして、僕だけでなく皆ができるだけ人を嫌いにならないように願うからこそ、自分の考えを嫌われても書いていくことが、必要なことじゃないかって思う。嫌われたくないから、理想を書く。そして書いて嫌われる。でもそこを乗り越えなきゃいけないんだろう。

でもやっぱり嫌われたくないから、皆に問い掛けたくても、問い掛けなかったことや、先延ばしにしてきたこともある。
これからは、勇気出して書いていきたいなあ。
それで嫌われちゃったら、悲しいけれど、しょうがないのかなあ。

日記に書いていることは僕の紛れもない一部分である。
願わくば、僕のこの日記に自分の意見と違うこと書かれていても、皆さん嫌わないでくださいね(苦笑)。
DVD アミューズソフトエンタテインメント 2002/09/27 ¥3,129
ジャン・リュック・ゴダール監督の長編デビュー作にして映画史上に輝く革命的傑作。警官殺しの小悪党(ジャン・ポール・ベルモンド)が、パリにやってきた米国娘(ジーン・セバーグ)に惚れるが裏切られ、路上で警察に射殺される。要約すればこれだけの話を、イタリアン・ネオレアリズモにならって撮影所ではなく、部屋や街路で昼夜かまわずルポルタージュのごとく、手持ちカメラで2人の軌跡を活写。その即興的演出、ジャンプ・カット中心の編集は追随者を次々と生んだ。
実話系週刊紙から原案を提供したのはフランソワ・トリュフォー、監修に名を連ねたのはクロード・シャブロル。批評家仲間で、先に監督進出していた彼らの友情のもと、ゴダールはB級犯罪映画へのオマージュをこめて製作。ヌーヴェルヴァーグの永遠のシンボルといえる1本。
はい、勝手にします(笑)。うーん、ゴダールの良さがわからない。ちまり、ゴダールの映画がわからない。むしろこういった映画を作るゴダール自身に大変な興味を持ってしまう。作家主義を追及するあまりに、観客が置いてけぼり、って感じで。過去の映画手法を否定し映画の可能性を探っていくのいいけれど、もう少し、漸進的な改革でもよかったんじゃないかなっていったところで、この作品を含むヌーベルバーグが映画史に残した功績はまごうかたないことであってやっぱりすごいんだけれども。でもあくまで僕はその編集スタイルに、視覚的な苦痛以外には何も見出せなかったんだよね。そういったことをする背後に、必然性を感じないんの。殻を破ってやれって意気込みは感じるけれど。こういった作品は、監督の自意識に、ついていけるかどうかで評価は正反対のものになると思う。作家のリリシズムも、行き過ぎると、自慰行為にみえてくるんだよねえ。って、押井を好きな僕が言えることではないかも。
すげえすげえよタイフーン。
マンションの前にある木がある得ない角度に曲がってるよ。
雨がやんだら窓を開ける。
ものすごい風が吹き込んできて、こりゃあエアコンなんていらねえなあ(*´▽`*) プッ
台風の日は楽しくて仕方がない。雷が鳴り捲ってる日も、もちろん楽しくって仕方がない。とうぜんマンションの中に引きこもってるって条件がつくけど。
明日は台風一過でまぶしい空が拝めるはず。

汗と泪と男と女

2004年8月30日
オリンピックもついに閉幕。

四年に一度のこの大会に向けて、全てをかけて練習してきた選手たち。
その一人一人のストーリーが人々に感動を与えた。

選手たちは、汗を流し、歓喜に酔いしれるものもいれば、なされぬ目標に涙する者もいた。

僕は、柔道のノモフ選手のあの試合を、あの雄たけびを忘れることはないだろう。同じく、柔道の女王サボンの残り5秒で負けたあの悔し涙を忘れることはないだろう。

他の種目の選手たちも、皆が皆、すばらしい。その魂において、一人一人が金メダルだ。

なあんて、どこかで聞いたことある言葉をのたまってみる。

感動を有難う。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2003/10/03 ¥1,575
オレゴン州の精神病院に、型破りな人間ランドルが送られてきた。仮病を使って刑務所を抜けだしたのだ。ランドルはなにかにつけて規律を乱し、ラチェッド婦長ら病院側と対立する。そしてついにランドルは患者を扇動した。
75年のアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞と、主要5部門を独占した名作である。ランドル役のジャック・ニコルソンの演技は、「他のハリウッドスターがアマチュアに見える」と賞賛されたほどの名演だ。ことごとくランドルと敵対するラチェッド婦長にはルイーズ・フレッチャーが、ランドルの親友チーフにはウィル・サンプソンが、ほかダニー・デビート、クリストファー・ロイドなど、わき役に至るまで芸達者をそろえている。監督は『アマデウス』でもオスカーを獲った、チェコ出身のミロス・フォアマンだ。
管理体制の合理化の行き着く先は、非人間性であり、それを人間性であると思い込む人間性の麻痺こそ現代社会の直面している問題であるといえるんじゃないかね。特に、合理化できようもないはずの人間を完全な規制のうちに抑え込むってことはどこかで破綻を迎えるということをこの映画はいっているのかなあ。特にこういった病院は、いかに患者を抑え込むかではなくて、いかに患者と融和できるかだろうて。そこには、臨機応変、感情の留保が必要でしょう。まずは、心を開かせずして、どうして、障害を改善させることができようかってことでんがな。
男子ハンマー投げ金メダリストのアヌシュの金メダル剥奪が決まった。

アヌシュがドーピングの再検査を拒んだためだ。開催前に摂取された尿が別人のものだったというのも決定的な証拠となった。同じコーチについてもらっていた男子円盤投げの金メダリストもドーピング検査に応じなかったため金を剥奪された。

今回オリンピックでドーピングに引っかかった選手は過去最多だったらしい。多くは元共産圏の選手だったそうだが、地元ギリシャの英雄も、その中に含まれていた。

なぜ危険を冒してまでドーピングを使うのか。それこそがオリンピックという大会の重さを表している。特にプロ競技ではない多くの競技は、オリンピックこそが、その成果の見せ場であり、人生の成功への足がかりである。名声、金、国の威信。特に共産圏の選手は、メダルを取るか取るか取らないかで将来の自分の待遇が天と地とも違ってくる。キューバの選手が金メダルを取れば、一等地の最高級のマンションでの生涯の生活が保証される。
こういった誘惑は、ものすごいものなのだろう。
そして、また、独裁国家、専制国家、北朝鮮のような国では、国家の威信を示すという重責が選手の肩に重くのしかかる。
現在の日本は、どちらかといえば自分の四年間の努力の成果という意味あいのほうが強いが、以前の日本、マラソンの円谷の自殺を思い起こしてほしい。国家の名誉という重責はかくもすさまじいのである。

アヌシュは、室伏とも私的に仲がよく、また人間的にもけして卑劣であるわけではないだろう。競技のときにきていた娘の写真入のティーシャツは、家族思いのよい夫であることを想像させる。
そんな男を、ドーピングへと走らせる。また平然と発言を詐称させる。
その先に人生の破綻の危険を予想できながらも、とどまることができないのだ。四年に一度の重みである。

ドーピングに走るものは、常に天国と地獄。振り子にはそのどちらかしかない。そして多くは場合、振り子は地獄で動きをやめる。
VHS 東芝EMI 1994/09/28 ¥7,952
絵画の収集家である孤独な老教授(ランカスター)の邸宅に、知人の伯爵夫人(マンガーノ)が愛人の若者(バーガー)や娘とその婚約者を連れて入り込む・・・。家族の崩壊と世代間の対立を描くヴィスコンティ監督の大作。
解体され変貌していく家族の中での世代間の溝を描き、現代における家族の意味と存在の理由を問い掛ける、ヴィスコンティ晩年の傑作。僕には、老年に達した自分の姿、そして悲哀をこの作品に投影しているように思えてならない。彼の作品を全て理解できるほど賢くないけど、この作品は理屈をこえて心に迫ってくるものがあった。他の作品も、その退廃的な雰囲気に何かしらの魅力を感じるんだよね。

寝る寝る寝〜るね♪

2004年8月28日
14時間くらい寝ちまっただよ^^;

何でこんなに疲れてたのかわかんないけど、やっぱり寝るのが一番。
徐々に疲れが取れてきてる感じがする。

でも、日記も最近、毎日じゃなくて、三日間くらいためて一気に書くって感じで、ためたほうがめんどくさいのにね。

僕が寝てる間にいつのまにか父親がマンションにきて、夕食のおでんをおいていった。母親は今日は実家に帰るので僕一人、いつも僕一人だと、不精な僕は家にあるもので食事をすませるわけであって、今日はアイスもなかにしようと思ってたので(そりゃ太るって!)、おでんをおいてってくれたのは助かった。

つゆが、しみるぅ〜。
ISBN:4582851363 新書 山田 剛志 平凡社 2002/04 ¥735
「法科大学院」は弁護士・検察官・裁判官を養成するための大学院で、アメリカのロースクールをモデルとして、実務教育を行うとされる。法科大学院で学ぶことが司法試験合格の必要条件となり、二〇〇四年の開学を前に、司法試験受験者などに大ショックを与えた。五〇年に一度といわれる大改革は、学生と大学・大学教員、さらに司法試験と法曹、そして日本社会をどう変えるのだろうか。コロンビア大学ロースクール留学経験をもとに、法科大学院の実像と影響を大胆かつ具体的に予測する。
目次
序章 法化社会の到来
第1章 日本の法曹養成の現状(法学部の現状―進む教養化 司法試験の現状―予備校は不可欠 ほか)
第2章 法科大学院構想(二〇〇四年開学の背景 入学試験はどうなるか ほか)
第3章 アメリカのロースクール―コロンビア・ロースクールを例として(ロースクールとは何か 入学試験に代わるアドミッション ほか)
第4章 法科大学院は日本社会をどう変えるか(司法制度改革のポイント 日本社会とアメリカ社会―性善説型システムと性悪説型システム ほか)
司法改革の概要を知っておくことは、公務員を目指す上において無駄にはならんのじゃないかと思って読んだ。
アメリカのロースクールでは、試験前になると睡眠不足とノイローゼの学生であふれるそうな。日本もそうなるんだろうかね。いやあ、大変だ。でも目的意識があるならそれは当然といえるのかな。
「憲法対論」の中で、自明性の暴力という表現が、印象に残った。

つまり、たとえば「オタク」という言葉を使うことが暴力なのではなく、「オタク」という言葉自体に、一般的な自明の暴力が含まれている。ということである。

これはフェミニズムから生まれてきた概念だけれど、確かに、僕たちは言葉自体の自明性に支配されている暴力を野放しにしているきらいはあると思う。

自分が「ゲイ」であるということを、人前で言うことがはばかられるのは、まさに、「ゲイ」であることをタブー視するというわれわれの自明性がなさしめている。

ただ、今現在だんだんとその垣根は低くなっている、というか、まだら模様になってきてると宮台氏は言う。
つまり、われわれの中にも、それ自体を「暴力」という自明性を持たないものとして捉える人が出てきているということである。
だから、そういう人に、思い切って、自分はゲイだ、と告白したとしても、その人は「だから?」ということになる。

その人は、ゲイをタブー視することはなく、ゲイでもいいじゃん。また、オタクでもいいじゃん。とそれ自体に暴力性をもたないのである。

それは歓迎すべきことだけれど、やはり今はまだまだら状態というべきで、相対的に自明性の暴力が支配している割合のほうが高いだろう。

フェミニズムの運動で、たとえば、ポルノグラフィーに対して、女性に対する暴力だという自明性が支配しているわけである。だから、ポルノは違法である。というのがフェミニストの一部が主張することである。

これが、女性の性の解放が進み、女性向けポルノグラフィーが男性向けと同じ割合で市場に出回るようになり、女性はポルノを見てはならない、という自明性の束縛がなくなれば、おそらくそれ自体の暴力性は消滅するのだろう。

もしくは、男性むけポルノグラフィーを全面的に規制して、今の女性と同じ立場に男性の状況を持っていくことでも、自明性の暴力はなくならないが、その男女間の差別は解消するわけである。

後者はまずもってありえない話だけど。

とにかく、今、厄介なのは、その言葉自体の自明性の暴力に支配されている人といない人がまだら的に存在しているため、その使い分けを状況に応じて求められるということである。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 1998/12/18 ¥2,100
南北戦争の直前から敗戦後まで、情熱的でロマンチックな永遠のヒロイン、スカーレット・オハラの恋愛を通じて半生を一大叙事詩に歌い上げたハリウッド映画史上の金字塔。マーガレット・ミッチェルのベストセラーをセルズニックが映画化、リー、ゲーブルらの名演、破格の制作費、テクニカラーの成功、4時間近くの超大作・・・不朽の名作である。
この時代にこれほど鮮明なカラー作品が見れるってことが感動。ただm、このヒロインは、しっかり地に足がついているけど、性格がいいとか、純粋とかいうわけではない。ただ、こうならなければ生きていけなかったという人生の不幸ゆえのたくましさは、人間の底力を見せ付けられているようで別の意味で感動。前半のラスト、大地に生えた細いにんじんをかじりながら、決意する場面は、その際たるもの。

倦怠感

2004年8月26日
6時間寝て6時間おきて、そしてまた6時間寝て。

周期が24時間じゃなくて、12時間になってる。
しかも、さんざ寝てるのに、全然眠気が取れなくて、疲れも取れない。どうやら、眠りが浅いみたい。かといって、安定剤を飲むのも気が引けるし。。

そろそろ、読書に根を入れなきゃって思ってるのに、机に座ってるだけで疲れてきちゃう感じがして、すぐにベッドに寝転がってしまう。
しかも本を読み出したら、起きだちでも、強烈な眠気に襲われる。
普段ならコーヒーいっぱいでも飲むと眠れなくなるのに、最近は、コーヒー飲んだすぐあとに眠れてしまう。
だけど、寝すぎで、頭が痛い。頭が痛いのに、寝ずに入られない。
無理やりにでも眠る。一日頭がすっきりするときがない。
薬を一日3回きっちりとのみ出してからかも。倦怠感という副作用との戦いも結構楽じゃないなあ。

一番辛いのは、パソコンの画面を見てると強烈に眠くなって、日記もメールもなかなかかけないこと。おっしゃって気合入れて、いっつも書いてる。でも頭は働いてないから、最近は、なんだか薄っぺらい日記だあ。
まあ、いっか、長い人生こんな時期もあるさ。
DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2000/04/21 ¥2,100
誰からも愛されているメロドラマの古典。美しきバーグマン、知的で皮肉な会話を繰り出すボギーの魅力もさりながら、レインズら曲者ぞろいの脇がいい。第二次大戦下の仏領モロッコのカサブランカ。酒場を経営するリックは旅券入手のために訪れた反ナチのリーダーに伴われたイルザに再会。リックとイルザの愛は蘇るが、リックはイルザと夫の国外脱出に手を貸すのだった・・・。
古さや白黒に対する根拠のない偏見を取り除いてくれた作品。戦時下に撮られたため、大変な苦労を伴ったらしい。政治学なんかを学んでみてみると、当時のモロッコの状況とともに、作品の背後に隠された政治的なメッセージも読み取れて、より深い感銘を与えてくれる。

アロマテラピー

2004年8月25日 趣味
最近、精神的に疲れてて、アロマテラピーにはまってきてる。

毎日、いろんな匂いで部屋を満ちさせて、鳥の鳴き声のリラクゼーションCDを聞いている。すると、少し気持ちが楽になる。

僕の好きな匂いは、森の匂い。木の匂い。だけど、他の匂いも全部いいね。ユーカリもいい匂いだね。

御香なんかも焚いてみてる。お寺の匂いもなんだか落ち着く。
疲れが取れる。気持ちが落ち着く。
ISBN:4582851649 新書 宮台 真司 平凡社 2002/12 ¥819
憲法学の第一人者と若い世代の支持を集める社会学者が、今、焦点となっている憲法について語り合う。現代の若者はニヒリストか。ポルノグラフィーは有罪か。憲法九条の成立過程とその意味は何か。女帝は認めるべきか。グローバライゼーションにどう対応すべきか。そして愛国者かコスモポリタンか、またはパトリオットか。自らの憲法体験と研究、調査を踏まえて憲法の原理を追求した画期的なダイアローグ。
目次
第1章 混迷の時代をどう生きるか
第2章 メディア・リテラシーとは何か
第3章 日本の憲法意思はどこにあるのか
第4章 「フェミニズム憲法」はありうるのか
第5章 憲法は「女帝」をどう捉えているのか
第6章 三〇年違いの憲法体験
面白い。社会学って、面白い。宮代真治関連の本初めて読んだよ。だって、彼の本、妙にサブカルサブカルしてて、買いにくいんだもん。でも、やっぱり頭いいね。
てそんな感想かい!いや、とても勉強になったけど、ここに書くには、あまりにも勉強になった部分が多すぎるのじゃ。

理想の親子

2004年8月24日 スポーツ
アニマル浜口と、娘の京子は、理想の親子関係なのかもしれない。

僕は、オリンピックに向けて、この親子が取り上げられるたびに、二人のことがどんどん好きになっていった。二人の間には強い絆が感じられる。うらやましいくらいに。
京子は父のことを尊敬し、父アニマルは娘を全身全霊で愛する。そして、全てを受け止める。
二人がお互いのことを好きで好きでたまらない。そんな関係が、画面を通して、あふれんばかりに伝わってくる。

アニマルの愛情は、決して、一方的なものではない。娘を最大限に尊重しているのだ。
京子がレスリングを志したのは、大好きな父親のようになりたいという気持ちである。レスリングを志すといって聞かない娘に、父は、レスリングの厳しさを念を押し、あくまで娘の選択にゆだねた。そして、娘が自分で自分の人生を選択し、娘の強い決意を確認して、初めて、アニマルは、その娘の人生のために鬼となった。娘の決めた道の力となることなら何でもしようと。

厳しくとも、そこにはゆるぎない愛があり、二人の間には、強固な絆がる。
レスリングを見て、アニマルの応援する姿に心を打たれた。
彼の姿を、度を越していると恥ずかしがる輩もいるだろうが、僕はそうは思わない。アニマルは、自分の外見など気にしない。娘に自分の気持ちが伝わればそれでいいのだ。娘のためなら、恥も外聞も関係ない。

京子は、金メダル確実といわれていたが、準決勝で敗れて銅に終わる。だが、最後の試合の後、京子は、悔しさも微塵も見せず、リングにキスをし、さわやかな笑顔を見せる。
そして、彼女のインタビューはすばらしかった。
「金以上の体験をさせてもらった」

すばらしい人間性。彼女の笑顔は、金にも勝る。
アニマルの愛情は疑問をはさむ余地がない。それは愛情以外の何者でもない。京子は、親の愛を疑うことがなく育つことができたからこそ、これほど純粋でいられるのだろう。

早朝、親子がテレビでインタビューを受けていた。アニマルは、金を逃した娘を満面の笑みで誇る。娘を一寸たりとも責めはしない。よくがんばったと、今までの厳しさを全てやさしさへと変えて、娘を受け止める。

二人の関係をみていると自然と涙がこぼれてくる。
僕がいつか子供を持つなら、アニマルのように子供に、自分を偽らずに、愛を表現してあげたい。子供が、自分は親に愛されていると、嫌でも感じてしまうくらいに。

二人の関係は、外からどう滑稽に見えようと、親子の関係の最も理想に近いの形だと僕は思い、あこがれる。
DVD 松竹 2001/09/21 ¥4,935
「あなたのシワが撮りたい」と大林宣彦監督からオファーされた吉永小百合が、離婚歴のある新聞社の論説委員に扮して、はつらつとした演技を見せた作品。
新聞社「新日報」に勤める南弓子(吉永小百合)は大学院生の娘・千枝(藤谷美紀)とふたり暮し。念願かなって家庭部から論説委員へ移動となった弓子は、早速社説の執筆に取りかかる。ところが その社説が思わぬ波紋を広げてしまう。降って湧いたように起こる弓子の人事異動の話、新社屋移転にまつわる不穏な噂の数々…。
スーパー16mmカメラを多用し、1時間56分の上映時間をおよそ1000カットで構成。多才な登場人物たちと吉永のやりとりをテンポ良く描写しているが、目まぐるしく落ち着かないように感じるのもまた事実。 記事を書くのは苦手だが、鋭い野生のカンで動く社会部出身の記者・浦野(三國連太郎)、弓子の恋人・豊崎(津川雅彦)の他膨大な数の著名俳優が出演しており、まさしく女ざかりの吉永小百合を盛り立てている。
僕ってサユリスト。津川さんと不倫してる。新聞社のドロドロの世界。なまめかしい。

野口

2004年8月23日 スポーツ
野口やったやった。

マラソン脅威の視聴率だったらしいね。
そりゃそうだべ、興奮したもん。ヌデレバとの駆け引きが。
野口の作戦勝ちだねえ。マラソンもただ走るだけではないのだ。
ヌデレバの不気味な追い上げに恐々としてしまったよ。
僕は追い抜かれるかも?と思っていたけど、野口がんばって、逃げ切ってくれた。

過酷なマラソンだったようだね。吐いたり棄権したりする人が多かった。野口もゴールして吐いてたね。

日本のマラソンランナーって、速い人、背の低い人が多いよね。何でだろうね。

ともあれ金メダル。

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