やっぱり、思ったとおりに頭が痛い。
何で寝すぎると偏頭痛になるのだろうか??
先週の目の痛さもまだ完全には治っていないというのに。
今日は楽だったからいいようなものの。

これはどうやら寝すぎと肩こりによるものの気がする。
寝すぎは確実。
肩こりは、肩のつぼを押すと若干頭痛が緩和されることにより推量される。
腹が減りすぎて血糖値が下がっているということも考えられる。
特に最近は節制で食事も少なめ。
体重も51キロ台になってしまって。

とにかく、頭痛がなければ、かなり行動が楽になる。
偏頭痛は寝たら治るのに、寝すぎでなる偏頭痛というのもあるので厄介至極である。
飯を食うときにテレビを付けようとしたら、電源がつかなかった。
ほんと久しぶりにテレビを付けようと思ったのだけど、つかなかった。
うちのテレビはブラウン管で買って随分たつが、親は地デジになるまで買い換えないといっていたんだけど、ついに壊れたかな。
いや、後ろをいじくったらまたつくかもしれないんだけど。
僕は普段全くテレビを見ないので、つかなくても困らないんだけど、年に8週間だけ困るときがある。
というのは僕はテニスマニア。四大大会を録画しなければいけないから。
一大会二週間が年に四回。
この期間だけは、テレビを比較的良く見る。
だからやっぱりテレビは映っていたほうがいい。
でも今年の四大大会はもう終わったし、来年の全豪までまだ随分あるから、それまでは映らなくても全然かまわないけど。

休日は寝すぎる、そして休日明けの仕事はいつも変頭痛に悩まされる。
たぶん今夜もそうだろう。
分かっているけど、眠りの誘惑に抗えない。

これから休日明けの仕事には頭痛薬を用意していこうと思う。

ほぼ治った

2009年11月3日 日常
ほぼ治った
ほぼ治った
ほぼ治った
ようやく抗生物質が効き出したのか、それとも鼻うがいが効いたのかしれないけど、目から鼻にかけての痛みがほぼ無くなった。
休み前に治るとは現金な体。
あとは、若干感じる頭の重さが治まれば治ると思う。
休日明けには完治してるだろうな。
どうやら耳鼻科には行かなくてよさそう。
無駄な出費を増やさずに済んだ。

6連勤も終わり、念願の休み。
株があると思って帰って良く考えたら、今日は祝日だった。
株がないので時間ができた。
夜から友人と映画を観る約束だったので、早めに眠ることにする。
夜、Hさんが車を貸してくれといっていたので待っていたが、午後8時までに来るといっていたのになかなか来ずに映画の時間が近づいてくる。仕方がないので、車の後部タイヤの上に鍵を置いて、Hさんにメールで言付けてシネマ5に向かった。

観た映画は『チェチェンへ アレクサンドラの旅』
http://www.youtube.com/watch?v=IE3CxmYEZqU&feature

第二次チェチェン紛争でのロシア側の兵士の駐屯地に、息子に会いに訪れた祖母アレクサンドラという、戦地で第三者的な存在が戦争という異質な空間の雰囲気を際立たせている。
戦争を描いてはいるが、戦場は描いていない。戦争のもう一方の側面を映し出している。家族との隔絶やそれに伴う孤独、揺れ動く祖国なるものの問題など。
兵士達の疲弊した姿、戦うことへの誇りと恥の葛藤。
レビューはまたいつか書くかも。

映画の予告編で、珠玉の名作『木靴の樹』(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%9D%B4%E3%81%AE%E6%A8%B9)を撮った監督、エルマンノ・オルミの新作をやっていた。
『木靴の樹』は学生時代に三度見た。
http://www.youtube.com/watch?v=TmdOBeqnB1g&feature

約30年の時を経て彼は何を描き出したのか、非情に興味がある。
新作『ポー川のひかり』
http://www.youtube.com/watch?v=_DrhuLuYxDo&feature
は是非とも観てみたいと思う。
今日は休出、で、水曜振り替え。
会社の同僚や社員からは、僕の体調を慮ってくれて、今日休んで良いよって言ってくれたけど、今日忙しいのは分かってるし、こうやって気を使ってくれると、こんな優しい人たちのためにやっぱ力になりたい、迷惑かけたくないと思う性分なので。。

それに、ぶっ倒れる寸前になるほど辛かったらさすがに休むけど、こうやって辛いながらも仕事ができてるし、周りと話したりできる訳だからまだまだ余裕があるわけで。

といって真面目なわけじゃないんだけどね。
ただ迷惑かけるのが何より嫌いなだけ。
休んだ方が迷惑じゃないってんなら休むけど(笑)
インフルエンザなら完治まで休むけどさ。
ただでさえ、新しい部署で仕事覚えてなくて迷惑かけてるんだからね。

それに、まだ痛いけどだいぶマシになったしさ。
最悪な時だってちゃんと仕事できたわけで、それ以上悪くなることはないと思われるし、じゃあ仕事できないはずがないし。
たぶんこれで仕事休んだら、すごい罪悪感と自分は情けない的な後悔の念が襲ってきそうなので。
というわけで今日一日また頑張るぞ。

そんかわり、休み明けは4日出るだけでいいし。実はそっちのが目的だったりしてw

鼻が悪いのかと思って、マンションに帰って鼻うがいをしてみたら、した瞬間はすっと目の痛さまで消える。
やっぱ鼻と目は繋がってる。だけど、やっぱどっちが悪いのかわからんね。

鎮痛剤はあと一錠になったので、寝る前は飲まずに、仕事前に飲むことにしよう。そうしよう。

原因不明

2009年11月1日 日常
昨日あれから寝たけど、鎮痛剤の効果がさめたからか、また左目の鈍痛で目覚めて眠れない。
あまり痛くて眠れないので、起きてやっぱり病院に行くことにした。
目が痛いし、風邪ではないともうので、とりあえず眼科に。

病院で眼圧はかったり視力調べたり、風じゃないか熱測ったりしたけど、何も異常なし。
目の腫れも診られない。
ただ、左目を先生が調べている間尋常じゃないほど涙が出てくる。
涙袋が何かおかしいのじゃないか??
涙袋がある左目内側の奥が一番痛いのだが、そこから涙腺伝いに鼻の上の辺りまで痛い。
目を調べて異常がないということは、実は鼻の異常なのか??
蓄膿症かな?と一瞬思ったけど、蓄膿は鼻が詰まって鼻の中が臭くなる。
今、僕はむしろ目と鼻の痛さで鼻の通りが良すぎるくらいだし変な匂いもしない。

僕の予想は涙袋から鼻梁にかけて風邪の菌か何かのばい菌が入り込み、炎症を起こしているのではというもの。

先生も原因がわからないといって、とりあえず数日分の抗生物質と鎮痛剤と殺菌用の目薬を処方してくれた。

鎮痛剤を飲むと、だいぶ増しになる。昨日の仕事も何とかそれで乗り切ったけど、薬の効果が切れる頃は非常に辛い。
眼科の先生がこれで治らなかったら耳鼻科にいってみて下さいというので、明後日の休日まで治らないようだったら行かなきゃな。

それにしても目と鼻も痛いけど、診察と処方代合わせて三千円も痛かった。。。
できることなら、もうこれ以上病院にいかずに済むよう、今日明日で治ってほしいもんだ。
その兆しは今んとこ皆無だけど。。。

というわけで今日も安静に早めの就寝。

激しい左目奥の鈍痛で目覚める。
目から鼻筋にかけて異常に痛い。
偏頭痛を伴う目の痛みは寝たら治るので、これは偏頭痛ではない。
涙腺に細菌でも入ったか?
風邪の前兆か??

とにかく寝ていられずにニ時間で起きた。
原因不明の痛みは徐々に激しくなって、仕事中にはついに頭が痛くなって苦しかった。
これは風邪なのかなあ、あまりのきつさにダウン寸前。
途中で同僚が風邪薬をくれた。これを栄養ドリンクと一緒に飲んで、しばらくはなんぼか増しになったが、またすぐに頭痛がぶり返してきた。
自分が何をしているのかわからないくらいになって、再び同僚に風邪薬と、今度は鎮痛剤ももらう。
この鎮痛剤が効いて、かなり目の痛みは取れて、それとともに頭痛も軽減して、どうにか生き返った。
これはどうやら風邪ではないようだ。
風邪ではないが、ではいったいなんだ?
まだ痛みは残っている。
鼻腔から涙腺にかけて何らかの菌が進入した線が濃厚。

仕事中は病院に行こうと思っていたが、痛みがかなり軽減したので、このまま自力回復を狙うことにした。
とりあえず、今日は早めの就寝。
寝る前に葛根湯と鎮痛剤を飲んでおこうと思う。

変遷

2009年10月30日 僕の思ったこと
僕は高校時代にある理想を抱いていた。

【エゴは、欲求は、人を諍いの淵に落とす。
世の中で起こる問題はそのほとんどが人間のエゴによる帰結だ。
全ての人間がエゴを放棄し、他者への奉仕の心を持って生きるべきだ。
人が自己を放逐し、無私の人間となっても、無私となった各々が己以外の他者に奉仕することで、その他者の奉仕が一つ一つの断片となって己に集結して、結果的に自我は補填される。しかもそれは、己から発露されたエゴのように攻撃的なものではなく、もっと協調的な、平和的な、穏やかな自我となるはずである】

というものだ。
今考えればこれは、以前の日記に書いた空想的ロマンチズムの典型といえる。現実を無視した、机上の空論を実際に実現できると信じた幼い熱望である。
しかし、当時の自分にとってはまさに苦しみを除去する一つの希望であり、自己の価値観を一変するひらめきであった。

現在の僕は、「無私」、という立場に懐疑的だ。

「無私の人」とよく形容されるマザーテレサについて、先日鑑賞した映画『精神』の中の患者がいっていた言葉が印象的だ。

マザーテレサの心には、人一倍の煩悩や、欲望、悪の思念が渦巻いていたはずです。自己の心のうちに悪を実感しない限り、人間は善の概念も描けないし、善行を実現しようがありません


無私という言葉(表現)は、人間を救おうとする影で一人の人間(自己)を蔑ろにしている。

僕はこう思う。マザーテレサが、善行に生涯をささげたのは、まさにそれが他者の救済だけではなく、自己の救済でもあったからではないだろうか。
内に沸き起こる悪念に対する呵責を感じればこそ、自己の良心に従った善行に己の魂を浄化する贖いを求めたのかもしれない。

人の力になろうとすることは、「無私」では成し得られない。
完全なる利他主義は存在しない。同様に完全なる利己主義も存在しない。
利他はどこかで利己と必ず結びついている。
ゆえに人間はエゴを放棄できない。
善行もまたひとつのエゴの発露と捉える事ができるのだから。
表面上「無私」と映る行為であってもそれは、どこかで自己に還元されている。

自己の悪を認識するがゆえに、他者の悪を憎む。
他者の苦をともに分かつ苦しみは、自己の苦を他者と分かつ幸福となる。他者の憎しみの浄化に立ち会える喜びは、自己に渦巻く憎しみへの呵責に対する贖罪となる。

これが現時点での僕の立場である。
空想的ロマンチズムから科学的ロマンチズムへの変遷。
そこから導き出される行動が仮に同一のものであったとしても、己もまた救われるべき一人の人間であり、それはエゴを放棄することではなされない、という意味合いにおいて大きく異なっている。




関連日記

『科学的ロマンチズム』
http://37292.diarynote.jp/200910171253439632/

因果覿面

2009年10月29日 日常
起きたら、激烈な腹痛に見舞われる。
理由は安易に推測される。
昨日食った冷凍のハッシュドポテト。
焼いたのだが、どうにも焼ききれてなくてすっごく冷たい部分があったのだが、フライパンはもう洗ったし、今さら食いかけを再び熱するには及ばん、と半解凍の部分もそのままジャリジャリ食ってしまったのだ。しかも四枚も。

生のジャガイモは腹を下すときく。いくら精製されていても、火を通してないとやっぱりねって、前日から悪い予感はあったが、うちやっておいたつけがこの激甚な腹痛である。

折角早めに仕事に向かうべく、いつもよりも10分前に起床したのに、10分以上のタイムロスをトイレで被ることになった。

二度トイレに行っても腹の具合は芳しくなく、正露丸を探したがなく、かわりの胃腸薬を飲んでみたが即効性がない。
それでももう仕事へ向かわねばならないからとマンションを出る直前。灯台下暗しで居間ののテーブルの上にドロップ型の即効性の下剤を発見。
他の胃腸薬を飲んで数分の間隔しかないが、そんなこと言ってる猶予はない。一刻も早くこの腹痛を治めないとうちの工場は仕事柄衛生的によろしくない。

ドロップを嚥下すると即効性と銘打つだけあって、即座に効くような感覚はおそらく気のせいだろうが、軽い脱水症状に見舞われながらも工場に付く頃には何とか腹痛も小康の兆しを見せ、安堵の嘆息をついた。

ところが今度は、作業中に風邪の兆候にも似た頭痛に見舞われる。
しかしこれは風邪ではない。
今まで休み明けに幾度も経験したこの種の頭痛は、単なる寝すぎによる怠慢の血液膨張だ。
休日になると16時間以上惰眠を貪る自分はこの頭痛に不満を呈する権限はない。

自業自得という名の因果律。
自分はこの罰を心地よい悦眠の対価として購わなくてはならぬのだ。

人体の脆弱さをこの身を通して実感するにつれ、この世の無常、この世の摂理を感得するのであった。

乗り越え点

2009年10月28日 日常
大江健三郎の『万延元年のフットボール』
最初は読みにくいなあと思っていたけど、文体に慣れると、それでも難解ではあるけど、その内容に次第に没頭して、圧倒されてしまった。

この小説は自慰的と感じるほどに、ちと難解だけど、それは本人も自覚しているようで「極めて難解な文章の奥に、こちらへの伝達を切望する、赤裸の心が透いて見えるのを僕らは感じているのではないでしょうか?つまり書き手が、ただ彼自身のためにのみ書いているような性格、つまり他者を拒んでいるような性格を見出すのではないか・・・」と書いていたりする。
しかし、そのように書かざるを得なかった当時の作者の心境に、読者を没頭させる真に迫った言葉が存在し、ゆえに僕は徐々にその言葉に埋没していったのだろうと思う。

自分の中の地獄を確認し、本当のことを言うことでその地獄を乗り越えていったものたち。になれない卑小な自分を意識しながらも、それでも何とか、自分の中の問題と対峙していこうと決意する主人公の姿に作者の苦悩のあとが窺われる。

作者はこの作品によって何を乗り越えたのか、これより前とあとの作品を読み比べてみても面白そう。

でもこの作品のレビューを書くのは難しそう。。。

昨日映画見るとかいっときながら、それから色々考えて、やっぱりある映画全部見ることないな。
本当に興味をそそられたのだけにしようかな、とか思って、結局見にいかなかった。

で、とりあえずひたすら寝た。読書して、眠くなったら寝ての繰り返し。食料の買出しにも行かず、適当にあるもの何とか食いつないで、寝て寝まくった。だけど、全然眠れるので困る。

ああ、良く寝たなと思ってまた読書し始めるとすぐに眠たくなってくる。

運動不足だから眠たくなるんかな??
たんに疲れてるんだろうか。

あ、酒がのみたい今日この頃。

仕事が終わって、会社を出たんだけど、途中で財布を忘れたことに気がついた。
もうマンションの寸前で引き返して、会社に戻って外は雨だったけど、傘差さずに急いで会社の入り口まで来て、あ、そういえば、ロッカーの鍵もってきてない!ってまた急いで駐車場に引き返して、車の中を探したけど、ロッカーの鍵が入っている鞄がない、って焦って良く考えると、自分の体に鞄をかけていた。。。

と、こういう行き所のないフラストレーションのたまるドジにドッと疲れてしまって、雨の中走る気力もなくなり、とぼとぼ会社に戻って財布を取って、超久しぶりにマックに行って、メガマフィンセットにフラストレーションとともに食らいついた。

久しぶりに食べたファーストフードは感動的なほどにうまかった。。。

ようやく休みになった。
これから休みは一本は映画を見ようと考えているので、明日観にいこう。
『縞模様のパジャマの少年』でも観ようかな。
あと読書。この連休で『万延元年のフットボール』読み終えられたらいいな。

早すぎるよ~

2009年10月25日 日常
仕事、新しい部署になって、三ヶ月は教えないといわれれてた工程を三週間目ですでに教えられだしてしまった。

確かに、今まで習ってた場所は、以前やってた工程と若干似ているところがあったので、すぐに慣れたけど。。。早すぎるやろ~。
今度教えてもらう工程は、僕が今まで全くやったことのないような作業なので。。これはかなり不安とプレッシャー。

でもここの部署の人は、教え方がうまいし、あせらずゆっくりやればいいという感じなので、僕も気負わずにやっていきたい。

何より、壊れてた機械が今日改善されて、今まで3人じゃないと無理だったのが2人でできるようになったので、作業が速く進みこうやって教わる時間も取れるようになったのもでかい。。
うちの部署は三人なので、これから一人余るわけで、毎日交代で入って、余った人は、どこかのヘルプに行くことになりそう。
ということで、今日は僕が違う部署のヘルプにいった。

毎日同じ作業なので、こうやってたまに違うところにヘルプに行くのも、気分転換にいいのかもしれない。

仕事後は、同僚とジョイフルで飯。
冷蔵庫に食材もなかったし、ちょうどよかった。

飯を食って帰ったら、母親が旅行から帰って来てた。
そのまま実家に戻ると思いきや、お土産と食材を置きに一旦マンションにきたみたい。

一週間とはいかないまでも、これで数日分の食材は確保できそうなのでよかった。

もう3ヶ月くらい、銀行口座から親に渡す生活費以外で金を引き出していない。Hさんが返してくれる金だけで生活してる。1万~1万5千円くらい。やればできるもんだね~。
まあ、親のマンションだからできる話だけど。

忙しい金土を切り抜けた~。
今日(の夜)は、少しは楽になるだろう。

休みは、食材の買出しに行こうかな。

うっかりハチベエ

2009年10月24日 日常
機械の調子がやたらによくて、忙しい日にも関わらず、楽だった。
同僚と、機械の調子がいいと、疲労度が3分の1くらいになりますね~といいあってたけど、ほんと、自分たちの責任で遅くなるならわかるけど、機械の不調だけはどうにもならんからね。


マンション帰って冷蔵庫開けたら、おでんがあった。
ご飯を炊飯器に入れて、お風呂はいったら、そのまま寝てしまって、4時間後に起きた。
飯でも食おうと思ったら、米を炊飯器に入れただけで、炊いてなかった。。。
でも腹減りすぎてもう待てないので、おでんだけ温めて食った。
食い終わる頃に米がたけた。
おかずなしで米食ってもなぁ。。。

冷蔵庫の食材が尽きかけている。
もう冷蔵庫はもぬけの殻。
あとは、冷凍庫に若干冷凍食品が入っているのでそれを食って、あとはレトルトのうどんが三食。これで、来週一週間持つかな?
無理だな。

今日は株がないので、思い切り寝よう。
飯も食ったし、これからまた寝よう。

祝、半年

2009年10月23日 お仕事
今月の22日をもって、この会社に入ってからちょうど半年がたったことになった。
早いようで、長いようで、早かったな。。。
でもあと半年をまた考えると、長いな。。

僕はこの会社にあとどのくらいいるのだろ~。
さっぱり見当が付かん。

今の部署は、夏になったら毎日早出で死にそうになりそうな気がする。
でも人間はいい人たちだしねぇ。

とりあえず、もう少し景気が良くなるまでいようかな(笑)
その間に株がうまくいって、トレーダーに転身できたらベストなんだけど。

今日(の夜から)、と明日の仕事は、生産量多くなるからきついぞ~。
一時間早出。

今の部署の仕事は、確実に前の工場の仕事より体力的に楽(足がむくまない)だ!
前の部署よりも当然体力的にも精神的にも楽だ!
精神的って、大きいね。
残業がないって大きいね。

今まで会社の愚痴を色々言ってしまってきたけど、会社が、というより部署によるな、と体感する今日この頃。

でももうしばらくしたら、また新しく覚えなきゃいけないことができるんで、今だけかもしれないけど。

でんでんむし

2009年10月22日 日常
休み明けの仕事は無性にだるい。
昨日の夜に起きだして、最近は熱い玄米茶を水筒に入れてもっていってるのだけど、寝ぼけた頭で入れていたら、水筒に入れていたはずのお茶がいつの間にか僕の手の上に注がれていた。。。
で、急いで冷やしたけど、赤くなって軽いやけど。

睡眠時間はたっぷりだけど、逆に体の目が覚めないしだるいし。

そういえば夢を見ながらおきたな。
RPGみたいに仲間と旅をしていて、ついに最終ボス。
ダイアモンドを見つけたら地下にもぐりこめて、ボスにたどり着くことができるんだけど、一人がダイアモンドを発見して、俺がいってくるぜと一人で勝手に行ってしまって、僕はそこら辺をぶらついていたら宝箱を発見してそれを空けたらダイアモンドが入ってて、何処からともなく声が。「仲間が持っていったダイアモンドは偽物で、今お前が持っているのが本物だ」と。
僕はこれはいかん、仲間を助けなければとダイアモンドを持って急いで仲間のあとを追っている途中で目覚めた。

きっと前日にユーチューブでゼルダの伝説の動画を見てしまったせいだろう。

そんなこんなで、今日はたぶんこの工場に入って一番楽な日だった。
生産量も少なくて、たいした機械の不調もなくて人数もいて、早く終わりすぎてやることがないので、掃除をひたすらやってた。

こんな日が毎日だったらいいんだけどな。

同僚が世代3まわりくらい違うのにこの歌知ってるか?と歌ってくる歌が全然わからない。
あのねのねってグループ?知ってるか??(たぶん知ってるけど)とか、いきなり歌いだして「でんでんむしがでんでんむしに恋をした。でんでんむしでんでんむし全然無視」とか、「魚屋のおじさんに怒られた~、ギョッ」とか、いちいちくだらなすぎて面白い。
作業中にいきなり右乳首~っとか突いてくるし。
わ、若い。。。

映画 『のんちゃんのり弁』
http://www.noriben.com/

子持ちシングルマザーの奮闘を描いた入江喜和のコミックを、「いつか読書する日」の緒形明が映画化。主演は小西真奈美。31歳専業主婦の小巻はだらしない亭主に愛想をつかし、娘ののんちゃんを連れて母親の暮らす京島へと出戻る。のんちゃんを幼稚園に通わせて仕事を探すが、キャリアも社会常識もない小巻は次々と面接に落ち、生活のため水商売のバイトを始めるが……。


(ネタバレあり)
アニメーションで解説されるのんちゃんのり弁。
おかずを平たく重ね、サンドイッチのようにして最後にご飯とのりで締める。
子供はおかずの形で好き嫌いしたりするので、これはよいアイデアかもしれない。
見ているとおいしそうでこっちも食べたくなってくる。

主演の主婦役の小西真奈美がいい演技をしている。
僕はドラマを全く見ないし、映画も彼女が出ている作品はたぶん見たことないので、女優としての彼女は初見ということになりそうだが、気迫がよく伝わってきた。

31まで専業主婦をしていた彼女が旦那を捨てて社会でひとり立ちしようと奮闘するが、資格もない、社会のことも知らない女性に今の世が提供してくれる職はそうそうない。
夜の仕事についてはみたが、いかな生活のためとはいえ、自尊心を捨て去るほどの切実さは持ち合わせていないらしく一日で辞めてしまう。
そんな彼女がある日小料理屋で食べた鯖の味噌煮に感動し、自分の生き場所を見出すわけだが、彼女の情熱は計画に裏打ちされていない。
子供のような熱中する情熱だけである。
しかし小料理屋の亭主は、熱意に絆され、最初は拒んでいたが結果的に彼女を働かせ弟子のよう形で料理を教える。

計画性はまるでないが、結局みんな彼女の熱意に絆され、手を貸すことになる。それがやがて彼女の計画を形作っていく。そこら辺の情熱を、小西真奈美はうまく表現しているなと思う。

彼女は大人だが、子供である。
彼女という子供を周りの大人たちが手助けしているのだ。
ある日、追いかけてきた旦那と小料理屋内で諍いを起こす。
それで旦那が離婚に同意したのを決意に自分が弁当屋を出すまでの間、昼間小料理屋で弁当を売らせて欲しい、その金で責任を持って壊した店の修理代も払うという彼女に小料理屋の亭主は、叱責する。
「あなたにとって責任とは何だ?責任を取るってのは何かを捨てなきゃできないんだ」
つまり、弁当屋を開くという自分の夢を実行することにより責任を取るって言うのはなんなのだということ。
だけど、それでも小料理屋の亭主は昼間店を貸すことを了承する。
なぜならそれは彼女がまだ、誰にも拠らずに生きるということの本当の意味をしらない子供だからだ。
亭主は彼女に店を出す条件を提示する。
彼女の手を見て、「まだ子供の手だ、この手を大人の手にすること」と言う。

映画は彼女が小料理屋で弁当屋を開くところで終わり、その後店を持てるか、成功するかどうかは、読者の想像にゆだねられる訳だが、とにもかくにも、彼女は今ようやく大人としての第一歩を踏み出したわけなのである。

映画 『精神』
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php

格差社会、ひきこもり、ニート、ネットカフェ難民、ワーキング・プア、無差別殺人…自殺者数が11年連続で3万人を超える現代日本。閉塞的で孤独感がただようこの国で、誰もが「生きにくさ」を感じたことがあるのではないだろうか。『精神』は、精神科にカメラを入れ、その世界をつぶさに観察。「正気」と「狂気」の境界線を問い直し、現代人の精神のありように迫った。同時に、心に負った深い傷はどうしたら癒されるのか、正面から問いかける。



個人的には、精神障害者も健常者も変わらない、と言ってしまいたい。
だが、それを主張するには峻厳すぎる社会の、視覚化された対応の差異が、偏見という形で存在している。

そもそも健常者と障害者の境界は非情にあいまいである。
健常者といわれる人々においても、本当に健常である人などどこにもいないのだから。
しかし、現に健常者と精神病患者の区分けはどこかでなされている。
その境があるとするなら、それは視覚化され際立った差別的な対応をなされる者かなされない者かという部分にあるのだと思う。
それは個性に根ざしたものだが、つまりはそれぞれの個性を許容できない、排他しようとする人間の性質に、障害者と健常者を分かつ根源があるのだ。
その現実を度外視して、健常者と障害者の境界などない、といってしまうことは僕にはできない。

逆説的に言えば、偏見から障害を抱えている人たちの尊厳を守るためにその区別はあるのだとも言える。
僕は高校時代に障害の真似をされ続けた。当時は自分が障害であると知らなかった。真似をした輩も、当然知らない。
大学に入り、自分が障害であると知って考えた。はたして真似をした彼らが僕が障害であると知っていたなら、同じ行為をしたであろうか?ということである。それでも真似をし続ける人間も当然いただろう。しかし、障害者という区分けが、真似をされるということの幾分かの抑止力にはなり得たかもしれない。
それは、健常者の意識の中に障害者に対する憐憫や罪悪感といった新たな偏見を加えるがゆえに起こることで問題の解決には全然ならないのだが、人間の良心を信じるとするのなら、幾許かの無意識の差別を抑止する可能性はある。

障害を負った人々は、障害ゆえに劣等を感じるのではないと思う。
苦しみの大部分は、障害ゆえに際立った個性がさらされる、社会の差別的対応に劣等の念を抱き、孤独を深めるのだ。
そしてそれがそのまま、自己の障害を嫌悪する自己否定という偏見へと繋がっていく。

障害者が、自らの障害に対する健常者とのカーテン(偏見)を取り除くには、概念だけではなく実際にその社会の対応と戦っていくだけの強さが求められる。

障害の日々との格闘に加えて、さらに世間との偏見、自己のうちに抱える偏見とも戦わなければならない。それはあまりにも過酷な作業である。
一方健常者は、悪い言葉を使えばあくまで他人事である。
本人も当事者となり得ない限りその切実さを罹患者と同様に感じることのできるものなどなかなかいないのかもしれない。

患者の一人が綴った詩が印象的だ。
「何でこんなに息が詰まるのだろう。何でこんなに生き辛いのだろう。それは結局、自分で自分を裁いてしまってるからなんだろう」

障害者が自己を裁くにいたるほどに尊厳を毀損せしめたのは何なのかを我々は考えなければならない。

個性に対する無自覚の差別は、それに気付かない限り修正はできない、しかし、障害者に対して差別をする場合は、意識下にある。
障害者は、一人の人間として自信を持ち、尊厳を見出すために社会と、偏見の目と戦い、そして自分自身の中にもある障害への偏見を取り除く努力をしなければならない。
健常者は、その気持ちを汲み取り、彼らの人生、心の闇に耳を傾けることが必要だ。
お互いが歩み寄る努力をすることで、完全にではなくても健常者と障害者という枠組みをいくらかは外すことができると思う。
さらに理想をいうなら、健常者も障害者も含めて、個性に対する無自覚の差別、偏見に対しても気付き修正していく努力をしていくべだろう。

山本医師含む、こらーる岡山診療所で働くような人たちは、その希望の具現である。彼らのような健常者がいることが、たくさんの精神病罹患者にとって、まだ人間を信じることへの礎となるなるのだ。

この映画には一切モザイクがかけられていない。
そもそもモザイクをかけること自体、精神病患者を精神病患者たらしめる偏見でしかない。
精神的障害であることは彼らの尊厳を幾許も毀損させるようなものではない。彼らの苦しみ、人生もまた彼らが自信を持って示せる人間としての証なのだ。
僕がこの日記を通じて自己の透明化を目指しているのも、同様に人間としての尊厳の回復を目指してのものだ。
ゆえに僕はこの監督の決断を評価したい。

「背負う十字架が重すぎて、たくさんの人に支えられながら生きている」

人はみな十字架を背負う。
人に十字架を背負わせたのが我々人間であっても、その十字架を背負った者を支えるのもまた我々人間なのだから。

集中力を高めたい

2009年10月20日 日常
集中力を高めたい
集中力を高めたい
集中力を高めたい
午前中は株を見ていたが、まだ株価に際立った変動が見られないので、午後からは、株価の画面を映し出したまま、他に生産的なことをしようと。
それで読書をした。
普段は読んでいるうちに眠くなるのだが、今日は眠くならなかった。
今読んでいる大江健三郎もそうだけど、僕はさらりと読めない本を読むことも結構あるので、いかに一度で理解できるかを考える。
脳を活性化させるためにどういうことをすればいいだろうか。
以前ネットで見つけたことがある、砂糖を手持ちウイスキーのビンに高度に圧縮詰めして、そこにコーヒーを流し込み、それを繰り返し、超絶合法ドラックを作るというもの。
これを一口二口食べると、普段ありえない集中力となり、かすかな音すらも耳に入ってくるらしい。
しかも脳が活性化されて効率よく脳が働くので、同じ作業でも疲労度は格段に軽いというではないか。
今度作ってみようかと考え中。
しかし、これは食べ過ぎると糖尿にならないか心配だ。。。
しかし、やはりすぐさま脳を活性化させるエネルギーというとやはりカフェインと糖分ということなのだな。

株が終わってから、シネマ5に映画を観にいく。
見たい映画が二つあって、一つは来週見てもいいのだけど、ちょうど株の時間と被るので、今日一気にニ本見た。

『のんちゃんのり弁』
http://www.youtube.com/watch?v=GJxDT3T0Ip4&feature=related

『精神』
http://www.youtube.com/watch?v=JsEIZFwq5pw&hl=ja

『のんちゃんのり弁』はコミックが原作。
話は陳腐といえば陳腐、いかにも邦画的な作りだが、小西真奈美の好演が光る。
作品は役者で印象も変わってくるもので、本作では、何気に彼女の女優魂を見たような気がした。


『精神』は、予告編を見て、絶対に見ようと思っていた作品で、精神病患者にスポットを当てたドキュメンタリー。
古くから開業しているクリニック、そこの主治医と患者達のやり取り。
健常者と精神病患者を隔てているものは何なのか?
主治医の山本医師は、給料を10万しかもらってないというのに驚いた。
心の闇を直視し、向き合えるのは、同じ闇を抱えた者だけではないはずだ。それでは、健常者と障害者を分かつ偏見はいつまでたっても無くならない。
山本医師のような、他者の闇に目をそらさず対峙する存在は、そういった障害を抱えた者が、人間を信じる一縷の希望となってくれるものであるのだろうと思う。

二作とも、レビューはまた別に書く予定。

予告編を見ていると、全部の作品が面白そうに見えてくる。
節約中だけど、週に一度の映画だけは見ていこうかな。

甘いものはないか

2009年10月19日 日常
休みだぁ。

仕事終わりで朝だけど概念は夜。
だから酒を飲んでもいいだろうと朝っぱらから焼酎を飲んでみたりしたけど、あまり酔いも回らないので、ほどほどでよしといた。

物凄く甘いものを食べたかったけど、マンションにあった菓子を悉く食い散らかしてしまったのでもう食う菓子がなく、かといって買いにいったらまた無駄遣いになってしまうのでぐぐっと我慢。

今日一日は、とにかくだらだらして、明日明後日は何かしら生産性があることをやろう。

もう慣れた。

2009年10月18日 お仕事
新部署で数日、もう随分と作業が慣れてきた。
慣れてきたから、ほんとは数ヵ月後にする予定だった作業をもうそろそろさせようかという話が出ているらしくて、そこは今のとこよりも覚えることが難しそう。
そもそも、今の場所は僕が以前の部署でやっていたとこと似ていたので慣れるのも早かったけど、次に覚えなきゃいけないとこはほぼ初めて。

相当迷惑かけるだろうな。。。
でも早く覚えて慣れたほうが自分的にも気が楽になるんだろうな。
てか、ほんとに近々やるんかなぁ。

数ヵ月後にするって聞いてたから、ほんとか嘘か知らんけど、焦る。
不安になる。

ていうか、最近帰ったら眠くて、飯食っている間にいつの間にか寝てしまっていた。
今日の夜から一日頑張れば、休みだ。
楽しみだな。

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