●久々に実家に帰るもほぼ寝る。
読書をしようと持ってきた本も数ページで爆睡。
●朝起きてすぐ帰ろうと思ったけど、物凄く寒いので、ベッドから出る気にならない。
午前9時ごろ起きて飯。
このところずっと胃が痛い。胃が痛いからか心が重い。
で、母親に勧められた胃薬を飲んでみたらかなりよい。
たぶん胃酸過多なのだと思う。
胃がよくなるとだいぶ、心の重みも減る。
おかげでまた眠くなって、午後3時までまた眠る。
●連休明けの仕事前に胃が重い、心が重いのはたぶん月曜病。
僕の場合は、水曜病ということになるのか。
飲んだ胃薬、名前忘れたけど、良さそうなので、親に名前聞いて今度買ってマンションでも飲もう。
●マンションに帰っても仕事までまた眠る。
いくらでも眠れる。
読書をしようと持ってきた本も数ページで爆睡。
●朝起きてすぐ帰ろうと思ったけど、物凄く寒いので、ベッドから出る気にならない。
午前9時ごろ起きて飯。
このところずっと胃が痛い。胃が痛いからか心が重い。
で、母親に勧められた胃薬を飲んでみたらかなりよい。
たぶん胃酸過多なのだと思う。
胃がよくなるとだいぶ、心の重みも減る。
おかげでまた眠くなって、午後3時までまた眠る。
●連休明けの仕事前に胃が重い、心が重いのはたぶん月曜病。
僕の場合は、水曜病ということになるのか。
飲んだ胃薬、名前忘れたけど、良さそうなので、親に名前聞いて今度買ってマンションでも飲もう。
●マンションに帰っても仕事までまた眠る。
いくらでも眠れる。
●シネマ5にてアンジェイ・ワイダ監督『カティンの森』(http://katyn-movie.com/pc/)鑑賞。
http://www.youtube.com/watch?v=tzZG5KjlA8s&feature
ワイダはポーランドの過酷な歴史から目を背けずに常に社会性のある映画を撮り続けてきた真摯な監督であり、その芸術性においても多くの古典を生み出したいわずと知れた巨匠。
彼の作品は、かなり難解なのも多かったけど、かなり見ている好きな監督だ。
カティンの森は、監督がずっと描きたかったけど冷戦下のロシアでは到底製作不可能だった作品で、今日になってようやく実現したといったところだろう。
そういう意味でも、もっともワイダにとて重要な作品といえるかもしれない。
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両方にポーランドは侵攻され、ロシアの捕虜となったポーランド人の一万人以上がカティンで惨殺されたが、ロシアはこれをドイツが行った残虐行為として、国民に流布した。
捕虜として死の時までメモ帳に起こったことを記録した一人の将校や、彼の親族たちを中心とした、事実を基にした物語である。
ワイダにとって何故この作品が特別なのかといえば、彼の父親もまた、このカティンの森事件の犠牲者であるからだ。
捕虜となった夫を待つ妻、父を待つ娘。また将校の友人で同じ捕虜でありながら生き残ったものたちの真実と苦悩。
戦後なお、ロシアの隠蔽に抗し続ける者や、またその時代の変化を受け入れていく者達、ポーランドの辿った苦難の歴史が如実に描かれている。
国境を持たず、また形式上主権を奪われたことの無い日本に住んでいると国民としてのアイデンティティが希薄になる、というか僕は彼らの苦しみを想像したところで実質的に感じとることは不可能なのかもしれない。
ポーランド人としての尊厳、ポーランドの苦難の歴史をリアルに生きた人間にしか持ち得ないポーランド人というアイデンティティ無しにはこの映画は作りえないだろうと思う。
●トキハでコンバースのスニーカー購入。
ずっとはいてきたスニーカーはもう穴が開いていて、雨の日などは水が入って冷たかったそれでも履き続けてきたわけだけど、穴さえ開かなければまだまだ買い換えるつもりも無かったんだけどね。
地下食品売り場で、おばちゃんたちにホワイトデーに配るお菓子を物色。日持ちがしそうでかつ数ができるだけ多く入っているのがいい。
フルーツゼリーを砂糖でコーティングしたキャンデーみたいなのが50個入りであったのでそれにした。
●散髪に行こうと思っていたけど行く時間がなさそうなので、断念。
一旦マンションに帰って、薬局に行って花粉症用の薬「ボレノン」を探すけど無い。
今度はドンキに行って、電子タバコを探す。これはあったけど1万以上もする。高い。
ネットで調べたところ、国内産で1万以上するのはまずボッタクリだという情報を入手していたので、ネットで買うことにする。
まずは1000円で買えるのから初めて、電子タバコは壊れやすいので(初心者は必ずすぐに壊すらしい)、使い方が慣れるまでそれを吸って、壊さないようになったら、外国製のいいやつを買うことにする。
●車のオイルを換えに行く。
ブレーキのスモールランプが切れてたり、契約の更新だとか色々時間がかかって結局1時間半位そこで時間を食うことに。
金もそこそこかかる。
●そのまま実家に帰って、それから家族で田舎に。
亡くなった伯父の法要でお経を唱える。
二時間後実家に帰宅。
今日は実家に泊まることにする。
飯食って就寝。
夜、風が異常に強い。
http://www.youtube.com/watch?v=tzZG5KjlA8s&feature
ワイダはポーランドの過酷な歴史から目を背けずに常に社会性のある映画を撮り続けてきた真摯な監督であり、その芸術性においても多くの古典を生み出したいわずと知れた巨匠。
彼の作品は、かなり難解なのも多かったけど、かなり見ている好きな監督だ。
カティンの森は、監督がずっと描きたかったけど冷戦下のロシアでは到底製作不可能だった作品で、今日になってようやく実現したといったところだろう。
そういう意味でも、もっともワイダにとて重要な作品といえるかもしれない。
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両方にポーランドは侵攻され、ロシアの捕虜となったポーランド人の一万人以上がカティンで惨殺されたが、ロシアはこれをドイツが行った残虐行為として、国民に流布した。
捕虜として死の時までメモ帳に起こったことを記録した一人の将校や、彼の親族たちを中心とした、事実を基にした物語である。
ワイダにとって何故この作品が特別なのかといえば、彼の父親もまた、このカティンの森事件の犠牲者であるからだ。
捕虜となった夫を待つ妻、父を待つ娘。また将校の友人で同じ捕虜でありながら生き残ったものたちの真実と苦悩。
戦後なお、ロシアの隠蔽に抗し続ける者や、またその時代の変化を受け入れていく者達、ポーランドの辿った苦難の歴史が如実に描かれている。
国境を持たず、また形式上主権を奪われたことの無い日本に住んでいると国民としてのアイデンティティが希薄になる、というか僕は彼らの苦しみを想像したところで実質的に感じとることは不可能なのかもしれない。
ポーランド人としての尊厳、ポーランドの苦難の歴史をリアルに生きた人間にしか持ち得ないポーランド人というアイデンティティ無しにはこの映画は作りえないだろうと思う。
●トキハでコンバースのスニーカー購入。
ずっとはいてきたスニーカーはもう穴が開いていて、雨の日などは水が入って冷たかったそれでも履き続けてきたわけだけど、穴さえ開かなければまだまだ買い換えるつもりも無かったんだけどね。
地下食品売り場で、おばちゃんたちにホワイトデーに配るお菓子を物色。日持ちがしそうでかつ数ができるだけ多く入っているのがいい。
フルーツゼリーを砂糖でコーティングしたキャンデーみたいなのが50個入りであったのでそれにした。
●散髪に行こうと思っていたけど行く時間がなさそうなので、断念。
一旦マンションに帰って、薬局に行って花粉症用の薬「ボレノン」を探すけど無い。
今度はドンキに行って、電子タバコを探す。これはあったけど1万以上もする。高い。
ネットで調べたところ、国内産で1万以上するのはまずボッタクリだという情報を入手していたので、ネットで買うことにする。
まずは1000円で買えるのから初めて、電子タバコは壊れやすいので(初心者は必ずすぐに壊すらしい)、使い方が慣れるまでそれを吸って、壊さないようになったら、外国製のいいやつを買うことにする。
●車のオイルを換えに行く。
ブレーキのスモールランプが切れてたり、契約の更新だとか色々時間がかかって結局1時間半位そこで時間を食うことに。
金もそこそこかかる。
●そのまま実家に帰って、それから家族で田舎に。
亡くなった伯父の法要でお経を唱える。
二時間後実家に帰宅。
今日は実家に泊まることにする。
飯食って就寝。
夜、風が異常に強い。
考えるのをやめたとき 僕は怪物になった
2010年3月8日 日常
●うちの会社に勤続12年くらいのおばちゃんが今月一杯で辞めるらしい。その人は、もともと僕の部署で、僕が入る代わりにその人は違う部署に行ったのだけど、その人は、今の僕の部署に万が一穴が開いたら入ることができる唯一の人だったので、その人がいなくなると、うちの部署が二人休んだりするとかなり大変なことになってきそう。
だけどその人はもう定年過ぎてるし、旦那さんとともに田舎に帰るんだそう。お疲れ様でした。
●帰ってすぐに眠ってから、夕方起きてキネマ旬報の文化映画部門一位だった『沈黙を破る』を観にシネマ5へ。
O君から、別府タワーであるオンチ映画祭へ誘われたけど、『沈黙を破る』は、短い期間での上映で、この日が最後だったので見逃せなかったので、O君の誘いを断らざるを得なかった。
●『沈黙を破る』 監督:土井敏邦
http://www.youtube.com/watch?v=VP0eXNjDxIY&feature
イスラエル・パレスチナ問題を双方の側から長年にわたって取材したドキュメンタリー。
イスラエルパレスチナの歴史的問題に切り込むのではなく、戦争や紛争で表れる人間の姿や、そこに孕む問題を描き出すことに焦点を置いている。
「沈黙を破る」とは、元イスラエル兵達が立ち上げた組織である。
沈黙とは、培った道徳心や良心に対して自問することへの沈黙を意味する。
自分たちはまさしく正義の軍隊だと信じて行ってきた行為には、到底人道的に受け入れがたいたくさんの残忍さが潜んでいる、その残忍さを考えていては、任務は遂行できない、
パレスチナ人を人間と思うな。
彼らは「考えない」という選択をし、感情を切り離し任務を遂行する、そしてその行為を繰り返すうち、あたかもゲームのように現実感が麻痺し、人間性が喪失していき、行動はエスカレートしていく。
「ある日、自分の姿を鏡でみてみると、頭から角が生えていた」
彼らは、兵士達の置かれている現状を元兵士だった経験を元に人々に伝え、「考えない」事から脱却し、自分自身と向き合うことを訴えかける。
人間の前に国家や民族が来るのか、国家や民族の前に人間として考えるのか。
戦争は人間を一種の麻痺状態へと導き、思考停止にさせる。
しかし兵役を追え普通の日常の中に戻ったとき、戦地での行為の記憶は、再び動き出した人間性、良心という形で、彼らを窮地に追い込む。
兵士達の多くは多くの無辜の人々を殺害しても、国からその罪は問われない。
しかし、正常な人間である限り、麻痺が解けた暁には自分の咎として重くそのものの人生にのしかかってくるのである。
兵役を終えた多くの者達は、これまでと全く違った土地へいったりドラックをやったり、対極の世界で全く違う経験をすることでそれらの呵責から自分を浄化しようとする。
この「沈黙を破る」という活動もそういった浄化の一つの結果であるのだろう。
組織の顧問は15歳の娘をパレスチナ人に殺された。
「もちろん憎しみはある。私の娘は彼らに殺された。私にとって彼らは間違いなくテロリストです。しかし、何故彼らは自爆してまでテロをしようと思うのか、結果ではなく、結果を引き出した原因を突き止めなければ問題は収まりません。
狭い中に包囲されている状態でさらに攻め込まれれば当然彼らは噛み付いてきます。
復讐は復讐しか生みません。
結局は言葉で解決するしかないんです。どん人間であっても、話し合いです」
●明日の計画。
花粉症対策のボレノンを探す(無ければネット注文)
Hさんが入れてくれたお金から2万下ろす。
ドンキで電子タバコ探す(無ければネット注文)
映画を観にいく(1本、もしくは2本)
会社のおばちゃんたちへ、ホワイトデーのお返しを箱買いする。
スニーカーを買う
散髪に行く
伯父の法要で田舎にお経をあげに行く
だけどその人はもう定年過ぎてるし、旦那さんとともに田舎に帰るんだそう。お疲れ様でした。
●帰ってすぐに眠ってから、夕方起きてキネマ旬報の文化映画部門一位だった『沈黙を破る』を観にシネマ5へ。
O君から、別府タワーであるオンチ映画祭へ誘われたけど、『沈黙を破る』は、短い期間での上映で、この日が最後だったので見逃せなかったので、O君の誘いを断らざるを得なかった。
●『沈黙を破る』 監督:土井敏邦
http://www.youtube.com/watch?v=VP0eXNjDxIY&feature
イスラエル・パレスチナ問題を双方の側から長年にわたって取材したドキュメンタリー。
イスラエルパレスチナの歴史的問題に切り込むのではなく、戦争や紛争で表れる人間の姿や、そこに孕む問題を描き出すことに焦点を置いている。
「沈黙を破る」とは、元イスラエル兵達が立ち上げた組織である。
沈黙とは、培った道徳心や良心に対して自問することへの沈黙を意味する。
自分たちはまさしく正義の軍隊だと信じて行ってきた行為には、到底人道的に受け入れがたいたくさんの残忍さが潜んでいる、その残忍さを考えていては、任務は遂行できない、
パレスチナ人を人間と思うな。
彼らは「考えない」という選択をし、感情を切り離し任務を遂行する、そしてその行為を繰り返すうち、あたかもゲームのように現実感が麻痺し、人間性が喪失していき、行動はエスカレートしていく。
「ある日、自分の姿を鏡でみてみると、頭から角が生えていた」
彼らは、兵士達の置かれている現状を元兵士だった経験を元に人々に伝え、「考えない」事から脱却し、自分自身と向き合うことを訴えかける。
人間の前に国家や民族が来るのか、国家や民族の前に人間として考えるのか。
戦争は人間を一種の麻痺状態へと導き、思考停止にさせる。
しかし兵役を追え普通の日常の中に戻ったとき、戦地での行為の記憶は、再び動き出した人間性、良心という形で、彼らを窮地に追い込む。
兵士達の多くは多くの無辜の人々を殺害しても、国からその罪は問われない。
しかし、正常な人間である限り、麻痺が解けた暁には自分の咎として重くそのものの人生にのしかかってくるのである。
兵役を終えた多くの者達は、これまでと全く違った土地へいったりドラックをやったり、対極の世界で全く違う経験をすることでそれらの呵責から自分を浄化しようとする。
この「沈黙を破る」という活動もそういった浄化の一つの結果であるのだろう。
組織の顧問は15歳の娘をパレスチナ人に殺された。
「もちろん憎しみはある。私の娘は彼らに殺された。私にとって彼らは間違いなくテロリストです。しかし、何故彼らは自爆してまでテロをしようと思うのか、結果ではなく、結果を引き出した原因を突き止めなければ問題は収まりません。
狭い中に包囲されている状態でさらに攻め込まれれば当然彼らは噛み付いてきます。
復讐は復讐しか生みません。
結局は言葉で解決するしかないんです。どん人間であっても、話し合いです」
●明日の計画。
花粉症対策のボレノンを探す(無ければネット注文)
Hさんが入れてくれたお金から2万下ろす。
ドンキで電子タバコ探す(無ければネット注文)
映画を観にいく(1本、もしくは2本)
会社のおばちゃんたちへ、ホワイトデーのお返しを箱買いする。
スニーカーを買う
散髪に行く
伯父の法要で田舎にお経をあげに行く
タイムスリップ絵葉書
2010年3月7日 日常●健康診断の結果を見た。
ほとんどがA。問題なし。背骨だけ先天的背骨歪曲でB判定。
どこも問題無しなので心臓の近辺が痛かったのも背中の筋肉が凝っていたからか何かだろう。
●今年10月にタバコが値上げされるらしいので、僕もそろそろ禁煙しようかなと考えている。
もともとあんまり体に合わないし。
だけど、不安感が強いときとか、風呂上りや飯後には無性に吸いたくなることがあるのも事実。
で、電子タバコに注目してる。
会社の休憩時間とか、みんなが吸っていたら吸いたくなっちゃうだろうし。手持ち無沙汰な感覚もなんだし。
海外では、タールを含まないニコチン入りの水蒸気なんだけど、日本の場合薬事法に引っかかるので、ニコチン入りは無い。
全くの水蒸気だけど、タバコ味なので、タバコを吸っている感はあるのだと思う。
今まで電子タバコは値段が高いので買わずにいたけど、安い電子タバコもあるらしい。
ドンキに売ってるらしいので、とりあえずそれを購入してみて、ネットで色々調べてから、それから本格的に検討してみようかな。
●車のオイルを交換しなきゃ。
スニーカー買わなきゃ。散髪しなきゃ。
花粉症用の顔面噴射ボレノンを探さなきゃ。
映画見なきゃ。
今日の仕事が終わったら結構やることがある。
実行するかどうかはわからないけど(金もかかるし)、先週は一日しか休みが無かったから、2日連休が楽しみで仕方が無い。
●タイムスリップ絵葉書が届いた。
去年、無職の時にO君、Aさんと湯布院美術館に行って、Aさんが僕にO君がAさんに、僕がO君に(だったっけ?)当ててそれぞれ絵葉書を一年後の3月7日に向けてだした。
それぞれ書いた絵や文章は見せなかったけど、Aさんは、景色じゃなくて長いすを書いてた(笑)
もう一年も経つんだなぁ。
ほんとすっかり忘れてた、こういうのもいいね。
ほとんどがA。問題なし。背骨だけ先天的背骨歪曲でB判定。
どこも問題無しなので心臓の近辺が痛かったのも背中の筋肉が凝っていたからか何かだろう。
●今年10月にタバコが値上げされるらしいので、僕もそろそろ禁煙しようかなと考えている。
もともとあんまり体に合わないし。
だけど、不安感が強いときとか、風呂上りや飯後には無性に吸いたくなることがあるのも事実。
で、電子タバコに注目してる。
会社の休憩時間とか、みんなが吸っていたら吸いたくなっちゃうだろうし。手持ち無沙汰な感覚もなんだし。
海外では、タールを含まないニコチン入りの水蒸気なんだけど、日本の場合薬事法に引っかかるので、ニコチン入りは無い。
全くの水蒸気だけど、タバコ味なので、タバコを吸っている感はあるのだと思う。
今まで電子タバコは値段が高いので買わずにいたけど、安い電子タバコもあるらしい。
ドンキに売ってるらしいので、とりあえずそれを購入してみて、ネットで色々調べてから、それから本格的に検討してみようかな。
●車のオイルを交換しなきゃ。
スニーカー買わなきゃ。散髪しなきゃ。
花粉症用の顔面噴射ボレノンを探さなきゃ。
映画見なきゃ。
今日の仕事が終わったら結構やることがある。
実行するかどうかはわからないけど(金もかかるし)、先週は一日しか休みが無かったから、2日連休が楽しみで仕方が無い。
●タイムスリップ絵葉書が届いた。
去年、無職の時にO君、Aさんと湯布院美術館に行って、Aさんが僕にO君がAさんに、僕がO君に(だったっけ?)当ててそれぞれ絵葉書を一年後の3月7日に向けてだした。
それぞれ書いた絵や文章は見せなかったけど、Aさんは、景色じゃなくて長いすを書いてた(笑)
もう一年も経つんだなぁ。
ほんとすっかり忘れてた、こういうのもいいね。
●僕は会社で色んな呼びかたをされるわけだけど、30歳にも関わらず、契約社員の中で最年少(最近入った新人さんは僕より下だろうか?)だからか、にいちゃん、にいさん、はまだいいけど、仲がいい人になると、ぼっちゃん、とか○○○(僕の下の名前)ちゃんとか呼んでくる人がいる。
世代が一回りもふた周りも違ってくると僕もまだまだ子供なのだろうな。思ったけど、うちの会社の平均年齢って何歳になるんだろう。
●昨日マンションで心臓っぽい部分がまた急激に痛くなってベッドでしばらくうずくまってた。
首スジあたりがつったようになって、胸の中が苦し痛い。
でも心臓なのか、心臓の周りの筋肉なのか、背中なのかよくわからない。
腹減りすぎててなった可能性もある。
背中が凝ったときにたまになるので、背中の凝りが原因だと思っているけど、どうなんだろう。
風呂に入ったら治ったけど。
という話を会社の休憩中にしたら、タバコが体に合わんのや~って言われた。
でも心臓あたりが痛いのってタバコ吸いだす前からあったから、タバコではないと思うし。
この前の健康診断の結果が会社にあったけどまだ取ってない。
どっか悪かったら再検査とかなるだろ。
精密検査とかなったりして。
世代が一回りもふた周りも違ってくると僕もまだまだ子供なのだろうな。思ったけど、うちの会社の平均年齢って何歳になるんだろう。
●昨日マンションで心臓っぽい部分がまた急激に痛くなってベッドでしばらくうずくまってた。
首スジあたりがつったようになって、胸の中が苦し痛い。
でも心臓なのか、心臓の周りの筋肉なのか、背中なのかよくわからない。
腹減りすぎててなった可能性もある。
背中が凝ったときにたまになるので、背中の凝りが原因だと思っているけど、どうなんだろう。
風呂に入ったら治ったけど。
という話を会社の休憩中にしたら、タバコが体に合わんのや~って言われた。
でも心臓あたりが痛いのってタバコ吸いだす前からあったから、タバコではないと思うし。
この前の健康診断の結果が会社にあったけどまだ取ってない。
どっか悪かったら再検査とかなるだろ。
精密検査とかなったりして。
●大学時代、僕が通っていたある大学病院の医師から、『いやな気分よさようなら』(http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn168.html)という本を勧められた。
相当な厚さのこの本は、タイトルこそ陳腐だけど、内容は、そこらの精神啓蒙書とは一線を画する。
世界で300万部以上売れ、認知療法のバイブルであり、現在医師が治療で使う「読書療法」においてもっとも使用されている書籍らしい。
技術というのは根拠がある。
この本は認知療法の本だけど、多くのメンタル本と違うのは、数多くの臨床による診断や研究から、統計的にデータとして効果が高いと根拠付けられた、精神を向上、または改善させるための合理的なプログラムであるという点だ。
認知療法はまず、「感情が思考を作る」のではなく、「思考が感情を生み出す」という認識に立つことを出発点とする。
状況は状況そのものでしかない、それをどう捉えるかによって人はその状況に対して、「喜び」や「悲しみ」という感情を抱く。
そして、抑鬱傾向にあるような物事を悲観的に見る人には、ある一定の法則(後日記載)が見られるのであり、その結果、自分で自分を攻撃してしまい疲弊し生きる気力を失ってしまうことになる。
しかしながら、それは物事の正しい認識ではなく、状況の認知に「歪み」が生じている。
その歪みを修正していくのが認知療法である。
僕はこの本に出会う前からそれっぽいことをやっていたけど、この本は実に体系的に認知のゆがみから来る思考の矛盾を解き明かしてくれていて、そしてその修正訓練も書かれている。簡単に言えば、内省を行う際の、考える筋道を示してくれる技術だ。
この認知療法は、もともと精神科医が専門的に患者に施す治療法であったのだけど、それを患者自身で改善にあたれるようにと一般書にして販売された。
この本は、抑欝患者のために書かれた本だけど、抑鬱傾向に無い人も、多かれ少なかれ、どこかで歪んだ認知を行っている。
某番組でオリンピック特集で取り上げられたメンタルトレーニング。
どのようなトレーニングをするのかの紹介もあったが、まさにそれは認知療法だった。
つまり、認知療法は、抑うつにない人にとっても精神力を向上させ、より快適な生活を送るため、自分の能力を引き出すための非常に有益なトレーニング技術だといえると思う。
筋肉は、正しいトレーニングをすることで血流が増え、また筋繊維が肥大し、質量も増え、運動能力も高まる。
脳の作用にも面白いデータがある。抑鬱傾向にある人が認知療法、また強迫性障害にあるものが四段階方式(認知療法と似た(基づいた?)強迫患者用のプログラム)を行い症状が改善された人は、脳の使用される部分の血流が変化していたというものである。
つまり、これはメンタルもきちんとした技術でトレーニングすることで、改善や向上が図れるということを意味する。
僕は今まで、本格的にこの認知療法をやっていなかったけど(それでもかなりの改善はみられた)、今後自分の対人不信や対人緊張、社会不安、顔面神経痙攣、強迫性障害などの弊害を克服するために、認知療法のトレーニングを本格的に行っていこうと思っている。
相当な厚さのこの本は、タイトルこそ陳腐だけど、内容は、そこらの精神啓蒙書とは一線を画する。
世界で300万部以上売れ、認知療法のバイブルであり、現在医師が治療で使う「読書療法」においてもっとも使用されている書籍らしい。
技術というのは根拠がある。
この本は認知療法の本だけど、多くのメンタル本と違うのは、数多くの臨床による診断や研究から、統計的にデータとして効果が高いと根拠付けられた、精神を向上、または改善させるための合理的なプログラムであるという点だ。
認知療法はまず、「感情が思考を作る」のではなく、「思考が感情を生み出す」という認識に立つことを出発点とする。
状況は状況そのものでしかない、それをどう捉えるかによって人はその状況に対して、「喜び」や「悲しみ」という感情を抱く。
そして、抑鬱傾向にあるような物事を悲観的に見る人には、ある一定の法則(後日記載)が見られるのであり、その結果、自分で自分を攻撃してしまい疲弊し生きる気力を失ってしまうことになる。
しかしながら、それは物事の正しい認識ではなく、状況の認知に「歪み」が生じている。
その歪みを修正していくのが認知療法である。
僕はこの本に出会う前からそれっぽいことをやっていたけど、この本は実に体系的に認知のゆがみから来る思考の矛盾を解き明かしてくれていて、そしてその修正訓練も書かれている。簡単に言えば、内省を行う際の、考える筋道を示してくれる技術だ。
この認知療法は、もともと精神科医が専門的に患者に施す治療法であったのだけど、それを患者自身で改善にあたれるようにと一般書にして販売された。
この本は、抑欝患者のために書かれた本だけど、抑鬱傾向に無い人も、多かれ少なかれ、どこかで歪んだ認知を行っている。
某番組でオリンピック特集で取り上げられたメンタルトレーニング。
どのようなトレーニングをするのかの紹介もあったが、まさにそれは認知療法だった。
つまり、認知療法は、抑うつにない人にとっても精神力を向上させ、より快適な生活を送るため、自分の能力を引き出すための非常に有益なトレーニング技術だといえると思う。
筋肉は、正しいトレーニングをすることで血流が増え、また筋繊維が肥大し、質量も増え、運動能力も高まる。
脳の作用にも面白いデータがある。抑鬱傾向にある人が認知療法、また強迫性障害にあるものが四段階方式(認知療法と似た(基づいた?)強迫患者用のプログラム)を行い症状が改善された人は、脳の使用される部分の血流が変化していたというものである。
つまり、これはメンタルもきちんとした技術でトレーニングすることで、改善や向上が図れるということを意味する。
僕は今まで、本格的にこの認知療法をやっていなかったけど(それでもかなりの改善はみられた)、今後自分の対人不信や対人緊張、社会不安、顔面神経痙攣、強迫性障害などの弊害を克服するために、認知療法のトレーニングを本格的に行っていこうと思っている。
●某番組を見ていたら、オリンピック選手のメンタルトレーニングの特集してて、日本は冬季オリンピックに参加した選手の中で、メンタルトレーニングを受けているのは5人しかいないとのこと。
精神的な分野において、日本は欧米に比べてすごく遅れているという認識を僕も実際持っている。
僕は精神は肉体と同じで鍛えるのにも、治すのにも技術、テクニックがある、という考えだけど、日本は宗教観というか、アニミズム的な観点からも、精神を科学的に捉えることに抵抗を感じているのではないかと思うことがある。
技術ってのはつまり根拠があり合理的であり、論理的であること。
日本人の精神性について考えるとき、日本人の学問や時間、計画などに対する論理的な姿勢とは似ても似つかないある意味、呪術的な信仰を持っているように感じる。
それは武士道などにも繋がるものだけど、今は無くなってきたけど、昔は耐えるということが精神の鍛錬になるという風潮も強かったように思うし、そういうのも呪術的な思い込みによる精神の捉え方の一つの例といえる。
日本人精神はそれゆえに美しく洗練されてもいると感じる部分もあるけど、また愚劣であって偏見に満ちてもいるとも思う。
番組のコメンテーターが言ってたけど、「精神力なんて人に教えられてつくものなのか?」って言葉、オリンピックの日本人選手のうち5人しかメンタルトレーニングを受けていなかったわけだし、それは経済的な理由もあるかもしれないけど、そういう面を(競技の)協会だの国だのが選手をサポートしないことから考えても、日本人はコメンテーターの言っていたような意識が他の多くの人達にも働いているのか無いのかわからないけど、結果としては精神を大切にするはずの日本人が根拠無き偏見によって精神というものを軽視することになってしまっているように思う。
体の故障は手術という医学の技術で治すことができるわけだし、運動能力は確立されたプログラムの訓練によって向上を図ることができる、ならば精神も、実際的に考えれば脳が作り出す作用なわけだから、それは体の器官の働きといえるわけだから、精神だけ別個に考えて、教えられても鍛えられない、治療できないと考えるのはおかしい。
(続く)
精神的な分野において、日本は欧米に比べてすごく遅れているという認識を僕も実際持っている。
僕は精神は肉体と同じで鍛えるのにも、治すのにも技術、テクニックがある、という考えだけど、日本は宗教観というか、アニミズム的な観点からも、精神を科学的に捉えることに抵抗を感じているのではないかと思うことがある。
技術ってのはつまり根拠があり合理的であり、論理的であること。
日本人の精神性について考えるとき、日本人の学問や時間、計画などに対する論理的な姿勢とは似ても似つかないある意味、呪術的な信仰を持っているように感じる。
それは武士道などにも繋がるものだけど、今は無くなってきたけど、昔は耐えるということが精神の鍛錬になるという風潮も強かったように思うし、そういうのも呪術的な思い込みによる精神の捉え方の一つの例といえる。
日本人精神はそれゆえに美しく洗練されてもいると感じる部分もあるけど、また愚劣であって偏見に満ちてもいるとも思う。
番組のコメンテーターが言ってたけど、「精神力なんて人に教えられてつくものなのか?」って言葉、オリンピックの日本人選手のうち5人しかメンタルトレーニングを受けていなかったわけだし、それは経済的な理由もあるかもしれないけど、そういう面を(競技の)協会だの国だのが選手をサポートしないことから考えても、日本人はコメンテーターの言っていたような意識が他の多くの人達にも働いているのか無いのかわからないけど、結果としては精神を大切にするはずの日本人が根拠無き偏見によって精神というものを軽視することになってしまっているように思う。
体の故障は手術という医学の技術で治すことができるわけだし、運動能力は確立されたプログラムの訓練によって向上を図ることができる、ならば精神も、実際的に考えれば脳が作り出す作用なわけだから、それは体の器官の働きといえるわけだから、精神だけ別個に考えて、教えられても鍛えられない、治療できないと考えるのはおかしい。
(続く)
●花粉症ってのは、鼻と目をケアすれば楽になるというものではないんだね。花粉の粒子が毛穴に入るのかわからないけど、春は肌がごわごわする。アトピーも出やすくなる。
だから顔全体をケアするものはないか。
あった。これ、えらい評価高いのですごい気になるんだけど。
試しに購入してみようかと思う。
ボレノンとかいうの
http://www.amazon.co.jp/BBK%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA-%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3/dp/B001VA8HC6/ref=pd_sim_hpc_4
●花粉メガネはいい感じ。でも鼻フィルターはいまいち違和感がある。
●フィギュアの動画で見つけた。
これはすごい。
まさに文化の融合。
だけど演じにくそうな感じがするけどね。
http://www.youtube.com/watch?v=oJ-ZCTudYms&feature
だから顔全体をケアするものはないか。
あった。これ、えらい評価高いのですごい気になるんだけど。
試しに購入してみようかと思う。
ボレノンとかいうの
http://www.amazon.co.jp/BBK%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA-%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3/dp/B001VA8HC6/ref=pd_sim_hpc_4
●花粉メガネはいい感じ。でも鼻フィルターはいまいち違和感がある。
●フィギュアの動画で見つけた。
これはすごい。
まさに文化の融合。
だけど演じにくそうな感じがするけどね。
http://www.youtube.com/watch?v=oJ-ZCTudYms&feature
●花粉の季節。
まだあまり時下くい症状は表れないけどL表れてからでは遅いので、生活費を出金しに行くついでに、ドラッグストアによって恒例の花粉症対策グッズを購入することにした。
マンションに去年買ったアレルギー用の目薬はあるし、今年は花粉用のメガネと鼻の穴に装着したらかふんを99パーセント防げるっていうフィルター(http://item.rakuten.co.jp/cherrypink/goods-4/)を買うことにした。
メガネは、二つあって、一つは2000円以上したけど、安いやつとの違いがわからなかったので、安い900円の伊達メガネチックなの(http://store.shopping.yahoo.co.jp/drug/a4990097953876.html)を買った。
飲み薬は嫌い。
眠くなるしボーっとするし、口の中は異常に乾くし。
ここ数年飲み薬は服用してない。
今は花粉症グッズも色々出ているので飲み薬なしでも何とかやりとおせる。いいグッズを色々試していく中で発見していきたい。
●生活費のほかに、証券会社に4万入金。
また日本アジアをナンピン。
●昼は近くのラーメン屋 菊の屋で黒ラーメン。
替え玉大盛り無料のキャンペーン期間中だった。
まだあまり時下くい症状は表れないけどL表れてからでは遅いので、生活費を出金しに行くついでに、ドラッグストアによって恒例の花粉症対策グッズを購入することにした。
マンションに去年買ったアレルギー用の目薬はあるし、今年は花粉用のメガネと鼻の穴に装着したらかふんを99パーセント防げるっていうフィルター(http://item.rakuten.co.jp/cherrypink/goods-4/)を買うことにした。
メガネは、二つあって、一つは2000円以上したけど、安いやつとの違いがわからなかったので、安い900円の伊達メガネチックなの(http://store.shopping.yahoo.co.jp/drug/a4990097953876.html)を買った。
飲み薬は嫌い。
眠くなるしボーっとするし、口の中は異常に乾くし。
ここ数年飲み薬は服用してない。
今は花粉症グッズも色々出ているので飲み薬なしでも何とかやりとおせる。いいグッズを色々試していく中で発見していきたい。
●生活費のほかに、証券会社に4万入金。
また日本アジアをナンピン。
●昼は近くのラーメン屋 菊の屋で黒ラーメン。
替え玉大盛り無料のキャンペーン期間中だった。
●最近、一日一食がつんと食べるほかはあまり食べていないので、さぞや体重も減っているだろうと思いきや、体重計煮のてみると54キロと二キロも増えていた。
少ない食事に体がなれて代謝が低くなったのか?
それと仕事に慣れて以前よりも本質的なストレスが自覚なしに軽減して知らないところで結構食べてしまっているのか?
いずれにせよ、痩せすぎだったので体重が少し戻っても全然大丈夫だけど。
●会社のスノボーを誘っていた社員が、今度は「で、いつ飲みに行く?」と今度は酒飲みに誘ってきだした。
酒飲むのは筋肉痛にならないし全然いいわけだけどね。
●外出しようと思っていたけど外は雨なので辞めといた。
今週は2本映画を見ようと思っていたけど明日の休日出勤で中止。
遊びのプライベートを用事といって仕事を断る度胸が僕にはない。
でも観たい映画の一つは今週一週間しかないので、もう観れない。
まあ、どうしても見たい奴じゃなかったからしょうがないとあきらめる。
●散髪と映画と、車のオイル交換は来週に持ち越し。
なので来週休出頼まれても絶対断ろうっと。
自分の部署以外の場合はね。
●とりあえず、睡眠不足解消。
少ない食事に体がなれて代謝が低くなったのか?
それと仕事に慣れて以前よりも本質的なストレスが自覚なしに軽減して知らないところで結構食べてしまっているのか?
いずれにせよ、痩せすぎだったので体重が少し戻っても全然大丈夫だけど。
●会社のスノボーを誘っていた社員が、今度は「で、いつ飲みに行く?」と今度は酒飲みに誘ってきだした。
酒飲むのは筋肉痛にならないし全然いいわけだけどね。
●外出しようと思っていたけど外は雨なので辞めといた。
今週は2本映画を見ようと思っていたけど明日の休日出勤で中止。
遊びのプライベートを用事といって仕事を断る度胸が僕にはない。
でも観たい映画の一つは今週一週間しかないので、もう観れない。
まあ、どうしても見たい奴じゃなかったからしょうがないとあきらめる。
●散髪と映画と、車のオイル交換は来週に持ち越し。
なので来週休出頼まれても絶対断ろうっと。
自分の部署以外の場合はね。
●とりあえず、睡眠不足解消。
●仕事中、変頭痛に見舞われる。
休憩中に最近飯をあまり食べないからかな。
腹が減ると偏頭痛が起こりやすくなる。
マンションに帰ってすぐにチョコレートを貪り食う。
甘いもの、糖分は血糖値をすぐにあげてくれるので、変頭痛を取るにはもってこいだ。
●3月3日のひな祭りの前日は激忙しい。
そうです、3月2日、僕は休出。
振り替えは。。。今、人が足りないからたぶん無いかな。
あうぅ。
●浅田真央は人間的に素晴らしいと思う。
まあ、画面を通してしか僕はわかりえないんだけど、あの自然な涙に、底知れない純粋さを感じる。
素直、純粋。
この動画観て、僕も号泣。
http://www.youtube.com/watch?v=ST3d78ADcRM&feature
姉の顔見て出てくる涙。一緒に頑張って歩んでくれた、家族の絆や愛情の深さがこの涙という果実になったのさ。
そう、この涙は、インタビューの時の自分に対する悔しさの涙(これもまた美しかったけど)とはまた違う、なんてんだろ、もっと明るくあたたかい、家族や友人、応援してくれた人たちへの感謝の涙、これまでの努力が銀メダルという成果となって表れた、自分に対してよく頑張ったよ、おめでとうっていう包み込む涙、だと思うのよ。勝手な解釈だけど。
●今日はガオラで、テニスの錦織圭の復帰第一戦の録画試合があった。
僕は浅田真央の動画見て号泣していてしっかり忘れ見逃した。。。
気付いたころにはもう終わる1ゲーム前だった。。
再放送はあんのか?ないのか?
ガオラのホームページ見たら、再放送があるようなことは書いてない。
やらかしたか!?
ぐおぉ。。。
休憩中に最近飯をあまり食べないからかな。
腹が減ると偏頭痛が起こりやすくなる。
マンションに帰ってすぐにチョコレートを貪り食う。
甘いもの、糖分は血糖値をすぐにあげてくれるので、変頭痛を取るにはもってこいだ。
●3月3日のひな祭りの前日は激忙しい。
そうです、3月2日、僕は休出。
振り替えは。。。今、人が足りないからたぶん無いかな。
あうぅ。
●浅田真央は人間的に素晴らしいと思う。
まあ、画面を通してしか僕はわかりえないんだけど、あの自然な涙に、底知れない純粋さを感じる。
素直、純粋。
この動画観て、僕も号泣。
http://www.youtube.com/watch?v=ST3d78ADcRM&feature
姉の顔見て出てくる涙。一緒に頑張って歩んでくれた、家族の絆や愛情の深さがこの涙という果実になったのさ。
そう、この涙は、インタビューの時の自分に対する悔しさの涙(これもまた美しかったけど)とはまた違う、なんてんだろ、もっと明るくあたたかい、家族や友人、応援してくれた人たちへの感謝の涙、これまでの努力が銀メダルという成果となって表れた、自分に対してよく頑張ったよ、おめでとうっていう包み込む涙、だと思うのよ。勝手な解釈だけど。
●今日はガオラで、テニスの錦織圭の復帰第一戦の録画試合があった。
僕は浅田真央の動画見て号泣していてしっかり忘れ見逃した。。。
気付いたころにはもう終わる1ゲーム前だった。。
再放送はあんのか?ないのか?
ガオラのホームページ見たら、再放送があるようなことは書いてない。
やらかしたか!?
ぐおぉ。。。
●仕事で僕がヘルプに入っている部署の新人さんたちがだんだんと仲間割れっぽくなっていって、最終的には休憩場所までバラバラになっているんだけど、僕はその両方ともによく話すし問題なかった。。はずなんだけど、な~んか、一人おばちゃんで突然僕への態度が冷たくなった人がいて、う~ん何か僕悪いことしたかな~とか考えるけど、全く見当がつかない。
最初僕は普通どおりに話しかけていたんだけど、やっぱ今までと全然態度が違うので嫌でも気付いてきてしまう。
で原因は何かと色々考えてみたら、思い当たる節が一つだけあるっちゃある。
僕がその部署にヘルプで入っているとき、そのおばちゃんと一緒に入った新人さんで、今はおばちゃんと別々に飯を食べている人がいて、その人とも僕は仲がいいので作業中に話していたわけ。
で、その人が「そっちの部署(僕の部署)に女の人(よく日記に出る同僚おかあさんのこと)がいるでしょ、あの人、厳しそうだよね」って振ってきたので、僕は「気分にムラがあるので、何を話したら気分を害さないか分からなくて、かなり気を使ってます」みたいに返したわけだけど、その話をそのおばちゃんも聞いていて、自分のことだと勘違いした??
そんくらいしか原因は考えられんぞぉ。
もしそのことで腹を立てているんだったら、それは誤解で思い込みだよ~。
と、それを立証する筋道が立たない(なぜなら相手がそのことで腹を立てたのかも分からない)からこういうの一番厄介な問題だよね。
なんか、永世中立人でいたかった僕としては、あっちだのこっちだのグループに組み込まれて見られるようになる(あの人と仲がいいので私の敵、みたいな)のだけは勘弁だなぁ。
まあ、その他の人たちとは全然うまくいっているので、そういう風にはならんと思うけど。一人の人間と関係がギクシャクした場合、そこから負の連鎖が意図しないところで広まっていく可能性もあるからね。
一抹の懸念が無きにしもあらず。
ま、でもみんな大人だもんね。
最初僕は普通どおりに話しかけていたんだけど、やっぱ今までと全然態度が違うので嫌でも気付いてきてしまう。
で原因は何かと色々考えてみたら、思い当たる節が一つだけあるっちゃある。
僕がその部署にヘルプで入っているとき、そのおばちゃんと一緒に入った新人さんで、今はおばちゃんと別々に飯を食べている人がいて、その人とも僕は仲がいいので作業中に話していたわけ。
で、その人が「そっちの部署(僕の部署)に女の人(よく日記に出る同僚おかあさんのこと)がいるでしょ、あの人、厳しそうだよね」って振ってきたので、僕は「気分にムラがあるので、何を話したら気分を害さないか分からなくて、かなり気を使ってます」みたいに返したわけだけど、その話をそのおばちゃんも聞いていて、自分のことだと勘違いした??
そんくらいしか原因は考えられんぞぉ。
もしそのことで腹を立てているんだったら、それは誤解で思い込みだよ~。
と、それを立証する筋道が立たない(なぜなら相手がそのことで腹を立てたのかも分からない)からこういうの一番厄介な問題だよね。
なんか、永世中立人でいたかった僕としては、あっちだのこっちだのグループに組み込まれて見られるようになる(あの人と仲がいいので私の敵、みたいな)のだけは勘弁だなぁ。
まあ、その他の人たちとは全然うまくいっているので、そういう風にはならんと思うけど。一人の人間と関係がギクシャクした場合、そこから負の連鎖が意図しないところで広まっていく可能性もあるからね。
一抹の懸念が無きにしもあらず。
ま、でもみんな大人だもんね。
●仕事終わって、女子フィギュア観戦。
午前中で終わるかと思っていたけど、長いのね。
今夜の仕事が心配だけど、もう眠れない。
結局最後まで見てしまって仕事がムチャクチャ眠かった。
完全な素人意見だけど、フリーのキムヨナの演技は完璧に見えた。
浅田真央は、トリプルアクセル決めたけど、少しのミスが響いた。
試合後の記者会見の涙に僕も涙が出そうになった。
きっとミス無く終われたら、気持ちも少しは違ったんじゃないだろうかなあって思う。
悔しさは、金を取れなかったっていうよりもミスを犯してしまった自分自身への悔しさなんだろうと思う。
演技を見て、キムヨナの金は妥当だと思う。
だけど、SPはキムヨナよりも浅田真央の方が僕は印象が強かった。
SPの終了時点では、キムヨナと浅田真央は僅差のどちらがトップでもおかしくないと思ったけれど、専門的な見地からは5点の差ができるほどの違いがあったということだろうか。
表現力やスピードはキムヨナのほうがあると思った。
柔軟性や技術は浅田真央のように感じた。
浅田真央は表情など含めた表現力をこの先もっと研ぎ澄ませていくことで、まだまだ延びしろがあるように思う。
だから、今回の悔しさをバネにして、次のオリンピック目指してまた頑張ってほしい。
午前中で終わるかと思っていたけど、長いのね。
今夜の仕事が心配だけど、もう眠れない。
結局最後まで見てしまって仕事がムチャクチャ眠かった。
完全な素人意見だけど、フリーのキムヨナの演技は完璧に見えた。
浅田真央は、トリプルアクセル決めたけど、少しのミスが響いた。
試合後の記者会見の涙に僕も涙が出そうになった。
きっとミス無く終われたら、気持ちも少しは違ったんじゃないだろうかなあって思う。
悔しさは、金を取れなかったっていうよりもミスを犯してしまった自分自身への悔しさなんだろうと思う。
演技を見て、キムヨナの金は妥当だと思う。
だけど、SPはキムヨナよりも浅田真央の方が僕は印象が強かった。
SPの終了時点では、キムヨナと浅田真央は僅差のどちらがトップでもおかしくないと思ったけれど、専門的な見地からは5点の差ができるほどの違いがあったということだろうか。
表現力やスピードはキムヨナのほうがあると思った。
柔軟性や技術は浅田真央のように感じた。
浅田真央は表情など含めた表現力をこの先もっと研ぎ澄ませていくことで、まだまだ延びしろがあるように思う。
だから、今回の悔しさをバネにして、次のオリンピック目指してまた頑張ってほしい。
●オリンピック女子フィギュア。
参加選手全員を通してみてみると、素人目にも、技術力の高い選手はなんとなく分かる。
浅田真央は優雅で改めてみてすごいと思ってちょっと感動した。
キムヨナは力強い感じがした。
●日差しが暖かいだけじゃなく、空気自体が暖かい。
ついに春の兆し。
ついでにくしゃみも始まりだした、
そろそろやってくる花粉症。
僕は杉より檜(杉は鼻だけ檜は目と鼻)なので、ピークはもう少し先だけど、今年は恥ずかしいとかかまわずにマスクだけではなく花粉用のメガネもつけてみようかな。
どうせ会社の行き帰りが主だし、外出も映画観にいくくらいしかなかろうし。
●テニス、錦織圭は一回戦。ベンジャミン・ベッカーという世界らんく40位くらいの中堅どころと一年ぶりの試合。
早朝5時に眠らずにライブストリーミングで応援。
フルセットの末敗退。
40位相手に第二セットは取れたので、上出来だと思う。
これから試合感が戻ってくればまた結果も出てくるし。
とりあえず、28日にガオラで録画放送があるので、DVDに収めてしっかり見なければ。
心配なのは肘の怪我が完治しているかどうか。再発とかしてないだろうな。。。
しばらくは無理をせず休養を挟みながらいってほしい。
サーブの確率見る限り、やっぱり肘を気にかけてたか、まだ違和感があるのか?と疑ってしまう。
●Hさんに入れてもらった金8万を下ろして証券会社に入れ、日本アジア投資をまたナンピン。ひたすらナンピン。
もうすぐ給料はいるのでまたナンピンする予定。
●散髪に行こうと思っていたけど散髪屋は第3火曜が休みだったので行くのやめてさっきカレンダーみたら第4火曜日だったので行っておけばよかった。
●午前中はひたすら読書。
昼からシネマ5で『副王家の一族』(http://www.alcine-terran.com/ichizoku/)鑑賞。
『戦争と平和』の時代よりも後だし国も違うけど、同じ貴族社会を垣間見られる頃合のいい映画。
イタリアが統一される転換期のある貴族階級の一族の運命を描く。
膨大な時間の流れを映画の尺の中に収めるのは難しい、前半は展開がいささか急に感じられたけど、後半になるにしたがってよくなってきた。
一族の運命の変遷というよりも旧弊な父親と進歩的な息子との確執という構図の色合いが強い。
名や一族の血に対する執着はどこの国でも同じことらしい。
これをヴィスコンティが撮っていたらどんな風になったろうと思う。
もっと長尺で見てみたかったといわざるを得ない。
一大叙事詩に二時間は短すぎる。
●映画の後、トキハによって、父の還暦を祝うための赤いチャンチャンコを購入。
その後、再び府内五番街に戻り、ポニーという喫茶店に入る。
人通りの多い通りに面している喫茶店なのだが、古くからあるっぽく、薄暗いガラスで中が見えない。入るのにちょっと勇気がいった。
やはり年代風の内装で、老婆が一人椅子にうなだれかかっている。
年配の店員とその老婆だけしかいなかった。
アイスコーヒーを頼んで、読書。
しばらくすると老婆がむくりと起き上がりカウンターに入っていく。
どうやら親子でやっているようで、客は僕一人だったらしい。
●久しぶりにジュンク堂にいって本を見て回る。
昨日見た『戦場でワルツを』の影響か、自然と心理学系の書棚へと足が向かう。
認知療法の本で『いやな気分よさようなら』(http://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%94%B9%E8%A8%82-%E7%AC%AC2%E7%89%88%E3%80%89%E3%81%84%E3%82%84%E3%81%AA%E6%B0%97%E5%88%86%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E2%80%95%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%8C%E6%8A%91%E3%81%86%E3%81%A4%E3%80%8D%E5%85%8B%E6%9C%8D%E6%B3%95-%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BBD-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/4791102061)という本がある。
この本は学生時代病院の先生から薦められて、僕の思考にかなり影響を与えていると思う。
かなり前だけど新しく章も追加されて刷新されていたので買わなきゃなあと思っていたので、この際買うことにした。
認知療法の名著であり、抑欝傾向似ない人も自分の感情や思考をコントロールするのに役立つと思う。読んで損は無いと思う。
臨床心理士に興味があるが、大学院を出ていないと資格が取れない。
だから職としてではなく個人的に勉強していきたいと思っている。
自分の中にある、社会不安、適応問題、上がり症、対人不信、等々、専門的な部分はかじった程度だったけど、克服のため、自分の将来のために本格的に取り組んでいこうかと考えている。
●samasamaに温泉に入りにいく。
入る前に腹ごしらえで銀だこで新しいめんたいチーズとかいうのが出てたので食べてみた。
温泉入った後リラクゼーションルームで読書してたらいつの間にか眠ってしまって、弊店の時間に起こされた。
●明日ついにテニスの錦織圭が一年ぶりに復帰する。
プロ初優勝を飾った大会での復帰というのが何か因縁めいている。
まずは無理せず怪我無く戦ってほしい。
●午前中はひたすら読書。
昼からシネマ5で『副王家の一族』(http://www.alcine-terran.com/ichizoku/)鑑賞。
『戦争と平和』の時代よりも後だし国も違うけど、同じ貴族社会を垣間見られる頃合のいい映画。
イタリアが統一される転換期のある貴族階級の一族の運命を描く。
膨大な時間の流れを映画の尺の中に収めるのは難しい、前半は展開がいささか急に感じられたけど、後半になるにしたがってよくなってきた。
一族の運命の変遷というよりも旧弊な父親と進歩的な息子との確執という構図の色合いが強い。
名や一族の血に対する執着はどこの国でも同じことらしい。
これをヴィスコンティが撮っていたらどんな風になったろうと思う。
もっと長尺で見てみたかったといわざるを得ない。
一大叙事詩に二時間は短すぎる。
●映画の後、トキハによって、父の還暦を祝うための赤いチャンチャンコを購入。
その後、再び府内五番街に戻り、ポニーという喫茶店に入る。
人通りの多い通りに面している喫茶店なのだが、古くからあるっぽく、薄暗いガラスで中が見えない。入るのにちょっと勇気がいった。
やはり年代風の内装で、老婆が一人椅子にうなだれかかっている。
年配の店員とその老婆だけしかいなかった。
アイスコーヒーを頼んで、読書。
しばらくすると老婆がむくりと起き上がりカウンターに入っていく。
どうやら親子でやっているようで、客は僕一人だったらしい。
●久しぶりにジュンク堂にいって本を見て回る。
昨日見た『戦場でワルツを』の影響か、自然と心理学系の書棚へと足が向かう。
認知療法の本で『いやな気分よさようなら』(http://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%94%B9%E8%A8%82-%E7%AC%AC2%E7%89%88%E3%80%89%E3%81%84%E3%82%84%E3%81%AA%E6%B0%97%E5%88%86%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E2%80%95%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%8C%E6%8A%91%E3%81%86%E3%81%A4%E3%80%8D%E5%85%8B%E6%9C%8D%E6%B3%95-%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BBD-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/4791102061)という本がある。
この本は学生時代病院の先生から薦められて、僕の思考にかなり影響を与えていると思う。
かなり前だけど新しく章も追加されて刷新されていたので買わなきゃなあと思っていたので、この際買うことにした。
認知療法の名著であり、抑欝傾向似ない人も自分の感情や思考をコントロールするのに役立つと思う。読んで損は無いと思う。
臨床心理士に興味があるが、大学院を出ていないと資格が取れない。
だから職としてではなく個人的に勉強していきたいと思っている。
自分の中にある、社会不安、適応問題、上がり症、対人不信、等々、専門的な部分はかじった程度だったけど、克服のため、自分の将来のために本格的に取り組んでいこうかと考えている。
●samasamaに温泉に入りにいく。
入る前に腹ごしらえで銀だこで新しいめんたいチーズとかいうのが出てたので食べてみた。
温泉入った後リラクゼーションルームで読書してたらいつの間にか眠ってしまって、弊店の時間に起こされた。
●明日ついにテニスの錦織圭が一年ぶりに復帰する。
プロ初優勝を飾った大会での復帰というのが何か因縁めいている。
まずは無理せず怪我無く戦ってほしい。
生きるために亡くした記憶を、生き続けるために取り戻す
2010年2月22日 僕について
●不安というものは、未確定な結果に対する不安定な想像によって引き起こされる場合が多いように感じる。
自分があまり体験をしたことがない状態に陥るかもしれない。
そうなったときに本能的に存在の危機感を感じるのだと思う。
どんな些細な事であれ、自分という存在が傷つけられるかもしれない未知への恐怖に対する自衛の意識が即ち不安なのだと思う。
不安とは緊張。緊張とは警戒。
警戒は自分を傷つけるものが周囲にあると本能的に認識しているから起こる現象なのではないかと考えてみる。
不安を除去するのであれば、まず、来るべき状況が本当に自分の存在を危うくするものであるのかを明らかにすることが大切だと思う。
ある行動によりある結果が導き出される。
その結果に不安を感じる。
不安に感じるのは、自分がなんらかを損失を被ると考えているからだ。
では、いったい何を損失するのか。
そして損失するとして、その場合、自分はどうなるのか。
もちろん未知の結果に対する想像だから、様々な結果のシチュエーションがある。自分が一番不安に感じる結果を想像するだけでなく、他のもっと良い結果に逢着する可能性もある。
そういった自分が想像できる限りの結果を全てシミュレーションしてみる。
そして、結果を想像するだけでなく、それぞれの結果に対して自分が陥るであろう心理状態が果たして正しい状態であるのか、そしてその心理状態に対してどのような対処が必要か。
そこまでつめて具体的に想定してみる。
不安が、まだこない未知なる結果に対する自己存在の毀損への警戒だとして、その警戒は、おぼろげな状態に対する未対処が原因になっているのであれば、おぼろげで不透明な輪郭を可能な限りはっきりと鮮明にすることで、不安は幾分か減らすことが可能になるということである。
僕は毎日仕事で対人関係や作業内容に対する不安があるのだが、それがどうしようもなく強くなったとき、上記のやり方で冷静に考えてみると、だいぶ心を落ち着けることができる。
●シネマ5にてヨニ・グッドマン監督
『戦場でワルツを』(http://www.waltz-wo.jp/)鑑賞。
1982年にイスラエルがレバノンに侵攻して多くのパレスチナ難民を虐殺した事件があった。
当時イスラエル兵士として関わっていた、この映画の監督は、当時の記憶だけが欠落している。その記憶を再生させていく物語である。
解離性人格障害という障害がある。いわいる多重人格である。
激しい心的外傷に対して、自己の精神毀損を逃れるために、「解離」によって一人の人間に二人以上の人格があらわれ、自我の同一性が損なわれる疾患である。
人によってある対象が及ぼすショックの大きさは様々だが、それがその人にとって許容範囲を超えるほどのストレスを与える場合、脳が損傷を回避するために、その時の記憶を隔離する、と解釈している。
解離性人格障害は、ある人格の中にだけ辛い記憶を閉じ込める訳だが、この映画の作者の場合は人格は別れずに「解離」だけが起こった状態といえる。
僕は幼いころに離人症に陥ったが、これも解離と同じ脳の防衛本能の一つの表れなので、この作品を観たときに真っ先に思い浮かんだのはこのことだった。
作中で作者は当時の状況を探り出し記憶を掘り起こしていくわけだが、なぜ、虐殺事件の記憶だけが「解離」されたのか、そこに監督自身も気付かなかった意識の深層がある。
記憶を取り戻す作業は、即ちその深層を明確にすることである。
「生きるために亡くした記憶を、生き続けるために取り戻す」
と予告編で語られていた。
監督はパレスチナ難民の虐殺には直接加担はしていない。
しかし、そこに参加し、そして行われていることを知っていて何の抗議も起こすことができなかった。彼の意識は、傍観者であった彼自身も、パレスチナ難民を虐殺したイスラエル兵と同罪に科した。
「自分もナチと変わらない」
その罪の意識の深さが、記憶を「解離」させた。
ではなぜ、生きるために消した筈のその記憶が、生き続けるために必要だったのか、ということである。
ここからは僕の想像の範囲を出ないが、監督の中には虐殺された人々に対する罪の意識がずっとあった。しかし、若いころの彼には、表層的にはもちろん、潜在的にもその罪を受け入れるだけのキャパシティーが無かった。そうすれば、自分が潰れてしまう。
しかし、その罪の意識は増大し、彼を無意識下で苦しめていた。
自分と向き合う、辛い過去、記憶から向き合い、歴史とともに自分の過去の罪をも暴き、こうして作品として世に出す。
それは、自分の罪を罰するためでもあり、またパレスチナ難民に対しての贖罪であったのだと思う。
過去の罪業に対して逃亡ではなく、立ち向かうことで「人」としての証を立てることが、自分を受け入れ、人間らしく生きる上で是非とも必要なことだったのである。
自分があまり体験をしたことがない状態に陥るかもしれない。
そうなったときに本能的に存在の危機感を感じるのだと思う。
どんな些細な事であれ、自分という存在が傷つけられるかもしれない未知への恐怖に対する自衛の意識が即ち不安なのだと思う。
不安とは緊張。緊張とは警戒。
警戒は自分を傷つけるものが周囲にあると本能的に認識しているから起こる現象なのではないかと考えてみる。
不安を除去するのであれば、まず、来るべき状況が本当に自分の存在を危うくするものであるのかを明らかにすることが大切だと思う。
ある行動によりある結果が導き出される。
その結果に不安を感じる。
不安に感じるのは、自分がなんらかを損失を被ると考えているからだ。
では、いったい何を損失するのか。
そして損失するとして、その場合、自分はどうなるのか。
もちろん未知の結果に対する想像だから、様々な結果のシチュエーションがある。自分が一番不安に感じる結果を想像するだけでなく、他のもっと良い結果に逢着する可能性もある。
そういった自分が想像できる限りの結果を全てシミュレーションしてみる。
そして、結果を想像するだけでなく、それぞれの結果に対して自分が陥るであろう心理状態が果たして正しい状態であるのか、そしてその心理状態に対してどのような対処が必要か。
そこまでつめて具体的に想定してみる。
不安が、まだこない未知なる結果に対する自己存在の毀損への警戒だとして、その警戒は、おぼろげな状態に対する未対処が原因になっているのであれば、おぼろげで不透明な輪郭を可能な限りはっきりと鮮明にすることで、不安は幾分か減らすことが可能になるということである。
僕は毎日仕事で対人関係や作業内容に対する不安があるのだが、それがどうしようもなく強くなったとき、上記のやり方で冷静に考えてみると、だいぶ心を落ち着けることができる。
●シネマ5にてヨニ・グッドマン監督
『戦場でワルツを』(http://www.waltz-wo.jp/)鑑賞。
1982年にイスラエルがレバノンに侵攻して多くのパレスチナ難民を虐殺した事件があった。
当時イスラエル兵士として関わっていた、この映画の監督は、当時の記憶だけが欠落している。その記憶を再生させていく物語である。
解離性人格障害という障害がある。いわいる多重人格である。
激しい心的外傷に対して、自己の精神毀損を逃れるために、「解離」によって一人の人間に二人以上の人格があらわれ、自我の同一性が損なわれる疾患である。
人によってある対象が及ぼすショックの大きさは様々だが、それがその人にとって許容範囲を超えるほどのストレスを与える場合、脳が損傷を回避するために、その時の記憶を隔離する、と解釈している。
解離性人格障害は、ある人格の中にだけ辛い記憶を閉じ込める訳だが、この映画の作者の場合は人格は別れずに「解離」だけが起こった状態といえる。
僕は幼いころに離人症に陥ったが、これも解離と同じ脳の防衛本能の一つの表れなので、この作品を観たときに真っ先に思い浮かんだのはこのことだった。
作中で作者は当時の状況を探り出し記憶を掘り起こしていくわけだが、なぜ、虐殺事件の記憶だけが「解離」されたのか、そこに監督自身も気付かなかった意識の深層がある。
記憶を取り戻す作業は、即ちその深層を明確にすることである。
「生きるために亡くした記憶を、生き続けるために取り戻す」
と予告編で語られていた。
監督はパレスチナ難民の虐殺には直接加担はしていない。
しかし、そこに参加し、そして行われていることを知っていて何の抗議も起こすことができなかった。彼の意識は、傍観者であった彼自身も、パレスチナ難民を虐殺したイスラエル兵と同罪に科した。
「自分もナチと変わらない」
その罪の意識の深さが、記憶を「解離」させた。
ではなぜ、生きるために消した筈のその記憶が、生き続けるために必要だったのか、ということである。
ここからは僕の想像の範囲を出ないが、監督の中には虐殺された人々に対する罪の意識がずっとあった。しかし、若いころの彼には、表層的にはもちろん、潜在的にもその罪を受け入れるだけのキャパシティーが無かった。そうすれば、自分が潰れてしまう。
しかし、その罪の意識は増大し、彼を無意識下で苦しめていた。
自分と向き合う、辛い過去、記憶から向き合い、歴史とともに自分の過去の罪をも暴き、こうして作品として世に出す。
それは、自分の罪を罰するためでもあり、またパレスチナ難民に対しての贖罪であったのだと思う。
過去の罪業に対して逃亡ではなく、立ち向かうことで「人」としての証を立てることが、自分を受け入れ、人間らしく生きる上で是非とも必要なことだったのである。
●読まなきゃなぁと思ってたけど、なかなか読み出すことができなかったトルストイの『戦争と平和』、ついに読み始める決心をした。
これほどの長編を読むのはヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』以来だから何年ぶりだ??
半分くらいの量のならドストエフスキーとかトーマスマンとか間に読んだけど、戦争と平和は一冊五百~六百ページが四冊。
そういえば、『アンナ・カレーニナ』はどん位で読んだっけ。確か7ヶ月くらいかかったかな。
読んだり止めたり読んだり止めたりして。
これはどん位かかるんだろう。
とりあえず、10ページくらい読んだ(笑)
ちなみに、黒澤明は30回くらい読んだらしい。。。
読んでしまったあかつきには、『レ・ミゼラブル』と同様に映画であるのを全部見て比較してみたい。
●オリンピック始まってるけどテレビ見ないから全然知らないわけでそういえば飯のときにアルペンをチラッと見たっけ。
でもネットのニュースで結果は結構知っていたりするんだけどね。
これほどの長編を読むのはヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』以来だから何年ぶりだ??
半分くらいの量のならドストエフスキーとかトーマスマンとか間に読んだけど、戦争と平和は一冊五百~六百ページが四冊。
そういえば、『アンナ・カレーニナ』はどん位で読んだっけ。確か7ヶ月くらいかかったかな。
読んだり止めたり読んだり止めたりして。
これはどん位かかるんだろう。
とりあえず、10ページくらい読んだ(笑)
ちなみに、黒澤明は30回くらい読んだらしい。。。
読んでしまったあかつきには、『レ・ミゼラブル』と同様に映画であるのを全部見て比較してみたい。
●オリンピック始まってるけどテレビ見ないから全然知らないわけでそういえば飯のときにアルペンをチラッと見たっけ。
でもネットのニュースで結果は結構知っていたりするんだけどね。
●同僚のおとうさんがプライベートで悩みを抱えているらしい。
かなり深刻らしい。
だけど、「困った、困った、コマドリ姉妹」とか言ってる姿をみると、そんなに深刻な感じは受けないんだけどなぁ。
●うちの会社は、帽子をかぶってマスクをする。
髪の毛が少しでも出たらいけない。
毛髪チェックがある訳だけど、このところ常にひっかかる。
ほんの一本でも出てればアウト。
社員が「キタム君は要チェックやけんなぁ」とか言ってるし、やっぱこれは髪が伸びすぎた所為なんだろうな。
ロン毛にしよう計画を立ててた訳だけど、仕事上ロン毛はめんどくさい。
ということで今度の休みに散髪に行くことにしよう。
●今年は、父親が還暦で定年。
祖母が米寿。
まずは父親の還暦が間近に迫っているので、母親のときのように赤いちゃんちゃんこを購入しなければいけない。
米寿って、なんか着せるのか調べてみたら黄色いちゃんちゃんことか。
●K君、いつ来るの?と聞いたら、父親の仕事の関係もあるので3月くらいになりそうとの話。
●木島輝美『白梅の道 伊藤よし子 伝記 第二部~愛より始まる~』読了。
僕は伊東よし子という人がどんな人かこの本を読んだ範囲でしか知りえないけど、非常に過酷な人生を歩んできた人だったようで、その中での苦しみ、また心の寄る辺となる信仰できる対象を探して行く過程が綴られている。
彼女は若いころに自分のうちに自分だけの神をすでに見出していたのだと思う。また元は看護婦をしていたことからも、様々な宗教に対する呪術的な形式の部分への疑心などが垣間見られる。彼女の理想はキリスト教と仏教を足した様な宗教。
それは彼女の中ではすでに成立していた救いの形となっていても、既成の宗教には自分の理想と合致する部分もあっただろうし、受け入れられない部分もあったのだろう。
伊東よし子の娘である著者、木島輝美さんは、母から「組織ではなく、教えを残して」との遺言からこの本を書いている。
それはやはり、伊東よし子さんも様々な宗教に接する中で自分の心を代弁する宗教は自分の心に宿した神以外に完全な形で実現できるものはない、ということを実感していったからではないかと思った。
組織になると形式が生まれる。しかし、組織の無い教えなら、受けた人の心の中に自分の自由な神を拵えることができる。
求心力は薄くなるが、神の形は人それぞれで違っていいのだと思う。
かなり深刻らしい。
だけど、「困った、困った、コマドリ姉妹」とか言ってる姿をみると、そんなに深刻な感じは受けないんだけどなぁ。
●うちの会社は、帽子をかぶってマスクをする。
髪の毛が少しでも出たらいけない。
毛髪チェックがある訳だけど、このところ常にひっかかる。
ほんの一本でも出てればアウト。
社員が「キタム君は要チェックやけんなぁ」とか言ってるし、やっぱこれは髪が伸びすぎた所為なんだろうな。
ロン毛にしよう計画を立ててた訳だけど、仕事上ロン毛はめんどくさい。
ということで今度の休みに散髪に行くことにしよう。
●今年は、父親が還暦で定年。
祖母が米寿。
まずは父親の還暦が間近に迫っているので、母親のときのように赤いちゃんちゃんこを購入しなければいけない。
米寿って、なんか着せるのか調べてみたら黄色いちゃんちゃんことか。
●K君、いつ来るの?と聞いたら、父親の仕事の関係もあるので3月くらいになりそうとの話。
●木島輝美『白梅の道 伊藤よし子 伝記 第二部~愛より始まる~』読了。
僕は伊東よし子という人がどんな人かこの本を読んだ範囲でしか知りえないけど、非常に過酷な人生を歩んできた人だったようで、その中での苦しみ、また心の寄る辺となる信仰できる対象を探して行く過程が綴られている。
彼女は若いころに自分のうちに自分だけの神をすでに見出していたのだと思う。また元は看護婦をしていたことからも、様々な宗教に対する呪術的な形式の部分への疑心などが垣間見られる。彼女の理想はキリスト教と仏教を足した様な宗教。
それは彼女の中ではすでに成立していた救いの形となっていても、既成の宗教には自分の理想と合致する部分もあっただろうし、受け入れられない部分もあったのだろう。
伊東よし子の娘である著者、木島輝美さんは、母から「組織ではなく、教えを残して」との遺言からこの本を書いている。
それはやはり、伊東よし子さんも様々な宗教に接する中で自分の心を代弁する宗教は自分の心に宿した神以外に完全な形で実現できるものはない、ということを実感していったからではないかと思った。
組織になると形式が生まれる。しかし、組織の無い教えなら、受けた人の心の中に自分の自由な神を拵えることができる。
求心力は薄くなるが、神の形は人それぞれで違っていいのだと思う。
●自分の時間は限られている、有効活用しなくては、と意識しだしたのは大学時代からで、それ以降、どんなことでも何かしら学ぶものはあるが、より自分にとって得るものが多いと感じることをチョイスしていこうと思い、色んなものを削ぎ落としていった。
得る、ということは、自分の中にないものを新しく学習する、ということなので、できるだけ自分の知らないことに接していかなくてはと思った。
僕は懐古主義者で、自分の中にある知識や感情を繰り返して感傷的になったり共感したりカタルシスを覚えたりする感覚に没入する傾向が強かった。それはたまになら悪いことではないけど、そればかりになってしまうと成長は無いと思って、できるだけ、自分の知っていることや経験したことを繰り返すのは減らして、新しいことを知る時間を増やしていこうとしていった。
すると、自然接するものも、より作家性が強かったり前衛的であったり内省的であったりするものに偏っていって、大衆的なもの(娯楽も含めて、つまり一般性のあるもの)は、削られていく。
たとえば、漫画で言えば、ジャンプ系を読まなくなってビッグコミック系になり、最終的にはガロ系に移っていった(もちろんジャンプの中にも作家性の強い斬新な作品はたくさんあって、ジャンプ系を読まなくなって、作品も何が連載されているのかわからなくなった今、偶然手に取ったジャンプ系漫画の作品の斬新さに驚嘆することもある)。
テレビに関しても、やはり娯楽系を観ることは減っていき、大学を卒業するころにはTVタックルやプロジェクトX、朝まで生テレビなどに限られてきて、最終的にはドキュメントとスポーツ番組しか見なくなってしまった。
テレビの質低下が昨今叫ばれているけど、僕は番組さえ選べば非常に有益な媒体だと、テレビを見なくなった今でもそう思っている。
僕がテレビを見なくなる前、最後まで楽しんでいたのは主にドキュメンタリーで、中でも「人間ドキュメント」や「NHKアーカイヴス」は、ビデオに毎週録っていたほど好きだった。
結局、読書や映画にどんどん傾倒していった僕はその録り溜めた番組も見る暇が無いので、断腸の思いで、視聴をあきらめたのだけど。
だけど良質な映像は時として本よりも濃密な情報を伝えるものだと考えている僕は、そういった番組を全く見ないこともまた自分の損失だという思いが常にあった。
特にNHKは膨大な過去の良質な映像集を保存しており、それを視聴者に提供しないのはもったいない。「NHKアーカイヴス」で過去の作品に触れることでその思いは強まった。
インターネットの進化で、NHKはその膨大な映像の提供場所を得た。
ネットというのは便利なもので、好きな時間に、好きな番組を選び視聴できる。
「NHKオンデマンド」(https://www.nhk-ondemand.jp/index.html)というサイトがある。
登録して月額を払えば、NHKの映像資料から過去あった番組を選んで視聴できるらしい。
これなら、時間の制約なしに、空いた時間に良質な番組をすぐに見ることができ、テレビを自分の有益な時間の一部に組み入れることができそうだ。過去見たくて見る機会が無かった番組、見逃してしまった番組などが見れることにワクワクしている。無料視聴の番組を見てみて、入ろうかと思う。
得る、ということは、自分の中にないものを新しく学習する、ということなので、できるだけ自分の知らないことに接していかなくてはと思った。
僕は懐古主義者で、自分の中にある知識や感情を繰り返して感傷的になったり共感したりカタルシスを覚えたりする感覚に没入する傾向が強かった。それはたまになら悪いことではないけど、そればかりになってしまうと成長は無いと思って、できるだけ、自分の知っていることや経験したことを繰り返すのは減らして、新しいことを知る時間を増やしていこうとしていった。
すると、自然接するものも、より作家性が強かったり前衛的であったり内省的であったりするものに偏っていって、大衆的なもの(娯楽も含めて、つまり一般性のあるもの)は、削られていく。
たとえば、漫画で言えば、ジャンプ系を読まなくなってビッグコミック系になり、最終的にはガロ系に移っていった(もちろんジャンプの中にも作家性の強い斬新な作品はたくさんあって、ジャンプ系を読まなくなって、作品も何が連載されているのかわからなくなった今、偶然手に取ったジャンプ系漫画の作品の斬新さに驚嘆することもある)。
テレビに関しても、やはり娯楽系を観ることは減っていき、大学を卒業するころにはTVタックルやプロジェクトX、朝まで生テレビなどに限られてきて、最終的にはドキュメントとスポーツ番組しか見なくなってしまった。
テレビの質低下が昨今叫ばれているけど、僕は番組さえ選べば非常に有益な媒体だと、テレビを見なくなった今でもそう思っている。
僕がテレビを見なくなる前、最後まで楽しんでいたのは主にドキュメンタリーで、中でも「人間ドキュメント」や「NHKアーカイヴス」は、ビデオに毎週録っていたほど好きだった。
結局、読書や映画にどんどん傾倒していった僕はその録り溜めた番組も見る暇が無いので、断腸の思いで、視聴をあきらめたのだけど。
だけど良質な映像は時として本よりも濃密な情報を伝えるものだと考えている僕は、そういった番組を全く見ないこともまた自分の損失だという思いが常にあった。
特にNHKは膨大な過去の良質な映像集を保存しており、それを視聴者に提供しないのはもったいない。「NHKアーカイヴス」で過去の作品に触れることでその思いは強まった。
インターネットの進化で、NHKはその膨大な映像の提供場所を得た。
ネットというのは便利なもので、好きな時間に、好きな番組を選び視聴できる。
「NHKオンデマンド」(https://www.nhk-ondemand.jp/index.html)というサイトがある。
登録して月額を払えば、NHKの映像資料から過去あった番組を選んで視聴できるらしい。
これなら、時間の制約なしに、空いた時間に良質な番組をすぐに見ることができ、テレビを自分の有益な時間の一部に組み入れることができそうだ。過去見たくて見る機会が無かった番組、見逃してしまった番組などが見れることにワクワクしている。無料視聴の番組を見てみて、入ろうかと思う。
●社員とのスノボーの件、社員はその日休日出勤で会議だったそうだ。
社員も何かと大変だ。
とりあえず、僕が何かしたとか、そういうことじゃなかったので安心した。
●スノボーの件を同僚に話したら「気が小さいなぁ」と言われたが、確かに僕は気が小さいけど(笑)、この場合は気が小さいというのとは少し違う。この不安にはもっと僕にとって根源的な意味合いがある。
僕は無意識の罪を極端に恐れる。
明らかな自分の過失であるなら、手の施しようがある、謝罪するなり話し合うなり。明らかな相手の過失でも同じ。
でも、何が原因かわからないとき、中途半端で宙ぶらりんな状態のとき、それが一番不安になる。
自分が無意識にしでかしてしまった過失は気付きようが無いからだ。
僕はこれまでたくさんのそういった無意識の罪を犯し、たくさんの人を傷つけてきただろうし、そしてたくさんの無意味な別れを繰り返してきた。改善できる余地があるのに、そういう不透明な状態ゆえに人間関係が崩壊することに耐えられないからだ。
一見わかりあえないと思われる人、自分と合わないと思われる人とも、はたしてそれが腹を割って全てを話し合った故でのことならまだあ納得もいこうが、何かしらの可能性を有している時点でそれを放棄できるほど人との関係というものは放棄できるもじゃないと信じている。
信じないと僕の希望の否定になるし、僕自身の存在が醜悪極まりないものに感じられてしまうからだ。
人はそれぞれ違う。だから、摩擦が生じる。ゆえにそういった無意識の罪は皆犯している。
だけど、だから人間はそういうものだ、仕方が無いと思うことはできない。
人間は、努力することでそうじゃない存在に近づいていける。そう思っていたいのだ。じゃないと、僕の障害を真似してきた人たちの存在を受け入れることも清算することも永遠にできない。これは僕にとって生きるための支柱なのだ。
無意識の罪を少しでも気付き減らしていくことができなければ、僕は一生贖罪もなしえぬまま、僕が傷つけてしまった人々の数だけ増え、僕は罪人としての重荷を積み上げていくばかりだから。
●休憩時間に、新しく買ったタバコを空のタバコと間違えてゴミ箱に捨ててしまった。マンションに帰ってから気がついた。。。
●またまた勘違い。やはりK君は父親と一緒に来るらしい。
だから土日じゃないと無理。
さすがに観光案内はできないけどファミレスで合うことになった。
「週末の土曜にあおう!」とメールが来たけど、いつの週末の土曜??
もしかして今週?
まさか。確認しておかないと。
●『白樺の道 伊藤よし子 伝記 第二部~愛より始まる』を読みはじめる。
社員も何かと大変だ。
とりあえず、僕が何かしたとか、そういうことじゃなかったので安心した。
●スノボーの件を同僚に話したら「気が小さいなぁ」と言われたが、確かに僕は気が小さいけど(笑)、この場合は気が小さいというのとは少し違う。この不安にはもっと僕にとって根源的な意味合いがある。
僕は無意識の罪を極端に恐れる。
明らかな自分の過失であるなら、手の施しようがある、謝罪するなり話し合うなり。明らかな相手の過失でも同じ。
でも、何が原因かわからないとき、中途半端で宙ぶらりんな状態のとき、それが一番不安になる。
自分が無意識にしでかしてしまった過失は気付きようが無いからだ。
僕はこれまでたくさんのそういった無意識の罪を犯し、たくさんの人を傷つけてきただろうし、そしてたくさんの無意味な別れを繰り返してきた。改善できる余地があるのに、そういう不透明な状態ゆえに人間関係が崩壊することに耐えられないからだ。
一見わかりあえないと思われる人、自分と合わないと思われる人とも、はたしてそれが腹を割って全てを話し合った故でのことならまだあ納得もいこうが、何かしらの可能性を有している時点でそれを放棄できるほど人との関係というものは放棄できるもじゃないと信じている。
信じないと僕の希望の否定になるし、僕自身の存在が醜悪極まりないものに感じられてしまうからだ。
人はそれぞれ違う。だから、摩擦が生じる。ゆえにそういった無意識の罪は皆犯している。
だけど、だから人間はそういうものだ、仕方が無いと思うことはできない。
人間は、努力することでそうじゃない存在に近づいていける。そう思っていたいのだ。じゃないと、僕の障害を真似してきた人たちの存在を受け入れることも清算することも永遠にできない。これは僕にとって生きるための支柱なのだ。
無意識の罪を少しでも気付き減らしていくことができなければ、僕は一生贖罪もなしえぬまま、僕が傷つけてしまった人々の数だけ増え、僕は罪人としての重荷を積み上げていくばかりだから。
●休憩時間に、新しく買ったタバコを空のタバコと間違えてゴミ箱に捨ててしまった。マンションに帰ってから気がついた。。。
●またまた勘違い。やはりK君は父親と一緒に来るらしい。
だから土日じゃないと無理。
さすがに観光案内はできないけどファミレスで合うことになった。
「週末の土曜にあおう!」とメールが来たけど、いつの週末の土曜??
もしかして今週?
まさか。確認しておかないと。
●『白樺の道 伊藤よし子 伝記 第二部~愛より始まる』を読みはじめる。