嘘から出た真

2010年2月17日 日常
嘘から出た真
嘘から出た真
●シネマ5で『ディアドクター』がリバイバル上映されていたので観にいった。キネマ旬報1位を取った記念の再上映。
http://www.youtube.com/watch?v=nLWxyAxpyxQ&feature

http://deardoctor.jp/

地方の僻村に赴任している、1500人の村でたった一人の医師(笑福亭鶴瓶)はみんなに頼られ、愛されていたが、ある患者とのいきさつから消息を絶ち、無免許医であったことが公になる。
ブラックジャックの漫画のエピソードに同じような設定(僻村で愛される無免許医)があったなぁと思いながら見ていたが、設定は似ていてもそのエピソードとはまた違った形で完成度の高い作品だった。
彼が何を求めて医師を名乗ったのかは知る由もないが、画面を通じた無免許医の姿には様々な感情が表れていた。
おそらくは彼の心には人から崇められたい気持ちもあっただろうし、経済的な理由もあっただろう。
だけど、彼は村民達と精力的に向き合い、また勉強し努力して、いずれ愛され頼りにされる医師となった。
虚栄心や利己心だけでできることだろうか。
研修にやってきた見習い医師が、彼の患者と向き合う姿に感銘を受け賞賛しても、彼はあくまで自分を卑下する。
無免許医の心には、嘘をついている罪悪感と適正な治療を行い得ない恐怖心もあったろう。
「彼ら(村民)は足らんということを受け入れているだけや」
確かにそうかもしれない。
だけど、こうも思う。村民は足りうる技術を持った医師が来たとして、この無免許医のように愛したのだろうかと。
無免許医であるという嘘から、彼は何かしらの真(まこと)を生み出した。
だからこそ、村人達もこの医師を受け入れたのだ。
刑事が無免許医の素性を洗うため村民に聞き込みをする際、村民達はどこかでこの無免許医をかばう仕草を見せる。
村民の信頼をだまし裏切っていた医師が村民によって庇われる、その理由に彼の生み出した真があるんだと思う。

ある一人の村民の聞き込みのときに、刑事とのやり取りが印象的だ。
「彼がここまで住民のためにしてこれたのはいったい何のためだと思う?金か、ちやほやされることか?」
「そうじゃないと思う」
「じゃあ、何だ?愛か」
突然村民が椅子に座ったまま後ろに倒れると、刑事がとっさに傍により、大丈夫か、と置きあげようとする。
村民が言う。
「刑事さん、今のは愛ですか?違いますよね。私を愛しているわけない。つまりそういうことなんだと思いますよ」

偽医者が、村民達に示した真とは、上記のやり取りの究極の形だったのではないかと思う。

と、ここで辞めて言葉にしないほうが趣があるけど(笑)
それではあまりに不親切なので、言葉にするとしたら、どんな人間にも、自覚せざる、理解できない根源的な善の心がある。
その姿をこの作品は描いて見せた、ということが言えるのではないかと思っている。

また、笑福亭鶴瓶の演技も素晴らしい。さすが噺家なだけあるなってね。


●夏目漱石『硝子戸の中』読了。
百ページくらいの小品の随筆なのですぐ読めた。
硝子戸とは漱石の書斎と外とを隔てる壁であり、まさしく漱石が書斎の中で考えたり思い出したりしたあれやこれやのことを書いているわけで、一連のつながりがあるかというと無いと思うけど、これはこれで面白かった。

なんなのだ??

2010年2月16日 日常
なんなのだ??
●今日はスノボーのはず。
連絡を待ってたが、一向に来る気配はない。
午前9時くらいにこっちから電話をかけてみるも出ず。返信もなし。
折角観にいきたかった映画を中止にしてスノボー行くことにしたのに、いったいなんなのだ?
行かないなら最初から誘わなければいいのに。
ていうかなにより、何の連絡もないのはどういうこった。
ドタキャンが嫌いな僕は、ドタキャンされたことに憤りながらも(正当な理由があるなら話は別だが)、その実あまり乗り気でなかったスノボーが実現されなかったことに少なからず安堵していたりもする。
しかしながら、それが何故実現されなかったかに至るとさっぱり理由がわからないし、連絡もなかったことに対して、まず、自分が何か相手に不合理なことをしでかしてしまったんじゃないかという懸念が起こる。
自分に過失はないはずだと思いながらも、ネガティブな考えばかりが浮かんでくる。


●夏目漱石、『道草』読了。
漱石の自伝的小説。
49歳の漱石が35~7歳くらいのころの自分の境遇を書いている。
妻との内在的な不和や、彼の金に頼ろうとする親族達とのしがらみをかなり辛らつに描いているわけだけど、壮年期の自分の姿もまた俯瞰して徹底的にその未熟さ、醜悪さを暴いている。
自分にとっても、また自分の近くにいる他者にとっても読むのが実に辛い読み物となっていることと思う。
若いころの漱石というのは自分の学問におけるプライドが唯一の支柱であって、そのプライドが強固過ぎて、人との壁を自らこしらえている部分があったように見受けられる。
言っていることは論理的なようで、プライドが邪魔して実に独善的で理不尽に映る。
そんな若かりし自分の矛盾を徹底的に精査し暴きつくすことで、浄化を図る、それが則天去私にいたるためには是非とも必要だったのではないか、と解説文に書かれていた。
世の中の罪、他者をモデルとして人間の罪を浮き彫りにするとともに、また自分自身も差別せず、自分の罪をも批判的に検証することで、贖罪を成しえようとしたのかも知れないし、それが自分の過去の横暴に対する復讐であったのかもしれない。


●昼マックに行くと、ハワイアンバーガーというのが出ていた。
テキサスバーガーは食ったけど、ニューヨークバーガーは逃したので、これを食べることにした。
食べていつも思うのだが、いったいどのあたりがテキサスであったり、ハワイアンであったりするのかさっぱりわからない。

●午後は引き続き夏目漱石で、『硝子戸の中』を読み始める。
小説ではなく随筆っぽい。途中から眠ってしまった。

●明日の午前中は、できることなら、映画を観にいきたいと考えている。
『ディア・ドクター』

明日だった。。

2010年2月15日 日常
●雨が降っている。
今日がスノボーだと思い込み、仕事あけて眠らずに連絡を待っていたが一向に来ない。そもそも雨降ってるしスノボーできんだろうと思っていたがよく考えるとその社員は火曜日といっていたような。
そうだ火曜日だった!
今日じゃなかったぁ。
僕は月曜と思ってたから承諾したのに、明日スノボー行ったら筋肉痛がえらい事になって絶対水曜の仕事に影響出る。。。
でもドタキャンが嫌いな僕はもう断れないな。
明日も曇りっぽいけど、スノボーできるんかいな?


●郵貯銀行のキャッシュカードを作るために実家に帰った。
なぜか祖母の実印で通帳作ったので、祖母から印鑑借りないと作れない。
金を貸してるHさんはその通帳に毎月金を入れてくれているけど、通帳だけだと金を引き出せない。
印鑑は祖母ちゃんが持ってるし。
やはりカード作るしかない。
てことでスノボーがなかったので実家帰ったわけだけど、帰り途中工事中でずっと通行止めだった道がいつの間にか通れるようになってた。
いままで遠回りして帰ってたけど、これからぐんと実家まで変える時間が短くなる。良かった良かった。

●ちゃんと仕事をこなそうと思うなら、しっかりと睡眠時間を確保しなきゃできないと最近痛感している次第。
そんなこんなで、株のないときはネットの時間を減らしたおかげで、最低8時間は睡眠をとっている。
実際8時間でも足りなくて、僕の場合10時間くらいほしいのだけど、それだと読書の時間がなくなるので我慢。


●ボーダーでアスペルガーのK君がまた大分に来るとメールが来た。
どうやら僕の休日に合わせるようで、仕事のある父親同伴ではなく、一人で来るとかいってるわけだけど、来るとしたら、K君にとってかなりの冒険になるだろうし、こっちとしては、今までの経緯から、ほんとに来るの?って半信半疑。
でも休日にあわせて来るのなら、観光案内してあげようと思う。
メールだと不安定な彼も、一度過去に京都であったことあるけど、実際に会ったら障害を抱えてるだけで、普通の好青年だったし。


●今月は見たい映画が結構ある。
一週間しか上映されないのもあるので、来週の休日は一日に二本観ることになりそう。
観たい映画が多いのは不作だった去年に比べていいことだ。
またイベントもちょくちょくやってもらいたいですよ。

比喩と描写

2010年2月13日 音楽
●昨日日記に書いた中島みゆきの「樹高千丈落葉帰根」という歌の歌詞だけど、そもそもこの言葉は中国のことわざで、
(どんな遠く、長く、ふるさとから離れても、いつか愛しいふるさとに帰りたい気持ちが変わらない)
という意味らしいけど、歌詞の中にはそのままの意味として書かれていない。
人それぞれで幾通りにも解釈できるように描写されている。
おそらくは中島みゆきの中にある「何か」を表現するために、この中国の諺を彼女の感性で再構築しなおして、もともとの諺の意味とは違う、彼女の「何か」の心情を表わすために用いているのではないか、と思う。

そして、その中島みゆきの「何か」がまた、歌詞において「何か」としてそのまま表現されていないで、諺に倣い樹木のこととして比喩的に表現されているので、これを聴く人の心に、それぞれが個人的にもつ「何か」への共感を喚起するという広がりを生むことになるのだと思う。

中島みゆきが「樹高千丈落葉帰根」という言葉から想像した樹木の描写から、僕が感じ取った「何か」はこんな内容である。

この歌の歌詞の一番目。
見知らぬ土地、とはまだ見ぬ世界や経験。
自分の将来を信じて、新しい自分を信じて、変わろうする自分の努力は、いつか報われるだろうか。
その変化は、努力は結局日の目を見ずに徒労に終わってしまうのだろうか。
そんなことはない。目に見える枝よりも遥かに深く長く、根は広がって樹を支えている。努力は見えないところで私をを支え、確かに私を成長させているし、挫折(落ちていく葉)も私の根に受け止められまた成長の養分となる。


二番目。
人生を歩む、成長していく人間は、様々な人と出会ったり別れたり、それが人生、それが運命とはわかりつつも、やはり別れは辛く、あきらめられない、未練も残る。
私は一人でいるのが寂しい。嫌いだ。
でも人と争いあったり、疑いあったり、傷つけあったり、そしてそれゆえに別れてしまうことはなお辛い。
だから、人と距離を置いてしまう。一人でいるのを選び、人間に望む温かさや希望が現実により損なわれるのを守ろうとしてしまう。
人生では、色んな事情により、友情であれ愛情であれ、それぞれの意思に反して離れざるをえない人もいる。
出合った人たちもまた別れてしまうのだろうか。
別れていった人たちは、私のことなど忘れてしまうのだろうか。
私も別れ人たちのことを忘れてしまうだろうか。
いいや、忘れるものか。
別れた人たちの思い出は、私の中に残り続ける。
別れは辛いけど、それは経験という養分となり、また枝を延ばし、新たな出会いという葉をつける。


特に二番の歌詞は、僕の対人不信の心理を代弁し、またその辛さを受け止め肯定してくれているようで、中国の諺の本意と違うことはもちろん、中島みゆきの解釈ともまた違っているかもしれないが、「樹高千丈落葉帰根」という言葉で比喩的に表わした中島みゆきの「何か」が、さらに僕に独自の感動を呼び起こさせたわけである。

情景であれ心理であれ、何かを描写するときに、それを比喩や暗喩によって表現できることは読み手の想像力の幅を格段に広げると思う。

はよ起きた

2010年2月11日 日常
●仕事に行くと、例の社員がスノボーについて話してくる。
夜勤明けだけど、平気だよね?
平気じゃないけど、その日じゃないと厳しいから仕方ない。
車の中で爆睡するかも。。。
でもスキー場の雪が30cmくらい溶けたらしい。
最近昼はかなり暖かいし、ほんとにまだスノボーってできるんやろか?


●思えば今日は祝日だった。
株の相場が開かないのでよくよく考えてみたらそういうことだった。
曜日感覚はずれないが、祝日関係ない職業ってのは日にち感覚がどうでもよくなる。

とりあえず、すぐに風呂に入って疲労を撮るために念入りにストレッチをしてみた。
なんとなくいい感じな気がする。
栄養を取るために飯もしっかり食った。
そして、昨日の宣言どおりmixiのコメントだけ書いたらすぐにネットを閉じて、読書。
寝っころがって1時間半くらい読んだら、眠気で意識が朦朧としだして、とても読めた状態ではなくなったので眠る。
ストレッチが効いたのか、早く目が覚める。
でも普段ギリギリまで寝ているので、妙な感じがする。もっと寝たい衝動に駆られる。もったいないと思ってしまう。ほんとは寝るほうがもったいないんだけどね。
なんか仕事前にこんなに時間があると仕事に行くまでに疲れそうな気がしてしまう。
たぶん、早く起きると、「ああ、今日も仕事だ」と感じる時間が長くなるので、その分気が重たくなるのだろうか。これが寝る前なら、今日はもう仕事が終わった、という気分だから気が軽い。
そう考えると、睡眠は気持ちのリセット的な効果も確かにあるのだと思う。
仕事ギリギリに起きて、夢か現実かわからないうちに会社に行って、そのままなし崩し的に仕事に取り掛かるほうが気持ち的に楽。
だから、また寝ると思う。
今からまた1時間半ほど寝て、それからマックにいこうと思う。
もしかしたらギリギリまで寝ていけないかもしれないけど。

何が足りない?

2010年2月10日 日常
●なんだろう、寝ても寝ても眠たい。
体調すっきり気力万端って時を最近知らない。
何でこんなに疲れるのだろう。
精神的肉体的以前の問題だ。
ビタミンが足りない?鉄分が足りない?カルシウムが足りない?
血圧が低い?
みんなこんな感じなのかな。
疲れやすいと思っている自分の感覚は実は普通で、みんな同じくらい疲れてるのかな。
運動不足。。それも考えられる。
栄養不足、確かにこの会社に入ってまともな飯は一日一食だし。
常夜の勤務で昼夜逆転。
日光に浴びなさ過ぎるのも原因かな。
気力満タン、すっきり爽快で仕事に望みたいもんだよまったく。
とりあえず、ポンカン食った。
仕事始めると動けるんだけどね。

●昨日の健康診断で、視力図ったら落ちてた。。。
左目は1.0キープしてたのに、右目0.8、右目0.9.。。
そのうちメガネかけなきゃならなくなるかも。

●床屋に行く気力さえなく、ずっといってないので、いまだかつてないロン毛になりつつある。
面白いのでこのまま伸ばしてみようか。
ロン毛の自分ってどんなんだろう、想像がつかない。

●とりあえず、証券会社の口座にまた5万入れてアジア投資をナンピン。売り抜けるまでひたすらナンピン。

●ネットは週末、平日はmixiのみ。
あとは読書に費やす。映画も週一で必ず見る。
平日も見れたらDVD見る。
とりあえず続くかわからないけど宣言してみる。

●来週の休日、スノボーの予定だけど、昼間かなり暖かいぞ。もう春だ。まだスノボーってできるのか?

低血圧

2010年2月9日 日常
低血圧
低血圧
●寝て本を読むというのは駄目だ。
どうしても眠くなる。
一番いいのは、ソファーみたいなものに中途半端に斜めになって読むのが一番はかどる。
自分の部屋はベッドしかないので寝て読むことが多いが、すると寝てしまう。
たっぷり寝たはずなのに、寝て読書してたらそのまま眠って起きたら午後3時。6時間も寝てしまう。
どうしようもない。

●難しい本というのは遅々として進まないから、読了するのが遅くなる。
一回読んでもどれほど読解しているかも甚だ怪しい。
もっと色んな本が読みたい場合、もっと簡単な本を読んでいく方が、読書している感があるような気がする。
でもなぜか難しい本を優先的に読んでしまう。そして眠くなる。

●午後3時から健康診断に行ってきた。
血圧を測ったら男性にしては低いといわれた。
僕が疲れやすいのはこの所為ではないだろうか。
朝起きるのも辛いし、常に倦怠感がある。いくら寝ても眠れる。
血圧をせめて正常値に持っていくには。。塩分取るの?
血液採取をしたらいつも少し気分が悪くなる。
ほんの少ししか血液は出ていかないのに、軽い立ちくらみのようになるのも、血圧低い所為かしら。

●街に出る。
シネマ5で映画を見るためだけど、ちょっと早く出たので中央街商店街をうろうろしていたら、新しくカレーとオムライスの「SPICE」といおう店ができていたので試しに入ってみる。
でもカレーもオムライスも頼まずにお茶漬けと鳥天定職。
そこそこおいしかった。

●韓国映画『母なる証明』を鑑賞。
知的障害をおっている息子を盲目的に愛する母親が、息子の絡んだ殺人事件の真相を暴こうと四面楚歌の中、手段を選ばず奔走するも、突き止めた事実はあまりにも惨いものだった。
愛の深さや素晴らしさとともに、愛の卑劣さ、残酷さをも鮮烈に映し出す過酷な作品である。
誰かを犠牲に、何かを犠牲に自分や親しき誰かの人生を守る、誰もが闇を持ち、その闇がそれぞれ錯綜して罪なきところに罪を形成し、罪なきはずの人々を罪人の運命へと陥れる。
それが僕たちの生きる世界の実体であり、僕達も煎じ詰めればこの映画に描かれたような錯綜の悲劇(その罪の大小はあろうが)を繰り返す日常を送っている。
息子の母であるからこそ息子の無実を信じ、息子の純粋ゆえに息子の罪を認め得なかったこの女性はまさしく母である。
これが正しい母のあり方かどうかは別にして、彼女が犯した大罪は、全ては息子に対する愛の深さゆえの、母なる証明である。

やってみた。


結果


INTP型:問題を解決したがる

INTP型の適職:作家・芸術家や芸人・コンピュータープログラマー・社会科学者・法律家


考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。
頭の中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力が色々な可能性を思いつく。
客観的(T型)なので、その新しいデータを分析し、際限なく融通がきく(P型)なので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。

論文、図面、計画、企画、提案、理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作り上げようとするが、たえず新しいデータを発見するので、その完成図がどんどん膨らんでしまう。

その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうのである。

これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラストレーションになる。

完璧に見えても満足しないので、自らが最大の批評家となり、あら探しをする。
完璧、有能、優秀であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりした自分を責めたりする。

このタイプは女性の場合に葛藤を生む。

考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメージで、頭だけで理屈をこねる資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合はあまり受け入れられない。

そこで少なくとも三つの問題が生じる。

第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があると見られてこなかった。
だから、人生を頭で考えた理屈に合わせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反する。

第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。
たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の哲学的な意味について述べたくなる。
そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。

第三に、T型の面が、従順、おとなしい、気配りといった女らしさに反する形で表れる。

INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人も他の人もギョッとしてしまう。




親子関係

INTP型は、親というのは子供の未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている。

一人ひとりの子供の違いを辛抱強く受け止め、子供には自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。
自分の進むべき道を模索する子供を驚くほど寛大に支えてやる。

子供の発達にあまり口を挟まない。
どんな考え方や行動をしたらよいか、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押し付けずに新しい可能性を示してやる。

その助言が受け入れられなかったら、「ちょっと言ってみただけ」とこたえるのが普通である。

だが、ときには、反抗的だったり無関心に見えるときでさえ、子供は親が別の考え方を押し付けてくれるのを待っていることもあるのだ。

そういう子供にとっては、「無理やり」とか「押し付け」とかいった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。

INTP型の子供は、人との付き合いで内気と見られるか、逆に、やたら理屈っぽく突っかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。

学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問をすると見られる。
そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせととられる。

必然的に、INTP型は学校生活に耐えて生き抜いていくために、誰よりもよく勉強することになる。



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ああ、かなり当たってるな。
自分の中でどんなに信念めいたものであっても、それ以上に論理的に正しいと納得できる価値観にであって、自分の考えの矛盾が浮き彫りになったらあっさり修正してしまうからね。
そうやって自分の内面はどんどん進化するもんだと思っているので、基本的に終わりがない。終わりがないから膨張する。
これほど楽しい事はないね。まさにそのとおり。

女性についての言及が多くて、男の僕は物足りない感じ。
女性と男性で類型化するのもどうかなと思うけどね。
まあ、この診断自体類型化だけど。

子供のしつけ(もしするなら)についてもかなりあってる。
小さいころには、色んなスポーツ触れさせて、ある程度の年齢になったら、あなたは何が一番したい?っていって選ばせようと思ってる。

自分が選んだとこに対しては自分でしっかり責任を持たなきゃならないことは教えるつもり。

ちなみに、僕の学生時代は、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求してた。
だけど、勉強も一切しなかったから落ちこぼれだったけどね。


http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

携帯サイト
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/mobile/

消化不良

2010年2月7日 お仕事
●仕事に行くと社員から、今日は朝早くごめんなぁ、といわれ、昨日でた問題の説明を受けた。
どうやら、やはり僕はルール通りに仕事をこなしていたわけで、人為的なミスではなく機械の不調ということらしかった。
偶然に偶然が重なって、誰も気付かなかったのだそうな。
だけど、すごく細かいことをいえば、機械に信頼を置きすぎて、その部分を確認しなかった僕にも過失はあると思う。
事後に言っても仕方がないが、僕がそこのところをもう少し気をつけておけば防げたかもしれないミスでもあるのだ。
確かに会社のルールではそこまでの作業は要請されていないけど、それでもやっぱり凹むことは凹む。
今度からはそこも注意しなければいけない所として、頭に入れておかないと、自分の中で非常に気持ちが悪い。


●今日が終われば、先週休日出勤だったので、ようやく2日連休だ。
スノボーは来週になったらしいので、今週の休みは存分に休もう。
思い切り寝よう。映画に行こう。温泉行こう。読書をしよう。
あ、でも健康診断にいかないとな。

状況が。。

2010年2月6日 お仕事
●仕事も大変だったけど、無事に終わり、帰宅して待ったりしている今しがた、会社から電話がかかってきた。
なにかミスが起こったかもしれないニュアンスを含んだ確認的な電話だった。
電話越しだったので社員のいう状況がいまいち把握できない。
そのときの作業を思い返してみたけど、正確には思い出せない。
社員の言っていることは二通り解釈ができて、僕がそのときあることをしていればおそらくミスではないが、していなければミスの可能性が高い。
僕はそのとき、その「あること」をしたような気もするし、違うときにしたような気もする。そこら辺の記憶があいまいなので、非常に不安になる。

僕はこの間、無実の罪で怒られた一件以来、いつも以上にミスを犯さないように気をつけているつもりだけど、そこは盲点ともいうべき場所で、ちょくちょく確認はしているが製品一つ一つ全て確認するのは作業の早さからいって不可能なところ。

だから電話も責任追及的なものでも叱責的なものでもなくて、不可抗力的な意味合いに社員も受け取っているのか、事実確認的な感じで、あまつさえ、確認を聞いたあとでありがとうとさえ言われたのだけど、だからといって、やはりこういう電話があると気持ちが煮え切らない。
記憶が錯綜して、不安になって仕方がない。
もしこれが、僕が「あること」をした後なら、僕はしっかり確認をしていたむしろ功をそうした行為になるし、「あること」をしていないなら、逆にミスの範疇に入る。

今日の夜仕事に行ったときに僕があることをしたかしてないかの記録が残っているはずなので、そのときにしたのかしてないのかを確認したうえで、社員に説明しないといけない。

まだわからないけど、これが僕の見落としのミスだとしたら、あれだけ気をつけていたのに、そこにはあまり注意を向けていなかった落ち度がかなり自分の気を滅入らせるな。
なんかそういうネガティブな結果を想定してもう滅入っている自分がいるけど、ミスではないといいなぁ。。。


●今日はかなり肉体的にきつかった。
飯をあまり食わなかったら途中から偏頭痛になったので、セデスを飲んだ。
帰りがけ違う部署のおばちゃん2人がお菓子を囲んで井戸端会議していたので、僕もお菓子をご相伴に預かって砂糖たっぷりの温かいコーヒーとチュコレートをしこたま食ったら、少しは痛みがマシになった。

いつが朝食

2010年2月5日 日常
●会社から健康診断の髪が配られた。
年に二回あるというけど、去年僕は受けてない。
何で受けんかったんかな、と考えたが、おそらく僕がそのときはまだ派遣だったからだと思う。

今年は契約社員になったので、診断の要綱をもらった訳だ。
読んでみると血液検査がある場合は、朝食や飲み物、カロリーのあるものは取らないでとある。
僕の診断表には採決に印がついているから、血液検査があるってことだろうか。
でも僕は夜勤なので、健康診断があるのは夕方。
この場合、朝食っていつ取るものをいうのだろうか??

診断がある日は僕は休日なのでめんどくさい。
めんどくさいけど、仕事の後とか前とか、途中とかに受けるよりはマシかな。


●日経平均も為替も急落。
ああ、まだるっこしい。
こうやって何もせず眺めてる時間が無駄。
でもどうにもできない。うつうつ。
早くデイトレに戻りたい。
この会社選んで働いてる意味が無さ過ぎる。
今月中に何とかなってくれよ~。

職業病

2010年2月4日 日常
●いつもヘルプに行っている部署の新人さんたちは、最初みんなで休憩をとって和気藹々としていたけど、日にちが経つにつれて、グループが分かれていっているよう。
僕はみんなとよく話していたので、みんな集まってわいわいやっていたメンバーが少なくなっていて、僕は直接関係あるわけではないけど、なんか悲しかった。
各々が各々に不満を持ち出したのはやはり仕事が理由。
愚痴や悩みをを聞くことが多い今日この頃。
僕も色々悩んでいる部分もあるけど、みんなそれぞれ病んでいるのだなあと感じる。
僕の悩みはまだ序の口って感じで、このままいったら辞めるんじゃないか的な人もちらほらり。


●最近腰が痛い。
腰が痛いのでストレッチをしたけど、昨日の仕事中に心臓が痛くなった。おそらくは心臓の周りの筋肉だあろうけど、背中の筋肉が張っているときに稀に起こる。
背中が張っているときに起こるので心臓自体が痛いとかどうとかではないと思うのだけど、痛みが走っているときは、ほんとに俺はこのまま心臓麻痺で死ぬんじゃなかろうかという危惧さえ覚える。
陰ながら少しの間うずくまって起きてから背中のこっている部分をぐりぐり押していると治った。
僕は生まれつき背骨が曲がっているので、背中の右の筋肉の方が発達していて、その分、そこの筋肉がこりやすい。
でも腰が凝って心臓が痛く感じるなんて不思議だよね。

極寒地獄

2010年2月3日 お仕事
●公休出勤とやら。
出勤だけど心理的に休出は、なにか軽い。
節分の恵方巻をひたすら作る日。
社員も総出で、どん位会社にいるの?と聞くと24時間とか、ありえん。
僕は一時間早出の2時間残業で12時間。
社員に比べたら全然だわ。
作業は、単純でいつもより全然楽なのであまり疲れなかったけど、2、3時間ー20℃の冷凍室で作業したのが大変だった。
デカイジャンバー着るのだが手はゴム手袋一枚。
指先は冷たいを通り越して痛くなり、痛さを通り越すと何も感じなくなる。まあ、麻痺する。
冷凍室から出た後、周りが常夏に感じた。


●休憩時間に色んな部署の人と話しているのだけど、新人さんの悩み(というか愚痴)を聞いていて、僕もこの会社に入ってから10キロ痩せたわけで、前いた工場ではそんなことはなかったわけだし、何で痩せたんだろうと考えた。
今の会社は、前いた会社に比べて仕事は楽だけど、何か常に不安感があるのだ。
いざ会社に行ってみると意外になんともないのだけど行く前にはいつも不安になる。
つまり、それは作業的にも対人的にも、いつか何か大きなミスや、問題をしでかすんじゃないかという危機感がある。前の会社ではそこまでの危機感がなかった。
これが痩せた原因なんだろう。
対人的な部分は、はっきり言って同僚のおかあさん一人のはなしなのだけど。他の会社の人たちとは、うまくいき過ぎなくらいうまくいっている。おかあさんも、最近は僕が慣れたからかそこまで気まずさは感じない。
はずなんだけど、いつかおかあさんと決定的な問題が起こるのではという危機感がかなりの不安感を呼び起こしているのだろうかな。
これが同世代ならそこまで無い。
僕の倍の年齢の人だから、ここまで神経磨り減らすのだと思う。

ようやく一冊

2010年2月2日 日常
●今日は休日出勤。
2万個の恵方巻を作るとやら。
今日休みの人はみんな休出で、休出した人たちはみんな恵方巻を作る。
恵方巻だけ作り続けるってのもなんか飽きそうだな。
まあ、今日一日だけだからいいけど。


●トルストイの『人生論』ようやく読了。
詳細な感想は後日。
人が死を恐れるのは時間と空間に区切られた物質としての生存を生命と認識してしまっているからであり、真の生命とは時間や空間に区切られない。ゆえに死はたんなる関係性の変化に過ぎず、恐れるものではない。というトルストイの人生観。


●今現在読んでいる本。
マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。注釈が多すぎる。しかもその注釈がおそらく本文よりも長い。
ゆえに難解すぎる。注釈を読まずに本文だけをまず通読し、大枠を把握してから注釈にも目を通す方が理解度が増すかもしれない。再読ってか、再々読くらいしたらだいぶわかるかも。
夏目漱石『道草』、これは漱石の自伝的小説。妻との不和とか赤裸々過ぎて、当時の奥さん相当ショックだったんじゃないだろうかと。
車谷長吉が言ってたけど作家とは悪人になることらしい。しかしそれにより救われる人もまたいる。特に私小説ともなると、その傾向が強いように感じる。自分も他者も含めて、小説は人間の矛盾や欠点を浮き彫りにする。だから、小説家は、一面から見れば悪人であるが、自他を区別しない平等な悪人である。それが小説の問題提起となったり作家性となったりもする。
小説家は人間の気付かぬ傷を指摘する。指摘された人は、自らの傷に気付く。傷に意識が行くことで人は初めて痛みを感じる。
痛みを感じることに怒りを感じる人もいれば、傷に気付けたことに感謝し、その痛みを受け入れ治療しようとする人もいる。
小説により救われる人とは、つまり後者である。
傷が擦り傷なら問題なかろうが、癌だった場合、手遅れになる前に気付け、自分の体(人生)が癌に侵食されるのを防いでくれる。小説にはそういった効用がある。
漱石は、確かに他者をモデルにし、他者の姿から見られる人間の傷のありようを暴くが、同様に自分の姿も詳細に観察し、自分の傷も暴いている。

漱石はマックスウェーバーの間の良い息抜きになる。気がつけば、漱石の小説を3分の2読み終えた。
今年は漱石を全部読むことも目標の一つにしよう。

早い

2010年2月1日 日常
●テニスのオーストラリアンオープン終了。
フェデラーやっぱり強かった。
これみる限り、まだまだグランドスラム取りそうな感じだわ。
結局、男子の試合を全部録画してしまった。


●株、日本アジア投資の決算。
サプライズもなく、何の面白みもない決算。
もう少し何か期待してたわけだが、これじゃあ。
動きはあったけど下がった。まだ売り抜けない。
もう持ってから半年越えてるぞ。早くデイトレしたい。
でも損きりしたくない。
もうしばらく保有だ。


●今年に入ってもう一ヶ月も経った。
早すぎる。まだなんもやってない。
仕事と睡眠の毎日。

●明日休出のはずだったのだけど、予定変更で明後日休出になった。
ということで明日は休み。
でもその後6連勤もつらいね。

●恵方巻というものを生まれてこの方食ったことがない。
どうやら、恵方巻、食い終わるまで無言で食べ続けないといけないらしい。
親に何故うちは食べなかったの??というと、こっちの風習ではないから、らしい。

●栄養ドリンクはおいしいと思う。癖になる、中毒になる。
だけど、大量に飲むのがおいしいわけではなく、あの量だからおいしいのだと思う。
昔、クリスマスに子供が飲むシャンメリーが大好きだった。小さいコップに入れて飲むと大変おいしく感じた。
でもラッパ飲みをしてみるとサイダーと対して変わらないような感じだった。
栄養ドリンクもそんな感じだと思う。

●最近、物欲が皆無だったが、久々に、これはほしいと思った。
http://www.jp.playstation.com/ps3/torne/

PS3に繋ぐと地上波録画ができるようになるという『トルネ』。
http://www.youtube.com/watch?v=_xdb21d9GqU&feature

動画を見たが、この機能性と操作性で9980円は安い。
まあ、僕はPS3も持ってないからトルネ買うならPS3も買わないといけないけどね。
驚いたその操作性、僕の今のDVDレコーダーの10倍以上くらいサクサク動いてるし。
そして、パソコンに繋げるから、外付けHDに録画を保存できる。
もうDVDはいらなくなるかも。デジタルは要領でかいけど、快適に見れる範囲で圧縮できれば、テニスの巨大アーカイブが出来上がる。。かもね。

撤退

2010年1月30日 日常
●僕が以前勤めていた請負会社が、ついにキャ○ンから撤退するらしい。
6月だから、まだ先の話だけど、やはり世の中不況のようですな。
といってうちの会社も今年が勝負の年とか言ってるし、こういう業界は先細り、将来性に光が差してこない。
グローバル化って確かに便利になったし技術やサービスを加速度的に進化させるけど、その分、資本主義的競争が激しくなって、弱肉強食。
どこの企業も安泰でなくいついかなることで淘汰されるかわからない。
他人事ではないけれど。
で、6月撤退したら、うちの会社にも人が流れてきたりして。


●タウリンのサプリメントを調べてみた。
あったけど、日本のサプリは高い。アメリカのサプリのほうがいい。
日本は品質が安全だとかいう向きもあるけど、ことサプリに関しては、日本はアメリカよりも遅れていると思う。
学生時代から色々なプロテインやサプリを飲んできてそれを痛感。
どうしよう、買ってみようかな。


●僕が持ってる株の銘柄、日本アジア投資が2月1日に決算。
来週はまず、上がるか下がるかの変化があるはず。
来週売り抜ける可能性高し。念願のデイトレ復帰なるか!?

3000mg

2010年1月29日 日常
●三日連続で飲んでいる栄養ドリンク。
今飲んでいるのはゲキタミンDとかいうやつ。
そこそこ安いお値段で、タウリン3000mg配合という宣伝文句につられた。
他のドリンクはタウリン1000mgとかだったから。
しかしこのタウリンとやら、いかなるものなのかさっぱり知らない。
知らないくせにタウリンというものがどの栄養ドリンクにも書かれているので、タウリンとはきっと疲労回復に欠かせないものなのだ、多ければ多いほどよいものなのだ、という意識が刷り込まれ、こうやって宣伝文句に踊らされ買ってしまうのがメディアの力。

知らずに踊らされるのも癪なので、タウリンを調べてみた
http://www.koiy2720.net/yougo115.html

なるほど、ふむふむ、タウリンはやはり疲労にいいのか。
じゃあ、もっと栄養ドリンク飲みたいところだが。。。
栄養ドリンクの飲みすぎについて調べてみた
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=330143

やはり栄養ドリンクは飲みすぎはよくないらしい。
体の自然治癒力みたいなのを弱体化させちゃうんだろうな。
飲むのをやめた時にすぐ疲労しやすい体になりそう。
一日二本とか飲むのはよそう。

てか、普通にサプリメントで取ったほうがいいのかも。
カフェインとかアルコールとか入ってないし。
どこかにタウリンのサプリ売ってないかな。
でもサプリは金かかるからなぁ。

スノボー

2010年1月28日 日常
●会社の、僕と比較的同年代の社員から、頻繁にスノボーに誘われているわけである。
僕はというと、株もあるし休日は疲れているので、という理由で乗り気ではなく、なんとなく流していたんだけど、スノボーに行くことで最も恐れている懸念といえば筋肉痛である。
以前の会社で行ったときの次の日の起き上がれないほどの激烈な筋肉痛はしばらく取れず、でも前の職場は立ちっぱでも動きのない仕事だったので何とか乗り切れたが、今の仕事は動きまくりである。
久しぶりのスノボー、しかも運動不足の体に鞭打って滑れば激しい筋肉痛は避けられない。
その後の仕事に必ずや響くだろうと思うと、他のことならともかく、スノボーはやはり乗り気になかなかなれない。
それに、僕はその社員とそんなに長く深く話したこともないので、2人で行くのは気まずい。そんなに僕は面白い人間ではないよ。
他の知ってる人連れて行くなら。。。といったら、これまた中途半端に僕も知ってるけどほとんど話したことない昼勤の人を連れてくということに。
まあ、2人で行くよりは間が持ちそうだけど。

そもそも何故僕なのだろう?と疑問だ。
その社員は車好きバイク好き、スノボー好き、人見知りしない、社交的、精力的、いつも会社の忘年会の司会を取り仕切り盛り上げている物怖じしない性格の(僕よりも)若者。
う~ん、僕との接点が見出せない。。
だんだん僕のこと知ってったら幻滅するんじゃなかろうか。というのはいつも誰に対しても思ってしまう僕の悪い癖。

それでも会うたびごとに言ってくるので、その熱意に応えないのも悪いような気がして行くことにした。
2月中に。
今年初で、おそらく最後のスノボーに。
でも行くのは社員の休日と重なる月曜日。
というか、火曜に行ったら筋肉痛のピークに仕事に行くことになるので、僕も月曜しか無理だけど。
でも月曜は月曜で、仕事が夜勤なので仕事終わりで眠らずに行かなきゃならんだろうし、きつい。。。

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