キタムさんの恋人からお手紙が届きました。

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今日で付き合って1年が経ったんだよね。あっという間だったなぁ…。
ということで、今日ぐらいは自分の気持ちをしっかり伝えようかなと思います。何言われるんだって、ビクビクしてない?(笑)

さて、何から書こうかな。
あー、前から疑問だったんだけどさ、なんでキタムは朝メールを送るとき必ず「おっはー♪」って書くの?
ってわざわざ記念日に書くようなことじゃないよね。この話はナシ(笑)。

あのさ、いきなりこんなこと言うのも悪いんだけど、いちいち「一生別れないよな?」とか確認するのやめてくれない?ついこないだも言ってたよね。
私だって毎日を大事にしていきたいし、別れるなんてまだ考えていないけど、いちいち確認されると逃げたくなるんだよね。そんなに不安なの?

それとさ、ぶっちゃけ、最近はあまり一緒にいても楽しくないんだ。
キタムって、私が言うのもなんだけど、付き合ってからどんどん「恋愛ばっかり」になってるよね。昔は恋愛以外のことにも一生懸命だったしカッコよかったのに、付き合ってからは私のほうしか向いてない気がする。だからあまりドキドキしなくなったっていうのも大きいかな(まぁドキドキしないのは前からだけど)。

キタムのこと嫌いなわけじゃないんだ。でもさ、なんか、もう少し堂々と構えていてほしいんだよね。引っ張っていってほしい、なのかなぁ。キタムは強気が空回りしているだけで、余裕がないから何だか疲れちゃうんだ。

なんか、つい悪いことばかり頭に浮かぶや…。もっと前向きなこと書くね。

これでも私はキタムに感謝してるんだ。
私は恋愛でいろいろなことがあって疲れ果てていたから、キタムが居場所をつくってくれたことが、本当に救いになった。私が男性不信になっているとき「おれは地味だけど、ずっとここにいるから」って言ってくれたんだよね。座敷わらし風の告白が嬉しかった(笑)。

キタムが言ってくれた「幸せにしてやるとは言えないけど、おれは君と幸せになりたい」ってセリフを今も信じているから、私はこれからもキタムと一緒に歩んでいきます。キタムがいつか「幸せにしてやる」って言えるようになったらもっと嬉しいけどね。

これからもたくさんの壁に当たると思うけど、絆を強めながら乗り越えていこうね。あ、あと、私の写真を勝手にネットに流出させるのはやめてね(苦笑)。

ではでは、これからも末永くよろしくお願いします。キタムがいてくれてよかった。ありがとう。

P.S.次の誕生日こそは、ゲーセンでとったぬいぐるみ以外のプレゼントがほしいな。



・・・あたらずも遠からずって感じだと思います。

手紙
http://tegami.hanihoh.com/r/?k=090414116349e477cf9fe5f

分析結果
http://tegami.hanihoh.com/explain/?k=090414116349e477cf9fe5f

昨日、不思議な夢を見た。
幼馴染と、もう一人(誰だったか忘れた)の三人で山登りをしている。
夢では阿蘇山と言っていたが、現実の阿蘇の山がどんな形状でどんな傾斜なのかももうさっぱり覚えていない。

ただその山には木が一本もなく、荒涼とした岩山で、ひだりての方が物凄い深さの断崖となっている。

覗いた瞬間に僕は落ちる。
落ちる落ちる落ちる。
目が覚めた。
おびただしい汗。

訳がわからない夢である。

おかげで夜眠れずに、読書をした。
漱石の「虞美人草」、登場人物たちのキャラが立っていて面白い。
人間関係の機微を表現する描写が物凄い。流麗で秀逸で的確で舌を巻く。こりゃあ、現代作家は余程でないとかなわない。
J・Sミルの「自由論」五章からなる。同じ章を何度も読む。三度目くらいでようやく細かい部分まで理解できるようになってくる。その過程が面白い。未知なる知の世界の扉が開かれる。

取り合えず、仕事をしようと思っているところへ電話した。
面接は水曜か金曜。
出来るだけ早く働きたい。
今月は親に借金だ。
落ちたらどうしよう。

ビリーが日本人女性と再婚し、日本に住むらしい。
ビリーとは、もちろんブートキャンプの人である。

豆乳バナナは甘かった。

一人の人間の人生に投影されるもの
一人の人間の人生に投影されるもの
一人の人間の人生に投影されるもの
Bに誘われて、シネマ5に映画を観にいってきた。
『シロタ家の20世紀』というドキュメント(http://sirota-family.net/
Bが見たいといってくる映画は、いつも結構僕好みの映画が多くて、Bが普段見ている映画とは違うような気もするのだけど、不思議だ。

作品は、日本の音楽界に多大な貢献をしたピアニスト、レオ・シロタ氏の家族や親族が、自分達の家系とその歴史を振り返っていくというもの。
彼ら一族はユダヤ人であり、戦争での影響はやはり色濃い。
レオ氏の娘であるベアテさんは日本国憲法の第24条、男女平等を想起した人である。
ユダヤ迫害で辿った一族の悲劇、自身の体験が、彼女に切なる平和への希求を呼び起こしたのだろうと思う。
一人の人生、一族の歴史も辿っていけば、膨大なストーリーを紡ぐ。
現在、僕達が抱える悩みや苦悩は、個人的なものから始まって、個人的なもので終わってしまうことが多いように感じる。
しかし、このころの人々の苦しみは、たとえ個人的なものから始まっても、そこから世界のあり方、そして人類全体への希求へ敷衍されていく。
僕の辿ってきた人生だって、その中で経験した苦悩、苦しみ、そのあり方を自分だけのもので解決させ、終わらせてしまいたくない。

ベアテさんは言う、「今の私の子供や孫達が生きていくためには、幸せであるためには、平和でなければいけません。平和でなければ生きていけません」

僕個人の人生も、まったく同じではなくても、多くの人の人生ともリンクする感情、体験があるはずだ。

僕は幸せでいたい。そのためには、人類が幸せを希求しなければなされない。
この世界が、多くの人が幸せでいなければ、僕の幸せはありえない。
だから僕は他者の幸せを自分の人生と同等に希求する。
僕が僕の人生を語ることが、何かしらの、そして誰かしらの慰安や力となることを願う。
僕個人の問題に終わらせたくない。
人間一人、ちっぽけな存在かもしれないが、その一人の人生の中には人類全体、全体とは言わないまでも多くの人々の抱える苦悩、苦しみ、そういった問題が含まれているはずだ。
世界、人類、そう語るとあまりにも壮大に思えるかもしれないが、一人一人のそういう思いがなければ、自分の身近な、周りの出来事さえ変化させていけないだろうと思っている。

僕は、僕の人生、考えを語り、他者の問題に自分の気力のある限りにおいて耳を傾けることくらいしか出来ないが、そこから願う世界や、人類の幸せは、けして無駄なことでも、ロマンチズムでもないと思っている。

おめでとう

2009年4月11日 友達
結婚式、行ってみたら以外に平気だった。
中学時代、あまり話したことのない違うクラスの同級生達と結構話したから。
二次会は帰ろうと思っていたんだけど、新郎は幼馴染だし、やっぱり出ておかないと悪いという思いと、新郎の姉から、「キタム、久しぶり~、二次会でゆっくり話そう」と式の前に先制打を打たれてしまったので、参加した。

そこそこ明るく、まあ、やっぱり最後は、ちょっと寡黙になってしまったけど、うまくふるまえたと思う。

だけど、それとは別に、幼馴染の結婚式は、僕を惨めに、情けない気分にさせる。
幼馴染とは、小学校一年からだから、かれこれ20年以上の付き合いになる。そのころから続いている関係は、いつの間にか自分たち二人だけになった。
そんな幼馴染だから、結婚するのは、当然すごくうれしい。

その祝福の気持ちを行動で表すことが出来ないから、惨めなのだ。
本来なら、僕がスピーチをする立場だろうと思う。
本来なら、二次会の幹事を引き受け場を盛り上げたりするべきなんだと思う。
そして、僕も彼のためにそういったことをしたい、したかったという願望がある。
でも、実際の僕は、自分の対人恐怖にしりごみし、幼馴染の結婚式に出るのですら憂鬱になってしまう人間である。
幼馴染は、自分の障害やそれに連なる人間不信を、詳しくではないがそれとなく理解してくれている。
だから今回の結婚式も、僕はスピーチや幹事を頼まれることはなかった。僕自身も自分からしたいとも言い出せなかった。
自分がすることでうまくいかず、結果幼馴染に恥をかかせることになるんではないかと思っている。
でもそれは単なる逃げの言い訳なんじゃないのか?

結局、僕は自分のことばかりなのである。
なんて友達甲斐のない、最低な人間なんだろうと思う。


学生のころは、彼も性格は明るかったが、人前で何かするのは苦手だったように記憶している。
でもいつの間にか彼は、誰とでも話し、人前でも物怖じすることのない性格になっていた。
きっとそれが普通なんだと思う。
結婚式でスピーチをしてた中学時代の幼馴染の同級生。
笑いも取り、落ち着いて話していて、どうしてあんな風に振舞えるんだろう。どうして自分は振舞えないんだろう。
一気に周りの人達が、自分よりも全然大人に見えてくる。

僕が障害で苦しんだとき、外に出られなかったとき、僕は僕だから、みんなより歩みは遅くても、いいじゃないか、段階を踏んで一段ずつ進んでいけばいいじゃないか。
そう思ったはずなのに、こういう場にいると、やはり周りと自分を比較してしまう。
なんでみんなあんなに自信を持っているように映るんだろう。
どうしてあんなに自信を持てるんだろう。
羨望と、嫉妬と、羞恥と、惨めさ。

そんな僕でも幼馴染は友人だと思ってくれる。
親友だといってくれてる。

幼馴染がくれたメッセージに書かれてあった。

『キタムとは、他の共通の友達がいるわけでもなく、二人だけで、今まで友達やってきたから、本当の意味でお互い気が合うのかな~と思っているよ。これからも親友でいよう』

僕だって同じ思いだ。
だからこそ、心情だけじゃなく、行動で彼の気持ちに報いたい。
今現在、そうできない自分がたまらなく悔しい。たまらなく歯がゆい。

いつの日か、こんな日記の文章だけじゃなく、彼だけの前じゃなく、みんなの前で、自分が彼の親友ですと自信を持って言える存在になりたい。
自分の不安に拘泥せず、ただ相手を祝福し、そんな風に行動できる人間になりたい。

「こんな俺だけど、友人でいてくれてありがとう。
お前が幸せになることが、家族のようにうれしい。
お前なら笑顔の耐えない立派な家庭が築けると思う。
心から、心からおめでとう」

目星をつけた仕事先に電話してみた。
午後から明け方までという時間帯の希望だが、あったのは15時~24時まで。
これが、16時からならベストなのだが、15時からとなると、株を14時に切り上げなければならない。
来週の火曜までに連絡してくれればいいというので、保留にしてみて、他の職も探してみる。
一つあった。
深夜1時~明け方7時までの仕分け作業。
う~ん、この二つのどちらにするか、悩む悩む。
ちなみに、この二つとも、土日は休みになりそうにない。
株を中心に据える身としては、そちらの方がありがたい。
平日二日休みがあれば、その二日は株に専念できる。
とにかく早いうちに二束の草鞋から脱出したいが、道は険しそうだ。

というか、この二つとも落ちたら、また一から探しなおしだ。
仕事は夕方からとか贅沢言ってる場合じゃなくなる。
そうなるといよいよ株ではなくFX主体で考えなくてはならなくなる。
いや、やってみるとFXの方がよかったりするかもしれないが、やったことないのでどうしても不安が先立つ。
やはり今のうちからFXの口座も開いて、少しずつ実践でなれていくのが良かろう。FXなら最低一万からできるので、安心だ。

というようなことを考えていたら、気持ちが鬱々してきた。
この鬱々は、明日の結婚式のこともある。
ああ、憂鬱だ。
ほとんど誰も知らない結婚式。
親しき知己がいたくりぼーの結婚式は、何の懸念もなかったが、事情が違う。
僕は、独りでいるのは平気でむしろ好きだが、みんながわいわいやってる中で一人ぽつねんといるのは嫌いだ。
浮くというやつは嫌いだ。
ようは外面を気にしすぎるのだ。
くだらないこととわかっているが、克服しようと頑張ってきたつもりだが、こういう不安が対人恐怖に繋がっているわけで、憂鬱になるなといわれてもなかなか思うようにならない。
ケセラセラと何度も自分に語りかけ、明日を乗り切ろう。
どうせ一度で終わる、人生で経ったの数時間ではないか。
でも、それでもやはり二次会はたぶんでないと思う。。。

O君から筋トレの誘いがあった。
抑鬱状態でなかなか気力も出なかったが、それではいかんと思い、抑鬱を打ち払うべき筋トレを決行する。
心は晴れないが、筋トレ自体はそれなりにする。
でもやはり軽めにしておいた。

ため息が多く出ているのか、抑鬱気分がO君にも伝わるようで、色々と気を回してくれるのがありがたくも申し訳ない。

金もない、覇気もない、明日の結婚式が終われば、心は半分軽くなる。
職がきあれば、きっと心は完全に晴れる、と思いたい。

こういうとき、まだ対人不振が根強く残っていることを実感するのであるよ。

最近、太りすぎを実感する。
試しに朝に豆乳を飲んでみようと思う。
飲んだことないのだが、豆乳って甘いんだろうか。

とかいって今日の晩飯はマックであった。。。

首が回らない

2009年4月9日 日常
怠慢と無頓着をよりどころとしてこの数ヶ月生きてきたのだ。
自分のことなら無頓着でいられるが、人が絡むとそういうわけにも行かぬ。
土曜日に幼馴染の結婚式があるではないか。
ご祝儀を用意しなくてはならぬではないか。
しかし外は花粉の嵐である。
母親が買物に出るという。
これしたりと頼みを言付ける。

銀行から、3万円ほど引き出してくれと。
自分はのんきであった。
まだ懐に幾らかの余裕はあると思っていた。
怠慢である。無頓着である。
これら二つが、真綿と化して気づかぬうちに己の首を締め付けだしていたことに、その苦しさに、母の報告によってようやく気付く愚鈍である。
「あと6千円よ」
「は?6千円!?」
これはいかに無頓着な僕としても無頓着ではいられぬ。怠慢ではいられぬ。
いかな愚鈍でも火急に如何にか身を処さねばならぬ事体となったことを認識せぬほどに愚かではない。もう職を選ぶ暇はあるまい。
社会保険に、生活費、リボ払いの1万が待っている。今月は親に借金をせねばならん。
目星をつけた仕事に早急に面談の要請をしなければなるまい。


話は変わって花粉である。
自分の部屋にいたとて一向に軽減する気配のない鼻づまりに手を焼いていたわけであるが、ふと何かのTVだか誰だかの言っていた言葉を思い出した。
花粉は掃除機を使っても舞い散るだけで駄目らしい。
ウェットティッシュでふき取るのが良いらしい。
自分は掃除はこまめではないがそれなりにする、しかしウェットティッシュを使うことはごくまれである。
そんなことですぐにこの鼻が通るものなのか懐疑を抱いたままにとりあえずテッテー的に床や埃、塵、芥の積もりそうなところを拭き磨いてみる。作業の中途ですでに効果てきめんである。
鼻が通る、埃っぽさを感じない。
人間というのは、目に見えずともやはり粒子一つに快不快の感覚を生じ、体に変調をきたす生き物なのだと痛感す。
自分の部屋がこれほど空気が澄んでいると感じたのはいつ振りであろうか。
これからは、週に一度は徹底的に、いやこの場合テッテ的に床壁隙間その他もろもろ塵芥灰燼あるところウェットティッシュで一網打尽とすることを誓うばかりである。

月日は太る

2009年4月8日 日常
先日、幾らでも眠れるなどとのたまったが、さすがに寝すぎた。
夜眠れない。
目が覚めているというわけでもない。
芯は眠たい。でも眠れない。

寝ていると、鼻が詰まる。
左が詰まっているときは右を向く、そうするとしばらくすると重力の作用で、左の鼻が通りだす、しかし、今度は右が詰まりだす。
深いが極まると今度は左を向く、今度は左が詰まりだす。
仰向けになると、両方とも詰まる。
だから、右を向いたり左を向いたり、眠たくなる暇がない。
この不快を凌駕するほどの眠気がない限り、寝入ることは出来そうもない。
鼻が詰まると必然口で呼吸をする。
目が覚めたときは、喉が荒れ放題に荒れている。
この辛さは、4月がピークだ。
あと三週間ほど、僕はこの辛さに耐え続けねばならない。

友人の結婚式で歌うGReeeeNのキセキをユーチューブで繰り返し聞くと、だんだん好きになっていっている自分がいる。
いつかカラオケでも歌ってみようと思う。

今、スーツを試しに着てみた。
大学の入学式で作ったスーツだが、着てみて、あまりのウェストのきつさに驚愕する。
最近体重が60キロを超えたので気になってはいたが、このきつさは嫌がおうにも自分が太ったことを実感させられる。
ちなみに、昨日髪を短く切ったから顔の丸みも目だって危機感が募る。
働き出せば、少しはやせると思うが、自発的にダイエットも敢行しなければならないと思う。

とりあえず、スーツを着たので今から就職用の証明写真を撮りに行ってくる。

とりあえず

2009年4月7日 日常
散髪に行ってきた。
髪の毛を真っ黒にして、結構短め、髭もすっきり全部剃る。
3年前の自分の姿が現れる。
働く場所によっては、すぐに染めたり髭生やしたりするだろうけど。

右眉毛のところにうっすらアトピーらしきものが出来始めている。
花粉症のせいで免疫力が低下したのだろうか。
あまり書かないようにしないと。

美容師のアシスタントの給料、手取り月8万なり。
雇われ店長クラスでも15万行くかいかないか。
ボーナスもなし。
自分で店を出すまでは厳しい業界みたいだ。
そのせいかなんなのか、僕が株をやっていると知ってそのことばかり聞いてくる。知ってることは一通り教えているけど、どうも僕の成果を伺っているらしい。
昼間働く人は株は、できないことはないが、基本スウィングになるので厳しいと思う。FXを勧めておいた。アシスタントは帰りに本屋によって本を買って帰るそうだ。

帰りがけ、証明写真を撮ろうと思ったが、背広を着ておいたほうがいいかと思い、今日は止めにした。
結婚式用に明日一度背広を着てみるつもりなので、そのときついでに写真を撮りに行こうと思う。

昨日筋トレは一人でやったので、腕を徹底的に鍛えた。
激しすぎるトレーニングのせいか、昨日は、株以外ほぼ寝ていたのに、夜また眠って、今日は株をホールドしていたので売買はしなくて、そのまま昼まえ寝ていた。
飯もしこたま食えるし、幾らでも眠れる。
本能が筋肉の修復を欲しているのだ。
プロテインをしこたま飲みだしたおかげで、筋肉痛もひどくない。
体のサインは正直なのだ。

筋力が激しく向上している。
バーベルカール、20キロから再開して、昨日は22.5キロが余裕になっていた。次は25キロいけそうだ。
大学時代35キロを上げていたが、この調子なら、そこに行くまでそれほど時間もかかるまい。

さてとそろそろ

2009年4月6日 日常
出来れば、今週中にどこかの職を受けようと思う。
さもなくば来週中に、受けようと思う。
明日、散髪に行って、そのまま証明写真を撮って帰ろう。
とりあえず、履歴書の書けるところだけ書いておこう。
あとは何処を受けるかをじっくり考えていこう。

今週末の幼馴染の結婚式の用意をしなければならない。
greeeenのキセキを覚えなけらばならない。
はぁぁ、気が重い。。
幼馴染を祝福する気持ちはもちろんあるものの、周りに知ってる人がいない、多少はいるが、学生のころの違うクラスメイトだったため、そんなに話すわけでもなし。
なんだかアウェーの雰囲気で。
二次会は出らずに帰ることになるだろうか。
ああ、こりゃNOマンだ。
自分の性質は、そんなに簡単に変わらない。。

今日は、部屋の掃除をし、筋トレに行ってきた。
筋トレも続けて行きたいですのう。

姓名判断

2009年4月5日 僕について
天格 : 12
大凶:プライドが高い半面、自分を否下します。平凡を嫌いますが、自分に与えられたものを最大限に磨く努力を。



地格 : 17
吉:意志堅固、強情で行動力もあり、孤立、災難もあるが目的を達成できる吉数。
健康運
恵まれています。多少の無理をしても体は丈夫です。ただし、神経性のものには注意。
恋愛運
恵まれていますが、相手をないがしろにする事が多いのが難。その点を留意すれば吉。
セックス運
元来マイペースなので、人に合わせるという事は苦手ですが、恵まれています。浮気には注意。


人格 : 23
吉凶:知謀、行動力ある発展運で名誉財産を築ける数。女性には強すぎるエネルギーを与える数です。キャリアウーマンには吉。
金運
ありますし大きくする事も可能ですが、使う事も好きなので手元には残らないかも。
仕事運
何でも器用にこなせますが、地味な仕事には不向きでしょう。人前に立つ仕事、話術を使う仕事は吉。
結婚運
男性はあまり女性を必要としない所がありますが、結婚運はあります。頭の良いしっかりと家を切り盛りできる人が吉。女性はありますが、男性に過剰な期待をしがちで、それがトラブルになる事も。相手の弱さを認めてあげて。



外格 : 6
大吉:天の恵みにあずかり、成功・名誉・財産を得られる幸福数。
対人関係・社交性
柔和な人なので、初対面から気に入られます。敵意を持ってくる人を無意識に避ける力があります。
社会運
年上の人に大事にされるので、そこから運が開ける事が。ただし、同年代の嫉妬には気をつけて。
環境運
とても恵まれています。ただし、大切な人達には貴方から愛情を示す事。淋しい思いをさせないことです。


総格 : 28
凶:陰のある世界に惹かれる数で、自分から危険に飛び込みます。守りたいと思うものを持つ事。
一生の全体運
意外に野心家な所がありますが、それを全面に押し出すと危険です。権力を持つ職業を持つと、足元をすくわれます。冷静さはあるのでそこを伸ばして。
晩年の運勢
晩年も穏やかさを望む事は多少辛い運気です。しかし、いくつになっても何かを求める姿勢を持ち続けることは、この人にとって安心感となります。何を求めるかは貴方次第です。


これって良いのだろうか、悪いのだろうか。。。
ていうか、当たってる??

http://us.3u.com/seimei1/form.html

自分の人生を拓くのは自分しかできない。
自分の人生を拓くのは自分しかできない。
自分の人生を拓くのは自分しかできない。
朝の八時までまんじりともせず、そこからようやく意識が薄れ、目覚めたのがPM:3.00。
平日は株をするが、土日は、株がないので、これといって特にすることもない。
いや、することがないというのは正確に言えば違うのであって、こういうときこそ最もするべき読書にいそしむべきなのである。
しかし、先日に日記にも書いた通り、自分の部屋ではどうにも読書がはかどらない。
そういえば、この間訪問したO君宅は自分にとってパラダイスだとのたまっていたら、O君が「いつでも来て読書していいですよ」というようなことを言っていた。

ということでO君の家で読書をさせてもらうことになった。
行きがけに花粉症用の漢方薬をドラッグストアに買いにいったら面白いものを見つけた。
ネオシーダーといって、見た目タバコなのに、医薬品で吸うと咳を沈め痰を切るらしい。
試しに買ってみた。

O君宅では、お互いに、何をしゃべるわけでもなく、黙々と読書。
ソファが丁度いい塩梅の角度で、実に捗る。
自分の部屋のように寒くない。
何より炬燵があるというのが良い。

PM:9.00あたり、腹が減ってくる。
晩飯をどこかで食おうとAさんも誘ったら、夕飯は食えないが映画を観にいこうということになった。

夕飯は最近森町に出来たラーメン屋に行ってみたがすでに材料が切れてり、閉店していた。
ラーメンが食いたい気分だったので、「く~た」に行った。
入ると、以前同じ工場で働いていた同僚がいたのでビビッた。

その後パークプレイスへ行き、Aさんと合流。
二人にネオシーダーを吸わせてみたところ、クサイ、マズイという評価。
僕も吸ってみたが、線香花火のようなにおいがして、その後は吸っている気がしなかった。

映画は、「イエスマン“YES”は人生のパスワード」(http://wwws.warnerbros.co.jp/yesman/)を観た。
人生で拒否ばかりしている男が、すべて聞かれたことにイエスと答えることで人生が変わると教え込むカルト教団にそそのかされてイエスと言っているうちにほんとに自分の人生が良い方向に転換していくという作品。
しかし、最後には、男はイエスと言うことの本当の意義を見出す。カルトや、信者に対する皮肉や、洗脳の恐ろしさをコメディに上手く織り込んでいる。

イエスということが大切なんではなく、何事にも好奇心を持って、楽しみたいと思うことがイエスと自然と心から言えるポジティブな姿勢を作りだし、その姿勢こそ人生を広げ豊かにしていくのだということ。
だから、もちろん、何でもイエスと言うことが良い訳ではない。
日本という国は外国に対して常にイエスマンだからなめられる部分もある。日本人はあいまいに否定するからメイビーマンかもしれないな。
新しいことに挑戦するのは、誰でも恐い。
失敗もある、苦い経験もある、だけど、新しい世界、新しい経験をすることで沢山の出会いや楽しい経験、そして自分の人生を豊かにする可能性もまた生まれる。
恐いからといって避けていては、いつまでも現状は変わらない。
どこかに行こう、何かをしようと誘われて断りつづければその後はない。次もないかもしれない。
抑鬱傾向にあるとそんな感じになる。
苦しい、寂しい、誰もわかってくれないと思うが、外界で人と接したり何かをやろうとはしない。しないものだから、ますます、考えが歪み、偏執的になってしまい、自分で状況を悪化させてしまう。
誰かにわかってもらいたくば、人と接する他ない。
孤独が寂しいなら、自ら外の世界に出るしかないのだ。
といってもそんなに簡単に出来るものではないが、この映画は、自分の人生を豊かにするか否かは結局自分の姿勢如何である、という、何事にも好奇心を持ってポジティブに行動すべき勇気と気概を与えられた気分になる、まさに僕が好むところとする題材であったので結構良かった。
しかし、ジム・キャリーが人間嫌いという設定は少々無理があるが。


その後、ジョイフルで朝の5時くらいまで粘った。

就職会議

2009年4月3日 日常
この間、就職情報誌でめぼしをつけたうちの何件かをこっそり偵察に行ったりしてみる。
といっても実際に行ったのは二件だけだが。
一個目は、近くのショッピングモールにあるバイキングレストランの厨房補助。
距離も時間もベストだが、どうだろう。
試しに晩飯を食べに行ってみると、平日だからか人が少ない。
ものすごく暇そうだ。
ちらちらと厨房の中を覗くという不審な行動をする。
というか、O君とテーブルに思い切り求人大分とかを広げているので、無職なのはバレバレだろう。
意外に、おばちゃん、おじちゃん層が高そうだ。
週末の夜ともなれば、働く人も若返りしてくるのだろうか?
できなくもなさそうだが、忙しいときを知らないのでなんともいえない。僕はまったく料理ができないので、暇でもなんともいえない。
唯一つ確かなのは、僕とO君の胃袋ではバイキングはけして元が取れないということである。

その後は、これまたマンションの近くにある工場とやらを探してみる、探してみるがなかなか見つからない。
そのうちに五号地の海辺へ出て、堤防に登り、夜の海を眺めながら、ボーっとする。
左手に淡く緑色に光る灯台があり、何処からかの船が何隻か通り過ぎていく。
空は曇天で星も見えない。
しかし別府を望む夜景は良く見える。
試しに詩的なことでも言ってみようと思ったが、「僕達はこの先に何を見ているのだろう」とか、陳腐過ぎる言葉しか思い浮かばず辟易する。
やはり自分は詩的な人間ではないのだ。
詩的な人間ではないが、こういう場所でただ何をすることもなく景色を眺めているのは好きだ。
O君もこういうのを心地よいと感じる人間なので、誰か止める人がいないと(ゆっけさんとかw)いつまでもこの状態が続いていく。
しばらくして、まだ肌寒いので、車の中にはいって、荒井由実の70年代あたりのベストを聞きながら、何か得体の知れない郷愁のようなものに耽る。
スポットなのだが、車は少ない。
もっと夜遅くになれば増えてくるのかもしれない。

永遠に続くかと思われたこの状態は二人の尿意により終焉を迎えた。
近くにあるコンビニで用を足すと、丁度また就職情報誌が出ていたのでそれを購入。
そしてまた工場を探し出す。
程なくして見つかった。
見つかったことに満足すると、もうやることがなくなった。
夜は早いが、今日はもう帰ることにした。

一年に一度の大嘘つきました(笑)
皆様すみません。
(mixiで)意外にみんな信じているようだったので、嘘のつき甲斐がありました。
と共にちょっと罪悪感もあります
筋トレ行ったのはほんとですが、その他は全部作り話です。

自分に坊主にする勇気はありません。
今度髪染めに行ってきます(笑)

いざ嘘をつこうと思ってちょっと考えたんですが、誰も傷つかず、不快に思わないと思われるネタってなかなか無いもんですね。
できるだけそういう嘘をついたつもりですが、もし不快に思われた人がいたら、エイプリルフールということで許してくださいね。

どうせ嘘をつくならと、結構詳細までリアルに書いたつもりです。
こんなこと続けてたら狼少年になってしまうので、4月1日だけに留めておきますね。

坊主頭を期待しておられた方々、申し訳ありません。
まだ僕は髪ぼうぼうであります。

坊主地獄

2009年4月1日 日常
就職用に髪を黒くしなければならないので、散髪に行ってきた。
しかし髪を黒く染めるにも金がかかる。
自分で染めればいいのだが、以前やってみたところ、肌が荒れた。
アトピー気質の肌なので、自分で再び染めたくない。
悩んだのだが、ここは今まで一度も試したことのない坊主刈りにしてもらうことにした。
これならカット代だけで済む。
それに僕の髪は横に広がりやすくて、長くなるとただでさえでかい顔がさらにでかく映る。何事も試してみなければわからない。
友人の美容師に「坊主刈りにしてほしいんだけど」
と言うと「ええ~!」と素っ頓狂な声を出され、半笑い(苦笑い?)で絶対やめたほうがいいと全力で反対される。
僕自身もためらいはあるけど、今まで坊主にしたことがないし、自分でも坊主が似合うのか似合わないのか想像がつかない。
ただ、これから暖かくなるし、短い髪は涼しいのかもしれない。
僕の頭はでこぼこしているので、髪がなくなるといびつな形になってしまうのではないかという懸念があるけど失敗したならまた伸ばせばいいだけの話だし、とりあえず剃ってみることにした。
意外に良く似合うかもしれないではないか。

シャンプーをする間もアシスタントにしつこく「坊主にするんですか?」とか「今のままでいいと思いますよ~」だとか聞かれ続る。
髪の話一色である。
他にも坊主にする人はいるだろうに。。。

髪は最初ハサミである程度まで短くカットして、後はバリカンで剃っていく。
地肌にバリカンが当たって冷たい。
頭皮が見えてくるのは、経験がないので新鮮だ。
全容が見えてくると、とても自分だとは思えない。
誰だこれ?
意外におでこが広いことに気づいた。
見慣れないので当然だが、似合っているとはとてもいえない。。。

美容師の友人が「このくらいでいい?」と聞いてくる。
何だか、まだ中途半端に長い気がする。
五分刈りみたいな感じだ。
似合わなく思うのは、中途半端な長さなのかもしれないと思い、もっと短くしてもらうことにした。
そういえば、品川庄次の品川がやってるな。
アイスのガリガリ君のようだ。
松本一志が坊主にしたときも驚いたが、今は普通である。
きっと一週間もすれば僕の顔も普通になる。

さらに短くしてもらったわけだが、それでもやっぱり似合わない。
いっそのことスキンにしようかとも考えたが、さすがにそこまでの勇気は持ち得なかった。

懸念していたデコボコは、かろうじてある髪のおかげかいびつさは感じない。
やけに頭がスウスウする。
こんな感覚は初めてだ。頭が冷えすぎて夜眠れるだろうか。
チャリンコを扱いで帰る道すがら、通る人の視線が自分に注がれているような気がする。
自意識過剰だ、坊主はどこだっているのだし、僕がさっきまで髪ふさふさだったなんて知ってる人はいないんだから。
そう思うとなぜか自然と笑いが起こってきた。
この奇妙な非現実的な感覚。でもこれは現実なのだなぁと、僕の人生でかなりの勇気ある決断だったともう。
嫌な会社を辞めるときでももうちょっと気軽にできるんじゃないだろうか。
やってしまった後で後悔はしたくないが、やはり若干の後悔と共に、この決断をできた自分を褒めてやりたくもなった。

一旦マンションに帰って、O君と筋トレに行くことにした。
もちろん、坊主にしたことはまだ言わない。
試しにグラサンをかけてみたら、何だか恐ろしい。
どこかのヤクザみたいだ。これで眉毛でも剃れば確実に「あぶない」人だろう。
面白いのでこのグラサンを付けたままO君と会うことにした。
O君が車で迎えに来たので、自分はいたって普通の顔をしてマンションを出る。
O君は一瞬気づかないようなそぶりをしたが、すぐに僕だと気づき、驚きの顔をした後、失笑っぽい笑い声を出しながら「どうしたんですか!?」「何があったんですが??」と聞いてくるその表情があまりにも面白くて、普通の顔を作っていた僕もさすがに我慢できずに笑いが漏れる。
「いや別に、なんということもないけど。。。就職が近いけん」
と説明不足の返答にO君が笑う。自分も笑う。

車の中でグラサンはさすがにはずした。
こういうのは気心の知れた相手じゃないとやはり恥ずかしい。

体育館についてノーズリーブと短パンのいでたちになり、鏡を見ると、何か屈強に見える。
スキンだとボディビルダーのように見えるのかもしれない。
体育館に来ている人たちは、僕を知らないのだから、当然特別な反応はない。
笑うのはO君と僕のみである。

見た目が違うことが何かやる気を催したのか、いつもよりも激しく体を追い込んだ。
付き合ったO君は、明日筋肉痛が尋常でないことと思う。

これから会うであろう僕の知人達は、この坊主頭を見て、どういう反応をとるだろうか。
恥ずかしさと、一抹の不安と共に、わくわくとした不思議な期待が僕の体を駆け抜けている。


そんな4月1日であった。

いつものように株を終えて、就職情報誌を買うために外に出た。
風はまだ若干まだ冷たいが、日差しは春めいてきたようでポカポカと心地よい。
マンションの中のほうが寒いくらいである。
僕の部屋は、日差しが入りにくく、暖かくなって風通しが良いときは居心地が良いのだが、一年の大半は暑いか寒いかで大変不快だ。

外では不思議と鼻も通りが良い。
このまま花粉も終わってくれればいいのにと切に思う。

本屋で求人大分とハロージョブを買う。
雑誌の方がハローワークの求人よりも、店舗の様子も詳細で、求人の種類も自分が求めているものが多いことに気がついた。

めぼしい仕事が何個かあった。
僕は株を続けていくつもりなので、夕方から夜にかけて働けるところ
というとどうしてもバイトが中心となる。

マンションの近くのショッピングモールのレストランの調理スタッフ、豊の国健康ランドのボイラー補助、街のビジネスホテルの清掃、僕の希望にぴったりと添うのはこの三つほどだ。ビジネスホテルは、月収手取り15万以上でなかなか条件が良い。
他の仕事になると、ザラ場中貼り付けないので、株だけでなくFXをすることになる。

そろそろ結論を出さないといけないだろう。

ここ一週間と少し、株の収支がマイナスで終わったことはない。
気がつけば、オリックスと武富士で被ったマイナスを取り返してしまっている。
果たして、地合がいいからなのか、自分の実力が付いてきたからなのか判然としない。
今までテクニカルをRSIを中心に見ていたが、ストキャスティクスとボリンジャーバンドを併用しだしたところ勝率がぐんと上昇した。
ボリンジャーバンドがー2α線に接するかそれ以下のところで、ストキャスティクスが5%以下であったなら反発する確率が極めて高い。
RSIも10%を割っていたならなおよろしい。
これは日足にも分足にも当てはまる。
昨日の大幅な下げでもプラスで終えることができたし、地合だけではなく、自力もついてきたのだと思いたい。

この調子が1月当初からできていたなら、今仕事を探す必要性はなかったかもしれないがしょうがない。
当面は仕事と株の二束のわらじとなるけれど、早いうちに株一本でいけるようになれればと思う。

しかし今のやり方は、ザラ場中に監視しないとできないものなので、やはり仕事は限定されてしまうのだ。


さて、話は変わって、読書をどのようにするかという問題が自分にはある。
僕は読書が好きだが、読書をし続ける根気は甚だ薄弱といわねばなるまい。読書をするにおいて完全にリラックスできる場所でないと思うようにならないという厄介な気質を備えている。
自分の部屋はPCをやるには向いているが読書をするには不向きな場所である。
自分は日本人であるから、低い場所を好むが、部屋にはソファというものが置かれていない。
机と椅子とベッドで部屋が埋まってしまう。
贅沢な話だが、僕は洋式机で読書をしきらない。
図書館などで読むぞと決めて、まわりに誘惑がなければことも運ぶが、自室ともなればそういうわけにはいかない。
足元には要らぬガラス壁が施されてあり、座っているとガラスを伝わって冷気が足を直撃し、この季節でも薄ら寒い。
隣にベッドがあるのも厄介だ。横になりたい衝動を抑えられない。
このような場合に、体勢を崩し横になるでもなくきっちりと座るでもなく、自分の思い描く姿勢にて作業ができるソファは自分にとって読書にうってつけである。
居間にソファはあるのだが、家族が始終テレビを見るため集中できない。
ベッドで横になると、いつの間にか眠ってしまったり、脳みそが煮詰まった感じがしたりして厄介だ。

読書一つにしてもこれほど心を砕く自分は、やはり神経質なのかもしれない。

春の憂鬱

2009年3月30日 日常
春を好きでいたかった。
でも実際のところ、僕は春が大嫌いだ。
心地よい陽気、新たなる旅立ちの季節。
綺麗な花々。美しい桜。
ああ、大好きさ。これ等をどうして愛さずにいられようか。

でも、それでも僕は春が大嫌いだ。

ああ、今年も相変わらず苦しんでいるわけさ。
杉が終われば檜がくる。
僕の苦しみは、約3ヶ月、4月の終わりごろまで続く。

あの目に見えない悪魔。
僕の鼻腔に入り込み、大量の粘液を放出させ、そして粘膜を崩壊させる。くしゃみは留まることを知らず、喉はあれ、空気を通すはずの器官の3つのうち2つをふさがれ、味もわからず、常に眠く、集中力も続かない。
大好きなはずの春、それをもっとも憎きものへと変貌させる杉や檜の子供たち。

試しに鼻の毛をすべて剃ってみた。
一時はスウスウと鼻の通りがよくなったかのように思われたが、次の日の朝、ものすごい鼻のつまりと、得もいわれぬ気持の悪さで目覚める。
毛は重要な役割を果たしている。花粉や埃をせき止め、粘膜を守る。
毛を剃れば、今まで以上に粘膜が荒れることは考えれば当然である。
喉は腫れ、その不快感といえば形容の仕様が無い。

ついに鼻をかむと血まで滲み出した。
それ以来、ハナノア(http://hint.kobayashi.co.jp/hananoa/)で鼻うがいを、コロロ(https://shop.saraya.com/item/detail/111823051916281149.html)でうがいを一日に何度もしている。そして、以前病院で処方された粘膜の傷を治癒する薬も飲んでいる。
他の体はいたって健康なのに、鼻と喉だけは満身創痍である。

うがいのおかげで、昨日今日と回復の兆しが見え出した。

春は、一番嫌いな季節である。

テニス初め

2009年3月30日 テニス
テニスをするには、このくらいの陽気が一番丁度いい。
暖かくなってきたことで、またテニスをしようという話になった。
会社の元同僚達とテニスである。


Sを除いて、みんな会うのは久しぶりだが、みんな変わっていなかった。
むしろ変わったのは自分のほうで、太ったかと指摘されたが、まさしく体重が60㎏を超えてしまった。

テニスをするのは昨年の9月くらい以来であるから、半年以上ぶりになるか。
久しぶりに動くとやはり体の鈍りを実感する。
こうやって激しく走るのはほんとに何ヶ月ぶりだろう。
一日中家の中で過ごす日もあるのだから鈍るのも当然である。
テニスの勘は2時間を終えるころにようやく戻ってきた感じだ。
しかしコートは2時間しか取れなかったので、調子付いてきたころに終了した。
だけど、二時間くらいがちょうどいいかもしれない。もう若くないのだから。
普段筋トレをやるときとは違う疲労感がテニスの後に襲ってくる。
これもまた心地よい。
テニスの後は、ジョイフルに集まって昼飯を食べながら近況報告や、あの人はどうしたこの人はどうしたという懐かしい話に花を咲かせた。

パワーや瞬発系の運動もいいが、それでは脂肪は落とせない。
やはり、有酸素系の運動もしなくてはならないと痛感した今日であった。
桜の城の六分咲きの下
桜の城の六分咲きの下
昼飯は吉野でだんご汁を食べた。
Aさんの要望である。
小さな鄙びた店(http://www.oishiimati-oita.jp/dic/detail.php?ID=40785)に老婆が働いている。
だんご汁定職、大分名物のとり飯とだんご汁、それに酢の物、白和え、お新香がついている。
郷土料理というものは、意外に食べない。
だんご汁にしたって食べたのは数年ぶりのことだ。
店に来て気付いたのだが、その数年ぶりの、数年前に最後に食べただんご汁がこの店だった。
当時は老婆が2人いたはずだが、今日は一人である。
テレビには吉本新喜劇が流れていて、それを見てケタケタと笑っていると画面の上に地震の情報が流れた。
どうやら地震があったらしいのだが、僕たちは全く気付かなかった。
きっとだんご汁がうまかったからに違いない。


花見というものをもう10年以上しておらず、もう花見がどういうものであるのかも定かに覚えていない。
ふと、花見をしたいと思い立ち、O君、Aさんと花見に行くことになった。
今回の運転は僕なので、眠れない体に鞭打って充分に睡眠をとった。
起きたのはam:3.00だが、12時間も眠れば支障あるまい。

花見の場所は竹田である。
大分に住んでいて、竹田は実に人生で二度目くらいで、その一度もほぼ全く記憶に無い。ただ、岡城の入り口の急傾斜の記憶が断片にある。だから一度行っている筈である。
竹田は思いのほか遠かったが、ほかほかとしてのんびりとしたところだった。
観光的な意味でいえば、1日で回ってしまえそうな感じがした。
目的は岡城である。
竹田自体は閑散としているのに、岡城は観光客であふれいた。
杖をもらって歩いていると、記憶と違わぬ岡城の入り口の急傾斜が現れた。
この急傾斜、結構きつく、杖があったとしても老人には厳しいだろう。
あいにくの曇天に係わらず、これだけの人手があるのだから、晴れていたら花実の客であふれかえっていることと思う。
桜は、ニュースでは満開といっていたが、六分咲きくらいだった。
来週あたりが一番の見ごろになるだろうか。

花見といっても飯を食って酒を飲むわけではない。
ただ桜の情緒を楽しみながらぷらぷらと歩くのである。
桜は写真栄えがする。写真を撮って回ったが、滝廉太郎の銅像のところで、身長よりも若干高い台へ腰を下ろそうと腕を支えに上に体を持ち上げた瞬間に胸筋に激痛が走る。
筋肉が断裂したような激しい痛みにしばらく身動きができずもだえる。
そこをO君が激写する。
演技では出せない味のある苦痛の表情が写真に現れていた。
この間の筋トレからまだほのかに筋肉痛も残っていて、筋肉が冷えた状態でいきなり急激に力を入れたために痙攣を起こしたらしい。やはり運動の時には入念なウォームアップが必要なようである。

桜は美しい。暖かい陽気であればさらに素晴らしい。
だけれども、春は恐ろしい。
それもこれもすべての元凶は花粉である。
杉と檜である。
僕の鼻は、春の醍醐味を僕から奪い取ろうとする。
しかし、ただ無力に奪われ続けるのは尺だから、こうやってくしゃみをしながらも、桜の中を悠然と歩いて回ってやるのだ。
それにしても、くしゃみは出るものの、ここ竹田は、特に岡城のような高台に登ると鼻がいつもよりも断然通る。
空気が澄んでいるからだろうか。
杉の木はすぐそこにあるはずだが、コンクリートジャングルのように空気の流れが滞らずに行き渡っているから、埃や花粉が澱んで濃度を増さないのかもしれない。
花粉症とは、まさしく近代化が生み出した現代病なのだろう。

岡城を見た後は、竹田の町並みを散策した。
クローネというケーキ屋に併設された喫茶店(http://www.taketan.jp/dic/detail.php?ID=4420800075409&area=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%AA%E3%81%97&keyword=%E5%9F%8E%E4%B8%8B%E7%94%BA&genre=)に寄る、コーヒーとケーキ、普通の喫茶店なら500円くらいするだろうところ、ここは比較的廉価で、また美味しかった。
滝廉太郎トンネルなどを見て回り、一回りしたところで帰路につく。
途中、原尻の滝に寄る。
実はここも初めて来たのである。
近くにこんな滝があることを知らなかった。
滝はやはり夏だろう、また夏に来たい。
近くの道の駅には、チューリップ畑があった。
まだ満開ではなかったが、これまたチューリップなど見たのは何年振りであろうか。
チューリップソフトなるものを食べた。
はたしてチューリップの味がどのようであるのか未知なわけだが、チューリップの味を想像しつつ食べるのもまた面白い。
普通にうまいソフトクリームだった。

大分に戻り、夜はパークプレイスで「王様の隠れ家」にて夕食。
カルボナーラを啜る。
Tジョイのレイトショーでやっていた『ウォッチメン』(http://www.watchmenmovie.co.uk/intl/jp/)を鑑賞。
アメコミに出てくるようなどこかで見たことのあるスーパーヒーローが実在し、核戦争の危機を回避しようと紛争する活劇。金を掛けたB級路線のような作品。
僕とO君は面白いと思ったが、Aさん酷評。

Tジョイに、バイトの広告、映写技師を募集中とある。
かなり前から貼り続けているそうで、人気が無いのだろうか?
興味があるので、頭に入れておこう。

O君宅に初訪問。
O君の部屋は、僕の部屋と同じくらいの蔵書量があり、かつ、僕の部屋よりも寛げるスタイルになっていた。
ここでなら読書も集中してできそうな気がする、僕にはまさにパラダイスのように感じられた。

近くにある高田の湯(http://kanko.gnavi.co.jp/spot/06/44001406.html)へ。やはり、締めは温泉であった。

ドンキホーテはビックリしたか?
ドンキホーテはビックリしたか?
びっくりドンキーがなんであるか知ったのは最近の話だ。
ドンキと聞けばドンキ・ホーテが思い浮かぶ。
小説の主人公の名前であるが、その名を冠された店は主人公のように我が道を行くという意気込みでも込められているいるのだろうか。
では果たしてびっくりドンキーとはなんであるのか。
ただのハンバーグ屋である。

福岡で働いているIから電話があった。
今大分に帰省しているという。
A君とN君と夕食を食べるので、一緒にどうかとの誘いである。場所は件の店になった。

皆、会社の元同僚であり、今はそれぞれの道を歩んでいる。
Iは福岡で時計を売っている、
苦手な接客をあえて選んだ若者らしい挑戦である。
実態は、ひどく暇らしい。
給料を聞いて、Iはどんな経済難でも生きていけると思った。
A君は、ある造船業の塗装業者でペンキと格闘している。
今日も仕事帰りで、作業服は、ペンキによって様々彩られ、迷彩の装いを呈している。すっかりガテン系のいでたちである。
職場は、元暴走族や元右翼が過半数を占めているという。
そう聞くだけで自分はしり込みしてしまう。
しかしA君は、誰とでも上手くやれるコミュニケーションを有しており、またどんな相手にも怯むことがない。人間を恐がらないという強みは、社会で生きていく上で何よりの武器になる。
仕事の詳細を聞くと、自分としても興味深く、体を動かすことが好きなら続きそうであるが、体育会系の雰囲気は自分にはなじまないだろうと予測してしまう。
対人関係が不得手なことは、職業選択の幅を狭くしてしまう。
しかしながら、A君との接点も、職場である。職場でなければ、まずこうやって共に夕餉を嗜む仲になっていたとはとても思えない、自分の中ではそれくらい、自分とA君とに人間的傾向のギャップを感じている。
それがこうして仲良くしているのが不思議である。なぜ、仲良くしてくれるのかありがたくも不思議でしょうがない。
これはおそらく、己の持つ自己像と周りのもつキタム像のギャップによるものなのだと思いはするが、それを心の奥で用意に認証できないでいる自分がいる。
ガテン系の世界というのも、入ってみれば案外にうまくやっていけるのかもしれない。そうは思うが、そうする勇気を持てるほどに自分はまだ成熟してはいないようだ。やれるという確信と自信を得るための何かが不足している。
N君は、A君と同じように塗装業に就職するそうだ。
彼ならうまくやっていけるに違いない。

話は自然お互いの現状と仕事のことに集中する。
三人と話をしているとなぜか自分が地に足が着いていない浮遊感を感じる。どうせ浮くなら、遥かな高みまで飛んでくれればいいものを、まだ地面に未練がるようで、中途半端に着くか着かないかのところでふわふわしているものだからいけない。
浮くにしろ着くにしろ、どちらかはっきりした形をとれるほどでないと気持ちが悪い。その気持ち悪さが自己嫌悪や焦燥感などを引き起こすのだ。

次会う機会があるなら、三人がはっきりと認識できるほどに浮かんでいたい。そうするためにはまず地面に一度足を着かなくてはいけないだろうか。
ひざを折り曲げ反動をつけるためだ。
宙に浮けば、それが周りには地に足が着いていないと映ろうが、僕にとって宙が地面となる。
僕は宙という地面に足を着く。
人とは違う地面だが、それが僕の人生でありたい。

躍動する肉体

2009年3月25日 日常
筋肉とは一つの世界であり、一つの宇宙である。
このようなことを何かの本で読んだ。
筋肉トレーニングをマスターしたものは、いつしかトレーニングの最中に無我の境地にいたり、自分がこの地球と一体化していることを感得するのだという。
トランス状態だとか、軽い貧血だとかそんな言葉では汚すことのできない聖域が、筋トレの到達点には確かにあるらしい。
僕も、一度でいいから地球との共鳴を果たしてみたいと思うのだが、気が向いたときに間歇的にやっているようでは、到底辿り着くことは不可能だろう。

O君が肉体を変えたいという。
肉体を変えることにより、何らかの化学変化が日常に起こらないだろうかという期待は誰もが抱きうる好奇心であり、そしてあながち的を外してはいない。

ただ、どういった変化が起こるのかは各々に固有のものであり、それを予測することは誰にもできない。
期待以上の変化であったり、期待にそぐわないものであったり、はたまた想像だにできない異形の変化が起こりうる場合も考えられる。

僕はただ、O君にトレーニングの方法を教授するのみである。

冷やかしにハローワークに顔を出した後、僕達は大洲の体育館へと向かった。
トレーニングの内容は、今回は上半身に限定した。
下半身までやってしまうと、おそらくO君は明日身動きが取れなくなるだろう。

O君は、筋トレが初めてなので、あまり高負荷で追い込むことはしない。まずは形を覚えてもらうことが大切だ。
僕もそれに合わせて、軽めのトレーニングにする。
まず僕がやり、同じことを国木田君もやる。

メニューの順序は、ざっとこんな感じだ。

・胸
・背中
・上腕二頭筋
・上腕三頭筋
・肩
・前腕
・背筋
・腹筋

部位ごとにトレーニングの種目を2種類から3種類、1セット8回~12回を2~3セットする。

しばらくぶりのトレーニングに細胞が沸き立つ。
トレーニングは、肉体の持つ欲望をあらわにさせる。
筋肉の息遣いが脳幹に伝わり、人間の持つ野生の好戦性という本能が目覚め、さらに肉体を酷使しだす。
その過剰なまでの高揚感は戦場に赴くもののふのごとく己をより危険の域へと引きこむ。明日のわが身の激痛など省みず、限界値へと突入しようとする。しかしまた、傷つけられることで筋肉は陶酔する。
マゾヒズムとサディズムが肉体という戦場でせめぎあう、それがこの世界だ。

肉体は、ちぎれ、傷つきながらも血液というドーパミンを細胞内に激流のごとく奔出させ、はちきれんばかりにパンプアアップし、狂喜の叫びをあげる。
まるでボンレスハムのように肥大した上腕二頭筋を目にしたO君は「ひゃっひょっ!」
と言葉ともつかない驚嘆の吐息を漏らす。

彼にも、三ヶ月もすれば、程なく同じ変化が自分の体に現れることをまだ知らない。

一時間はとおに過ぎた、さらにもう一時間が経とうとするころ、ようやく肉体は満足の意を表明し弛緩した。

我々は肉体に勝利し、そして敗北した。
この世界は広大だ、そして、絶え間ない戦場だ。
好奇の念で飛び込んだ挑戦者達の多くは返り討ちにあっていった。
勇気と忍耐と克己心の強いものだけがこの世界で生き続け、世界を広げられる。
O君は今、その最初に立った。

体育館をでて、隅の喫煙所でタバコをふかす。
銃を放った後の硝煙のごとき煙が体を纏わる。
我々は今日戦場を生き抜いた。
ニコチンが血液にくすぶる興奮の残滓を払いのける。
火照りきった肉体には、肌を刺すような寒風も暖かい毛布のように感じられた。

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