今日もまた同僚達と仕事終りに飯です。
ほんと、毎日食べてますね〜^^;
今日は長崎チャンポン、リンガーハット。
玉ねぎ入ってますが、全然平気でした。

この冬最初の牡蠣を食べました。
美味しかったです。

眠すぎ

2007年10月30日
今日も仕事終り、同僚と飯を食べに行きました。
今日はすき屋で豚丼を食べました。
玉ねぎ抜きです。

帰って日記を書きながらいつの間にか眠っていて、起きたら寝ぼけて書きかけの日記を消してしまいました。

そこで諦めてベットで本格的に眠りました。
男だらけの誕生会
月曜は、うちのラインのリーダーの誕生日だったので、同僚4人で、リーダーの誕生日を祝った。
といっても、ガストで飯食っただけだけど(笑)

うちのリーダーは21歳になった。
年は若く、普段はふざけてばかりだけど、仕事はしっかりしてて、リーダーとしての責務を充分に果たしてる。

個人的に話をしてみると、その年令に比して、もの凄くしっかりしてて、大人だ。
いかにみんなと上手くやるか、まとめるかを真剣に考え、周りに気を配ってる。人とのコミュニケーションは、僕よりリーダーの方が何十倍も上だ。

若い頃無茶をして親に迷惑をかけたので、今度は恩返しをしたい。
高校を卒業とともに、もう親には迷惑をかけない、頼らない、そう決めて実行してる。
僕が21の頃なんて、親のすねを骨までしゃぶり尽くしていたぞw

僕だったらリーダーは出来ない。
彼はリーダーとして適任だと思うし、尊敬もする。
リーダーの下で働けることがうれしい。

誕生日おめでとう、リーダー。

画像1、ケーキにささった蝋燭?(タバコw)を吹き消すリーダー、後ろで見守る同僚。

たまにはひとりで

2007年10月28日
たまにはひとりで
同僚との約束がなくなったので、夜にひとりでドライブに出かけた
僕にしてはめずらしく、ここ数ヶ月は常に休日は誰かと一緒だったので、久しぶりのひとり行動。

本屋によって、テニスマガジンとメンズノンノ買って、大黒ってラーメン屋に行った。
ここの一番人気の黒スープにして、チャーシュー麺。
味は、こってりで、ちょっとぴりっとした感じ。
うん、うまい。
テニマガ読みながらだらだら食う。
僕は胃が小さいので替え玉は無し。腹八分目くらいが丁度いい
近くにぽっぽおじさんの唐揚げ屋があった。
今度買ってみよう。

戻りがけ、おもちゃ倉庫によってシャツ一枚と、帽子購入。カードで。
そして、ドンキでぶらぶらしてちょこちょこしたの買って、ぽかぽか温泉ランプの湯へ。
外観からして、ぽかぽかの中では一番よさげだったのだけど、中もレトロで、ノスタルジー好きな僕にどんぴしゃ。
温泉は、炭酸のラムネ温泉やらなんやらでバラエティーに富んでる。電気風呂は電気が強すぎて痛くて入りきれません。
1日一種類とかでゆっくり入って全部を堪能したいなぁ。
温泉から出て、休憩所でラムネ飲みながらゆで卵食ってまったり。これぞ至福って感じで。
ラムネも全種類制覇したいな。
実は再び会社に車で行こうか迷ってるんよね。
車やったら仕事終りに寄れるしね。
休日は、夕方くらいからいって、風呂入ってここの名物の飯盒雑炊やら定食やらで夕飯済まして、そのまま深夜まで畳にごろんって横になってラムネ飲んだりアイス食べたりしながら本でも読んだら最高やろうなぁ。
よし、暇なとき実行してみよう。

家に帰ったらやたらとクシャミが出るぞ〜。
湯冷めには気をつけねばな。

画像は大黒の黒チャーシュー。

俗なる映画祭

2007年10月27日 趣味
俗なる映画祭
仕事が終って、1時間半ほどの仮眠をとり、午後9時半より「俗なる映画祭」に行ってきた。

元々シネマ5関連で「聖なる映画祭」というのが企画されていて、丁度折同じくして、北九州で、鈴木則文監督特集が組まれていたのに、シネマ5管理人が便乗して突如決まった企画らしい。

鈴木監督は、大衆娯楽映画の大家。
だから、「聖なる映画祭」と対になる「俗なる映画祭」と命名された。

上映プログラムは、鈴木監督の要望もあって、2本目の『聖獣学園』が『堕靡泥(ダビデ)の星 美少女狩り』に変更されていた。

一本目『エロ将軍と二十一人の愛妾』のあとにシネマ5管理人と鈴木監督のトークショー。ここで思わぬサプライズ鈴木監督をリスペクトしている『EUREKA』『サッド ヴァケイション』の青山真治監督が登場。
3人のめくるめくトークを聞きながら、あらためて映画の奥深さに感じ入る。

『堕靡泥(ダビデ)の星 美少女狩り』『ドカベン』を上映。
2本目が終ったあとに、勇気を出して、監督二人に記念に写真に収まってほしいと願い出た。
ここで少し失敗。緊張のあまり、青山監督に先にお願いをしてしまったこと。今回は鈴木監督の企画であって、最初に話すは鈴木監督にしとくべきだった。
そのことを察してか、最初、青山監督はあまりいい顔をせずに渋っていたけど、鈴木監督が快く応じてくれて最終的には、青山監督も笑顔で写メに収まってくれた。
僕の他には誰もそういうことを頼む人、というか話し掛けている人すらいなかったので、そういうお願いをすること自体マナーに反するのかな?という懸念もあったけど、こういったチャンスは滅多にないし、許してください青山監督は少し気むずかしい人なのかな?と思ったけど、鈴木監督を敬愛するが故のことなんだろう。
それにしても僕はやっぱりミーハーやな。
話し掛けるのにちょー緊張したぁ。

結果的には、もの凄く充実した時間を過ごせた
上映された三本とも素晴らしく、久々に鑑賞中に声を出して笑ったりしてしまった。終始眠くなることもなく、鈴木監督の映画力に感服。

トークショーの中で監督が述べられた言葉、「芸術や娯楽を超えたところに表れてくる人間性(だったっけ?)」それこそがドラマであり、映画の本質なのだと。
まさにそう思った。映画に娯楽も芸術も関係ない。
素晴らしいものは、素晴らしいのだ。

こういった企画が催されるミニシアターが大分に、近くにあるという幸運を、僕はつくづくと感じたのであった。

画像は、鈴木監督と青山監督と僕の記念写真。

明日は映画祭

2007年10月26日
明日は映画祭
明日は休出だけど、そのあと強行スケジュールで、シネマ5である「俗なる映画祭」に、同僚と行ってくる

僕は早番だけど、同僚は常昼だからきついだろうな。
というのが、その映画祭、映画三本、その間に監督とシネマ5管理人のトークショーがあって、午後9時半から、深夜の3時まであるのだ。
さあて、ずっと起きとけるかな?

ちなみに、監督は鈴木則文っていって、僕はよく知らないんだけど、調べてみると、東映を代表する監督らしく、菅原文太の「トラック野郎」とかの生みの親だとか。ポルノから任侠ものまで幅広く手がけてる。

今回上映の三本は、
『エロ将軍と二十一人の愛妾』
『聖獣学園』
『ドカベン』

二本は、題名からいって確実にポルノです。
さすが「俗なる」とつくだけのことはある。

昔のポルノは、物語の制約が少なく、その分優秀な人材が作家性を発揮できる場になったという風なことも聞いたことがある。

ポルノも現在においては当時の世相を知るに一見の価値あり、ということですな。

僕は、エロスの奥からいったい何を見いだすことが出来るのであろうか。
明日が楽しみだ。

画像は鈴木監督

正直、きっつい

2007年10月25日
正直、きっつい
毎日毎日、残業できっついですのう。
でも今日は給料日。
でも7万は引かれものやら親に渡す生活費やらで消えてくこと確定。
今月自由になる金はいくらだ??
冬物の服買いたい〜。
こないだおもちゃ倉庫行ったら、買おうと思ってたブーツが売れてるしああ〜一期一会。

疲労困憊。
こんな時はいつもQ&Pコーワ飲んでる。
だいぶ違う。

夕飯どーしよぅ。
同僚と行くはずだったラーメン屋もキャンセルになったし。
冷蔵庫開けてみる。。。何も無し。
晩飯作る気力無し。
あっ、居間のテーブルの上にポップコーンが。
今日はこれと野菜ジュースでも飲んで寝るか。。

Kunzeの日記で紹介されてた家紋診断ってのやってみた。
http://ayataka.jp/?cid=ov_52#fun-kamon

僕の結果はイルカ紋(画像)

「イルカ紋のあなた。切迫した場面も難なく切り抜けるその姿はまさに大波の中で踊るイルカのように優雅。しかも、初めて対峙する相手と素早く打ち解けられる才能もあるようです。その恵まれた力を生かして多くの人々を支え、助けてください。きっと有意義な人生が歩めるはずです。」

だと。
初めて対峙した相手と素早くうち解ける??
あの〜僕、究極の人見知りなんですけど(笑)

興味のある人やってみそ。

くずける

2007年10月24日
自分を壊したい衝動というのがあります。
いい意味でも悪い意味でも。

努力は無ではない

2007年10月23日
弱みを見せない人だけが強い人間であるとは思いません。
弱みを見せても、それを克服しようと努力し続ける人間もまた強いのだと思います。

現状維持

2007年10月22日
11月3日以降の部署移動の詳細がほぼ固まってきたようです。
僕は今の所に据え置きっぽいです。
うちのところは4人変わります。
来月も残業が多くなりそうです。
昨日は9時間30分ほど寝て、午後四時頃友人のメールで起こされて、遊び出た。

友人が、スピンズって店の3千円の只券くれた。
ありがと。
その券でボーダーのロンT買った。
僕は冬のインナー全然持ってないことに気づく。

3人とも、もの凄く腹が減ってたので、浜カツへ。
数年ぶりの浜カツ、超美味い。
トロロに麦飯、ごまダレに岩塩、最高。
ご飯三杯、腹が破裂しそうになって最後は大食い大会のような苦行にw
食べたあとしばらく動けず、うんうん苦しむ。
浜カツはカード払いできるので、3000円に手をつけず。

おもちゃ倉庫に行って、友人の彼女へ遅い誕生日プレゼント。
誕生日おめでとう。
もちろんこれもカード。

僕が明日早番なので、早めに解散。
今から2時間は眠れるな。
残金三千。でもそんなの関係ねぇ!いや、あるけどw
同じ部署の人たちと、仕事終りにラーメン食ってきた。

「みくにや」って所。
ここは、何が凄いって、豚の角煮がでかい。
だからいつも豚の角煮ラーメンを頼んでる。

今日もうまうま。

先週から、2週間で、1日だけしか外食しない日はなかった。
金がない。
でも、金より大切なものがある。
人と人との縁なりや。

今から寝て、起きたら数時間後にもう仕事。
遅番から早番に切り換えの週の休出は辛い。

だけどまあ、たっぷり睡眠は取れるからいっか。

金欠

2007年10月19日
今日は外食しませんでした。
先週から、土日含めて同僚と毎日外食してたので、金がかなり厳しいです。
ですが、楽しいです。
明日は休出です。
あ〜あ。

うひぃ

2007年10月18日
仕事が増産期で、通常でも30分長いのに、それに加えていつも1時間以上の残業。
昔やった営業の仕事とかだとそんなん当り前やけど、今の仕事は肉体を使うので、かなりきついです。
疲労困憊極まりない。
それに、これから先も休出決定。
4週連続休出だと。。
体力があって元気なのは、いつも始まりの1時間くらい」です。
映画 『街のあかり』
フィンランドのヘルシンキに、ひとりの男が静かに生きていた。友人はいなかった。愛する人もいなかった。見守る家族もいなかった。文字どおりひとりぼっちの世界を生きていた。海辺でソーセージ屋を営む女だけが彼を見つめていたのに、その店のあかりは彼の眼には入らなかった。
街の片隅でたったひとり生きる男の、孤独な、しかしつつましやかに夢を見ながら生きる世界に、ダリアのような猛毒が注がれる。その結果たどりついた場所は、あかりのまったく灯らない、冷え冷えとした世界だった。
しかし一度信じ愛したものに対して、彼が裏切ることは決してなかった。やがて訪れる無垢なる愛。その愛が街を静かに灯していく様は、人が人間性を回復していくような、奇跡的な美しさだった…。


ヘルシンキは寂れた街で、日本のようにそこらに娯楽があるわけでもなく、人々は限られた楽しみの中で慎ましく暮らしている。
そんな印象を受ける。
そして、そういう限定された選択肢しか持てない街には、作品の主人公「コイスティネン」のような人間は意外に多いのじゃないだろうか、というようなことを思ったりもする。

監督のカウリスマキは好きな監督で、特に近年出している作品群は、僕の琴線に触れてくる。
彼の映画は、どこか日本的。現代というよりも昔の、例えるなら小津安二郎的な感覚がある。
殺風景な単色の街に、無口な人たち。
僕が何より感心するのは、その「間」だ。
ある空間でのその人物の心情を、仕草と会話と空白の「間」のバランスで絶妙に表している。
人間の深刻な仕草というものは、実は一種の滑稽性を有している。その滑稽性をほんの少しだけ強調する演出により、深刻なだけの場面が、暖かみのある笑いを含んだものとなる。
そういう演出が、この作品にカウリスマキ特有の個性を付与しているのだと思う。

カウリスマキは社会的弱者の立場に立たされた人間を良く描くが、けしてそういった人物が「弱者ではないよ」という見せ方はしない。彼らは、紛れもなく、社会的弱者であり、または社会的に弱者に追い詰められていく人々である。
ただ、カウリスマキは、そんな人々に必ず、光を与える。
弱者であるから「しょうがない」という風には見せない。
それこそが監督の優しさであり、映画に込められたメッセージだ。

前作『過去のない男』をカウリスマキは「諷刺に満ちたキャプラ」と評したが、そうしたキャプラスクの精神は本作でも見られる。

街のあかりとはなんなのか。
それは、どんな街でも、どんな人間にも、見つめ続けてくれる存在、そして理解してくれる存在はいるという希望。
希望のあかり。

映画のパンフレットには、『浮き雲』『過去のない男』『街のあかり』を敗者三部作を評していたけど、僕はあえて、社会的弱者三部作といいたい。
なぜなら、彼らは、「弱者」ではあっても、まだ「敗者」ではないからだ。

本作の主人公は夢を持ち、救いの手をさしのべてくれる存在がいる。彼の心に街のあかりが点り続ける限り、彼は「敗者」になることはない。 
最近、ミクシイの方に比重が行っている。
だけどここも残しておきたい。
やっぱり現実にあう人たちに見られたくない部分とかあるからね。
それにここで出合った人たちとも交流を続けていきたいし。
でも日記を2つ書くのは厳しいね。
毎日日記を記しているのは(実際にはまとめ書きだけど)こっちだし。
う〜ん、どうしようか考え中。
ミクシイを毎日書いて、こっちには真面目なことだけ書くか、はたまた。。。
映画 『長江哀歌』
監督:ジャ・ジャンクー
【舞台は三峡ダム建設の進む四川省・奉節。主人公は2人の男女。1人は、16年前に家出して実家に戻ってしまった妻と娘に会いに来た山西省の炭鉱夫・サンミン(ハン・サンミン)。もう1人は、2年前に出稼ぎに行ったまま消息を絶った夫を探しに来た看護婦のシェンホン(チャオ・タオ)。2人のストーリーは別個に進行し、それぞれの結末を迎える…。第63回ヴェネチア映画祭で金獅子賞受賞。】


ジャ・ジャンクー監督が、『水没の前に』を見たことが、この映画を作ろうと思った発端かどうかは知らないが、作品に『水没〜』に出てきた住民が役者として出ていた(と思う)ので、驚いた。
『水没の前に』と同じ、奉節の町を舞台にした、二人の人間のドラマである。
僕はこの監督の作品を以前に一度見たことがある。
中国のヌーヴェルヴァーグと評された『青の稲妻』なんだけど、中国のゴダールという形容をつけたくなる難解さで、僕は付いていけず好きになれなかった。
しかし本作は、しっかりとしたストーリーラインがあり、『青の稲妻』を撮った監督の作品だとは思えない。

最初僕は、二人の主人公がどこかで出合う話かと思っていたけど、二人は最後まで出合うことはない。
同じ場所で、同じ時に進行する二人の人生にスポットを当てている。
奉節の背景については『水没〜』のレビューに書いたので、ここでは割愛する。

映画の中に時折、意図の掴めない場面。
たとえば、UFOが表れたり、突然、ビルが、ロケットのように打ち上げられたり。
ネットで調べてみると、監督がしっかりそのことについて発言していた。UFOは、このまま水没していくこの町がなんだか寂しくて、異星人でも現れないかと思った、とか、ビルは周りの景観とそぐわなかったからだとか。
一見稚拙にも感じるこの監督のシンプルな思いこそ、失われゆく奉節という町に対する監督の哀歌(エレジー)なのだとも思える。

場面に出てくる四つの言葉。
烟(タバコ)、酒、茶、糖(アメ)。
これは昔から中国人に欠かせない「とても素朴な形で普通の人々に喜びと幸福をもたらす」ものだと監督は言う。
中国の急激な変化の中でも、出会い、別れ、喜び、悲しみなどの人間の営みは変わることはない。ジャンクーは、大きなドラマもない、普通の人間の人生をあえて選び、切り取って映画にする。
普通の人間の人生こそ、もっとも素朴な形で人々に感動を、幸福をもたらすものだと。映画の中で、烟(タバコ)、酒、茶、糖(アメ)の四つに分かれたパートは、ふとした時に、それら四つの嗜好品のように欠かせないものとして、見直すことの出来る「普通の人生の一片」であって欲しいという監督の願いなのではないだろうか。

映画と会話。

2007年10月14日
会社の同僚と映画を見に行きました。
一昨日に見た「水没を前に」を伏線として、今日はドキュメンタリーではなく同じ問題、地域を題材にした「長江哀歌」を見ました。

事前にドキュメンタリーを見たのは正解だったと思う。
三日連続の映画鑑賞。

最近の映画熱の高まりは、ミクシイのお陰で同じ傾向の友人を見つけられたことにあります。
趣味は一人でも楽しいものだが、やはり話題を共有できる存在がいると、その情熱もいや増すというものです。

映画鑑賞のあとは、僕のマンションの近くのフレスポ(ショッピングモール)に移って、喫茶店で、軽い食事をとりながら、映画のことを色々と話しました。

フレスポに拠ったついでに、スポーツジムの会員を脱退したました。
行く暇は作れても、行く気力や体力が無いのです。
二ヶ月行ってないので、会費がもったいない。
一ヶ月一万は高いですよ。

来月からは引かれない。その分を映画代に回そうと思います。
12月からは、シネマ5のプレミアム会員になる予定。ていうか、復帰。

とりあえず、今月末にある俗なる映画祭は今日の同僚と、次の日にある「エヴァ」は他の同僚含めた3人で行ってこようと思ってます。

映画と飲み会

2007年10月13日
昨日深夜に映画が終ってから、帰って日記書いたりして、眠ったのが午前1時半なので、3時間くらいしか眠れませんでした。
でもまあ、休出だけどすぐに終りそうだからいっか。
って思ってたら、ほんとに2時間くらいで終ってしまった。
あとの2時間くらいは惰性で過ごしました。

早く終ってみんなでファミレスでご飯。帰って少し仮眠をとって映画を見に行きました。
今日は「サッドヴァケイション」。素晴らしく良かったです。
そのあと、うちの部署の人間との飲み会がありました。
2時間ほど飲んで、それから二次会でカラオケ。
ていうか、ひとり、いつも僕を送ってくれる新人君が酔いつぶれて、凄いことになって、みんなで運ぶのに一苦労。
人間が完全に脱力しきってるときはもの凄く重たいですね。

楽しかったけど、新人君の介抱で疲れてしまいました。
映画 『水没の前に』
監督:李一凡(リ・イーファン)、鄢雨(イェン・ユィ)

【三峡ダムの建設で歴史の町が水没する。移転に伴う補償を求める庶民の強欲と行政の混乱、キリスト教会の裏帳簿に建材の転売取引。電気水道が止められた灼熱の廃墟に留まり続ける人々。喧騒に満ちた生活のどこにでもひっそり遍在するカメラと見事な編集が世界を驚愕させた、ダイレクトシネマの真骨頂。】

ほぼ二人だけで撮影、編集された完全なるインディペンデンス作品。
中国が進めている改革開放の一環として、この三峡ダム建設がある。
ダム建設により水没させられる町の一つ四川省奉節(フォンジエ)が作品の舞台となる。
奉節は杜甫や李白によって詠われた歴史的な町であるが、そのような町ですら、押し寄せる中国の改革の波の前では、人々の記憶の中にしか留まることを許されないのだ。
改革開放の政策により、中国の近代化は急速に進んだが、一方で広すぎる国土、多すぎる人口は、その速さについていけず、貧富の格差をも促進させ、拡大させてしまった。
舞台の奉節で暮らす人々は、まさに改革に取り残された、貧に属する人々だろう。
日本なら、およそ宿とは呼べないような宿場が経営として機能し、そこに集う日払いの労働者達。
彼らは、船から荷を下ろしたり、金槌でコンクリを打ち付るという恐ろしく原始的な方法でこの町を解体する人夫たちだ。
ここでは生きることこそが生きる意味なのである。

彼らの荒々しい叫び声、激しい気性は、四川の気質のみでなく、彼らの、日々の生活を生き抜こうとする活力であり、営みの中で育まれた知恵なのだと思う。
彼らの利の追求は、衣食足りた上での日本のそれとは意味合いが異なる。彼らはまさに衣食を足らせるために追求するのである。そこには、日本にはない、命をつないでいくための切実さがある。

町民達は、水没を前に、衣食だけでなく、今度は住までも奪われる危機に追込まれる。
彼らの中には住処を保証されないままに移動を余儀なくされる者もいる。
取り壊しが決定された建物に居座り続ける人々は、居座り続けたいのではなく、居座り続けるしか生きる術が見いだせないからだ。しかし、こうしたルサンチマンの発露も、結局は、無力であり、長く続けることは出来ないのだと彼ら自身が知っている。

ドキュメンタリーの始め、貧しいながらも喧騒があった奉節の町は、終りには、人ひとりいない本当の廃墟となる。
監督は、「カメラが見つめたのは人間性が廃墟の中に沈みゆくありさまでしかなかった」と述べたが、僕はこうも思う。
「廃墟になる過程は、人間性を埋没させるとともに、浮き彫りにもする」のだと。僕はカメラ越しに、生に対する貪欲な、ときに崇高で、ときに劣悪な人間性を確かに発見したのだから。

カメラに映し出される町の変遷を見ながら、思った。
彼らは、これからどこへ行き、そしてどうやって生きていくのだろう?
その先はこの作品には示されない。
当然だ、カメラの前にある「今」を映し出す、それこそがドキュメントなのだから。

現在、監督二人は、本作以後の町民達の「今」を撮っているという。
その作品が、日本で見られる日はいつになるだろう。

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