バトンが来ました〜。
まる、渡してくれてありがと^^
Q1.コンピュータに入ってる音楽の容量は?
☆無し・・・この前リカバリーして全部消えた。またCDから取りこむのめんどい。
Q2.今聞いている音楽は?
☆モーツアルトの色々・・・頭がよくなると噂なのはこの人だっけ?
Q3.最後に買ったCDは?
☆坂口安吾 「白痴/堕落論/続堕落論」・・・朗読CDってやつです。
Q4. よく聞く、もしくは思い入れのある5曲は?
☆ジョン・レノン 「WATCHING THE WHEELS」・・・皆社会の基準で俺のことを色々言うけれど、俺はそんなとこから抜け出して、自分自身でありたいだけなんだよっていうジョンの叫び。
☆喜多郎 「シルクロード」・・・浄化される。シルクロードで聞きたい。悠久の時を感じる。今の自分なんてほんの一点に過ぎないと感じるが、それは悲しさじゃなくて、ものすごい感動。
☆堀内孝雄 「あなたが美しいのは」・・・自分が好かれるかどうかを気にしている自分が嫌いだった。人を好きでいる自分でいたいと思った。人に希望を持って一生懸命生きようと思う。
☆新垣勉 「愛燦燦」・・・美空ひばりも良いけど、新垣さんの人生とその歌がシンクロする。彼にとって、この歌がどれだけ力になったか。歌の力を感じた。彼の歌声はすばらしくて、涙が出る。
☆中島みゆき 「ファイト」・・・「誕生」と迷ったけど、この曲も、中学や高校の辛いとき、よくベッドに寝転んで何度も聞いていた。
階段から、突き落とされたのが自分だと思っていたら、突き落として笑っていたのも自分であって、それを見てなにもいえずに逃げてしまったのも自分だった。私の敵は私です。
Q5. バトンを渡す5人は?
たくさん回っているようで、僕がまわさなくても、いずれ行き渡ると思うし、重複するのもなんなので、渡さないことにしました。
まる、渡してくれてありがと^^
Q1.コンピュータに入ってる音楽の容量は?
☆無し・・・この前リカバリーして全部消えた。またCDから取りこむのめんどい。
Q2.今聞いている音楽は?
☆モーツアルトの色々・・・頭がよくなると噂なのはこの人だっけ?
Q3.最後に買ったCDは?
☆坂口安吾 「白痴/堕落論/続堕落論」・・・朗読CDってやつです。
Q4. よく聞く、もしくは思い入れのある5曲は?
☆ジョン・レノン 「WATCHING THE WHEELS」・・・皆社会の基準で俺のことを色々言うけれど、俺はそんなとこから抜け出して、自分自身でありたいだけなんだよっていうジョンの叫び。
☆喜多郎 「シルクロード」・・・浄化される。シルクロードで聞きたい。悠久の時を感じる。今の自分なんてほんの一点に過ぎないと感じるが、それは悲しさじゃなくて、ものすごい感動。
☆堀内孝雄 「あなたが美しいのは」・・・自分が好かれるかどうかを気にしている自分が嫌いだった。人を好きでいる自分でいたいと思った。人に希望を持って一生懸命生きようと思う。
☆新垣勉 「愛燦燦」・・・美空ひばりも良いけど、新垣さんの人生とその歌がシンクロする。彼にとって、この歌がどれだけ力になったか。歌の力を感じた。彼の歌声はすばらしくて、涙が出る。
☆中島みゆき 「ファイト」・・・「誕生」と迷ったけど、この曲も、中学や高校の辛いとき、よくベッドに寝転んで何度も聞いていた。
階段から、突き落とされたのが自分だと思っていたら、突き落として笑っていたのも自分であって、それを見てなにもいえずに逃げてしまったのも自分だった。私の敵は私です。
Q5. バトンを渡す5人は?
たくさん回っているようで、僕がまわさなくても、いずれ行き渡ると思うし、重複するのもなんなので、渡さないことにしました。
僕が本を読み、映画を観る理由。
2005年6月17日 僕について僕は実は映画を観たり、本を読んだりすることが大嫌いな人間だった。
んで、その常識のなさとかは、ひどいもんで、テニス以外のことは、高校を出るまで、てんで何も知らなかった。
その頃僕は極度の人間不振で。まさに、なんの道具も持たずに、火を消そうとする人間だった。一人で色々考えてはいたが、限界があったし、とにかく、いつでも死ねるとか、死んでやるとか、思ってた。と同時に、そんな自分にコンプレックスを感じ、皆のように普通になりたいだとかいう思いにとらわれて、苦しんでた。どうにかその苦しみから抜け出したかった。
大学は、僕の高校からは、僕しか入学していない大学。僕はそこで新たな人格形成、新たな人生を始めようと思っていたけど、人間不信の真っ只中な僕には、うまく行くはずもなかった。
テニス部に入ったのだけど、一から人間関係を作る不安に耐え切れず、一週間でやめてしまった。
高校時代、何の常識も持ち合わせていなかった僕にとって、テニスというのは、格好の逃げ道であり、よりどころ、アイデンティティだった。
だからこそ、これだけのめり込んだわけだけど。
だから、テニスクラブを止めた僕は虚無だった。自分の柱がすっかり抜けた感じ。そして、人間不信で、大切なテニスを放棄してしまったことも僕自身を苛んだ。
「お前が大好きだとか、アイデンティティだとかいっていたテニスも、所詮は、人間関係であきらめられるくらいのもんだったのさ」
と、心に中で囁く僕がいた。
大学で僕の奇癖が強迫性傷害であると知った僕は、すさんだ心で、「そうか、僕はどう頑張っても普通になんてなれやしない」なんて、ひねくれ曲がってた。
だけど、やっぱりそんな現状を打開したいという気持ちは常に心の隅で燻っていた。
大学三年になって、ある人と友達になった。その友人は変わった人であったが、それは変わりぶりは彼の紛れもなく芯であり、変わっていることに対する飄然とした態度に、僕は憧れと尊敬を抱いた。彼は、その自分の行動全身で、これは変わっているのではなく、個性なんだと主張しているように僕には感じられたのだ。
彼は読書家だった。
「孔子は、1万冊本を読めば、何事にも屈することのない人間になれるといったんだ」と、あるとき彼はいった。
何事にも屈する人間だった僕は、その言葉に、すがった。
尊敬する友人が言ったということ、孔子というネームバリュー。権威に弱かった僕にはそれだけで充分だった。
そして自分は普通にはなれないというひねくれた思いが、そんなら、普通じゃなくなってやれという思いが、ちょうどうまい具合に作用して、僕を読書に向かわしめた。
僕はこんな理由で本を読み出したわけである。新たなるアイデンティティの希求と、現状からの打開の渇望と、障害を苦にしたひねくれた世間への憎悪。それらが、友人の偶然の一言によって読書というベクトルに結実したのだ。
僕の例を取るまでもなく、ほんとにきっかけなんて、どんな理由でもいいんだと思う。
本を読むのと同時に、映画を観るようになった僕は、そこにさまざまな人間を発見し、人生を発見し、考えを発見した。一冊、一本、毎回毎回が目からうろこだった。今までついぞそういう行為をしてこなかった僕にとって、読むことや映画を観ることへの苦痛はなかったといえばうそになるが、それ以上に驚きと喜びがあった。
そしてそういう日常を過ごすうちに、僕の思考もだんだんと変化していった。自分がいかに傲慢で、ひねくれていて、被害者ぶっていて、その実なんの努力もせず、独善的であったかを知っていった。どんな本でも、どんな映画でも、何らかの学びがあった。それは、他人の人生や考えを持って自分の考えを対峙させる行為であった。
普通にこだわる僕の過ち。普通などどこにもないのだ。そう思えるようになっていった。
今でも不安や劣等感に陥ることは否定しないし、僕の根の部分に人間不信があることも事実だ。ただ、僕は本を読み出して、映画を観だして、明らかな自分の進歩を感じる。
その先に本当の人間不信の克服があるのかはわからない。でも僕は続けることでいつか、克服できると信じている。苦しみから抜け出せると。
自分の苦しみの開放につながっているかもしれない。そう思えば、どんなことでも知りたくなってくるし、苦痛ではなくなってくる。それはもちろん、読書や映画に限ったことではない。
僕が本を読み、映画を観る理由は、ストーリーを楽しむというのもあるが、何よりも、その著者や監督、その本や映画に出てくる人達の人生、考え、感情を知っていくことで、自分の苦しみの克服や、人間的成長への材料を集めることにあるのだ。
んで、その常識のなさとかは、ひどいもんで、テニス以外のことは、高校を出るまで、てんで何も知らなかった。
その頃僕は極度の人間不振で。まさに、なんの道具も持たずに、火を消そうとする人間だった。一人で色々考えてはいたが、限界があったし、とにかく、いつでも死ねるとか、死んでやるとか、思ってた。と同時に、そんな自分にコンプレックスを感じ、皆のように普通になりたいだとかいう思いにとらわれて、苦しんでた。どうにかその苦しみから抜け出したかった。
大学は、僕の高校からは、僕しか入学していない大学。僕はそこで新たな人格形成、新たな人生を始めようと思っていたけど、人間不信の真っ只中な僕には、うまく行くはずもなかった。
テニス部に入ったのだけど、一から人間関係を作る不安に耐え切れず、一週間でやめてしまった。
高校時代、何の常識も持ち合わせていなかった僕にとって、テニスというのは、格好の逃げ道であり、よりどころ、アイデンティティだった。
だからこそ、これだけのめり込んだわけだけど。
だから、テニスクラブを止めた僕は虚無だった。自分の柱がすっかり抜けた感じ。そして、人間不信で、大切なテニスを放棄してしまったことも僕自身を苛んだ。
「お前が大好きだとか、アイデンティティだとかいっていたテニスも、所詮は、人間関係であきらめられるくらいのもんだったのさ」
と、心に中で囁く僕がいた。
大学で僕の奇癖が強迫性傷害であると知った僕は、すさんだ心で、「そうか、僕はどう頑張っても普通になんてなれやしない」なんて、ひねくれ曲がってた。
だけど、やっぱりそんな現状を打開したいという気持ちは常に心の隅で燻っていた。
大学三年になって、ある人と友達になった。その友人は変わった人であったが、それは変わりぶりは彼の紛れもなく芯であり、変わっていることに対する飄然とした態度に、僕は憧れと尊敬を抱いた。彼は、その自分の行動全身で、これは変わっているのではなく、個性なんだと主張しているように僕には感じられたのだ。
彼は読書家だった。
「孔子は、1万冊本を読めば、何事にも屈することのない人間になれるといったんだ」と、あるとき彼はいった。
何事にも屈する人間だった僕は、その言葉に、すがった。
尊敬する友人が言ったということ、孔子というネームバリュー。権威に弱かった僕にはそれだけで充分だった。
そして自分は普通にはなれないというひねくれた思いが、そんなら、普通じゃなくなってやれという思いが、ちょうどうまい具合に作用して、僕を読書に向かわしめた。
僕はこんな理由で本を読み出したわけである。新たなるアイデンティティの希求と、現状からの打開の渇望と、障害を苦にしたひねくれた世間への憎悪。それらが、友人の偶然の一言によって読書というベクトルに結実したのだ。
僕の例を取るまでもなく、ほんとにきっかけなんて、どんな理由でもいいんだと思う。
本を読むのと同時に、映画を観るようになった僕は、そこにさまざまな人間を発見し、人生を発見し、考えを発見した。一冊、一本、毎回毎回が目からうろこだった。今までついぞそういう行為をしてこなかった僕にとって、読むことや映画を観ることへの苦痛はなかったといえばうそになるが、それ以上に驚きと喜びがあった。
そしてそういう日常を過ごすうちに、僕の思考もだんだんと変化していった。自分がいかに傲慢で、ひねくれていて、被害者ぶっていて、その実なんの努力もせず、独善的であったかを知っていった。どんな本でも、どんな映画でも、何らかの学びがあった。それは、他人の人生や考えを持って自分の考えを対峙させる行為であった。
普通にこだわる僕の過ち。普通などどこにもないのだ。そう思えるようになっていった。
今でも不安や劣等感に陥ることは否定しないし、僕の根の部分に人間不信があることも事実だ。ただ、僕は本を読み出して、映画を観だして、明らかな自分の進歩を感じる。
その先に本当の人間不信の克服があるのかはわからない。でも僕は続けることでいつか、克服できると信じている。苦しみから抜け出せると。
自分の苦しみの開放につながっているかもしれない。そう思えば、どんなことでも知りたくなってくるし、苦痛ではなくなってくる。それはもちろん、読書や映画に限ったことではない。
僕が本を読み、映画を観る理由は、ストーリーを楽しむというのもあるが、何よりも、その著者や監督、その本や映画に出てくる人達の人生、考え、感情を知っていくことで、自分の苦しみの克服や、人間的成長への材料を集めることにあるのだ。
興奮と緊張とストレスと強迫。
2005年5月9日 僕について僕は興奮したり、緊張したり、ささいなストレス(自分でも感じないくらいでも)で、強迫が悪化する。
強迫性傷害の人って皆そうじゃないかな?違うのかな?
多分脳の中の働きに変化がおきるからだと思うけど。僕の場合しーんとした場所で静かにしなきゃと思ったりすると、強迫観念が強くなる。
興奮しても強くなる。薬飲まなくて禁断症状になってもわかる。
つまり、昨日はテニスの試合が凄い試合で、ものすごく興奮してしまって、強迫が鬼のように出てしまった。
楽しいやら苦しいやら。手元にあった携帯は僕が噛みすぎてぼろぼろになるは、息は苦しくなって、絶え絶えになるわ。
まったく強迫は厄介だ。でも昨日薬のみ忘れたもんなあ。それもあるかも。
強迫性傷害の人って皆そうじゃないかな?違うのかな?
多分脳の中の働きに変化がおきるからだと思うけど。僕の場合しーんとした場所で静かにしなきゃと思ったりすると、強迫観念が強くなる。
興奮しても強くなる。薬飲まなくて禁断症状になってもわかる。
つまり、昨日はテニスの試合が凄い試合で、ものすごく興奮してしまって、強迫が鬼のように出てしまった。
楽しいやら苦しいやら。手元にあった携帯は僕が噛みすぎてぼろぼろになるは、息は苦しくなって、絶え絶えになるわ。
まったく強迫は厄介だ。でも昨日薬のみ忘れたもんなあ。それもあるかも。
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僕は生粋のロングスリーパーである。
1日平均10時間が寝ているし、寝なきゃ眠い。今日に至っては、日記を書く以外は眠っていたといっても言い過ぎではなく(これを書いているのは一日の昼^^;)、僕は異常なのか?っとネットで調べてみた。
アインシュタインも平均睡眠時間10時間と聞いていたので、アインシュタイン、睡眠時間、で検索してみると、面白い事がわかった。
以下引用
なるほどなあ、当たってるかも。。。
1日平均10時間が寝ているし、寝なきゃ眠い。今日に至っては、日記を書く以外は眠っていたといっても言い過ぎではなく(これを書いているのは一日の昼^^;)、僕は異常なのか?っとネットで調べてみた。
アインシュタインも平均睡眠時間10時間と聞いていたので、アインシュタイン、睡眠時間、で検索してみると、面白い事がわかった。
以下引用
睡眠時間が6時間以内の人をショートスリーパーと呼び、一般に順応的、外交的、自信家の傾向があり、実業家タイプ。9時間以上の人はロングスリーパーで、内向的、苦労症、非順応的で、芸術や科学など繊細で創造的な仕事に向いているようです。
ショートスリーパーでは、3時間睡眠のナポレオン、4時間睡眠のエジソンがいます。アインシュタインはロングスリーパー派だったといわれています。ですから、頭がいい悪いは単純に睡眠時間と関係付けることはできないようです。
性格の違いと関係があるのは、その脳の使い方と関係しています。試行錯誤の必要だったアインシュタインは、脳を酷使していたといえます。疲れた脳を休めるためには、長い休息が必要なのです。逆に、ショートスリーパーは失敗に対してくよくよしない、悩みも少ないので脳を必要以上に使わないから睡眠が短くても平気というわけです。
実際には、これほど両極端な睡眠時間をとっている人は少なく、バリアブルスリーパーと呼ばれる型の人が大部分です。悩みがなく順調な時は、比較的睡眠時間が短く、落ち込んだ時は長くなるといった具合です。
なるほどなあ、当たってるかも。。。
僕はラッパのように鼻をかむ。
普通は片方ずつ鼻をかむのかもしれない。でも僕は両方一気に鼻をかむ。小さい頃から一貫してこの方法でやってきた。
なのに、あいも変わらず僕の身内は僕のこの鼻のかみ方に驚く。
そんなかみ方をすると、耳を悪くするぞって必ず言われる。でも悪くしたことなど一度もない。家でこのかみ方は待ったく不自由ないが、外だと、ラッパのように拭くわけにもいかず、非常に気持ちが悪い。みんながやるように片方ずつ静かにフンフンやってみるが、鼻をかんだ気がしない。
幼い頃からの習性というのは、なかなか厄介なものである。
特にこの花粉症の季節、鼻をラッパのようにしかふけない僕には死活問題だったりする。というのは大げさだけど、フガフガ。
普通は片方ずつ鼻をかむのかもしれない。でも僕は両方一気に鼻をかむ。小さい頃から一貫してこの方法でやってきた。
なのに、あいも変わらず僕の身内は僕のこの鼻のかみ方に驚く。
そんなかみ方をすると、耳を悪くするぞって必ず言われる。でも悪くしたことなど一度もない。家でこのかみ方は待ったく不自由ないが、外だと、ラッパのように拭くわけにもいかず、非常に気持ちが悪い。みんながやるように片方ずつ静かにフンフンやってみるが、鼻をかんだ気がしない。
幼い頃からの習性というのは、なかなか厄介なものである。
特にこの花粉症の季節、鼻をラッパのようにしかふけない僕には死活問題だったりする。というのは大げさだけど、フガフガ。
僕が今苦しんでいることのほとんどは過去の僕が関係している。
つまり、僕が過去の自分を切り捨てれば、僕の苦しみはほとんどなくなるということ。
だけど、過去の僕があるから今の僕があるわけで、過去の僕を切り捨てる事は、今の僕を切り捨てること。今の僕を切り捨てることは不可能。よって過去の僕を切り捨てることも不可能。
過去の僕を記憶の隅に追いやる事はできたとしても、過去の僕が今の僕を作ってる訳だから、つまりは意識自体が過去の僕で構成されてるわけで、都合よく、忘れたいところだけ記憶の隅に追いやれるわけもなく、あらゆる営みの場面場面で、僕の過去は健在化してくるだろう。
だから、僕は過去の自分を切り捨てる事はできない。僕は過去の自分と共に在る。
だから僕は過去が苦しみである限り、苦しみから逃れる事はできない。
しかし、逃げる事はできなくとも立ち向かう事はできる。前に進むか、停滞するか。停滞しても、苦しむだけだ。なら、前に進もう。
前に進むとは、苦しみを苦しみじゃなくすること。そのためにどうすればいいか答えはわからない。答えがわかればそもそも苦しんでない。つまり、解決策、答えを探していくことが、考えていくことが前進すること。
その過程で苦しむかもしれない。でもその苦しみは停滞の苦しみとは意味合いが違う。その苦しみには未来がある、希望がある。同じ苦しむなら、その先に希望があるほうを僕は選びたい。たとえ答えが見つからず、一生苦しむとしても。
つまり、僕が過去の自分を切り捨てれば、僕の苦しみはほとんどなくなるということ。
だけど、過去の僕があるから今の僕があるわけで、過去の僕を切り捨てる事は、今の僕を切り捨てること。今の僕を切り捨てることは不可能。よって過去の僕を切り捨てることも不可能。
過去の僕を記憶の隅に追いやる事はできたとしても、過去の僕が今の僕を作ってる訳だから、つまりは意識自体が過去の僕で構成されてるわけで、都合よく、忘れたいところだけ記憶の隅に追いやれるわけもなく、あらゆる営みの場面場面で、僕の過去は健在化してくるだろう。
だから、僕は過去の自分を切り捨てる事はできない。僕は過去の自分と共に在る。
だから僕は過去が苦しみである限り、苦しみから逃れる事はできない。
しかし、逃げる事はできなくとも立ち向かう事はできる。前に進むか、停滞するか。停滞しても、苦しむだけだ。なら、前に進もう。
前に進むとは、苦しみを苦しみじゃなくすること。そのためにどうすればいいか答えはわからない。答えがわかればそもそも苦しんでない。つまり、解決策、答えを探していくことが、考えていくことが前進すること。
その過程で苦しむかもしれない。でもその苦しみは停滞の苦しみとは意味合いが違う。その苦しみには未来がある、希望がある。同じ苦しむなら、その先に希望があるほうを僕は選びたい。たとえ答えが見つからず、一生苦しむとしても。
僕は、幼い頃に、自分は生き物じゃないただの「物」だと思っていた。それは辛いことをやり過ごすための自分の欲や感情の忘却であり、自分の存在をどこかで、傍観視していた。今思えば、あれは離人症だったのかもしれない。
僕は遠くで、僕を「あっ、また僕という物がひどい目にあってる」っていう感じで、眺めてた。でも、感情を忘却した抜け殻になっているかぎり、僕は穏やかでいられた。
これは幼い頃の僕である。
現在の僕はそれからまたさまざまな変遷を経て自分は価値のある感情のある存在だと思えるようになった。。と思ってはいる。
でも、幼い頃の記憶というものはものすごい強固で、どこかで、未だに僕を物扱いしている。
その一つに、僕は物だから、人が必要なときに利用される存在に過ぎないというものがある。僕は今はそう思ってないつもりだが、ふとした時に、僕は自分が過去の自分に縛られていることに気がつく。
たとえば、僕は自分から、メールを送ったり、電話をしたりすることがほとんどない。
ほんとはメールを送ったり、電話をしたりしたいのに、「物」である僕がそんな感情を発露することに潜在的な部分で抵抗してしまっているのかもしれない。そのくせ、メールを送ってくれたり、電話をしてくれたりすると、とてもうれしく、こんな僕にもったいないなんて思ってる。人には気兼ねなくメールしてくれといいながら、自分では出来ない、正反対の事をしている自分がたまに歯がゆい。もっと、自分の欲を発露したいとも思うのだが、僕はずっとこういった「物」の姿勢をしてきたわけで、その習性が身についていて、なかなか抜けない。気をつけて、積極的になろうと意識していても、気が付いたら、相手からの連絡を待つ、という受動的な姿勢を取ってしまっている。
結果どうなるかというと、相手は、僕から連絡が無い、自分が送ったときしか僕が反応しないので、僕の友情に不安を感じ出して、いつのまにか僕は連絡をとられなくなり、友達と見られなくなったりすることが何度もあった。僕は学習能力が無いんだなあと、自分のふがいなさに嘆く。
でも、僕は友達になった人はずっと友達だと思ってるし、そうありたいと思っている。僕の友情は変わらないんだよ。でも、だから友達として、扱われなくなると、とても辛い。
こんなとき、幼い頃のように、自分は価値の無い「物」だと思えば楽なんだろうけど、僕はもう過去には戻らない。自分は価値のある存在だと思いたいし、人をずっと好きでいたいから。人を信じつづけられるようになりたいから。
だから、僕は学習しないとね。僕は幼い頃の自分の「物」の姿勢を完全に脱却して、もっと自分の価値を欲と結合させて、発露できるように、積極的なコミュニケーションをとることを無意識でできるようにならなきゃならない。
これは、今後の僕の越えなきゃいけない課題だ。
僕は遠くで、僕を「あっ、また僕という物がひどい目にあってる」っていう感じで、眺めてた。でも、感情を忘却した抜け殻になっているかぎり、僕は穏やかでいられた。
これは幼い頃の僕である。
現在の僕はそれからまたさまざまな変遷を経て自分は価値のある感情のある存在だと思えるようになった。。と思ってはいる。
でも、幼い頃の記憶というものはものすごい強固で、どこかで、未だに僕を物扱いしている。
その一つに、僕は物だから、人が必要なときに利用される存在に過ぎないというものがある。僕は今はそう思ってないつもりだが、ふとした時に、僕は自分が過去の自分に縛られていることに気がつく。
たとえば、僕は自分から、メールを送ったり、電話をしたりすることがほとんどない。
ほんとはメールを送ったり、電話をしたりしたいのに、「物」である僕がそんな感情を発露することに潜在的な部分で抵抗してしまっているのかもしれない。そのくせ、メールを送ってくれたり、電話をしてくれたりすると、とてもうれしく、こんな僕にもったいないなんて思ってる。人には気兼ねなくメールしてくれといいながら、自分では出来ない、正反対の事をしている自分がたまに歯がゆい。もっと、自分の欲を発露したいとも思うのだが、僕はずっとこういった「物」の姿勢をしてきたわけで、その習性が身についていて、なかなか抜けない。気をつけて、積極的になろうと意識していても、気が付いたら、相手からの連絡を待つ、という受動的な姿勢を取ってしまっている。
結果どうなるかというと、相手は、僕から連絡が無い、自分が送ったときしか僕が反応しないので、僕の友情に不安を感じ出して、いつのまにか僕は連絡をとられなくなり、友達と見られなくなったりすることが何度もあった。僕は学習能力が無いんだなあと、自分のふがいなさに嘆く。
でも、僕は友達になった人はずっと友達だと思ってるし、そうありたいと思っている。僕の友情は変わらないんだよ。でも、だから友達として、扱われなくなると、とても辛い。
こんなとき、幼い頃のように、自分は価値の無い「物」だと思えば楽なんだろうけど、僕はもう過去には戻らない。自分は価値のある存在だと思いたいし、人をずっと好きでいたいから。人を信じつづけられるようになりたいから。
だから、僕は学習しないとね。僕は幼い頃の自分の「物」の姿勢を完全に脱却して、もっと自分の価値を欲と結合させて、発露できるように、積極的なコミュニケーションをとることを無意識でできるようにならなきゃならない。
これは、今後の僕の越えなきゃいけない課題だ。
森田療法を自分に応用する
2005年3月10日 僕について僕は人と初めて話すときに、口が痙攣する。
小さい頃そのことを指摘されてから、僕は人とはなすことが恐くなった。笑みを作るとその顔で筋肉が固まり、戻らなくなる。戻そうとすると、引く引くと顔が痙攣する。だから僕は人前で笑わなくなったすると、今度は無愛想だと思われる。
だから僕は自然に人と話さなくなった。話すときは、頭が真っ白になる。その口のことだけが気になって、話に集中できないからだ。
でも、みんなはそんなに気にならないといってくれる、でも、たとえば友達になりたいとか、嫌われたくないと思っていると、その笑みの劣悪さが自分の中で増幅され、耐えられないくらい苦痛になり、結果的に、話したい、友達になりたいのに、自分で、嫌われる、痙攣を指摘される、という予想を立て、人を避ける、という「はからい」をしてしまう。
しかし、そもそも、そんなに痙攣が変に見えるかはわからないのに、思い込むことはない、それに変に見えても、それだけで人は僕を嫌いになるとは限らない。それに僕はいつも、人を避けて、結果的に、嫌われちゃったりしてる。これじゃ嫌われることを恐れるがために嫌われているという悪循環だ。いつも人を避けた後に後悔に苦しむ。避けるという行為は、本当の僕の望んだ行動ではないからだ。僕は、痙攣など気にせずに、みんなと話したい。友達になりたい。これが僕のよりよく生きるための、偽らざる生の欲求だ。だったら、僕は、痙攣してしまう苦痛を、嫌われるかもしれない不安を「あるがまま」にして人と話をすることを実践するべきだ。そうしないとその人と友達になることはおろか話すことさえも出来ずに、あわよくば嫌われてしまうことにもなりかねない。
しかし、苦痛を「あるがまま」にして話すことで、その人が気にしないこと、もしくは痙攣に気が付いても嫌わないことがわかれば、僕は安心し、話すことが出来だすし、その人とも友達になれるし、いつしか痙攣もしなくなるだろう。そうなれば、僕の欲求、目的はすべて達成され、まさによりよく生きることができるようになるのだ。そしてそのことで自信がつき、いつしか誰と話しても口元が痙攣することが無くなる。
目的本位の行動をとることのメリットは計り知れない。
ではもう一つ。
僕は勉強しなきゃならない。だけど、眠りたい。しかし眠るときっと後悔する。眠らずに勉強すればきっとどんなに辛くても、終ったときに充足感がある。だから、僕は眠気を「ありのまま」にして勉強をしよう。
って、これは生理現象だから、精神作用とは違ってさすがに無理っぽい(笑)眠いときは眠ろうwww
小さい頃そのことを指摘されてから、僕は人とはなすことが恐くなった。笑みを作るとその顔で筋肉が固まり、戻らなくなる。戻そうとすると、引く引くと顔が痙攣する。だから僕は人前で笑わなくなったすると、今度は無愛想だと思われる。
だから僕は自然に人と話さなくなった。話すときは、頭が真っ白になる。その口のことだけが気になって、話に集中できないからだ。
でも、みんなはそんなに気にならないといってくれる、でも、たとえば友達になりたいとか、嫌われたくないと思っていると、その笑みの劣悪さが自分の中で増幅され、耐えられないくらい苦痛になり、結果的に、話したい、友達になりたいのに、自分で、嫌われる、痙攣を指摘される、という予想を立て、人を避ける、という「はからい」をしてしまう。
しかし、そもそも、そんなに痙攣が変に見えるかはわからないのに、思い込むことはない、それに変に見えても、それだけで人は僕を嫌いになるとは限らない。それに僕はいつも、人を避けて、結果的に、嫌われちゃったりしてる。これじゃ嫌われることを恐れるがために嫌われているという悪循環だ。いつも人を避けた後に後悔に苦しむ。避けるという行為は、本当の僕の望んだ行動ではないからだ。僕は、痙攣など気にせずに、みんなと話したい。友達になりたい。これが僕のよりよく生きるための、偽らざる生の欲求だ。だったら、僕は、痙攣してしまう苦痛を、嫌われるかもしれない不安を「あるがまま」にして人と話をすることを実践するべきだ。そうしないとその人と友達になることはおろか話すことさえも出来ずに、あわよくば嫌われてしまうことにもなりかねない。
しかし、苦痛を「あるがまま」にして話すことで、その人が気にしないこと、もしくは痙攣に気が付いても嫌わないことがわかれば、僕は安心し、話すことが出来だすし、その人とも友達になれるし、いつしか痙攣もしなくなるだろう。そうなれば、僕の欲求、目的はすべて達成され、まさによりよく生きることができるようになるのだ。そしてそのことで自信がつき、いつしか誰と話しても口元が痙攣することが無くなる。
目的本位の行動をとることのメリットは計り知れない。
ではもう一つ。
僕は勉強しなきゃならない。だけど、眠りたい。しかし眠るときっと後悔する。眠らずに勉強すればきっとどんなに辛くても、終ったときに充足感がある。だから、僕は眠気を「ありのまま」にして勉強をしよう。
って、これは生理現象だから、精神作用とは違ってさすがに無理っぽい(笑)眠いときは眠ろうwww
僕は、幼い頃から、変わってる、とか、変だって言われつづけてきた。それは強迫での仕草でもあり、僕の考えが自閉的だったからでもあったわけだけど。
でも僕はまわりと変わっているつもりはなかったから、何がみんなと違うのかわからずに苦しかった。そして、みんなの思う普通の子になりたかった。
変に見えない、変わってない、普通の子になりたかった。変わってるということが、幼い頃の僕のコンプレックスだった。
大学に入って、僕は強迫性障害であることを知った。それは、みんなと違うことが僕のせいではなく、脳の障害のせいなのだという意味で、救われた部分があった。しかし、それは僕がどんなに頑張っても強迫が治らない限り、変わってるとみられることから逃れられないという宣告でもあった。
荒俣宏さんがこんなことを言ってた。
「僕はずっと変人だといわれてきた。だから僕は誰にも負けない変人になることを目指した」
僕はこの言葉に救われた。
そうか、僕は頑張っても普通にはなれない。どうせ変わってるなら、思いっきり変わった人間になってやれ。
僕は、多くの人がしないと思うことをしようと決めた。だから、映画を一日に7本見たり、ただがむしゃらに本を読んだり、その本は、あえて古典を選んだりした。
そしてそれは僕の普通にはなれないという絶望感が、コンプレックスが、普通になれないならせめて中途半端に変でありたくないというひねくれた反骨精神に結びついて起こした行動だったと思う。
政治学者のラズウェルは、周囲から低い評価を受けるなどして価値剥奪にあったものが、その心理的補償を求めて権力を追求するようになるといったけど、僕にも、心理的作用が働いていたんだと思う。
僕の場合は、権力ではなくて、自分の価値観を強烈な個性に求めたんだけど。強烈な個性が剥奪された価値を補完してくれると思ったんだろう。
いま考えれば、凄い幼稚な理由だと思う。
だけどそれは結果的に、僕に様々な考えを提供してくれて、僕は読書の楽しみに目覚め、自分の中の偏見に気付かせてくれて、世の中に普通だとか変だとかはなくて、自分は自分であればいいんだという風に思えるように仕向けてくれるきっかけになった。
今でも、まわりのみんなとの違いに悲しくなったりする弱い心が僕にはある。だけど、悲しくなったときは、なぜか勉強がよく出来る。それは勉強することで、自分の価値を補完しようとしてなのかもしれないが、それが行動力に結びついてるのだとすれば、コンプレックスを持つこともあながち無駄ではないなあと思えてくる。
現実逃避でもコンプレックスでも何でもいいと思う。それが結果的に良い方向の行動力のエネルギーに結びつくのであれば、世の中に無駄なことはない。
コンプレックスがなければ、僕はみんなが一人一人違っていて、この世に普通、や、変、なんてものはないってことに気が付かなかっただろうから、僕は、人生における貴重なことをコンプレックスから学べたんだとおもう。
でも僕はまわりと変わっているつもりはなかったから、何がみんなと違うのかわからずに苦しかった。そして、みんなの思う普通の子になりたかった。
変に見えない、変わってない、普通の子になりたかった。変わってるということが、幼い頃の僕のコンプレックスだった。
大学に入って、僕は強迫性障害であることを知った。それは、みんなと違うことが僕のせいではなく、脳の障害のせいなのだという意味で、救われた部分があった。しかし、それは僕がどんなに頑張っても強迫が治らない限り、変わってるとみられることから逃れられないという宣告でもあった。
荒俣宏さんがこんなことを言ってた。
「僕はずっと変人だといわれてきた。だから僕は誰にも負けない変人になることを目指した」
僕はこの言葉に救われた。
そうか、僕は頑張っても普通にはなれない。どうせ変わってるなら、思いっきり変わった人間になってやれ。
僕は、多くの人がしないと思うことをしようと決めた。だから、映画を一日に7本見たり、ただがむしゃらに本を読んだり、その本は、あえて古典を選んだりした。
そしてそれは僕の普通にはなれないという絶望感が、コンプレックスが、普通になれないならせめて中途半端に変でありたくないというひねくれた反骨精神に結びついて起こした行動だったと思う。
政治学者のラズウェルは、周囲から低い評価を受けるなどして価値剥奪にあったものが、その心理的補償を求めて権力を追求するようになるといったけど、僕にも、心理的作用が働いていたんだと思う。
僕の場合は、権力ではなくて、自分の価値観を強烈な個性に求めたんだけど。強烈な個性が剥奪された価値を補完してくれると思ったんだろう。
いま考えれば、凄い幼稚な理由だと思う。
だけどそれは結果的に、僕に様々な考えを提供してくれて、僕は読書の楽しみに目覚め、自分の中の偏見に気付かせてくれて、世の中に普通だとか変だとかはなくて、自分は自分であればいいんだという風に思えるように仕向けてくれるきっかけになった。
今でも、まわりのみんなとの違いに悲しくなったりする弱い心が僕にはある。だけど、悲しくなったときは、なぜか勉強がよく出来る。それは勉強することで、自分の価値を補完しようとしてなのかもしれないが、それが行動力に結びついてるのだとすれば、コンプレックスを持つこともあながち無駄ではないなあと思えてくる。
現実逃避でもコンプレックスでも何でもいいと思う。それが結果的に良い方向の行動力のエネルギーに結びつくのであれば、世の中に無駄なことはない。
コンプレックスがなければ、僕はみんなが一人一人違っていて、この世に普通、や、変、なんてものはないってことに気が付かなかっただろうから、僕は、人生における貴重なことをコンプレックスから学べたんだとおもう。
友達が髪を伸ばしてイメチェンしろというので、試しに伸ばしているが大変うっとうしい。
アトピー治ったから、顔が痒くなるということはなくなったのだけど、眼に髪の毛が入ってちくちくとしくさる。
もうかれこれ、床屋に四ヶ月くらい行ってないなあ。今までで最長だ。僕はもともと髪の毛は短いほうが好きなので(アトピーということもあって)、一ヶ月周期できっていたので、ここまで伸びると違和感ありあり。もう少ししたら髪の毛で耳が隠れるので、そんくらいまで髪の毛を伸ばそうと思う。どうせもうすぐと床屋も正月休み取るだろうしさ。
家では、勉強をするにもちらちらと前髪がちらつくので、タオルをバンダナ風に巻いてる。そうすると、頭が固定された感じでなんだかいい。
でもタオルを取ったときに髪の毛がヘナッとなって、しかも真中から分かれてるので、非常に不気味で、外に出るときは、一度水でぬらして、ドライヤーでセットしなおさなきゃならないのでめんどいけどこれもめんどい。
ちなみに僕は生まれてこのかた髪の色を抜いたことも染めたこともなければ、パーマをかけたこともなく、また整髪料をつけたこともない。さからぼさぼさ頭といわれても仕方ないかなあ^^;
アトピー治ったから、顔が痒くなるということはなくなったのだけど、眼に髪の毛が入ってちくちくとしくさる。
もうかれこれ、床屋に四ヶ月くらい行ってないなあ。今までで最長だ。僕はもともと髪の毛は短いほうが好きなので(アトピーということもあって)、一ヶ月周期できっていたので、ここまで伸びると違和感ありあり。もう少ししたら髪の毛で耳が隠れるので、そんくらいまで髪の毛を伸ばそうと思う。どうせもうすぐと床屋も正月休み取るだろうしさ。
家では、勉強をするにもちらちらと前髪がちらつくので、タオルをバンダナ風に巻いてる。そうすると、頭が固定された感じでなんだかいい。
でもタオルを取ったときに髪の毛がヘナッとなって、しかも真中から分かれてるので、非常に不気味で、外に出るときは、一度水でぬらして、ドライヤーでセットしなおさなきゃならないのでめんどいけどこれもめんどい。
ちなみに僕は生まれてこのかた髪の色を抜いたことも染めたこともなければ、パーマをかけたこともなく、また整髪料をつけたこともない。さからぼさぼさ頭といわれても仕方ないかなあ^^;
たった一つがボスだった
2004年12月20日 僕について僕は食わず嫌いというのをしないし、好奇心旺盛だし、何でも食べる。
物心ついてから嫌いになった食べ物など何一つない。
ただ、ただ一つだけ、嫌いなものがある。
それが、非常に厄介なのである。
なぜなら、野菜の王様、たまねぎだからだ。
物心ついてから嫌いになったものはない。つまり、玉ねぎは僕が物心つく前から嫌いだったのであり、嫌いな理由もさっぱりわからない。でも、とにかく嫌いなのだ。
たぶん、生まれてから、何かの拍子で僕の脳が玉ねぎを異物として認識してしまったんだろうと思う。僕は玉ねぎのすべてが嫌いで、その味は少しでもはいっていると認識できてしまう。脳の異物センサーがピーピー鳴り出すのだ。
これでも成長と共に、少しは食べれるようになった。カレーや、サラダの玉ねぎとか、それと、みじん切りにしたやつとかは食える。
しかし、コンソメ、グラタン、ホワイトシチュー、てんぷら、焼肉等にの玉ねぎは絶対に駄目である。
玉ねぎの味が引き出されるものはどうしても食えない。特にてんぷらなどのあの油と玉ねぎのあわさり具合、好きな人にはあの甘味がいいのかもしれないが、僕にはもう食べ物とは思えないのだ。
コンソメも駄目だなあ。
生の玉ねぎならまだ食えるか。。マヨネーズとかかけて。
僕が嫌いな食べ物は玉ねぎだけ。だけど、おそらく料理で最も使われる食材が玉ねぎなんだと思う。だから非常に厄介なのである。
グラタンなんて、味的には僕は大好きな部類なのに、ああ玉ねぎが、玉ねぎの野郎のせいで(T.T)牛丼を思いっきりかっこみたいのに、ああ玉ねぎが玉ねぎが。。。
どうせなら、キウイが嫌いに生まれたかった。
なぜに玉ねぎなんだ。玉ねぎなんて玉ねぎなんて、この世からなくなってしまえ〜(;>_<;) エーン!
物心ついてから嫌いになった食べ物など何一つない。
ただ、ただ一つだけ、嫌いなものがある。
それが、非常に厄介なのである。
なぜなら、野菜の王様、たまねぎだからだ。
物心ついてから嫌いになったものはない。つまり、玉ねぎは僕が物心つく前から嫌いだったのであり、嫌いな理由もさっぱりわからない。でも、とにかく嫌いなのだ。
たぶん、生まれてから、何かの拍子で僕の脳が玉ねぎを異物として認識してしまったんだろうと思う。僕は玉ねぎのすべてが嫌いで、その味は少しでもはいっていると認識できてしまう。脳の異物センサーがピーピー鳴り出すのだ。
これでも成長と共に、少しは食べれるようになった。カレーや、サラダの玉ねぎとか、それと、みじん切りにしたやつとかは食える。
しかし、コンソメ、グラタン、ホワイトシチュー、てんぷら、焼肉等にの玉ねぎは絶対に駄目である。
玉ねぎの味が引き出されるものはどうしても食えない。特にてんぷらなどのあの油と玉ねぎのあわさり具合、好きな人にはあの甘味がいいのかもしれないが、僕にはもう食べ物とは思えないのだ。
コンソメも駄目だなあ。
生の玉ねぎならまだ食えるか。。マヨネーズとかかけて。
僕が嫌いな食べ物は玉ねぎだけ。だけど、おそらく料理で最も使われる食材が玉ねぎなんだと思う。だから非常に厄介なのである。
グラタンなんて、味的には僕は大好きな部類なのに、ああ玉ねぎが、玉ねぎの野郎のせいで(T.T)牛丼を思いっきりかっこみたいのに、ああ玉ねぎが玉ねぎが。。。
どうせなら、キウイが嫌いに生まれたかった。
なぜに玉ねぎなんだ。玉ねぎなんて玉ねぎなんて、この世からなくなってしまえ〜(;>_<;) エーン!
僕の左手の手首には傷あとがある。
別にリストカットをしたわけじゃなくて、中学の時の工作の時間にカッターを手前に引いたらそんまま手首まですぱっと切ってしまったというだけのことなの。
最初は痛みもなくて、血も出てなくて、中の白いお肉がぱっくり開いてて、急いで保健室に行ってる間にじわじわと血があふれてくると共に血が噴出してきた。
そしてその傷は、治らずにいつまでも痕として手首に残っているのだけど、ちょうどその傷のあたりにわけのわからない瘤みたいなのがある。
これが日によって出っ歯たり引っ込んだり。出っ張った日は痛くてうっとおしい。血がうっ血して腫れるのか、それとも軟骨の出っ張りなのかわからないけど、本当に、邪魔だし、痛いしきになってしょうがない。この出っ張りを手術で取り出したいなあ。やっぱりカッターで切ったからこんな瘤ができたのかなあ。
ほんとに、なぜ、左手の手首だけにこんなものがあるのか、人体の神秘。いや、単にうとおしい。僕には切実な問題。
別にリストカットをしたわけじゃなくて、中学の時の工作の時間にカッターを手前に引いたらそんまま手首まですぱっと切ってしまったというだけのことなの。
最初は痛みもなくて、血も出てなくて、中の白いお肉がぱっくり開いてて、急いで保健室に行ってる間にじわじわと血があふれてくると共に血が噴出してきた。
そしてその傷は、治らずにいつまでも痕として手首に残っているのだけど、ちょうどその傷のあたりにわけのわからない瘤みたいなのがある。
これが日によって出っ歯たり引っ込んだり。出っ張った日は痛くてうっとおしい。血がうっ血して腫れるのか、それとも軟骨の出っ張りなのかわからないけど、本当に、邪魔だし、痛いしきになってしょうがない。この出っ張りを手術で取り出したいなあ。やっぱりカッターで切ったからこんな瘤ができたのかなあ。
ほんとに、なぜ、左手の手首だけにこんなものがあるのか、人体の神秘。いや、単にうとおしい。僕には切実な問題。
僕には列記とした父親がいる。
ただ、僕は母親に育てられた。
僕の成長に、父親が関与している割合は皆無に等しい。
父親は、仕事以外の人生をパチンコに捧げている。
家に帰るのはパチンコ屋が閉まってから。11時から12時。
食費やその他生活費を除くほとんどの小遣い、そして、ボーナスはパチンコに消える。
僕は父親に遊んでもらったという記憶がほとんどない。
父親はいつも家にいなかった。
パチンコに勝てば機嫌がよく、負ければ当り散らす。
思春期のころ、僕の反抗期は父親に向かった。
僕は父と一年話をしなかった。
父は自分の過ちでも僕が反抗すれば容赦なくびんたが飛んできた。
父は過去何度となく借金を作ってきた。
小学生のころ、僕のもらったお年玉をせびりにきたこともあった。
今もきっとどこかで借金を作ってる。
その金額がどのくらいなのか僕は知らない。
僕はこんな父親にはなるまいと誓った。
だから僕は、父親が吸うからタバコは吸わない。
パチンコやギャンブルはしない。
父親になったら、家事を率先してしようと思う。
子育ても当然だ。僕のような思いを僕の子供にはさせたくない。
決して、家族をないがしろにはしない。
父親から僕が学んだことがあるとすれば、すべて反面教師としてだった。
僕と父は、僕が反抗期のときに決定的な溝が出来た。
もう、生涯埋まることは無いと思う。
僕は祖父を知らない。しかし、話によると、酒飲みで、酒のせいで金を食いつぶし、家を三軒も潰したという。女を買い、酒を飲み、仕事にあぶれた。祖母や父は親戚の家に置かせてもらった。
祖母は働き、父や父の弟を養った。祖父は結局酒が元で若く死んだ。
祖母は言う、父もかわいそうな人なのだと。父もまた、父から愛情を受けることなく育ったのだ。
父にも、祖父の血が流れている。放蕩の血が。
祖父は酒で、父はパチンコ。
ふと、思う、父は、祖父を見て、自分はああなるまいと思わなかったのか?と。祖父の暴力から祖母を守る父の話を聞いたことがある。父は、きっと、思ったはずなんだ。ああなるまいと。
なのに、今、祖父と何ら変わりない父親となっている。
僕もなるのだろうか?
そんな放蕩の血が僕にも流れているのかと思うと恐くてたまらない。
僕は、この放蕩の血を終わらせたい。決して父のようにはなりたくない。
だけど、僕も大人になっていくにつれて、だんだんと父親の事がわかってきた。僕自身、子供にどう接していいかわからないとき、自分が父と重なる。僕も父同様に不器用なのだ。
父は酔うと、自分が好きかとしつこく聞いてくる。父親らしいことを何一つしてこなかった父。だがやはり子供から愛されたいのだ。
そして父も、僕ら子供を愛していないわけではないのだ。
愛し方がわからないだけなのだ。
僕は今、父をかわいそうな人なのだと思う。それは、軽蔑の意味ではない。不器用で、愛情をうまく表すことの出来ない人、パチンコにしか自分の居場所を見出せない人。父も脆く弱い一人の人間なのだと、僕は理解できるようになったんだ。
それは絶対的な権威であった親が、絶対的でなくなったということなんだろう。親の弱さを認めることは辛い。しかし、認めざるを得ない。それは僕が大人になったということなんだと思う。僕は、もう、親に守られる存在ではなく、親を守る存在へと成長してしまったんだ。
父は一方的ではあるが、僕を愛している。それを確信できる。
だからといって、僕と向かい合うことを避けた過去の罪が免れるわけではない。僕との溝は、やはり一生埋まらないだろう。
だけど、僕はそんな父を、過去の憎しみも含めて受け入れることができるようになった。父という存在を、一人の苦しむ不器用な人間として受け止めることができるようになった。
僕は、父を愛している。愛せるようになった。それは確かだ。たとえ溝は埋まらなくても、確かなことなんだ。
どんな存在でも父は父だ。父である限り、僕は父を愛する。
たとえどんなに憎んでも、見捨てない。
それが家族というものだ。
ただ、僕は母親に育てられた。
僕の成長に、父親が関与している割合は皆無に等しい。
父親は、仕事以外の人生をパチンコに捧げている。
家に帰るのはパチンコ屋が閉まってから。11時から12時。
食費やその他生活費を除くほとんどの小遣い、そして、ボーナスはパチンコに消える。
僕は父親に遊んでもらったという記憶がほとんどない。
父親はいつも家にいなかった。
パチンコに勝てば機嫌がよく、負ければ当り散らす。
思春期のころ、僕の反抗期は父親に向かった。
僕は父と一年話をしなかった。
父は自分の過ちでも僕が反抗すれば容赦なくびんたが飛んできた。
父は過去何度となく借金を作ってきた。
小学生のころ、僕のもらったお年玉をせびりにきたこともあった。
今もきっとどこかで借金を作ってる。
その金額がどのくらいなのか僕は知らない。
僕はこんな父親にはなるまいと誓った。
だから僕は、父親が吸うからタバコは吸わない。
パチンコやギャンブルはしない。
父親になったら、家事を率先してしようと思う。
子育ても当然だ。僕のような思いを僕の子供にはさせたくない。
決して、家族をないがしろにはしない。
父親から僕が学んだことがあるとすれば、すべて反面教師としてだった。
僕と父は、僕が反抗期のときに決定的な溝が出来た。
もう、生涯埋まることは無いと思う。
僕は祖父を知らない。しかし、話によると、酒飲みで、酒のせいで金を食いつぶし、家を三軒も潰したという。女を買い、酒を飲み、仕事にあぶれた。祖母や父は親戚の家に置かせてもらった。
祖母は働き、父や父の弟を養った。祖父は結局酒が元で若く死んだ。
祖母は言う、父もかわいそうな人なのだと。父もまた、父から愛情を受けることなく育ったのだ。
父にも、祖父の血が流れている。放蕩の血が。
祖父は酒で、父はパチンコ。
ふと、思う、父は、祖父を見て、自分はああなるまいと思わなかったのか?と。祖父の暴力から祖母を守る父の話を聞いたことがある。父は、きっと、思ったはずなんだ。ああなるまいと。
なのに、今、祖父と何ら変わりない父親となっている。
僕もなるのだろうか?
そんな放蕩の血が僕にも流れているのかと思うと恐くてたまらない。
僕は、この放蕩の血を終わらせたい。決して父のようにはなりたくない。
だけど、僕も大人になっていくにつれて、だんだんと父親の事がわかってきた。僕自身、子供にどう接していいかわからないとき、自分が父と重なる。僕も父同様に不器用なのだ。
父は酔うと、自分が好きかとしつこく聞いてくる。父親らしいことを何一つしてこなかった父。だがやはり子供から愛されたいのだ。
そして父も、僕ら子供を愛していないわけではないのだ。
愛し方がわからないだけなのだ。
僕は今、父をかわいそうな人なのだと思う。それは、軽蔑の意味ではない。不器用で、愛情をうまく表すことの出来ない人、パチンコにしか自分の居場所を見出せない人。父も脆く弱い一人の人間なのだと、僕は理解できるようになったんだ。
それは絶対的な権威であった親が、絶対的でなくなったということなんだろう。親の弱さを認めることは辛い。しかし、認めざるを得ない。それは僕が大人になったということなんだと思う。僕は、もう、親に守られる存在ではなく、親を守る存在へと成長してしまったんだ。
父は一方的ではあるが、僕を愛している。それを確信できる。
だからといって、僕と向かい合うことを避けた過去の罪が免れるわけではない。僕との溝は、やはり一生埋まらないだろう。
だけど、僕はそんな父を、過去の憎しみも含めて受け入れることができるようになった。父という存在を、一人の苦しむ不器用な人間として受け止めることができるようになった。
僕は、父を愛している。愛せるようになった。それは確かだ。たとえ溝は埋まらなくても、確かなことなんだ。
どんな存在でも父は父だ。父である限り、僕は父を愛する。
たとえどんなに憎んでも、見捨てない。
それが家族というものだ。
僕って診断によると、不全感をもちやすい体質のようです。
不全感ていうのは、心理学用語だけど、僕の感覚から言うと、何かが充足しない欠落感とでもいうか。。
いつもいつも感じているわけではないんですけどね。
わかってはいるんです。完全に充足してる人間なんてそういるもんじゃないってこと。人間は、みんな何かしら欠落感を持っているってこと。
そして、その不全感、欠落感が、心理的にかなりの程度、影響しちゃうと、それは一種の障害と呼ばれることになるんでしょう。
僕の場合もですけど、たまに漠然とした希死念慮が浮かびます。前ほどひどく、そして頻繁ではないけれど。
それは、なぜかわからない。
充足しない何かによって起こるんですね。欠落している何か。
僕が生きている大半の時間は、もっぱらその充足できない何か、が、何であるのかを探っているんだといってもいいくらいです。
欠落しているのが何なのかがわからないと充足しようがないですからね。
でも、それが何なのかってことは、何にもまして、見つけるのが難しいんじゃないかと思います。
そう思うのです。なんとなく、きっと一生見つからないのかもしれないなって。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
体重 62.8?
体脂肪 27.5%
不全感ていうのは、心理学用語だけど、僕の感覚から言うと、何かが充足しない欠落感とでもいうか。。
いつもいつも感じているわけではないんですけどね。
わかってはいるんです。完全に充足してる人間なんてそういるもんじゃないってこと。人間は、みんな何かしら欠落感を持っているってこと。
そして、その不全感、欠落感が、心理的にかなりの程度、影響しちゃうと、それは一種の障害と呼ばれることになるんでしょう。
僕の場合もですけど、たまに漠然とした希死念慮が浮かびます。前ほどひどく、そして頻繁ではないけれど。
それは、なぜかわからない。
充足しない何かによって起こるんですね。欠落している何か。
僕が生きている大半の時間は、もっぱらその充足できない何か、が、何であるのかを探っているんだといってもいいくらいです。
欠落しているのが何なのかがわからないと充足しようがないですからね。
でも、それが何なのかってことは、何にもまして、見つけるのが難しいんじゃないかと思います。
そう思うのです。なんとなく、きっと一生見つからないのかもしれないなって。
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体重 62.8?
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今日、唐突に腕を噛み切りたくなった。軽く噛んで抑えるけど、これは僕の強迫行為なのだ。
僕の強迫には、凶暴な奴が多くて、野生的な攻撃的な部分の抑えがききにくいのだと思う。
僕の小さい頃は、切れやすくて、怒りっぽかった。
そんな自分が嫌で嫌で、自分を必要以上に理屈で押さえ込む癖がついたのだけど、今度はそのせいで苦しんでるなんて、皮肉だよねえ。
でも、抑えこまなきゃ僕の人格障害とも、強迫とも、ここまで立ち回れなかっただろうから、こうなるしかなかったんだろうね。必要悪ってか。
ところで、いかに薬を飲んでいても、強迫は出るときは出る。薬飲んでいなかったら、きっといつか本気で腕噛んだり目をついたりして取り返しのつかないことになるんだろう。
さて、僕は強迫の衝動が強くなったとき、ガマンすると、大概痙攣しちゃうんだけど、ってか、痙攣するくらい筋肉に力を入れて、欲求と戦わせてるんだけど、他の強迫の人たちも、衝動をガマンするとき、痙攣したりするのかな?
僕の強迫には、凶暴な奴が多くて、野生的な攻撃的な部分の抑えがききにくいのだと思う。
僕の小さい頃は、切れやすくて、怒りっぽかった。
そんな自分が嫌で嫌で、自分を必要以上に理屈で押さえ込む癖がついたのだけど、今度はそのせいで苦しんでるなんて、皮肉だよねえ。
でも、抑えこまなきゃ僕の人格障害とも、強迫とも、ここまで立ち回れなかっただろうから、こうなるしかなかったんだろうね。必要悪ってか。
ところで、いかに薬を飲んでいても、強迫は出るときは出る。薬飲んでいなかったら、きっといつか本気で腕噛んだり目をついたりして取り返しのつかないことになるんだろう。
さて、僕は強迫の衝動が強くなったとき、ガマンすると、大概痙攣しちゃうんだけど、ってか、痙攣するくらい筋肉に力を入れて、欲求と戦わせてるんだけど、他の強迫の人たちも、衝動をガマンするとき、痙攣したりするのかな?
僕はものすごい神経質なんだと思う。
コーヒーやお茶を夕方5時以降に一杯でもでも飲むと眠れなくなるし、次の日に何かやらなきゃいけないことがあるとまず眠れない。ホテルに行くと、当然眠れない。
だから、試験を県外で受けるときなんて最悪、たとえ前日に徹夜してても、ホテルの布団で、次の日に試験があるなんていうと、まずもって睡眠薬や安定剤を飲まない限り眠れない。
だから、少しでも睡眠をとっておこうなんていって、2、3時間眠るとか、仮眠を取るなんてできない。
眠れないくせに眠ったが最後、まず6時間は以上は眠ってしまう。
てか、まず、仮眠を取ろうと思った時点で、意識が眠ろうと思い出して、そのせいで覚醒して眠れなくなる。
でも、他のことはかなり大雑把だったりするし、眠りにつけば、大事な用事を寝過ごしちゃったりすることもしばしばあるから、つまりは、眠りに入る前だけ神経質なんだと思う。
んで、今は、テニスのUSオープンが午前5時半からいつもテレビで放映されてるので、僕は、眠れなくて、テニスを見てから眠ることになる。だから、完全逆転生活。
元がヘタレで小心で、どうにか心臓に毛をはやしたいもんだなあ。大事な用事の前でも平気で仮眠が取れるくらいには。。。
コーヒーやお茶を夕方5時以降に一杯でもでも飲むと眠れなくなるし、次の日に何かやらなきゃいけないことがあるとまず眠れない。ホテルに行くと、当然眠れない。
だから、試験を県外で受けるときなんて最悪、たとえ前日に徹夜してても、ホテルの布団で、次の日に試験があるなんていうと、まずもって睡眠薬や安定剤を飲まない限り眠れない。
だから、少しでも睡眠をとっておこうなんていって、2、3時間眠るとか、仮眠を取るなんてできない。
眠れないくせに眠ったが最後、まず6時間は以上は眠ってしまう。
てか、まず、仮眠を取ろうと思った時点で、意識が眠ろうと思い出して、そのせいで覚醒して眠れなくなる。
でも、他のことはかなり大雑把だったりするし、眠りにつけば、大事な用事を寝過ごしちゃったりすることもしばしばあるから、つまりは、眠りに入る前だけ神経質なんだと思う。
んで、今は、テニスのUSオープンが午前5時半からいつもテレビで放映されてるので、僕は、眠れなくて、テニスを見てから眠ることになる。だから、完全逆転生活。
元がヘタレで小心で、どうにか心臓に毛をはやしたいもんだなあ。大事な用事の前でも平気で仮眠が取れるくらいには。。。
僕は、本当は身長が170cmあった。
だけど、実際の僕の身長は157cm。
僕は逆子で、生まれ付き背骨が曲がってた。そのせいで、頭の形はでこぼこ、小さい頃は、虚弱体質だった。
体もねじれてるから、右と左の肩甲骨の大きさが違い左肩が下がってる。
正確な名前は、背骨側椀症。。だっけ?
生まれたときは、将来手術が必要だって言われてた。成長期には、骨の曲がりを抑えるために補正機を付けるようにいわれていたんだそうだ。
少しでも背骨の負担を軽くするためには、運動させるのがよいと、僕は剣道や水泳も習った。
左肩がこれ以上下がらないように常に左肩に荷物を担ぐようにいわれた。かばんを掛けた肩は、上に持ち上げるでしょう?
筋肉を付けることで、背骨を支えるのがよいと、筋トレを勧められた。結果的にこれが僕の虚弱体質を直したわけだけど。
中学に入学して、僕がテニス部に入ることを母は反対した。テニスは利き腕ばかり使うから、僕は右手をますます発達させることになって、左肩が下がっていくことを恐れたんだ。だけど僕はテニス部に入った。今となってはそれがよかったのかどうかはわかんないけど。
でも、僕は成長期に補正機を付ける必要もなかった。手術も結局しなかった。最悪の結果は防げたんだと思う。
僕の手足は、170cm分成長している。胴体だけが、157cmの体。だから、よく足が長いねって言われてきたけど、違うよ。足が長いんじゃなくて、胴が短いんだよ。背骨が曲がってるから。
大学で、ウエイトトレーニングしだして、筋肉がつくと、明らかに右と左で筋肉のつき方が違うんだね。異質な体になってっちゃう。僕は必要以上に筋肉をつけられない体なんだ。だから、大好きなウエイトトレーニングも、そこそこで、あきらめなきゃならなかった。
よく、自分の体が正常な背骨だったらって思ってきた。
僕の背骨は手術で悪化を防ぐことはできても、元のように直してしまうことはできない。生まれつき骨の形が違うから。まあ、もう成長期は終わってるから、骨が悪化することもないんだけどね。
でも背骨は生涯このまま。そしてこのでこぼこの頭も。
確かに、コンプレックスだった。この体を恨み、正常な体を夢見てきた。でも、今まで一緒に生きてきたこの体。今となっちゃ、いとおしいんだよね。この体のおかげであきらめるしかなかったこともあったけど、この体のおかげで得たものもあった。今までも、そしてこれからも一緒に生きていくこの体。この背骨なくして、この体なくして今の僕はいないんだよね。
うん、そうだ、やっぱり、僕の自慢の体だよ。
だけど、実際の僕の身長は157cm。
僕は逆子で、生まれ付き背骨が曲がってた。そのせいで、頭の形はでこぼこ、小さい頃は、虚弱体質だった。
体もねじれてるから、右と左の肩甲骨の大きさが違い左肩が下がってる。
正確な名前は、背骨側椀症。。だっけ?
生まれたときは、将来手術が必要だって言われてた。成長期には、骨の曲がりを抑えるために補正機を付けるようにいわれていたんだそうだ。
少しでも背骨の負担を軽くするためには、運動させるのがよいと、僕は剣道や水泳も習った。
左肩がこれ以上下がらないように常に左肩に荷物を担ぐようにいわれた。かばんを掛けた肩は、上に持ち上げるでしょう?
筋肉を付けることで、背骨を支えるのがよいと、筋トレを勧められた。結果的にこれが僕の虚弱体質を直したわけだけど。
中学に入学して、僕がテニス部に入ることを母は反対した。テニスは利き腕ばかり使うから、僕は右手をますます発達させることになって、左肩が下がっていくことを恐れたんだ。だけど僕はテニス部に入った。今となってはそれがよかったのかどうかはわかんないけど。
でも、僕は成長期に補正機を付ける必要もなかった。手術も結局しなかった。最悪の結果は防げたんだと思う。
僕の手足は、170cm分成長している。胴体だけが、157cmの体。だから、よく足が長いねって言われてきたけど、違うよ。足が長いんじゃなくて、胴が短いんだよ。背骨が曲がってるから。
大学で、ウエイトトレーニングしだして、筋肉がつくと、明らかに右と左で筋肉のつき方が違うんだね。異質な体になってっちゃう。僕は必要以上に筋肉をつけられない体なんだ。だから、大好きなウエイトトレーニングも、そこそこで、あきらめなきゃならなかった。
よく、自分の体が正常な背骨だったらって思ってきた。
僕の背骨は手術で悪化を防ぐことはできても、元のように直してしまうことはできない。生まれつき骨の形が違うから。まあ、もう成長期は終わってるから、骨が悪化することもないんだけどね。
でも背骨は生涯このまま。そしてこのでこぼこの頭も。
確かに、コンプレックスだった。この体を恨み、正常な体を夢見てきた。でも、今まで一緒に生きてきたこの体。今となっちゃ、いとおしいんだよね。この体のおかげであきらめるしかなかったこともあったけど、この体のおかげで得たものもあった。今までも、そしてこれからも一緒に生きていくこの体。この背骨なくして、この体なくして今の僕はいないんだよね。
うん、そうだ、やっぱり、僕の自慢の体だよ。
この眠たさ、どうにかならぬものか。
しこたま寝ては、起き飯を食って薬を飲むとまたしばらくして襲ってくる睡魔。
どうにも厄介になってきたので、病院に行って、薬局で聞いてみた。きっちり約束どおり一日三回守って薬飲み出したらやたら眠たいんですけど〜?
てな感じで聞いてみたら、どうぞ眠ってくださいって確かにそうだけど、まあ無職だしそれでいいんかなあ。
薬剤師さんの言うことによれば、眠くなるのは、やっぱり薬のせいで、眠くなったら、眠れるのであれば眠ってもらうのが一番よいと。十分に眠ったら、薬を飲んでもそんなに眠くならないからって、じゃあ、働き出したらやばいんでないかい?
そこんとこはほれ、薬の量を減らしたりして調整せなばってん。だけんども、薬減らしたら今度は障害がひどくなるんでないかい?
う〜ん、就職すると、今とは比較にならんくらいにストレスもたまるだろうし、薬の副作用も耐えなきゃならんし、いや、ほんと薬の副作用に耐えながら働いてる強迫の皆さん、僕く尊敬です。
しこたま寝ては、起き飯を食って薬を飲むとまたしばらくして襲ってくる睡魔。
どうにも厄介になってきたので、病院に行って、薬局で聞いてみた。きっちり約束どおり一日三回守って薬飲み出したらやたら眠たいんですけど〜?
てな感じで聞いてみたら、どうぞ眠ってくださいって確かにそうだけど、まあ無職だしそれでいいんかなあ。
薬剤師さんの言うことによれば、眠くなるのは、やっぱり薬のせいで、眠くなったら、眠れるのであれば眠ってもらうのが一番よいと。十分に眠ったら、薬を飲んでもそんなに眠くならないからって、じゃあ、働き出したらやばいんでないかい?
そこんとこはほれ、薬の量を減らしたりして調整せなばってん。だけんども、薬減らしたら今度は障害がひどくなるんでないかい?
う〜ん、就職すると、今とは比較にならんくらいにストレスもたまるだろうし、薬の副作用も耐えなきゃならんし、いや、ほんと薬の副作用に耐えながら働いてる強迫の皆さん、僕く尊敬です。
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心が弱ると、些細なことでも気になってしまう。
僕の場合、根本が人間不信であって、その根が深いので、疑心暗鬼という形であらわれる。
些細なことで、あれ?僕なんかしちゃったかな?とか、ひょっとして、僕って嫌われてる?とか気にしてしまうようになる。
そして、そのことで暗澹たる気持ちになって、エスカレートすると鬱になったりする。
そもそも、僕が人間像に対して過度のロマンチズムを抱くのも、人間不信の反作用からくるものなのだと思う。
人間を信じきれないでいる自分への嫌悪感が人間を信じようとさせているという、いわばコンプレックスなんだろう。
僕はもともと強い人間ではない。それを自分自身認めているから、自分を強固な論理で武装する癖がついたんだけど、不全感が強まったときは、まさにその論理(理性)と疑心暗鬼との戦いが繰り広げられる。
自分がそう感じるのは、何の根拠もなく、単なる思い込みに過ぎないと、もっと巨視的に物事を見るべきだとか、いろいろと自分に言い聞かせる。
最近、心が弱っているのを感じる。孤独感に襲われると厄介だ。
もうひとつの対処として、感情を忘却させて、何かに打ち込むことである。いわば逃避だが、風邪薬と同じで、逃避しているうちに心が体力を回復してくれれば、感情が戻ったときに不全感に襲われずにすむのだ。
ただ、この感情を忘却するという行為も、そこに論理的な正当性を付与してやらなければ、なかなか難しいのである。
だから、臨機応変に武器を使いながら、この疑心暗鬼という敵に対応していくほかない。
辛くとも、それをやらなければもっと辛いから。
僕の場合、根本が人間不信であって、その根が深いので、疑心暗鬼という形であらわれる。
些細なことで、あれ?僕なんかしちゃったかな?とか、ひょっとして、僕って嫌われてる?とか気にしてしまうようになる。
そして、そのことで暗澹たる気持ちになって、エスカレートすると鬱になったりする。
そもそも、僕が人間像に対して過度のロマンチズムを抱くのも、人間不信の反作用からくるものなのだと思う。
人間を信じきれないでいる自分への嫌悪感が人間を信じようとさせているという、いわばコンプレックスなんだろう。
僕はもともと強い人間ではない。それを自分自身認めているから、自分を強固な論理で武装する癖がついたんだけど、不全感が強まったときは、まさにその論理(理性)と疑心暗鬼との戦いが繰り広げられる。
自分がそう感じるのは、何の根拠もなく、単なる思い込みに過ぎないと、もっと巨視的に物事を見るべきだとか、いろいろと自分に言い聞かせる。
最近、心が弱っているのを感じる。孤独感に襲われると厄介だ。
もうひとつの対処として、感情を忘却させて、何かに打ち込むことである。いわば逃避だが、風邪薬と同じで、逃避しているうちに心が体力を回復してくれれば、感情が戻ったときに不全感に襲われずにすむのだ。
ただ、この感情を忘却するという行為も、そこに論理的な正当性を付与してやらなければ、なかなか難しいのである。
だから、臨機応変に武器を使いながら、この疑心暗鬼という敵に対応していくほかない。
辛くとも、それをやらなければもっと辛いから。
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薬が切れたらさようなら
2004年8月15日 僕についてってのは大げさだけど、薬が切れると、強迫が大変強くなるので、あっ、切れたなってわかる。
急激に衝動が強くなって、その衝動と戦うために体を痙攣させてこらえる。薬を飲むと収まるのだけれど、。たぶんにプラシーボ効果もあるんだろうなあ。
この前病院の薬を処方してくれる薬局で、ちゃんと1日3回飲んでいますか?って聞かれたので、寝すぎとかで1日2回のときもあるって行ったら、痛く釘をさされた。
薬をしばらく飲まないと症状が強くなるんですっていたら、そんなこと絶対しないでください〜!!! 食後じゃなくてもいいから、1日3回はしっかり守ってくださいって念を押された。
なんだ、じゃあやっぱり僕はまだ薬で抑えられてるだけで、障害自体は改善されてるわけではないんだなあ。としみじみ思った。
急激に衝動が強くなって、その衝動と戦うために体を痙攣させてこらえる。薬を飲むと収まるのだけれど、。たぶんにプラシーボ効果もあるんだろうなあ。
この前病院の薬を処方してくれる薬局で、ちゃんと1日3回飲んでいますか?って聞かれたので、寝すぎとかで1日2回のときもあるって行ったら、痛く釘をさされた。
薬をしばらく飲まないと症状が強くなるんですっていたら、そんなこと絶対しないでください〜!!! 食後じゃなくてもいいから、1日3回はしっかり守ってくださいって念を押された。
なんだ、じゃあやっぱり僕はまだ薬で抑えられてるだけで、障害自体は改善されてるわけではないんだなあ。としみじみ思った。