●安定剤を飲んで寝た後、今日の心境はというと、昨日の不安はそれほど気にならなくなった。
やはりというか、僕の心の状態が、ある特定の状況下で物事を誇大な、または歪ませた解釈に至らせている傾向が見受けられる。
感情が状況を支配しているのである。
抑鬱症状の患者への治療法のひとつに認知療法があるが、認知療法の解釈は状況が感情を生み出すのではなく、感情が状況を生み出す、というところからきている。
二元論では決められないと思うが、昨日の状況は、まさしくこの認知の歪みに寄る部分が大きい。
感情というのはいわいる脳の作用であるから、昨日の脳の体調がそういう思考や感情を生み出しやすい状態にあったということなのかもしれない。
神経衰弱だのノイローゼだのパラノイアだの色々あるが、僕の場合はそれほどに重篤なものではなく、只の神経症の類だろう。
しかし、これは薬の恩恵をなくしては語れない。
というのは、一年前の状況を見てみればいい。
僕は薬を飲んでおらず、ある対人関係の問題が発端となり、逆流性食道延を発症し、激烈な対人恐怖陥り、前後不覚。この状態を見たものは家族のほかはいないのだが、まさに常軌を逸していたらしい。
しかしながら、この一年前の事件を境に、僕の対人恐怖的なものは、少し深刻の度が増したようにも感じられる。
昨日の日記に、何を恐れているのが、何が起こることを恐れているのかわからないと書いたが、理屈で論じるなら大筋は理解できている。
僕は人に対する対象恒常性が欠如している。
安定した対人関係を築ける人間は、幼少期から誰かしら、強い愛情関係の信頼でつながれた関係がある。それは、大筋において両親になるのだろうが、それ以外でもそういう存在がいれば、揺るがぬ愛情に信を置けるような経験が自我の年輪の深遠な部分に構築される。
しかしながら、僕は幼少期にこうした愛情関係の構築がうまくいかなかった。
それは、学生期に、母の兄と自分との対応の差に潜在的な嫉妬を感じており、それが、近年の僕が抑欝状態に陥った際の献身的な家族の犠牲を目の当たりするまで続いていた兄との不和からも象徴される。
通常なら克服されるべきエディプスコンプレックスを克服できぬままでいたことが、この対象恒常性の欠如をもたらしているわけである。
と理解したところで、その先、がなければ空疎である。
その先とは、では、今現在エディプスコンプレックスをどう克服し、対象恒常性を身につけることが出来るのか、ということである。
それを導き出すことが出来なければ、その過程までを証明したところで、わからない、と同義である。
また僕が目指す精神的な境地は、エピキュリズムであり、このことは以前の日記(http://37292.diarynote.jp/200901181519329936/)にも書いた。
エピキュリアンたらんとするなら、精神はどうあるべきか。
そのことも、自分の中ではある程度の整理はついているのだ。
しかしながら、どうやったらそうなっていけるのか、そこまでの証明はまだ終わっていない。
つまり、わからない。
方法の一つとして、僕は積極的に功利主義を利用している。
功利主義といっても最大多数の最大幸福的なものではなく、いわばプラグマティズムである。
ただ、それだけでもまだ不十分だ。
理屈は心にはなかなか適応しがたいのである。
やはりというか、僕の心の状態が、ある特定の状況下で物事を誇大な、または歪ませた解釈に至らせている傾向が見受けられる。
感情が状況を支配しているのである。
抑鬱症状の患者への治療法のひとつに認知療法があるが、認知療法の解釈は状況が感情を生み出すのではなく、感情が状況を生み出す、というところからきている。
二元論では決められないと思うが、昨日の状況は、まさしくこの認知の歪みに寄る部分が大きい。
感情というのはいわいる脳の作用であるから、昨日の脳の体調がそういう思考や感情を生み出しやすい状態にあったということなのかもしれない。
神経衰弱だのノイローゼだのパラノイアだの色々あるが、僕の場合はそれほどに重篤なものではなく、只の神経症の類だろう。
しかし、これは薬の恩恵をなくしては語れない。
というのは、一年前の状況を見てみればいい。
僕は薬を飲んでおらず、ある対人関係の問題が発端となり、逆流性食道延を発症し、激烈な対人恐怖陥り、前後不覚。この状態を見たものは家族のほかはいないのだが、まさに常軌を逸していたらしい。
しかしながら、この一年前の事件を境に、僕の対人恐怖的なものは、少し深刻の度が増したようにも感じられる。
昨日の日記に、何を恐れているのが、何が起こることを恐れているのかわからないと書いたが、理屈で論じるなら大筋は理解できている。
僕は人に対する対象恒常性が欠如している。
安定した対人関係を築ける人間は、幼少期から誰かしら、強い愛情関係の信頼でつながれた関係がある。それは、大筋において両親になるのだろうが、それ以外でもそういう存在がいれば、揺るがぬ愛情に信を置けるような経験が自我の年輪の深遠な部分に構築される。
しかしながら、僕は幼少期にこうした愛情関係の構築がうまくいかなかった。
それは、学生期に、母の兄と自分との対応の差に潜在的な嫉妬を感じており、それが、近年の僕が抑欝状態に陥った際の献身的な家族の犠牲を目の当たりするまで続いていた兄との不和からも象徴される。
通常なら克服されるべきエディプスコンプレックスを克服できぬままでいたことが、この対象恒常性の欠如をもたらしているわけである。
と理解したところで、その先、がなければ空疎である。
その先とは、では、今現在エディプスコンプレックスをどう克服し、対象恒常性を身につけることが出来るのか、ということである。
それを導き出すことが出来なければ、その過程までを証明したところで、わからない、と同義である。
また僕が目指す精神的な境地は、エピキュリズムであり、このことは以前の日記(http://37292.diarynote.jp/200901181519329936/)にも書いた。
エピキュリアンたらんとするなら、精神はどうあるべきか。
そのことも、自分の中ではある程度の整理はついているのだ。
しかしながら、どうやったらそうなっていけるのか、そこまでの証明はまだ終わっていない。
つまり、わからない。
方法の一つとして、僕は積極的に功利主義を利用している。
功利主義といっても最大多数の最大幸福的なものではなく、いわばプラグマティズムである。
ただ、それだけでもまだ不十分だ。
理屈は心にはなかなか適応しがたいのである。
●僕の認識は歪んでいるときがある。
状況把握が正しく出来ていない。
おそらくそういうことだ。
パートさんとの一件が終ったと思ったら、今度は正社員の人となんかギクシャクしだしたような感覚に陥って不安が募ってしまう。
それまで普通に話せてて、全く何も気にすることが無かった相手に、あるときふと、何らかの違和感を感じると、そこからズブズブと疑心の目があらわれて口を開けなくなってくる。
お互い何をしたわけじゃない。
でもあれ?なんかいつもと違わない?
いやいや、違わない。いや、違う?違わない?違う?違わない?
目が泳ぐ。
だって何もしてない。何もされたわけじゃない。
ただ、何か空気が違うと僕が勝手に認識しているだけかもしれない。
でも、だから、なんで。
なんだこれ。
これは、それだ。不安症というやつだ。強迫観念だ。
でも、ほんとにそうなのか?
これが正しい状況認識なのか、歪んだ認識なのか、そこからして僕は時として判断できない。
特に対人関係。
そんな些細な「空気」的な雰囲気に心が顫動しだして恐怖感に囚われる。
恐怖。何の恐怖。嫌われる恐怖。
人との関係が悪くなる恐怖。
八方美人?別に皆と仲良くしたいわけじゃない。
でも皆に嫌われたくは無い。
何を思い起こして、そんなに恐がるのか。
何が起こるのを恐がっているのか。
それすらもわからない。
鈍感になりたい。そんな空気的なものを気にせず打ち破ってしまえるような強固な鈍感力が欲しい。
状況把握が正しく出来ていない。
おそらくそういうことだ。
パートさんとの一件が終ったと思ったら、今度は正社員の人となんかギクシャクしだしたような感覚に陥って不安が募ってしまう。
それまで普通に話せてて、全く何も気にすることが無かった相手に、あるときふと、何らかの違和感を感じると、そこからズブズブと疑心の目があらわれて口を開けなくなってくる。
お互い何をしたわけじゃない。
でもあれ?なんかいつもと違わない?
いやいや、違わない。いや、違う?違わない?違う?違わない?
目が泳ぐ。
だって何もしてない。何もされたわけじゃない。
ただ、何か空気が違うと僕が勝手に認識しているだけかもしれない。
でも、だから、なんで。
なんだこれ。
これは、それだ。不安症というやつだ。強迫観念だ。
でも、ほんとにそうなのか?
これが正しい状況認識なのか、歪んだ認識なのか、そこからして僕は時として判断できない。
特に対人関係。
そんな些細な「空気」的な雰囲気に心が顫動しだして恐怖感に囚われる。
恐怖。何の恐怖。嫌われる恐怖。
人との関係が悪くなる恐怖。
八方美人?別に皆と仲良くしたいわけじゃない。
でも皆に嫌われたくは無い。
何を思い起こして、そんなに恐がるのか。
何が起こるのを恐がっているのか。
それすらもわからない。
鈍感になりたい。そんな空気的なものを気にせず打ち破ってしまえるような強固な鈍感力が欲しい。
何んのそのどうで死ぬ身の一踊り
2012年1月31日 僕について●抑鬱症状が最悪のときは、私の場合人間恐怖や当の問題のことで頭が支配されて。他の事を考える余裕が無い。
希死念慮が現れるのは大概、思考の余地が生まれてくる治りがけのときだ。
薬で気分や体調は確実に改善に向かっている。
とくに予期不安も感じていないし、動悸が乱れてもいない。
不安定になっているとは思いがたい状態であるときに、突然、死にたいという思念が頭をよぎり、いつかほんとに自分は命を捨ててしまうのではないかと思い出す。
これは危険だと思って病院で相談したらSSRIが増えて100mgになった。今は薬のおかげかあまり希死念慮はあらわれてこない。
実は死への欲求というものをだいぶ昔から自覚している。
しかし不思議なもので、死を思うと心が楽になるのである。
辛いときに何よりの慰めは、「いつでも死ねるので、何も今日死ぬことは無い」というものだった。
もちろん、それは褒められるべき生への動機付けではない。
しかしながら、その当時の辛いと思われた状況の中で自分を生に繋ぎとめる、もしくは自己の崩壊を防ぎえるのに、足りない頭を捻って作り上げたもっとも強力な理屈がそれであったのは紛れも無いのだ。
それ以来、その理屈に勝る強力な理屈が思いつかなかったので、どんな講釈をたれようと、結局のところ根底で私はこの考えを寄る辺としてきたのだと思う。
世の中や、生に対する諦観めいた思念が、自己の生への執着へと結びつくのは面白い皮肉である。
私はこのことから、逆説的に自分の中にある生への強い欲求をも意識せざるをえなかった。
生と死の欲求に対して、私は死の欲求の方をこれまで公にすることをしなかったし、自分でも認めたくなかったのであろうから、私に通低する生への寄る辺が、死に対する希求であることを否定する文章をこの日記にも幾たびか書いてきたものである。
http://37292.diarynote.jp/200403231738270000/
http://37292.diarynote.jp/200410262241050000/
しかしこの度のことがあってから、再び死を思うことで楽になる自分を再認してしまった以上、楽になる限り、私の生への寄る辺が死への希求(生に対する諦観)にあることは、もはや(自分自身に対しても)隠しようが無いわけであるし、そういうところから、今思えば、上記の日記にある、苦痛も悲しみも生の醍醐味である、というマゾヒズム的解釈で生をある種アトラクションと捉えている発想も生み出されたとわかるのである。
芥川賞作家の西村賢太の作品を最近熱心に読んでいるが、作中に出てくるまた表題でもある藤澤清造の言葉、
「何んのそのどうで死ぬ身の一踊り」
はまさに私の根底の生に対する眼差しそのものであると言えよう。
しかしながら、ここまで胸襟を開いてからいうのもなんであるが、これはあくまでも私の観察によるところの現在の私の心情的土壌をできる限り客観的に表明したものであって、私自身が心地よいと感ずる、または是とするべき思念ではないと思っている。
なぜなら、そこには、常に、自分はいつかほんとに命を投げ出してしまわないか、という不安が付きまとうからである。
自覚的な死への欲求は、先天的なものというよりも後天的に苦しみへの防御本能の中で生み出された産物であると解釈しているので、生の執着の変質といえる。そうであるならば、私は生きたいという思いが本質でなければならん。
今は本質を支えるべきもの(寄る辺)が本質を失わせる危険性を孕んでいる撞着したものである。
もっとポジティブなところから発生した同じくらいに強力な寄る辺の論理が存在しうるとしたら、私はそちらにパラダイムシフトできるのではないかと考えるが、現在のところ、そのようなものはまだ見つかっていない。
希死念慮が現れるのは大概、思考の余地が生まれてくる治りがけのときだ。
薬で気分や体調は確実に改善に向かっている。
とくに予期不安も感じていないし、動悸が乱れてもいない。
不安定になっているとは思いがたい状態であるときに、突然、死にたいという思念が頭をよぎり、いつかほんとに自分は命を捨ててしまうのではないかと思い出す。
これは危険だと思って病院で相談したらSSRIが増えて100mgになった。今は薬のおかげかあまり希死念慮はあらわれてこない。
実は死への欲求というものをだいぶ昔から自覚している。
しかし不思議なもので、死を思うと心が楽になるのである。
辛いときに何よりの慰めは、「いつでも死ねるので、何も今日死ぬことは無い」というものだった。
もちろん、それは褒められるべき生への動機付けではない。
しかしながら、その当時の辛いと思われた状況の中で自分を生に繋ぎとめる、もしくは自己の崩壊を防ぎえるのに、足りない頭を捻って作り上げたもっとも強力な理屈がそれであったのは紛れも無いのだ。
それ以来、その理屈に勝る強力な理屈が思いつかなかったので、どんな講釈をたれようと、結局のところ根底で私はこの考えを寄る辺としてきたのだと思う。
世の中や、生に対する諦観めいた思念が、自己の生への執着へと結びつくのは面白い皮肉である。
私はこのことから、逆説的に自分の中にある生への強い欲求をも意識せざるをえなかった。
生と死の欲求に対して、私は死の欲求の方をこれまで公にすることをしなかったし、自分でも認めたくなかったのであろうから、私に通低する生への寄る辺が、死に対する希求であることを否定する文章をこの日記にも幾たびか書いてきたものである。
http://37292.diarynote.jp/200403231738270000/
http://37292.diarynote.jp/200410262241050000/
しかしこの度のことがあってから、再び死を思うことで楽になる自分を再認してしまった以上、楽になる限り、私の生への寄る辺が死への希求(生に対する諦観)にあることは、もはや(自分自身に対しても)隠しようが無いわけであるし、そういうところから、今思えば、上記の日記にある、苦痛も悲しみも生の醍醐味である、というマゾヒズム的解釈で生をある種アトラクションと捉えている発想も生み出されたとわかるのである。
芥川賞作家の西村賢太の作品を最近熱心に読んでいるが、作中に出てくるまた表題でもある藤澤清造の言葉、
「何んのそのどうで死ぬ身の一踊り」
はまさに私の根底の生に対する眼差しそのものであると言えよう。
しかしながら、ここまで胸襟を開いてからいうのもなんであるが、これはあくまでも私の観察によるところの現在の私の心情的土壌をできる限り客観的に表明したものであって、私自身が心地よいと感ずる、または是とするべき思念ではないと思っている。
なぜなら、そこには、常に、自分はいつかほんとに命を投げ出してしまわないか、という不安が付きまとうからである。
自覚的な死への欲求は、先天的なものというよりも後天的に苦しみへの防御本能の中で生み出された産物であると解釈しているので、生の執着の変質といえる。そうであるならば、私は生きたいという思いが本質でなければならん。
今は本質を支えるべきもの(寄る辺)が本質を失わせる危険性を孕んでいる撞着したものである。
もっとポジティブなところから発生した同じくらいに強力な寄る辺の論理が存在しうるとしたら、私はそちらにパラダイムシフトできるのではないかと考えるが、現在のところ、そのようなものはまだ見つかっていない。
俺は高校三年の頃、障害の真似をされ続けた。
半数の男子から、真似をされ続けた。
その中には高校一年の頃一緒の部活で仲の良かった奴もいた。
奴らの手口は巧妙で、俺の真似だと指摘されても違うと言い訳ができる仕組みを設け、授業中でもはばかりなく真似をし続けた。
俺は信じられなかった。
高校三年にもなろう奴らが、中には学年でも上位にはいる成績の奴もいた、そいつらが、障害の真似をするという行為をなんの疑問も思わずに実行できることが。
これが人間か。
俺は人間が心底恐ろしくなった。
良心も、常識も持っているであろうはずのいい年をした人間が、一人の障がい者の行動を真似し続けて笑っているのだ。
俺は偶然、村上春樹の短編「沈黙」を読んだ。
その主人公の境遇と自分の境遇が重なった。
主人公はある時、憎しみが哀れみに変わる。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
俺はこの主人公のように、俺の障害を真似する奴らを憐れんだ。蔑んだ。
そのときに俺は一つの誓いを立てた。
「俺は決して奴らのようにはならない」
奴らとは。
俺の障害を真似をする奴らの中にはもちろん先導者がいた。しかしそれ以上に憐れんだのは、それに追随する「奴ら」だ。
『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしちゃうんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢を見るのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙のなかで何もかもがドロドロに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです』(沈黙から抜粋)
俺の中で奴らのようにならない、という誓いは、無自覚に人を傷つけてしまう行為を可能な限り減らす、という強迫観念へとつながっていった。
それはただ一心に、彼らを憐れみ、蔑む根拠を失わない為に、奴らと一緒の位置に立ってはいけない、という憎しみ、復讐心の上に立っている。
結局、俺は、お前らとは違う、お前らより俺は人間として劣等でない、という自尊心を保つ為に優しくなりたいと欲している。
それはつまり、彼らと自分がなんら変わらない劣悪な人間であったというだけの話である。
本当の善意を持つ人間なら彼らをすでに許しているだろう。
俺は憎い、俺の障害を真似した奴らが憎い。奴らを許せない。
俺の目指す人間的成熟の土壌は憎しみであり、蔑みと哀れみを養分としている劣悪なものである。
半数の男子から、真似をされ続けた。
その中には高校一年の頃一緒の部活で仲の良かった奴もいた。
奴らの手口は巧妙で、俺の真似だと指摘されても違うと言い訳ができる仕組みを設け、授業中でもはばかりなく真似をし続けた。
俺は信じられなかった。
高校三年にもなろう奴らが、中には学年でも上位にはいる成績の奴もいた、そいつらが、障害の真似をするという行為をなんの疑問も思わずに実行できることが。
これが人間か。
俺は人間が心底恐ろしくなった。
良心も、常識も持っているであろうはずのいい年をした人間が、一人の障がい者の行動を真似し続けて笑っているのだ。
俺は偶然、村上春樹の短編「沈黙」を読んだ。
その主人公の境遇と自分の境遇が重なった。
主人公はある時、憎しみが哀れみに変わる。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
俺はこの主人公のように、俺の障害を真似する奴らを憐れんだ。蔑んだ。
そのときに俺は一つの誓いを立てた。
「俺は決して奴らのようにはならない」
奴らとは。
俺の障害を真似をする奴らの中にはもちろん先導者がいた。しかしそれ以上に憐れんだのは、それに追随する「奴ら」だ。
『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしちゃうんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢を見るのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙のなかで何もかもがドロドロに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです』(沈黙から抜粋)
俺の中で奴らのようにならない、という誓いは、無自覚に人を傷つけてしまう行為を可能な限り減らす、という強迫観念へとつながっていった。
それはただ一心に、彼らを憐れみ、蔑む根拠を失わない為に、奴らと一緒の位置に立ってはいけない、という憎しみ、復讐心の上に立っている。
結局、俺は、お前らとは違う、お前らより俺は人間として劣等でない、という自尊心を保つ為に優しくなりたいと欲している。
それはつまり、彼らと自分がなんら変わらない劣悪な人間であったというだけの話である。
本当の善意を持つ人間なら彼らをすでに許しているだろう。
俺は憎い、俺の障害を真似した奴らが憎い。奴らを許せない。
俺の目指す人間的成熟の土壌は憎しみであり、蔑みと哀れみを養分としている劣悪なものである。
幼い頃から強迫性障害(OCD)に苦しみ、その所為で色んな経験をし、人間不信に、対人恐怖に。テニスに集中しているときだけすべてのことを忘れられたので、没頭
僕のことを誰も知らない大学に入り、人生の再構築を計ったけど、人間不信からテニス部もすぐに辞め、しばらく自虐的に遊びほうけるが、空しさ埋まらず、ある人物との出会いで、テニスに変わる拠り所となる読書にハマる。
大学三年から、強迫の悪化、アトピーが全身に出て、死の苦しみを味わう。
それから2年間、卒業まで週に一度の授業以外ほぼ外に出られず、友人関係も疎遠に。
強迫とアトピーの苦しみの狭間で、映画と読書だけは何とか続ける。
家族との話し合いで、強迫でも働ける余地があるかも、と公務員を目指すが、公務員学校で、強迫と鬱によりドロップアウト。
以後また2年間、強迫と鬱との戦い。アトピーは3年かけて完治。
苦しみから抜け出せず、希死念慮に苛まれていた頃に、祖母が自殺。
母の悲しみを見て、自分は生きなきゃいけないと思い直し、もう一度病院に行く。
そこで、その頃認可された薬(SSRI)と出合う。
カウンセリングを受けながら、薬を服用。
薬が嘘のように効き、生まれてから経験したことのない強迫からの開放感を味わう。抑鬱傾向も減退。初めて人間らしい生活を実感できる。
社会復帰計画。営業の仕事をすぐに挫折。もう一度派遣のバイトから始め、カメラ工場(リーマンショックで撤退)、食品工場(潰れた。。)
その間、強迫も軽く、感情的な落ち込みも酷くなく、また忙しかったことから薬を独断で辞めてしまう。
無職になって、なぜか再び重度のアトピーが顔に出て寝たきりの生活。
今回は五ヶ月で治す。
それから職探し、ようやく見つけた職で、対人恐怖再発。極度の抑鬱状態に陥り、辞めてしまう。
通院しつつ再び服薬。回復中。
人間不信を完全に脱却して、みんなに心を開けるようになりたい。
将来に不安を感じつつ、自分の人生なのだから、と言い聞かせる毎日。
僕のことを誰も知らない大学に入り、人生の再構築を計ったけど、人間不信からテニス部もすぐに辞め、しばらく自虐的に遊びほうけるが、空しさ埋まらず、ある人物との出会いで、テニスに変わる拠り所となる読書にハマる。
大学三年から、強迫の悪化、アトピーが全身に出て、死の苦しみを味わう。
それから2年間、卒業まで週に一度の授業以外ほぼ外に出られず、友人関係も疎遠に。
強迫とアトピーの苦しみの狭間で、映画と読書だけは何とか続ける。
家族との話し合いで、強迫でも働ける余地があるかも、と公務員を目指すが、公務員学校で、強迫と鬱によりドロップアウト。
以後また2年間、強迫と鬱との戦い。アトピーは3年かけて完治。
苦しみから抜け出せず、希死念慮に苛まれていた頃に、祖母が自殺。
母の悲しみを見て、自分は生きなきゃいけないと思い直し、もう一度病院に行く。
そこで、その頃認可された薬(SSRI)と出合う。
カウンセリングを受けながら、薬を服用。
薬が嘘のように効き、生まれてから経験したことのない強迫からの開放感を味わう。抑鬱傾向も減退。初めて人間らしい生活を実感できる。
社会復帰計画。営業の仕事をすぐに挫折。もう一度派遣のバイトから始め、カメラ工場(リーマンショックで撤退)、食品工場(潰れた。。)
その間、強迫も軽く、感情的な落ち込みも酷くなく、また忙しかったことから薬を独断で辞めてしまう。
無職になって、なぜか再び重度のアトピーが顔に出て寝たきりの生活。
今回は五ヶ月で治す。
それから職探し、ようやく見つけた職で、対人恐怖再発。極度の抑鬱状態に陥り、辞めてしまう。
通院しつつ再び服薬。回復中。
人間不信を完全に脱却して、みんなに心を開けるようになりたい。
将来に不安を感じつつ、自分の人生なのだから、と言い聞かせる毎日。
●僕の強迫性障害は、強迫の種類としては大変珍しいものだと思う。
僕にとって一番厄介な強迫は、儀式といえば儀式なのだけど、他の行動をしながらでもできる。
人前では、もちろん極力我慢するようにはしているけど、完全に隠し通せるわけではない。
先日テニスを見に兵庫までいったときに興味深い出来事があった。
デビスカップのあった会場はとにかくアクセスが最悪で、バスは一時間に一本あるかないか。
だから、僕は他のデビスカップを見にいく人たちとタクシー相乗りさせてもらって会場まで行ったりしたんだけど、一緒に乗った親子づれ、小学校低学年くらいの男の子が隣に座ったわけだけど、僕が強迫行為をするたびに、ぐるんと後ろを向いて僕の方をジーっと見るわけ。
僕としてはかなり抑えてたつもりだけど、それでも少しは強迫が出てしまう。でもそれは大人は殆ど振り向いたりリアクションを取ったりしないので、気付かないのかな?とか思ってたんだけど、こうやって子供の反応を見ると、あ、やっぱりしっかりと周りには強迫行為がばれてるんだなぁってことがわかった。
僕は普段、周りが気を使ってくれているから、だんだんと自分が異質な行為をしていないような錯覚に陥ってしまうのだけど、というか、自分が意識するほど目立つものではないのか?と思ってしまいがちだけど、子供を前にした時に、自分の強迫行為というものがやはり厳然として他者にわかる程度に出ているのだということを自覚するのである。
思慮分別のある大人と違って、子供は無邪気というか純粋というか、だからこそ子供の反応で見えてくる真実というものもあるようだ。
まぁ、間接的にちょっと会うくらいだったら何とかごまかせるかもしれないけど、同じところにずっといて、しかも動きがないと苦しいね。
特に静かだったりしたらなおさら。
つまり、教室的な場所で強迫を抑えたりすることは不可能。
中学高校とよく耐えたよな~、って、高校時代は強迫の真似されてたから、バレバレだったんだけどね。違う意味で耐えてたよな(笑)
僕にとって一番厄介な強迫は、儀式といえば儀式なのだけど、他の行動をしながらでもできる。
人前では、もちろん極力我慢するようにはしているけど、完全に隠し通せるわけではない。
先日テニスを見に兵庫までいったときに興味深い出来事があった。
デビスカップのあった会場はとにかくアクセスが最悪で、バスは一時間に一本あるかないか。
だから、僕は他のデビスカップを見にいく人たちとタクシー相乗りさせてもらって会場まで行ったりしたんだけど、一緒に乗った親子づれ、小学校低学年くらいの男の子が隣に座ったわけだけど、僕が強迫行為をするたびに、ぐるんと後ろを向いて僕の方をジーっと見るわけ。
僕としてはかなり抑えてたつもりだけど、それでも少しは強迫が出てしまう。でもそれは大人は殆ど振り向いたりリアクションを取ったりしないので、気付かないのかな?とか思ってたんだけど、こうやって子供の反応を見ると、あ、やっぱりしっかりと周りには強迫行為がばれてるんだなぁってことがわかった。
僕は普段、周りが気を使ってくれているから、だんだんと自分が異質な行為をしていないような錯覚に陥ってしまうのだけど、というか、自分が意識するほど目立つものではないのか?と思ってしまいがちだけど、子供を前にした時に、自分の強迫行為というものがやはり厳然として他者にわかる程度に出ているのだということを自覚するのである。
思慮分別のある大人と違って、子供は無邪気というか純粋というか、だからこそ子供の反応で見えてくる真実というものもあるようだ。
まぁ、間接的にちょっと会うくらいだったら何とかごまかせるかもしれないけど、同じところにずっといて、しかも動きがないと苦しいね。
特に静かだったりしたらなおさら。
つまり、教室的な場所で強迫を抑えたりすることは不可能。
中学高校とよく耐えたよな~、って、高校時代は強迫の真似されてたから、バレバレだったんだけどね。違う意味で耐えてたよな(笑)
●境界性人格障害(ボーダー)のK君から毎日10通くらいメールが来る。
長文なので気力のあるときにメール送るようにしている。
最近は半身浴をしているとき。
K君はアスペルガーの二次障害のボーダーなので厄介だ。
メールの内容は、話すことは違っても、殆どが同じロジック。
つまり、全か無か思考による定義づけ。
例えば、医者は自分の子供には薬を飲ませない、とどこかから聞くと、医者は金のためになんでもする。全ての医者は、自分の子供に飲ませないような薬を金のために患者には飲ませる金の亡者だ、というレッテルを貼ってしまう。
だから医者は憎い、信じられない、となる。
他のことも全てこれと一緒。
こういう人間もいるが、全てじゃない。こういう価値観はあるが、みんなが持っている価値観じゃない。という認識にならない。
しかも定義づけがネガティブだから、それが憎しみへと向かい、ボーダーの精神的不安定の元となる。
自分の中で絶対的価値観を作り出し、周りの価値観を自分の中の常識の枠に当てはめようとしている。つまり、そこからはみ出るものは全て憎悪の対象になるのだ。
K君の精神性が理解できるやり取り。
熱中できるものが無いという話から質問してみた。
「K君は、障害を克服することに対しては調べたり勉強したり、あまり燃えて努力するタイプではないよね」
「確かにそれはあるね。他人は嫌いだから、僕が仕事について世の中の役に立ってると思うと腹も立つし。働かない原因に、単にお金のために働いてるだけであって、世の中の平和とかは望んでいないっていうのも本気になれない理由のひとつでもあるかな」
「だけど障害の苦しみは訴えたりひがんだりする。障害に依存している部分があるのかもね。本当に治したら世の中を恨む大義名分を失う」
「『本当に治したら世の中を恨む大義名分を失う』←良いこと言うね。自分が自分でなくなってしまう感覚だよ。執念の元みたいなのが無くなるというか」
「たぶんなんだかんだで障害であることは色んな責任から逃れる盾になるから、無意識に重宝してしまっているんじゃなかろうか」
「良い指摘だと思う。怒りとか憎しみをバネにして、受験時代も勉強頑張れたし」
「確かに今までその恨みがK君の生きる支え、アイデンティティにまでなっていたんだとしたら、障害を克服することは代わりのアイデンティティを構築しないと不安だろうね。自分が空っぽになりそうで」
以前から、障害の苦しみを訴えつつも、障害を治すことに本気になっていない印象を受けていたのだけど、それは、この憎しみというアイデンティティの喪失による恐怖なのだとすれば、これは、まさに僕のモラルに対する恐怖と同じなのでよくわかる。
僕の場合は、逆に高校時代に僕の障害の真似をするクラスメイトを見て、こういう人間にはけしてなるまいという厳しい善悪のモラルを自分に強いた。
しかし社会に出ると、そうしたモラルの枷が自分の柔軟性を奪い、結果K君と同じような状態に陥ってしまう。
つまり、この善悪のモラルの枷を緩めて自分のルールを一つでも破ってしまうと、一つ破られたルールはそこから瓦解しルールの意味を持たなくなる。
僕は今まで僕を支えてきたこのルール(アイデンティティ)を失って空っぽの人間になってしまうのではないか、はたまた真逆の人間になってしまうのではないかという恐怖に駆られた時期があった。
それは、今でも無いといえば嘘になるけど、プラグマティズムの考え方を学んで幾分柔軟になってきて不安も薄らいだ。
でも結局は自分が変わるしかないのだ。
だから、僕の経験則で
「でもそれをずっと繰り返していくこともできないのも薄々気付いてきてるはず。幼い頃、若い頃ならそれは武器になるかもしれないけど、歳を経るにつれて滑稽でしかなくなってくるからね」
とか、
「60歳になってまで、小さい頃のトラウマが、といっていても20代とは違い周りは相手にしなくなっていく。結局は自分が変わらない限り、恨みが自分だけを押しつぶしていく。変わりたいけど変わるのがこわくて不安。でも変わるしかないと思うよ」
みたいに変わる努力をする方向に持っていけないかと色々言ったけど、今回は決裂。
こんなやり取りを何度も繰り返しもう7年以上になる。。。
長文なので気力のあるときにメール送るようにしている。
最近は半身浴をしているとき。
K君はアスペルガーの二次障害のボーダーなので厄介だ。
メールの内容は、話すことは違っても、殆どが同じロジック。
つまり、全か無か思考による定義づけ。
例えば、医者は自分の子供には薬を飲ませない、とどこかから聞くと、医者は金のためになんでもする。全ての医者は、自分の子供に飲ませないような薬を金のために患者には飲ませる金の亡者だ、というレッテルを貼ってしまう。
だから医者は憎い、信じられない、となる。
他のことも全てこれと一緒。
こういう人間もいるが、全てじゃない。こういう価値観はあるが、みんなが持っている価値観じゃない。という認識にならない。
しかも定義づけがネガティブだから、それが憎しみへと向かい、ボーダーの精神的不安定の元となる。
自分の中で絶対的価値観を作り出し、周りの価値観を自分の中の常識の枠に当てはめようとしている。つまり、そこからはみ出るものは全て憎悪の対象になるのだ。
K君の精神性が理解できるやり取り。
熱中できるものが無いという話から質問してみた。
「K君は、障害を克服することに対しては調べたり勉強したり、あまり燃えて努力するタイプではないよね」
「確かにそれはあるね。他人は嫌いだから、僕が仕事について世の中の役に立ってると思うと腹も立つし。働かない原因に、単にお金のために働いてるだけであって、世の中の平和とかは望んでいないっていうのも本気になれない理由のひとつでもあるかな」
「だけど障害の苦しみは訴えたりひがんだりする。障害に依存している部分があるのかもね。本当に治したら世の中を恨む大義名分を失う」
「『本当に治したら世の中を恨む大義名分を失う』←良いこと言うね。自分が自分でなくなってしまう感覚だよ。執念の元みたいなのが無くなるというか」
「たぶんなんだかんだで障害であることは色んな責任から逃れる盾になるから、無意識に重宝してしまっているんじゃなかろうか」
「良い指摘だと思う。怒りとか憎しみをバネにして、受験時代も勉強頑張れたし」
「確かに今までその恨みがK君の生きる支え、アイデンティティにまでなっていたんだとしたら、障害を克服することは代わりのアイデンティティを構築しないと不安だろうね。自分が空っぽになりそうで」
以前から、障害の苦しみを訴えつつも、障害を治すことに本気になっていない印象を受けていたのだけど、それは、この憎しみというアイデンティティの喪失による恐怖なのだとすれば、これは、まさに僕のモラルに対する恐怖と同じなのでよくわかる。
僕の場合は、逆に高校時代に僕の障害の真似をするクラスメイトを見て、こういう人間にはけしてなるまいという厳しい善悪のモラルを自分に強いた。
しかし社会に出ると、そうしたモラルの枷が自分の柔軟性を奪い、結果K君と同じような状態に陥ってしまう。
つまり、この善悪のモラルの枷を緩めて自分のルールを一つでも破ってしまうと、一つ破られたルールはそこから瓦解しルールの意味を持たなくなる。
僕は今まで僕を支えてきたこのルール(アイデンティティ)を失って空っぽの人間になってしまうのではないか、はたまた真逆の人間になってしまうのではないかという恐怖に駆られた時期があった。
それは、今でも無いといえば嘘になるけど、プラグマティズムの考え方を学んで幾分柔軟になってきて不安も薄らいだ。
でも結局は自分が変わるしかないのだ。
だから、僕の経験則で
「でもそれをずっと繰り返していくこともできないのも薄々気付いてきてるはず。幼い頃、若い頃ならそれは武器になるかもしれないけど、歳を経るにつれて滑稽でしかなくなってくるからね」
とか、
「60歳になってまで、小さい頃のトラウマが、といっていても20代とは違い周りは相手にしなくなっていく。結局は自分が変わらない限り、恨みが自分だけを押しつぶしていく。変わりたいけど変わるのがこわくて不安。でも変わるしかないと思うよ」
みたいに変わる努力をする方向に持っていけないかと色々言ったけど、今回は決裂。
こんなやり取りを何度も繰り返しもう7年以上になる。。。
●皮膚にまだらに、赤い斑点が浮かび上がり始めた。
燻っていたアトピー素因が、暴走しはじめたわけだ。
最初右肩から首筋にかけて起こったそれは、現在顔面にまで侵食している。
大学3年あたりから同様の症状が起こり、それから6年間、強迫とアトピーで死の苦しみを味わった。ほとんど外へも出られず、週に一、二度の授業以外は人とも接することができず、卒業とともに辛さに耐えられずステロイドの内服薬にまで手を出し強制的にアトピーを抑え通った公務員学校も強迫の悪化によりあえなく挫折し、その後、強迫の軽減とアトピーの治癒を目指し再び2年間孤独なリハビリ生活を送った。
強迫は、その頃認可されたSSRIという薬が劇的に効いたのだけど、アトピーの治癒は過酷を極めた。
まずは自然治癒力を高めるためにステロイドなどの薬を全て断った。
内服薬まで使用していた僕はまずは猛烈な蕁麻疹という副作用が出た。表面を規則正しいぶつぶつが埋め尽くして、不気味すぎて自分の手ではないようだった。その痒みはとても口では表現できない。
蕁麻疹が去ると今度は薬で抑えられていたアトピーの症状が猛威を振るいだした。目は爛れ眉毛は抜け落ち肌はボロボロになった。
ステロイドやプロトピックなどの薬は症状をある程度抑えても完治には至らない。
結局、薬が体本来の自然治癒力、免疫力を衰えさせるので、益々アトピー体質を促進させるように思われた。
本質的な意味でアトピーを治そうと思ったら、薬により弱まった免疫力を回復させるしかない。体質改善。
薬を断つことによるリバウンドは避けて通れない道なのだ。
とにかく考えられる限りのあらゆる方法を試した。
漢方、塩、硬水、シャンプー、洗剤、入浴剤、保湿剤、食事、マッサージ、などなど。
痒くなったらすぐにシャワーを浴びる。日に5回は入っていたと思う。
シャワーから出ると保湿剤やクリームを塗り、顔にタオルを巻いて外気に触れさせないように、そして湿気を逃さないようにした。
寝るときも顔にタオルを巻いて口と鼻だけ出す形。
一体何のやり方が効いたのかはわからないけれど、三年目に僕のアトピーはほぼ消え去った。
でも完治していたわけじゃなくて、数ヶ月前から右の首筋にアトピーが出てきだした。で、今顔が乗っ取られかかっている。現時点でももし人と会えば薄くなった眉と斑点でかなり驚かれる顔になっていると思う。これ以上ひどくなったら人に見せられないな。この段階で何とか阻止しないと、さらに進行したら、また外に出られない日々がやってくる。
あの地獄の日々にだけは戻りたくない。
とりあえず、本格的にケアをすることにする。
頻繁にシャワーを浴びる、タウロミンという漢方を飲む。
保湿クリームを塗る。
今度はタオルではなくて包帯を顔に巻くことにしようと思う。
こっちも無知だったあの頃よりも知識は持ってる。経験値もアップして応用も利く。
再発したのが無職の時期だったのは不幸中の僥倖だ。
アトピーの好きにはさせない。さぁ戦いの始まりだ。
燻っていたアトピー素因が、暴走しはじめたわけだ。
最初右肩から首筋にかけて起こったそれは、現在顔面にまで侵食している。
大学3年あたりから同様の症状が起こり、それから6年間、強迫とアトピーで死の苦しみを味わった。ほとんど外へも出られず、週に一、二度の授業以外は人とも接することができず、卒業とともに辛さに耐えられずステロイドの内服薬にまで手を出し強制的にアトピーを抑え通った公務員学校も強迫の悪化によりあえなく挫折し、その後、強迫の軽減とアトピーの治癒を目指し再び2年間孤独なリハビリ生活を送った。
強迫は、その頃認可されたSSRIという薬が劇的に効いたのだけど、アトピーの治癒は過酷を極めた。
まずは自然治癒力を高めるためにステロイドなどの薬を全て断った。
内服薬まで使用していた僕はまずは猛烈な蕁麻疹という副作用が出た。表面を規則正しいぶつぶつが埋め尽くして、不気味すぎて自分の手ではないようだった。その痒みはとても口では表現できない。
蕁麻疹が去ると今度は薬で抑えられていたアトピーの症状が猛威を振るいだした。目は爛れ眉毛は抜け落ち肌はボロボロになった。
ステロイドやプロトピックなどの薬は症状をある程度抑えても完治には至らない。
結局、薬が体本来の自然治癒力、免疫力を衰えさせるので、益々アトピー体質を促進させるように思われた。
本質的な意味でアトピーを治そうと思ったら、薬により弱まった免疫力を回復させるしかない。体質改善。
薬を断つことによるリバウンドは避けて通れない道なのだ。
とにかく考えられる限りのあらゆる方法を試した。
漢方、塩、硬水、シャンプー、洗剤、入浴剤、保湿剤、食事、マッサージ、などなど。
痒くなったらすぐにシャワーを浴びる。日に5回は入っていたと思う。
シャワーから出ると保湿剤やクリームを塗り、顔にタオルを巻いて外気に触れさせないように、そして湿気を逃さないようにした。
寝るときも顔にタオルを巻いて口と鼻だけ出す形。
一体何のやり方が効いたのかはわからないけれど、三年目に僕のアトピーはほぼ消え去った。
でも完治していたわけじゃなくて、数ヶ月前から右の首筋にアトピーが出てきだした。で、今顔が乗っ取られかかっている。現時点でももし人と会えば薄くなった眉と斑点でかなり驚かれる顔になっていると思う。これ以上ひどくなったら人に見せられないな。この段階で何とか阻止しないと、さらに進行したら、また外に出られない日々がやってくる。
あの地獄の日々にだけは戻りたくない。
とりあえず、本格的にケアをすることにする。
頻繁にシャワーを浴びる、タウロミンという漢方を飲む。
保湿クリームを塗る。
今度はタオルではなくて包帯を顔に巻くことにしようと思う。
こっちも無知だったあの頃よりも知識は持ってる。経験値もアップして応用も利く。
再発したのが無職の時期だったのは不幸中の僥倖だ。
アトピーの好きにはさせない。さぁ戦いの始まりだ。
●日本は、世界で最も成功した社会主義国だとか言われるけど、今回の震災での被災者や、支援者の行動などを見ると、そうなのかもしれないなぁとか思う。
同時に、日本人は功利主義者だとも思う。
ベンサム的な意味で。
最大多数の最大幸福を最も実践している国民なのじゃないかなとか。
僕自身のことを考えると、昔は、もっと保守的な道徳論に支配されていたけれど、最近の行動や考え方はすごく功利主義的だなと振り返ってみると感じる。
より厳密に言うと、僕の行動は、プラグマティズム(実利主義)の影響が強い。
現在の僕は、基本的に、傷ついたり迷惑を被る人間が現れる可能性が極力低い状態にあるならば、そこから先の選択は当人の意思による、と考えてる。
お互いにとって、利が同じ方向を向いている時に、お互いの間で、法律とはまた別個の意味での、モラルや慣習に縛られることは自ずから苦しみに向かっていってるようなもんだと思う。
この考え方になってからだいぶ僕も柔軟になれたような気がする。
たとえ自分に信念と呼べるものがあっても、それよりも合理性、実理性が勝る明快な論理が現れたなら、あっさりと信念を曲げてしまうと思う。理屈が屈していることがわかっている状態で、尚も自分の考えに執着することがあるとすれば、それはただの不益なプライドだ。不益でありながらも強迫観念に陥っているモラルや慣習に過ぎない。
●借りている某軽小説の中にもハッと気付かされる文章というものはたくさんあって、たとえば、今現在の状態をこれでいいんだと肯定できる瞬間が幸せであるとか、ああ、そういえば、僕は幸せの敷居をえらく高く拵えていたのじゃないだろうかと思うのでした。
●星新一のショートショートを探したら、ショートショートって言うのはジャンルの名前で別に文庫のタイトルではなかったようだ。
探すのに手間取ってしまった。
『気まぐれロボット』というのを購入。
良いのがあったら模写してみようかな。
僕は小説的な文章を書けないし情景描写も仕切らないので、そういうのが書ける人がうらやましいし、自分も書けるようになりたい。
模写はいいだろうかと考えているが、国木田君の助言によると、小説の構造をカードに抜き出してみるというのもいいらしい。
それもやってみようかな。
同時に、日本人は功利主義者だとも思う。
ベンサム的な意味で。
最大多数の最大幸福を最も実践している国民なのじゃないかなとか。
僕自身のことを考えると、昔は、もっと保守的な道徳論に支配されていたけれど、最近の行動や考え方はすごく功利主義的だなと振り返ってみると感じる。
より厳密に言うと、僕の行動は、プラグマティズム(実利主義)の影響が強い。
現在の僕は、基本的に、傷ついたり迷惑を被る人間が現れる可能性が極力低い状態にあるならば、そこから先の選択は当人の意思による、と考えてる。
お互いにとって、利が同じ方向を向いている時に、お互いの間で、法律とはまた別個の意味での、モラルや慣習に縛られることは自ずから苦しみに向かっていってるようなもんだと思う。
この考え方になってからだいぶ僕も柔軟になれたような気がする。
たとえ自分に信念と呼べるものがあっても、それよりも合理性、実理性が勝る明快な論理が現れたなら、あっさりと信念を曲げてしまうと思う。理屈が屈していることがわかっている状態で、尚も自分の考えに執着することがあるとすれば、それはただの不益なプライドだ。不益でありながらも強迫観念に陥っているモラルや慣習に過ぎない。
●借りている某軽小説の中にもハッと気付かされる文章というものはたくさんあって、たとえば、今現在の状態をこれでいいんだと肯定できる瞬間が幸せであるとか、ああ、そういえば、僕は幸せの敷居をえらく高く拵えていたのじゃないだろうかと思うのでした。
●星新一のショートショートを探したら、ショートショートって言うのはジャンルの名前で別に文庫のタイトルではなかったようだ。
探すのに手間取ってしまった。
『気まぐれロボット』というのを購入。
良いのがあったら模写してみようかな。
僕は小説的な文章を書けないし情景描写も仕切らないので、そういうのが書ける人がうらやましいし、自分も書けるようになりたい。
模写はいいだろうかと考えているが、国木田君の助言によると、小説の構造をカードに抜き出してみるというのもいいらしい。
それもやってみようかな。
煩雑な自己分析と展望
2011年1月9日 僕について●僕は基本的に争いを好まないし、平和主義です。
いや、自分は単に臆病なだけだと思っているんですけど、同僚が言うには平和主義だそうです。
しかしこれ、八方美人ともいえるかもしれませんね。
僕自身は、八方美人に明確な定義を置いているので、自分は八方美人には当てはまらなと考えているんですが、見る人によっては八方美人に映るかもしれないですね。
そして僕は、素直すぎるそうです。
もっと自分の主張を言ったほうがいいと言われるわけですが、これも僕の認識とはだいぶ違うんですね。
僕は人並に素直ではあっても、素直「過ぎる」ことはないというのが自分に対する認識です。
この誤差は、僕が勝手に物事の定義を自分流に再定義して、その再定義したルールをきっちりと守ろうとしているから起こることなんだろうと思うわけです。
う~ん、そうですね。
僕にとって許せないのは、人間性の重要な部分に触れることでの理不尽や不条理ですが、その他のことについては基本、さほど気にしない、というスタイルです。
僕の場合でいえばたくさんの見栄やプライド、独占欲などがあるわけですが、それらを極力排除していきたいのです。
で、僕はまたかなり適当だとたくさんの人から言われるんですけど、これは日常生活の大半のことは瑣末なことで構成されているからなんだと思うわけです。
だから、僕の人間性に侵食してくる、僕が重要だと判断した物事に対しては、きちんと反論もするし、強情にもなります。
たとえば、自分が考える善の概念を侵食されるとすると、僕は自分の考えが合理性を持って論破され、自分が納得しない限り自分の意見は変えません。
そういう状況になることはあまりないですが、そういう部分を見た人は、僕が突然強情になるので驚いたりもするわけです。
また僕はクールだといわれることがあります。
冷めているっていうか。
これは以前の僕の失敗から僕が選んだ姿勢なのですが、たとえば誰かを助けたいと思ったとき、自分ができる言葉での善の限界とは、自分の考えを相手に伝えるということでしかないと思っています。
自分の言葉が、強制の効果を持ってしまわないように注意しています。
僕の考えは、他人にとって単なる考える材料に過ぎない。僕の考えが絶対的に正しいはずなどあろうはずもないし、ましてや自分の望むパーソナリティーを相手に押し付けることや、それが実現されないから不機嫌になるなどといったことはあってはならないと思っています。
だから、最終的な決定の選択は当人に任せます。
そしてその人の選択を尊重し、応援します。自分の願望が見て取れるような反応も極力出さないようにしてます。
これは見る人から見ると、自分の心に深く入って引っ張っていってくれない、自分のことを親身に考えてくれていない、と映るかもしれません。
しかしそれは一歩間違えば、ファシズムに繋がってしまいますし、一種の宗教性を孕んでしまいます。
例外的に相手が望み、それが相手の助けになると高い確率で考えられる場合は、もう少し踏み込むこともなくはないですが、僕はそれで以前とても辛い思いを相手にさせてしまったことが何度もあるので、自分を守るためにも、今はそういう姿勢はとっていません。
こんなふうに自分の中でいろんな概念を再定義しなおし、それを遵守しようと思っているので、言葉と行動の整合性にも拘ってしまいます。
この部分は、いわば強迫観念なのですが、これにより自分の中で大きな問題が生まれます。それが自分にとっての課題です。
それは、ファシズムに陥ってはいけないと考えながらも、たとえば他者の話した(人間性の芯となるような)言葉と行動に整合性が見出せない場合、それをなかなか許容できないということです。
しかし、「人間は矛盾を持つ生き物である」
これもまた自分にとって明快な理として定義されています。
ですから、本来他者の瑣末でない部分での矛盾、に関してもできうる限り許容していける態度が望ましいと考えているんですが、それはなかなか難しいものですね。
まあしかし、多くのことは瑣末です。
日常生活の多くのことが、自分の存在が否定されるとか、自分の人間性がゆがめられたり抹殺されるわけではないんですから。
元同僚達で、瑣末なことに対して、無駄な自尊心みたいなにものに拘って辞めてく人もたくさん見てきました。
僕が八方美人であれ、自分の意見を通さないように映ってたとしても、それは瑣末なことなんです。瑣末なことだからどうでもいいんです。
なんだかんだでそれが誰とも問題起こさずいちばんうまくいってるし、みんな不快にならず快適に過ごせてるんだし、それが一番重要じゃんってことです。それでいいじゃん、って心のそこから思えるようになるために課題を克服して柔軟な人間になっていきたいですね。
いや、自分は単に臆病なだけだと思っているんですけど、同僚が言うには平和主義だそうです。
しかしこれ、八方美人ともいえるかもしれませんね。
僕自身は、八方美人に明確な定義を置いているので、自分は八方美人には当てはまらなと考えているんですが、見る人によっては八方美人に映るかもしれないですね。
そして僕は、素直すぎるそうです。
もっと自分の主張を言ったほうがいいと言われるわけですが、これも僕の認識とはだいぶ違うんですね。
僕は人並に素直ではあっても、素直「過ぎる」ことはないというのが自分に対する認識です。
この誤差は、僕が勝手に物事の定義を自分流に再定義して、その再定義したルールをきっちりと守ろうとしているから起こることなんだろうと思うわけです。
う~ん、そうですね。
僕にとって許せないのは、人間性の重要な部分に触れることでの理不尽や不条理ですが、その他のことについては基本、さほど気にしない、というスタイルです。
僕の場合でいえばたくさんの見栄やプライド、独占欲などがあるわけですが、それらを極力排除していきたいのです。
で、僕はまたかなり適当だとたくさんの人から言われるんですけど、これは日常生活の大半のことは瑣末なことで構成されているからなんだと思うわけです。
だから、僕の人間性に侵食してくる、僕が重要だと判断した物事に対しては、きちんと反論もするし、強情にもなります。
たとえば、自分が考える善の概念を侵食されるとすると、僕は自分の考えが合理性を持って論破され、自分が納得しない限り自分の意見は変えません。
そういう状況になることはあまりないですが、そういう部分を見た人は、僕が突然強情になるので驚いたりもするわけです。
また僕はクールだといわれることがあります。
冷めているっていうか。
これは以前の僕の失敗から僕が選んだ姿勢なのですが、たとえば誰かを助けたいと思ったとき、自分ができる言葉での善の限界とは、自分の考えを相手に伝えるということでしかないと思っています。
自分の言葉が、強制の効果を持ってしまわないように注意しています。
僕の考えは、他人にとって単なる考える材料に過ぎない。僕の考えが絶対的に正しいはずなどあろうはずもないし、ましてや自分の望むパーソナリティーを相手に押し付けることや、それが実現されないから不機嫌になるなどといったことはあってはならないと思っています。
だから、最終的な決定の選択は当人に任せます。
そしてその人の選択を尊重し、応援します。自分の願望が見て取れるような反応も極力出さないようにしてます。
これは見る人から見ると、自分の心に深く入って引っ張っていってくれない、自分のことを親身に考えてくれていない、と映るかもしれません。
しかしそれは一歩間違えば、ファシズムに繋がってしまいますし、一種の宗教性を孕んでしまいます。
例外的に相手が望み、それが相手の助けになると高い確率で考えられる場合は、もう少し踏み込むこともなくはないですが、僕はそれで以前とても辛い思いを相手にさせてしまったことが何度もあるので、自分を守るためにも、今はそういう姿勢はとっていません。
こんなふうに自分の中でいろんな概念を再定義しなおし、それを遵守しようと思っているので、言葉と行動の整合性にも拘ってしまいます。
この部分は、いわば強迫観念なのですが、これにより自分の中で大きな問題が生まれます。それが自分にとっての課題です。
それは、ファシズムに陥ってはいけないと考えながらも、たとえば他者の話した(人間性の芯となるような)言葉と行動に整合性が見出せない場合、それをなかなか許容できないということです。
しかし、「人間は矛盾を持つ生き物である」
これもまた自分にとって明快な理として定義されています。
ですから、本来他者の瑣末でない部分での矛盾、に関してもできうる限り許容していける態度が望ましいと考えているんですが、それはなかなか難しいものですね。
まあしかし、多くのことは瑣末です。
日常生活の多くのことが、自分の存在が否定されるとか、自分の人間性がゆがめられたり抹殺されるわけではないんですから。
元同僚達で、瑣末なことに対して、無駄な自尊心みたいなにものに拘って辞めてく人もたくさん見てきました。
僕が八方美人であれ、自分の意見を通さないように映ってたとしても、それは瑣末なことなんです。瑣末なことだからどうでもいいんです。
なんだかんだでそれが誰とも問題起こさずいちばんうまくいってるし、みんな不快にならず快適に過ごせてるんだし、それが一番重要じゃんってことです。それでいいじゃん、って心のそこから思えるようになるために課題を克服して柔軟な人間になっていきたいですね。
●心理学を勉強したい。
じゃあしろよなんていわないで。
ちょっとずつしてるけど、もっと没頭できるまとまった時間と気力がほしい。
哲学文学心理学とか、別に高尚ぶっているわけではなくて、僕が興味を持つものはほとんどが心に関係のあること。
僕は人とのコミュニケーションが苦手だから、相手の反応に過剰に反応したり、ネガティブになったりする。
諍いや誤解なんかも、人の心がよくわかったら、回避できるだろうし、誰かの悩みの力にもなれる確率も上がるだろうし。
何より自分の心の深い部分をもっと理解したい。
悩みや苦しみがあったとして、それの原因がわからないのは、自分の心に未開拓の部分がある証拠。
それを見つけだし、開放するなり解決するなりできたら、僕の人生はぐっと幸せで充実したものになるんじゃないか。
人の心がもっと理解できたら、人との関係や世界も今よりスムーズに流れてくれるんではないか。
僕がよく自分の成長っていうけど、成長ってつまりはそういうことを指しているんだよね。
僕は自分をわかってほしいから、自分を表現したい。でも言葉を知らなきゃ完全に自分のいいたいことを表現できないし伝えられない。
言葉はもっとも詳細にかつ的確に相手に自分の意思なり考えなりを伝えることができるツールだから、もっと言葉を知りたい。だから本を沢山読んで正しい言葉を知り、伝わりやすい表現方法を身につけたい。
そしてまた人間に起こりうる人生のありようをできる限り知りたい。
沢山の人生を知ることで、他者をより理解できるようになるだろうし、人生の可能性の多様性に自分の悩みや苦しみの解答を見い出せるかもしれない。
だから映画を観たり文学に接したりしたい。
人生のありようを知るだけではなくて、その機微を見逃さず、そこから何かを学び取れるだけの洞察力や思考力をを身につけたい。だから心理学や哲学といったものにも接してみたい。
解らなかったり難しかったりすることは、これまでの自分では経験していなかった、知らなかった、つまり自分の中になかったものだから。
心を開拓するのは未知の分野に接するか、これまで知見してきたものの中から、未知の解釈なり発見なりをしなきゃできない。
だから気付かなかったことや知らないことを貪欲に吸収するってこと。
だとしたら、難しかったりわからなかったりすることは苦しいことじゃなく、未知なる心の領域を照らす、純粋なる興味、わくわくとした好奇心という名の懐中電灯になる。
じゃあしろよなんていわないで。
ちょっとずつしてるけど、もっと没頭できるまとまった時間と気力がほしい。
哲学文学心理学とか、別に高尚ぶっているわけではなくて、僕が興味を持つものはほとんどが心に関係のあること。
僕は人とのコミュニケーションが苦手だから、相手の反応に過剰に反応したり、ネガティブになったりする。
諍いや誤解なんかも、人の心がよくわかったら、回避できるだろうし、誰かの悩みの力にもなれる確率も上がるだろうし。
何より自分の心の深い部分をもっと理解したい。
悩みや苦しみがあったとして、それの原因がわからないのは、自分の心に未開拓の部分がある証拠。
それを見つけだし、開放するなり解決するなりできたら、僕の人生はぐっと幸せで充実したものになるんじゃないか。
人の心がもっと理解できたら、人との関係や世界も今よりスムーズに流れてくれるんではないか。
僕がよく自分の成長っていうけど、成長ってつまりはそういうことを指しているんだよね。
僕は自分をわかってほしいから、自分を表現したい。でも言葉を知らなきゃ完全に自分のいいたいことを表現できないし伝えられない。
言葉はもっとも詳細にかつ的確に相手に自分の意思なり考えなりを伝えることができるツールだから、もっと言葉を知りたい。だから本を沢山読んで正しい言葉を知り、伝わりやすい表現方法を身につけたい。
そしてまた人間に起こりうる人生のありようをできる限り知りたい。
沢山の人生を知ることで、他者をより理解できるようになるだろうし、人生の可能性の多様性に自分の悩みや苦しみの解答を見い出せるかもしれない。
だから映画を観たり文学に接したりしたい。
人生のありようを知るだけではなくて、その機微を見逃さず、そこから何かを学び取れるだけの洞察力や思考力をを身につけたい。だから心理学や哲学といったものにも接してみたい。
解らなかったり難しかったりすることは、これまでの自分では経験していなかった、知らなかった、つまり自分の中になかったものだから。
心を開拓するのは未知の分野に接するか、これまで知見してきたものの中から、未知の解釈なり発見なりをしなきゃできない。
だから気付かなかったことや知らないことを貪欲に吸収するってこと。
だとしたら、難しかったりわからなかったりすることは苦しいことじゃなく、未知なる心の領域を照らす、純粋なる興味、わくわくとした好奇心という名の懐中電灯になる。
●公務員専門学校時代に、法律の講師に、本を何も考えずにただ字面を追うのは意味ありますかと問うたところ、意味はない、との返答を頂いた。
脳を使うと、僕の場合平均30ページほどで読むスピードが遅くなる。
もちろん本の種類にもよるが、どんな面白い本でもそこいらで飽きてくる。
必然的に併読が常になる。
それも4、5冊。
内容を混同しないかと聞かれることもあるが、基本、ジャンルはそれぞれ違うものを選んでいる。
学術物、エセー、小説。
理解できる簡単な読み物、理解しづらい難しい読み物。
フィクション、ノンフィクション。
古典小説、現代小説。
のような感じで。
いかに脳を疲れさせずに読書をするか、それをずっと考えている。
僕が本を読み始めた当初は、本を読む、という行為自体に慣れてなく、文字を目で追うことが苦痛でたまらなかった。
一文字一文字にこだわり、それだけで、脳がへとへとに疲れてしまっていた。
一度で理解しようとか、一文字でも逃したらその本の内容がつかめないとか、そんな誤解もあったのだと思う。
それまで本をほとんど読まなかった青年が、ドストエフスキーや古典の学術書に挑戦しようとするとき、上記のような意識だと、最初の時点で、乗り越える壁が高すぎる気がしてしり込みしてしまう。
僕は前述の講師の言葉を信じない。
サブリミナル効果に見られるように、人間は自覚しない瞬時の映像ですら認識していたりする。
その深度を増していけばいいのだ。
脳にそのような深度に達するポテンシャルがあるかといわれれば、ある。サヴァン症候群の例をとっても、人間は、一目見ただけでその映像を完全に記憶する能力を充分に持ち合わせている。
脳の使い方をどう意識するか。
それを意識することで脳の働きは変化するはずだ。
扁桃体をうまく刺激し、右脳を鍛え上げることで活動領域を拡大する。
記憶と理解は並列に進んでいくわけではなく、記憶した後、理解を時間をかけて行う。
記憶とともに理解しなければならないという意識が脳を疲弊させる要因の一部だと考えている。
ドストエフスキーを読むとき、僕は理解することを意識せずに読む、という方法を試みた。
古典の長編や、学術、哲学を読むときは、今でもそういった読み方で臨んでいる。
熟読とはいえないかもしれないが、こうやって読んだ本は僕に影響を与えている、それは確信できるので、考えずに読むことは「意味のない」行為ではない。
脳は考えようとせずとも勝手に考え理解しようとするので、ただ字面を追うだけでも、いつの間にかかなりの情報を取得している。
ただ、僕が併読が多いのは、やはり理解しようとする意識が依然として強過ぎるからなのだろう。
特に小説の類になると、ストーリーを吟味し感動を味わいたいという衝動は、やはり初見の時がもっとも大きいので、その呪縛(一回で大方を理解したいという気持ち)を剥ぎ取ることが難しく、感情の感覚に拘るがゆえに、理解する読み方を優先させがちになるので、脳が疲れるのだ。
感情の起伏よりも情報の摂取に重きを置いた読み物の方が、比較的理解を意識せずに読む、という方法に適している、少なくとも僕にとっては。
理解に重きを置いて、自分にとって荷が重そうな本に「挑戦」しようとするとき、熟読吟味を意識して途中で挫折したり放棄してしまうよりは、理解に意識をおかずにただ字面を追うだけで二度三度読み返すほうが、脳にとっても効率がいいし、遥かに広い情報を摂取できるのではないかと思う。
脳を使うと、僕の場合平均30ページほどで読むスピードが遅くなる。
もちろん本の種類にもよるが、どんな面白い本でもそこいらで飽きてくる。
必然的に併読が常になる。
それも4、5冊。
内容を混同しないかと聞かれることもあるが、基本、ジャンルはそれぞれ違うものを選んでいる。
学術物、エセー、小説。
理解できる簡単な読み物、理解しづらい難しい読み物。
フィクション、ノンフィクション。
古典小説、現代小説。
のような感じで。
いかに脳を疲れさせずに読書をするか、それをずっと考えている。
僕が本を読み始めた当初は、本を読む、という行為自体に慣れてなく、文字を目で追うことが苦痛でたまらなかった。
一文字一文字にこだわり、それだけで、脳がへとへとに疲れてしまっていた。
一度で理解しようとか、一文字でも逃したらその本の内容がつかめないとか、そんな誤解もあったのだと思う。
それまで本をほとんど読まなかった青年が、ドストエフスキーや古典の学術書に挑戦しようとするとき、上記のような意識だと、最初の時点で、乗り越える壁が高すぎる気がしてしり込みしてしまう。
僕は前述の講師の言葉を信じない。
サブリミナル効果に見られるように、人間は自覚しない瞬時の映像ですら認識していたりする。
その深度を増していけばいいのだ。
脳にそのような深度に達するポテンシャルがあるかといわれれば、ある。サヴァン症候群の例をとっても、人間は、一目見ただけでその映像を完全に記憶する能力を充分に持ち合わせている。
脳の使い方をどう意識するか。
それを意識することで脳の働きは変化するはずだ。
扁桃体をうまく刺激し、右脳を鍛え上げることで活動領域を拡大する。
記憶と理解は並列に進んでいくわけではなく、記憶した後、理解を時間をかけて行う。
記憶とともに理解しなければならないという意識が脳を疲弊させる要因の一部だと考えている。
ドストエフスキーを読むとき、僕は理解することを意識せずに読む、という方法を試みた。
古典の長編や、学術、哲学を読むときは、今でもそういった読み方で臨んでいる。
熟読とはいえないかもしれないが、こうやって読んだ本は僕に影響を与えている、それは確信できるので、考えずに読むことは「意味のない」行為ではない。
脳は考えようとせずとも勝手に考え理解しようとするので、ただ字面を追うだけでも、いつの間にかかなりの情報を取得している。
ただ、僕が併読が多いのは、やはり理解しようとする意識が依然として強過ぎるからなのだろう。
特に小説の類になると、ストーリーを吟味し感動を味わいたいという衝動は、やはり初見の時がもっとも大きいので、その呪縛(一回で大方を理解したいという気持ち)を剥ぎ取ることが難しく、感情の感覚に拘るがゆえに、理解する読み方を優先させがちになるので、脳が疲れるのだ。
感情の起伏よりも情報の摂取に重きを置いた読み物の方が、比較的理解を意識せずに読む、という方法に適している、少なくとも僕にとっては。
理解に重きを置いて、自分にとって荷が重そうな本に「挑戦」しようとするとき、熟読吟味を意識して途中で挫折したり放棄してしまうよりは、理解に意識をおかずにただ字面を追うだけで二度三度読み返すほうが、脳にとっても効率がいいし、遥かに広い情報を摂取できるのではないかと思う。
自己負担軽減のためにすること
2010年6月26日 僕について●人を傷つけたくないといっても、何でもかんでも人が傷ついたら、僕は自分に呵責を感じるわけではありません。
以前の僕はその傾向が強かったのですが、人を傷つけたくない、というのに、人としての自分が含まれていないことに気付いたのです。
それは、つまり自分を人として見ていない、物としてみてしまっている、もしくは、自分に価値を見出していない証明でもあります。
ですから、自分を人として正当に価値を見出し、自信を深めるためにも、僕は自分自身も大切にしていかなければと思いました。
それまで理想に描いていた無私への憧れから、一転、無私に対する懐疑の念が生まれたのです。
僕は無意識に自分に罪を着せすぎるきらいがあります。
ですから、意識的にも自分の責と他者の責の峻別を行う必要があります。じゃないと、僕は罪を背負いすぎて、潰れてしまいます。
何か問題が起こったとして、どちらかが一方的に悪いということは、まずありえません。
どちらが悪い、というのではなく、両方に問題がある。
自分に問題がある部分に対してのみ責を感じ、また悩むなり修正するなりすればよいのです。
たとえば、誤解が生じます。
そのせいで、相手が傷ついたとします。
自分は相手が思うような意味合いでの行動や言動はしたつもりはありません。
しかし相手は悪意に取ってしまった。
それが明らかに一般的な総体的視野で見て、悪意に感じられるなら、そこに僕にそういった認識をさせる要素の行動や言動を選択してしまった責が発声します。
しかし一般的にみて悪意に見られないなら、その人個人の解釈によるものなので、僕には予測の仕様がありません。
これはつまり、コミュニケーションの齟齬が起こした悲劇の一例となります。
そして誤解なので、これはどちらの責ともいえません。
さて、ここで僕がこの誤解を解くために話し合おうとします。
しかし、相手は話し合おうとせず、聞く耳を持たないとします。
すると、今度は、聞く耳を持たなかった相手側に責が生じます。
仮にこういう形になったとして、僕が一般的に悪意と取られるような失言をしてしまって、相手を傷つけたらなら、僕はとても苦しむでしょうが、悪意と取られるような失言ではなく、かつ自分が話し合って誤解を解こうというモーションをかけたのに、話し合いを拒否し、相手が傷つき続けるとしたら、それはもう僕にはどうしようもありませんし、また僕の責にも当てはめられないと判断します。
こういった線引きは、完璧主義的な強迫観念のようであって、その僕の性質を利用して、逆に完璧主義による自分への負担(人を傷つけたくない)という縛りを緩くし軽くすることに役立っています。
また自分の問題と修正点を明確に把握するための客観性を持つことにも、有益だと考えています。
何か問題が起こったとき、自分が悪い、相手が悪い、の二元論ではなく、もっと多様な角度から自分の修正点を探ることができる、つまり
「学習」の土台が形作れるわけです。
以前の僕はその傾向が強かったのですが、人を傷つけたくない、というのに、人としての自分が含まれていないことに気付いたのです。
それは、つまり自分を人として見ていない、物としてみてしまっている、もしくは、自分に価値を見出していない証明でもあります。
ですから、自分を人として正当に価値を見出し、自信を深めるためにも、僕は自分自身も大切にしていかなければと思いました。
それまで理想に描いていた無私への憧れから、一転、無私に対する懐疑の念が生まれたのです。
僕は無意識に自分に罪を着せすぎるきらいがあります。
ですから、意識的にも自分の責と他者の責の峻別を行う必要があります。じゃないと、僕は罪を背負いすぎて、潰れてしまいます。
何か問題が起こったとして、どちらかが一方的に悪いということは、まずありえません。
どちらが悪い、というのではなく、両方に問題がある。
自分に問題がある部分に対してのみ責を感じ、また悩むなり修正するなりすればよいのです。
たとえば、誤解が生じます。
そのせいで、相手が傷ついたとします。
自分は相手が思うような意味合いでの行動や言動はしたつもりはありません。
しかし相手は悪意に取ってしまった。
それが明らかに一般的な総体的視野で見て、悪意に感じられるなら、そこに僕にそういった認識をさせる要素の行動や言動を選択してしまった責が発声します。
しかし一般的にみて悪意に見られないなら、その人個人の解釈によるものなので、僕には予測の仕様がありません。
これはつまり、コミュニケーションの齟齬が起こした悲劇の一例となります。
そして誤解なので、これはどちらの責ともいえません。
さて、ここで僕がこの誤解を解くために話し合おうとします。
しかし、相手は話し合おうとせず、聞く耳を持たないとします。
すると、今度は、聞く耳を持たなかった相手側に責が生じます。
仮にこういう形になったとして、僕が一般的に悪意と取られるような失言をしてしまって、相手を傷つけたらなら、僕はとても苦しむでしょうが、悪意と取られるような失言ではなく、かつ自分が話し合って誤解を解こうというモーションをかけたのに、話し合いを拒否し、相手が傷つき続けるとしたら、それはもう僕にはどうしようもありませんし、また僕の責にも当てはめられないと判断します。
こういった線引きは、完璧主義的な強迫観念のようであって、その僕の性質を利用して、逆に完璧主義による自分への負担(人を傷つけたくない)という縛りを緩くし軽くすることに役立っています。
また自分の問題と修正点を明確に把握するための客観性を持つことにも、有益だと考えています。
何か問題が起こったとき、自分が悪い、相手が悪い、の二元論ではなく、もっと多様な角度から自分の修正点を探ることができる、つまり
「学習」の土台が形作れるわけです。
●人を傷つける、という行為に僕が過敏に反応してしまうのは、そこに傷つけられた過去の自分の影をみるからだと思います。
あと、もし、自分が人を傷つけてしまったら、僕の障害を真似した人間と結局は同じだ、という尊大でひねくれた態度と、人間に対しての価値付けが隠れています。
どこかで障害を真似した人間よりも高尚な存在でありたい、そんな自尊心が、人を傷つけることへの恐れへとつながっているのも一理にあると思います。
僕は障害を真似した人達に対して、いまだに憎しみにかられ、許すことも受け入れることもできずにいるのがその証拠です。
しかし、そんな僕が人間は価値が平等であり、そこに優劣は無い、という理想を抱いているのは大いなる矛盾です。
他者に望むことを、当の自分がなしえていないのだからおかしな話です。
そしてまた、人を価値付け、順序付ける憎しみの感情から、人間への(自分の行動とは真逆の)理想が生まれたことも皮肉です。
このジレンマは、なかなかに克服できるものではありません。
あと、もし、自分が人を傷つけてしまったら、僕の障害を真似した人間と結局は同じだ、という尊大でひねくれた態度と、人間に対しての価値付けが隠れています。
どこかで障害を真似した人間よりも高尚な存在でありたい、そんな自尊心が、人を傷つけることへの恐れへとつながっているのも一理にあると思います。
僕は障害を真似した人達に対して、いまだに憎しみにかられ、許すことも受け入れることもできずにいるのがその証拠です。
しかし、そんな僕が人間は価値が平等であり、そこに優劣は無い、という理想を抱いているのは大いなる矛盾です。
他者に望むことを、当の自分がなしえていないのだからおかしな話です。
そしてまた、人を価値付け、順序付ける憎しみの感情から、人間への(自分の行動とは真逆の)理想が生まれたことも皮肉です。
このジレンマは、なかなかに克服できるものではありません。
●僕が障害で苦しんでいたとき、同じ障害の仲間から助けてもらいました。
死のうと思っていた僕を変えてくれました。
障害も薬とのおかげで大幅に改善し、生きる喜び、を微弱ながら感じることができる日々が訪れました。
だから、僕は同じように辛い思いをしている人たちの力になりたい。
それが僕の目標であり、生きる意味、になっていきました。
立ち直りだちの頃の僕は仕事をしていませんでした。
生きる意義を見出したのと、誰かを助けたい、という情熱に浮かされていました。気力も有り余っていました。
だから、ネット上で積極的に人と接するようになっていきました。
人との繋がりを実感することで、誰かの力となることで、自分の存在も確かめられ、安心する、というのもあったように思います。
僕は同じ障害のサークルで出あった苦しむ人たちの力になるべく、幾人もの人たちとメールのやり取りをし、相談に乗り、全員と正面から向かい合っていきたい、そんな意気込みでやっていました。
ある人と知り合いました。
その人もまた、同じ障害で苦しみ、同じように抑鬱傾向があり、また同じように孤独の心を抱えていました。
僕はその人の孤独を埋める、人との結びつきを確かめられる、存在の一片になれれば、そう考えていました。
だけど、メールのやり取りをしていくうちにその人は、僕への依存を強めていきます。
それは、僕が描いていた人との結びつきとは違った、僕の意図せざる方向へ向かっていきました。
僕は、当時ある理想を持っていました。
みんなに価値があり、優劣はない。人としてみんな愛したい。
しかし、その人は、徐々に特別な愛情を求めるようになっていきました。
人間であるならば、何かや誰かとの差別化により、自分の存在を確かめる。考えてみれば当然のことです。
孤独の心を抱えていたときは誰かとコミュニケーションを取ること自体が、今までの状況との差異化になります。ですが、その状況に慣れると、また孤独心は募り、さらなる差異化を感じることで安心感を得ようとする。それは僕にも、誰にでもあるものです。
ですが、僕は当時の理想(差異化のない愛情)に浮かされて、その人間の傾向にまで考えを馳せることができなかったのです。
その人は、僕が他の誰かとコミュニケーションを取ることで激しい動揺を示すようになっていきました。
それは、このまま僕がその人とコミュニケーションを取り続けていたら、その人の人生がむちゃくちゃになってしまう。またその人の命の危惧さえ危ぶまれると感じさせるほどでした。
僕も、その頃働き始め、日々の疲れや、新たな自分の悩みも出てきて、気力も磨り減っていきました。
僕はサークルの仲間と相談して、その人と一定の距離を取るようになりました。そうせざるを得ませんでした。
当然、その旨をその人にも伝えました。
そうしないと、その人はこの先もどんどん自らを破壊させる方向へ向かってしまう。
その人も、僕達の意図を汲み取ってくれましたが、理解はしても、感情は制御できるものではありません。
その人は、その迸る感情を抑えるために、強迫行為が悪化していきました。その人は、拒食症に陥ってしまいました。
僕は、どうすればよかったのでしょうか。
当時の僕には、どうすることもできませんでした。
その人は僕を信じてくれていました。心のそこから信じてくれていました。
一番酷い仕打ちはなんでしょう。
それは、一旦心から信じた相手に突き放されることです。
僕は、情熱に浮かされて、理想に浮かされて、その思いのまま突き進んで過ちを犯しました。
自分の気力の限界を見誤って、過ちを犯しました。
その人が幸せになることを願っていたのに、結果的には、最も傷つけて、苦しませてしまったのです。
誰かを再び傷つけたくない。例え善意から出発したものであっても、人をどうしようもなく傷つけてしまうことがあるということをこのとき学んだのです。
僕はそれ以来、自分から誰かにメールや連絡を取ることはほとんど出来なくなりました。
mixiも友達になりたいと思った人でも、申請をすることはまずありません。
今でも人の力になりたいです。
だけど、以前のように積極的に相手の問題や心の中に介入することはしなくなりました。
どうやったら、傷つけずに誰かの力となることが出来るのか、を考えています。
その人とは、今、連絡不通です。
許してくださいといっても許されることではありません。
心配でたまりませんし、そのことを考えると、気が狂いそうになります。
ですが、これは、僕の犯した罪です。
だから、背負っていかないといけません。
死のうと思っていた僕を変えてくれました。
障害も薬とのおかげで大幅に改善し、生きる喜び、を微弱ながら感じることができる日々が訪れました。
だから、僕は同じように辛い思いをしている人たちの力になりたい。
それが僕の目標であり、生きる意味、になっていきました。
立ち直りだちの頃の僕は仕事をしていませんでした。
生きる意義を見出したのと、誰かを助けたい、という情熱に浮かされていました。気力も有り余っていました。
だから、ネット上で積極的に人と接するようになっていきました。
人との繋がりを実感することで、誰かの力となることで、自分の存在も確かめられ、安心する、というのもあったように思います。
僕は同じ障害のサークルで出あった苦しむ人たちの力になるべく、幾人もの人たちとメールのやり取りをし、相談に乗り、全員と正面から向かい合っていきたい、そんな意気込みでやっていました。
ある人と知り合いました。
その人もまた、同じ障害で苦しみ、同じように抑鬱傾向があり、また同じように孤独の心を抱えていました。
僕はその人の孤独を埋める、人との結びつきを確かめられる、存在の一片になれれば、そう考えていました。
だけど、メールのやり取りをしていくうちにその人は、僕への依存を強めていきます。
それは、僕が描いていた人との結びつきとは違った、僕の意図せざる方向へ向かっていきました。
僕は、当時ある理想を持っていました。
みんなに価値があり、優劣はない。人としてみんな愛したい。
しかし、その人は、徐々に特別な愛情を求めるようになっていきました。
人間であるならば、何かや誰かとの差別化により、自分の存在を確かめる。考えてみれば当然のことです。
孤独の心を抱えていたときは誰かとコミュニケーションを取ること自体が、今までの状況との差異化になります。ですが、その状況に慣れると、また孤独心は募り、さらなる差異化を感じることで安心感を得ようとする。それは僕にも、誰にでもあるものです。
ですが、僕は当時の理想(差異化のない愛情)に浮かされて、その人間の傾向にまで考えを馳せることができなかったのです。
その人は、僕が他の誰かとコミュニケーションを取ることで激しい動揺を示すようになっていきました。
それは、このまま僕がその人とコミュニケーションを取り続けていたら、その人の人生がむちゃくちゃになってしまう。またその人の命の危惧さえ危ぶまれると感じさせるほどでした。
僕も、その頃働き始め、日々の疲れや、新たな自分の悩みも出てきて、気力も磨り減っていきました。
僕はサークルの仲間と相談して、その人と一定の距離を取るようになりました。そうせざるを得ませんでした。
当然、その旨をその人にも伝えました。
そうしないと、その人はこの先もどんどん自らを破壊させる方向へ向かってしまう。
その人も、僕達の意図を汲み取ってくれましたが、理解はしても、感情は制御できるものではありません。
その人は、その迸る感情を抑えるために、強迫行為が悪化していきました。その人は、拒食症に陥ってしまいました。
僕は、どうすればよかったのでしょうか。
当時の僕には、どうすることもできませんでした。
その人は僕を信じてくれていました。心のそこから信じてくれていました。
一番酷い仕打ちはなんでしょう。
それは、一旦心から信じた相手に突き放されることです。
僕は、情熱に浮かされて、理想に浮かされて、その思いのまま突き進んで過ちを犯しました。
自分の気力の限界を見誤って、過ちを犯しました。
その人が幸せになることを願っていたのに、結果的には、最も傷つけて、苦しませてしまったのです。
誰かを再び傷つけたくない。例え善意から出発したものであっても、人をどうしようもなく傷つけてしまうことがあるということをこのとき学んだのです。
僕はそれ以来、自分から誰かにメールや連絡を取ることはほとんど出来なくなりました。
mixiも友達になりたいと思った人でも、申請をすることはまずありません。
今でも人の力になりたいです。
だけど、以前のように積極的に相手の問題や心の中に介入することはしなくなりました。
どうやったら、傷つけずに誰かの力となることが出来るのか、を考えています。
その人とは、今、連絡不通です。
許してくださいといっても許されることではありません。
心配でたまりませんし、そのことを考えると、気が狂いそうになります。
ですが、これは、僕の犯した罪です。
だから、背負っていかないといけません。
●僕には、本当はもう一人兄がいました。
幼い頃、よくお寺にいって沢山の人形が飾られた部屋でお経を上げていましたが、いったい誰に上げているのか知りませんでした。
それを知らされたのは、小学校を卒業しようとしていた頃です。
兄と僕との間に生まれるはずだったもう一人の兄は、母親の腹の中で死にました。
その兄が生まれていたら、僕はははたして生まれてきていたかどうかはわかりません。
僕は兄の命を変わりに授かって生まれてきたのかもしれません。
兄の分も、この命は大事にしていかないいけないと思っています。
幼い頃、よくお寺にいって沢山の人形が飾られた部屋でお経を上げていましたが、いったい誰に上げているのか知りませんでした。
それを知らされたのは、小学校を卒業しようとしていた頃です。
兄と僕との間に生まれるはずだったもう一人の兄は、母親の腹の中で死にました。
その兄が生まれていたら、僕はははたして生まれてきていたかどうかはわかりません。
僕は兄の命を変わりに授かって生まれてきたのかもしれません。
兄の分も、この命は大事にしていかないいけないと思っています。
●仕事前に出る憂鬱感、原因は大体わかってる。
大方は予期不安。
それも、対人関係に対する予期不安。
僕は、うちの会社で対人関係がうまくいっているほうだけど、裏を返せば、人から嫌われたり疎まれたりすることを必要以上に恐れているから、うまくいくように振舞っているともいえると思う。
本心では、誰にも嫌われない人なんていないんだから気にする必要はない、とわかっていても、やはり嫌われるよりは、うまくいっていたほうが快適に過ごせる。
でもその快適に過ごすための手段として、おそらくは気付かないところで物凄く気を使ってしまっているのだと思う。
もう今では、どこまでが素でどこまでが気を使っているのかも判然としない。
気を使うことが素になってしまっているのかもしれない。
気の置けない友人間ならまだそういう障壁は低いけど、それでも全く無いとはいえない。
何故そこまで嫌われることを恐れるかといえば、それはやっぱ過去の経験から来るものだろうと思うし、いまだにその呪縛から離れることができないってことなんだろう。
●憂鬱感とはまた違うけど、一昨日、久しぶりに元同僚達に会ったときに、自分でも驚いたけどもう打ち解けているはずの人達にも久しぶりだとやはり緊張してしまっていた。
何故緊張するかってのも、同じ予期不安から来ていると思う。
自己評価が低いのだ。
僕は、根本的に、自分は人にとって迷惑な存在だ。という認識が拭えない。自分自身でそのように評価してしまっているから、仲良くしている相手にも基本的に、親しくしてくれているのは、僕を誤解しているからだ、と潜在的に思ってしまっている。
思っているから、本当の自分を知られたら嫌われるという考えが思考ではなく限りなく本能に近い部分で染み付いている。
ほんとうの自分を知られると嫌われるというのは、過去の経験則から導き出されている。
うまくコミュニケーションが取れずに、相手に不快感を与える=相手の迷惑になる(相手に嫌われる)=やはり自分は迷惑な存在だ。
それは自分の(潜在的な)評価を裏付け強固にしてしまう。
そして、やはり迷惑なのだから、これ以上自分が関わることで迷惑をかけることはしたくない、と思ってしまう。
でもこの思考は、多くの部分で歪んでいる。
どこが歪んでいるかわかりますか?
僕は今、自分の価値を正当に評価する、つまり、人間として存在価値(自信)を高めるためのリハビリ中だから、その低い自己評価に抗っている。
緊張は、人間としての価値を保ちたい、僕のリハビリの影響だと捉える事ができる。
低い価値に身を委ねるのじゃなく、拒みたいと願うから、人に嫌われることに対して恐れ、不安になる。これは過程においてむしろいいことなのだ。
そしてその不安を突破して前に進みたいと(予期不安と)抗うから、緊張するんだと思う。
だけど、いまだ僕は、不安に屈する場合の方が多い。
潜在的な自己評価を取り去ることは到底出来ていない。
だから、ここに書いたことはほんのさわりだけど、こんな感じで心理を掘り起こしていって、自分の思考の歪みを発見し、そして修正していくことが必要だと感じている。
大方は予期不安。
それも、対人関係に対する予期不安。
僕は、うちの会社で対人関係がうまくいっているほうだけど、裏を返せば、人から嫌われたり疎まれたりすることを必要以上に恐れているから、うまくいくように振舞っているともいえると思う。
本心では、誰にも嫌われない人なんていないんだから気にする必要はない、とわかっていても、やはり嫌われるよりは、うまくいっていたほうが快適に過ごせる。
でもその快適に過ごすための手段として、おそらくは気付かないところで物凄く気を使ってしまっているのだと思う。
もう今では、どこまでが素でどこまでが気を使っているのかも判然としない。
気を使うことが素になってしまっているのかもしれない。
気の置けない友人間ならまだそういう障壁は低いけど、それでも全く無いとはいえない。
何故そこまで嫌われることを恐れるかといえば、それはやっぱ過去の経験から来るものだろうと思うし、いまだにその呪縛から離れることができないってことなんだろう。
●憂鬱感とはまた違うけど、一昨日、久しぶりに元同僚達に会ったときに、自分でも驚いたけどもう打ち解けているはずの人達にも久しぶりだとやはり緊張してしまっていた。
何故緊張するかってのも、同じ予期不安から来ていると思う。
自己評価が低いのだ。
僕は、根本的に、自分は人にとって迷惑な存在だ。という認識が拭えない。自分自身でそのように評価してしまっているから、仲良くしている相手にも基本的に、親しくしてくれているのは、僕を誤解しているからだ、と潜在的に思ってしまっている。
思っているから、本当の自分を知られたら嫌われるという考えが思考ではなく限りなく本能に近い部分で染み付いている。
ほんとうの自分を知られると嫌われるというのは、過去の経験則から導き出されている。
うまくコミュニケーションが取れずに、相手に不快感を与える=相手の迷惑になる(相手に嫌われる)=やはり自分は迷惑な存在だ。
それは自分の(潜在的な)評価を裏付け強固にしてしまう。
そして、やはり迷惑なのだから、これ以上自分が関わることで迷惑をかけることはしたくない、と思ってしまう。
でもこの思考は、多くの部分で歪んでいる。
どこが歪んでいるかわかりますか?
僕は今、自分の価値を正当に評価する、つまり、人間として存在価値(自信)を高めるためのリハビリ中だから、その低い自己評価に抗っている。
緊張は、人間としての価値を保ちたい、僕のリハビリの影響だと捉える事ができる。
低い価値に身を委ねるのじゃなく、拒みたいと願うから、人に嫌われることに対して恐れ、不安になる。これは過程においてむしろいいことなのだ。
そしてその不安を突破して前に進みたいと(予期不安と)抗うから、緊張するんだと思う。
だけど、いまだ僕は、不安に屈する場合の方が多い。
潜在的な自己評価を取り去ることは到底出来ていない。
だから、ここに書いたことはほんのさわりだけど、こんな感じで心理を掘り起こしていって、自分の思考の歪みを発見し、そして修正していくことが必要だと感じている。
信頼ってなんだろう。
先輩に僕は70万貸している。
ガンになったから仕方なかった。
先輩は他の人にも借りている。
つまり2人に金を借りている。
返済は一年返済の予定だったけど、端からそんなことは無理だと思ってた。もう返済し始めてから3年くらい経っている。
でもそれでもいいと思っているし、僕の先輩に対する信頼は揺らいでいない。
それは、先輩が返そうとする意思をずっと継続して示してくれているからだ。
もちろん、生活をカツカツに切り詰めれば、もっと早く返せるかもしれない、だけど、人間だから、返済だけの生活ではいつか疲れてしまう。
だから、こっちも妥協する。
先輩は、最低限の誠意のある行動をしてくれる、
それが先輩に対する信頼を保っている。
つまり、言葉だけじゃない。
どんなに少ない稼ぎでも、毎月、わずかなら返していける。
僕は利子なんてつけてない。返済も無理のない程度でどれだけ時間がかかってもいいといっている。
それは、先輩に対する僕の誠意だ。
先輩は、毎月、どんなに少なくても返済してくれる。
一万のときもあれば二万のとき、5千円のときもある。
千円だっていい。100円だっていい。
どんなに金がなくても、返そうとする意思が伝わる行動。
それが、僕が見せた誠意に対する最低限の誠意だろう。
誠意を示すのは相手を信じているからだ。
相手も誠意のある行動をする人だと僕が信じるからだ。
ということで、先輩はまた今月もきつい中から二万円振り込んでくれた。長い時間かかってるけど、もう半分返済してくれた。
だから僕はこの先輩とは一生付き合っていきたいと思う。
もし返せなくなっても、正直にそのことを先輩なら話してくれる。
話してくれるなら、別に金が全額返ってこなくても受け入れられるし、また金を貸すことになっても、事情を勘案して貸してもいいと思えるのだ。
信頼とは、ずっと揺るがずにあるものじゃない。
信頼ってのは、行動によっては常に削られていく資本だ。
どんな信じている相手でも、信頼の上に胡坐をかいて不誠実な態度を取り続けていれば、あると思っていた信頼はいつかは底を付く。
逆に誠実な行動を取り続けていれば、資本としての信頼は膨らんでいくものだと思っている。
資本を減らす要因の一つは矛盾だ。
言葉と行動が伴わない、それが、人との約束で行われた場合にその人の信頼は削られる。
言葉は、いわば、契約書だ。
契約書が発行されてるのに履行されなければ、信頼の減少は言葉という契約書がないときよりも大きい。
誠意はその人の信頼への証だ。
信頼が強まれば、不誠実をやっても許される、のじゃなくて信頼が強まればこそより誠実でありたいと思うのがまっとうだ。
つまり、誠意を見せてくれない相手に対しては、自分も相手への信頼を失う。つまり誠意を示そうとは思えなくなる。
誠実でない、誠意を見せてくれない、というのは、自分のことを信頼してくれてない、もしくは誠意を見せるに値しないと思われている、ということになり、つまり僕は友人でもなんでもない、という結論へと導かれてしまう。
僕はなんらかの信頼に関わる矛盾を相手に見出してしまったときに、許容できずにこのような思考に陥ってしまう。
先輩に僕は70万貸している。
ガンになったから仕方なかった。
先輩は他の人にも借りている。
つまり2人に金を借りている。
返済は一年返済の予定だったけど、端からそんなことは無理だと思ってた。もう返済し始めてから3年くらい経っている。
でもそれでもいいと思っているし、僕の先輩に対する信頼は揺らいでいない。
それは、先輩が返そうとする意思をずっと継続して示してくれているからだ。
もちろん、生活をカツカツに切り詰めれば、もっと早く返せるかもしれない、だけど、人間だから、返済だけの生活ではいつか疲れてしまう。
だから、こっちも妥協する。
先輩は、最低限の誠意のある行動をしてくれる、
それが先輩に対する信頼を保っている。
つまり、言葉だけじゃない。
どんなに少ない稼ぎでも、毎月、わずかなら返していける。
僕は利子なんてつけてない。返済も無理のない程度でどれだけ時間がかかってもいいといっている。
それは、先輩に対する僕の誠意だ。
先輩は、毎月、どんなに少なくても返済してくれる。
一万のときもあれば二万のとき、5千円のときもある。
千円だっていい。100円だっていい。
どんなに金がなくても、返そうとする意思が伝わる行動。
それが、僕が見せた誠意に対する最低限の誠意だろう。
誠意を示すのは相手を信じているからだ。
相手も誠意のある行動をする人だと僕が信じるからだ。
ということで、先輩はまた今月もきつい中から二万円振り込んでくれた。長い時間かかってるけど、もう半分返済してくれた。
だから僕はこの先輩とは一生付き合っていきたいと思う。
もし返せなくなっても、正直にそのことを先輩なら話してくれる。
話してくれるなら、別に金が全額返ってこなくても受け入れられるし、また金を貸すことになっても、事情を勘案して貸してもいいと思えるのだ。
信頼とは、ずっと揺るがずにあるものじゃない。
信頼ってのは、行動によっては常に削られていく資本だ。
どんな信じている相手でも、信頼の上に胡坐をかいて不誠実な態度を取り続けていれば、あると思っていた信頼はいつかは底を付く。
逆に誠実な行動を取り続けていれば、資本としての信頼は膨らんでいくものだと思っている。
資本を減らす要因の一つは矛盾だ。
言葉と行動が伴わない、それが、人との約束で行われた場合にその人の信頼は削られる。
言葉は、いわば、契約書だ。
契約書が発行されてるのに履行されなければ、信頼の減少は言葉という契約書がないときよりも大きい。
誠意はその人の信頼への証だ。
信頼が強まれば、不誠実をやっても許される、のじゃなくて信頼が強まればこそより誠実でありたいと思うのがまっとうだ。
つまり、誠意を見せてくれない相手に対しては、自分も相手への信頼を失う。つまり誠意を示そうとは思えなくなる。
誠実でない、誠意を見せてくれない、というのは、自分のことを信頼してくれてない、もしくは誠意を見せるに値しないと思われている、ということになり、つまり僕は友人でもなんでもない、という結論へと導かれてしまう。
僕はなんらかの信頼に関わる矛盾を相手に見出してしまったときに、許容できずにこのような思考に陥ってしまう。
物心(ぶっしん) (2)
2010年5月26日 僕について●心が肉体から分離し、自分を外側から見るのは面白いものです。
何をされていても、遠くから、自分ではない「物」を眺めているのです。
自分には関係がないことのように感じられます。
でもこれは感覚なので、実際には自分の意思と肉体は繋がっているのです。
離人症に陥ってから、それまで自分ひとりの感情の制御で精一杯だったのが、初めて全体を客観的に俯瞰することができる余裕が生まれてきました。
さっきも言ったように、例え離人症になっても、肉体と意思は繋がっています。
僕は自分の肉体をあたかも人形のように捉え、操ってみようと思うようになりました。
たとえば、それまで僕は笑うことや話すことができませんでしたが、それは何故でしょう。
原因は一つではないですが、大きな要素の一つに、自分が周りと違う、違う自分を見せることで、さらに変に思われ阻害されてしまう、という恐怖感があったのだと思います。
ですが、物になった自分は、もう人間ではないのです。
遠くから客観的に自分を見れるようになると、当時の僕の肉体は、(僕がそのとき想像できた範囲において)人間として見るならもっとも過酷な扱いを受けていました。
じゃあ、自分の笑っている姿をみられていったいどうなる?
今以上に酷くなることはない。
人と話してそれがどのように転んだとしても、そう、今と現状は変わることはない。
相変わらず、僕は阻害され続け、毎日(人間としてみた場合)酷い扱いを受け続けるだけの話です。
じゃあ、僕はいったい何を恐れているのだろう?恐れていたことはとっくに経験済みだし、恐れていたことはそのまま現状であって、変わることはなく継続されていくだけの話です。
僕にはもう恐れる理由は存在しない、ということに気付いたのです。
どうせ現状は変わらないのだから、物である自分の肉体を好きなように動かしてみよう。
僕は、当時おそらく人間としての心情でいうなら、(当時の自分のキャパシティーにおいての)絶望、とでもいうべき心境まで追い込まれて離人症に陥りました。
今思い返すと、落ちるとこまで落ちたのだから、これ以上落ちることはない、物である肉体を眺めながらそう感じたのは、確かにまだ僕に人間としての心が残っており、また戻りたいという未練があったからなのだと思います。
なんにせよ、皮肉にも、そこまで追い詰められたことが、僕に恐れていたものの正体を気付かせ、その抑圧を取り除き、そして初めて人前で自我を発露させるきっかけとなったのでした。
僕は、人前で、顔を隠すことなく笑い、そしてぎこちないながらも人に話しかけることができるようになっていきました。
※関連日記
『物心(ぶっしん) (1)』
http://37292.diarynote.jp/201005291322311869/
何をされていても、遠くから、自分ではない「物」を眺めているのです。
自分には関係がないことのように感じられます。
でもこれは感覚なので、実際には自分の意思と肉体は繋がっているのです。
離人症に陥ってから、それまで自分ひとりの感情の制御で精一杯だったのが、初めて全体を客観的に俯瞰することができる余裕が生まれてきました。
さっきも言ったように、例え離人症になっても、肉体と意思は繋がっています。
僕は自分の肉体をあたかも人形のように捉え、操ってみようと思うようになりました。
たとえば、それまで僕は笑うことや話すことができませんでしたが、それは何故でしょう。
原因は一つではないですが、大きな要素の一つに、自分が周りと違う、違う自分を見せることで、さらに変に思われ阻害されてしまう、という恐怖感があったのだと思います。
ですが、物になった自分は、もう人間ではないのです。
遠くから客観的に自分を見れるようになると、当時の僕の肉体は、(僕がそのとき想像できた範囲において)人間として見るならもっとも過酷な扱いを受けていました。
じゃあ、自分の笑っている姿をみられていったいどうなる?
今以上に酷くなることはない。
人と話してそれがどのように転んだとしても、そう、今と現状は変わることはない。
相変わらず、僕は阻害され続け、毎日(人間としてみた場合)酷い扱いを受け続けるだけの話です。
じゃあ、僕はいったい何を恐れているのだろう?恐れていたことはとっくに経験済みだし、恐れていたことはそのまま現状であって、変わることはなく継続されていくだけの話です。
僕にはもう恐れる理由は存在しない、ということに気付いたのです。
どうせ現状は変わらないのだから、物である自分の肉体を好きなように動かしてみよう。
僕は、当時おそらく人間としての心情でいうなら、(当時の自分のキャパシティーにおいての)絶望、とでもいうべき心境まで追い込まれて離人症に陥りました。
今思い返すと、落ちるとこまで落ちたのだから、これ以上落ちることはない、物である肉体を眺めながらそう感じたのは、確かにまだ僕に人間としての心が残っており、また戻りたいという未練があったからなのだと思います。
なんにせよ、皮肉にも、そこまで追い詰められたことが、僕に恐れていたものの正体を気付かせ、その抑圧を取り除き、そして初めて人前で自我を発露させるきっかけとなったのでした。
僕は、人前で、顔を隠すことなく笑い、そしてぎこちないながらも人に話しかけることができるようになっていきました。
※関連日記
『物心(ぶっしん) (1)』
http://37292.diarynote.jp/201005291322311869/
物心(ぶっしん) (1)
2010年5月22日 僕について コメント (2)●人前で笑うこと、しゃべることができない子供でした。
人との接し方が解らなかったのです。
どうやってしゃべればいいかわからない、どうやって笑えばいいかわからない。
今でこそ自分がアスペルガー気質(高機能自閉症)であったことが解りますが、当時はそういう症状の認知度は低く、当然僕も親も知りませんでした。
一人で空想に耽ったり、興味を持ったことには没頭します。たとえば、縄跳びに没頭して、技飛びを全部できるようになったり、縄跳び大会で優勝したり。
だけど他のことには無頓着。授業も全くついていけず、テストでは10点や酷い時は0点。興味のないことには注意力が続きません。
家に帰って、親にばれないようにテスト用紙を散り散りに破って捨てる、そんなことをよくしていました。
行動も独りよがりで、相手の気持ちを考えることも苦手でした。
当然僕は孤立していました。
でも自分では、周りと違う行動をしている意識はありません。
だから、何故回りの人たちが僕をのけ者にするのかわからなくて、口に出せなくても、一人で色々もがき考えてはいたと思います。
そのストレスが、発散場所を探し、強迫性障害という形であらわれだしました。
当時、症状の一つであるチックが頻繁に出たり、突然、鼻を鳴らしたり、異常に左右対称にこだわったり、様々な変な行動をしたりしていました。
周りにはどう映ったでしょうか。クラスメイトから酷い仕打ちを毎日受けていました。
僕は変わりたかった。
でも当時の僕は変わる術を持ちませんでした。
辛い毎日から抜け出したかった僕は追い詰められ、ある一つの方法を閃きました。というか、追い詰められて、その答えを導き出さざるを得なかったのだと思います(当時は)。
それが自分は人間ではない、単なる物だ、もしくは単なるゴミだ、というものでした。
周りと同じ人間だから、周りの人たちのように振舞いたいとか、同じような対応をされたいと願うわけです。
人間ではなく、単なる物であることを自分が受け入れれば、どんな扱いを受けても、それは物なのだから、ゴミなのだから当然なのです。
当然なのだから、どんな扱いを受けても、悔しくも苦しくもありません。ああ、僕はこういう風に扱われるための物なんだな、と納得
できるわけです。
この時点で、僕は一旦人間として持っていたプライドを全て捨てました。人としての(存在)価値を一旦放棄してしまったのです。
感情の起伏もほぼ無くなりました。
どんな酷いことをされても穏やかな心(物に心って変ですが)で、平和でした。
さて、このとき、僕は離人症(http://dissociation.xrea.jp/disorder/dissociation/disorder_dissociation_rijin.html)に陥っていたのだと思います。
つまり具体的にいうなら、物になったのはひとりの僕です。
じつはこのときもう一人の僕が存在していました。
それは、人間である僕の未練、人間を捨て切れなかった僕の心です。
先ほど、物なのに穏やかと感じる心を持つのは変だと書きましたが、その穏やかさを感じていたのは、もう一人の、人間を捨てきれない僕の方の心が感じていたのだと思います。
物としての肉体と、人間としての心が分離してしまったのです。
人との接し方が解らなかったのです。
どうやってしゃべればいいかわからない、どうやって笑えばいいかわからない。
今でこそ自分がアスペルガー気質(高機能自閉症)であったことが解りますが、当時はそういう症状の認知度は低く、当然僕も親も知りませんでした。
一人で空想に耽ったり、興味を持ったことには没頭します。たとえば、縄跳びに没頭して、技飛びを全部できるようになったり、縄跳び大会で優勝したり。
だけど他のことには無頓着。授業も全くついていけず、テストでは10点や酷い時は0点。興味のないことには注意力が続きません。
家に帰って、親にばれないようにテスト用紙を散り散りに破って捨てる、そんなことをよくしていました。
行動も独りよがりで、相手の気持ちを考えることも苦手でした。
当然僕は孤立していました。
でも自分では、周りと違う行動をしている意識はありません。
だから、何故回りの人たちが僕をのけ者にするのかわからなくて、口に出せなくても、一人で色々もがき考えてはいたと思います。
そのストレスが、発散場所を探し、強迫性障害という形であらわれだしました。
当時、症状の一つであるチックが頻繁に出たり、突然、鼻を鳴らしたり、異常に左右対称にこだわったり、様々な変な行動をしたりしていました。
周りにはどう映ったでしょうか。クラスメイトから酷い仕打ちを毎日受けていました。
僕は変わりたかった。
でも当時の僕は変わる術を持ちませんでした。
辛い毎日から抜け出したかった僕は追い詰められ、ある一つの方法を閃きました。というか、追い詰められて、その答えを導き出さざるを得なかったのだと思います(当時は)。
それが自分は人間ではない、単なる物だ、もしくは単なるゴミだ、というものでした。
周りと同じ人間だから、周りの人たちのように振舞いたいとか、同じような対応をされたいと願うわけです。
人間ではなく、単なる物であることを自分が受け入れれば、どんな扱いを受けても、それは物なのだから、ゴミなのだから当然なのです。
当然なのだから、どんな扱いを受けても、悔しくも苦しくもありません。ああ、僕はこういう風に扱われるための物なんだな、と納得
できるわけです。
この時点で、僕は一旦人間として持っていたプライドを全て捨てました。人としての(存在)価値を一旦放棄してしまったのです。
感情の起伏もほぼ無くなりました。
どんな酷いことをされても穏やかな心(物に心って変ですが)で、平和でした。
さて、このとき、僕は離人症(http://dissociation.xrea.jp/disorder/dissociation/disorder_dissociation_rijin.html)に陥っていたのだと思います。
つまり具体的にいうなら、物になったのはひとりの僕です。
じつはこのときもう一人の僕が存在していました。
それは、人間である僕の未練、人間を捨て切れなかった僕の心です。
先ほど、物なのに穏やかと感じる心を持つのは変だと書きましたが、その穏やかさを感じていたのは、もう一人の、人間を捨てきれない僕の方の心が感じていたのだと思います。
物としての肉体と、人間としての心が分離してしまったのです。