読書 『国家』(下)
2004年10月28日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003360184 文庫 藤沢 令夫 岩波書店 1979/01 ¥903
その哲学と政治の融合、哲人政治をこの「国家」によって明らかにしたのである。
ソクラテスの口を通じて語られた理想国における哲人統治の主張にひきつづき対話は更に展開する。では、その任に当る哲学者は何を学ぶべきか。この問いに対して善のイデアとそこに至る哲学的認識の在り方があの名高い「太陽」「線分」「洞窟」の比喩によって説かれ、終極のところ正義こそが人間を幸福にするのだと結論される。若いころに政治に熱心だったプラトンは、ソクラテスの裁判以後哲学に傾倒していくが、それでも政治に対して完全に決別できず、どこかで、ソクラテス的哲学と、政治の融合できる方法を探していた。しかしこの両極の二つが融合するには、そこに揺るぎない理論的支柱がなければならない、その確信が得られたのは、プラトンがアカデメイアを創設してから10年もの歳月を要した。
その哲学と政治の融合、哲人政治をこの「国家」によって明らかにしたのである。
読書 『国家〈上〉』
2004年9月21日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003360176 文庫 藤沢 令夫 岩波書店 1979/01 ¥840
第五巻(五章?)あたりに述べられていることは、おそらくルソーの思想に多大な影響を与えているんだろうなあ。読みながら、社会契約論に通じる個所をかなりみつけた。さて、下巻だ。うひい。
ソクラテスは国家の名において処刑された。それを契機としてプラトン(前427‐前347)は、師が説きつづけた正義の徳の実現には人間の魂の在り方だけではなく国家そのものを原理的に問わねばならぬと考えるに至る。この課題の追求の末に提示されるのが、本書の中心テーゼをなす哲人統治の思想に他ならなかった。プラトン対話篇中の最高峰。ふひい、ようやく上巻読み終えた。
第五巻(五章?)あたりに述べられていることは、おそらくルソーの思想に多大な影響を与えているんだろうなあ。読みながら、社会契約論に通じる個所をかなりみつけた。さて、下巻だ。うひい。
ISBN:4003360168 文庫 藤沢 令夫 岩波書店 1994/10 ¥525
でも、解説を読んで、この本の裏に含意されているプラトンの意図に気づかされ、驚いた。それが正しい解釈であるかどうかは別として、この本で、プラトンがといている「徳は教えられ得るものではなく、神から授けられるものである」という仮説は、徳をもしも教えられる人がいるならば、その人こそが本当の知者であり、よって徳は教えれ得るということを逆説的に説いているということなのだ。そしてその人物こそソクラテスなのだと。
「徳は教えられうるか」というメノンの問いは、ソクラテスによって、その前に把握されるべき「徳とはそもそも何であるか」という問いに置きかえられ、「徳」の定義への試みがはじまる。「哲人政治家の教育」という、主著『国家』の中心テーゼであり、プラトンが生涯をかけて追求した実践的課題につながる重要な短篇。徳への定義を明確に示さない限り、徳は教えられ得るか?という問いに正確に答えることはできないといっときながら、この本では、徳がそもそもなんであるかについて明らかにされない。おそらく「国家」で明らかにされるのかなあ?
でも、解説を読んで、この本の裏に含意されているプラトンの意図に気づかされ、驚いた。それが正しい解釈であるかどうかは別として、この本で、プラトンがといている「徳は教えられ得るものではなく、神から授けられるものである」という仮説は、徳をもしも教えられる人がいるならば、その人こそが本当の知者であり、よって徳は教えれ得るということを逆説的に説いているということなのだ。そしてその人物こそソクラテスなのだと。
読書 『パイドロス』
2004年7月10日 読書〔小説・詩〕
ISBN:400336015X 文庫 藤沢 令夫 岩波書店 1967/01 ¥588
上に記した説はその後ソクラテスによって覆されることになるのだが、その覆すために用いたミュートス(物語)が、神という世界を前提に置き、その存在の根拠が語られえないことから、ご都合的な説にしか思えない。そして、そういったソクラテス(の名を借りたプラトン)の創出したミュートスがいかに優れたものだとて、そこから、恋がもっとも崇高なものであるという結論を導き出すのは納得できない。確かに、狂乱が総て忌避すべきものだとは僕も考えないが。
しかしながら、全体的には大変良い読み物だった。
ソクラテスが、なぜ自分の書き物を何も残していないのかということが良くわかった。
真実そのものの把握なしには真実らしく語ることさえ本来的に不可能であることを立証し、「哲学」の立場から鋭く当時の弁論術を批判したのがこの対話篇である。本書はプラトン(前427‐347)の代表作の一つであって、特に『ソクラテスの弁明』をはじめとする前期著作群を『テアイテトス』以降の著作に結びつけてゆく重要な役割を担っている。我々を支配しみちびく二つの種類の力があり、一つは、生まれながらに備わっている快楽への欲望、もう一つは、最善のものを目指す後天的な分別の心で、分別の心が我々を理性の声によって最善のもののほうへとみちびいて、勝利を得るときには、この勝利に「節制」という名があたえられ、これに対して、欲望が我々を盲目的に快楽のほうへとひきよせて、我々の中において支配権をにぎるときは、この支配に「放縦」という名が与えられる。
上に記した説はその後ソクラテスによって覆されることになるのだが、その覆すために用いたミュートス(物語)が、神という世界を前提に置き、その存在の根拠が語られえないことから、ご都合的な説にしか思えない。そして、そういったソクラテス(の名を借りたプラトン)の創出したミュートスがいかに優れたものだとて、そこから、恋がもっとも崇高なものであるという結論を導き出すのは納得できない。確かに、狂乱が総て忌避すべきものだとは僕も考えないが。
しかしながら、全体的には大変良い読み物だった。
ソクラテスが、なぜ自分の書き物を何も残していないのかということが良くわかった。
読書 『テアイテトス』
2004年7月2日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003360141 文庫 田中 美知太郎 岩波書店 1966/09 ¥735
結局結論はというと、人間は知識というものを判別することは出来ず、ただ出来るのは、知らないことを知っていると思い込むことがないことを知っていれば、人に対して、迷惑をかけることがなく、より人と円滑にコミュニケーションがとれるということなのだろうか?本当にそうかしら???
よいものは善であり、真理は善であるとするなら、そういうことになるかなあ。
知識とは何か、真にものを知るとはどういう場合をいうのか。当時行われていた三つの知識説をとりあげて批判しつつ、プラトンは哲学というものが、さまざまな角度と立場からの吟味や思考を要求するゆえんを我々に示している。有名な無理数論やソクラテスの産婆術などのエピソードを交えたこの対話編の面白さは尽きるところがない。屁理屈とも取れるようなことを延々とやっている。語られ方は一緒でも、語られる対象が違うことでこれほど難解になるとは。「ゴルギアス」のように明快ではない。
結局結論はというと、人間は知識というものを判別することは出来ず、ただ出来るのは、知らないことを知っていると思い込むことがないことを知っていれば、人に対して、迷惑をかけることがなく、より人と円滑にコミュニケーションがとれるということなのだろうか?本当にそうかしら???
よいものは善であり、真理は善であるとするなら、そういうことになるかなあ。
読書 『ゴルギアス』
2004年6月18日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003360125 文庫 加来 彰俊 岩波書店 1967/01 ¥693
ソクラテスと3人の人物との対話は、弁論術が立身栄達の術とされている現実や若い人の実利主義的道徳意識などを次々と明るみに出す。プラトン(前427‐347)は本篇によって、個人の道徳と同時に政治の問題を追求し、アテナイの現実の政治に痛烈な批判を投げかけた。後に『国家』において発展させられた哲人政治の思想の第一歩である。人は何よりもまず、善い人と思われるのではなく、実際に善い人であるように心がけなければならない。善い人とは正しくなければならない。正しくあるためには、そのものの真理を心得ていなければならない。真理を知らずして相手に真理を知っているように思わせる説得を上達させる弁論術は「迎合」でしかない。迎合である限りは、正しくなく、それは善ではない。自分の信念に反したことをして、栄華を極めたような人物は、信念を貫き、極貧のうちに生きたものよりも哀れである。しかし、飽食の徒が自らの体を蝕んでいることに気づかないがごとく、その栄華を極めたものも、自らの魂を不健康な状態にしていることに気づいていないのだ。ソクラテスは、このように物事の真理を考察していくことで、なぜ、不正を行うものになるよりは、不正を受けるものになるほうを自分が選ぶかを、そしてそれこそが正しいことであることを明快に解き明かしていく。民衆の前で演説をする場合、迎合に陥ることは必然である。ならば現在の政治家は皆、真の政治家ではない。迎合に陥らぬためには、一人一人と語り合い真理へ導いていくという耐えまざる努力をするしかなく、それをなしえるものこそが真の政治家であり、国を治めるべきだと。プラトンの哲人思想がどういう考えから出てきたのかを知っておくのに役に立つ。ただし、この理屈が真理となるためには、肉体と精神が等価である、もしくは精神のほうに重きをおく価値観を前提としなければならないが。
読書 『グレート・ギャツビー』
2004年6月15日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4102063013 文庫 野崎 孝 新潮社 1989/05 ¥460
フィッツジェラルドの放蕩生活は日本で分類すれば無頼派になるのかしらん。そんな彼自身の投影としてのギャツビーと、もう一人の自分、冷静にそんな自分を見詰める存在としてのニック。軽蔑しつつも信頼の情を寄せてしまうニックの思いは、フィッツジェラルド自身の思い。てか、彼は自分のそういった二面性に気づいてるからこそ、この小説が作られたわけだし。これは、彼の内面を描いた小説なのだと思いまふ。。。
豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取りもどそうとする異常な執念が育まれていた・・・・。第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影がただよう憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。ギャツビーつけて〜カッコつけて〜♪って宣伝が前にあったなあ。
フィッツジェラルドの放蕩生活は日本で分類すれば無頼派になるのかしらん。そんな彼自身の投影としてのギャツビーと、もう一人の自分、冷静にそんな自分を見詰める存在としてのニック。軽蔑しつつも信頼の情を寄せてしまうニックの思いは、フィッツジェラルド自身の思い。てか、彼は自分のそういった二面性に気づいてるからこそ、この小説が作られたわけだし。これは、彼の内面を描いた小説なのだと思いまふ。。。
読書 『新編 風の又三郎』
2004年5月4日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4101092044 文庫 宮沢 賢治 新潮社 1989/02 ¥460
今日もどこかでクラムボンはかぷかぷ笑い、梟はお経をぶつぶつ唱え、又三郎はどっどどどどうと歌っているのかしらん?
なんて考えてみると素敵ですねえヾ(*’-’*)
個人的には「やまなし」「貝の火」「雁の童子」あたりが好き^^
「やっぱりあいづ又三郎だぞ」谷川の岸の小学校に風のように現われ去っていった転校生に対する、子供たちの親しみと恐れのいりまじった気持を生き生きと描く表題作や、「やまなし」「二十六夜」「祭の晩」「グスコーブドリの伝記」など16編を収録。多くの人々を魅了しつづける賢治童話の世界から、自然の息づきの中で生きる小動物や子供たちの微妙な心の動きを活写する作品を中心に紹介。風の又三郎と北風小僧の寒太郎ってなんとなくニュアンスが似てるよなあなんて思うのは僕だけかね。
今日もどこかでクラムボンはかぷかぷ笑い、梟はお経をぶつぶつ唱え、又三郎はどっどどどどうと歌っているのかしらん?
なんて考えてみると素敵ですねえヾ(*’-’*)
個人的には「やまなし」「貝の火」「雁の童子」あたりが好き^^
読書 『レ・ミゼラブル〈4〉』
2004年4月26日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003253140 文庫 豊島 与志雄 岩波書店 1964/01 ¥840
まずは、今まで通り、共感したのもしなかったのも含めて、僕が何かしらの感慨を受けた言葉たちをあげておく。感想はその後に。
「一個の人間は一団の民衆よりもさらに大なる深さを有している」
「人の魂は、あらゆる幻を汲みつくした後でなければ、容易に絶望に屈しないものである」
「内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足を踏みしめ得る者は、世にあまりない。苦悶の限度を超える時には、もっとも確固たる徳操も乱されるものである」
「人の落ち着きも立像のような冷酷さに達する時には、恐怖すべきありさまを呈する」
「公徳のための殺害の場合でも、もしありとすれば救済のための殺害の場合でも、ひとりの者を仆したという悔恨の念は、人類に奉仕したという喜びの情より深いものだ」
「私的な動機からして一般的責務を犠牲にし、しかもその私的な動機のうちにも、同じく一般的なまたおそらく更に優れた何かを感ずること、自分一個の本心に忠実なるため社会に裏切ること」
「人の宿命には不可能の上の垂直にそびえてる絶壁があるもので、それから向こうは人生はもはや深淵にすぎなくなる」
「私がほとんど迫害するまでに追求したあの囚徒は、あの絶望の男は、私を足の下に踏まえ、復讐することができ、しかも怨恨のためと身の安全のために復讐するのが至当でありながら、私の生命を助け、私を赦したが、それはいったいなぜであったか。私的な義務というか。否。義務以上の何かである。・・・・それでは果たして、義務以上の何かがあるのであろうか?」
「物質の服従には、摩損するがために一定の限度がある。しかるに、精神の服従には限度がないのであろうか。永久の運動が不可能であるとするのに、それでも永久の献身が求め得らるるのであろうか」
「彼女のためである間は嘘もつきました。しかし今は私のためである以上、嘘をついてはいけないのです」
「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」
「幸福であるのは恐るべきことである。いかに人はそれに満足し、いかにそれを持って足れりとしていることか!人生の誤れる目的たる幸福を所有して、真の目的たる義務を、いかに人は忘れていることか!」
「死ぬのは何でもないことだ。生きられないのは恐ろしいことだ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【感想】
涙が止まらなかった。一つの小説でこれほど心揺さぶられたのはいつ以来だろう。
6ヵ月間。約半年をかけて、少しづつ読み進めたこの作品は、じわじわと僕の体を侵食し、やがて血肉となった。感想などは、今までにあげた小説中の言葉がすべて物語ってくれている。歴史上、稀なる至宝という言葉を冠したとて、異論を唱える者がいるだろうが?
人間の一生を変えるかもしれない可能性を有する作品が世にあるとすれば、筆頭に上げられるべき作品である。
この小説を読んで、果たして、自己の人生観において何らの影響を与えられぬ者がいるだろうか。僕はそんな人間はそう多くいるものではないと確信している。
ジャン・ヴァルジャンの生き様から、我々は否応無しに、己のありよう、この世の価値への問いをつきつけられ、自己の良心は猛烈に揺さぶられる事となろう。
そして僕は、僕を捕らえて話さぬ一つの言葉に出会った。それは今なお僕を苦しめている善悪、モラルに対する固執に、明快な解答を示してくれた。すでにあげたが、今一度、ここに記す。
「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」
それにより苦しむとしても、やはり僕はこれを覆す言葉に出会わない限り、いつまでも、固執し続けるのだろう。それが善いことなのか悪いことなのかはわからないが。。。
生涯一度は読んでおくべき名著である。おそらく多くの読者は読後、人生に対する姿勢を変ずることになるだろう。
1832年6月5日、パリの共和主義者は蜂起した。激しい市街戦が展開する。バリケードにたてこもった人々の中にはマリユスとジャン・ヴァルジャン、そして今やスパイとして捕われたジャヴェルの姿があった。物語はいよいよ大詰にむかって進展する。ようやく読み終わった。
まずは、今まで通り、共感したのもしなかったのも含めて、僕が何かしらの感慨を受けた言葉たちをあげておく。感想はその後に。
「一個の人間は一団の民衆よりもさらに大なる深さを有している」
「人の魂は、あらゆる幻を汲みつくした後でなければ、容易に絶望に屈しないものである」
「内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足を踏みしめ得る者は、世にあまりない。苦悶の限度を超える時には、もっとも確固たる徳操も乱されるものである」
「人の落ち着きも立像のような冷酷さに達する時には、恐怖すべきありさまを呈する」
「公徳のための殺害の場合でも、もしありとすれば救済のための殺害の場合でも、ひとりの者を仆したという悔恨の念は、人類に奉仕したという喜びの情より深いものだ」
「私的な動機からして一般的責務を犠牲にし、しかもその私的な動機のうちにも、同じく一般的なまたおそらく更に優れた何かを感ずること、自分一個の本心に忠実なるため社会に裏切ること」
「人の宿命には不可能の上の垂直にそびえてる絶壁があるもので、それから向こうは人生はもはや深淵にすぎなくなる」
「私がほとんど迫害するまでに追求したあの囚徒は、あの絶望の男は、私を足の下に踏まえ、復讐することができ、しかも怨恨のためと身の安全のために復讐するのが至当でありながら、私の生命を助け、私を赦したが、それはいったいなぜであったか。私的な義務というか。否。義務以上の何かである。・・・・それでは果たして、義務以上の何かがあるのであろうか?」
「物質の服従には、摩損するがために一定の限度がある。しかるに、精神の服従には限度がないのであろうか。永久の運動が不可能であるとするのに、それでも永久の献身が求め得らるるのであろうか」
「彼女のためである間は嘘もつきました。しかし今は私のためである以上、嘘をついてはいけないのです」
「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」
「幸福であるのは恐るべきことである。いかに人はそれに満足し、いかにそれを持って足れりとしていることか!人生の誤れる目的たる幸福を所有して、真の目的たる義務を、いかに人は忘れていることか!」
「死ぬのは何でもないことだ。生きられないのは恐ろしいことだ」
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【感想】
涙が止まらなかった。一つの小説でこれほど心揺さぶられたのはいつ以来だろう。
6ヵ月間。約半年をかけて、少しづつ読み進めたこの作品は、じわじわと僕の体を侵食し、やがて血肉となった。感想などは、今までにあげた小説中の言葉がすべて物語ってくれている。歴史上、稀なる至宝という言葉を冠したとて、異論を唱える者がいるだろうが?
人間の一生を変えるかもしれない可能性を有する作品が世にあるとすれば、筆頭に上げられるべき作品である。
この小説を読んで、果たして、自己の人生観において何らの影響を与えられぬ者がいるだろうか。僕はそんな人間はそう多くいるものではないと確信している。
ジャン・ヴァルジャンの生き様から、我々は否応無しに、己のありよう、この世の価値への問いをつきつけられ、自己の良心は猛烈に揺さぶられる事となろう。
そして僕は、僕を捕らえて話さぬ一つの言葉に出会った。それは今なお僕を苦しめている善悪、モラルに対する固執に、明快な解答を示してくれた。すでにあげたが、今一度、ここに記す。
「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」
それにより苦しむとしても、やはり僕はこれを覆す言葉に出会わない限り、いつまでも、固執し続けるのだろう。それが善いことなのか悪いことなのかはわからないが。。。
生涯一度は読んでおくべき名著である。おそらく多くの読者は読後、人生に対する姿勢を変ずることになるだろう。
読書 『レ・ミゼラブル〈3〉』
2004年2月23日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003253132 文庫 ユーゴー 岩波書店 ¥700
ということで、またまた、僕が共感したか否かに関わらず印象に残った言葉を、抽出。
「不運なる者と汚れたる者という二つが混合し融合して、一つの宿命的な言葉、惨めなる者という一語を成すがような一点が、世にはある。そしてそれも誰の過ちであるか?そしてまた、その堕落が底深ければ深いほどいっそう大なる慈悲を与うべきではないか」
「哀憐の情にも、好奇心があり、またあるべきはずである」
「勇気は罪悪を恐れず、正直は官憲を恐れず」
「正義は即ち正であり真である。正義の特質は、永久に美しく純なことである。事実は、たとい表面上きわめて必然的なものであろうとも、たといその時代の人々から最もよく承認されたものであろうとも、もし単に事実としてのみ存在するならば、もし正義をあまりに少ししか含有しないかあるいはまったく含有しないかするならば、ついには時を経るとともに、必ず畸形となり魔物となりまたおそらくは怪物となる運命を有している」
「正義と事実との争いは、社会の始めより続いている。その闘争を絶滅せしめ、純なる観念と人間の現実とを混合せしめ、穏かに正義を事実のうちに浸透せしめ事実を正義のうちに浸透せしむること、それこそまさしく賢者の仕事である」
「巧妙のみしか存しないところには必然に卑小が存する」
「文明の下層は、ごく深く暗いがゆえに、上層ほどに重要でないといえるだろうか。洞穴を知らない時、人はよく山岳を知ることができるであろうか」
「知ることは一つの糧であり、考えることは第一の要件であり、真理は小麦のごとき栄養物である。理性は学問と知恵と断食する時やせていく。(略)パンがなくて死の苦しみをする身体よりも一層悲痛なものが何かあるとすれば、それはおそらく光明に飢えて死ぬる魂であろう」
「身体の死はなるべく遅からんこと、魂の死は、永久にきたらざんこと」
「獰猛なる者は凄惨なるものを恐れる」
「専制君主らも思想家にとっては何かの役に立つ。鎖につながれたる言葉こそは恐るべき言葉である。君主が民衆に沈黙をしいる時、筆を執る者はその文体を二重にも三重にも変える。かかる沈黙からはある神秘な充実さが生まれてき、やがては思想のうちによどみ凝集して青銅の鐘となる」
「偉大なる心の正直さは、正義と真理とに凝り固まる時、物を撃破する」
以上。
コゼットとジャン・ヴァルジャンは青年マリユスの前から消えた。落胆にしずむマリエス。だがある日、隣部屋にすむ怪しげな一家の様子をそっとうかがう彼の目の前に思いがけずも2人が姿を現わした。そして2人を陥れようと悪事をたくらむこの一家の正体とは…あ、あと一冊。。。
ということで、またまた、僕が共感したか否かに関わらず印象に残った言葉を、抽出。
「不運なる者と汚れたる者という二つが混合し融合して、一つの宿命的な言葉、惨めなる者という一語を成すがような一点が、世にはある。そしてそれも誰の過ちであるか?そしてまた、その堕落が底深ければ深いほどいっそう大なる慈悲を与うべきではないか」
「哀憐の情にも、好奇心があり、またあるべきはずである」
「勇気は罪悪を恐れず、正直は官憲を恐れず」
「正義は即ち正であり真である。正義の特質は、永久に美しく純なことである。事実は、たとい表面上きわめて必然的なものであろうとも、たといその時代の人々から最もよく承認されたものであろうとも、もし単に事実としてのみ存在するならば、もし正義をあまりに少ししか含有しないかあるいはまったく含有しないかするならば、ついには時を経るとともに、必ず畸形となり魔物となりまたおそらくは怪物となる運命を有している」
「正義と事実との争いは、社会の始めより続いている。その闘争を絶滅せしめ、純なる観念と人間の現実とを混合せしめ、穏かに正義を事実のうちに浸透せしめ事実を正義のうちに浸透せしむること、それこそまさしく賢者の仕事である」
「巧妙のみしか存しないところには必然に卑小が存する」
「文明の下層は、ごく深く暗いがゆえに、上層ほどに重要でないといえるだろうか。洞穴を知らない時、人はよく山岳を知ることができるであろうか」
「知ることは一つの糧であり、考えることは第一の要件であり、真理は小麦のごとき栄養物である。理性は学問と知恵と断食する時やせていく。(略)パンがなくて死の苦しみをする身体よりも一層悲痛なものが何かあるとすれば、それはおそらく光明に飢えて死ぬる魂であろう」
「身体の死はなるべく遅からんこと、魂の死は、永久にきたらざんこと」
「獰猛なる者は凄惨なるものを恐れる」
「専制君主らも思想家にとっては何かの役に立つ。鎖につながれたる言葉こそは恐るべき言葉である。君主が民衆に沈黙をしいる時、筆を執る者はその文体を二重にも三重にも変える。かかる沈黙からはある神秘な充実さが生まれてき、やがては思想のうちによどみ凝集して青銅の鐘となる」
「偉大なる心の正直さは、正義と真理とに凝り固まる時、物を撃破する」
以上。
ISBN:4003360133 単行本 久保 勉 岩波書店 ¥500
面白かったけど、もっと良く理解するために、イリヤスとか、オデュッセィヤとか読んでから再読しようと思う。自己を永遠たらしめたいと欲する人物は生産に向かう。よって女性を愛する。。。?
原題の「シンポシオン」とは「一緒に飲む」というほどの意味。一堂に会した人々がワインの杯を重ねつつ次々にエロス(愛)讃美の演説を試みる。最後に立ったソクラテスが、エロスは肉体の美から精神の美、さらには美そのものへの渇望すなわちフィロソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。さながら1篇の戯曲を思わせるプラトン対話篇中の白眉。エロスとは。。。
面白かったけど、もっと良く理解するために、イリヤスとか、オデュッセィヤとか読んでから再読しようと思う。自己を永遠たらしめたいと欲する人物は生産に向かう。よって女性を愛する。。。?
読書 『ソクラテスの弁明・クリトン』
2004年2月13日 読書〔小説・詩〕
ISBN:4003360117 文庫 久保 勉 岩波書店 ¥400
自己の所信を力強く表明する法廷のソクラテスを描いた「ソクラテスの弁明」、不正な死刑の宣告を受けた後、国法を守って平静に死を迎えようとするソクラテスと、脱獄を勧める老友クリトンとの対話よりなる「クリトン」。ともにプラトン(前427‐347年)初期の作であるが、芸術的にも完璧に近い筆致をもって師ソクラテスの偉大な姿を我々に伝えている。人間は、大昔から、考えていることなんて対して変わっていないのね。昔の人間を誉むべきか、今の人間を嘆くべきか。知行合一をなし得るものは、皆ソクラテスになり得るのじゃ。よって真の哲人たらんとすれば毒杯を飲むことになっても恥辱は蒙るなかれ。ああっ、善悪道徳強迫の鏡たるソクラテスよ。こんなん読むと、また僕はモラルは強化され、自分を締め付けることになるんだよ。だがしかし、やめられん。カウンセラーよ、ソクラテスを論破することができるかえ?できなければ、僕を治すことは難しいぞよ。
幕間・読書 『レ・ミゼラブル(2)』
2004年1月9日 読書〔小説・詩〕小休止。幕間に読書感想をどうぞ。
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読書
●『レ・ミゼラブル(2)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
「内心の分裂は生活の不統一をきたす」
「瞞着者で落ち着いた男であって、まあ穏やかな方の悪党であった。けれどもそれは最も性質のよくないやつである、なぜなら偽善が交じってくるからである」
「善き考えも悪き考えと同じく、その深い淵を持っているものである」
「およそいかなる善人といえども、まったく私心を有しない者はいない」
「刺ある棒をつかむ者はまず手袋をはめる」
「もはや存在しない事物をも研究しようではないか。それを知ることは必要である、それを避けんがためにでも。過去の偽者は偽名を取って好んで未来と自称する。この幽霊は、過去は、しばしばその通行権を偽造する。われわれはその詭計を見破ろうではないか。疑念をはさもうではないか。過去は迷信という顔を持ち、虚偽という仮面をかぶる。その顔を摘発し、その仮面を引きはごうではないか」
「未知なるものは1つの大洋である。人の本心とはなにか?それは未知なるものに対する羅針盤である。思想、夢想、祈祷、そこにこそ大なる神秘的光輝がある。(略)人の魂のおごそかなるそれらの発光はどこへ向かって進むか。それは影へ向かってである。換言すれば光明へ向かってである」
「倫理は多くの真理の開花である。静観することはやがて行動することになる。絶対的なるものは実際的なるものでなければならない。理想なるものは、人の精神にとっては呼吸し飲み食し得るものでなければならない」
「すべての美点は欠点のうちに投げ込まれるものだ。倹約は吝嗇に近く、寛大は浪費に接し、勇気はからいばりに隣する」
「貧困は、うまくゆくと特殊な美点を有して、人の意思をすべての努力の方へ転ぜしめ、人の心をすべて希望の方へ向かわしむる。貧困は直ちに物質的生活を赤裸々にして、それを嫌悪すべきものたらしめ、従って人を精神的生活の方へ飛躍せしむる」
「悶々たる人間の利己心を脱して、瞑思する人間の同情心に達する」
「無形の仕事にでき得る限り多く働かんがために有形の仕事にでき得る限り少なく働くこと。言葉を換えて言えば、現実の生活に幾時間かを与え、残余の時間を無窮のうちに投げ込むこと」
「他人の内心をのぞくことが肉眼に許されるならば、人はその思想するところのものによってよりも、その夢想するところのものによっていっそう確実に判断さるるであろう。思想のうちには意思がある。しかし夢想のうちにはそれがない」
「こしらえ上げ推理し組み合わした理想の中よりも、それら憧憬の中にこそ、各人の真の性格は見いだされる。幻想こそ最もよくその人に似る。各人はその性格に従って不可知のものと不可能のものとを夢想する」
以上。
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読書
●『レ・ミゼラブル(2)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
軍艦から海中に身を投じて巧みに官憲の目をくらましたジャン・ヴァルジャンは、コゼットの前に姿を現わし、彼女を悪辣なテナルディエ夫婦のもとから救い出す。2人はパリの一画に身をひそめるが、執拗なジャヴェル警視の追及の手はついにここにものびてきた。ふう、後半分だよ。。。長かったなあ。ということで、今回も心に残った言葉を、僕が共感したかしなかったかは別として載せておく。
「内心の分裂は生活の不統一をきたす」
「瞞着者で落ち着いた男であって、まあ穏やかな方の悪党であった。けれどもそれは最も性質のよくないやつである、なぜなら偽善が交じってくるからである」
「善き考えも悪き考えと同じく、その深い淵を持っているものである」
「およそいかなる善人といえども、まったく私心を有しない者はいない」
「刺ある棒をつかむ者はまず手袋をはめる」
「もはや存在しない事物をも研究しようではないか。それを知ることは必要である、それを避けんがためにでも。過去の偽者は偽名を取って好んで未来と自称する。この幽霊は、過去は、しばしばその通行権を偽造する。われわれはその詭計を見破ろうではないか。疑念をはさもうではないか。過去は迷信という顔を持ち、虚偽という仮面をかぶる。その顔を摘発し、その仮面を引きはごうではないか」
「未知なるものは1つの大洋である。人の本心とはなにか?それは未知なるものに対する羅針盤である。思想、夢想、祈祷、そこにこそ大なる神秘的光輝がある。(略)人の魂のおごそかなるそれらの発光はどこへ向かって進むか。それは影へ向かってである。換言すれば光明へ向かってである」
「倫理は多くの真理の開花である。静観することはやがて行動することになる。絶対的なるものは実際的なるものでなければならない。理想なるものは、人の精神にとっては呼吸し飲み食し得るものでなければならない」
「すべての美点は欠点のうちに投げ込まれるものだ。倹約は吝嗇に近く、寛大は浪費に接し、勇気はからいばりに隣する」
「貧困は、うまくゆくと特殊な美点を有して、人の意思をすべての努力の方へ転ぜしめ、人の心をすべて希望の方へ向かわしむる。貧困は直ちに物質的生活を赤裸々にして、それを嫌悪すべきものたらしめ、従って人を精神的生活の方へ飛躍せしむる」
「悶々たる人間の利己心を脱して、瞑思する人間の同情心に達する」
「無形の仕事にでき得る限り多く働かんがために有形の仕事にでき得る限り少なく働くこと。言葉を換えて言えば、現実の生活に幾時間かを与え、残余の時間を無窮のうちに投げ込むこと」
「他人の内心をのぞくことが肉眼に許されるならば、人はその思想するところのものによってよりも、その夢想するところのものによっていっそう確実に判断さるるであろう。思想のうちには意思がある。しかし夢想のうちにはそれがない」
「こしらえ上げ推理し組み合わした理想の中よりも、それら憧憬の中にこそ、各人の真の性格は見いだされる。幻想こそ最もよくその人に似る。各人はその性格に従って不可知のものと不可能のものとを夢想する」
以上。
昨日の午後9時。猛烈な眠気に襲われて、気づけば今日の午前6時。ちうことで、今更昨日の日記を書かんければ。
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読書
●『レ・ミゼラブル(1)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
「過ちが経てきた道を見てみよう」
「人は同時におのれの重荷たりおのれの誘惑たる肉体を身に有す。人はそれを担い歩きしかしてそれに身を委ぬるなり」
「人はこの肉体を監視し制御し抑制して、いかんともなす能わざるに至りて始めてそれに屈服すべきなり。かくのごとき屈服においても、なお過ちのあることあれど、かくてなされたる過ちは許さるべきものなり。そは一の堕落なり、しかれども膝を屈するの堕落にして、祈祷に終わり得べきものなればなり」
「聖者たるは異例なり、正しき人たるは常則なり。道に迷い、務めを欠き、罪を犯すことはあれども、しかも常に正しき人たれ」
「能う限り罪の少なからんことこそ、人の法なれ。まったく罪の無きは天使の夢想なり。地上に在りと在らゆるものは皆罪を伴う。罪は一の引力なり」
「われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある」
「良心とは、われわれが自己のうちに有している天稟の学問の量をさす」
「もしも無限にその自我がないとするならば、この我なる自我がその範囲となるだろう。無限は無限でなくなるだろう。言い換えれば無限は存在しなくなるだろう。しかるに無限は存在する。ゆえにそれは一つの自我を持つ。この無限の自我、それが神である」
「成功の排斥者のみが失敗の正当なる裁断者である」
「岩石におけるごとく人の性格においても、水の点滴によって穴をあけらるることがある」
「たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければならない」
「生涯のある瞬間において、人の精神を戒めもしくは悩ますところのあの神秘なるざわめき」
「不幸は人の知力を育てる」
「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです」
「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である」
「魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって現実でないという理由にはならない」
「運命と人間との誤謬をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣なる偽善の最後の段階ではないか。それは卑しい卑怯な陰険な唾棄すべきまた嫌悪すべき罪悪ではないか!」
「外に徳を持って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない」
「思索の糸が脳裏にたち切れるのは特に、人生の痛ましい現実に思索を加える必要を最も多く感ずる時においてである」
以上でござい。。。
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読書
●『レ・ミゼラブル(1)』(ヴィクトル・ユーゴー著)読了。
貧しさにたえかねて一片のパンを盗み、19年を牢獄ですごさねばならなかったジャン・ヴァルジャン。出獄した彼は、ミリエル司教の館から銀の食器を盗み出すが、神のように慈悲ぶかい司教の温情は翻然として彼を目ざめさせる。原書挿絵2百枚を収載。まだ3冊もあるよ。ぱぷう。。。感想は全部読んでからね。いつになることやら。今回は、なんとなく気になった言葉たちをば。それが過度に宗教的臭くても、理想主義的に過ぎても、幼稚に感じても、僕は好きなんだもん。ちなみに、個々の文章に何の脈絡もないからね。共感したのも共感しなかったのも含めて、ただ僕の心に何らかの印象を残したってだけだから。
「過ちが経てきた道を見てみよう」
「人は同時におのれの重荷たりおのれの誘惑たる肉体を身に有す。人はそれを担い歩きしかしてそれに身を委ぬるなり」
「人はこの肉体を監視し制御し抑制して、いかんともなす能わざるに至りて始めてそれに屈服すべきなり。かくのごとき屈服においても、なお過ちのあることあれど、かくてなされたる過ちは許さるべきものなり。そは一の堕落なり、しかれども膝を屈するの堕落にして、祈祷に終わり得べきものなればなり」
「聖者たるは異例なり、正しき人たるは常則なり。道に迷い、務めを欠き、罪を犯すことはあれども、しかも常に正しき人たれ」
「能う限り罪の少なからんことこそ、人の法なれ。まったく罪の無きは天使の夢想なり。地上に在りと在らゆるものは皆罪を伴う。罪は一の引力なり」
「われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある」
「良心とは、われわれが自己のうちに有している天稟の学問の量をさす」
「もしも無限にその自我がないとするならば、この我なる自我がその範囲となるだろう。無限は無限でなくなるだろう。言い換えれば無限は存在しなくなるだろう。しかるに無限は存在する。ゆえにそれは一つの自我を持つ。この無限の自我、それが神である」
「成功の排斥者のみが失敗の正当なる裁断者である」
「岩石におけるごとく人の性格においても、水の点滴によって穴をあけらるることがある」
「たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければならない」
「生涯のある瞬間において、人の精神を戒めもしくは悩ますところのあの神秘なるざわめき」
「不幸は人の知力を育てる」
「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです」
「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である」
「魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって現実でないという理由にはならない」
「運命と人間との誤謬をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣なる偽善の最後の段階ではないか。それは卑しい卑怯な陰険な唾棄すべきまた嫌悪すべき罪悪ではないか!」
「外に徳を持って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない」
「思索の糸が脳裏にたち切れるのは特に、人生の痛ましい現実に思索を加える必要を最も多く感ずる時においてである」
以上でござい。。。
新潮か岩波か、それが問題だ・・・
2003年8月8日 読書〔小説・詩〕うおっほー!うへっほー!はりはりふへっほっほー!
やってきました台風!タイフーン!たいふへっほっほー!けけけけけけけ、うっひっひってうれしくなった私は暴風のなかわざわざマンションを飛び出し風圧という自然の神秘を体の全体で受け止めながら夏なのに北風小僧の寒太郎ごっこをここぞとばかりに楽しんだのです。なんて僕はそんな事しないよ。
ほんとは家でおとなしく読書をしていたのさ。あひゃひゃ。
それにしても今日みたいな風の強烈な日にゲーテの「ファースト」を読んでいると、これはひょっとして風の精ジュルフェか?それともメフィストフェレスでも現れるんやないけ?なんて臨場感が高まりまんがな。現れるなら現われい!おらはファーストみたいに間抜けに魂はわたさんぜよ!こらメフィーよ。
そんな感じで読みふけっておりましたが、いかんせんこのファースト先生のやってることが変態じみていて好感が持てず、悪魔としての使命を全うしようとしてるメフィーのほうがやってることの筋がとおってんやないん?とかなんとか思ったまま
「ファースト」(第一部)読了。
ぐげげ、このファーストせんせが第1部でやったことっていや、好いたおなごは16かそこいらの御年ごろでございやして、ご自分はご老体だはんで若返りの薬飲んでまずやったことってのがその娘ん部屋に忍び込んで匂いをかぐ。ってなにしてんのん先生!?驚き桃の木山椒の木。しかも置き土産においてったアクセサリーを発見したむすめっこは怪しみもせずこれをおいてったお方は良い人に違いないってあーた、心の広い時代だなあ。
天才と狂人は紙一重なんて言いますが、名作と怪作もほんの少しの違いなんやおまへんやろか?とか感じてしまいましたがな。
いや第二部が楽しみじゃね、こりゃこりゃ。
それにしても古典や近代文学の文庫を購入しようとするときに、いつも僕は新潮と岩波どちらにするかで悩んでしまうの。このファーストもしかり。
新潮、岩波どちらにも一長一短あって、簡単には決められしまへんねや。ねえ?
たとえば伝統や格式なんてものを重視するなら岩波かしらん?でもでも(最近はそうでもないが)、岩波って文字が古めかしいんだよね。最近読書はじめた僕チンにはちいと敷居が敷居がってでも岩波買って本棚並べてるとなんか見栄えがしてええやん♪なんて俗物根性丸出しで陳腐な僕。
しからば新潮はってーと、いーねいーね、読みやすい。装丁もイカしてるのが多いしね。ああだけど、岩波と比してみるといかんせん品薄ってか、ひとりの作家はできるだけ一つの出版社でで統一したい僕としてはここが悩みの種なんだよね。どうすんべどうすんべ、たとえばニーチェ。これは岩波で集めるって決めてたのに見てみたら「ツァラトゥストラはこういった」なんてそりゃないでしょ。一方新潮は「ツァラトゥストラはかく語りき」。やっぱり古典の題名はこうでなきゃ。
たとえこだわり過ぎといわれようが、これからも重大な問題として僕を苛み続けるのであるだろうなあ。
やってきました台風!タイフーン!たいふへっほっほー!けけけけけけけ、うっひっひってうれしくなった私は暴風のなかわざわざマンションを飛び出し風圧という自然の神秘を体の全体で受け止めながら夏なのに北風小僧の寒太郎ごっこをここぞとばかりに楽しんだのです。なんて僕はそんな事しないよ。
ほんとは家でおとなしく読書をしていたのさ。あひゃひゃ。
それにしても今日みたいな風の強烈な日にゲーテの「ファースト」を読んでいると、これはひょっとして風の精ジュルフェか?それともメフィストフェレスでも現れるんやないけ?なんて臨場感が高まりまんがな。現れるなら現われい!おらはファーストみたいに間抜けに魂はわたさんぜよ!こらメフィーよ。
そんな感じで読みふけっておりましたが、いかんせんこのファースト先生のやってることが変態じみていて好感が持てず、悪魔としての使命を全うしようとしてるメフィーのほうがやってることの筋がとおってんやないん?とかなんとか思ったまま
「ファースト」(第一部)読了。
ぐげげ、このファーストせんせが第1部でやったことっていや、好いたおなごは16かそこいらの御年ごろでございやして、ご自分はご老体だはんで若返りの薬飲んでまずやったことってのがその娘ん部屋に忍び込んで匂いをかぐ。ってなにしてんのん先生!?驚き桃の木山椒の木。しかも置き土産においてったアクセサリーを発見したむすめっこは怪しみもせずこれをおいてったお方は良い人に違いないってあーた、心の広い時代だなあ。
天才と狂人は紙一重なんて言いますが、名作と怪作もほんの少しの違いなんやおまへんやろか?とか感じてしまいましたがな。
いや第二部が楽しみじゃね、こりゃこりゃ。
それにしても古典や近代文学の文庫を購入しようとするときに、いつも僕は新潮と岩波どちらにするかで悩んでしまうの。このファーストもしかり。
新潮、岩波どちらにも一長一短あって、簡単には決められしまへんねや。ねえ?
たとえば伝統や格式なんてものを重視するなら岩波かしらん?でもでも(最近はそうでもないが)、岩波って文字が古めかしいんだよね。最近読書はじめた僕チンにはちいと敷居が敷居がってでも岩波買って本棚並べてるとなんか見栄えがしてええやん♪なんて俗物根性丸出しで陳腐な僕。
しからば新潮はってーと、いーねいーね、読みやすい。装丁もイカしてるのが多いしね。ああだけど、岩波と比してみるといかんせん品薄ってか、ひとりの作家はできるだけ一つの出版社でで統一したい僕としてはここが悩みの種なんだよね。どうすんべどうすんべ、たとえばニーチェ。これは岩波で集めるって決めてたのに見てみたら「ツァラトゥストラはこういった」なんてそりゃないでしょ。一方新潮は「ツァラトゥストラはかく語りき」。やっぱり古典の題名はこうでなきゃ。
たとえこだわり過ぎといわれようが、これからも重大な問題として僕を苛み続けるのであるだろうなあ。