◉芥川賞作家の西村賢太の小説「小銭をかぞえる」を読んだ。
ほぼノンフィクションのまぁ、私小説の分類に属するんだろうけど、作者、というか、登場人物が見事なまでに最低で、最低でありながら客観的視点があるから面白い。
主人公はよく切れるが、切れる理由が無茶苦茶で切れられた相手が気の毒になる、作者自身も無茶苦茶なのはわかっているけど無駄に高いプライドで感情の抑制ができない、でもやってることは、プライドなんて微塵もないようなことしてる。
つまり、どんな行動を撮ろうとも、自分をどんなに卑下していようとも根底のところで自分の存在を肯定し自信を持っている。だから、蔑まれる道理があることをやっていても実際に蔑まれると、存在が貶められたプライドに逆上することができる。
これはまぁ、読んでると呆れてしまうんだけど、呆れつつもその実うらやましい。
それだけ自分の存在を肯定できているということだもの。

僕はずっと真面目に生きてきたと思う。それも中途半端な真面目。まっとうに真面目ならこんなに逡巡することもなかったろうにと思うけど、僕の中には抑えがたい自分への破壊衝動がある。
自分を今まで支えてきた中途半端な真面目という概念を破壊したいという衝動。
でも、ヘタレだから、中途半端に真面目な性分が敷かれたレールの人生への未練に引かれて、今の今まで退廃への憧憬をいたしつつ飛び込む勇気もなく中途半端な真面目なまま苦悩と悔恨を抱えながら過ごしている。

西村賢太の小説を読むと、そういった退廃的な人生に対する勇気がもらえるようで元気が出る。と同時に、こりゃ、僕には無理だとも思う。
退廃を気取るには、一線の営業マンとしてバリバリ仕事ができる以上の精神力が必要だもの。
金策に走り回り、ずっと会ってもいない知人を金の無心のために県外まで訪ね、散々罵倒されて蔑まれて、逆上して関係を切らす、そんな苦労をしょい込める精神力があれば、なんだってできるじゃん、って思う。


◉ハローワークで申請した会社から一週間音沙汰なし。
来週面接の電話がなけりゃ、こっちからお断りだ。

ISBN:4101050155 文庫 三島 由紀夫 新潮社 1968/07 ¥380
船乗り竜二の逞しい肉体と精神に憧れていた登は、母と竜二の抱擁を垣間見て愕然とする。矮小な世間とは無縁であった海の男が結婚を考え、陸の生活に馴染んでいくとは・・・・・・。それは登にとって赦しがたい屈辱であり、敵意にみちた現実の挑戦であった。登は仲間とともに「自分たちの未来の姿」を死刑に処することで世界に反撃する―。少年の透徹した観念の眼がえぐる傑作。
少年達は、気づくべきだったのだ、一人の人間の堕落を阻止したところで、世界中で堕落は起こっている、自分たちの行為は、目の前の堕落を回避するだけの仮初めに過ぎないことを。
やがて彼らは、自分たち自身が、世界の堕落、堕落した大人へとそまっていってしまう抗いがたい現実を直視することになるだろう。そのときに、自分自身に同じ儀式をすることができる者しか、栄光を留めることはできない。
しかして三島は自身に決行してしまったのだ。自分自身の堕落を阻止すれば、その後の世界の堕落を見ることも染まることもない。
少年達は、他者に栄光のあこがれを見、三島は、自分自身に栄光を見た。少年達の願いを突き詰めたなら、そうならざるを得なかった訳である。
だから、この小説は、三島の生き方をなぞったような作品に僕には映った訳なのです。
ISBN:410112115X 文庫 安部 公房 新潮社 1981/02 ¥500
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じこめられる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに人間存在の象徴的姿を追求した書き下ろし長編。20数カ国語翻訳された名作。
最初にこの作品を知ったのは、映画を見てから。今でもその映画は僕の中で十指に入ります。
安部公房の作品をこれで3作品読んだけど、他の2作品(壁、箱男)に比べて、本作が一番現実的です。
現在ならあり得なくとも、設定された時代になら、もしかしたら?と思わせる物語だと思います。
現実の中での奇妙な感覚。そこでは部落を守る、もしくは生きる、ということが至上命題なのですが、そうした生物本来の営みも、文明の中で生きる人間、つまり主人公にとっては、もしくは我々にとっては非現実的に映るわけです。
ですから、現実的なのに、シュールな雰囲気を醸しているんでしょう。外の世界を知ることで、今の生活の苦しさに気づく、ということが救いだと思うのは文明人の思い上がりでしょう。文明に済んでいる我々とて、違う文化に飛び出すことに怖じ気付き、生きづらくても今の生活、仕事、価値観に縛られているのですから、むしろその生活以外を知らず、生きづらさを生きづらさと認知するための相対的尺度を持ち合わせない部落の女は、知らないままが、生きる上で何よりの幸福といえるのかもしれません。
男も、相対化できる世界からの長期的な途絶により、感覚は、現在の生活を営み、その中で生の充溢を感得する方向へと向かいます。
現実世界では、法律に定められた失踪期限により、男の死亡が確定します。紙切れ一枚で抹消される人間の存在とはいったい何なのでしょうか。そして、死んだはずの男は、まだ厳然とこの世界で存在しているのです。そういう意味では、現在我々が住んでいるこの社会とて、この物語に出る部落におとらぬほど不気味な世界だと言えはしないでしょうか。
ISBN:4101121168 文庫 安部 公房 新潮社 ¥460
ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が何を求め、そして得たものは?偽箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく、実験的精神あふれる書き下ろし長編。
見られる恐怖と見ることへの好奇心、見られることなく世界を傍観すること。
何となく、現在のネット社会を彷彿とさせますね。
覗いている人間の眼の不気味さは、顔面神経痙攣を抱えた僕にはよくわかります。見られることによって引き起こされる不安。
相手が誰かわかっていても恐ろしいのですから、匿名性の眼差しは如何ほどか。
ISBN:4101121028 文庫 安部 公房 新潮社 ¥460
ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の固まりとうつる。他人と接触に支障を来たしマネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして・・・・・・。独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。
安部公房と聞いて思いつくのは、カフカ、シュールレアリズム、実存。まだ三作しか読んでいないけど、一貫してカフカ的で、シュールで、そして実存を問うていますね。
自己の存在は、なんによって規定されるのか。
名前というものが、公房の作品には重要な鍵となっているようにも思えます。この世界に、しっかり理性を持つよう教育された人間に、名前を持たない人間はいるでしょうか。もしいるなら、その人は自己をどう定義し、どう世界を解釈しているのでしょうか。自己と他者の区別に名前が重要な役割を果たしている。
さて、自己と他者、壁と自由。自己であることはそれ自体が壁になり、しかし壁であることは自由であることと同意である。
所詮我々が意識する世界など、その程度の現実でしかないのです。
S・カルマ氏を読んで、ゴーゴリの「鼻」を思い出し、バベルの塔の狸は、純粋に面白かったです。赤い繭、はどこかで読んだことあるような記憶が。。
ISBN:4150102376 文庫 飯田 規和 早川書房 1977/04 ¥840
菫色の霞におおわれ、たゆたう惑星ソラリスの海。一見なんの変哲もない海だったが、内部では数学的会話が交わされ、みずからの複雑な軌道を修正する能力さえもつ高等生物だった!人類とはあまりに異質な知性。しかもこの海は、人類を嘲弄するように、つぎつぎと姿を変えては、新たな謎を提出してくる・・・・・・思考する〈海〉と人類との奇妙な交渉を描き、宇宙における知性と認識の問題に肉薄する、東欧の巨匠の世界的傑作。
僕は今までにSFを読んだことがなかったんですが、本書はタルコフスキーが映画化していた関係で手に取ってみました。他のSF作品を読んだことがないので、比較することは難しいのですが、文学作品としてみてみても、本作は相当の傑作であると思います。1960年代にこのようなアイデアが生まれてきたことも驚きです。SF作品が陥っている既成概念の盲点を突いています。つまり、SFで描かれる多くの知的生命体は、人間の思い描く理論の範囲内に収まった形(友好的であるとか、敵であるとか)で表現されていますが、レムはその既成概念の殻を破る、そこからこの作品は出発しています。海自体が一つの生命として発展する、こういったアイデアは、他のSFにも類例がないのではないでしょうか。
僕は、これはSFでありながらSFでない、というか、非常に哲学的な小説と感じました。タルコフスキーが映画化しようと思ったのも納得がいきます。
また、飯田氏の訳も大変すばらしく、原作の雰囲気を損ねることなく日本の読者に伝えることに成功していると僕は思います。
それにしても、人間の好奇心というものは、何というか、一番不可思議なものだなあと思いますね。
ISBN:4003260538 文庫 平井 肇 岩波書店 2006/02 ¥483
ある日、鼻が顔から抜け出してひとり歩きを始めた…写実主義的筆致で描かれる奇妙きてれつなナンセンス譚『鼻』。運命と人に辱められる一人の貧しき下級官吏への限りなき憐憫の情に満ちた『外套』。ゴーゴリ(1809‐1852)の名翻訳者として知られる平井肇(1896‐1946)の訳文は、ゴーゴリの魅力を伝えてやまない。
外套の主人公アカーキエウィッチはどことなく自分に重なる部分があるように思います。というより、彼に対するあこがれがあるのかもしれません。
彼は確かに周囲からみれば変わり者に写ったかもしれませんが、彼は大好きな文字を清書することに無情の幸福を見いだしていました。彼が周りから馬鹿にされるいわれはないのです。まじめに仕事をこなし、誰にも迷惑をかけていません。ですが人は彼を馬鹿にします。そういった人間の愚かさは、過去も現在も代わりがありません。人には人のそれぞれの幸福、生き方があります。誰にもそれを嘲笑する権利はないのです。
アカーキエウィッチこそ愛されるべき人間ではないのか、そういう作者の温かいまなざしが感じられる佳作です。
「鼻」も荒唐無稽に感じますが、そこに含まれる、作者の思惑をいろいろと考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。
ISBN:410206012X 文庫 原 久一郎 新潮社 1952/06 ¥340
欲望や野心、功名心などの渦巻く俗世間にどっぷりつかっている豪商ユリウスと、古代キリスト教の世界に生きるパンフィリウス。ユリウスは何度かキリスト教の世界に走ろうと志しながらも、そのたびに俗世間に舞い戻るが、しかし、長い魂の彷徨の末についに神の道に入る。―福音書に伝えられているキリストの教えに従って生きよと説いた晩年のトルストイの思想を端的に示す。

この物語の主人公ユリウスは、ある事故をきっかけに様々な不幸にみまわれ、自分の幸福がいかに些細な偶然に依拠していたかに気づきます。様々な迷いの果てにユリウスは、キリストの道へとはいるのです。
この時期(事故にあった)に僕がこの本を手に取ったのは偶然ですが、幸運でした。僕もユリウスのように迷いの中にいて、この本を読むことで自分の生活を見直す機会を得ました。
僕はキリスト者ではありませんが、煎じ詰めればトルストイと同じような希望を抱くに至ります。ですが、おそらくトルストイはこの思想を強く心に抱くようになってから実際は妻と不和になったのではないかと思います(詳しいことはよく知りませんが)。
現実と理想は甚だしく乖離しています。僕は迷いの中、ユリウスのような道を歩むことはないでしょうし出来ないでしょう。しかしながら、ユリウスのような思いを抱きながら、自分の生活を改善し、そして自分の人生に確固とした芯を作り出すことは不可能ではないだろうと思います。その芯は幸せの尺度となり得るものです。他のどんな欲や他人の人生に対する嫉妬や焦燥感によっても動じることのない、自分の生活の支柱となってくれるはずです。
ISBN:4003243374 文庫 トーマス・マン 岩波書店 1988/10 ¥903
理性を尊び自由と進歩を唱導するセテムブリーニ。テロと独裁によって神の国を実現させようとする非合理主義者ナフタ。2人に代表される思想の流れはカストルプの魂を奪おうと相争うが、ある日雪山で死に直面したカストルプは、生と死の対立を超えた愛とヒューマニズムの道を認識する。人間存在のあり方を追求した一大教養小説。
三週間のつもりで、従兄弟を見舞ったハンス・カストルプはそのサナトリウムで実に7年間も滞在することになり、その期間に彼は様々な人物と接することになるのですが、なかでも、セテムブリーニとナフタは思想的に両極であり、その対立の真ん中でカストルプは模索します。対立する二人は、カストルプを教化せんがため、また自己の思想の正当性を肯んじさせるために互いに「陣取り」を行います。それは当時の世界情勢、また対立する傾向の象徴ともいえよに思えます。そして、中で煩悶するカストルプはまさに大衆の象徴であるように感じました。物語の後半、その対立に一人の人物が放り込まれます。それはそういった思想とはかけ離れていて縁遠いが、確実に人々を引きつけてやまない精神のスケールを持ったぺーペルコンなる人物です。カストルプは彼に惹かれていきますが、彼はある日自殺します。思想を持たない立場というものも、やはりいつか身を滅ばさざるを得ない運命にあるということがこれにより示されているとは解説者の弁ですが、僕自身その解釈に納得させられた部分があります。最終的には、理性のセテムブリーニと非合理主義のナフタは決闘し、セテムブリーニは銃を空に放ち、ナフタは自分の頭を打ち抜きます。セテムブリーニを生き残らせたところに、マンの理性に対する信頼があるようにも思えました。カストルプはこれらの経験そして、彼らの思想、様々な人物の精神を吸収することにより、そこを突き抜けた人間のあり方を大悟するのですが、その表現は、非常に曖昧であり難解です。
陣取りは何も生まないが、思想を持たないものもいつか滅びる。それらを超えた部分とはいったいどういうことなのでしょう。ラスト近く、カストルプは食堂で、二流席で食事をとっています。
しかし彼も、戦争というきっかけで、世間と隔された時間のない世界から、あの継続性の世界へと舞い戻ります。自国民のために命を賭すために。僕はそのとき、うまく説明できないけれども、「ああ、そうか」と合点がいきました。ナショナリズムと、グローバリズム、民族主義とヒューマニズムはけして対立するものではないはずだと。
ISBN:4003243366 文庫 望月 市恵 岩波書店 1988/10 ¥903
平凡無垢な青年ハンス・カストルプははからずもスイス高原のサナトリウムで療養生活を送ることとになった。日常世界から隔離され病気と死が支配することの「魔の山」で、カストルプはそれぞれの時代精神や思想を体現する数々の特異な人物に出会い、精神的成長を遂げてゆく。『ファウスト』と並んでドイツが世界に贈った人生の書。
トーマス・マンは三島由紀夫が最も好きな作家だったそうです。確かね。
彼は「ブッテンブローグ家の人々」でノーベル賞をとったらしいけど、知名度としてはこの「魔の山」の方が高いんじゃないかなあ、日本では。ちなみに「ブッテンブローグ家の人々」は岩波で最近復刻されるまでは文庫でなかった。でも何故かうちにハードカバーである。
「魔の山」は、題名からいって「ファースト」みたいに神話的というか、もっと空想性のある物語かと思っていたけど、上巻を読んだ限りでは、非常に現実的な物語だった。
サナトリウムに3週間の予定で従兄弟を尋ねたカストルプが、そこで微熱を催し、長期間の療養を強いられるうちに様様な人間から薫陶を受ける。明かに作者の意図する主題は下巻に収められていると見えて、上巻にはそれほどの展開は感じられない。ストーリーの中に時間の概念に対する作者の視点が盛りこまれていることくらいだろうか。
ストーリー自体は、これからどうなるのか非常に興味のわくところではあるが、若干、訳がわかりにくいのが残念。
ISBN:4101050163 文庫 三島 由紀夫 新潮社 1969/07 ¥420
プライヴァシー裁判であまりにも有名になりながら、その芸術的価値については海外で最初に認められた小説。都知事候補野口雄賢と彼を支えた女性福沢かづの恋愛と政治の葛藤を描くことにより、一つの宴が終ったことの漠たる巨大な空白を象徴的に表現する。著者にとって、社会的現実を直接文学化した最初の試みであり、日本の非政治的風土を正確に観察した完成度の高い作品である。

法律の勉強をしたことのあるものなら必ず眼にしたことがるプライヴァシー裁判を起こした小説。これは政治小説である以上に、紛れもなく文学である。瞠目すべきその完成度は、僕が今まで読んだ三島作品のなかでもかなり高い位置にある。三島の代表作とされるものには、三島の内面と深く関連のある作品が上げられるが、構成の美しさという点では、こういった自己の外にある小説のほうが高く感じられる。
過去の日本人にとって、いかに「家」というもの、「墓」というものが重要なものであったか、「恥」というもの、「名誉」というものが重んじられていたかが良くわかるし、一方で政治がそういった恥や名誉のまったく埒外にある、この日本という国の妙怪さ。
日本という風土の中でしか生まれようのない作品である。そしてその風土を正確に捉え、作品に昇華できる三島由紀夫の才能に畏怖の念を禁じ得ない。
ISBN:4101050015 文庫 三島 由紀夫 新潮社 1987/00 ¥460
1949年7月刊行の初版本を、本文・カバー・表紙・扉・帯まで完全復刻。付録として、三島由紀夫自らが「仮面の告白」の広告宣伝のために書き下ろした幻の文書、当時の書評などを収録。
ずっと以前読んでいたけど、内容をおぼろげにしか覚えていなかったので、今回再読した。
三島は男色であるとか思われがちだが、三島が抱く男性に対する一種の性的欲求は、通常我々が異姓に抱くものとは違う、一種の憧れ、ナルシシズムに通底している様に感じる。三島は、幼い頃、女性のように育てられ、自らに肉体的劣等感を抱いていたことは衆知だが、その劣等感が強烈な希求へと醸成され、自分にないものを持つ人間への憧れが、生の欲動、つまりエロスへと結びついてしまった故の男色ではないのか。
劣等感により生まれた希求とは、自分にないもの=理想の自画像であるから、三島が悪習の対象とした人物は、いわば理想とする自己の投影。三島は、その人物を愛したわけではなく、自分自身を愛していたのだと思うのである。だから、この小説を性癖の披瀝と見るのはやや皮相的であるように感じる。僕はこれは三島のナルシシズムを描いた小説であると思っている。
三島はそののち、自らのナルシシズムの理想を他者に仮託するのではなく、自らの肉体で実現しようと模索する。それがつまり、ボディビルであり、武道であり、盾の会であったのではないか。しかし、三島の描く究極の自己像を完遂させるには、なによりも欠かせないものがあった。それは三島が一番最初に悪習の対象とした絵に示されていたとおり、なにかに対する英雄的な殉死。死ぬことだった。三島にとっての死とは、自らが理想とした自己を完成させるための絶対条件だったとすれば、生、つまり生きている状態は常に三島にとって理想にたどり着かない、欠落した自己でありつづけるということである。欠落した部分、つまり自分にないものへの希求、憧れ、ナルシシズム。死が自分に欠落したものであるならば、生を消すことでしか埋められない。だから、三島は、自ら死を演出し、英雄的な国家に対する殉死をすることで、自らのナルシシズムを、希求を満足させ、憧れを現実へ、完全なる自己を完遂せしむるに至ったのである。
という風に僕は考えているのです。この前、僕が三島が死んだのは純粋に死に対する憧れからではないかと書いたのは、つまりはこういう理由からなのだ。
仮面の告白で見られる、透徹した客観的視点は、おそらく過去だけではなく、この先の自分の未来にも同じように向けられていたであろうし、だとすれば、やはり三島は、自分の人生というものを綿密に計画して演出して、あの最後へと持っていったのだと考えても不思議ではあるまい。
ISBN:4101307024 文庫 宮本 輝 新潮社 1985/05 ¥460
会って話したのでは伝えようもない心の傷。14通の手紙が、それを書き尽くした。

「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛しながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る――。往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。
全体的に非情に素晴らしいのに、たまあに彼の文章に激しい違和感を感じることがあって、それは例えば、すごおく詳細な心理描写が卓抜な技術で成されているのに、肝心なところで突然に「〜は何故か悲しくなった」とか、「唐突にこう思った。理由はわからない」みたいな文章を使ったりするからで、そこだけあまりにも抽象的なので他の部分との調和が崩れるというか、その不自然さ、抽象性が意図的なものなら、宮本輝の術中に僕は見事にはめられていることになるのだけど、意識的じゃないとしたなら、そこは僕には欠陥に映ることになる。小説的に考えるのなら、そこを抽象的に書くべきじゃないし、しかしそういった小説の定型を脱することを狙いとして描き、人間の感情の不可解性を示そうとしているのなら、宮本輝の試みは、小説というものの可能性を広げる勇気ある選択だともとれる。おそらくは後者だろうと思う。だって、これだけの小説を書いている人が、そういった言い回しの部分の不自然さに気づかないはずがないだろうから。
ほのかな、ほんのほのかな希望の匂いを漂わせたところで終るのが良いよね。両義的だけど、向いてる方向は、若干前向き。
ISBN:4309407587 文庫 綿矢 りさ 河出書房新社 2005/10/05 ¥399
学校生活&受験勉強からドロップアウトすることを決めた高校生、朝子。ゴミ捨て場で出会った小学生、かずよしに誘われておんぼろコンピューターでぼろもうけを企てるが!?押入れの秘密のコンピューター部屋から覗いた大人の世界を通して、二人の成長を描く第三十八回文芸賞受賞作。書き下ろし短篇を併録。
やっと文庫になった〜。長かったなあ。ようやく読めた。
色んな評価があるけど、僕は綿矢さんは、明確なスタイルを持っているし、文章が上手い。古典主義とか、典雅な文体とか、そういうのじゃなくて、彼女の小説は、まさしく現代の言葉での上手さ。それって実は、一番難しいことだと思う。難しいことを難しい言葉であらわせることが出来る作家はたくさんいるだろうけど、難しいことを誰にでもわかる言葉や、現代の言葉でいかに読者に感じさせることが出来るか、そういうのが、本来作家に問われるべきもっとも重要な力量なのだと思う。そういう意味で、綿矢さんは、うん、天才だと思います。僕は、例のごとく最初は、懐疑的だったけど、「蹴りたい背中」の冒頭を少し読んで、これは天才だと思って、読むのを止め、文庫が出るまで楽しみに待つことにしたのです。「インストール」を読んでも彼女の才能に対する僕の考えは変わらない。ただ、おそらく、「インストール」から「蹴りたい背中」の間で、彼女はかなりの成長をしたんじゃないかと、作家としての。これは、インストールを読み終えて、蹴りたい背中の冒頭の文章を思い出しての僕の感じた正直な感想です。
彼女の長編を読んでみたい。今は自分のまわりの境遇から材料を得ているけど、専業作家としてやっていくとすれば、いつかは、長編、そして、自分の内面から離れた表現を描いていくことも強いられることになると思う。きっと、そこでまた彼女は成長し、すごいものを書いてくれるんじゃないかなあと、期待してるんです。
ISBN:4061317776 文庫 村上 春樹 講談社 1982/07 ¥370
1970年の夏、海辺の街に帰省した〈僕〉は、友人の〈鼠〉とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、〈僕〉の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。
実際1970年代と今なんて、そんなに違っちゃいないのさ。この小説を読んでごらんよ。きっと現代だって言われても、違和感感じないと思うから。だからね、みんなこう言うんだよ。1970年代以降の文学は、村上春樹から始まったって。
僕はね、村上春樹の良さが一番よく現れるのは、短編か中篇だと思う。
鼠の気持ちも、「僕」の気持ちもなんとなくわかるよ。村上春樹は、現代人が持ち始めていた、虚無感みたいなものを一番最初に、取り上げた作家なのかもしれない。ノルウェイの森は確か、韓国では「喪失の時代」とかいうタイトルじゃなかったっけ。アイデンティティというものを自身に問う時代になって出るべくして出た作家。
この映画が、あったらしいんだけど、今は見れないんだ。悲しい。
ISBN:4101361274 文庫 辻 仁成 新潮社 2000/02 ¥380
廃航せまる青函連絡船の客室係を辞め、函館で刑務所看守の職を得た私の前に、あいつは現れた。少年の日、優等生の仮面の下で、残酷に私を苦しめ続けたあいつが。傷害罪で銀行員の将来を棒にふった受刑者となって。そして今、監視する私と監視されるあいつは、船舶訓練の実習に出るところだ。光を食べて黒々とうねる、生命体のような海へ…。海峡に揺らめく人生の暗流。芥川賞受賞。
序盤から中盤にかけては、正直ぎこちない。だけど、後半にかかってくる辺りから、この小説は、ダイヤモンドの輝きを放ってくる。完璧な作品だとは思わない。言葉づかいも、どこか無理をしている感があり、そのころの作者の文体のスタイルではないと思う。しかし、不完全であるとこに、辻氏の、作家としての飛躍を試みるその志を強く感じる。こういった闇の部分は、経験をしていないとなかなか書けるものではないだろうと思う。僕が読んだ辻作品のなかでは、確実に、一番、人間の深部まで踏みこんで描いている。小説版中島みゆきとでもいうか。しかし、そういった部分に踏み込むことこそ、僕は小説の一つの役割だと思うし、また、小説の可能性だと思う。
辻仁成のメッセージがもっとも色濃くあらわれた小説であり、おそらく彼はこの部分を伝えたいがために小説を書いているのではないかとか、勝手ながら思っているのである。
ISBN:4102020012 文庫 中野 好夫 新潮社 2000/00 ¥460
モンタギュー家の一人息子ロミオは、キャピレット家の舞踏会に仮面をつけて忍び込んだが、この家の一人娘ジュリエットと一目で激しい恋に落ちてしまった。仇敵同士の両家に生れた2人が宿命的な出会いをし、月光の下で永遠の愛を誓い合ったのもつかのま、かなしい破局をむかえる話はあまりにも有名であり、現代でもなお広く翻訳翻案が行なわれている。世界恋愛悲劇の代表的傑作。
ロミオよロミオ、あなたはどうしてロミオなの。
なんて言葉あったけ?
シャエイクスピアって、実在したんかなあ。どうなのかなあ。
これは純粋な恋愛劇どころか、なんじゃこりゃあ並の人間の暗黒めんが描かれていますでして、そういう面で、どうして古典というのはこう人間の浅ましさまでリアルに描いているものかなあと感心する次第でござあすよ。
今だと、ストーリーにならずに、何らかの症状と診断されるかもねえ。
ISBN:4101342113 文庫 佐伯 一麦 新潮社 1994/05 ¥380
loose〔lu:s〕a.(1)緩んだ.(2)ずさんな.(3)だらしのない.…(5)自由な.―英語教師が押した烙印はむしろ少年に生きる勇気を与えた。県下有数の進学校を中退した少年と出産して女子校を退学した少女と生後間もない赤ん坊。三人の暮らしは危うく脆弱なものにみえたが、それは決してママゴトなどではなく、生きることを必死に全うしようとする崇高な人間の営みであった。三島賞受賞
今の僕の状況下で思い出す小説はこれ。少年はみんなより早く社会にで、そして僕はみんなより遅く今回社会を体験している。僕は遅咲きのフレッシュマンだけど、誰しもが社会に出るときの、あの不安と、焦燥感と、そして自分の可能性への期待、社会で一体何が自分にできるのか、そのドキドキ感というものは変わることがなく、だからこそ、そんな今、もう一度この小説を読んでみたいと思った。僕は、今までのだらけた生活、ルーズ・ボーイから、解き放たれた、独り立ちした、ルース・ボーイへと変わっていけるだろうか。
「アイ・アム・ア・ルースボーイ!」
ISBN:4061315315 文庫 村上 龍 講談社 1978/12 ¥370
福生の米軍基地に近い原色の街。いわゆるハウスを舞台に、日常的にくり返される麻薬とセックスの宴。陶酔を求めてうごめく若者、黒人、女たちの、もろくて哀しいきずな。スキャンダラスにみえる青春の、奥にひそむ深い亀裂を醒めた感性と詩的イメージとでみごとに描く鮮烈な文学。群像新人賞、芥川賞受賞。
一度しか読んでいなくてあれなんだけど、ラストに向かううちにカミュの「異邦人」が頭に浮かんできた。写実的な描写が、だんだん、主人公の観念的描写に移行していくというか、そういったところが、似ているからなんだと思うけど。
村上春樹の作品は、初期の作品は特にだけど、村上龍の作品と比べれば、自閉的。
村上龍は、デビューから一貫して、社会との接点を持った作品を発表してきた。村上春樹は、自開症なんて造語で、村上龍を評していたけど、最近、さらにその姿勢が顕著になってきていたように感じる。
ISBN:4101050074 文庫 三島 由紀夫 新潮社 1955/12 ¥380
文明から弧絶した、海青い南の小島―潮騒と磯の香りと明るい太陽の下に、海神の恩寵あつい若くたくましい漁夫と、美しい乙女が奏でる清純で官能的な恋の牧歌。人間生活と自然の神秘的な美との完全な一致をたもちえていた古代ギリシア的人間像に対する憧憬が、著者を新たな冒険へと駆りたて、裸の肉体と肉体がぶつかり合う端整な美しさに輝く名作が生まれた。
三島由紀夫の作品群の中では読みやすい部類じゃないでしょうか。というほど読んでいません。でもとっても読みやすかったです。やはり、小説は文体がしめる要素が相当あると思います。三島はその豊富な語彙と綿密な技術から、ひとつの平凡にもなりうるストーリーを類まれな美へと昇華させることができる稀有な筆力を持った天才。思想うんぬんではなく、僕は三島由紀夫という人間が好きでたまらない。

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