人間は、どんどん体を無くす方向に進んでいる。つまり、体を使わなくても何でもできるようになっていってる。昔は体を動かして、洗濯とかをしてたのが、今では、洗濯機に入れて、スイッチポン。

もっともっと文明が進歩して、最後には、人間は、声で命令すればあとは機械がやってくれるようになれば、人間は体が必要なくなる。どこかに動くのも椅子に座ってだとか、もしかしたら、人間の思ったことを察知して動く機械なんかもできて、声帯さえも必要なくなるかも。
極端に思えるかもしれないけど、現実離れした話ではないと思う。少なくとも人間は、体を必要としない方向に進化していってることは確かだろう。

だとすると、人間を規定するものは、脳みそだけになってくる。
なぜなら、娯楽も仕事も脳だけを使ってできる時代になり、体を切り離す技術ができれば、必ず脳みそだけの存在で生涯を送るという選択をする人間もまた現われるだろうから。生殖、子孫の繁栄も、DNAが解き明かされた今、性的快楽と区別される時代も近いだろう。
快楽は脳が作り出すものだから、脳みそだけの存在になる人は、体を切り離す前に、精子を採取しておけばいいわけだし。そういえば、最近の研究で、卵子と卵子での受精に成功したらしいから、女性同士で子供を作ることも可能になってくるだろう。

あとは、そういったことを望む人々が、絶対的多数となれば、必然的に、モラルも変質していくし、法律も体と脳みその分離を許容するようになっていく。

ほんでだなあ・・・(続く)
過去を切り離して考えなくとも、もう会うことがない人物なら、傷は消えなくも、薄まっていく。僕は、過去を背負ったまま、人間をある程度まで信じられるようになった、がしかし、その過去を形作った人物たちと、会うことができるようになったというほどの自信は僕にはなかった。理屈では、すでに彼らに対する恨みはない。僕は、彼らが人の気持を理解できる(あるいはそうであろうと努力する)人間へと成長をはたし、僕のような経験をする人が出る前に気づくことができるようになっているのであれば、それでよいと思っている。そう、理屈では。
問題は理屈という理性に感情がしたがってくれるかどうかである。自分が再び彼らに会った時、どのような行動をとれるのか、さっぱり予測がつかなかったのだ。
大学を卒業し、大分に戻り公務員学校に通い出した僕は、まだ、どこか偶然にも彼らに会ってしまうことへの不安に恐々としてしまっていた。そして、やはり、自分から会う気は毛頭起きなかった。
ただ、自分の中の変化として、起こった確信によるある決断、過去への清算ができているかどうか。そのことは、彼らに会ってみないと判断し得ない。そのことだけはわかっていた。過去の憎悪、理屈ではない、潜在的な憎悪を上回る理解、それができてこそ、初めて僕はほんとの意味で彼らとの過去を清算できたといえるのである。
今年、1月2日に、テニス部の新年会があった。僕にも電話がかかってきた。もちろんそこには、僕の障害を真似していた奴もくる。僕はそれまで電話がきても出なかったし、関係も絶っていた。しかし、今回は参加することにした。自分の過去にどこまで立ちむかえるか、彼らに会っても、自然に笑みが出せるかもしれないじゃないか。そういった仄かな期待と、自分の感情との葛藤が当然起こるであろうことへの、不安を抱きながら。
待ち合わせ場所につく、久しぶりに見る顔があった。まだ、真似をしていた奴はやってきていない。しかし、僕はその時に、僕の潜在的な憎悪をがいかに強固であるかを思い知った。笑うこと、いや、表情を作ることすらできない自分がそこにいた。笑おうと思っても笑えない。彼らは、傍らで再会を祝し談笑していた。僕は1人ぽつんと座り、心の奥から湧き上がる、顕在化してくる憎悪の言葉と戦う。そのとき僕の心は、完全に憎悪に負けていた。他になんの感情を挟む余地も、また、他の何事も考えられなかった。ただ、彼らに対する恨み節が、心のうちで繰り返されるのみであった。彼らは最初、僕にも話しかけてきたが、話しを返さない僕にやがて彼らは話さなくなった。そのことも、さらに憎悪を増加せしめた。「やはり、やつらは僕の気持ちなど、わかっちゃいない。いや、人の気持などわかるようになっちゃいなかったんだ。誰も僕に気遣うこともなく、原因もきかず、意に返さず談笑してやがる」。今思えば、子供じみた、そんな憎悪の言葉も、平静を失っていた僕には、もっともらしく思えたのだった。
そして僕は頭を抱える、こんな状況になる場合も予測はついていた、それでも最後まで、会が終わるまで我慢できると思っていた。だが、それができるはずもないことに、その時はもう気づいていた。
葛藤は、一方を粉砕した、理性をである。憎悪を抱きつつも、僕はまだ彼らとであった頃のように戻れる可能性に期待し執着していたのあのであるが、もう、どうでもよかった。今後会うこともないだろうと腹を決め、僕は爆発した。ただ出ていくのではなく、置き土産として僕は大演説をぶったのだ。
激情が言葉となってほとばしる。まだ現れていない、その仲間に障害の真似をされたこと、誰に相談しても耳を貸してもくれなかったこと。人間不信に陥ったこと、大学で幻聴を聞いたこと。そんなことをすべて話した。
「高校の終わりごろ、お前等は俺の変化に気づいてたのに、誰ひとり、気にかける奴もいなかった、俺が相談しても、最後まで聞く奴もいなかった。それが友達か?俺がこうなった一端に、お前等のなかで自分にも責任があるかもと、誰か1人でも考えたのかよ!!自分の楽しいことだけにしか目をやらずに、そんな奴らが、こんな時だけ友達面して、俺がどうして、お前等の前で笑えるものか!こんな人間しかいないと思うと、もう絶望だ、反吐が出る。俺はお前等のような人間にだけはなるものか!」・・・それは、憎悪の叫びというよりは、人間への歯痒さへの、悲痛な哀訴であった。

はたしてその大演説は、どのような結果を出来させたのか。僕は、その場を去らなかったのである。彼らは、僕の叫びにより、始めて、僕の現状、そして苦悩を知りえたのだという。それが予定されていたものかどうかは知る由もないが、僕の関係を絶っても良いと覚悟した破れかぶれの爆発が、彼らとの関係を繋ぎ止めたのだ。彼らは芯から過去をわびてくれた。そして飲み会での当初の態度にも。それから、僕は強引に引き止められ、語り合ったのだ。
「お前には、過去のことを忘れてくれとは言わん。だが、お前との関係は、これからだと思ってる。今からが、もう一度お前との友情を築いていくスタートラインだ。これからの俺らを見てほしい」
彼らの言である。
然るに、僕は1つの過ちを犯していた。それは、僕が成長したように、彼らもまた、成長しているということである。僕は依然として彼らを高校の頃と同じ目で見ていた。だが、彼らはすでに、僕の相談を最後まで聞くことのできる、現在の彼らなのだ。ならば、現在の彼らに思いをぶつけることもなく過去同様話しを聞けない存在として彼らを見ていた僕の態度こそ恥ずべきものなのだろう。最後の爆発、やけっぱちでやったその行為は、実はやけっぱちではなく、まさに関係を清算するに必要な、正当な行為であったわけだ。過去の憎悪は過去の彼らに対する憎悪なのなら、完全な払拭も不可能ではないかもしれない。その可能性の目を摘むことにならなくて、良かった。

さて、現在の僕はというと、やはり、あの飲み会の後、まだ彼らとの関係が、過去が、清算できたのという確信は、持てないでいる。再び飲み会があれば出席するつもりだが、はたして、また笑えないかもしれない。しかしながら、次回は、みんなと話し合うことができる。そしてみんなも聞いてくれる。彼らとの関係は、今、新たにスタートを切ったわけだ。僕たちがやるべきこと。まずは、彼らは過去を忘れず、教訓とする。僕は過去の事実は消せなくとも、過去の彼らに対する憎悪は、忘れるように務めていく。
なお、僕の障害を真似していたその友人(と、もう呼ぼう)は、送れて飲み会にきたのだが。彼は、過去の行為を罪に感じ、今生き苦しんでいるという。僕は彼から、その言葉を聞き、彼もまた弱い人間であったのだと、憎しみの氷解していく音を聞いた。彼は、現在、医者を目指している。願わくば、僕に行った行為を戒めに、今度は誰よりも、患者の気持を思いやる医者になって欲しい。彼ならなってくれるはずだ。

あの過去を、彼らは忘れず、僕は忘れるように。いつか、本当に清算できる、その日がくることを信じて。


過去の清算(9)

2004年1月19日 連載
さて、こういった試みを続けていくうちに、内的変化が生じてきた。
僕は再び人のことを信じられるようになっていく。当然、さまざまな副因もあろう、僕が成長したとも言えるのかもしれない。とにかくも、大学4年になんなんとする頃には僕の支柱となっていた1つの想念。「人間は裏切るものである」という思いは、人間の希望へと転換した。
それはやはり、そこにしか自分を救う道はないという思い。希望を持たざるところに未来はない。ならば、希望は何から生ずるのか?少なくとも、自分が行動をしない限りは希望は生じないということに気づいたからだ。
僕は苦しんでいたが、苦しんでいたから希望がもてず、人間を信じられなかったのではない。希望を持たなかったから、人間を信じられず、苦しんでいたのだ。
希望を持たないところに、たとえどんな未来を拵えようとも、救いはない。なぜなら自分の心に絶望というビジョンしか置いていないから。自分の心に希望を描いていないのに、どうして救いの戸口を判別できるものか。人間を信じられないと思いこんでいる心には、たとえ信じられる人間が現れたとしても、不信の姿しか映し出さない。希望とは、未来の願望である。その形を心に描いてこそ、その到来を、そして、救いへと向かいつつある自分を自覚することができるのだ。設計図のない工事は、竣工へは決して至らないのだ。
そう、人間が実際のところ、信頼できるのか、できないのか。そんなことは僕には関係ない。ただ、僕はどんなことがあっても「人間は信頼にたる」という希望を捨てないことが大切なのだ。そこに、自分の生を紡ぐ糸(意図)が生まれる。さすれば、努力が生まれる。かくてその結果、自己への救いが生まれる。では、それを生じさせるのは何なのか、すなはち、それは周りの状況ではなく、自分、自己の心持如何なのである。
そして、それこそが第一の行動であり、最も重要な行動なのである。実はその後の行為(努力)は、この第一の希望を持つ、という行動を経るかどうかによって、意味合いを変貌させるだけであって、実態は変わらない。つまり、希望を持たなければ、その後の行為はただの「もがき」である。なぜなら、本人には確固とした目標(希望)を持たざるがゆえ、自己が何に向かっているかも、努力しているかどうかすらもわからずにその行動を見逃してしまっているからである。
さて、これを窮乏においてわかりやすくたとえてみると、希望をビジョンとして描いているもの、例えば、今の生活を維持して慎ましくも食っていくことができればいいと願う者がいれば、日常の些細なことに楽しみを見出そうとするだろうし、見出そうと努力するものである。そしてそれを幸福だと思えば、窮乏においてもそこには救いがある。また、窮乏を脱することに希望を見出すものは、そこに向かって、努力という行為を生ずる。救いに到達するかどうかはわからないが、救いへと方向は向いているわけである。だが、絶望のうちに悶々とするものにとっては、現状をただ疎み、抜け出す策を講ぜず、些細なことにも喜びを見出すことなく、それら、救いへの努力の種をみすみす見逃しているのである。これすべて、第一の心の作用。希望を持つか持たざるかにかかっているのだ。
僕は人を信じると希望を持つことにより、今まで見えなかった、救いへと通ずる人の良心を些細なことでも感じることができるようになった。そしてそれは、今までの自分が努力を怠りつつも現状に不満を持っていただけだという思いを再度強くせしめた。つまりは、これによりあらためて、自分の気持を言葉で表すことの大切さを再確認させたのである。僕は、人に自分の気持をすべて語ることをする前に、人が自分の気持をわかってくれないなどと決め付け、もがいていたのだ。自分の気持をわからせる努力を講ずることをせぬままに。
この確信は強固であったが、だがしかし、自分の過去への執着もまた、強固であった。あの高校時代の経験、そしてテニス部の仲間たちへのしこりがこの確信を持ってしてもまだ拭い去れないでいることを僕は白状する。

続く
僕がまずやらなければならないこと、自分を受け入れるということ。つまりは、病気である現在の自分の存在を肯定すること。障害を克服しなくていいと言うのではない。克服を目指し努力しつつも今の自分の状態を悲観しないということ。
これがいかに難しい作業であるか。なぜなら、今現在でも、僕は完全には劣等感を払拭できずにいるのだから。
僕はまず、障害を人前で臆することなく話していけるようになろうと思った。人に話せないということは、自らその障害を否定することになる。確かに話していくことには、デメリットもある。人に自分の障害を告白することは、概して好まれない。それは、聞き手側が、自分に関係のない負の部分の共有を強いられることによる拒否反応を示すということも1つにはある。そして、これも、ある程度は仕方のない(本当は仕方ないで済ましてはいけない)ことなのだが、自分がその障害の辛さを知らない場合には、相手の言うことが誇大表現に感じてしまう場合があること。なぜなら話すほうは今までの障害の苦労から、理解を熱望する感情が口調へと伝達し、過去のさまざまな辛酸を例に熱弁を振るってしまうことにより、相手にはあたかも悲劇のヒロインのような印象をうえ付けてしまいかねないからである。そして、聞き手の中で、そのような感じを抱いた者は、「そんくらいの苦労ほかにもいっぱいしてきた奴はいる」もしくは、「病気だということを悲劇に考えすぎている」というようなことを思ったり、ましてや言ってしまうことすら少なくはない。
だがしかし、そのような考えは間違っている。なぜなら、苦しさや、悲しさというものは、相対化できるものではないと、僕は思っているから。どんなことであれ、その人が悲しいと、そして苦しいと思えば、感じれば、それは真実なのである。そういう絶対的な感情を、聞き手は自分と、あるいは自分が通常このくらいだと思う悲しみや苦しみの度合いを鑑みて、それは、努力が足りないとか、そんくらいの辛さで、とか思うのである。しかしながら、その苦渋をなめている話し手当人にとっては、それは精一杯の苦しさであり、悲しさだ。そして、人はそういった状態から抜け出そうとするものであるから、言われるまでもなく、自分にできる限りの、そして考えられる限りの、努力はしているものである。そのことを忘れようとして考えないことや、避けようとすることもまた、自己保存のための潜在的な防御本能であり、苦脳から脱するための努力といえるのだ。
だから、僕が聞く側に求めること、それは聞く耳である。なるほど、多少事実よりも大げさに話すこともあるかもしれない、しかしながら、そういう風に大げさに話すことを強いているのは、過去の苦悩や、理解を欲する心からである。ならば、聞く側がするべきことは、自分の感情の尺度を一旦度外視して、その話している者の、話を事実として受け入れることなのである。まさに、話す側はそのことを受け手に求めている。さて、事実として聞いてから、そこから自分の、あるいは社会の尺度と鑑みることは、無駄ではない。もしそこで、その話し手にまだ努力ができる余地があると感ずる(これは、普通にいえば、努力不足に該当する感覚)のであれば、それは、話し手が努力をしていないのではなく、自分を解放する新たな対策を、自分の考えうる限りにおいてまだ発見できていない、もしくは、努力するべき対策のベクトルがその聞き手とは違う方向にあると解するべきあり、ならば、安易に「努力不足だ」といいきって捨ててしまうのでは、お互いの理解も深まらず、両者の意図も誤解のままに終わっている可能性が高い。この場合、聞き手が言うべきは、自分がその苦悩や悲しみに対して有効だと思う対処法をアドバイスする、もしくは、例えば、その話し手が苦悩からの逃避というベクトルに努力のむきを向けている場合であれば、他の方法(ベクトル)もまた存在することを示唆してあげればいいのである。
当然僕も聞き手にまわる場合はこういった姿勢で話しを聞こうと思っている。
さて、一方、話し手(この場合、主に障害や病名を告白しようとする場合)において、とるべき姿勢としては、ある程度の妥協、そして、相手の表情に惑わされずに説明していこうとする勇気と行動力ではないだろうか。というのは、障害を話したとして、完全な理解というのはそうそう得られるものではないし、時には上に記したような批判的な態度をとられることもままあるという現実を前提においておかなければならないから。しかしながら中には必ず耳を傾けてくれ、ともすれば打ち明けたことを感謝する人もいるのも事実なのであるから、1人に打ち明けてそれが失敗らしく思えたとしても、それで止めてしまうことはない。また、そのときに聞き手が理解の態度を示さなかったとしても、その人物の中には少なくともその障害の何らかの知識は植え付けられ、いつかその人物がこの病気を理解する種子となってくれるかもしれないということ。そして、少しでも話したことにより聞き手がその後会うかもしれない同じ障害をわずらっている人たちを無知による中傷から救うことになるかもしれないこと。だから、相手の不理解に対する妥協、そして、話していくことにより、周りに全員ではないが、理解者が増えれば、自分の障害に対する劣等感の垣根も低くなり、その他の工夫により払拭も不可能ではなくなるかもしれないこと。行動力とは、つまり、最後まで根気強く説明する忍耐とも言える。話し出して、相手の態度に気おされて途中で説明を放棄しては、自分の障害を理解されないことだけなくして、自分という人間を誤解されてしまうことにもなりかねない。話し手の意図が明かになってもまだ、その切実な思いにたいして拒否的な反応を返すものが、はたしてそんなに多勢に及ぶとは考えられない。ならば、拒否の反応は話し手が話を途中で放棄することによる、聞き手がするであろう話し手の意図の推量によって起こる誤解に拠っている部分も少なくないはずであるからして。まさに、このことが相手には腹蔵なく、そして徹底的に語ることが、何よりの理解につながると信ずる僕の理由である。

こうして、自分の障害にたいする憎悪(おそらく無知による無意識の被害によって起こる)を減らすことにより、自己の存在への肯定を可能せしむることを信じ、まわりにこの障害を広める、少なくとも僕の周りにいる人々に障害を広めるという行動を、実行するに至る。

続く
1人の友人がいる。今はもう連絡をとっていない。爾後もとることはないだろう。しかしながら、今もって友人であるにかわりない。
僕を転換なさしめたは、その人物、M君であった。
といって、彼にはその意識はなかっただろうし、現在も気づいてないだろう。相手が自覚しなくとも、ある人に決定的な影響を与えることがある。つまり、僕は、僕が忌み嫌っている無意識によって、皮肉にも1つの現状からの抜け道を与えられたわけだ。その道がどこに続いているのかは今もってわかっていないが、そこに逗留してもがくのではなく、変化しながらもがくようになったことを、僕は前進と受けとめる。
その友人M君のことは別の機会に詳述していきたい。今回は、ちょうどあの混沌と機を同じくした彼とのその出会いが、僕にとって彼を生涯忘れえないであろうほど重要な存在になさしめたということを述べるに留めておく。
さて、僕は彼のある一言と、そして熱心な勧説によって、本を読むようになる、そして、そこから派生して精力的に映画を見ることになるわけである。この期間こそ、何よりも劇的な変化の胎動となった。というのも、映画を、そして本を紐解くということは、すなわち、人を知っていくということである。膨大な数の人々の価値観を吸収していくとは、自己の考えを相対化する材料を蓄えることであった。その作業を続けていくうちに、僕は自分の視野がいかに狭量であったかを知っていく。そしていかに無知であったかを。僕がより内省的に自己を検証していったならば、いずれは根本の矛盾を看過しえなくなる。
人を信じない限りは変化は表層をなでるだけで深部には達しないということ。僕はまだ人を信じられないといえるほどに人を知ってはいないということ。僕は、まず人間を信じる、たとえ裏切られることがあっても人間を信じていかなければならないと思うようになっていく。そしてその為には、まずは自分が信じられる人間になっていかなければならないと。1つの転換。取り組むべきことを、つまりは問題解決への方法を僕は、自分なりに定義付けすることができたのである。
「自分が矛盾のない人間となり、人間は信じられる存在であることを自ら立証するために努力することこそが、人間不信を解消する」

続く

過去の清算(6)

2004年1月13日 連載
享楽への耽溺はすなわち苦悩からの逃避でしかない。問題がまだ存在しているのなら、同じ事態が出来した時には再び人生という道の障壁となるのである。
僕はようやく障壁に対峙することを決意する。しかしながら最初のそれは無謀なる邁進であった。現状を検証することのなく、未知なる場所に飛びこむことは、成功をなせば称揚される。が、しかし、方法を持たざるしてなされる解決は偶然の産物でしかない。ひとたび失敗を招けば、克己という美名の仮面を剥ぎ取り、自分の力量を顧みないがゆえに招いた愚行という姿がそこに現れる。
つまり僕は人間を信じることのないままに、人間関係の修復を試みる。その舞台には、スポーツ店の接客のバイトという場を設えた。
人間不信。その根本を修正せずして行ったこの試みは、そこここで綻びを大きくする。人間を信じることのできない僕が、どんなに愛想を拵えようとも、その不自然さは拭いさられず、人間関係に水を差す。そしてまた、善悪道徳強迫が、言葉巧みに客を購買へと導く行為に水を差した。程なく僕は、1つの大きな失策を契機に強迫を悪化させ、逃げるようにバイトを去る。そしてこの経験は、自分の弱さを自覚させると共に、責任放棄に対する、罪悪感が自己への情けなさ、歯痒さと共に身を、心を蝕んだ。
問題を解決しようにも、僕は方法を知らなかった。方法を知る方法すらも知らなかったのだ。僕は再び苦悩する。今度は問題から逃避したいがためにではなく、問題にどう立ちむかえばいいのかで苦悩した。
ストレスからであろうか、バイトを去るのと期を同じくして、僕の顔一面にアトピーが現出し、眉毛は抜け落ち、僕の心身をさらに衰弱せしめたのである。その苦しさは、久しく感じていなかった「死」を意識せしめた。

しかしながら僕はその危機を脱する。ある人の一言によって。
人生の決定的な転機といえる瞬間があるならば、僕にとってこの人物との出会いにしくはない。

続く
僕は、高校時代に強迫の真似をされたのだが、僕自身が自分の障害のことを詳しく知ったのは。実は高校を卒業してからだ。
つまり、小、中、高と、僕にまとわりつく奇妙な仕種は、すべてが単なる自分の癖であり、その責任は自己に帰する。これが、自他の認識であった。自分の責任であるからして、そこに負い目が生じ、真似されても、反駁に窮するであろうし、反駁したところで、彼等がソラとぼけることも予想がついた。迫害は常に巧妙であり、秘密裏にかつ大胆に行われる。また、違うクラスには、僕のそのような状況をしらぬ友人もまだ少なからずいた。僕は反駁することによりその友人らにまで自分の置かれている状況が知れるのを恐れ、そして、自分の矜持も、またそれを許さなかった。
しかるに、高校を卒業する頃にはさすがの僕も、これは単なる癖ではなかろうことはおぼろげにも察知せられ、しかしながら、まだその実態は混沌のままであった。
最初に訝るはその呪うべき「喉ならし」であった。常に喉をくんくん鳴らさねば(彼等はこの音をプシュプシュと表現していた。何たる狡知であることか!)息苦しく酸欠状態に陥ってしまいそうな恐怖に刈られることから、僕はこれが、喉、もしくは肺を病んでいることからくると考えた。
かかる経緯により、咽喉科で診察をうけることになる。しかしながらどこにも異状は見られず、その医師から、自律神経失調症の疑いと共に、九大病院の心療内科へ招待状を書いてもらうこととなった。
そして僕はこの九大病院ではじめて、自分が「強迫性障害」なる障害であることを知るに至る。
その障害の確定は僕にある種の開放と、慰安を与えた。自己を責められ、また責めてきたこの奇妙なる癖は、その責任を障害という名の上に転嫁した。
自分の所為ではなかった。一つの荷が背中から除かれるのを感じた。それはまさしくカタルシスであり、救済である。しかしながら、この救済は、また一方で新たな苦悩の、または悔恨の種をまいた。
すなわち悲哀のもとに運命であると甘受してきたその自分の過去が、更なる憎悪の肥大により、覆い被されることとなったのである。つまりは、自己の無知による怠惰、そして、人間の浅はかな無意識による罪、その救いがたさに対する憎悪である。
自分がもっと早くに、この障害を気づくか、もしくは知っていたなら、きっと変えられたであろう人生への悔恨。そして、そのことに気づかずに己を責め続けてきた自分への反発。そして、癖ではなく障害であるこの仕種に迫害を与える人間が、おそらくはその罪に自分では気づかないであろうことへの恐怖と絶望。
彼等は、この癖が障害であったことを知っていたなら真似をしたであろうか?僕は否だと考える。なぜなら、彼等は不遇の人生が避け得ない者に対しては涙するから。はたしてそこに偽善が生ずる。僕が障害でありやなしやが、彼等のやった行為に罪の増減をなさしめるのか?否である。彼等の罪の重さは変わらない。しかし、そのことに彼等は気づかない。そして、それは、無意識による大罪である。ときとして、多勢の無意識は1人の人間を死の淵に追い詰める。もしその者が命を落としたとして、その多勢は無意識をゆえにその罪を免じられるのか?否である。それが無意識であるが為に、多勢であるが為に感覚が麻痺し、罪の意識を持たざるは、それこそ人間が最も過てる大罪なのである。直接的であれ、間接的であれ、人の人生を変貌せしめ、もしくは死に追いやった罪は、何らかの形で罰せられなければならない。一生背負うべき罪を人は皆どこかで侵している。それを背負い人生を歩まなければならない。
人は、人がその無意識の罪に意識的となり、その罪を自覚するにいたり、その心のうちにはじめて贖罪の観念が生まれる。そしてそれこそが過去自分が傷つけてきた人々の救いとなり、償いとなりうる行動へと通ずるのである。
そのような苦悩にさいなまれるにしても、僕は一つの混沌を脱した。
広島から、福岡へ、月に2回の通院を僕は始めた。
しかしながら、僕はまだ障害に、人生に逃げていた。前に言ったとおり、それから2年間は享楽に傾斜し、そのうちに、僕の障害は肥大していったのである。

続く
大学に入るまでの間は比較的穏やかな期間だった。僕はそれが自由だと信じていた。もう、彼らのことは考えていなかった。否、そう思いこんでいた。
心とはもともと脆弱なものであるのか、あるいは、たんに僕が脆弱であるのか、大学に入学とともに、僕の希望は根底から、崩れることとなる。
僕は、自由になってなどなかった。彼等から、解放などされていなかったのである。講義が始まり、誰も知るものなどいないはずのその教室に、僕は彼等の影を見る。周りの話し声が、あの「プシュ、プシュ」という真似声に聞こえるのである。僕はもともと、幻聴などを信じるような人間ではなかった。そうであった自分が、幻聴というものをみとめざるを得なかった。現に体験してしまっているのだから。それは、まさに戦慄という言葉以外に形容のしようがなかった。いかに、自分自信の神経が衰弱していたかを、ここにきてはじめて知りえたのである。
しかしながら、人間は現状を悟り得たとしても、すぐにしてその期待を捨て去れるものではない。僕は、その後二年間、時が心を回復せしむることを信じて、無為な享楽のうちに大学生活を過ごした、否、そういった生活に埋没することにより過去の自分を消し去れるという思いを今だにあきらめきれなかったのである。
しかるに、それにより得たものは何であったか?それは、新たな自分の構築ではなく、消し去れない過去の上に新たな過去となって山積していく決定的な人間不信の痕跡のみであった。
僕は、テニス部をやめ、サークルをやめ、クラブをやめた。
当然である、僕は人間を信じることができなかったのだから。人に心を閉ざし、どうして人間関係など築けようか。
過去は消し去れない、いかにして過去を乗り越えるか。時にまかせ、人に、状況に任せるだけでは、過去から解放もされなければ自分の構築などなされるべくもない。いや、過去を消し去れないのであれば、構築という言葉には語弊がある。この場合新たな自分になるのではなく、よりよい自分になるための修正である。
思うに、それまで自分が救われるための努力だと思っていたものはすべて、他者や状況への依存であった。他力本願たる自分に気づく。ただそのことに気づくのに、僕は2年を要した。
それは、本当の意味での自己の模索へと自分を行動せしむる、まだほんの序曲に過ぎない。そして、新たな苦悩と思考錯誤の扉でもあるのであるのだが、少なくとも、僕は自分で問題に向き合うことなく解決される問題のないことを、その時ようやく大悟したのである。

続く
このようにして、僕の中には2つの相反する想念。人は、裏切るものであるという思いと、人を傷つけてはならない、という思いとが共存することになる。心が、いかに複雑なるものであるか、この相反すると思われる想念が、矛盾を含みつつも存在し得る場所なのである。だからこそ、人はジレンマに陥る。葛藤し、逡巡するのだ。
しかし、僕がその時持ったこの2つの想念は、一見矛盾しているようで、その実、二律背反性を帯びていた。人間を信用しないのも、傷つけることに細心を払うことも、いずれは、僕に人間との接触から遠ざける点に於いては、むしろ同じベクトルを向いて僕を前進せしめた。僕は、心を閉ざした。
僕は、高校生活を捨てた。あと半年である、大学において、自分は生まれ変わる。今振り返れば、それは絶望ではない。なぜなら、僕は生まれ変われるという理想を夢見ることができたから。卒業すれば、そして大分を出て、彼等との関係を絶てば、過去を忘れることが出きると思えていたから。絶望とは、前に光輝が見えなくなる時をいうのなら、僕はまだ、自分にも、人間にも理想を失ってはいなかったといえるのかもしれない。
しかしながら、その頃の僕は、絶望であった。絶望と、思いこんでいた。大学を早く決めてしまい、彼等の顔を見ないことだけを考え、彼らという頚木から開放されること、それが自由だと信じて。大学は、そのような理由で決めた。センター模試の結果による推薦で、最も早く合否が決定された大学。僕はそこに決めただけだ。ただ、その大学がたまたまテニスが強かったのは、選択理由の口実となった。大学が決まり、僕は高校にいかなくなった。
本など高校時代にほとんど読むことのなかった僕が、なぜ「沈黙」を手にしたのかとえば、それが授業の教材であったからなのだが。僕はそのストーリーに引きつけられた。境遇が余りに似ていたからだ、そして、それ以上に主人公の内的心理が、僕の共感を誘った。あまっさえ、その作品の中で新たな視点を教示されたといってよい。その視点とは、憎悪ではなく、哀れみという感情である。
僕が、残りの半年間、学校に通いつづけることができたのは、ひとえにこの哀れみ、という感情をもつことができたゆえである。
「沈黙」を読んで以来、僕は、障害の真似をして楽しむ輩を見て、憎悪ではなく彼らを心底かわいそうだと哀れんだ。高校3年にもなって、そんなことに楽しみを見出している彼等に。その彼等の心の貧しさに。それとともに、その時僕の中に一つの侵してはならない理性の境界が創出されたのも、いわば、自然のことであった。理性の境界とは、自分が人間らしくいられるであろう境界のことである。後に肥大し、善悪・道徳強迫として僕を苦しめるに至るその境界は、実は、僕が小学生であった頃からその萌芽は見られたのであるが、このとき初めて、自分の中で考えうる限りの完全な理をもって、眼前へと形を現出させたのである。
当然僕にも、自尊心というものはある。それは、優越感や虚栄心などではない。1人の人間としての、存在意義としての自尊心である。それは、まったく自分1人に適用できる定義である。しかし、それがゆえにいっそ強固な、つまりは自分の自己同一性ととなり得たのであった。
僕は、僕の障害を真似する彼等を哀れんだ。それは、自分がそういう人間へと堕することへの飽くなき対抗を宣誓するということでもある。自分がかれらと同じことを無意識がゆえにも侵してしまい、またそれを悔い改めることも、また、贖罪の機会も持とうとしないのであらば、その行為をもってして、僕は彼等に敗北する。そして、それだけにと止まらず、自己の存在をも否定することになるのである。僕が彼等と同じことを他の誰かに行えば、僕が彼等にもった憎悪、そして哀れみという感情は一度にしてその根拠を失う。その感情は空無となってしまう。それは、彼らという存在の認容、彼等の存在がなす行為への認容。しからば、其の下に組み敷かれるであろう僕と同じ境遇の人々はどうなるのか?そう、僕が彼等の行為を認容することは、必然的に其の下で、犠牲となる人々の状況をも認め、甘受を良しとすることになるのである。
つまりは自己の否定である。
このゆえを持って、僕は、誰かを傷つける行動に対して小心翼翼とするようになっていく。
なお、その頃の読んだ書が、村上春樹氏の「沈黙」であったことは、大学に入ってから知った。つまり、僕が高校時代に覚えていたのは、その内容だけであったのだが、大学に入り、本格的に本を読もうと思い立った時、最初に手をつけたのが村上春樹氏であったことは、因縁めいたものを感じずにはいられないエピソードである。

続く。
僕が、大学に入るとき、何故広島を選んだか?
それは、テニスの強い大学に行きたかったとか、県外に出て、より広い視野を身につけたかったとか、見聞を広めたかったとか。
確かに、そういった部分がなかったとはいわない。しかし、ホントのところは、そんなこと僕にとっては建前でしかなかった。
大分を離れることによって、一度自分をリセットし、新しい自分を構築していく。僕が広島に行った理由。否、広島じゃなくてもどこでも良かった、僕が大分を離れたのは、この、新しい出発、ということに尽きる。
何故大分を離れなければならなかったのか?
大分には、僕が育ってきた過去があるからだ。僕は、大分を離れることにより、過去から、決別しようと思った。厳密に言えば、過去に僕を苦しめたさまざまな思い出や、人間関係から。
確かにそれは逃避であろう。しかし、その当時、僕にはそうするしか、方法はないように思われた。今思えば、そのくらい追い詰められていたんだろうと思う。
僕は、人を疑るのは嫌いだ。だから、その人の言った事を心のそこから信じたいと思っているし、実際そうしてきたつもりだ。信頼が深ければ深いほど、壊れたときの修復は難しい。
僕は高校3年の後半、半年間、障害の真似をされた。クラスの半分の男子から。
それは巧妙に行われた。授業中に響く声、「プシュ、プシュ」いたる所から聞こえてくる。
少しして、それが、僕の強迫行為である、「喉鳴らし」、の真似であることをしる。それは、毎日続いた。最初は気にもとめていなかったが、ボディーブローの如くに、その鳴声は、僕の心を蝕んでいった。
そして、その真似をしていた男子の中に、僕と共に部活で研鑽を積んできた盟友もいた。
学校は、一つの社会の縮図であるからして、往々、こういったことが起こりうるのは当然であるが、その友達は、その僕がまだ仲間だと思っていた彼は、自分が学校という社会のアウトサイダーとなることへの恐怖から、僕と共にあることより、自分の保身を選択した。
そのころの僕を、人間不信へ導かせるには、その彼の「選択」を持ってするだけで充分だった。
友とは、一体どういったものだろう。僕が人間不信へ傾斜していったとしても、そこにまだ支柱となるべき存在があれば、まだ立て直すことが出来ただろう。その支柱となるべき存在こそが、友ではないのか?僕は、他の部活のメンバーに救いを求めた。しかし、返ってきたものは、寄る辺なき無関心だったのである。誰一人として、僕の感情の変化に気を止めるものはいなく、誰一人として、僕の相談を最後まで聞こうとするものはいなかった。彼等は、僕の感情の変化を、一顧だにせずに、考えることもなく、「訳のわからないもの」として放棄した。そして、僕の中から、友という定義が瓦解していった。
信頼は、そのまま、猜疑へと変貌した。そしてある種の人間への定款が、僕の心の内に芽生えた。「信頼に足る人間など、この世には存在せず」、それは、いわば、そのころの僕の自己防衛本能が下した結論であったのだろう。その諦観こそが、僕の支柱となっていったわけである。そして、その結論に至る一つの契機となったのが、村上春樹氏の短編「沈黙」との出会いである。
                    続く。
今までだらだら書いてきたけど、日本もだんだんウエイトに意識が向いてきてることは確かなんですね。

水泳・体操・スピードスケートなんかはもう海外と何の遜色もないでしょう。

他の競技も開国しましょうよ。そうすれば日本は他のどの国よりも強くなれると信じてますよ。

なぜなら、日本はもともとパワーがないだけに基礎的なこと、細かい技術やチームワークなんてのをしっかりすることでその力のなさを補おうとしてきたわけでしょう。だからそういった分野は外国と比べてもトップレベルだと思うんですよ。

イチローも、メジャーリーガーの選手は守備に対する意識が低すぎるって言ってましたよね。メジャーに行った日本人選手は皆守備を誉められてますよね。

最初からパワーがあるとどうしてもそのパワーに頼ってしまって細かいことがなおざりになる、日本人は細かいところをしっかりしてるから、その上パワーがつけば最強ですよ。

これこそ、日本的精神のとパワーの融合。

僕の経験では、ウエイトをして筋力をつけて始めて出来るようになる技術もあるんですね。

信じないかもしれないけど、高校時代部活で毎日練習してた頃より、今のほうが僕はテニスうまくなってるんですよ。確信もって言えますね。
これはひとえにウエイトをして筋肉がついたからなんですね。高校時代は筋力がなくてうまく打てなかったスピンサーブも今なら打てるし、強打しても安定してアウトしなくなりました。筋肉という土台が強固になったお陰で微妙なずれがなくなったんですね。

同様に筋肉つければ、野球でも今まで打てなかった球が打てたり出来るようになりますよ。カブレラなんて少々のボール球だってホームランにしちゃうでしょ。長谷川だってメジャー行ってウエイトやって球速上がりましたやん。サッカーもしかり、どんなスポーツもしかりですよ。

さんざん悪態ついてきた日本的根性ですが、もうちょっと柔軟になって科学的な見地も取り入れれば最高の精神論になると思うのよ。

だから筋肉に対する偏見を取り去って、ウエイトしましょうや。あくまでも僕は愛国主義者なんですよ。お願いね。

次回は一般人とウエイトについてやりたいなあ。
筋力をつけようと思ったとき、陥りやすい誤解として、ウエイトをやっていれば筋力はつくと思うことである。

これはある意味でそうともいえる。しかし厳密に言えば正しいとはいえない。

確かに始めのうちはウエイトだけをやっていても筋肉はついていくし、筋力も上がる。なにもやっていない人に比べればもちろん成果はある。だが、ウエイトだけをやっていてもある一定までつくと頭打ちになるときがくる。筋肉がつかなくなってくる。そこで、自分は筋肉がつきにくい体質なのだとあきらめるてしまう人が多いが、それは早計である。

筋肉をつけるには、休養と栄養が欠かせない。ウエイト・食事・休養。この三つはどれが欠けても筋力を効率的にの発達させるのは難しい。三位一体なのである。

ウエイト・トレーニングは筋肉に未曾有のインパクトを与え、筋細胞を破壊する。休養を取ることによって体はそのインパクトに耐えうるだけの筋肉を作りだす。

しかし、その筋肉を作る材料が不足していたらどうなるだろう?いくら休養を取ったところで、充分な筋肉は再生されないのだ。

結果、この3つのどれかが欠けていると1ヶ月で到達できる目標に、その何倍もの時間と労力を費やさなければならなくなる。

ボディービルダーはオフシーズンにはとにかく食べに食べて太ることに専念する。それは筋肉を再生させて余りある栄養を体に蓄えておくためである。

だから筋肉をつけるためには、ウエイトの知識だけでなく、栄養学もある程度学ぶことは必須なのである。

そしてもうひとつ、筋肉をつけると、それを維持するための栄養も絶やすことが出来ない。筋肉は細胞であるから日々変化している。筋肉への栄養を枯らさないために食事の取りかたもボディービルダーに酷似してくる。

僕が前回プロに徹するためにはストイックを求められるといったが、この食事こそまさにそのものである。

ここで前回あげたロドリゲスと、ガルシアパーラを再び取り上げる。彼らがいかにストイックな食事を取っているかがわかる。

<ロドリゲスの食事例>
※オフシーズンのものである
1回目:卵白、パンケーキ、七面鳥の肉、オレンジジュース
2回目:プロテイン・シェイク(ワークアウト前)
3回目:鶏肉かツナにライスを添えて
4回目:プロテイン・シェイク(野球の練習前)
5回目:寿司、ツナまたは七面鳥の肉
6回目:「夜に空腹になったときは、プロテイン・シェイクをもう1杯か、ツナ缶を1個食べる」

<ガルシアパーラの食事例>
※オフシーズンのものである
1回目:シリアル1杯、オレンジジュース、ベーグル1個
2回目:プロテイン・シェイク1杯(ワークアウト後)
3回目:七面鳥のターキーサンドイッチ1個、スープ1杯
4回目:プロテイン・シェイク1杯(午後のワークアウト中)
5回目:果物(ワークアウト後)
6回目:鶏肉に野菜を添えたもの
7回目:プロテイン・シェイク1杯

これを見てみると、2人とも約3時間おきに食事をとっていることがわかる。そして午前中は炭水化物を多めに取り、午後はあまり取っていない。
筋肉の再生、維持の主養分であるたんぱく質は毎回しっかり取っている。たんぱく質を切らさないことが最も重要だ。そして全体を通して低脂肪に抑えていることがわかる。

2人はこの食事を年間ほとんど変えることが(多少のバリエーションの変化はあっても)ないそうだ。
コンディションの維持の為に、食への欲求を捨てているのだ。これは、ボディビルダーの食事とほとんど遜色がない。

日本人選手でこれほど食事に気を使っている選手がいるだろうか?いるとしても多くはないはずである。

日本は農耕文化なのでどうしてもたんぱく質の摂取が少なくなるが、筋肉を構成する唯一の栄養素であることを肝に命じてほしい。日本人の感覚で取りすぎると思うくらいとったとしてもまだ足りないくらいだろう。

しかし、一度にたくさんたんぱく質を取っても意味がない。筋肉が一度に吸収できるのは40グラムといわれている。また、3,4時間経つとそのたんぱく質が尽きてしまう。なぜメジャーリーグの2選手が3時間おきに食事をとるのかを考えてほしい。また、筋肉の再生がもっとも活発に行われる時間帯に取るとさらに効率的である(たとえばワークアウト後20分以内や、就寝前など)。

僕もこの食事法を実践したことがあるが、筋肉のつき方が全然違って驚いた。

ここまでやってやはり筋肉がつかなかったとき、始めて自分の体が筋肉がつきにくいのでは?と疑うべきである。

食事はトレーナー任せに出来ないからこそ、自分で管理できる知識を備えていなければならない。これだけでも、かなり日本と世界のスポーツ界の距離は縮まるはずだ。

あと1,2回で総括をやりたい。(なんか硬くなっちゃったね、文体・・・^^;)。
さて、次はメジャーリーグ至上最強の遊撃手になるであろう、アレックス・ロドリゲス。

彼は、オフシーズン、ウエイト・トレーニングを週に5〜6回行う。
プログラムは以下のようになっている。

1日目:胸、腹筋
2日目:肩、脚
3日目:腕
4日目:休養
5日目:背中

やはり、マグワイアと同じく、3日ごとに1日オフを入れている。

このほか、レッドソックスのスター選手で、イチローのライバルとも目されているノマー・ガルシアパーラは週に4回、2日(月曜日と木曜日)は上半身、残りの2日(火曜日と金曜日)は下半身といったプログラムを組んでいる。

よく日本人選手がメジャーリーガーの練習の短さに驚くが、彼らはこのようにプライベートでハードにトレーニングをつんでいる。

しかも、この点を強調しておきたいのだが、彼らは日本のようにオフシーズンを休養という概念で捕らえていない。彼らにとってはオフシーズンこそ他選手との差を広げる絶好の期間なのだ。

僕が取り上げた3選手は皆一年中トレーニングをつんでいる。
キャンプでの風景を見ただけでは、日本の方がハードに見えるが、たとえば日本人選手はキャンプにオフでたるんだ体を仕上げるのに対して、メジャーリーガーの場合はキャンプ時にはすでに体が出来あがっている状態なのだ。総合的にはメジャーリーガーのほうが練習量は上である。

松坂がぶくぶくと太ってキャンプに現れる場面を見るたびに、日本人もオフシーズンに対する考えを改めるべきだと思わされるのだ。

キャンプまで休養を取る日本と、一年中休みなくトレーニングするメジャーと、どちらが姿勢としてプロフェッショナルであるかは、比べるべくもないだろう。

短期間で急激に体を作ろうとすれば、その間の練習は激しくなるが、1年をスケジュールとして体作りをすれば、無理もなく合理的である。

よく日本人の精神性の優位をあげられるが(たとえば物事に対するストイックさなど)、苦痛に見えるからといってストイックなのではない。
また、ストイックであることがプロフェッショナルなのではない。プロフェッショナルな姿勢を貫こうとするためにストイックさが求められるのだ。

何かに耐えることがストイックなのではない。技術の向上の為に常に最善の方法を模索し学ぼうとする貪欲さがストイックなのである。
科学的な見地に等閑にしている日本の態度は、見せ掛けのストイックであり、その精神性においても日本はアメリカに優越しているとはいえないのである。

次回はウエイトと食事についてやっていく。
さて、メジャーリーグのスラッガーとして名を馳せたマーク・マグワイア。

彼の体は最初からあんなに大きかったわけではない。すべてはウエイト・トレーニングの賜物である。
彼は、大学時代からウエイトを始めたが、それは試行錯誤の始まりを意味していた。
そのころの彼の体を見たことがあるが、引退前の頃の体と比べれば、マッチ棒といっていいほどに細かった。

彼はこう述べている、
「これまで試行錯誤で学んできたことが、大学時代にわかっていたらよかったと思う。つまり、ウエイト・トレーニングによって、野球のプレーを向上させることができるということだ」。

では、彼は具体的にどのようなトレーニングを試行錯誤の上、生み出したのか。
彼は、基本的にオンシーズンも、オフシーズンもトレーニングをする(サミー・ソーサはオンシーズンはしない)が、主に筋力をアップさせるのはオフシーズンであるので、オフシーズンのワークアウトを取り上げる。

マグワイアは通常、3日オン、1日オフのスケジュールで、次のようなスプリットを用いることが多い。

〇1日目:上腕二頭筋、前腕、上腕三頭筋
〇2日目:胸、背中
〇3日目:脚、肩

<プログラム例1>
上腕二頭筋 ・ダンベル・カール
       (2〜4セット 8〜15レップ)
      ・プリーチャー・カール
       (2〜4セット 8〜15レップ)
前腕    ・リバース・カール
       (2セット 15〜25レップ)
      ・リストカール
       (2セット 15〜25レップ)
上腕三頭筋 ・トライセップス・プレスダウン
       (2〜4セット 8〜15レップ)
      ・ダンベル・エクステンション
       (2〜4セット 8〜15レップ)

<プログラム2>
胸     ・ハンマー・チェスト(フラット)
       (2〜4セット 8〜15レップ)
      ・ハンマーチェスト(インクライン)
       (2〜4セット 8〜15レップ)
背中    ・ワイドグリップ・ラットプルダウン
       (2〜4セット 8〜15レップ)
      ・ベントオーバー・ロウ
       (2〜4セット 8〜15レップ)

<プログラム3>
脚     ・レッグ・エクステンション
       (2〜4セット 8〜15レップ)
      ・レッグ・カール
       (2〜4セット 8〜15レップ)
肩     ・ラテラル・レイズ
       (2〜4セット 8〜15レップ)
※なお、セット数、レップ数はワークアウトによって上記の範囲で変化させている

マグワイアは定期的にルーティンを変えるので、上記あげたのは、彼の数多くのプログラムの中の一例に過ぎない。

これに加え彼はオフ・シーズンには45分のエアロビック・トレーニングを毎日行っている。

このプログラムを見れば、ウエイトトレーニングがただ漫然と鍛えているだけではないことがわかってもらえるはずだ。

筋肉をつけるには、まずは筋繊維を壊さなければならない。骨折すると、その個所は前より太く再生するが、筋肉もしかるべき休息を与えれば、ちぎれた筋繊維はより太く再生される。
これを超回復という。筋肉の回復には約24〜48時間、あるいはそれ以上の時間を要する。

ここで注目してほしいのは、筋肉は部分としてわかれているという事だ。つまり、肩の筋肉を休息させている間は、他の部分の筋肉を鍛えればよいわけだ。

マグワイアの上記のルーティンも、あれに1日のオフを加え、筋肉の一部分に3日間の間隔をあけている。こうやって筋肉は超回復を繰り返し、筋力をアップさせていくのである。

しかし、この知識がないままに、筋トレをするとどうなるか。
たとえば1日で全身を鍛え、それを毎日続ける。

恐ろしいことである。筋肉は超回復をする暇がなく、壊れていくばかり。筋肉がつくどころか、体自身に変調をきたす事になりかねない。
これをオーバートレーニングという。何日たっても倦怠感や疲労感が抜けず、食欲もないという状態になる可能性があるのだ。

ここまでの説明で、日本のしごき式鍛錬の危険性をわかってもらえただろうか?

筋肉の知識のないままトレーニングをすれば、成果をあげるどころか選手生命を潰しかねないのだ。巨人の星などもってのほかである。

マグワイアのトレーニングでさらに瞠目すべきなのは、彼はトレーナーに頼らず、自分でプログラムを組んでいるという点だ。これは他のメジャーリーガーにも多く当てはまるだろうが。

日本の選手はたとえトレーニングをしているにしろ、トレーナーにまかせっきりの人が多いように思われる。
トレーナーはあくまで助言者であり、自分の筋肉のことを一番わかっているのは自分であるということを肝に銘じておいてほしい。自分の筋肉のことを熟知することが筋力の向上、ひいては技術の向上には欠かせないからだ。

次回も引き続き、他のメジャーリーガーのトレーニングも紹介しながら、日本の野球を例に、僕が思う日本のスポーツ界の改善点を挙げていきたい。
ウエイトトレーニングの先進国であるかのようにアメリカって見られてると思うんだけど、ウエイトがスポーツにとり入れられだしたのってそんなに昔のことじゃないんだよね。

とくにメジャーリーグは遅くて、1980年代に入ってから本格的にウエイトに取り組みだしたんだよ。

そしてその結果は一目瞭然だよね。
今やメジャーリーグは本塁打30本打つ程度じゃスラッガーとはいえなくなってる。
70本の本塁打を放った選手が近年二人も出てきたたわけで、打高投低の時代なんて言われているけど、ピッチャーの実力も上がってる。
ベーブルースの時代に比べて変化球の数が増えたし、今では時速160kを超える球を投げる選手が結構いる。
ただそれが目立たないのは、打者の技術がそれ以上に向上してるからなんだな。
そしてやはり、その向上っていうのはウエイトの恩恵を無視しては語れないんですよ。

もちろんウエイトの普及によって新たな問題も出てきたわけで、筋肉増強剤なんかもそのひとつではある。でも、これは、プロスポーツという競技の宿命で、ウエイトが重要視され出すと、こういった問題が噴出してくることは予想できたわけだから、ウエイトによる弊害ってより、そのことにちゃんとした対策をとっていない野球協会の責任だといえる。

さて、閑話休題。

現在のメジャーリーグの全選手がウエイトトレーニングをしてるなんてはずはないし、僕もいうつもりはない。
しかし、スラッガーといわれる、もしくは名プレイヤーと呼ばれている選手のほとんどは、ウエイトトレーニングを行っているという事実は知っといてもらいたい。
ちなみに、バリー・ボンズの趣味はウエイトトレーニングである。

ここで、ちょっとしたエピソード。
日米野球あったよね。そんときにまだ巨人にいた松井はサミー・ソーサと話したんだ。
そんときソーサは松井がまったくウエイトトレーニングをしないということを聞いて驚き、「それはいけない。是非ウエイトはやるべきだ」ってアドバイスをしたんだけど、結局松井はウエイトをやらなかった。
でっ、現在アメリカに渡って彼はこんなこと言ってるよね、「ここでは僕ぐらい飛ばす人なんてごまんといる。僕はここでは長距離バッターじゃありません」なんて。

これはやっぱり感覚の問題なんだろかな?彼がいろんな工夫して努力してるのはすごいと思うけど、どうしてその「努力」に筋力をつけるって工夫が含まれないのか?そういう考えにいたらないのか?僕には不思議なんだよね。

このことに気づいたのが現巨人の清原。彼もまた、日米野球でソーサを見たんだけど、そんとき彼はソーサの腕の太さに驚いて、自分の腕をさわり、これじゃあだめだと悟ったわけなんです。それからというもの清原はウエイトに重点をおきだして、今ではライトの看板に当たるホームランを打てるくらいまでのパワーを付けた。彼はこのことに気づいたのが全盛期を過ぎたころなので、これもまたカール・ルイスと同じく残念ではあるけど、現在結果を残しているので彼もウエイトの効果を実感してる。

そんな清原がある番組でこんなことを言っていた。「日本人は車にたとえると、タイヤを替えたりホイールを替えたりして速くなろうとするが、アメリカ人は車のエンジンそのものをとりかえることによりスピードアップを図る」
言い得て妙、だよね。

だから僕はこういいたいわけさ、「日本選手よ、エンジンを変えた上で、タイヤやホイールをかえてみてはどうですか?」と。

それをやって見事に成功している選手がいるじゃない。西部の松井と阪神の金本さん。この二人はウエイトトレーニングをとり入れることによってその成績を伸ばしているよね。とくに松井なんかは本塁打が30本に届いて盗塁とあわせて30・30を成し遂げられる選手になったよね。これなんかウエイトトレーニングしてなきゃまず無理やろうと思われるわけですよ。

ちょっと長くなったんで、ほんとは今回取り上げるはずだったメジャーリーガーたちのトレーニングプログラムは次回にするね。
筋肉を鍛えるに当たってまず知っておかなきゃならんことは、ウエイトトレーニングと一言にいっても、いろんな種類があるってこと。

筋肥大にターゲットを絞ったトレーニングもあれば、筋力をつけるとか、持久力をつけるのを目的としたトレーニングもあるんじゃよね。

ボディビルダーがやってるウエイトってのは主に筋肥大を目的としてるわけだけど、スポーツやるならその種目ごとにトレーニングのやり方や種類を考えていかなきゃならないわけですよ。

たとえば野球なら、ピッチャーは持久力に重点をおいて、バッターはそんなに持久力をを要求されないから、ランニングよりもウエイトの方に力を注いだほうがいいという事になるわけさ。テニスなら持久力と瞬発力、ラグビーなら筋力、筋肥大、瞬発力、持久力ってことになるかな。

ただ単に考えも無しにバーベル上げ下げしてるだけじゃ、望んだ筋肉は作れないし、筋肉を発達させる意味においても、非常に効率が悪いんですよ。

詳しいことは省くけど、大まかに分類すれば、低重量で高回数をこなせば持久力がつくし、中重量で中回数で筋肥大、高重量で低回数なら筋力をつけるのに適してる。ほんで瞬発力ってのは筋力にリンクしてるんだけど、まあ、平行してダッシュをやったりしていくことが重要だね。

ただ、回数こなせば持久力がつくんだろ!ってプロレスラーみたく何百回もスクワットやったりするのは甚だ疑問なんですわ。
なんとならば、持久力をつけるのに適するのは、自分が12〜20回くらいの回数で限界に来る重量をつかったトレーニングをやるのが、まあ常識とされていて、個人的な細かい微調整はあるとしても、まあそこらへん近辺になるはずなんです。
だから、何百回も回数をこなせるってことは、まったく無駄とはいわないけど、やっぱトレーニングとしては甚だ効率が悪いですね。

日本ではそういうのが精神の鍛錬としてすりかえられちゃうことがままあるけれど、だからそれは求道的な武術とかなら文句はないわけだけど、試合に勝利することを目的にしたスポーツ競技では、まずもって必要ないですよ。そんな忍耐は。

そもそも、そんなしごきで忍耐がつくのかどうかも疑問なんですよ。
しごきについてこれなかった者は精神力が弱いなんていって脱落してった人たちの中に、ひょっとしたらものすごい才能の持ち主がいたかもしれないのに、あーもったいな。
なんてことが起こりかねませんからね。

こんな風に日本では精神にとにかく負荷をかけて耐えることでなれさせる。それこそが精神修行な訳ですが、アメリカのメンタルトレーニングなんかは、精神にかかるプレッシャーをどのように和らげるか、もしくはプラス方向に持っていくかっていう心理的なところをロジカルに冷静に検証して対処法を見出していくっていうもので、こっちのほうがポジティブじゃないかって思うんですよね。

やっぱこういう違いを見てみると、日本ってのは肉体や精神を非常に観念的に、そしてアメリカは科学的に見ているってのがわかりますね。
そしてどっちの方が結果を残してるのかを”スポーツ”的に判定してみると、やっぱりアメリカに旗が上がっちゃうんでがす。

さて、次回はメジャーリーガーの有名選手のトレーニングをあげていきながら、ウエイトトレーニングのプログラムを検証していきます。
さて、金田さんは経験則を信頼してウエイトトレーニングを否定したわけだけど、自分の経験則は信じるのに、なぜ他人の経験則を信用しないのか?って疑問があるわけね。

ウエイトトレーニングを行って成功した人なんてごまんといるわけで、その人たちを蔑ろにしてウエイトトレーニングは必要ない。なんて言ってもなんの説得力も持たないのですよ。

まず筋肉に対する誤解として、筋肉をつけると体が硬くなるってのがあるよね。

いったい何処からこんな説が生まれたのかわからないけど、こんなんまったくの嘘っぱちでっせ。

実際には筋トレをすると体の柔軟性が増すって科学結果が出てます。
これは、ベンチプレスなんかをやってる人ならわかると思うけど、バーベル下ろしたときに体をそらせるよね。始めてやったころは体が痛くてしょうがなかったはずなのに、それがやり続けていると、いつしか体をそらせても苦にならなくなる。これってつまり筋肉の稼動範囲が広がったってことなんですわ。

もちろん、筋トレばっかでストレッチをやんないと硬い体になるし、ストレッチを丹念にしていれば筋肉つけつつ柔らかい体に仕上げられるわけで、ここらへんは筋トレなんか関係なく普通の人にもいえるやね。

そして筋肉がつくと動作が鈍くなるっていうのも大きな誤解。そんなこと言ったらスピードスケートの清水宏康選手やテニス選手のM・チャン、さらにはアメフトやラグビーの選手をどう説明するのさ?

こういった誤解や自分の体に対する過信、潜在的な力への探求っていうのは決して日本だけではないんだけどね。

たとえばカール・ルイス。彼も若かりしころはウエイトトレーニングを一切やらなかったわけだけど、年とともに体が衰え、最終的にはウエイトをとり入れた。全盛期のときに筋トレやっとけばさらにすごい記録が生まれたかもしれないのになって僕はちょっぴり残念に思うよ。

現在、陸上の短距離界はウエイトを行うことは当たり前になってるよね。M・グリーンの体を見てもその筋量は驚くべきもんだわさ。

筋肉って思ってる以上に奥が深いものなんだよ。

日本ではボディビルの筋肉に対して見せかけだ、なんて声を聞くけど、ボディビルダーが作り上げている筋肉って見せるための筋肉であって、ボディビルにとっては実に実用的な筋肉なんですよ。それに当然そんじょそこらの人なんかより全然力強いでっせ!

そもそもボディビルやってる人たちは人体についてはプロフェッショナルなのよ。
ただ筋トレしとけば筋肉ついてくれるなんて甘いもんやおまへんのや。そこには運動生理学・栄養学・心理学などの知識を必要とされるんですよ。

つまり彼らは見せるために筋肥大を意識したトレーニングをしているけど、たとえば野球に必要な筋肉をつけることも出来るし、その他の競技に実用的な筋肉を作るのにこれほど長けた人たちはいないのですよ。

だから、海外のプロスポーツ選手なんかは、ボディビルダーにアドバイスをもらったり、トレーナーについてもらったりしてるよね。

そもそも僕にはボディビルを嫌悪する理由がさっぱりわからない。だってボディビルって自分の体を作っていくスポーツでしょ?最も人間の根源的なものに根ざした競技だと思わん?それを否定するってことはつまり人間それ自体を否定することのように思われるんだよね。

まあ、一度でもウエイトトレーニングを本格的にやったことのある人間なら、彼らのやってることがいかに大変で緻密な作業なのかってことがわかってると思うけど。僕なんかはものすごく尊敬しちゃいますよ。

おっと、話が横道にそれてボディビル論になっていってる(汗)。
まあ、つまり僕がボディビルを通していいたかったことは、筋肉を侮っちゃいかんぜよ。ってことなんよ。

僕がウエイトをやることこそが日本スポーツ界の未来を切り開くと断言できるのは、この分野がまだ日本人が開拓し始めたばっかりで、未知なのに、外国の方々がすでにその効果を証明してくれているからなんですね。

ということで次回はもうちっと筋肉について詳しくやります。
ちょっと修正。

保守派の誰かさんとの対話形式って結構めんどうくさいことに気づいたので、やっぱ僕だけでやっていくことにするよ。

さてミクロ編。個人を検証していきながら日本と諸外国の違いをあげていきます。

まあ、前にも言ったとおり、日本には筋肉、ってか体に対して精神が優越するという価値観がありまんがな。だから、体の限界を精神によって乗り越えるっていう論理が働いてるんやけど、これって火事場のバカ力みたいな潜在的能力を鍛錬によって意識的に引き出せるようにしようってことでしょ?
んなアホなって思いますよ。

そのために朝から晩までしごいてしごいて野球でよく見るぶっ倒れるまでノックする。おそらく高校の部活動なんかではまだまだこういった伝統がいっぱい残っておますやろなあ。ってんなアホな。

ここでひとつの例として、オーストラリアの水泳チームが毎日練習してんのになかなか記録があがんない。どうしたことだ?って練習を1日置きにしたところ飛躍的に記録がアップしたって話があるんですね。

これ聞いてどう思います?んなあほなって思います?

でもこれって至極当然のことなのですやね。
僕が思うに、日本の方はスポーツやる人のなかにも肉体に対して知識がない人が多いようです。細かく知っとく必要は、プロでもなけりゃいらんかも知らんけど、技術やの記録やのの向上目指すんやったら、今からでも遅くないんでちこっと筋肉について勉強することをお勧めします。

知識がなけりゃ、当然偏見や思いこみがうまれてくるわけでして、よく聞く筋肉つけると体が硬くなるやの、動きが鈍くなるやのはそのような無知から来る偏見の最たるものですねん。ほんまに、まったく。

プロ野球で金田はんっていましたやろ?ロッテだか近鉄だかの監督やってたお人。現役時代も結構なピッチャーやったほうな。

ほんでその人が信用する練習ってのが自らの経験則なんですわ。ほんでその経験則てのが彼の場合、徹底した走り込み。ランニング。彼は走りこみを徹底的にやったおかげで自分の成功があったとおっしゃられています。

そうでしょうそうでしょう。走り込みは大事ですよ。とくにピッチャーにはね。でも強靭な下半身を作るのに走りこみだけだってのはどうかしらん?こういった考えはやはり遅筋と速筋、白筋と赤筋というのを無視した、筋肉をひとつのものと考えた無知からきているのですね。

ウォーレン・クロマティーも、今は亡きアンディ・フグさんも言ってましたよ。日本人はウエイトに対する取り組みが甘いってね。
だからまず、筋肉に対する誤解から僕なりに説明していきまひょ。次回にね。
うん、確かに日本のその経験則とやらにも多々合理性を見出すことが出来ますよ。

>保守派の誰か
「ほれみい、わしらのやっとることに間違いはないのじゃ。小ざかしいことをうだうだと申すな!」

しかしですね、日本のその精神力さえあれば限界を超えた力をだせるって理屈は非常に危険なんですよね。
それが僕のいう精神優越観なわけですよ。体の仕組み、人間の構造がここまで解明されてきてる現在において、科学的な見地を蔑ろにする態度は、人の肉体に価値を見出さないってことと「=」といっていーのではないでしょうか。だから、日本はもっと科学的な、肉体的なものに対して目を向けない限り、言いかえれば、精神の優越性が保たれている限り、全体的に非合理な感は否めないわね。

アメリカなんかは、精神にも肉体にも科学的な研究がなされていて、どうしても神秘性なんてものは薄れていくけど、技術の向上、個々のスポーツの進歩に限ってみれば、やっぱり合理的でしょう。

もうひとつ、僕が不満に感じるのは、日本は精神優越観を肉体的劣等性、コンプレックスのいいわけ、逃げ道にしてるように映るってことなんですな。

>保守派の誰か
「な、なにー!わしらはそんななさけない真似はしとらん!」

もし日本が試合で勝てばもろ手を上げて喜ぶくせに、負けたときは、体格やパワーの差がこんだけあるのに大和魂でこんだけ競り合った、よく頑張った。なんていつもこんなことを聞くたびに僕は釈然としない思いにかられるのですよ。

>保守派の誰か
「うくく、貴様はわしらに何をもとめておるのじゃ?日本とアメリカの練習にいったいどれほどの違いがあるというのじゃ!」

わかりました。次回からはミクロな視点からその違いを暴いていきましょうかね。

1 2 3

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索