●仕事は今んとこ順調に覚えていっている。
だけど、相棒がインフルエンザで今週はじめから休んでいて、教育が遅れるため、一ヶ月後に果たして独立できるか少し不安。
●この間以前の日記を読み返してみたら、今の自分とは真逆の考え方をしていたりして面白かった。
人は時を経て思考も変わっていく。
これは日記なのだから、数年前の考えが今と違っていてもいいのだ。
でも真逆の考え方でも今読むと、自分はこんな風に考えていたのかとか感心してしまったりする、過去の自分から教えられることも多々ある。
●僕は遅読で、本を読みはじめたのも遅く、買ったり積んだりしただけで読んだ気になったり、沢山読まなければとの思いから一度読んだだけで、今では何も覚えていないような本が沢山ある。それは、一種の焦燥感みたいなものがそうさせていたんだけど、俺はこれだけ読んだぜ、これこれを読んだぜ、と言ったところで、内容を忘れてしまっていたのでは読んだ意味がない。
潜在意識にはその沢山のエッセンスが蓄積されているはずだ、と考えていた時期があったが、今でもそれは否定しないが、そうしたものが蓄積されて、自分の才のコップからオリジナリティーとして溢れ出すまでの数を読み倒すには、僕は本を読みはじめるのが遅すぎた。
だから、自分は健在意識として認識できるまで、確実な知識なり技術なりを一つずつ記憶や体、脳に刷り込んで行く方向性でいくことにした。
つまりは再読、精読するということである。
とりあえず、自分に足りないのは描写力。
物理描写、風景描写、状況描写、あど、そうした文章技術が全くもってない。
拙い、のではない。無い、のだ。
小説を読む。長編は読むのに時間がかかるので再読しづらい。中編、短編で選ぶ。
一度読んだことのある中から選んだのは特に何も考えずに、坂口安吾の「白痴」、三島由紀夫「午後の曳航」、そして、遠藤周作「海と毒薬」。
あと、現代性と現代的な文章能力も身につけたいので、今まで接してこなかった現代小説も一冊だけ読んでいく。これもとりあえずで重松清の「ナイフ」。
つまり、今までのように初めて接する本で五冊併読とかはしない。
新しく読む本は一冊。で、あとの数冊はすべて再読にする。
再読は初見より時間は全然かからない。
「海と毒薬」は三巡目に突入。
だけど、相棒がインフルエンザで今週はじめから休んでいて、教育が遅れるため、一ヶ月後に果たして独立できるか少し不安。
●この間以前の日記を読み返してみたら、今の自分とは真逆の考え方をしていたりして面白かった。
人は時を経て思考も変わっていく。
これは日記なのだから、数年前の考えが今と違っていてもいいのだ。
でも真逆の考え方でも今読むと、自分はこんな風に考えていたのかとか感心してしまったりする、過去の自分から教えられることも多々ある。
●僕は遅読で、本を読みはじめたのも遅く、買ったり積んだりしただけで読んだ気になったり、沢山読まなければとの思いから一度読んだだけで、今では何も覚えていないような本が沢山ある。それは、一種の焦燥感みたいなものがそうさせていたんだけど、俺はこれだけ読んだぜ、これこれを読んだぜ、と言ったところで、内容を忘れてしまっていたのでは読んだ意味がない。
潜在意識にはその沢山のエッセンスが蓄積されているはずだ、と考えていた時期があったが、今でもそれは否定しないが、そうしたものが蓄積されて、自分の才のコップからオリジナリティーとして溢れ出すまでの数を読み倒すには、僕は本を読みはじめるのが遅すぎた。
だから、自分は健在意識として認識できるまで、確実な知識なり技術なりを一つずつ記憶や体、脳に刷り込んで行く方向性でいくことにした。
つまりは再読、精読するということである。
とりあえず、自分に足りないのは描写力。
物理描写、風景描写、状況描写、あど、そうした文章技術が全くもってない。
拙い、のではない。無い、のだ。
小説を読む。長編は読むのに時間がかかるので再読しづらい。中編、短編で選ぶ。
一度読んだことのある中から選んだのは特に何も考えずに、坂口安吾の「白痴」、三島由紀夫「午後の曳航」、そして、遠藤周作「海と毒薬」。
あと、現代性と現代的な文章能力も身につけたいので、今まで接してこなかった現代小説も一冊だけ読んでいく。これもとりあえずで重松清の「ナイフ」。
つまり、今までのように初めて接する本で五冊併読とかはしない。
新しく読む本は一冊。で、あとの数冊はすべて再読にする。
再読は初見より時間は全然かからない。
「海と毒薬」は三巡目に突入。
コメント