俺は高校三年の頃、障害の真似をされ続けた。
半数の男子から、真似をされ続けた。
その中には高校一年の頃一緒の部活で仲の良かった奴もいた。
奴らの手口は巧妙で、俺の真似だと指摘されても違うと言い訳ができる仕組みを設け、授業中でもはばかりなく真似をし続けた。
俺は信じられなかった。
高校三年にもなろう奴らが、中には学年でも上位にはいる成績の奴もいた、そいつらが、障害の真似をするという行為をなんの疑問も思わずに実行できることが。
これが人間か。
俺は人間が心底恐ろしくなった。
良心も、常識も持っているであろうはずのいい年をした人間が、一人の障がい者の行動を真似し続けて笑っているのだ。
俺は偶然、村上春樹の短編「沈黙」を読んだ。
その主人公の境遇と自分の境遇が重なった。
主人公はある時、憎しみが哀れみに変わる。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
俺はこの主人公のように、俺の障害を真似する奴らを憐れんだ。蔑んだ。
そのときに俺は一つの誓いを立てた。
「俺は決して奴らのようにはならない」
奴らとは。
俺の障害を真似をする奴らの中にはもちろん先導者がいた。しかしそれ以上に憐れんだのは、それに追随する「奴ら」だ。
『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしちゃうんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢を見るのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙のなかで何もかもがドロドロに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです』(沈黙から抜粋)
俺の中で奴らのようにならない、という誓いは、無自覚に人を傷つけてしまう行為を可能な限り減らす、という強迫観念へとつながっていった。
それはただ一心に、彼らを憐れみ、蔑む根拠を失わない為に、奴らと一緒の位置に立ってはいけない、という憎しみ、復讐心の上に立っている。
結局、俺は、お前らとは違う、お前らより俺は人間として劣等でない、という自尊心を保つ為に優しくなりたいと欲している。
それはつまり、彼らと自分がなんら変わらない劣悪な人間であったというだけの話である。
本当の善意を持つ人間なら彼らをすでに許しているだろう。
俺は憎い、俺の障害を真似した奴らが憎い。奴らを許せない。
俺の目指す人間的成熟の土壌は憎しみであり、蔑みと哀れみを養分としている劣悪なものである。
半数の男子から、真似をされ続けた。
その中には高校一年の頃一緒の部活で仲の良かった奴もいた。
奴らの手口は巧妙で、俺の真似だと指摘されても違うと言い訳ができる仕組みを設け、授業中でもはばかりなく真似をし続けた。
俺は信じられなかった。
高校三年にもなろう奴らが、中には学年でも上位にはいる成績の奴もいた、そいつらが、障害の真似をするという行為をなんの疑問も思わずに実行できることが。
これが人間か。
俺は人間が心底恐ろしくなった。
良心も、常識も持っているであろうはずのいい年をした人間が、一人の障がい者の行動を真似し続けて笑っているのだ。
俺は偶然、村上春樹の短編「沈黙」を読んだ。
その主人公の境遇と自分の境遇が重なった。
主人公はある時、憎しみが哀れみに変わる。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
俺はこの主人公のように、俺の障害を真似する奴らを憐れんだ。蔑んだ。
そのときに俺は一つの誓いを立てた。
「俺は決して奴らのようにはならない」
奴らとは。
俺の障害を真似をする奴らの中にはもちろん先導者がいた。しかしそれ以上に憐れんだのは、それに追随する「奴ら」だ。
『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしちゃうんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢を見るのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙のなかで何もかもがドロドロに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです』(沈黙から抜粋)
俺の中で奴らのようにならない、という誓いは、無自覚に人を傷つけてしまう行為を可能な限り減らす、という強迫観念へとつながっていった。
それはただ一心に、彼らを憐れみ、蔑む根拠を失わない為に、奴らと一緒の位置に立ってはいけない、という憎しみ、復讐心の上に立っている。
結局、俺は、お前らとは違う、お前らより俺は人間として劣等でない、という自尊心を保つ為に優しくなりたいと欲している。
それはつまり、彼らと自分がなんら変わらない劣悪な人間であったというだけの話である。
本当の善意を持つ人間なら彼らをすでに許しているだろう。
俺は憎い、俺の障害を真似した奴らが憎い。奴らを許せない。
俺の目指す人間的成熟の土壌は憎しみであり、蔑みと哀れみを養分としている劣悪なものである。
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