海巡り

2011年9月30日 友達
海巡り
海巡り
海巡り
◉海辺は若いカップルばかりが行く場所ではない。
30過ぎの無職の中年男だって行って似合わぬこともなかろう。
さっさんに誘われ下郡辺りで行きつけのラーメン屋でオススメのチキン南蛮を食し、BGMはノリノリの南こうせつが流れ、僕たちはバンカラを気取り海辺へと繰り出したのだ。
佐賀関の海星館は快晴のため海が一望でき四国まで見渡せた。
軽自動車の激しい揺れで助手席の僕は半ばグロッキーぎみだったが、この景色を前にそんな気分も幾分か中和され気味で、車からはしゃぎおり、勢い、ほの遠くに見える岬の突端に建つ灯台まで下ってみるが、寂れ切った身体に中途半端に補正された階段ほど毒なものはなく、二人は滂沱の汗を滴らせながらたどり着いた灯台がなんら面白みのないものであるのを漠と感ずいていたくせに実際に目の前にするとあたかも思惑が外れたかのように憤然とした体を取ったりして遊んだ。
海は良い、海は海を見ながら全く関係のない猥談に興じる下劣な中年男性ふたり連れでさえ優しく受け入れてくれるのだから。
僕たちは海の暖かさを身体全身に感じながら、持ってきた求人大分を貪り読み、海に比べて自分の存在なんてちっぽけなもんだと、爽やかさと卑屈さの二律背反性をちっぽけという言葉に見出すのである。

坂ノ市の突き当たりに僕がいったことのない海辺があった。
その場所は、さっさんが遠い昔に(その当時は)うら若かったであろう淑女と通ったのかもしれないその場所は、今や世間からドロップアウト寸前のニートおじさんを伴ってくるまでに落ちぶれてしまったのかと思うと海とさっさんに申し訳ない気持ちになったが、よく考えるとさっさんも現在無職なので、僕をさっさんに申し訳なく思わせるとは何事かとさっさんに憤りを覚えた。
そんな気持ちをバカヤローという叫びとともに海にぶつけ、僕たちは廃れた公園にあるピラミッドのようなものに登り、一面に繁茂している草むらにしっかぶる。
人々は眼下にある。
世界を征服したような気持ちになった。

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