●最近、よく思う。どうにかなるさ。
人生、どんな状況でもどうにかなるし、今の自分の状況は、不安を感じることさえおこがましいくらいの恵まれた環境なんだと思う。
単に僕が将来だとか人生だとかに不安を感じているとすれば、それは日本で育った多くの人が歩むべきだと考えている一般的概念に沿った人生を辿っていけるのかどうか、に対する不安なだけで、そういった括りを取っ払ってしまえば、人生いくらでも、なんとでもなっていける。
どうにかなるっていうのは、投げやりなんじゃなくて、もっと前向きな意味でね。

ユーチューブで、「日本人より日本人らしい外国人の旅」という動画をボーっと見てた。


http://www.youtube.com/watch?v=RJdzZ8L37A0&feature


この動画は、海外から来て、日本の伝統文化、芸術に携わっている人たちを紹介してるんだけど、そこに出てくる外国の人たちは、みんな20代後半とか、30代で何も知らないところから、一から出発して職人を目指しているんだよね。

その歳から、言葉のわからない外国に移り住み、誰かの弟子のなって学び、そしてそれを職にしたいと思う。

そこにはもちろん不安もあったのかもしれないけど、それ以上に「これが好き」っていう熱意が勝ったんだよね。

30代超えたらそろそろ将来を見据えて、とか、正社員にならなけりゃ、とか、思ってしまうわけだけど、その30代だとかいった括りってのは、「日本で育った多くの人が歩むべきだと考えている一般的概念に沿った人生を辿っていけるのかどうか」という限界がそこいらの年齢だからという考えがあるからなんだろね。

それも一つの幸福になるべき選択肢だけど、その概念のレールから外れて、外れることを自分で決断できたなら、きっと人生の幸福の道がぐっと多様化するんだと思う。

そして、生きるという意味においても、ずっと逞しくなれるような気がする。

ゾマホンは、44歳の今も月八万で暮らしていて、風呂無しトイレ共同の6畳一間で、それでもさ、自分の好きな勉強して、ベナンの教育水準を上げるという夢を追っかけ、明るく逞しく、やっていってる訳じゃん。

昔は金ないときはご飯に納豆、とかご飯に炒めた玉ねぎたくさん乗せて、それを一日一食。腹減ったら水をたくさん飲む。
日本の水は、きれいでどこでも飲める。それだけで幸せなんだってさ。
公園にある水をしこたま飲むわけさ。んで、腹いっぱいになる。ああ幸せって。

夢に期限もないし、スタート時期に遅いも早いもない。
なんかまとまりのない文章だな。

つまり、俺は何不安感じてるんだって考えたら、すごく狭量な視野でつまらない価値観の枷に苦しんでいるだけなんじゃないかと。


何がいいたいって言うとね。
人生どうにでもなる。
どうにでも生きていける。

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