自分の歩調

2010年9月17日 日常
●今の仕事をしながら、株をするのは、なかなか難しい。
それでも他の仕事に比べたらベストな方だけど、僕は月と火が休みで、水曜の夜から仕事。
だから、その3日間は気兼ねなく株ができる。
だけど、どうしても木と金は睡眠不足で辛い。
辛いだけならいいけど、忙しい季節になると残業で睡眠時間がさらに削られるので、デイトレは二日間は厳しくなりそう。

まだ一本で株で食っていくのは無理でも、もう少し株に余裕を持って取り組める仕事に変えたほうがいいだろうか。
バイトでもいい。
夜勤で、月に10万ほど稼ぐくらいでいい。

というような話を母親としたわけさ。


●両親は、僕の生き方を肯定してくれている。
本人達は、本当のところは、正社員で真っ当に、みたいに思っているのかも知れないけど、僕の生き方を否定はしない。

なぜ否定しないのかといえば、それは多分、(母親の方が特に)僕が障害を持っていて、それで苦しんだ時期を知っているからだと思う。


●今現在、たとえ契約社員でも、8年前に比べたら、全然マシなのだから。
大学時代からその位まで、障害が最高にひどくて、結局働けたのは、24歳になってから。
で、そういった経緯の中で、ずっと抱いていた健常者に対する憧れ=普通に対する憧れ、みたいなものが自分の中に存在していたんだけど、働けない間は、「普通ってなんだ?」ってことを考える契機でもあったんだよね。

最初の方は、「自分は障害がある限り普通になんてなれない、だから普通に拘らなくていい」みたいな捻くれ劣等感丸出しのネガティブ的ポジティブだったんだけど、いつしか「普通なんて無いんだ」という風に転換できていった。

人生の幸福に絶対の定義なんて無い。
自分は遅くてもいい。それが自分の歩調なのだから。
人生はみんなと競争しているものじゃない。
みんなに追いつこうとするのではなくて、自分の道を一歩一歩進んでいけばいい。と決めてから、何かが吹っ切れ(もしくは世間体や虚栄心、劣等感といった無用なプライドがかなり剥がれ落ちた?)、周りの生き方というものに以前ほど振り回されることも無くなった。

今ここまで障害が治ったのは奇跡だけど、当時の僕は、本当に、働けるところはあるのか?って状態で、親と色々相談して、公務員ならって目指したりもしたけど、学校行けなくなって駄目で。
まあ、まだ当時は、「普通」に拘ってたんだろうね。

今でもぶれる自分はいるけど、以前ほどじゃない。

生きたかにもまた常識なんて無い。
正社員に拘らない生き方だって、いくらでも生きていける方法があるさ。

僕自身の人生の幸福、まず第一に、僕に関わることで言えば、いろんなことを知りたい、勉強したい。その為の時間をつくること。
そして、学んだことから、何か周りに還元できることがあればしたい。

そうした一連の中に夢や目標も含まれてるということ。

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