●仕事前に出る憂鬱感、原因は大体わかってる。
大方は予期不安。
それも、対人関係に対する予期不安。

僕は、うちの会社で対人関係がうまくいっているほうだけど、裏を返せば、人から嫌われたり疎まれたりすることを必要以上に恐れているから、うまくいくように振舞っているともいえると思う。

本心では、誰にも嫌われない人なんていないんだから気にする必要はない、とわかっていても、やはり嫌われるよりは、うまくいっていたほうが快適に過ごせる。

でもその快適に過ごすための手段として、おそらくは気付かないところで物凄く気を使ってしまっているのだと思う。

もう今では、どこまでが素でどこまでが気を使っているのかも判然としない。
気を使うことが素になってしまっているのかもしれない。

気の置けない友人間ならまだそういう障壁は低いけど、それでも全く無いとはいえない。

何故そこまで嫌われることを恐れるかといえば、それはやっぱ過去の経験から来るものだろうと思うし、いまだにその呪縛から離れることができないってことなんだろう。


●憂鬱感とはまた違うけど、一昨日、久しぶりに元同僚達に会ったときに、自分でも驚いたけどもう打ち解けているはずの人達にも久しぶりだとやはり緊張してしまっていた。

何故緊張するかってのも、同じ予期不安から来ていると思う。

自己評価が低いのだ。

僕は、根本的に、自分は人にとって迷惑な存在だ。という認識が拭えない。自分自身でそのように評価してしまっているから、仲良くしている相手にも基本的に、親しくしてくれているのは、僕を誤解しているからだ、と潜在的に思ってしまっている。

思っているから、本当の自分を知られたら嫌われるという考えが思考ではなく限りなく本能に近い部分で染み付いている。
ほんとうの自分を知られると嫌われるというのは、過去の経験則から導き出されている。

うまくコミュニケーションが取れずに、相手に不快感を与える=相手の迷惑になる(相手に嫌われる)=やはり自分は迷惑な存在だ。

それは自分の(潜在的な)評価を裏付け強固にしてしまう。

そして、やはり迷惑なのだから、これ以上自分が関わることで迷惑をかけることはしたくない、と思ってしまう。

でもこの思考は、多くの部分で歪んでいる。
どこが歪んでいるかわかりますか?

僕は今、自分の価値を正当に評価する、つまり、人間として存在価値(自信)を高めるためのリハビリ中だから、その低い自己評価に抗っている。

緊張は、人間としての価値を保ちたい、僕のリハビリの影響だと捉える事ができる。
低い価値に身を委ねるのじゃなく、拒みたいと願うから、人に嫌われることに対して恐れ、不安になる。これは過程においてむしろいいことなのだ。
そしてその不安を突破して前に進みたいと(予期不安と)抗うから、緊張するんだと思う。

だけど、いまだ僕は、不安に屈する場合の方が多い。
潜在的な自己評価を取り去ることは到底出来ていない。

だから、ここに書いたことはほんのさわりだけど、こんな感じで心理を掘り起こしていって、自分の思考の歪みを発見し、そして修正していくことが必要だと感じている。

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