信頼ってなんだろう。
先輩に僕は70万貸している。
ガンになったから仕方なかった。
先輩は他の人にも借りている。
つまり2人に金を借りている。
返済は一年返済の予定だったけど、端からそんなことは無理だと思ってた。もう返済し始めてから3年くらい経っている。
でもそれでもいいと思っているし、僕の先輩に対する信頼は揺らいでいない。
それは、先輩が返そうとする意思をずっと継続して示してくれているからだ。
もちろん、生活をカツカツに切り詰めれば、もっと早く返せるかもしれない、だけど、人間だから、返済だけの生活ではいつか疲れてしまう。
だから、こっちも妥協する。
先輩は、最低限の誠意のある行動をしてくれる、
それが先輩に対する信頼を保っている。
つまり、言葉だけじゃない。
どんなに少ない稼ぎでも、毎月、わずかなら返していける。
僕は利子なんてつけてない。返済も無理のない程度でどれだけ時間がかかってもいいといっている。
それは、先輩に対する僕の誠意だ。
先輩は、毎月、どんなに少なくても返済してくれる。
一万のときもあれば二万のとき、5千円のときもある。
千円だっていい。100円だっていい。
どんなに金がなくても、返そうとする意思が伝わる行動。
それが、僕が見せた誠意に対する最低限の誠意だろう。
誠意を示すのは相手を信じているからだ。
相手も誠意のある行動をする人だと僕が信じるからだ。
ということで、先輩はまた今月もきつい中から二万円振り込んでくれた。長い時間かかってるけど、もう半分返済してくれた。
だから僕はこの先輩とは一生付き合っていきたいと思う。
もし返せなくなっても、正直にそのことを先輩なら話してくれる。
話してくれるなら、別に金が全額返ってこなくても受け入れられるし、また金を貸すことになっても、事情を勘案して貸してもいいと思えるのだ。
信頼とは、ずっと揺るがずにあるものじゃない。
信頼ってのは、行動によっては常に削られていく資本だ。
どんな信じている相手でも、信頼の上に胡坐をかいて不誠実な態度を取り続けていれば、あると思っていた信頼はいつかは底を付く。
逆に誠実な行動を取り続けていれば、資本としての信頼は膨らんでいくものだと思っている。
資本を減らす要因の一つは矛盾だ。
言葉と行動が伴わない、それが、人との約束で行われた場合にその人の信頼は削られる。
言葉は、いわば、契約書だ。
契約書が発行されてるのに履行されなければ、信頼の減少は言葉という契約書がないときよりも大きい。
誠意はその人の信頼への証だ。
信頼が強まれば、不誠実をやっても許される、のじゃなくて信頼が強まればこそより誠実でありたいと思うのがまっとうだ。
つまり、誠意を見せてくれない相手に対しては、自分も相手への信頼を失う。つまり誠意を示そうとは思えなくなる。
誠実でない、誠意を見せてくれない、というのは、自分のことを信頼してくれてない、もしくは誠意を見せるに値しないと思われている、ということになり、つまり僕は友人でもなんでもない、という結論へと導かれてしまう。
僕はなんらかの信頼に関わる矛盾を相手に見出してしまったときに、許容できずにこのような思考に陥ってしまう。
先輩に僕は70万貸している。
ガンになったから仕方なかった。
先輩は他の人にも借りている。
つまり2人に金を借りている。
返済は一年返済の予定だったけど、端からそんなことは無理だと思ってた。もう返済し始めてから3年くらい経っている。
でもそれでもいいと思っているし、僕の先輩に対する信頼は揺らいでいない。
それは、先輩が返そうとする意思をずっと継続して示してくれているからだ。
もちろん、生活をカツカツに切り詰めれば、もっと早く返せるかもしれない、だけど、人間だから、返済だけの生活ではいつか疲れてしまう。
だから、こっちも妥協する。
先輩は、最低限の誠意のある行動をしてくれる、
それが先輩に対する信頼を保っている。
つまり、言葉だけじゃない。
どんなに少ない稼ぎでも、毎月、わずかなら返していける。
僕は利子なんてつけてない。返済も無理のない程度でどれだけ時間がかかってもいいといっている。
それは、先輩に対する僕の誠意だ。
先輩は、毎月、どんなに少なくても返済してくれる。
一万のときもあれば二万のとき、5千円のときもある。
千円だっていい。100円だっていい。
どんなに金がなくても、返そうとする意思が伝わる行動。
それが、僕が見せた誠意に対する最低限の誠意だろう。
誠意を示すのは相手を信じているからだ。
相手も誠意のある行動をする人だと僕が信じるからだ。
ということで、先輩はまた今月もきつい中から二万円振り込んでくれた。長い時間かかってるけど、もう半分返済してくれた。
だから僕はこの先輩とは一生付き合っていきたいと思う。
もし返せなくなっても、正直にそのことを先輩なら話してくれる。
話してくれるなら、別に金が全額返ってこなくても受け入れられるし、また金を貸すことになっても、事情を勘案して貸してもいいと思えるのだ。
信頼とは、ずっと揺るがずにあるものじゃない。
信頼ってのは、行動によっては常に削られていく資本だ。
どんな信じている相手でも、信頼の上に胡坐をかいて不誠実な態度を取り続けていれば、あると思っていた信頼はいつかは底を付く。
逆に誠実な行動を取り続けていれば、資本としての信頼は膨らんでいくものだと思っている。
資本を減らす要因の一つは矛盾だ。
言葉と行動が伴わない、それが、人との約束で行われた場合にその人の信頼は削られる。
言葉は、いわば、契約書だ。
契約書が発行されてるのに履行されなければ、信頼の減少は言葉という契約書がないときよりも大きい。
誠意はその人の信頼への証だ。
信頼が強まれば、不誠実をやっても許される、のじゃなくて信頼が強まればこそより誠実でありたいと思うのがまっとうだ。
つまり、誠意を見せてくれない相手に対しては、自分も相手への信頼を失う。つまり誠意を示そうとは思えなくなる。
誠実でない、誠意を見せてくれない、というのは、自分のことを信頼してくれてない、もしくは誠意を見せるに値しないと思われている、ということになり、つまり僕は友人でもなんでもない、という結論へと導かれてしまう。
僕はなんらかの信頼に関わる矛盾を相手に見出してしまったときに、許容できずにこのような思考に陥ってしまう。
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