●修行は厳しく辛いものでなければならぬ。
なんてこれっぽっちも思ってないわけ。
修行は合理的かつ効率的でなければならぬ。
こっちの方がしっくり来るね。
厳しく辛い修行も得るもの多々あるけれど、これは精神が健全でいられる限度においてって前提があって、初めて「うん、そうだろうね」って納得できるものなんじゃないだろうか。

ましてや、笑っている=集中してない、真剣でない。みたいな考えもこれっぽっちもないわけで。

師弟制度のある伝統的な職人世界みたいなところは、旧弊であっても、そうした伝統を尊重しないといけない部分もあるかもしれないけど、僕たち全員がそういった精神を当たり前と受け取るのは、現在の社会のこの閉塞感の原因の一部になっているのかもしれないなと。

面白い記事を見つけたんでね。
『職場は楽しくあらねばならない。驚きの米国職場体験』
http://wisdomofcrowdsjp.wordpress.com/2010/05/05/a074/

要は、モラール(志気)をいかに向上させるかということなんではないか。
大学時代、なんかで勉強した思い出があるけど、職場でなんかの音楽流したり、壁の模様替えたりすることで生産効率が上がったりね。

会社のルールみたいなものあるじゃない。
日本はすごくしっかりしてると思う。
作業的なことに関しては、日本の企業って、すごく合理性や効率性を重要視してるんだと思う。

だけれども、労働者の志気の配慮に対しては、合理性が欠如しているって感じるね。

なんだろう、道?弓道とか、居合い道とかみたいな。
仕事にまで日本独自の宗教性が介入してるってか。

学生が勉強を自ら率先してやったり続けたりするには、先生がいかにその学問に興味を持たせ、面白いと思わせることができるかっての重要だよね。
他からやらされるんじゃなく、自らやりたいと思い楽しんでできたら、続いていくもんだろうし、そう思うことが、即ちモラールってもんじゃないのかな。

仕事だってそうでしょ。ただでさえストレス多いんだから、その上殺伐とした雰囲気や緊迫した状態が常態化してしまったら、労働者のモラールだって向上しようがないじゃない。
ルールを原則化するのもいいけれど、そのルールを守って作業していくのは、生産性を左右するのは根本たる労働者、人間ですよって。

仕事は遊び、なんていうつもりはさらさらないけれど、労働者が生き生きと活力を持って働けるってのは、究極的には、いかに仕事を遊んでいるときのような「楽しさ」、に近づけていけるかなんだと思うんだよ。

現今日本のね、うちの工場でもそうだけどね、すぐに人が辞めたりね、病んだりね、閉塞感が拭えない職場環境ってのは、こういったモラールに対する解釈の履き違えや、改善への軽視に起因する部分も大きいんじゃないでしょうかね。

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