考えるのをやめたとき 僕は怪物になった
考えるのをやめたとき 僕は怪物になった
考えるのをやめたとき 僕は怪物になった
●うちの会社に勤続12年くらいのおばちゃんが今月一杯で辞めるらしい。その人は、もともと僕の部署で、僕が入る代わりにその人は違う部署に行ったのだけど、その人は、今の僕の部署に万が一穴が開いたら入ることができる唯一の人だったので、その人がいなくなると、うちの部署が二人休んだりするとかなり大変なことになってきそう。
だけどその人はもう定年過ぎてるし、旦那さんとともに田舎に帰るんだそう。お疲れ様でした。


●帰ってすぐに眠ってから、夕方起きてキネマ旬報の文化映画部門一位だった『沈黙を破る』を観にシネマ5へ。
O君から、別府タワーであるオンチ映画祭へ誘われたけど、『沈黙を破る』は、短い期間での上映で、この日が最後だったので見逃せなかったので、O君の誘いを断らざるを得なかった。

●『沈黙を破る』 監督:土井敏邦
http://www.youtube.com/watch?v=VP0eXNjDxIY&feature

イスラエル・パレスチナ問題を双方の側から長年にわたって取材したドキュメンタリー。
イスラエルパレスチナの歴史的問題に切り込むのではなく、戦争や紛争で表れる人間の姿や、そこに孕む問題を描き出すことに焦点を置いている。
「沈黙を破る」とは、元イスラエル兵達が立ち上げた組織である。
沈黙とは、培った道徳心や良心に対して自問することへの沈黙を意味する。
自分たちはまさしく正義の軍隊だと信じて行ってきた行為には、到底人道的に受け入れがたいたくさんの残忍さが潜んでいる、その残忍さを考えていては、任務は遂行できない、
パレスチナ人を人間と思うな。
彼らは「考えない」という選択をし、感情を切り離し任務を遂行する、そしてその行為を繰り返すうち、あたかもゲームのように現実感が麻痺し、人間性が喪失していき、行動はエスカレートしていく。
「ある日、自分の姿を鏡でみてみると、頭から角が生えていた」

彼らは、兵士達の置かれている現状を元兵士だった経験を元に人々に伝え、「考えない」事から脱却し、自分自身と向き合うことを訴えかける。

人間の前に国家や民族が来るのか、国家や民族の前に人間として考えるのか。
戦争は人間を一種の麻痺状態へと導き、思考停止にさせる。
しかし兵役を追え普通の日常の中に戻ったとき、戦地での行為の記憶は、再び動き出した人間性、良心という形で、彼らを窮地に追い込む。
兵士達の多くは多くの無辜の人々を殺害しても、国からその罪は問われない。
しかし、正常な人間である限り、麻痺が解けた暁には自分の咎として重くそのものの人生にのしかかってくるのである。
兵役を終えた多くの者達は、これまでと全く違った土地へいったりドラックをやったり、対極の世界で全く違う経験をすることでそれらの呵責から自分を浄化しようとする。

この「沈黙を破る」という活動もそういった浄化の一つの結果であるのだろう。

組織の顧問は15歳の娘をパレスチナ人に殺された。
「もちろん憎しみはある。私の娘は彼らに殺された。私にとって彼らは間違いなくテロリストです。しかし、何故彼らは自爆してまでテロをしようと思うのか、結果ではなく、結果を引き出した原因を突き止めなければ問題は収まりません。
狭い中に包囲されている状態でさらに攻め込まれれば当然彼らは噛み付いてきます。
復讐は復讐しか生みません。
結局は言葉で解決するしかないんです。どん人間であっても、話し合いです」



●明日の計画。
花粉症対策のボレノンを探す(無ければネット注文)
Hさんが入れてくれたお金から2万下ろす。
ドンキで電子タバコ探す(無ければネット注文)
映画を観にいく(1本、もしくは2本)
会社のおばちゃんたちへ、ホワイトデーのお返しを箱買いする。
スニーカーを買う
散髪に行く
伯父の法要で田舎にお経をあげに行く

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