●某番組を見ていたら、オリンピック選手のメンタルトレーニングの特集してて、日本は冬季オリンピックに参加した選手の中で、メンタルトレーニングを受けているのは5人しかいないとのこと。
精神的な分野において、日本は欧米に比べてすごく遅れているという認識を僕も実際持っている。
僕は精神は肉体と同じで鍛えるのにも、治すのにも技術、テクニックがある、という考えだけど、日本は宗教観というか、アニミズム的な観点からも、精神を科学的に捉えることに抵抗を感じているのではないかと思うことがある。
技術ってのはつまり根拠があり合理的であり、論理的であること。
日本人の精神性について考えるとき、日本人の学問や時間、計画などに対する論理的な姿勢とは似ても似つかないある意味、呪術的な信仰を持っているように感じる。
それは武士道などにも繋がるものだけど、今は無くなってきたけど、昔は耐えるということが精神の鍛錬になるという風潮も強かったように思うし、そういうのも呪術的な思い込みによる精神の捉え方の一つの例といえる。
日本人精神はそれゆえに美しく洗練されてもいると感じる部分もあるけど、また愚劣であって偏見に満ちてもいるとも思う。

番組のコメンテーターが言ってたけど、「精神力なんて人に教えられてつくものなのか?」って言葉、オリンピックの日本人選手のうち5人しかメンタルトレーニングを受けていなかったわけだし、それは経済的な理由もあるかもしれないけど、そういう面を(競技の)協会だの国だのが選手をサポートしないことから考えても、日本人はコメンテーターの言っていたような意識が他の多くの人達にも働いているのか無いのかわからないけど、結果としては精神を大切にするはずの日本人が根拠無き偏見によって精神というものを軽視することになってしまっているように思う。

体の故障は手術という医学の技術で治すことができるわけだし、運動能力は確立されたプログラムの訓練によって向上を図ることができる、ならば精神も、実際的に考えれば脳が作り出す作用なわけだから、それは体の器官の働きといえるわけだから、精神だけ別個に考えて、教えられても鍛えられない、治療できないと考えるのはおかしい。

(続く)

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