コマドリ姉妹

2010年2月20日 日常
●同僚のおとうさんがプライベートで悩みを抱えているらしい。
かなり深刻らしい。
だけど、「困った、困った、コマドリ姉妹」とか言ってる姿をみると、そんなに深刻な感じは受けないんだけどなぁ。

●うちの会社は、帽子をかぶってマスクをする。
髪の毛が少しでも出たらいけない。
毛髪チェックがある訳だけど、このところ常にひっかかる。
ほんの一本でも出てればアウト。
社員が「キタム君は要チェックやけんなぁ」とか言ってるし、やっぱこれは髪が伸びすぎた所為なんだろうな。
ロン毛にしよう計画を立ててた訳だけど、仕事上ロン毛はめんどくさい。
ということで今度の休みに散髪に行くことにしよう。

●今年は、父親が還暦で定年。
祖母が米寿。
まずは父親の還暦が間近に迫っているので、母親のときのように赤いちゃんちゃんこを購入しなければいけない。
米寿って、なんか着せるのか調べてみたら黄色いちゃんちゃんことか。

●K君、いつ来るの?と聞いたら、父親の仕事の関係もあるので3月くらいになりそうとの話。

●木島輝美『白梅の道 伊藤よし子 伝記 第二部~愛より始まる~』読了。
僕は伊東よし子という人がどんな人かこの本を読んだ範囲でしか知りえないけど、非常に過酷な人生を歩んできた人だったようで、その中での苦しみ、また心の寄る辺となる信仰できる対象を探して行く過程が綴られている。
彼女は若いころに自分のうちに自分だけの神をすでに見出していたのだと思う。また元は看護婦をしていたことからも、様々な宗教に対する呪術的な形式の部分への疑心などが垣間見られる。彼女の理想はキリスト教と仏教を足した様な宗教。
それは彼女の中ではすでに成立していた救いの形となっていても、既成の宗教には自分の理想と合致する部分もあっただろうし、受け入れられない部分もあったのだろう。
伊東よし子の娘である著者、木島輝美さんは、母から「組織ではなく、教えを残して」との遺言からこの本を書いている。
それはやはり、伊東よし子さんも様々な宗教に接する中で自分の心を代弁する宗教は自分の心に宿した神以外に完全な形で実現できるものはない、ということを実感していったからではないかと思った。
組織になると形式が生まれる。しかし、組織の無い教えなら、受けた人の心の中に自分の自由な神を拵えることができる。
求心力は薄くなるが、神の形は人それぞれで違っていいのだと思う。

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