嘘から出た真

2010年2月17日 日常
嘘から出た真
嘘から出た真
●シネマ5で『ディアドクター』がリバイバル上映されていたので観にいった。キネマ旬報1位を取った記念の再上映。
http://www.youtube.com/watch?v=nLWxyAxpyxQ&feature

http://deardoctor.jp/

地方の僻村に赴任している、1500人の村でたった一人の医師(笑福亭鶴瓶)はみんなに頼られ、愛されていたが、ある患者とのいきさつから消息を絶ち、無免許医であったことが公になる。
ブラックジャックの漫画のエピソードに同じような設定(僻村で愛される無免許医)があったなぁと思いながら見ていたが、設定は似ていてもそのエピソードとはまた違った形で完成度の高い作品だった。
彼が何を求めて医師を名乗ったのかは知る由もないが、画面を通じた無免許医の姿には様々な感情が表れていた。
おそらくは彼の心には人から崇められたい気持ちもあっただろうし、経済的な理由もあっただろう。
だけど、彼は村民達と精力的に向き合い、また勉強し努力して、いずれ愛され頼りにされる医師となった。
虚栄心や利己心だけでできることだろうか。
研修にやってきた見習い医師が、彼の患者と向き合う姿に感銘を受け賞賛しても、彼はあくまで自分を卑下する。
無免許医の心には、嘘をついている罪悪感と適正な治療を行い得ない恐怖心もあったろう。
「彼ら(村民)は足らんということを受け入れているだけや」
確かにそうかもしれない。
だけど、こうも思う。村民は足りうる技術を持った医師が来たとして、この無免許医のように愛したのだろうかと。
無免許医であるという嘘から、彼は何かしらの真(まこと)を生み出した。
だからこそ、村人達もこの医師を受け入れたのだ。
刑事が無免許医の素性を洗うため村民に聞き込みをする際、村民達はどこかでこの無免許医をかばう仕草を見せる。
村民の信頼をだまし裏切っていた医師が村民によって庇われる、その理由に彼の生み出した真があるんだと思う。

ある一人の村民の聞き込みのときに、刑事とのやり取りが印象的だ。
「彼がここまで住民のためにしてこれたのはいったい何のためだと思う?金か、ちやほやされることか?」
「そうじゃないと思う」
「じゃあ、何だ?愛か」
突然村民が椅子に座ったまま後ろに倒れると、刑事がとっさに傍により、大丈夫か、と置きあげようとする。
村民が言う。
「刑事さん、今のは愛ですか?違いますよね。私を愛しているわけない。つまりそういうことなんだと思いますよ」

偽医者が、村民達に示した真とは、上記のやり取りの究極の形だったのではないかと思う。

と、ここで辞めて言葉にしないほうが趣があるけど(笑)
それではあまりに不親切なので、言葉にするとしたら、どんな人間にも、自覚せざる、理解できない根源的な善の心がある。
その姿をこの作品は描いて見せた、ということが言えるのではないかと思っている。

また、笑福亭鶴瓶の演技も素晴らしい。さすが噺家なだけあるなってね。


●夏目漱石『硝子戸の中』読了。
百ページくらいの小品の随筆なのですぐ読めた。
硝子戸とは漱石の書斎と外とを隔てる壁であり、まさしく漱石が書斎の中で考えたり思い出したりしたあれやこれやのことを書いているわけで、一連のつながりがあるかというと無いと思うけど、これはこれで面白かった。

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