ようやく一冊

2010年2月2日 日常
●今日は休日出勤。
2万個の恵方巻を作るとやら。
今日休みの人はみんな休出で、休出した人たちはみんな恵方巻を作る。
恵方巻だけ作り続けるってのもなんか飽きそうだな。
まあ、今日一日だけだからいいけど。


●トルストイの『人生論』ようやく読了。
詳細な感想は後日。
人が死を恐れるのは時間と空間に区切られた物質としての生存を生命と認識してしまっているからであり、真の生命とは時間や空間に区切られない。ゆえに死はたんなる関係性の変化に過ぎず、恐れるものではない。というトルストイの人生観。


●今現在読んでいる本。
マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。注釈が多すぎる。しかもその注釈がおそらく本文よりも長い。
ゆえに難解すぎる。注釈を読まずに本文だけをまず通読し、大枠を把握してから注釈にも目を通す方が理解度が増すかもしれない。再読ってか、再々読くらいしたらだいぶわかるかも。
夏目漱石『道草』、これは漱石の自伝的小説。妻との不和とか赤裸々過ぎて、当時の奥さん相当ショックだったんじゃないだろうかと。
車谷長吉が言ってたけど作家とは悪人になることらしい。しかしそれにより救われる人もまたいる。特に私小説ともなると、その傾向が強いように感じる。自分も他者も含めて、小説は人間の矛盾や欠点を浮き彫りにする。だから、小説家は、一面から見れば悪人であるが、自他を区別しない平等な悪人である。それが小説の問題提起となったり作家性となったりもする。
小説家は人間の気付かぬ傷を指摘する。指摘された人は、自らの傷に気付く。傷に意識が行くことで人は初めて痛みを感じる。
痛みを感じることに怒りを感じる人もいれば、傷に気付けたことに感謝し、その痛みを受け入れ治療しようとする人もいる。
小説により救われる人とは、つまり後者である。
傷が擦り傷なら問題なかろうが、癌だった場合、手遅れになる前に気付け、自分の体(人生)が癌に侵食されるのを防いでくれる。小説にはそういった効用がある。
漱石は、確かに他者をモデルにし、他者の姿から見られる人間の傷のありようを暴くが、同様に自分の姿も詳細に観察し、自分の傷も暴いている。

漱石はマックスウェーバーの間の良い息抜きになる。気がつけば、漱石の小説を3分の2読み終えた。
今年は漱石を全部読むことも目標の一つにしよう。

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