夭折の天才監督

2010年1月18日 日常
夭折の天才監督
夭折の天才監督
夭折の天才監督
●シネマ5で山中貞雄(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E8%B2%9E%E9%9B%84)の生誕100周年記念が開かれている。
夭折の鬼才で、長く生きていれば、黒澤、小津、溝口に並ぶ世界に誇る日本を代表する監督となりえただろう人物。
ビデオレンタルもなかなかしていないので、今まで見ることができたのは、『丹下左膳余話 百萬両の壺』のみ。というか、現存する彼の監督作が3作しか見つかっていないのだけど。
今回のこの企画を逃すと今後見る機会もそうないと思い、眠気と株を我慢して、午前中の回に足を運ぶ。

映画の本編上映の前に、山中貞雄の学生時代に使用していた辞書の端に書かれたぱらぱら漫画を映像にしたものが上映されたが、一般に想像されるぱらぱら漫画のごとくではない、彼の漫画は完全に映画のコマ割りを念頭に置いており、おどろくべきはその辞書の切れ端という限られたスペースに、躍動感溢れる精緻なモブシーン、しかも合戦を描いている点だ。この漫画を一見しただけでも彼の才能の片鱗が燦然と煌いている。

●上映されたのは、『人情紙風船』という作品。彼の遺作である。
音声は劣化して聞き取りづらい部分も多々あるが、ストーリーを把握するには支障ない。レビューはまたいつか別に書くとして、簡単な話、就職難民の浪人が職にありつけず、心中するという話。
名のある侍だったろう海野又十郎はいまや落ちぶれて、町人長屋暮らし、女房の内職で糊口を凌ぐ。
そんな長屋に住まう町人達は、みな生き生きとしており、悲壮感漂うのは浪人の十三郎と妻ばかり。
プライドもなんも捨てれば、この浪人も面白おかしく過ごせたかもしれんと思うけど、当時は身分制度がきっちり線引きされてた時代だし、家名は命より重いものだったんだろう。
いわばその侍という自尊心が自らの就職難を招いたわけであって、というか、町人なら生きるたにどんな商売でもできようものだが、侍となると、奉公先を失って主従関係が消滅するとこれほど惨めな立場もないものだな。

●昼からは株の相場を眺める。まだ売り買いできず。
でももうすぐだと思う。

●今週からテニスの4大大会の一つ、オーストラリアンオープンが始まった。どうせ見ないし今回から録画しまいかと思っていたが、習慣の力に抗いがたく、今回も結局録画することにした。
休日は、株とテニスと映画で忙しい。いいことだ。

●株が終わって20時まで眠る。
夜に再び山中貞雄祭りでシネマ5へ。
仕事終わりで、O君も来ていた。
『河内山宗俊』という作品。
この作品も悲劇だったが、午前に見た『人情紙風船』にもいえるが、抗えず押し流されていくしかない運命という人生の悲哀を描いている部分に溝口に通じるものを感じたが、溝口ほどに突き詰めて深刻ではなく、もっと軽妙である。
俳優達の演技が今ほど仰々しくなく、非常に自然で熟達しているように感じる。魅力的で印象的な人物か多い。またやはりシナリオの巧みさが俳優達の演技とかけ合わさって珠玉の作品を生み出している。
全てというわけではないが、この時代の作品の多くは、鑑賞後の余韻の感じ方が現代作品とちょっと違う。
墨汁が綿にじんわりと染み渡っていくような、野暮な表現を使うならそんな感じの余韻。

山中貞雄は20代でこれらの作品を撮った。恐るべき才能であり、彼の若い死は日本映画界にとって重大な損失であった。
やはり、世代を超えて伝えられていくべき作品だと、鑑賞してあらためてその感を強くした次第である。

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