●昨日、久しぶりにテレビを付けてみた。飯を食っている間だけ見るつもりだったが、テレビでやっていた『熱中時間』という番組で、電車に夢中になっている人が特集されていて、それが面白くてついつい最後まで見てしまった。
電車に夢中になっている人たちの中にも、電車の車両が好きな人もいれば、寝台列車に乗って車窓から見える景色に夢中になっている人、昔あった線路に夢中になっている人など様々な興味の対象がある。
面白かったのは、興味を持ったきっかけが幼い頃の体験にもとずいている人が多かったからだ。
幼い頃に機関車の運転手に運転席に一緒に乗せてもらい、降りたあとに運転手からサインを貰った。その時のうれしさが忘れられなくて、30年間電車の初運転の時にはその地に赴いてサイン色紙に車掌のサインを貰い続けている人、子供の時、一度しか乗れなかった寝台列車に感動して、大人になった今、色んな地方に向かう寝台列車に乗り、車窓から見える景色を録画し続ける人。その人は、自分のサイトにその景色をUPしていて、その理由が、日々忙しくて寝台列車に乗れない人のために、家にいながら寝台列車に乗っているような美しい景色を堪能してほしいというのがいい。
また、北海道の開拓のために使われた今は無き線路の跡地に赴いて、その儚さに自分の人生を重ね合わせる人もいた。
多くの熱中人が、電車を通して、自分の人生の過程の大切な思い出や感動といった感情を育んでいる。
だからこそ、ここまで熱中できるものなのだろうと思った。
電車そのものというより、電車を介して自分の記憶や人生(その中には哀愁も含む、楽しさとはまた違うが、悲しさもまた心地よい場合もある)を見るのだ。
初めて体験したときの感動やうれしさ、また切なさは、忘れられない。人はどこかでその感覚をもう一度体験したいと求めるものだろう。
そしてその媒介物として趣味となった対象がある。
歌にしても映画にしても、熱中する多くのものは、たとえ新しい物に触れるときでも、僕達はどこかで「あのときの感情」を味わいたい固めなのではないだろうかと、ふとそんなことを考えた。
●今日の飯
ご飯、筑前煮、何かの魚を上げて甘辛く味付けしたもの、みかん。
電車に夢中になっている人たちの中にも、電車の車両が好きな人もいれば、寝台列車に乗って車窓から見える景色に夢中になっている人、昔あった線路に夢中になっている人など様々な興味の対象がある。
面白かったのは、興味を持ったきっかけが幼い頃の体験にもとずいている人が多かったからだ。
幼い頃に機関車の運転手に運転席に一緒に乗せてもらい、降りたあとに運転手からサインを貰った。その時のうれしさが忘れられなくて、30年間電車の初運転の時にはその地に赴いてサイン色紙に車掌のサインを貰い続けている人、子供の時、一度しか乗れなかった寝台列車に感動して、大人になった今、色んな地方に向かう寝台列車に乗り、車窓から見える景色を録画し続ける人。その人は、自分のサイトにその景色をUPしていて、その理由が、日々忙しくて寝台列車に乗れない人のために、家にいながら寝台列車に乗っているような美しい景色を堪能してほしいというのがいい。
また、北海道の開拓のために使われた今は無き線路の跡地に赴いて、その儚さに自分の人生を重ね合わせる人もいた。
多くの熱中人が、電車を通して、自分の人生の過程の大切な思い出や感動といった感情を育んでいる。
だからこそ、ここまで熱中できるものなのだろうと思った。
電車そのものというより、電車を介して自分の記憶や人生(その中には哀愁も含む、楽しさとはまた違うが、悲しさもまた心地よい場合もある)を見るのだ。
初めて体験したときの感動やうれしさ、また切なさは、忘れられない。人はどこかでその感覚をもう一度体験したいと求めるものだろう。
そしてその媒介物として趣味となった対象がある。
歌にしても映画にしても、熱中する多くのものは、たとえ新しい物に触れるときでも、僕達はどこかで「あのときの感情」を味わいたい固めなのではないだろうかと、ふとそんなことを考えた。
●今日の飯
ご飯、筑前煮、何かの魚を上げて甘辛く味付けしたもの、みかん。
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