彼岸の境地

2009年12月16日 日常
彼岸の境地
彼岸の境地
●人は罪を胚胎し、激しい陣痛で苦しむが、罪はいつしか幸福に繋がる胎児へ変わる。
しかし、罪をしっかり内省により胎教し、生み出すまで我慢強く耐えなければ、胎児は自分の中で死に絶え腐ってしまう。
そうした苦労により生まれた稚児を育み育て、いつしか幸福という形で成人したなら、自分はその罪にたいして贖罪を成しえたといえるのではないか。


●初代ドイツ帝国宰相ビスマルクが『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。』という言葉を残している。
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」というのがこの言葉の意味するところである。
人間は対象を経験することで初めてその対象に真剣に向き合える、と考えるのはあまりにも悲しい。
人は往々この先経験するかもわからない、まだ知らぬ苦しみや悩みに思いを馳せることを疎んじ恐れ、不安に感ずる。それを事前に学び、避けえるようになろうと思うよりは、できるだけそういうことを話頭にあがらせぬように避けようと動く。だから他者の苦しみはいつまでも他者の苦しみとして対岸に存在している。しかしひとたび自分がその境遇に陥ると、かつえたように理解者、救済者を求めるのはあまりにも都合が良すぎる話である。
人の辛さを向き合えるのは、同様の辛さを経験した者、もしくは有しているものに多いという現実は、それが現状だとわかっていても認めたくはないものだ。
人には想像力がある、知恵がある。
歴史に学ぶ、とは、自分のことではない、他人事でも自分事のごとく真剣に向き合うということと同義である。


●漱石の『彼岸過迄』読了。
この作品のあとに『行人』を書いたらしい。
通して読むと、この時期に漱石がどういうことで悩み、どういうものに憧れていたのかが分かってくる。

須永という登場人物が、学のない下女の女を一筆書きの朝顔に形容し、いわずと憧れている。
…今黒塗りの盆を持って畏まっている彼女とを比較して、自分の腹は何故こう執濃い油絵のように複雑なのだろうと呆れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠として、今日まで自分の頭が他(ひと)より複雑に働くのを自慢にしていた。ところが何時かその働きに疲れていた。何の因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情けなかった。
「作御前でも色々物を考えることがあるかね」
「私なんぞ別に何も考えるこ程の事が御座いませんから」
「考えないかね。それがいいね。考える事がないのが一番」
「あっても知恵が御座いませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」
「仕合せだ」

この一連のやり取りは下女に対する侮蔑ではなく、羨望である。

須永は漱石であろう。
「社会を考える種」に使えても、「社会の考えにこっちから乗り移っていく」ことができない。

「茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董を捻くれば錆びた心持になる。その他…凡てその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心奪われすぎるので、自然に己無き空疎な感に打たれざるを得ない」
それが浮気者の心である。
漱石は浮気者になれればどれほど人生が楽になるかと思う。
しかし、彼は「自我より他に当初から何も持っていない男」であるから、そのような境地に至れない。
漱石は浮気者になりたくてもなれない人間であった。
「其処に彼の長所があり、彼の不幸が潜んでいる」

『行人』ではこの問題をさらに深く追求し、「則天去私」に通じる理念を提示している。
http://37292.diarynote.jp/200910041349022429/


●現在、トルストイの『人生論』を読み始めたところだ。

●今日の飯、画質が悪すぎる。
ご飯、ポークソテー、松茸風味の吸い物、かぼちゃ、ホウレン草。

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