昼にエルマンノ・オルミ監督の『ポー川のひかり』(http://www.po-gawa.net/)をO君と観にいってきた。
名声も富も得ている哲学者が、それらを捨てて川べりにある廃墟に住む。
端正な顔立ちに際立った知性、人もうらやむ地位についていたとしても哲学者の人生は空虚だった。
「本は自分から語りかけてはくれない」
彼の人生は本だけの人生であり、それが結果的にある復讐を引き起こす。
「自らの実存を実感するには今や狂喜に走るしかない」
歴史図書館にある、名高い本達を釘で串刺しにする。
本が培ってくれた自分の人生を彼は全て放棄する。
地位を捨て、富を捨て、ある村の川べりにある廃屋を住処にする。
親しみは、いつしか憎悪へ変わり、彼は哲学を探求したがゆえに最終的に人間との交流を希求した。
「僕はたくさんの知性より、友人と飲む一杯のコーヒーの方が良かった」
川べりに住みだした彼の元にいつしか村人達が集い、彼の求めた交流が生まれる。村人達は何故彼がそんなところに住んでいるのかを問わない。
全く違う人生を歩んできたもの同士が交わることで互いの人生に微妙に影響しあう。
知性を批判しているわけではない。
人は何を求めて人生を歩むのかということである。
哲学者が、悩んだ末に結局人との交流という人並の結論にしか逢着しなかったのも、つまりは人は人との繋がりなしには実存しえないという永遠の真理であり、また彼の知性が村人達を慰安へ導いたがごとく、知性もまた人間の営みを豊かにする術であるというひとつの真理なのだ。
映画を見た後、Bも誘って三人でジョイフルに行った。
今日観た映画のことを話したり、モーヴィの悩みを聞いたり、こうやって穏やかな時間を過ごすことが自らの実存を充足させる。
映画を見ても本を読んでも、それを共有できる相手がいなければなんと空虚なことだろう。悩みを持ってもそれを相談できなければなんと悲しいことだろう。
また同様に人と会う際、そういう共有できるもの、相談できるものがなければ、なんと味気ない交流になるだろうとも感じる。
内なる世界、外なる世界。これらの均衡が保たれることによって初めて人生は豊かなものとなると僕は信じる。
内なる世界は、外へ繋がることではじめて実を得、外なる世界もまた内なる世界を掘り下げることで広がりを増すのだ。
僕は「ポー川のひかり」に対してストーリーや登場人物たちの心情を考察して書いたわけだが、この作品は本来こういう批評を下すと陳腐になってしまう類の作品だと思う。
音楽は素晴らしく、川べりの風景、人々が集い踊り笑う。
その純粋性に触れることで人生に必要なもの、作者の伝えたいことを感じ取ることのできる作品である。
O君のレビューはそういう側面から書いていたので、僕はあえて違う側面から書いてみた。
名声も富も得ている哲学者が、それらを捨てて川べりにある廃墟に住む。
端正な顔立ちに際立った知性、人もうらやむ地位についていたとしても哲学者の人生は空虚だった。
「本は自分から語りかけてはくれない」
彼の人生は本だけの人生であり、それが結果的にある復讐を引き起こす。
「自らの実存を実感するには今や狂喜に走るしかない」
歴史図書館にある、名高い本達を釘で串刺しにする。
本が培ってくれた自分の人生を彼は全て放棄する。
地位を捨て、富を捨て、ある村の川べりにある廃屋を住処にする。
親しみは、いつしか憎悪へ変わり、彼は哲学を探求したがゆえに最終的に人間との交流を希求した。
「僕はたくさんの知性より、友人と飲む一杯のコーヒーの方が良かった」
川べりに住みだした彼の元にいつしか村人達が集い、彼の求めた交流が生まれる。村人達は何故彼がそんなところに住んでいるのかを問わない。
全く違う人生を歩んできたもの同士が交わることで互いの人生に微妙に影響しあう。
知性を批判しているわけではない。
人は何を求めて人生を歩むのかということである。
哲学者が、悩んだ末に結局人との交流という人並の結論にしか逢着しなかったのも、つまりは人は人との繋がりなしには実存しえないという永遠の真理であり、また彼の知性が村人達を慰安へ導いたがごとく、知性もまた人間の営みを豊かにする術であるというひとつの真理なのだ。
映画を見た後、Bも誘って三人でジョイフルに行った。
今日観た映画のことを話したり、モーヴィの悩みを聞いたり、こうやって穏やかな時間を過ごすことが自らの実存を充足させる。
映画を見ても本を読んでも、それを共有できる相手がいなければなんと空虚なことだろう。悩みを持ってもそれを相談できなければなんと悲しいことだろう。
また同様に人と会う際、そういう共有できるもの、相談できるものがなければ、なんと味気ない交流になるだろうとも感じる。
内なる世界、外なる世界。これらの均衡が保たれることによって初めて人生は豊かなものとなると僕は信じる。
内なる世界は、外へ繋がることではじめて実を得、外なる世界もまた内なる世界を掘り下げることで広がりを増すのだ。
僕は「ポー川のひかり」に対してストーリーや登場人物たちの心情を考察して書いたわけだが、この作品は本来こういう批評を下すと陳腐になってしまう類の作品だと思う。
音楽は素晴らしく、川べりの風景、人々が集い踊り笑う。
その純粋性に触れることで人生に必要なもの、作者の伝えたいことを感じ取ることのできる作品である。
O君のレビューはそういう側面から書いていたので、僕はあえて違う側面から書いてみた。
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